■06深夜、時計を確認すればもう3時半である。実はゾンビが襲ってこないのを良い事に油断していた俺はちょこっとだけ寝てしまっていた、もちろん座ったままの姿勢であるが。我ながら豪胆というか、無謀というか、阿呆というか。寝ている間に襲われなくて本当に良かった、目覚めた瞬間は冷や汗が止まらなかったよ。春先とはいえまだ肌寒いし、風邪をひいても病院に頼れそうもないので気をつけなければ。未だ周囲にはゾンビがフラフラ歩いているが、その動きは昼間のそれとほぼ変わりはない。まだライフラインが途絶えておらず街の街灯も普通についている、明るさ的にはゾンビがよく見えるのだが、それはこちらも同様なので移動する時には細心の注意が必要だな。俺は立ち上がり目的の家へと向う、隣で蹲っていたラッキーも起き上がり俺に続く、今回こいつの出番はないんだがな。昼間と同じくゾンビが群がりひしめきあっているが、屋内はいたって静かだ。昼間使った大型ゴミ箱を足場にブロック塀から様子を覗き込む、電気はついていない、物音もしないので大丈夫だろう。連中が二階で寝ていることを願ってそっとブロック塀を乗り越える。実際、俺には男連中が女のいる一階のリビングで寝ることはないだろうと予想していた。なぜなら誰だってあんなドロドロで生臭い部屋で寝る気は起きないだろうから、セックル中ならまだしも、寝る時はベッドのある寝室に行くだろう。そして大半の寝室は何故か二階にある、あくまで俺の私見だが。忍び足でリビング正面の大きなガラス戸ではなく、横の小さなガラス窓に狙いをつける。鍵のある付近にガムテープをベタベタ貼り付けていく。さあいくぞ、覚悟を決めろ俺、南無三ッ!ガムテープを貼り付けたガラスに向けて肘鉄、パキャ、という小さな音を立てて窓ガラスの一部に穴が空いた。後はガラス片を落とさないように静かに慎重にガムテープと一緒に剥がしていくだけだ。以前、なにかのコミックで読んだ泥棒が家に侵入するテクニックの一つである、こんな状況で役に立つとは思わなかった。ガムテープを剥がし終わり、窓の鍵を開け静かに侵入。いざという時の為に包丁を握っておく、ゾンビ相手には無力だが、人間相手ならコレでも心強い武器となる。■室内に入るとなんともいえない強烈な悪臭が鼻につく、なんというか一週間連続でオナヌーした後に使い捨てたティッシュを集めたゴミ箱に顔から突っ込んだような臭いだ。ごめん、表現がわかりづらかったね、わかりやすく言うと『腐ったイカ臭い』。ゾンビの血生臭いコートに勝るとも劣らない悪臭を放つ室内を進むと、例の縛られた姉ちゃんを見つけた。うへぇ、ドロドロだ、手首と足首をガムテープで縛られて常にくぱぁ状態だし、体中にいろいろこびり付いてる。顔や腹はボコボコにされたように青痣と腫れ上がった痛々しい部分が目立ち、試合後のボクサーみたいになっていた。流石に女体全裸に見慣れない童貞の俺といえどもこんな酷い状態の女の人に興奮を覚えることは出来ない。やはり、エロゲは偉大だな、リアルじゃSMとかレイプは無理だわ。俺は気絶しているのか、眠っているのかよくわからない姉ちゃんの肩を軽くゆすって目を覚まさせる。何度かすると、薄っすらと目を開けた姉ちゃんは驚いた様子で俺の姿を見て声をあげそうになったので、人差し指で「しー」のジェスチャーをして黙らせた。手足を拘束しているガムテープを包丁で切りながら、小声で俺が来た目的を教えておく。「助けにきた、連中は二階で寝ているっぽいから静かに、急いで脱出しよう」「あ、あのアナタは?」「ただの避難民だよ、偶然この家の惨状を見かけてね、さすがに男四人は倒せないけど逃げ出す手助けはできる、さ、早く」「……あの、ありがとうございます……でも……私いけません」「え、なんで?」「あの連中にあんな酷いことされて、このまま逃げることなんて……それにもう、こんな汚れた体で生きていたくないんです」「………………」「このまま逃げるくらいなら、連中に復讐します……多分私も死ぬでしょうけど」「君は、マジでそれでいいの?」「ハイ、あの……助けて頂いてこんなこと言ってゴメンナサイ、でも」「あー、うん、まぁ、気にしなくていいよ、俺が勝手にしたことだし、それよりも君が復讐するなら俺は手伝えないよ? さっきも言ったように男四人には俺たちが協力しても勝てる見込みが低いし」「えぇ、わかっています、こうして解放してもらっただけでも十分です」「……餞別代わりと言ってはなんだけど、この包丁あげる、あった方がちょっとは心強いでしょ? あと裸のままだとアレだから俺の服もあげるよ、男物で申し訳ないけど」「ありがとうございます……私は阿部育代(アベ イクヨ)と言います、あの、貴方のお名前は?」「高田了輔、復讐、上手くいくといいね阿部さん」「ハイ……ありがとうございました、高田さん」俺は阿部さんに包丁と予備に取っておいた着替えを渡し、急いで家を去った。彼女が復讐を成功させれるかどうかわからなかったが、失敗した場合俺の存在を知られる可能性もある。念のため一刻も早くこの場から離れる必要があった。■ブロック塀を乗り越え、待っていたラッキーと合流、疲れるができるだけ早足で歩き出す。そろそろ夜が明け始める時間帯だ、微妙に薄暗い道を進みながら今回の自分の行動をふりかえってみる。結果的には彼女を助けられたのかどうか微妙なところだが、少なくともあのまま肉便器として生きていくよりはマシだろう。一緒に四人組へ復讐するのを手伝っていれば彼女は助かったのかも知れないが、それでは俺の危険度が許容範囲を大幅にオーバーしてしまう。第一、連中が眠っているとはいえ一般人たる俺に寝込みを暗殺者のように襲うスキルはない、接近する際に物音を立ててしまうだろうし、一撃で仕留められるかどうかもわからない。それらリスクを考慮して唯一妥協できた部分が彼女を解放してあげることまでなのだ、それ以上は無理。自分に害が及ばない範囲で、自分にできる範囲で、可能な手助けはする。だけどそれ以上の事はしない、それが俺の昔からのスタンスでもある。今回は残念ながら許容範囲オーバー、阿部さんには悪いが見捨てさせてもらった。おそらく、これからも似たような場面は何度かあるんだろうが、慣れておかなきゃな、人を見捨てることに。少なくともゾンビが地上から掃討されて社会秩序が回復するまでこんな状況はどこでも起こるだろう。一時の正義感や勇気で死ぬのは御免だ、俺はまだまだ生きていたいし。それにしても、あの四人組みたいな悪党連中は今後どんどん増えてくるんだろうな。今はまだ平和な時の感覚が抜けてないから皆大人しいけど、だんだん今の状況を受け入れ始めると理性のタガが外れた連中が続々と湧いてくるに違いない。俺にとって用心すべきはゾンビよりもそんな連中かもしれない。こちらから攻撃さえしなければゾンビは俺にとって基本的に無害な存在だし、人間の方が知恵もある、武器だって使う、考えようによってはゾンビよりも遥かに凶悪だ。生き残るためには『石橋を叩いて渡る』くらいが丁度良い、今後は出会った生存者にも十分注意していこう。迂闊に信用して騙まし討ちされるなんて絶対嫌だ、ぶっちゃけ俺が騙すのは良くても、騙されるのは嫌だ。そうなってくると今の俺の対ゾンビ用ステルス装備もしばらくは秘密にしておいた方が懸命だな、ゾンビの脅威を無視できるっていうのはきっと凄いアドバンテージになるだろうし。誰か別の奴が考えつくまでは精々独占させてもらおう。ああ、そうなると本格的に対人用の武器も欲しいな。包丁は阿部さんにあげちゃったし、できれば次は銃火器が欲しい、持ってるだけで威嚇になるだろうし。「ヒャッハー」と殺人強盗みたいなことするつもりは無いが、護身用には使える。撃つ必要がないのが一番だが、まあ、しょせんは理想論だな。暴徒はびこるリアル世紀末な状況になってからでは遅いだろうし、今の内から覚悟は決めておこう。よし、銃はチャンスがあれば是非ゲットしておこう、ゾンビが溢れる世の中だし必ず機会はあるはず。夜明けの道を歩きながら今後の行動方針を固めた。耳を澄ますと後方から男の声で微かに「アッー!」という断末魔が聞こえてきた、彼女は上手くやったのだろうか?阿部さんの安否は気になるが今は自分のことを心配すべきだ、俺は振り返らず前に足を進めた。■