※1本編(from road to road)で義之と美夏が付き合ってからの分岐ルート(さくらルート)です。
※2もし美夏と付き合ってる時にさくらさんといい感じになったら・・・?というIF話です。
※3まだ本編をお読みで無い方はそちらを先に読んだ方がいいかも。
※4そして、さくらファンの方は少し不快な気分に及ぶかも知れません。それでもよければどうぞ。
桜内義之という人間は私の家族であり、息子だ。
正式な籍、出生、父親なんか居なくてもその事実は決して覆る事は無い。
禁忌を犯してまでも、桜の木の力を行使してまでも掴み取った私だけの幸せの形。
幸せ―――もう昔みたいな思いはしたくなかった。
「義之くんてさぁ、最近何か楽しそうだよね」
「え、そうですかね?」
「そうだよぉー。最近急にワイルドっぽくなったと思ったら毎日楽しそうな顔しちゃってさ、何かあったの?」
「んー・・・・別に何もないッスけどね」
ボクの分の食器も両手に持ち台所まで持っていく。どうやらあまり振ってほしくない話題だったようだ。しかしその背中には嫌悪感では無く
照れの感情が滲み出ている様な気がする。
本人からしてみればポーカーフェイスを気取っているのだろうが生憎ボクにはそんなものは通用しない。小さい頃からの義之くんを私は知っているし
何より、そう、ボクは母親だ。自分の子供の事ぐらい容易に分かる。
さっきの質問だって分かっていて聞いた。じゃあ何故質問したのか――――照れた義之くんを見たかったからに決まっている。最近は可愛げが
無くなったような気がして少し寂しい思いをしていた。
「そんな照れ無くてもいいじゃーん。どうせ美夏ちゃん関連に決まってるんだしぃ」
「ぶっ――――」
ビンゴ。やはりそれ関係で少し浮かれていたのか。義之くんはどういう経緯があったかは知らないが美夏ちゃんに夢中だしご機嫌の理由といったら
それぐらいだろう。いやぁ、青春してますなぁ。
義之くんが少しジト目でこちらを睨んできたのに対してボクも笑みを浮かべながらジト目で返す。
むむ、負けるものか。
「あんまりからかわないで下さいよ。さくらさんの意地悪って結構後にまで引っ張るんですから」
「えー別に意地悪じゃないんだけどなぁ。母親役のさくらさんとしては息子役の義之くんがそんな顔をしてるとやっぱり気になるじゃない?」
「・・・・どうせ分かって言ってる癖に」
台所から持ってきたお茶と和菓子をテーブルの上に置いて炬燵に入る。にゃあ、やっぱり義之くんはボクの趣味・嗜好を良く分かっている!
夕食を済ませた後のこのまったり空間でお菓子を楽しむのがボクのお気に入りだ、あとはもうすぐ始まる時代劇があればもう完璧―――幸せだにゃあ。
ちょっと前までの義之くんだったらお年頃のせいかこの時間に付き合ってくれないが、ワイルド義之くん(ボク命名)は付き合ってくれるご様子。
うん、良きかな良きかな。
「なんだか最近の義之くんは付き合いいいよね。いつもだったら、こう、シュバーって自分の部屋に戻っちゃうのにさ」
「はは、どんなですかそれ。まぁ部屋に帰っても暇ですしこうやってさくらさんとダベる方がいいですよ、オレは」
「そ、そう?」
「はい」
・・・・・うーむ。
前まではこんな台詞を吐く様な男の子ではかった筈。それがいつの間にか何の恥ずかしげも無くさらっとこういう事を言えるのは
どういう心境の変化だろうか。
年甲斐も無く少し照れてしまう。いや、まだボクは元気バリバリの成人女性だ。確かに何十年も生きてはいるが外見はまだあの頃のまま・・・・。
子供っぽいと言われてはそれまでだがこの肌のつるつる感だけには感謝したい。あれ、今の子ってバリバリとか使うのかな?
「義之くんってあんまり友達とか連れて来ないよねぇ。今時の子ってやっぱり友達とか連れて来てゲームとかするもんなんじゃないの?」
「友達―――ですか。そういう付き合い無いんで、オレ」
「あれ? でも杉並君とか渉君とかいるじゃん。あとは杏ちゃんに小恋ちゃんに・・・・茜ちゃんとかさ」
「・・・・・はは」
曖昧な笑顔で誤魔化されてしまった。特に茜ちゃんの部分で何か微妙な反応をしたような気がしたが・・・・気のせいだろうか?
確かちょくちょく小恋ちゃんグループは料理しに来たりとか義之くんが料理振舞ったり何かにつけてこの家に来てたのに、最近はご無沙汰だ。
もしかして喧嘩でもしたのだろうか・・・・それだったら・・・・・・。
「んにゅー・・・・」
「ん? どうしました?」
「あ、いや、別に・・・・にゃはは」
「はぁ・・・・?」
一瞬仲を取り持って上げようかと考えたがそれは―――余計なお世話だろう。そういうのは部外者が口を出すものじゃないし本人達の問題だ。
こういう時期の子の感情は特にデリケート、安易にボクが関わるものではない。下手してしまえば一生口を聞いてくれない事になるかもしれなかった。
大人だったらまだいい。感情を制御出来る余裕があるし心も成長しきっている。自分という人間が確立した大人はあらゆるストレスに対応出来るよう
になっているから多少の心の傷は癒えると思っている。そう、ボクみたいに。
逆に子供の時に出来た傷は一生消える事のない痛みになる事が多い。まるでガンを患った病人みたいにいつまでたってもソレは付き纏ってくる。
だから放っておくのが一番なのかもしれない。仮にもボクの息子なんだからそこらへんはうまく纏めてくれるに違いない、うん。
「あ、そろそろ始まりますね」
「おー。やっぱり何時聞いてもこのオープニングはいいねぇ、心がウキウキするよ」
「ははは」
そして始まる至福タイム。かれこれ何十年もこの趣味を続けているのでもう生活の一部と言っていい。お風呂とこの時間はボクの大好きな時間だ。
それに、と思い義之くんの方を見る。この子と一緒に自分の楽しい時間を共有出来るというのは嬉しい事だ。前までは多少そっけなかったが
最近の義之くんは何かボクに特別な念を抱いている気がする。
崇敬 ・ 畏敬 ・ 敬慕・尊敬、なんだかそういう感情が籠った眼を向けられている気がした。そんな特別な事をした覚えはないんだけどなぁ、ボク。
まぁ、どうでもいい事だろう。こうして最近の義之くんはボクと一緒に居てくれるのだから。
それに――――自分の息子に懐かれるのは悪くない。むしろ幸せな気分に浸れるからどんどん懐いて欲しい。
そしてボクはずっと家族を欲しがってきた自分にとって望んだ物が手に入っているこの状況を存分に堪能しなくてはいけない使命感に駆られる。
もしかして最近のボクはツイてるのかもしれない。いつもは一人で見ていた時代劇をこうやって義之くんと笑い合いながら見れるんだし。
はにゃー・・・・本当にしあわ――――――
「あ、さくらさん」
「えへへ」
「・・・・さくらさん?」
「・・・え、あ、な、何かな、義之くん!?」
「ちょっと美夏から電話入ってきてるんでちょい抜けますね」
「あ、どうぞどうぞ。ごゆっくりね~」
「は、はぁ・・・・」
多少首を傾げながら部屋を出ていく義之くん。ふぅ、危ない危ない。少し気を抜き過ぎかもしれなかった。
だって本当に幸せだったんだもん。今までずっと一人で生きてきた私にとってこういう団欒は喉から手が出る程渇望していたんだししょうがない。
それにしても美夏ちゃん―――――ね。
「あ、うるせっつーの。全くお前はいい加減にさぁ・・・・・・・」
「にゅー・・・」
廊下で喋っている義之くんの横顔、なんだかとても楽しそうだな。私と一緒に居る時の笑顔じゃない笑顔で美夏ちゃんと喋っている。
本人は公言していないが美夏ちゃんと付き合ってるらしく毎日のように電話をしていた。時々その電話をしている姿を目にするがとても楽しそうに
話をしているのが印象的だった。
恋、かぁ。ボクはお兄ちゃん以来そういうのはしていないから何だか羨ましい。そう考えながらとりあえず目の前のテレビに集中する。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・詰まらない。
ピッとテレビの電源を落とし炬燵の中にモソモソ潜り込む。まだまだ寒い時期なので炬燵の温度が非常に心地いい。
なんだか今日の時代劇は詰まらない。ハイライトシーンを見る前に視聴を止めるなんていつものボクからしたら考えられない。
だが詰まらないものは詰まらないのだ。きっと今日のやつは構成が悪いのだろう、だからこんなにも面白くない気分になっている。
「あ? 今度どっかに行こうかって? そうだなぁ、この間はショッピングしたしなぁ・・・・」
「・・・・・・」
ジロリと義之くんの方を見る。しかし見られている本人は電話に夢中なのかこちらに気付く素振りさえ見せない。さっきまでの気分が吹っ飛んでしまった。
とりあえず炬燵の中でゴロゴロしてみる。炬燵の骨組みを支えている四本の内の右の柱にぶつかり、そして今度は左の柱にゴロゴロ。同じ要領で今度も
右の柱にゴロゴロ、もう一回左にゴロゴロ。ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ・・・・・・・。
「にゃっ!」
バサァっと掛け毛布を跳ね上げ、顎をテーブルの上に乗せる。飽きた。なんでボクが炬燵の中で無意味に転がなければいけないのか誰か理由を教えてほしい。
義之くん―――はまだ電話中か。何をそんなに話す事があるのだろう。毎日毎日学校で会うのだから話す事なんて無いと思うのだが・・・・疑問だ。
もうこの気分のまま居間に居てもしょうがない。そう思った私はとりあえず寝る事にした。時間は幾分か早いが仕事も無いし偶には早寝した方がいい
かもしれない。ここんとこ寝不足だからね。
「じゃあ、おやすみね。義之くん」
「え、ああ、はい。おやすみなさい、さくらさん―――――それでよぉ、この間杉並の奴が廊下で・・・・」
「・・・・・ふんだ」
挨拶してもそっけない態度で返されたボクはどすどす足音を立てながら部屋に向かう。
なんだ、あの態度は。いつもの愛くるしい態度はどこへ行ってしまったのだろう。本当に詰まらない。
部屋に到着してふすまを開ける――――前にもう一度義之くんの方向を見る。
「・・・・・・ばか」
義之くんはこちらの視線に気付かず、さっきと同様楽しく美夏ちゃんとおしゃべりしていた。
最近オレはさくらさんと居る時間が多い様な気がする。
この間だって美夏と一緒に廊下を歩いていたらさくらさんに呼び止められ、学園長室でお昼を御相伴に預かった。
美夏は美夏で喜んでいたし何も問題は無く、むしろ自分の事を良く思っていてくれる優しい大人の人と知り合えて嬉しそうだった。
まぁさくらさんは人格者だしいずれちゃんと美夏に紹介はしておきたかったから結果オーライと思っておいた。
オレ自身さくらさんを尊敬していたし目指すべき目標であるから会話をする事自体とても有意義な時間、何も困る事は無い。
だが―――少しばっかりオレに構い過ぎなんかじゃないかと思う。前まで空いてた適度な距離感がグンと縮まったような感覚を覚えた。
「えへへー、義之くんて意外と体大きいんだねぇ。小さい頃のイメージがあるからちょっとびっくり」
「日々成長してますからね。反対にさくらさんは縮んだ様な気がしますよ」
「ぶぅー。義之くんが大きくなりすぎなんだよ、もう」
オレが胡坐をかいてる場所の中心にちょこんと座っているさくらさん。体全体から嬉しいオーラを出している。
三時間目の授業が自習になったので屋上に行こうかと思い、移動していると偶然さくらさんに出会ってしまった。
どうしたのかと聞かれて「具合が悪いんで保健室に・・・・」と言ったら学園長室に連れ込まれてしまった。
まぁ、普通に嘘だとバレてるんだが。それにしても最近のさくらさんは懐き過ぎだと思う。
そう、何かを―――不安がっている様な気がした。
「大体授業をサボろうなんて、一体いつからそんな不良さんになっちゃったの?」
「だから自習なんですって。それにクラスに居てもつまらないですしね、勉強する気なんて起きませんよ」
「あー、そういうのは学園長であるこのボクの前で言っていいのかな? 義之くんにだけ特別な課題とか出しちゃうかもよ。
もちろん学園長権限でね」
「うはぁ、勘弁して下さいよ。これでも最近は勉強頑張ってるんですから」
「へぇー」
「あ、信じてませんね? 本当に頑張ってるんスから。美夏もアレしろこれしろとか煩いですし・・・・あいつ真面目なんですよねぇ」
「・・・・ふぅん」
あいつはロボットの癖にあれこれうるせーんだよなぁ。あんなに自己主張がきっちりしてるのなんて人間でもいねーのに。
まぁ、そういう所も含めて美夏を気に入ってるからいいけど。口うるさく言われてじゃれつかれるのは嫌いでは無い。
まるで小動物なところは愛橋があって可愛らしいし。そんなような事をさくらさんに話したら文句を言われてしまった。
「またノロケですかい。いやぁ、熱々ですなぁ~」
「え、あ、そういうつもりじゃなかったんですけど・・・・」
「そういうつもりだったでしょ~? さっきから一言二言目には美夏美夏ってさぁ。そんなに美夏ちゃんが大好きなら美夏ちゃんちの子
になればいいじゃん、もう」
「・・・・いや、水越先生の家に厄介になるのはちょっと。実験対象とかされたら嫌ですし・・・・」
「ふんだ」
どうやらご機嫌斜めになってしまったらさくらさん。こういう時にこの人の機嫌を直すのは難しい。根が生真面目な人だからな。
しかし―――この反応は少し意外かもしれない。いつもなら少し皮肉を言われて終わるものだが今日は少し引っ張っり過ぎだ。
いや、今日だけじゃない。ここ最近のさくらさんはいつもそうだ。別な世界だからか、はたまたオレがしつこく美夏の事を喋り
過ぎてる所為かどっちかは分からないが・・・。
なんにしてもさくらさんが何かに対して怒ってるのは事実、少しご機嫌とりはしないとな。
「それにしても他の家の子、ですか。考えられませんね」
「え?」
「オレはさくらさんの所に来てよかったと思います。朝倉家にも大分お世話になりましたが―――オレの基本はさくらさんによって
作られたと思ってます。こんなどうしようもない人間を拾ってくれた事にも感謝していますし、家族同然に扱ってくれている事に
も当然それはあります」
「・・・・ん」
「それにオレはさくらさんの元で色々勉強させてもらってます。学問の事とか知恵、世界の理屈についてとか。自分としては目標と
すべき人間が出来た事自体嬉しい事なんですから。もしそういう人が居なかったならオレは多分一生頭の悪い馬鹿な人間になって
いたと思います。まるでそこらへんのチンピラみたいにね」
「・・・・んー。義之くんは優しい人間だと思うよ? この間だって倉庫整理の時手伝ってくれたし」
「それは相手がさくらさんだからです。さくらさんは知らないかもしれないですけどオレって結構他の人には酷いですよ?
音姉か由夢にでも聞けば分かるんじゃないですかね?」
「そ、そこまでボクを特別扱いしなくてもいいんじゃないかな? ボクなんて本当に・・・・普通の人間なんだし」
「オレから見たらとてもすげー人ですよ。本当に尊敬しています」
「あ・・・・」
そう言って少し力を入れて背中から抱き締めた。中学にもなってガキみたいな行為だと思うが、この行為は最近のさくらさんのお気に入り。
よくオレの傍に来ては甘えるように抱っこしてくれと言うのでもう慣れ始めている行為だった。オレの歳なら普通なら照れるか思春期相応に
嫌がる筈なのだが何故かさくらさん相手にはそういう感情は湧きあがってこない。
元々人嫌いのオレにとってはとても珍しい事だった。まぁ、昔からさくらさんぐらいにしか気は許せなかったしもしかしたらその延長線上
なのかもしれない。さくらさんを慕う行為の延長線、悪くはない気分では確かにあった。
「だからオレが他人の家に世話になるってのは想像出来ませんね。居場所、さくらさんの所だけだと思ってますから」
「・・・・そっかぁ」
「はい。だからあんまり他の子の所に行けと言われるのは・・・・少し寂しいかもしれないですね」
「あ、ご、ごめんね? 本当はそんな事思って無いから、うん。本当だよ?」
「はは、分かってますよ。少し意地の悪い事言っちゃいましたね」
臭い台詞のオンパレード。すぐに次から次へと出る軽口。よく他人の事を平気で傷付ける口で言えたもんだと自分ながらに驚く。
少しゴマを擦り過ぎたかなと思わないでもない。オレがここまで甘ったるい事を言うなんて何年ぶりだろうか。
でもまぁいい。これでさくらさんの機嫌が直るんだからやすいもんだ。
そう軽く考えていた。オレの言った言葉をさくらさんがどれだけ重く考受け取っていたかなんて知らずに。
「ううん、そんな事は無いよ。義之くんは僕にとって大事な家族なんだから」
「んー・・・・お世辞でもそう言ってもらえると嬉し――――」
「お世辞なんかじゃないよ。本気」
ピシャリと言い切られた。
そしてさっきまでの軽口が開けなくなり二の句を繋げなくなってしまう。
今・・・・さくらさんはどんな表情をしてしているのだろうか。見たいような、見たくない様な変な気分に駆られる。
小さい頃からこの人を知ってるがここまでさくらさんの平坦な声は聞いた事が無い。確かに今まで怒られた回数は数えきれない程ある。
あるがそれはちゃんと感情の籠っているものだった。しかし今の声にそういうのは感じられない。何かムキになってる気がした。
「・・・・さくらさん?」
「ん~?」
振り返り―――笑顔だった。その表情を見てホッと一息をつける。なんだ、別に普通じゃねぇか。驚かせやがって。
一瞬でもちょっと怯んだ自分が情けなく思えて仕方ない。ちょっといつもと違う声質で喋ったからってビビる事はねぇのによ、アホくさ。
誰だっていつも同じ声を出せるとは限らないし、少し体のリズムが違うだけで友人に別人と間違えられる事だってある。
人間てのはいつも同じ姿、声、気分で居られないもんなぁ。さくらさんにだってそれはあるだろう。
だからそんな自分の嫌な気持ちを消すように抱いていた腕に力を入れて左右に振る。
「それー」
「にゃぁぁあぁああっ!?」
「どうッスかー楽しいでしょう?」
「やーーーめーーーてーーー!」
ぐるんぐるんと腕の中を洗濯器の中の洗濯物みたいに遠心力を付けて回す。体が小さいし軽いので滅茶苦茶やりやすい。
悲鳴を上げながら回っているさくらさんを見るとオレまで楽しい気分になってきた。あのさくらさんをこういう風に自分の好き勝手に
出来るなんて滅多に出来るものじゃない。
ここは思いきって楽しもうとして更に力を込める。まぁ、あんまりやりすぎると後が怖いので程々にしておくか。
「んー誰も居ないのか。失礼しま――――すって、おお!?」
「あ?」
「わ?」
がちゃっと扉を開け―――美夏が入ってきた。いきなりの登場にオレとさくらさんは呆気にとられ美夏は美夏で今の惨状に驚いている。
美夏の性格だからとりあえずノックはしたのだろうがオレとさくらさんはじゃれていたので気付かなかったのだろう。迂闊だった。
とりあえずいち早くさくらさんが慌てて反応してオレの腕の中から離れる。少し、名残惜しい気分に駆られた。
「に、にゃははっ! 変な所見られちゃったね!」
「あ、いやー・・・・仲いいんだな、学園長と義之は」
「まぁ、せっかく来たんだしどうぞそうぞ!」
そう言って余っている座布団を引いてその場所を美夏に座らせる。オレは美夏に『よう』という感じで目配せをした。
対して美夏は呆れた目で『なんで此処にお前がいるんだ?』という視線をオレにぶつけてきた。それはオレの台詞だっつーの
さくらさんがこぽこぽとお茶を入れて美夏に差し出す。こういう風に日本人的行動をとるさくらさんは本当に外国人だろうか、と時々思ってしまう。
「はいはい、どうぞ。それで美夏ちゃんは何か用事?」
「ああ、どうも。用事というか使いパシリというか・・・・さっき廊下で担任にこの書類を渡すように頼まれたのだ」
「あ、もう休み時間なのか」
「そうだぞ。それでなんで義之はなんでここにいるのだ? まぁ、お前の事だからサボりに決まっているか」
「だから最近は真面目にしてるっつーの。さっきの時間が自習だからよぉ、屋上で一息つけようと思ったら
さくらさんに捕まってな。だからこうしてのんびりお茶してたという訳だ」
「なんだ、サボりではないか。まったくお前ときたら――――」
そして始まる美夏の小言。別にいいじゃねぇか、学園長のお墨付きなんだぞ? 学校で一番偉い人に誘われたら一般生徒のオレは断れやしない。
こいつは真面目なところが美徳だが欠点でもある。たまには寛容な気持ちでいて欲しい。それが良い女の条件だというのに・・・・まだまだだな。
とりあえず頭を撫でて気を静めさせる。しばらく照れてた様にまた一段と口うるさく言ってきたがしつこく頭を撫でていると静かになった。
「うぬ・・・・・」
「あはは。本当に義之くんと美夏ちゃんは仲いいね」
「まぁ、付き合ってますからね。仲悪けりゃ恋人なんてなりませんよ。なぁ、美夏? お前オレの事大好きだもんな」
「だ、だれがだっ! あんまり調子に乗るんじゃないぞ義之っ!」
「じゃあ別れるか。美夏がオレの事を好きじゃないんならしょうがねぇ、無理して付き合ってもお互い辛いだけだ・・・・オレは本当に好きなんだけどな」
「え、あ、う・・・・・ふ、ふんっ! そうやってまた美夏をからかおうというのだろう? そんな手には――――」
「なんですか、天枷さん?」
「え――――」
ごく自然に笑顔でさん付けで美夏のことを呼んだ。呼ばれた美夏は固まっていたがオレは構わずお茶を楽しむ。やっぱり玉露は良い。
美夏はあたふたしながらオレに話しかけてくるが一貫としてオレは他人行儀に徹する。そうすると美夏は「うー」とか言いながらオレの事を睨んできた。
さくらさんはそんなオレ達を苦笑いしながら見ている。まぁ、いつもこんな感じに美夏の事を弄ってるのが分かってもらえたかな?
「あんまり意地悪しちゃ駄目だよ、義之くん?」
「・・・・・まぁ、そろそろ飽きてきたんで止めにしますけどね」
「うー・・・・相変わらず意地悪な男だ、お前は」
「機嫌直せって美夏。オレがお前と別れる訳ないだろう? 結婚―――まで考えてるんだからよ」
「ば、ばかっ! 芳野学園長の居る前で―――――」
「おー! らっぶらぶなんだねぇ、まさかの義之くんの結婚発言! 仲人はボクかな!?」
「が、学園長まで・・・・」
顔を真っ赤にして俯く美夏。こういう所もウブで大変可愛らしい。毎回こういう姿を見せられると何か和むんだよなぁ。
人嫌いだったオレが他人を見てこういう気持ちになれるなんて思っていなかった。まぁ美夏限定だがそれでも予想し得なかった事だ。
結婚―――それを考えるなら今のところ美夏以外には考えられない。一番の問題は子供だったが美夏に話を聞くとどうやら生む事は出来る
みたいで思わずオレは喜んじまった。
オレと美夏の子供、家族、今まで考えもしなかった事だが少しは真面目に考えた方がいいのかもしれないな。少し早計かもしれないけど。
「んで? 美夏は結婚したらどういう生活がしたいんだ?」
「だ、だから結婚するとは決まった訳じゃ・・・・」
「あーボクも聞きたいかも。美夏ちゃん、例えばでいいから聞かせてくれないかな?」
「――――うむぅ、学園長もそこまで言うなら・・・・言ってやらん事もない」
「うんうん、それでそれで?」
「・・・・住む家は湖が見えるロッジがいいなぁ。周りは林とかで囲まれてて雑音が無い所。一日一回は義之の好きなドライブを
して帰りは小さなスーパーで買い物をして、夜は暖にあたりながら夜食を採る―――みたいな、あはは」
「全然例えて無いな」
「う、うるさいっ!」
「へぇ、結構ロマンチックだね。ボクもそういうの好きかも」
言い終わって恥ずかしくなったのか帽子を深く被ってしまう。しかし美夏がそんなにロマンチストだと思わなかった。案外リアリストだと
思っていただけに少し驚く。
美夏も結局女の子って訳か。さくらさんにも好評だし―――オレも悪くないと思う。都会は嫌いじゃないがあそこは雑音が多すぎる。人嫌い
のオレにとってはあまりうるさく無い静かな場所で過ごしたいと思っていただけに中々に賛同できる発言だった。
それに自分の彼女が自分の好みも把握してちゃんと結婚生活の事を考えていてくれたので嬉しい。まだ付き合ってそんなに経っていないのに
そこまで考えてくれているという事は愛されているという事だ。悪くない。
そう思ったオレは素直に感想を言う事にした。たまには素直に美夏に接してないとイジけるからな、こいつ。
「でも悪くは無いな。そういう生活、結構好きだぜオレ」
「え・・・・」
「義之くんそういう生活好きそうだもんねぇ。こう、夜中には自分の好きなお酒を飲んで薪がパチパチ鳴る様子を眺めてみたりとかさ」
「そ、そうなのか?」
「おう。そういうの大好きだぜ? やっぱりそういうのが紳士の嗜みってもんだろ、オレにお似合いな生活だな」
「ぷ、どこが紳士だ。このド外道め」
「にゃはは、義之くんらしいねー」
「冗談で言ってるんじゃねぇのに・・・・・まぁ、いいや。とにかくそういう生活を送れたらいいなぁと思うよマジで。都会なんて時々行けば
いい事だし今の時代どこでも住めるように情報流通がしっかりしている。そして湖が見えるロッジだっけか? 中々いいチョイスだと思うぜ。
是非そういう家に住めるといいな――――二人っきりで」
「・・・・・・」
「うむ、そうだな。それには義之がちゃんと稼ぎを貰ってこないと話にならないからちゃんと働けよ?」
「うるせーっての」
それぐらい分かってるっつーの。お金が無い事には実現不可能だし愛で全てなんとかなるほど甘く無いのは重々承知、キリキリ働きますか。
さらっと時計を見ると休み時間の終了が近い。そろそろお暇するとしますかね。美夏もオレの視線に気付いたのか少し頷いて立ちあがる。
さて、なんだかんだで長居しちまったな。美夏とオレは顔を見合わせて頷き合いお礼を――――
「ダメだよ」
・・・・お礼を、言おうと思った。開きかけた口を馬鹿みたいに半開きにしたまま固まる。美夏も同じ。
さくらさん――――いつも見る慣れ親しんだ眼では無かった。冷たい眼でオレ達二人を見据えていた。
それはおかしい、さくらさんはいつも優しい眼をしていた筈だ。オレにとっては母性の塊の印象のある人だ。
その人がこんなに平坦な眼、口調をするのは今まで見た事ないしこれからもないと思っていた。
固まっていた頭を回転させる。無理矢理半クラッチにしてギアをローギアに。いつまでも固まってなんかいられない。
「本当に―――ダメだよ。義之くん」
「・・・・・何を、ですかね?」
「・・・・・・」
「あ・・・・・」
「―――――ッ!」
少し枯れた様な声が出てしまった。情けない。さくらさんがその眼で美夏を見ようとしたのでオレの背中に隠す。美夏には見せたくない眼だ。
そして隠したオレの目をジーッと見詰めるさくらさん。思わず逸らしそうになるが――――後ろには美夏が居る。弱気になったら押し潰されるのは
明白だったので睨み返す形でオレもさくらさんの目を見詰めた。
いつまでこの時間は続くのか、何故さくらさんはオレを憎むような・・・・縋るような悲しい眼をしているのか分からない。さっきまで三人で話が
盛り上がっていたのは嘘なんだろうか。
訳が分からねぇ、今度はハッキリ訳を聞こうと思い口を開きかけると――――チャイムが鳴った。あと数分で授業が開始する。
「ちゃんと、勉強頑張ってね。義之くんと美夏ちゃん?」
そう言って奥の部屋に引っ込んでしまうさくらさん。途端に体中の力が抜けていくのが分かる。余程緊張していたんだろう―――一息付けた。
美夏が不安そうにオレの腕を掴むのでその手にオレの手を重ねた。多分こいつは自分が何か悪い事をしたのだと勘違いしているだろう、そういう奴だ。
だがオレが見た限りそんな様子は無い。いつも通りの会話でいつも通りの雰囲気だった。急にあんな様子になるなんて誰が思うだろうか。
「・・・・美夏は、何か悪い事をしてしまったのか? 何故学園長があんなにも・・・・怒っていたのだ?」
「――――誰だって急に虫の居所が悪くなる時がある。さくらさんも人間なんだしそういう事もあるだろうな。ただそれだけの話だよ、美夏」
「でも・・・・」
「さぁ、さっさとさくらさんの言うとおり授業に行こうぜ。このままじゃ遅刻しちまう。詰まらない授業だが受けないとオレ達の将来が
真っ暗になる。だから少し気合い入れていくべ」
「あ・・・・」
手を引いて部屋を出た。キ―ンとした寒い空気が身を包む。それでなんとか頭を冷やす事が出来た。冷たい風が気持ちいい。
美夏がギュっとオレの手を握ってきたので手を繋いだまま美夏のクラスまで送っていく事にする。とてもじゃないがこんな状態の美夏を
一人にしておく事なんか出来ない。他人の感情に人一倍敏感なコイツは廊下を歩いている最中も不安がっていた。
そして届け送り終わってから自分のクラスに帰るまで冷えた頭で考える。何故さくらさんはあんなに態度を急変させたのか。
「つっても分からねぇよな。さっきまであんなに楽しくお喋りしてたのに急に怖くなるんだからよ・・・・」
正直圧倒されてしまった。喧嘩でもそんな思いはした事ないし度胸は据わっている方だと思っていた。
だがオレは身動き出来なかった、あのさくらさんの眼に。金縛りにあったかと思う程体が動かなかった。
美夏が居たからかろうじて動けたが、そうでなかった場合オレは小さなガキみたいに頭を垂れていただろう。情けない話だが。
まるで何を考えているか分からない眼、威圧感、何十年間も魔法使いをやっていたからあんな眼を出来るのか、それともさくらさんが特別なのか。
どっちにしろ考えるだけ考えても答えは出て来ない。オレはもう少し気分を落ち着かせようと屋上へ向かった。
「はりまおー、おいで~」
「くぅん?」
手をおいでおいでして片隅で丸くなっているはりまおを誘う。だがお昼寝タイムなのか少しこちらを見詰めた後尻尾を丸めて眼を瞑ってしまった。
はぁ、とため息をついて椅子に座り込む。デスクの上には作業中の書類があったが手をつける気分ではない。チラっと見ただけで窓の外を見る。
なんだか―――思い出しちゃったなぁ。お兄ちゃんと音夢ちゃんの事。あの時は色々大変な思いをしたから昨日の様に思い出せる。
ボクの好きだったお兄ちゃんは妹に恋をしていた。他人が聞いたら笑える話、自分の妹に恋するなんてマトモじゃないというのが世間の反応だ。
近親相姦はどこの国だって禁忌としている。遺伝子レベルで脆弱な子供が生まれ来る確率が高いからだ。本能にもそれは濃く記されている。
だが音夢ちゃんは本当の妹じゃない。両親が死んでしまいその友人であるお兄ちゃんの親に引き取られてきた。だから本当は赤の他人である。
でも問題が無くなる訳じゃない。世間体というものがある。民法の力なんかたかが知れているし、そういった圧力なんかから逃げて生活して
いる人達の話を聞いた事があるがほとんどの人は後ろめたい思いをして生活しているらしい・・・・。
絶対音夢ちゃんはそういうのに耐えられないと思っていた。しかし耐えた。今では立派に家族を増やしたし幸せな思いをしている。
別にそれはいい。既に決着がついた事だしボクも納得している。さすがにお互い何十年間も生きているのでちゃんと折りあいはつけられていた。
でも――もうあんな思いは二度としたくない。心が壊された様な喪失感、疎外感、悲哀感。目の前の炎が消えて真っ暗になった感じがした。
そして始まるボクの魔法使いとしての人生。歳を取る事が無いからもちろん家族なんか作れない。一生一人で生きていくもんだと思っていた。
何回か挫けそうになった事もある。夫が欲しい、娘が欲しい、息子が欲しい、家族が欲しい。そう思ったけれど我慢をしてきた。何十年間も。
もう拷問といっていい仕打ちだ。そしてボクはそんな拷問に耐えきれないで義之くんを誕生させた。ボクの一つの可能性、それが義之くん。
禁忌を犯した後悔よりも家族が増えた事に喜びを感じたボク。もう可愛くて可愛くて仕方が無い。ぞれに最近はボクに尊敬の念を抱いてたし嬉しかった。
なのに――――
「いい加減に歳も歳なんだから大人になってないとダメだと思うんだけどねぇ、ボク。あれからちっとも成長してないのかな」
二人っきりでロッジに住む。いい事じゃないか。誰にも邪魔をされず愛を育てる。多分恋人だったら誰でも思う事なのであろう。
しかしそれは同時にボクから義之くんが離れる事を意味する。そして今の家に残るのは歳を取らない魔女一人、またあの孤独を味わう事を意味した。
断腸の思いで桜の木に願った。家族を、子供を下さいと。そんな思いでやっと手にいれた幸せをみすみす逃すなんてはありえないあってはならない。
そしてもう一つボクが気に触った事。あの二人がどうしてもお兄ちゃん達に似ていた。美夏ちゃんは音夢ちゃんとは全然似ていないがあの幸せそうな
顔なんかはとてもよく似ている。義之くんを見る目、言葉、雰囲気、、一手一足の全部が彼女を思い起こさせた。
もう―――奪われたくない。そう、必死なんだ。もしかしたら無意識に思い込んでいたのかもしれなかった、ずっと義之くんとあの家に居れると。
「・・・・・・止め」
顔に手を伏せて考えを中断。ボクらしくない、少し疲れていたようだ。こんな暗い考えに陥るなんてまったくらしくない。いつだってボクは元気で
はっちゃけていなくては存在。義之くんだってそれを望んでいるだろう。
もう、義之くんがいけないんだよ。最近付き合いが良いからボク勘違いしちゃったじゃない。いつもは家に帰ってきたら部屋に戻っちゃうのにさ。
音姫ちゃん達があんまり家に来なくなったのもまずい影響だ。おかげで義之くんと居間にいる時間を意識してしまっている。何を喧嘩したのか知ら
ないけど早く仲直りしてほしい。そして義之くんが仲直りしてる間にボクは美夏ちゃんにさっきの事を謝る、うん、完璧だ。
「さて、気を取り直して仕事しちゃおう。今日も早く帰って時代劇でも―――――にゃ?」
窓の外を見納めに見ようとして視界の隅に見知った顔が見えた。義之くん。彼が海側の風景を見ながら煙草を吹かしていた。
多分本人的には隠れている位置に居るのだろうが学園長室から見えたら意味が無いだろう。その間抜けさに少し吹いてしまう。
ああ、なんだかんだいって義之くんだなぁ。抜けてる所は抜けてるしカワイイものである。
「もう、馬鹿なんだから。学校で一番偉い人に見つかってどうするんだよ、まったく」
だからと言って誰かに言いつける気は無い。義之くんを特別扱いしているというのも少しあるが――――何より面倒臭かった。
それに逆にボクがあれこれ言われそうだ。人に迷惑掛けてる訳じゃないしポイ捨てしなきゃ構わない。まぁその辺は言い聞かせてるし大丈夫だろう。
そして考え込む様に顔を手で伏せる。あ、私と同じ癖だ。いつも私は考え込むと顔に手をやる。多分ボクの癖が移っちゃったのだろう。
「・・・・くすっ。やっぱり可愛いなぁ、義之くんは」
自分の息子でもあるし当然か。そして父親は・・・・あの人だしね。可愛くない筈が無い。椅子に座りながら足をパタパタさせて見詰める。
それにしても格好つけるようになっちゃったなぁ。まるで服なんかに興味無かったのにお洒落づいちゃってからに。この色男め。
確か舞佳ちゃんの研究所でバイトしてるんだっけか。最近機械工学に興味を持っているからもしかしたらその道に進むのかもしれない。
そしたらボクと専門は違うけど同じ世界の住人になる。それもいいかもしれないと常々思っていた。やっぱり息子には同じ道を歩んで欲
しいしね。ボクはそういう考えだ。
遠くを見詰め煙草を咥えながら考えに没頭しているのか、あまり寒さを感じさせない呈をなしている義之くん。その姿を見て誰かさんを思い
出してしまった。時折悩む姿を見せた私のお兄ちゃんを。
「・・・・・・似てる、なぁ」
まぁ父親を誰か思い出せば当然の事なのかもしれない。半分あの人の血が流れているのだから多少は似てる所もあるだろう。
口癖も同じだし挙動なんかも細かい所で似ている。姿形、言動なんかは結構違うがそれでも義之くんの姿はあまりにも・・・・似ていた。
だからなのかな、ボクが義之くんにくっつくのって。昔はよくお兄ちゃんにくっついて歩いていたし義之くんにくっついてるときも同じ
安心感を得られていた。そう、安心感だ。ボクがずっと欲しがっていたものを義之くんから最近は特にもらっている気がする。
それに近頃、彼は男らしくなってきた。思春期特有の子供から大人への成長、体つき、考え方の柔軟性。付けくわえてボクの知識も吸収
し始めてきてる。まるで水を吸い込むスポンジみたいに、貪欲に体に叩きこもうとしていた。
ああ、段々ボク好みの男になってきたな。その口も、眼も、髪も、雰囲気も、知恵も、貪欲さも。全ての成長が愛おしい。
母親という視線から見なくても、ボクは義之くんの事を――――――
「・・・・・・・・っ」
拳から血が滲み出ている。机の角に自分の華奢な拳を叩きつければ当然そうなるのは当り前。机からハンカチを取り出し巻き付けた。
これは後で保健室に行って治療する必要があるだろう。確か殺菌消毒用のスプレーが何本かあった筈だ、それをそっと持ち出して借りよう。
こんな傷は舞佳ちゃんに見せられないし、見せたくも無い。理由を聞かれても答えたくないからだ。じっと傷口を見て呟く。
「・・・・・何自分の息子に手を出そうとしてるんだよ、この異常者」
普通ではない、常識なんてあったもんじゃない。ボクは自分の血が入ってる息子に恋慕してしまっている。いくら寂しいからといって許される事では
無い。ボクは家族として義之くんの事を愛してるんだ、それに間違いがあってはならない。
がぶりを振ってその考えを頭の中から追い出す。しかし追い出そうとすればするほどお兄ちゃんの時の感情を思い出し、次の瞬間には義之くんの顔を
思い浮かべてしまう。お兄ちゃんと音夢ちゃんの時のとでは訳が違うんだぞ、自重しろこの馬鹿。
そう強く思い込もうとしたが・・・・ダメだ。一度意識してしまったら中々この思いは消えてくれない。
そして――――屋上の義之くんと目が合った。
「あ・・・・」
義之くんも余程ビックリしたのか煙草を口から吐き出し自分の手の上に落としてしまう。
そして叫び声を上げて手を振り回した。声なんか聞こえなくてもその様子を見れば一目瞭然だ。
やっと落ち着いたのか、煙草を拾い上げカンの中に放り込む。平然と取り繕うその様子が可愛らしくて笑ってしまった。
「にゃはは・・・・」
ボクの笑っている姿を見て照れたのか、頭をポリポリ掻いてしかめっ面を作る。そんな所もお兄ちゃんとそっくりだ。
あまりにも可愛く、愛おしい姿だったのでボクは両手を振って見せた。まだこんな事をするから子供っぽいといわれてしまうのだろうか。
そんな様子を見て困惑する義之くん。そして躊躇いがちに――――少し苦笑いを浮かべてこちらに手を振り返した。
あ、ダメだ。そんな姿を見せられたら・・・・・・・
「愛してるよ、義之くん」
――――――言ってしまった。
ハッとして口を押さえる。そんな様子に疑問をもったのか怪訝な様子でボクを心配そうに見詰めてきた。ボクは何でもないよと手を振るう。
今の言葉は・・・・まずい。あまりにもストレートに出すぎだ。家族としての親愛の言葉では無く、一人の女性としての言葉。
胸の内から出てきたその言葉はあまりにもボクに重く圧し掛かってくる。嫌な汗が出てきた。義之くんには悪いがカーテンを閉める。
『今日からここが君のおうち。僕たちは家族になるんだよ』
何が家族になるだ。これでは裏切りもいい所だ。義之くんにも顔向け出来ないし、義之くんをボクに任せてくれたお兄ちゃんや、音姫ちゃん達の
お母さんにはもっと顔向け出来ない。歯を握り締めて両手で顔を覆う。
涙まで出てきてしまった。それに胸も痛い。こんな思いはあの日以来だ。絶対に犯してはいけない事をボクは犯そうとしている。
それにボクが義之を好きだと仮定したとすると、ボクはそんな義之くんを確実に幸せにならない道に引き込もうとしている。あってはけない事だ。
いい加減にしたほうがいい、芳乃さくら。義之くんには美夏ちゃんという素晴らしい彼女が居るじゃないか。
それなのに私みたいな女の子が出ていったらさぞや迷――――
「違う・・・! そうじゃないでしょっ!!」
なぜ自分は今『義之くん、朝倉家との関係、全ての何もかもが壊れる』事よりも、『義之くんには好きな人が居るしなぁ』なんていう心配を
大きく取り上げてしまったのだろう。まるで―――本当に恋をしている女の子ではないか。許容出来ない。
それに義之くんは義之くんであり決してお兄ちゃんなどではない。そんな考えは本人達に失礼だ。
その人の代わりに見るなんて行為は最も恥ずべき行為だ。
例え義之くんにお兄ちゃんの血が流れていてもイコールになることはあり得ない。
そう、だから―――――
「・・・・・義之くんは義之くんだもんね。それは分かっている、うん。だからボクは本当に義之くんの事を愛してて、お兄ちゃんの代わり
になんか見ていなくて、出来れば義之くんがボクの事も愛してくれれば―――――――」
自分で、もう何を言ってるか分からない。思考がバラバラになっている。本音と建前の両立が出来ていない。何が分からないのが分からな
くなってくる。あれ、ボクはどうしたいんだっけ? もう一度整理する必要がある。
義之くんの事は好き。
お兄ちゃんの事も好き。
義之くんをお兄ちゃんの代わりに見ている?――――違います。
お兄ちゃんを義之くんの代わりに見ている?――――違います。
義之くんは義之くんですよね?――――はい。
お兄ちゃんはお兄ちゃんですよね?―――――はい。
義之くんの事は好きですか?――――はい。
義之くんと一緒にずっと居たいですか?――――はい。
義之くんと一緒に幸せになりたいですか?―――――はい。
義之くんと恋人同士になりたいですか――――はい。
ああ、本当に―――少し疲れているようだ。
最近少し根を詰め過ぎかもしれない。桜の木の件があって体力が衰えている可能性があった。保健室に行ったら栄養剤も頂こう。
心配そうにはりまおが寄って来たんで大丈夫と声を掛けてやる。この子も結構心配症だからなぁ、あまり心配は掛けたくないな。
とりあえず今日は早めに仕事を切り上げて家に帰ろう。そしていつもみたいに義之くんの腕の中に収まる。
うん、何も問題は無い。最近のボクの癒しスポットだしあそこはとても落ち着く。愛してる義之くんの笑顔を見れば完全回復、頑張るぞ。
「あっちぃな、ちくしょう! だから咥え煙草は止めようと思っていたのに・・・・」
歯にヤニも付きやすいし止めようと思っているのだが、もう癖になっている。文句を言いながらチラッとカーテンが閉まっている窓を見た。
なんだか急に冷たくなったと思えば元気な笑顔で手を振ってくるし訳が分からない。まぁ、とりあえず現状としては元気なさくらさん健在
と解釈しちまっていいのかな。さっき怒ってたのは―――まぁ、誰だって自分でも意味が分からない所で琴線が触れる事ある。きっとさっき
のも似た様なものに違いない。
少し酷い言い方になるがさくらさんは一人身、オレ達がいちゃいちゃしていて嫌味を言いたくなったのだろう。まぁ、それだったらオレ達
は少し無神経だったのかもしれない。ガキじゃねぇんだから少しは自重しよう。あの眼と声にビビりはしたけど驚かそうと思ってやったのな
ら納得はいく。時々さくらさんは意地悪するからな。
納得・・・・無理矢理自分にそう言い聞かせた。心では分かっているのかもしれない。本気でそういう目と声でオレ達を見据えていたのだと。
なんにしても――――あの人はやっぱり笑顔が似合う。あの笑顔は癒されるんだよなぁ。美夏にも癒されてさくらさんにも癒される、オレは
幸せ者かもしれない。こっちの世界に来てからヤケに人との接触が多くなってからこういう思いをするようになってきた。
「少し問題はあるけどなぁ。エリカの事を問題と言うには気が引けるけど・・・・何か手を打たねぇと」
元はと言えばどっちつかずに居たオレが悪い。美夏と付き合ってるんだからここはハッキリ言わないとダメなのは分かっている。
しかしオレの行動をオレ自身が見たら「てめぇは本当に分かってるのかよ、このカス」と言うだろう。誰が見てもきっと思うに違いない。
感情が好きな様に引き出したり押し込んだり出来れば楽なんだがな。だが人間がそんな便利に出来てる筈もなく、相も変わらずオレは苦悩していた。
「ああーーーっ! てめぇがこんなにウジウジした女の腐った野郎になるとは思わなかったよ、腹立つなっ!」
煙草を一本取り出して火を付けた。そしてゆっくり流れる紫煙。策に両手を付けその上に顎を乗せてもう一度考え込む。
まずオレは美夏と付き合っている。エリカはオレの事が好き。オレもエリカの事を好きだった。だけどエリカの事は振っ切るつもりでいる。
だが未だにオレは吹っ切れていない。エリカの悲しそうな笑顔を想像すると胸が痛くなる。もうどうしようもねぇ状況だ。
こういう時は誰かに相談するのがベストだろうが・・・・もうしちまったしな。それも的確な助言を貰った。エリカと口を聞くなだ。
それが出来たら苦労しないのだが実際にそうしないといつまでもこの三角関係は続く。誰だよ、女にモテると男は嬉しいって言った奴。
「恋でストレスになる奴の話を聞いた事があるが・・・・こういう感じなのかよ。全く無縁だと思ってたのに」
どちらも好き。でも片方の方がもっと好きだからもう片方を振る。物事はそんな簡単に行いかないのが身に染みて分かった。
外国では一夫多妻制の所もあるそうだが信じられない。よく男も女もストレスで潰れないな。いくらオレでも死んじまう自信がある。
フィルター近くまで燃えた煙草をカンの中に放り込んで踵を返す。そろそろ次の授業の時間だ。さすがに連続ではサボれない。
「あ、今日の晩飯どうすっかなぁ。久しぶりにパスタでも作るか、それともシチューにするか・・・・うーん」
腹が鳴る音を聞いて晩飯の事を思い出す。確か買い出しに行かないといけねぇんだった。冷蔵庫も空っぽだし忘れたら洒落にならない。
出来ればさくらさんの好きな料理を作りたいもんだ。最近よくさくらさんが笑ってくれるしその笑顔を見るとオレも嬉しい。
少しくっついて甘えてくる回数が多くなってきているが特に問題無し、逆に可愛くてしょうがない。だからオレも調子に乗ってしまう。
いつだってオレはさくらさんの力に頼ってきた。だからああいう形にしろ頼られるのは嬉しい。尊敬もしている人物だから尚更だ。
「マジでいい母ちゃん役に恵まれたよなオレは。もったいねぇぐらいだ」
何かを研究してる姿もカッコイイし人当たりもいい。そして頭脳明晰でもありオレとは真逆の存在。まるで太陽みたいな人だ。
血は繋がっていないし、親戚でもなんでもないけどオレにとっては『母親』代わりの人。あんな人が母親だったら本当に頼もしい。
そして何より――――可愛いんだよな、さくらさん。美夏とまた違った魅力の可愛さがあの人にはある。もし万が一結婚する人が
現れたら羨ましい限りだ。あんなに可愛い完璧人間なんかが嫁さんだったら旦那も鼻高々だろう。少し子供っぽいけどな。
「んー今日はさくらさんの好きなビーフシチューにするか。最近お疲れみたいだし少し元気出してもらおう」
そう呟いて屋上の扉を開ける。やっぱり中は温かく居心地がいい。軽く深呼吸して階段を下った。手すりがヒンヤリしていて気持ちいい。
さて、今度は真面目に授業を受けるとすっか。あんまりサボったらさすがにさくらさんでもブチ切れるだろうし。想像するだけで怖い。
あの人が本気でもし怒ったり憎んだりしたら――――はは、オレなんかじゃひとたまりもねぇな。オレの先生みたいなもんだし。
まぁ、そんな事は万が一にもないだろう。オレもそんな馬鹿な行動をしたりしないし、憎むなんて以ての外。
あの人はそういう感情と無縁っぽいしいつも元気で明るい雰囲気を振りまいてくれる。
「ふぁぁぁ・・・・あっと」
この温かい空気はさくらさんの家を思い出させる。いきなり家に帰りたくなったぜ、ちきしょう。
今日は美夏と早めに帰って一杯さくらさんとダベろう。また今日も甘えてくれるのかな?
そんな下らない事を思いながら休み時間の廊下を歩く。最近、家に帰るのが少し楽しみになってきた。