■ゾンビ天国でサバイバル(番外編) 瀬田渋蔵編 Part3■休憩しはじめて1時間ほど経過した頃、日が暮れて空が茜色に染まってきた。仮眠を取ることはなかったが、ずっと柿崎と話していたおかげで不安はまぎらわされて精神的にはかなり回復していた。「そういえば、さっきから気になっていたんだがそんなに水を飲んで大丈夫か?」「へ? あ、すいませんっス! 勝手にガブガブ飲んじまって!」「いや、別にそれは構わないんだが、あんまり飲むと腹壊すぞ、本当に大丈夫か? 」柿崎は先ほどから水をずっと飲み続けている、既にペットボトル6本は空にしているほどだ。これは流石に飲みすぎなんじゃなかろうか。別に水に関してはどうこう言うつもりはない、ストックはまだたくさんあるし、トランクには25リットルのポリタンク(×2個)にたっぷり水が入っている。むしろ余っているくらいなので問題はまったくない。俺が妙に気になるのはなぜそんなに大量に水を飲むのかということだ、これまで空腹だったにしろ異常な量だ。「腹は、多分大丈夫っス……実は三日ほど前からここいら辺一帯水の供給が止まってて、断水状態だったんス」「なんだと? じゃあ、柿崎は三日も水を飲んでなかったのか?」「そうっス、まぁ、小便とかを布とか砂利でろ過して飲んでたりもしてたんスけど逆に喉が渇いてきて正直キツかったっス、避難所の皆もずっと喉が渇いててヒステリー状態になってたくらいで、ケンカとか暴れる人とかがいっぱい出たっス……ゾンビの侵入を許してしまったのもそれが原因だったんス」「原因? どういうことだ?」「何人かの人が我慢し切れなくなって外へ水を求めて避難所の扉を開けちまったんス……その人達はすぐにゾンビに襲われて死んだっス、でもそれだけじゃ終わらなくて開けられた扉から次々とゾンビが中に入って来たんス」「なるほど、それで柿崎もあんなに喉が渇いていたわけか」聞いてみればそれなりに納得できる理由だった、水が飲めない苦しみは致命的だ。俺の場合は温泉からひいた水をいくらでも飲めたから多少ながらも飢えを誤魔化せたが、それすらできない状況ではより酷い状況になってたんだろう。飢え、渇き、恐怖、そりゃあヒステリー症状も起こす。きっと水が止まった時点で避難所の崩壊は遅いか早いかの差しかなかったんだろうな。……ん? ちょっとまてよ、ってことは……「なぁ柿崎、ひとつ聞くが断水はお前の所の避難所だけだったのか?」「え、いや、そんなことはないっスよ、聞いた話だとおそらくここいら辺一帯全部がそういう状態だって……あっ!!?」「っ!! ま、まずいっ、まずいぞ柿崎! そうなるとあの公民館もヤバイ! 暢気に休憩している暇なんてねぇぞ!!」「す、すいません! オイラそのことに全然気がついてなかったっス!」公民館も同じ状況ってことは、あそこの内部崩壊も時間の問題ってことだ。今すぐにも正面バリケードが人間の手で破られてゾンビが侵入してきてもおかしくない状況になっている。時は一刻を争う、ここでチマチマ作戦を考えてる暇もねぇ!「こうなったら出たとこ勝負だ! 今すぐ出るぞ柿崎!」「オ、オスッ!」■大急ぎで公民館へ引き返すと、数時間前に見たときとは様相が違っていた。バリケードはまだ健在だ、ゾンビどもも相変わらず周辺をウロウロしている、じゃあ何が違うのか、それは「も、燃えてるっス!!?」公民館から火の手が上がっていた。まだ出火したばかりなのか火が出てるのは二階の一部からだけで施設全体には燃え移っていないが、あと数分もすれば公民館は木造ゆえ全体が燃え上がることになるだろう。日が沈んで夕闇が広がり始めたせいか、よりいっそう夜空の闇と火のコントラストが目立つ。そして公民館の方から微かに聞こえてくるのは生存者の怒号や悲鳴。ガラスの割れる音、何かの破壊音、そして断末魔。まちがいない、内部で集団ヒステリーが起こってるんだ、人間同士が殺しあってやがる!「最悪だ、もう崩壊は始まってやがる!!」「ヤ、ヤバイっスよ! どうするんスか!?」そうだ、どうする!? 考えろ、早く考えろ、今すぐ考えろ。もう本当に時間がない、このままじゃ俺の妻と娘が死ぬ、焼け死ぬか、ゾンビに食われちまうか、それともトチ狂った人間に殺されるか、どれにしろ絶対死んじまう!……ふざけんな! 家族がいるかどうかの確認もできないうちから終わりだなんて冗談じゃねぇぞ!「おやっさん! しっかりして下さいおやっさん! 早く何とかしないと! おやっさ―――」「柿崎ぃ!! 悪いが付き合ってもらうぞ、このままバリケードに突っ込むっ!!」もうぐだぐだ悩むのは止めだっ、俺は妻と娘を助けに行く、後でどうなろうと知ったことか!柿崎の返事を待たずアクセルを踏み込む、急速回転したタイヤが地面をこすり煙をあげた。急発進、ゾンビの壁に車体を突っ込ませながら目指すのはその先、公民館の正面玄関だ。ハンドルは両手でガッチリ固定し、アクセルもベタ踏み、そのままの勢いでゾンビどもの壁に突っ込んだ瞬間フロントガラスが一面血肉に赤く染まった。「うおぉぉぉぉーーーっ!!」「し、死ぬっスーーー!?」恐怖を吹き飛ばすように雄叫びをあげて車を走らせつづける。視界は赤く染まり何も見えない、だが減速だけは絶対にしない。まっすぐ進めばそこが正面玄関なのだ、このまま最大速度でバリケードごと突き破る!ゾンビどもを跳ね飛ばす衝撃だけが何度も車体越しに伝わってくる、ビシリッ、とフロントガラスの一部に罅が走った。頼むぜ、せめてバリケード突破まではもってくれよ!「うぼぁっ!!?」「ちにゃっ!!?」バゴォッ、と何かを突き破る音、同時に車本体に強烈な衝撃が走った。身体全体が前方に吹き飛ばされそうな衝撃、それを引き留めたのはシートベルトとエアバッグだった。肩、胸、脇腹に感じる痛みはシートベルトによって引き留められた証。顔全体に感じる痛みはエアバッグのお陰か、どっちにしろ痛みを感じるということは生きてるってことだ。車のエンジンも動いている、流石はキャデラック、車体は血肉まみれでボコボコだがまだこいつは走れそうだ。■「ゴホッゴホッ、い、生きてるか、柿崎?」「ゲホッ……な、なんとか生きてるっス~」俺と同じようにエアバックで顔を打った柿崎に一声かけて俺はふらつく頭で車の外へと飛び出す。もたもたしている時間はない、正面玄関をぶち破った時点でゾンビどもとの競争は始まってるんだ。俺のゾンビどもに対するアドバンテージなんて車でぶち破ったバリケード分の十数メートル程度、ほとんどあってないようなもんだ。俺の勝利条件はゾンビよりも早く建物内に入って家族を見つけ助け出すこと、そしてゾンビどもに見つからないように家族と脱出すること。敗北条件は俺か家族の死、実にシンプルだ。あともうひとつあった、ここに俺の家族がいなかった場合だ……その時はどうしようもないな。もし家族を見つけたとしてどうやってゾンビだらけのここから脱出するかなどまったく考えてない。そんな無理難題の解決法など俺の足りない脳みそじゃ早々簡単に思いつくはずがなかった。だが、今の逼迫した状況が悠長に考えている暇を与えてくれない。だからとにかく家族を見つけて助け出すことだけに集中する、後のことはそのとき考えれば良い!!「柿崎、俺は家族を探しに行ってくる、お前はここで大人しくしてろ、10分で俺が戻ってこなかったらお前がこの車を運転して一人で逃げろ、いいな?」「で、でも、それじゃあおやっさんがっ!?」「馬鹿野郎っ!! こんな時にグダグダいってんじゃねぇ! いいから俺の言うことを聞け! ここまで付き合ってもらえりゃ十分だ!」「お、オスッ!」まだ何か釈然としない様子の柿崎を放置して、俺はすぐさま車のドアを閉めて走り出す。地面には飛び散ったゾンビの血肉や欠けた四肢が転がっている、血肉の腐った腐臭が蔓延してて酷い臭いだ。いくつかゾンビも倒れていたがまだ起き上がる様子はない。軽く背後を見るとバリケード前で立ち往生していたゾンビ連中が破壊された入り口へと集まりこちらへ向かってきている。俺は大型モンキーレンチ持ち、パチンコを腰にひっかけ、いくつかの小道具をポケットに詰め込むと建物内にむかって駆けだした。あ、しまった、車内に安全ヘルメットを置き忘れてきてしまった……が、いまさら取りに行く時間も惜しい。それにゾンビどもが迫ってきている、火災もすぐに広まってしまうだろう、ここからは時間との勝負だ!■公民館はそれほど大きな建物じゃない、一階は玄関から少し長い通路の先に大ホールがあり、二階にはいくつかの多目的部屋がある。外から様子を見た限り火の手は二階から上がっていた、生存者がいるなららほとんど全てが一階大ホールの方に集まっているだろう。正面玄関から続く通路には毛布やゴミなど人が生活していたであろう痕跡がいくつか残っていたし、何より無数の死体がそこら中に転がっていた。鈍器で頭を割られた者や刃物で腹を刺されたもの、どいつもこいつも酷い死に様だ。彼等、人間に殺された者もゾンビになるのだろうか? もしそうだとしたらあまりにも救われないな。俺は通路を早足で進みそれらの死体を流し見ながら顔を一人一人すばやく確認していく、自分の妻と娘がこの死体の中にいないことを必死で祈っていた。何人か生存者もいたが、怪我で身動きの取れない連中を俺はあえて見捨てた。そんな暇などなかったし、自分の家族を見つけることしか今の俺には頭になかったからだ。なによりあと数分もすれば俺の後に続いてゾンビの大群が押し寄せてくる、どっちみちあの傷じゃ逃げられず捕まってしまう、彼らは助からない。「た、たのむっ、助け―――」「すまんっ!!」足にすがり付いてきた男を無慈悲に払いのけ俺は奥へと駆けた。背後から何人かの悲鳴と断末魔が聞こえてくる、いよいよゾンビどもが人間を襲い始めたのか。それを招き入れたのが俺だと思うと罪悪感やら焦燥感やらで感情がおかしくなっちまいそうだ。もうこの先通路に残っている人影はない、俺は後ろを振り返らずひたすら前だけを見て走った。大ホールの扉を開けるとそこにはもう一つの地獄絵図が広がっていた。大ホールの中には100人くらいの人間がいて、そこでは、それぞれ手に武器を持った人間同士が無差別に殺しあっていた。老若男女の関係なく、もみくちゃになりながら手に手に凶器を持った連中が互いに殺しあっていたのだ。頭の禿げ上がった老人が手にもった杖で倒れ伏してぴくりとも動かなくなった子供を執拗になおも殴打し続けていたり。複数の女たちが亀のように蹲る一人の男を囲んで全員で足蹴にしまくっていたり。互いの腹にナイフを突き立てながらもなお組み合って争いあう男達がいたり。他にも見るに堪えない惨状が視界いっぱいに広がっていた。いったいどんなことがあればこんな惨状を引き起こすことになるのだろうか。人間は数日水がないだけで、渇いただけでここまで醜悪な面を晒すのか。俺は目の前の惨状に愕然としながらも、今自分がやるべきことを思い出す。そう、妻と娘を探さなければ、こんな地獄から一刻も早く助け出さねば!血みどろの室内を見渡し見知った姿がないか必死で探す。……クソッ、見つからないっ! 人がごちゃごちゃしすぎてて判別が難しい。どうする、どうすれば見分けられる……そうだ、こうすれば良い!!俺は覚悟を決めて肺いっぱいに空気を吸い込む。血生臭い、思わず吐き戻しちまいそうだ。空気を限界まで吸い込み、腹に力を込めて全力で大声とともに吐き出した。「百恵ぇぇぇぇっ!! 美雪ぃぃぃぃっ!!」室内全てに響いた俺の叫び声、ビリビリと空気が細かく振動するほどの大声だ。限界を無視した大声の所為で喉に引き裂かれたような激痛が走るが気にしない。周囲の暴徒達がいっせいに俺に注目して狂った殺気を向けてくるが気にしない。恐らくすぐそこまで迫っているであろうゾンビどもをより強く引き寄せてしまうであろうが気にしない。そんなことよりも、今は家族の安否の方が重要だ!俺は耳を澄ます、どんな小さな声だろうと逃さないように。生きているなら、俺の声が聞こえたなら、頼む返事をしてくれ!「パパー!!」か細い声がした、集中してなければ騒音に掻き消されてしまいそうな小さな声、だが俺がそれ聞き間違えるわけがない。俺の娘の、美雪の声だッ!!■