「最悪だ」
「人の顔を見るなりそれはないんじゃないか、桜内よ」
起きてまず目に飛び込んできたのが杉並の顔だった。途端に腹が立つオレ。何が悲しくて起き抜けに野郎の顔を見なくちゃいけねぇんだよ。
もそもそとベットから背中を起こして杉並と対峙する。首に違和感―――廊下の出来事を思い出す。スタンガンを首に押しつけられたんだよな。
「あーくそ、首がいてぇ。まさか茜の野郎にやられるとはな。それもスタンガン」
「自業自得だ。あれだけ暴れたのだからな。後で確認して分かったんだがスタンガンの出力は最高だった。いい女友達を持ったな」
「まったくだ。あれだけ綺麗で度胸を持った女はなかなかいない。少し惜しい気もするよ、振ってしまった事をな」
「まぁな。それで聞いた話なんだが――――美夏嬢と別れたそうだな」
「・・・・・・」
起こした背中をまたベットに倒す。よく干しているのか分からないが小気味のいい音を立てる保健室のベット。寝っ転んで目を閉じた。
そのオレの様子を見てため息をつく杉並。片目を開けて杉並を少し睨んだ。なんでオレが杉並なんかに呆れられなきゃいけねぇんだよ。
「美夏嬢と別れた腹いせに暴れたってところか。今回の騒ぎ―――肝を冷やしたぞオレは」
「そりゃお優しい事で。別に退学処分になっても構わねーんだけどな。勉強なんか通信制で出来るし」
「あれはあれで金がまたかかる。高校三年間通うより金額は確かに掛からないがあまり響きはよくない。通信制で高校までの学業を修了、とな」
「そうかよ」
「それで―――原因は何のだ。本当に別れた腹いせだったのか?」
正解とも言えるし不正解とも言える。確かに美夏と別れたことで自暴自棄になった感は否めない。そもそもオレは暴力的な人間だ、その件が無くても暴れたろう。
だが美夏がいなくなったことで歯止めが少し効かなくなっている。音姉と由夢―――謝らなければいけないと思った。
「さてな。なんにしても暴れるつもりだったが正直やりすぎたとは思っている。そこまでオレは暴力的な性格ではなかったと思うんだが」
「あそこの場に居た者は大体が病院送りにされている。朝倉姉も少し骨にヒビが入っているという情報を聞いた。治療費―――芳野学園長が払うそうだ」
「あー・・・。さくらさんに謝らなくちゃなぁ。てか家追い出されるかもしんねぇー・・・。明日から家無き子かぁ」
「お前の処分は停学二週間だそうだ。そもそも先に手を出してきたのは委員会の人間だ。まぁそれでも学園長の私情はかなり入っていると思うが」
二週間―――ふざけた期間だ。あそこまで暴れておいて退学にはならず、あまつさえ極端に短い謹慎処分。オレは思わず笑ってしまった。
まぁこっちで暴れたのはこれが初みたいだし、杉並が言った通りさくらさんが頑張ってくれた結果だろう。本当、大事にされてるよなオレ。
「そうか。まぁなんだっていいや。オレは後もう少ししばらく眠るとするよ。まだ首がヒリヒリするからな」
「ふむ。原因は結局話させてもらえないわけか」
「そんなもん分かるかよ。ただ腹が立って暴れた、それだけだ。それ以上もそれ以下もない」
「――――――そうか」
そう言って杉並は立ちあがる。オレは相変わらず寝っ転んだままだ。首は痛いし布団はふかふかだし起き上がるのも億劫だ。
オレはそのまま再度寝ようとして―――杉並に声を掛けた。ちょうど杉並はドアに手を掛ける直前だった。
「もしかして・・・オレ達の友情に亀裂が走ったかな?」
「・・・フッ」
笑って杉並はこちらの顔をみる。表情はいつも見るニヒルな顔つきだ。こういった皮肉気に笑う所はいかにも杉並らしいと思う。
そして両腕を組んでいつものポーズを取りオレに喋りかけてきた。オレはその言葉を両目を瞑ったまま耳を傾ける。
「桜内は女の世話までしてくれる友人だ。仲が深まるにしても亀裂が走る事などあり得ない」
「なんのことだ?」
「まゆきの事だ。お前が暴れている現場に駆け付けた時まゆきは放心状態だった。知らない仲ではないのでアフターケアなぞしてみたんだが・・・」
「へぇ、お前らしいというか意外というか。優男な部分がやっぱりあったんだなお前は」
目を瞑ったまま笑ってやった。笑われた杉並は幾分か眉を寄せて不機嫌な表情を作る。見てはいないが雰囲気で分かった。
「言ったろう、知らない仲ではないと。現場は廊下一面が血の海だしまゆきソレが作られたいきさつを見ている。放っておくほど俺は無感情ではない」
「さいですか」
「そして色々まゆきと話をしている時にこう言われたのだ。『桜内が言っていたんだけど、杉並は私の事を好きなの?』、とな」
「おーあの男気溢れるまゆきがそんな台詞を吐くとは意外だ。それで―――返事は? お前はなんて返事したんだ?」
「嫌いではないと言っておいた」
「カァーッ! お前ってヤツはっ!」
この男はっ! そんな優柔不断な態度なんか取りやがって・・・! オレじゃねぇんだからさっさとくっ付けよな。そしたらオレが面白くなる。
あの杉並に特定の女が―――そう考えるだけで愉快だ。面白い、面白過ぎる。その時ばかりは非公式新聞部に入ってもいい。記事作成なんか特に任せろ。
そんなオレの考えなどお見通しなのだろう。杉並はまたため息をついて今度こそドアを開けた。その背中にオレは言葉を投げかけた。
「―――なんかよ。色々済まなかったな」
「・・・なぜ俺に謝る?」
「ん、一応だ。オレが謝るなんて滅多に無いんだから素直に取っておけ。増えても減りはしないんだから」
「何の話だ?」
「お前への借りだよ。あまりにも増えすぎた。思わず借金に苦しんで死にそうだよ、マジで」
なんにしても―――色々心配してくれたのであろう。言葉の端々からはそれが感じられた。こんなオレなんかの為になんか心配する必要なんてないのに。
「でも絶対返すつもりだ。それまで高笑いして待ってていてくれ」
「俺がそうしていたらお前は必ず俺の事を殴るだろうな。生憎だが俺は殊勝な人間だ。前も言ったが、気長に待つとしよう」
「そうかよ」
「この件に限った事ではないが―――あまり無茶はするな。借金抱えられたまま刑務所に入られたら堪らんからな」
「ああ」
そう言って杉並は今度こそ出て行った。まぁ確かにそうだわな。借金抱えたままムショになんか入られたら堪らないだろう。特にこういう形に残らないモノはな。
人間関係を円滑にする為には貸し借りを常に0にしておくことだ。そうすれば引け目や優越感など感じないし険悪な雰囲気にもならない。
刑務所なんかに入ったらそれが増す一方だ。返せるモノも返せなくなってしまう。要は人間関係が壊れると言うことでもあり―――杉並はまだオレの事を友と思っている訳だ。
それがなんか少しばかり小恥ずかしい気分になる。ああ―――本当にオレは人間関係に恵まれてきたなぁ。こっちの世界に来てからそれはすごく痛感していた。
前の世界ではこんなに人と触れ合った事など無かった。いつも遠巻きに見られていた。杉並にしてもここまでオレとは関わろうとしなかったし喋りもしなかった。
この世界の奴らが変わっているのか、それともオレが変わったのか分からないが・・・・・・悪い気分はしない。そう思い、オレは布団を深く被り再度寝なおした。
「あら、起きたの」
オレは目を覚まし背中を起こすと水越先生に話しかけられた。いつからいたのかは知らないがどうやら書類整理をしているらしい。書く手を休めてこちらに向き直る。
少し気まずいかな―――オレは水越先生の顔を見てそう思った。美夏との件の事だ。結局美夏の事を泣かせてしまったし、ちゃんと面倒なんかみる所の話では無い。
「おかげさまで。いいベットですね、これ」
「ただの安物よ。保健室にあるベットに学校がお金を掛けると思う?」
「そうですね。けどふかふかしていい気持ちで眠れましたよ」
「よく干しているからね。それに―――あれだけ暴れたのだから疲れてたんじゃないの? みんな病院送りにするほどね」
そして鋭い視線を投げかけて来る先生。当り前の話だが例の件は聞いているらしい。あれだけ派手にやったんだから学園中でも噂になっているに違いない。
オレは目を逸らしまたベッドに沈む。ふかふかのベッドが本当に気持ちいい。しばらくこの余韻に浸りたい気分だ。しばらく学校なんて来れないしな。
「貴方の事は確かに不良かなと思っていたけど―――それ以上だわ。まさか女の子を殴るなんてね」
「返す言葉が無いです。普通なら殴りませんもんね。まぁ・・・別に殴ったって何も思わないですが」
「――――そう。その調子で美夏の事も泣かせたのね。大した男だわ。別れたんでしょ? 貴方達」
「・・・・・・」
それこそ本当に返す言葉がないと思った。オレは顔に手を当て目を閉じる。思い出すのは美夏の笑った顔と泣いた顔。どっちも自分が引き出した感情だった。
「あら、ダンマリ?」
「何も言えませんよ。事実ですから」
「・・・そうやってのらりくらり躱している態度が非常に腹立たしいんだけど、ね」
「別に躱していません。けど―――水越先生にはそう見えたんでしょう。すいません」
「・・・・・・美夏の事はどうするつもり?」
「どうするもなにも―――オレは美夏に振られたんですよ?」
「えっ?」
オレがそう言うと驚きの顔になる先生。なんだ、知らなかったのかよ。てっきり知ってるもんだと思ってたぜ。
顔に乗せている手をどけて先生の顔を見る。説明なんてめんどうくさいことは本当はしたくないのだが・・・バイトの件もあるし全部言う事にした。
このまま監視的なバイトを続けさせてもらえるのかそれとも代わりになる人物を探すのか。美夏との関係を解消された今、それが気がかりだった。
「まぁ全部オレのせいなんですけどね。オレが他の女の子にも目移りしちゃって―――どうやらそれが美夏にバレてしまったみたいです」
「・・・・浮気ということ?」
「オレはそんなつも――――りだったんでしょうね。すごいアプローチを掛けて来る女の子がいたんです。けどそれをオレは跳ね除ける事が出来なかった。
なぜならその女の子に一目惚れしてしまったからです。けどオレは振りました。美夏の事が大事だから。でもその子はオレの事を諦めきれなかったみたいです。
美夏と付き合っていると分かっているのに更に激しい感情をぶつけてきました」
「・・・・・」
今でも思い出すエリカの泣いた表情。悲しそうに揺れる瞳。結局オレは二人を泣かせてしまっている。
本当にロクでもない男だよオレは。甲斐性無しにも程がある。オレなりに頑張ってフッ切ったつもりなんだが・・・それがこの有様だ。
「そして先日、完璧に振りました。オレが不甲斐無いばかりにすごい時間が掛かってしまいました、けれどその子は諦めてくれました」
「・・・そう」
「でまぁ、これからは美夏との楽しい日々が始まるかと思ったんですが―――そうはいかなかったみたいです。どうやら美夏の耳にその事が入ったみたいで」
「・・・はぁ~貴方って人は。本当に女をたらしてどうするのよ」
「そんなつもりでは――――」
「貴方がそんなつもりでなくても客観的に見ればそう見えちゃうのよ。大方気のあるそぶりなんか見せたのでしょう?」
「・・・・・・まぁ、はい」
「はぁ~~~~~~・・・・」
それからオレは先生に少しずつ起きた事を話し始めた。茜、杉並以来かこの話をするのは。その二人以外に話をする事は少し躊躇われたが、場合が場合だ。
一応この人が親代わりでもあるわけだし美夏はロボットだ。何が原因で動作不良なんか起きるか分かったモノではないしオレもそんな事は望んでいない。
オレがエリカとキスを何回かしていると言った時、先生はものすごい顔をしていた。まるで人質を殺された親族みたいな顔つきだ。少し怖かった。
そして最後まで話し終えたオレは一息ついて天井を見る。あーあ、話しちゃったよ全部。まぁしょうがねぇっちゃしょうがないか。
「・・・何か引っ掛かるわね」
「何がです?」
「一緒に学校へ行った時には普段通りだったわけよね? いつも通り手なんか繋いじゃって」
「・・・・なんで知ってるんですか?」
「だって貴方達は研究所でも手なんか繋いでるじゃない、まったく。ここはお前らのデートスポットじゃねぇっていう話なのに」
おっと脱線しちゃう所だったわね。そう言って先生は話を続けた。というかそんな風に見られていたのか。もう少し自重すべきだったか。
「そんなに仲よかったのに帰る頃には態度が急変していた。そういう事よね?」
「まぁ、はい。多分噂か何か聞きつけて――――」
「噂なら確かめる筈よ。本当に浮気しているのか、義之は本当にそんな事しているのかって」
「・・・・・」
そうだ――――考えればおかしい話だ。別に現場を見たと言う訳でもないし、オレがそういう話をした訳でもない。帰る時には態度が急変していた美夏。
学校で何かあったのかは間違いない。その噂を聞いたとしても、急にあの態度になるのは美夏らしくない。美夏の性格なら直接オレに聞いてくる筈だ。
なのに聞いてこなかった。聞こうとする素振りさえ見せなかった。茜かエリカに直接聞かないとそんな態度・・・・・・・・・・・・ああ、そういう事か。
「・・・・・・・・・・・・・・・・やりがったなあの女」
「え?」
オレは布団を跳ね除けてベットから降り立つ。先生は怪訝な顔をしてその様子をみているが構いはしない。オレは色々ありがとうと先生に言って部屋を出る。
そして深呼吸―――また感情的になってはダメだ。冷静に、冷静に話をしなくてはダメだ。しかしそんな事を思っていても腹の中は煮くり返りそうだった。
「こんな事オレが言うなんておこがましいが――――――裏切られた気分だ」
そう、確かにおこがましい。散々人の気持ちを弄んできたオレが言うのなんてあまりにもおこがましい。どれだけ涙を流させたなんて分かったもんじゃない。
あの時彼女は言った。友達になってくれと。それが嘘だと分かりオレは少なからずショックを受けていた。オレを騙していて、あまつさえこんな真似をするなんて。
確かに茜みたいなタイプは少ないだろう。惚れていた人と友人になる―――そんな真似を出来るヤツなんて世界でも一割に満たないとオレは思う。
だが美夏の事を泣かせたのは許せない。帰り際の美夏の顔、思い返せば涙の跡があった。そして激情に捕われているであろうエリカ。どんな行動をしたかなんて
考えたくもない。考えたらきっとエリカにオレは酷い事をしてしまうだろう。
とりあえず話し合おう。また感情的になっちまえば話なんてとてもじゃないが出来やしない。ただでさえ昼間の件でオレは気に病んでいたというのに。
家族同然の女を足蹴りにし、新しく出来た親友に手を出したオレ―――表面上は冷静な態度を取っているが罪悪感で心は埋め尽くされている。こんな感情は初めてだ。
「許して貰おうという都合のいい考えなんて・・・しないけどな」
土下座してもいいなんて考えまで出てきている。良くも悪くも変わり過ぎた自分。理由は分かっている。美夏の影響のせいもあるがもっと根本的な問題。
確証なんてものはないが最近のオレらしくない行動―――人に優しくしたり行き過ぎた暴力行為。確実にソレだとオレには分かっていた。感覚的にもおそらく
まちがっていないだろう。
だが今はそんな事は後回しだ。エリカ――――どういうつもりなのかハッキリさせてやる。もう友達なんていう感覚はしなかった。
「よう」
「あ、お疲れ~義之くん」
帰る途中に茜達に会った。どうやらこれからどこかへ行くみたいで雪村や小恋達と一緒だ。茜以外の二人はオレの顔をみて表情を強張らせている。
まぁしょうがないか。あれだけの事をしでかした現場にいたのだから。茜が止めてくれなければこの二人にも危害を加えていたに違いない。
「今起きた所なのぉ?」
「まぁそんな所だ。しかしスタンガンてすごいんだな。まるで体のいう事がきかなかった」
「高かったんだよぉ? まぁどうせ買うならちゃんと実用的に使える物がいいしねぇ。義之君でその効果が分かったから悪い買い物じゃ無かったわぁ」
「あんなの体の一部にでもカスっただけで動けねぇよ。ここ最近、喧嘩で膝をついた事なんかねぇってのに・・・大した女だよ、お前」
「えへへ~」
何が嬉しいのか微笑みの表情を作る茜。それに対して小恋がちょっとと声を掛ける。茜はその言葉に首を傾げながら振りかえる。何故止められたのか
分かっていないみたいだ。
まぁ普通は喧嘩した相手と直後にここまで和やかに話すのは無いわな。それに相手はオレ。何をしでかすか分かったもんじゃない。
小恋はオレの顔をチラッと一瞥してそのようなニュアンスの言葉を茜に投げかける。その言葉に茜は笑った。
「大丈夫だってぇ~。義之君が止めて欲しいって言ったから止めたんだからぁ。私は全然悪くないもんねぇ~」
「た、確かにそうだけど・・・」
「別に何もしねぇよ。むしろ感謝したいぐらいだ。あの時はすごいキレてて自分では止められなかった」
「もう目がイっちゃってたもんねぇ~、怖かったわぁ」
「・・・そんな感じはしなかったけれどね」
「あーヒドイんだぁ杏ちゃん。私は杏ちゃん達を守るのに必死で戦ったんだよぉ? このキラーマシン相手に」
「・・・ああ、電流で痺れて動かなかったってそういう――――」
「いや、うっせーよ」
雪村はこの固い雰囲気を壊すかのように冗談っぽく呟いた。オレは苦笑いしながら雪村の頭に手をポンと乗せる。ビクつく雪村の体。
そんなに心配しなくてももう暴れたりはしない。殴られたら話は別だが。なんにせよ昼間みたいな事はもう懲り懲りだ。
しかしこいつ美夏に劣らず背が小さいな。ちゃんと飯食べてるのかよ。茜と比べれば月とスッポンだぞ。
「ちゃんと飯食べてるのかよ、雪村」
「・・・ほどほどにはね」
「ふーん」
そう言いながら頭を撫で撫でする。あーなんか心地ええ。なんだか猫を撫でている気分に駆られる。雪村ってなんか小動物っぽいしな。
髪もちゃんと手入れが行き渡っているのか透き通っている。そして感じる視線―――茜がこちらをジーッと見ていた。
「また義之君が女の子を手籠めにしてるぅ~! 美夏ちゃんに言いつけてやるからねぇ!」
「別にそんなつもりじゃねぇよ」
「・・・よ、義之?」
「なんだよ雪村」
「あ、貴方ってこんな事をいつも女の子にしてるの?」
「ん?」
今の体制―――雪村の肩に手を置いてこちらに抱き寄せていた。ピッタリくっついている雪村の体。故意的にやった事ではなく無意識での行動だった。
ちょうど美夏ぐらいの背丈で思わず引き寄せてしまった。オレは慌てて雪村の体を離した。
「あ、わ、悪い雪村。そんなつもりじゃなかったんだが・・・」
「べ、別に謝る事なんて無いわよ」
「ジー・・・」
「あんまり痛い視線を投げかけないでくれ、小恋。悪気は無かったんだ」
「へっ!? あ、いや、そんなつもりじゃなかったんだけど・・・あ、あはは」
小恋の痛い視線を感じてオレはそう喋りかけた。小恋はどこか誤魔化すような笑みを浮かべている。雪村は頬を赤く染めながらそそくさと離れてしまう。
その様子を見ていた茜からはため息交じりの言葉を掛けられる。本当に懲りてねぇのかよオレは。そしてどんだけ美夏の事恋しがってるんだよ。
「あんまりおイタしちゃだめよぉ~義之くん?」
「分かってるよ。すまなかったな雪村も」
「・・・別に構わないわ」
「そうか。今度からは気を付けるよ」
「―――変わったわね、貴方」
「あ?」
そう言って雪村はオレの眼を見た。まるで何かを見通すように。
「いえ、変わり過ぎだわ。ここ最近の貴方はは急に暴力的になった。さっきの昼間の件だって異常だと思ったもの」
「まぁ、正直・・・やりすぎた感はあると思っているよ」
「そんな事が起きた直後なのにも関わらず今は殊勝な態度を取っている。感情の浮き沈みが激しすぎるのよ、貴方」
「――――水と油って混ざり合わないっていうけどさ、結局混ざっちまうんだよな。すごく時間がかかって色々な科学反応みたいなのを起こしながらな」
「え?」
そう呟いてオレの事を呆けた目で見ている雪村。そりゃそうか、いきなりこんな訳の分からない話をされたら普通こんな反応だよな。
しかしオレとしてみれば雪村の疑問に答えた形になる。オレなりの答えだけどな。別に全部を全部言う必要はないだろう。面倒だし言う義理も無い。
「まぁそんな事もあったせいか―――美夏と付き合える事が出来たんだから悪い事ばかりじゃない。結局別れちまったが」
「えっ?」
「ちょ、ちょっと待ってよ義之くんっ! あ、天枷さんと別れたってどういう事なのぉ!?」
「よ、義之が付き合ってるって・・・それも別れたって・・・え? え? ええっ!?」
オレがそう発言すると各自色々な反応を返してきた。というかやかましいよお前ら。女の叫ぶ声ってなんでこんなにも耳障りなのだろう。
あんまりそういう声って好きじゃないんだから黙れっての。というか茜はオレの服を離せ。伸びるだろうが。
「どういう事って・・・言葉通りの意味だよ」
「なっ!? 意味が分からないわっ! あれだけ天枷さんは義之の事が好きだったのに―――――」
「オレに愛想が尽きたんだと。どうやら美夏とオレが付き合ってて面白くない人物が居たらしい。オレ達の事を別れさせた奴がいるんだよ。多分だけどな」
「だ、だれよその人っ!?」
「お前も心当たりのある人物だ。オレと美夏を別れさせてオイシイ思いをするやつ」
「そんなの知ら―――」
茜はそこまで言いかけて気づいたのだろう。何やら顔を伏せて考え始めた。雪村達はオレ達の話に付いて来れず置いてけぼりをくらった形になっている。
落ち着かない様子でソワソワしていた。いきなりオレなんかみたい奴に彼女が出来て、それも別れていると言う飛躍っぷり。それも陰謀論付きだ。
小恋がなんでテンパっているか分からないが―――雪村はどこか納得した表情になっている。美夏と一緒にいるところ見られたもんな。
「あ、あ、あんの金髪~っ! とうとうやらかしたわねぇ~!」
「とうとうって―――そんな風に思っていたのか、茜」
「あったりまえでしょぉ~!? 素直に引き下がる訳ないと思ってたのよ私っ! もう義之くんを奪うなら何でもするって感じだったしあの女はぁっ!」
そう叫ぶ茜。オレより多分怒っているのかもしれない。オレは多少引け目を感じているのでそこまでは怒っていない。いやそれでも人生の中でベスト5に
入るぐらい腹は立ってるけど。
「まぁ、そんなこんなでその金髪お嬢さんの家に行く途中って訳だ」
「だったらこんな所で油売ってないで行きなさいっ! もうボコボコにしちゃっていいからっ!」
「・・・いや、さっきの今でそんな気分はしねぇよ。ちゃんと話し合いで解決するつもりだ」
「あの女が話し合いで解決出来る程の器量の女だと思う!? ほら、さっさと行って取っちめって来なさい」
そう言ってオレの事を手でグイグイ押す茜。その様子をまたもや雪村達は呆けた目で見ていた。流れが急過ぎて話についていけないんだろう。
それにしても茜はエリカの事を余程嫌いなんだなぁ。廊下でも一触即発だったし。今なんてオレの代わりに殴り込みに行くと言わんばかりの表情だ。
オレは雪村達にそこそこ別れの挨拶を済ませて茜に押し出されるように小走りをし始めた。後ろからはブン殴っちゃえという言葉を投げかけられながら。
あまり暴力で解決したくないんだよな、この件に関しては。そもそもの問題はオレにある訳だし。一応思いっきり皮肉を浴びせようとは思っているけど。
美夏の事は出来るだけ考えないようにしておく。少しでも思い出したら茜の言うとおりの行動をしてしまうかもしれない。それはしたくなかった。
なんにせよ―――まずはエリカと会おう。そして色々話をする。オレは感情的にならないようエリカとの段取りを考えながらそう心掛けた。
「ふふっ、義之が自分から私の部屋に来てくれるなんて・・・珍しいわね」
「・・・」
そう言ってエリカはオレの目の前にお茶を置いた。お茶を入れる動作はいつも入れているかのようにスムーズな動きだった。
オレはそのお茶に手をつけないで本題に入る事にした。ただでさえエリカの部屋に長居はしたくない。まだオレの心にはエリカに対する
気持ちが残っていたからだ。
「・・・美夏に何か吹きこんだろ、お前」
「・・・・・」
「黙っていないで――――」
「そんなことより私とお話しましょう。義之ったら友達の癖に私の部屋に遊びにきてくれないんですもの」
そう言ってオレの隣にエリカは座り込んできた。顔は嬉しくて堪らないといった表情で腕なんかを組んできた。
「友達は腕を組んだりなんかしない」
「私の国では友達でも腕を組んだりしますのよ? 別にいいじゃない」
「生憎ここは日本だ。郷に入りては郷に従えという素晴らしいことわざがこの国にはある―――離れろよ」
「ふふ・・・いーや」
そして更に腕に力を込めてくるエリカ。ワザとではないのかそうなのか―――いや、きっとワザとなのだろう。胸をオレの腕に当ててきている。
オレは振りほどこうとしたがいやいや言いながら一緒に揺れるエリカ。放っておく事にした。
「義之ったら彼女が出来てから私にあまり構ってこないんですもの。寂しかったですわ」
「友達ならいくらでも構ってやるさ。友達ならな」
「・・・どういう意味ですの?」
「お前、本当にオレの友達になったのか? もう一度聞く、美夏に何か吹きこんだな?」
「・・・知りませんわ」
プイっと顔を背けるエリカ。そんな態度を取っていてはしたと言っているようなもんだ。消去法でエリカじゃないとすれば茜が美夏に何か吹きこんだ事になる。
しかし茜はそんな真似はしない。そこまでオレは茜を信用しているし本当に友達だと思っているからだ。茜はオレと美夏を応援してくれていた。
それは演技かもしれないし嘘の発言かもしれない。だが茜をオレはとても信用に値する人物だと思っている。何も確証はない―――だが信じさせる何かを持っていた。
「悪いがお前の事をいまいちオレは信用出来ていない。美夏に何か吹きこんだ事を黙っていた事にしてもそうだ。
別に誰だって隠し事の一つや二つある。別にそれを無理に聞きだそうとは思っていない。だがお前の今までの
行動から察するにこれだけじゃ終わらないだろう。最近のお前は見境が無くなる事が多い。今後の付き合い方
を考える必要があるな」
「・・・・・」
主に美夏とオレが付き合い始めてからその行動に余裕が感じられなくなってきてはいた。茜との怒鳴り合いでも杉並との件でもだ。
オレの事しか見えていない―――杉並は確かにそう言っていた。オレもそうだと思うし愛される事に関しては感謝したいぐらいだ。
だが、限度というものがある。エリカのソレは行き過ぎた行為だ。オレの事はどうにだってしていい―――美夏の件でオレはエリカの事を
許せなくなっている。
「――――――そう、私の事を信用していないのね。義之は」
「あ・・・」
そう言って悲しげに顔を伏せる。演技だとすぐに分かる。その震える肩も悲しげに揺れる目も全部―――――作り物だ。
だがそんな作り物にオレは弱かった。ギリッと歯を噛み締めた。ここで弱気になったんでは何の為にここまできたか分かりはしない。
目の前に置かれているお茶を一口飲んでオレはエリカの方に向き直った。
「・・・そんな目をしても無駄だ。悪いが金輪際お前とは口を聞きたくない。こんな真似をするヤツなんか―――ダチでもなんでもねぇ」
「―――――――――・・・・・・・」
「邪魔したな。オレは帰るよ」
そう言ってオレは立ち上がる。いや、立ち上がるつもりだった。立ち上がれなかった。エリカがオレの事を押し倒してきたからだ。
そして唇に感じる柔らかい感覚。キスされたんだとすぐに分かった。エリカは口付けをそっと離し、オレの顔を覗き見る。
「ねぇ。義之って天枷さんと別れたのよね」
「だったらなんだ」
「昼間の件ってもしかしてそれが原因?」
「そうとも違うとも言える。だがお前には関係の無い話だ。そこをどけ―――――」
「私、義之の事を愛しているわ。何度も言ってるけど手放したくないと思っている。このまま私から離れるというのなら―――そうね、死ぬわ」
エリカはそう言って立ちあがった。死ぬって・・・冗談もほどほどにしてもらいたいもんだ。大概そう言うヤツに限ってビビって何もしない。
オレはエリカがやっと退いたので帰る事にした。いつまでも付き合っていたらエリカのペースに巻き込まれる。そうなったらいつものなぁなぁな空気になる。
義之―――そう言われてオレは振り返りった。エリカは手にはナイフを持ち、持っていない手の手首の動脈にあてがっている。オレは少しため息混じりに深呼吸した。
「・・・なんだよ。死ぬのか、お前」
「ええ。義之が相手にしてくれないっていうなら死んでも構わないわ」
「死んだらお前の国ではすごいスキャンダルになるな。『姫さまの自殺、日本国の対応は如何にっ!?』ってな」
「――――――別にもうどうだっていいのよ、そんな事。義之がいなくなったら意味が無いから・・・」
少し・・・・・・見誤っていたかもしれない。オレは一応いつでも取り押さえられる体制を取る。重心を低くしてすぐダッシュ出来る体制を作った。
あの誇り高く自国を愛しているあのエリカの発言とは思えない。いつでもエリカは自国を愛している様に話していた。その度にオレは適当な相槌を打っていた。
しかし心のどこかでそれを少し尊敬していた。自分よりも年下ながらも本当の貴族の様に振る舞い、王としての威厳に満ちていた。憧れといってもいい。
だが今のエリカにそんな面影はどこにもない。オレの前にはただただ悲しそうに立っている女の子がいるだけだった。
「・・・悪いがそんな事をしてもオレはお前を引き留めたりしない。構ってちゃんの相手をするほどオレは優しくない、知っている筈だ」
「いいえ。義之は本当は優しい人間よ。今だって私を見捨てないで帰らないでいてくれる。絶対に義之は私から離れないわ」
「随分余裕だな。というか――――――さっさと切ればいい。その手首をな。あんまり頭に来る行動はしないでくれ。オレは別にお前が死んだって構いやしない」
「・・・・・・・・」
なまじ構うからこんな行動を取ったとオレは見ている。無理を言えばこの人は私の言う事を何でも聞いてくれる――――舐められていると言ってもさしつかえない。
そんな行動を取るエリカに頭にきながらもオレは冷静にエリカの様子を窺う。切れる筈が無い。エリカは本当は小心者の筈だ。そんな度胸ある訳が無い。
「そこまでしてオレなんかを引き留めてくれる気持ちは嬉しい―――が、気持ちだけ受け取って置くよ。もちろんその気持ちに対して何も返さないけどな」
「――――――そう。残念だわ」
「ああ、じゃあな」
多分これで最後の会話になるだろう。学校ですれ違ってもオレは絶対に話しかけたりしない。好きな気持ちは確かにまだ心にはある。
だがオレの中ではエリカとの事にはもう決着が付いている。美夏の言葉ではないが―――もう終わっている事だった。そして今度こそオレはドアを開けた。
「じゃあね、義之」
そう言ってエリカは、なんの躊躇いも無く、自分の手首を掻き切った。直後まるで壊れたホースのように血が噴き出した。一瞬にして廊下は血に染まった。
「お、おいっ!! エリカっ!!」
反応―――出来なかった。普通は自分の手首を切るのには抵抗がある筈だ。人間の防衛本能と言ってもいい、一瞬だけだが人間には硬直出来る時間が
出来るようになっている。
だがエリカにはそれがまるで無かった。朝起きて欠伸をするか如く当然のように手首を切った。反応する時間なんてまるで与えられなかった。
「・・・ふふっ、ほらね、義之はちゃんと、来てくれ、た」
「こんの馬鹿野郎っ!! いいから喋るなっ! 手は上に挙げとけっ! 絶対にこの位置から下げるなよっ!」
急いでオレはエリカの元に駆けつけ手を上に挙げた。気休め程度だがやらないよりはいい。心臓より上の位置に傷口を置けば出血は幾分か出にくくなる。
包帯の場所―――探している暇なんか無い。こいつは横に切ったんじゃなく縦に傷を付けた。より効果的に出血する方法だ。本当に死ぬ気だったんだろう。
「・・・くそったれがっ! こんなくだらねぇ真似しやがってっ! てめぇいい加減にしろよなっ!」
「だっ、て・・・義之が・・・いなくなっちゃう、ぐらい、なら・・・」
「ああっ!? うるせぇよ馬鹿っ! 他にもやりようなんてあっただろっ!」
手首からの出血で死ぬ確率は低いらしい。体内の血液は人が思っているより多く、死ぬまでに結構な時間が掛かるらしい。だから昔の人は首を切ったりなんかした。
しかし今の現状を見るにそれが本当か疑わしい。止め処なく血は流れているしオレの手も真っ赤だ。あまりも予想外の展開でオレの頭は少しパニックを起こしていた。
自分のシャツをビリビリと破り、何重にして傷口をきつく圧迫する。肘関節の所にもシャツを巻いた。エリカはキツイと言っていたがそんな言葉は無視した。
死んでしまう事と比べれればそんな痛さなど比べるの事などおこがましい。手首の自殺は早めに止血処理を施せばすぐに助かると聞く。オレは急いで止血をした。
ちくしょうっ! またオレの判断ミスだっ! まさかそこまで思い詰めてたなんて・・・。オレはパニックになりかける頭を無理矢理押さえつけ、エリカを助けた。
「今日は泊まっていくからな」
「・・・えっ?」
「オレがやったのは素人処理の仕方だ。本当なら病院へ行って適切な処理をしたほうがいい。けどお前はそれを極端なまでに嫌がっている」
オレは病院へ行った方がいいと言った。しかしエリカはそれを拒んだ。確かに傷口は綺麗に切れていた分収まるのも早かったし、あの調子だと傷は残らないだろう。
だがオレは医者ではない。素人判断でもし何かあった場合、オレは悔やんでも悔やみきれない。だから病院に行ってちゃんと診断してもらった方がいいと言った。
しかしエリカは嫌だと言った。理由―――ふざけた理由だ。手首を切ったなんて知られるのが恥ずかしいというものだった。オレは殴ってでも連れて行こうとした。
それでもエリカは頑固として譲らず、その代わりにオレに付いてて欲しいと言った。確かにこいつは無駄にプライドが高いからそんな事を知られたくなんて無かった
のだろう。例え相手が医者でも。
「だから今日はお前の家に泊まる。何かあったら困るしな。また自殺未遂なんかされたらたまらねぇ、オレが付いててやる」
「・・・うん」
「よし。そうと決まればさっさと風呂を入れて来い。オレは料理を作るからな」
「ちょ、ちょっとっ! ここは私の家なんですのよっ!?」
「うっせーよ。お前にもうそんな権限はもう無くなっている。フローリングの血を完璧に落としたのは誰だ?」
「う・・・」
「ああいったものは退去する時にかなりの金を取られる。ましてや血だ、そんな所に住みたがるヤツなんていない。迷惑料が何倍にも膨れ上がる。
確かお前は無駄な金を使わないのは国民の為と言ったな? オレはその尊いルールを守った訳だ」
「わ、分かりましたわ・・・お風呂入れてきます・・・・」
「ああ」
渋々といった感じでエリカは風呂場に向かった。さてと、と呟いてオレは料理を作る事に専念した。さくらさんへの連絡はエリカを休ませる時にもうしておいた。
と言っても留守電になっていたのでそれに伝言を入れただけだが。おかげでオレは気まずい雰囲気を味わなくて済んだ訳だ。まぁいづれはちゃんと話し合うのだが。
「とりあえず今は料理を作る事だな。材料からしてあり合わせのもんしか出来ないが・・・構わないな」
この女はどういう生活を送っているんだか・・・。料理が出来るのに面倒という理由だけで多分作っていないのだろう。だから胸が小さいんだよ。
しかし―――またエリカの家に泊まってしまう事になるとは・・・。それに本気で自殺未遂を起こしたエリカ。もう放っておく事なんて出来やしない。
美夏との問題はまだ残っている―――が、どうやらそんな事を言っている場合では無くなってしまった。
「はぁ~・・・なんか色々な事がごっちゃ混ぜになっちまって訳分からねぇ・・・。どれから手を付ければいいいやら」
美夏ともちゃんと話しをしたい。そして願わく復縁をオレは望んでいる。しかしエリカの件もある。先程の事をもうやらかさないとは限らない。付いていなくては
駄目だとオレは判断している。
結局―――またオレは悩み続けている。そんな憂鬱な気分になっていると風呂を入れたとエリカに声を掛けられた。本当に今日は疲れる事ばかりでクタクタだ。
そういう日はさっさと風呂に入って寝るに限る。オレはエリカの言葉に曖昧に頷きながら料理の手を速めた。
「――――――ふふっ」
「何笑ってるんだよ」
「いえ・・・ね。まさかまた義之と一緒に寝られるなんて思わなくて」
「あんまり調子に乗るな。今度あんな真似したらオレが殺してやる」
「・・・それもいいかもね」
「おい」
「ふふっ、冗談よ」
お前の言葉はもう冗談に聞こえないんだよ、まったく。今のお前は本当にそう思ってそうで怖いっていう話だ。
オレは寝返りを打ってエリカに背中を見せる。その様子にエリカはどこかすねるように言葉を吐いた。
「つれないんだから、義之は」
「だれかさんのせいで美夏と別れちまったからな。態度も冷たくなる」
「・・・・ねぇ――――――」
「お前と付き合う気はないよ。もう一回オレは美夏と話し合いをしてみる。そして出来たらもう一回やり直そうと思っている」
「・・・・・そう」
「ああ」
そう言って少し気まずい雰囲気が流れた。自分でも矛盾した行為だと思っている。お前なんかにまるで興味がないと言葉では確かに言っている。
だったらなぜ家まで泊まって面倒を見る? 背を後ろに向けながらそのエリカの手を握っているお前の手はなんだ? なぜ離さない?
ようはそういう事だった。また思わせぶりな行動をオレは取っている。だが離すつもりはなかった。更にオレはエリカの手を握り込んだ。
エリカが自分の手首を切った時、思わずオレはなにもかもエリカに謝りたい衝動に駆られた。何もかも―――全部の事に対してだ。
冷たくしてゴメン、気持ちを受け取れなくてゴメン、友達なんてある意味酷な扱いをしてゴメン・・・・・・美夏と付き合ってゴメン。
オレはエリカに対して好きだという気持ちを捨て切れていなかった。とんだ偽善野郎だ。茜にグ―で殴られた方がいいと思う。
「ねぇ、義之」
「――――あいよ。なんだ?」
「こっち見て」
「んでだよ? 面倒くせぇ・・・」
「いいから」
オレにはエリカが何をしたいか分かっていた。分かっていながらオレは振り向く。そしていつもどおりのキスをエリカはしてきた。
最初は甘い感じでオレの唇か甘噛みしてくるエリカ。オレもそれに反応してエリカの唇を舐め上げる。うれしそうにエリカもオレの唇を舐め返してきた。
徐々に熱は高まっていき、頭がボーっとするような感覚になる。深くオレ達は舌を出し入れして唾液の交換をする。
「んうぅぅ・・・ん・・・・んんんっ」
「・・・・っ」
舌が引き千切れんばかりにオレの舌を吸い取るエリカ。まるで舌に充血している血液を吸い取るかのような吸い方だった。思わず腰が引けてしまうほどの快感。
まるで赤ん坊が母親の乳房を吸い取るかのように・・・いや、それ以上に激しいキスとも呼べないキスだった。エリカらしい情熱的なキスだった。
そして呼吸をする為に口を離した―――瞬間、オレはエリカの頭を抱え込んで今度はオレからキスをした。まるで仕返しと言わんばかりのキスを。
「んんんっ!? んっ、んん、んーーーー!!」
「・・・ん」
まさかオレからやってくるとは思わなかったのだろう。エリカの驚いた感情がオレに伝わってきた。オレからキスをするのなんてこれが初めてかもしれない。
さっきまでの勢いはどこへいったのやら懸命にオレの舌から逃げようとするエリカ。しかし徐々に舌を上手く動かして逃げ場を無くしていった。
そして追いつめたエリカの舌にどっぷりオレの舌を絡みつかせてやった。体を強張らせるエリカ。興奮と緊張と快感のせいか繋がられた手にはじっとり汗をかく。
ついでにエリカの慎ましい胸も揉んでやった。途端にビクつくエリカ、だが逃げようとはしなかった。むしろもっと味わって欲しいと言わんばかりに胸を押しだしてきた。
「んん・・・! んっ、ぷはぁぁぁぁぁ」
「・・・・はぁ、はぁ」
「・・・・ふふ、久しぶりに義之とキスをしましたわ。もう出来ないと思っていたのに。それに義之からこんなにも求めてきてくれるなんて」
「・・・・・・」
「――――――今日の義之は、なんだか情熱的ね。今までいくら私が迫っても手は出してこなかったのに・・・。まぁ嬉しいからいいですけど」
そう。オレはどんな事があっても自分からエリカに手を出してきた事はなかった。心にはいつも美夏の影があり罪悪感があったからだ。
今でもその罪悪感はある。だが―――オレはまたもや心が揺らいでしまっていた。もうニ度々グラつかないと思っていた心がグラついていた。
美夏と別れたのは全部エリカのせい・・・果たしてそう言えるのだろうか。本当にエリカだけのせいなのか。自分に非はないのか。
美夏も美夏で反論はしなかったのか。オレが一生守ってやると言った言葉を信用出来なかったのか。別れるなんて言わない事も出来たのではないか。
疑心暗鬼になっていると言ってもいい。頭ではなんとなく理解している。美夏はとても心優しい奴だ。きっとオレの為云々とか言われてその言葉を吐かされたのだろう。
しかしそんな事をしでかしてもエリカはオレの事を手に入れようとした。必要としてくれた。愛していると言ってくれた。死んでもいいとも言ってくれた。
確かにやり方は汚いと思う。だが、じゃあ綺麗なやり方などあるというのだろうか? 誰も傷付けないでみんな笑って仲良く出来る方法があるというのだろうか。
元々オレはエリカに一目惚れをしていた。そんな人物がここまでオレの事を想って行動してくれている。涙が出るくらい嬉しい事だと思う。
美夏と付き合っている時は出来るだけその事を考えないようにしていた。考えたらいつ転ぶか分からない。そんな不安な気持ちがあったからだ。
しかし美夏と別れた今、エリカの行動はとても魅力的に映ってしまった。オレがいないぐらいなら死んだ方がマシと手首を切ったエリカ・・・。
口先では美夏の事を考えているといいながら反対の行動を取っている自分。どうしようもなかった。
「ねぇ・・・見て」
「あ―――」
エリカはベットから起き上がり―――寝巻のシャツを抜いで肌を晒した。愛しい人の半裸姿。外見からスタイルはとてもいい事は分かっていたが・・・脱ぐと
本当にそこらのヤツとは別格だという事が分かる。
まるで人魚のような綺麗な姿。興奮しているのか、乳房の桜色の突起物が立っている。オレの視線に気付いたのかエリカは恥ずかしそうに顔を赤らめる。
だが隠そうとはしない。そんな艶めかしいエリカの姿に思わずエリカの体を引き寄せてしまう。エリカは小さな悲鳴を上げてオレの上に倒れ込む形になる。
「・・・綺麗な体だな。エリカ」
「・・・・・・ありがとう、嬉しいわ義之」
「別に本当の事を言ったまでだ。まるで人魚みたいに綺麗だったよ」
「も、もう・・・義之はすぐからかうんだから・・・・」
「・・・はは。本当に本当なんだけどな」
「―――ねぇ、義之」
「ん?」
「別に今すぐ恋人になってとは言わないわ。汚い手を使ってまで義之を手に入れようとした私だけど・・・義之の気持ちの整理が付くまで待ってる」
「・・・・・・」
「ただ今は――――――私の事だけを見て」
そう言って静かにキスをしてくるエリカ。眼はあの悲しみの色に彩られている。そして小さく―――本当に聞き逃してしまう程の音量である言葉をオレに言った。
オレは返事の意味でキスをしてやった。途端にエリカは花が咲いたかの様に笑顔になり、また激しいキスをしてきた。
エリカが呟いた『抱いて』という言葉。前に言われた時は断る事が出来た。今回―――それに抗う理由が見つからなかった。
そしてオレはエリカの事を抱いた。壊れないように優しく、丁寧に、愛おしく抱いた。エリカは初めての痛さに涙しながらも微笑みの表情を作っていた。
そんな幸せの表情を見ていると――――――いつしか美夏の事は考えなくなっていた。