機械の身体の中を、光が駆け抜けていた
頭部から両足へ、胸部から両腕へ、右から左へ、左から右へ
入り乱れる二進数は、十進数への馴染しかない御厨では、記憶し難い。記録メモリに刻めばまた別であろうが、どちらにせよ覚えきるのは無理だろう
『妙な事をしてくれるなよ。こっちも戦争屋だ。下手に躊躇したりしない』
御厨の視界の中に、都市迷彩色のカルハザンが浮かび上がる。重要拠点でも何でもないただの町への攻撃に、重武装は不要と考えたのか、火器の類はライフル一丁しかなかった
だが、生身の人間には十分な脅威だ。今この光景を前にして、ボルトは考えあぐねているのではないだろうか。人対機兵では、勝利する事など不可能なのだから
(じりじりと距離を詰めて……精々警戒しながら来い)
システムプログラム伝達。両腕へ、両足へ。ダメージのある右腕はやや光の移行が鈍いが、許容できない範囲ではない
御厨は集中した。身体を這い回る光が血液の流れに見え、脈動するオイルと冷却材が、心臓の鼓動に思えた
カルハザンは間抜けにも一機で近寄ってきた。余程油断しているのか、それとも余程自信があるのか、或いは余程人員が足りないのか。可能性としては、二、三番の方が信憑性がある
ボルト達工兵は、カルハザンが近づく度に、少しずつ後退っていた。無意識下での行動だった
(逆撃も、増援を呼ばれるのも御免だ。1アタックで、地獄の底まで叩き落してやる)
御厨の、漆黒の翼を持つタイプシュトゥルムのレンズが動いた事に、この場の誰も、ボルトですらも気付くことはなかった
ロボットになった男
好機は直ぐに訪れる。それは偶然や、幸運ではない。そうなる事を見越して待った、御厨の必然だ
その時とは、カルハザンが迂闊にもたった一機で格納庫野外範囲に踏み込んだ瞬間。その時こそ御厨は、正面からカルハザンに突っ込んだ
――渇ッ!
『な……にィィッ?!?!』
全天に開かれた通信から、カルハザンパイロットの悲鳴にも近い動揺の声が聞こえてくる
それはそうだ。先程まで動く気配の無かったメタルヒュームが、突如として目に火を灯し、自分に向かって突っ込んできたのだから
恐らくカルハザンのモニターには、闇色の自分の姿が大写しになっているに違いない。下手に奇襲を掛けるよりも、余程インパクトがある筈だ
御厨はそう判断して、子供と大人程のパワー差があるカルハザンに、無謀とも取れる正面戦闘を挑んだのだ
(ギョっとすると、どんな達人だって身体が固まるだろう? その隙は…)
相対距離は、御厨がウィングバインダーに火を灯した時点で、既に十五メートルない
(逃さんぜ!)
どんな熟達した、どんな才能のあるパイロットだって、御厨の渾身のタックルに、反応できる筈がなかった
気合一閃。天地豪落の巨大な破砕音と共に、御厨の右肩の装甲が凹みカルハザンの胸部が抉れる。勿論カルハザンが無事な道理はない。その頑強さでもってしても衝撃を受け止め切れなかった機体は、野外格納庫の地面を削って弾き飛ばされた
初撃は完全に成功した。しかし御厨の戦意は度を越して高まるばかり。メタルヒューム同士の戦闘は、火器でもない限り一撃で決着のつく物ではない。そして御厨自身、一撃で満足するつもりもなかった
御厨は、近場で分解されたまま放置されていたタイプRの腕部を掴むと、一足飛びに再びカルハザンへと肉迫した
しかしその時には、手酷く打ち倒した筈のカルハザンは、上体を起き上がらせようとしている。御厨は驚愕する。今の一撃、並のパイロットならばそれだけで昏倒していても可笑しくないと言うのに
並ではない。機体も、パイロットも。御厨はそう驚きながらも、両手で振り下ろした鈍器を止める事が出来なかった
ガン、と機械の身体になってから幾度聞いたか解らない、金属の拉げる音がした
振り下ろしたタイプRの腕部は、ライフルを捨て去ったカルハザンの両手によって、見事に受け止められていた
『こ、この黒い羽付きは…! 中佐の仰られていた機体…かぁッ?!』
(ッ! 喋る余裕があるかッ!)
左隅に追いやられたウィンドウの向こうから、計器を激しく叩く音が聞こえ、御厨はタイプRの腕部を話した。体制を逸らして、カルハザンの力も逸らす
遠方通信や緊急時のSOSビーコンで、連絡を取られたら終わりだ。たった一機が相手でもいっぱいいっぱいなのに、この上敵増援まで現れれば勝ち目はない
御厨は激しく上体をカルハザンに叩きつけると、そのままウィングバイダーの炎を真っ赤に燃やした
(うぉああぁぁぁ!!!)
御厨は水平に飛ぶ。がっしりとカルハザンを捕まえたまま、辺りに散乱するメタルヒュームの部品を弾き飛ばして疾駆する。カルハザンと地面が摩擦を起こして火花を発生させ、激しい衝撃を伝えてくる
途中、修復されていない機体を巻き込んだ。一つ、二つ、三つ、重量は増えに増え、その負荷を感じながらも御厨は止まらない
その翼の出力は、最早シュトゥルムと呼べる物ではない。爆発する炎は、遠目に見るだけでその推進力を感じられる程だった
『いった……ど…に、それ程…出力…ぁ!』
通信は途切れ途切れになっていた。御厨の精神がイカレたのか、通信機がイカレたのか
それを判別する暇もなく、御厨は蛻の殻となった基地の壁に、それはもう無遠慮に激突した
ドゴォ、洒落にならない擬音。いつもなら凍える程寒くなる筈の背筋は、この時ばかりは何も文句を言ってこない
寧ろ、別の場所が騒いでいる。御厨の全身が、止まるな、止まるなと叫んでいる
カルハザンは基地の壁を貫くことはなかった。やや突き破りはしたが、寧ろ基地自体への被害は少ない
崩れ落ちる瓦礫を物ともせず、御厨は腰部に差し込まれたマシンガンのカートリッジを左腕で握りこんだ。銃本体は、ない。無装備のままだ
だが、本来このままでは使い物にならないこれも、腕一本犠牲にする覚悟があるのなら、十分な武器になる
その時、弾け飛ぶ瓦礫や砂煙を書き分けて、灰色のカルハザンの腕が踊った
苦し紛れなのは注意して見なくとも解る。御厨を狙ったにしては、やや動きが鈍い
悪足掻きであったが、それは決して諦めない姿勢であった。御厨は素直に感嘆しつつ、無茶な挙動によって更に動き難くなった右腕で、冷静にそれを弾く
勝負が着こうとしていた。勝利者は、最初に奇襲をしかけ、最後を気迫で押し切った、御厨だ。激しさを増して崩れる壁の金属片に当たりながら、御厨はカートリッジを握りこむ左腕を、高々と掲げた
(忘れるな、御厨翔太。俺に乗るパイロットが、このカルハザンのパイロットを殺すのじゃぁ、ない。ダリアが、このパイロットを殺すのじゃぁ、ない)
それを振り下ろした時、御厨の全てが吹っ切れた。過去は無い。現実の今と、予想のつかない未来があるだけ
ゲームセンターで働いていた過去の自分は、最早今の自分ではない
同様に、明日を生きる自分は、それも最早、今の自分ではありえないだろう
ただ、どんな事があろうと、どんなに悩み、戸惑う事があろうと、立ち止ったりしない
御厨は、人を殺す事実と共に、それを心に刻み込んだ
(俺が殺すんだ。俺はこの感触、この匂い、この記憶。絶対に、忘れはしないぞ)
カートリッジが激しい衝撃によって、爆散する。その火勢は、初撃によって大幅に装甲を殺がれていたカルハザンのコックピットを楽々と貫いた
誘爆。意図的でない小爆発が連鎖し、想像以上の炎となった。カルハザンパイロットは死んだ。間違いなく、消え去った
御厨はその炎から逃れるようにして、上空へと飛んだ
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見下げた町並みは、やはり炎に包まれたままだった。幾重もの火勢の舌が重なり合って、それはある種淫靡な物にすら見えた
あそこに、レイニーがいる。御厨の恩人が居るのだ。死なせる訳には、勿論行かない
御厨は基地の工兵集団を見遣る。誰もが唖然と、御厨を見上げていた。信じられない事に、あのボルトですら唖然と口を広げている
御厨は視線を外した。のんびりしている暇など微塵もない。それは十分に解っていたから…
急降下。御厨は行き掛けの駄賃とばかりに、落ちていたカルハザンのライフルと拾うと、一直線に飛翔を開始する
向かう先は、レイニーが走り去った方向だった
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前三話でパワーを溜めて、ここで一気に爆発させたろと思っていましたら…。
なんと言いますか……火薬の量を間違えたんでないの? と言う感じですかな…。
何だか、冷静になれませんですや。かなり短めですが、勘弁してください…。