「だ、大丈夫、エリカ?」
「・・・・・・」
まゆき先輩が心配そうに話し掛けて来るがエリカちゃんは無視している。いや、多分声自体が聞こえていないのだろう。
それほどショックだったに違いない。あそこまで義之君の事を好きだったのに完璧に振られてしまって何も考えらないのだ。
義之君はもうエリカちゃんに振り向かない。先程の様子を見ればそれは一目瞭然だった。
「ふむ、あっけない幕切れではあったな。少し同情が湧き上がってくるが・・・・」
「しょうがないわよ。だって義之君は最初から天枷さんの事が好きだったんだから。でもまぁ、だったらえっちとかするなっていう話なんだけどぉ~」
落ちていた包帯を拾って埃を落とす。まだ血が流れているエリカちゃんの手首をハンカチで縛りその上から包帯で巻いた。
エリカちゃんは特に抗う事はなくなされるがままといった感じだ。確かに私はエリカちゃんの事が嫌いだけど少し同情心も湧いていた。
「・・・・・・・」
「あっ・・・・・」
スッとエリカちゃんは立ちあがって――――校舎内に向かって歩き始めた。その表情を窺うが至って普通。特に泣いたり怒ったりしていなかった。
それがひどく私には不気味に映った。さっきまで自分の感情を爆発させるかのように体を震わせていたのにもうその面影は見えない。
一体何を考えているか分からなかった。まゆき先輩は慌ててその後を追った。付き合いのいい先輩だ、何も追いかける義理などないのに。
「ま、待ってエリカ~っ!」
「・・・・・・・」
無言のまま歩いていくエリカちゃん。そして曲がり角を曲がり―――姿が見えなくなる。まゆき先輩もそれに続いて姿が見えなくなった。
そして私はため息を吐く。意外にも私は緊張していたようだ。失恋して傷付いたエリカちゃんにどう対応しようかと色々考えていた。
あまり無責任な言葉は吐けないしだからといってこのまま放って置くわけにもいかない。正直エリカちゃんが居なくなりホッとしていた。
「意外にもエリカ嬢は取り乱さなかったな。てっきり今日一日はあんな調子だと思っていたが」
「ああいう態度こそ一番怖いわよ。あの無表情の顔でまた手首なんか切りそうだしねぇ・・・・。何を考えているのか分からないのが一番
始末に悪いわ」
「ふむ・・・・」
「ん? どこにいくのぉ、杉並君?」
「このままいても仕方あるまい。とりあえず教室に戻ろうと思って―――いや、ひと仕事残っていたな」
「えっ・・・・」
歩きかけていた歩みを止めて屈む杉並君。一体何をしているんだろうかと見てすぐ分かった。杉並君の手にはバラバラになったチェーンの
破片が握られていた。それらを何個も拾いあげる。
慌てて私も地面にしゃがみ込んで拾い集めた。チェーンは結構バラバラに散らばっており全部を拾い集めるのには時間が掛かりそうだった。
少しの間沈黙が流れる。見落としたチェーンが無いか周りを見回した。そんな時杉並君が独り言のように喋り出す。
「ひどく焦っていたんだろうな」
「え・・・・」
「何もいらない。桜内さえいてくれればそれでいい。そう思っているのに桜内はこちらを振り向いてくれない。そしてとうとう、振り向く事は無かった」
「・・・・・・」
「オレの思い過ごしかもしれんが―――桜内はエリカ嬢と一緒になってもいいと考えていた。なんだかんだでエリカ嬢の事を気に掛けていたし
憧れにも似たものを抱いているように見えた」
「・・・・・そう、ね」
「だが自分でその可能性を潰した。好きなあまり周りが見えなくなっていた。桜内を手に入れる為に焦ったのがまずかった。
少しずつ誘惑していって落とすべきだったな。それこそ一年ぐらいかけてゆっくりと。コツコツとバターを溶かすように。
自分の事を考えない時間を与えないようにすればいずれ美夏嬢と別れていた。エリカ嬢と付き合えるかどうかは知らないが」
「杉並君はそう願っていたの?」
「・・・・ただの考察だ。こういう事を考えるのがもう癖になっているんだ。まぁ、あまり人に好かれる癖ではないのかもしれないな」
チェーンを拾い集めて立ち上がる。私の方も大分集まったので杉並君に渡した。多分全部拾っただろう、確認したが見落とし無い筈。
それらを無造作にポケットに入れて今度こそ杉並君は校舎内に戻ろうと踵を返した。私もその後を追う。
「どうするのぉ、そのストラップ」
「ここまで破壊されたら直し様が無いが―――美夏嬢に渡すよ。形は無くなってしまったが桜内から貰ったという事実がこのストラップにはある。
記念に箱にでも入れとくだろう」
「ふぅん。案外優しい所があるのね」
「イギリス紳士だからな、俺は」
いつイギリスに籍を移したのよ。杉並君は笑いもせずそう言い放った。まぁ、照れ隠しみたいなものだとして受け取っておく。
しかし結局義之君は天枷さんと元の鞘に戻ったか。ある程度予想はついていたからこの事に関してはあまり驚いていない。
驚いた事―――それはエリカちゃんの事だ。まさか手首を切るまでに義之君の事を好きだとは思わなかった。
「エリカちゃん・・・・変な考えをしなければいいんだけどぉ」
「さてね。もう起こす気力など無いように見えなくも無かったが・・・・実際はどうだろうな」
去り際の表情を思い出す。何を考えているのか分からなかった。ヤケにならなければいいが・・・・。
まぁ―――私達がいくら考えてもしょうがない。結局の所この問題は最初から義之君達の問題なのだ。あまり首を突っ込んでもしょうがない。
とりあえず私達は教室に戻る事にした。大分昼休み時間を過ぎてしまったが別にいいだろう。ああ、最近授業に出ていない気がするなぁ・・・・。
公園に着いた時美夏はいきなり泣き出してしまった。緊張の糸が切れたのか、はたまた安諸してしまったのかとにかく泣いてしまった。
オレはそんな美夏の背中を一生懸命なだめた。手を握り締めながら背中を擦る。しかしそれが余計な刺激になってしまい更に泣いてしまった。
そんなこんなで一時間ぐらい慰めるのに時間が掛かってしまった。クレープ屋から買ってきたクレープを美夏に渡す。
「うう・・・バナナか・・・」
「贅沢言うな。お前の場合いつショートするか分からんからな」
「それはそうだが・・・・たまには違うモノが食べてみたいぞ、美夏は」
そう言いながらもクレープを頬張る。天気もよくてちょっとしたデート気分だ。この日をどれだけ待ちわびた事か。
それから美夏と色々な事を喋った。オレとしてはあまり話せる程ネタは無く、終始美夏が喋ってるような感じだった。
どうやら美夏に友達が出来たらしく話を聞けばその子のお陰であまり気落ちする事は無かったと言う。いつかお礼を言いたいものだ。
でもまさか委員長が美夏の世話を焼いているとは思わなかった。あのロボット嫌いが・・・・と思っていたが元来世話焼きっぽい性格だ。
ロボットの事に関して振っ切った今、それはあまり関係ないのかもしれない。
「しかしお前は本当はスケベだったんだな。まさかムラサキと・・・・その・・・、え、えっちな事をするとはなっ!」
「耳が痛い話だ。何も言い訳出来ない。確かにあの時はとても愛おしく思っていたし欲情したのも確かだ」
「むー・・・・」
「だがそんな気持ちは綺麗さっぱり無くなった。なんであんな気持ちになっていたか分からねぇ程な。もう浮気は―――」
「えいっ」
「あ――――」
首筋の絆創膏が剥がされる。そしてそこに浮き上がっているのは生々しいキスマークの跡。オレは思わず天を仰いだ。
結局キスマークは消す事は出来なかった。思いのほか強く吸われたらしくあの短時間で消す事は不可能だった。
慌てて隠す様はみっともないので隠そうと挙げていた手を下ろす。美夏の眼はこちらを機嫌が悪そうに睨んでいた。
「そのキスマークは・・・・ムラサキのモノなのか?」
「―――ああ、そうだ。参ったねエリカには。オレは嫌だって言ったんだぜ? なのに無理矢理こんなみっともない跡をつけやがった。
オレは確かに停学中だが買い物には行かなくちゃいけないし知り合いに会う可能性もある。そんな時にこんなキスマークを見られたら
誰だって恥ずかしい思いをする。オレはそういうのが一番嫌いなんだ。エリカを思わず恨んだよ、オレの事を本当は嫌いなんじゃないか
とな。キスマークを付けるのは独占欲の表れというがそういうのはオレは求めちゃいない。信用していない表れだからな。まぁ今となって
はどうでもいい事だ。なんにしたって――――――」
「嘘は自分の首を絞めるだけだぞ、義之」
「・・・・・・悪かったよ」
そうだった、美夏には嘘がつけないんだったな。というかオレもオレでペラペラと喋り過ぎだ。これではやましい事があると言っているようなもの。
隣を見るとこれまた恐ろしい顔でこちらを見詰める愛しい女の子。はて、どうしたもんかと考える。
「――――――由夢にキスされた」
「え・・・・」
「オレの事が好きらしい。そして振られた。それ以上もそれ以下も無い」
正直に話す事にした。これ以上嘘をついても仕方ないし美夏には嘘はつけない。ありのままの事を話す事に決めた。
美夏は目を大きく見開き―――声を荒げた。思わず耳を塞ぎたくなるような大声だ。
「な、な、なんだとっ!?」
「あまり大声を出さないでくれ。ここには散歩中の爺さんとか昼間からイチャついている暇なカップルがいる。あまり驚かすな」
「ど、どういう事なんだっ!? 由夢はお前の妹だし・・・それに、振られたとはどういう事だっ!」
「オレの事を好きでキスしたんがオレはそれに応えなかった。そしたらあっちもすんなり引き下がった。むしろ嫌いと言っていたな。
様子を見た限りじゃエリカみたいに後に引っ張る事はないだろう。そして由夢はオレの妹じゃない。前にも言ったがオレは捨て子
みたいなもんだ。ただ家族同然として過ごしただけで血のつながりは無い」
「そ、そうなのか・・・・しかしお前は本当に・・・・何か変なフェロモンでも出しているんじゃないか・・・・・?」
「そんなフェロモンにお前は見事引っ掛かった訳だ。好きだぜ、美夏」
「――――――ッ! ふ、ふんっ! 今みたいな事を平気で言う女たらしだから美夏は信用出来ないのだっ! 何度痛い目にあったか――――」
「本当に悪かった。もう不安になんかさせない。口ばっかりの男だと思うかもしれないが・・・・もう一度チャンスをくれ」
「あ――――」
そう言って美夏の唇にキスをする。手足をジタバタさせるが頭を手で挟んで口が離れないようにする。美夏と久しぶりのキスだった。
最初は暴れていたが美夏だがオレが離さないと分かると―――動きを止めた。舌を入れる雰囲気ではないので普通のソフトなキスだけにする。
そしてゆっくりと口を離す。美夏はどこか夢見心地の様な顔をしていた。その頭をオレは撫でた。
「今度は別れるなんて言わないでくれよ。オレはお前から離れるつもりはないからな」
「・・・・馬鹿言え。それは―――私の台詞だ」
ギュっと手を握られる。顔はそっぽを向いているがどうやらオレの事を信用してくれているらしい。
この信用――――裏切れないな。もちろん裏切る気など毛頭ない。美夏を離すつもりなんかないからな。
「おっと、大事な事を言い忘れていたな。そう、とても大事な事だ」
「うん? なんだ、その大事な事って?」
「美夏――――オレとまた付き合ってくれないか?」
「・・・・・・!」
オレは美夏に振られたままだ。こんな風に和気あいあいとしているが今は恋人でもなんでもない。
美夏もそれに気付いたのか黙ってしまう。そしてオレの目を見て―――笑った。
「断る―――と言ったらお前は泣きそうだからな。付き合う事を了承しようっ!」
「はは・・・・ありがとう。光栄の極みだよ」
「うむ。光栄に思うがいい。で、だ・・・・義之」
「ん?」
「大好きだぞ」
そう言って美夏はオレにキスをしてくる。美夏からのキス―――初めてかもしれない。こういう風にこいつからキスしてくるなんて。
それがとても嬉しい。こうやってまた付き合える事もそうだが、美夏からの初めてのキスという事実が心に染み渡ってきた。
美夏の肩を抱いてオレもそれに応じる。まだ昼間で人がいるが―――構いやしない。オレ達は今、また幸福を掴む事が出来た。
どこで間違ったのだろう。あれからもう三週間も経ってしまった。その間私は義之に近づく事は出来なかった。
常時天枷さんが脇にいるというのもあるし義之が私の事をもう特別な目で見ていない事が分かってしまい、少々臆病になってしまっている。
いつもなら気軽に近づける筈なのに近づけない。本当は近づきたいのに。そのジレンマが私を苦しめていた。
ほぼ義之は私のモノになっていたのに離れてしまった。どうやら最後の脅迫と言って差し支えない私の言葉がお気に召さなかったらしい。
まぁそれは私の落ち度だろう。義之の事を好きだとかなんとか言って置きながら脅しと言う手段を使ってしまったのは賢いとは言えない。
「結局振り出しか・・・・どうしましょうね・・・・」
先生の眠たくなる様な授業を聞き流しながら考える。ペンを指で回転させながら聞くその授業態度は褒められたものではないが集中したい
ときはいつもこの体制だ。別に先生もわざわざそんな人に注意なんかしないだろう。
考える―――――次の手はどうしようかと。ゴール地点はもうすぐだったのにスタート地点まで戻された気分だ。最悪と言ってもいい。
もちろん私は義之の事は諦め切れていない。とうぜんだ、愛している人なのだから。何があっても諦める事など出来やしない。
義之も色んな事があって感情が不安定なのだろう。だからあんな態度を私に取った。初めはショックで何も考えられ無かったがよく考えれば
分かる事だ。
私らしくも無い。この考えに辿りつくまでかなり時間が掛かってしまった。まぁそれほど私が義之の事を好きだと言う訳だが・・・・。
「問題は・・・・どうやったら義之の目を覚まさせるか・・・・ですわね」
何の間違いか義之は目を曇らせてしまっている。これはいけない事だ、早く正気に戻さなくてはいけない。
今でも思い出せるあの晩の事。お互いの体が邪魔だと思うくらいに狂おしく一つになろうとしたあの時。あれほど愛に満ち溢れた情事。
あれが嘘だとは思えない。確かに心が通っていた記憶がある。もう一度繋がりすれば義之だって考え直す筈だ。
「じゃあ今日の授業はここまで。委員長、号令お願い」
「はーい。きりーつ、れい、ありがとうございましたー」
なんともやる気のない号令で授業が終わった。まったく、やる気が無いならこんな形だけの挨拶なんか辞めればいいのに。色々理解不能だ。
前の席の子が話しかけてこようとしてきたが無視して席を立つ。あまり人と話す気分ではないし、こうなった今何かの役に立つとは思えない。
教室の扉を開け廊下に出る。次の授業なんか受ける気なんか無くなっている。サボっても問題ないだろう。屋上かどこかで休む事にした。
幸い私は生徒会所属で素行も品行方正そのものだ。気分が悪くて休んでいたと言えばだれも疑いはしないし、別に何言われたって構わない。
「屋上、か。あまりいい記憶はないですけど・・・・少し頭を冷やしたいわね」
義之に嘘をついた場所でもあるからまり近づきたくはないのだがそうも言っていられない。校舎裏なんてもっての他だ。もうニ度と近づきたくない。
その他の場所もある事にはあるのだが人が来ないという可能性はゼロではない。確実に人が来なくて考え事をしたいのなら屋上が最適だった。
そうと決まればと思い屋上に足を向ける。しかしこの通路を歩いていると天枷さんと義之を別れさせた事を思い出す。あの時は上手くいったもんだと
思っていたが・・・・中々人生とは上手くいかないものだ。
長い通路を渡り終え屋上へと続く階段を上る。そして屋上の扉を開けると寒々しい風が私の身を包んだ。いくら今日は天気がいいとはいう暖かくなるのは
まだ先の事らしい。思わずため息を吐きたくなる。
「さて・・・人が来ても大丈夫な場所は・・・・あそこですわね」
給水庫の裏側がちょうどいいポジションだろう。あそこなら扉から見えないしちょうど影になっていて日も当たらない。
少し寒い思いをする事になるが別にいいだろう。それと引き換えに一人になる時間が与えられるのだから。そう思いそこに歩き出す。
どことなしに私はワクワクしていた。育った環境のせいかこういう不良じみた事をしでかした事はない。幼少の頃からいつも監視みたいな目が光っていた。
だからこの地球に来てやっと自由になれたというという清々しい気持ちでいっぱいだった。特に悪い事をしようと思った訳じゃないが束縛から解放された
気がする。王族だが私だって子供だ、自由に遊びまわりたい気持ちはあった。
そう言い訳にも似た気持ちを抱きながら給水庫の裏側に回り――――思わず息を呑む。
「・・・・・・よう」
「・・・・・ごきげんよう」
そこには義之がいた。いきなりの事であちらも驚いているらしい。咥え煙草を落としそうになりながら挨拶をしてきた。私もかろうじてそれに応える。
途端に落ち着きを無くす私。それはそうだ、この三日間無視されたといっても過言ではない扱いを受けてきた。思わず泣きそうになる。
だがいつまでもこの状態でいる訳にはいかない。そして―――私はその横に腰を下ろす。別にこの場所は義之の指定席でもなんでもない。
意地にも似た思いを胸に抱く。髪を掻きあげて余裕のあるフリをするがその実、余裕なんてものは無かった。
「何しに来たんだ、お前」
「・・・・少し考え事をしたくてね。サボりに来ましたの」
「へぇ・・・・あのクソ真面目なお前がねぇ」
「いつも真面目な訳ではないですのよ。たまにこうやって寒空の下、感傷に浸りたい気分になる時もありますわ」
「・・・・そうか」
「・・・・・ええ、そうです」
沈黙が流れる。義之の顔を窺うが何を考えているか分からない。無表情で煙草をプカプカ吹かしている。
どうやら義之もサボりらしい。周りに天枷さんがいないところをみるとイチャつく為にここにいる訳では無いみたいだ。
まぁ待ち合わせの可能性もあるが・・・・。その場合、私はとんだ場違いな所にいる事になる。
「・・・・天枷さんは御一緒ではないのですね」
「ただサボりに来ただけだ。お前と一緒でこうやって寒空を眺めたい気分なんだよ」
「桜内先輩は最近少しは真面目になったと思っていましたが・・・・どうやら勘違いのようですわね」
「・・・・あんまり言わないでくれ。今日はちょうどそんな気分だったんだ。ところでどうだ、お前も煙草吸うか?」
「――――――ええ、ではいただきましょうか」
「・・・・・は?」
「何をボサッとしているのかしら? くれるんでしょう、煙草を」
私の思いがけない言葉に義之は驚いた反応を示した。別にそんな驚く事もないだろうに。ただ今は吸いたい気分だったのだ。
義之は何か言いたそうに口を開きかけたが―――黙って煙草一本とライターを差し出した。私はそれを素直に受け取る。
煙草なんて吸った事無いが義之のせいで嗅ぎ慣れている。なんとかなるだろう。そう思い煙草を咥えて火を付け、肺に煙を入れる。
桜内先輩――――そう呼ばないと義之は反応してくれない。とても他人行儀な呼び方。私はこの呼び名が大嫌いだった。
否応なしに義之と距離が開いてしまった事を思い出させなければいけない。拷問に近い行為と言ってもいい。
義之とまず会った時にもう名前で呼ぶなと言われた。そして脇を通り過ぎる義之。もう泣く気力なんか残っていない。あれ以来心にぽっかり
穴が空いてしまった。
「――――――ッ! ゲホ、ゲホッ! う、わ、ゴホッ!」
「・・・・大丈夫かよ、てめぇ」
「べ、別に大丈夫ですわっ! これくらいっ!」
そう言って少しずつ煙草の煙を吸う。さっきは一気に吸ったせいでむせってしまったのだ。少しずつなら平気だろう。
それにしても嫌悪感は拭いきれない。それにしてもまぁ義之はこんなもの吸えるものだ。好きな人ながら神経を疑う。
「なんだよ、その眼は」
「・・・・別に」
「まぁ別に無理することはねぇよ。美夏にも一回吸わせた事があるが思いっきりむせたしな。ロボの癖して煙草の一本も吸えないとは情けない。
それ以来アイツは煙草を嫌いになったよ。おかげでアイツの近くで煙草を吸うと睨み付けられるようになっちまった」
「・・・・そうですの」
そう言ってまた沈黙になってしまう。手を伸ばせばすぐ触れられる距離にいるというのにどこか遠い気がした。そんな事は気のせいだと言うのに。
話をしていても前みたいに私に対する愛情が見受けられない。本当に私の事なんてどうでもよくなったのだろう。そんな感じがした。
その事実がとても悲しい。前みたいに触れてほしいし優しい言葉を掛けて欲しい。でも現状では夢のまた夢だ。とても叶いそうにない。
二人の吸っている煙草がジリジリと燃えて煙が空に消えて行く。ああ、なんだか虚しい。思わず心が折れそうになる距離感がそこにあった。
こうして二人で談笑しているのも偶然だ。次の機会なんて無いだろう。次会う時はいつも通りの態度に戻るに違いない。
「さて――――オレはそろそろ行くとするかな」
「え・・・・」
「そろそろ体が冷えすぎて死にそうだ。授業もあともうちょっとで終わりそうだし・・・・な」
「・・・・そうね」
そっけない別れ。義之に会ったらまたアプローチをしようと思っていたが結局出来なかった。元々私は臆病な性格だ。止める事なんて出来ない。
手首を切ったり天枷さんを煽ったり出来たのは義之と付き合う為であり、それだけが私を奮い立たせていた。今は前ほどその気力が無くなっていた。
義之と天枷さんはまた付き合い始めた。もうこの二人を離すのは至難の業だ。私がどれだけ出張った所でその事実を変える事は出来ない。
義之は立ち上がり煙草を缶の中に入れる。私もそれに習って煙草を入れた。あんまり私には合わなかった。もう吸う事は無いだろう。
「じゃあな、エリカ・・・・て、うおっ!」
「え、て危な――――!」
灰皿代わりにしていた缶に足を引っ掛けて転びそうになる義之。無意識にその義之の体を受け止めようとする。だが返ってそれがよくなかった。
結局二人もつれて地面に投げ出される。背中に感じる鈍痛。受け身など取れないので衝撃をそのままに背中をコンクリートの地面に打ち付ける。
「あいたた・・・・」
「わ、わりぃ、エリ――――」
目を開けるとそこには義之の顔。心臓が止まりそうな程私は驚いた。もう叶わないと思っていた義之との距離。それが今ここにある。
義之も私の顔を見たまま固まってしまっている。少し半開きの口がマヌケだ。義之らしくないその表情に私はくすりと笑う。
そして―――義之の顔に手を添える。無意識での行動だった。前まではずっとこんな風にキスをしていたからもう癖になっている。
いつも通りに私はキスをするだけ。いつも通り――――さっきみたいな寂しい雰囲気などではなく、いつもの私達の雰囲気に戻っていた。
だからこれは自然な行為だ。もう本能に刻まれていると言ってもいい。三日前に起きた事などすっかり私の頭から消えていた。
「義之・・・・」
「あ・・・・」
ほら、義之も抵抗しない。眼が前みたいに戻っている。私をちゃんと見てくれている眼だ。それがたまらなく嬉しい。
唇を近付ける。義之は振り払おうとしない。当り前だ、前までこうやってキスをしていたんだから何もおかしくない。
私は目を瞑った。いつも私からこうやって目を瞑っていた。そして唇が重なろうとして――――
「やめろっ!」
「あ・・・・・」
手が振り払われてしまった。あともうちょっとだというのにキス出来なかった。とても残念だ。
しかし義之はそんな表情を出さずに苦々しい顔になる。どうやら怒っているらしい。さっきまでノリノリだったのに。
この顔、おそらく私に対して怒っている訳じゃない。自分に対して怒っている顔だ。いつも義之の顔を見ていたから分かる。
「義之・・・・」
「・・・・チッ!」
舌打ちをして義之は屋上のドア開け、出て行ってしまった。そして取り残された私。思わず――――顔が二ヤける。
義之は私の事を完全に振っ切った訳ではない。少し、ほんの少しだが私に対して愛情が残っている事が確認出来た。
これは思わぬ誤算。てっきり義之は私に対して何も感情を抱いていないと思っていただけにこれは嬉しい誤算だった。
だがよく考えれば分かる事。義之と初めて会い、キスをして、体を重ねた事実・・・・それは確実に痕跡を残していた。
いくら天枷さんの事を愛しているからといってそれが消える事なんてありえない。普段はそんな素振りなんか見せていないようだが
さっきみたいに唐突な事故が起きればそれは確実に心の奥底から顔を出す。
時間が経てばいずれ消えてしまう様な残りカスの感情だが――――まだ消えていないようだ。
「・・・・・ふふ。まさかまだチャンスが残されているなんてね。これはもう神様が私と義之をくっ付けようとしている様にしか感じませんわね」
神様なんて信じていないがこの時ばかりは信じよう。私がなんの気の迷いか初めて授業をサボった。たまたま屋上に行くとそこには同じく授業を
サボった義之がいる。そしてさっきみたいな事故が起きた。
確かに偶然だろう。だがそんな偶然に私は感謝している。義之を取り返す取っ掛かりとなった好機、見逃すわけにはいかない。
「まさか本当に気分転換になるなんて、ね。授業をサボるのもいいかもしれませんわね」
髪を掻き上げて私も屋上を後にした。気分はここに来る前より清々しい気分になっている。鼻歌でも歌いたい気分だった。
とりあえず義之を取り返す為の策を考えよう。今度は私が出張る訳にはいかないので慎重にいくつもりだ。失敗したら今度こそ私は終わりだろう。
だがそんな事にはならない。だって義之が本当に愛しているのは私なのだから。正しい行いをしているのだから失敗などしない。
私は本気でそう思っていた。消えて無くなりそうだった気力が戻ってくる。今度こそ――――義之と幸せになってやる。
「くそっ!」
また雰囲気に呑まれそうになった。完全に消えて無くなったと思っていた感情。それがまだ微かだが残っていた。
邪魔な感情だ、早くなくなればいいのにと思う。こんな感情持っていても何も役に立たない。また誰かを悲しませるだけだ、
まだオレはエリカに女々しい感情を抱いているのか。求めているというのか。そんな馬鹿な事をまだ思っているのか。
「全部忘れるんだ・・・・何もかも。エリカと過ごした日々全部を」
あまりにもエリカと築きあげた時間が長すぎた。確実にエリカはオレの心に居付いていたのは確かだった。今なおそれはオレの心の中に居る。
ふぅ・・・とため息をついた。深呼吸をしてさっきの感情を追い出す。出来るだけエリカの事を考えないように肺の中に新鮮な空気を入れた。
「大丈夫・・・・普段通りに接すれば問題ない。いつも通りの態度でいればあっちも諦めるだろう」
そう、いつも通りの態度でいれば問題無い。事実この三週間は全然エリカに対して愛情なんて持っていなかった。
さっきのはたまたまだ。たまたまあんな事故があったせいで変な気なんか起こしちまった。もうニ度とあんな事故なんて起きないだろう。
エリカにはもう会わない。廊下ですれ違うのも危ない気がする。今度からは出来るだけかち会わないようにしよう。
「おーい、義之っ!」
「あ?」
そう言って振り返ると美夏と花咲達がこちらに向かって歩いてくるのが見えてきた。というか小恋、雪村はともかく白河までいるのか。
あいつ苦手なんだよなぁ。なんか魔法っぽいの持っている感じがするし・・・・。さくらさんの話を聞いた時にもしかしてとオレは思っていた。
まぁ体に触れさせなきゃ危険は無いみたいだし別に放っておいてもいい気はするんだが・・・・用心する事に越した事は無い。
「よぉ、今からお昼ご飯か」
「うむ。実は杏先輩達にお昼に誘われていてな、よかったらお前もどうかと思ったんだが」
「うん? オレなんかが来てもいいのか? 別に気なんか使わなくたっていいんだが・・・・一人で食べるし」
「なぁに言ってるのよっ! グダグダ言ってないでついてきなさいな」
「おいおい・・・・」
そう言って腕を掴んで輪の中へ引きずり込んでくる茜。まぁ別にこいつらと一緒に食ってもいい。特に仲が悪いヤツなんていないしな。
少なくともオレはそう思っていた。あれだけ自由奔放に暴れ回ったとしても嫌われていると思っていなかった。無神経だからな、オレ。
「しかしアレだな、男一人というと他人の視線が気になるな」
「なぁに言ってるのよ。義之くんはそういうの気にしないでしょ」
「うむ。無神経だからな、義之は」
「ばかやろう。オレはとても感受性の高い人間なんだ。学者だって絵描きだってなんだってなれる逸材なんだぞ?」
「はいはい分かってまちゅよぉ~? 義之きゅんはとても感受性が強くて恋も多くしちゃうんでちゅよねぇ~?」
「だ、駄目だよ茜・・・・そんな事言っちゃ・・・・」
「・・・・・」
痛いところを突かれたな。それを言われちゃ何も言えねぇよ。とりあえず茜の言い分を無視して前を向く。
脇からつれないわねぇ~と甘ったるい言葉が聞こえて来るが聞こえないふりをした。構ったら余計にこいつは調子に乗る。
しかし―――男1人に女5人か。ふざけたメンバーだ。軽くハーレム状態になってるのでどこかソワソワしてしまう。
元々人嫌いのオレだからかもしれんが微妙に気分が沈んでしまう。思わずため息をついてしまいそうだった。
「男一人増えた所で何も変わりはしないと思うがな」
「いないよりはマシだ。ほれ、オレのチャーシューを分けてやるよ」
「むぅ・・・・あまり脂っこいのは食べたくないのだがな」
文句を言いつつ食べる杉並。こいつはなんというか神経質っぽいところもあるしそういうのが気になる性質なんだろう。細かい男だ。
食堂でたまたま一人で食べようとしていた杉並を捕まえられてラッキーだった。仲のいい同性がいるのがこんなにもいいもんだとは思わなかったな。
対面には杉並が座っており右側には美夏、左側には・・・・白河が座っている。なんの嫌がらせなんだろうか。
「こ、こうやって義之君と喋るのも久しぶりだね!」
「・・・・そうだな。去年の年末以来か」
「うん? なんだ、義之は白河先輩と仲が悪いのか?」
「そんなんじゃねぇよ、美夏。クラスも違うし中々喋るチャンスが無いだけだ」
「・・・・・・」
「なんだよ、雪村」
「いえ、別に」
澄まし顔で野菜をもしゃもしゃ食う雪村。こいつも案外鋭い所があるから侮れない。今の嘘ぐらい見抜いているに違いないだろう。
まぁ、実際嫌いという訳ではない。ただ苦手なだけだ。あの心を覗かれる様な感覚は好きになれない。思わず殴り飛ばしてしまいそうだ。
最近落ち着いてきたとはいえその可能性は否定できない。出来るだけ左を見ないようにしながらラーメンの汁を啜る。
「でもあれだよねぇ、義之君にまさかちゃんとした彼女が出来るとはねぇ~」
「それもまさか美夏とはね。まぁ去年から薄々感付いてはいたけど」
「茜の『ちゃんとした』って部分がまぁ気になるが・・・・自慢の彼女だ。結構気に入っている」
「ば、ばかっ! こ、こんな所でなんて事言うんだっ!」
「あらあら妬けちゃうわねぇ、杏ちゃん」
「まぁまぁ妬けちゃいますわね、茜さん」
「・・・・・何とでもいえ」
しかし茜と杏のコンビはあれだな、結構Sっぽいコンビだ。あんなやつらに目を付けられた弄られキャラなんかいたら思わず同情してしまう。
というかさっそく弄られてる奴がいた。小恋だ。ヤツは昔からおとなしめの性格だからこいつらのいい玩具だろう。少し泣きが入ってるし。
なんでこんな奴らと付き合っているんだか・・・・そう思い、コップに手を付けようとして――――ななかの手とぶつかってしまった。
「あ・・・・・・・・・・・・・ご、ごめんっ!」
「―――別にいいよ。よそ見してたオレも悪い」
そう言って水を飲み干す。周りはすっかり小恋弄りに注目している。というか小恋の胸を揉んでるんじゃねぇよ、茜。お前の場合レズにしか見えねぇし。
杉並も杉並でボーッとした感じでその光景を見てるし、美夏もそれをみて笑っている。今ならチャンスか。
「・・・おっと」
「あ、いいよいいよ。私が拾うから」
白河の足元に携帯を落としてしまった。心優しい白河は笑顔でそう言ってテーブルの下に屈んだ。本当に気の効く奴だ。
そして周囲を見回してオレも背中だけテーブルの下に突っ込む。驚く白河の顔。オレは構わず問いかけた。
「どこまで読んだ?」
「え・・・・」
「オレの心だよ」
「―――――――ッ!」
こいつ・・・・さっきの瞬間で心を読みやがった。僅かだがあの嫌悪感をオレは感じた。だからわざわざ携帯を落としたフリをして白河と話せる状況を
作った。別に後でもよかったんだが長い話をする事でもない。聞くのは『どこまでオレの事を知ったのか』それだけだからな。
そしてコイツの表情、驚きと恐怖の顔で満ちている。どうやら当たりだったようだ。別に間違いだったとしてもオレの妄言で済む話で痛手なんてない。
あまり長く話せる時間はないので少しキツめに睨んでおく。そして視線を泳がす白河。この状態まで来れば話すのに時間は掛からないだろう。
「別にお前の能力とかを他の人に話すつもりなんて無い。人には一つぐらい秘密があるってもんだ。オレはそれを無闇に他人に話したりしない」
「・・・・えっと・・・・・」
「ここで問題なのはお前がオレの何について知ったかだ。正直に話してくれないかな? ちなみにオレに嘘はきかない。目で嘘か本当か分かるからな。
もし嘘をついていた場合――――ここでお前を裸にひん剥いてやる」
「な・・・・! う、嘘でしょうっ!?」
「オレの目をよく見てみろ。嘘をついているように見えるか、あ?」
「う・・・・・」
「別に正直に話したら何もしない。これだけは誓ってもいい。ただ嘘をついた場合・・・・本当に裸にして放り出してやる」
「・・・・・・」
ここまで言って嘘をつけたら大したもんだ。オレの目なんて本気にしか見えないだろうし、白河はとてもじゃないが度胸のある人物には見えない。
目もしっかり泳いでるし肩を小刻みに揺らしている。度胸のある人間はこんな動きなんてしない。演技という可能性もあるが・・・・これが演技
だったら金を払いたい気分だ。それほど動揺しまくっている。
そして白河はおずおずと喋り出した。いつもの元気が良い喋りではなくどこか後ろめたそうな声で。
「・・・・・・全部」
「全部? いや、それじゃ分からな――――」
「義之君が義之君じゃ無い事やエリカさんの事とか色々・・・・・全部」
「・・・・・・・・」
背中を起こしてテーブルに居直る。そして食事を再開した。どうやら小恋弄りはピークに達しているようで雪村も小恋の胸を揉んでいる。それを見て興奮
している美夏。あんまり教育に悪いから見せるなよ。
「あ、あのね義之――――」
「その分だとオレの自慰回数とか知ってそうだな、白河は」
「――――――ッ!」
瞬時に顔を赤くする白河嬢。遊んでそうな外見だが意外とウブなようだ。いつもあっちこっちの男子にボディタッチしていたからな。
まぁそれも結局は心の中を覗いていたのだろう。あんまり感心はしないが所詮は他人の事だ、オレに干渉しなければなんでもいい。
「あ、あのね・・・・別に誰にも言わないから・・・・」
「そうしてくれると助かる。まぁ話した所でアンタが頭おかしいように見られるだけだから別にいいんだけどよ」
「・・・・・怒らないの?」
「怒るも何も―――――知られちまったからにはどうしようもない。諦めるしかないよ。それともなにか? アンタはオレに
殺されたいのか? 口封じ的な意味でな」
「い、いや・・・・そういうのじゃないんだけど・・・・」
「だったら別にいいだろう。お前はオレの秘密も知ってオレもお前の秘密を知った。そしてどちらもおとぎ話に過ぎない。
よってお互いにこの事を忘れた方が良いだろう」
「・・・・それでいいなら・・・・うん・・・・それでいいよ」
そうして白河も食事を再開した。結局はそういう事だ。知られたからにはもうどうしようもないし、するつもりはない。
まさか「この義之君は義之君であって義之君ではないんです。別の世界から来たんです」とは言いふらしたりしないだろう。
そんな真似をすれば即刻そいつは精神科に送られる。オレが親だったら間違いないそうする。だってそんな奴が正気だとはとても思えないからな。
強いて言えばエリカの件に関しては言いふらしたりしないで欲しいもんだ。白河は言わないと言っていたがもし言った場合――――剥いでやる。
「なぁ、興味本位で一つ聞いていいか?」
「うん? 何かな?」
「そうやって人の顔色ばかり窺って生きてて楽しいか?」
「――――――ッ!」
別に責める様に喋ったつもりはない。だが白河の顔が段々曇っていく。なんだ、悪い事してるって自覚があるのか。
どういった事情であれ人の心を覗くなんて卑劣極まりない行為だ。まぁそれは一般論だしオレは別に何も思ったりはしない。
ただ悪いと思いながらそんな行為してるんだとしたら・・・・人は見掛けによらないな。
「あのね・・・・・私小さい頃・・・・」
「あー別にいいよ、喋らなくて」
「えっ?」
「辛気臭い話より面白い話を聞きたいもんだ。どうせ小さい頃不安でたまらなくてーとかそんなんだろ? 別に興味ねぇよ」
「・・・・・・」
「見てて分かったよ。どうやら楽しくはなさそうだ。悪いな、変な質問して」
「あ・・・・別にいいけど・・・・」
そう言って落ち込む白河。案外根は暗いのかもしれない。普段の様子見る限りじゃこの上ないぐらいに明るいのにな。やはり外見は当てにならない。
小さく手を握り締めちゃってまぁかわいいこと。別に責める様な口調ではなかったのだが白河はそうは受け取らなかったらしい。難儀な事だ。
なんにせよ―――悪い事をしちまったな。そう思いオレはその手の上から手を置いた。ハッとしてこちらを見る白河。
「別に責めてはいない。そうやって人の中で暮らしていくのがアンタの処世術なんだろ? 別にそれに関してはオレはどうでもいいと思っている」
「・・・・・でも・・・なんだかんだいって悪い事をしてるって自覚はあるんだ。人の心を覗くなんて行為、普通じゃないもんね」
「だったら止めた方がいいな。そんな事を繰り返して生きていたらアンタの場合自殺とかしそうだ。まぁ普段の行動見てるとかなり依存
してるようだから中々止めれないと思うけど」
「うん・・・・でもどうしても不安になっちゃうんだ。人が自分の事をどう思っているかって。やっぱり良く思われたいじゃない? だからいつも
人の心を読んで、人が期待してる事をして、そして―――これから先もそうやって生きて行くんだと思う」
「だったらどこかで折り合いを付けた方が良い。オレなんか他人の目なんか気にした事ないぞ? まぁオレみたいに自由になれ
ってのは無理だろうけどな。性格歪んでるし」
「――――あはは、義之君みたいに強くないからね。義之君ていつも堂々としていてオレが地球の中心とか思ってそうだし」
「・・・・そこまで調子に乗っているとは思わないんだが」
だが他人からみたらそうなのだろう。思わず天を仰いでしまう。オレが強いねぇ・・・・タダの社会不適合者の間違いだろう。
しかしどうやら白河は元気が出たみたいでよかった。いつもと違う自然な笑みを顔に浮かべている。なんだ、普通に笑えるんじゃねぇか。
いつもは作り笑いみたいなものを作っているがこっちの笑みの方が断然いい。可愛いし。なんていうかおしとやかな笑みって感じだな。
「あ・・・・」
「あ? どうした」
「べ、別に何でも・・・・」
そう言って顔を俯かせる白河。若干頬が赤くなっているんだが―――ああ、そういう事か。
確かにオレの手は白河の体に触れている。リアルタイムでオレの心情が流れているんだろう。
しかしこうしてる奴を見てると・・・・・構いたくなるな。まるで弄ってと言わんばかりのこの態度。弄らない方が失礼だろう。
白河はオレの考えを読んだのか少しひきつった笑みで逃げようとして―――逃げられなかった。オレが手を掴んでいるからな。
「白河はそういう風な自然な笑みが似合うな。とても可愛いと思うし魅力的に映る」
「そ・・・・そんな嘘ばっかり言っちゃって。本当はそんな事思っていない癖に」
「本当かどうかは、白河が一番知ってるんじゃないのか?」
「・・・・・・」
また更に縮まって顔を赤くする白河。別に嘘は言っていない。本当の事を言っているのだから。
しかしこいつも茜と同じで責められると弱いタイプか。こういう態度されたら益々苛めたくなる。
「なぁ、白河。なんでそんなに綺麗なんだ?」
「え・・・・・」
「ロングストレートな髪に二重のくっきりとした目。それにスタイルもよくてモデルみたいだ。男子達が白河に夢中になるのが分かる気がするよ。
それに使っている香水もほのかで良い臭いだ。周りの奴らはつけ過ぎたり似合いもしない香水をつけているのをよく見るが白河の場合は上手く
つけこなしているな。よく似合ってるよ、ミントの香り」
「あ・・・・と、えっと・・・・その・・・・」
「そして歌も上手いときたもんだ。将来やっぱり芸能関係の仕事に行くのか? だったらやっぱりなと思うな。オレがその業界の人間だったら
放って置かないし離しもしない。その魅力があるんだよ、白河には。なんだかんだで人当たりもよさそうだし上手くやっていけそうな感じが
するなぁ。あ、でも白河の場合いらない嫉妬や恨みを買いそうで心配だよ」
「え、な、なんで?」
「決まってるじゃねぇか。美人過ぎるからだよ。性格もな。そんな人物が目を付けられない訳が無い。でも安心してもいい、白河の場合
ちゃんとした人が守ってくれるよ。こんな美人を放って置く男なんていやしないんだから。もう将来なんて約束されたもんだなこれは。
羨ましいよ本当」
「う・・・・うぅ・・・・」
「で、最初に質問に戻る。なんで白河はそんなに綺麗なんだ?」
「え、と・・・・・その・・・・ね? あ、あはは」
「答えるまで話は終わらないよ?」
「そ、そんな・・・・う・・・うぅ・・・・」
やばい。これは弄り甲斐がある。こういう普段弄る側の人間を弄るととてつもなく面白い。対処の仕方が分からないからテンパってしまう。
だが嘘を言ったんじゃ白河にバレてしまうから出来るだけ本音を言う。実際白河は美人だと思っているからな。
そしてまた弄ろうとして―――杉並と目線が合う。何がおかしいのか含み笑いをしている。
「ん? なんだよ」
「右を向いたら面白い事になるぞ、桜内よ」
「なんだよ、右って」
右を向いて―――思わず体が後ずさった。いつの間にか小恋弄りは終わってて全員こちらを向いていた。その多くの視線がオレに向けられていた。
そして怖いのが茜と美夏の視線。少し調子に乗ってしまっていたのか全然気づかなかった。ていうか杉並も早く教えてくれればいいのによ。
オレがあまり反応を返してこないが面白くないのか茜がオレに近づいてきて―――笑いかける。思わず顔が引き攣ってしまった。
「義之きゅんだめでしょう~? もう彼女さんがいるのにそんなことしてちゃぁ。それも彼女さんの脇で口説くなんて論外でちゅよぉ?」
「別に口説くとかそんなんじゃあ――――」
「金髪娘とか私とか色々前科あるのにまだそんな事言うんだぁ・・・・へぇ~・・・・ほぉ」
「・・・・・悪かったよ。調子に乗り過ぎた。白河もごめんな」
「わ、私は・・・・別に・・・・嫌じゃなかったし・・・・あ、あはは」
白河がそう言うと更に空気が重くなる。この女、頼むから空気読んでくれよ。茜なんかマジおっかねぇし美夏なんかオレの方すら見ていない始末だ。
この後が大変だった。美夏は一度機嫌を損ねたら中々直らない。オレは情けなくなりながらも終始彼女の機嫌取りをした。周りからはどこか含みのある
視線を向けられたが無視した。ヘタに何か言うと変な科学反応が起きる可能性があった。
昼休みはそれだけに大幅な時間を取られてしまい散々だった。まぁこれはオレが悪かったしもうニ度と他の女の子を構ったりしないと誓った。
それでようやく機嫌を直してくれたのでよかった。ああ、まさかオレがこんな風に頭を下げるなんて思わなかった。それも名目は機嫌を損ねた
彼女の機嫌取り。少し自重してこれから生活しようとオレは決めた。
「なぁムラサキぃ、いいから試しに付き合ってみようぜ、なぁ?」
「ご遠慮しときますわ。前から何度も言って差し上げてますでしょう? その気はないと」
「そこをなんとかさぁ~。どうせ彼氏とかいないんだろ今? 別にいいじゃん、な?」
「・・・・・・・はぁ」
思わずため息が漏れてしまう。この男は前から何回もこうやってしつこく私に付き纏ってきていた。先輩だからあまり無下に出来ないとは言えそろそろ
堪忍袋の尾が切れてしまいそうだ。
こんないかにもチンピラ風な男に言い寄られても全然嬉しくなどない。いや、かえって自分の価値を下げてしまっている。私にはそう思えた。
もし義之との件が無くてもこんな男、死んでも付き合う事はないだろう。何の罰ゲームでこんな下劣な男と付き合わなければいけないのだ。
「オレってさぁ、結構頼り甲斐があると思うんだよねぇ。自分でも言うのもなんだがそう思ってるんだよ」
「一応聞いておきますけれど・・・・どんな所かしら」
「この間市内に遊びに行ってたんだよ。そん時にどっかの学校の連中にぶつかっちまってさぁ、ケンカになった訳。相手は六人ぐらいいたかな?
もう全員ブッ倒してやったね。どうだ? やっぱり男はケンカが強くないと駄目だろ?」
「・・・・・そうですわね」
面倒なので空返事を返してやった。なのにその男は何を勘違いしたのか様々な武勇伝を語り始めた。思わずコメカミを押さえながら歩く。
慌ててその男も後を追いかけてきた。本当に面倒だ。こんな事をしている場合じゃないのに・・・・まったく、最近は本当にツイていない。
どうせ六人というのも嘘だろう。いい所見せようと誇張したに過ぎない。そもそも本当にケンカをしたのかすら怪しいものだ。
「相手は倒れた後、逃げ惑ってたね。ライオンの群れから逃げる小鹿みたいな光景だった。でもオレは優しいから逃がしてやったよ。
仲間を肩に抱いて逃げる姿に心打たれちまった。無闇なケンカはさすがにオレも嫌いだからなぁ」
「いい心掛けですわね。ケンカなんてロクなものではないですし」
「だろ? やっぱり自己防衛は必要だと思うけど慈悲の心っての? そういうのも大切だと思うんだよ」
だったらケンカの話なんか始めるな。大体ケンカの話をしたら女が食い付いてくると思っているのかこの男は。小学生じゃあるまいし幼稚なもんだ。
大体ケンカの話なんてものは女性は苦手とする話だ。興味があったとしても実物を見たら泣いてしまうレベルの女が多い。
なんにせよ――――頭の悪さが滲み出ている。私の最も嫌いな人種だ。義之みたいなレベルとまではいかなくても少しぐらいは理性的な部分を
持ち合わせて欲しい。
「だからオレと付き合ったら優しくしちゃうよ? それはもう嬉しすぎて飛び跳ねるぐらいに」
「悪いですけど一人で飛び跳ねて下さいな。私、別に飛び跳ねたくないので」
「おい、人が下手に出てればいい気に――――」
「何か言ったかしら?」
「う・・・いや、なんでもねぇよ・・・・」
一睨みしたら尻込みして言葉を小さくする相手。まぁこういう手合いには私ぐらいの雰囲気でも圧倒できる。仮にも王族の一員なのだから。
それしたってなんとも情けない男だ。こんな年下の女に圧倒されるなんて・・・・情けないにも程がある。なんで生きているんだろうか。
義之よりも力が無さそう、知も無さそう、心の強さも無さそう、魅力も無さそう、センスも無さそう、常識も無さそう、義も無さそう。
オマケに口説き文句も下手ときた。これでよく女を口説こうと思ったもんだ。そんな暇があるなら自分を磨けばいいのに。
「私、行きますわよ」
「あ、ちょっと待ってくれよぉ」
そう言ってまた着いてくる。いい加減にしてほしいものだ。その気はないと言っているのに・・・・いい加減しつこい。
私は追い返そうと振り返ろうとして、止まった。前には義之と天枷さんが歩いていた。どうやら食堂の帰りらしい。
どうやらあの義之が天枷さんに謝っているようだ。聞き耳を立てなくても無意識に言葉を拾ってしまう。
「悪かったって美夏。だから今度埋め合わせすからよ」
「ふん。お前のタラシには慣れたつもりだが・・・・言っておくけどお前には彼女がいるんだぞ? そこの所忘れるなよ」
「わーってるての。オレが一番大事なのはお前だと思っている」
「・・・・・・ふん」
顔をそっぽに向いて不満気だと体全体でアピールする彼女。でもその間も繋いだ手を離してなんかいない。要は怒っているのはポーズだけだ。
それはそうだ。義之に一番大事だと言われたのだ。嬉しくない訳が無い。どうせ心の中では歓喜でいっぱいなのだろう。
そんな彼女を見ていると――――憎しみで心が満たされていく。私から義之と奪った女性。タダで済まさせない。初めてだこんな気持ちは。
「う~ん? どうかしたのか、ムラ・・サ・・・キ」
「・・・・・? どうしかしましたの?」
「い、いやっ! な、なんでもねぇよっ! あ、ははは・・・・」
失礼な男性だ。人の顔を見るなり固まるなんて。私の顔に何か付いているのかしら? しかし手の甲で拭っても何も付いて無かった。
まぁ今はそんな事よりこの気持ちを治めるのが先決だ。こんな感情なんか吹き飛ばして清々したい気分だ。あまりにも私には似合わない。
本来ならこの感情は天枷さんが味わう筈なのだ。どうにかしないと・・・・。
「ん? 何かな?」
「――――――――そうね、そうだわ」
「・・・・・・?」
男の顔を見詰める。そうだった。私は王族だったんだ。人を使って当り前の地位にいる事をすっかり失念していた。
どうやらこの島に居過ぎたせいか少しボケてしまったらしい。思わず苦笑いをしてしまう。まぁ思い出したから別にいいですけど。
そしてその男にあるお願い事をしてみる。最初は渋っていたがある条件を突きつけると快く承諾してくれた。
「今に見てなさい。絶対に・・・・・・・義之は私の隣に来るんだから」
もう見えない天枷さんの背中を睨みつけるように廊下の向こうを睨む。私から義之を奪った報い、絶対に思い知らせてやる。
そう決心して私は歩き出した。その男もしつこく着いてきたが・・・・・まぁ別にいいだろう。後で変にゴネられても困るし。
義之と別れさせる為ならなんでもする。その行いになんの疑問を抱いていなかった。だって――――それが義之の為なんですから。