■ゾンビ天国でサバイバル(番外編) 瀬田渋蔵編 Part4■「美雪ぃぃぃーーーー!!」俺が娘の声を聞き間違うわけがないっ!無我夢中で声のした方向へ走る、進路を塞ぐように立っていた連中は振り回したモンキーレンチやパチンコ玉でぶっ飛ばす。走っているうち通り過ぎる連中などからもいくつか反撃をもらいつつも、走る足だけは絶対に止めない。娘の声を聞いて自分でも信じられないくらいの力が全身に漲っている、痛みもほとんど気にならない。なんだこりゃ? これが俗に言う火事場の馬鹿力ってやつなのか?腕に何か刺されたが無視する、脇腹を何か硬いもので強打されたが無視する、足を何かで切りつけられたが無視する。肉が切り裂かれ血が流れる、骨が折れたかもしれない、全て無視する。今は、一刻も早く、家族のもとに向かうことだけが俺の全てだ!!「うおおおぉぉぉぉっ!!」目の前に立ちふさがった男の顔を殴り飛ばすと開けた視界の先に、俺の家族の姿が見えた。ハ、ハハッ、ついに、ついに見つけたぞっ!! 「あなた!!」「パパ!!」俺と同じようにこっちの姿を確認した妻と娘が俺の名を呼ぶ。娘の美雪を背に庇うように百恵が立っている、その手には短めの鉄パイプ。妻は顔を殴られたのか頬に痣があり、口の端から血を流していた、痛々しい姿だ。……だが、生きている、二人とも生きている!目立った外傷は頬の痣だけだ、妻にも娘にも命に関わるような傷は見られない。二人とも多少衣服が破れている程度で怪我がないことに心底ホッとする、こんな惨状でよく生きててくれた!だがまだ安心はできない、妻の周囲には取り囲むように二人の男がいた、どいつも手に包丁や角材を持っている。こいつらか? こいつらか俺の家族を痛めつけてくれたのは!? 絶対に許さん!「キサマらぁぁぁーーー!!」息つく暇もなく男の一人に飛び掛る、握ったモンキーレンチで殴りかかるも角材で防がれてしまう。関係ないっ、そのまま身体ごと体当たりして相手を押し倒す。「がはぁっ!?」背中から地面に強烈に叩きつけられた男が息苦しそうな声をあげる。さらに男が起き上がる前にすかさず追撃、モンキーレンチを握ったままの拳で鳩尾を全力強打。ボキリ、と相手の骨が折れる感触が拳越しに伝わる。「ッッーーー!!!」声にならない叫びをあげて男は気絶した、死んではいないだろうが地獄の苦しみだろう。だが毛ほども罪悪感は沸かない、爽快感もない、今の俺にあるのはどんなことをしても家族を守り抜く覚悟だけだ。「な、何なんだよテメェ!?」残りの男がひどく怯えた様子で威嚇してくるがまったく迫力がない。声が震えているし、目に力がない、包丁を持つ手だって覚束ない。そんな情けない恫喝じゃ子供だって怖がらせることはできねぇぜ!「失せろクソガキ!!」「ひ、ひぃィィィっ!!?」俺の一喝にびびって、半狂乱になりながらこっちに向かってくる、くそっ、おどしにびびって逃げなかったか。こちらに突きつけられた包丁、俺は狙いを定めてモンキーレンチで包丁を持つ男の右手を強打して叩き落す。自分でも驚くほどの集中力、振り下ろしたモンキーレンチは正確に男の右手に当たっていた。骨が砕けるほどの強打だ、こうして武器さえ奪っちまえばこんな奴どうってこと―――「いぎゃぁぁぁぁ!!?」「うごっ!?」そうして俺がほんの少し気を抜いた瞬間、男が残った左手を突き出してくる。瞬間、下腹部に尋常じゃない痛みと焼けるような熱さが生じた。「あなたぁっ!!?」妻が悲痛な声で俺を呼ぶ、痛む腹を見ると俺の脇腹にドライバーが突き刺さってやがる。こ、こいつ武器をもう一つ隠し持ってやがったな。「こ、の、野朗ぉッ!!」最後の力を振り絞って男の頭をモンキーレンチで殴りつける。ゴッ、と鈍い音がして男は床に倒れた。頭が割れたのか床に出血が広がる、死んだのか、生きているのか、調べる気もない。「うぐぐ……がぁっ!!」痛みに堪えてドライバーを腹から抜く、腹に力を入れすぎた所為か抜けた拍子にビュッと血が噴出した。すぐに力を抜くが少量ながらも断続的に血が出てくる、激痛も続く。……こりゃあマズイかもしれん、今は身動きできないほどじゃないが、早めに処置しないと重症になりかねん。■「あなた!!」「パパ!!」妻と娘が駆け寄ってくる……あぁ、やっと出会えた。傷の痛みも忘れて二人を抱きしめる、強く抱きしめる、暖かい、生きている証だ。こうして全員が生きた状態で再会できた、間違いなく奇跡だ。よかった、二人の生存を信じてここまで来て本当によかった!「百恵! 美雪! よかった……二人が無事でよかった!!」「あなた……私も会いたかったわ!」「パパー! こわかったよーーー!!」腕の中で泣く二人を抱きしめる、俺も自然に涙が流れた。ふと、安心した所為か、強烈な疲労感と激痛が急速に俺の全身を襲ってきた。腕の刺し傷が、肋骨が、足の切傷が、脇腹の刺し傷が。さっきまでの無茶の代償とでも言うように俺の全身から力が抜けていく。まずい、痛みと疲労がぶり返してきた。立ち眩みで思わず倒れそうになる、先ほどまで抱きしめていた二人に寄りかかるように体勢が崩れる。とっさに妻に支えられるが、丁度腕の傷口を押さえられてしまい激痛が倍加してしまう。「うぎっ!?」「ご、ごめんなさい! あなた、傷は大丈夫なの!?」「パパ!?」「……す、すまん、ここまで来といてこんなんじゃ情けねぇよな、大丈夫だ、まだいける!」歯を食いしばって足に力を込める、今すぐにでも気絶しそうな状態だがここでそんな無様は晒させねぇ。せめて、妻と娘を安全なところまで送り届けるまでは、死ねないんだよ!俺が気合を入れなおしてようやく立ち上がると、背後の方から大勢の悲鳴があがりはじめる。……ついに追いついて来たか、こっからが正念場だな。■ゾンビに追いたてられた連中が我先にと入り口の逆方向、ホールの奥へ奥へと逃げていく。皆がさっきまで殺し合ってたことすら忘れたのかのように一斉に逃げていく姿はまるでマグロから逃げるイワシの魚群だ。先ほどまで大騒ぎしていた俺に構う余裕すらないようだ。よほどゾンビが恐ろしいんだろうな、俺はここに来るまで長いこと外を走ってきたからゾンビの姿に慣れてきて恐怖心が麻痺してるのかもしれんが。ああして叫び逃げ惑えばよけいにゾンビを引き寄せることになるというのに。ふと、高坊の話を思い出す『ゾンビは匂い、音、そして動きで人間を見つけ出す』と。……その姿を見ていて、俺はとっさに一つの作戦が思いついた。正直、博打にも等しい作戦だが、今この状況で家族と全員で助かるためにはこれしかないように思える。それに何もしないでここで食われるよりはマシだろう、俺達は何が何でも生き残るんだ!「な、なにが起こってるの!?」「こわいよ~!」困惑する妻と娘、無理もない。とりあえずこの二人を落ち着かせないと、だが今は事情説明している時間も惜しい。「いいか二人とも落ち着いて聞いてくれ、今ここにゾンビが侵入してきてる、アレは襲われた連中の悲鳴だろう」「えぇっ!? ゾンビがここに!? わ、私達も逃げなきゃ―――」「落ち着け! いいか、俺達は逃げない、逃げてもどうせこの奥は行き止まりだ、捕まって食われる、だからここでやり過ごすんだ」「そ、そんな!? 無茶よあなた!」「俺を信じろ、大丈夫だ、きっと上手くいく!」「あなた……」それでもいまだ不安そうな表情で俺を見つめる百恵。それも当然か、ゾンビの大群をやり過ごす、なんて正気で考え付く作戦じゃない。高坊から事前に情報を聞いてなかったら俺だって絶対に考えつかない。しかも俺は口では大丈夫といったが、作戦に確信があるわけじゃない、二人を落ち着かせるための単なるデマカセだ。だがこういう時に情けない態度で家族を不安にさせるようじゃ一家の大黒柱なんか勤まらねぇ!家族のためなら俺は堂々とホラを吹くぜ!「パパ、ミユキはパパのことしんじるよ、だいじょうぶ!」「美雪……」「美雪……そうね、私はあなたの妻だもの……私もあなたを信じるわ!」妻と娘が落ち着きを取り戻す、二人の俺に対する信頼を寄せる目がありがたい、再び力が湧いてくるようだ。この状況で生き残る最低限の必須条件はこれで整った。あとは作戦を実行に移すのみ!■「いいか、絶対に声を出しちゃだめだぞ、俺が良いというまで身動きもとっちゃ駄目だ、わかったな?」「えぇ、わかったわ!」「りょーかいです!」俺は逃げ惑う人々がゾンビに対する壁になっている内に足元から適当なシートを見繕って拾い上げる。銀色の大型アルミシートだ、おそらく災害用に配布されたものだろう。できればもっと生地が分厚い毛布等が欲しかったが、今はそれを探す時間すら惜しい。「うにゃ!?」「わっぷ!?」美雪、百恵、俺、の順に執拗なほどファブリーズを吹きかけていく。わけがわからない様子の二人から困惑の様子が見て取れたが説明している暇がない。「大丈夫だ、小さく蹲って大人しくしててくれ」アルミシートにもファブリーズをまんべんなく吹きかけすぐさま俺達を覆うように上から被せる。俺は蹲った二人を守るように覆い被さった。家族三人がアルミシートに包まって小さな塊となる。「何があっても声をだすなよ、動くのも駄目だぞ」最後に念を押して俺も押し黙る、既に逃げ出す人々の喧騒は後方に向かっている。ズリズリ、と何かを引きずるような音が大量に近づいてくる、ゾンビの群れだ。俺の下で二人が震えているのがわかる、ギュ、といっそう強く抱きしめた。「―――ッ!?」次の瞬間、俺達に何かがぶつかった、アルミシート越しに伝わる確かな感触。ドスン、と決して強くはない衝撃、しかしそれがゾンビのものであるとわかっている以上、緊張感が極限に達する。バレるなよ、頼む、バレないでくれ!!神に祈る思いで恐怖に堪える、バレれば一巻の終わりだ。俺の下で妻も娘も怯えている、それでも叫びださないだけ凄いことだ。■……3分が過ぎただろうか、体感時間ではもっともっと長く感じたが恐らくそれくらいだろう。ゾンビどもの何かを引きずるような音が後方に移動しきったのを確認してアルミシートからそっと顔を出す。これで目の前にゾンビがいたら一発アウトなわけだが、幸いそういうこともなくゾンビは全て後方の逃げ出した人々の方へ向かっていた。奥の方から人々の悲鳴や断末魔が聞こえてくる。ゾンビどもに襲われているんだろう、悪いがその調子で今しばらくの間ゾンビ連中をひきつけておいて欲しいもんだ。非人道的な作戦かもしれんが、俺は逃げ出した人々を囮にしてゾンビをやり過ごす作戦を思いつき、実行した。そのことに僅かな罪悪感はあるが、家族を助けるためなら俺は何でもすると決めた。だからこそ今は迅速に行動せねば、彼等を気にしてまごついてはせっかくの作戦も無駄になっちまう。「……よし、あわてず静かに進むぞ、外に車がある、そこまで逃げ切れば大丈夫だからな」恐怖で涙目の二人がコクリと頷く。俺達はそっとアルミシートから抜け出し、足音を立てないように大ホールから出て行く。後方のゾンビどもにはまだ気がつかれていない、悲鳴をあげ続ける生存者集団の方に夢中だ。まだ柿崎に告げた時間まであと2分くらい残ってる、急げば十分間に合う時間だ。通路に通ると目に付くほとんどの死体が原型を留めていない、よほど酷く食い散らかされてしまっているようだ。百恵や美雪が「ひっ!?」と短い悲鳴をあげそうになったのでとっさに口を塞ぐ。さすがにこの光景は二人には刺激が強すぎたか、俺でも少なからずショックを受けてるしな……だが大声はまずい、後方のゾンビどもに一発でバレてしまう。暫くして二人が落ち着いたのを感じてそっと手を離す。クソッ、仕方ないこととはいえ余計な時間を食っちまった。残り時間はあと1分もない、急がないとマズイ。しかたない、ここからは後方のゾンビどもに見つかるの覚悟で走るしか―――俺がそう決断した時である、通路の前方から新たなゾンビ集団が大量にゾロゾロやって来たのを見てしまったのは。それは、先ほど通路で死んでいた、俺が見捨ててきた人たちの無残な末路だった。■