この世で最も足の早い存在は、言葉だ。様々なマスメディアは言うに及ばす、例え電子機器が有ろうが無かろうが、人伝に広まるだけでも言葉は早い
雑多にも思えるそれは、情報である。いや、情報とは自分の欲しい物に適合する、整理されたデータの事を言うのだから、この場合はただのデータか
兎に角、何もせずとも勝手に広まりさえするその情報を、能動的に入手出来ない状況とは、異常な訳だ。塵芥の情報伝達技術が、人々の生活の隅々にまで浸透しているのだから
そして御厨は、不幸にもその異常な状況の真っ只中に居た
御厨が派手に暴れまわった夜から、既に一週間が経とうとしている。その間に彼がしていた事と言えば、何も無い。ただただ意識を殺し、じっとしていただけだ
当然と言えば当然だが、何日もの間動く事すら適わず、只管にその場に『居るだけ』では、人間の心なんて簡単に狂ってしまう。事実、御厨は気が変になりそうだった
そこで御厨は、ただボーっとする事により、心の安定を図った。ダリアやレイニー達が居ない状況では、本当に何にも心を傾ける事の無い御厨にとって、それは一種の自己防衛措置とも言える。無感動に、無機質的に、それはまるで機械の如く、だ
だがしかし、そんな風では情報など入ってこない。特定の人物を除いて、大多数の人間と言葉を交わし、情報を得る事が出来ない御厨だから、本当に何も入ってこない
御厨自身に接続されたPCデータベースすら覗かず、ただボーっとしているのだから、遅蒔きの箱入り男子誕生と言っても良いくらいだった。傍らにダリアもレイニーも居ない時の御厨は、正に世界から隔絶されていると言っても過言ではなかったのだ
そんな異常な状況だから、御厨は周囲の変化に気付くのが大分遅れた。遅れたからどうだと言う訳でもないが、御厨は余りにも間抜け過ぎた
…………最初に違和感を感じたのは、基地人員の訓練風景だった
全体的に見て、未熟な兵士が多い(らしい)トゥエバ軍サリファン基地は、それはもう馬鹿かと言いたくなる程全体演習を行う。軍と言っても、職業だ。自分の仕事をし、規律を守れば、後は基本的に不干渉な筈であるのに、一日に二度のペースで行われる演習は異常と言わざるを得ない
だが、必要だと言われれば納得も出来た。御厨が違和を覚えたのは、演習の指示を出す複数の人員が、ある日を境にそっくり入れ替わっていた事である
多少は見知った顔が、まるで知らない顔へ。それは些細な事だが、十分に違和を醸し出す事であった
(だが、効率自体は上がって…………いるよな?)
御厨は陽が中天に差し掛かろうかと言う空の下、吹き抜けの格納庫の外を見遣る。荒涼とした大地に粉塵が舞い、其処では八名ごとに分かれた班が忙しく駆け回っていた
特に不思議な事は無い。御厨も何度も見ている、何てことはない訓練風景だ。問題は………其処にダリアやアンジー達だけでなく、ボルトやレイニー等の整備班の人員まで含まれている事だ
これが二つ目の違和感。ボルト達工兵がダリア達に混じるようになったのは、演習指揮者が変わった事に御厨が気付いた、その三日後の事である
言ってしまえば、工兵はべらぼうに忙しい。有事にメタルヒュームを問題なく運営できるよう、来る日も来る日も整備、整備、整備の毎日だ
その工兵の貴重な時間を削ってまで行う演習とは如何なる物か。前衛と後衛のスタイルを分離させるのが、トゥエバの風ではなかったのだろうか
ボルト達の時間を削り、工兵の実戦能力を上げても、そのせいでメタルヒュームの稼働率が落ちてしまっては、結果的に戦力は下がる。本末転倒だろうに
(大体、幾ら訓練した所で、職業殺人者には敵わないと思うがな……)
御厨が視界をレイニーに合わせ、ズームアップした所で、彼女は顔面にペイント弾を食らってぶっ倒れた。其処から直線距離二十メートルの地点では、ダリアがしてやったりとでも良いたげな笑顔で、Vサインを作っている
しかしダリアの威勢も、直ぐに霧散した。怒りに燃えるレイニーの投げ付けたライフルが、ダリアのデコに命中したからだった
(……レイニーは別格として)
そして、御厨がついさっき、本当についさっき気付いた、何とも灯台下暗し的な場所に記録されていた、重要伝達事項。それが三つ目の違和感
それを見た瞬間、御厨は如何にも頭痛を禁じ得なかった。決して己の考えの及ぶ所では無いと自身に言い聞かせながらも、それでもどこか、心の奥が納得していなかった
伝達事項はその役目を果たし、鮮明に御厨に情報を伝えていた
トワイン・アルコーダが司令官を解任され、現在主席参謀に納まっている事
そして、テスライ・ハウゼンなる人物が、その後釜に座った事を
御厨は僅かに視界をずらす。演習実地から然程離れていない場所、僅かに高低差のある高みから、演習風景を眺めている一人の男、それに焦点を合わせた
その瞬間男が向き直る。御厨の方を見て、ニヤリと口元を歪ませる。灰色の短髪が揺れ、青色の瞳が細まった
御厨は、その笑みが、自分に向けられた物のような気がして、一つ唸った
ロボットになった男
夜。この身体になってから、もう幾度目か数える気にもならないが、夜だ
御厨とは、一部の事には極めて生真面目であるが、興味の無い事や自分にとって価値の無い物事に対しては、酷くズボラだった。そんな御厨だから、この期に及んで日数など数えている訳が無い
本人にも改善する気は無い。第一いつ戦闘になるか解らないこんな状況では、今を生き抜くので精一杯だ
ひがなボーっとしているだけの癖に、考えることだけは一人前だと、御厨は胸中で首を振って、更にもう一度首を振った。そうだ、自分は一人前だった、と
夜になるといつも静かになる筈の格納庫も、今は騒がしい。そこら中を工兵達が駆け回り、夜の静寂の空を打ち破って整備の轟音を立てている
彼等にしてみれば堪った者ではなかった。昼には大演習、夜には突貫整備だ。流石に疲労の色濃く、皆一様に顔色が悪かった
しかしそれでも大きなミスを犯したように見えないのは、彼らの工兵としての責任感ゆえか
良い気風だ。愚直なまでのその在り方は、信頼できる
御厨は何気なくレンズを持ち上げ、その視界に燦然と輝く月を収めた
(……丸く…は無いか。少しだけ欠けている)
月はその身の大半を晒しながらも、僅かに闇に隠れている。元より丸い物が、意地悪くも姿を隠しているのだ。いじましいと言う他ない
美しいのだ。完全な状態では無い楕円は、酷く不恰好だと言うのに、美しいのだ
光に照らされている部分とそうでない部分。言ってしまえばただそれだけだが、“ただそれだけ”が作り出す光景は、芸術的だった
「…美しいな。月はどんなに雲に覆い隠されても、決してその存在感が消える事は無い。太陽に照らされなければ何処に在るかも解らんと言うのに、その太陽と同じ位、輝いて見える」
(全くだ。本当に、綺麗だ…………)
何処からか響いた声に、御厨は自然に反応していた。その異常性に気付いたのは、それから遅いにも程がある三秒後
御厨は間抜けにも、頭部を丸ごと動かして視界を移し変える。己の左肩、完全復旧されたそこに立つ、黒い上級仕官服を着た人影を捉える
灰色の短髪と青色の瞳の青年が、其処に悠然と腕を組み、ギョロリと動いた御厨のレンズを見つめ返していた
(……ッ! 何者ッ?!)
「こんばんは。初めまして。安心しても良い。私は機械相手でも礼を保つぞ」
青年は、そう言った。ただの機械である筈の御厨に向かって、確かにそう言った
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「…絶景だ。いつもこの高みから大地を見下ろせれば、もっと別の物が見えてくるかも知れん。そうなればどんなに良いか」
青年は御厨からツイ、と視線を外すと、今度は何処かも解らない遠くを見遣る。直ぐ近くの格納庫の床を見ているのかも知れないし、はたまた遥か彼方の、御厨のレンズですら捉えられない向こう側を見ているのかも知れない
御厨はその視線の向かう先が、読めないでいる。そして同時に、青年が考えている事も
青年は御厨のレンズが己の向いているのに知らぬ振りをする。腕を組む姿は堂々たる物で、それが余計に異質さを感じさせた
(それを語る君は誰だ…!)
通じる筈も…通じる筈も無いが、御厨は怒鳴りつけた。何だか訳が解らないが、怖い
いや、訳が解らないから怖いのだと、御厨は気付く。そしてその恐れは、青年を警戒視する上で十分な物だ
幽霊を見て腰を抜かすのに近い。今の御厨は、未知に対して激しく牙を剥く猛犬と大差なかった
「…………で、何人居る?」
だと言うのに、青年が返したのは何とも意味不明、理解不能な一言だった
「…君を知る人間だ。床を弾いて伝えろ。十人以上居るのなら、床を一つ叩け。……衆目を気にしているのなら、安心するがいい。私が検閲集映の為に動かしている事になっている」
御厨の恐怖はいよいよ高まった。何なのだこの男は。何故自分の存在を知っている?
ダリアが教えたのか? それは考えた御厨自身が一瞬で却下した。先程男自身が聞いたのだ、「何人居るのか」と。本来それは、情報の出所に聞くべき物だ
ならばレイニー…? それも無い。彼女は御厨の存在に驚きつつも、誰にも漏らすなと言うダリアに対して、「誰も信じやしないわよ」の一言を笑いと共にぶっ放した張本人だ
ならば、何故、何故、何故、何故、何故この男が知っているのか
この男は何者なのか。いや、それは一先ず置いておき、自分は一体どうすべきなのか
御厨は背筋を凍らせながら、沈黙を守った。すると青年は、再び揺さぶりをかけてくる
「隠せはせんぞ。私の脳は特別制でな、大体の気配は解るのだ。………君の主、ダリア・リコイランの様に」
御厨はこの瞬間、本当に混乱した。余裕なんて物は無い。本気で錯乱した
それ程この男が、御厨の肩の上で己が額を指差しながら言っている事が、理解できなかった。まるでこの世には存在していない、異次元の言語かとすら思った
(自分が特別で、ダリアも特別? 何だお前は、頭がイカレているのか?!)
「疾く応えろ。ダリア・リコイランの一家三族、その悉くを皆殺しにされたいか」
瞬間感じたのは、『身の毛もよだつ』程度では済まされない殺気
御厨は薄く悲鳴を漏らしながら、床を弾いた。計二回
それを見た青年は、一瞬前の殺気が嘘かと思うほど頬を緩ませた。まるで少年の様な笑み。そして、笑い声。あまりにも、不似合いだ。御厨すら殺す殺気を放った者には
「はは、…一応冗談のつもりだったのだが…。済まんな、程度が低すぎた。皆殺しなど、君に二度と吐かんと約束する。本当に、度をこしていたな」
青年は少年の笑みを自嘲の笑みに変えながら、やれやれと首を振る
そして、格納庫の入り口を一睨み。御厨は訳も解らず拳を握りこんだ
「して、君を知る二人とは、つまり彼女達の事だろう?」
(うっぐ、あぁぁぁぁあ嗚呼!!)
青年の視線の先には、今正に格納庫へと入ったダリアとレイニーが居る
御厨はそれを確認する間もなく、肩の上で腕を組む青年に対して、神速裏拳を放っていた。位置の悪さなどどうって事はない。打ち抜いて、殺してやる
基本的に温厚な御厨とは思えない思考だった。しかし、その殺意と共に放たれた裏拳が、使命を果たす事は無く
ヒラリと御厨の不意打ちを避けた青年は、御厨の肩から飛び降り、悠然とダリアに歩み寄ったかと思うと、その首根っこを引っ張って連れて行ってしまった
後に残されたのは、唖然としながらダリアの背を見送るレイニーと、突然の事態に目を丸くする工兵達
そして、何か言い知れぬ不安を胸に抱いた、御厨だった
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………駄文スマソ。
今更だけど、別に「ロボットになった男」じゃなくて良いじゃんとか思った。
「ロボットになったチンパンジー」とかの方が、話的に面白かったりする。と思う今日この頃。
パブロフでした。