「・・・どう? 義之」
「―――――ああ、うまいんじゃねぇのか。ハーブが上手い具合に溶け込んでていい臭いだし」
「・・・ふふっ、よかったわ」
廊下を歩いている途中オレはエリカに声を掛けられた。あの屋上の件からもう三日が経つが、至ってオレ達の関係は変わらず普通だった。
気まずい空気が流れると思っていたがエリカが普通の態度で接してきていたので、オレもそれに呼応するかのように普通の態度で接せた。
そして時間も昼休みになり美夏と一緒に昼食を取ろうと中庭に行こうとしていたのが、エリカと偶々会ってしまい、少し談笑をしていた。
「お前がクッキーなんて作れるとは思わなかったよ」
「べ、別に普通ですわ。ただ調理実習の時間に、先生の言うとおりに作っただけですしね・・・」
「言われている事をそのまま実行出来る人間はどこへ行っても重宝されるよ。要はお前は出来る人間というわけだ」
「義之程ではないですわ。貴方って何でも出来そうだし・・・」
「小さい頃から一人で生きて行くって決めていたからな。だから何でも出来るように努力はしていた」
「へぇ~・・・すごいですわね。小さい頃からそんな事を考えていたなんて」
「人嫌いだし―――当然の選択だな。何も出来なきゃオレみたいなヤツは犯罪者になっちまう。まぁ一人で生きて行く必要性はなくなっちまったが・・・」
「――――――天枷さんの事?」
「・・・ああ。まぁ、だからといって何もしないってわけじゃねぇけどな。美夏を支えるのにもっと出来る事は増やしていきたいと思う」
「そう。そこまで愛されている天枷さんが羨ましいですわ―――私も新しい恋を探さくちゃね、ふふっ」
「・・・はは。オレが言うのもなんだけど・・・頑張れよ」
「ええ。まぁ―――ボチボチ頑張りますわ」
「お前みたいな女と釣り合う男ってのも探すのには一苦労だけどな。じゃあオレ、美夏と昼食食べる約束しているから・・・」
「―――ええ。また、ね」
「ああ」
そう言ってオレはエリカと別れる。階段を駆け降りる直前エリカと目が合ったので、軽く手を振ってやった。それに対してエリカも手を振り返して歩きだしていった。
頑張れよ、か。なんて無責任な言葉だろう、あれだけ求愛されて振ったオレが言うセリフじゃないなと言って少し後悔していた。エリカはあまり気にしていなかったが。
だがオレはそう思ってしまった。まだエリカに対する想いがくすぶっているが―――オレみたいな人間ではなくて、もっと真っ当な人間を好きになってほしいと思う。
茜が言っていた言葉と少し似ているが―――好きな人にはいい人間と付き合って欲しいと思う。結果的には振ってしまったが・・・今でもエリカの事は好きだった。
まぁオレには美夏がいるし、もう二度と言わないセリフだろうとは思う。そんな事を考えながらオレは中庭に向かった。
「ん?」
中庭に行く途中にふと二年のクラスを見た。そして視線に留まる牛柄のニットに長い赤いスカーフ――――美夏だった。何か一生懸命に書き写しているのが分かる。
どうやら黒板に書かれている授業内容を書き写しているらしい。美夏には似合わない光景だと思った。こいつは授業中に居眠りをするタイプではない。
なのに昼休みになってもノートを書き写している、理由―――オレには思い付かなかった。とりあえずオレは美夏に声を掛けてみた。
「よぉ、美夏」
「ん―――おお、義之かっ! なんだ、どうしたんだ? 中庭に行っているもんだと思っていたが」
「行く途中にてめぇの事見掛けてな。こうして声を掛けた訳だが―――なにやってるんだ?」
「あ、ああ。クラスの一人が風邪で休んでしまってな・・・。だからこうしてそいつの分のノートを取っていたんだ」
「――――そいつとは友達なのか?」
「うん? いや、違うぞ。あまり喋ったこともない。ただ担任がそいつの分も誰かノートを取ってやれと言っててな・・・」
「はぁー・・・お人好し過ぎるぞ、お前は。そんな面倒な仕事なんか引き受けやがって・・・」
「はは、まぁしょうがない。クラスのみんなから美夏がやったほうがいいと言われたしな。断れる状況では無かった」
「・・・・・なに?」
「でも、人から頼られるのは悪い気分ではない。お前と付き合うようになってからそう思えるようになった・・・・・はは、な、なんだが恥ずかしいな」
「・・・・・・・・」
そうしてオレはクラスを見回した。みんな美夏の事なんか気にしていないという風で思い思いに昼食を採っている。だれも美夏を手助けしようとはしていない。
どうやら美夏の友達は由夢ぐらいしかいないようだ。少なくともこのクラスにはいない。いたら真っ先に美夏のもとに居る筈だ。そうでなくてはいけない。
この感じ―――オレは見覚えがあった。小学生の頃に、オレのクラスには苛められっ子がいた。そいつはオレとは別な意味で浮いており、よくからかわれていた。
そしてクラスのリーダー格のヤツが休んだ時に、ある女子がそいつの分のノートも取ると言いだした。まぁ露骨なイメージアップを図りたかったんだろう。
だがガキに二人分のノートを取るのは酷だったらしく―――あっさり放棄して、その苛められっ子にその役を押しつけた。苛められていたやつは何か言いたそうに
していたが・・・結局引き受けてしまった。
そしてその女は悠々とそのノートを男に渡し、感謝をされた。そして照れて嬉しそうに笑顔を浮かべる女―――オレは笑った。
「・・・貸せよ」
「あ――――」
「お前は無駄に黒板を何回も見過ぎだ。一回見たらその時に全部覚えろ。内容なんてどうでもいい、その時見た視界の図を一枚の絵として認識しろ」
「そ、そんなこと出来る訳――――って・・・・お前書くの早いなっ!」
「何でもやってみなくちゃ分からねぇだろ。オレは授業が嫌いだ―――つまらねぇからな。だがノートぐらい取らないとさくらさんに怒られちまう。
だからオレはこういう事を覚えた。こういうつまらない事を覚えると案外楽になるぜ? 人生を生きて行く上でな」
「む、むぅ・・・その真面目さをもう少し別の部分で・・・」
「うるせーよ。真面目に暮らしていたらこういうの覚えねぇだろうが。真面目じゃないからこそこういうのを覚える。そんなんで特許がつく発明を
したヤツが何人いると思ってるんだ? エジソンなんて本を読むのにいちいち蝋燭に火を付けるのが面倒くさいという理由で電球を発明したんだ
ぜ? そして歴史に名が載っちまった訳だ」
「む、むむぅ・・・」
「あ、あの・・・桜内先輩・・・・・」
「あ?」
名前を呼ばれて振りかえると一人の女子生徒がいた。最近の子らしく薄く化粧がなされていて、アクセなんかも付けている。恐らくこのクラスのリーダー格か。
今も昔も外見が派手な奴はクラスのリーダー格と決まっている。流行しているモノを持っているどの時代でも人気者になり、羨望の視線で見つめられる。
ファッションなんて最もたるものだ。見てすぐ分かりやすいからな。そう思っているとその女子生徒はおどおどしながら話を続けた。
「もしかして・・・昼食はまだなんですか?」
「・・・? ああ、生憎だがまだ食べていない。さっきからこの教室には弁当の香ばしい臭いが充満していてるからさっさと食べたいんだがな」
「で、でしたら私達と食べませんかっ!?」
「―――――――ッ!」
「・・・・・アンタみたいな美人のお誘いは嬉しいが―――オレは今こいつの為にノートを取っている。悪いが一緒には食べられないな」
「あ・・・」
「あははは、桜内先輩も人がいいんですねぇ~。別にいいんですよぉ、こんなのは天枷さんに押しつけてれば」
「――――へぇ、そりゃどういう意味なんだい?」
「いや、どうやら噂なんですが・・・ここだけの話――――――実は天枷さんってロボットらしいんですよ」
「な・・・・・・・・!」
「・・・・・それは初耳だな。オレにはこいつは人間にしか見えない。確かに、最近のロボットは精巧に作られているがそいつは驚きだ――――それで?」
「それでって・・・だ、だからこういうのはロボットに任せればいいと思いません? ロボットって私は人間に扱き使われてなんぼだと思っていますし。
だからこうやって有効活用するのが多分ロボット達にとっては幸せなんですよ。きっと天枷さんも同じ意見だと思います、ね?」
「・・・・・・・・」
「だから――――――」
「なぁ、アンタ」
「はい?」
そう言ってオレはノートを取る手を休めてその女子生徒に向き直った。おそらくオレが一緒に昼食を採ってくれるもんだと思ったんだろう―――顔は笑顔だ。
生憎だがオレには美夏という立派な彼女がいるからそういう訳にもいかない。そんな事をしたら美夏にボコボコにされてしまうからな。それだけは勘弁だ。
何より―――オレは頭にきていた。当然だと思う、そんなくだらない理由で自分の彼女が顎で扱き使われているのだから。全くもって意味が分からない。
オレは笑顔を浮かべてそいつに喋りかける。女子生徒はオレの笑顔を見て―――少し顔を引き攣らせた。失礼なやつだな、オレの笑顔なんて滅多に見れないぞ。
「第二次世界大戦の話は知ってるかい?」
「へっ? あ、ああ、知ってますよ。さっき授業でやってましたから・・・でもなんでいきなりそんな話――――」
「当時はすごい時代だったらしいな。オレは生きていないからその実態は知らないが、文献なんか読んでると色々壮絶だったのは分かる」
「・・・・は、はぁ」
「その授業とやらで教えていたのかは知らないが、特に虐殺なんか凄かったらしい。航空路に一般人も含めた捕虜を一か所に集めさせて、大量のガソリンを
頭から被せて火を付けたりしてな。それを見て外人は狂い笑ったそうだぜ? 信じられねぇよな?」
「・・・す、すごいですね」
「そして火に掛けられていない生き残っている捕虜に銃を渡すんだ。何故だと思う?」
「・・・な、何故なんですか?」
「その燃えている奴らを撃ち殺させるためさ。燃えて死ぬというのは中々に辛い事らしい、みんながみんな同じ事を言うんだ――――頼むから殺してくれってな。
その中には自分の子供や妻、親父やお袋がいるんだぜ? そいつらが今まで聞いた事ない悲鳴を上げている、文字通り断末魔って訳だ。そしてその男の手には
銃が握られている――――男は撃ったらしいよ、号泣しながらな。それを見て外人共はさらに爆笑したらしい」
「――――は、はは。ひどい話ですね・・・・」
「なぜそんな事をしたと思う? 同じ人間にそこまで酷い事が出来る理由―――アンタには分かるか?」
「えっ? り、理由ですか? それは・・・えぇと――――」
「簡単な話だ、同じ人間だと思っていないからだ。人じゃないから何をやっても許される、殺してもレイプしても構わない、人間じゃないんだから。
そういった風潮が当時はあったらしい。まったく、信じられないよオレには。道徳も論理もあったもんじゃない、オレはそういうのは『人間』だと
は思いたくないね。自分がそんな人種だと信じたくないからな。アンタもそうだろ?」
「は、はい・・・確かに私もそう思いますが――――」
「まぁ、誰でもそう思う。だから同じ理由でロボットをモノ扱いする連中は見ていて胸クソ悪くなるね、オレは。思わず鈍器で頭をカチ割りたくなってくる。
戦争の事なんかまるで教訓になんかしちゃいない。義務教育で高校まで歴史を教える授業があるにもかかわらずに、だ。人間というのは集団にになると途端
に馬鹿になる。他の人がやっているんだから自分もしていいんだ――――そういう考えになりやすんだってな」
「――――――――ッ!」
「せめてオレはそういう人間になりたくない。いや、人間じゃねぇのか。オレは結構なクズ野郎だが――――人間まで辞めたらその辺の犬と変わらない。
ただの獣と一緒だ」
「・・・・・・・・・」
「悪いがアンタとは美味しいご飯は食べられそうにないな。謹んでお断りするよ」
「・・・・・・はい」
そう言って女性生徒は肩を落としながら自分の席に戻っていった。そしてオレはノートを写す作業に戻る。さっきも言った通り腹ペコでしょうがねぇ。
ふと――――袖を掴まれる感触がした。見ると美夏が顔を俯かせてオレの袖を握っていた。そしてポツリと零れる言葉――――ありがとう。
オレは薄く笑って美夏の頭を撫でてやった。まったく、最初会った時はこれでもかというぐらい生意気だったっていうのにこんなにしおらしくなっちまって。
一通り撫で終わってオレはまたノートを写す作業に戻る。時間はもうとうに20分を過ぎている。オレは美夏と早く昼食を採るために、書く手を早めた。
「確かに美夏嬢の噂は広まりつつあるな」
「・・・だろうと思ったよ。あの時神社には大勢の人がいた。ウチの学校の連中もだ」
「ふむ、その時に見られたのであろうな」
あの後わずかな時間ながらもオレは美夏と一緒に昼食を採った。美夏は先の教室での一件なんか無かったかのように元気に会話を楽しんでいた。
昼食の後オレは美夏と別れて、杉並にサボりを持ちかけた。出席日数がどうたら言っていたがオレが真剣な話だと言うと快く承諾してくれた。
また借りが増えちまったな―――そう思ったが背に腹は変えられない。こうしてまた校舎裏に来て杉並と話をしていた。勿論二人とも煙草を吸いながらだ。
「ふぅー・・・さて、そろそろ本題に入るか。桜内は俺にどんなことを頼みたいんだ?」
「――――なんとかお前の力でこの噂が広まるのを止める事は出来ないか?」
「あの桜内が俺に頼み事とはな。嬉しくてたまらい気分になる―――――――無理だ、人の口に栓は出来ない。どうやってもその手の噂は広がってしまう」
「・・・・・まぁ、知ってたけどな」
「なるべくやれる事はやってみるが・・・あまり期待はしないでくれ。噂が少し広まるのが遅くなるだけだ」
「・・・・・それで十分だよ、あんがとな」
「別にいい。本来なら完璧にその噂を消したいところだ。逆に申し訳ない気持ちになる、中途半端な仕事しか出来ないとな」
「それこそオレの台詞だ。何も力がないオレを殴りつけたくなってくる――――美夏の男だっていうのにな」
「何事もそうはいくまい。神様ではないのだからな――――一時に桜内、一つ質問があるのだが・・・いいかな?」
「なんだよ」
「エリカ嬢の事だ。どうやらまた普通に話をしているみたいだが・・・・どういうことだ?」
「ああ、それか――――」
そしてオレはエリカと友達になった事を話した。今まで色々あったが、オレの事は諦め、新しい恋に向かうとエリカは言った。
もちろんオレはそれを信じているし、エリカを応援したい気持ちでいっぱいだった。せめて次の恋で幸せになってくれ・・・・・と。
だがオレが話している途中、杉並はだんだん額にシワを作り始めて――――話し終えたときには唸ってしまっていた。
「どうしたんだよ」
「・・・・・にわかに信じられない」
「あ?」
「当人同士でもないし、エリカ嬢とはそんなに付き合いも深くはないからなんとも言えないが・・・・・・本当に桜内を諦めたのか?」
「・・・・どういう事だよ」
「エリカ嬢がお前にすごく入れ込んでいたのは知っている。三日前の廊下の件でそれは十分に伝わってきたからな」
「・・・それで?」
「あるいは病的と言って差し支えないのかもしれない。なにせエリカ嬢は単身この国に来て一人身だ。そして調べたところ仲のいい友人もいないらしい
別に苛められているとかではない、エリカ嬢の人当たりの良さに皆も気を許している。ただ相手は貴族の一人娘だ、それもかなり大きいところのな。
雰囲気なんかも周囲の者とは別格なモノを放っている」
「・・・・・・」
「それは孤独だろうな。おそらく自分の国でもそうであったに違いない。エリカ嬢の様子を見ればそれが分かる、もう慣れたといった様子だったからな。
ただ桜内だけは他の人間と違った。気軽く自分に声を掛け、時々小馬鹿にした発言をし、そして心から笑う事が出来て――――自分を守ってくれた男。
そんな人物を易々と諦める事が出来るとは俺には信じられない」
「・・・・・・」
「先ほど友達と言ったな、桜内は。例えば―――桜内が美夏嬢に振られたとしよう、それはもう完璧なまでにだ。その場面で桜内は言えるのか?
『はい、わかりました。では友達になって下さい』というセリフを、 散々希望があると思わせる行動を見せつけられて」
「・・・・・・いや」
「まぁ、俺も当人ではないからどう思っているのかは知らん。本当に友達付き合いでもいいから桜内と仲良くしたいと思っているのか・・・はたまた
友達という一時的に安全なポジションに収まってチャンスを狙っているのか・・・」
「・・・・・・」
「俺が推測できるのはここまでだ。俺が言った言葉は頭の片隅にでも置いといてくれ。もしかしたら本当に友好的な友達付き合いがしたかった場合、この話は
邪魔にしかならない論だからな。余計な事をいってすまなかったな、桜内よ」
「――――――そんな事はない。どうやら少しばかりオレは浮かれていたらしい。美夏とこれからは正面きって少しは堂々と話せるってな。よく考えれば
あり得る可能性だっていうのに・・・それこそエリカの場合は、な」
「恥じる事は無い。だれだって物事が解決したときは気が緩んでしまう。心がスッキリして思考が鈍くなる。ましてや俺の言った事は相手を信用していな
いとも取れる内容だ。それも相手は自分の事を慕ってくれていて、かなり傷付いた上での発言―――疑う方がどうかしている」
「・・・んな事はねぇよ。あ、そういえば今思い出したんだが――――最近エリカの様子を見ていて少し気になる事があったな」
「・・・・・ふむ」
「――――まぁ、こっから先は自分で解決するよ。お前にはまた借りが出来ちまったな。いつか必ずこの借りは返す、オレは誠実な人間だからな」
「・・・くっく、誠実な人間がそんなにも複数の女性とキスをするとは思わないがね。気ままに待っている事にしよう、桜内よ」
「うるせーよ。お前は本当にいつも一言多いな」
そう言ってオレは煙草をカンの中に入れて立ち上がった。杉並は非公式新聞部の用事があると言い、オレとは正反対の方向を歩き出した。
またどうせロクでもない事を考えているに違いない。アイツはきっとオレみたいな状況になっても部活だけはサボらないだろう、そういう風に思えた。
女より自分の趣味を優先して泣かせるタイプ――――杉並の事を指しているような言葉だ。まぁアイツの場合それさえも上手くやりこなせそうではあるが。
「それにしてもエリカ・・・か」
正直屋上の時に違和感は感じていた。あれだけオレの事を好きだ、愛していると言っていたのにあまりにも――――あまりにも素直に頷いていたエリカ。
確かにどういう形でもいいから納得はしてもらおうとは思っていたが・・・あっけなさすぎた。そういえばと最近のエリカの様子を思い出す。
確かに前よりはあまり絡んでくるような事はしなくなっていた。腕も組んでこないし、会話もそこそこにエリカの方から切りあげていたりもした。
ただ――――時折何を考えているか分からない眼をしていたことがある。今まで見たこともない眼の色だし、正直その眼を見ると不安な気持ちになる。
何かあったのかと聞くと途端にその眼の色は消え失せて、笑顔を浮かべて何でもないと言うエリカ。そう言われてしまえばオレも深くは突っ込めなかった。
嫌な胸騒ぎがする。何も起きなければいいが――――オレはそう思い、次の授業に向かうために少し早歩きをしながら校舎へ戻った。
「ふぅー・・・もう放課後か」
そう呟きながら美夏は廊下を歩いていた。義之と付き合うようになってから時間の進みが早い様な気がする。よく楽しい事は一瞬だと聞くが美夏も例外ではないようだ。
しかし最近は心配事が出来てしまった。それは自分がロボットだという噂が流れている事だ。恐らく神社での一件でバレてしまったんだろう。やれやれといったところだ。
おかげで最近は自分に飛んでくる視線が痛くて止まらない。まったく、美夏も感情は人並みにあるのだからそんな視線を向けられるといい気分はしないのだ。
そんな事はお前ら人間が知っているだろうに――――そう思わずにはいられない。まぁ、人間なんて身勝手な生き物だからしょうがないが・・・。
身勝手と言えばある人物を思い出す――――桜内義之の事だ。あれほど傍若無人で唯我独尊な人間は早々いないだろう。いや、アイツ一人で十分なくらいだ。
男女構わず暴力は振るうようだし、女癖は悪いし、そして妙に頭も回るからタチが悪い。ああいう人物はかなりの大物になるか塀の中に収まるかのどちらかだ。
しかし――――なぜだか美夏は・・・ヤツの事を好きになってしまった。人間としては最低な部類な筈なのに・・・美夏は人間の事が嫌いな筈なのに・・・。
義之が向けてくれる優しさが嬉しかった、義之の笑顔を見ているとこっちも嬉しくなる、義之といると――――幸せな気持ちになれる。まったく厄介な話だ・・・。
義之は過保護なまでに美夏の事を見てくれている。一見冷たい人物に見えるが、なぜだか美夏だけに対してはあれこれと世話を焼きたがる。
正直―――嬉しい気持ちでいっぱいだった。ロボットだからという理由で差別はしないし、持ち上げたりもしない。ただただ美夏の事が好きなんだと伝わってくる。
言葉や行動でもそれは節々から伝わってくるし、もちろん美夏も義之の事を愛しているからそれは嬉しい、もっと・・・もっと甘えたくなってしまう。
だがそれではいけない。寄っかかるばかりの関係に美夏は満足出来ない。義之はそれでもいいのかもしれないが――――美夏はそれでは納得がいかなかった。
どうやら美夏のデータベースで調べてみると『イイオンナ』というのは相手の事を想いやり、助ける事が出来る女性の事を言うんだそうだ。
だから美夏も頑張ってはいるんだが――――いかんせん相手はあの義之だ、鼻で笑われてあしらわれてしまう事が多い。何気に完璧人間だからな、義之は。
それにムカついて色々挑戦してみたが・・・・ダメだった。というかなんでアイツは六法全書の内容まで暗記しているのだっ! それも悪そうな笑顔を浮かべて
嬉しそうに喋るし・・・思わず頭を叩いてしまったではないか。まぁその後普通に蹴られ返されたが・・・。
なんにせよ――――美夏は義之と対等な立場になりたい、そう思っていた。そうすればもっと義之の為に何でも出来ると思っていた。本人に言ったら笑われるが。
最近の噂も確かに気になるが、正直な気持ち――――美夏はそれどころではなかった。もっと『イイオンナ』になるために勉強中だからな、美夏は。
だがあんまり広まり過ぎるとマズイ。一回水越博士に相談して―――――――そう思っていると後ろから声を掛けられた。振りかえると綺麗な金髪が目につく。
「こんにちは、天枷さん」
「―――――ん? おお、ムラサキではないか。どうしたんだ?」
「ええ。少し天枷さんとお話ししたい事がありまして・・・今お時間の方は大丈夫かしら?」
「うん? もうすぐHRが始まるから長い話は無理なんだが・・・」
「大丈夫ですわ、そんなに長い話ではないですから・・・」
「そうか、なら大丈夫だ。ムラサキとは知らない仲じゃないから――――HRサボってもいいんだぞ?」
「ふふっ、ありがとうございます。でも大丈夫ですわ、すぐ終わりますから。ここではなんなので・・・屋上に行きましょうか」
そう言ってムラサキは歩き出してしまった。慌てて美夏はムラサキの脇に並んだ。少しムラサキの歩幅が広いのか―――急ぎ足になってしまう。
義之の場合、気付かない内に歩幅を合わせてくれるからなぁ。最近はそれに慣れてしまったが・・・あんまり気を使わせたくないので少し特訓してみるか。
そうしてデータベースを検索しているとムラサキに声を掛けられた。相変わらずの綺麗な声で――――――
「桜内先輩とは最近どうですか?」
「うん? まぁまぁ上手く言ってると思うぞ。正直――――すぐに破局という最悪の事態にはならないみたいで美夏は少し安心している。あっはっは」
「ふふっ、それはよかったですわ。幸せというのは長続きしないと言いますが――――嘘であってほしいですわね」
「お、おいおい、あまり不安がらせないでくれよ、ムラサキ」
「――――ふふっ、すいません。あまりにも幸せそうなんで少し悪戯してみました」
「・・・意外と悪趣味だなぁ、お前は」
そういうくだらない話をしながら美夏達は屋上の階段を昇り、屋上の扉を開けた。そしてすぐに校舎内の暖かい空気は吹っ飛んでしまい、代わりに肌を刺す様な
寒さが美夏達を包んだ。
うう・・・寒いのは苦手だぞ、美夏は。ムラサキは平気なのか―――黙ってフェンスの方まで歩いていってしまった。美夏も一応そちらまで着いて歩く。
こんな所で話とはなんだろう・・・、そう思っているとムラサキが喋りはじめた、視線は向こう側の景色を見たままでだ――――何か嫌な予感がする。
「ここってかなりいい景色が見えません?」
「・・・・・ああ、そうだな。島全体でも見渡せてしまうかのような広がりだな」
「ある人とここへ来たのですが、ここが一番眺めのいい所だと言っていました。私もそう思います」
「なぁムラサキ、話って――――――」
「確かにいい景色だとは思います。けれど私にとってはとても印象が悪い場所なんですのよ、ここ。 だって―――私がその人に嘘をついてしまった場所でもあるのですから」
「・・・・・・・」
「天枷さんは――――――――義之とキスしたことあります?」
「――――へっ?」
なんでいきなりそんな事を聞くのだろうか、ムラサキは。それも義之を名前呼ばわり・・・それもいつも言っているかのように、言葉に淀みがない。
嫌な予感は止まらないどころか益々大きくなってきている。そう言うとムラサキはこちらに振りかえり、笑顔を浮かべた。その笑顔は―――笑っている様に見えない。
なによりもその眼だ。まるで美夏を見下しているかのような眼―――いや、実際に見下しているのだろう。美夏の嫌いな人種の人間の眼だからすぐに分かった。
思わず身構えてしまう美夏。そんな様子を見て、ムラサキは笑顔を強めて・・・・・・こう言った。
「義之のキスって少し煙草臭いけど・・・それを上回る魅力がありますわよね? 何回もしてもらった事がありますけど、とても癖になるような味。
特に舌を絡めた時なんかもう最高の気分になれる麻薬のような魅惑の味――――天枷さんはどう思うかしら?」
――――ああ、どうせこんな事だろうと思っていた。義之はモテるからなぁー、それも女癖悪いし・・・帰ったら取っちめてやらないと。
その言葉をどこか美夏は他人事のように聞いていた。信じたく――――絶対に信じたくない言葉だったからどこか現実逃避していたのかもしれない。
そしてチャイムが鳴るのを聞いて美夏は思った――――HR、やっぱり出れなかったな・・・・・と。