「はぁ・・・・今日も売り上げ無しかぁ」
別にお金目的で売ってるわけじゃ無いけれどやはり買う人がいないというのは寂しい。
手元から一つの人形を手に取って弄んでみる。自分で作って言うのもなんだけど可愛らしい人形だと思う。愛嬌があり
中々どうして造形もしっかりしていると思うんだけどなぁ。
やはり最近の子はテレビゲーム―――は言い方がさすがに古いか。とにかくそういうデジタルな物に嵌ってるみたいだ。
まぁ、純一も好きだったしその頃からそういう風潮はあったのかもしれない。なにぶん随分昔の話なので記憶は定かではないが。
「随分遠くまできましたなーっ・・・・と」
寂しさが無いわけではない。寂しいに決まっている。世界でただ一人迷子になってるこの感覚、多分一生馴染まないと思う。
だけどもう決めてしまった。走り出してしまった。もう止まる事なんか出来やしないし術も分からない。
だから今は―――――
「うぅ・・・旅金が無くなりそうです。なんと世知辛い世の中なのでしょうか」
日本より貧困に喘いでいる中東よりも酷い売り上げだ。いくら私が人の目に留まりにくい存在だとしてもこれは酷い。
財布をごそこそと漁りため息を一つ。彼女は世界中を旅しているしこういった事態も珍しい事ではない。そんなにあっても困る。
ただ思い出の日本―――そこはアイシアにとって特別な場所だ。ここで彼女は人生の中で一番濃い体験をした場所であり青春
をした場所とも言えた。
甘く苦い小さな恋慕。自分が精神的に成長し人生の指標を定めた場所。ここにあまり留まってはいけないと思いながら数週間
もここで人形などの商店を開いてしまっている。
いつもならもう立ち去っている頃だというの、にまるで何かを期待するかのように・・・・。
「そろそろ・・・かな。ここにていもお金は減っていく一方だし・・・・うん」
次はどこに行こうか。しばらくは中東方面に行けない。あそこでまた小さな紛争が乱発的に起こっている。私だって命は惜しい。
一番安全な国は―――と考えて、そういえば最近行ったバチカンという国を思い出した。
カトリック教の総本山であり宗教の規模が他の国に比べとても色合いが濃く、事件という事件は起きないという珍しい国。
軍・警察が無いと言ってもその代わりイタリアの人達がその国を守るという鉄壁ぶりだ。
いくら人口が少ないとはいえある意味完成された国である。そこならば一番安全だが・・・。
「あそこの空気あんまり好きじゃないんだよねー・・・出来ればあの国以外が良いかな」
宗教という熱に浮かされ全が個人、個人が全という雰囲気はアイシアには合わなかった。
確かに安全であり私の売る人形にも興味を持ってくれて笑顔がある国だ。だがあそこで商売をしてる時、居心地の
悪さはいつもどこかで感じていた。
それは感覚的な物で上手く言葉に出来ないが・・・まるで小さな箱庭に収められた気分になってしまった。
それじゃそこ以外に安全な国で私の人形なんかに興味を持ってくれる国はどこだろうか、と候補を洗い流していると
「珍しい人形だな」
「――――え?」
「久しぶりに見たよ人形売りなんか。小さい頃はさくら―――母親代わりの人にそういう市場に連れていかれたが大して
興味を持て無かった。あんなモンに興味を持つのはガキ、それも女だけだっていう変な意地があったからな」
「・・・・・人形に興味を持つのに男女の差なんて無いと思います」
「当時はとてもじゃないがそうは思えなかったぜ? まぁガキだし仕方ないと誰もがそう思うだろうし、オレもそう思ってた」
「思ってた・・・じゃあ、今は?」
「そう、だな」
制服に身を包んだ男はそう言って私の前に屈み人形の群れの中から一つの物を手に取った。
それはお世辞にも上手く作れたとは言い難く、形が全体的に崩れていた。
まだ魔法が上手く出来ない時期に作った物である。気付けばこの中で一番の古株になってしまった人形だ。
それを手に取る客なんて珍しく、モノ好きな客もいたものだと思う。
それにしても―――ー
(珍しい客層、かな・・・)
雰囲気からして普通の学生、ではない。いわゆる不良さんとやらだろうか。ふわっと紫煙の残り香がした。
アイシアはあまりこういった類の人達に縁は無く、彼女もまたそういった人達を避ける人種であった。
何かあれば暴力を振るう、気に喰わないとダダをこねる様に暴れる、大人ぶりたい子供、ロクな人間じゃない。
そういった人種が今、私の人形を手に取っているのを見てまず感じたのは危機感だった。
もしかして次の瞬間には叩きつけたりしないだろうか。だけどそんなことはさせない。
私だって怖いけどそれらは大切なものなんだ。他の人にとっては取るに足らないものでも私にとっては宝物と同義。
まだ歪だけど自分が、自分だけの力で作ったもの。職人なんてものを気取る訳ではないがそれでも譲れないものはあった。
そしてアイシアは体育座りしていた体制から少し腰をあげて体制を整えた。いつでもこの男の人を止められるように。
男はその思惑に気付かないのか、はたまたどうでも出来ると思っているのだろうか。相変わらず人形をじっと見て弄っている。
「ふーん」
「・・・」
「なるほどね」
「・・・・・・」
「こっちはローブ付きの本格派か。凝ってるな」
「・・・・・・・・」
「マフラー付きの犬の人形か・・・・あいつを思い出すな」
「うぅ・・・・」
最初は警戒を抱いてじっと男を観察していたがどうやら何もする気はないみたいだ。そう分かった瞬間に感じたのは
危機感などでは無く羞恥心。
まるで品評されるが如く自分の人形達を弄られていると気恥ずかしくなってきた。
こうやって人形を手に取って、あれこれ言われたのは初めての経験。意味も無く指を交差せてモジモジしてしまう。
なんなのこの人。ただの暇つぶしだろうか。いや、暇つぶしならここ以外でいくらでも出来る。わざわざここでやる意味は無い。
そう考えて頭を悩ませても答えは出て来ない。男は飽きないのか色々な人形を手に取ってまだ観察している。
ええい、いい加減に恥ずかし過ぎて顔が真っ赤になりそうだ――――と、アイシアはとっくに真っ赤になった顔で
その男に声を掛ける事にした。
「そ、それでですねっ!」
「―――っとぉ、いきなり大声出すなよ。これでも繊細な心の持ち主なんだぞこのやろう」
「さっきの質問の答えですけど、どうなんですかっ?」
「んー・・・そうだな」
勢いで誤魔化す様に声を上げてしまう私。多少上ずった声にまた羞恥が増す。穴があったら入って蓋を締めて寝てしまいたい。
そう思いながら男の方をチラっと見てみる。答えを上手く口に出そうと考えているのか空中を見詰めたまま黙ってしまった。
その横顔は意外と理知的に見えて多少驚く。この男の人がこんな顔をするなんて思ってもいなかったからだ。
しかしその顔を見詰めて一つ気付く。両目の焦点がうまく噛み合っていない。恐らくだがあの片目は――――
「じゃあ答えるけどよ」
「ひゃ、ひゃいっ!?」
「・・・・どうしたいきなり変な声上げて」
「あ、え、べ、別になんでも・・・・」
「もしかしてあれか、一目惚れしましたとかそんなんか。だったら一足遅かったな。オレ今彼女持ちだからな」
「そ、そんなんじゃありません! 調子に乗らないでください!」
「そして修羅場の真っ最中だ。いやぁ、オレには関係ない出来事だと思ってたのにな。対岸の火事だと思ってたのに
気付いたら自分の家が燃えてたなんて笑えやしない」
「・・・・・節操無しなんですね。だらしがありません」
「返す言葉もない。事実オレもそう思う」
何がおかしいのか自嘲するように含み笑いをする相手。私は過去の思い出のせいもあり多少声質がキツくなってしまった。
純一達はあんなに苦しんでいたと云うのに・・・そう思わずにはいられない。
どうせ調子に乗って色んな女の子に声を掛けて結局痛い目にあったのだろう。
なんだかこれもナンパの一種と思えてきた。もう答えを聞く気は無くなってしまう。
私はため息を一つ吐いてどうやってこの男を追い返そうと考え――――
「上手く言葉に出来なくて申し訳ないが、なんだかアンタの人形――――暖かいな。こういう人形は好きだぜ」
そう言って笑う笑顔が何処か純一に似てて、思わず息が止まってしまった。
「ナンパかと思いましたよ」
「ああ?」
「そもそも特に挨拶もしないで気安く会話を始める人達にロクな人はいません」
「・・・手厳しいな。これでも人嫌いな性格だったんだが」
あの後保健室を抜け出しこうして露天を開いていたアイシアなる人物と接触出来た。
オレとしてはいつものように話し掛けたつもりだがどうやら軽薄に映ってしまったらしい。
とりあえず自己紹介をして向こうの名前も正式な形で教えてもらい、アイシアの脇にドスっと座った。
そんなオレの様子を少し眉を寄せながら見ていたアイシアだが、笑いかけると特に何も言わなかった。
「どこが人嫌いですか・・・まぁ、いいです。飽きたらどこかへ行って下さいね。貴方みたいな怖い
人が居たら商売の邪魔になりますから」
「随分ハッキリした物言いだな、気に入ったよ。アンタが会社を設立して大金持ちになってベンツを
乗り回すまで居てやる」
「本当にいつまで居るつもりなんですか・・・・」
「多分一生になるな、儲かってなさそうだし」
「―――――ッ! こ、このっ!」
ポコポコと腕を殴る銀髪の女。しかし全然力が無いのでいいマッサージになる。
オレの周りの女共は本当に力が無いヤツばかりだな。思わずあくびが出た。
その様子に更にムキになって腕を振り下ろす回数を増やしてくる。結局それはアイシアの体力が
無くなるまで続いた。
てか、よえー。
「はぁ、はぁ、はぁ、け、結局――――義丸君でしたっけ? 貴方何のつもりでこうやって居座ってるんですか?」
「だれが義丸だてめー・・・義之って言ったろーが。次間違えたらその大きなスカーフとオレの穿いてるトランクス
を取り替えてやるぞこら」
「はうっ!」
その様子を想像したのか、バッと頭のスカーフに手を置く。笑ってやると冗談と気付いたのだろう、頬を膨らまして
怒ってますアピールをしてきた。
なんかマトモに相手をするのもかったるかったのでその頬を突いてやると中から空気が漏れだし元の頬に戻った。
そしてまた顔を真っ赤にして腕を叩いてくるアイシア。いつまでたっても本題に入れそうになかったのでそろそろ
入る事にするか。こういう漫才もいいが―――全部終わった後がいい。
「あ、貴方って人はそうやって他の女の子にも――――」
「アンタ、魔法使いなんだって?」
「・・・・・え?」
「単刀直入に言うと手助けして欲しい。情けないがオレだけじゃこの問題は解決出来ない。人が欲しい。
アンタなら何とか出来るとある人からの紹介だ」
「ちょ、ちょっと待って下さいっ!」
「悪いが待つ事も出来ないし―――断らせるつもりもない。オレは酷い人間だ、アンタの意思があろうとなかろうと
手伝ってもらうつもりでいる。別になじってくれても構わない」
「――――え、え~と・・・・」
せわしく目をキョロキョロさせて戸惑う様子を見せる。俺としてもかなり直線的な物言いだったと思うが今更
訂正はしない。回りくどく言っても結局言う事は同じなのだから。
余裕―――少しなくなってきているかもしれない。焦ってると言っても差し支えない。校庭での一件を思い出す。
さくらさんはもう限界なんだと思う。冷静な時は普通に日常を楽しむし論理感を大切にする、
元々正義感は強い女性だ。間違った事を正そうとする考えがあるしその力もある。実質そんなさくらさんを皆は好んでいた。
だがオレが絡むとそういったものはどこかへ吹き飛んでしまう。
正義感なんて知っちゃこったないし、間違った方法でも結果を手に入れようとする。
力の使い方のベクトルを歪め進んで自分の為に使うのもそうだ。別に自分の力をどうしようと
自分の勝手だとオレは一方で思うが・・・あまりにもさくらさんらしくない。
はりまおを庇った時は少しマシになったと思うが――――そう長くは続かないだろう。
「なんだ、うーうー唸って。そんなに難しく考える必要はねぇ。あとでクッキーあげっからよ」
「せ、説明を要求しますっ! なんで私が魔法使いって知ってるのと今何が起きてるのとなんで
貴方がそんな事に関わってるのかをです! それと私は子供じゃありません!」
「お前、子供な」
「違います! もう何十年も生きてます! 六十数年ぐらい!」
「・・・・ババァじゃん」
「うーっ!」
さっきより力を込めて腕を込めて叩いてくるが全然痛くねー。それよりも、と叩かれながら考えた。
説明、どこまで話せばいいのだろうか。全部話すとなるとさくらさんの事とか話さなければいけない。
外見を見るとオレより下そうな女の子だ。話す内容が内容だけに話すのが躊躇われる。
だがそんな気持ちを頭の片隅に置いて握り潰した。もうこれ以上無いってぐらい情けない思いをした後だ、今更だと考えた。
もうオレのプライドでどうのこうのなるような話では無くなっている。オレの情けなさがまた露呈した所でなんだ。
それで済めば安い方でむしろお釣りがくる。
それにしても―――六十数年か。随分長生きしてるなコイツ。さくらさんの知り合いみたいだしもしかしたら魔法使う女
というのは皆こうなのかもしれない。もう色々あったせいかそんな事を聞いても驚かなくなった。
それならさくらさんのあの外見にも納得出来る。どうりでおかしいと思ってたんだよ、ずっと一緒に居るから感覚麻痺してたけど。
「つーかオレはババアと寝たのか・・・・なんだか複雑な気分だ・・・・」
「あ、またババァって言いましたね!」
「うっせババァ」
「うーうーっ!」
まぁ、なんにせよだ。悪いが付き合ってもらうぜ―――アイシア。
そっと桜の木に手を当てる。目を閉じ集中して内部の様子を探る。
予想―――予想以上に進行は進んでるようだった、あの時以上にもうどうしようもなくなってる。
思わず膝を付きそうになる絶望感に襲われるが、なんとか持ち直して深呼吸をした。
桜の木はもうボク個人の力ではどうしようもない事になっていた。
もしこの桜の木を直すなら砂漠の土地に落ちた一滴の水を探す事と同義だった。
壊すにしても同じ、もうどこから手を付けていいか分からないこの状況で変に刺激すればもうどう
なるか分かったもんじゃなくなる。
「ボクのせいか・・・」
それはこの木を管理しているボクがあれこれ好き勝手にその力を使って、または踊らされて行使した結果だった。
桜の木は満開というにはおこがましい位に狂い咲きをしていた。辺りを見回しても桜の色しか見えなく、空も見えるか
どうかも怪しい呈をなしていた。
いくらなんでもこの事態は異常だと誰もが思う。長年この島で暮らしている住民も思うだろう。何かがおかしいかと。
どうするか、と考え木の幹の下にペタンと座り込む。せっかくのスーツに土が付いてしまったが気にしてはいられない。
そしてふと感じてしまった孤独感。義之君に呆られて、なじられて罵倒されて―――見捨てられた。せっかく考えない様に
していたのに意識してしまうともう考えが止まらなくなる。
駄目だ駄目だと強く意識して手をギュっと握る。ここでまたあの感情を蘇らせたら戻れなくなる。
今、今のこの自分の状態を維持してなんとか対策を考えなければ駄目だ。息が乱れてきたのでまた深呼吸をした。
「どうしようか・・・お兄ちゃんと音姫ちゃんを呼んでもどうにもならない。かえって力のバランスが取れなくなって
今以上に不安定な状況を作ってしまう。何か別の手がある筈なんだ」
ブツブツ言葉を吐きながら口に指を当てうーんと唸る。朝倉純一と朝倉音姫、そしてボク。この三人の力はてんで
バラバラだ。均衡していればまたなんとかなりそうなものの、ここまで極端に差があるといくらボクでも扱えなくる。
かと言ってボク個人の力ではどうしようもない。せめてボクと同じ位の力がある人を二人―――いや、一人でもいい。
一人でもいいから欲しい。そうすれば取っ掛かりは掴める。後は、どこまで自分の意思を貫けるかだ。
「そう都合よくはないか。もうちょっと現実的に考えてもう少し考えよう」
ボクらしくない。他力本願もいいところだ、誰かを巻き込む事を前提として考えている。
自分の撒いた種ぐらい自分で処理しなければならない。ここまで好き勝手やってるんだから。
好き勝手やった手前責任は取らなければいけない。もう、子供ではなくなっているんだから・・・・。
「さて、もう一回最初から考え直して・・・・・・ッ!」
ふと、目の前に影が落ちた。驚いて後ずさりして崩れた体制を急いで整えた。
ここに来れる人なんていない筈だ。もう入口には結界を張っていて誰も入って来れない筈。
もしここに来れる人がいるなら音姫ちゃんぐらいだ。しかし今このタイミングで来るのはおかしい。
今も後処理に忙しく駆け回ってる筈だ。それに誰かが入ってきたらボクが気付く筈、なのにこうして
目の前にくるまで接近を許してしまった。
「・・・・・誰なの?」
逆光で少し目が眩み相手の姿がうまく視認出来ない。思わず頭が混乱してテンパリそうになるが歯を
ガリっと噛み締めて荒れそうになる息を止める。
今目の前に誰がいるかはとりあえず置いておく。仕方が無い、理由はともかくとして誰かが居るのは確実なんだ。
問題は、その人物が何の目的でボクに接近をしてきたか。きっとロクな目的ではないだろう。声も掛けず
こうして黙って目の前に来たのだ。万一悪意は無くても―――善意も無い筈。
目の前の人物はボクが声を掛けても何も反応をしない。焦燥感が身を包むのが分かる。
異常事態が起きている初音島、何が起きてもおかしくはない。例えばもし次の瞬間に、住民全員が消えてもおかしくない
程狂っているのが現状だ。
ともあれ今の硬直状態を続けるのはボクの精神衛生上よろしくない。何かもう一回アクションを起こして冷静に対処しなければ。
「今時名無しなんて言わないでよ。世界の全人口の九割が戸籍管理されてる時代なんだから。もちろん残りの一割は行方不明者。
行方不明者とは言ってるけど―――まぁ大体は死亡扱いされてるね。だから貴方が名前は無いというなら幽霊という事に
なるかな。初めて見るかもしれないな、幽霊って」
「・・・・・・・」
「またダンマリ? 幽霊でもなんでもいいけどまず名前を名乗って欲しいな。これ、小学校以前に習う事だよ?」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
いい加減にしろ――――。そんな怒りにも似た感情で口を開けようとした――――瞬間、息が一瞬本当に止まった。
「さくらさん」
ひゅっ――ーと息を詰まらせ呼吸が苦しくなった。恐らく驚きのあまり筋肉が硬直してしまったようだ。
何故、何故ココにいるんだ。有り得ない。考えの範疇外だ、確かに魔法は使えたようだが殆ど力を無くしている
あの状態でここまで来れる筈が無い。
そもそも、だ。もうボクになんか会いたくない筈だ。自分はもうニ度とあの子の顔を見れないと覚悟していたというのに。
逆光に目が慣れ浮かび上がってくる男の姿、義之くんだった。
校庭での一件の時にしていた憤怒の表情ではなく少しだけ微笑を携えてボクに目を合わせてきた。
前までボクに向けていた表情、感情、ソレに対して知らずしらずの内に涙が頬を伝った。
急に恥ずかしくなってしまい急いで涙を裾で拭くが次から次へと溢れ出る涙にボクは更に混乱した。
またこんな目を向けてくれるとは思わなかった。またこんな優しい声質で話し掛けてくれるとは夢にも思わなかった。
いきなり目の前に現れた男―――義之くんにさっきまでの警戒心がどこかへ行ってしまった。
「はは、なんで泣いてるんですか? さくらさん」
「・・・ひっぐ・・・・だ、だって・・・・」
「お願いですからあんまり泣かないで下さい。オレまで悲しくなっちまう」
そう言ってボクの体をギュっと抱きしめてきた。更にその感触にボクは涙が溢れてきてしまう。
ずっと欲しがっていた温もりが徐々に体を包み込み暖かくなる。最近までずっと感じていて、ずっと欲しがってたモノだ。
何故ココに居るかなんて考えようともせずボクはただただその感触に身を任せてた。
「最近さくらさん無理しすぎてたんじゃないですか? 色々大変な事ありましたからね」
「・・・っ! ご、ごめんね義之くんっ?」
「何がですか?」
「い、いっぱい酷い事言っちゃったし、酷い事しちゃった。だからもう義之君にこんな事してもらえるなんて
夢にも思わなくて・・・・うぅ・・・・」
「―――なんだ、そんな事ですか」
「え・・?」
そんな事、とは一体どういう事なんだろうか。あの怒っていた時の目はもう許さないという目をしていた。
ボクを容赦なく殴り飛ばした義之くん。確かに少しは手加減はしていたのだろうがあのまま蹴り上げられてもおかしくなかった。
少し違和感を感じ抱きしめてくれている義之くんの目を見ても笑いかけてくるばかり。益々戸惑った。
「オレにとってはやっぱりさくらさんが一番大事なんですよ。それに―――さっきはすいません。
痛かったでしょう? オレに殴られた所。跡になってませんか?」
「え、あ・・・、いや、それは大丈夫なんだけどさ。それに大事って・・・・?」
「はは、恥ずかしいのであまり多くは言いたくないんですが」
「ねぇ、言ってよ。もう一回。お願い、だから」
少し苦笑いしながらどうするかといった風に口をもごもごさせる。
そんな様子の義之君にボクはどこか浮ついた気持ちになりがら続きを促した。
まるで誕生日を欲しがっている子供みたいにそわそわそながら答えを待つ。
多分目もキラキラしているに違いない。自信がある。
さっきまでの決意はどこへやら、今か今かとまるで目の前に餌を置かれた犬みたいにがっつくように腕を揺らした。
しょうがないなと照れ笑いしながら腕を揺らしているボクの手を握り―――笑みを深くしてその言葉を言ってくれた。
「好きですよ。愛してます、さくらさん」
「あ――――あ、ボクも義之くんの事――――」
「だから桜の木はこのまま放って置いて下さいね、さくらさん」
「・・・・・・・・」
頭に冷水をぶっかけられたかのように冷める頭。止めネジを外され歯車が動き出してきた。
そっと腕を押して義之くん『らしき』人を押しのけた。押された義之君は相変わらずこちらに笑みを向けたままだ。
顔に手をやり呼吸を整える。軽く髪を整えて胸を張る。これでいつもどおりの自分になった。
「いきなり押さないで下さいよ。驚いちまう」
「――――防衛システムみたいなものか」
「はい?」
「もうボクの管理内じゃなくなっている桜の木。生きていると言っても過言じゃ無い。ここまでエネルギーを
溜めて言う事を聞かなくなってるんだ。身を守ろうと考えたって変な話じゃない」
「・・・・何の事をおっしゃってるか分かりかねます」
「こんな悪どい方法を取るなんてさすがボクが育てた桜の木だね。思わず感心しちゃうよ、殴りたいほど」
「・・・・・・・」
「そんな悪い事をしてどうしようもなくなった悪い子は・・・・こうかな?」
そう言って桜の木に手を掛ける。少し慌てた呈でその腕を取り下げようと動き出そうとした義之君らしき人物を目で制した。動くなと。
そんな様子のボクを見て立ち止まり、やれやれといったように首を振るその男。その演技っぽい仕草にやや頭がカチンときたが挑発
には乗らない。そんな挑発に乗ってやる程もう若くはないからだ。
それが分かったのだろう。笑みは変わらず絶やさないその顔でその男は喋り出した。
「さくらさんの力じゃ無理ですよ。もう若くはないんだし無理は止めた方がいいと思います」
「生憎だけど20歳前の子供に心配される程ヤワな人生を送ってはいないんだよね、残念ながら。
この桜の木はボクが枯らすけど・・・いいよね? 嫌って言っても枯らすけど」
「だからそれは無理だと何回も言って――――」
「ボクの命をくれてやるよ。そうすればいくらなんでもこの木は暴走を止めざるを得ない。昔の人間―――サムライも
何か不始末をした場合腹切りをするしボクの好きな任侠映画も似た様な事をやるから、まあ、少しは憧れてたり
したんだよね、にゃはは」
「・・・・・今のヤクザは腹切りなんかしませんよ。それよりも上納金とか取り立てで摂取する金の金額を上乗せして
きます。もう人情の時代じゃないんですよ、さくらさん」
「なんだ、幻滅」
さすがにそういうのは知ってるけどやっぱり憧れはあるんだよ。
義理と人情なんて最も人間らしい感情だしすぐ殺し合いに発展するのもとても人間らしい。
ただ単におばあちゃんの影響が強いってだけなのかもしれないけどさ。
そういえば昔義之君と見た時は彼は怖がってたなぁ。涙ポロポロ流しながらボクの腕に引っ付いてたっけ。
今の義之君なら笑いながら見そうだなぁと思ったり。今度一緒に見たいな。
(『今度』か、見れそうにないかな。残念だけど)
「まぁだからといって・・・・・止めるつもりはないんだけど、ね―――――っ!」
思いっきり力を込めて肺から空気を思いっきり出す。
自分を構成する何かが抜けていく感覚に膝を付きそうになるが歯を食いしばり唇を噛み切って耐える。
まさか本当にこんな行動をするとは思わなかったのだろう、慌ててこちらに駆け寄ろうとするニセモノ。
だが今度もボクは目で制した。多分今までで一番怖い眼をしてるに違いない。当り前だ、本気でキレてるんだから。
義之君の姿を借りて甘い言葉を囁いた――――なんて侮辱だろうかこれは。八つ裂きにしても物足りない。
まず生きたまま目玉や内臓を捻り出して叩き潰したい。それでも殺さないように逆さに磔にしながら玩具の様に遊んでやりたい。
それでも、それでもそれでも、まだ物足りない。湧き上がってくるこの暴力的で衝動的な気持ちをとてもじゃないが押さえつけられない。
それほど憎悪の気持ちを込めて睨んでやった。死ぬ間際には人の本性が現れると聞いたが・・・・なんだ、性悪女だったのか
と自嘲した。そしてその姿を見てこちらに来るどころか後ずさりをしている。
今やっている事に後悔はしていない。
桜の木に触れて分かった事だがどうやらあの義之くんは義之くんであって義之くんでは無いらしい。
驚いてもっと調べたらありえない事がどうやら起きていたようだ。思わず頭を抱え込みたくなった。
死んだ人間を別の世界に飛ばせば生きていけるというトンデモ理論。確かに義之君は普通の人とは違う人間だったが
それでも無理矢理な話だ。そんな電池の切れたリモコンじゃあるまいしそんな事をやってのける『向こう』の自分のデタラメ
さに更に頭が痛くなった。
そんな人間に育てられたらああいう性格にもなるよ、義之君。あの変わりようがこの土壇場になって分かるなんて、人生は
本当に分からない事ばかりだ。
そしてその時に再確認した。ああ、全然自分の想いが揺れていない。どうやら今の義之くんに本当に参ってるみたいだ、と。
あの本当にかったるそうな雰囲気、何かろくでもない事を考えてる時に浮かぶ笑み、凶暴そうな目付きの中に時々姿を
表わす理知的な光、好きな人に愛を囁かれて嬉しい癖に何でも無いといった風な表情をつくるその子供っぽさ。
元々こちらの世界に居た義之くんが嫌いな訳では無いが・・・彼を無くしてまで取り戻そうと思わない。
酷い母親だ。息子より男を取るなんて。それも血の繋がった相手をだ。恐らくボクは死んだら地獄に行くだろう―――今更だ。
全てが愛おしく、惹かれていると改めて理解し更に心が苦しくなった―――――故に、目の前の存在許容出来なく、はブチ壊さ
ねば気が済まない。まるでボクの気持ちを踏みにじっている行為だと考え、さらに射殺さんばかりに視線を叩きつける。
魔女―――まさに今自分はそういって呼ばれるモノの眼をしているに違いなかった。
「ん?」
「・・・? どうかしたんですか?」
「いや、なんでもねーよ」
そう言って辺りを見回す――――義之くん。何か気になる事でもあったのだろうかと辺りを見回すが何も無い。
本人も「気のせいか」と言ってるからなんでもないのだろう。全く、人があれこれ混乱してるのに掻きまわさないで欲しい。
一気に話を聞かされた所為か今でも頭が痛い。私の理解の範疇を超えた突飛な内容の所為だ。隣で関係無いように煙草を吹かし
ている男の子が恨めしい。誰のお蔭でこんなにも頭を痛くしているのだと思っているのだ。
「一つ提案なんですが・・・」
「ん? なんだ?」
「義之くんが元の世界になんとかして戻った方が皆幸せになると思いますよ。今からその方法を探しましょう」
「・・・・・・フゥ―」
「うっ! げほっ、げほっ、な、なんてことを・・・・」
嫌味の一つでも言わないと気が済まないので単直に「お前居なくなれば解決なんじゃないの」といった節の言葉を投げかけたら
紫煙を顔に吹きかけられた。
思わず涙目で咽る私をにやにやした目で見る脇の不良男。絶対この男はドSだ、きっと彼女の事もそうやってからかってるに違いない。
だが―――私は少し落ち着き気合いを入れる。そう、私は年長者なのだ、こんな子供染みた嫌がらせに反応するなんて以ての他。
落ち着け、うん、落ち着け。ここで反応を返せばこの男の思う壷だ。ここは毅然としたちゃんと大人の対応で・・・・。
「はは、生意気に嫌味言ってんじゃねぇよ、ばあさん」
「―――――ッ! う、うーうーっ!」
駄目だ、我慢出来ない。思わず腕を殴ってしまう。効かないと知りながらも殴らなければ気が済まない。
そもそもだれがばあさんだ。自分でいうのもなんだが外見は当時のままで時々お人形さんみたいねと時々旅先で褒められるのに!
義之くんは腕を叩かれたまま煙草をふーっと一息吹かした後、こちらを見詰めて口を開いた。
「こうやって可愛いアンタといちゃいちゃするのも悪くねぇんだけどよ」
「か、可愛い・・・・・」
なんでこの男は―――表情をピクリとも変えずこういう言葉を吐けるのだろうか。思わずさっきの事を忘れたかのように顔を
赤くしてしまう自分が悔しい。
きっと他の女の子にも似た様な言葉を吐いてるのだろう。それも打算とか抜きに、思った事を口に出して。人の顔色を窺うのを
嫌いそうな性格をしているのでそれはきっと当っているのだろう。
だから余計に恥ずかしい。お世辞にも言えないが私はあまり褒められ慣れてない。こうやってストレートな物言いでも反応して
しまうのだ。恋愛経験も無いのがそれに拍車をかける。
「・・・・ふんだ。そんな事ばかり言ってるから修羅場っちゃうんですよーだ」
「おいおい、あんまり怒るなよ。そんな怒った顔も中々似合ってて魅力的だが・・・・」
「ま、またそういう事言って―――――」
「で、どうなんだ。オレに協力してくれるか?」
「あ・・・・・」
協力――――桜の木の暴走を止める事とさくらを助ける事。
数十年前にも桜の木は暴走をした事がある。というか私も起こした事があるのだが――――とにかく苦労した。
咲かすのは簡単だったのが枯らすととなるとそれはもう骨が折れる。あのさくらでさえ手をかなり焼いていた
のだからどれ程厄介なものかは想像に難くない。
最初の暴走の時はさくらが頑張って止めたみたいだが二度目の暴走は・・・・私が犠牲になることでその収拾はついた。
当時子供だった私は皆の気持ちを分かった様な口を聞き、よかれと思って常に行動を起こしていた。今思えば焦っていたのかも
しれない。魔法使いとして何一つ十分な事を出来なかったのだから。
結果、授業料としてはかなり高いモノを支払った。一生の孤独。常に人に忘れられる存在となりあちこちを旅する事になる。
「――――正直、不安ですね」
「不安?」
「さくら―――私はこう呼んでるのですが、あの人が手に余しているモノを私が本当に卸せるかどうかが不安です。
今はどうか分かりませんが当時さくらは私にとって目指すべき目標でした。だってあそこまで完璧な魔法使いを
見るのはお婆ちゃん以来でしたからね。その人が作った桜の木、それに踊らされるさくら―――この二つの問題
を解決出来る程私は自分に自信がありません・・・・」
「んー・・・・そうか」
「はい、すみません・・・・」
「いや、謝る事は無い。元々この話を信じてくれただけでも奇跡だ。むしろこちらがお礼を言わなければいけない」
「あ、いえ、そんな」
その殊勝な言葉にわたわたと手を振る。力になれないと言ったのに謝られてはかえってこちらの座りが悪い。
不良の義之くんにそういう言葉を掛けられるとは思わなかったので尚更だ。必要以上にこちらが畏まってしまった。
なんだ、礼儀はあるじゃないか。まぁさくらが育てた子っていうしそこら辺は意外としっかりしているのかもしれない。
それにしても―――この男の子も随分無茶苦茶な存在だ。そしてかなり波乱万丈の人生を現在進行形で歩んでる。
まずは死んだ事。まぁこれはいい。人は生きてる限り終わりがあるのだ。悲しいことだがそれは事実なので受け止める事が出来る。
伊達に長生きはしていないのだ。人の死―――過去の知り合いが死んでるのも多く見てきたしそれは納得するとしよう。
そしてここからが信じられない話だ。彼はその世界から抜け出しこちらに居座ってるという。それだけに収まらずさくらと関係を
持ち桜の木の暴走に関わっているというデタラメさ。全く賑やかな事が好きな男だと思う。
「それにしても・・・意外だな」
「・・・? 何がですか?」
「見た感じ正義感が強そうだから『皆の危機なんですか!? 私がなんとかします!』とか言いそうだと思ったのに」
「声色を真似しないでください! それに私は――――そういうのは止めたんです」
「ふーん」
興味無さそうに視線を前に戻す。私がそれを決心したのにどれほどの勇気を出したか知らない癖に呑気なものだ。半ば八つ当たり
するように睨んでしまう。
数十年前の事件を皮切りに余計な事はしないと決めた。分不相応な事はしないと誓った。確かにその話を聞いて心苦しくなったが
そうやって半ば反射的に行動して起きた結果が――――アレだ。あまり思い出したくも無い事実である。
何十年も生きているがこのトラウマみたいな想いは消えない。だから今回の件、悪いが・・・・手伝えない。
「・・・でも少しだけ、本当に少しだけなら手伝ってもいいです。さっき人形を買ってくれたお礼もありますし」
「――――いや、アンタにはオレと一緒に来てもらう。そして桜の木の下で、正面からさくらんと対峙してもらうよ」
「え、あ、だ、だから私なんて本当に力になれないと言って――――」
「本当に嫌だったら『少しだけ手伝う』なんて言葉は出て来ない。厄介事なんて皆どっかに行って欲しいと思ってるからな。
さっきのアンタの言葉、無理してるように見えたぜ。本当はなんとかしたいと思ってるんだろう? 自分には力がある。
だから自分がなんとかしないとという気持ちがあるのが見え隠れしている。だから悪いがオレはそこに付け込む」
「・・・・・そんな事、ないです」
こちらを見透かすようにそんな言葉を吐いた。手をギュっと握り込み俯いてしまう。
今更、今更そんな事を言わないで欲しい。もうずっと前に決めたんだ。余計な事はしないよう、出来るだけ引っ込んでようと。
もうそんな熱に浮かされて走り出す年齢じゃない。今までだって、そしてこれからもソレに変更は無い―――筈だ。
「そうか」
「そうです」
「・・・・オレは最初なんとしてもアンタを連れていくって言ったが―――無しにするよ。そんな中途半端な人間を連れてったら
オレまで危ない目に合っちまうからな。悪かったな、変な話をして」
「いえ、そんな事は・・・・」
「じゃあ、ここでお別れだ。また暇が出来たらここに遊びにくるからまぁ、商売繁盛を祈ってるよ」
「―――――義之くん、君、多分無事に戻れないよ」
「そんな事は分かってるよ。相手はあのさくらさんだからな。もしかしたら『一生一緒に居よう?』とか言われて桜の木
とかに引き込まれるかもしれねぇ・・・・うわぁ、なんかゲームとか映画のBADENDみてぇだな。オレには可愛い彼女が
居るのに」
「桜の木の力を舐め無い方がいいです。アレは間違ってる事にも力を貸す出来そこないの願望器、それにさくらの力が上乗せ
されています。そんなお気楽な思考では自殺しにいくみたいなものですよ」
「死ぬ前に部屋掃除ぐらいさせて欲しいな。起きてそのままの状態だし」
「――――――ッ!」
思わず腕を服の上から思いっきり掴んでしまう。ギチギチとしなる布の擦れ合う音。多分今日で一番力が出ているに違いない。
義之くんは気にせずへらへらと笑っている。この男の子はバカなのだろうか。その見えない目を持たされて何も感じないのか。
私は何故か涙目になりながら服を離さないでいる。理由―――分からない。とにかくこの子を行かしては駄目だと思った。
「・・・・はは、アンタはさ、やっぱり思ってた通り優しすぎるな。人が良いとも言える」
「そんなこと、ありません・・・・・」
「そうやって人の為に、それもオレみたいなヤツに涙流すなんて女は希少だよ本当」
「――――別の意味では流させてるじゃないですか、女の敵」
「モテる男はつらいな」
「開き直らないでください、不快です」
「開き直らきゃ、やってられねぇし―――これから桜の木の所にも行けねぇよっ・・・と」
立ちあがり制服を整える。特に気負った様子を見受けられなくまるで散歩にでも行くかのようにその様子は穏やかだった。
死ぬ事なんて考えない目だ。蛮勇ではなく勇気と覚悟、それらを宿してる目をしていた。それが私には分からない。
だから私も勢いよく立ちあがりその立ち去ろうとする背に声を掛けた。なぜそこまでする必要があるのかと。
「しつこいようですがもう一回言います。義之くんは死にますよ。いや、死ぬなんてもんじゃない。一生籠の中の小鳥のまま
桜の木と一緒に在り続けますよ。話を聞いた通りのさくらならやりかねない」
「だったらそんな籠の柵なんざ食い破ってやる。生憎小鳥なんて可愛いモンになった覚えはねぇよ」
「そんなにさくらの事を助けたいですか? 何故なんですか? 言っては悪いですが『その』さくらは義之くんの
本当の母親じゃない筈です。本物は貴方の元居た世界に居るんですよ、何故そこまでするんですか? 一緒
に寝て情でも湧きましたか? 酷い事されたんですよね?」
「さぁな。だが―――他の人だったら助けねぇ、見捨てるよオレは。けどあの人だから助けたい。元の世界が
どうのこうのじゃない。オレが助けたいから助けるんだ。理由なんて考えてもそれは後付けにしかならない。
別に格好つけたいからじゃないさ。いつだってオレは自分の気持ちに素直に行動している。今回だってその
延長線上だってだけだ」
「・・・・そんな力なんて無い癖に」
「無いなりに頑張るよ。これでもずる賢くて運は強いんだ。危なくなったら適当に掻きまわしてさっさと逃げるよ」
嘘だ。逃げるつもりなんて無い癖に。段々この子の本気と嘘が分かってきた。この子は何があっても逃げないだろう。
そんな事を考えてる人間はそんな目を持たないしそもそもそんな場所へ行かない。それにこの子はさくらを助けたい
と言っていた。その言葉は到底嘘に聞こえない。恐らく死ぬ直前になっても助けようとするだろうと直感的に感じた。
じゃあなと言って気楽に手を振る姿。段々遠くへ行ってしまう背中。私はそんな彼を数秒、茫然と見ていた。
そして、そんな姿に――――思わず足が動いてしまった。商売道具もそのままに、その背中を追い掛けたくて。
「商売道具はいいのかよ。まぁイマドキあんなの盗もうとする奴はいねぇだろうけどな。それにちゃんと立て札
掛けてるみたいだし」
「・・・・・はぁ、はぁ、、な、何も聞かないんですか? 私が着いてきた事に」
「アンタは来ると思ったよ。話してて分かったがかなりの甘ちゃんみたいだしな。まぁオレとしてはそこに付け込ませて
もらった訳だが」
まるで来るのが分かっていたみたいに―――いや、実際分かっていたのだろう。私が息を切らしながら傍に来ても動揺
しなかった。その姿はさっき見たままと変わらない。
「してやられた、という事ですかね。なんて意地悪な・・・・」
「まぁ、来なくてもよかったかな。さくらさん―――ああ、オレの元々居た世界のさくらさんがアンタを買ってたから
ついてきた方が勝率は格段によくなると思ったがオレはどっちでもよかった。どちらにせよオレは一人でも行くつも
りではいたよ。さっきの言葉だって嘘じゃない」
「邪魔はしない、つもりです・・・。もう巻き込まれたも同然ですから出来るだけの事はしてみますよ」
「決めたのはアンタだけどな。精々足を引っ張らないでくれよ、『可愛い売り子ちゃん』? 」
「な、なんて横暴な・・・私、色々言いたいことがあるんですが・・・・」
「全部終わったら聞いてやるよ。そうだな――――オレの部屋、ベットの上でならよ」
「―――――ッ! こ、このエロ義之っ!」
ぽこぽこ肩を殴る。本当は顔を殴りたいのだが背丈の関係でどうしても肩にしか手が届かない。
まぁいい、肩にだって人体の急所はある。そこを徹底的に殴ればクマだって悶絶する筈だ。純一もそう言っていたし。
だがこの男はどうやら急所も鍛えてるらしく全然ビクともしない。なんだかバカらしくなった私はため息をついて脇に並んだ。
「義之はいつもそうなんですか? デリカシーって言葉分かります?」
「使う相手によっては使ってるよ。オレの彼女になれば受けられるぜ、デリカシー」
「結構です。貴方の場合彼女にも使いそうにないので。まったく、さくらも義之のどこが気に入ったんだが・・・・」
「さっきから気になってんだがよ。『義之くん』じゃないのな」
「くん付けで呼ばれる程可愛くないので貴方は。義之で十分です」
「ああ、それは違いない。間違っていないよアイシア」
芝居掛かった台詞を言い、なにが可笑しいのかククッと笑う義之を呆れた目で見る。なんて子供らしくないんだ。私や純一がこの歳の
頃はもっと可愛かった筈だ。
やはりこの世の中は荒れている。昨今の性の乱れ、心の乱れは目に余るモノがあった。この初音島もそういったモノの影響を受けている。
この男のを見ると本当にそう思う。まぁ、初めて見るタイプなんだけどね。義之みたいな男の子。
「ああ、あと言い忘れた事があったよ」
「またロクでもない事を考え――――」
「アンタ・・・アイシアはオレが守ってやる。怪我の一つなんてさせやしない」
「え――――あ、・・・・」
「巻き込んで言う台詞じゃないのは分かってるが言わせてくれ。アイシアにはまたああいった人形を作って
もらいたい。身勝手だがそう思う。絶対守ってやるよ。だから――――オレに付き合ってくれ」
目を合わせてそんな事を言ってきた。さっきまでの笑い顔は消え、真剣な顔つきで言ってきた。
そのギャップに二の句を繋げられなかった。この男の子はさっきからそう、コロコロと表情を変えて私を驚かせる。
子供か大人か分からない子だ。そして私はその言葉を聞き漠然と思った。
(ああ、なんだか告白みたい)
生まれてこの方そんな事をされたような覚えは無かったが・・・なるほど、こういう気持ちになるのか。
なんだかそわそわして目をせわしく動かしてしまう。心臓の鼓動も早くなり落ち着きが無くなってしまう。
なんだか―――恥ずかしい気持ちだ。そんな私を怪訝に思ったのか義之は首を捻る。
「んだよ。マジでオレはそのつもりなんだぜ? これでもまぁ引け目みたいなもんは感じてるし」
「・・・・・・」
「今度お店手伝ってやるよ。これでも客商売をしてた時期があってな。女一人じゃ色々大変だろうしオレが手伝う―――」
「今、分かりました」
「あ? 何がよ?」
「義之はどうしようもなく女たらしで自己中心的で掛け値無いぐらい駄目人間という事をです」
「・・・・んだとこの野郎」
「行くなら早く行きましょう。枯れない桜の木、そろそろ限界に近付いてますから。さっき気付いたんですけど
どうも普通の木にも桜が咲き始めてますね。時間がありません」
「あ、おい待てよっ」
浮ついた心を無理矢理落ち着かせる。思いっきりため息をつきたいがそれさえ面倒だ。
義之には大事な彼女が居るみたいだしそういう気持ちで言ったのではないのだろう。少し冷静になれば分かる。
今言った台詞を他の女の子にも吐いてるのだろうから呆れもした。この男の子は本当に一度刺されなければ分からないのだろうか。
まぁいい。そんな子に付き合ってる私も私だ。
相手がさくらという事で少し恐怖心があるが・・・伊達にこの何十年間も孤独と戦っていない。
自分が言っていたルールを自分で破る弱い人間になんか負けてなるものか。
「って、やっと追い付いたよ。おい、何怒ってるんだよ」
「別に・・・なんでもありません」
「まったくこれだから女って人種はよ・・・・あ、分かった。生理だろお前」
「う~~~~~っ!」
それに、だ。
同じ状況なら立ち止まってしまうだろう今の私とは正反対に突き進んでいくこの男の子の行動。
あの時の私と被るようで被らないその力強さ。顔を俯かないで前を向き、『明日』の事を考えている義之。
それにどうしようもなく惹かれた私は、この子と一緒に戦う事によって何か―――あの時のもう一つの答えを
得る事が出来ると思った。
「く・・・、はっ・・・・っ!」
「ああ、だから言ったじゃないですか。無理しない方が良いって」
笑みを浮かべたまま男はこちらに近づいてきた。
自分はといえば膝をついて顔には脂汗を流し無様にも這いつくばっている情けない格好を晒していた。
少しでも息を楽にしようと服が汚れる事なんか気にせず背中から地面に身を投げる様に寝そべる格好になる。
今の自分の頭の中には一つの言葉しか考えられなかった。
(マズった)
元々体力も精神もここ数日の間にかなり酷使していた。義之君と比べるとまだ良い方であるが自分もかなり参っていた状態だった。
そんな状態で無理をしようとすれば崩れ落ちるのは必然。少し焦り過ぎた。
一つの事を決心したとしても次の瞬間には全く正反対の行動をしている自分。そして冷静になるとある種の虚脱感とやるせなさが
襲ってくる。なのに湧き上がってくる高揚感と幸福感。もうボクの心も体もズタズタだった。
かなり精神は強い方だと思ったのに体は正直だ。頭がまだいけると思っていても体がついてこない。
この大事な局面。あの流れで絶対成功しなければいけない状況でミスを犯してしまった。段々焦燥感が募ってくる。
やばい、早く起きて体制を整えなくちゃ――――そう思っても立つ事もままならかった。
それに釣られる様にさっきまでの強い意思も萎えかけてくる。蝋燭の炎が消えかかっている。さっきまでの強い意志が
段々綻び始めてきた。そろそろ頭も限界に近い。
息が絶えながらも自分は桜の木に触れようと手を伸ばす。
もう少し、もう少しだったんだ。あと少しで・・・・ッ!
なんでこんな時に・・・!
「ほら、無理しちゃ駄目ですよ。こんなに苦しそうになってまでする事じゃないでしょう?」
「あ・・・や、離してぇ・・・・」
「こんなに汗も搔いちゃって、可哀想に」
伸ばした手をギュっと握られた。そしてハンカチで顔を拭かれる。ボクはそれを拒否するように顔を背けるが構わず優しく拭かれた。
その行動に思わず心が浮遊感を増す。どこか浮つく様に軽くなり、熱を持ち始める。相手は義之君と同じ顔をした偽者なのに心が勝手
に反応した。こんなに優しくされたのはどれくらいぶりだろうか。
一度そう考えてしまったら歯止めが効かなかった。過去の想い出が次々と掘り出されていく。危険な兆候だった。
こいつ相手にそんな隙を見せたら駄目だ。こいつはどうやってもボクの行動を止めようとする。自分を守る為にどんな手を使っても
この桜の木に近づけさせないだろう。
ほら、そうやってボクの様子に苦笑いする顔も、温かくて優しい手も、その滲み出る穏やかな雰囲気も、全部ニセモノだ。
「ふざけないで・・・・そんなスカした態度を義之くんが取るもんか、この出来損ないっ!」
「はは、それは酷いですよ。本当に心配してるのにそんな事を言われるなんて。傷付きます」
「何を言って―――」
「好きですよ、さくらさん。愛してます」
「あ」
背中を預ける様に抱かれる格好になる。いつも義之くんに抱かれる格好だ。それに思わず自分は―――安心感を覚えてしまった。
「ずっと小さい頃から憧れてました。さくらさんと一生居れるなら美夏とも別れます。そうしましょう」
嘘をつくな。義之くんは絶対そんな事を言わない。大体それを拒否されたから自分はこうして・・・・。
「大体さくらさんは働きすぎなんですよ。そうだ、今度遊園地にでも行きましょうか。きっと楽しいですよ?
ジェットコースターに乗ったりお化け屋敷に入ったり観覧車に乗ったり。周りから見たらどう映るでしょう
かねぇ、やっぱり恋人同士?」
それはもうありえない光景だ。叶わない願い。だからそこを早くどけ。早く桜の木を枯らさなくちゃ。
「さくらさんと恋人同士かぁ、はは、とても嬉しいですよ。きっと楽しい毎日が待ってるに違いない。毎日が
凄く鮮やかに彩られるでしょうね」
手も足も中々上手く動いてくれない。頭の回転も鈍い。こんな事になるならもっと体力をつけるべきだったか。
「休みの日はずっとさくらさんと炬燵に入ってゴロゴロしたいです。くだらない事で笑ったり、些細な事で言い
合ったりなんかして。でもオレはさくらさんに口じゃ勝てないからいつもオレから謝ったりするんですよねぇ」
――――ああ、そうか。どうりで体が動かない訳だ。
「炬燵でまったりするにはお茶菓子は何がいいかな。やっぱりオレとしては大福なんかがいいと思うんですけど。
さくらさんは何が食べたいです?」
「・・・・・ぃ」
「はい?」
「・・・・醤油せんべいが、食べたい」
「――――はは、さくらさん好きですもんね、醤油せんべい。だったら二つとも用意しましょう。それならお互い
仲良く交換し合ったりして喧嘩もしないですもんね」
「・・・・うん」
自分から義之くんの腕に絡んでるだから当然か。そりゃ動けない。専門物理なんか習わなくても簡単に分かる方式だ。
「なるべくならオレは喧嘩したくないんですよ。だって――――オレはさくらさんの傍に一生居るんですから」
・・・・・・もう止めてくれ。そんな簡単にボクが一番欲しかった台詞を言わないでくれ。土下座でもなんでもするから・・・・。
「オレは何があっても一生傍を離れません。さくらさんを愛し続けていきます。これは何があっても絶対です」
もう駄目だ、限界だ。
意思を保てない。残り一本の支柱だったものが削られていく。
ちょうど開いた隙間に風がスゥーっと入ってきたようにその言葉が自分の心に染みていく。
莫迦な、いい様に言われてるだけだ。こいつは一番の障害のボクを取り込む気でいる。ボクを堕とすのに手っ取り早い行動
を取ってるだけだ。本気じゃ無い。義之くんは何があっても、こんな事は絶対言わない。弱みに付け込まれてるだけだ。さっき
までこの男を憎らしい位に思っていたじゃないか。その時の感情を思い出せ、手に力を入れてその拳を叩きつけろ。ここでもう
一度立ち上がらないと二度と立てなくなるぞ。お前は何のために此処に来たんだ、何を犠牲にしたか思い出せ芳乃さくら・・・!
そう自分に言い聞かせるようにそんな言葉を考える――――――が、手遅れだった。それらはもうタダの文字の羅列にしか認識出来ない。
手に力を込めて義之くんの腕を握る。信じるよ。それを行動で示す様にもう離さないとばりに力を更に込めた。
「でもそれを邪魔する人達が来るみたいです。でも困った、オレだけじゃどうも退治出来ない」
「そう、なんだ」
「ええ。だからさくらさんも一緒に戦ってくれませんか? 二人でオレ達の未来を守りましょう。絶対に幸せな未来の為に」
「――――うん」
ボクが頷くとその言葉に満足したのか、義之くんは笑みを深くして消えていった。
恐らく役目を終えたと思ったんだろう。さっき言ったが枯れない桜の木にとって一番邪魔なのはボク。
ボクさえ味方につければ後はどうとでもなる。そういう事だったのだ。分かっていたのに―――――
「・・・守らないと」
ふらっとよろめきながらも立ち上がる。殆ど意識があって無い様なもの。まるでテレビの中の自分を見てる気分だ。
そしてそれに何の感情も抱かない。頭がぼうっとしてただ見てるだけ。何も考えられないし、動けない。
ああ、これは最悪のパターンだ。最後まで義之くん達に迷惑を掛け――――アレ?
「義之くんを・・・守るんだから迷惑になんかならない、よね?」
・・・・・ああ、うん、そうだった。何をどう勘違いしていたのか。全く義之くんの言葉を信じていないのかボクは。
これは義之くんとボクの為の行動だったんだ。桜の木を『守る事』。これは絶対に忘れちゃいけない。
何か別な事を忘れた様な気がしたが気のせいだろう。忘れるぐらいだから些細な事だ。気にしてる場合じゃない。
そうしてボクは桜の木の前で待ち続ける。そのボク達に害を与えようとする『邪魔者』達を。