「はぁ・・・・」
ため息を吐きながら通学路を歩く。本当に、ため息しか出て来ないこの現状。もう何もする気が出ないでいた。
義之には殴られ、あまつさえもう見切りを付けられてしまった。恐らくもう話す事さえないだろう。義之がそう言っていたのだから
ショックを通り越してもう何も感じなかった。廃人と言っても過言ではない。学校へ行くのにこうして歩いているのは貴族としてのせめての責務感か。
あの後病院へ行き手厚い看護を受けた。とは言っても怪我はそんな酷いモノでもなかった。確かに腫れはしたが三日経つ頃にはもう完治していた。
意外な話かもしれないが手加減は一応してくれたらしい。私が相手だからかもしれない。だが、今はそんなモノは何の慰めにもならない。
殴られたという事は義之の近しい人間では無くなったという事だ。あの人は自分が大事に思っている人には手を挙げない。
本当に怒った場合はそんなのは関係ないがあの時の義之の眼、冷静だった。その冷静な眼を持ってして私は殴られた。
この三日間は学校を休んだ。家に引き籠って泣きっぱなしだった。食事もロクに採っていないせいか少し体がふらつく。だが支えてくれる相手はもういない。
思わず失笑してしまう有様だった。何が貴族だ、お姫様だ。そんなもの――――全然役に立ちはしない。
「よ、よぉ、ムラサキ」
「あ――――」
「怪我、大丈夫だったか?」
「・・・・・・・」
「いやぁ、参ったよ本当に。オレ以外はまだ入院って有様だしよ。オレも本当は家に籠っていたいんだけど親がうるさくてさぁ。こうして無理して
出張ってきたって訳なんだよ」
声を掛けてきた鼻に厚いガーゼを付けている男。私にアプローチを掛け今回の作戦に協力してくれた先輩だった。ヘラヘラしながら私に気安く声を掛けてくる。
結局、この男は役に叩かなかった。私は冷たい眼でその男を見据える。男は少したじろく様子を見せたが顔に無理矢理笑みを浮かべると再度言葉を掛けてきた。
「そ、そんなに睨むなよ。まだあの時の事を根に持ってやがるのか?」
「・・・・・」
「しょうがねぇじゃねーか。まさかあんなヤバイ奴が乱入してくるなんて思わなかったんだしよ。労いの言葉を掛けてもらうの当然として
そんなに睨まれる覚えはないぜ?」
「あら、それはどうも。おかげで一発殴られただけで済みましたわ。あまりにもお役に立ちましたので総出をあげて感謝したい気分です」
「・・・・おい」
「ああ、でも残念ですわ。この時期私の家はとても忙しいのでお構いする事が出来ません。でもそうね。確か貴方にお似合いの女性が動物園に居ましたわ。
チンパンジー、とか言いましたっけ。よければ私が紹介して差し上げてもよろしくてよ?」
「ふざけるなよ。お前のお願いのせいでどれだけ被害が出たと思っているんだ。一人はもうセックスが出来ねぇかもしれねぇ、もう二人は全治半年
の大怪我で障害持ちだ。責任取れよ。ムラサキの家は金持ちなんだろ? なんとか出来ない筈が無い」
「嫌ですわ、面倒臭い。大方警察にも届けを出していないのでしょう? それはそうですわね。レイプ未遂でボロボロにされたのですから。反対に
逮捕なりなんなりされてしまうでしょうね」
「そ、それはお前が命令して――――」
「日本は良い国ですわ。どれだけ自分が悪くても女性というだけで甘く裁判をしてもらえるのですから」
痴漢、詐欺、窃盗・万引き。この国は女性に対して甘過ぎる。前テレビで見た物は酷いものだった。
家族の為に一生懸命働き普通の生活に幸せを見出している普通の男。それが頭の悪そうな女のせいで一生を棒に振る事になった。
家族もろとも後ろ指を刺され何年も裁判をした。笑いを耐えるような顔で悲しげなポーズを取る女性。冤罪と分かっても何の罰も与えられなかった。
結局その家族はその地に居られなくなり引っ越しをしたという。今まで勤め上げてきた会社をクビになり離婚もした。もう男には何も残されなかった。
ある政治家が言っていた。裁判制度は大きく成長したと。じゃあその女は何故今も悠々と普通に暮らせているのか。笑える話、何も変わってなどいなかった。
「まぁ、そういう事で――――もう私に関わらないで下さいね。ハッキリ言ってうっとおしいので。それでは・・・・」
「ざ、ざけんなっ! あんまり調子に乗るなよてめぇ!」
「あ――――」
「おっと、あんまり騒ぐなよ。まぁーこんな裏道じゃ誰も来ねぇけどな」
私の襟を掴み、ナイフを突き付ける。男はかなり興奮しているようで制止の言葉など通じそうに無かった。少し、挑発しすぎたかもしれない。
視線を周りに配る。ちょうど近道しようと裏道に来ていたので誰も居る様子が無い。思わずため息をつきたくなる。不運というのは続くものなのかと。
とりあえず男に視線を合わす。目は落ち着きなく動き息も荒い。とてもじゃないが義之みたいな怖いオーラは無かった。まるで狼とノラ犬ぐらいの差がある。
「へへ・・・怖いだろ? そりゃそうだ、お前はお嬢様だからな。こんな事なんてされた事ないだろ?」
「まぁ、そうですわね。いつもはボディガードが付いていますので」
「そのボディガードは今はいねぇ。まさかよぉ、こんな平和な日本でこんな事されるとは思っていなかったろうな。貴族って何か馬鹿そうだしなぁ・・・・」
「・・・・・それで、何が望みかしら?」
「お、なんだ察しがいいじゃねぇか」
「御託はいいから早くおっしゃいな」
「・・・・ここでストリップしてもらおうか」
「は・・・・?」
「その後は勿論オレの相手をしてもらう。残念だがお前の初体験の相手はオレって事だな。安心しな、オレは結構優しい男だからよぉ、へへ」
「・・・・・・」
この男は――――何を言っているのだろうか。貴方みたな低俗な男が私を抱くと? 娼婦みたいな真似をしろと? そう言ってるのかこの男は。
思わず口が引き攣ってしまう。あまりの怒りに。私も舐められたモノだ、貴族の皇女とあろう私がこんな下賎な要求をされるなんて。笑えない。
私のそんな様子を恐怖していると勘違いしたのか舌をぺロリと舐め私の胸を凝視してくる。思わず吐き気がした。
「そんなにビビんなくたって大丈夫だって。最初は痛いかもしれねぇが・・・・その内気持ちよくなるからよ。だからオレに全部任せな、な?」
「・・・・・・」
「さて、最初はそのスカートを脱いで――――」
「あ」
「ん?」
私は声を上げて明後日の方を見る。つられて男もそっちの方を見た―――瞬間、そのナイフを取り上げた。
茫然とする男。そんな様子の男を見て笑い―――ナイフを腿に刺した。悲鳴を上げる男。思わずもんどり打って倒れる。
あまりの煩さに私はさらにいらつく。男なんだからもっとシャキッとしてもらわないと。口うるさい男は好みではないのだ。
「ああぁあぁああっ!、い、いてぇよぉ・・・・!」
「そう、よかったですわね。なかなかこの日本という国で刺されるなんて経験出来ませんから。きっと自慢出来ますわよ?」
「あ・・・ぎ・・・・こ、この――――」
「黙りなさい」
開きかけた口を踏みつける。男の眼から涙が零れ落ちる。なんというだらしなさ、もうさっきの勢いは無い。懇願するような眼を向けてきた。
ため息をつく私。なかなか義之みたいな男はいないものだ。これが義之なら射殺さんばかりの視線を向けてくるというのに。その欠片さえも無い。
土下座するように座りこんでいる男。そんな様子を見て―――飽きてしまった。もうどうでもいい。そのまま出血死しようが救急車を呼ぼうがどうでもよくなった。
「もう私の前に姿を表さないと、誓える?」
「・・・・は、はい。誓います・・・・だから・・・・・」
「結構。次姿を見せた時は本当に殺しますわよ。今度はそうね、まず眼を抉って差し上げますわ。前々から思っていたのですが貴方の目、気に入らなかったの。
そのいつも下心を隠さないでねっとり絡みつく視線に吐き気を感じていました。それとも今抉りましょうか? ちょうどいいナイフがありますし」
「ひ、ひぃ・・・・止めてください・・・・お願いします・・・」
男の眼と鼻の先にナイフをちらつかせた。恐怖で見開く眼と口。本当に刺されると思っているのだろう。当然だ、私は刺してもいい眼付きをしているのだから。
まぁ、冷静に考えたら馬鹿げてる。こんな男の為にそこまでのリスクを掛けてやる必要は無い。警察など怖くない。ただ面倒なだけだった。
一瞥をくれて私は歩き出す。つまらない事で時間を取られてしまった。まったく、遅刻して先生に怒られたらどうするのだ。
「ああ、それと最後に言っておく事があります」
「・・・・は、はい」
「私、処女ではありませんの。残念でしたわね」
「は――――」
振りかえり私は言ってやる。呆けた顔をする男。そして私は再び歩き出した。
私の一番大事な人に処女をくれた事実。これだけはハッキリしておきたかった。つまらない自己主張だが、私にとっては凄く大事な事。
あの義之が私を抱いてくれた。今となってはこれだけが私の良い思い出だった。縋りついてると言ってもいい。
結局、まだ、私は義之の事が好きだった。
もう届かないのは知っている。私に対して何も感情を抱いていなのは分かっている。理解している。ただ―――納得はしていなかった。
いつもみたいに私に微笑みかけて欲しい。ぶっきらぼうに、でも照れたように頭を掻く彼が愛おしかった。芯があるあの目が大好きだった。
いつも私が義之を見ようとすると、義之もこちらを私を見ようとして視線が噛み合っていた。そして苦笑いする彼。その間がお気に入りだった。
私を貴族とも思わないようなあのふてぶてしい態度。いつも唯我独尊的なあのオーラ。頼もしかった。あの背中をずっと眺めていたかった。
いい思い出。そう、思い出になってしまったもの。また泣きそうになる私。散々泣いたというのにまた涙が零れ落ちてくる。
なぜ、私では駄目なのだろうか。好きだと言っていたではないか。あの言葉は嘘だったのか。あんなにも私を求めてきたではないか。
答えが見つかりそうになかった。一生懸命考えたが答えは出なかった。また私がそうやって思考のループを繰り返そうとした時、ふと気付いた。
「あ・・・・・これ、どうしようかな」
血の付いたナイフ。こんなものを持って歩いていたら一発で補導だ。いくら平和ボケしているこの国でも捕まってしまうだろう。
まったく、あの男はここまで世話を焼かせるのか。やっぱり最初会った時からずっと無視をしてればよかった。どうせ私の体目的なのだろうから。
「・・・・ふぅ。面倒だけど、一応持って置いたほうがいいでしょうね」
危険が付きまとうかもしれない。何かの拍子でこんなものが見つかったりでもしたら大騒ぎになってしまう。しかし、捨てるなんてもっての外だ。
血のついたナイフ。見つかれば警察に届いてしまうだろう。もし指紋鑑定でもされたら厄介だ。この時代の星でも布程度で拭いた程度では指紋は消えない。
何度も言うが今の私はそんな面倒事に巻き込まれるのは嫌だった。別に争ってもいい。どうせ私の家がそんな事実なんて踏み倒してしまうのだから。
しかしそれが原因で父上に色々言われるのは好ましくない。あの人の説教を受ける気なんてさらさら無い。間違った事をしていないんだから。
しかたなしにハンカチでそれを包み鞄に入れる。とてもじゃないが今の大きさのハンカチでは血を拭いさる事なんて出来ない。私は舌打ちしたい気分を
我慢しながら学校へ向け再度足を歩かせた。学校、もう一時限目が始まっていた。
「じゃあねー、エリカー!」
「はい、ごきげんよう」
クラスメイトの級友と別れを済ませ下校する。結局授業には遅刻してしまうし今日は散々だ。特に理由等は聞かれ無かったが先生に珍しがられた。
そもそも今日一日は勉強には身が入らなかった。三日間も休んだ私を心配する級友の言葉でさえ雑音にしか聞こえない有様。重症だと思う。
「さて・・・・、帰りましょうか」
またあの一人ぼっちの空間に戻るのかと思うと憂鬱になる。あの部屋は義之との思い出がありすぎる。
一緒に料理をして、食事をして、談笑をして、ベットで寝て、そして―――一夜を共にした。義之を思い起こさせる物があの部屋には多くあった。
だったら引越せばいい。父上に頼み込めば一発だ。適当な理由をでっち挙げれば今すぐにでも違う場所にでも映移り住む事が出来る。
だが今の私は・・・・そんな思い出が詰まっている部屋から離れたくなかった。思い出に縋りついていると言ってもいい。
「・・・・・義之と、またたくさんを話したいなぁ」
思わず子供が駄々をこねるような口ぶりになってしまう。それが私の率直な気持ちだった。もう一度、あの日々に戻りたい。
義之と会って二ヵ月ちょっと。もう何年もの付き合いに思えた。それほど濃い期間だったし好きだった。ずっと続くものだと思っていた。
しかし――――いや、やめておこう。考えるだけでまた涙が零れてきてしまう。そう思い顔を正面に向けると――――
「あ・・・・・」
あれは・・・義之と花咲先輩。ちょうど帰る時間が重なってしまったのだろう。二人は仲良さそうに下校をしている最中だった。
思わず隠れるように身を潜めてしまう。情けない話だ。前までは堂々と義之の隣を歩いていたというのに今は罪人みたいにこそこそしてしまっている。
このまま学校に引き返すか違う道を行って義之と会わないようにするか、そう考えた。今義之と会っても辛いだけだろうし会いたくなかった。
でも――――足取りは義之達を追いかけていた。
「ねぇねぇ、どこか寄って帰りましょうよぉ」
「ざけんな。最近は色々ありすぎてクタクタなんだよ。お前一人で行け」
「そんな事言わないでさぁ。最近私に構ってくれないじゃない? たまにはいいでしょ?」
「明日な明日」
「あ、今言ったからね! 明日って言ったからね! 約束したからね今!」
「あーはいはい。今日のお礼もあるし付き合ってやるよ、たく」
「わぁい!」
義之の腕に嬉しそうに飛び付く花咲先輩。義之も嫌そうな素振りを見せるが本格的に引き離そうとしない。そして腕を組んだまま歩きだした。
思わず、歯軋りしてしまう。少し前までは私の居場所だったあの場所。そこに花咲先輩がいるのが悔しかった。私の居るべき場所を取られた気分だ。
本当ならああやって私が歩いて、他の女性が私みたいな悔しい思いをする筈だったんだ。それが何かの間違いで今みたいな立ち位置になってしまっている。
私は知らずしらずの内に後を追いかけるように歩いていた。特に何かをしようと思ってはいない。ただ、無意識の内に体が動いていた。
義之と花咲先輩は楽しそうにお喋りしながら歩いている。腕を組みながら。その手を引き千切りたい衝動に駆られる。その綺麗な顔を苦痛に歪ませたかった。
そう思っても私は動けないでいる。結局、私は意気地無しなのだ。だからこうやってみっともない姿で後を付け回している。もう義之と繋がる事はないのに。
「あとあの空き部屋での事なんだが・・・・絶対言うなよ」
「う~ん? なんの事かにゃ~?」
「惚けるなよタコ。てめぇとキスした事だ」
・・・・・は?
「えっへっへー、いやぁ久しぶりによっちーとキス出来てよかったわぁ。もう出来ないと思ってたしぃ」
「あたりめぇだろ。オレには彼女がいるんだし。そういえば最初のキスもてめぇから無理矢理してきたんだったな。無理矢理多いな、お前」
「だって義之君の事好きなんだもぉん」
「・・・・一度聞きたかったんだがよ」
「ん~?」
「オレのどこが気に入ったんだ? わりぃけどオレはいい男だとは自覚していない」
「そうだねぇ。すぐケンカするし男女関係なく殴るしSだし惚れ症だし女癖悪いし・・・・確かに結構最低男だよねぇ」
「おい――――」
「でも・・・・そんな義之君が茜ちゃんはだぁい好きなのでしたぁ~!」
「あ、ばか、てめ――――」
義之の体が動けない事をいいことに――――花咲先輩は義之の頬にキスをした。慌てる義之と嬉しそうに微笑む花咲先輩。
その後すぐ義之は怒った。二度とやるなよ。もう絶交だ、絶交、そんな言葉を花咲先輩に浴びせている、しかし何が嬉しいのか、花咲先輩はにこにこしている。
そんな様子を見て義之は呆れたように天を仰ぎ、歩き出した。後追いかけるように腕に飛び付く花咲先輩。今度は腕を振り払おうとしなかった。
「なにあれ」
口に出して言う。話が、違うでは無いか。義之は言った。天枷さんが一番大事だと。だったら今の光景を何だ。まるで逆じゃないか。
楽しそうにお喋りをして、腕を組んで、キスをして。私が今までやってきた事、それを花咲先輩がやっている。しかも義之はそれを受け入れているときた。
「は、はは・・・・何よ、ソレ」
乾いた笑いが出てくる。あれでは私が何のために殴られたのか分かった物では無い。
天枷さんが一番大事だと言って置きながら隠れて他の女と逢引している。その事実は私を・・・・かなり激情に駆らせた。
確かに私は義之が大好きだ。義之の為なら何だって出来る。今すぐ抱けと言うならその身を任せられるし、死ねと言ったらすぐ死ねる気持ちでいた。
その気持ち―――今はすべて憎さに変わってしまった。まるでコインの裏表の様に裏返る。ふと気付くと自分の拳から血が出ていた。
何だろうと思って周りを見渡すと壁に血が付いていた。ああ、と私は気付く。なんて事は無い、近くの壁を思わず殴ってしまったようだ。
その血をぺロリと舐め消毒する。そして止まっていた足を再度動かした。
「―――――――許さない」
私を散々な目に合わせておいてこの仕打ち。好きだ何だと言って、結局は天枷さんと付き合った義之。その時はまだ許せた。
何かの間違い、そう、何かの間違いだったから許せていた。しかし現実はどうだ。私を散々弄んだ挙句他の女にまで手を出している。
もう我慢がならなかった。私はその背中を睨みつけた。まるで親を殺した仇を見る目で。
「じゃあまったねぇ~」
「ああ。気を付けて帰れよ」
「あ、心配してくれてるんだぁ~! 私、嬉しいわぁ」
「なんだ、いきなり体をくねくねさせて。アルツハイマーか?」
「――――ッ! し、失礼ねっ! まったく、相変わらずデリカシーが無いんだから」
「はは、嘘だよ。ごめんな」
「あ――――」
「ん? なんだ」
「な、なんでもないわよ! じゃあね!」
「あ、ああ。またな」
慌てたように走り去る花咲先輩。その様子を少し首を傾げて見る義之。そして腰を気にした様に擦りながら帰路に踵を返した。
まぁ、花咲先輩の気持ちも分からんではない。義之がたまに見せる笑顔はとても胸にくるものだ。大方いきなりそんな笑顔を見せられて恥ずかしかったのだろう。
私もそんな気持ちをよく抱いていたから分かる。しかし今はそんな事はどうだっていい。私は気取られないように義之の後を追った。
「いってぇな、マジでよぉ・・・・・」
さて、この男をどうしようか。
恐らく私は冷静な頭をしていなかったんだろう。
だって、今からあの義之殺そうとしているのだから。
あんなに好きだった義之をだ。
「さて、早く家に帰ってコタツにでも入るか。まだ夜になると大分冷え込むし」
無事に家に帰すつもりなんて無い。
このまま帰らせたらこんな機会は無くなる。義之が気を抜いている今がチャンスだ。
それにこの気持ちは収まりそうにない。今すぐにでも発散させたかった。
「なんかこっちに来てから濃くなったよなぁ、オレの生活。なんだか彩られたような感じだ」
訳の分からない事を言う。義之の出身地はここではなかったのか?
でもまぁ彩られた云々は分かる気がする。私といい花咲先輩といい天枷さんといい、実に楽しいことだろう。
男ならこれだけの女性に囲まれたらさぞや気分がいいだろう。
「友達、か。そういえば茜の話も少し気になるな」
また、あの女の話か。
いい加減にしろ。
私は鞄からあの男から取り上げたナイフを振りかざした。
そして――――グチャっという音と共に突き刺さった。
「あ、―――」
呟き声にも似た声を上げる義之。
しばらく訳が分からないといった感じであったが、膝が折れるように座りこんだ。
そして振りかえり私と目が合った。きっと義之は怒り狂うだろう。またあの凄まじい暴力を振るうに違いない。
だがそうはいかない。私はナイフを再び振り上げようとして―――止まった。義之の顔、『いつも』私と喋るような穏やかな表情をしていた。
「・・・・・マジかー・・・・刺されたのかよ、オレ」
「・・・・・・・・」
「まぁ・・・・なんだ。よくドラマとかで見る光景だが・・・・いつもオレは思っていた事がある・・・・ごほっ」
「・・・・・・・・」
「なんで刺される男は、いつもマヌケなんだろうってな。だが、もうバカにできねぇ・・・・こんな有様じゃあな、はは」
「・・・・・・・・」
「何泣きそうな顔、してんだよ・・・・・エリカ」
言われて初めて気付く。目の辺りの所を手で擦ってみると確かに涙が流れていた。
その理由―――考えるまでも無かった。私は、やっと義之と喋れて嬉しいんだ。ニ度と見れないと思った表情を私に向けてくれるのが嬉しいんだ。
思わず笑いそうになる。しかし笑いそうになるだけで笑えなかった。どうしようもない女だ。そんな事でさっきまでの感情なんかどこか行ってしまった。
ナイフが手から零れ落ちる。そして改めて気付いた。もう、義之以外の男は好きにならないだろう。確信した。この気持ちはこの先一生消えないだろうと。
「・・・・・よっと」
「あ―――」
壁に辛そうに寄りかかる義之。今までそんな表情なんて見せた事が無い。いつも強気な表情をして、芯が通っているかのような目をしていた義之。
しかし今やそんな眼もどこか虚ろになっている。私は急いで義之に駆け寄った。自分でやっておきながら死ぬほど後悔していた。更に涙が溢れてきてしまう。
馬鹿だ。阿呆だ。愚かだ。間抜けだ。私は嫉妬心で義之を殺そうとした。花咲先輩が羨ましかった。もうニ度と行けない場所にいる花咲先輩を嫉妬していた。
なんだこれだと理由は付けていたが結局それが理由だ。義之を嫌いになる筈が無い。確かに天枷さんという人が居ながら花咲先輩と逢引していた事には怒って
いた。当然だ、アレだけ見栄を切っていたのに浮気みたいな事をしていたのだから。
だがそれは後付けの理由。真っ先に感じたのは寂しいという感情と嫉妬だった。私もああしてほしい、腕を組みたい。正直天枷さんの事などどうでもよかった。
「最後に・・・・本当に腹割って話そうか、エリカ」
最後。もう長くはないのだろう。私は嫌々するように首を振る。義之は苦笑いしながら私の頭を撫でる。その久しぶりの感覚にまた涙が込み上げてきた。
ああ―――なんて取り返しのない事をしてしまったんだ。こんな事をしたら一生後悔するというのに。私は馬鹿だからそんな事さえ分からなかったのだろう。
そして義之は喋りだした。私はその言葉を聞き逃さないようにと必死に耳を傾けた。
参ったわ、マジで。まさかというか順当というか、エリカに刺されたか。具体的にどこを刺されたとか分からないが急所スレスレの所を刺されたようだ。
もし内蔵のどれかに一発でも刺さってたらこんなに喋る余裕は無い。すぐに昏倒してしまうだろう。オレだって人間だ。刺されて平気な訳ではない。
いい感じで血脈が切れてるみたいで血が結構流れている。まぁ座っている場所のすぐ横の溝に全部流れていってるから事件沙汰にはならないだろう。
「あーやっべぇわ。これすぐに救急車でも呼ばないと出血死で死ぬなぁ」
「――――ッ! そ、そうだわっ! すぐに救急車を呼ばないと・・・・」
「ああ、いいっていいって。そんな事しなくても」
「え・・・・」
救急車を呼ぼうとして携帯を持ちだしたエリカを制する。呆気に取られた顔をしたエリカ。
オレだって死にたがりでは無い。今すぐにでも病院へ行ってちゃんとした処置を受けた方がいいぐらい分かる。
だが―――そんな事よりもオレはエリカと話をしたかった。
「最近元気にしてるか? その様子じゃ・・・・あんま飯なんか食ってねぇだろ」
「な、なにをおっしゃってるのっ!? ああ、凄い血・・・・早く救急車を呼ばないと」
「日本の食事が合わないなら・・・・良い店を紹介してやる。フレンチ店なんだが大層な外見の割に価格が安い。結構穴場なんだぜ、そこ」
「あ、携帯を返しなさい! こらっ!」
「まぁちょっと遠いから移動が面倒、というのはあるな。だったら・・・ドラッグストアにでも行けばいい。ごほっ、そこなら食い易いモンが結構ある」
「義之っ! 私の話を聞いて―――――」
「別にいいじゃねぇか。それより、お前と話がしたい、色々とな。それと――――ぶっちゃけもう死んでも、いいしな」
「は・・・・・・・?」
空を見上げた。こんな夜空の中、金髪の美人ねーちゃんに看護されながら死ぬというのも悪くない。
そんな事を考えていると急に襟元を掴まれる。エリカの表情、怒っていた。あれ、もしかしてこういう表情を見るの初めてか?
だったら貴重なもんが見れたな。冥土の土産という奴だろう。
「今、なんておっしゃったの?」
「死んでもいい、と言ったんだ」
「天枷さんはどうするつもり?」
「お前に任せるよ。案外面倒見良さそうだしな。それに何気にお前は義理固い、オレの遺言ぐらい受け取ってくれよ」
「な、なんでそんな・・・・」
「―――――刺された瞬間思ったんだ。ああ、ツケが回ってきたなって」
「ツケ・・・・?」
色んな人に迷惑を掛けた。今ではこんな良い人をやっているが、それで罪が消えた事にはならない。
中には一生障害を抱える者もいただろう。それも一人ではなく、何人も。確かにあっちが悪いと言えばそれまでだが明らかにオレはやりすぎていた。
前の世界も、こちらの世界に来てからも色んな人間を傷付けた。それは殴る蹴るの暴行であったり言葉の暴力であったり様々だ。
特にエリカには酷い事をした。オレなんかいなければここまで顔をやつれさせる事など無かったし、人を刺す事なんてしなかった筈だ。
エリカは本来優しい人間。他人を蹴落としてまで行動するような人間では決してない。だがその人間性をオレは変えてしまった。
美夏をあんなに追い込ませて、泣かせて、襲わせて、それを見て何も感じない様な種類の人間ではない。以上の事をエリカに言ってやった。
「だからって義之がそこまで責任なんて感じる事はありませんわっ! 悪いのは全部私、全部私のせいなのっ! だから病院へ行きましょう、ね?」
「それは違う。オレが居なければそもそもこんな事態にはならなかった。お前が泣く事はなかった。それに、お前はオレがどういう性格をしているか
分かるだろう? オレは、これからも絶対に人を傷つける。今までは運よく人を殺すなんて事はなかったが、これからも無いとは限らない」
「だから何だって言うの!? だから死ぬって、そんな馬鹿げた話は無いでしょうっ!」
「あと美夏の件だが・・・・よく考えたら一生傍にいてやる事なんて無理だよなぁ。ただでさえ今だってロボットという事で迫害に近い扱いを
受けてるのにオレなんかが傍にいちゃ駄目だ。もし何かの拍子で殺人なんかしてみろ、オレも美夏もお終いだ」
「そんなの気合いでなんとか我慢しなさいっ! 義之ならそれが出来るでしょう? もしまた暴れたら私が、私達が――――」
「そしてお前達をまた傷付けてしまう。特にエリカ、お前にはこれ以上酷い事は出来ない。結構納得してるんだわ、オレ。お前に刺された事を。
そりゃあそうだよな。あれだけ好き勝手振り回しといてエッチしてさようならだもんなぁ、オレが反対の立場でも同じ事をしたな、はは」
オレという人間は元々社会で生きていなけい。こっちに来て多少落ち着いたと思ったが――――所詮は多少だ、結果また何人も病院へ送った。
自信が無いと言ってもいい。美夏の事を考えれば考える程オレは傍にいてはいけないという思いに駆られる。美夏にはもっとふさわしい相手がいるのではないかと。
今まではそんな気持ちを必死で隠してきた。美夏と一緒に生きていきたかったから。ずっと一緒に居たかったから。だから見て見ない振りをしていた。
「美夏にはもっと良い奴が表れるよ。こんなロクでもない人間と違ってな。まぁそれはお前にも言えた事なんだけどな」
「え・・・・?」
「お前、もっといい男を見つけろよな。こんな男じゃなくてもっとしっかりした奴だ。今度は悪い男に騙されるなよ?」
「・・・・・嫌」
「おい、エリカ」
「ま、まだ私は義之の事が好きなの、大好きなのっ! こ、恋人になんかならなくてもいい! ずっと傍にいたいの、だから・・・・・!」
「・・・・はは。友達でもいいから、ってか。まったく、なんでオレなんかがここまでモテルか不思議だわ」
「自分が気付かないだけで魅力に満ち溢れてるのよ、貴方は・・・・。だから天枷さんとか花咲先輩も貴方に惹かれた。貴方が死んだらその人達
も絶対に悲しむわ。私がこんな真似をしでかしといて言う台詞では無いのですけれど・・・・」
「―――――良い子になれると誓うか?」
「え・・・・・」
「もう他人をぞんざいに扱わないで前みたいに思いやりを持てるか? もう美夏を傷付けないか? 自分を傷付けないと誓えるか? 誓えるっていう
なら、またオレ達仲良くやれるかもな」
「――――――ッ! ち、誓う、誓うわっ!」
「今ちゃんと誓うって言ったからな。まったく・・・・この間手首を切った時はマジで焦ったぜ。お前、自分の国の民の事なんか頭から抜けてたろ?
お前が死んだら向こうの連中どうするんだよ」
「あ・・・・・・」
「それだけじゃない。家族も悲しむだろう。父ちゃん、お袋、兄貴と色んな人が悲しむ。そんな事なんて考えもしなかったろ?」
「・・・・・・・」
「いつも自分の国の民がどうのこうの言ってた奴が、そんな事を考えないまでに変わっちまったんだよ。オレのせいなんだけどな。
でもまぁ、ちゃんと良い子になるって誓ったんだしこれで心配事は無くなったかな」
「よ、義之?」
「ずぅーーーーと気にしてたんだよ。美夏と付き合ってからもな。お前のいい所を全部消した事を」
そう、ずっと気にしていた。誇りがあり、いつも自分の国の事を考えていたエリカ。
そんなエリカを、オレはある意味尊敬していた。自分とは全然違う人間。オレには無い眩しい物をエリカは持っていた。
だがオレが消した。恋は盲目というがエリカの場合は失明ものだった。治らないとまで思っていた。
しかし今はエリカの誓いを信じるとしよう。オレが命を掛けてんだから悪い子のままだったら泣くぞチキショウ。
「お前の、その誇り高い所にオレは惚れたんだよ。特に路地裏の時なんかマジでよかったね。オレみたいなノラ犬みたいなモノじゃなくて
本当に王様って感じの威厳だった」
「・・・・姫に向かって王様と言うのは失礼よ」
「はは、そうだな、うん。だからまぁ・・・・そんなお前が変わっていくのが辛かった。だけど今の発言を聞いて安心したよ。ちゃんと前みたいに
オレの事だけじゃなくて他の事も考えろよな」
「――――――ええ、分かりましたわ。これからは義之の事だけじゃなくて他の事もちゃんと考えるようにします。だから病院に――――」
「頼もしい返事だ。立派な貴族になって、くれ、よ」
「―――――ッ! 義之っ!」
ごふっと思いっきり吐血する。あちゃあ、かなり我慢して喋ってたからな。気を抜いたから一気に血が逆流してきたのだろう。
排水溝に思いっきり血をぶちまけてやった。ああ、こりゃあ駄目だわ。少し血が黒いし、かなりイッちまってるよこれ。
エリカが血相を変えてオレにしがみ付いてくる。とりあえず、この後の処理を言っておくか。
「エリ、カ。今からお前の携帯に・・・電話を掛ける」
「え――――」
「筋書きは、こうだ。誰かに刺された、オレは必死に助けを呼ぼうとエリカの、携帯に電話を掛けた。その時お前は、家に居た事に、しておけ。
そうすれば、お前は疑われ無い。ナイフは海底にでも投げておけ・・・・」
「な、なにを馬鹿な――――」
「オレの事だから、大した調査は、されない。まさか海底、まで漁らないだろう。まぁ、この計画の駄目な所は、美夏が悲しむ、所だな。
最後に掛けた、相手がお前なんて知ったら、気絶するぜ、あいつ」
「い、いい加減にしてちょうだいっ! ほら、私の手を握ってて! 今から救急車を呼ぶからっ!」
「もう、遅い。あと五分以内ぐらいに、ごふっ、輸血しないと助からない、量だ」
「そ、そんな――――だ、だれかっ! だれか来てぇぇぇぇ!」
「止め、ろよ。それじゃ・・・・お前・・・・が、疑わ・・・れる」
「べ、別にそんなの構いやしないわよっ! 義之が死ぬぐらいなら捕まった方が全然マシだわ!」
「・・・・・・・・・美夏、と、仲良く・・・・やれよな」
「義之っ! 義之っ!」
「・・・・・最後に・・・・いろ、いろ、ごめん・・・・・・な」
「よ―――義之ィィィィィ!」
呟くと同時にエリカの携帯の着信音が鳴り響いた。息絶え絶えながらも必死に掛けた。しかしエリカは取ろうとしないでオレにしがみ付いている。
おいおい、オレが文字通り死ぬ思いでやっと掛けたというのはそれは無いだろ。まぁ着信履歴が残るだろうし、それで十分か、うん。
少し気を抜いた――――瞬間、意識が暗転する。もう何も耳に入ってこない。感触もしない。眼なんか開いているのか閉じているのかさえ分からなかった。
五感が麻痺する。感情がごちゃ混ぜになった。混乱していると言ってもいい。もう助からないというのに脳と体は必死に生きようとしてるのが分かる。
だが――――もう遅い。全てが終わった。心臓が止まった。そして最後に思った事。オレの行き先、きっと地獄だろうなぁ。そんな事だった。
「恋愛のもつれで死亡、か・・・・。そんなにウケ狙いたいの?」
「・・・・まず会って一言目がそれですか、ひっでぇ」
「大体の事は桜の木を通じて知ってるよ。見事にまぁドラマみたいな死に方したね、義之君」
そしてため息をつくさくらさん。そんな呆れた声を出さなくてもいいのに、オレだって好きでもつれたわけではないのだから。
しかし――――またここに来ちまったか。合計三回目、ぐらいだっけ。この枯れない桜の木がある場所に来たのは。もう見慣れたと言ってもいい。
心地いい風が吹いている。その風に煽られて桜がシンシンと降り注いでいた。そして感じるあの浮遊感。どうやら死んでしまったらしい。
「それでですが・・・・聞きたい事があるんです」
「ん? 何かな」
「――――さくらさんて、どのさくらさんですか?」
「・・・・なんだ、気付いてたのか」
「ええ。オレの知ってるさくらさんはそんなに髪が短くありませんから」
さくらさんの髪型はツインテールの筈だ。しかし目の前のさくらさんはかなり髪が短くなっている。短髪と言って差し支えがなかった。
大体雰囲気からして違う。今住んでいる世界のさくらさんはどこかオレに遠慮している雰囲気があるが、このさくらさんはそんな事を感じさせない
物言いだった。むしろ遠慮なんて言葉を知らない可能性がある。まぁ、ずっと一緒に暮らしてきたからそれ相応に順応していたんだろう。
オレは適当にそこら辺に座り目の前のさくらさんの様子を窺う。そんなオレのふてぶてしい態度にさくらんは少し目を歪ませるが何も言わない。
「まぁ、なんというか・・・・久しぶりだね、義之君」
「ええ、お久しぶりです。最後に会ったのは何時以来でしょうか?」
「何を言ってるんだよ。ここと同じ場所で会った時が最後だったじゃない。まったく、そっちの世界でちゃんと頑張ってるかと思えば・・・・ハーレム
を作ってるなんてね。さすがに予想外だったよ」
「いや、別にハーレムじゃ・・・・」
「天枷さん、エリカちゃん、茜ちゃん、由夢ちゃん。これだけの人数からあれだけ好かれてるんだから十分ハーレムだよ。なに、義之君は一夫多妻制の
国に行くつもりなの? 堕落した生活を送りたいの? 愛と情欲にまみれた生活を送りたいの?」
「いや、イスラムじゃその制度は実は厳しいんですよ。ちゃんと妻達を扶養しなくちゃいけないし、平等に扱わなければいけないんです。もしちょっとでも
差が出るような扱いをしたら賠償金を払う事に――――」
「黙りなさい」
「・・・・・はい」
ジト目で睨んでくるさくらさん。ああ、間違いない。この強気なさくらさんはあのさくらさんだ。オレが違う世界に行く前にオレの親をしていたさくらさんだ。
なんの因果かしらないがまたこうして出会ってしまった。もしかしたら幻かもしれないが、オレにはそうは感じなかった。感覚的なもので確信があった。
そしてまるで子供を説教するような口ぶりで話し掛けてくる。いや、本当に子供なんだけどさ。
「ていうか桜の木すげぇ。プライバシーも何もあったもんじゃないっすね」
「・・・・私の世界の桜の木を枯らそうとおもったらさ、なんだか違和感を感じたんだよ。おかしいなと思って覗いてみたら義之君がここに
居たって訳。きっと私の知らない原理で繋がってるんだろうね。こっちの桜の木と私の世界の桜の木は」
「へぇ・・・・」
「まぁ義之君は桜の木から生まれたからここに来るのは道理なんだけどね――――で、どうするの?」
「・・・・・どうするの、とは?」
「一応希望を聞こうと思ってさ。義之君は普通の人とは違うから何とか出来なくもないんだよ?」
「もう完璧に死んでるのにですか? それはありえない。もし、なんとかしようと思うなら――――」
喋りかけた口を思わず閉ざしてしまう。気付いてしまった。さくらさんがしようとしている事が。
オレがこの世界に来た事を思い出す。トラックに跳ねられ、もうあの世に行く事しか道が無かったオレが存命出来た事を。
恐らくだが―――さくらさんはまたオレを違う世界に飛ばそうとしている。前と同じ方法で、今度も生き残れると言っている。
「その様子だと気付いたみたいだね。そう、また違う世界に行ってやり直す事が出来るよ。だから――――」
「もう、いいです」
「え・・・・」
「疲れましたよ、オレ」
そう言って寝そべる。不思議な感じだがちゃんと背中に地面の凹凸の感触が伝わった。少し居心地が悪い気がするが黙って目を閉じる。
違う世界にいってまたやり直す。懲り懲りだ。また一から始めるのか。また一から始めてあの日から始まった学校生活をやり直すのか。
そんなのゲームと違って辛い思いをするだけだ。今まで笑い合っていた人物が他人を見るような目をしているのにとてもじゃないが耐えられない。
特に美夏とエリカ。この二人からどうでもいい目を向けられるのには我慢が出来ない。失笑してしまう。思った以上にオレは腰抜けだったようだ。
いい男を探せと言って置きながらオレはまだ未練があった。また微笑み合いたい。一緒に楽しい時間を過ごしたい。愛を感じたい。そんな思いがあった。
だが・・・・それは出来ない。またオレは性懲りも無く傷付けてしまうだろう、そういう人間なのだからオレは。
例えその二人を傷付けなくても他の人を傷付けてしまっては意味が無い。今までは運よく二人に迷惑を掛け無かったがあくまでそれは運がよかったからだ。
オレに近寄らないで欲しい。オレの傍に居て欲しい。対極する二つの気持ち、もう面倒だった。そういう思いをまた抱えるというのならこのまま眠りたい。
「もしかして・・・・何か気にしてる事があるの?」
「別に。ただ、もう一回やり直しても意味がないです。オレの性格が変わらない限り」
「義之君の性格?」
「そうです。さくらさんも知ってるでしょうがオレはロクでもない性格だ。また絶対に他人を何とも思わないで殴るでしょう。
さくらさんは知らないでしょうがこの間なんか酷かった。よく誰も死ななかったと思いました。ほとんどの人があの出来事
で障害持ちになった。一生病院とは縁の切れない関係にオレがした。今度は人を殺しちゃいますね。そして周りの友人や好
きな人にまで迷惑を掛ける。オレはそんなの耐えられない」
「・・・・・・」
「だから元の世界に戻るのも他の世界に行くのも無しです。だからオレは――――」
「もしかしてさ、気付いて無い?」
「え・・・・」
「義之君さ、大分変わったよ。もう一生変わらないだろうなぁと思っていた性格がすっかり変わっちゃって驚いているんだから。
大体今までの義之君の性格だったら絶対そんな事言わないもの」
「それはこっちのオレと一緒になっちまったからですよ。少しばかり影響を受けて優しくなったようにも見えますが――――」
「あ、それ、まだ途中だから。その内完璧に一つになっていい感じの性格になるよ。よかったねぇ、今度は自分の感情に振り回されないで済むんだから」
「は・・・・?」
聞き間違いだろうか。今さくらさんはまだ途中だと言った。今より凶暴性が落ち着いて振り回されないと言った。
言葉の真意を図る為にオレはもう一度聞き直した。
「えぇっと・・・・もう一度聞きたいんですけど、いいですか?」
「うん? 何かな」
「今より大分落ち着いた性格になるというのは・・・・どういう事ですか?」
「どういう事も何も――――普通になるって事だよ。要は無闇に人を殴ったり蹴ったり出来なくなっちゃうって感じかな。まぁ何時になるかは
分からないけど・・・・一年以内にはそんな危ない性格も落ち着くって事」
「・・・・そうなんですか?」
「そうなんです。そっちの義之君は本当に優しい性格をしていたんだねぇ、まるで酸とアルカリを混ぜたように中性になっちゃった。だから
そんな事を心配する必要はないんだよ?」
「・・・・・・・」
「で、もう一度聞くけど・・・・行くの? 行かないの――――」
「元の世界に戻る、というのは出来ないんですか? 帰れるなら早く帰りたいんですけど」
「・・・・・・・」
オレが唯一気にしていた事、それが解消された。オレはさっきまでの暗い気分から急に元気になったのを感じた。
まぁ、オレは頭の切り替えが早い。それが分かったなら早いとこ戻って美夏やエリカに会いたい。こんな所にいつまでも居たくないしな。
そんなオレの様子を呆れた感じで見ているさくらさん。さっきとは打って変わって元気になったオレをジト目で見ていた。なんて単純なんだ、さっき
まで泣きそうな顔をしていたのにもうケロっとしてやがる、と言いたそうな顔をしていた。誰が単純だ、頭の回転が良いと言ってくれ。
元の世界に戻りたい。それを無理を承知で言っている。もうオレは死んでいる、だからここに居る。前と同じで生き返る事は出来ないのだ。
もしこの先も生き残れる可能性がある道が別の世界に行く方法しか残っていない、と言うのであればオレは諦めるつもりでいる。それでは何の意味も無い。
絶対消えない、治らないと思っていたオレの性格、凶暴性が収まる。それはオレにとって嬉しい事実だった。何度この性格を憎んだか分かりやしない。
ガキの頃からこの性格のせいで苦しい思いをしていた。寂しくなんて無かったと誰かに言ったが――――あんなの嘘に決まっている。
人との繋がりが欲しかった。誰かに甘えたかった。友達を増やしたかった。そんな気持ちがいつも心の中にあった。当然だ、人間なら誰しもそう思う。
本当に孤独が好きな人間なんて居やしない。オレは誰よりもそういうモノを欲していた。
だが人が近づくと感じる嫌悪感。本当は人を欲しているのに遠ざけてしまうこの性格。いや、性格なんてものじゃない。そういう在り方に生まれて来て
しまったオレ、誰を憎むべきか分からなかった。
だからつい縋るような目でさくらさんを見てしまう。元の世界に戻りたい。美夏達が居る世界に。やっと出来た繋がり、捨てたくなかった。
「・・・・そんな泣きそうな顔で見ないの。まったく、本当に変わったね、義之君」
「お願いします。なんとか出来ませんか。もう一度、もう一度美夏達と日常を一緒に過ごしたいんです。だから――――」
「うん。じゃあ、帰ろうか」
「その為だったらオレ・・・・って、え?」
「何ボサっとしてるの? 帰るんでしょ? だったらホラ、立ちなさい」
「あ――――」
そう言ってオレの手を持って立ちあがらせる。目を閉じて何かに集中するような仕草を見せるさくらさん。
オレは慌てて引き留めた。面倒そうに不機嫌な顔をするさくらさん。ていうかさくらさん変わりすぎじゃね? 前はもっと優しかった筈だ。
「そんな面倒そうな顔をしないでくださいよ・・・・前はもっと優しかった筈なのに」
「そうかな、別に普通だよ。早く帰って向こうの私とハグしたら?」
「え・・・あ、・・・・」
「随分向こうの私を気に入ったみたいでよかったよかった。まるであの義之君が駄々を捏ねるみたいに抱きついてるんだもんね。
いやぁ、妬けちゃいますなぁ」
「・・・・・・」
「だから早く帰って――――」
言い終える前にオレは目の前のさくらさんに抱きついた。ビクッとしたように体が驚く。更にオレは抱き締める手に力を入れた。
なるほど。ただ妬いているだけだったのか。それだったら少し不機嫌な顔をしていた理由が分かる。案外可愛い所があるじゃないか。
オレはしばらく抱き締め続けた。まぁ、オレとしても悪くない気分だ。もう会えない相手、その人物に会えたんだから。
「・・・・やっぱりね」
「何がですか?」
「やっぱり義之君はプレイボーイだったんだなって。こんな事、平然とやるんだからさ」
「嬉しくないですか? オレは嬉しいです。またさくらさんに会えたのもそうですし、こうやって抱き締める事が出来るなんて思わなかった」
「・・・・そういう事は聞くもんじゃないでしょ」
「そうですね、はは。まだまだオレもプレイボーイと呼ばれるには早いみたいです」
「――――帰ったら一応エリカちゃんにお礼を言っておいた方がいいかもね」
「え・・・・」
「エリカちゃんが絶対死なないでって一生懸命お願いしたから桜の木がそれを叶えたんだよ。だから義之君は元の世界に戻れる」
「そうだったんですか・・・・」
なるほど、それが理由だったのか。桜の木もたまには良い事をするじゃないか。さくらさんの話を聞く限りじゃ暴走してるみたいだし悪い印象しか
無かったから見直してしまった。
でもだったら最初に意地悪しないで教えてくれればよかったのに。きっとワザと言わなかったに違いない。あのさくらさんが忘れてたなんてある訳無いの
だから。オレが聞かなければ教えてくれなかったろう。
まぁ、さくらさんの事だからオレの様子を見て何か迷いを感じ取ったのかもしれない。あのまま言われてたらきっとオレは素直になれずこのまま死にたい
と言っていたに違いない。だからオレが理由を話し出すまで待っていたのだ。まったく、やっぱり勝てねぇな。
「それじゃ――――向こうへ行っても元気でね」
「はい。さくらさんも風邪なんか引かないで下さいね。音姉達が心配します」
「・・・・義之君は心配してくれないの?」
「揚げ足を取らないでくださいよ・・・・・・オレも心配するに決まってるじゃないですか」
「にゃはは。うん、そうだよね。今の義之君ならそう答えると思ってたよ。ありがとうね、義之君」
「お礼なんて別にいいです。ただ本当にそう思っているから言ったまでですから」
「――――だから嬉しいんだよ」
「あ・・・」
途端に感じる浮遊感。体の感覚がぼやけてくる。まるで夢から覚めるような感覚。間違いない、オレは元の世界に戻れるようだ。
思わずさくらさんの手を握る。子供の頃以来に握ったその手は暖かった。そして握り返してくるさくらさんの手。それに安諸したようにオレは目を瞑る。
消える間際に聞こえてきたさくらさんの声。今度は刺されないようにしなさいよ。思わずオレは笑ってしまった。最後の最後で皮肉かよ、酷いなぁ。
だからオレは返してやった――――分かってますよ、母さん。母さんこそそろそろ結婚した方がいいんじゃないの? もう歳寄りなんですから
さくらさんが怒ったように何かを言い返してきたがもう遅い。オレは体の感覚を無くしたように何も感じなくなった。
前から思ってたんだけど早く結婚しろって。世の中にはロボットを好きになる奴がいるぐらいだ。中には魔女に惚れる男性も居るだろう。
大体そういうのは魔女の専売特許だろうに。しかしさくらさんはこう思っている。寂しい思いをするから家族なんかいらない。その理屈は確かに分かる。
だがさくらさんには諦めて欲しくない。幸せになって欲しい。みんなと同じように普通の生活を送ってほしかった。
すげぇ魔法使いなんだからそれぐらい出来るだろ。出来ないって言うのであれば修行でもなんでもしてもっと今より凄い奴になればいい。
さくらさんならそれが出来ると思う。そう言いたい。言いたかった。だが口はもう開く事が出来ない状態。歯痒かった。
しかし、気のせいか―――最後に分かったよという返事が聞こえてきた気がする。オレはその返事に満足して完全に意識を手放した。
お互い、そろそろ幸せになろうぜ。そうオレは心の中で強く思いながらあの世界に戻った。新しく出来た絆を再び求めて。