■13S市グランドハイツの正面入り口は当然のように開かなかった。巨大な強化ガラスでできた自動ドアは正面に俺が立ってもまったく反応せず、不動のまま沈黙を保っていた。電力はまだ生きていると思うんだが、やはり入居前だし閉めきっているのだろうか。いっそのこと「消防斧で叩き割るか?」とも考えたがとりあえず今のところは止めておこう。あまり目立つようなマネはしたくないし、消防斧で破壊できるかどうかもわからない。それに、わざわざゾンビが侵入しやすいような通路を作るのも控えておきたいからだ。ちなみにシャベル(シャーリーン)は使わない、強度的にこの強化ガラスを破壊できるとも思えないしね。さっきゾンビの頭を叩き割った時に刃が少し歪んでしまったし、頭蓋骨って想像以上に頑丈だったんだな。外周をぐるりと巡りどこかに入り口がないか探し回る。侵入できそうな場所、ないね。マンションの全体像を見上げ改めて圧倒される、まるで塔だ。ベランダなどから侵入しようにも高すぎる、目算でも一番下のベランダまで30m以上あるぞ。たしか一階から三階までは温泉とかプール、フィットネスジムなんかの施設だったはず、どうりで全面強化ガラス張りなわけだ、登ろうにもプロのロッククライマーでも絶対無理だな。防犯的な意味もあるんだろうが一階は全て頑丈なコンクリートとレンガだけで組み上げられているし。そして正面玄関は強化ガラス製、しかもよく見れば奥にもう一枚同じのがあるじゃないか。ちょっと侵入は難しいかもしれないな、甘く見ていたのかもしれない。■とりあえず試すだけ試してみるか、万策尽きた俺は当初の考え通り消防斧で正面入り口を突破してみることにした。周囲にゾンビの姿がないことを確認してラッキーも少し後ろに下がらせる。腰に取り付けた消防斧を手に取って、俺はそれを大きく上に振りかぶり―――『ちょ、ちょっと待て! 今開けるからちょっと待て!』入り口横の小さなスピーカーから焦ったような声がかかり動きを止めた。声の様子からは中年の男っぽかったが、俺より先に篭城している人がいたとは、ここのオーナーとかかな?監視カメラか何かで俺の様子でも見ていたのだろうか、見渡せば入り口の斜め上あたりにそれっぽいカメラがあった。『いいか、一瞬だけ開けるからすぐに入るんだぞ、連中が入ってくる前にすぐに入れよ!』念を押すように二度同じ事を言われ俺はカメラに向かってコクリと肯いた。ネタ芸人じゃないのでゾンビを招くような事は絶対しない、命をかけでまで笑いを取るつもりはないし。今のところ指示に逆らう意味がない、素直に開けてくれると言うのならば大人しく従うまでだ。だが、以前のレイパー四人組やミリタリーショップでの仲間割れの例もある、十分に注意しながら行くことにしよう。俺は正面入り口の自動ドアが開くと同時にラッキーと一緒に中に身体を滑り込ませた。そのすぐ後に自動ドアは閉じ、再びなんの反応も返さなくなった。一瞬だけ電源を入れたのだろうか、なかなかに器用な真似をする。俺たちを建物内に入れてくれた人物のことも気になる、悪い人間でないことを祈ろう。しかし油断はすまい、俺はいつでもシャベル(シャーリーン)を振り回せるように手に持ち直して気を引き締めた。■俺がラッキーと一緒に中に足を進めると広いエントランスホールに出た。床は大理石が敷き詰められていて、いかにも「高級です!」とでも言わんばかりの雰囲気だ。ただし電気はついていない、薄暗い中をラッキーと一緒に進む。すると奥の方から一人のおっさんが出てきた。作業着を着た、ちょっと禿げ気味な、人の良さそうな顔をした中年のおっさんだ。こちらを見て苦笑しながら歩み寄ってくる、その手には何も武器を持っておらず一見無害そうに見えた。だが、まだ背後に何か武器を隠している可能性もある、注意は怠らない。「いやービックリしたよ、まさかあんな危ない中を通って来る人がいるなんて思わなかったからさ、お前さん、怪我とかはないのか?」「え、えぇ、なんとか大丈夫です、ここに入れてもらえて助かりました、ありがとうございます」「あ、いや、実は最初から見てたんだけど、いろいろ躊躇しちまってな、こっちこそすぐに入れてやれなくてすまん」おっさんは素直に頭を下げた、見た目通り良い性格をした人みたいだ。こう正直に自分の非を認め、理由を教えてくれるなんてなかなかできることじゃない。まして俺みたいな迷彩服一式で身を固め武装している怪しい奴相手に初見で普通はできない。武装した相手に対してあまりに無警戒・無防備とも言えなくもないが、こんな状況だからこそ人間の本性が剥き出しになることを俺は知っている。だからこそ俺はおっさんの態度に好印象を抱いた。「気にしないで下さい、こんな状況ですしそれも仕方ないかと思います、あ、俺は高田了輔っていいます、よろしく」「瀬田渋蔵(セタ ジュウゾウ)だ、ここのメンテナンス主任をやってる……と言っても今は俺一人しかいないがな」「たった一人で篭城してたんですか?」「あぁ、四日前からな、あの日はもともと簡単な設備チェックだけだったんだが途中でいきなりあんな連中が外で大暴れしだしやがってよ、俺はずっとここにいたから助かったが外の方は酷い状態らしいじゃねぇか」「そうですね、俺もアパートから脱出してきたんですが、生き残りは殆ど見かけませんでしたよ、町中ゾンビだらけです」「ゾンビ? あぁ、まぁ、たしかにゾンビだわな、TVとかでも言ってたけどよ、あんまり信じたくねぇけどありゃゾンビだわな、まったくよ……」瀬田さんは禿げ気味の頭をぽりぽりかきながら、苦笑いしながら言った。認めたくないのかもしれないな、ゾンビなんてフィクションの世界の化け物が地上に溢れ出したなんてそれこそ悪夢だろうし。俺はそれ以上特に何も言わず、隣にいるラッキーの頭を撫でた。瀬田さんはそんな俺の様子を見ながら、今度はちょっと気まずそうにしながら話し掛けてきた。「な、なぁ、ところで高田さんよ、何か食いもん持ってないか? ここ四日間一度もメシ食ってなくて死ぬほどハラペコなんだわ」「ありますよ、缶詰とかカロリーメイトみたいな非常食ばっかりですけど、それで良かったら」「あ、ありがてぇっ! 助かるぜ!」思わず飛び上がりそうな勢いで喜ぶ瀬田さん、よっぽど腹を空かせていたのだろう。まぁ、食料なら後でまたどこかに取りに行けば良いしな、今は必要なだけ提供しよう。こんな状況だ、コンビニやスーパーなどを漁ればいくらでも食料は手に入るだろう、生鮮食品は無理かもしれないけど。ステルス装備を持つ俺なら他の人間に比べて物資補給の苦労は格段に楽だろう、この利点を活かすべきだ。それにここで物資の出し渋りして悪印象を与えたくないし、せっかく見つけた条件ピッタリの重要拠点だ、そこに住む彼とは仲良くしておくにこしたことはない。見たところ悪人ではなさそうだし、しばらく様子見だな。■