カッサシオンの話術は実際見事なものだった。
商人として鍛えた腕前なのか、或いは冒険者としての技能なのかは彼女には分からなかったが、その口からはまるで速射砲のように次々と嘘とデタラメが飛び出した。
彼の話の中で彼女の設定はどんどん緻密で詳細なものになり、呆れるよりも感心するほどだった。
その様子はまさに立板に水のごとくと表現したくなるもので、カオルはカッサシオンが商人というよりも詐欺しかペテン師の方がよっぽど向いていると内心思うほどだ。
「ふぅん……なるほどね」
ガミジン中尉は感心したように何度も頷くと、肩から掛けていたバッグを開けて地図を取り出した。
そうしてそれをもう一度広げようとするも、分厚い手袋をしたままなのでなかなか開けることが出来ないでいる。
何度も失敗しながら悪態をつく上官を横目に、ボルテッカが溜息を付いた。
「中尉、手袋をとったらどうです」
「とったら寒いだろうが! それともお前がやってくれるのか」
「中尉、自分も手袋をしています」
「私を間抜けか何かと思ってるのか? それぐらい見れば分かる」
「なるほど、では聡明な中尉はこれも当然お気づきの事とお見受けいたしますが、手袋を脱げば私も寒いのです」
「で?」
「ご自分でどうぞ」
ガミジン中尉はありったけの悪態をついて、渋々ながら自分の手袋を脱いだ。
ミトン型で分厚い毛糸製のそれの下には指先が出るタイプの手袋をしていたが、それが外気に触れた瞬間まるで極寒の大地に裸で放り出されたかのようにガミジンはぶるりと大きく震えた。
一秒でも手早く済ませようとでもいうのか、やや慌てた様子で地図を広げるとしばしそれを睨みつけ「ああ、ここだここだ」と小さく呟いてお目当ての場所が良く見えるように折り畳み直した。
「ふうん、サルシオン、サルシオン……と。ああ、お前……ええと、名前は?」
「ムスカと申します」
サラリと飛び出した偽名に聞き覚えの有り過ぎるカオルは思わず吹き出したが、カッサシオンの積み上げた彼女に対する印象のおかげかその場の誰もがその反応に不思議そうな顔をする事はなかった。
「なるほど、ではムスカ。サルシオンに行くなら一つ頼まれてくれんかな」
「なんでございましょう」
「サルシオンのすぐ近くにガラコという名前の村が在るんだが、そこの林檎酒が絶品でな。行って帰るときに一箱ほど買ってきてくれんか。金は払う」
「はて……? ガラコですか。確かその村は随分と前に廃村になってしまったらしいですよ」
その答えにガミジンは仰天して仰け反った。
「なんだと? そうか、初めて聞いたな。原因はなんだ?」
「確か流行病とモンスターが原因だと聞いております」
「なるほど」
そう言って、ガミジンはさっきまで顔に浮かべていたさも「驚いた」と言わんばかりの表情を一瞬で消し去り、狡そうな冷笑を唇の端に浮かべてカッサシオンを斜め下からねめつけた。
「ハッ、そうかそうか、これから向かう先について入念に調べているようだな、感心感心……。ここで貴様が「承りました」などと抜かしたら、楽しい楽しい射撃訓練の的にしてやろうと思っていたのだがな。いやぁ、残念残念。ちょうど新しいクロスボウが手に入ったばかりだったからな、試し撃ちをしたかったんだが」
そう言ってガミジンは青ざめる三人を他所にゲラゲラと笑い、地図を畳んで仕舞い込んだ。
「よし、通ってもいいぞ。ただし命の保証はせん。此処から先では我々軍団兵と盗賊団が戦闘中で、尚且つ貴様らが向かう方向にはゴブリン共の集団がお待ちかねだ」
「一つお聞きしても?」
「なんだ」
「ゴブリンに追われながらこの駐屯地に逃げ込めば軍団兵の方々は守って下さるので?」
その質問にガミジンは如何にも嫌そうな顔を隠そうともしなかった。
そして口の中に溢れた苦味を吐き出そうとでもするかのように「ぺっ」と足元に唾を吐いてから苦々し気な様子で答えた。
「我々軍団兵の義務に基づいて無辜の市民が襲われているならばそれらを守らねばならない」
まるで規則集を暗誦するような――実際のところその通りなのであろうが――無感情で棒読みの返答であった。
「なるほど、良く分かりました」
「ああいや、別に分からなくてもいいぞ、一生な。出来ればそのままゴブリン共の晩飯になってくれ。お前みたいな胡散臭い奴を見てると吊るしたくてたまらなくなる、とっとと私の視界から消え失せろ」
「了解しました。中尉殿」
ふざけたわけではないのだろうが、カッサシオンのその返事にガミジンは明らかに気分を害したようだった。
虫でも追い払うかのように手を振ると、街道を臨時に設置したゲートで封鎖していた兵士達に向かって命令を怒鳴った。
「開門! このバカ面どもを通せ!」
「イエッサー!」
伍長となにやら言葉を交わしたあと、カッサシオンはくるりとカオル達に方に向かって足早にやってきた。
「とっとと向かいましょう。どうやら中尉殿は随分と機嫌が悪そうですからね」
「オメェが挑発したからだろうが」
「私が?」
心外ですとでも言いたげなカッサシオンにマーチは小さく毒づいて、今の今までその胸の中に抱きしめていたカオルの肩を抱いたまま馬車の方に歩き出した。
演技にリアリティを持たせるためだと彼女自身も承知していたが、まるで恋人をエスコートするかのようなその優しい手つきにまたしても頭と顔に血が集まってくるのが分かった。
そうして三人ともが馬車に乗り込み軋み音を立てながら馬車が進み始めた次の瞬間、何かに気がついたガミジンがはっとした顔でゲートの近くにいる番兵に向かって走り寄った。
「待て! 閉門だ閉門! そこで止まれ! ボルテッカ、第一小隊だぞ!」
いきなり再度落とされたゲートに驚きながら手綱を絞ったカッサシオンと、何事かと窓を開いて外を見るカオルとマーチを他所に、鋼鉄の鎧を身につけているとは思えないほどのスピードでボルテッカ軍曹はすぐ近くにいた軍馬に跨って野営地の向こう側に走り去っていった。
そして一分もしないうちに一台の馬車と数名の騎馬兵士を伴って戻ってきた。ついさっきまで戦っていたのか、兵士達は一様に鎧や体に傷をこさえている。
そして騎馬兵士はガミジンの眼前に来ると全員が一斉に下馬し、踵を打ち合わせながら敬礼をした。
「隊長! 捕虜を取りました!」
先頭の伍長がそう報告すると、ガミジンは喜色満面の笑みを浮かべた。
「でかした」
「朝めし前でしたよ。信じられますか、あの馬鹿ども森の中で火を炊いてやがったんですよ」
「敵が馬鹿なのは神様からの贈り物だ、違うか?」
「今度の礼拝ではいつもの十倍祈っておかなくちゃ」
「よしいいぞ、神もお前の熱心な祈りにご満悦なさるだろうよ」
「アーメン」
ニヤニヤと笑いながら会話をする二人の前に、ボルテッカを筆頭とした兵士達が荒縄に数珠つなぎにされた三人の男達を引っ立ててきた。男達は口々に悪態をついて、とても素面では言えないような卑猥な罵倒の言葉を声高に叫んでいた。それを見てマーチが彼女の耳元で「ありゃ盗賊だな」とヒソヒソ声で囁いた。
兵士達が荒々しい手つきで盗賊達を地面に座らせると、ガミジンは真ん中の男の前でふんぞり返った。
盗賊達は最初ガミジンのあまりに幼い容姿と整った顔立ちに呆然とするも、すぐに気を取り直して卑猥な言葉を投げかけ始めた。
そういった言葉に寸毫も眉を動かさず、ガミジンはいっそ丁重と行ってもいいくらいの調子で男達に話しかけた。
「いいざまだな、え? 散々痛めつけられて、そろそろ色々話したくなったんじゃないか、うん?」
顔に幾つもの傷をこさえた如何にもゴロツキ風の男は、目の前のエルフに向かって唾を吐きかけた。
「地獄に落ちやがれ!!」
「お前がな」
一瞬だった。
男の後ろに控えていたボルテッカが雷光のごとき素早さで剣を抜くと、まるで台所で蕪か何かを切るかのように「すとん」と殆どなんの抵抗も感じさせない素早さで、薄汚い盗賊の首を造作もなく落とした。
首を切られた身体は暫くのあいだ死んだ事が分からないかのように心臓の送り込む血液を首の断面から噴水のように吹き上げていたが、ガミジンが腰の入った前蹴りでその身体を蹴倒すと「ぐにゃり」と力を失って後ろに倒れ、カチカチに固まった地面に湯気を上げながら血の池を作り始めた。
「ひっ……あ……」
「やりやがった……ッ」
あまりにあっけなく人の死ぬ様を目の前で見たカオルは、ショックのあまり息を詰まらせる。
彼女の後ろから肩ごしにその光景を見ていたマーチは、突然の殺人を目撃した衝撃で細かく震える可能女の身体を後ろから抱きとめた。
「ところでボルテッカ、つい最近こんな話を聞いたんだが」
「なんです?」
つい今しがた人ひとりを殺したなどと感じさせない声色と気楽さで、ガミジンは足元に転がって来た首の髪の毛を引っ掴んで自分の眼前に釣り上げた。
「首を切られた奴ってのは脳に血が行かなくなって死んじまう間、ちょっとだけ意識があるらしいぜ。なあ、おい。どうだ? おい、まだ私のことが分かるかよ?」
「中尉」
「なんだよ、今私は実験に忙しいんだぞ」
「肺がないので、返事は出来ないかと思います」
軍曹の素っ気ないその言葉にガミジンはあっと小さく声を上げると、それきり興味を無くしたかのように首を倒れた死体の胸元に放り投げた。首はぼすんと胴体でバウンドすると、凍った大地にドクドクと鮮血を垂れ流している死体の首元に転がった。
そうしてコートのポケットからハンカチを取り出すと、頬についた唾をしっかりとぬぐい取り、小首をかしげてから軍曹に問いかけた。
「じゃあ次は瞼をパチパチさせるなんてどうだ?」
「それなら出来そうですね」
「よし、じゃあ次はお前だ」
目の前で展開される惨劇に蒼白になった盗賊は必死に逃れようともがきながら泣き喚いたが、両脇を屈強な軍団兵にがっしりと掴まれたままガミジンの目の前に無理やり引っ立てられた。
恐怖のためにその両目は飛び出さんばかりに開かれて、何とか兵士の軛から逃れようと力の限りに暴れている。
しかし抵抗も虚しく、兵士の持った鋼鉄製の警棒で足を強かに殴打された男はもんどり打ちながらガミジンの眼下で跪かされた。
「さて、お前はどう思う? なあ、眉唾だと思うか? え? 首を切られても意識があるなんて、そんな残酷な話がホントなもんかね?」
「ひ、ひ、た、助けてくれ、お、おれ、俺はやってない、何もしてない! か、かんけいな――」
「ボルテッカ」
「イエッサー」
激しい殴打の音と、豚の鳴き声にも似た悲鳴が寒空の下で響きわたった。
鋼鉄製の篭手でしこたま顔面を殴打された男は、先程と随分造形が変化した顔をさらすことととなった。
ガミジンは男の髪の毛を掴んで無理やり顔をあげると、今やはっきりと冷笑を浮かべた顔のまま男に語りかけた。
「おいおい、誰もそんな事行ってないだろ、私はただこの首実検について意見を求めてるだけだぜ。どうしてやっただのやってないだのって話になる?」
「ひ……ひ……た、たひゅけて、お、おねがひ、ひまひゅ……」
「ははぁん、どうやらせっかくのお楽しみを短縮したいみてぇだな、え? 残念な話だ、なあボルテッカ」
「時間は有限ですよ、中尉」
「おっと、それもそうだ。それじゃあ犬畜生にも劣るウジ虫くん、早速君たちのアジトの在処をとっくりと語って聴かせて貰おうじゃないか?」
血と涙と小便を垂れ流しながら、兵士流のやり方で顔面を整形された盗賊は殆ど叫ぶようにしてアジトの場所をペラペラと喋った。横で盗賊達を引っ捕えてきた兵士の一人がガミジンの地図にその場所を書き込むと、素早く距離や地形を測ってその男がデタラメの地形を言っているのではないことを伝える。
ガミジンは満足げに頷いて、一応もう一人にも確認をすると、もう一人もその場所に間違いないと答えた。その答えにますます満足げに頷くと、殆ど難の衒いもない素っ気なさでひょいと右手を挙げた。
「非常に宜しい。ご苦労だった」
その言葉と同時に盗賊の後ろで剣を抜いて控えていた兵士達が眉一つ動かさないまま二人の男に心臓に剣を突き刺した。
ドクドクと流れ出る自分の血を呆然と眺める盗賊を前に、ガミジンはハッとした顔で額を叩いた。
「ああ、しまった。首実験を忘れた」
「これから嫌ってほど試せますよ、中尉。畜生働きをしやがった禽獣共がうじゃうじゃ待ってます」
「それもそうか。いや、今から楽しみだ」
そう言って、ガミジンは女性的な柔らかい声で「ガハハハハ」と似合わない笑い声を響かせた。
そうしてカオルの持つエルフ像はガラガラと崩壊の音を立てて崩れ去り、とうとう泣きが入った彼女をマーチは溜息をつきながら慰めるのだった。
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突発的に思いついたネタ
「やあボルテッカボルテッカ」
「なんです中尉」
「悪党どもはどこだい?」
「さっき吊るしたでしょ」
「れぎおーん……」
特に続かない