「・・・・・のっ、やろう・・・ッ!」
オレは吐き捨てる様に言葉を吐きながら、先程の情けない自分を振りきるかのように無理矢理奮い立たせた。
手足に感覚が戻ると同時に立ち上がり、体制を整える。さくらさん相手に意味があるかどうか疑問だが棒立ちよりはマシだ。
手に力を入れてギュっと拳の形を作りどの位の力が入るか確認した。
大丈夫だ、問題無い。体はどこも怪我をしていない。呼吸も心拍数も何もかも正常通り。
さっきはさくらさんにしてやられた形となったが、まだオレは生きている。
生きているという事はまだ取り返しが効く筈だ。もう二度とさっきみたいな無様な醜態を晒しはしない。
目は少しぼやけて辺りを見回せないがその内慣れるだろう。いきなり眩しい光を直視したから目が慣れようと
して一時的に感覚を失っているに過ぎない。
そうして目もすぐ元通りの機能を果たせるようになり、視界が広がった。オレは腰を落としながら注意深く辺りを
見回した。何が起こるか分かったもんじゃねぇ。
「・・・・どこだ、ここは――――って芳乃家の前じゃねぇか」
見覚えるのある今時珍しい和風の建築物。それがオレの目の前に悠然と立っていた。
辺りを見回してみるとそこはいつも通りの見慣れた風景。当然だ、オレが毎日見てる光景・・・・忘れる訳が無い。
さっきまでオレは枯れない桜の木の所に居たというのにどういう事だ。これもさくらさんの魔法のせいか?
「―――――――くそ・・・・考えてもしょうがねぇ、か。とりあえずアイシアを探してまた作戦の立て直しか」
とりあえず彼女を探そう。周囲を警戒しながらオレはアイシアの姿をとりあえず探してみた。さっきの今だからかなり神経が高ぶっている。
そして考えた。オレの傍に居ないとなると、アイシアは今一人っきりという事になる。チッと舌打ちし、一呼吸。
きっと怯えて何をしていいか戸惑ってる筈だ。こんな状況は想定していなく、またそうなった場合の行動も何も話し合っていない。
それに――――オレは彼女を守ると言った。嘘はつきたくない。言ったからには守るつもりでいる。
ただ道端で人形を売っているどこか儚げな少女、そんな女を巻き込んだからにはそれは絶対だった。
「可能性は低いが桜の木の所に行ってみるか。あいつの事だからもう逃げたかもしんねーけど―――――」
「あ、兄さんじゃないですか。おはようございます」
「ん?」
そうして桜の木の元に行こうとして隣の家から由夢が出てきた。学生服を着ておりこれから登校する呈をなしている。
・・・・・登校?
「何ぼーっとしてるですか、まったく。相変わらず兄さんは――――」
「わりぃ、少し黙っててくれ」
「え・・・・」
時計を見てみる。時間は七時半、朝の時間帯だ。
それはおかしい。少なくとも今の時間帯は夕方か夜になる直前の時間帯の筈だ。間違っても太陽が上がり始める頃じゃない。
一体どうなってやがる。顔に手をやり思考の海に沈んでいく・・・・・が、何も考え付かない。
魔法と言い切るには何処かおかしい。いや、そもそもおかしいのはこんな事じゃなくもっと別な・・・・・。
「に、兄さん・・・・どうしたの?」
「あ?」
「もしかして機嫌が悪い、とか?」
「別に悪くねーよ。いつも通り好調だ。ただ少し考えたい事があっただけだよ」
「・・・・でも、なんだか口調が・・・・・」
由夢がどこかオドオドしながら、目をどこに向けていいか分からないみたいに視線をキョロキョロ走らせている。
その様子に少し違和感を感じた。いつもの由夢なら「ふーん、そうですか」で済ます。口調ぐらいでそんな挙動不審
にならくてもいいのに。
まるでオレが最初こっちの世界に来た時の反応みたいだなと感じた。そんな初々しい反応を昔のように思い出す。
「口調はいつもこんなんだろ。それよりも今から学校か、お前」
「え、ええ。今日は早起きして学校で復習したい事があったから・・・・」
「そりゃ優等生らしくて結構な事だなっ――――と」
「あ・・・・」
懐から煙草を取り出し火を付けて一服。あの状況じゃ吸えなかったしやっと一息つけた。
由夢が茫然として見てるが何が珍しいのかね。最近だってお前の脇で吸ってたろうに。もう慣れてるもんだと思ったけどな。
さて、これを吸い終わったら行動を起こさなくちゃいけねぇ。もうあんなツテは踏まず、歩きながら対策を考えるとするか。
「あの、兄さん、その・・・・」
「なんだよ」
「――――いつから煙草なんか、吸う様になったの?」
「・・・・・はぁ?」
「前まで吸ってなんかいなかったし・・・・不良さんみたいで、何か嫌だな」
「前までって・・・・この間だってテメ―の脇で吸ってたじゃねぇか。何を今更に」
「何の話をしてるか分からないよ。とにかく、煙草は止した方がいいよ。さくらさんとかお姉ちゃん悲しむから。
それに私も・・・・・」
「――――何を言ってるんだ、お前」
「・・・・それじゃ先行ってるね、兄さん」
逃げる様にそそくさと学校の方に向かって歩き出す由夢。その姿に逆にオレが茫然としてしまう。
意味が分からん――――テレビの影響か、誰かにそう言えと言われたのか、はたまた微妙な女心か。
いきなり急変した態度にオレは若干困惑気味になってしまうがいつまでもこうして立っている訳にはいかない。
由夢の様子は確かに気になるがオレにはやる事がある。ますはそれを片付けてから後で死ぬほど気にしたらいい。
「・・・・・・ってあれ?」
オレはこれから――――何処に行こうとしてたんだ。浮きかけた足がおぼつかなく、地面を踏んだ。
大体オレがやる事って何だ。やる事、やらなければいけない事、やらせてはいけない事・・・・何の話だ。
まるで補助輪を失った自転車のように急に不安な感情が心を蝕む。何かを忘れている、何を忘れてるか忘れていた。
「ちょ、ちょっと待てよ・・・・っ!」
これは絶対に忘れてはいけない事だ、それは分かる。冷や汗が背中を伝わるのが感触がした。焦燥感が身を包む。
なんだよ。今オレは何をしようとしてたんだ。ボケた爺さんじゃあるまいしすぐに思いだせる筈だ。それにさっきまで
それに対してオレはかなりの危機感を抱いていたはず。
オレが危機感抱いたって事はかなりヤバイ事柄な筈なんだ。普段そんなモノなんか抱かないオレが焦り、滅多に動じない
心を急かさせるモノ。
分からない。
「・・・・ぁあああーーーっ!、クソッ!」
意味も無く壁に拳を叩きつけるが何も解決にならない。かえって段々苛立ちが重なり頭の回転が鈍くなった。
だがそうするまでにきっと大事な事なんだ。思い出せ、何でもいい。取っ掛かりは何かないのか。
周囲を見回しても何も無い。また怒鳴り散らしたい気分を押さえ、とりあえず行動することを思い至る。
「このまま立ってても仕方ねぇし・・・・とりあえず学校に行った方がいいか。もしかしたら原因が分かるかもしれねぇ」
動けば何か思い出すだろう。きっとその忘れている事柄を思い出せる筈だ。
そう思い、足の方向を学校に定め歩き出した。顔を手で覆い昨日までの事柄を思い出しながら。
ふと視線を前に向けると、そこにはいつも通りの綺麗な桜の花が咲いていた。
「ご、ごめんね? 義之・・・・」
「別にお前が謝る事じゃないし気にする事は無い。むしろ謝るなら後ろでほえ面掻いてる馬鹿女共だ」
「ほ、ほえ面って何よ~~っ!?」
「・・・・ふっ、言う様になったじゃない義之」
涙目になって寄り掛かっている小恋をどかし席に座る。今日は朝から何か違和感に蝕られているというのに・・・・かったりぃ。
あの後、何か喉に引っ掛かった様なものを感じながら教室に行くと、雪村達がオレを見て何かひそひそ話をしていた。
まぁろくでもない事は想像ついていたので無視して椅子に座ろうとしたその時――――小恋がオレの胸に飛び込んできた。
飛び込んできたと言うのは少し語弊があるかもしれない、実際は後ろの馬鹿女二人に押し出されてそういう形になっただけだった。
全く、ガキじゃねーんだから少しはお淑やかになって欲しいもんだ。
「あーーーかったりぃな、くそっ」
「んー? 何かあったの義之くん?」
「別になんでもねぇよ。相変わらず茜のでかパイは見事なモンだと感心しただけだ」
「え、な、い、いきなり何言うのよっ!」
「・・・・・・・あ?」
オレの言葉に耳まで赤くして怒鳴るように言葉を吐き出す茜に、少しばかり驚いてしまう。
オレとしてはいつもの感じで軽口を叩いただけだというのに茜の反応はいつものと違っていた。
顔を紅潮させ少し涙目になっている茜。そんな初めてみる茜にすぐ反応出来なく、茫然としてしまった。
「義之、今のは貴方が悪いわ。いくらなんでも言っていい事と悪い事があるでしょ?」
「それは理解してるつもりだがな。別に今更そんな事で目くじら立てるもんじゃねぇだろ、雪村」
「・・・・雪村?」
「何か変な事でも言ったかよ」
「―――――そうね。あえて言うならば今の義之は少し変よ」
「変なのは昔からだ。自分が変わりモノだと自覚しているし周りもそういう目でオレを見ている事も自覚
している。今に始まった話じゃ無いね」
「いえ、そういうのじゃ無くて・・・・」
何か言いたそうな雪村を見て何か違和感。話が噛み合っていない。今までもそんな積極的に話をした事は確かに
無いが最低限意志の疎通は出来ていた筈だ。
お互いの間に変な間が流れている。なんだ、この上手くパズルが組み合わさっていないような感覚。
朝からそれは感じているが今のやりとりでもっと意識してしまう。お互い相手を見ているのに目線は明後日
の方向を向いているみたいで、居心地の悪い気持ち悪さを感じていた。
大体茜とは前から――――って、あれ? そんなにオレと茜って仲良かったっけ?
確かに昔からつるんではいるが最低限の線引きはあった筈だ。
なのに・・・・あれ?
「と、とりあえず謝った方がいいと思うよ。義之」
「・・・・・あーそうだな、悪かったな茜」
「わ、分かればいいのよ・・・・・もう」
小恋に言われ素直に頭を下げる。その様子に茜は渋々許してくれた事にホッと一安心した。
いくらなんでもさっきのは無いか。親しき仲にも礼儀ありって言うし。むしろ頭下げたぐらいで手打ちしてくれた
茜に感謝しなければいけないぐらいだ。
今日のオレはどこかおかしい。意味も無く焦燥感に囚われ苛立つし暴言に近い言葉も吐いてしまう。
「雪村も悪いな。少し空気を悪くしちまって」
「別にいいわよ、誰にだって虫の居所が悪い時があるわよ。それと―――――」
「ん?」
「雪村なんて他人行儀な名前で呼ばないで頂戴よ、座りが悪いわ。いつも通り杏でいいわよ」
「――――――ああ、そうだったな。『確かに』そう呼んでたもんな」
「そうよ、もう」
そう言って椅子に座り演劇部の物であろう台本に目を通し始めた。各々もHRがそろそろ始まるからなのか
席について一時限の授業の準備をし始める。
ああ、本当に今日のオレは参っているみたいだ。友人の呼び名まで忘れちまうなんて。そこまで痴呆になった
つもりはないんだがなぁ・・・・はぁ。
こんな参っている気分の時は美夏をからかうに限る。あいつと面白おかしく話してればこんな気分も吹っ飛ぶだろう。
「なぁ、杏」
「ん? 何よ」
「美夏って時々お前の部に顔を出すだろ? 何か迷惑掛けてないか?」
「・・・・・え?」
「一応オレが保護者みたいなもんだからよ。あいつが悪さすればオレに火の粉が掛かって―――――」
「ねぇ、義之」
「あ?」
「美夏って・・・・・誰?」
「ぐ・・・ぅ・・・」
「全く、年下のガキの癖に調子に乗ってからだよ」
「だよなぁ。前からこいつの事一発ブン殴りたかったしなんか清々するな、オイ」
襟元を掴まれ無理矢理立たされた。そして壁際に押しつけられ蹴りを入れられる。その衝撃に思わず吐きそうになった。
その蹴った相手は本校の先輩。お世辞にも柄は良く無く、安っぽいピアスを二つほどつけていた。何が楽しいのか分からない
が表情は愉悦に歪んでいる。
最初にオレを殴った茶髪の男は脇でそれを見詰め、またも可笑しそうな顔で笑っている。
その様子にオレはため息をつきたいの我慢して何故こうなったのか場違いながら思い出していた。
あの杏の発言に何かショックを受けたみたいにオレはどこか機嫌が悪かった。
いや、機嫌が悪いと言うよりも不安というか寂しさというか、悔しさというか。そんなものが心の中で荒れ狂っていた。
何故そういう気持ちになるかさえ分からない自分に更に腹が立つ。無限のループみたいにそういう思いが堂々巡りしていた。
だからだろう、通りすがった先輩にぶつかって声を掛けられても気付かなかったのは。
そうして校舎裏に連れてかれて現在に至るという訳だった。全く、今日は厄日だな本当。
それにしても、こいつら――――――舐めてるのかオレを。
「・・・・・・うっ」
「な、何睨んでんだよてめぇっ!」
オレの表情を見て顔を引き攣らせる男二人組。それはそうだ、そこいらのチンピラなら逃げ出す様な般若みたいな顔をして
睨んでいるのだから。
舐めやがって――――暴力的な感情が段々身を包むのが分かる。いつもの感じだ。こいつらを叩きのめしたくてしょうがない。
こんなカス共に良い様にやられて黙ってる訳が無いし、そのオレの腹を蹴りやがった足をもぎたくて仕方が無い。
だからいつも通りに、こいつらを・・・・・いつも通り・・・・・・・いつも通り?
「こ、この野郎っ!」
「ぐっ――――!?」
「は、はは。ビビらせやがって・・・・大した事ねぇじゃねぇか」
いつも通り・・・・オレは何をしようとしたんだ?
喧嘩なんて強い方ではないし、そこまで暴力的な人間だったろうかオレは。
それに相手は二人だ。いくら運動神経がいい『俺』でも自分より体格がいい二人の先輩を倒すなんて無茶な話だ。
なのにオレはこいつらを叩きのめそうとした。なんて自信過剰なんだ。身の程を知らなさすぎる自分に腹が立つ。
そう思っているうちに男は気を戻したのか、更に殴りつけてきた。
「大体周りに女はべらせていい気になってる男なんてこんなもんか、なぁ?」
「そうそう。今みたいになーんも出来ない癖にそういうのは得意なんだもんなぁ、いやぁ、今殴ってやってるのも
教育ってヤツ? もっと男は強くならなくちゃダメだからな~」
「オレ達はとても優しい先輩だからな。感謝しろよ、桜内?」
「こらぁーっ! 何やってるんだお前らぁぁあああっ!」
「ん? げ、まゆき・・・」
「くそ、面倒くさい奴が来たな。オイ」
「あ、ああ」
張りのある女性の声―――まゆき先輩が来たと分かった途端、男二人組は弾かれたように俺なんかに目もくれず逃げ出して行った。
この学校では生徒会の権力は強く、その中でもまゆき先輩は生徒会長よりも恐れられていた。
穏やかな生徒会長の音姉と違って体育会系のまゆき先輩は取っ組み合いも強く、またその強気な性格もあって
意見出来る生徒なんか限られている程だ。
男二人組を逃がしたのが悔しいのか、小さく舌打ちをして俺の前に走ってきた足を止め、ため息をついた。
「まったくアイツらときたら。今度会ったらとっちめてやる」
「はは、すいませんまゆき先輩。格好悪い所みられちゃいましたね」
「そうだね――――と言いたいところだけど相手が二人じゃ弟君も分が悪いか、大丈夫? 怪我していない?」
「まゆき先輩が来てくれたおかげでどこも大丈夫っすね。ありがとうございます」
少し腹と頬が痛むが怪我という程じゃない。少し休んでれば治る程度の怪我だった。
それにしても本当に格好悪い所を見られた。羞恥心で少し顔が赤くなるがまゆき先輩はそんなオレを見て見ない振りをしてくれる。
全くありがたい。これでも男なんだからという小さなプライドぐらいはあった。一方的にやられた所を女性に見られたとあっちゃ
顔も赤くなる。
やれやれ、まゆき先輩もいるという事はエリカもその内来るだろう。まゆき先輩が直々に指導していて最近付きっきりだしな。
「エリカに見られたらすげー恥ずかしいな、これ」
「ん?」
「あ、いや、エリカの事ですよ、あいつに見つかったら何て言われるか分かったもんじゃない」
「・・・・エリカ? 誰それ」
「・・・・・・え?」
「生徒会の誰かの事? それとも友達? 私の知ってる範囲でエリカって名前は・・・・居ないなぁ」
眉間にシワを寄せて考える素振りをするまゆき先輩に――――俺はまたもや言いようのない絶望感に囚われる。
ああ、本当に今日の俺はおかしい。居もしない人の名前を呼んで勝手に失望して。なんなんだ今日は。
ため息をつきたいのを我慢してふと視線をあげると、何故かまゆき先輩がこちらを見てニヤニヤしている。
俺はそんなまゆき先輩の顔を見て少し後ずさりした。この人がこういう顔をする時は大抵ロクな事を考えていない。
「な、何ですか?」
「んーっふっふっふ。もしかして今言った女の子って、弟君の好きな女の子の名前かな?」
「・・・・なんでそうなるんですか。勘弁して下さいよ」
「いやいや、隠す事ないでしょ~。弟君だって男の子だし好きな女の子ぐらい出来るのは自然の摂理だよ、うん」
「どんな摂理ですかソレ」
「音姉といい弟君といい、あんた達はすごい仲良いからそんな相手が出来るとは思わなかったけど・・・ねぇ?」
「ねぇって言われても、知りませんってば」
「よかったらこのまゆき先輩に相談してみなさいなっ! 今なら安くしとくよ?」
「・・・・金取るんですか」
「この世にタダなんて言葉は無いんだから当り前じゃん。で、どうなのよ?」
「だから知りませんってばっ!」
しつこく構ってくるまゆき先輩を適当にあしらいながら教室に戻ろうと踵を返す。
先程の一件を引き摺らない様にこういう風に構ってくれるのには感謝はするが・・・・後まで引っ張るんだ
よなぁこの人。嫌いな人じゃないから尚更言いにくいし。
それにしてもエリカ、か。一瞬金髪の女の子が笑ってる様な気がしたが・・・・気のせいだろう。
お茶を飲んで一息つく。隣でははりまおが眠たそうにゴロゴロしているのが微笑ましい。
始業の合図のベルが鳴るのを聞いて少し皆に罪悪感を感じるが学園長直々の命令でココにいるのだから仕方ない。
昼休み学園長室の前を通りすがった時にさくらさんに捕まり、押し込められる形で学園長室に入れさせられた。
先の喧嘩―――どうやらまゆき先輩がさくらさんに報告したらしい。それで事情聴取と相成った訳だ。
「もう。次やったら退学にするんだから。その子達」
「はは、何もそこまでやらなくていいですよ」
「でも・・・・」
「喧嘩に負けて先生にチクり、そしてその生徒を退学させた。格好悪いったらありゃしませんね」
「・・・・・まぁ、義之くんがそこまで言うんだから納得するけど」
どう見ても納得していなく、ぶーたれているさくらさんを見て苦笑いする。そこまでやってもらったら本当に情けなくて仕方が無い。
最初話を聞いた時かなりご立腹で殴り込みに行くと言わんばりの威勢をだすさくらさんを窘めるのに結構時間が掛かってしまった。
もう授業が始まる寸前だったので急いで行こうとした時に、そこに渡り船という訳ではないがもしよかったら休んでいくかと聞かれ俺は了解した。
昼を挟んだらなんだか朝の喧嘩の所為か体の筋肉が痛くてかったるくなり、ここで一息つくのもいいかなと思ったからだった。
「そういえば話は変わりますけど」
「んにゃ?」
「なんで俺の足の間に座ってるんですか」
「えー別にいいじゃーん。減るもんじゃないんだし」
「・・・・まぁ、別にいいですけど」
別に座ってもいいんだが、さくらさんにしては珍しい事だ。こうやって甘えるように座り込んでくるなんて。
昔は立場が逆だったのにな。昔は俺がさくらさんに甘えて―――――甘えて?
いや、昔からオレは誰かに甘えた事なんか無い筈だ。その為にオレは強くならくちゃいけなくて・・・・。
またとてつもない違和感を感じた。大事な事を忘れてる気がする。自分を構成する大事なモノを忘れる
なんて有り得ないのに。
そう考えている―――――と、視線を感じた。目線を下に向けると何が面白くないのかむーっと唸っている
さくらさんがこちらを睨んでいた。
「って、うおっ」
「なぁにしかめっ面してるの義之君はー。こんな可愛い子相手にそれはないんじゃないかなと思ったりぃ」
「だ、だからって頬を弄り回さないでくださいよ!」
両頬をつねってくるさくらさんから逃げる様にして体制を反らす。
しかしさくらさんは何だかそんな俺の様子が楽しいらしく、追う様に体重を乗せてきた。
無論いくら軽いと言ってもこの状態じゃそんなさくらさんを抑える事は出来ず・・・・
「にゃっ!?」
「っとお」
ぼふっと音を立てて後ろに倒れ込んでしまった。後ろは畳みなので少し受け身を取ればなんてことない。
少し驚きはしたが、まぁ、さくらさんが怪我をしなくてよかった。俺の胸に飛び込む形となったまま動いていないが
いきなりの事で驚いているに違いない。
だから優しくどかそうとして・・・・止まった。胸の間からさくらさんがこちらにジッとした視線を投げかけてくる。
「・・・どうしたんですか、さくらさん」
「・・・・・んー。別にぃ」
そう言って笑った笑みがどこか艶っぽく感じられ思わず目を逸らした。
意識はしていなかった彼女の体の柔らかさを思わず感じてしまう。目を逸らしている間も視線は感じ続けた。
「義之くんは、彼女とかいなかったよね?」
「・・・・何を藪から棒に」
「ボクが付きあって――――って言ったらどうする?」
「えっ・・・・」
思わず視線をさくらさんに戻して、幾分か後悔する。目はさっきよりも扇情的になっていて視線が絡み合った瞬間硬直した。
これでも俺には最低限の常識ぐらい持ち合わせている。母親みたいな人にそういう目で見られ体が熱くなる事に抵抗を感じ
るのは当り前の事だ。だから倒れた時、離れさせればよかったと今になって後悔している。
そうして近付いてくる可愛らしくて熱に浮かされている様に赤く染まった頬。今まで感じた事のない色気のある表情に自分も
熱を感じ始めてきた。
もう頭もぼーっとしてきて、俺が目を瞑った――――瞬間、
「うにゃっ!」
「っってぇ!?」
頭突きに近いヘッドバットを喰らった。
先程の熱なんかどこかへすぐに何処かへ吹っ飛んでしまい、悶絶するように鼻っ柱を押さえる。
一体何が――――さくらさんを見ると何か悪戯が成功したような笑みを浮かべてこちらを見詰めていた。
「もう、エロエロなんだから義之くんはー」
「なっ!? え、エロエロって・・・俺は別に・・・・そんな」
「ほら、もう一回抱っこしてよ。ボクあの体制気に入っちゃった」
「え、ええ・・・・」
むきになって否定しようとしたら呆気なく躱される格好となってしまい、戸惑う自分。
さっきの事なんかまるで意識していない様子に何処か面白くない感情を抱きながらももう一回さくらさんを
足の間に座らせた。
はぁ、なんで俺がさくらさんに欲情にも似たものを感じなければいけないんだ。異常者じゃあるまいしに。
俺とさくらさんは母と子。それ以上もそれ以下も無い筈だ。その感情を抱くと言う事はある意味侮辱行為に近い。
もうさっきの事は忘れよう。一瞬の気の迷いだ。そうに決まっている。
「ねぇ、義之くん」
「何ですか?」
「・・・・・ちゅ」
「んんぅっ!?」
そう決めた筈だったのに、不意を突かれたキスに俺はまたもやどきどきしてしまった。さくらさんはその小さな手で俺の両頬を
掴んでキスし続けている。
何かを言おうとして、言えなくて。何故だかその行為に既知感を感じて・・・・俺はなされるがままになってしまった。
何秒、何分、何十分も経った様な気がする。時間の感覚が分からなくなってきた。そろそろ息が苦しくなってきたなと場違いな
事を考えだした時、俺の両頬から手を離し、さくらさんは笑みを浮かべた。
「・・・・ぷはぁ、にゃはは」
「な、なにやって―――――」
「嫌だったらごめんね」
「えっ・・・・」
そう言って俺から顔を背けて顔を俯かせるさくらさん。いきなりさっきまでの様子が嘘みたいに肩を落としてしまっている。
その背中が物凄く寂しそうに見えて、悲しそうに見えて、俺はいたたまれなくなった。
何を言うべきだろうか。親子同然なんだからこんな事はしちゃいけないと常識を謡えばいいのか。
分からない――――何を言ったら正解か。言いたい事はもちろん沢山ある。
なぜこんな事をしたのか、なぜキスをしたのか。言いたい事、聞きたい事がありすぎて何から言うべきか迷う。
しかし、そう考えてる時にも俺は既に行動していた。
そんなさくらさんを見て俺は思わず抱きしめていた。
「あ・・・・」
「別に・・・・嫌じゃないですよ、さくらさん」
「そう・・・・・・」
「ただ戸惑っただけです、すいません」
「ボクの方こそごめんね、いきなりこんな事。でも今のキスをしたって事実、忘れて欲しくないな・・・・ボクは」
「はい・・・・」
言わんとしている事――――つまりはそういう意味なのだろう。
抱きしめている腕の中のさくらさんが何だか愛おしく感じられる。元々尊敬していた女性というのもあるし好意は
持っていた。だから先程のキスも嫌では無かった。
ただ・・・本当に急な事で答えは出せない。今まで母親同然として暮らしてきたのに意識をすぐ切り替えられる訳が無い。
だけど、今感じている何処か体験した事のない幸福感を手放す気にはなれない自分がそこには居た。
「今日の晩御飯何にしようかっにゃ~?」
「はは、そうですね。今日は何か肌寒いんで鍋にしましょう。残り物で調理しやすいし後で音姉達も
来るみたいだから、ちょうどいいと思います。だから今日買うものは調味料ぐらいですかね」
「おおっ!? 義之君が作る鍋はとっても美味しいから大好きなんだ、楽しみにしてるね!」
「はい。久しぶりに作りますから張り切っちゃいますよ」
あれから数日が過ぎた。特にこれといった事も起きなく日々をいつも通りに満喫している。
少し違う事と言えばさくらさんと俺の関係だった。もちろん急に関係が変わるなんて事も無くいつも通りだ。
ただ時々に空いた間、話が途切れる時なんかに目を合わせてお互いを見詰めてる時間が増えた。
流れるどこか気恥ずかしくて、甘酸っぱくて、落ち着かない雰囲気。だが決して嫌なモノじゃなくて・・・・。
そんな微妙な雰囲気に俺は幸せを感じていた。他人には言えない関係だがそれでも構わなかった。そんな時に照れて
笑うさくらさんを見てるとどうでもよくなってしまう。
恋人、とは言えないがそれでも俺達は日々を満喫していた。
「とりあえずいつものスーパーでいいですか?」
「んー別にいいよ。特にここって決めてた訳じゃないし」
「じゃあそうしますか」
「うん!」
学校の帰り道、いつものように俺達は二人仲良く並んで買い出しに出かけていた。ここ最近の日課となりつつある。
さくらさんは学園長だから忙しい筈なのにわざわざこうやって俺と一緒に行く事が多かった。仕事の方は大丈夫なのかと
聞くと「そんな事は子供は気にしなくていいんだよ」と不満気に言われてしまい、それ以上聞く事が憚られてしまった。
まぁ頭の回転も早いし学校運営の手腕も誰もが認める器量の良さ、きっとうまくやっているに違いないだろうと思った。
そう思い、懐に手を伸ばして――――――
「・・・・あれ?」
「んにゃ? どうしたの?」
「あ、いえ、なんでも・・・・・」
「あーもしかして煙草吸おうとしたでしょ? 前にも言ったけど駄目なんだからね、そんな不良さんみたいな事」
「分かってますよ。あんまり由夢の機嫌を損なうのはかったるいですからね。もうとっくに止めにしましたよ」
「そういう事なんじゃくて自分の体の事なんだけどなぁ。まったくもう」
「はいはい分かってますって。ほら、早く行かないとスーパー閉まっちゃいますよ?」
「あ、こら、ボクの話を聞きなさいっ!」
説教が始まりそうだったので俺は逃げる様に足を速める。脇からさくらさんが怒ったようにプンスカ言いながら
小走りで駆け寄ってきた。
そう、俺はもう煙草なんか吸うのを止めていた。どうやら由夢がさくらさんにチクッたらしく、それで説教されて以来
吸うのを止めていた。さっきの行為も癖になっていたもので、俺としても困ってしまう。
まぁその内治るだろう。あんな高いモノに手を出す程俺は金持ちじゃないし何よりさくらさんが嫌がるので俺は止めざる
を得なかった。なんだか口惜しい気分はあったが仕方が無いことだろう。
そしてスーパー前に付いていざ入ろうとした時、少しばかりトイレに行きたくなった俺は外にある手洗い場に行きたいという
事をさくらさんに告げた。
「すぐ追うから先行ってて下さいよ」
「もう、仕方ないなぁ。すぐに来てよー」
「分かってますってば」
そう言いトイレに駆け込む俺。まったく、これが気心知れたさくらさんでよかった。
初デートでもしこんな事やらかしたら情けないったらありはしない。
そんな事を思い、用を足してさくらさんを追いかけようとして――――珍しいものを見た。
「へぇ。珍しいな」
そこに居たのは花売りだった。種類は別にそんな多くは無く、むしろちゃんとした花屋さんに行けば望むモノは手に入るだろう。
路上にシートを引き、こじんまりとしていて俺的には何故か好感が持てた。なんだか慎ましく、買いたい人だけ買えばいう呈を
なしているその度胸が気に入ったと言うべきか。
だが確かに今時そんな商売をする人も珍しいが何より目立つのが―――――その花を売っている少女の姿だった。
綺麗な銀の髪、ゴシックな服、大きな緑色のスカーフで髪を止めているその姿。外国人なのは一発で分かった。初音島では外国人
は別に珍しくないのだがその少女はそれでも何か異彩を放っている様に感じた。
無機質な表情、感情の無い眼。それらは昔見た西洋人形を思わせる美しさがあった。
「こんにちわ」
気が付いたら声を掛けてしまっていた自分に驚く。そんな行動を起こす自分ではない筈なのだが、別に後悔はしていない。
なんだか放っておけない気持ちになりつい声を掛けてはいたが別に悪い事じゃないだろう。さくらさんの後を追いかけないと
という気持ちもあるがとにかく俺はこの子に話し掛けたかった。
声を掛けられた少女はそんな俺に目線をくれずただ黙ってるだけ。少し微妙な間が流れて顔を引き攣らせたいのを我慢
しながら根気よく話し掛けてみる事にした。
「め、珍しいな。こんな所で花売りなんて」
「・・・・・」
「あっちの通りにも花屋はあるけどこうやって個人でやってる人は初めて見るかも。昔は結構居たみたいだけどさ」
「・・・・・」
「・・・・・あのー」
「・・・・・」
駄目だ、反応無し。相変わらず視線を前に配ったまま身動きしなかった。
もしかして言葉が通じないのだろうかと思ったが花を売っているということは商売をしているという事だ。
もし日本語が分からなくても身振り素振りでなんとか意志疎通を図るというのに・・・・なんでだろう。
ふと時計を見るとさくらさんと別れてもう5分も経っている。やばい、最近のさくらさんは約束事に煩いので
これで遅れらたらまた説教だ。
それにこれ以上ココに居てはさくらさんに心配も掛けてしまうので、多少どころか結構名残惜しい気持ちがあるが
仕方が無い。話し掛けて置いてなんだがそろそろ行かなくては。
「あの、いきなり話し掛けてこんな事いうのもおかしいけど、ごめん。俺のこと待ってる人が居るからそろそろ行かなくちゃ」
「・・・・・・」
「暇が出来たらまた来るよ、迷惑じゃなければ、だけど。その時はちゃんと花を買うから、それじゃ・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・ん?」
裾を引っ張られる感覚。見てみると少女の手が俺のシャツの裾を引っ張っていた。
いきなりの事に困惑している俺を余所に少女は商売物であろう一輪の花をバケツの中から取り出し俺の手に握らせてきた。
その一輪の花――――山茶花(さざんか)?
「・・・・・」
「えぇと・・・・・」
「・・・・・」
「―――――もしかして、これを俺に?」
そう聞くと少女はコクっと頷いた。その初めて見た反応に俺はどこか嬉しくなってしまう。
さっきまで人形みたいに黙っていた少女が初めて見せてくれた動き。それだけで俺はどこか浮ついた気分になってしまった。
現金なものだ――――さくらさんの事があるというのに。もしかしたら俺は気が多い性格なのかもしれない。
「あ、ありがとう」
「・・・・・・・」
「もし、また見掛けた時は寄るよ。それじゃ」
そう声を掛け俺はさくらさんが居るスーパーに踵を返した。
貰った花をハンカチで包み、後ろを振り返るとその少女と目が合い更に嬉しくなった。
何処かで見た様な気がするが――――どうだっていいか。大切なのはこれからだって昔の人も言っていたし。
それにしても不思議な子だな。どことなくさくらさんにも似てるし・・・・ああいう子がタイプなのかな、俺。
「兄さぁん、飲んでますか~?」
「絡むのなら他の人に絡んでくれよ、由夢。そこに由夢の大好きな音姉がいるじゃないか」
「お姉ちゃんなんかどうだっていいですぅ。私はね~・・・・」
「お、お姉ちゃんなんか・・・・うぅ、由夢ちゃんがとうとう反抗期に・・・・」
「おーし、義之ぃ! 飲み比べしようぜ、の・み・く・ら・べ!」
「さくらさん。隣に未成年で飲酒してる学生が居ます。どうしますか?」
「退学かにゃ~」
「な、なんでオレだけっ!?」
今日は年末。いつもならさくらさんと音姉達と一緒に初詣に行ったりするのだが今回は違っていた。
そもそも渉が急遽皆で年末を過ごそうとか言い出したのが今回の発端だ。話を聞くとそんな気分だったという
ふざけた反応を返してきたのでケツを蹴り上げたのは昨日の事。
そして―――どこの店にも予約は取っていないし場所も無いと渉は恥ずかしそうに白状した。あまりの計画性の
無さに皆で呆れ返ってしまった。
そんな話をさくらさんに話したところ「じゃあボクがお店予約してあげるよ」との鶴の一声で今居るお店を借り
られたのは本当に奇跡に近い。
皆で頭を下げても下げ足りないくらいだ。特に渉、お前は自分のお金は自分で払えよな、まったく。
遠くでしょぼんと哀愁を漂わせている渉を無視して俺はさくらさんの横に腰掛けた。
「それにしてもいいんですか? こんな堂々と飲酒なんかしちゃって」
「まぁ今日は無礼講という事で。隠れて呑まれるよりはこうやって目の前で呑まれた方が監督しやすいし」
「ですか」
「ですよ。ほら、義之くんも飲んで飲んで」
「おっとと・・・・」
そう言って俺の空いたグラスに酒を注ぎこむさくらさん。なんだか変な気分がするなぁ、こういうの。
俺も酒は時々飲むが殆どは渉達と隠れて飲む事が多い。だからこうやって保護者公認というのはどこか座りが悪いな。
周りを見回すと皆好き勝手にやってるらしく、実に楽しそうだった。そんな様子を俺はさくらさんとぼーっと見詰めている。
「なんだかいいですね、こういうの」
「そうだねぇ」
「ええ」
「義之君」
「なんですか」
「ボク達付き合っちゃおうか」
「いいですよ」
お互い視線を前に投げ掛けたままそんな会話をした。
さくらさんは「ありがとう」と言ってまた俺のグラスに酒を注ぎこむ。
「皆には言えないね」
「そうですね。けどあえて言う事でもないでしょう?」
「それはそうか」
フッと笑うさくらさんの頭を撫でてやる。その行為に嬉しそうに頭を寄せてきた。
さくらさんと付き合う――――もう前から決めていた事だった。別に酒の勢いとかそういうのではない。
悩んだ。さくらさんと俺は親子、小さい頃からお世話になっている母親と言ってもいいぐらいの関係だった。
しかしここ最近の俺達の様子を考えるにもうそんな事は言えない。普通の親子ならキスなんかしないし抱き合ったりもしない。
まだ最後の一線は越えてないものの、恋人がする行為のソレを俺達は頻繁に最近はしていた。
だからそんな告白をされても俺は何を今更と言った感じだった。さくらさんの嬉しそうな顔を見てると告白を受けた事は間違い
では無い事がよく分かる。
「さくらさん」
「んー?」
「俺も好きですよ、さくらさんの事」
「浮気しないでね。義之君モテるから」
「しませんよ。絶対に」
そう宣言してさくらさんにキスをした。軽いフレンチキスみたいなものだが、それだけで幸せが身を包むのが分かる。
一瞬周りの喧騒が遠くになった感じがした。そして何故か感じる後悔のような念。すぐに打ち消した。
俺も笑ってさくらさんも笑っている。何も不都合など無い。そう、この幸福感に身を任せればいい。
何も考える必要などないだろう。そうして俺は考えるのを止めた。好きな女の子と付き合えたんだ、あんまりウダウダ
考える様な男じゃ愛想を尽かされてしまう。
「義之くん」
「なんですか」
「一生、傍に居てね」
どこか儚げに笑うさくらさんを見て俺は言った。
そんな風に笑わせたく無くて、悲しむ顔は見たくなくて。
精いっぱいに気持ちを込めて言った。
「いいですよ。さくらさんが望むのなら・・・・俺は」
「よう。儲かってるか」
「・・・・・・・」
「それにしても寒いな。こんな寒空の中ジュースを買いに行かせる友人の気が知れないよ」
あの後しばらくさくらさんの傍に居たが、由夢がジュースが切れたと騒いでいたので仕方なく窘める事にした俺。
そしたら「買って来て下さいよぉ、ジュース。兄さんならいけますってばぁ」と意味の分からない言葉を発してきた。
大体誰だよ、由夢に酒なんか飲ませたの。音姉の絡み酒といいこの姉妹は本当に酒癖が悪いったらありゃしない。
いくらなんでもこのクソ寒い夜の外を歩くのは俺としては勘弁してもらいたかったのだが周りに居た奴らにも煽られて
仕方なく俺が買いだし係になってしまった。本当に友達なんだろうかアイツらは。
年末だからか思った以上に明るく、店も開いていて本当によかったと思う。ここまで来て開いてなかったら俺は悲しみに
明け暮れるしかない。
そしてようやく買い物を済ませて帰路に着こうとした時、あの時の無口な少女がこの間と変わらない位置で花を売っているのを
見掛けた。最後に会ったのはあの買い物の時以来か。
そう考えるともうあれこれ二週間以上前という事になる。もしかしてその間もこの子はここで花を売っていたのかな?
「そうそう。最近――――ていうより今日の事というかさっきの出来事なんだけどさ」
「・・・・・・」
「彼女、と言っていいかどうかはアレなんだけど・・・・うん、恋人が出来たんだ」
「・・・・・・」
「さくらさんていう女性なんだけど、とても可愛くて頼り甲斐のある女性なんだ。まさか俺に彼女
が出来ると思わなかったよ、はは」
「・・・・・・」
世間話をするかのように話し掛けても無反応だ。まぁ分かりきった事と言えば分りきった事だけど少し虚しい気持ちに
なってしまう俺を誰が責められようか。
少し沈黙に耐えきれなくて周囲を見回してみて、少し気付いた事がある。前まで立派に咲いていた花が半分ぐらい枯れている。
確かにこんな寒空の中、花をずっと外に出していたら枯れもする。そんな事を分からない女の子にも見えないし、何故なんだろうか。
しかし俺はもしかしたら、と思った。本当にそんな知識さえ無い可能性もある。パッと見お嬢様っぽいし花を売ってるのも趣味なのかも
しれない。いわゆる金持ちの道楽というヤツだ。
その事を聞こうとして、その少女の顔を見詰めて―――――ぎょっとした。
「お、おい、大丈夫かっ!?」
少女の顔、かなり青ざめてる事に気付いた。無表情だからそんな気にならなかったが一度気にしてしまうとどれだけ調子が
悪いのが分かってしまう。
そして服を見てみると更に酷い。暗闇で分からなかったが洋服は煤けていて、恐らく車が弾いた泥を被ってしまったのか
所々に茶色い染みとか出来ている。立派なスカーフも今は見る影も無く汚れてしまっていた。
ただでさえ顔色が悪いと言うのにこれでは本当に見れたもんじゃない。大体肩もよく見たら震えてるし風邪をもしかしたら
引いてる可能性がある。
「病院は・・・ってこんな時じゃ閉まってるか。なら俺の家にでも連れてって・・・・」
そう思い少女の手を取った。しかしどこにそんな力があるのかどんなに手を引っ張ってもその少女はビクともしない。
あまりにも手に力を入れ過ぎた所為か顔を歪ませる女の子に、俺は思わず手を離してしまう。
事情はよく知らないがここからどうやら動きたくないらしい。本当なら無理矢理にでも引っ張って連れて行くべきだろうが
この少女にその意思が無いのではどうしようもない。先ほどの苦痛に歪んだ顔の事もあって俺は躊躇してしまう。
なら――――どうするか。このまま放って置く事なんか出来やしないしそのつもりもない。
「ああ、くそっ! なぁ君、少しそこで待っててくれっ!」
「・・・・・・・・」
俺はとりあえずそう声を掛け、コンビニにダッシュした。こんな時間に開いてるこの状況に合った店と言ったらコンビニしかない。
息を切らしながら入ってきた俺に店員は眉を寄せたが特に何も言いはしなかった。お目当ての物を買いすぐに店を出る。
その場所に戻るまでに体力を使い切ったか心臓がバクバク言っているが構ってられない。俺よりも女の子の方が辛いに決まって
いるのだから。だったら我慢出来る。
そうして戻ってくるとその少女は俺がコンビニに行く前と同じ姿勢で座っていた。あまりにも変わらないその様子に頭がくるが
それよりも今のこの状態を何とかしなくちゃいけない。
「はぁ、はぁ、・・・・ん、これ気休めだけど抗生剤。あと温かい紅茶に一応温めたパン」
「・・・・・」
「一応ここに置くから。絶対に飲んでくれよな」
今までの様子からして無理に飲まそうとしてもダメなのは分かっていた。だからその膝元に買ってきたものを置いておく。
このまま置いて帰るというのも気が引けるが買い出しの最中で俺は家に帰らなければいけない。そんな買い出しなんか
ブン投げてこの少女と一緒に居ようかと一瞬考え、諦めた。
一緒に居ても出来る事はもうこれ以上無いしやるだけの事はやった。俺が居てもこの少女はきっと何も変わらない様子で
この場に居続けるだろう。返って俺が居ない方が買ってきた物に手を付けやすいのかもしれないと考えたからだ。
だからせめてとも思い、着ていたジャケットを少女の肩の上に掛けてやる。嫌がっていない事に少し安緒し、俺はとりあえず
この場は退こうと踵を返した。
「じゃあ俺はこれで行くけど、何かあったらこの電話番号に電話してくれ。あと家はあそこの坂道を上った所にあるから」
皆に渡されたメモ用紙の裏に電話番号を記入してその紙を少女の前に置く。
反応は薄いがまぁいい。自己満足なだけかもしれないがこの子に頼って欲しい気持ちがあった。
だからとりあえず、今更だけど名前を名乗った方がいいのかもしれない。
「・・・・・・」
「今更自己紹介ってのも変だけど俺の名前は桜内義之。家の表札は芳乃って書いてあるけど、そこが俺の家だ。だから
何かあったらそこに来てくれればいい。もし誰もいなかったら鍵は植木鉢の下にあるから勝手に入っててもいいよ」
「・・・・・・」
「じゃあ俺は行くけど・・・本当にその薬飲んでくれよな。市販のだから効果は分からないけど飲まないよりいいからさ。
それじゃ――――」
「・・・・」
「・・・っと?」
そうして家に向かって踵を返そうとした時、手を掴まれた。その冷たさに、柔らかさにドキドキしてしまったがなるべく
表情に出さない様に俺は振りかえった。
この間と同じように引き留められる格好となった自分。少女は何か言いたそうな目でこちらを見詰めていた。
目の色合い――――読めない。何を言いたいか分からない。ただいつも通り無機質な目だけどこの一瞬だけは何かを
訴えているように感じた。
何を、と思ってる間にまた売り物の花の中から一輪の花を出してきて俺の手に握らせてきた。そのいきなりの行動に
俺は戸惑ってしまうが、とりあえず押しつけられたようにその花を受け取った。
一輪の花。今回は紫色のアネモネか。
「えぇと・・・またこれを俺に?」
コクっと頷く少女。もしかしてお礼のつもりなのだろうか。そんな見返りなんて求めていないのにと思って付き返そうとしたが
もう先程みたいに正すまいを直している。この様子じゃ返品は出来そうに無かった。
とりあえず善意で渡された事に変わりは無い。またこの間のようにハンカチでそれを包みポケットの中に入れた。
それじゃと言い背中を向けると感じる視線。振りかえるとこちらをジッと見詰めていたので手を振って俺はその場を後にした。
「久しぶりですね、こうやってさくらさんと歩くのなんて」
「えー、いつも二人で買い物とかしてるじゃんっ」
「そうじゃなくてこうやって散歩する事がですよ。子供の頃はよく散歩に連れてかれましたけど、この年齢になって
そういう機会もへりましたしね」
「まぁ、そういうものだよね、年齢を重ねるって。ボクもまさか義之君と手を繋いで散歩するとは思わなかったにゃ~」
「はは」
年末が過ぎ、元旦のゴタゴタが終わりようやく少し落ち着いた空気が戻ってきた。
こうやって公園を散歩、もといデート出来るのも世間の行事が一段落出来たからと言えた。
俺とは違いさくらさんは立派な社会人。あれこれ挨拶など顔見せなどで忙しそうにしているさくらさんに何も
出来ない事に対して歯痒い気持ちのまま正月を過ごしたのは記憶に新しい。
そんな俺にごめんねと言いながらまた走り回るさくらさんを見て俺がいかにガキかを思い知らせた。
だから今日の付き合い始めての初デートは、俺が全部奢る事にした。といっても公園を散歩するぐらいだから
ちょっとした出店でしか活躍出来ないのがなんとも心苦しい。
まぁ見栄を張ってデート失敗という事態はなんとか避けられたのでよしとするべきか。だが今度も公園で散歩
というのはいささか味気ないのでバイトでもしてみようと思う。
「義之君。今、もっとお金あったら楽しい所に行けるのにとか思ってたでしょ?」
「え、あ、はぁ・・・・そう思ってました、けど」
「そんなの気にしなくていいんだからね。ボクはこうやって、義之君と一緒に居れればいいんだから」
「・・・・ありがとうございます」
男名利に尽きる言葉だ。少し感動して涙ぐんでしまう。だからその様子を悟られない様に顔を少し背けた。
隣からはクスクスと笑う声が聞こえる。まぁ、結局お見通しなのは分かっていたけど・・・やっぱり恥ずかしい
ものは恥ずかしい。こんないい歳した男が涙ぐむなんてキモいったらありはしないから、気恥ずかしくもなる。
手を引かれる感覚。隣を見るとさくらさんはこちらを見て、笑みを深くし――――目を瞑った。
「はいはい・・・・ん」
「んぅ・・・・・」
こうして脈絡無くキスを求めてくるのはいつもの事なので別に動じはしなかった。
あの年末以降、告白の時から距離がずっと縮まった様な感覚がしていた。目も合う回数も増えたし、くっ付く回数も増えた。
そしてそれに釣られる様にキスも増え――――もう日常と化していた。
「はぁ・・・・へへ、やっぱり好きな人とするキスは格別だねぇ」
「そう言って貰えると俺も嬉しいですよ、本当に」
「で、義之くんは~?」
「えっ」
「好きって言ってくれないのぉ?」
「えー・・・・ゴホン、ゴホン」
「あーまた誤魔化したなぁ!」
頬を膨らませて繋いでいる手をブンブン振り回すさくらさんに対して、俺はなんとか嗜ませようとするがジタバタするので
なかなか落ち着かない。時々この人は俺より本当に年上なのかと言いたくなるほど子供っぽい行動をする時がある。
それは付き合ってから初めて発見したさくらさんの一面なので、嬉しい事は嬉しいのだが時々困る事が多い。
とは言ってもそれさえも微笑ましく感じるので、ああ、俺はこの人が本当に好きなんだと再認識させられるので
いいかなと思ってしまっている自分。そんな自分に俺はいつも苦笑いしていた。
「もぉ、義之君は本当に照れ屋さんなんだから」
「別にそういう訳じゃ・・・・ないと思います、けど」
「だったら言ってよぉ、好きって」
「・・・・・むぅ」
確かにさくらさんの事は好きではあるが、それを言葉に出して言うのはまだ気恥ずかしい自分が居る。
それを知ってる癖に時々からかうように好きと言えというのだから困っちゃうんだよなぁ・・・・。
まぁ、けど、結局言っちゃうんだけどな、俺。惚れた弱みというヤツか。
「・・・・きですよ」
「え~? 聞こえないにゃあ~?」
「―――――ッ! ああ、だから、もう! 好きですよ、好き! 大好きです!」
「・・・・・にゃふふふ」
「な、なんスか・・・・・その笑いは」
「ん~なんでもないよぉ~。ただ嬉しいなって思っただけ」
ヤケクソ気味に言ったのにも関わらず、さくらさんは満足したように笑顔になった。まるでさっきまでの様子が嘘のようだ。
笑顔と言っても何処か含み笑いするような笑みだったが気にしないで置く事にする。からかわれるのは年齢の関係上仕方の
無い事だと諦めていた。
しかしいつまでもこうしてはいられない。もっと俺が頼れるような男になればこういう事も少なくなる。せめてさくらさん
以上に立派な男にならなければいけないと度々俺は思う。
しかしさくらさん以上の能力を持つ男か・・・・何年かかる事やら。と、俺はその度にため息を付きたくなる衝動に駆られる
のだった。無理も無い、この人以上の凄い人とか見た事ないしなぁ・・・・。
「何そんな暗い顔をしてるの、義之君?」
「なんでもないですよ。それより桜の花、綺麗ですね」
「んー? まぁ年中咲き誇ってるし見飽きた気もするけどね、さすがに」
「そうですか? 俺なんか見る度に何かだか落ち着く気がしますけどね」
「そう?」
「はい。特に枯れない桜の木なんか・・・・」
公園から見える満開の枯れない桜の木。未だにそれは枯れる様子なんて無く、まるで『永遠』に咲くかの様に揺らめいていた。
それを見て――――俺は思わず立ち止まってしまった。
「ん? どうしたの義之くん」
「・・・・・・・・あ、いえ。なんでも」
「ふーん?」
さくらさんが少し眉を寄せて顔を覗き込むが気にしていられない。
なんだ、この焦燥感は。何を焦ってるのだろうか俺は。つい最近もこんな感覚を味わった様な気がする。
忘れている事を忘れているこの何とも言いようの無い奇妙な感覚。頭痛がした。吐き気もだ。
急に体調が悪くなり膝を付いた。隣で慌てる様に背中をさするさくらさん。頭がぼやけてきた。
「・・・・く・・・っ・・は」
「だ、大丈夫っ!? 今すぐに救急車を・・・・!」
「へ、平気です・・・ってば」
「何馬鹿言ってるのっ! 全然平気じゃないじゃないか、今携帯で呼ぶからそのままの体勢ね、分かったっ!?」
もう受け答える事が出来ない。手に力を入れても、握る力さえ残っていない。
いや、それは今日に限った事じゃないような気がする。いつから俺はこんなに弱くなったのだろうかとこんな時なのに
ふと疑問に思った。思わず苦笑いするように顔を歪めてしまう。
前まではもっと俺の握る拳は強かった気がした。何の根拠も無いがそう思ってしまう。本当に笑える話だ、前だって今だって
俺は俺の筈なのにな。なぜそんな事を疑問に思うのだろうか。
枯れない桜の木―――――俺はあそこで・・・・・
「ほらっ、救急車呼んだからもうすぐで来るよ、だからしっかりして義之君っ!」
さくらさんが切羽詰まった顔で呼びかけてくるがもう目の前の風景が俺には見えなかった。
遠くで聞こえてくるサイレンの音。それを聞きながら俺はゆるやかに暗闇に落ちていった。
ただ、その間際に聞こえた声だけはなぜか聞きとる事が出来たのは何故なのだろう。
そう、さくらさんは確かにこう言っていた――――――聞いた事の無い平坦な声で。
「早すぎたのかな。もっとゆっくり落とせば・・・・義之君も私も、すぐに幸せに―――――」
あの後病院に担ぎ込まれて念入りに検査された結果、診断はタダの過労という事だった。
もちろんそんなふざけた理由にさくらさんが激怒し、精密検査を受けさす様に医者に打診したらしい。
したらしいというのは、その時の俺はベットの中で寝込んでた最中だからだ。聞かされたのは倒れてから
五時間後というまた微妙な時間に起きた後、さくらさん本人から聞いた話によって知らされたからである。
最初目を覚まして見たのは涙目でぐしゃぐしゃになっているさくらさんの顔。俺が起きた事を確認すると感極まったのか
更に泣き出して俺はベットに寝ながら頭を撫でてやった。俺、病人な筈なのにな。
それから一カ月入院して精密検査でも問題無しと言われて晴れて退院と相成った。
春休みを殆ど病院で過ごしたという事実にヘコみそうになりながらも、俺は始業式に出る事が出来た。
さくらさんはもっと休んでていいとは言うがこれ以上家にさくらさんを一人っきりにさせる訳にはいかない。
その節の言葉を投げかけたら「ばか・・・そんなのいいのに・・・・」と泣きそうになりながら頭を叩かれたのは
つい最近の事。なんにせよ無事に学校が始まるまでに間に合ってよかったと思う。
「おいおい、義之。大丈夫なのかよ、体の具合は」
「おう渉。別になんてことないよ。ただの体調不良なだけだ」
「ほんとにぃ心配したんだからね~。私達もそうだけど小恋ちゃんなんかショックのあまり首を吊ろうと
しちゃってさぁ。愛って時々怖いわよねぇ」
「はは、まぁ、この間見た時はわりかし元気だと思ったんだけどな。人は見掛けによらないって事か」
「も、もうっ! 義之もからかわないでよ! でも心配したのは本当なんだからね? 体、もういいの?」
「あら、さっそく体の事を聞くなんて。小恋の大胆さには私も敵わないわね」
「だ、だからぁ~」
教室ではいつもの面子が集まり馬鹿騒ぎをしている。多分この光景は来年になっても続くのだろう。
そう感慨に耽っていると肩に手を置かれる感覚。大体いつものこのパターンはアイツだ、そう思って嫌々振り返った。
何が面白いのか皮肉気に口の端を歪ませて立っている男、杉並がそこには居た。
「どうやら地獄は満員だったらしいな、桜内よ」
「生憎だけどな。しかしなんでたって神様は俺をあの世に連れていこうとしたのかが分からん。普通なら
お前を連れていくべきだと思うけど」
「ふむ。して、その心は?」
「別に。ただ神様が好きそうな人は心の清い人だと思っているからな。善い心を持った俺が死んで
悪い心を持ったお前が生きているのは不公平だろ?」
「・・・・くくっ、そうかそうか。俺は悪人か」
「善人はクリパで爆破計画なんて立てないって。お前は将来外国でテロ起こしそうだな」
「ふむ、もし起こすならやはりアメリカか。いや、あそこはもう管理が行き届いているから今は北欧が・・・・」
「北欧でもグリーンアイランドでもいいけど行くなら一人で行けよな」
「何を言う桜内。行くとしたらお前も行かなくては話にならんぞ。昔の偉人も言ってるではないか
人々は悲しみを分かち合ってくれる友達さえいれば、 悲しみを和らげられる・・・とな」
「それ、不幸になること前提とした話な。それに航空写真で真っ白に映る所なんざ行きたくない」
お前は確かにシェイクスピアを好きそうではあるけど俺は別に興味なんてないから願い下げだよ、と伝える。
それを聞いた杉並は何を満足したのか分からないが笑みを濃くし、教室から出て行った。あいつとも結構な
付き合いになるが未だにアレの考えてる事が読めた試しが無い。
まぁあいつの事はどうでもいいか。今日は始業式で早く帰れるから、これからどうするかを考えなくては。
一番ベストなのはさくらさんと一緒に居る事なんだけど・・・・仕事の邪魔はあまりしたくない。
「どうすっかなぁ。さくらさんとは昨日家でちょっと話したぐらいだし、もっとちゃんと話して・・・・」
「あれ、義之。義之も行くでしょ?」
「ん? どこに行くって?」
「もぅ、話聞いて無かったの? カラオケだよカラオケ。たまにはいいでしょ?」
「カラオケ、ねぇ・・・・・」
「いいじゃねぇか義之。ここ最近付き合い悪いし、たまには俺達に付きあってもいいだろー?」
「まぁ、無理にとは言わないけどね。私達は」
そう言う杏だが・・・・確かにここ最近さくらさんになまけてばかりで友人付き合いを疎かにしている節があった。
杉並の言葉ではないが友人は大切にしなければいけないと少し思う。なにせ昔からの腐れ縁だ。これからも付き合って
いくことだろう。
まぁただ単にこいつらと馬鹿騒ぎするのも好きってのもあるけどな。とりあえず帰りが遅くなる事をさくらさんに伝えて
今日は死ぬ程楽しむ事にしようか。
「オーケー、一緒に行くよ。それで場所はいつもの商店街のところか」
「お、今日はノリいいねぇ義之。そうでなくちゃ」
「場所はいつものところよ。行くならさっさと行きましょう」
「あーん、待ってよ杏ー」
そそくさと手荷物を持って出ていく杏を追いかける小恋。それを追う様に飄々と付いていく茜といつもの光景だ。
いつもの光景。昔から俺はこの光景を見慣れた筈だった。なのに纏わりつく違和感。本当に昔から俺はこの光景を
見ていたのだろうか。
いや、止そう。病み上がりで少し参ってるだけだ。またこうやって行動していけばすぐにそんな違和感なんて消える。
そう思いながら俺もさっさと手荷物を持って教室を出た。
「さぁて、今日は何を歌うかなぁ」
「もう、渉は一度マイクを持つと離さないんだから。今日はそういうの禁止だからね?」
「わぁーてるって月島。安心しなさいってっ!」
「・・・・本当に大丈夫かなぁ」
月島と渉が話してるのを端目に俺はさくらさんにメールを打っていた。
今日は遅くなりそうだから晩御飯は先に食べていて下さいと。まぁ、いつも遊ぶ時はこういう感じだ。
メールを打ち終え前を見る、と、何やら感じる視線。茜と杏がこちらを見て何やらにやにやしている。
「もしかして彼女さんにメールですかにゃ~?」
「一人身には羨ましい事だわ。死ねばいいのに」
「・・・・お前ら勝手言うなよな、ったく」
「じゃあ誰にメールしてたのよ。義之君がメールしてる所なんてあんまり見た事ないけどなぁ、私」
「そうね。いつも淡白そうにしていて携帯なんて弄る人種では無い事は確か。これは何かあるわ」
「お前らが俺をどういう目で見てるかよく分かったよ」
確かに俺はそんなにメールをする人種では無い事は確かだ。
それなのにここ最近メールを欠かさない様にしている俺を不審がっても・・・・まぁ仕方の無い事なのかもしれない。
だって付き合い始めてからさくらさん、授業中でもメールしてくるから無碍に出来ないんだよ。だから授業中で
もメールしている姿を杏とかに見られていたのだろう。
席も隣だしなぁ。
「だって、ねぇ?」
「ねぇ~、杏ちゃん」
「言ってろよ。大体だな――――」
音が鳴った。あまりにもといえばあまりなタイミング。茜と杏は二人は更にニマニマしてこちらを見ていた。
俺はため息をつきたいのを我慢しながら携帯をポケットから出して手に取る。ここで取らないと更にからかわれるのは
火を見るより明らかだったから仕方ない。
それしても――――メールじゃなくて電話ときたか。いつもならメールで事足りる筈なのにな。
若干不思議な思いをしながら通話ボタンを押す。
「はい、義之で――――」
「どこにいるの、今」
一瞬、息が詰まりそうになった。思わず足を止めてしまう。杏達も前を歩いている渉と小恋も釣られて足を止めるが
気にしている余裕なんて無い。
さくらさんの声。いつも通り穏やかで明るい声ではなかった。平坦で、感情が読めない機械みたいな声だと頭の奥で
そう思った。無機質というかさくらさんらしくない声だとも思う。
固まった喉を動かすのにちょっと咳払いをする。これで少しは喋る事が出来た。
「渉達と一緒に、商店街を歩いてますけど・・・・」
「ふぅん」
茜達と歩いているとは言えなかった。ここでなんとなく女の子の名前を出すのは憚られたからだ。
しかし人の内面を見通すのに長けた女性だ、俺の思ってる事なんてきっとお見通しなのかもしれない。
手に何故か汗が出始める。もしかして怒ってるのかと考え、否定した。さくらさんは怒る時は感情をちゃんと出して
怒る筈だ。だから俺は今こんなにも不気味がっている。
「義之君さ、一昨日まで入院してから体調万全じゃないんだよね。あんまり無理しないで欲しいなぁ」
「別に無理なんか、してないと・・・・思いますけど」
「本人に自覚症状は無くても体が弱って悲鳴を上げてる事なんかよくある事だよ。それに今日は
ボクと一緒にお散歩しようって約束してたじゃないか」
「あ・・・・・」
確かにしていた。夕飯時の話だからすっかり頭から抜けて落ちていたが確かに約束していた。
それなのに久しぶりの友人との会話で浮かれて忘れてしまっていたらしい。少し罪悪感を感じるが、一方で疑問に思う。
そこまで――――の事なのか。確かに約束を破った俺に責はあるが、そこまで冷え切った声を出す程の事なのだろうか。
女性の心を分かっていないと言われればお終いだが、それでもと思う。今のさくらさん、まるで何かを気にし過ぎているかの
ように感じた。
その何かは分からないが・・・・このままじゃまずいという事だけは理解出来ていた。
「すいません。その事に対しては謝りますし、今度埋め合わせは絶対します。だから今日は・・・・」
「・・・・・待ってるからね」
プツッと切れる通話。俺はそれにしばし呆然とするも、なんとか電源ボタンを押して一息付く。
結構緊張していたみたいで背中がヒンヤリするが、安緒感も少し出た。今までさくらさんと話してて緊張
する事なんて無かったのにな。
そうして俺は後ろを振り返り、待たせていた友人達に今日は行けない事を伝えようとした。
また付き合いが悪いだの彼女いる人はいいねとか嫌味を言われそうだけど仕方が無い。
待ってるなんて言葉を聞かされたからには、そうするしかないだろう。
「わりぃ、今日はやっぱ――――」
「そうだわ。カラオケは無しにしましょう」
「・・・・・・・は?」
「なんで私達カラオケなんかしようと思ったのかしら。帰りましょう」
「ちょ、ちょっと・・・おい」
「そうだな。今日は帰ってゆっくり過ごすのが一番ベストだな、月島」
「そうだねぇ」
「私もなんだか今日はノリ気じゃないわねぇ」
さっきまで盛り上がっていた様子が激変したかのように感じた。まるで憑き物が落ちたみたいに帰ろうと言いだした
友達連中に俺はまたもや茫然としてしまう。
何かがおかしい所じゃない。もしかして俺とさくらさんの会話を聞いて、もしくは俺の様子を見て気を利かしてくれたのか
とも思ったがそうでもないように感じる。
とにかく俺は強烈な違和感を感じざるを得なかった。いくらなんでもこれはおかしい・・・・。
「ほら、義之帰ろうぜ」
「あ、ああ・・・・」
肩に手をポンと置かれて歩き出す。なんにしたってカラオケはお流れらしい。
俺は皆に置いてかれない様に同じように踵を返した。
その不気味とも言える違和感を抱き抱えながら・・・・・。
そうして帰っている時に俺はふと思った。あの花の売り子ちゃんは居るのかなと。
大体いつもこの場所で花を売っているからこの辺に居る筈なんだけど・・・・おかしいな、見当たらない。
そうやって忙しく目を動かしていたからか、茜に不思議そうに声を掛けられた。
「なぁに義之君。そんなにキョロキョロしちゃって」
「ん、いや、そうえいばいつもここで花を売っている女の子が居たなぁって」
「ああ、そういえば居るわね。今時珍しいからよく覚えてるわ」
さすが記憶力がいい杏は知っていたみたいで話に乗っかってきた。
そしてその子はそれなりに有名らしく、皆も話を聞いているうちに思い出してきたのか「ああ」と納得
するような声が起き上がる。
この間会ったのは・・・・年末の時だったか。今頃何をしているのだろうか。体調が悪かったみたいだし
さすがに家に帰っただろうか。出来ればそうして欲しかった。
これ以上無理をさせたくない。何故かぼんやりだがそう思ってしまう自分にまた違和感。これ以上って、何の事なのか。
寒空の中、花を売ることなのか。それとも花を売るなんていう生活の足しにならなそうな事をやっている事に対してなのか。
それとも―――――――
「ん・・・・・あっ」
「どうしたの義之?」
いつもの場所に差しかかった時、俺は物凄く驚いた。いや、驚かない方がおかしいだろう。
彼女がいつも座っている場所、そこには誰も居なかった。いつも人形みたいにビクともしなかったからその
光景はかなり衝撃的だったと言える。
俺は皆から離れてそのシートが引いてある場所まで行った。小恋が何か言った様な気がするが悪いが無視する。
いつもここに座っていた不思議な女の子。その子がここに居ない。それだけで俺は急に不安に駆られた。
トイレに行ってるだけかもしれない。たまたま買い物に行っているだけかもしれない。彼女だって生活
というものがあるから別に此処に居なくたってなんら不思議ではない。
だというのに――――とてもそうは思えなかった。根拠など無い。ただの直感で、しかし外れているとは思わない。
シート横にはもう数種類しか残っていない花。全部枯れ果てており、もう売り物じゃない呈をなしている。
そしてそこの横にある開封されていない薬の箱とカビたパン。俺が彼女にあげたものだった。
「うわぁ、酷いありさまだなぁ、こりゃ」
「・・・・そうね。まるでずっとここに居たみたいに汚れてるわ」
杏の言うとおりだ。シートなんか風と雪の所為か萎びており、座っていた場所だけ変色していない事からずっとここに
座っていた事を窺わせる。
ぞの事実に、俺は改めて愕然とした。ずっとこんな場所で、一人っきりで、寒さとかを凌がず居たと言うのか。
確かにここに居る事は多いと思った。おかしいとも思っていた。だが彼女は人形みたいでも・・・・生きている人間だ。
生きていれば寒いと思うし、商売をしているならどこか人がもっと居そうな場所に移動する事だって出来る筈なんだ。
なのにそういった様子がまるで見受けられなかった。心が痛くなる、悲しくなる、胸が波打った様にざわめく。
言いようの無い感情に囚われる自分とは対照的に、茜達の反応はとても淡白だった。
それこそ、さっきの違和感を助長するかのように・・・・。
「ま、どうでもいいけどねぇ。さっさと帰りましょう」
「そうだなぁ、なんか寒くなってきたし。そろそろあったかいお茶でも飲みたいわ」
「お爺ちゃんじゃないんだから・・・・」
「そう言っている小恋も本当はお茶大好きだものね。嫌だわ、若いのって私だけかしら?」
「もう、だから私でオチをつけないでよ~・・・・」
もう興味が失せたのか踵を返す皆。俺は『そんな奴ら』なんか気にせず周囲を見回した。
近くに居る筈だ。絶対に。そう思いながら少し離れた所に裏路地に繋がる道を見つけた。
滅多に通らないのでその存在を忘れていたが、そういえばここから商店街の裏に行ける筈だったとすぐ思い出す。
(ここに居なきゃ別の所を探すか・・・・とりあえず彼女の姿を見つけたら、意地でも連れて帰らくちゃ)
『連れて帰る』の所を強く思いながらそこの裏路地の入口まで走った。杏達が何事かと見てくるが構ってやる気はさらさら無い。
息を切らせ、路地裏の奥を見渡して――――――愕然とした。あまりの事実に、膝が着きそうになる・・・・・。
俺は無理にでも自分の家に引っ張っていくべきだと、この時、死ぬほど懺悔した。
「よう、こいつどうする? なんか反応なくてつまんねぇんだけどさ」
「別に放って置いてよくね? どうせ外国人だし警察に掛け込んでも無視されるって」
「しかし本当に汚いなコイツ。最初から汚れててきたねぇと思ったけどもう見るだけでも嫌だわ」
「そんな事言ってお前が一番出したんじゃねぇかよ、この変態」
「うるせーって! しばらく女日照りが続いたからしょうがねぇだろ」
男達に囲まれて、もうボロボロの姿をしている少女。服なんか殆ど破けており、スカーフも解けて無造作に髪が解き放たれていた。
何をされていたか――――想像したくない。想像したらあまりにも自分の考えていた事の浅はかに死にそうだ。
こうなる事を考えなかった平和ボケしている自分を殴りたくなる。一人きりで花を売り、いつもあそこに居て、どこか
可憐な印象を与える無機質な外国の女の子。
そんな子がいくら日本とはいえ、どうなるかなんてすぐ考えたら分かる事だった。実際にあの少女はそういう目に合っている。
それよりあの子を助けなくちゃと思い、駈け出そうとして――――肩を掴まれた。茜の手だった。
「―――――ッ! 何で止めるんだよ、茜っ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてよ義之くん! 相手は四人なのよっ!? それもあの中の二人って結構有名な不良じゃない」
「それに他校の生徒も混ざってるわね。いかにもって柄でロクな人種じゃなさそうだけど」
杏の冷静な声が癇に障る。引き留める茜の手を毟りとりたくてしょうがない。唖然としてる渉と小恋にそんな事してる場合じゃないと
怒鳴りたくなってくる。
そう失望に似た思いをしながら、俺は皆に引き留められた。意味が分からない、何故止めるんだ。何故助けてあげないんだ。
彼女は何もしていない。なのにこんな目に合ってるのはどうしても許せた事じゃない。神様だって、誰だってそう言う筈だ。
「せ、せめて警察とか呼んでそれからにしようぜ、な、義之」
「ふ、ふざけるなよ渉っ! お前そんな事言うヤツだったか、ああっ!? お前は馬鹿だけどそこまで腑抜けた野郎だったかっ!?」
渉の言葉に俺は信じられない様な目を向ける。こいつは馬鹿だ。馬鹿だけどそうやって物分かりのいい振りをする程腐った
野郎だったか。肩を掴まれた手を振りほどきながらそう言ってやりたかったが、もう怒りのあまり言葉が出て来なかった。
確かにそれは正しい判断だろう。しかるべき人達を呼んで、しかるべき報いを与えさせる。確かに百人居たら百人が正しい
と言えるほど真っ当な手段だろう。
しかし、俺はこんな様子を見せつけられて黙ってる程物分かりのいい大人じゃ無い。ガキだ。一人で生きていく事も出来やしない
し稼ぐ事も出来ない。鼻水垂らして毎日を過ごしてる様なクソッタレなガキだ。
だが――――許容出来ない事がある。許せない事がある。ああやって無抵抗な女の子を無理矢理強姦していた男達を許せる程
俺は神様でも仏様でも何でもない。ただのガキなんだからそれは当然だ。
いや、違う。そんなのは建前だ。
ああ、今になってようやく分かった。
きっと俺はあの子の事を・・・・・・・
「離せって、この―――――」
もういい、こいつらを殴ってでも助けに行こう。そう思った時、何かポケットから落ちた様な気がした。
暴れてる時に落ちたのだろう。なんだ、と思いそれに視線をやると―――――ああ、と思った。
その瞬間、止まっていた時間が動き出した。体の底から力が湧き上がってくる。頭の回転が急加速するのを感じる。
「―――――そうか、そうだった」
「や、やっと落ち着いたのね。ほら、あっちに行って警察が来るのを待って・・・・」
「離せよ、このカス女」
「えっ」
ゴッと鈍い音。肘を思いっきり顎に喰らわせてやったからしばらくは動けないか。まぁ、どうでもいい。些細な事だ。
人形を拾い上げて埃を落としてやる。アイツから買った下手糞な人形。ポケットに入れたままだったらしい。だから
携帯とか入れにくかったのかと一つの違和感が解消されて胸の内が少しスッキリした。
つーか茜、てめぇそんな女じゃねぇだろうが。ケツを蹴っ飛ばしてでも助けに行けとか言う生意気な女だった筈なのに
いつからそんなピヨった考えをするようになったんだ?
まったくもってらしくねぇよ、本当に。お前は例え自分が強姦されようが助けにいく女だ。間違っても冷静に物事を判断
して行動するような頭なんざ持っていない事は今までの経験から知っている。
だから――――お前は茜じゃないって事だ。だったらそんな糞みたいな言葉を吐く女なんてどうだっていい。車に轢かれて臓物撒き
散らしたって何の悲しみなんて湧かない。当り前だ、カスが死んだところで涙を流す程、酔狂じゃ無い。
後ろで驚きのあまり茫然としている渉達に一瞥をくれて、『オレ』は走り出した。弾けるように、息を止めて出来るだけ早く。
男達がオレに気付いて後ろを振り返ろうとするが、遅い。ポケットから出したガラス片をその男の片耳に突き刺してやった。
さすがオレだな。火炎瓶で砕け散ったガラスの破片を一応拾っておいたらしい。手癖が悪いのも偶には役に立つ。
「ぎ――――」
「叫ぶなよ、気持ち悪い」
ゴリっと捻ってやると、痛さのあまりに白眼を向いて気絶した。男の悲鳴なんて聞いても気持ち良くないからな。
冷静に周囲を見回すと動揺する男達が目に映った。当然の反応だと思う。いきなり現れた男が友人一人の片耳にガラス片
を突き刺して失神させたのだから。
あまりの異常事態に口をパクパクさせている男達を余所に、オレはその少女の傍に近寄り、声を掛けた。
「悪い、遅くなったな―――アイシア」
そう言うといつもの無機質な目がオレを見る。だが、その目はどこか嬉しそうにオレを見ていた。
今思えばオレはこいつの事を舐めていたのかもしれない。会って短いがオレはこいつの事を弱い人間だと思っていた。
すぐ涙目になるし、子供っぽいし、下手糞な人形を大切そうに持ち歩いてるし。とてもじゃないが年上に見えなかった。
だからだろうか。さくらさんと対峙する前に立てた作戦でこいつを頼らなかったのは。全部オレ一人でやるような作戦
だったし、その時はそれがベストだと思っていた。
覚悟を決めたというこいつの言葉を信じなかった。軽く見ていた。舐めていた。酷い話だ、巻き込んどいて除け者にするか
のようにオレ一人でケリをつけようとしていた自分に失笑してしまう。
しかし実際は全然違っていた。地に伏しているアイシアの手を握る。前よりも冷たくなっている手が更にオレを冷静にさせた。
こいつは強かった。この世界じゃアイシアは異物的な扱いの抑制を受けていたに違いない。招かざれる人間だからそれは当り前だ。
だからいつも人形のようにしか動けず、力も行使出来ないでただ居る事しか出来ない。こんな目に合ったのも恐らく一度や二度では
無い筈だ。そんな事さえ気付かなかった自分に腹が立つ。
二回目会った時についていた乾いた液体はなんだ。なぜそこに居るだけで擦りキズが出来る。頬に付けられた殴打の様な跡はなんだ。
この世界はアイシアには優しくない。きっと枯れない桜の木はこいつの事を追い出そうとして、今みたいな事が何回か起きていた筈だ。
桜の木に取りこまれて今まで過ごしてきた自分。この世界がどういう世界かを感覚的に知っている。ここはオレにだけ優しい世界だ。
しかしこいつはそんな事をされても居続けた。何のために――――決まっている、それがこいつの覚悟だったから。オレを信用していたからだった。
そして彼女は、アイシアはそんな何も出来ない様な状況でも、オレを助けようと必死に足掻いてくれていた。必死に出来る事をして。
山茶花の花――――困難に打ち勝ってくれ。
アネモネの花―――――あなたを信じて待っている。
そして今、手に握っている一輪の本当に小さいカーベラの花―――――希望。
「そこまでアンタに信用して貰えてるとは思わなかったな。そして悪い、約束守れなかった」
オレは守ると約束したのに結局、嘘を付いてしまった。
言い訳してもしれきれない。守ると言いながら・・・・守られていたのはオレだった。
早々にこの世界に溶け込まなかったのも、アイシアのお蔭かもしれない。彼女の存在が無かったらオレはもうとっくに
消えていただろう。
さくらさんの事があるのに気になる女が出来ちまったからな。そりゃ桜の木もそんな浮気モンの事は受け入れてくれはしなかった
らしい。いや――――この場合桜の木がどうよりさくらさんかな。あの人ってけっこう束縛する派みたいだし。
だから中々完璧に落ちないオレに焦って、今回みたいに突発的で違和感ありまくりの事をしでかした訳か。
まったく、普段は完璧な頭してるのに焦り始めると坂道転がるようにどんどん視野が狭くなるんだからな。
「・・・・・て、ないです」
「ん?」
「約束、破ってない、です・・・・・」
「そんな事―――――」
「だ、って・・・・来て、くれた、じゃないですか・・・・こうや、て」
「――――――――」
「あなた、は・・・どうしようもない、不良さんですけど・・・・約束は守る人、だって・・・・・分かってましたから」
ああ、本当に信用されていたんだな。こんなしょうもない奴の言葉なんか信じて人が善いったら無い。帰ったら説教しなくては。
もう限界が近いのだろう。言葉を吐くのだってかなり力がいる事は分かっている。だから今までだって喋ろうとはしなかった。
何ヶ月もの間ずっとそこに居続け、酷い事も沢山あったろう。体力も精神的にももう終わりが近いのが見て取れた。
だからオレは言ってやった。今度こそ、自信を込めて。
「ああ。だから後の事はオレに任せろ」
あと、ありがとう―――――そう言うと今まで無機質だった表情に少し笑みが浮かび――――目を閉じた。
多分もう二度と目は開く事はないだろう。だから上着を掛けてやる。これでお前にあげる上着は二着目か。
金のかかる女だよ、本当に。だけど嫌いじゃねぇ。それだけの価値がある女だったらなんでも貢ぎたくなるしな、オレ。
「お、おいコラァ!」
「あ?」
「なにいきなり現れてふざけた真似してんだよ、テメェ!」
「お前桜内じゃねぇか・・・・こんな真似して・・・タダで済むと思うなよこの野郎っ!」
ああ、思いだした。こいつら居たんだっけか。上等な女と話してたからすっかり存在忘れてたわ。
そして何処かで見た顔もある。確かコイツこの世界に来てオレに膝蹴り喰らわせたヤツか。
ちょうどいい、纏めてブン殴れるから手間が省ける。女以外であんまり手間掛けたくねぇからなオレは。
茜といい、エリカといい、さくらさんといい。手間のかかる女ばかりで参っちまうな。
だからこういう時ぐらい手間は無い方がいい。スマートに片付く。そして今の煮えたぎった精神状態をぶつけるのに
ちょうどよかった。
「な、こいつ・・・・」
「こけおどしだから心配すんなんってっ! こいつは喧嘩はよえーから三人で掛かればすぐにボコせるよ」
「た、確かにそうだったけど・・・・でもよ・・・・」
オレは今本気でキレている。こいつらが対峙した時とは比べ物にならないぐらい頭にきていた。それが表情に出たのだろう。
怯えてるコイツらを見てるとそれが益々癇に触る。こんな中途半端な奴らにアイシアはやられたのかと思うと殺しても殺しきれない。
その目を抉って内蔵を引き摺り落としてやりたい。その股間にぶら下がっている汚いものを口に詰めて首を切り落としてやりたい。
手を握って拳の形を作る。力は元に戻っていた。いつもの強い力だ。弱さなんて無い、いつものオレの拳。
頭も冴えきっている。おそらく今までで一番冷静な自分になれている。という事は多分こいつらは死ぬかもしれない。
だが構いはしない。どうせ全部ニセモノだろうからな。それにどっちみちアイシアが受けた屈辱を返さなくてはいけない。
スッと一呼吸し、体を落ち着かせて体制を整える。呼吸も心拍数も何もかも正常通り。そう、問題は何も無い。
後は―――――オレのやりたいように、やるだけだった。