「音姫―っ! そろそろ私達も撤退しようよ。もう騒ぎも段々収まってきたし」
「あーーうん。そう・・・だね」
野次馬で集まってきた生徒、弟君に怪我させられ病院に運ばれる先生方。騒ぎはかなり大きなものになっていた。
警察に連絡しようと言っていた先生がいたが生憎今は学園長不在の今の現状、騒ぎを大きくしても仕方が無いと先生同士の
話し合いでついさっき決まったらしい。
さくらさん―――どこへ行ったのだろうか。
「それにしても・・・また弟くん派手にやらかしてくれたなぁ。ありゃーもう杉並とかよりタチが悪い。多分
もう停学どころか、退学モンだね」
「・・・うん」
「――――ごめん。今話す事じゃなかったわ。さすがに空気読めて無かった」
「え、あ、べ、別にまゆきが謝る事じゃないよ。さすがに私もそれぐらい悪い事したって分かってるし」
あたふたと手を振って頭を下げてくるまゆみに対して言葉を掛ける。
それぐらいこの私だって覚悟している。確かに弟くんの事は大好きだけどやっていい事と悪い事の区別ぐらいつく。
これは明らかに悪い事だ。
先生達、女性も混ざっていたというのに全員に怪我を負わせた。警察沙汰になったっておかしくない事件だこれは。
さすがにさくらさんでも今回の事件の発端となった生徒、息子である義之くんの事は庇いきれないだろう。
――――いや、それはどうだろうか。私はふとそんな事を疑問に思った。
「もしかしたら、無かった事にするかも・・・・」
「ん? あんだって?」
「―――何でもないよ。とりあえず私は最終確認して戻るからまゆきは教室に戻ってていいよ」
「だったら私も手伝うよ。皆の憧れの生徒会長様を一人に仕事任せたら皆から非難轟々だわ」
「あはは、そんなこと無いと思うけど・・・・。でも大丈夫。少し回ったら帰ってくるから」
「まぁ・・・そこまでいうならいいけどさ。でもすぐ帰ってきなよ? あんな後じゃ皆心配するしさ」
「うん、分かってるよ。それじゃあ」
「あいよ」
まゆきに背を向け辺りを見回しながら歩き始める。ただ熱心に見回りする気は無かった。
こんなくだらない嘘でもやっぱりいい気持ちはしない。ただ一人になって考えたかっただけなんだけどそれを正直に
まゆきに言うのは躊躇ってしまった。言ってしまうと彼女の性格上私と居ようとするだろう。
そんな彼女の性格を私は好ましいと思ってるが、今はその気遣いは遠慮したかった。
「何があったんだろ・・・」
私が来た時にはもう場は混乱していた。男女関係無く教師を殴り飛ばしている弟君。さくらさんはそれを茫然と見ていた。
その後二人は言い合っていたみたいだが生憎その会話の内容は聞こえて来なかった。先生達が危ないからと言いそれ以上
近付けさせてくれなかった。
そんな言葉に思わず呆れてしまう。じゃあさくらさんはどうなってもいいのか、そんなに殴られるのが怖かったのか。
危ないからとは言ってるがそれは自分の身を守りたい為に自分に言い聞かせてるんじゃないのか。
まぁ先生達―――大人が完璧な人格者ばかりじゃないというのは知っている。いい歳なんだしそれぐらいの分別はとっくの
昔についていた。だから呆れはしたが別段に我を忘れる程怒る事でもない。
ただ内容は気になる。あれほど弟君がさくらさんに向かって怒ってる理由が知りたい。
だって・・・・・
「さくらさんと、そういう・・・関係なんだものね・・・」
見たのは本当に偶然だった。学園長に提出する書類を持って部屋を訪ねようとした時、キスをしてる二人を見てしまった。
いや、少し語弊があるかもしれない。さくらさんが抱きついてたのに対して弟君は自分の手を所在無さ気に彷徨わせてたから
キスをされていたと言った方が正しいか。
やや一方的なキス。恋人のソレでは無いぐらい恋愛初心者の私にだって分かった。甘い雰囲気なんて無く、愛を囁くでもなく、
ただ本当にキスをしてる『だけ』だった。
そして何処か戸惑いを隠せない弟君に対して、さくらさんは少しムッとした顔を作りながらも次には微笑を向けていたのを覚えている。
なにより、一番印象深かったのは、目だった。熱を持ち細めた目で相手を欲する色合いを見せているさくらさん。
少し―――怖かった。
あんな目をするさくらさんを私は知らない。ずっと『憧れ』の対象でもあったさくらさんはあんな目を見せた事は無かった。
そもそもキスするという行為自体異常だ。弟君にはちゃんとした彼女が居るし二人は親子。今でも信じられないと私は思って
いる。普通じゃない、普通じゃないということはイケナイ事だ。それが分からない二人じゃない筈なのに。
お祖父ちゃんとお婆ちゃんも血は繋がっていないが兄妹だったという話を聞いた事がある。
その時は「兄妹で・・・」なんて思ってしまったが二人の幸せな笑顔を見ている内にどうでもよくなった。
むしろよく世間の圧迫に負けなかったと褒めてやりたい。色々誹謗中傷は受けてきたろうにそこまで走りきった二人に
対しては軽い尊敬の念を持っていた。とてもじゃないが私には、そこまで前だけ向いて歩く自信が無い。
「でも弟君とさくらさんのは違ってた・・・あんなのって・・・・・」
それにあの二人の間に流れる雰囲気はお祖父ちゃん達のソレとは違っていた。
最近見せた事のない表情で拳を握って黙り込んでしまう男、それを愛おしく―――痛ぶるように愛を囁いていた女。
かなりショックを受けた。見たくなかった。ただそれだけを思いその場を私は走る様に立ち去って、泣きそうになってしまった。
さくらさんには悪いが汚いモノを見せられた気分になり吐き気を催したのは記憶に新しい。
喋っている内容を少し聞いたが・・・・とても酷い内容だ。一方的な求愛と脅し。最初は耳を疑って身を乗り出しそうになり危なかった。
一方的に相手を苛める様に逃がさない様に追いつめるやり方は獣のソレ。許容出来るものじゃない、狂っている。
そしてそれに甘んじて受けている様に見えた弟君、完璧な『上下関係』、が出来ていてとても歪な心の通よ合わせに私は見えた。
だから―――とてもじゃないがそれに弟君が反抗出来る様には見えなかったら今回の事件は驚きだ。今までの鬱憤を晴らす
かのように鎖を放たれた狼の如く周囲を食い散らし、飼い主の喉笛に噛みつくその暴力性。
先生方には悪いが私はその姿に、何処か心の奥でホッとしてしまった。
ああ、ようやく振りきったのか。そう思う程さくらさんと対峙している弟君は可哀想だった見て居られなかった。
だからよかった、と思う反面その理由も知りたい。あそこまで雁字搦めにされていた理由。それに反逆した理由。
何故そんな泥沼に嵌っていたのか、さっきの騒ぎは恐らくは触れてはいけない琴線に触ったから起きたのか。
何もかもが分からない事ばかり。当事者ではないので当たり前の話なのだけど何か気になった。そもそもそんな関係になる
予兆さえ気付かなかった私には何から何まで寝耳に水ばかりな内容だ。
他の人の色恋事に首を突っ込むのは悪趣味だと思うが――――何かざわざわする。むしろただの痴情の縺れだったで済めば
いいと思ってさえいる。そのざわめきの正体さえ分かれば今感じている謎の『危機感』にも説明が付くのだが・・・・。
あの二人の争いには何か重要な要因があるように思う私。ただの直感、なんとなくそう思っただけだが無視できない程
引っ掛かりを覚えていた。
「気のせいかな。少し、勘ぐり過ぎなだけかもしれないし・・・・」
「あっ・・・・」
「ん―――あ、由夢ちゃん」
「どうしたんですか。見周りか何か?」
「うん。まぁ、そんな所かな。由夢ちゃんは?」
「・・・・少し考え事です」
「そうなんだ・・・・」
「はい・・・・」
考え事。何を考えてるかは想像が簡単につく。弟君とさくらさんとの争いの渦中に居て巻き込まれていた妹。
最初保護した時はとても混乱しており肩が震えていたのはついさっきの話。今は大分落ち着いたようだがそれでも顔色が悪かった。
あの場所に居たから当然といえば当然だろう。私でもあの場に居たら平静を保っていられる自信は無かった。
「よかったら保健室に行く? 担任の先生には私から連絡しておくよ?」
「いえ、大丈夫です。大分落ち着きましたから。それにこうやって外に出て風に当たってた方が少しマシです」
「・・・・ならいいけど」
大丈夫。強がりの言葉にしか聞こえなかった。しかし無理に否定するとかえってこの妹はムキになって怒るだろう。
それに確かにここは風当たりがいいので薬品に囲まれた保健室よりいいかもしれない。校庭の隅だから人通りも少なく
気を落ち着かせるのには最適の場所かもしれないと思った。
自分が傍についていようかと一瞬考えたがすぐにその考えを打ち消す。誰にだって一人になりたい時がある。今の由夢ちゃんは
そういう時なんだろうと私は考えてそこを離れようとして―――少し考えた。
その場に居たという由夢ちゃん。当然弟君達の会話も聞いていただろう。そして恐らく今の由夢ちゃんが考えてるのは先の一件。
何を聞いたか、何を言っていたか、今この時聞くべきだろうか。それともタイミングを変えて日を少し改めようか。
私個人としては一刻も早くこの体に纏わりついて離れそうにない変なざわめきを解消したい。その為にも情報は必要でその情報を
持っているのは由夢ちゃんのみ。私としては珍しいくらい変な焦燥感を感じていた。
しかし妹の様子を見てみるととてもじゃないがあの時の話を引き出すのは辛い。せっかく落ち着いて心の整理をしている時に
また怯えにも似た感情を蘇らせるのは気が引けた。
結局私は――――その場に留まってしまう。妹の事が大事だと言いながら自分は、自分が安心したいがために妹を傷付けようと
している。自己嫌悪に陥りそうだ。
「・・・ん? どうしたんですか、お姉ちゃん」
「え、い、いやなんでもないよ・・・あ、あはは」
「―――ならいいんですけど・・・」
そんな私を怪訝な様子で見詰めてくる。何か言いたそうにその場で足踏みをしてるのだから当然な反応か。
少し視線を空に上げてふぅ、と息を吐き出し少し落ち着く。やっぱり今聞くべきじゃないか。いつでも聞けるだろうし
今絶対に聞かなければいけないという事は無い。
時間を置いて聞こう。そう思い別れの挨拶を切りだそうとして―――風が吹いた。いきなりの突風だったので小さな
悲鳴を上げ目を瞑る。
「きゃ――――、な、なにっ?」
目を開けると由夢ちゃんも驚いたのか、辺りに目を配らせていた。この時期に突風が吹くなんて珍しい。
いくら海に囲まれている島だからといってこんな強い風が吹く事はあまりない。大体が増えた建築物で遮蔽されてるのに。
もしかして台風でもくるのだろうか。空を見上げると少し離れた所で固まった大雲が見える。
「一雨くるかな。由夢ちゃんもそろそろ教室に戻った方が・・・」
「―――――――あっ」
「えっ」
私が話しかけようとした時、由夢ちゃんは何かを思い出したようにごそごそとポケットを漁り手帳を取り出す。
何かを思い出したように、どこか焦ってる様子で忙しくページを捲る仕草に私は立ち往生してしまった。
そしてあるページでピタリと捲る指を止めじっとそこを読むかのように目を左右に動かす。
内容―――この位置じゃ見えない。一通り読み終えたのかパタッとその手長を閉じ顔を俯かせた。
「ゆ、由夢ちゃん? どうしたのいきなり・・・・」
「・・・・・・兄さん」
「えっ・・・」
「――――――ッ!」
「あ、ちょっと、由夢ちゃんっ!?」
急にスッと立ち上がり校門前に走り出す由夢ちゃんに私は驚きを隠せず狼狽してしまう。
さっきまので暗い雰囲気から一変して今度は焦るような様子で駈け出して行く妹を茫然としたまま見送る。
どうしようか。一瞬悩んだ私は結局由夢ちゃんの後を追いかけるように足を前に出して似た様に駈け出す。
確か弟君の事をさっき呟いていた。さっきの騒ぎの後だからだろうか、私は嫌な予感に囚われていた。
(まゆきにはすぐ戻ると言っちゃったけど―――ごめんね)
心の中で親友に謝罪する。空をちらっと見るといまにでも雲が初音島を覆う様に近くに来ていた。
「奥の方に誰か―――さくらさんがいるな」
「えっ」
「もしかしたら断念して一回家に帰っているかもしれないと思ったが。そんなに甘くないか」
そうアイシアに伝え屈む。枯れない桜の木の所に行くには公園の脇道から入るのが一番手っ取り早い。その他の道も
無いことはないのだが、そうなると獣道じみた所を通らなければいけないので素直に道が出来ている所から入る事にし
ようと提案した。オレ一人ならともかくアイシアは鈍そうなのでかったるい事態を避ける為だった。
「何か失礼な事を考えてませんか。それで何でさくらが居るって分かるんです?」
「よく分かったな。さっきお前が石に躓いて転倒した時にパンツが見えた時の事を思い出していた。お子様な外見だけど
下着には気を使ってるんだな。見直したよ」
「な、こ、この義之の変―――」
「枯れて落ちた木が折れている」
「・・・・はぁ、もういいです。それでいきなり何ですか」
周りを見回して空を見上げる。遠くに雨雲があるのが見て取れた。今日は一日中晴天な筈だったがどうやら天気予報は外れらしい。
この時期にあんな大きな雨雲が出来上がる。確かに可能性は無いことはないが―――オレは少し背筋がぞくっとした。
ホラー映画じゃあるまいし・・・。そう思って笑い飛ばしたかったが出来ない。もう何が起こっても不思議ではなかった。
「体重がある奴が踏むとこんな中途半端な折れ方はしない。一本だけならまだしも続けて数本となるとソイツはかなり体重が
軽い事になる。おまけにこの途中から折れている木、こんなのに引っ掛かる奴なんざアイシアぐらいの身長みたいな奴ぐら
いだ」
「も、もしかしたら子供が迷い込んだ・・・とかは?」
「だったらもっとそこの足跡とこの足跡は間隔がもっと閉じててもいいし、大体ガキがローファーなんて履くかよ。それもこんな田舎で。
希望的観測はやめたほうがいいぜ」
「そうですね・・・・少しそうだったらいいなって思っちゃいました・・・・」
「悪い事じゃねぇよ。むしろこんな時に能天気になって笑ってちゃ話にならねぇ。ま、色々な可能性を考えるのはいい事だよ」
「義之に褒められるとなんか・・・・気持ち悪いですね、あはは」
「うっせーって。あとさっきから観察してて分かったが二度も踏まれた木は無かった。奥に行ったまま戻って来ていないって事だ。
駄目押しに聞こえるかもしれないけどよ――――居るぜ、さくらさん。この奥に」
「・・・・もう覚悟は決めてます。こうなったら何があっても負けるつもりはありません」
「オレもそんな気持ちだな。いい加減あれこれ振り回されるのは飽きてきた。それにさくらさんも――――」
「・・・・? さくらも、何ですか?」
「――――いや、なんでもねーよ。ホラ行くぞ」
そう言って立ち上がって歩き出すとアイシアは慌ててオレの後ろをついてきた。
それに――――この先をわざわざ口に出して言う事は無いと思った。別に言っても仕方無い事だし不安がらせてもマイナスな事だと
判断したからだ。
さくらさん、もう余裕は無いみたいだ。桜の木の所まで走って行ったみたいだし木の枝に破れたスーツの破片が引っ掛かっていた。
恐らくがむしゃらに走ったのか。あの人が一番こういう状況の時は焦っては駄目だという事は知ってる筈なのに木の枝に引っ掛かりながら
この道を走っていくなんて。
余裕が無い事は知っていたつもりだがこうやって再確認してしまうと少し手が汗ばむのが分かる。
追い詰められて余裕がなくなったさくらさんが考える事、予想がつかない。オレよりも遥かに頭の回る人物。
いつだってあの人に勝てた試しがなかった。だがここで芋引いてても仕方ねぇ、やれる所までやってやるさ。
「それにしてもよくそんな所見てますねぇ・・・。私なんか緊張しっぱなしでそれどころじゃないですよ」
「緊張感持たない奴は戦場で真っ先に死ぬタイプなんじゃねぇか。状況にもよるが・・・今の状況で緊張
してなかったらオレがブン殴ってるよ」
「は・・・はは・・・。殴られなくてよかったですよ、本当」
「オレは平気で女でも殴るからな。あとよく見てるな、だっけか。オレは別に頭も力も秀でてる訳じゃねぇから周りを見回して
おく必要がある。状況を観察しなくちゃいけない必要がある。オレだって緊張していない訳じゃないさ。ただそれをする必要
があるからしてるだけだ。誰にだって出来るよ、こんな事」
そう言うオレに対してアイシアは「そんな事・・・」と言っていたが無視する。あんまり慰められるの好きじゃないしな、オレ。
近いところに限って言えば頭じゃさくらさんや杏、力じゃ杉並や板橋の方がある。事実だった。だからと言っていじける程昔の
オレには余裕なんざなかった。
アレルギーみたいに人と話すのが苦痛だった自分は強くならくてはいけない。社会から弾きだされない為に。
社会というのは人間関係の歯車だ。大人になって経験するものではなく社会というのは既に生まれた時から経験しているものだと
オレは考えている。
社会人になってから人間関係に疲れたという人がいるがそれは子供の頃を忘れているだけだ。小学生の時に喧嘩し、疎まれ、好きな
人が出来、友達が出来た事。これらの事は誰にだって覚えがあるものだ。それを人間関係と言わず何と言う。
オレはそんな歯車から弾きだされない為にも当時は色々考えていた、可愛くないガキだと思う。でもそうする必要があった。
恐怖心に駆られたと言ってもいい。なんだかんだいって人嫌いでありながら孤独が嫌だったって訳だ。
「一人にはなりたいけど輪の隅っこには居たいって事だよなぁ。弁当箱の隅のご飯粒みてぇ」
「ん? 何の事ですか?」
「アイシアみたいに可愛くて愛橋のある嫁さんを作って弁当を作ってもらいたいって言ったんだよ」
「ふーん。そですか」
「・・・・やけに淡白な反応だな」
「もういい加減慣れましたよ。義之は全部自分の思うどおりに動くって思ってませんか? 全く」
「一応そうなるように強くはなったつもりだからな。でなきゃ今こうして生きてねぇよ。もしこんなオレに
ならなかったらガキの時に自殺でもしてたのかなって時々考えるな」
「どんな子供時代送ってたんですか・・・・」
「普通の子供時代だよ、オレにとっては」
「義之は昔から女の子をいっぱい口説いてたって事ですかね」
「今のオレにはアイシアしか見えてないさ」
「私も義之しか見えていませんね。そろそろさくらの顔を視界に捉えたいです」
「そんな悲しい事言わないでくれ。汝、隣人を愛せよって昔の人も言ってるじゃないか。オレはそれに
従ってるだけだよ」
いつから宗教家になったんですか、と言うアイシアの軽口を流しつつ前を見据える。
さて、もうちょっとで開けた場所に出る。そこにさくらさんは居る筈だ。
枯れない桜の木の近くに居るって事はゲージマックスな状態か。まさにボスキャラみてーだなオイ。
「・・・・じゃあ、行きますよ義之」
「ん、ちょっと待てアイシア」
「え、どうしたんですか?」
「このまま行くのはちょい自殺行為なんじゃねぇの? お前、さくらさんと真っ正面から対峙して勝てる自信あるか?
口でも腕っ節でもなんでもいい。一つでも勝てるって言い切れるものは持っているか?」
「そ、それは・・・・でも義之は正面から対峙してもらうって・・・・」
「そこでだ、アイシア」
そう言ってオレは頭の中で考えていた事をアイシアに話した。
それを聞いたアイシア――――顔を歪めてとても嫌そうな顔をする。
オレはそんな顔をする可愛い売り子ちゃんに笑顔を向けてやった。
「へぇ、珍しい顔を見たな」
「――――お久しぶりです。さくら」
「久しぶり。今までどこに居たの? 初音島に来たのってもしかして最近?」
「二週間前ぐらいですかね。そこで人形売りなんかをやってます。売り上げは、まぁボチボチですね」
「へぇーそうなんだ。せっかく来たんだしボク達にでも会いにくればよかったのに」
「・・・・・・・」
ダンマリ、か。仕方ない事だと思える。だってアイシアの知り合いともいえる人達は大体歳老いてるか死んでいる。
または他の町に移転してるかどちらかだ。大体今のアイシアの姿を見たらさぞかしショックを受けるだろう。あの
時と変わらない姿をしているし。ボクはそこらへん上手い事やってるけどアイシアはそういうの苦手そうだ。まぁア
イシアが掛かってる魔法のおかげでそもそもそんな事にはなりはしないだろうが。
お兄ちゃんかボクに会いに来る――――出来るわけが無い。彼女の性格を考えれば有り得なかった。
「もしかしてまだ罪滅ぼしとか思ってちゃったりする? いい加減自分を痛めつけるの止めたら?」
「ご忠告どうも――――別に罪滅ぼしとか考えてませんよ。それに私はあの時の決断は間違っている
と思えません・・・・まぁ当たりとも言い切れないのが少し口惜しいですが。今も好き勝手にあち
こち旅なんかしてますよ」
「皆に忘れられながら? 本当にマゾだねアイシアは」
「―――――ッ」
ボクの言葉に目に険が宿る。身を乗り出し今にも掴みかかって来そうな雰囲気を醸し出す。
だが、足に力を入れ急停止。握っていた拳をゆっくり開いて深呼吸一つ。またこちらに目をゆっくり向けた。
一昔前だったら掴みかかってきたのに。さすが何十年も生きていないか。
「ふぅん。随分大人しくなっちゃったね」
「もう何十年も生きてますからね。今の私は大人どころかお婆ちゃんですから。もうそんなにカッカする歳じゃ
ありませんよ」
「その落ち着きさを数十年前に発揮してくれてたらなぁ。そもそもそんな風にならなかったのにね」
「後悔先に立たずですよ、さくら」
「よく言うよ。殆ど後悔ばかりの人生だった癖に」
「・・・・耳が痛い言葉です」
そう言って片耳を押さえ、おどけるように片目を瞑る。随分余裕があるように見て取れた。
この子も随分成長したようだが――――あんまり構ってる暇は無い。此処に来たという事は『敵』だ。
義之くんと、ひいてはボクの為に。ここで追い払うか消えて貰わなければいけない。
「一つ聞きたい事があります、さくら」
「んにゃ? 何かな?」
「何故そこの枯れない桜の木は存在してるんですか? 確か一回目はさくら、二回目は私は消した筈です。
なのに――――どういう事なんですかっ!?」
「そんなに怒らないでよアイシア。未だにやっぱりそんな感情的な所があるんだねぇ。三つ子の魂百まで
って言葉思い出したよ」
「いいから答えて―――――」
「ボクが咲かせたんだよ。もう一回」
「・・・・・・・・・は?」
「やっぱり一人身は堪えちゃってさぁ、誰か呼びたくて――――我慢出来なくて咲かせちゃった。にゃはは」
「ば、馬鹿な・・・・」
「ちょっとちょっと、馬鹿はないんじゃないかな。これでも結構頭いいんだよボクは。色々な研究所から
お呼びがいっぱい掛かってるし実績も数えきれないし・・・・・義之君からも尊敬されてるんだよ?」
「・・・・・・」
ああ、義之君はボクが桜の木の力で生み出した子で今は恋人になった男の子の事ねと宣言しておく。
まさかとは思うが義之君に万が一でもコナを掛けたら堪ったもんじゃないしね。
全く、お兄ちゃんの血を引いてるとは言えモテるんだから我が息子は。あれ、恋人だっけ。
まぁ呼び方なんてものはどうでもいい。ただ大切な人というのに変わりはないのだから。
「さくらは言ってましたよね? 自分の為に魔法を使うなって。あれは嘘だったんですか?」
「嘘じゃないよ。今も昔も私利私欲の為に力を使う人にはろくでもない結末が待ってる。昔
の神話に出てくる英雄だって最後はあっけないものだしねぇ」
「だったら、何故早くその桜の木を今直ぐにでも消さないんですか? もう一回咲かせた事につい
ては目を瞑るとします。私も孤独というものは知ってますから・・・・。ですが願い事はもう叶ったん
じゃないですか。もし制御出来なくて諦めるつもりでいるなら私が手伝います。だから――――」
「そういう訳にもいかないんだよねぇ、アイシア」
「何故です?」
「一つしか聞かなかったんじゃないの? にゃあ、さっきから質問ばっかりで喉乾いちゃったよ」
「・・・・・・・・」
「まぁいいけどさ、久しぶりの再開だし聞きたい事は沢山あるよね。何故桜の木を枯らせないかって?
それは――――義之くんの為だからだよ」
「・・・・・言っている意味がよく分かりません」
「義之くんが言ったんだよ、この桜を守ってくれって。そうすれば楽しくて仕方が無い将来が
待ってくれてるって約束してくれたんだ。だから、ボクはこの桜の木を守る」
「桜の木の力に踊らされてるだけです。そんな約束は最初から無かった。さくらはそうやって弱い所に
付け込まれてるだけ。大体義之ていう人もロクな人じゃないですね、そんな桜の木を守ってやれなん
て言って。大方何も分かっていない頭の悪い――――」
瞬間、桜の木の花弁が一斉に舞う。それはどこか幻想的な雰囲気でもありながらも、今すぐにでもアイシアを
黙らせようと威嚇するように彼女を中心に舞い踊る。風がかなり強いのか強烈に彼女を包み込んだ。
アイシアの表情―――驚愕と不安を織り交ぜた様な顔をした。少し胸の内がスッとした。
うん。アイシアが変な事を言うからさすがのボクも怒りそうになっちゃった。あのまま怒ってもよかったんだけど
あまり無益な人殺しはしたくないんだよね。
義之君はボクが人殺ししたなんて知ったら凄く心配させてしまう。彼は優しい、ボクはこんなにも強いのに少し
無理な事をするとまるで大怪我でもしたかのように不安がる。
だから殺さない。別に死んでもいいのだが――――出来るならどこか遠い国で黙って死んでほしいものだ。
そう思い足を少し踏み出す。なんか風が出てきたみたいだし寒くなってきた。早く決着をつけたい。
「義之くんとボクの事なんて何も知らない癖によく言えるね。昔からそうだけど――――アイシアのそういう所
死ぬほど嫌いなんだ、ボク。いつも知った風な口を聞いちゃってさ」
「・・・・貴方を止めます。これだけ桜の木の力を扱いこなせるさくらを放って置けません。この桜の木は
私が枯らせます」
「またお節介? それとも無駄な正義感かな。ほんっとぉーに変わってないなぁアイシアは。
そのまま帰ってくれたら見逃してあげたけど・・・・帰らないんでしょ? あ、そもそも帰る場
所なんて無かったねアイシアは。にゃはは」
「・・・・・」
まぁ最初からやるつもりだと分かってたけどね。さっきから少しずつ視界の外に外に足を動かして不意を突こうとしているし。
生きていくうちにそんな術を覚えるしかなかったのか、それとも誰かにそういう動きを教えてもらったのか。ま、どうでもいいけど。
策はバレたら策なんて言わない。大体動きが素人すぎる。まるでさっき誰かに教わったみたいにド下手みたいだ。
ああ、それにしても本当に肌寒く強い風だ。そんな状況でそんな映画を見て覚えた様なおままごとに付き合う程ボクは酔狂じゃ無い。
「そんな黙ってちゃボク寂しい―――――なっ!」
「・・・・っ!」
ボクがアイシアの方向に走り出すと弾けたように向こうも走り出す。視界の左から外れる様に走り出すが直線距離で走るボクと迂回して
桜の木の所に行こうとしているアイシアじゃそもそも話にならない。ボクが追いつくのが早い。
それを悟ったのか方向を変えて桜の木から少し離れた所に方向転換するアイシア。馬鹿な、そんな事をして何になる。
ボクを怖がってそもそも逃げるように迂回したのがまずかった。ボクを突き飛ばしてでも桜の木の所にいけば少しはマシな結果が生まれ
たものを。桜の木を枯らせに来たのに益々遠くなる桜の木、本末転倒もいい所だった。
「はぁ、はぁ・・・・・・あっ」
ぬかるんだ地面に足を取られ躓くアイシア。ズシャァーという音が辺りに響き渡る。
その様子にボクは思わずプッと吹きだしそうになる。まるでコントみたいな流れだったので我慢出来なかった。
足を滑らせ服は泥まみれ。綺麗な銀髪も一部茶色に変色している。その様子は『正義の魔法使い』とはとても言えなかった。
ぶっちゃけその情けない様子にクスクス笑いながら、走っていた足を止め、ゆっくり歩き出す。
「ぷぷっ。なーにやってるんだかアイシアちゃんは」
「・・・う・・・くぅ・・・」
「慣れない事するからだよ。もう歳なんだしお互い追いかけっこはよそうよ」
「・・・・なぜ魔法を使わないで、走ってきたんですか」
「んー?」
「今のさくらなら簡単に魔法で私をどうにかする事が出来る筈です。なのになんで・・・・」
「そんなの決まってるじゃないか」
もう走る事を諦めたのか、泥まみれのままこちらを見据えてくる。
この子はボクがこんな行動を起こすのが予想外だったのだろう、少し焦っている様子が見て取れた。
何でボクが魔法を使わずこうして接近したか。簡単だ。
「一度思いっきり引っ叩きたかったから。それだけだよ」
ボクの事はともかく義之くんを侮辱したこの子をはどうしてもボクは許せない。
憤怒、嚇怒、暴怒・・・・そういったものが体の中で暴れている。余裕があるように見えるだろう
が少しでも気を抜けば顔が怒りに染まってしまうだろうと自分で思う。
例え義之くんが許したとしても自分は許せない。最終的には魔法でどうにかするだろうが、その前に
一度その可愛い顔を痛みで歪ませたかった。
「変わりましたね・・・・さくら。昔は理知的で感情を優先させる事なんてあまり無かったのに」
「あまり、でしょ。ボクだって自分の好きな人を愚か者だなんて言われたら頭にきちゃうよ」
「好きな人ですか・・・・ふふっ」
「――――何がおかしいのかな。とうとうヤケになっちゃった?」
「別に、そういう訳じゃないですよ。ただ・・・・」
「ただ、何?」
「面白い位に一人相撲してるなぁーって思っただけです。誰かにそう言われた事ないですか?」
「なっ――――」
「見ていて、とても滑稽です」
本当におかしいのかクスクス笑いだすアイシア。何処からか骨の軋む音がした。
ああ、とボクは手を音が鳴る程握りしめていた事に気付いた。その様子に若干アイシアが驚きと不安の色を見せる。
歯がギチギチと噛み合いあまりの怒りに肩が震えている。ここまで怒ったのはこの数十年間記憶になかった。
もういい、魔法なんかそんなもの使ってやらない。
義之くんとボクの関係を丸ごと否定された。色々あった。中々通じ合わず、すれ違って傷付けたりもした。
だがそれらの事を乗り越えて今こうして分かり合えたのに・・・・許せない。
そう思い、アイシアの襟元を掴もうとする――――瞬間、体中に水が波打った。
「・・・きゃっ! な、なに――――!」
言葉を出そうとしてもあまりの雨と雷に声が消える。息をするのにも一苦労。さっきまで熱が溜まっていた
体が急速に冷やされていく。
目を開けようとしてもかなりの大雨みたいで視界を確保出来ない。この時期にこんな天気になるなんて全然
思わなかった。天気予報なんて見てないが昼間の様子を見る限りありえない。
久しぶりの晴天で雲ひとつ無い青一色の空。それが今や凶悪な色をした雲が視界を覆っている。
―――――視界を覆っている・・・・まさか・・・・?
「・・・・あ、アイシアァァアーーっ!」
叫んでアイシアの姿を探す。声はすぐ掻き消されたがそんな事には構わず喉の奥から声を出す様に叫んだ。かろうじて
手で目の上を押さえ辺りを見回すがその姿はどこにもない。
探そうにもこの雨と雷。目を音を封じられた今の状況じゃ見つけるのは至難だった。短く息を吐き元の場所に戻る
為に踵を返す。もう水たまりが出来ておりパシャパシャという音を僅かに聞けた。
さっきまで視界を覆い尽くす程の桜の下に居たのならこんな目には合わない。確かに僅かなら濡れるかもしれないが
大量の花弁と葉、それが何重にも重ねっているあの場なら何も「ああ、雨が降ってきたな」としか感じなかった。
目を少し開けて上を見上げると其処には何も無い。ちょうどココは桜の木が無い場所であり開けた場所。上空から
降り注ぐものに対して何も遮蔽物が無い。思わず舌打ちを鳴らしてしまう。
(わざわざ挑発してあそこまでおびき寄せたのか。大体らしくないと思ったんだよ、あの臆病な子が真っ正面から
ボクに喧嘩を売るなんて)
心の中でそう悔やむがもう過ぎた事。恐らくアイシアは雨を迂回して桜の木の元に行くだろう。
だが何も心配は要らない。あの子も確かに結構な魔法の素質があるだろうが・・・届かないだろう。
それほど今の桜の木は力を溜めてるし、いくら走るのに最悪なこの状況でも二分も掛からないで辿りつける。
「まったく無駄な事をして。折角のスーツが台無しじゃないか。後で弁償してもらわ―――――」
言葉は途中で小さな悲鳴に変わった。「うわっ」と声を出し転倒、無様にも先程のアイシアのように顔から転んだ。
そんな事に構わず急いで起き上がり、駈け出そうにも――――走りだせない。足を見てみると小さいながらも頑丈
そうな釣り糸が足に巻き付いていた。
此処を走ろうとすると引っ掛かかるように設置したのだろう。視線を右に向けると木に始点である糸の発端が巻き付けられている。
簡単な細工の括り罠。小学生でも分かる様な罠だ。だがあの子がこうなるように誘いだして、この罠を設置していた。少し違和感を感じる。
そこまで頭が働く人間だったかと考え、中断。もう最後に会ったのは何十年も前だ。人が変わるのには十分な時間過ぎる。
「こんなもの・・・・っ!」
少し魔法の力で張りを弱くして両手で思いっきり左右に引っ張る。ぷつっと音がして裂けた。それを脇に捨て起き上がる。
あの子が桜の木の下に行っても何も出来ないのには変わりはない。ただこうやってあざけ笑う様に小細工をされては頭に来る。
こんなにもコケにして、という怒りがまたふつふつと湧き上がってくるのを感じた。絶対にタダじゃおかない。
「義之君、安心して大丈夫だから。絶対に桜の木は枯らせない」
口に出して自身を落ち着かせた。そうだ、ここで焦っても仕方が無い。
もう結果は分かりきっている。アイシアじゃ何をやっても桜の木は動じない。
先程の罠で時間を喰ってしまったがアイシアが辿りついても何もならないだろう
おまけにここいら一帯はボクの管轄外だ。魔法を使えるもんなら使ってみろ。
人形を作る事さえ出来ない程ここではボク以外魔法を行使出来ない。
そう考えサディスティックな笑みが込み上げてくる。無駄な足掻き、無駄な行動。
先程アイシアは自分の事を滑稽と言ったがどちらが滑稽かは火を見るより明らかだった。
そう考えていると・・・・と、ガラスの割れる音と爆発音が雨音に混じって耳に入ってきた。
なんだろうと前を見て――――目を見開いてしまった。赤色、炎、それらが桜の木を飲み干そうと纏わりついている。
「な・・・・なんで・・・・」
勢いよく燃えて辺りにも飛び火している炎の焔。ちょうど木々の中心ににある枯れない桜の木は周囲の木のお蔭で雨が
あまり通らず消火するのにはあまりにも心許無かった。それも火がより消えないように根元から燃やされてはどうにもな
らない。火は何の影響も無く轟々と燃えていた。
桜の花弁と木が燃えて崩れ落ちている場所さえある枯れない筈の桜の木。全然予想していない事態に頭が真っ白になった。
それでもまだ遅くない。魔法でどうにかしようと――――して、その場に居ない筈のある人の姿にまた固まった。
「あっ―――――」
「おーよく燃え弾けたな。適当な材料をブッ込んで作った火炎瓶だけど・・・すっげー効果」
そう言って笑う姿はさっき見慣れた笑みではなく――――してやったりという悪戯めいた笑みだった。
「せきらんうん、ですか?」
「なんでカタコトなんだよ。積乱雲だな。上を見てみろ」
上を見上げてほえーっと声を上げるアイシア。なんだかそんな無垢な姿に少し可愛いなと思ってしまうが無視する。
これから先そんな風にぼけていたらさくらさんにサクッとやられちまうぞテメー。
そう思い「はぁ」とため息をついて説明した。
「む、なんでため息ついたんですか?」
「あまりにも可愛らしい様子で参っちまったんだよ。旅先でもそんな無防備だったのか、お前」
「別に無防備じゃありません。いくら私が子供っぽいとはいえ危ない場所には近寄らなかったり危険区域の情報ぐらい
調べ得てました」
「子供っぽいって自覚はあるのな。まぁいい。向こうにある雲を積乱雲って言ってな、近づくと多量の雨と雷、そして
かなり冷たい風をもたらす最悪なヤツだ。スコールなんかも大体ああいう雲の時に起こる」
「・・・・ほえー」
「・・・・まぁいいや。んでお前にはさくらさんをさっき教えた桜の木が密集されていない所に誘いだしてくれ。
オレはその間色々準備しておくモンがあるからな。最初は真っ正面から行って少し話す、次に挑発して・・・
って流れだな。簡単だろ?」
「何故そこに誘い出すんですか?」
「さっき言った雲があと何十分かでここにくるんだよ。大きさからするとかなり激しい雨と風が降り注ぐからな、そこに
追いこめばオレがやろうとしてることに少しは時間稼ぎが出来る。振ってきたらすぐ身を隠して何処かに隠れてろ。後
はオレに任せていい、ちゃんと仕事してきてくれよな」
この時期には確かに珍しい事だった。大体ああいうのは夏に来るものが定番でオレも最初は情けない事に不気味がっていた。
だが初音島にしては珍しくここ最近は晴天だった。急激な温度差、上昇する気流、あの雲が出来る条件は揃っていたみたいだ。
それに冬も起きる時は起きる。日本海側ではよく起きている現象みたいだし可能性は無いことはなかった。
最初はホラーみてぇだとビビった自分がおかしくてしょうがない。
『冬の積乱雲』、この現象は起こるべくして起こっていた。
ツイている。この場面でこういう天気になってくれた事に感謝してもしきれねぇ。今からオレがやる事は結構目立つ作業だし
バレてはいけない。
足音とか物音は強風が消してくれるし、雲が近くに来て暗くなれば学生服のオレは動きやすいからこれ以上ないぐらい理想な
環境がこれからやってくる。
「私に出来ますかね・・・・挑発。きっと抜き打ちでどかーんて魔法でやられそうですよ。さくらって感情的にならないしきっと
挑発に乗らないで問答無用に攻撃してくると思いますが」
「いや、乗るね」
「言い切りますね」
あまりにもオレが断言するからか少し顔を引き攣るアイシア。
アイシアから見れば根拠の無い言葉に聞こえるのだろう。この作戦で一番危ない目に合うのは彼女だ。
自身が危ない目に合うのにそんな確実性が無い事を・・・・とか思ってるに違いねぇ。
「あの人は根本的には熱くなりやすい性質だ。いつも冷静に物事を判断しているように見えるが激情な所がある。
オレの悪口いっぱい言ってればその内乗っかってくるさ。オレの悪口、得意だろお前」
「・・・・言った瞬間光になりそうですけど。私が、物理的な意味で」
「さっきも言ったろ激情な女だって。きっと言った瞬間追いかけまわして張り手の一つでもかまそうとするかなぁ」
「うう・・・怖いです」
想像したのか肩をぶるっと震わせる。そりゃおっかねーだろうな。オレもこえーし。
まぁこれからオレがやる事はアイシアに出来ないだろうし仕方が無い。精々勇気を出してもらうか。
そう思いオレはここに来る途中に家に寄って持ってきた荷物をバックから取り出す。
「さっきから聞こうと思ってましたがなんですか、ソレ」
「オレ特製の火炎瓶の材料だな。あと家の裏からさくらさんが実験で使う薬品をちょっくらパクってきた。結構値が
張るモノだけど渋ってる場合じゃねーし・・・・ま、緊急事態って事で」
「・・・・あのー、もしかしてそれを・・・・」
「桜の木にぶつけるんだよ。聞けばさくらさんもお前も手に負えない程やべぇらしいじゃねぇか、あの木。
だから燃やす。いや、それにプラスさせて爆発させる」
「なんて非常識な・・・・私達があれを枯らすのにどれ程・・・・・」
なんかブツブツ言いだしたアイシアを無視して荷物を確認する。
慎重に運んで来たつもりではいるがかなりそれを背負うというのは冷や汗ものだった。
硫黄と塩素酸カリウムの液体が詰まった瓶二つ。職質されれば高確率で逮捕モンの劇薬だ。
ていうか衝撃で爆発しなくてよかったぜ本当に。一応厳重に保護されてるから大丈夫だとは思ったけどよ。
ただガソリンと灯油の混じった火炎瓶もどきじゃ物足りないと思ったけど・・・・やりすぎたな。
それ以外にも一応次策として色々やっておきたいし、アイシアには本気でやってもらわないといけねぇ。
「オレが頃合みて合図・・・手を振るからその時に思いっきり悪口言って誘いだしてくれ。一応こうやって
足を話してる時に相手の視線から逃げるように動かせばすぐ動けるし、相手よりも早く動けるからそんな
調子で追いつかれない様に頑張れ」
「・・・・はぁ、今日は厄日です」
「わりぃな。後で熱いキスでもしてやるよ」
「そんなものいりません。お金下さいよ、お金」
「がめついのな、お前」
「一人であちこち旅してればこうもなりますよ。お金はあって邪魔なものじゃない、むしろ最低限必要なものですから」
「魔法使う女の子らしくない台詞だが概ね賛成な意見だ。だが今のオレは貧乏だ。今度無事に帰れたら一緒に店番
してやるからそれで許してくれ」
「・・・・・・んーーーー、まぁ、それで許してあげますよ」
「あ?」
「じゃあ私ちょっくら行って来ますから後の事頼みましたよ」
「・・・・おう」
てっきり今までの流れからして断られると思ったけど・・・・どんな心境の変化だろうか。
颯爽と行くアイシアを見て一息つける。あんな女の子に任せるんだからオレもしゃきっとしねぇとな。
そう思い薬品をいくつかもって静かに歩く。アイシア、怪我すんなよ。
さくらさんに向かって皮肉った笑みを向けた。さくらさんは茫然としてオレを見ている。
オレは余裕そうにしているが、内心心臓はバクバク言っていた。思ったよりも爆発が大きく、少し制服が焦げている。
木の根元に先程挙げた薬品の瓶を置いてそこに火炎瓶を投げたはいいが―――予想以上だった。大体こんな事したの人生
で初めてだっつーの。もう二度とやらねぇ・・・。やっぱり素人の浅知恵でやるもんじゃないな。
知識はあったがやるのは初めて。デモ行進する予定なんか無かったから記憶の隅に追いといたが役にたった。
まぁ投げた瞬間一応木の陰に移動しておいてよかったと思う。あのまま居たら飛び散ったガラス片で串刺しになってぜ。
冷や汗がドッと出たが、まぁ、こうして無事なんだから作戦は成功かな。アイシアの姿は見えないが適当に
隠れてるのだろう。
「なんでこんな事・・・・義之君はこの桜の木を守ってくれって言ってたじゃないか」
「あ?」
「なのになんでボク達の幸せを壊すような事するの? 桜の木が無いとボク達は幸せになれないんじゃ
なかったの? ねぇ」
「・・・・何を言ってるかさっぱりだぜ、さくらさん」
「嘘ついたのかな・・・・いや、でもこの子がそんな嘘・・・・」
一人で何かブツブツ言いだしたさくらさんに声を掛けようとして――――止めた。
あの人にはもう何も見えていないだろう。桜の木の力で暴走して被害を出してアイシアを痛めつけようとしたさくらさん。
もう正気じゃなくなっていた。目の色合いがそれを証明してみせていた。
しかし、確かにさくらさんにも原因はあるだろうが・・・・それがオレに対しての好意なら怒るに怒れない。
結局オレも求めに応じたのだし責は自分にもあった。さくらさんが処断されるというのならオレもそうだろう。
ずるずるとさくらさんと関係を持ちとうとう今日に至った。その間にオレは何をしていた、何もしていなかった。
苦しんでいるさくらさんを一人にさせて自分だけ苦しんでいる振りをしてないがしろにしてしまっていた事に関して
は心の底で責任感を感じていた。
だがそれらの事はちゃんと償う。美夏には少し悪いが当分さくらさんの傍に居てやろう。かえって苦しませる事に
なるかもしれないが・・・・とてもじゃないが一人っきりさせて皆と居る事はオレには出来なかった。
「帰りましょう、さくらさん。もう全部終わったんですよ」
「・・・・?」
オレの言葉にさくらさんは子供の様に首を傾げた。目の色―――何を言ってるか分からないと言っていた。
オレはため息をつきたいのを我慢して桜の木の方に顎をしゃくった。それにさくらさんも釣られて目をやり「ああ」と
納得したような呟き声を上げる。
燃え盛り木々も枝も崩れ落ちて、とてもじゃないが目を向けられる惨状じゃない。もう見る影もない枯れない『筈』の桜
の木。オレとしては何も感情は湧かない。色々世話になった木だが・・・・さくらさんの事を考えると憎しみさえ湧く。
そうして視線をさくらさんに戻す――――と、背筋が凍った様な感覚がした。
「ふふ、なーんだ。そんな事か」
「・・・・・どういう意味、ですかね」
さくらさんの表情、笑っていた。何かに気付いて安心しきったような穏やかな笑み。
あまりにもこの場にそぐわないその笑みに知らずしらずの内に足が後ろに下がっていた。
「うんうん、そうだよねぇ、義之君が嘘付く訳無いし。ごめんね義之君? ちょっと疑っちゃった。でも安心して
いいよ、桜の木はなんともないから」
「いい加減現実に戻って下さい。桜の木は今こうしてオレが――――」
「ほら、なんともないでしょ?」
「・・・・・・・・・えっ?」
思わず間抜けな声を出してしまう。さくらさんが指差した方向――――何も起きていなかった。
桜の木は依然変わらず立派に咲いているし覆う花弁も散っていない。そう、何も無かったみたいに咲いていた。
馬鹿な、もう半焼したと言ってもいいぐらいにボロボロだったのに・・・・オレがほんの少し目を離した隙に
こんな事が起こるのって―――――
「・・・・・・くそったれが。魔法っつーのはなんでもありかよ」
「だから魔法って言うんだけどね、義之君」
「・・・・・・チッ」
なるべく気付かれない様にさくらさんの方にじりじりと詰める。
かなり上手くいったと思ったのに全部無かった事にされて少し虚脱感を抱いた。
だが策はこれだけじゃない。たった一つだけで挑む程オレは馬鹿じゃない。
だから、次の手で・・・・・・
「確かにスタンガンとか効きそうだよねぇ、ボク水溜まりの上に居るしさっきの雨でびしょびしょになったし。
それをここに投げれば一気にビリビリになっちゃって気失っちゃうかも」
「・・・・・・・・」
「ああ、落とし穴も掘ったんだ。それも雨が降ってカモフラージュしやすいように土をある程度ほぐして。
深さからすると・・・・片足が捻挫で動けなるぐらいか。落とし穴掘るにも今は許可証が無いと駄目っ
て知らないの、義之くん?」
「―――――マジかよ」
「マグネシウムと発炎筒を使った閃光弾もどきかぁ、ボクも興味本位で作った事あるよ。でも大変だったんじゃない?
初めて作ると分量配合とか分からないし下手して光ったら網膜焼けて失明しちゃうし。そんなの作って逮捕
された人もいるから・・・・あんまり作らないでね、そういうの」
全部ばれてる。アイシアにも教えていない事の筈なのにさくらさんは見通したように当てて見せた。
悪戯を見つけた子供の様にクスクス笑うその姿に体から力が抜けていくのを感じた。
校庭の件みたいに今のさくらさんに近寄るのは博打に近い。近寄った瞬間何をされるか分かったもんじゃない。
一回やられた事を学習しない程さくらさんは馬鹿でも何でもない。だからこんなに慣れない事をしたっていうのに・・・・・。
「だよねぇ、図工工作なんて義之君は普段しないし。慣れない事するって結構疲れたでしょ」
「・・・・・まさか心の中を読めるなんて言いませんよね?」
「にゃ、そうだけど? 魔法使いなんて言ってるんだからこのぐらい出来てあったり前じゃん」
「嫌だな。結婚したら浮気なんか出来たもんじゃない」
「大丈夫だよ。そんなの思わせないぐらい愛するから」
「それは嬉しいお言葉だけど、たまには火遊びがしたいな。それぐらい許してくれないとこれから先
身が持たない」
「火遊びならボクと一緒にしようよ。結構好きなんだ、花火とか」
「オレは花火よりキャンプとかいいですね。たまには大自然とかに囲まれてマイナスイオンを胸
一杯吸いたいですよ。クマとか出てきたら怖いから鈴を持ってね」
「そんな事言いながら落とし穴の方向に移動してるよね。さくらさんには悪いけどしばらくスタンガンで
眠ってもらって、か。相変わらず抜け目ないね」
「・・・・さてね」
もう詰んでるといってもいいこの状況。『次』を考えてもすぐ読まれる考え、どうしようもない。
考えを読まれすぐ移せる策、そんなものはない。もしかしたらあるのだろうが生憎オレはそんな
ものを知らなかった。
だから――――思いっきり走った。来た道へと戻り全速で逃げる。アイシアもオレの行動を見て逃げるだろう。
正面切って戦えるほどオレは力なんかない。勝てないと思ったらすぐ逃げる。でないと無事に帰れる確率がどんどん無くなっていく。
無事に戻ればまた策は考えられた。そうしてまた状態を整えて来ればいい。今回の事だって無駄じゃ無く、相手の心を読める
事が分かった。それだけでも収穫だ。
さくらさんとオレの身体能力じゃ天と地の差がある。心を読まれても逃げ切れる自信があった。
なのに―――――
「・・・・・な・・・・くっ!」
「にゃはは。どこに行こうとしたのかにゃ~、義之君?」
危うく転倒しそうになる体をなんとかたたらを踏んで耐えて、片膝を付く。
先程設置した筈の括り罠が何故かオレの足に絡みついている。そんな筈無い。ここに仕掛けた覚えは無い。
何故―――考える事を諦めた。既に分かりきっている事だ。魔法・・・・なんて舐め腐ってるんだソイツは。
こんなのなんでもありじゃねぇか。怒っても仕方ないのに思わず舌打ちして心の中で吐いて捨てた。
急いでライターで焼こうとしてポケットを弄る・・・・・・前に目の先に影が落ちた。
弾かれたように前を見ると何が楽しいのか屈み込んで、笑みを向けてくるさくらさんの顔。思わず顔が引き攣ってしまうのが分かった。
一瞬頭が真っ白になる――――瞬間、さくらさんは小さな手でオレの顔を抱え込みキスをしてきた。
「うむぅ・・・・ちゅ・・・・ん」
「・・・・・・ん・・・くぅっ」
「んっ、はぁ・・・・・大変だね、義之君。アイシアになんか騙されて」
「・・・はぁ、はぁ、何を言って・・・・・」
「アイシアに騙されてるんだよ義之君は。だって義之君はこの桜の木を枯らす訳ないもん。この桜の木が
あればボク達は幸せになる筈なんだから。そんな桜の木を義之君が壊す訳ないじゃん。きっとあの性悪
女がそんな風にしたんだね。可哀想に」
「ふ、ふざけ―――――」
「だから、さ」
「あ・・・・」
「今は、しんしんと、お休みなさい。次起きた時には・・・・全部終わってるから」
そう言うとオレの体から力が抜けていく感覚がした。
これはマジィ、最後の足掻きと拳を握ろうとして手に力を入れようとするが既に手は無かった。
そしてオレは呆気なく――――自分が消えていくのを感じながらこの世から居なくなった。
「さて、と」
義之君を一時的にだが桜の木に還らせた。アイシアに洗脳された彼を元通りにするにはこれが一番手っ取り早い。
彼には悪いがその中で少しだけ幸せな夢を見てて貰おう。そうすれば元通りになってまたボクに愛を囁いてくれる、
後ボクがすべき事と言ったら・・・・
「アイシア~出ておいで。何もしないから」
どこに隠れてるのだろうか。辺りを一通り見回してみるが姿が全く見えない。
魔法で探そうにもきっと見つからない様に対策されているだろう。消えるの得意だもんね、アイシア。
そう考え――――近くの木を思いっきり蹴飛ばした。木がゆらゆら揺らめいて桜の花が舞う。
「いい加減にしてよアイシア。あまり遊んでなんかいられないんだからさー。だから、早くて出てきてー」
苛立つ感情を抑えて声を出す。出来るだけ穏やかな声を出して呼び掛ける。今度は近くの木を思いっきり殴りつけた。
ああ、いけない。物に当たる歳でもないのにさっきから当たり散らす様に暴力を振るってしまっている。
だけど・・・当然の事だと思うよボクは。義之くんをあんなにしたアイシアには少し痛い目に合って貰う。
そろそろ何十年間も忘れられる存在になって生きてきたんだし、今度からは人に視認出来ないくらい薄い存在に
なって貰おうかなぁ。
完璧で完全な孤独を送る。人に一回も認識されずただ生きていく事しか出来ない。確かこういうの生き地獄って
言うんだけっかな? どうでもいいけど。
ちらっと桜の木を見上げて、考える。こうやってアイシアを探す事も大事だが義之君の事の方がもっと大事だ。
強く洗脳されていたらもしかしたら壊れるかもしれない。だから迷っている。アイシアを先に探し出してそれ相応
の罰を与えるか・・・・それとも義之君が早く元通りになるのを手伝うか。
「アイシアの事は後でいいかな・・・どうせ初音島から出れない様にしてあるんだし。うん、まずは義之君から
手をつけよう」
そうしてボクは桜の木に手を向ける。存在が希薄になっていく感覚。ああ、あまり気持ちいいモノじゃ無いなコレ。
義之君にこんな思いをさせちゃったという罪悪感がふつふつと湧き上がってくる。いくら彼の為とはいえ少し嫌な
思いをさせてしまった。会ったらまず謝らないとな。
段々存在が桜の木に吸い込まれていくのを感じながらそう考え、ボクも一時的にここから居なくなった。
この桜の木をどうにか出来る存在はアイシアぐらいだし、例え音姫ちゃんが来てもどうにもならない。
そう――――気にする事はもう何もなくない。後はボクの独壇場だ。そう思うと心がスッと軽くなるのを感じた。
桜の花弁が舞い、誰も居なくなった場所で枯れない桜の木が風でゆらめいている。
もう、雨は上がっていた。