さて、世界から神々の姿が消えてから間もなくして地上は人類達の黎明期を迎えました。
世界中の様々な場所でそれぞれの人類達が順調に文明を育んでいく姿を見て、神界に移った神々は自分たちがもはや物質世界に必要ない存在だと確信し、自分たちは神界から彼らに力を貸すだけに留める事にしました。
どんどんと人類が文明を発展させていくなか、特に神々が驚いたのは太陽神が選び出したヒューマン達でした。
ヒューマン達は確かに他の人類と比べて短命でしたが、多産で、意欲旺盛で、他の人類と積極的に関る好奇心がありました。ヒューマン達はあっという間に人類の中で一番数の多い種族となり、またその文化の多様性は眼を見張るものになりました。
それに加えて信者の多さは翻ってその神の力となりますから、太陽神の力もそれに比例して高くなっていきました。
他の神々は太陽神の先見性の高さに驚き、賞賛しましたが、当の太陽神は少々浮かない顔です。
「彼らが熱心に私を祈ってくれているのはわかるが、どうにも不安がある。彼らは随分と移ろいやすい人種のようだ」
太陽神の懸念は当たり、ヒューマン達の中には自分たちの守護神である太陽神ではなく他の神々を崇める者が大勢現れました。
これに神々は驚きましたが、自分の信者が増えているので特に不満はありません。でも、太陽神はこのヒューマン達特有の移ろいやすさが随分と危うく思えたのでした。
さて、神々がもはや物質界に戻る気がないことは先程話しました。
ところが、この決定が気に入らない神がいました。
それは数々の眷族を連れて魔界に移った暗黒神たちです。
暗黒神は強欲で自分勝手でしたから、世界中の全てのものが自分の物でないと気がすまない性質でした。
彼は人類創造の時にデーモンを創りその王として君臨しましたが、ここに来て暗黒神は歯噛みしました。彼の作ったデーモン達はあらゆる点で他の人類を圧倒する能力を持っていたましたが、ただ一点だけ他のどの人類よりも劣った点がありました。
それはデーモン達の繁殖力です。
強靭な生命力と不死に近い寿命を持ったデーモン達は、それに反してほとんど皆無と言っていいくらい繁殖力がありませんでした。
現在の神々の力が信徒たちによる信仰心を糧にしている以上、その信徒が多ければ多いほど神の力が増大するのは自明の理でしたから、この繁殖力の低さに暗黒神は焦りました。計算してみると、この調子では物質界に戻るまでに力が回復するのに20億年ほどかかってしまう事が分かったからです。
いくら気の長い神々でもこんなに待てません。それに、数々の生物たちの勃興を見てきた暗黒神は人類たちがそんなに長く絶滅せずに続くかどうかも怪しいと思っていました。
イライラとしながら思索に耽った暗黒神は、ふと名案が浮かびました。
「そうだ、テファレスのやつが率いているオリジン達は随分とすぐに増えるようだな。奴らを引き込んでしまえばいい」
そうして暗黒神は配下のデーモン達に他の人類を堕落させて暗黒教団に改宗させるように命令しました。
その中でも特にヒューマン達を狙うようにデーモンに命令すると、すぐさま暗黒神の狙い通りに結果となりました。
ヒューマン達は短命ゆえに目先の利益に飛びつく悪癖がありましたので、死後にその魂が暗黒神のものになると知りながらも現世での安楽を求めて享楽に耽るために改宗する者が大勢出始めました。
この事態に憂慮した神々は暗黒神に止めるよう呼びかけましたが、暗黒神は全く止めようともしません。
暗黒神が直接的な手段――つまりデーモン達を使って他の人類の魂を刈り取るという蛮行を実行に移した時、とうとう事態は暗黒神の配下とその他の人類達による全面戦争へと移っていったのです。
世界が混迷を極める中、ただ一柱だけ物質界に残った混沌神は相変わらず玉を磨いて過ごしていました。
後に「ラ=ガレオの宝珠」と呼ばれることになるこの神宝を磨きながら日々を過ごしていた混沌神の元に、すでに神界へと移っているはずのテファレスが現れました。これにはさすがの混沌神も驚き、その後心配そうに太陽神を見やりました。
何故ならば神々は何も好き好んで神界へと移ったわけではありません。肉の体を維持する事が出来なくなり、物質界に留まることが出来なかったからでしたから、太陽神がこの場にいる事自体が自殺行為だと混沌神は思ったためです。
「テファレスよ、そなたに我の忠告を聞くだけの意志が残っているのならばすぐにでも神界へと戻るが良い。まだそなたが消滅するには早すぎる」
「親愛なる混沌神よ、気遣いは無用だ。これは幻影を投射しているだけで、実際はここにいない」
その言葉に混沌神は感心したように頷き、要件を促しました。
太陽神は暗黒神がついに乱心し、他の神々の人類へデーモン達をけしかけてきたことを告げました。
そして神々はそれぞれの民を率いて連合軍を編成してこれに対抗していることを告げたあと、不思議そうな顔で混沌神の東屋を見回しました。
「混沌神よ、崇拝者はどこにいるのだ?」
「そのようなものは存在しない」
「存在しない? しかしあの奇っ怪な生物達の守護神となったのではなかったか」
「少し行き違いがあるようだな、我はあれらの神となると言ったが守護をするとは一言も言っていない」
この答えに太陽神は仰天しました。
「では、あのおぞましい生物達はこの世界に野放しに成っているという事ではないか!」
「そのうちに収まっていくだろう」
「では、あなたが何とかして下さるのか」
「我ではない」
「では誰が」
「その話はもう良かろう」
混沌神はそう言ってソファに深く背中を預けて太陽神を見た。
「しかし……」
神々の中で一番混沌神と付き合いのある太陽神でしたが、いまだにそうやって正面から混沌神の虹色の輝く不思議な目を見ると言葉に詰まってしまうのでした。
「そのような事を話しに来たのではなかろう。要件を話せ」
「では……。実は折り入って頼みたい事があるのです、姉上」
真剣な顔でそう切り出した太陽神でしたが、混沌神がその真面目くさった顔つきに思わず吹き出してしまい長続きしませんでした。
太陽神は顔を真赤にしていきり立ちました。
「いったい何がおかしいのです!」
「すまぬ、そなたを馬鹿にしたわけではない。ただ「姉上」などという言葉は久しぶりに聞くゆえな。そなたが生まれたばかりの時を思い出してしまった」
「そのような……」太陽神は目を泳がせました。「そのような大昔の事は今はどうでも良いのです。ただ我々はあなたに助力を頼みたいのです」
「シュナウクァを消滅させてくれと頼むつもりか、この我に」
「それは……」
言葉につまった太陽神を呆れ顔でみやり、混沌神は太陽神から目線を外してまたしても玉を磨き始めました。
「興味が湧かぬ。そなたらで好きにするが良い。我がシュナウクァとその配下のゴロツキ共を消し去る事になんの有意義さも感じ取れぬ」
「……そう仰られるだろうとは思っていました」
太陽神は苦笑いです。
太陽神はこの返事を予想していたので最初から混沌神のことは勘定に入れませんでしたが、他の神々は彼らが物質界を離れることとなったあの日の会議を覚えており、当然ながらその時に感じた混沌神の強大さも忘れてはいませんでした。
物質界に平然と存在したままの混沌神が味方に加われば、戦争などあっという間に決着がつくと神々が考えるのも無理のない話です。
そしてその使者に太陽神を任じたのも、順当な考えでした。
最も当の太陽神はそうは思えず、混沌神がこの戦争に介入する事はないだろうと説きましたが、神々は聞く耳を持ちませんでした。
「混沌神よ、そろそろ時間だ。どうかご壮健あれ」
「無茶はするなよ、テファレス」
驚いた顔をしながら太陽神の幻影は消えました。毎度のように辞去の言葉を無視されると思っていたからでした。
混沌神はしばらくの間じっと太陽神の幻影が座っていた所を見ていましたが、やがて視線を外しました。
そうして混沌神はもう一度宝珠を磨こうとして、すでにそれが完成している事に気がつきました。
混沌神は満足気にそれを眺めたあと、絹で飾った台座にそれを据えてから安楽椅子に横たわりました。
数十万年ぶりに睡眠をとる事にしたのです。
さて、世界が二つの陣営に真っ二つ別れての戦争状態となっている頃、そのどちらにも属さない勢力がありました。
語るまでもなく、混沌神の加護のもとにあるはずの生き物たちです。
彼らは見た目のおぞましさもさる事ながら、他の人類のようにある程度纏まった単一の種族でもなかったため、その実態は民というよりもモンスターでした。
彼等は当然ながらどこへ行っても歓迎されず、常に対立と迫害の運命にありました。
混沌の生物達は概して知能が低く、同族同士で小さな集団を作ることはあっても、それが集落や国といった組織立ったものになることはありませんでした。
そんな時、混沌の生物のうちのある種族の個体が突然変異を起こしました。
混沌の生物は神々が実験的に作り出した生物が多かったために頻繁に突然変異を起こしましたが、その時に起こったことはその中でも群を抜いていました。
もともとのそれは食欲と繁殖欲のみでできた単純極まりない生物で、陸上を移動できる頭足類の仲間でした。
ところが変異を起こしたそれは不完全ながら二本の手足を持っており、またその知性も標準的な人類と比べて何ら遜色のないものでした。また、新たに得た能力――被害者の脳髄をすすってその知識を増やしていくというそれを使って順調に知性を高めたあと、それはある事に気がつきました。
彼等混沌の生物達が纏まりに欠け、一個の共同体――すなわち国を作ることが出来ないのは彼等を治める神が不在であるからだと。
それは混沌の生物を統べる神を探し歩き、とうとう彼等の神――混沌神ラ=ガレオが極北の地に存在しているということを突き止めました。
長い長い旅を経て極北の荒野に到達すると、そこには何者をも寄せ付けぬ強固な結界に守られた神殿がありました。
神々にとっては取るに足らぬ東屋ではありましたが、地を這う定命の者にとっては見上げんばかりに巨大な神殿です。
他の人類から恐怖の代名詞として「マインドフレイア」と呼ばれるようになったそれは、神殿の前にひれ伏して必死に混沌神に呼びかけました。
極北の気候は生物が生きるに不便極まる場所です。マインドフレイアは徐々にその体力を失い、衰弱していきました。
とうとうその生命が消え去るかと思われた時、精根尽きはてて倒れ伏していたマインドフレイヤの前に混沌神が現れました。
「我が永遠なる休息を妨げる汝はいったい何用があってここへ参ったのか」
マインドフレイアは地面に這いつくばったまま混沌神の足元にひれ伏すと、祈りの詞に掠れきった声を搾り出して混沌神に呼びかけました。
「いと高き至尊の座におわす我らが神よ、どうかこの卑小で矮小な我の言葉をお聞き下さい」
「話せ」
「我ら混沌の生き物たちは貴女がお隠れになっているためにその崇高なる存在すら知らず、ただ心の柱もなく明確な指針もなくこの世界をさ迷い歩いております。どうか我ら混沌の勢力を救うべくそのお力の一欠片でもお貸し下さい。そして願わくば我らの頭上に君臨し、王となりて率いて下さい」
「ならぬ。我は力ある身ゆえこの物質界で何事もする予定はない。……少なくとも今は」
「それでは、我ら混沌の民はただ滅びる定めと仰られるか」
「そうではない。我ではなく汝が治めるのだ」
「私が?」
「然り」
そう言って混沌神はあの気が遠くなるほど古代に生まれ、そして今の今まで強大な力を持つ混沌神によって磨き続けられた宝珠を取り出した。
「これを汝に与えよう」
「こ、これは……」
マインドフレイアはその宝珠が内包する圧倒的な力に息を飲みました。
「これを使って民を治めるのだ。ただ、いくつか忠告を与えておこう。汝は賢明な輩のようだが、これを受け継ぐ次代の者たちがまた同じように賢明とは限らぬゆえ」
「お聞きいたします」
「一つ、この宝珠を使って汝自身の欲望を満たしてはならない。
宝珠は強大な力と意志を持っている、おのが欲望を満たすためにそれを使えば必ずや望ましからぬ結果を生むであろう。
二つ、この宝珠を用いて何かの「消滅」を願ってはならない。
この全宇宙に存在する全ての物はその宇宙誕生の瞬間からその場に在る事が決定付けられているのだ。それをみだりに犯したものは、自分自身の、果てはこの世界そのものの消滅を促すであろう。
三つ、宝珠が虹色に輝いている時にその力を引き出してはならない。
虹色に輝く宝珠はこの宇宙の中心――混沌へと繋がっている。完全な力を持った神々でさえ、その領域へと足を踏み入れては消滅を免れぬ。混沌の力を軽々しく引き出すことを禁ずる。
四つ、汝が力量を超えて宝珠を使うべからず。
宝珠の力をどこまで引き出せるかは個人差が在る。その領分を越えて無理に力を引き出そうとすれば、汝は混沌の渦に飲み込まれその宝珠の力の一部となり果てるであろう」
その四つのルールをしっかりと頭の中に刻み込んだあと、マインドフレイアは跪いたまま宝珠を受け取りました。
受け取った宝珠はただ触れるだけでその未曾有の力を感じるほどで、マインドフレイアは興奮と恐れに震えました。
「主よ、私はこれを使っていかなる偉業を成し遂げるべきでしょう?」
「知らぬ。汝が決めよ」
混沌神はにべもなくそう言い放つと、ローブを翻して神殿へと立ち去ろうとしました。
そのあまりに突き放した言葉にマインドフレイアはうろたえました。彼はせめてこの神から何か指針を得ようと慌ててそのローブの裾を掴むという暴挙に出ました。
振り向いた混沌神を見て、マインドフレイアは自分がしでかした行為に青ざめましたが、何とか言葉を紡ぎます。
「主よ! どうか我々に道をお示し下さい!」
「…………世界を単色で満たすなかれ。すべてはまだらであるべきだ」
それだけを言い放って、混沌神は消え去ったのでした……。
こうして、現在まで連綿と続く混沌の王国の礎が築かれたのです。
――――――――――――――――
「おい、聞いてんのか?」
「うぇ?」
ギョッとして意識を覚醒させると、目の前にやや怒り気味のマーチの顔が迫っていた。
どうやらウトウトとしてしまっていたらしいと彼女は気がつき、慌てて「き、聞いてました」ととっさに口走った。
「ほう? じゃあついさっきまでどういう話だった?」
「え、えっと、ガレオさんがタマをイカにあげるところまで聞いた」
「やっぱ寝てたんじゃねぇか!」
「あいたー!」
ごちんと頭を殴られてカオルは涙目になった。
「フェルヴェス平原で暗黒神の軍勢と光輝神たちの連合軍が激突する所まで話しただろう! 一体どこから寝てやがった! 誰だ、ガレオさんってのは!」
「あ、あれー? れ、れんごうぐん?? き、きおくにございません」
「まったく……お前が聞きたいって言うから話してやったんだぞ。途中で寝るとかあり得ねぇだろ」
「ご、ごめんなさい」
全くもって正論すぎるので、カオルは情けなくなって本気で頭を下げた。
この体になってまだ日が浅いが、以前の肉体と大幅に変わったと同時にその精神のあり方もまた大きく変わってしまっている事に彼女は気づき始めていた。
以前ならば話の途中に居眠りをするなど絶対に有り得ないと断言出来たが、なにやらこの体になってから始終頭の中に霞がかかっているような感覚がして、はっきりと覚醒状態に在るとは言えないような状態がずっと続いていた。
昔の夢を見る前後は随分とましになるのだが、それ以外は基本的に思考能力が格段に落ちてしまうようだった。
かと言って、それが言い訳になるかといえばそんな事は全くない。彼女はせっかく話してくれた彼の話を殆ど聞き逃してしまったことを悔やみ、唇を噛みながらギュッと手を握りしめて頭を下げた。
そんな彼女の反応にマーチは殆ど狼狽と言って良い様子を見せたが、頭を下げたままの彼女には見えない。
「い、いや、別にまた今度最初から話してやるよ。お前も慣れない旅で疲れてただろうからな」
「……ごめんね」
「ああもう、いいっての。この話はまた今度だ」
「はーい。じゃあ、書き取りのれんしゅう」
「よし、再開するか」
そうしてクエスト一日目は何事もなく過ぎていくのであった……。
――――――――――――――――
ドラル国戦史のあまりの超展開ぶりに泣いた。
いくらなんでもこのオチはあんまりだ……。
これ、向こうでは受けたのかな……?