御厨はこの機械の身体になってから、睡眠と言う物を取っていない
各部の損傷やシステムエラー、果ては整備や供給エネルギー遮断によって、気を失うに等しい状況に陥る事はあっても、眠った事はなかった。寧ろ、眠ると言う概念自体が、御厨から失われつつある
御厨自身は、それを苦い物と思いつつも、余り問題なく受け止めていた訳であるが――幾つか勘弁して欲しいと思う事も、無いではなかった
その最たる物が、その唐突さである
御厨の意識が途絶える時は、大抵機体の整備が始まる時なのだが、その為のプログラム操作は御厨の視界の外において、備え付けられた端末により行われる
御厨の見えない位置でキーが叩かれ、御厨の見えない位置でシステムがカットされるのだ。否応無しに、意識は奪われ、消える
各部が損壊した場合を修復する時も、恐らくは同じだろう
取りとめもない事を考えていたら、次の瞬間には辺りは真っ暗
そして、ふと意識が覚醒したかと思えば、大幅に時間がとんでいる
そんな事が起こるのは、あの葬送式が済んでからの十日間と一日の間に、数え切れない程だった。いい加減嫌にもなろうと言う物だ
だが、それで身体が治っていると言うのなら、まだ我慢できただろう
しかし御厨の身体は、目を覚ます度目を覚ます度、改善されているのはモニターやらシステム負荷やらの些細な事で、ハッキリと解る損傷には、手を付ける事すらされていないのである
パイルに貫かれた左腕の大穴、背…メタルヒュームの脊髄とでも呼べる場所から下半身にかけて感じる、噛み合わない歯車のような、奇妙な違和感
思わず不満と愚痴がそれぞれ二乗されて出てきても、仕方なかった
(……しかし…今回は一際違うな)
御厨は、ボソッと呟く。勿論その声は漏れる事はなく、御厨だけに届き、そのまま埋もれていく
予め決められていたとでも言うように、一部の迷いもなくレンズを左右に動かす。複雑な軌道を描いてフレームの中を動き回るそれは、確かに修復されていた
御厨翔太。またの名をタイプシュトゥルム。もう何度目か解らない、気絶からの復帰である
辺りは闇に包まれていた。目を凝らせば――いや、御厨の機械の瞳ならば、凝らす必要もなく、直ぐ目の前に立ち、圧迫感を与えてくる鉄の壁を確認できる
天井も酷く低く、鉄の椅子に嵌め込まれた御厨の頭部が、今にもぶつかってしまいそうだった。
そうなると大体、四メートルくらいか。御厨はそう高さに当たりをつけて、ふと足場が揺れている事に気付いた
(なんだ? この揺れ……車内? トレーラーか何か……か?)
気付けば自分の居る場所が変わっていた、何てことも無いではなかったが、流石に狭苦しい車に押し込められているような事態は予想できなかった
ガタン、と、僅かな振動でそこいらに積まれている資材が音を立てる。相当な悪路なのか、エンジンの鳴動音に紛れて、荒い砂土を削る何とも嫌らしい音が響いていた
まぁ、何だって良いと御厨は考えた。不安でない訳でもないが、騒いでどうなる物でもない
戦争なんて、恐ろしく心胆を凍えさせる物を経験し続けていると、随分と度胸が付く物である。この状況を、些末時として切り捨てられる程には
(……ん…まだギシギシ言ってるかね)
御厨は、辺りに人の気配が無い事を確認して、両腕を動かしてみる
とそこで、修理されずに放られていた左腕が、新品の物に交換されているのに気付いた
ご丁寧にも、鉛色であっただろうそれは黒く塗られた上に、艶消しまで施されている。全身真っ黒の御厨に合わせる為だろう
そして更に、動かした右腕の影に小柄な人影が在るのを見つけ、少々吃驚(ッ?!)
だがその驚きも、その人影が御厨に背を預けて眠っているのが解ると、直ぐに霧散した
背を預け、疲れ果てたように眠っているのは、レイニーだった。いつもはキャップによって押さえつけられた髪が、惜しげもなくその姿を晒している
彼女は体中機械油に塗れて、白い頬にすら、金色の髪にすら、黒い黒い煤を張り付かせながら、それでも満足そうな笑顔を浮かべて、眠っていた
(………なんだ……寝てるのか)
レイニーの周りには雑多な資材。工具ならばペンチにドライバー、あらゆる物が乱雑に放り出されている
御厨は、新しく取り付けられた左手を握りこむ。金属が軋み、ぶつかり合う音がした
あまり上手くは反応しない左手は、その不完全さがあったからこそ、レイニーがただ一人でやってのけた仕事なのだと、御厨に気付かせてくれた
(……そうか、そうなんだな。…ありがとな。レイニー・ミンツ)
彼女はたとえ一人でも、たとえ不完全な仕事でも、必死になってやっていてくれたのだろう
数人掛りで重機を使用しながら運ぶ資材を四苦八苦しながら運び、激しく揺れる車内に置いて緻密な仕事を要求される付け替え作業を、誰の助けもないままこなし
そして果てには、御厨のシステムの改修作業ルーチンまでセットして
真に有り難い事だ。レイニーは最早言うまでもなく、御厨の存在など露とも知るまい。だがそれでも、御厨にしてみれば有り難い事だ
レイニーは半ズボンから伸びる白い足を、邪魔と申せるのなら申してみよ、とばかりに放り出して眠っている
いつもは、その金色の鬣をもって威容を発揮し、ダリアに食って掛かる彼女。けれどその寝顔は、ライオンはライオンでも、幼い子獅子だった
ふと、御厨の手が伸びる。それは右手。いつも危機を救う、御厨の利き腕だ
そして御厨は、無意識の内に眠りこけるレイニーの頭を撫でようとして、必死に思い留まった
(今の俺じゃ、…………頭を捻り潰しかねんか………)
御厨は、己とダリアの窮地を幾度と無く救った鋼の機体を、恨めしく思った
「……んぅ、しゅ、主任…グーは、グーは勘弁……ぎぁ」
(………………………………………………………………)
ロボットになった男 第一話 「もう正直サブタイとかなくても良いような気がするんです、はい」
その後暫しして、御厨は朝焼けの中、見たこともないようなどこかの軍事基地に押し込められた
押し込められたと言うのは少し違うか。何しろその基地には、一定以上――つまり使用不能寸前にまで傷ついたメタルヒュームが集められ、屋根もなく野ざらしになっているスペースまで使っての大改修が成されていたのである
確かに押し込められてはいない。だって、放り出されているのだから
そこかしこを整備工兵が駆け回り、罵声怒声は当たり前。しまいにはこの基地の所属なのか、陸戦隊連中がマラソンを始める始末。何故か漢泣きする者も居た
比喩のしようもない狭苦しさと、季節があるのかは解らないがギラギラ輝く太陽の暑苦しさ。ついでに、少しも休む暇がないのが災いしてか、道で肩がぶつかり合っただけで喧嘩が始まる
その度にボルトや、ボルトと同位格であろう人物が飛んで周り、その様は正に混沌、正に魔女の大鍋、正に阿鼻叫喚と言えた
そんな喧騒の中での御厨の楽しみは、基地の外に広がる町並みを眺める事だった。御厨が運び込まれた基地は、それなりの規模を持つ町の中の、大丘陵の上にあったのである
と言うか、そんな事では、戦闘が起こったときまず間違いなく民間人が巻き込まれると御厨は思うのだが、どうやら丘の上に立つ基地自体はそれほど大きくはないらしい
町の片隅とは言わないが、辺鄙な場所にある機械工場を、改修してそれっぽく見せていると言った程度か
事実、所々汚れが目立つ基地は、民間業者の持ち物だったようで、辺りを行き交う整備兵達の中には、三分の一程民間人が混じっていた
軍事基地には変わりないが、体制は読み難い。軍の物を民間が修理するなんて、良くあることのようだし
戦闘が起こったときは、少なくとも言い訳の弁は立つんだろうな、と御厨は思った
(あぁ………平和だな。本当に。…この町には、戦争の“せ”の字も見当たらない)
冴え渡る蒼天の下、町を、見渡せる限り見渡す
レンズ感度良好、天候良しの、絶好調な御厨でも、流石に巨大なこの町全てを見渡す事は不可能だが、それでもあらゆる事が見て取れる
町に一本線を引く、大通りを歩く人々の笑顔が。点在する公園や噴水の傍で戯れる、子供達の笑顔が
商者達の愛想の良い笑顔。辺りを練り歩く人々の、身の内から湧き上っているような充実した笑み。走り回る子供達の、幼い衝動に任せて緩む頬
ふ、と人だかりを見つける。様々な人の群れの中でも、殊更別的な物を感じさせる一団だ。公園で円を描くように広がり、その中心では一人の少年がギターを掻き鳴らしていた
赤い帽子に赤いジャケット。跳ねた黒髪は闇模様。ジーンズに包まれた長い足で、ダンッ、ダンッと地面を叩き踊る。彼もまた、笑っていた。衆目の中で声を張り上げ歌い、胸を張って笑っていた
本当に平和だった。思わず、御厨に自分の表情筋が残っていたら、頬を緩ませているだろうな、と思わせるくらいに
そんな感慨に浸っていた御厨を、快活な声が叩き起こした
「三ばぁーん! 深震棒回してぇー! コンバーター、ガサ入れするからさぁー!」
「ぬかせや! こっちだって忙しいんだ、テメェん所の仕事はテメェでやりな!」
座り込んだ御厨の右足、人間で言う太腿の部分だろうか、そこにレイニーが取り付いて大声を上げる
そして遥か彼方から、喧騒に紛れてたまるかとばかりに、怒声が帰ってくる。半ば罵声に聞こえなくもないそれは、別に他意がある訳でもなかろう。純粋に急がしいのだと、御厨は思った
それにしても、見事な物だと、御厨は感嘆した。彼らはこんな悪環境の中、一つもミスを犯した風に見えない。事実、犯していないに違いない
レイニーを覗き若年世代の工兵は、それ程スムーズな作業に見えないが、年季の入った者達は流石に違う。素人の御厨でも、「これは!」と嘆息する他ない手並みを見せている
それに、先程スムーズな作業ではないと若い工兵達を指したが、彼らだってそれなりの物だ。
地道に、着実に、間違い無いようにメタルヒュームの修復を続け――…一糸乱れぬ姿とは、きっとああいう者達を言うのだ
彼らの姿は、ここに御厨が入って三日程になるが、それでも見飽きぬ物だった
(後は…早く修理が完了して、ダリアの所に帰れればいいんだがなぁ)
御厨は、機体上半身に取り付こうとして足を滑らせたレイニーを、さり気無く左腕を稼動させて支える
レイニーは悲鳴を堪えた後、自分のバランスが保たれているのに気付くと、頭の上にクエッションマークを浮かべながら、足元をぐるぐると見回していた
夜半。御厨が入ってからの三日間、夜中とは言え、いつもどこかで誰かが作業をしていた基地内は、今日は何故かシンとしていた
辺りに居るのは、作業終了時刻に、手土産片手に居残りを申し出たレイニーだけ
そのレイニーはスパナ片手に御厨の右肩へと乗り、延々と作業を続けていた
新米の行う整備とは、普通熟練の者が傍らに付かねば成り立たない。未熟な整備の腕が、些細なミスを連発し、あっという間に機械をダメにしてしまう
しかし、レイニーに限ってはそれが通じないらしい。どれだけの経験があるのか御厨は知らないが、そのスパナ捌き? は、熟練の者達にも負けぬ物がある
レイニーが残業を申し出た時も、ボルトは何も心配した風はなく、ただ「好きにしな」と呟いただけだった
御厨は、そのボルトの素っ気無さを、レイニーへの信頼の証だと考えた
「……駄目、かぁ。いつもは応えてくれるのに…うんとも、すんとも、言いやしない」
右肩に乗っていたレイニーが、突如として大きな溜息をつくと、そのまま御厨の頭部に背を預けた
どうやら、右腕の修復が思うようにいかないらしい。前回の戦闘で最後まで壊れず残った部位だが、それは逆に、最後まで酷使され続けた部位と言う事だ
ダメージは蓄積され尾を引き、予想外に手強い物となっているようだった「これは一度外さないと駄目かしら」
言いつつ、スパナを放り投げる。それは月の浮かぶ夜空に弧を描いて舞うと、御厨の目の前に落ちてきた
そして、そのまま地面に落ちて甲高い音を上げると思われたそれを、見事な手並みで受け止める人影
人影は、ツナギとセットになっている筈のキャップを被っていなかった。風に流れる金髪は長く、後ろ手に縛られて、子犬の尾のようにも見える
しかし、その髪を辿って行けば、その長さと裏腹に在るのは青年の顔だ。細い、本当に細い糸目尻を、少々疲れ気味に下げながら、青年は胡坐をかいていた。今しがた受け止めたスパナを、気だるげに、しかし丁寧に地面に置く
着ているツナギは所々にオレンジと黒のアクセントが入っている。民間の者であるのは、明白だった
「ちょっと……レイニーさん。スパナを投げちゃ駄目ですよ」
そう嘆く青年こそ、民間からの出向者改め、レイニーの手土産、ホセ・ブライアンである
如何にも善人ですと言うオーラを体中から発散しているホセは、疲労困憊になりつつも、それでもレイニーに物申せず、こき使われ続けていた
(…だが、なぁ……)
御厨はこのホセと言う青年を、どうにも測りかねていた
傍から見れば芯の細い、押しに弱そうな青年にしか見えないのだが、よくよく観察すれば、添え木を当てられてガムテープでぐるぐる巻きにした、くらいの一本筋はある
レイニーにあーだこーだとつき合わされつつも、適度なバランスを取っているのが何よりの証拠だ。大人の処世術の、その見本を見ているような気分に、御厨は相成った。いや、させられた
「それに、もう大分夜遅いです。そろそろ切り上げた方が良くないですかね?」
御厨がそんな事を考えている等露知らず(知る訳もないが)、ホセはゆらりと立ち上がると、ツナギに付着した埃を払った
グ、と顎を上げる。視線の先は、肩の上に居るレイニーだ
「男の子でしょう? 泣き言なんて、聞かないわよ」
「いや、私はこれでもレイニーさんより四つは上で……。私が男の子だったら、レイニーさんは赤ん坊ですね。きっと、さぞかし可愛かったんだろうなぁ」
「やめなさいよ…。ゾッとしないわ、そういう想像」
レイニーが、御厨の肩の上で立ち上がり、頭を抱えて唸る
ホセはその様子を見て、かんらかんらと人の良い笑みを浮かべた。打算的な物は恐らくなかろうが、それでも浮かべる事に慣れた感の有る笑み。御厨は、ちょっぴり引いた
しかし、彼の意見自体には御厨は賛成である。あまり根をつめて、レイニーが体調を崩してしまったら、それはとても嘆かわしい事だ
だが、この状況下ではそうも言っていられない。如何にこの町が平和そうに見えても、今この大地は、紛れもない戦火に晒されているのだから
まぁ、ぶっちゃけ、御厨が何を思うのかと言えば、早く直して欲しい。その一点だった
(女々しいかも…だが、心配なんだよ。ダリアの事)
目の前で笑いを収めたホセを、それとなく見遣りながら思う
御厨は、ダリアの事が心配だった。葬送式が終わってからの十一日間、ダリアは一度たりとも格納庫に訪れていない
今まで、悲しいこと、辛いことを、御厨に吐露してきたダリアは、ただ唯一ホレックのことで、御厨に頼ろうとしなかった
御厨の思いあがりかも知れなかったが、だからこそ、心配だった
(今はまだ、敵が出たなんて話を聞かないから良いが…)
その「敵」が現れたら、どうするんだろう。と御厨は考えて、ある一つの事に思い至った(ん?)
(…………………今、「敵」が現れたら、ダリアはどうするんだ?)
考えても見なかった事だった。いやそりゃ、ダリアは兵士だ。敵が来れば戦うに決まってる。でも、どうやって? 彼女はパイロットだ。だけど自分の機体がなくて、何に乗るんだ?
自分以外の機体に乗るんだろうか。そこまで思考が至って、御厨は何とも言えない気分になった
それは正にどう言える物でもなかったが、何と無く自分の存在意義を否定されるような、そんな気持ちにさせる。思わず頭がグラグラと揺れそうになるほどだ
うーわ、俺って奴は、どうしてこうも馬鹿なんだ。御厨がそう己を罵った時
ふと、彼の見下ろす前方、基地を出た丘陵を降りていく最中にある、雑木林
そこで複数の影が揺らめいたのを、御厨の機械の瞳が捉えた
意識が、吹っ飛んだ
(敵かッ?!)
御厨がそう、前方を凝視したとき、二言三言と言葉を交わしていたレイニーとホセも、何かの異常を感じ取っていた
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
サブタイトルが必要ないのと同様に、後書きもやはり必要ないような……。
ついでに言えば……なんと言うか。妄想が現実に圧殺されそうな感じっす。
まぁ、ここまで読んで下さった方、ありがとうとございます…と。