「まったくアイツときたら・・・・」
いつもの事ながら義之の女癖の悪さには困る。ムラサキにしたって美夏が知らない内にあれだけ仲良くなっていたし、まだそういう女が居ないとは
限らない。実際由夢と花咲も義之に想いを寄せていたとは知っている。花咲の場合態度を見れば一目瞭然だ。
義之を見る目、何か熱を感じていた。友人に向けるそれとは違っていて友情以上の事を感じさせる目をしている。それに気が付いた時はさすがにムッとした。
まぁ、花咲は義之の事を諦めているようだし美夏の事を応援してくれている。今ではこれ以上ないぐらい味方をしているから頼もしい限りだ。
「むぅ、花咲に何かお礼をしなければいけない。まぁゴタゴタが終わった時にだが、な」
ポケットから一つの紙を出しそれを改めて読む。なんてことはない。ただ美夏に対する中傷や嫌がらせの類といったものが書かれているだけ。
実の話、今までもこういったモノは貰って来た。きっかけは義之との年末のお参りだと思う。そこで美夏は派手にオーバーヒートをやらかした所為だ。
そして思い出すあの時の事。つまらない意地、花咲と義之が楽しそうに話をしていたのを見ていて腹が立ってその場所から逃げた。まぁそのおかげで今
こうして義之と付き合えているのだから人生というのは分からない。結果的にはよかったんじゃないかと思った。
そう思った。思っていた。今思えばそれがどれだけ馬鹿な話だったか分かる。その所為で美夏は今の様な立ち位置に――――
「いや・・・・美夏だけではないか」
義之。美夏の所為で迷惑を掛けている一番の被害者だ。本人は隠している気でいるようだが丸分かり。というか実際にその現場を何回か美夏は見て来た。
美夏が数人の男連中に襲われた時然り、この間の食堂帰りにジュースを飲んだ時もそうだ。義之のポケットから落ちる手紙の中身を美夏は見てしまった。
恐らくだが嫌がらせを受けたのはそれだけでは無いだろう。美夏が知らないだけで幾度となくやられているに違いない。確信があった。
「・・・・・・・・そろそろ、かなぁ。もう十分起きたろう」
義之と付き合い始めてからずっと心の中にあった不安。それは何時いかなる時でも存在していた。確かに義之と居ると幸せになれるしとても充実した気分になる。
だけど寄り掛かるだけの関係を美夏は良しとしていない。ムラサキにも指摘されたが美夏はいつも義之におんぶ抱っこしていた。そんな事はしたくなかったが
結果としてそういう行為をしてきた。
義之はまるで自分の事を疫病神みたいに言うがそれは違う。ロボット、美夏がロボットだからこんな事になった。もし人間だったらこんな事態に―――――。
「おい、美夏てめぇ」
「ふぎゃっ!」
目の前がいきなり真っ暗になったので驚いてしまった。まるで溺れたみたいに手をバタバタさせてしまう。だがここは地上で周りに水なんてありはしない。
そして頭に感じる手の感触。帽子を無理矢理ズリ下げられてしまったのだと気付くのはそうは時間が掛からなかった。慌てて手を振り払い頭を上げる。
視線の先には呆れた義之の視線。その態度に美夏はムッときた。誰の所為で今こうして美夏は歩いていたと思ってるのだ。
「いきなり消えるんじゃねぇよ、まったく」
「―――わざわざ追いかけて貰って言うのもなんだが、美夏の事は気にしなくていい。心ゆくまでムラサキとウィンドウショッピングを楽しんだらいいさ」
「あ? なんだよ。気にしてるのか」
「前も言った覚えがあるが・・・・もし美夏が義之がされているように、他の男にベタベタされてているのを見たらどう思うのだ、義之は?」
「殺したくなるね。あの手この手で嬲りたくなる」
「そら、そういう事なのだ。ムラサキが義之の事を諦めたのは知っているし別に親しくしてても特に言及はしない。だが―――限度、それはあるだろう」
「・・・・・・悪かったよ」
頭をポリポリ掻いてバツを悪そうにする。義之自信もそれは分かっているのだろう。だが触れられると気を許してしまう。遠ざけられない。
それが義之の良い所でもあり欠点でもある。何回も言うようであるがそれを美夏は否定したりしない。むしろ突っぱねていたら美夏が一言言ってしまう。
どうして優しく出来ないのか、と。だから今感じている怒りという感情はその内収まってしまうのは間違いない。それが美夏達のいつもの風景だった。
「ほら、クリーニング屋に行くんだろ? 付き合うよ」
「学校はいいのか? お前は少しは真面目になろうと頑張っているのではなかったのか?」
「・・・・頑張っている理由、それはさくらさんの為だ。あんまり心配掛けたくないっていう気持ちがあったからな、だから最近のオレは学業に精を
出していた」
「だったら――――」
「だがさくらさんなら彼女を放って置いてまで勉強するなんて事を良しとしねぇだろう。オレの母親――――みたいな人だからそう思うだろう。そう思う
に違いない。愛至上主義な家族だからな。オレ達は」
「む、むぅ・・・・確かにその考えは素晴らしいモノだとは思うが」
「だからこのまま美夏とデートに洒落こんでも文句は言われない。だからこのままどっか遊びに行こうぜ? 少し気になってたデザート屋があるんだよ。
まぁ、まだ三時にはちと早い気もするがな」
「お、おい」
そう言って美夏の手を握って歩き出す義之。いつもこの男はそうだ。自分がそう思ったら即行動。時々本当は何も考えて無いのでは無いかと思ってしまう。
だがそう思うだけで実際は違うのは分かっていた。本当に考え無しならここまで美夏の為に行動してくれないだろうしムラサキとの件で悩む必要も無かった。
実際は繊細な人間なんだろう。今までロクに人付き合いが無かったからそういう事に敏感になっているのかもしれない。
まぁ、それにしても―――さっきまでの雰囲気はどこかへ行ってしまったな。まぁいいだろう。今すぐに出す答えでも無いだろうし。美夏は無理矢理さっき
考えてた事を胸の奥にしまい込む。せっかく義之と居るのだから楽しまなくてはな。
「・・・・っと、そうだったな。お前の服をまずどうにかしなきゃいけねぇんだったな」
「それが理由でこうしてここに居るというのに・・・・いいかげんな人間だな、お前は」
「うるせぇよ。んでどうする? 一回研究所に戻って着替えてから遊ぶか? その時にクリーニング屋に行くっつー感じで」
「そうだな。お前も一回家に帰って着替えたらどうだ? 制服のまま遊びに行くと補導されてしまうぞ」
「お、美夏公認で学校サボれるのか。あれだけ規律に厳しいお前が珍しい」
「どうせ何言っても遊ぶ気満々なお前には通用しないからな。だったら楽しんだ方がいいさ。これ、お前に習った事だぞ」
「ロクな事教えていないような気がするが・・・・まぁいい。んじゃ早くバス亭に行くべ」
「うむ」
手を繋ぎ歩き出す美夏達。しかし手を繋ぐ度に思う事だがよくもまぁこんな自然な形で手を繋げたものだと思う。最初の頃なんか恥ずかしすぎてまともに
歩けなかった事を思い出した。
その点義之は最初からごく自然に美夏の手を握ってきて驚いた。本人は彼女なんか今まで居た事がないと言っていたが信じていなかった。その女慣れした
行動はあまりにも『らしく』映ったのでヤキモキしたものだ。
しかしその思いも時間を重ねるごとに段々収まってきた。義之がそこまで自然に振舞える理由。美夏の事を本当に好きだと分かったからだ。散々浮気紛い
な事をしてきたその一点だけは信じられた。
「なぁ、義之」
「ん?」
「美夏の事は好きか?」
「・・・・いきなり何言ってんだよ、お前」
「いいから答えろ。改めてお前の気持ちを確認したくなったのだ」
「ふーん・・・・」
本当にたまたまそういう気分になった。別に今更疑っている訳ではない。散々美夏の事を好きだと思わせる行動を取ってきたし、あの超美人なムラサキ
より美夏を取ってくれたのだ。疑う余地は無い。
だが、今その答えを聞いておきたかった。さっきまでアンニュイな気分だったのでそういう気分になったのかもしれない。答えを聞いてどうこうする訳
では無かったが再確認したくなった。
義之は素っ気無さそうにそうに詰まらない顔をしているが、実際は美夏に言う言葉を組み立ててる最中だろう。分かりやす過ぎだ、色男め。
「まぁ―――世界で一番好ましいと思ってるよ。今更言う事もないと思っていたが愛している」
「・・・・そうか」
「なんだよ。オレの臭い台詞に病みつきにでもなったか? こういう事はあんまり連呼しちまうと意味が軽くなるからあんまし言いたくはねぇんだけどなぁ」
「よく言う。その台詞を今までそれだけ聞かされてきた事か。まぁ・・・・ありがとうな」
「・・・・どういたしまして」
怪訝な顔をしている義之をあえて無視して繋いでいる手を引っ張るように美夏は歩き出した。つんのめりそうになる義之。その様子、笑えた。
何か脇で文句を言っているが聞かない事にする。いつもやられているお返しだ。これぐらいなら許されるだろう。許されないわけがない。
訳が分からないという顔をする義之を笑いながらバス停に向かう美夏。とりあえず美夏はさっきまでの考え、気持ちを思い出さないようにした。
「こんな時間からデート、ね。うらやましい限りだわ」
「羨ましがられても何も出ませんよ」
「うっさいわね。まぁ、美夏が来るまでコーヒーでも飲んで行きなさいな。イベール」
「はい」
イベールが淹れ立てのコーヒーを持ってくる。お、相変わらずうまいな。あれから何度も勉強してるらしいし味にコクが出てきている。
こういうのって余程センスがいいか何回も練習しねぇと出ないんだよなぁ。オレも一時期嵌って色々勉強したが結局その味を出す事は出来なかった。
オレが感想を言うとイベールは恥ずかしそうに小さく笑い仕事に戻った。相変わらず可愛い所あるしロボットに見えないな、本当に。
「手、出さないでね」
「・・・・オレはもしかしていつまでたってもそういう風に見られるんですか?」
「当り前じゃない。散々あれだけ女の子の事を振り回しといて『ボクは純情一直線なんです』なんて台詞信じられると思う?」
「そりゃ・・・・まぁ」
「ほら、身の当たる節がたくさんあるでしょ? そういう風に言われても仕方ないって事よ。よくまだ美夏と付き合っていられるのが不思議だわ」
「それはオレも時々思います。別に自慢じゃないですが―――結構色々な女の子に好かれてましたからね。それもオレが憎からずと思っている相手。
迷いのあるまま美夏とは付き合えないし色々大変でしたよ」
「色男も大変ね。対処の仕方を間違ったら今まで築き上げた人間関係も壊れるもの。特に貴方の場合刺されてるしね」
そう言って二ヤリとする。随分痛い所を突かれた。返事に窮したオレは黙ってコーヒーを飲む。ニヤニヤしながら水越先生は仕事に戻った。
オレだって好きで刺された訳じゃねぇ。確かにオレのどっちちかずの態度が悪かったのは重々承知だ。だからっていつまでも引っ張らなくていいのによ。
多分だが、これからは当分このネタで弄られそうだ。考えただけでも憂鬱になるな。オレは気を紛らわせようと視線を周囲に配る。
「んあ?」
ロボット―――という文字が入ったチラシが目に付く。そのチラシを暇つぶしに見ようと思って内容を読んだ。
なんて事は無い内容。ロボットを駆除しようとする人間のありがたいお言葉が所狭しと並んでいる。ロボットは害だ、人への冒涜だ、このまま
ロボットの存在を容認するのは人間としてどうか、などと書かれている。
しかしまるで読み手の事をあんまり考えて無いな。こんなにも捲し立てられた言葉の陳列では何が言いたいのか伝えられていない。こういうので
一番大事なのはインパクトだ。内容云々よりも読み手にどれだけイメージを残せるか。そういうのが大事だというのに。
「0点」
「ん? 何か言った・・・・って、ああ、それね」
「まさか研究所にこんなものがあるとは思いませんでしたよ。ロボットに対する人権反故及び製造中止の呼び掛けですか。所長はこういうのが
嫌いですからね、すぐに捨ててるそうじゃないですか」
「町のビラ配りで無理矢理持たされたのよ。まったく、いい加減にして欲しいモノだわ。そんな事でもされたらおまんまの食い上げよ」
「そうっすよね。それにオレだってこういうのをもし美夏が貰ってしまうのを考えるとあまり良い気分はしない。何とかならないんですかね」
「んー・・・・今現時点で言うと無理ね。こういうのってやっぱり時間が掛かるものだから。外国の人種差別だって随分と時間が掛かったじゃない。
特にこんな島国じゃみんなアレルギーみたいに嫌ってる人も多いわ。それでも前よりはマシになったけどね」
椅子を反転させオレと向き合う。オレはそのチラシを無駄にひらひらさせた後、元の置いてあった場所に戻す。ソファーに寄りかかりながらオレは考えた。
確かに日本はロボットに対する認識をより確かにいいモノものにしていっている。勿論良い事ばかりじゃないがそれは当り前だ。その国に住んでいるオレ達だって
良いことばかりじゃない。むしろ時々ふざけるなと良いたいぐらいの政策を発表する時だってある。
それらを含めて考えると随分体質改善にはなってきてはいる。なってきてはいるが未だにこういう声は後を絶たない。仮出所と似たものでもし何か問題を
起こせば自体は益々悪くなる。いきなり廃棄みたいな扱いになる可能性だってあった。
「美夏も大変ですよ、この国で目を覚ましたばっかりにこんな生きづらい環境の中に放りこまれるなんて。確か外国じゃもうあんまり問題視はされていない
んですよね?」
「まぁ、ここよりはね。州によって法令とか違うから一概には言えないけどここより厳しい声がある所はあまり無いかもしれないわね。まぁ、あるところには
あるんでしょうけど」
「そうですか・・・・こうなったら美夏と一緒に外国に行こうかな。トロント辺りなんかどうです? あそこはあんまり犯罪率が高くないって聞きますし
日本人の訪問数も多い。暮らす分には何も問題はないような気がしますがね」
「ちょっと、勘弁してよね。忘れていないと思うけど美夏は極秘扱いの最新鋭ロボットなんだから。外国になんて行かれた日には何が起きるか分かった
もんじゃないわよ。情報なんて漏れてるかなんて分かったもんじゃないし」
「冗談ですよ、冗談」
今度はオレが含み笑いをする。多少睨んできてはいるがこれぐらいはいいだろう。これからも弄られ続けると考えれば安いもんだと思う。
外国―――考えなかった訳では無い。こんな美夏が生きにくい環境からおさらばして暮らす。悪くはないと考えていた。計画もチラッとだけ立てた事がある。
中学生の考える絵空事と言う奴もいるだろう。もちろん今すぐにって訳ではない。せめて高校を卒業した後だ、そしてしばらく金を溜めて向こうに移住する。
さくらさんのコネも勿論使う。カッコ付けても何の得にもならないので土下座してでも利用するつもりだった。それで幸せが手に入るなら安い筈。
しかし―――最初の時点でこの計画は無理だと分かった。そもそも美夏は極秘のロボットで最新鋭。水越先生に聞いた限りじゃあと最低10年はこれ
以上の物は作られないと言っていた。
そんなロボットを外国に連れての移住、無理がある。誰に美夏の所有権があるか分からないがかなりのお偉い様に違いない。その人物を説得して外国
に行く話をする、笑われるだけだと思う。
まぁいい。ゆっくりこれからの事を考えればいいか。焦っても何も良い結果は出ない。あくまで慎重に、だ。
「それにしてもこれからの事、ね」
「ん? なんですか」
「・・・・いえね。いきなり急な話になるけど、いいかしら?」
「別に良いですよ。で、水越先生の話したい内容って?」
「もしも、の話なんだけどね。もし・・・・・・・美夏がまた眠りに就くって言ったら、どうする?」
「無理ですね」
即答した。もし美夏自身が納得してそう言ったとしても受け居られない。受け居られる訳が無かった。あまり考えないで答えたがいくら考えてもこの
答えが変わる事はないだろう。
しかし何故こんな質問をしたのだろうか。目線でどういう意味なのかと尋ねるように見据えた。水越先生は多少バツが悪い様に頭を掻きながら話した。
「ん、いやね、最近美夏がチラっとだけそんな事を話してたからさ」
「美夏が?」
「・・・・いや、ごめんね。やっぱり聞かなかった事にしといてくれないかな? 美夏にだって感情はあるし不安定になる時だってある。
たまたまそんなナイーブな気持ちになったのかなって・・・・思ったりして、はは。不安にさせちゃってごめんね?」
「そこまで話しといて途中で話を区切らないでくださいよ。このまま中途半端な気持ちで楽しくなんか遊べません、水越先生だってオレと
同じ立場なら同じ事を言う筈だ―――だったら最初から話すな、と」
「う・・・・」
誤魔化すように笑うがもう遅い。もう言葉に出して言ったのだから発言を取り消すなんて事は出来ない。謝るなら最初から言わないで欲しいものだ。
焦り―――訳も分からない焦りが胸の中で出来上がる。心配する事は無い。水越先生が言った通りそういう時は誰にだってある。訳も無いのに不安に
駆られるのなんてザラだ。特に美夏の場合色々あったせいでそんな気持ちにもなるだろう。
だが焦りの気持ちは収まらない。一度根付いたこの焦燥感は消えそうになかった。何か、嫌な予感がする。
「ん・・・・最近さ、学校で色々大変じゃない美夏って。差別―――と言っても過言じゃない扱いを受けてるし、目立った様な事件にはなってはいない
けどいつそんな事態になるか分かったものじゃないわ」
「けどダチはいる。美夏は大分それで救われている筈です。まったく孤独という訳じゃないですし生徒会だって守りの体制に入ってくれている。
そんな事にはならない筈ですが」
「確かに君のおかげで大分救われた部分はあるわ。色々言いたい事はあるけど義之君が彼氏でよかったとは少し思ってるのよ。貴方ってロボット
だからって無闇に差別しないし傷付けたりもしない。あ、恋愛でかなり傷付けたりはしたけどね。まぁそれも人間ならだれしも経験する事だと
思ってるし大して深くは思って無い話わ。美夏の事は好きだけれど」
「・・・・そりゃあどうも」
「とにかく美夏自身色々思う所はあるみたいね。確かにこの時代って美夏・・・・いや、ロボットからしたら悪そのものだもの」
「―――ですか」
「うん」
確かにそれはある。いいように扱われ闇取引きまでされているロボット。人権なんてあったもんじゃない。まるで奴隷、そのものだ。
酷いになるとロボットを維持するお金が無くなり破棄する者まで現れる。その刑罰にしたって大したもんじゃない。精々数十万払えば済むものだった。
頭に来る―――だけど覆せない事実がそこにはあった。オレに出来る事、何も無い。せめて美夏を深く愛する事がオレに出来る唯一の事だった。
「正直私は美夏をこの時代に起こした事は正解・・・・とは言えないわ。せめてあと何年かすれば情勢も大分良くはなる筈なんだけど」
「けどこうして美夏は存在している。人生を謳歌している。確かに起こしたきっかけを与えたのはオレです。もしかしたらあのまま美夏を
寝かせておいた方がよかったのかもしれない。あともう少し年数が経てば普通に歩いていても物珍しそうに見られたりしないし差別もさ
れない。考えれば確かに良い世界です。けど、そこにはオレがいません。美夏はそれらを上回る損失を受ける事になるでしょうね」
「・・・・ふふ、大した自身ね。見栄もそこまでくれば立派なものだわ」
「見栄なんかでは終わらせまんせんよ。絶対に美夏を幸せにしてやりますから」
この時代だからこそ余計にそう思う。あんなにも正直で今時いないぐらい真っ直ぐな奴なんていやしねぇ。いたら連れて来て欲しいぐらいだ。
それほど美夏は魅力に溢れている。守ってやりたくなる。そう思わせるような『人間』だとオレは考えていた。この先もそれは変わらない。
しかし―――一抹の不安はある。オレみたいなガキが言う事が世間で通用するか。今の風評を覆せるような行動をオレはちゃんと取れるか心配だった。
「何言った傍から不安そうな顔をしてるのよ」
「・・・・そんな顔をした覚えはないですけどね」
「最近の貴方はどんどん表情が出るようになってきたわ。前は何を考えてるか分からない子だったけどね。美夏のおかげかしら?」
「さて、どうでしょうね。それにしても美夏おっせーなぁ、何してんだか」
「ふふ、照れちゃってまぁ」
こちらを意味ありげに笑っている水越先生を端目にオレは立ちあがる。別に話題を変える為にそんな事を言った訳ではない。
もうとっくに着替え終わって準備が終わっていてもおかしくない時間だ。随分話し込んでいて気付かなかったが30分ぐらい経っている。
一応様子見に行こうと思いドアを開け―――美夏が居た。
「あ・・・・」
「・・・・何してんだよ、美夏」
「え、あ、いや、別に・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
さっきの話を聞かれていたのか。きっととっくに準備は終わっていていざ部屋に入ろうとした時に偶々オレ達の話を聞き入ってしまったのだろう。
軽く舌打ちしたい気持ちだったが我慢する。あまり聞かれたくない内容ではあった。今の美夏にはあまり心配ごとを掛けたくない。こいつはロボット
でありながら他人の気持ちに敏感だ。すぐに悟って自分の事のように考えてしまう。
それは美徳かもしれないが欠点でもある。そうやって気に病んで塞ぎ込む可能性がある。美夏の場合は余計にそういう事が予想された。
「ほら、準備が済んだなら早く行くぞ」
「あ・・・・」
無理矢理美夏の手を握ってオレは歩き出した。こうでもしないと何時まで経ってもこの状態から抜け出せない。美夏は何か言おうとしていたが無視する。
あまりこの状況での言葉は聞きたくなかった。『ごめんな、美夏のせいで』。こういう言葉を美夏の口から吐き出せる訳には行かない。吐き出させたら
今日のデートは一日中暗いものになると分かっているからだ。
心配そうにこちらを見ている水越先生に片手を挙げオレは歩き出す。美夏、てめぇが心配する事なんざ何もねぇんだよ。何も、な。
「あん? それだけでいいのかよ」
「ああ。これで十分だ」
「つってもそんな小さいクレープで我慢出来るのかよ。ガキが食べるサイズじゃねぇか」
「・・・・あんまり食欲無くてな。すまん」
「・・・・そうか」
「あ、別に美味しく無い訳じゃないぞ? ここのクレープ屋は美夏のお気に入りだ。バナナ嫌いな美夏にとってとても重宝するクレープ屋だし
義之と一緒に食べられて嬉しいぞ、うん」
「いつのまにおべっかなんて使えるようになったんだ。白々しくて聞いてられねぇ」
「・・・・すまん」
本当にそう思っているなら何故笑顔じゃないんだ。そんな無理して笑い合う関係ではないのに。今の美夏はどこか無理しているように思えた。
場に流れ出す微妙な雰囲気。美夏は美夏で黙り込んでしまっているしオレも話をするような気分では無くなってしまった。
初めてだった、美夏と一緒に居て気まずい思いをするなんて。少し苛立つ気持ちが高ぶる。どうにかこの嫌な雰囲気を払拭しなければいけない。
「美夏―――」
「あ、す、すまん。ちょっとトイレに行ってくる。悪い」
「あ・・・・」
オレが話仕掛けようとすると慌てて席を立ちトイレに向って行ってしまった。そして取り残されるオレ。明らかにオレを避けていた。
はぁ、とため息を付いて空を見上げる。デートをするのに持ってこいの天気だったが心なしか曇り空に見える。きっと本当は蒼くて眩しい
ぐらいの空なんだろうが今の状態のオレにはとてもそうには見えない。
どうやら―――思っていた以上にあの話は美夏にとってデリケートな話みたいだった。きっと不安にさせたに違いない。最後の最後でそういう
表情をしてしまったらしいし美夏にも勘付かれているだろう。だからオレの事を必要以上に気にし過ぎてさっきみたいな行動を取る。
煙草を付け顔に手をやる。今の美夏に取って一番大事な事は安心させてやる事だ。絶対的な味方、それが必要だった。
「おい」
「・・・・」
「おい、って言ったのが聞こえねぇのか?」
「ん・・・・?」
声を掛けられ前を見るとこれまたまた柄の悪い人間が居た。多分年上か。オレは思う。この初音島が発展するには良い事だがそれに比例して
こういう人間が増えるのは由々しき事態だと。まぁ学校自体が大きいせいもあってこんな血の気の多そうな奴が出てくるのは仕方無い事だと思うが。
オレが特に何の感情も示さないのが気に入らないのか苛ついた態度を取り始める。瞼の上の筋肉がピクピクしてて辛そうだな。
よく前の世界でも絡まれはしたし特に慌てたりビクついたりはしない。それに今は美夏とデート中だ、早々に御引き取り願おう。
「あー・・・何スか? 何か用事でも?」
「何スかじゃねぇよ。お前、桜内義之だろ?」
「人違いです。こんな顔はそこらへんにありふれてますからね。間違ってもしょうがない」
「・・・・ふざけるなよ」
今にも掴み掛かって来そうな雰囲気になるのでオレは少し身構えた。
美夏―――まだ戻ってきていない。出来ればこのままもうしばらく戻って欲しくないものだ。今の状態で争い事は見られたくない。
「もう一度言いますが―――人違いです。こんな男に声を掛けるよりもそこら辺のお姉ちゃんに声を掛けたほうがいいんじゃないスか?」
「オレはお前にやられた奴のダチなんだよ。学校の校舎裏でやられたって言ってたっけな、切れた口を痛そうに引き攣りながら教えてくれた。
このまま舐められて引き下がったんじゃ終われねぇ。少し付き合えよ」
「嫌ですよ。今日はしばらくぶりにデートなんだ。この楽しいひと時を邪魔して欲しくない。あんただってそういう時間があるだろ? 今が
その時なんです。だから御引き取り下さい」
「あ? デートつってもどうせあのロボットだろ。何がデートだ―――ロボットに熱中してる変態が」
「・・・・・」
これが世間の反応だ。ロボットと付き合うという事はこういう事に立ち向かわなければいけない。
昔風で言うなら奴隷と貴族が付き合う様なもの。事実、今の時代はロボットは奴隷扱いされている。別に今に始まった事では無かった。
しかしオレは理解しているが納得はしていない。他の奴がそう言っているからオレもそういう意見にする。そんな人間なんて糞喰らえだと思っていた。
「いいから来いよ。ボコってくれたダチの礼だ。ボディ数発だけにしとくからよ」
「―――それで勘弁してくれるんですね?」
「ああ、もちろんだ。オレはあんまり争い事は好きじゃなくてよ、本当はこんな事したくねぇんだ。しかしダチがやられて黙ってる程腰抜けって訳
じゃない。そこんとこは勘違いしてほしくないね」
嘘つけよこの便所虫野郎が。だったらなんだってそんなに口が笑っていやがる。人を殴りたくない人間がそんな風に笑うかよ。
男はさっきとは打って変わってニヤニヤしながらオレを連れて移動した。そんな遠くに移動するわけではなく、偶々死角にある裏路地に移動しただけだ。
そして周りを見ま渡すオレ。複数対一ではオレが一方的にやられるだけだし勿論の行動だ。そしてどうやら仲間は居ないらしい。本当にこいつ一人だ。
呑気そうにどこか完全に人が来ない位置を探している男。だがオレからしてみればもう十分な場所だ。
「さて・・・・」
「あ、先輩」
「ん―――」
振り向く前にオレは膝裏に蹴りを叩きこむ。いきなりの衝撃に我慢ならずに倒れる相手。その倒れた背中に乗っかり髪を掴んで引っ張りあげる。
苦痛そうに歪む顔。そんな表情を見ても何も心は痛まない。どうせオレに同じような事をしようとした相手、同情なんて沸く訳が無かった。
んー、どうすっかな。このままボコボコにしてもいいんだがそんな気分じゃないし。いや、参ったわ。
「こ、このやろう」
「そんなに怒らないで下さいって。これから喧嘩しようって相手に呑気に背中を向けている先輩が悪いんスよ」
「ふざけんな! いいから下りやがれこの野郎」
「そんなに呑気にしているから仲間が居るかと思ったんですが本当に一人なんですね。もしかしてバカか?」
「な―――」
「そのお友達から聞いてねぇのかよ。オレがどんだけ危ない奴かって。とてもじゃないが一人で来るなんて頭がイカレてるとしか思えない。
オレだったら仲間とか連れてくるよ、確実にやるためにな。なのにアンタは一人で来た。余程腕に自信があったかオレを舐めていたのか
お友達の話を信じて無かったのか―――それとも全部だったのか」
引き上げた頭を地面に擦りつけてやる。あんまり顔が綺麗じゃなかったので土で化粧してやろうと思った。
早くも涙目になりながらオレの睨みつけてくる。なんだ、涙が出る程嬉しいのか。最近のオレは優しいからなぁ、だからこんなにも感謝されてしまう。
これはいけない兆候だ。優しくなるのと甘くなるのとは同義だと思っている。早く何とかしないといけないのかもしれない。
「このまま顔面の皮膚が取れる程地面に擦り付けるかそこの尖った石で目玉を潰してやるか腕を折ってやろうか色々考え中なんだが・・・・どれがいい?」
「ば、ばかな、そんな事出来る訳ねぇ。もし、もしそんな事を本当にやれるって言うんだったら普通の人間じゃねぇよ・・・・」
「どうかな。オレはどうやらロボットに熱中するド変態らしいし。そんな事を平気でやるかもよ?」
「・・・・さっきの事は悪かったよ。だから―――」
「悪いと思っているなら尚更だな。学校でも習ったと思うが悪い事をしたんなら罰が与えられなきゃならねぇ。幼稚園から中学生までの義務教育で
それは習って来ている筈だ。だから諦めるんだな」
「ふ、ふざけるなよこのイカレ野郎がっ! 舐めやがって、さっさと下りやがれ!」
「おっとっと・・・・」
オレの尻の下で一生懸命に脱しようともがく男。だが、無理だ。これだけ完璧に重点に体重を乗せてるのだから動きようがねぇ。
しかし段々言葉使いが悪くなってきた、さっきまでの友情に厚い男はどこに行ったのやら。いつだって正義は悪に染まってはいけないってーのによ。
どうやって処分しようかなと考え込んでいるとまたもや汚い言葉を吐かれる。
「この変態野郎が! お前にやられたダチの内二人は後遺症持ちになっちまったんだぞ! もう二度と治らねぇ、どうしてくれんだよ、ああっ!?」
「当り前だ。女をレイプしようとしたんだからな。なぜそのダチが警察に届け出を出さないかしっているか? そんな事をして事が発覚したら学校に
居られなくなるからだよ。まぁ、それでも学校に居座る度胸があれば話は別なんだがな」
杉並に聞いた話だとどうやら届け出は出ていないらしい。つまりはまだ人間としての常識が残っていたという事だった。
結果的にはラッキーだったのかもしれない。頭に来る事だがもし裁判を起こされた日にはさくらさんの力を借りないと反対にオレが捕まっちまうからな。
「だからそれだけの怪我は当り前だと思って欲しい。人の女を傷付けようとしたんだから当然だろ」
「なにが人の女だ。あんなの―――ただの機会屑じゃねぇか」
「・・・・・あ?」
「噂で聞いてるが随分入れ込んでるらしいな。だが―――何の意味も無い。このまま付き合っても皆から、世間から冷たい眼で見られるだけだぜ?
そんなどうしようもねぇ奴なんだよアイツはよ。そんな女と純情よろしくお付き合いしてるお前は本当におかしいんだ。だから目を覚ました方が
いいぜ、な?」
「・・・・・・・」
「どうせあのロボットの具合にハマってるせいでまともな判断が出来なくなってるんだよな? オレはお前を思って言ってるんだぜ。あいつはお前に
とって疫病神みたいなもんだ。この間の件みたいな事だってまた起きるかもしれねぇ・・・・、その度にお前が一々出張ってたらキリがねぇよ。
だから――――」
言い終える前に思いっきり地面に頭を叩きつける。グチャっという鈍い音。鼻骨がいい感じに折れたらしい。
悲鳴を上げる事も出来ずに呻く事しか出来ないでいる。当然だ、そうなるように叩きつけたのだから。これで折れない奴が居たら教えて欲しい。
その血だらけになってしまった顔を無理矢理オレの顔の前まで持ってくる。顔、恐怖に染まっていた。もう見慣れた表情だ。
「うるせぇよ」
「・・・・がっ・・・グゥ・・・」
「なんでお前みたいなカスにそこまで言われなきゃならねぇんだよ。てめぇこそ頭がおかしいんじゃねぇのか、ああ?
ロボットだろうがなんだろうがそれに発情して襲いかかったお前のダチは人間以下なんじゃねぇのかよ、違うか?」
「・・・・く、くそぉ・・・・」
「オレをなだめ様としたのがそもそもの間違いだな。完全にぷっつんときちまったよ。お前のダチがやられた以上の事をしてやるよ、よかったな」
「ヒィ・・・ァ・・・」
そしてまた顔面を再度叩きつけようとして――――音がした。オレの後ろ、そちらから聞こえた気がする。
心の中で舌打ちをした。この現場をもし通報か何かされたら面倒な事になる。せっかく一難去ったというのにこれじゃ意味が無くなっちまう。
だから言わない様に脅しも含めた言葉を発しようと後ろを振り返って―――驚いた。
「美夏・・・・」
「あ・・・・・」
美夏がどこか沈んだ表情をしている。普通なら慌てたり怖がったりするのだが、何故か沈んだ顔をしていた。
何故か、すぐに思い当たる。ずっと美夏はオレ達の会話を聞いていた。ベンチに居なかったオレを探しきたのだろう。そしたらオレ達が悶着を起こしていた。
今の会話は美夏に聞かれたくなかった。自分の存在価値を疑っている今現在の心境はとても不安定なものだ。そんな時にこんなフザケた話を真に受けられたら
たまったもんじゃねぇ。こいつは自分が助かりたいが為にこんな事を言っていた。だが美夏はそうは受け止めないかもしれない。
だから何か言葉を掛けてやらないと思い、力を抜いた。それがいけなかった。
「う、うわぁぁああっ!」
「ぐっ・・・・」
「よ、義之っ!?」
男が懐からナイフを取り出し振りかざしてきた。咄嗟に躱したものの腕にそいつが突き刺さってしまう。
慌てて駆け寄ろうとする美夏を手でかざして制する。困った顔をしながらオレの顔を見て戸惑っていた。別にヤバイ所に刺さった訳じゃねぇんだからそんな
心配そうな顔をしなくてもいいのによ。
しかし最近のオレは刺されてばっかりだなチクショウ。今までのツケが回ってきたかこりゃあ。
「・・・・あー結構いてぇぞテメ―この野郎」
「お、お前がわりぃんだぞ。そもそもお前がダチをあんな風にしなきゃこんな事にはならなかったんだぜ・・・・。それなのにお前はオレを
殺そうとする勢いでボコろうとしたんだからな」
「―――どうでもいいじゃねぇか、そんな糞みたいな奴らの事なんか」
「なんだと・・・・」
「それよりもお前、覚悟してんだろうな。そんなモンを持ち出したって事はもう死んでもいいって覚悟が出来てるっつー事だとオレは思っている。
楽にはやらねぇぞ―――殺してやる」
そして笑って見せる。その表情に怖気づく相手。おいおい、逆だろうが。普通刺された方がその表情をするんだぞ。
すくっと立ちあがってその男の方に向かい歩き出す。オレが近づくと恐怖なのか後ずさりをするように後ろに下がった。
だが――あまりにもオレが追いつめた所為なのか何かが切れた様子でオレに突っ込んでくる。ナイフを振りかざしながら。
「ち、ちくしょおおおおおっ!」
「・・・・まぬけが」
今まで喧嘩してきてナイフを取り出した相手は何人か居た。それで痛い目もみてきたしもうやられはしねぇとその時に誓っている。
対処法なんて考えるまでもない。大体の奴がナイフなんか扱えはしないし人を刃物で傷付ける行為ってのは中々素人が上手く出来る事じゃない。
だからそいつがオレに完全に突っ込む前に逆にオレが相手側に突っ込んでいく。いきなり駈け出しだオレに虚を突かれて動きに動揺が走った。
「オラァ!」
「グッ・・・・ハ」
その隙に素早く顔面に拳をめりこませた。たまらず顔面を手で押さえる。そして無防備になった足に蹴りを放った。
また先程のように転倒する男。結果、さらに痛い目をみる形になってオレに這いつくばった姿を見せてくれた。
なんとか後ろに振り向こうとする前にオレはそいつの腕に足を掛けながらオレは言ってやった。
「慣れない事しようとしてんじゃねぇよ、このアホが」
「こ、この野郎・・・・」
「あー腕がいてぇな、どうしてくれんだよ。せっかくのお気に入りの服に血が滲んじまってるじゃねぇか」
「お、お前がわりぃんだよ」
「なんだ、またそんな事言ってるの―――かっ!」
「がぁっ!」
腕に体重をかけるとミシミシ音を立てている。暴れようにも腕を押さえられているので動けない。逆に無理に動こうとすればポキッとイってしまう。
さらに体重を掛けてオレは折る事にした。オレの腕にナイフなんか突き刺してくるし美夏の事も侮辱した。その一連の行為、オレは許しはしねぇ。
そしてもう一段そいつの腕に掛かっている足に力を込めようとして、止まった。腰に感じる重み。美夏が抱きついて来ていた。
「なんだよ、美夏」
「もういい・・・・」
「あ? 何言ってやがる。こいつはケンカでナイフを取り出してきた。ヘタすれば大怪我じゃすまない事をしでかそうとしたんだぞ。
そして何より許せないのが――お前の事を侮辱した事だ。このまま腕をヘシ折る」
「ヒ、ヒィ・・・・」
「だからもういいんだ。お願いだ、義之・・・・」
「・・・・・」
美夏の目、いつもの快活な目ではなく悲しんだ目をしていた。そんな目をされてはこのままコイツはボコれない。
オレは軽く舌打ちをしながらそいつから足をどける。同時に首の辺りを力を込めて蹴ってやった。小さく悲鳴をあげながら失神する男。
そして、軽く目を瞑り――開けた。さっきまでの気分を無理矢理心の奥に閉じ込める。オレは美夏の方を振り向かないで言った。
「せっかくのデートがおじゃんになっちまったな、わりぃ」
「・・・・別にそんな事はない」
「―――帰るか」
「・・・・ああ」
美夏とのデート、後味の悪いものになってしまった。思わず腹が立つ。そのきっかけを作った男もそうだが美夏と居るのに早々に喧嘩をおっ始めたオレにも、
だが美夏の事をあれだけボロカスにされて黙ってる程オレは大人じゃない。きっと次に同じような事が起きてもオレは同じ行動をするだろう。間違いない。
そして思う。そんな事を――いつまでやり続ければいいんだ。時代が変わるまで待つしかない事を誰かが言っていたが呑気に待つ事なんか出来やしない。
この男に言われるまでも無くオレは似たような感想を抱いていた。世の中がオレ達に対する目、決して良いモノではないだろう。だがそんな事は関係無い
と思っている。世間の目なんかオレは気にしないし法律だって大した抑制力は無い。
問題はそういう環境の中で美夏は生きていけるだろうかという事。こいつは優し過ぎるしそういうのに耐えられないかもしれない。
だが――オレが守ってやる。そう誓った。美夏の手を引っ張りながらオレは暗い路地を出る。握った手はロボット特有の冷たい手なんかじゃなく温かい手を
していた。この温かさ、決して離しはしたくなかった。
「ホラ、終わったぞ」
「いてっ」
ぺしっと治療されたばかりの所を叩かれた。見た目は不格好だがちゃんと包帯は巻かれている。少し腕を動かして支障が無いか感触を確かめた。
今居る場所はオレの部屋。あの後本当は美夏がオレを病院に連れて行こうとしたのだがオレが嫌がった為にこういう形で落ち着く事になった。
ていうか病院になんか行かせようとするなよな。もう飽きる程病院のあの独特な雰囲気は堪能したからしばらくは行きたくなんかねぇのによ。
「お前も強情な男だ。そんなに病院が嫌なのか?」
「嫌だね。今でも思い出せるよ、体は元気なのにずぅーっとベットに寝っ転がってた日々をな。もう病院に嫌気が差して当り前だっつぅの」
「・・・・そうか」
呟いてオレの隣に座る。いつもならもう一言ぐらい会話するのがオレ達の会話なのだが終了してしまった。いつものリズムが崩れている。
美夏はさっきの事がまだ尾を引いているのか黙り込んでしまっていた。彼氏としては何とか慰めてやりたいところだが・・・・どうしたものか。
あまり迂闊な事は言えない。軽々しい言葉で納得する程美夏は単純では無いし、どこか鋭い所を持っている美夏なら尚更だった。
慎重に言葉を選ぶ必要がある。そう思いどう切り出そうと思っていると――美夏は自嘲に似た笑いをした。オレは怪訝に思いながらそちらを見やる。
「やっぱりだな」
「・・・・何がだ」
「やっぱり義之は美夏と居ると不幸になる。もう確信したよ、さっきの男が言っていた様に疫病神なのかもしれないな」
「―――さっきの事を気にしてるならお前はバカだよ。あんな戯言を真に受けるなんてな。少しがっかりだぜ、美夏」
「真に受けるも何も・・・・本当の事だ。義之だって本当はそれに気が付いているんだろう? あんまり無理はしなくていい」
「水越先生から聞いたんだが、随分くだらない事で悩んでるらしいな。相変わらず変な所で真面目だよ、お前は」
「・・・・くだらない事、か」
「ああ、くだらない事だ。少しばかり叩かれたからって自分が居なければいいのにとか言うな――――オレはお前の事を愛しているしお前の事をずっと
守ってやる。何も心配する事は無い」
美夏の手をぎゅっと握る。せめて安心を与えたかった。オレなんかじゃちょっとばかし頼り無いかもしれないが少しぐらい元気を出して欲しい。
そう思って握ったのだが、美夏は握り返してこなかった。相変わらず悲しそうな顔をするばかり。そんな表情を見てオレの不安の気持ちが大きくなる。
何か間違った事を言ってしまったのだろうか。もしかしてあまりにも綺麗事を言ってしまったので呆れられたのか? 確かに具体的な対策案では無いし
解決の手段とは程遠いかもしれないが・・・・オレ達の繋がりならそれで十分の筈――――
「やっぱり駄目だ、義之。これ以上お前に迷惑は美夏は掛けたくないんだ」
「迷惑だなんてそんな事は――――」
「お前がそう思わなくても結果として掛けてしまっている。美夏はもうこれ以上お前に負担を掛けたくないんだ」
「・・・・・」
しくった。美夏はその事をずっと気にしていたんだ。オレはその事をエリカの件から知っていたのに忘れしまっていた。
オレがお前を守ってやる。聞こえは確かにいいかもしれないがそれは『お前は無力だからオレが守らなきゃいけない』と同義の意味だ。
今の場面で使う様な言葉じゃ無かった。後悔してももう遅い、言葉にして言ってしまったのだから取り返しが付かない。
更に美夏を追い詰める形になってしまった今の現状。オレはなんとか言葉を取り繕うとして、美夏が信じられない言葉を吐き出した。
「美夏な、もう一回眠りに就こうと思うんだ。義之はどう思う?」
――――ふざけるな。反射的にそう思ってしまった。美夏の言葉にだけ対して思ったのでは無く、そう言わせるような環境、世間、人に対してもそう思った。
だから言ってやった。あまり飾った言葉で言っても意味が無いだろう。そのまま思った事を言ってやる。
「ふざけるなよ」
「義之・・・・」
「約束したじゃねぇか、あ? これから二人で頑張っていこうって、世間の奴らに何言われたって一生懸命に歯を食いしばって耐えるって、そう言い合った
じゃねぇか。なのに少し弱気になったからってそれかよ・・・・はは、馬鹿言ってんじゃねぇよ」
「ついさっき考えて言った言葉では無い。前から常々そう考えてはいたのだ。まぁ、なるべくなら義之が言った様に共に歩んでいきたいしこの考えは
いつも無理矢理心の奥に仕舞いこんではいたのだが・・・・どうやら無理らしい。あの男の言った通りになるのは癪だが、仕方の無い事かもしれな
いな」
「・・・・仕方の無い事だと?」
「そんなに怒らないでくれ、義之。お前だってもう嫌だろう、嫌がらせの手紙を何回も受け取ったり物が無くなったりするのは」
「そんな事されてねぇよ」
「今の声で分かったが結構何回もされてるみたいだな。昨日今日の付き合いじゃないのだからお前の事なんかすぐに分かる。まぁ今すぐに
結論を出せと言う訳じゃない。少し考えてみてくれ」
言い終わると座っていたベットから立ち入口に向かおうとする。恐らく今日はとりあえず帰るのだろう。その姿、迷いが見えない様に感じた。
なにが少し考えろだ、なんでお前はそんなに冷静なんだよ。そんな気持ちがオレの心を支配する。そして感じる焦り。このまま美夏を帰したら
何か取り返しのつかない事になるんじゃないか、そんな思いにとらわれた。多分間違ってはいないだろう、そんな予感がする。
だからその腕を引っ張って無理矢理オレの胸に収まらせる。美夏は驚いた顔をしたが、すぐに顔に少しばかり笑みを浮かせてしょうがない風に
言葉を発した。
「あんまり困らせないでくれ、義之。こんな事をされたんじゃ決心が鈍る」
「鈍っちまえよそんなの。そんなくだらねぇ事ばっかり考えやがって・・・・オレとの甘い時間だけ考えて唾垂らしてればいいんだよお前は」
「はは、そうしたかったのだが無駄に高いAIのせいでそうもいかなくなった。ごめんな」
「なんでそんなに平気なんだよお前は。オレと一生会えねぇのかもしれないんだぞ。とてもじゃないがオレはそんな事出来やしねぇ」
「――――平気な訳あるか、馬鹿」
少し体を振るわせながらそんな事を言った。オレは美夏の顔を見ようとしたが美夏は見せたくないようで顔を背けている。
だが気付いた。オレのシャツの胸の所に染みが出来ているのを。なんで平気なんだ、そんな事を言った事を後悔する。
美夏は美夏なりに一生懸命考えたのだろう。そして言った、オレに負担を掛けたくないと。だからさっきまでとても冷静な振りをしていた。
最初会った時はとても我儘な奴で人間なんか滅べばいいと言っていた奴がそこまでの事をしていた。そしてその対象がオレ、嬉しくもあるし切なくもある。
「絶対にどこへも行くな、美夏。ずっとオレの傍に居ろ、分かったな」
「・・・・はは、お前らしい言葉だ。思わず笑ってしまう」
「これから毎日笑わしてやるよ。だからもうそんな事考えるんじゃねぇぞ」
抱きしめた腕に力を加える。美夏の心地のいい体温が感じられた。そして美夏もその言葉に納得したのだろう、それを感じるように美夏もオレに体を摺り寄せてきた。
とりあえず一安心って所かこりゃあ。オレがここまでの事を言ったんだ、納得してくれなきゃ泣くぞこの野郎。
「―――それにしても」
「あ? なんだよ」
「こうしてベットに義之と二人で座るなんて初めてだな。もしかしてそういう事を考えてここに引っ張ったのか?」
「あ―――」
言われて気付いたがこうして二人でベットの上に座るのは初めてだった。そういう事―――考えた事が無い訳じゃない。いつでもオレは美夏を抱きたい気持ちはあった。
でも、もし美夏を抱いてしまったら世間の金持ちの親父達と同類になってしまうのではないか、そんな事をオレは考えていた。くだらないと思うかもしれないが
美夏の事を本当に好きだと証明する為には抱かない事、それが最も最適な行動だとオレは認識している。
だからこのまま勘違いされたんじゃちょっとマズイ。だから離れようとして―――腕を引っ張られる。少し困惑するオレ。美夏は構わず言葉を続けた。
「なにしてだんだよ、美―――」
「美夏は、そんなに魅力が無いのか?」
「あ?」
「こういう関係になっても・・・・こういう状況になっても手を出さないという事はそういう事なんだろう、義之?」
「・・・・馬鹿いってんじゃねぇよ。抱きたいに決まってるさ。だが、なぁ・・・・」
「ムラサキの事は抱けても美夏の事は抱けないのか? どうなんだ義之」
「―――意味、分かって言ってるのか美夏?」
「当り前だ。美夏は・・・・ずっとお前と―――」
そこまで言って言い淀む。まぁその先の言葉は聞かなくても分かるが・・・・さて、どうしたものか。
美夏の事は好きだしそう言ってもらえるのはすげぇ嬉しい。だが今まで自分の中で決めたルールというかそれを破るのは少し躊躇してしまう。
でも美夏が望んでいるのならそれは―――――
「・・・・よし」
「義之?」
「これからお前を抱く。早く服を脱いでベットに横になりやがれ」
「い、いきなり何を――――ってうわわっ!」
いきなり服を脱ぎ出したオレに驚いて顔を背ける美夏。ていうかこのぐらいで恥ずかしがってちゃ何も出来ねぇよ。これからやるっていうの。
まぁ―――あんまりグダグダ考えない事にした。好きな女にここまで言わせてウジウジ悩んでる男になんかなりたくねぇ。それは優しさというよりも
ただの優柔不断だ。ここはオレらしくスパッと決めといた方がいいだろう。
上半身を脱ぎ終わり美夏の方を見る。こちらをジロジロ横目で見ていたみたいでオレと視線が合うと慌てて背ける。このスケベロボットめ。
「ほら、早くお前も脱げよ。着たいままヤリたいなら話は別だけどよ」
「うう・・・もう少し雰囲気が欲しかったぞ、美夏は」
「そんなデリカシーがオレにあると思うかよ。ほら」
「あ・・・・」
トンと軽く体を押してベットに横たわらせる。美夏はもうこれ以上ないくらいにドキドキしていた。まったくしょうがねぇ。
だからいつもどおりキスをしてやった。最初は軽いキスで緊張を解そうと思ったからだ。そして軽いキスから深いキスへどんどん行為に慣れさせていく。
たっぷり舌を堪能して離すとどこか夢見がちな目でオレの事を見ている。もうここまでくれば大丈夫だろう。そう思って美夏の上着に手を掛けた。
「よ、義之?」
「あ、何だよ? 今更止めるって言うんじゃねぇだろうな。もうここまできたらオレは止まらねぇぞ」
「違くて・・・そのな・・・・」
「うん?」
「・・・・あんまり痛くしないでくれ、な」
「・・・・・」
なんて――いじらしい言葉を吐くんだこいつは。滅茶苦茶可愛いじゃねぇかこの野郎。
世間でロボットロボット騒いでる奴らが可哀想に見えてくる。こんなにも可愛いのにロボットとしか見れねぇなんてな、同情するぜ。
返事の代わりに抱き締めると美夏は笑顔になり抱き締め返してくる。ああ、マジで幸せだ。もう絶対にこの感触を離したくない。
事が始まった時も時折美夏は可本当に愛らしく姿を見せてくれた。その度にオレの方が参っちまうぐらいに扇情的で―――愛おしかった。
だからオレは余程気が抜けていたのだろう。好きな人を抱いているという安心感から事が終わった後に軽く寝てしまった。
そして夢と現実の間のうたた寝の時に聞こえてきた声に反応する事が出来なかった。
「いい想い出、ありがとうな。一生忘れないぞ」
なんでそんな寂しい声で寂しい事を言うのだろうか。不安に駆られて声を掛けようとするが体が動かない。
もうニ度々会えないかもしれない、そんな有り得ない事を思ってしまった。せめて夢であって欲しい、そう思い込もうとしたが出来ない。
いきなりオレに抱かれようとする美夏。さっきまで色々思い詰めていた顔をしていたのに急に明るくなりオレを誘ったりと思いだせば不自然な
点は多かった。
こうしてまたもやオレは後悔する事になるのだろう。起きて隣に美夏が居ない事でそれを確信した。
「あの野郎・・・・かっこつけてる時じゃねぇだろ、一人で何でもかんでも抱え込みやがってっ!」
机の上を見るとオレが美夏にあげたストラップが置かれている。もう迷う余地はないだろう。美夏が―――オレの元から去ろうとしている。
そして日付時計を見て驚いた。もう日が変わって早朝になろうとしている。退院直後に色々したせいで疲れが出てきてしまっていたのだろう。自分の
体力の無さに舌打ちしながらもオレは急いで天枷研究所に向かう事にした。
一日、あいつの性格の場合一日で全て決めてしまう。まだ何もしないでくれよ、美夏。オレは祈るように思いながらバスの走っていない早朝に駈け出した。