「うーん・・・・この服、義之に気に入ってもらえるかしら」
商店街のベンチに座りながら袋の中身をガサッと見直す。中身はシャツとジャケット、デニムが入っていた。
放課後は義之と一緒にショッピングに行こうと思っていたのに天枷さんを追いかけてしまったので結局私だけで買い物をしてきてしまった。
別に日を改めてでもよかったのだが食堂の一件で服が汚れてしまった私はどうしても換えの服が欲しくなってしまい、一人で買い物を済ませてしまう。
「一応クリーニングに出したけど無理っぽそうよね・・・・。あーあ、本当に腹が立つわ」
思い出の服にもう消えないだろう染みを付けられてしまった。思い出すだけで腹の中が煮くり返そうになる。
この買った服も自分ではまぁまぁのセンスだと思っているがあの服には変えられない。あの服は特別なのだ。義之に初めて買ってもらったものだし
なにより自分を好きだと言って買ってくれた。
もう恋人としては関係は築き上げられないが友好の証であると思っているあの服。一生とっとこうと思っていたのに―――本当に気分が参ってしまう。
「義之と買い物に行きたいな・・・・、絶対に私の可愛さに参ってしまうと思うのに。また天枷さんから奪っちゃおうかしら」
口に出して呟いてみる。ただ呟いただけだ。もうそんな事は叶いやしないし、二度とない可能性だとは思っていたが呟かずにはいられなかった。
確かに義之とは『お友達』として関係を築いている最中だし義之には恋人がいる。相手はロボットという信じられない話だが―――義之の場合は関係ないだろう。
そんな事を気にする性格でもないだろうし本当に惚れこんでいる事が見ていて分かる。もうあの調子なら結婚するんじゃないかしら? 出来るかどうかは別として
その気でいるのだろう、あのカップルは。
天枷さん―――ロボットでありながら義之の心を奪い自分の『心』を義之の全てにした女性。私があれだけ苛めて潰したというの結局義之をモノにしてしまった。
この星のロボット・・・・人達はみんなあんなにタフなのだろうか。私の星でも心の強い人はいるがあんなにタフなのは見た事がない。末恐ろしい話だ。
将来的には私の星とこの星は友好関係を結ぼうと思っているがこのままではいけないだろう。技術はともかくとして心で圧倒されてしまっては平等な関係を
築けやしない。きっとこの星の人達におんぶだっこしてしまう状況になってしまう。貴族でもあり王族でもある私にとってはあまり良いとは言えない状況だ。
帰ったら少し政策を変えてみる打診をしてみよう。王政は確かに国をまとめるのにいいかもしれないが少しは国民性を前に出させた方がいいのかもしれない。
「やるなら義之と一緒にやりたいわね。義之も私を選んでいたら貴族になれたというのに。愛には権力も名誉も通じないって事かしらねぇ・・・・っと」
懐から煙草を取り出し火を付ける。夕焼け空に煙が上って行く様子を黙って眺めた。一連の動作、今初めて煙草を吸った動作などではなくもうやり慣れた感じだ。
義之に勧められて屋上で煙草を吸った時から私はもう立派な喫煙者になっていた。最初は義之に憧れてだったけど・・・・気が付いたらうまいと感じるように
なっている。よくない兆候だと思っているがとうに辞めよう等とは考えなかった。
今の姿は一回家に帰っているから私服姿。私の容姿ならばまさか中学生には見えないだろうし例え見えたとしても外国人だ。この国の公務員が外国の私に注意
する勇気なんてあるとは思えなかった。
「あの、すいません・・・・」
「―――はい、何か?」
心臓がドキリとした。ナンパでもされたら嫌だし声を掛け辛いオーラをだしていたのに横から男性の声で呼びかけられた。思わず誤魔化す様な笑みを浮かべて
しまう。こういう所が小物臭いというかなんというか・・・・義之なら平気で返事すると言うのに。
そしてしまったとも思う。外国人の私が日本語で返事してしまった。適当に英語か何かで捲し立てればよかったと思う。後悔するがもう遅い。
とりあえず声を掛けてきた人を見て―――安心した。警察官などでは無い。ビラを持っているし何かの宣伝だろう。少し焦る気持ちが収まったのを感じた。
「これ、よかったらどうぞ」
「・・・・ん」
「どうもすいませんでした。では私はこれで」
そう言ってまた他の人に声を掛けに歩き出して言った。しかし資源が無い無い言う星の割にはまだまだ余裕がありそうな感じがする。聞いた話では地球は
もう環境汚染が進みまくっていてトイレの紙さえ作れないかもしれないという話だ。
まぁ、こうして現に何枚もビラが大量印刷されているという事は余裕があるに違いない。本当に危機だとしたら物価が何倍にも跳ね上がる。
今持っているポケットティッシュが何万の世界、ね。あんまり想像したくない世界だ。そうなったら不潔まみれの世界に義之を置いていけない。
無理にでも義之を私の星に連れ込んでやる。天枷さんは・・・・しょうがない、連れていってやるとするか。でないと義之が来てくれない。全く腹ただしい女だ。
「その前に破棄とかされなきゃいいけどね。ねぇ、天枷さん」
ビラをひらひらさせて内容を読み砕いた。ロボットの排除運動。中身はロボットによる危険性やら論理観などについて書かれている。
前はもっと穏やかな運動だったと思うのだが・・・・少し内容が過激になってきている。元々この国の人間はそういうのには敏感で受け入れられないと思って
はいた。思ってはいたのだが更にアレルギー気質になるとは思ってもいなかった。精々こじんまりに新聞の片隅に乗るぐらいの騒ぎだと思っていたのに。
島国特有の閉鎖感。自分達と違うものは受け入られず認めない。外国人という設定の私でもそういうのは感じていた。まぁ、ただ単に美人だから声を掛けにくい
というのもあるのかもしれないが。
「美人ってのも考えものだわ。可愛い、なら色々ちやほやされるのに。結構ままならないものね」
可愛い系と言って連想するのは天枷さんだ。イメージとしては小さくて元気で子犬みたいな感じ。きゃんきゃんウルサイ所がまた愛嬌があるように見える。
私からしてみれば蹴り飛ばしやすそうな大きさのボロボロの子犬にしか見えないが義之は確かにそう言っていた。なるほど、これが見方の違いと言うものか
と私はその時思ったものだ。
もしかしたら―――義之は可愛い系の子が好きなのかもしれない。だから私とか花咲先輩には見向きもしないのだ。その考えに至って、私は愕然とした。
「あー・・・・なんだかショックだわ」
やはり女の子なら美人よりは可愛いと言われた方がいい。確かに私は美人で器量もあり、センスもあるが今までそういう風に言われたのは家族だけだった。
顔に手をやってため息をつく。このままではもしかしたらただ単にいいお友達止まりかもしれない。いや、確かに友達でいいと言ったがそれにもランクはある
だろう。今は多分花咲先輩がトップだ。あれをどうしても越えなければいけない。
友達以上恋人未満の関係を持続出来れば一番。そして時々買い物に付き合ってくれて、キスもしてくれて、エッチもしてくれる。なんといい友達関係
だろうか。まさに親友という言葉にふさわしい。義之もそれならば許してくれるだろう、うん。
「あれ、でもそれってただ単に都合のいい―――――」
何か重要な事に気付きそうになり―――視界の隅に見知った女性を見つけた。考えを中断、その姿を思わず目で追ってしまう。
いつもの蹴り倒したくなる様な顔、カ―フモチーフのキャップにマフラー、天枷美夏だ。私が一番憎んだ相手でもあり羨ましい相手。その子が歩いてきている。
なんだろう―――今日は一段にして蹴りたい顔をしている。俯き加減に歩き、足取りも重そうだ。トボトボといった感じで商店街の隅っこを歩いている。
全身から悲しみのオーラで溢れているのが一目で分かった。確か天枷さんは義之と一緒に帰った筈、多分そのまま遊びにでも行くと思ったのだが
どうやら一人らしい。あの義之が天枷さんを一人で歩かせるなんて信じられない事だ。どこへ行くのにも一緒だった筈なのに・・・・。
そう考えて―――ピーンときた。きっとそうだ、そうに違いない。そう思った私は天枷さんに声を掛けた。
「御機嫌よう、天枷さん」
「・・・・」
「御機嫌よう、天枷さん」
「・・・・」
「・・・・ご機嫌よう、天枷さん」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
「義之が花咲先輩とキスしてるわ」
「なんだとっ!」
「御機嫌よう、天枷さん」
「あ・・・・」
ようやく私に気付いたらしくこちらに振り返った。そのギョッとした顔はどういう意味だろうか。この私が話し掛けてるのだから福神様みたいに笑えばいいのに。
まぁこの子の失礼な態度にも私は慣れている。王族として器量が大きすぎるのは少し問題だろうが義之は優しい私が好きと言っていた。だから問題はないだろう。
とりあえずにこやかに笑いながら私は話を続けた。
「義之が今更浮気なんかする訳ないでしょう? 本当にお馬鹿ね、貴方って」
「・・・・そんな事分かるもんか。特にお前と花咲は一番の危険人物だ」
「花咲先輩はもう完璧に友達ポジションになっていますし、私はまだ義之の『いいお友達』ポジションの人間ですから安心なさってくださいな」
「まだとはなんだ、まだとは」
「御心配になさらずに、恋人関係は諦めていますから。それはそうと天枷さん、少しお話がしたいから付いてきてくれるかしら?」
「いや、私は・・・・」
「大丈夫、この間みたいに校舎裏などではなくそこのベンチですから。貴方の好きなバナナクレープも奢りますわ。さぁ、行きましょう」
「あ、こら、まて――――」
何か言いかけた天枷さんの腕を引っ張って無理矢理ベンチに座らせる。そしてまだ開いていたクレープ屋からバナナのクレープを買ってきた。
これから面白い話を聞くのだ、これぐらいの出費は厭わない。天枷さんはおそるおそるといった感じでそれを受け取った。そうそう、最初からそんな
慎ましい態度でいいのに。
そして私も座り―――天枷さんと目が合う。私がニコリと笑うと「ふん」と言ってクレープにかぶりついた。思わずポケットの中の煙草をグシャっと握り
潰した。このぽんこつロボットで泥棒猫の分際で生意気な・・・・。
「で、何の話だ。お前が呼び止めるぐらいだから義之関連の話だろう? あと熱いお茶買ってこい」
「まぁ、そうとも言えなくないわね。正確的には貴方と義之関連の話かしらね。あとお茶なんて言わずそこにオイルが売ってありますから買ってきましょうか?」
「・・・・美夏と義之の話か。なんだ、今更義之を奪おうというのか。あれだけ痛い目をみたというのに。オイルをお前の目に刺してやろうかこの淫乱女」
「ちゃんと耳の機能は付いてまして? 私はもう恋人関係を諦めたと言ったでしょうがこのポンコツろぼっとこのビラに書いてある電話番号に掛けてあげよう
かしらさぞや謝礼とかもらえるでしょうねでも私は一国のお姫様だからそんな姑息な真似はしないわよそんな小物っぽい事をするようでは一国の姫は務まら
ないからあと誰が淫乱女よ体を許したのは義之だけなんだから勘違いしないでほしいですわ確かにあの夜の事を思い出して熱く体が火照る事はありますけれ
ど他の男に気を許す娼婦みたいな女性だと間違えられるのは遺憾ですわね」
「・・・・・」
私が話の途中から目の前に差し出したビラを見詰めている天枷さん。というか私の話をちゃんと聞いているのだろうかこの子は。これだけ長々と私が
喋って差し上げたのだからお礼の一つぐらい言えばいいのに。
そして内容を読み終えたのか顔背けまたクレープにかぶりつく。なんだか先程見た様子に戻ってしまった。少し顔に暗い影を落としてしょんぼりとした
様子。今更こんなことを気にする様な性格では無かった筈なのだが・・・・相変わらず訳が分からない。
まぁいい。こんな事を言い合う為に天枷さんを呼んだのではない。勿論嫌味を言う為に引っ張ってきたのだが今回はまた別な話だ。
「それにしても今日は義之と一緒じゃないのね。いつもは犬みたいに義之の周りをうろちょろしていますのに」
「お前に言われたくない。義之があんまりきつく言わない事をいい事にいちゃいちゃしおって」
「別に友達だから良いでしょう。それで私の義之はどこに行ったのかしら?」
「・・・・前より病気が酷くなったな、お前」
「何か言いまして?」
「なんでもない。義之・・・・か。家に居ると思うぞ。さっきまで一緒だったし」
「ではなぜ貴方は商店街に居るのかしら? 義之の家とは真逆の方向よここは」
「それは・・・・」
なぜか口ごもる天枷さん。これはもう私の考えがヒットしていると考えていいだろう、間違いない。
よく考えればこの子も憐れに見えてきた。さっきまで嫌味を言おうと思っていたが少し控え目にしておいてやろう。
私は煙草を取り出し火を付ける。広がる紫煙。天枷さんはムッとした顔つきになり眉を寄せながら優等生な発言をした。
「煙草、体に悪いから辞めた方がいいぞ。百害あって一利無しだ」
「御忠告どうも。でも自分の健康管理は自分で出来ますわ。ちゃんと日々のスキンはちゃんとしてますし口臭対策やヤニ対策もばっちり。
何も貴方が心配することは無くてよ?」
「・・・・どうして美夏の周りの喫煙者は皆屁理屈なのだ」
「それよりも貴方も大変ですわよね。でも当然の事よね、貴方達ってお互いズバズバ言うタイプだし。今までそんな事がなかったのが不思議な位だわ」
「何を突然言い出すのだ、とうとう痴呆にでもなったのか?」
「義之との口喧嘩でもしたのでしょう? それも派手にね」
「は・・・・?」
呆けた顔をするが無駄だ。あの二人が喧嘩なんて考えられない事だが天枷さんの様子をみれば一目瞭然。これで察せない程私は馬鹿じゃない。
それも今まで喧嘩した事ない二人がする喧嘩だからそれはもう派手にやりあったに違いない。バネと同じで溜めれば溜める程その力は大きくなる。
様子を見る限りじゃ殴り合いはしていないようだけどその分罵詈雑言の殴り合いをしたのだろう。義之が口で負けるとは思えないので多分一方的に
捲し立てられてこんなボロ犬みたいな表情をしている。
天枷さんは私の事をしばらく見詰めていたが―――はぁ、とため息をついた。その表情に少し腹が立つ私。大方当たりを言われたので反論する気が
無くなったのだろう。
「別に喧嘩などはしていない。むしろ前より仲が深まったぐらいだ」
「え・・・・」
「さっき義之とエッチしてきた。まぁ私も初めてにしては中々よく出来た方だと思う。義之も結構感じていてくれたみたいだしな」
「・・・・・」
「しかしなんだか股間に異物感を感じる。まだ義之の物が入っている感じだ。まぁ数をこなせばその内収まるだろう、うむ」
「・・・・・」
「しかし気に入らん事が一つある。それはお前に先を越された事だ。だから行為の最中も比較されてるんだろうなぁと思って気が気でなかったぞ。
まぁ、無事義之も出すもの出してくれたし本当に安心――――」
頭を天枷さんの頭を力強く叩いた。ずり落ちるキャップ。天枷さんはまたため息をついてそれを拾い上げて埃をパンパンと払い落とし、また被る。
私は―――今言った天枷さんの発言に茫然としてしまった。あの義之が? こんなちんくしゃ相手に? それも感じていた? 馬鹿な話だと思う。
確かに義之は天枷さんの彼氏だろうけど、そんな行為はしないと思っていた。
義之は世のロボットを好き勝手にしている人達を嫌っている。体のいいダッチワイフみたいな扱いなんか反吐が出そうだとも言っていた。
だからそんな連中と一緒になりたくないという理由で抱かないもんだと私は考えていた。ずっと天枷さんを守って行くとか言っていたので
そういう行為は自重するもんだとばかり考えていた。
しかし現実はどうだ。義之は天枷さんを抱いてしまった。ロボットとか人間とかどうでもいい。ただ重要なのは私以外に抱かれた女が居る事だ。
「なぜ私は叩かれたのだ、ムラサキ」
「貴方が現実離れした事を言うからよ。あの義之が天枷さんを抱いたですって? 私以外の女を抱いた―――許せないわね」
「というか美夏は義之の彼女なのだがな。お前もいい加減義之離れをしたらどうだ? お前の場合美夏達が結婚したとしても家にちゃっかり
居そうで怖いぞ」
「義之と離れるなら死んだ方がマシだわ。貴方達が結婚でもしたらそうね―――隣の家に引っ越してきてやろうかしら。そして毎晩御食事
を御馳走になって寝る時も一緒でお風呂も一緒。あら、いい感じの風景じゃない」
「なんだその地獄絵図は。もうホラーを通り越して猟奇的だぞ。そういえば心霊番組で幽霊より人間の方が怖いと言っていたが・・・・なるほど
確かに怖いかもしれない」
「何が猟奇的よ、幸せ満杯の絵じゃない。別に貴方達の夫婦生活を邪魔するつもりは無いわ。邪魔なんてしたら義之が怒って、悲しんで、私を突き
離すだろうし。そんなのは死んでも嫌よ」
「でもエッチしたいなぁとか考えてるんだろう?」
「それはもちろんですわ。義之とは友達ですけどそういう風に愛してくれる形もありでしょう? 貴方は貴方で恋人役をやってればいいのよ。
私は私でそういうのを超越した関係を義之と作るのだから・・・・・」
「――――てい」
頭を叩かれた。それもグーで。思わず頭を押さえて屈み込んでしまう。結構力を入れていたみたいで酷い頭痛だ、じんじんと鈍く頭に響く。
キッと天枷さんを睨むがどこ吹く風でクレープを食べる作業を続行し始めた。なんて女だ、私が理想の環境を提案しているというのに拳で返事をするとは。
「痛いですわよ、天枷さん」
「当り前の痛みだ。人の彼氏をそそのかそうとしているのだからな。顔面にパンチを入れないだけでもありがたく思え」
「――――ふん。所詮妄想だって知ってるわよ。義之は何故か貴方みたいなのに入れ込んでいるのは知っているもの。何故かしら」
「・・・・何故なんだろうなぁ。時々考える。でも確かな事は――――私が居る事で義之に迷惑が掛かっている事だ」
「そんなのは当たり前ですわね。別に貴方が何かしなくてもロボットというだけで義之に負担が掛かりますもの。この国なら余計にね。
でもよかったですわね? そんな貴方を義之が好きになってくれて。まぁ、義之の事だからきっとそんなの気にしな――――」
「お前なら負担にならないだろうし義之を守れるだろうな。だから後は頼んだぞ、ムラサキ」
「え・・・・」
「クレープ、ごちそうさま」
そう言って立ちあがり歩き出そうとして―――止まる。止まらせた。私が掴んだ腕を驚いた表情で見ている。今の流れだったら完璧に帰れるだろうと
思ったのだろう。だが甘い。そんな気になる言葉を吐かれたまま帰らせるものか。それも義之関連の話なら尚更である。
掴んだ腕を引っ張り元の位置に戻してあげた。少し困ったような悩むような仕草を見せたが結局私と話を続けるようだ。もちろんまた帰る素振りを
見せたら今度は首根っこ掴んで引き戻してやる。
私は問い詰めるような口調で天枷さんに話し掛ける。何か―――不穏な空気を感じた。
「さっき言った意味はどういう意味かしら?」
「そ、それは・・・・だな」
「後は頼む、でしたっけ? いったい私は何を頼まれたのかしら。正直な所貴方の頼み事は出来るだけ聞きたくないんですのよ、私は」
「・・・・もちろん義之の事だ」
「なぜ私が義之の事を頼まれるのかしら? もしかして別れるとかそんな話ですの? だったらとても嬉しい話ですし喜んで御受け致しますけど」
「いや、別れない。別れないまま別れようとした。もし私が別れると言ったらきっと義之は邪魔をするからな。それじゃ駄目だ」
「いったい何を言って―――――」
「もう一度眠りに就こうと思う。いわゆる機能停止といったところか。何年眠るか分からないが・・・・美夏は一生眠るつもりでいる」
「は―――――」
何を、言ってるんだこのぽんこつは。一生眠る―――その意味を理解しているのか? もう義之と触れ合う事も出来ず、喋る事も出来ない状況になる。
そんな事をする理由、すぐに分かった。前に私が言っていた事だ。「貴方は義之の負担になるばかりだから義之と居ては駄目」。天枷さんはその
言葉で一時的に義之と別れたし精神的にも追いつめられた。全部私がした事だからその時の様子をよく覚えている。
快活そうな眼は泣きそうな眼に変わり、膝なんか震え、涙も全部出し尽くすのではないかというほど泣いていた。それだけ心の中で葛藤していたのだろう。
だが義之に再び求められまた元気な姿を取り戻した。義之と一緒に居る時は本当に幸せそうに見え、頑張っていた姿が印象的だ。
私はいつも義之と一緒に居る。だから天枷さんの様子なんかは義之の次ぐらいに知っていると思う。何か失敗する度に義之がいつも励ましていた。
その時はあっけらかんと笑っていたが―――事実は逆、多分その度に泣きそうになっていたのだろう。私と対峙した時みたいに。
「・・・・興味本位で聞くのだけれど何故一生眠るのかしら。貴方は多分今のロボットに対する世論と義之の事を考えてそうするのだろうけど
一生、というのが分からないわね。案外明日辺りにはコロっと事情が変わっているのかもしれないわよ? だったらそんな時に起こしてもら
えればいいいじゃない」
「美夏の予想ではあと数十年ぐらいはこんな感じだと思う。数十年、その間は義之はどんな気持ちで過ごすのだろうか。ムラサキは知らないかも
しれないが義之はかなり被害を受けている。まだ物を隠されたとか嫌がらせの文面とかそんな感じだが・・・・多分エスカレートするだろうな。
そしてロボットと付き合っている人間というのもいずれ皆にバレるだろう。そんな時になった時の状況、考えたくない」
「だから義之に迷惑を掛けたくないから一生って訳ね。まぁ―――確かにそうかもしれないわね。人って馬鹿だからあれこれ吹聴して回るだろうし
嫌がらせもきっと凄くなるでしょうね。数十年って言ったら私達はもうヨボヨボの御老人だしそんな時まで待っている人間というのも存在しない
と思うわ。普通ならひ孫がいてもおかしくないもの」
「だろう? だから―――」
「でも『私は』義之が相手だったら勿論待ちますけどね。それほど魅力的だし好きですもの。義之に同じ事を聞いても同じ答えが返ってくると思いますわよ?」
「・・・・・」
まぁ、相手が私じゃないのはかなりムカつきますけどと付け加える。天枷さんの表情を窺うとまたあの蹴りたい顔付きになっていた。
元気しか取り柄のないロボットが暗い顔をする。冗談にもならない。そんなのは映らないテレビぐらい価値がないものだ。それを知っているのだろうか。
一生眠る―――大いに結構。傷付いた義之を慰めて私の物にする、素晴らしい計画だ。だが―――瞬時に無理だと悟った。そもそも前提が間違っていた。
「駄目ね、認められないわ」
「な、何故だっ!? お前は美夏の事が嫌いじゃ――――」
「ええ、嫌いですわ。義之の事をあんなにも虜にして私から引き離した人物。だから何回も貴方を壊そうとしたわ。今だって一生眠るお手伝いを
してあげたい気分。近くに結構大きなスクラップ工場がありますのよ? そこに是非運んで差し上げたいですわ」
「・・・・だったらなぜ止める?」
「決まってますわ」
懐から煙草を取り出し一息つける。結構熱を入れて喋り過ぎたかも知れない、喉が少し痛かった。脇にあったジュースを飲む。
なぜ天枷さんが眠るのが許可出来ないのか、そんな事は決まっている。そんな分かりやすい事を聞くなんて本当に馬鹿なのだろうこの子は。
まぁ馬鹿は馬鹿なりに考えたのだろうが―――結局馬鹿な考えにしか至らなかったようだ。ふぅ、と紫煙を吐き出して私は答えてやった。
「だって――――義之が傷付くじゃない。そんなの嫌よ、私は。消えるなら義之が悲しまない方法で消えなさい」
「そ、そんな理由でか・・・・しかし、美夏が消えるというとどっちみち義之には多少なりとも悲しんもらう事に―――」
「だったらお止めなさい。貴方が消える事で多分義之は一生心に残るトラウマを残す事になるでしょう。そして世間を憎み不甲斐ない自分を憎み
天枷さんが居なくなったことに深い絶望をする。そんな状態に義之をさせるのですよ貴方は」
「・・・・でも今の環境、これからの事を考えるとそうなってもやむを得ないと美夏は考えている。前も言ったが義之には負担を掛けたくない」
「案外その負担を楽しんでいるんじゃないかしらね、義之って。あの人って他人に構うのが最近好きみたいだし。彼女なら尚更何かしてやりたい
って気持ちが強いんじゃないかしら? まぁ本人じゃないから断定は出来ませんけど」
最近になって私は義之の事が益々好きなってきている。前は義之が悲しむ事を知らずに天枷さんを何回も傷付けようとしてきた。とても愚か
な事だが自分の事だけを考えていっぱいいっぱいになっていたのを最近になってやっと気付いた。
だからこれからは義之が悲しむ事を私は許したりはしない。でも―――まぁ私がここまで言って、どうしても天枷さんが義之の邪魔になりた
くないから消えるというのならそれはしょうがない事だろう。もし今ここで引き留めてもその気持ちはきっとこれから先も残る。そんな状態で
義之と付き合って欲しくなんかない。
だから考えが変わらないようならここは素直に引導を渡して貰おう。そして眠るなりどこかへ行くなりして一生その姿を見せないで貰いたい。
「もし、そうだとしても―――もう決めたんだ。考えを覆す気は無い」
「・・・そう、なら好きになさい。義之の事は何も心配する事は無い、私が幸せにしてあげますから。貴方と居る時よりもずっとね」
「・・・・」
もう決めた事。なら何故そんなにも私の事を睨んでいるのだろうか。義之を頼むって言ったり私を睨んだり本当に軸がぶれるロボットだこと。
どうせまだ心の中では悩んでいるのだろう。だが頭が悪いので一直線に物事を考える事しか出来ない。頭の良い私はとてもじゃないが理解出来ないわ。
そして無言になる私達。天枷さんはもう話はこれで終わりと言わんばかりにすくっと立ちあがり歩き出す。今度は引き留めない。だがその背中に一言
掛けてやる。
「もし、貴方が眠る事になっても義之は叩き起こしに行くでしょうね。だから貴方のする事はどっちみち無意味だわ」
「・・・・・・・・かもな」
チラリともこちらを見ずに止めた足を再び歩き出させる。多分これから研究所に戻りその手続きをするのだろう。全くもって興味が無いが。
さて、私はこれからどうしようかしらね。天枷さんはこのまま眠る事は確定ですし明日の早朝でも義之を誘って学校に行こうかしら。
久しぶりに義之と二人っきり、考えただけでもわくわくする。まるで遠足前の小学生みたいな気分だ。
「・・・・これで準備は整ったか」
早朝の研究室、軽く周りを見回すが人っ子一人いない。まぁ、ちょうどその時間帯を選んだのから居て貰っては困るのだが。
しかしこの服も随分久しく感じる。眠っていた時はずっとこの服を愛用していたから慣れている筈なのにな・・・・制服を長く着過ぎたかもしれない。
少し名残惜しい気持ちがあるがその気持ちは敢えて放っておく。どうせ眠ってしまえば何も感じる事はないし考える事も無い。何もかもが無くなる。
「そういえば最後に会った知り合いがムラサキか。何か因縁めいたいものを感じるな」
ムラサキとは幾度となくぶつかりあった。そういえばと思いだすが、美夏はムラサキに勝った事が無いような気がする。
美夏から義之をブン盗ったり男連中に襲わせたり、今だって義之の周りを常にうろちょろしている。その様子を見る度に美夏はため息をついたものだ。
幾度かもう近付くなとは言った事がある。しかし美夏がそう言う度にムラサキは義之にいつも以上に甘えたりするのでもう美夏は何も言わなくなった。
しかしムラサキもムラサキで結局義之と恋人関係になる事がないと分かっているのか、あまり義之に良い面を積極的に見せようとはしなくなった。
義之が目の前に居ると言うのに平気で鼻をかんだり首をポキポキ鳴らしたりと結構楽そうにしている。あれがムラサキの自然体なのだろう。
その様子を見て義之は苦笑いしていたのが印象的だ。人間なのだからそれぐらいは普通するのだろうがあまりにもムラサキは義之の前で『可憐な女』
を演じていたので少しばかり驚いた面もあるのだろう。
ムラサキ――――美夏の嫌いな人間の中でも更に気に入らない人物であるがあいつなら義之を幸せにしてあげれるだろう。
美人で器量もいいし何より美夏と違って他人の意見なんて聞かない。義之の彼女になろうとした時からそうだったが最近はよりそれに磨きが掛かっている。
誰の影響か、考えるまでもない。そして昨日に至ってはまるで義之みたいな言い草で説教されてしまった。煙草も吸ってるし、案外人に影響されやすいのかも。
「・・・・お似合いのカップルかもしれないな。少し悲しく悔しいが、しょうがない」
しょうがない、あまり使いたくない言葉ではあるが使わずにはいられない。そして思う、もう少し遅く起きていて義之と会っていれば共に歩めたかもしれないと。
一緒に世間と戦おうと言ってくれた義之。その言葉を聞いた時は凄く嬉しくもあり『安心した』。美夏にこんなにも絶対的な味方をしてくれた人物なんて昔
御世話になった博士以外に知らなかったのだから。
そしてその人物に恋をした。とても愛おしいと思った。故に―――この美夏の判断は間違っていないと思う。義之の為の行動であり、本当に愛しているなら
出来る行為だ。
義之は悲しむだろうが・・・・仕方の無い事だと割り切ってくれるしかない。近くにはムラサキや花咲、由夢など素晴らしい人間が居るのだから何とかして
くれるだろう。あいつらも美夏と同じくらい義之を好きだしな。
「あれ、美夏?」
「・・・・水越博士か。今日は早いんだな」
「ちょっとこの間のプロジェクトの残り作業が残っていてね。まったくこの仕事に暇なんてあったもんじゃないわねぇ」
「はは、昔世話になっていた博士も同じような事を言っていたな。まぁ好きでやっているから仕方ないとも言っていたが、水越博士もそうなんだろう?」
「そう言われちゃ何も言えないって感じかしら。でも限度というものはあるわ。何が悲しくて上のご機嫌取りなんかしなくちゃいけないのよ、リーマン
じゃないっつーのに」
そう愚痴て私の格好をジ―ッと見ている。美夏は思わず何か悪い事をしようとした所を親に見つかった子供の心境になってしまう。
悪い事―――確かにそうとも言えるかもしれない。自分の立場は最新鋭のロボットで機密事項で守られている存在。今だってスタッフが何かあった時の為に
この研究所に寝泊まりしているという話だ。
もし私が一生眠る事になれば大騒ぎになること間違いなし。けど、すまんな、皆。けどしばらく残業続きになるかもしれないが今までみたいに寝泊まりしな
くて済むぞ。
「随分懐かしい服を着てるわね。それってカプセルに入る様のスーツでしょ? なんでまたそんなの着てるのかしら?」
「・・・・・」
「まぁ、そういう気分になるときもあるでしょうね。私も学生時代を思い出してたまーに学生服を着たい時があるもの。感傷に浸りたい時って誰にでも
あるしね」
「・・・・まぁ、そんな感じだ。だから――――」
「だったらその右手に持っているスイッチは何? それって緊急用の停止操作リモコンよね? 何か有事が起きた際にはそれで美夏の全機能を停止させる
っていう物騒な物。使えば確実にスクラップみたいな事になるから鍵付きで机に保管しておいた筈なんだけど――――何故そこにあるのかしら?」
「・・・・・」
「黙っていては何も分から――――ああ、そういう事。結構単純な方法で開けたのね」
机をチラリと見て理解する水越博士。確かに厳重に鍵がついており、普通に見つからない様にカモフラージュされていた。
だが以前チラッとだけそのスイッチを見た事があったのでそれを見つけるのには大して苦労しなかった。問題は厳重にロックされた鍵だ。
鍵といっても穴に差し込むタイプでは無く電子式のものであり特定のパスワードを入力しないと解除されない代物だった。
勿論そのパスワードなんか知らないし知っている者は水越博士のみだろう。聞きだしても教えてくれる訳が無く昨日までどうするか結構悩んでいた。
そして出した結論が―――無理矢理ブチ壊す事だ。昨日義之と研究所のおつかいで行った事があるショップに行き高圧の発生器を購入した。
それで無理矢理ショートさせて中身を取り出す。水越博士の言った通り単純な方法。ちなみに結構な値段だから所長にツケといた。
「で、これから何をしようというのかしら? もしかして義之くんと喧嘩でもしたりした?」
「・・・・逆だ。昨日なんか幸せの絶頂になる出来事が起きたしいい想い出も作れた。多分世界一幸せだと思う、美夏は」
「ならそのスイッチをそちらに寄越しなさい。あと何時間かで学校が始まる時間よ? 早くしないと義之君との待ち合わせに遅刻するわ」
「ああ、それなら大丈夫。後の事は全部ムラサキに任せておいた。あれは嫌な女だが最高の女でもある。今頃は義之と一緒なんじゃないか?」
「・・・・もう一度言うわ。その操作盤を、ゆっくりと、下に置きなさい。これは命令でもありお願いよ、美夏」
「すまんがそれは出来ん。もう決めた事だ」
こちらにゆっくり近づこうとする水越博士に向かって見えるように操作盤に指を掛ける。それで足を止めてくれたのでホッとした。
さて、どうしようか。まさかこんな早い時間から水越博士が出勤してくるとは思わなかった。いつもはもう少し遅い時間に来る筈なのに予想外な出来事。
早くしないと次々に研究員が来てしまう。どうにかしてこの場から水越博士に居なくなってもらわないと困る事になる
――――――というのに
「美夏っ!」
ああ、来てしまった。一番聞きたいと思っていた声でもあり聞きくない声でもあった。美夏が初めて恋した人物であり美夏に恋してくれた人物のものだ。
義之、来ちゃったのか。どうしてお前はここぞという時に美夏を見つけてくれるのだろう。それはとても嬉しい事だが今の状況では最悪だ。
せっかく格好つけて去ったというのに台無しじゃないか。たまには格好いい所を見させてくれてもいいのにと思う。
「え、義之くん?」
「水越先生が引き留めてくれたんですね、ありがとうございます」
「・・・・いや、お礼はいいからアレをどうにかしてちょうだいよ。どうせ貴方絡みの事でしょう、これって?」
「ハッキリ違うとは言えない所が辛い所です。嫌な予感がしたんで来てみたんですが・・・・正解だった――――」
「止まれ、義之」
ピシャリ言い放つ。その声に義之は歩み寄る足を止めた。これで二人に増えてしまった。まさかこんな状況になるとは思ってもいない。
予定では美夏は一人でゆっくりと眠りに就く筈だったというのに。特に義之にはこの場に居てもらいたくない。最後の最後で決心が鈍ってしまうではないか。
「なぁ、美夏。一応なぜこんな事をするか聞いておきたいんだが・・・・いいかな?」
「多分義之の知っている通りだと思う。私はこれ以上義之の負担になりたくない。ただそれだけだ」
「負担―――か。オレは別にそんなの気にしちゃいねぇんだけどなぁ。ていうか負担なんて感じてねぇし」
「別に無理はしなくていい。お前が日頃から色々嫌がらせを受けているのは知っている。多分これからもエスカレートするだろうな」
「・・・・ガキじゃあるまいしそんなの気にしてお別れするっていうなら間抜けだぜ。見た感じどうやらまた眠りに就くって感じなんだろうが
そんな事はさせねぇぞ、てめぇ」
「そう、まだそのガキがする事で済んでいる。物を隠したり嫌がらせの手紙を送ったりまだその程度だ。だがこれから先の事を長い目で見てみろ?
今の時代はロボットに対してとても冷たい様に出来ている。多分これからはイジメ等では無く『迫害』という扱いで美夏達は攻撃されるだろう。
そんな目に義之を合わしたくない」
「だから言ったじゃねぇか、これからも一緒にずっと戦っていこうってよ。その時お前は何て言った? 分かったって言ったよな? あの言葉は
嘘だったのか? まさか怖気付いたとか言わないよなぁ、美夏」
「・・・・そう受け取ってもらっても構わない」
義之に言われた通りだと思う。美夏は現実を見てしまい怖気づいてしまった。美夏のせいで義之が危機になってしまった場面、数えきれない程ある。
怪我もしたし学校も退学になりそうになった。うまい具合に事が進んで義之は無事だったからいいものの、これから先も無事だとは限らない。
そしていつも助けになりたいと思う美夏だったが一度だって助けになる事なんて無かった。そう、一度もだ。
「だから義之、美夏は一生目覚めない事に決めた。昨日今日で決めた事じゃない。ずっと思い悩んで決めた事だ。だから邪魔しないでくれ」
「邪魔と来たか―――――いい加減にしろよてめぇ、こら。何時オレがお前に辛いですとか言ったんだよ。もうこんな思いしたくないですとか言ったんだよ。
勝手に責任感感じて悲しんでじゃねぇぞこのポンコツがっ!」
「ちょ、ちょっと、義之くん。少し落ち着いて――――」
「自分の女の為に怪我するなんてカッコイイ事じゃねぇか。お前は常々負担になりたくないとかオレの助けになりたいとか言っていたが・・・・ハッキリ
言っていらねぇんだよ。大体お茶運びもまともに出来ねぇお前に何も期待なんかしていない」
「―――――ッ!」
「こ、こらっ!」
義之にそう言われて、思わず涙が零れて落ちてしまう。事実だ。確かに事実だが義之の口からそう吐き出されると――――心が裂けそうになる。
胸の辺りに手をやってどうにか鎮めようとするがまるで効果は無く、益々痛くなるばかり。その痛みで涙が余計に溢れて出てしまう。
水越博士が義之の肩に手を掛けて止めようとするがまだ義之の攻撃は続いた。
「・・・・グスッ・・・・ひっぐ・・・うぅ」
「大体お前はロボットの癖に普通の人と比べてもトロすぎるんだよ。確かにロボットだから人の真似ばっかは上手いよな? 運動なんか少しお手本
を見せればすぐに出来ちまう。まぁそこは大したもんだと思うぜ、マジで」
「・・・・・・ひっぐ・・・・」
「だがよぉ、それ以外の事はてんで駄目だよな。お茶を運ぼうと思ったらすっ転んでオレのお気に入りのシャツを汚すわ料理を任せたらボヤ騒ぎを
起こそうとするわ・・・・デートの時なんかオレの携帯を見ようとして落っことしてブッ壊したよな? あの時言わなかったがあの携帯は買った
ばかりで新品だったんぜ。よくもまぁそれ以外にも色々ドジやらかしてるよな。とてもじゃないがオレの好みからは程遠いよ、お前。」
「・・・・な、なに・・・・」
「そうだな―――――エリカの方がオレの好みど真ん中だぜ。お前と比べると」
「――――う、うわぁぁあぁあああんっ!」
「いい加減にしなさい義之君っ!」
「あんな尽くしてくれるし貴族だし美人だ。器量もいいしな。お前と比べるのは・・・・エリカに失礼か、はは」
義之の体をどつく音が聞こえてきた。聞こえてきたというのはもう美夏は目なんて開けていられないからだ。
悔しい、悲しい、哀しい、そんな感情が胸に渦巻く。痛みなんて麻痺するまでにズキズキいっている。もう立っていられなくて膝をついた。
あの、あのムラサキと比べられた。美夏が一番嫌いな人間でもあり嫉妬するまでに何もかも持っているムラサキと比べられ、比較され――――否定された。
何も最後になってこんな事を言わなくてもいいじゃないか。義之にまで否定されたら美夏は、もう何も残らない。
義之は絶対的な味方だと思っていたのに裏切られた気分だ。だったら何故私と付き合ったのか、あのままムラサキと付き合って美夏なんか放っておけば
いいじゃないか。そんなチャンスはいくらでもあったし私と付き合う事なんて無かったじゃないか。
好きだ好きだと常日頃言っていたがそんな事を思っていたなんて――――だが同時に理解する、だから義之はムラサキの事をいつもはべらせているのだと。
多分今の美夏の行動を見て呆れてしまったに違いない。だからもう何もかも全部ぶちまけてやろうと思ったのだろう。
乾いた笑いが出る。もう何も考えられない。結局、美夏一人が熱くなっていただけなのか。ピエロもいいところだ。
「はは・・・・」
「だからたまに考えるんだよなぁ」
「・・・・・あ」
気付いたら義之が前の前に来て屈んでこちらの顔を窺っている。そのなんとも思っていない目を見ていられ無くて顔を背けてしまった。
なんだ、また腹に抱えているものを吐き出すつもりなのか。もう止してくれ、もう苛めないでくれ、心が壊れそうだ。
「なんでお前の事を好きになっちまったのかなぁ・・・・って」
「何を今更―――――」
「お茶運んですっ転ぶお前を見て微笑ましいなんて思っちまうし料理に失敗して悲しんでいるお前を見ているとお前以上にこっちも悲しく
なる。携帯壊した時なんかも確かに腹は立ったがお前が笑顔で『すまんすまん、やってしまった! あはは』なんて笑う姿を見せられた
日には携帯の事なんてどうでもよくなったよ。なんでだべ?」
「・・・・知らん」
「全然好みじゃなかったのに今じゃお前自体がオレの好みになっちまった。お前といつもふたりっきりになりたくてしょうがねぇし
周りの奴らが邪魔でしょうがねぇよ、まったく」
「じゃあ何故ムラサキの事をいつもはべらせているのだお前は。嘘ばっかりつきおってからに・・・・・」
「あ? あいつは犬だろ。最初会った時からこいつ犬っぽいなぁと思ってたからな。別に犬が周りうろちょろしてたって構わないだろ」
「それにしてはムラサキに体を寄せられると鼻の下を伸ばしているじゃないか」
「そこが最近のオレの困り事だ。オレはもうエリカを犬としか認識していないんだがああやって体を寄せられると抱いた時の事を思い出しちまうんだよ。
いやぁ、マジであの時は興奮したね。一生懸命オレは感じさせようと頑張ってる姿が健気でもうね・・・・」
「こ、この――――ッ!」
義之の胸の辺りを殴り付ける。もう我慢ならない。一応まだ彼女の美夏の目の前でよくもまぁぬけぬけと他の女の事を言えたもんだ。
多分今まで一番腹が立っていると思う。中枢チップなんかもう焼けて無くなりそうだ。しかし義之の胸は無駄に厚くて中々攻撃が通らない。
ドンドン殴りつけてるつもりがポカポカと聞こえてきそうな衝撃になっている。
そして重い一発をかまそうと腕を振りあげて―――――
「よいしょ」
「あ・・・・」
掴まれた。そして義之は美夏の目をじっと見つめる。
その視線の強さに目を逸らす行為を忘れてしまった。
「だけどお前を抱いた時の方が何百倍も興奮した」
「な―――――」
「愛している。誰よりも、美夏の事を愛している」
「む・・・・ぅ」
顔を近づけたかと思うと―――いきなりキスをしてきた。あまりにも急な事態で思考が追いついていかない。されるがままになってしまう。
それも途中から舌を捻じ込んできた。反射的に追い返そうと舌を動かすが反対に絡め取られてタップリ唾液を塗りつけられてしまった。
もう何回も義之とはキスをしているので美夏の弱い所なんかは全部知られている。隅々まで義之の舌に犯されていくのを感じた。
そしてやっと気が済んだのか、ようやく口を離した。義之の口と美夏の口の間で出来上がる唾の橋。そんな卑猥な光景をぼーっと見た。
もう体中が溶けてるような感覚。力が入らない。操作盤を落とした。気付かない。美夏の顎に義之の手が掛かる。
「だからお前はオレの傍に居なくちゃいけない。そんなくだらねぇ事してる暇があったら少しでもオレの喜ぶ事をしろ」
「だ、だけどそれじゃ義之の負担に――――」
「オレの負担は彼女であるお前の負担だし、お前の負担は彼氏であるオレの負担だ。そして何よりムカつくのがお前が周りの雑魚連中に
オレが潰れるかもしれないって言ってる事だね。オレを誰だと思ってるんだ――――オレだぞ? そんな蟻みたいな攻撃に動じると
でも思ってるのか、このスカタン」
「す、すか・・・・」
「お前のオレのもんだし一生離すつもりはない。だから諦めるんだな――――一生お前はオレの脇を歩かなくちゃいけないだからよ」
そう言って足元に落ちている操作盤を足で遠くに蹴っ飛ばした。水越先生の目がひん剥く。あれ、結構高いみたいだしなぁ。
しかし、なんだろう――――少し見誤っていたかもしれない。この人間はどこまでも非常識で悪知恵が働き、オレ様だという事を美夏は忘れていた。
きっとこの男は本当に負担になんて思っていないのだろう。見詰めてくる目、掴んでくる手の力強さ、余裕そうににやついている口元。全て真実を言っていた。
そして消えるさっきまでの考えと気持ち。もう眠ろうなどとは思わなくなった。逆にたくさん負担を掛けてどこまで耐えれるか試したくなる。
この先の逆境にどうやって立ち向かうのか、どんな行動、言葉で美夏を守ってくれるのか興味が出てくる。確かに頼り甲斐のある男だとは思っていたが
いつも美夏はそれに頼ってはいけないと思っていた。恋人なのだからおんぶ抱っこはしてはいけない、平等にならなくちゃいけないんだと。
しかし美夏は思い違いをしていたらしい。どうやってもこんな奴と平等になんてなりはしないだろう。
ある時、由夢のおススメで洒落なデザート屋を紹介してもらった事がある。そこはカップル専用の店であり高級感もありのなかなかの店だった。
店内に入るとキチっとした姿のウェイタ―、ゆらゆら揺れているキャンドル、とても甘いアロマの香りがする場所で美夏はとてもうきうきしていた。
そして義之と一緒にショコラを頼み、味を楽しんでいるとピタっと義之の動きが止まった。どうしたのか、口に合わなかったのかと考えていると――――
『豚骨ラーメン喰いてぇ。あの油がモロに浮いてる奴、そしてソレに思いっきりコショウ掛けて喰いてぇ。なぁ、美夏?』
それも結構大きな声。周りの客はそれを聞いてくすくす笑い、美夏は恥ずかしくなり俯いてしまった。そして平然とラーメンの話をしだす義之。その店から
逃げるように美夏は義之を引っ張り会計を済ました事がある。
そんな男と平等になんてなりたくない。だったらまだお姫様してた方がずっといい。というかこの男は本当に空気を読もうとしないのだな。まぁ、それが
義之のいい所でもある。きっとこれからもそんな調子で生きていくのだろう。
だったらちゃんとした女性が居ないと駄目かもしれない。義之は確かに魅力があるし頭のいい、そして度胸もある。が、空気を読めないのは少し頂けない。
ムラサキもなんだかんだで空気を読める女ではないので駄目だ。結局―――美夏が居ないと駄目なんじゃないのか、義之って。
「・・・・なるほど、な」
「あ? 何がなるほどなんだ?」
「なんでもない。精々お前にお姫様して苦労を掛けてやろうかと思ったんだ。どれくらいで根を上げるか楽しみだな」
「――――最初からそれでいいんだよ。変な事ばっか気にしやがってこのタコが」
「相変わらず口が悪いな。まぁ、今に始まった事じゃないが・・・・さて――――」
立ちあがり水越博士に向かって歩き出す。さっきから椅子に座りリラックスした様子で煙草を吹かして美夏達の事を見ていた。時々思うのだが
美夏の周りの人間は少しおかしい気がする。変に度胸があるというかなんというか・・・・美夏の人間観が少し変わりそうだ。
「水越博士」
「ん? もう青春ものは終わったの? なんだか見ていてまた胸ヤケがしてきたんだけど、マジで」
「多分昔の頃を思い出して心が苦悩してるんじゃないのか? そういうのは美夏は分からないが、多分そうだと推測するぞ?」
「・・・・・貴方といいあの金髪といい・・・・少しは年長者を労わろうとするっていう気が無いのかしら」
「どうも迷惑を掛けてすまない。もう二度とこんな事はしないよ、心配を掛けたな」
「―――――約束よ」
「ああ」
水越博士には随分可愛がってもらっているし前だって怪我した時も本当に心配してくれた。
お母さん―――という存在は美夏は知らないが美夏からしてみれば水越博士はそれに近い存在だ。血云々よりも環境がそういう絆を生むと美夏は思っている。
冷静に考えれば義之と同じくらいこの人は心配していたに違いない。少しばかり迂闊な自分の行動を取った自分を馬鹿だなと思う。義之の言うとおりだ。
「あとは・・・・」
さっきからドアの陰から見え隠れしているあの金髪――――は間違いなくあの女のだな。あの憎たらしい色は一生忘れる事はないだろう。
こちらを覗き見るようにして顔を覗かせ窺う様子を見せている。そして美夏と目が合った。多分そのギョッとした顔も多分一生忘れないだろうな。
そして慌てるように廊下を走りだすムラサキ。というか何で居るのだ、アイツは? その疑問に答えるように義之は喋り出す。
「何故か知らないが研究所の前で会ったんだよ。んで警備員と口喧嘩してるところをオレが無理言って引っ張ってきた。あいつもお前の事心配だったん
じゃないのか? なんか話を聞いたら『天枷さんがご臨終という話を昨日聞いたので一目見て笑いにきましたの』と言ってたぞ。こんな早朝の朝から
地図片手に息を切らしてな・・・・くっくっく」
「・・・・背筋がゾクッとする事を言わないでくれ義之。縁起でもない」
あの女が美夏の事を心配する訳が無い。美夏も来てもらっても嬉しくもないし感動もしない。どうせ本当に笑いに来たのだろう、あの性悪女め。
美夏だって逆の立場だったらそうする。憎い女が愛しい男の前から消えると言うのなら是非あざけ笑って見送りたいものだ。心底思う。
それがこんな霧が出ている時間帯で、場所も分からず、地図を片手に走り回り、警備員と口喧嘩したとしても・・・・・な。
「・・・・・ぐす」
「あ、なにおまえ? ちょっと感動してるのかよ」
「し、してないぞっ! するもんかっ!」
「まぁ気持ちは分からんでもないがな。あのエリカがお前の事を心配するなんてなぁ・・・・やっぱり根は優しい奴だよ、あいつは」
「そ、それ以上言うな、鳥肌が立つ! 美夏は部屋に戻って学校に行く準備をするからちょっと待ってろっ!」
「へいへい」
そう念を押して美夏は走り出した。結構あれから時間もたった事だしあんまり余裕をこいてると遅刻なんて事になりかねない。
ドアノブに手を掛けたその時、義之から声を掛けられる。
「さっきお前がいつオレが根を上げるか楽しみだと言っていたが――――そんな事あるはずねぇだろ、このバカ。まだオレの事を
理解してないようだな、美夏」
「・・・・・だったら今度からもっと教えてくれ。お前はというやつをな」
「毎日見せてやるっつーの。だからさっさと着替えて来いよ」
「――――ああ!」
後ろで「ああ、胸ヤケが酷くなってきたわ!」と騒いでる水越博士に向かって義之がキャップを抜いたマジックペンを投げつけているのを無視して
美夏は自分の部屋に向かった。
そして思う。これから先もっと大変な事が起きるだろう。今まで以上に世間が苛烈にロボット批判を起こす事は間違いないと思う。
その度に美夏は傷付き、泣いてしまう事もあるに違いない。また胸にあの鈍い痛みを感じるかと思うと膝をつきそうになる。
だが――――美夏の隣には義之が居る。義之ならそんな美夏を当然の様に立たせてくれるに違いない。
今度は今まで以上に甘えるとしよう。ムラサキなんか目じゃない程に、ずっと、ずっと、甘え貫いてやる。
中途半端に負担になりたくないと言っていたからこうなったのだ。やる時はとことん、甘える時もとことんやった方がいい。
まさに義之はそういう人物だ。そして気に喰わないあのエリカもまさにそう・・・・だから美夏も負けないように我を貫き通してたろうと思う。
「ああっと・・・・制服はどこだっけか?」
もう着ないと思っていた制服。だから探すのに苦労した。多分ぼんやりして眠る前に部屋を整理したのがまずかった。更に時間が取られてしまう。
箱の奥底に仕舞ってあった制服をなんとか見つけ出して着てみるととなんとも言えない気持ちになった。やっぱり美夏にはこの制服が一番だろう、うむ。
そうして義之がいる研究室に戻るドアを開け、いつものように笑顔で行くぞと言ってった。そしてこれから始まる普段の生活に再び胸をときめかせる。
――――義之、これからどんどん甘えていくからな、覚悟しておけよ。ムラサキがドン引きするまで甘え尽くしてやる。