御厨は、死を見た事がある。生身の身体を持っていた昔も、機械の身体である今も、だ
それは、己が遊び半分に踏みつけた蟻であり、車道を横断しようとして車に轢かれた猫であり、癌を患いながらも最後まで御厨の身を案じながら逝った両親であり
そして、御厨自身が手を下した、スパエナの兵士である
蟻を踏み潰した時、その時の事は、何も覚えていない。ただ、ひたすらに喉を焦がす、後味の悪さは覚えている
猫の時は、何よりもまず吐き気を覚えた。生々し生命の残照を見て、その余りにも哀しく、ちっぽけな様に、御厨は気持ちの悪さ以外の違和感で、吐き気を催した
両親と死別した時、御厨は涙が流れなかった。父も母も癌で、まるで示し合わせたかのように同時期に逝った二人を見て、御厨は、喪失感以外の何者も、感じ得なかった
敵、それを殺した時。この時御厨は、己が人の心を持って生まれてきた事を、後悔した。御厨自身がはっきりと自覚しての事ではないが、その後悔は、確りと胸の奥に刻まれている
御厨の心は今、混沌としていた
胸中に何も無いような気がする。しかし、全ての感覚が綯い交ぜになったような気もする
蟻の時の後味の悪さか、猫の時の吐き気か、両親の時の喪失感か、敵兵の時の後悔か
何もかもが解らない。何もかもを失ったのかもしれない。自失だ。自失である。激しい頭痛を感じた
だが一つだけ、手に入れた物がある。それは余りに救いの無い、誰も問いはしない事象の答えで、勿論御厨も欲しがったりしない物だ。だと言うのに、心の奥底までを埋め尽くして、有り余る
(……………………嘘………だ……ろう?)
命なんて物には、まるで価値がない
朝の陽光が差し込みだした、格納庫の中で、コックピットを丸ごと失ったタイプRを見た御厨は
頭の中で鳴り響くその言葉を、唯一無二の真実として認識した
嘘では、なかった
御厨は泣いていた。その為の器官がなくとも、だ。皮肉な事にホレックの名残は、一かけらとして見つかってはいない
髪一本、皮膚の一部すらも、内側から爆ぜたような空洞からは発見されず、御厨は、ホレックだけが忽然とこの世界から姿を消した様な、そんな妄想にすら捕らわれた
腹に大穴を開けたタイプRが痛々しい。装甲が拉げ、各部が無様に膨れ上がった様が、痛々しかった
(何で………。俺達は、勝ったんじゃないのか……!)
敵移動拠点、陸ザメは、その完全なる沈黙を確認された
敵守備隊もほぼ壊滅。こちらも相応の被害を負ったが、勝敗は明らかだ。トゥエバ軍は勝利したのである
だが違う。もとより自ら望んでの戦いでは無かった。御厨にとっては勝ち負けなんて、ダリアや、ホレック達が絡まなければ、本当はどうでも良かった
仕方がないから、流されるように戦って。取り憑かれたように勝利を目指して
それでも結局、ホレックは、もう二度と会えない場所に行ってしまった
――この結果は、御厨の欲しかった物とは、違うのだ
(なのに何で…!何でお前が…居ないんだ…………ホレック)
この戦い、確かにトゥエバ軍は勝利した
けれど、御厨自身は、敗北したのかも知れなかった…
ロボットになった男 第十話
御厨がふと気付けば、陽は既に地平線の彼方へと沈もうとしていた。夕暮れ刻である
何時ものように、大きく開かれた格納庫の天井。雲の無い朱色空は、きっと言葉で語るよりもずっと幻想的に見えている筈だ
これと言った芸術的センスが無い御厨ですら、見入るであろうその光景は、だというのに今の彼の心には、何の価値も無い物として認識されていた
(………………………)
ダリアは、基地に着くなりコックピットから飛び出し、それ以来戻ってはいない
御厨のスピードチェックが済んだ時も、この格納庫に戻された時も、御厨の目の前に、大穴を空けたホレックのタイプRが降ろされた時も、ダリアは戻ってこなかった
御厨に解るのは、頭上に広がる空の事だけだ。この、視界の中を染める朱は、死者の血を吸った物では無いのかと、御厨はそんな愚にもつかない事を考えた
ふと、風の音しか聞こえない吹き抜けの格納庫に、別の音が混じる。人の足音だ。御厨はそこで漸く、泥の中に沈殿していた意識を浮上させる
先頭終了後、基地に帰還したメタルヒュームは、スピードチェックによって二種類に分けられた
即ち、損傷の軽い物と、重い物。或いは、御厨の眼前で膝をつくタイプRのように、その乗者を失った物である
損傷の軽い物は、別の格納庫において、整備班総がかりでの突貫修理中である筈だ
敵を退けたとは言え、油断できる状況でないのは明白だ。使える物を優先するのは正しい事である。御厨にとっても好都合だった。今は、沈黙が欲しかったから
そんな訳で、損傷が酷く、直ぐには修理できない物が、今御厨の居る格納庫に集められている
御厨は目の前のタイプRしか見ていないが、少し視界を左右に向ければ、深く傷つき、中には修復不能ではないかと思えるほどの機体が、所狭しと安置されていた
(…誰だ……ダリアじゃ、ないな)
ダリアは、今日はもう戻るまいと、御厨は何と無く感じていた。特に根拠はないが、強ち外れてもいないだろう
足音は非常にゆったりとした速度で、格納庫に近づいてくる
こんな誰も居ない所に、一体なんの用だろうか。御厨は何とは無しにそう考えた
特に意味は無かった。強いて言えば、御厨は考えることに疲れ切っていた
何時もの、気の抜けたような音を立てて、スライド式の格納庫の扉が開く
現れたのは小柄な影。黒く汚れたツナギを纏い、整備班共通のキャップを、目深に被っている
俯いていても解るその影は、レイニーの物だった
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最初に浮かんだのは、始めてあった時の憔悴しきった顔である
――あ、あんた・・・・・助けに来てくれたのか・・・・・?――
守るべき物を背後に、勇敢に戦った戦士を救った時、御厨は彼の事を、助けて正解だったと思った
次に浮かんだのは、あの地下基地で、ダリアとハイタッチを交わした時の顔だ
――い、いや、何だか面と向かって言われると、て、照れるな――
ダリアの賛辞を受けて、はにかんだ様な笑みと共に頭を掻く彼は純粋で、どこか誇らしげだった
(……………………………………………………)
その次に浮かぶ、サリファン基地で目覚めた時、御厨を見舞ってくれた時の顔
――えーと・・・・うん、大丈夫か?シュトゥルム――
複雑で、奇怪で、奇妙な顔をした彼は、それでも御厨を対等の存在として扱ってくれた。それが御厨には、たまらなく嬉しかった
そして最後に浮かんだのは、対陸ザメ戦の前、格納庫のスライドドアの向こうに消える前の、鮮烈な笑顔だった
――用って、それだけだから――
記録媒体に焼きついて離れない、振り向きざまの笑顔。まるで空気に溶けていってしまいそうに、儚かった
(……………………………………………………)
御厨は、サブモニターから意識を外す
これ以上、破壊されたタイプRを見ていると、今にもホレックの泣き声が聞こえてきそうな気がして、それが堪らなく恐ろしい
モニターとコックピットカメラは、意識を外した後も御厨に情報を送り続けていたが、御厨はそれを認識しようとはしなかった
レイニーは、そんな御厨のコックピットの中に、開けっ放しのままにいた
前面モニターの横に頬杖をついて、だらだらと画面を指で突いている。プログラムとプログラムの間を行ったり来たりして、時々思いついたようにエラーと負荷の処理を行う
その唇から漏れる物憂げな溜息は、もう何度目になるのか、御厨にも解らないほどだった
ふと、レイニーの唇から溜息以外の音が漏れた。御厨は、ほんの少しだけ意識を向けた
「…………あー……君の乗り手、宿舎に閉じこもっちゃってさ……」
まるで語りかけてくるようだったが、御厨にはそれが独り言だと解った
彼女にしてみれば、機械とは己の半身…いや、自分自身と言っても過言ではあるまい
自分自身に対してぼそぼそ呟いても、それは話しかけた事にはならない。ただの独り言なのだ
今の御厨には、レイニーの心の機敏が、何と無く解った
「…………………………………………」
そのまま続くかと思われた言葉を、レイニーは一度切った
そして大きく息を吸い込む。吸い込んで、吸い込んで、一瞬激情に胸を詰まらせたかのような表情をすると、先程までとは比にならない大きさの溜息をつく
頬杖をついていた左手は、いつしか目元を覆っていた
「あの意地っ張りな少尉でも……………泣くんだよね」
ビクリ、と御厨の心がざわめいた
ダリアが、泣いた。御厨は瞬間的に思い出す。地下基地で、ハヤトを偲んで流したダリアの涙を
あの時と同じように泣いたのだろうか。己の不甲斐なさを呪い、声を上げながら
そうだ、同じように泣いたのであろう。己の不甲斐なさを呪い、声を上げて
そして、同じように立ち上がるのだ。前を見据えて、その瞳に力の光を灯して
「『少尉の為に』……………………整備してみるのも、良いかな」
レイニーの言葉が、更に御厨の心のざわめきを大きくした
自分はこのままで良いのか。そんな筈はない
レイニーは常に前へと歩いている。きっとダリアも、立ち上がって歩き出す
なら、自分だけが置いていかれる訳には行かない。落ち込んでいるだけで、終わって良い筈がない
御厨はもう一度、ホレックのタイプRを見た。腹部に空いた大穴。あれが、ホレックの居た場所。ホレックの死んだ場所
吐き気がこみ上げてきた。しかし、目を背ける訳には、絶対にいかなかった
(…………ホレック、御免…。けど俺、お前の事忘れない)
御厨は、ダリアを思う。彼女の泣き顔は、存外簡単に頭の中に浮かんだ。でも、ダリアは、きっと大丈夫だ
そこまで考えて、御厨はやはり愚にもつかない想像をする
『スパエナのルーイ』も、今頃どこかで泣いているのかも知れない
御厨は胸中でカラカラと笑った。今出来る、最大限の空元気だった
(俺、前に進むよ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それから幾許かの時が過ぎて、レイニーがシートから立ち上がった
行くのかと思いつつ、名残惜しいとは考えない。レイニーにはレイニーのやるべき事があり、御厨には御厨の思う所がある
御厨は快く見送るつもりだった。とは言っても、レイニー自身には、届くはずもないが
ふとそんな時、御厨はまたもやスライドドアの向こうに、足音を聞いた。それも今度は複数
来客が多いな、と思う。誰も居ないべきであるのに、ここにはレイニーが居て、今新しく現れようとする誰かがいる
まぁ、それもいいかな。御厨は流した。それと同時に、今度は足音に混ざって、人の声が聞こえた
『……………れこそ…りえません。ウチの統括は完璧です。一部の隙もありゃしませんよ』
声は、良く聴きなれた物。ボルトの物だった
レイニーにもその声は聴こえていたようで、彼女は何を思ったか、顔を青ざめさせると、パイロットシートに身を伏せる「や、やばっ!」
(ははぁ、成る程。……………レイニー、サボって来たんだな?)
不思議と言えば不思議だったのだ。戦闘が終わり、今最も忙しい筈の整備班員が、こんな所に居るなんて
御厨はレイニーの反応を見て、全て納得が行った。成る程、それは隠れもする事だろう
老成した感のあるレイニーの、意外な一面を見た気がして、御厨は苦笑と共に溜息を漏らした
毎度毎度の、気の抜けた音が聞こえた。スライドドアが、ゆったりと開かれる
ドアの向こうの人影は二つだった。片方は解かっている。ボルトだ。しかし御厨は、もう片方を見たとき、僅かな驚きを覚えた
ボルトと並んで格納庫に入ってきたのは、トワインだったのである
見間違えようのない、貫禄のある顔。体形はウィンドウ越しに見るよりも、かなり大柄に思えるが、それは確かにトワインだった
レイニーがそろそろとコックピットから顔を覗かせ、直ぐに引っ込ませる。ボルトとトワインが、よりにもよって御厨の前で話し始めたからだ。艶やかな金髪を抑えるキャップが、危うくずり落ちそうになった
「……もう、タイミングが悪いわね」
ぼそぼそ、と小声で呟くレイニー。彼女はキャップを手で押さえつけると、抜け出す隙を探して耳をそばだて始める
「じゃぁお前ぇ、本当に間違いないってんだな?」
「えぇ」
御厨はその様子を、面白そうに眺めていた
片や何も知らずに話し続けるボルトとトワイン。片や必死に逃げ出そうとするレイニー
非常に面白い構図だ。御厨の心を浮上させてくれる、ユニークな光景だった
だが、次の瞬間、ボルトが発した言葉に、御厨は絶句する
ボルトとトワインが何を話していたかなど、御厨は知らない。しかし、ボルトが発した言は簡潔且つ明確で、何も知らない御厨ですら、その中身を理解してしまった
御厨は、視界が真っ黒に染まっていく気がした
「ホレック少尉を殺したのは、スパエナじゃありません。………恐らく、トゥエバの人間でしょう」
レイニーが目を見開き、両手で口を覆った…………………………
『ロボットになった男 第一章、スパエナの本領 編 終了』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
君たちの愛してくれた英雄、ホレックは死んだ! 何故だ!
……とまぁ、これも王道かと思いつつも、文がくどくなったな、と反省