「はいはい、どいてどいて!」
「皆自分の教室に戻りなさーいっ!」
生徒会の面々が大声を張り上げながら野次馬連中に呼び掛けるも連中は帰る様子を見せない。
人というのは漏れなく祭り事が好きで、平坦な生活の繰り返しに飽き飽きしている風見学園の生徒達が校門前に止め処なく集まってきていた。
オレは体をよろめかせながらなんとか生徒達の間をくぐり抜けてそこに辿り着く。体力―――眩暈がするほど消耗していて疲れ切っていた。
「よぉ、茜」
「あ、義之く―――って何その顔っ!? か、風邪とか引いてるのっ?」
「気にするな。パソコンでエロサイト見て回ってたら寝不足になってるだけだよ、大したモンじゃねぇ」
「え、エロサイトって・・・・」
「んな事はどうでもいい。何かあったのか? 風見学園に救急車が来るなんて初めて見たぞ、オレ」
野次馬の中に胸がデカイ長髪の見覚えのある顔を見つけたので声を掛けてみる。てかこいつと話すのも久しぶりな気がするな、オイ。
見れば校門前には救急車と救急隊員が慌てふためいているのが見えている。ここからではストレッチャーに誰が乗せられているのか見えない。
生徒会の奴らが場の混乱を仕切っているのか総出で救急車の周りを囲っている。こいつら授業の最中だというのに余程暇だったんだろうか。
教師連中も混乱を鎮めようと躍起になっているが効果は無い。それ程までに何か大きな事件があったのかと疑問に思った。
「え、う、う~んとねぇ・・・・実は私もさっき来たばかりだから状況が分からないのよ。何かサイレンの音が聞こえてきて
人が運ばれてるっていうから興味本位で来たんだけど・・・・」
「そうか。それにしても本当に人多いなぁ、貧血とかで倒れたんならここまでの騒ぎにならねぇだろうし・・・・」
「うむ、それがだな――――」
「うぉっ!」
「きゃっ!」
後ろからいきなり声を掛けられ驚く。茜とオレは悲鳴を上げながら後ろを振り向くと杉並が立っていた。オレ達の反応に満足気な反応をする。
この野郎、最近のオレは心労と共に疲れ果てているっつーのに驚かすんじゃねぇよ。オレの少ないダチの顔を思わず殴りそうだったじゃねぇか。
とりあえずオレは話を聞く体制を整える、こいつの顔を見る限り真面目な話だろう。こいつが真面目な顔になる時は本当に真剣な事が起きた時か
UMAの話になる時だけだ。UMAの話をし出したら腹パンしてやる。
「そんなに驚く事もあるまい。俺は普通にこの場に来ただけだ。いつもの密偵用の歩行術を使ったりはしてないぞ?」
「お前の隠し芸の話は今度する事にして――――何が起きたんだ? さっさと内容を話せこの野郎」
「うむ、それがだな―――って、桜内、何だか顔色が悪いな。少し寝てきたらどうだ? 期末試験まではまだまだ期間があいてるし今日は無理に
授業に出る必要はない。寝て体力・気力と共に充実させた方が有意義だぞ」
「――――皆同じ事を言うよ、聞き飽きた台詞だ。そんなにオレに話したくない内容なのか、ええ?」
「・・・・・」
自然に話を逸らしたつもりかよ。明らかにオレの顔色を見て言うのを躊躇ったのが分かる。何の話かは知らねぇがおそらくオレがショック
を受ける内容なのだろう。だから気を使ってるのがありありと分かる。
この世界の奴らはオレに対して余計に気を使いすぎだな。前のオレ自身の人徳というものが窺いしれる良い話だが、オレからしてみたらそんな
事をされても少しも感謝の言葉が出て来ない。
それで参っちまう程弱い人間と勘違いされるのも癪だし、それにどっちみち知る事になる内容だ。そんな事をされても余計に気になっちまう。
「いいから言ってみろよ。お前に聞かなくてもどうせ入ってくる情報だ。こんなに大騒ぎしてるんだからな」
「・・・・そこまで言うのなら話を続けよう。その代わり冷静に話を聞けよ?」
「分かってるっつーの。だから話を―――」
「エリカ嬢が意識不明の重体だ。廊下で倒れていた所を芳乃学園長が発見したらしい。話を聞くと心筋梗塞と同じような症状に苛まれたらしい
のだが・・・・実際は何が起こったのかは詳しく分かっていない。今、救命隊員が急いで心臓マッサージをやっているが―――もしかしたら
助からないかもな・・・・」
「え、ええっ!? エリカちゃんがっ?」
「・・・・・・」
「あ、義之く――――」
野次馬共の間をすり抜けてその場所まで行く。皆オレという存在に気が付いて素直に道を譲ってくれた。こういう時にオレが今まで
起こしてきた傷害事件の話の噂が役に立つ。
途中音姉がオレに話し掛けてきたが無視してその脇を通り過ぎる。今の自分―――驚くほどに平静さを保っていた。エリカが意識不明の重体
と聞いても心に波風が立たなかった。本当、薄情な人間だと思う。
あれだけ自分を慕ってきた女性が今にも死にそうだというのに頭がとてもクリアだ。あまりにもショックを受けると人間は物凄く冷静に
なるというがソレではない。本当に何も感じなかった。
「お、弟くんっ!? それ以上近付いちゃ駄目だって、エリカちゃんが心配なのは分かるけど・・・・!」
「・・・・」
「だ、だから近付いちゃ駄目だってっ、大人しく教室に戻りなさい!」
「ん、いや、さっき杉並からエリカが重体だって聞いてさ。顔だけでも見ようかなと思ったんだけど・・・・駄目かな?」
「そ、そんな顔をしても駄目だからね・・・・」
しつこく音姉が構ってきたのでどうにか黙らせようと思い悲しみの表情を作る。目を上目遣いにし、甘える様な声を出す。
音姉の性格とそれに対する感情の起伏を考えればこれが一番効き目があると思った。こっちの世界の音姉も桜内義之に対して単なる
弟以上に溺愛する程愛しているのを知っている。あまりやりたくない方法だがこの方法が一番手っ取り早い。
さっきまでの凛とした姿が段々崩れて来ている。周囲を見回す。まゆきは他の生徒の誘導に夢中でこちらに気付いていない。あいつが
いると更に面倒なのでここが攻め時だ。
「なぁ、音姉。ちょっとでいいんだ。ちょっと顔を見ればオレも納得して帰るし他の生徒を誘導するのも手伝っていい。別に音姉を困らせる
為にあそこに行く訳じゃない」
「うー・・・・・」
「音姉はオレが友達が危篤状態でも見捨てる様な人間だと思うの? それに音姉だってオレとか由夢が今にも死にそうな程の怪我を負ってたら
いの一番に駆けつけるでしょ? 音姉だったらオレのこの気持ちを分かってくれると思ったんだけどな・・・・」
「ほ、本当にちょっと見たら帰ってくる? 変な事をしてこない?」
「ああ」
「誘導もちゃんと手伝ってくれる? 面倒くさがらずに私達をお手伝いしてくれる?」
「ああ。約束だ。誓うよ」
「・・・・・・なら、ちょっとだけって言うなら・・・・」
「ありがとう、音姉」
悪い、オレは平気で約束を破る様な人間なんだ。誰がそんな面倒な事を手伝うか。音姉の手を握り感謝の言葉を告げると、顔を綻ばせている音姉
を置き去りにその場所まで向かう。
他の生徒会の連中は音姉が許可した人物だからなのか声を掛けてくる事が無かった。そうしてその場所に着くと心臓マッサージを受けている
エリカの元にまでたどり着いた。
口には呼吸器をつけ頭にはガーゼが張られている。頭の方は大した傷じゃないようで、少し血が滲んでいるがそれだけで済んでるようだ。問題は
心臓が止まっている事。
「き、きみっ! こんな所に来ちゃ駄目だろっ! 早くあっちに行って――――」
「あ、す、すいませんっ! でも、その、僕、彼女の彼氏なんです。急に倒れたとかとかで凄く心配で駆けつけてきたんです、だから、その、
どうしても彼女の助けになりたくて・・・・・」
「だ、だめだっ、今は一刻を争う自体なんだ、彼氏だからといって居られても邪魔なだけだ! 何も出来る事は無い!」
「なら・・・・せめて手を握るぐらいはさせて下さい。好きで、好きでようやく昨日告白して付き合えた彼女なんです・・・・。もしここで
死んだってなったらとてもじゃないですが・・・・僕は・・・・・・・・」
「・・・・・くっ」
「お、お願いします・・・・一生の、お願いです・・・・・」
「て、手を握るだけだぞ、絶対に変な事はするんじゃないぞっ!」
「―――――ッ! は、はい! ありがとうございます!」
オレにそう言って助手席に乗り込む隊員。オレもその車に乗り込み、エリカを助けようと心臓マッサージをしてくれている人達の
邪魔をしないように手を握ってやった。咄嗟についた嘘だが満点の出来だろう。雰囲気もいい感じで出ていたと思う。
エリカ―――薄目になりながら遠くを見ていた。お前、こんな大変な時だっていうのにドコ見てるんだよ。相変わらずお前は変な所で
抜けてるよな。こんな死にそうな時にそんなとぼけた事をしてるなんてよ。
それにしても心臓が動いていなくて眼を開けてる状態か。これは助からねぇかもしれないな。一生懸命蘇生させようと頑張ってくれてる
おっちゃん達には悪いが誰が見ても明らかだ。
思えばエリカにはたくさん酷い事をしたなぁ。こんなオレに惚れちまったのが運の尽き。でもオレだってこんなに優柔不断な男だとは
思っていなかったよ。一番大嫌いなタイプの男に自分がなるとは人生何が起きるか分からないな、うん。
違う世界に来るは美夏に惚れるわ初めてのキスを無理矢理奪われるわ外国のお姫様に惚れられるわで随分忙しい所に来ちまった。
そしてそれぞれにいい加減な態度を取り、酷い事も言ったオレを友人と言ってくれる茜とエリカ・・・・。
挙句の果てにはオレの為に死にそうな思いをするなんてよ。もっと優しくて決断力のある男に惚れればよかったのに、バカな女だぜ。
「どうしたっ、早くエンジンを掛けろっ! 病院に行って早く集中治療室へ―――――」
「そ、それが―――動かないんです! ガソリンもあるしバッテリーもある筈なのにエンジンが、掛からないんです!」
「なっ、こんな所でエンストなんて・・・・!」
それはそうだろうなと思う。もしここで車を走らせたらエリカが助かる可能性が出てくる。あの人的には後遺症が残って一生病院のベットに
居て貰うのがベストだろう。今のあの人ならそういう事をやりかねない。
ああ、あんな人じゃなかった筈なんだけどな。オレがこの世界に来た影響か、そもそもあの人はこういう事をする様な残虐性を秘めていたのか。
いや―――どちらにしてももう関係の無い事だ。こうしてエリカが死にそうになってるのが事実、結果だ。過程なんざどうでもいい。
さて、ここでオレが出来る事つったら一つしかないわな。握っている手をジッと見詰める。オレはエリカに世間話をするかの様に喋り始めた。
「エリカ、実はオレって魔法使いなんだよな。でも結構雑魚キャラ的な能力だぜ? 和菓子ぐらいしかまともに出せないしその分自分のカロリーを
消費するっていう感じだからな。炎とか雷とか出せたら少しは格好ついたんだが・・・・人生そうは甘く無いらしい」
「おい、本部に連絡しろっ! 代わりの車を手配するんだっ、早く!」
「で、だ。この間さくらさんから教えてもらったんだがオレはどうやら普通の人間じゃねぇらしいんだよ。驚くよな? 貴方は桜の木
から生まれましたって言うんだぜ? 普通ならもっと可愛い女の子が出て来てもいい筈なんだがなぁ・・・・」
「む、無線も通じません! 携帯電話もですっ!」
「そ、そんなバカな事が・・・・後ろに心臓麻痺を起している女の子がいるんだぞ、くそっ!」
さくらさんクラスになればそれは凄い魔法使えるんだろうけどな。オレをこっちの世界に寄越したし強制的に寄り道出来なくもさせられた。
それにこうやって人を殺す事だって出来る。
魔法ってのは人を幸せにするもんだと聞いた事があるが―――使い方次第なんだろうなと思う。人を幸せに出来るって事は不幸にも出来る訳
だからな。分かりやすい例だと車か。あれも凄く便利なもんだが少し操作ミスをするだけで簡単に人を殺せちまう。
手を見る。この手で何が出来るのかは分かり切っているが――――試すだけ試してみよう。あの桜の木から生まれたっていうファンタジーな
存在ならこれぐら出来なきゃ話にならねぇ。映画だってそういう存在は何かしら活躍する場面が設けられるしな。
「起きたらブティックに連れて行ってやるよ。お前の好きそうな服とか一杯置いてある所にな」
隊員が全員病院への連絡をどうにかとろうと躍起になっているのでオレの話し声なんか聞こえて無いだろう。もし聞こえてたら自殺もんだぞ。
いい歳した男が魔法とかぼやいてるんだからよぉ、普通なら頭がイカレてるとしか思われないだろうな。オレが普通の人だったらついでに強制的に
入院させるレベルだ。周りに人が居ない事を確認して言ったから大丈夫だと思うが万が一がある。
もし聞いてたら聞こえなかった振りをしてくれ――――そう思い手に更に力を込める。イメージとしては和菓子を出すあの感触、それにオレの
ありったけの感情を込める。歯を思いっきり食いしばって砕ける程に。
そして――――力が抜ける感触と共に喪失感を味わう。過ぎた事をやった代償、それを払う羽目になった。
「・・・・ゴホっ」
「お、起きたか」
「・・・・ぐっ・・・・ゲホ、ゴッ・・・・・よ、義之」
「よお、死にそびれたな。どうやら地獄は満員らしい、お前みたいな跳ねっ返り娘はいらないみたいだ」
「・・・・よ、義之が・・・・助けて、くれた・・・・の?」
「あ? オレがそんな医療の心得があるわけねぇだろ。心臓麻痺を起してる人間を手を握っただけで蘇らせたら一躍テレビを賑やかす有名人
になっちまうな。ただ単にお前の悪運が凄かっただけだよ」
「・・・・・ありがとう、義之」
「だから礼を言われても困るんだけどな。じゃあオレはそろそろ行くよ、色々迷惑を掛けたな。今度服とか買ってやるからそれで勘弁な?」
「・・・・遊園地にも、連れて行って」
「えー・・・・美夏もいるからそれはきついなぁ」
オレが困った様に頭を搔くとエリカはおかしそうに笑う。まぁ、冗談で言ったってのは分かってたが―――それも検討しておくか。
二人きりはさすがにアレだから杉並連中も誘うとしよう。こいつも知り合いが増えた方が何かといいだろうしな。美夏と由夢を見ていると
本当にそう思う。友達は居ても決して邪魔にならないし学校生活が少しばかり楽しくなるから居た方が一人よりは幾分かマシだ。
頭を一撫でしてオレは救急車から下りる。何かさっきから隊員のおっちゃん連中が信じられないとか言っているが無視した。初音島に住んでる
んだからこれで驚いてちゃこれから先大変だっつーのに。
そうして目的の人物を探す。『左目』の視力が殆ど無くなったから少し見づらいな。右目だけでなんとか辺りを見回した。
「お、弟くん! すぐに戻るって言ったのに車に乗り込むなんて何やってたのっ!?」
「ん・・・・ああ、音姉か。悪かったよ、少しばかり盛り上がっちゃってさ。早く帰るつもりが時間掛かっちまった」
「も、盛り上がるって・・・・」
左から来たから少しばかり視点を合わすのに戸惑っちまった。これは結構な訓練しないと慣れないなぁ、マジで。治るかどうかも分からないし
普通のリハビリ訓練が功を奏すのか分からないからこの感覚に早く慣れないといけない。
この『左目が見えない状態』と一生付き合う事になる―――まぁ、それも人生だ。利き手が使えなくなるよりはよっぽどいい。生きていけないという
事は無いし案外楽しいかもしれない。人生何事も前向きにいかなければな。
音姉はオレの発言を聞いて何故か顔を真っ赤にしている。何を想像してるんだよ何を。意識ない女をどうかする程常識無い訳じゃねぇし、オレ。
「え、エッチなのはお姉ちゃんは許さないんだからねっ!」
「そんなエッチな事を想像しちゃう破廉恥な音姉に聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
「お、お姉ちゃんは破廉恥なんかじゃありませんっ!」
「分かった分かった、音姉はマリア様みたいに純粋で優しい女性だよ。さくらさんがどこに居るか知ってる?」
「え、さくらさんならあっちの方で―――――」
「あっちか・・・・分かった、ありがとうさん。行ってみるよ」
「あ、生徒会の誘導手伝うってさっき――――」
オレは校門脇の方に向かい歩き出した。後ろから音姉が「弟くんの嘘つき~!」という言葉が聞こえてくるが構いやしない。オレは嘘付きだからな。
さて、今からもう一嘘付きしてくるか。一昔前のさくらさんなら絶対に騙されないだろうが今のさくらさんならちょろいだろう。最近のさくらさんの
行動を見るに頭の回転は確実に鈍っている。恋に盲目になり周りが見えていないと思っていた。
またあの怖い眼されたら嫌だなぁと考えながら目的の人物を探し当てた。
さくらさん―――その表情は自分の生徒が大変な目にあっている状況を悲しんでいるように『装って』ベンチに座っていた。脇にはそれを慰める由夢の姿。
なんだかさっきよりも頭がクリアだ。さくらさんに近づく度にどんどん平静な心になっていく。そしてさくらさんと目が合った。
「よ、義之くん・・・・」
「あ、兄さん・・・・」
「大丈夫ですか、さくらさん?」
「う、うん・・・・なんとか、ね」
「今は大分落ち着きましたけどさっきまで大変だったんですよ、もうかなりショックを受けていたみたいで・・・・」
「そうか」
オレもさくらさんの隣に座り背中に手を置く。肩は小刻みに揺れており目元には涙の跡が残っていた。由夢も心配そうにその姿を見ている。
さて、どうしようかと考え―――懐から財布を取り出した。最近バイトに行っていないからあまり裕福では無いが小銭くらいならある。
適当に二百円取りだし由夢に差し出した。その意味が分からず困惑して「え、え?」と呟く我が家族。もう少し空気読めるようになりなね。
「なんかさくらさんに飲み物買ってこいよ。そこの角曲がった所に自動販売機あったろ? そこで買えばいい」
「え、あ、う、うん、そうだよね」
「相変わらず場の雰囲気読めない奴だな、お前は」
「な、に、兄さんに言われたくありませんよっ!」
「そうだな。だから早く行って来てさくらさんに何か買ってきてやれ」
「ふ、ふんっ!」
オレの手から金をもぎ取る様にして奪い地面を踏み鳴らしながら歩いて行った。相変わらず怒りやすい奴だ。怒り過ぎてお団子頭が解けるるんじゃねぇか?
と、さくらさんがオレに寄り掛かってきた。右目でちらっと見ると顔を綻ばせながらこちらを見ている。相変わらず甘えたがり屋な人だ。
しかし元々はこういう性格だったのかもしれない。けれど一人で生きていくためには甘えを捨てなければいけない。捨てた結果、あの怖いさくらさんを
形成したとオレは考えていた。そりゃそうだよな、色々辛酸も舐めてきただろうしそうしなければいけない必要性に駆られたのかもなぁ。
「さっきエリカちゃんの所に行ってたの? 様子どうだった?」
「――――もう駄目かもしれませんね。顔なんか血の気が無かったし心拍数もほとんどありませんでした。なんか車の調子も悪いみたいで
動かないようですし・・・・死にますね、きっと」
「それにしては義之くん冷静だねぇ。もしかてさ、エリカちゃんの事嫌い?」
「そういう風に見えました?」
「そりゃあねぇ。前家に来た時もそっけなかったしエリカちゃんみたいなしつこい女の子は義之くんのタイプではないだろうしさ。ボク偶然に
見ちゃったんだ、義之くんとエリカちゃんが喧嘩してる所。だから嫌いなのかなぁって。今もなんだか冷たいし」
「喧嘩してるところ見られてましたか・・・・恥ずかしい所見られちゃいましたね」
あまり見られて嬉しい場面では無い。男と女の痴話喧嘩なんてものは犬も食わないという話があるぐらいだ。みっともないにも程がある。
頬をポリポリ掻くオレをさくらさんはおかしそうに見ている。ああ、本当におかしいよな。彼女が居るのに他の女と痴話喧嘩なんてよ。
オレの肩に寄り掛かりながらさくらさんは何を思い出したか「あっ」と呟き楽しそうに話をし始めた。
「そういえばエリカちゃんも似た様な事を言ってたっけなぁ。そんな所を見られて恥ずかしいってね。あの子供っぽくてお嬢様なエリカちゃんが
そんな事を言うもんだからボク驚いちゃった」
「本当ですよね。中々他の人には素直になれない性格だし傲慢な所もあるし度胸が無い癖に無理に前に進もうとするし厄介な女ですよ。今思えば
なんであんなヤツ突き離せなかったのかなぁって度々思います」
「にゃはは、本当にエリカちゃんの事嫌いなんだねぇ。じゃあ今あーやってエリカちゃんが苦しんでるのは自業自得かもね、義之くんに嫌われるほど
悪い事やってた訳だしさ」
「かもしれないですね。だから――――さくらさんには感謝してますよ、本当に」
「え?」
「エリカの件、さくらさんがやってくれたんでしょ?」
顔を近づけて笑みを浮かべながらさくらさんの目を見る。背中に置いておいた手も肩に回し自分の体に引き付ける。多分オレからこういう行動
をしたのは初めてかもしれない。
最初茫然とした顔をしていたさくらさんだが次の瞬間には顔を赤くしてしまい俯いてしまった。この人は責めるのは得意みたいだがこういう風に
突発的にいざ自分が責められると弱い。
耳に囁く様にしてオレも若干顔を寄せる。いきなりのオレの行動に戸惑っているさくらさん。オレは同じ事をもう一回聞き直した。
「で、どうなんですかね? オレの予想じゃさくらさんがやってくれたもんだと思っていたんですが・・・・違うんですか?」
「え、え~とねぇ・・・・いくらなんでもそんな事――――」
「本当の事を話して下さいよ、本当の事を。オレはさくらさんを信用してるんです。だから嘘なんか吐かれたらすごい悲しい、さくら
さんだけはオレに嘘なんて付かないと思ってますから・・・・」
「う、う~ん・・・・」
口に手を当て考えるポーズ。さくらさんの癖だ。何か考え事をする時こうやってさくらさんはいつも考え事をする。
何を考える必要があるのだろうか。ただ本当の事を話せばいいのに。やっていないならやっていないと言えば済む話なのだから。
そしてさくらさんがこちらに顔を向ける。表情―――苦笑い。そしてようやくオレは聞きたかった答えを聞けた。
「・・・・にゃはは。うん、ボクがやったよ。なんかおかしい事を言い出したから魔法でドカン、てね」
「――――おかしい事?」
「なんか義之くんを守るんだぁーとかそんな感じの事を言ってたよ。馬鹿だよねぇ、義之くんが嫌いなのを知らないでそんな事を言ってるなんてさ。
勘違いもあそこまでいけば――――」
「なんでさっき言うの躊躇ってたんです? 別に感謝はすれど文句は言いませんよ、オレ。さくらさんさっきの話を聞いてたじゃないですか、オレが
エリカの事を嫌いって」
「えーだってさ・・・・ちゃんとトドメ刺さなかったから少し引け目感じてたんだ。そこまで義之くんが嫌ってたならちゃんとやったんだけどねぇ」
「んー・・・・そうですか」
答えとしてはこれ以上無いぐらいに最低だ。せめて魔法を使った事への罪悪感でも感じて欲しい所だったんが―――まぁ、無理だろうな。
もうそんな感情は残っていないだろう。何日も前にそれは分かり切っていた筈なのにオレはまだ期待していた。さくらさんにまだ良心的
な部分が残っている事を。
だから今の答えを聞いてオレは悟った。今のさくらさんは完璧にマトモじゃない事を。少なくとも人・・・・を傷付ける様な人間では無かった。
「でも最低でも一生病院のベットで暮らすとは思うから、安心してね?」
「――――エリカは生きてますよ。さっき目を覚ましました、オレが生き返らせました」
「・・・・・?」
杉並からエリカを助けた人物の名前を聞いた時、オレは分かってしまった。ああ、さくらさんの仕業だなと。あの人ならやりかねないなと。
だが何事も確認は必要だ。技術系の仕事なんかでは必ずと言っていい程再チェックを行う。人にミスは付きものだと考えている人が多いからだ。
そしてオレも例に習って確認した所―――自分の考えに間違いは無い事が分かった。さくらさんは可愛らしく首を掲げ怪訝そうな顔付きをしていた。
さて、その再チェックも済んだしこれからどうしようかな。隣を見るとさくらさんは苦笑いしている。うん、苦笑いしている顔も可愛いな。
「生き返らせたって・・・・義之くんが? にゃはは、それはいくらなんでも無理じゃないかな。義之くんはだって――――」
「和菓子しか出せない魔法使い、ですもんね。だけど出来たもんは仕方ありませんよ。さっき少し会話しましたがあれなら後遺症も
残らないかな? まぁ一週間は大事を取って学校休むでしょうけど」
「―――――そんな筈無いよ。あそこから目を覚ませるのってボクだって難しいんだから。凄い集中力と精神使うし」
「いやぁ、オレの集中力も案外馬鹿に出来ないっすよ? あれだけ集中したのって人生で初めてかもしれませんね」
大体エリカにあの話を聞かせたのがマズかった。アイツの性格を考えればさくらさんの所に行くのは間違いないのに―――オレの考えなさで
エリカを危険な目に合わせてしまった。本当に申し訳なくなる。
「だからっ、義之くんの力じゃ無理だって言ってるんだよ。元々和菓子しか出せない様な貧弱な力なんだからそんな魔法の力なんて使ったら――――」
「死んじゃう可能性もあったんでしょうね。だけどオレは左眼だけで済んだ。オレが桜の木から生まれたおかげなのか、それとも凄い奇跡
が起きたのかは知りませんが」
「あっ―――――」
そしてようやく気付いたのだろう、オレの焦点が合っていないだろう左眼に。さくらさんは信じられないという顔付きをしながら話を続けた。
「で、でも義之くんはエリカちゃんの事が大嫌いって言ってたじゃないかっ! なのになんでそんな風になるまでエリカちゃんを助けたりしたのっ?」
「そんなの嘘に決まってるじゃないですか。オレの大切なダチの一人ですよ? 助けなくてどうするんですか、まったく」
「ハ―――――」
絶句、まるで意味が分からないと言いたたげな顔をしていた。多分本当に理解出来ていないのだろう。可哀想に。
さくらさんがそれを教えて来てくれたのに当の本人が理解出来ないでどうするんだよ。本末転倒じゃねぇか。
小さい頃あんなに人情とか友達とか義理について語ってくれたのに――――いや、止そう。全部過去の話だ。
視線を下に移すと拳が固いぐらいに握られていた。血管なんか浮き出ているし骨が自分の握力でミシミシと軋んでいる音が聞こえる。
そしてオレは分かった。オレはエリカが危険な目に合ったていうのに、なんでこんなに冷静なんだろうと思ったがその答えを見つけた。
怒り、哀しみ、憎しみ、そういった感情を吐き出せる機会を待っていたのかオレは。道理でなんかおかしいと思っていたがスッキリしたぜ。
まるで喉の引っ掛かった魚の小骨が取れた様に気分が良い。最高だ、早くこの喜びをブチ撒けなくてはいけないな。
「―――――ッ!」
さくらさんがオレの異変を感じ取ったのか怖い眼を向けてオレを睨んでくる。ああ、やっぱり怖いよこの人の眼。
オレはそう感じながら、それに笑みを返し、握り締めた拳を叩きつけた。
ヤバイ――――そう思って義之くんが怖がる眼を作り出す。何がヤバイのかは知らないが直感的にそう思った。
表情は笑みの形を作っているし雰囲気もそれは穏やかなものだった。だが逆にそれがボクの不安を煽る。ならば何故そんなにも拳が
固く握られているのか。それも骨が軋む程に。
そして飛んでくる拳。もうボクの目なんか通じないと悟る、咄嗟に額で拳を防御するも喧嘩なんてした事の無いボクは呆気なくベンチから転げ落ちた。
「いってぇ・・・・やっぱり左目が見えないと感覚が掴めないな。それも体がダルイし動くのが面倒臭い、最近ろくに眠ってなかったからなぁオレ」
固い所に拳を打ちつけた所為か拳をブラブラさせている。だが痛さならこっちも負けていない。まるでハンマーに叩かれたみたいな衝撃を受けた。
義之くんの行動―――意味が分からなかった。何故義之くんがボクを殴るのかも分からないし何故かエリカちゃんを助けたのかも分からない。話の
流れから推測するに義之くんは友達が傷付けられたから怒ってると思うのだが、それが理解出来ない。
あんな我儘で他人の気持ちを考えない女の子を友達だと言い切る義之くん、一体何を考えているのだろうか。ボクを殴る程の事なのだろうか。
「なんで殴られたか分からないって顔だな、ああ? 大した人物だよアンタは」
「・・・・年上の人に対してはちゃんと敬語を使いなさいって教えた筈なんだけどなぁ、いくら不良さんでもそれぐらいは守って欲しいと
思ったり。社会に出たら大変だよ?」
「生憎だがオレは人を選ぶんだよ。一昔前のアンタならすげぇ尊敬出来たが―――今は出来ないな。だったらゴキブリに敬語でも使った
方がマシだね」
「―――ふぅん、言う様になったね。さっきまでボクに睨まれてピーピー泣いてた子供だった癖にさ」
だがその方法も通じない。今の義之くんはかなり頭に来ているのか瞳孔が広がりっぱなしだ。極限の興奮状態と言ってもいい。
こういう人間を大人しくさせるには昏倒させるか余程ショックを与えないと無理。しかしボクにはそんな技術は無い。
仕方無い、こうなったら魔法を使うしかないだろう。そして次に起きた時にはしっかりボクの愛を叩きこまないと駄目だ。
ボクの義之くんへの愛が足りなかったからこんな事になった。この事はしっかりボクも反省し。受け止めなければいけない。
そう決心し、手の平を義之くんに向け、念じようとした――――瞬間、その手が弾けた。痛さの余り熱を持つ右手。思わず悲鳴が漏れてしまう。
「手癖の悪い真似してんじゃねぇよ。今のアンタのしようとしてる事なんざバレバレだっつーの」
「あ・・・・、くっ・・・・う」
何をしたのか――――義之くんの方に頭を向け、気付いた。片手で小石を弄びながらこちらを詰まらなそうに見ていた。恐らくボクがベンチから
転げ落ちた隙に拾ったのだろう、なんて抜け目のない子だ。
それもあんまり大袈裟に動いた様には見えなかった。一瞬、魔法を掛けようと一瞬目を離した瞬間に投石されこんなにも手が腫れあがって
しまった。今初めて投げた人のそれではない、きっと慣れている。
「投石、なんて・・・・本職の羊飼いの人達でさえ扱いこなすのが難しいのに・・・・・・」
「こんなもんセンスがありゃ誰でも出来る。野球部の連中なら誰でも出来るんじゃねぇか? それにそんな当てて下さいと言わんばかりの
所に手を掲げるアンタもアンタだ。次からはバレない様にこっそりやったほうがいいな。次があるか知らねぇけど」
「・・・・くっ」
間違いない、義之くんはボクを徹底的に嬲る気だ。この間まで相思相愛だと思ってたのになんでこんな事に・・・・!
思わず涙ぐんでしまう。悲しい、危機感よりもそっちの感情の方が出てきてしまった。ボクはあれだけ必死に義之くんの事を愛している
と言ったのに当の本人はそれを全然分かってくれない。
今までもそうだ。あれだけボクを抱いたのに、好きだと言ってくれたのに距離を置こうとしていた。義之くんはボクの事が好き、これは間違いの
無い事だ。いつもボクの事をキラキラした目で見ていたしそれは間違いない。
なのに・・・・それなのに義之くんはボクの事をどうでもいいと思っている。エリカちゃんの方を大事に思っている。物凄く惨めに感じた。
「ぼ、ボクの事を好きだって言ってたのに・・・・愛してるって言ってくれたのになんでこんな酷い事を・・・・・」
「言ったんじゃねぇ、言わされたんだよ。もう洗脳に近いよな、恐怖と甘い言葉の繰り返しで徐々にチョコを溶かすみたいにドロドロにさせて
最後にパクッと口に入れて味を楽しむ行為――――卑劣だよ。おまけに犬みたいにご丁寧に首輪まで付けてくれちゃってさ。本当はアンタも
オレの事なんか好きじゃねぇんだろ? 本当に好きならこんな事はしない、信用してませんて言ってる様なもんだもんな」
「ち、違うっ! 本当にボクは義之くんの事が好きなんだ! なのにそれを義之くんが全然分かろうとしていないだけだよ! エリカちゃんの
時みたいに見て見ない振りをしてるだけなんだ、本当はその好意に気付いてるけど断り切れず突き離す勇気も無い、中途半端な態度でこまね
いて今回も同じような間違いを起こしているって気付いてるのに気付いていない振りをしてるだけなんだっ」
「・・・・やれやれ、耳が痛い話だな。まぁエリカに対してはそうだったかもしれねぇ――――が、アンタには全然そんな気持ちなんか抱いて
いない。ただ尊敬の念しか抱いて無かったのに勝手に勘違いしたアンタの一人相撲なだけだ。オレはこれっぽちもアンタに異性としてどうの
こうのという感情は抱いて無いよ。確かに少しばかり欲情はしてたけど・・・・思春期特有の性欲の燻りって範囲だししょうがないな、うん」
「ま、まだそんな馬鹿な事を――――」
「なんにしてもアンタはオレのダチの一人を殺そうとした。魔法っていう目に見えない卑劣な行為でもってな。そんな事を仕出かすんだから覚悟は
出来てるもんだとオレは解釈するぜ?」
そうして近付いてくる。あまりにも鬼気迫る顔をしているので足が言う事を聞かない。その気迫に圧倒されてしまった。
とっさに周囲を見渡す。さっきから一生懸命に生徒会が生徒を教室に帰そうと躍起になっているが効果は無く、まだまばらに生徒が残っている。
もちろん教師も何人か居るのでボク達の騒ぎに気が付いた人間がこちらに向かって慌てながら駆けつけて来た。
「こら、桜内っ! お前学園長に向かって何をしてるんだ!?」
「ん?」
「よ、義之くんを止めてっ! 何だか知らないけどいきなり殴り掛かってきて・・・・! ボク・・・・ひっぐ・・・・・」
「な、何ですってっ!? おい桜内、お前・・・・・!」
「おいおい・・・・」
こうなったら他の人間を使うしかない。ボクと義之くんじゃ身体能力が違いすぎる。あっちはもう男の子としては立派に成熟しきっていた。
反対にボクはあの頃のままの体の小ささ。どうやっても勝てる筈が無く、魔法もこんなおおっぴらの前では使えないこの状況では正しい判断
だと考えた。確かに義之くんの体は出来あがっているが所詮は子供、大人の男に勝てる筈が無い。
そのまま取り押さえられてしまえ。そう思うってその様子を見詰めていると義之くんは詰まらそうな表情をしながらぼやき始める。
「先生さ・・・・オレがそんな理由も無く人を殴る人間だと思うんですか? これでも最近は真面目に頑張ろうって思ってたのに」
「ふざけるなっ! 今までお前が杉並と二人で何をやってきたか忘れたとは言わせないぞ、いいからこっちに来いっ」
「またアイツの名前か。アイツはどの世界でもオレを巻き込まなきゃ気が済まないのかよ、ったく」
「何を意味の分からん事を――――」
肩を掴んでいた手を振り払い、体をその教師に向ける―――と同時に、喉元に拳を叩きつけた。空気を吐き出す事も出来ず悶絶するように膝を折る
様にして膝まづいてしまう男。その無防備な頭にトドメと言わんばかりに足を振り下ろす。ピクピク痙攣しながらその男は気絶してしまった。
その一連の流れの動作、躊躇いの無さに茫然としてしまった。確かに少しばかり素行の悪い子だとは思っていたが明らかに喧嘩をやり慣れている
と確信した。しかし今までそんな事をおくびにも出さなかったのに・・・・。
そうしてようやく周りの人達もその異常な雰囲気に気付いたのか駆けつけてきた。その人だかりにウンザリした顔をしながらもボクに近づく
足を止めない義之くん。
その前に一人の女性教師が立ちはだかる。確か義之くんの担任だった人。その人にボクは安心感を覚えた。
「こ、こら桜内くんっ! 止まりなさい!」
「・・・・退いて下さいよ、先生」
「退きませんっ! 桜内くんが大人しくなるまでは・・・・!」
「はぁ・・・・そうっすか」
いくらなんでも無関係な女性にまで手を上げないだろう。今まで何十年も生きてきたけど普通の一般人でそこまで出来る人をボクは知らない。
精々ヤクザみたいな連中だけだ。小さい頃から義之くんを見てきたボクには分かる、決して女性に手を上げる様な男の子じゃない。
今の内に距離を離して誰かが助けてくれるのを待つしかない。大人数人が集まってくれれば義之くんを止めるなんて訳がないと思った。
「だ、だから、落ち着いて、ね?」
「退いて下さいよ。殴りますよ」
「そんな事出来る訳―――――」
「退けって・・・・・言ってるだろうが、ああっ!?」
「が・・・・・っ」
何の容赦も無く、顔を殴り飛ばした。あまりの衝撃に吹っ飛ぶ形になる女。口から血を流し先程と同様気絶してしまった。
思わず「信じられない・・・・」と口に出してしまう。ボクの知ってる義之くんからは想像出来ない暴挙だ。何もしていない、ただ
無防備にそこに立っていただけで殴り飛ばすなんて普通の人じゃ考えられない。
もしくは――――それだけ怒っているという事なのか。だったら尚更頭が混乱してしまう。そこまで怒る理由、相変わらずソレが分からない。
「こ、こらぁっ! 桜内っ!」
「桜内くんっ、止めなさい!」
「弟くんっ!?」
「・・・・はぁ」
次々に来る教師や生徒会の人達、音姫ちゃん。だがそんな事関係ないと言わんばかりにため息を吐き手当たり次第殴りつける義之くん。場はもう
取り返しが付かない程荒れまくってきている。
そして一度引っ込んだ生徒達も何事かとその場に段々戻ってきて更に混乱の渦と化してきていた。それらを見ながらボクはなんとか立ちあがり考えた。
このままどこかに逃げればいいのだが足が上手く言う事を聞いてくれないこの状況。それにさっきの投石の件もある、逃がしてはくれないだろう。
だから一生懸命考える。とりあえずこの場だけ収まればいい。収まれば後はどうにでもなる、ボクは学園長という偉い立場にあるし今起きている
義之くんの暴走だってもみ消せる筈だ。
もみ消したら――――更に強い魔法を掛け無くてはいけない。やはり中途半端な魔法を掛けたのがマズかった。もう家から出れない様にして―――――
「さ、さくらさん、大丈夫ですかっ!?」
「・・・・・由夢ちゃんか。うん、なんとかね」
「何が起きたんですかっ? ジュース買い終わって帰ってきたら―――なんでいきなり兄さんがこんなに暴れて・・・・」
「――――ああ、そうだ」
「え・・・・?」
由夢ちゃんの腕を掴みほくそ笑む。確か由夢ちゃんとかには義之くんは気を許していた筈だ。この間一緒に登校してそれは分かっている。
義之くんの由夢ちゃんを見る眼は優しかった。最初その事に気付いた時、とても憎たらしい思いに駆られたが今回はそれが役に立つ。由夢ちゃんを
盾にすればいくらなんでも義之くんは止まる筈だ。
さっきから暴れている義之を見てて分かった事がある。自分と関わりの無い人には残酷になれるが近い関係の人には手を出せないという事だ。
今そうやって涙目になりながら止めようとしている音姫ちゃんに向かって何もしていないのが良い証拠。精々腕を振り払うぐらいだ。
だからこの場は由夢ちゃんに少し魔法を掛けてやれば落ち着く。適当にボクを守れとかそんな感じで良いだろう。もしかしたら怪我をするかも
しれないが――――構わない。元々音夢ちゃんの家族だから気に入らなかったんだ。なんとでもなればいい。
腕を掴んできた由夢ちゃんが怪訝な顔をしてボクを見詰めている。それにボクは笑みを返した。しっかり守ってね、由夢ちゃ――――
「―――――ぁっ!」
「さ、さくらさんっ!?」
腕にまた鋭い痛みが走る。投石、今度は手から血が流れていた。涙目になりながらまだ暴れている義之くんに目を移す。義之くんの目、こちら
を射殺さんばかりの視線を叩きつけていた。
あれだけ派手に暴れ回っているのにずっとこちらに注意を向けていたのか。そうとしか考えられない。でなければこの距離とタイミングで石が
飛んでくる筈が無い。左目の視力は無い筈なのに・・・・なんて用心深いんだろうか。
そうして粗方片付いたのか――――こちらに踵を返し歩いて来た。まだ怒りが収まらないのか拳は握られたままだ。ボク達の目の前で
歩みを止め、見下ろしてきた。
「もう一回言うけどよ――――手癖の悪い真似してんじゃねぇっつーの。諦めの悪い女だ」
「・・・・・」
「アンタの行動なんかお見通しだよ。今、由夢に何かしようとしたろ? まったく、昔のさくらさんじゃ考えられないぜ」
「に、兄さん? なんでいきなりこんな事を・・・・!」
ボクの肩に手を掛けようとしてくる由夢ちゃん。そして触れようとした―――瞬間、乾いた音を立てて弾かれる。ボクが弾いた、触って
欲しくなかったからだ。
ちらっと義之くんの後ろの方を見ると数人教師達と生徒が倒れている。ある人は顔から血を流し、ある人は腕なんかも折れている。音姫ちゃんは
まゆきちゃんによって止められこちら側に来れないで居た。
まったく――――全然役に立たなくて困る。こういう時ぐらいはしっかり役立って欲しいものだ。普段マトモに授業を教えられていない事にも
目を瞑って来ていたし、生徒会の権利を好き勝手に行使する子供みたいな行為をする生徒会連中にも目を瞑ってきたんだ、恩はしっかり返して
欲しい。頭が沸騰しそうな程怒りを覚えた。
「触らないでよ、役立たずな由夢ちゃん」
「え、あ、さ、さくら・・・・さん?」
「由夢、こっちに来ていた方がいい」
「あ・・・・」
困惑した表情をしている由夢ちゃんを背中に隠す様に腕を引っ張る義之くん。その行動にまたボクは腹が立ち、思いっきり由夢ちゃんを睨んだ。
「ひっ」悲鳴を上げて身を縮こませる様に完全に死角に隠れてしまい思わず舌打ちをする。あのまま睨み殺してやるぐらい怖がらせようとしたのに
詰まらない。まぁいい、後でいっぱいちょっかいを掛ける事にしよう。
そう思っていると急に視線が上がり浮遊感を感じる。首元も苦しいし息が上手に出来ない。義之くんに襟元を掴まれているのだと理解するのに
少し時間が掛かってしまった。
「これから思いっきりアンタを殴るけど・・・・覚悟は出来てるか? まぁ聞くまでも無いか、エリカにあんな真似しでかしたんだからな」
「――――ぐすっ」
「あ?」
「うっぐ・・・・ご、ごめんな・・・・さ、い・・・ひっぐ」
「おいおい・・・・」
「う、うわぁぁぁぁあああんっ」
そしてボクは大泣きした。多分人生で一番泣いたと思うぐらいに。由夢ちゃんと義之くんは茫然としてボクを見ていた。
襟元を離され地面に座り込む。顔を伏せしゃっくりをあげながら肩を震わせた。言葉が上手く出て来ない。だが無理矢理喉の奥から
絞り出すように喋り始めた。
「ボ、ボク・・・・エリカちゃんに、バカにされたのがくやしくて・・・・・ひっぐ・・・・、本当に、ごめん・・・なさい」
「バカにされた?」
「よ、義之くんへの・・・・愛情が、嘘だとか言われ、たんだ。だからつい頭にきちゃって・・・・ぐすっ」
「――――『つい』で人を殺そうとしたのか。そりゃあ大したもんだ。オレだって中々そんな事出来ねぇぜ」
「・・・・い、今じゃ凄い後悔してる。な、なんて事をしたんだろうって。だ、だから・・・・本当に、ごめんなさい」
そう言って義之くんに抱きつく。特に振り払おうとはしなかった。黙ってボクの体を受け入れてくれた事に感謝の念を覚える。
だって――――ようやく義之くんに近づく事が出来たんだから。さっきまでは近づこうとする度に睨みを効かされたので中々近づこうにも
チャンスが無かった。
だが、自然な流れでこうやって抱きつける距離まで来れた。まだ無傷な左を握り締め集中する。魔法を使う為の集中力だ。
確かに喧嘩は強いし頭も回るのだろう――――だがボクの半分も生きていない子供だ。こうやって泣きさえすれば簡単に騙せる。
だから男は馬鹿だとか言われるんだよ、義之くん。いつもこうやって男は騙されてきているのに何も学習してきていない。泣いている女の子を
放っておけないとか歯の浮いた台詞を吐く男は最もたる男の代表だ。そのまま一生やってろと言いたくなる。
義之くんも例に漏れずそういう男の子だったんだろう。少し情けなくなるが、しょうがない。男は大体そういう風に出来ているのだから。
この左手を義之くんの頬に伸ばして触れば完璧。糸の切れた人形みたいに気絶する事になるだろう。その後の事は、全部ボクに任せていいからね。
「だ、だから・・・・ひっぐ・・・・・ボクの事を許して・・・・ねぇ、義之くん・・・・・」
そうしてごく自然に涙を流しながら手を伸ばして―――――掴まれた。思いっきり握力が加えられているのか今にも骨が折れそうになる。
「キャッ―――――ッ!」
「こんな雑魚がやりそうな手口を使うなんて、結構テンパってたんだな。今時美人局でもこんな手使わないぜ」
「な、なんでバレ・・・・て」
「アンタの目、何かしでかしそうな目をしてたんでな。それに今までの流れで急に泣くとかマジありえねぇって。どうにもこうにも
不自然すぎて笑っちまいそうだったよ」
「なっ―――――」
「さくらさん、役者にはなれそうにないですね」
そう言って―――――拳が顔に叩きつけられた。最初は防御出来たが今度はそんな事をする暇さえ与えられない。無様に地面に叩きつけられる形
になったボク。気絶出来ればよかったのだが、地面に叩きつけられたおかげでそんな事は許されなかった。余計に痛みがボクを襲う。
痛い、痛い、痛い。それしかもう考えられなかった。あまりの痛さで頭がパニックを起こし考える事を放棄してしまっている。
そんなボクに近づく義之くん。もう立つ事さえままならない。芋虫みたいに転がってただただ痛みに耐える事しか出来ないでいる自分。
情けない、どうにかしなきゃいけない、もうこのまま気絶したい。そうった思いが心の中をグルグル回っている。多分、というか絶対この後
痛い事をされる。それだけは嫌だ。もう本当に絶え間無く涙がぽろぽろ流れている。
そして――――頬に何かザラザラした感触を感じる。それに聞こえる動物的な声。横を見るとはりまおが悲しそうな目でボクの涙を舐めていた。
「くぅん・・・・」
「は、はりまお・・・・来ちゃ駄目だって・・・・」
「わんっ!」
「ば、ばか・・・・危ないからあっちに行ってなさい・・・・」
一生懸命ボクがあっちに行かそうとしても言う事を聞いてくれない。いつもは聞き分けがいい子なのに、何故かボクの傍を離れようとしない。
今の義之くんは容赦なく女だろうが小動物だろうが傷付ける。いくらはりまおでもその対象外にはならない筈だ。だから首根っこを掴み腕の中に
抱きしめる。どうしても離れないのならこうするしかない、こうすれば少なくともこの子には攻撃は加えられない筈だ。ギュっと抱きしめる腕に力
を加える。もう離さないとばかりに。
この子は――――家族であり『友達』だ。もしかしたら唯一のと言っていいかもしれない。だからボクが守ってあげなくちゃいけないと思った。
理由、そんなものは必要ない。あえて言うなら友達だからというのが理由だ。理屈なんかは無く、ただ茫然とそう思いこの子を守ろうとする。
「・・・・・・」
「くぅん・・・・」
「こ、こら頭を出しちゃ駄目だよっ、お願いだから・・・・!」
状況が掴めていないのだろう、無理やり頭を出して腕の中から抜けようとする。
今までボクの言う事を聞かないなんて事はなかったのに、なんでこんな時に限って・・・・!
ボクが必死にはりまおを腕の中に戻そうとする様子を見て、義之くんが口を開いた。
「良い、アホ犬だな」
「―――――えっ?」
「さくらさんをオレから守ろうとしてるのか、一生懸命に体に覆いかぶさろうとしている。中々出来た良い犬じゃねぇか、ええ?」
はりまおを改めて見ると眼は義之くんの事をジッと見据えていた。しかし体は怖がっているのだろう、プルプル震えている。
なのにボクを守ろうとしているのか、無理矢理ボクの腕から這い出て義之くんに向かって吠え出した。この子が吠えるなんて事をしたのなんて
見た事が無い、いつだって呑気そうな顔をしてブラブラしているのに・・・・。
でも駄目だ、敵う相手じゃない。そう思いこの子だけは助けてくれと言おうとして――――義之くんは膝まづいてしまった。
「え・・・・?」
「はぁ、はぁ、くそ・・・・・色々無理しすぎたかな・・・・・」
「に、兄さんっ!?」
慌てて由夢ちゃんが手を貸すも、疲れきっているのか立ちあがる事が出来ないでいる。その様子を見て、ボクはハッと気が付いた。
最近の義之くんはなんだか調子が悪そうだったし、ついさっきまでは大の大人数人と大乱闘している。決定的なのはエリカちゃんを助けた時の
事だろう。ただでさえ無理な魔法なのに無理矢理行使したおかげで体にガタがきているに違いない。
いくら左目を犠牲にしたからって元々が無理な事をしでかしたのだ。もう体が無理と言って休ませようとしているのが分かった。
「ねぇ、さくらさん・・・・」
「―――――えっ?」
「はりまおに向けるその愛情、何故他の人にも分けてあげれないんです? なんでさくらさんはそこまで変わってしまったんですか?」
「・・・・・・」
「ちょっと前までのさくらさんならソレが分かって――――――あ、や・・・・べ」
「ちょ、ちょっと兄さん・・・・!」
最後まで言う事は無く、途中で力尽きてしまった。もう起き上がる力も無い様で気絶してしまっている。その様子を見た教師陣が今になってこの
場に駆けつけてきた。まぁ下手にこちら側に来ていたらタダでは済まなかったろうが・・・・少し情けなく感じてしまった。
男子生徒一人に翻弄されてどうするの、そう思ったが外見はなんとか平静を装い、助かったという表情を作っておく。
実際助かったのは本当だ。一人ではマトモに歩けないほど参ってしまっている。なんとか手を出して貰い起き上がった。
「ありがとう。あとそこの義之くんだけど・・・・・保健室でとりあえず休ませて置いて」
「は、はい」
「・・・・・」
そう教師に言い渡しボクは歩き出す。由夢ちゃんが何か言いたそうにこちらを見ていたが無視した。あまり構ってやれる余裕は無いからだ。
なんで分けてやれないのか――――それはボクが聞きたいぐらいだ。ボク自身もそれは疑問に思っている。こうして冷静になればその事を疑問に思う
までには正気なつもりだ。先程までの一連の自分の行動を思い出そうとして―――止めた。こんな事を言うのは躊躇われるがあまり思い出しくない内容
であるからだ。
腕の中に収まっているはりまおに「もう、大丈夫だよ。ありがとう」と呟いて離してやる。しばらくこちらをジーッと見ていたがいつもみたいな
感じですぐさまどこかへ行ってしまった。おそらくいつも通り気ままな日常を過ごすのだろう。
「日常、か。ボクもなんとか取り戻さないといけないね」
目指すは枯れない桜の木がある場所。あそこに行けば何でこうなったかが分かるかもしれない。あそこに行けば何かが分かると直感的に思う。
いや、もう確信に近い。
まるで躁鬱病みたいに心の変化が激しく次の瞬間には全く正反対の行動を取ってきた自分―――気付かない振りをしてきた。
この気持ちだけは本当のモノだ。外部がどうのこうは関係ないと自分に言い聞かせながら盲心的に義之くんに執着してきたのだ。
何かがおかしい、そう思っていたのに何も手を出さなかったボクの完全な落ち度が今回の騒ぎの一端なのだろう。だから決着を付けるにも
ボクじゃなければ駄目だ。最初は音姫ちゃんに手伝ってもらおうと考えていたけど、もうそんな悠長な事は言っていられない状況になってし
まった。何もかも遅い事態になってしまったが――――まだかろうじて間に合う。
だが、全ての責任を桜の木へ押し付ける気は無い。発端となった気持ちは確かにボクの中にあったのだろうから否定する気は全く無い。
しかし――――外に出そうとは思わなかった。ただこの気持ちを抑えて無視すれば済む話だったのかもしれない。そう、あのお兄ちゃんの時みたいに。
枯れない桜の木の影響、結局またボクは舐めていたのかもしれない。本当に学習しない子だな、ボクは。そう自分に半ば呆れながらも桜の木の
ある場所へ足を向けた。今度こそは、絶対――――
「やぁ、変態母子姦息子くん」
「・・・・ないわー」
「それはこっちの台詞だよ――――ないわー」
絶対に二度と会えないだろうと思っていた人を見てしまい、思わず否定の言葉を漏らしてしまったが逆に言い返されてしまった。まぁこの
人の事だし大体の事は知っているのだろう。多少居心地の悪さを感じる。いや、多少どころでは無くかなりだ。
体がもう疲れ果ててギブアップしたと思ったら気が付くと枯れない桜の木の目の前に座っており、目の前には髪の短いさくらさんが居る。
身を起こし辺りを見回す。いつか見た光景、ここが夢の世界だと気付くのはそう時間が掛からなかった。オレを別な世界に飛ばすきっかけ
となった場所。忘れたくてもそう簡単に忘れない。
呆れた顔をしているさくらさんの顔を見詰める。多分このさくらさんは元の世界に居たさくらさんだろう。目と態度と雰囲気で分かる。
オレがずっと慣れ親しんださくらさんだからこれも忘れるわけがない。そりゃあ十年ちょっと一緒に居た訳だもんなぁ、忘れろって言う
方が無理があった。
「ていうか母親と寝るって気持ち悪いんだけどさ。そこんとこはどう考えてるの、義之くん?」
「い、いや・・・・別に血の繋がった親って訳でもないですし・・・・・そうなってもおかしくは――――」
「ううん、血は繋がってるよ。まぎれも無く義之くんはボクの子供、息子なんだから」
「え、マジっすか?」
「うん」
「・・・・・うおぉ」
思わず辺りをゴロゴロ転がってしまう。石とか樹の幹に背中をぶつけるが気にしていられない。あまりの事実にオレはかなりショックを受けていた。
そりゃあもしかしてとは思っていた。さくらさんが家族を願ったんだから血の繋がりを持った誰かが出てくるのは当然の事、むしろそっちの方が
自然だと普通は思う。
しかしオレはあえてその可能性に目を瞑っていた。だって実の母親と寝たってマジでやべぇじゃん・・・・、近親相姦は外国のマフィアの間でも禁止
されてるっつーのに。
「ていうか普通は絶対寝ないよ。家族みたいな人を抱くなんてよっぽど女の子に餓えてたんだね、美夏ちゃんが可哀想・・・・」
「・・・・さくらさんが怖すぎるんですよ。なんですかあの眼、ヤクザより怖いですって絶対」
「何十年も生きてるからあれぐらいは出来るよ。ましてや相手はロクに一人で生きていけない子供、なんとでもなるさ」
「なんだか手厳しいっすね・・・・前はもっと優しかった様な気がするんですけど」
「そっちのボクに慣れちゃった所為なんじゃない? とても優しくて義之くんの事を溺愛してたみたいだし。まぁ、少し頭が悪いとは思うけどさ」
「・・・・はぁ、そうっすか」
「そうっす」
凛としてて気の強そうな目をしてそう言った。間違いない、このさくらさんはあのさくらさんだ。オレの事を容赦なく叱り育ててくれた人だ。
その事実にオレは少し安心感を覚える。最近こういう安らぎを感じてなかったからなぁ、安らぎを得ようにもさくらさんがあーなっちゃった以上
難しいし。逆に精神的にも肉体的にも参ってたところだった。
とりあず満足するまで転がり回った後、オレは気になった事を聞いてみた。何故このタイミングでこの人は現れたのだろうか。
「んでさ、なんでさくらさんここに居るんですか?」
「ん、こっちの枯れない桜の木が暴走しちゃってさ。枯らそうと思って来てみたんだけど・・・・まさか馬鹿息子が居るとは
思わなかったよ。それでついでに元気にやってるかなぁと思って調べてみたら――――開いた口が塞がらなかったね」
「ば、馬鹿息子・・・・」
「馬鹿だから馬鹿って言ってるんだよ。まぁそれは前から分かっていたし別にいいんだけどね。それで、どうするの?」
「どうするの、とは?」
「そっちのボクとの関係の事。やんちゃしたのはいいけど多分次会ったらまた元通りになると思うよ。体とか愛を求められて断れる自信ある?
もう終わりにしようとか言える? んん?」
「あ、いや、それは・・・・」
さっきはキレていたので何言われても聞かない自信はあったが、冷静な状態でもし責められたと考えると―――情けない話だが自信が無くなる。
あの麻薬の様に癖になる声、眼、感触を思い返すとおそらく断りきれないだろうと思った。さっきの件でさくらさんが諦めてくれるとは思えない
し今度こそは完璧に追い込もうとしてくるだろう。
そんな事を考え頭を抱え込むオレにさくらさんは「はぁ」とため息をついてピンッと指を立てた。
「まぁそっちのボクは仮にもボクなんだからある程度は正気を保ってるようだけどね。今だって枯れない桜の木の所で何かやってる
みたいだし」
「え、桜の木がどうかしたんですか?」
「んもぅ、察しが悪いなぁ。少し頭の回転鈍っちゃった? 事の発端はボクの寂しいっていう気持ちだったんだろうけど、それを桜の木が
何を勘違いしたんだがその気持ちを増幅させて――――今の状況になってるって訳なの。分かる?」
「・・・・あー・・・・・マジっすか」
「マジっす。大体『いきなり人柄変わり過ぎっ!』って思わなかったの? そんな情けない首輪つけられちゃってさ」
「あ――――」
首元を触られ指で弾かれる。そこには何も無い筈なのに妙な感触がしていた。しかし首輪か・・・・・本当にこんなモノ付けられていたんだなと
思うと更に情けなく感じる。まるで犬じゃねぇか、これ。
なんとか外せないモノかと考え、さくらさんを見る。そんなオレの視線の意味に気付いたのか首を振った。
「あー無理無理。ここじゃボクの魔法はあんまり使えないんだよ。前義之くんを送った時は寝ている君に魔法を掛けたから何とかなったけど
今それを外すにはこっちの世界に来て貰わなきゃ駄目なの。勿論――――その見えない左目を治すのもね」
「・・・・・そう、ですか」
「そんな残念な顔をしないで。それらの問題を解決出来る子。ボク知ってるからさ」
「え、そんな人がいるんですか?」
「さっきそっちの初音島をちょこっと興味本位で調べた時に偶然に見つけたんだよ。まさかあの子が初音島に居るとは思わなかったから
驚いちゃったけど、さ」
そうして少し悲しい様な嬉しい様な戸惑いの表情を見せた。しかしそれも一瞬だけ、背伸びをして次にオレの顔を見た時にはさっきまでの
感情が見られなかった。
解決出来る子――――多分魔法使いなのだろうが誰なんだろうか。イメージとしては初老の老人で怪しいマントを着てる感じだが今時そんな
レトロなヤツは居ないだろう。
さくらさんとオレだって魔法使いだがこうして普通の格好で普通の暮らしをしてる訳だし、案外普通の人かもしれない。
「特徴としては銀髪でルビー色の瞳、頭にはリボンを付けている外人さんだね。だからその子に色々お願いしてみなさい。人当たりのいい女の子
だからきっと引き受けてくれる筈だよ。あと、一応お茶菓子を手土産に持って行くんだよ? ちゃんと頭を下げてさ」
「あ、女なんですね」
「手は出しちゃ駄目だからね。そっちに行ってから義之くん急にモテだしたからさくらさん心配だにゃー」
「だ、出しませんてば。とりあえずその女の子に頼んでみますよ、ちゃんとお茶菓子を手土産にね」
「・・・・あと、出来たらでいいんだけど」
「はい?」
「――――その子とは友達になってくれないかな? 色々事情があってあんまり友達とか作れない子だからさ。無理ならならなくもていいし・・・・
でも出来ればなって欲しいかなって、にゃはは」
「・・・・・・会って気が合いそうでしたらね。友達って作ろうと思って作るモノでも無いですし、その気になったら気が付いたら友達に
なってますよ」
「うーん・・・・そっか、そうだよね。それでいいよ、ありがとう」
そう言ってオレの頭を撫でる様に手を置く。その久しぶりに感触にオレは懐かしさを覚えた。
そして感じる暖かい感触、なんだか体の隅々までその暖かい感触が流れた気がした。体がポカポカするような暖かさだ。
そうして手を離し枯れない桜の木の下まで歩いて行く。オレはその背中をぼーっと見詰めた。いつだってあの人の背中には本当の強さが
見え隠れしていた様な気がする。そう、今みたいに。
「今ボクの力をちょっと分けてあげたよ。もし友達になるというなら多分役に立つと思う」
「――――もう、お別れですか」
「うん。少し長話しすぎたぐらいだよ、これでも。さっさと自分の世界に戻ってやることやっちゃいなさい」
振り返ったさくらさんの表情――――いつも通りに微笑んでいた。まるで寂しさを感じさせないような笑顔。オレは少し気になって聞いてみた。
「さくらさんは、その、寂しくないんですか? こっちのさくらさんはとても寂しがっているようですし・・・・気になって」
「何言ってるんだよ。息子持ってるんだからそんな訳ないじゃない。大体ボクは義之くんが色々問題起こしてくれたおかげでそんな事を
思う暇なかったかなぁ。毎日毎日怒ってる日々の連続だったしねぇ、義之くん?」
「は、はは、そうですよね、はい」
「・・・・・まぁそれも義之くんを生んだ後の話だけどね。その前は確かに寂しかったし、だから義之くんという存在を誕生させた。まぁ、
色々思う所はあるけどボクは後悔してないよ。凄く楽しかったし毎日が充実してた。そう――――だからこうやって尻拭いする事になっ
ても心残りは無い。返ってお釣りが来るくらいだよ、本当に」
「・・・・さくらさん?」
「それじゃあ、バイバイ。そっちも色々気張りなさい? どうやら桜の木の制御をそっちのボクは失敗したみたいだしね。義之くんと
アイシアだけが頼みの綱なんだから」
「あ、ちょっと待って、さく――――」
駄目だ、意識が遠くなる。夢から現実への戻りの感覚。まだ話したい事は一杯あったのに、あの家で一人っきりで本当に寂しくないのかと
色々聞こうと思ってたのに。
そして完全に意識がぼやける前に、オレは見た。余裕そうに笑みを表情を浮かべているさくらさんを。それでオレはさっきの話が本当だと
理解した。本当に、オレとの日々にさくらさんは満足していたのだと。
桜の木を頼む――――この出来損ないの魔法使いに何が出来るかは知らないが、精々頑張ってみようと思った。『母親』の頼まれ事とあっては
断れない。おそらくもう会える事はないのだから親孝行してやるとしよう。
意識が現実の世界に戻る直前、どこかでさくらさんの泣き声が聞こえた気がした。こっちのさくらさんもオレの親には変わり無い。だから
助けてやることにしよう、息子なのだから。
そう思い手を握り締める。枯れない桜の木、この件の諸悪の権化――――絶対に潰してやる。オレは固く決心し、目を開いた。