■21時間もかなり経ったので、俺は一度由衣ちゃんの様子でも見ておこうと部屋に戻ってきた。情がうつらないようあまり仲良くするつもりは無いが、命を助けて保護した責任はしっかり負う必要がある。ここで無責任に放り出したり、死なせてしまっては目覚めが悪い。彼女の体力が回復し、避難所まできっちり送り届けるまでが俺のできる精一杯のことだ、それ以上は己の身を滅ぼすことになる。そんなことを考えながら部屋に入ると驚くべき光景が目に映った。「あ、お帰りなさい高田さん」「これは……由衣ちゃん、君がやったのか?」「は、はい、その、助けていただいたお礼もしたいですし、私に何かできることがあればと思いまして」部屋の中、きっちり整理整頓された物資が整然と効率的に並べられていた。物資を入れておいたダンボール箱は綺麗にたたんであるし、彼女が寝ていたベッドもきれいに片付けられていた。さらに由衣ちゃんは腕をまくって床を雑巾がけしている途中であり、丁度玄関前で入ってきた俺と出くわす形になってしまっていた。「あの、勝手に荷物を出しちゃ駄目だったですか? その、ごめんなさい、すぐに元に戻しますから!」「あ、いや、そうじゃない、ちょっと驚いただけだ、それよりも体調の方は大丈夫なのか?」「はい、ご飯を食べて半日ほど寝たらすっかり良くなりました、高田さんのおかげです、ありがとうございます!」「そうか、なら良いんだが、一応念の為にもう掃除はいいから休んでいなさい、病み上がりで無理をするべきじゃない」「あ、は、はいっ、その、ありがとうございます」「それと申し訳ないがラッキーをちょっと借りていくよ、今から少し出かけてくるのでその間の留守番頼むね」そう言って俺はラッキーを連れてそそくさと退室した。驚いたな、回復が早いのもそうだが、部屋の整理や掃除までしてくれているとは、これが若さか。それに、いきなりの出来事だったんでつい『体調が回復したら彼女を避難所へ帰す』ことを話しそびれてしまっていた。今から引き返して話すのもなんかかっこ悪いしなぁ、また今度でも良いか。ところで先ほどからラッキーが首に巻いているスカーフのようなものはなんだろうか?オシャレか? 昔のアニメに出てきた犬とかがこういうの付けているの見たことはあるが。「ラッキー、それ由衣ちゃんに付けて貰ったのか?」「ワンッ」「ふーん、良かったじゃん、似合ってるよラッキー」「ワンッワンッ♪」俺はラッキーの肯定とも取れる返事を聞きながら頭を撫でた。尻尾を左右に激しく振り回し目をキラキラさせながらラッキーも喜んでいるようだ、なにこの可愛い生き物。■さあ、いよいよ実験だ、俺にとっての幸運の女神であるラッキーを連れて行くことで成功を祈ることにしよう。今日の女神様はすこぶるご機嫌だ、きっと幸運を運んできてくれるにちがいない。地下駐車場から車で外に出ると周囲は既に薄暗くなっていた、あと一時間も経たないうちに真っ暗闇になるだろう。幸い今日は曇りだ、日が沈めば月明かりさえも遮られて本当の暗闇に包まれることになる。俺の仮説を試すには最適の条件というわけだ。ヘルメットをかぶり暗視スコープの電源を入れる、左眼いっぱいにひろがる蛍光緑の視界、数百メートル先にいたゾンビの姿が見えた、うん、視界は良好だな。車のライトはつけない、ゾンビに存在を知られては意味がなくなるからだ、これからは暗視スコープを頼りに運転していく。はじめから生身で実験しようなどとは思わない、まずはこのハマーで試す。モーター動力で運転すれば静かに移動できるし、もし俺の仮説が間違いでゾンビに感ずかれても車なら撥ね飛ばして逃げることができる。安全に、かつ安心して行える実験だ、それに大型車が早く動いて気付かれないのならばそれよりも小さい人間はもっと気付きにくいことだろう。比較対象としてもより俺の安全を確認できる実験というわけだ。日が完全に沈み、周囲を漆黒の闇が覆い尽くすのを待って車を発進させる。まずは徐行運転、昼間と同様にゾンビは此方に関心を持たずひたすらフラフラしている。徐々にスピードを上げていく、時速10km……時速15km……時速20km。まだゾンビは気がついていない、いい調子だ、時速25km……時速30km……時速35km。もうほとんど普通自動車が車道を走る速さと変わらない、次々と視界を横切っていくゾンビどもは此方に見向きもしようとすらしない。完璧だ! やはり俺の考えは当たっていたみたいだ「暗闇で見えなければ大丈夫」という考えは正しかった。■実験は成功した、だが、最後にもう一つだけ試してみたいことがある。この状態でゾンビを撥ね飛ばしてみることだ、それも死なない程度に手加減して。なぜそんなことをするのかといえば、暗闇の中、見えない相手から攻撃されてゾンビがどういう反応をするのか知っておきたいからだ。暗闇の中でも此方を見つけることができるのか? それともただされるがままなのか?俺は丁度よく道路の真中をフラついているゾンビに目をつけ、そいつ目掛けてアクセルを踏んだ。ドンッ、という衝突音とともにゾンビはハマーのクローム製ランプガードにぶつかり撥ね飛ばされる。俺は一端停車して、すぐさまバック、30mほど後ろへ車を下がらせた。さて、これであのゾンビがコチラの存在に気が付いてしまえば、今後も俺はゾンビに攻撃を仕掛けるのを控えねばならないわけだが……。「あぁうぁ~~?」俺の目の前で撥ね飛ばされたゾンビがのそりと起き上がり、その不自然に折れ曲がった首をキョロキョロ動かすのを俺は黙って観察していた。何体かのゾンビも先ほどの衝突音につられてハマーの少し前方にぞろぞろ集まってくるが、そこには何も無い。起き上がったゾンビも衝突現場にフラフラと歩いてくるが、他のゾンビ同様何も無い場所で存在しない何かを探すようにウロウロするだけだ。よしっ、一匹もコチラに気が付いていないぞ!音がした場所にこそ集まってくるが、そこから離れてしまえばあっさり対象を見失ってしまう。せ、成功だ! これなら俺でも暗闇に乗じてゾンビを始末できるぞっ!!ようやく避難所への突破口となる手段を発見し、俺は湧き上がる興奮を押さえながら急いでマンションまで帰還した。これで、あの防火扉前のゾンビどもを始末できる!■大収穫を得ることができた実験が終わり、俺はウキウキ気分でマンションへ戻ってきた。既に時間帯を深夜に達しており、今日はもうすることがなく後は寝るだけだ。さすがにこれからS市第三中学校のゾンビを掃討する元気もないし、それなりに準備も整えていきたい。やるとすれば明日の夜からだろうな。一応、就寝する前に由衣ちゃんの様子見をしておいた方が良いか。留守番を頼んだままだし、帰ってきたことだけでも報せておかないと。それと、数日後に避難所へ帰ってもらうことも話しておかねば、正直気が重いけど。俺はラッキーを伴って由衣ちゃんの部屋(仮)にやって来た、玄関の呼び鈴を鳴らすと「どうぞ」と返事が返ってきたのでお邪魔することにする。由衣ちゃんは前のように起きて掃除や片付けなどしておらず、俺の言うことをきちんと守ってベッドで大人しくしていたようだ。顔色も悪くない、心配はいらないようだな。「留守番ありがとう、今日は俺ももう寝るから君も無理せず休むようにね」「は、はい、わかりました、あの、すみま……ありがとうございます」「うん、それと君の体調が完全に回復したらきちんと安全な避難所へ送り届けるので安心して欲しい、それまでは居心地が悪いだろうがここで大人しくしていてくれ」「え? あの、それってどういう……」「このマンションは俺が一人で住んでいるんだが、そんなところに若い女の子を何時までも置いておくわけにもいかないだろう? 明日俺がS市第三中学校の避難所に行ってなんとか話をつけてくるから、後日ちゃんと送り届けるよ、もちろん道中危険がないようにするし、その点は任せて欲しい」「え? え? あの、私ここにいちゃ―――」「じゃ、じゃあまた明日、きちんと休むんだよ!」有無を言わさず背を向けて部屋を出る、彼女の言葉を聞いてはいけない。同情心がわいてしまうし、内心で「勿体無い」とも考えてしまう。「せっかく女の子がいるのだから楽しめば良いのだ」と考えてしまうゲスな自分を心底嫌になる、これが男のサガというものだろうか。だからこそ余計な感情が生まれる前に由衣ちゃんとの会話を一方的に終わらせた。コミュニケーションは必要最低限で良い、それが俺にとっても由衣ちゃんにとっても最善だ。今回のことで人を助けた後発生するトラブルについても十分学んだ、これからはこのことも念頭に置いて行動するよう心掛けよう。既に由衣ちゃんを助けてしまった以上その責任は果たす、彼女の体を癒し、安全地帯まで送り届ける。だがそれ以上の重荷は俺自身を殺しかねないから避けるべきだ。少々心苦しいがこういうことのケジメはしっかりしておいた方が良い、後々情愛に血迷ってとんでもない行動に出てしまわないためにも。最も大切にすべきなのは俺の命なのだから、それを危険に晒すような真似は断固慎むべきだ。ただ、俺が彼女に「避難所の帰す」と告げた時のあの悲しそうな表情はしばらく忘れられそうにもない。■