「別に枯らしちまっていいんじゃねぇか?」
「なっ――――」
「お、弟くんっ!?」
そして驚く面々。オレはその脇を通って桜の木に触れた。この世界に来る前にいた世界と同じ感覚、自分の存在があやふやなものになる―――どうやら夢の世界に
来てしまったみたいだ。最近夢なんて見なかったのに珍しい事だと思う。
まぁ面々と言ってもさくらさんに音姉だけだが。ずっと前からこの世界に居たんだがなんか取り込み中だったようでオレはずっとおとなしく寝っ転がっていた。
しかし内容を聞いていると、だ。何やら桜の木を枯らすとオレが消えてしまうという物騒な内容が耳に入ってしまい他人事な話ではない事が分かってしまった。
だからオレはさくらさん達の話に割って入った。いきなり現れたオレに驚きながらも音姉がオレに話しかけてきた。
「な、なんでここにいるのっ!?」
「懐かしい感じだ。この上にいるのか下にいるのか分からない感覚―――死んだ時の事を思い出すよ」
「え?」
まさかまたこんなファンタジーな世界に来るとは思わなかった。というよりオレは魔法が使える事を忘れていた。最近はメルヘンな出来事と遠ざかっていたからなぁ。
魔法、ね。なんとも便利な言葉だ。不可能を可能にし、幸せをもたらす―――ふざけた言葉でもある。少なくともオレは魔法使いなのに周りを傷つけてばかりだ。
美夏やエリカ、茜だけじゃない。それ以外にもオレは多くの人たちを傷付けてきた。男女関係なくだ。
「それにしても―――音姉が魔法使いか。なんだ、案外メルヘン連中って多いんだな。よくロシアにはそういった者、超能力者が多いとは聞くけどな。
人体実験を国絡みでやっているし、軍全体で進んでやっている。もしかしたら一番魔法使いが多いのってロシアなのかもな」
「お。弟くんっ! 私の質問に――――」
「すまなかったな、音姉。暴力振るっちまって」
「えっ―――」
まくしたてる音姉の言葉を断ってオレは謝った。素直に頭も下げる。そんな様子のオレを見て音姉は少し戸惑っていた。
音姉に会ったらいの一番に謝りたかった。歯止めが効かず音姉の肋骨にヒビが入る程の蹴りを入れてしまった事実―――申し訳ない気持ちだった。
頭を上げ今度はさくらさんに向かい直る。さくらさんは戸惑いながらもオレと眼を合わせてくれた。
「さくらさんもすみませんでした。昼間の騒ぎ―――暴れてしまって」
「あ・・・べ、別に謝る――――――・・・・と、いや、そうだね・・・・・・・うん。あまりにも驚いちゃって、頭の上に置いていたはりまおを落としちゃったよ」
「本当にすみませんでした」
そう言ってオレはまた深く頭を下げた。別に珍しい事ではない。前の世界に居た時もこんな風によくオレはさくらさんに頭を下げていた。
そしてオレは頭を上げさくらさんと音姉の顔を見回した。桜の木に寄りかかりポケットに手を突っ込む。煙草でも吸おうかと思った・・・・・が生憎持ち
こめなかったみたいだ。というか今の状態はエリカがオレ用にと買っていたパジャマを着ているという風だった。煙草は確か制服の中だったと思い出す。
「なんでここにいるか・・・だっけ? 音姉」
「う、うん」
「来たくて来たわけじゃない。オレは・・・・・魔法使いだがロクな事が出来ないしょうもない人間だ。たまたま引き寄せられたんだろう」
「―――――そう」
「ん?」
なんだか反応が薄いな。魔法使いだとバラしたんだからもっと驚いて腰でも抜かすもんだと思っていたが。まぁ音姉は話を聞いてる限りじゃ
結構魔法を使いこなせるみたいだからオレみたいな人間がいるという知識があるのかもしれない。でも身近な人が魔法使いという事実にもっと
驚いてもよさそうなもんだが・・・・・・まぁ、いいか。
それにしても―――そう思い桜の木を見上げた。この枯れない桜の木がなんでも願いを叶えてくれるという不思議な木だったとはなぁ。
驚く半面・・・なぜか納得してしまう自分もいる。さくらさんがオレをこの世界に送り出そうとした場にこの木は確かあった筈だ。
いくらさくらさんが凄い魔法使いでもそんな真似を出来るとはとオレは少し疑問に思っていたからな。この木が手助けしてくれたのだろう。
だがその木がどうやら今回は悪い方向に動いてしまっているらしい。なんでも無差別に願いを叶えてしまっている状態との事だ。
良い願いも悪い願いも叶えてくれる――――――言いかえればあの人が死んでほしいと思えばそれが叶ってしまうという事だ。殺人補助どころの話ではない。
だったら枯らせばいいのにと思った。大体願いを叶えてくれるなんて代物は無い方がいいに決まっている。ロクな想像しか思いつかない。
神話でもそういった代物が出て来るが大体はどこかにシワ寄せがきて元も子もない状態になってしまっている。今の枯れない桜の木がいい例だ。
努力しなくても成功する、頭が良くなる、運動が出来るようになる、死んだ人が生き返る、心が読める、恋人が出来る。
自然の流れに逆らうのはいい事ばかりじゃない。確かにつらい事はある。泣きたい事もある。悲しい事もある。だから人間は成長するもんだと思っている。
それに―――もし今オレが抱えている問題がこの桜の木によって解決したと知ったら・・・・・・かなり頭に来る。自分が起こした問題は自分で解決したかった。
「まぁ別になんでもいいけど。とりあえずそんな厄介な問題が起きているなら早く枯らした方がいい。どうせ悪化するだけだ」
「――――――ッ! だ、駄目よっ!」
「オレが消える・・・っていう話か。別に消えないと思うけどな」
「なんで言い切れるのっ!? ここ最近の弟くんは確かに変わっちゃったけど、それでも私は弟くんの事を大事に思ってるんだよっ!?
冷たくされたって、蹴られたって・・・・・それでもっ! 消えて欲しくないの、私はっ!」
「・・・・・・」
本当―――人がいい。あれだけの仕打ちをされてこういう言葉を吐けるとは思わなかった。普通ならもう近付かないかやり返しにくる筈だからな。
こっちの世界のオレの人徳だったのか、それとも音姉の性格なのかは知らないが。なんにしても大事に見られている事には違いない。
「だから私は―――――」
「音姫ちゃん少しストップ。熱くなりすぎだよ、少し落ち着いて」
「――――――ッ! で、でもっ!」
「義之くん。なんで消えないと思うのかな?」
「・・・・・そうですね。どう言えばいいか迷っているんですが―――――オレがさくらさんの知っている桜内義之とは別人だからです」
「え・・・・」
「・・・・・・詳しく話を聞かせてもらえないかな?」
「――――ええ。いづれ話そうと思っていたので、いいですよ」
そうしてオレは今までのいきさつをさくらさん達に教えた。と言っても内容は簡潔なもので時間にすれば五分ぐらいで終わってしまった。
オレが死んで、こちらの世界に来て、この世界の桜内義之という人物と入れ替わったという事。言葉にすればこんなもんで終わってしまう。
時々さくらさんが話に突っ込んできたがオレが質問に答えると黙って聞き始めるのを何回か繰り返した。その間音姉は黙りっぱなしだった。
そしてオレは全部を話し終えた。さくらさんは黙って何かを考えている様子で口元に手を当てており、音姉はさっきから俯いたままでその様子は分からない。
しかし煙草が欲しい所だ。というかオレだけ寝巻という姿はなんだか気恥ずかしいものだ。さくらさんと音姉はいつもどおり学校で見る姿なのになぁ。
あれか、未熟な魔法使いはこういったことも出来ないのか。色々人間として至らないからこんな扱いなのか。さすが出来る人間はなにやっても違うな。
「――――――――グスッ」
「ん?」
「・・・うぅ・・・グスッ・・・ひっぐ・・・」
「・・・・大丈夫? 音姫ちゃん」
「・・・す、すいません。な、なんだか涙が出てきちゃって・・・グスッ・・・・・」
「・・・・・・」
当然だと思う。自分が大切に思っている弟みたいな存在が別人に入れ替わっているのだ。それも凶悪な人間。悲しくなってくるだろう。
音姉は感極まって泣き崩れてしまう。さくらさんが悲しい顔で音姉の背中を擦っている。オレは黙ってそれを見ている事しか出来なかった。
「・・・・・一つ聞いてもいいかな、義之くん」
「なんですか」
「本当の義之君・・・いや、こういう言い方は失礼だね。この世界の義之くんてどうなっちゃったの? 義之くんの中にいないの?」
「・・・・・」
その疑問を持つのは当り前だ。言外に貴方はいらないのよと言われているような気がして少し寂しい気もするが・・・まぁ普通そう思うよな。
さくらさんは音姉の背中を擦りながら顔を向けないで質問してきた。しかし――――なんて言えばいいのやら・・・。
「答えるとするなら――――NOですかね。全然そういう感じはしません。自分では分からないだけかもしれませんが、少なからずオレ自身としては
その桜内義之いないと断言できます」
「・・・・・・そう」
「・・・・う・・・うわぁぁぁぁぁあっ!!」
オレがそう答えると音姉はもう我慢できなかったのか大声を上げて泣いてしまっていた。さくらさんの顔もどこか悲痛な表情を醸し出している。
大切な存在が完全に消えてしまったという事実はかなりクルものがあるのだろう。そんな様子を見ているとまだ良心が残っていたのか、少し心が痛かった。
前はそんな事など思いもしなかった。音姉は前の世界でも泣いていた。しかしオレはそんな様子の音姉を見ても何も感じなかった。精々うざいといったぐらいの
感情だ。だが今はあの時と比べるとこんなにも心が痛い。
やっぱり――――オレはそう確信していた。この感情の揺れ、自身が感じる違和感、自分が根本的に変わりつつある戸惑い・・・・オレは話を続けた。
「多分・・・というか絶対だと思うんですが。さくらさん達が知っている桜内という人物は確かにいなくなったと思います―――けど今、オレがその人物に
なりつつあると思うんですよ」
「・・・・・え」
「どういう事なのかな?」
「元々おかしいと思ってたんですよ。こんなオレが人に優しくしたり慣れ合うなんてことをするのなんて。そして喧嘩は喧嘩で前より惨い事を出来るように
なってしまっている。明らかに自分の感情を制御出来なくなってしまいました。これは―――――どういう事だと思いますか?」
「・・・融合してしまったって事?」
「ええ、多分」
この世界に来た時は特に何も感じはしなかった。姿形が変わっただけで内面は特に変わった感じもしなかったし自分の意識もちゃんとある。
だが日を追うごとにその違和感は大きくなってきていた。自分が変わる感覚。確かに美夏の影響もあると思うが、根本的にはこの事が影響を与えているもの
だとオレは考えている。
じゃあなぜ喧嘩などの時にはあれほどの事を出来るようになってしまったのか? 普通なら落ち着いて優しいだけの性格になってしまわないのか。
答えはなる筈が無いだ。元々同一人物であると同時にここまで性格が正反対の人物でもある。水と油――――オレ達の関係はそういってもさしつかえないだろう。
なりつつあるのは確かな事。だがなりつつあるだけだ。絶対にこの世界にいた桜内義之にはならない。性格はその内落ち着くだろうという感覚はあるがあくまで
基盤となるのはオレだ。これも証拠があるわけではないがオレの感覚がそう訴えていた。
水と油が混ざろうとしている。だから感情の揺れ幅が大きい。極端なまでに優しくなったり平気で女の顔面なんか蹴れるようになってしまった。
「まだ完全にではないですが――――その内落ち着くでしょう。言い換えればまだその時ではない」
「・・・・・もし桜の木を枯らしてもこの世界の義之くんは消えても、今私の目の前にいる義之くんは消えないという事?」
「感覚的なものですが――――おそらくそうなるでしょうね。残念ながら証拠となるものはないですが、断言出来ます」
「・・・そう」
「・・・・うぅ、グスッ・・・・」
「――――というか今更なんですが、聞いてもいいですか?」
「何かな?」
「オレって、結局一体何者なんですか?」
「――――――――ッ!」
「・・・・・・・・」
何故かは知らないがオレという存在は桜の木が枯れると消えるらしい。まぁオレという存在はこの世界の義之くんとは別なので問題ないとは言ったが気になる事だった。
心には多くの不安な気持ちが湧きでている。なんでも叶える桜の木。その木が枯れるとオレは消えてしまう。嫌な予感で心は埋め尽くされている。
ああ―――本当に煙草が欲しいところだ。少しでもこの気持ち悪い気持ちを払拭したい気分に駆られる。そしてさくらさんは少しずつ喋りはじめた。
「・・・・・私ね。家族がいない事は知ってるよね?」
「・・・えっ、ああ、はい。確か親戚もいないんですよね? 外国にはいるのかもしれませんが」
「うん。でね、やっぱりこんな私でも寂しいと思うんだよ。周りの知っている人達はどんどん結婚して家庭を築いていくのに私だけ取り残された気分に
なってしまった」
「・・・結婚とか考えなかったんですか? それとも自分の眼に敵った男性がいなかったとか」
「義之くんの知っている通り私は魔法使い。そして歳を取らない。そんな人が結婚なんかして幸せになれると思う?」
「・・・・・・」
周りの人は老いていき最後には死ぬ。残るのは姿形の変わらない自分だけ。ゾッとする光景だ。
歳を取らないとさくらさんは言った。おそらく魔法の加護のおかげだろうが―――もう呪いそのものだろう。
永遠の若さに憧れる人物は歴史上に多く見受けられたがオレはその人達の気持ちが理解できないでいる。
「だから私は結婚しなかった。でもね・・・・・・もし私に子供がいたらどういう子なんだろうって気になっちゃったんだ」
「え・・・」
「寂しい―――その想いだけで私は願っちゃったんだ。どうかお願いします、私に子供がいたらどういう子か・・・可能性を見せて下さいってね」
「・・・・・」
「・・・にゃはは。馬鹿だよね。結局私は自分の為に魔法の力を使っちゃったんだ。あれだけアイシアに魔法を無闇に使ってはいけない
と言っておいて自分は私利私欲の為に利用した。そして活動し始めた桜の木―――まるで成長していなかったんだ、私」
そのアイシアという人物はどんな人か知らない。おそらく同じ魔法使いなのだろう。さくらさんは他人にそう言って置きながら自分の欲で桜の力を使った。
そしてその願いは叶ったんだろう――――大体話の流れは分かってきた。十分すぎる程に。オレの記憶の始まりは枯れない桜の木の下。
そこでさくらさんに拾われ朝倉家にお世話になった。小さい頃の記憶は無くしやすいと言うがその時の記憶だけは残っていた。
「オレの母親がさくらさんって所・・・ですか?」
「・・・・・・・うん」
「――――――はぁ~・・・・・なるほどね。どおりで」
「えっ?」
「あ、いや、ええと・・・こちらの話です」
「・・・?」
母は強しと言うが、オレがさくらさんに頭が上がらない理由が分かった。そりゃ自分の母親には逆らえないわ。オレの母親―――他人が聞いたら
どういう人を想像するだろうか。
おそらくヤクザ映画に出て来る姐さんみたいなのを想像するだろう。しかし実際はこんなちっこくて歳によらず可愛らしい人物がオレの母親らしい。
しかしながらオレは金髪でもなければ眼も茶色ではない。完璧な日本人だ。少し惜しい事をしたなと思う。父親の遺伝子が強かったせいでこういう外見
にオレはなってしまったのだろう。
「まぁ色々驚いていますが―――大体は把握しました。説明ありがとうございます。それで、いつ桜の木を枯らすんですか?」
「・・・・あんまり驚いている様に見えないんだけど」
「もう感覚がマヒしちゃってるんですよ。だって一回死んでるんですから。前ならまだしも今更そんな事言われても・・・ってところですかね」
「そんな事って・・・・・・はぁ、まあいいや。とりあえず色々前準備でしたい事があるから今すぐは無理かな」
「分かりました。それじゃ――――」
「ま、まってっ! 弟くんっ!!」
「ん?」
「ちょ、ちょっと、こっちに来て」
音姉に手を引かれて桜の木から少し遠ざかる。そして音姉は足を止めこちらを振り返る。顔付きはどこか神妙な表情だ。
音姉は桜内義之という人物をとても愛していた。その人物が入れ替わっているという事実に戸惑いを隠せないといった風だ。
そしてオレの手を握ったまま音姉は喋り始めた。まるで自分に言い聞かせるみたいに。
「――――ね、ねぇ、弟くん」
「んだよ」
「・・・私ね。弟くんが、その、別な人だって知って・・・すごく戸惑ってるの、うん」
「だろうな。それもこんな暴力を振るう奴だ。アンタにしてみればさぞやショックだろうな」
「アンタ・・・・・か。でもね、私からしてみれば・・・弟くんは弟くんなんだよ。別の世界から来たってそれは変わらないんだ」
「――――――それで?」
「そ、それでね、最初は戸惑っちゃうんと思うんだ、うん。もしかしたらいつも通りに声を掛けられないかもしれない」
というか掛けるつもりだったのかよアンタは。よくもまぁこんな得体の知れない人物と話す気になれるな。いくら顔と体がこの世界の義之とはいえ。
オレだったら話し掛けない。そんな危ないヤツとなんか関わりたくないし話したくもない。誰だって厄介事は勘弁な筈だからな。
そしてオレはその言葉に対して疑問を投げかけた。
「昼間の件。もう忘れたのか?」
「・・・え、いや、あ、あれはちゃんとさっき弟くんが謝って――――」
「自分がやっておいて言うのも変な話だが謝って済む問題か? 何人病院送りにしたと思っている。特に一番酷い怪我をしたのは女子だろう
顔面に何回も膝を入れたからな。グチャグチャになっている。普通なら警察沙汰になって裁判を掛けられている筈だ」
「あ・・・・」
「さくらさんが示談金を払ってくれたんで大きな騒ぎにはなっていないが、それでも今後そういう可能性が出て来る。
それでもアンタはオレに付き纏うのか」
「・・・・・」
いくらオレの性格が優しくなってきているとはいえ、またああいった騒ぎを起こさないとは限らない。むしろ起こす確率の方が高いと思っている。
いづれ安定する、そのいづれが何時になるかなんて分かったもんじゃない。もしかしたらこの性格が一生続くのかもしれないのだ。
その事をさっきも話ししたし音姉も理解している筈だ。なのにそういう言葉を投げかける音姉―――理解出来なかった。
「・・・さっきも言ったけどね。弟くんは弟くんなんだよ。いくら暴力者であろうが―――人殺しだろうが、ね。私が大切に思っている存在なんだ」
「・・・・・・・」
「それに・・・・『貴方』も、弟くんなんだよね? ちょっと私の知っている弟くんとは違うけど」
「・・・・・ああ。オレはオレだ。オレにも音姉という存在は居たし由夢という人物もいた。左程こっちの世界とは変わっていないよ」
「だったら大切な人に変わりはないよ。それに私の知っている弟くんと同化しているみたいだし。今まで通り――――よろしく出来ないかな?」
そう言って音姉は手を差し出してきた。今までどおり、ね。そしたらオレは音姉を徹底的に無視しなければいけなくなる。
そこんとこ分かっているのか――――分かっていないんだろうなぁ。どうやら音姉はオレをまだ本当は優しい人物だと勘違いしているようだし。
だからその握手をオレはすかした。途端に表情が曇る音姉。オレはその脇をすり抜けてさくらさんの所に行く直前、音姉の耳元で囁いた。
「アンタにはオレがどんだけ非道徳な人物か分かっていない。だから握手はしない。だけど――――これからは別に普通に会話ぐらいしてやる。
今度からは構ってやるよ」
「――――――ッ!」
上から目線になってしまったが、まぁ別にいいだろう。あんまり付き纏ってきたらどうしようかと思ったが一喝すればいいだけの話だ。
それに日常会話ぐらいなら構いやしない。学年も違うだろうからそんなに会話するとは思わなかったし。
そしてオレはさくらさんの所に戻った。元の世界に戻る方法なんて分かりやしないしさくらさんに戻らさせて貰うつもりだった。
音姉達と何を喋っていたのか聞かれたので世間話と適当に言っておいた。怪訝な顔をしていたがそれ以上突っ込まずオレの手を握った。
「それじゃとりあえず元の世界に戻るけど――――それにしても義之君。何その格好?」
「いや、今友達の家に泊まっているんですよ。一応留守伝にもメッセージは入れておいたんですが」
「――――――ふふっ、女の子の家でしょ。そんないかにも好きな人に買ってあげたパジャマなんか着ちゃってこのこのぉ~」
「はは、バレますかやっぱり」
「そりゃあねぇ。私だって何年も女の子やっている訳じゃないしぃ」
「ですか」
「ですよ。どうせ美夏ちゃんの所でしょお~? もうラブラブなんだからなぁ~」
「・・・・・・」
それだったらどんなによかったか。いや、こういう言い方はエリカに失礼か。しかしオレは瞬間的にそう思ってしまっていた。
あれだけエリカの体を貪っておいてのこのセリフ、許容出来るものでは無い。オレは顔をしかめてしまった。
そんなオレの様子をみていたさくらさんは少し怪訝な顔をし、こう言った。
「なんだか分からないけど――――あんまり女の子を泣かせる行動をしちゃだめだよ」
「――――――――ッ! な、なんで・・・」
「知ってるかって? にゃはは。私は義之君の母親みたいなものなんだよ。 息子のやっている事、考えている事ぐらい分かるよ」
「・・・そうですか」
「うん。まぁなんにしてもさ、後悔するような事はしないでね。私みたいに」
「え・・・・・」
なんでもないとさくらさんは言い、オレの手を更に握り締める。さくらさんも同じような事があったのだろうか。
そういえばさくらさんの過去をオレは何も知らないし、知ろうともしなかった。これを機会に少しずつ知っていければいいと思う。
「それじゃ帰るよ。あ、音姫ちゃんは自分で帰れるから心配しないでね」
「最初から心配していませんよ。オレより出来る人間なのは知っていますから。色々とね」
「もう~! それでも女の子は心配して欲しいものなの。義之くんは女の子の扱いがまだまだだよねぇ」
「・・・はは。返す言葉がありません」
事実その通りで思わず笑ってしまう。美夏とエリカと茜。この三人はオレにとってとても大事な女性達だ。そして泣かした女性達でもある。
オレが不甲斐ないばかりに今の関係が出来上がってしまっていた。そしてエリカと体を重ねたオレ。もう取り返しのつかない所まで来ている。
このまま突っ走っていいものか、それとも―――――。オレはこんな時になってもまだ迷っていた。はは、自分はそんな人種では無いと思っていたが
どうやら違うらしい。
「それじゃあ、いくよ」
「ん、分かりました―――――――母さん」
「・・・・・・うん」
なんとなくそう言ってみたかった。途端に気恥ずかしくなる自分。だが悪い気分ではなかった。
まぁ多分こう呼ぶのは今回ぐらいだろう。何年も顔見知りだしさくらさんはさくらさんだ。今更そう呼ぶのにすこし抵抗があるしな。
オレに母さんと呼ばれ少し顔を朱色に染めていたさくらさんだが、オレの手を更に握ると真剣な顔をして―――――オレの意識が飛んだ。
その間際、さくらさんはありがとうと言った。その言葉を聞いて少し勇気みたいなものが出た気がする。それを実感するのはもう少し後の事だった。