■17俺は細心の注意を払いながら血塗れの廊下をラッキーと一緒に歩き続けた。ふと、二階へ登る階段に差し掛かったところでラッキーが何かに反応しだす。しきりに鼻をくんくんと動かし、どこからか臭いの発生源を探っているようだ。犬は人間の100万倍の嗅覚を持つと言われるくらいだ、こんな血生臭い空間でも何か別の臭いを嗅ぎつけたのかもしれない。俺は短い付き合いだがラッキーがかなり賢い犬であることを知っている、滅多に吠えることもないし、俺のピンチには身体を張って助けてもくれた恩犬でもある。だから俺はラッキーのことを信頼しているし、こいつが何か気になることがあるならそれはきっと大切なことなんだろう。無駄に校舎を探索するよりはラッキーに任せた方が良いのかもしれない。俺はラッキーの頭をひと撫ですると、先導をラッキーに任せ案内役をしてもらうことにした。■二階は一階に比べるとゾンビの数がかなり少なかった。ゾンビは階段を上れないこともないが、それは這いずるように登るのであって俺たち人間みたいに足を使って登ることはできない。どっちみち上の階に行けば行くほどゾンビの数は少なくなっていくのは明らかだ。以前、俺が高層マンションを隠れ家にしたいと考えていたのはそのことが理由でもある。ラッキーは階段からちょっと歩いた先のとある教室に入っていった、見上げると『2-3』と書いてある。俺も続いて入ると机や椅子が散乱した教室の隅で一匹のゾンビが掃除用ロッカーをひたすら引っ掻いていた。カリカリとロッカー表面をを飽きもせず引っ掻き続けたせいだろう、爪は剥がれ、指先の肉が磨り削られてロッカーには真っ赤な血肉がベットリくっついている。なにか、あの中に執着するものでもあるのだろうか?ん、待てよ、ゾンビの執着するものなんて一つじゃないのか!?そう、生存者だ! まさかあの中に生き残りが隠れているのだろうか?だったらマズイな、校内の様子を見たところゾンビに襲撃を受けたのはおそらく数日前だ、乾いた血の跡や肉片から大体想像できる、一日やそこらであれだけ大量の血肉が全て乾くわけがない。となると、そこのロッカーに隠れている生存者は少なくとも二・三日水も食事もとっていないことになる。食物は一週間くらいは食べなくても死にはしないが、水はヤバイ、三日も飲まなければ脱水症状で死んでしまう。この間ゲットした防災関係の本に書いてあった。となれば一刻も早くロッカーの中に隠れている生存者を助けださなければいけないわけだが、いかんせん目の前のゾンビが邪魔だ。殺すか、いや、待て、この階には少ないとはいえ複数のゾンビがまだいるんだ、周囲に複数のゾンビがいる状況で迂闊に動けば前回のように攻撃中にいつのまにかバックアタックされかねない。今は俺が連中に何もせず、目立たないよう目立たないよう心がけているから無事なだけであって、一匹に感ずかれたら一気に全員で襲い掛かられることになるだろう、そうなれば俺に勝ち目はない。優先順位を間違えてはいけない、最優先すべきは俺の安全確認、他人を助けるのはその次だ。まずは周囲の偵察が先だな、ゾンビの数と配置を確認せねば。■俺はいったん教室を出て校舎二階の偵察をすることにした。教室は六つ、2-1、2-2、2-3、2-4、2-5、理科室、そして男女別にそれぞれトイレがある。通路の最奥には例の体育館へと続く通路もあったが、残念なことに防火扉がバリケード代わりとなり塞がれていた。ゾンビは廊下に三匹、2-1に一匹、2-3に一匹、2-5に二匹、理科室に二匹、防火扉前に五匹いた。幸いなことにトイレには一匹もいなかった。合計で十四匹、数えてみると結構多い。とりあえず2-1と2-5と理科室のゾンビに関しては教室の戸を閉めれば隔離できそうだったので、そっと音を立てずにゆっくり閉めておいた。ついでに2-3にこれ以上ゾンビが入ってこないよう、ここも内側から閉じておいた。残るは九匹、特に注意すべきは廊下の三匹だ。俺はその三匹が2-3教室前から見えない位置まで移動するのを我慢強くじっくり待ち、ようやく連中から教室内が死角となる位置まで移動したのを見計らって少々大胆な行動に出た。まずはゆっくり例のロッカーに近づき、引っ掻くのに夢中になっているゾンビの背後を取る。手を伸ばせば届くくらいの超至近距離まで近寄るとクロスボウの狙いをゾンビの後頭部に定めた。トリガーを引き、アルミ矢を発射する、先端に取り付けてある4ブレードヘッドがゾンビの頭蓋骨を突き破って脳を破壊し尽くした。そしてとっさに倒れそうだったゾンビの身体を掴み、ゆっくりと床に下ろした。倒れて大きな音を出さないための措置である、幸い作戦は上手くいき廊下のゾンビに感ずかれた様子もない。敵に気がつかれないようそっと忍び寄り、無音必殺でトドメを刺す。俺はまるで自分が某潜入ゲームの主人公にでもなったような気分になった。といっても、俺はCQCや何か特殊技能を身に付けているわけではないので単なる思い込みに過ぎないのだが。■ゾンビを静かに始末した俺は焦らずまずはロッカーの中に本当に生存者がいるのか確かめることにした。開けてビックリ実はゾンビでした! なんてオチは御免こうむりたいからな。ヘルメットのバイザーを少しだけ開けてロッカーにできるだけ顔を近づけてみる。すると中からは微かに「はぁ、はぁ……」という少々苦しそうな呼吸音が聞こえてきた。これは間違いなく生きてる人間だ、俺は確信した。ゾンビは基本的に呼吸音ではなく「あぁ~」とか「うぅ~」とかいう呻き声だからな、息してるのかすら怪しいし。「おい、聞こえるか? 聞こえたら大声を出さず小声で返事をしてくれ」俺はできるだけ小さい声でロッカーの中に話し掛けてみた、その際に気を付けるべきことは相手を驚かせないようにすることだ。ビックリしたりパニックになられて大声を出されちゃかなわん、最悪俺まで巻き添えになりかねない。俺がそんなことを考えているうちに、ロッカーの中からは微かに聞き取れるくらいの声で短く「はい」と返事が返ってきた。良かった、まだ意識はあるみたいだ。それにしても随分幼い声だったな、逃げ遅れた学生とかだろうか?。「今からロッカーを開けるが、決して大声を出したり、暴れないでくれ」そう言って俺が静かにロッカーを開けると、中には小柄な女の子が入っていた。この学校の制服らしい黒と白のコントラストが特徴的なブレザーと黒いニーソックス。だがそれらは今は酷く汚れ、そのうえかなりきつい悪臭を放っていた。原因はすぐにわかった、ずっとロッカーに閉じこもっていたのだ、そりゃあトイレにもいけなかっただろうさ。また、少女の髪の毛は汚れと汗でボサボサになり乱れきっていて、さながら和製ホラーに出てくる怨霊のような外見をしていた。衰弱しきった少女の姿を一言で表せば『悲惨』である、状況は違えど以前出会った阿部育代を思い出した。「……た……たすけて……ください……」少女は絶句している俺に弱々しく手を伸ばしながら助けを懇願してきた。もちろんせっかく見つけた生存者だ、俺の危険度が低い限りはできるだけ手助けするつもりである。危険な足手纏いと判断した時点で見捨てることも念頭においたうえでの考えあるが。少女の声は渇ききったガラガラ声で、皮膚も信じられないくらい乾燥している、それだけでも深刻な水不足だと伺えた。今すぐにでも水分補給と休息が必要だ。俺は少女の手を取り、安心させるように握り返した。「……とりあえず、安全なところまで逃げるぞ、歩けるか?」「ごめ……なさい……むり、です……」「わかった、じゃあ俺が抱えていくから大人しくしててくれ、声を出さない、動かない、守れるな?」「……はい……」「それとちょっと苦しいかもしれんが、しばらくコレかぶっといてくれ、安全な場所に到着したらはずすからそれまでは大人しくしてろよ」そう言って少女の頭にアルミホイルをグルグル巻きつけていく、予備として持ってて良かった。もしなかったら移動中にゾンビに察知されかねない。今のこの娘の状態なら、酷い話だが臭いに関してはそれほど気にする必要はなさそうだが、脳波はそうもいかないしな。あ、いや、臭いについては逆に危ないかもしれん、汗臭さ以外でも引き付けられるとしたら危険だ。脱出を急いだ方が良いかも、最悪この子を囮に置き去りにしてでも脱出だな。鼻と口の部分を開けておき、頭全体を覆うようにしておいてアルミホイルを巻きつけた。なんかシュールだな、銀色のミイラみたいだ。気休めだがファブリーズも吹きかけておく、さぁ、覚悟を決めていくか、南無三ッ。■俺は衰弱しきった少女を抱え、静かに、焦らず、だができるだけ迅速に校舎から脱出することにした。一番近い体育館避難所の方に行こうかとも思ったが、防火扉で封鎖されている上に、ゾンビが五匹も群がっている、到底接触は無理だろう。よって消去法で俺の車へ退避することにした、場合によっては彼女を隠れ家まで連れ帰って治療する必要も有りそうだし。彼女を隠れ家まで連れて行くことで発生するであろうトラブルも頭に浮かんだが、今のところ俺にとってそれほど致命的な問題ではないので見送ることにした。それに「もしかしたら俺に惚れてくれるかも」、なんていう童貞らしい下衆な下心もあった。抱きかかえられた少女は俺の腕の中で殆ど身動き一つせず、やや苦しそうに息をするだけだ。恐らく恐怖を感じたり、自分がどういう状況にあるのかさえよく理解できないほど疲労しているのだろう。汚れボロボロになったその悲惨な姿から容易に想像できる。だが、哀れではあるが命が助かっただけまだマシだ、そういう意味では運が良いのかもしれない。ところで、こんな状況でなんだが俺は女の子をこうしてお姫様抱っこするのは生まれて初めてだ。映画やコミックではイケメンが余裕をもった笑顔でヒロインを抱えたりしているが、現実はやっぱ違うね、正直重い!教室を出て階段を下りる辺りまではまだ余裕があったんだが、階段を一歩下りる度に地味に重みがズシリと腕にかかってきて……。そのうえゾンビどもに悟られないようにゆっくり動かなくてはならない、まるで10分かけて腕立て伏せ一回をこなす時のように辛い!今や彼女を抱える俺の腕はほぼ限界に来ている、非常に情けないことだが生まれたての小鹿のようにプルプルしてるぜ。ヤ、ヤバイぞ!? ここで彼女を落っことそうものなら彼女もろとも俺までゾンビの餌食になってしまう。俺は思わぬピンチに見舞われながらも、必死に自分を励ましつつなんとか車までたどり着くことに成功した。脳内でずっと「ファイトォ~いっぱぁーーつッ!!」のフレーズが流れていたのは秘密だ。……あ、明日の筋肉痛が恐ろしいや。■