※このルートは誰とも付き合わなかった場合のルートです。全員(美夏、エリカ、茜)と曖昧な関係のまま、時は五月。そんな日々の話。
※from road to roadのIF話ですので、そちらを読んでいない方は先にそちらを読んでくれれば幸いです。
肺まで吸い込んだ紫煙を、フゥ―と吐き出す。もやもやとした煙が空気中に取り込まれる様をぼーっと見詰めた。
空は蒼く広がっており雲一つない。朝の天気予報では確か降水率40%だった筈だが、どうやら外れのようだな。
屋上から見る限りじゃそんな様子は一つも見られない。桜も相変わらず満開で気温も丁度よく心地よかった。
「相変わらず平和だよなーこの島って。何か面白い事でも起きねぇかな」
一人ゴチてまた煙を吐き出す。気を抜けば眠ってしまいかねない程ここは居心地がよかった。
貯水庫の裏側は思ったより寒くも無く暑くも無い。煙草の灰が落ちそうだったので脇に置いてある缶に灰を落とし、また口に咥える。
さて、今日一日はここでサボって―――――と、思った瞬間、屋上の扉が開かれる音がした。軽く舌打ちをする。
「桜内ーっ! いるんでしょ、ココにっ!」
少しヒステリックに上ずった女の声。思わず天を仰いで空を見てしまう。此処なら見つからないと思ったが希望が外れた。
ちょうど此処は死角になっていて探そうと思わなければ見つからない様になっている。だが、その女性の足音は段々こちらに近づいて来ていた。
オレが此処に居る事を確信に思った足取りだ。まぁ、サボるのにテンプレ的な場所だしな此処。腕を頭の後ろに組んで目を瞑った。
「あ、やっぱりここにいたんだ! 何やってるのよ、もうっ」
「少し自分の人生について考えてたんだよ。誰にだってあるだろう? 急に先行きが不安になったり楽しみになったりする
支離滅裂な感情。思春期特有の感情だ。そういう時は一人になりたい、委員長にだってそういう時があるよなぁ?」
「そんな事言って、本当はかったりぃとかそんな事しか考えていなかった癖に」
「酷いな。委員長にそう思われていたのは心外だ。この間クラスの調査書手伝ってあげたのによ」
「あ、あれは! ・・・・その、ありがたかったけどさ・・・・」
何でも一人でやろうとする。自己犠牲に似た性格の持ち主だった。弟一人で母親は病気、父親は他界という環境のせいかそういう性分だった。
別にオレが手伝う必要も無かった。係でもなんでもないし、あったとしても放り出す性格なオレだ。いつもなら無視して通りすがる場面。
けど、偶々そんな忙しそうに焦るようにプリントを纏めていた委員長と、これまた目が合ってしまい――――かったるい事に手伝ってしまった。
目が合ってしまっても本来なら無視する所。だが、案外不器用でもたもたしている委員長を見てるとムカッ腹が立ってしまった。
色々お礼やら何やら言ってきたが聞かない振りをして教室から出た事を思い出す。気まぐれの行動なのに感謝されるのは座りが悪かった。
「ありがたいと思ってるなら、放って置いてくれ。今日はちょうど腰がヘルニアで動けないんだよ」
「そ、それとこれとは別よっ! ホラ、そんな嘘言ってないで立ちなさいっ!」
手を掴み無理矢理立たそうとする。実にかったるい。かったるすぎる。
委員長ももれなく力が弱い部類の女なので、少し力を入れると肩を震わせて力の無さをアピールしてきた。
はぁ、とため息を一つ。オレの周りはお節介焼きな女が多いのでウザったい事この上ない。
「んだよ。そんなにオレの手を握りたいのか。案外積極的だな、委員長は」
「ば、ばかっ! からかわないのっ! あんまりふざけてると学園長に言いつけて―――――」
「そんな色気のない言葉じゃ・・・・ちょっと動けないな」
「あ、―――――きゃ」
スクっと立ち上がったオレに一瞬茫然とする委員長。オレの手を掴んでいるその手を逆に握り返して、貯水庫に体ごと押し付けた。
柔らかく押し付けたので痛みは無い筈。だがびっくりさせられた事に腹を立てたのか、文句を言おうとして――――目を逸らしてしまう。
オレの目がふざけてる目に見えなかったからだろう。何処かソワソワした空気を持って、目をきょろきょろさせている委員長に語りかける。
「なぁ、麻耶」
「な、な、なにかしら、私と桜内は名前で呼び合う様な関係じゃ無かった筈だけど・・・・・」
「これからそういう関係になったりして、な」
「何言って―――――」
つい、と委員長のジャージ姿を舐めまわす様に見る。その視線に何やら不穏の空気を感じ取った委員長が体を捻らせて逃げようとするが
ビクとも動かない。焦っているなら尚更それは叶わないだろう。
片手を押さえられた人間というのは構造上、違う部分を動かそうとしても無理なのは知っていた。勉強で覚えた訳じゃない。喧嘩で覚えた事だ。
紅くなる顔。緊張してきたのか、呼吸が一定に保たれていない。目を合わせてやるとピタッと動きを止まらせた。この程度は造作も無い事だった。
「い、いやらしい目になってるわよ、桜内・・・」
「冗談のつもりだったんだが・・・。なんかその気になってきちまったな」
面倒臭い女なのは知っているが、その妙に女らしい肩と足の細さに少しばかり情欲が湧き立つのが分かる。
いつも制服ばかりだったから気付かなかったが中々の体付きだった。茜がグラマスな体系なら、委員長は少女みたいな可憐さを思わせた。
・・・・・んー・・・マジでどないしようか。どうせ此処には物好きなヤツしか来ないしなぁ。握った手を今度は柔らかく包み込むように握った。
「・・・人、呼ぶわよ」
「呼べばいい。それで委員長の気が済むならな」
「あ、後で花咲さんとか天枷さんに言い付けてやるんだから・・・・」
「こういう時は他の女性の名前を出すのはルール違反だな。マナーがなっていないぜ、麻耶?」
「それは男性の場合でしょ・・・・」
「男も女も変わりはないさ。そんな事も分からないクソ生意気な口を閉じさせてやろうか?」
「・・・・・・・・」
逃げられない雰囲気を悟ったのか、段々委員長の体から力が抜けていくのが手に取るように分かる。
本人は気付いていないだろうが、困ったように見上げる上目遣いの視線も、乾いた唇を舐める仕草も、全部誘ってる様にしか見えない。
本気で抵抗したら止めてやると思ったが・・・・そんなに期待されちゃ、男が廃るか。これでも最低限のマナーは分かってるつもりだ。
オレが少し顔を近付けると、何か決心したように委員長は目をギュっと瞑った。
そして、その可愛い唇に、そっとオレは―――――――
「はぁい、そこまでよ。よっしぃー」
「―――――――ッ!」
「オッケー、分かったよ。だからその背中に触れている物騒なモノどけてくれないか? 茜」
まぁ、だよな。扉から誰かが入って来た音は聞こえてたし。まさか茜だとは思わなかったが。
委員長は驚いたように目を見開き、茜を見る。なんだ、やっぱり気付いて無かったのか。
脇にゴリッと固い感触。前に茜に見せて貰った事があるモノだった。委員長は弾かれたようにオレの腕から逃げていき、茜の背に隠れる。
スタンガンを押しつけられているのでその行動を端目に見た。隠れてフゥーッとオレを威嚇するその様はまるでネコみたいだなと思った。
飼った事は無いが嫌いな動物では無い。人間の言う事を聞かず気ままに行動する様は見てて気持ちの良いものがあった。
「安いから買った物だけど・・・・どれくらいの出力あるのかしらねぇ。試していいかなぁ、よっしぃー?」
「安いって事は出力が安定していないって事だ。ちゃんと規格通りに作られてるのかよ、ソレ。危ないからどけて欲しいな」
「ちゃんと謝ったらねぇ」
「そ、そうよっ! このスケベ、女たらしっ! そのまま感電してしまえっ!」
「りょ~かい~」
「わ、悪かったよ。勘弁してくれ。少しばかりからかいすぎたな。本当に悪かったと思っている」
焦った声を作って取り止めさせる。いくらオレでもこの状態から脱出する事は出来ない。嘘でもいいから謝る事にした。
茜は少し信用ならない顔を作ったが――――――スタンガンを取り下げた。安緒した気持ちが生まれる。本当にやりかねないからな、この女。
そうしてやっと自由になったオレは振り返り、茜の姿を正面に捉える。委員長と同じくジャージ姿だった。
「なんだよその格好。そういうプレイが好きなのか、お前」
「倒錯感とか禁忌感があって嫌いじゃないけどぉ、今日はそういうつもりはないわよ」
「今日はって部分が気になるが・・・なんの用だ。今日一日ここでサボろうと思ってたのによ」
「なぁに言ってるんだか。そんな事許されないわよぉ。義之くんには今日は絶対に働いて貰うんだからねぇ。でも、驚いちゃった。
義之くんを探しに行った麻耶ちゃんを気になって追いかけてみれば・・・・ミイラ取りがミイラになりかけてるんだもの」
「え、あ、ち、違うのっ! それは桜内が勝手に―――――」
「残念だよな。もう少しでいけそうだったのに。委員長も期待してたよな?」
「~~~~~~~っ!」
委員長は顔を羞恥と怒りで顔を真っ赤にさせ、足を踏み鳴らせて屋上の扉の方に向かってしまう。背中から言い用の無い怒りが噴き出ている
のを感じた。軽いジョークなのにな、まったく。
そうしてこの場に残ったオレと茜。さて、どうするかこの女。言い丸めるのは簡単な様に思えるが、難しくも思える。捉え所の無い性格をし
ているからオレの苦手な人種でもあった。思わず頭を掻いてしまう。
「もしかしてぇ、私を言い丸めようとしてるのかなぁ?」
「さてな。面倒臭ぇから張り倒すかこのまま襲っちまうか考え中だ」
「へぇー・・・・私を襲ってくれるんだぁ。それは楽しみだにゃあ~」
「・・・・・・・」
「―――――出来ないんでしょ?」
「・・・わりぃな」
「まー今更だし、気にしてないわよぉ。じゃあさっさと行こうか」
手を引きオレ達も扉の方に向かう。いい加減このかったるい女性関係を清算しないといけないのに、とうとうこの時期に来てしまった。
こっちの世界に来てから約半年。様々な女性と仲良くなり、前の世界に居た以上に喧嘩もして、この妙な人間関係が出来上がってしまった。
妙な人間関係――――かったるい話、少女漫画みたいにオレの事を好きな女が数人出来た。オレもその数人に少なからず気を持ってしまっている。
オレの性格上、早く決着が付くと思ったがズルズルとここまでその関係を持ちこんでしまっている。自分の駄目さ加減に腹が立った。
今晩の夕食みたいに軽々しく選ぶ事も出来ない。少しだけ、前の世界が恋しくなってしまった。
「―――――って、オレは行かねぇよっ! 手を離せよてめぇ!」
「はいはい、ダダを捏ねないの。貴方が来ないと今日は勝てそうに無いんだから」
「確かトトカルチョしてんのか。金の無い学生は大変だねぇ、茜さん」
「事実だから何も言わないわよ。ほらほら、キリキリ歩くっ!」
思った以上に手の握力が加わり、離せそうにない。ほわほわしてるから舐めて掛かってたが案外力はあるようだ。ため息を付きたくなる。
ああ、マジでかったりぃ。意味分からねぇし。やるんならオレ抜きでやればいいのによ。その方が絶対上手くいく確立は高い筈なのに。
春の体育祭―――――付属に上がってからはロクに参加した事が無かった。
オレはいつもより騒がしい廊下を見つつ、今度は本当にため息を吐いた。
「おお、やっと来たか桜内」
「そこの頭の緩い女に無理矢理連れて来られたんだよ。オレは全くノリ気じゃないがね」
「あぁん、あんまり褒めても何も出ないわよぉ~」
「あんまり花咲を苛めてやるな。この勝負、負けられない戦いだ。ただでさえ俺達のクラスは戦力としては弱い。
そこで桜内みたいな抜け目なく、運動神経が高い男が必須なのだっ!」
「あ? なんでそうなるんだよ。どのクラスが勝つかっていうトトカルチョでオレ達が勝つ必要無いだろう」
「賭けでは無いっ! ク・イ・ズ、大会だっ!」
「株とかFXやってる奴も似た様な言い訳を言うな。オレにしちゃ別に意味は変わらない」
杉並を無視し周りを見渡す。オレが来る事が意外だったのか、クラスのヤツらが驚いている顔をしていた。
まぁ、そうだよな。オレみたいな奴がこういう催しに参加するなんて誰も思わないだろう。自分自身そう思う。
にしても・・・意味が分からねぇ。なんでオレ達が勝つ必要があるのか。
「うむ。それはクラス全員が自分のクラスに賭けたからだ」
「じゃあな」
「待て待てぇい! 最後まで話を聞こうとは思わないのか、ん?」
「どうせオッズが高いから自分のクラスに賭けようぜとかそんなんだろ。そんなかったるい事にオレを付き合わせるな」
「はっはっは。まぁ、そうなのだがな」
笑い事じゃねぇよ。大体このクラスで優勝とかアホか。運動部なんて殆ど居なかった筈だし、優勝出来る面子じゃない。
もし例えオレが入っても勝つ見込みはあまり無い。男子で一番運動が出来るっていったら杉並ぐらいしか思いつかないし、もう詰んでいる。
しかし―――――杉並がここまで自身満々に言うんだ。何かしら策を講じているのかもしれない。こういうの好きだもんなぁ、コイツは。
「お前の事だから色々イカれた事を仕組んでるんだろうが・・・・それでもヤル気は起きねぇな。どうせ賭けつっても山分け
なんだろうし、そんなんじゃ微々たる金しか入らねぇ」
「・・・・・ふっふっふ」
「んだよ。気持ち悪い笑みしやがって」
「桜内、少し耳を貸せ」
「あ?」
慣れ慣れしく肩を組んで口を寄せる杉並。気持ち悪いので張り倒してやろうかと思い――――オレも肩を組んだ。
杉並が言った金額。常識外れにも程がある金額だった。思わず口の端が歪むのが分かる。脇で茜が引いているのが見えたが気にしない。
別に金には困っていないが――――あれば邪魔になるものじゃない。ガキの使いじゃないのではした金だったらやらなかったが・・・。
「こりゃ、いい商売だな。杉並くん」
「その気になって嬉しい限りだ、同士よ。ちなみに商売じゃない。これは健全とした学生らしいクイズ大会なのをお忘れなく」
「オッケー分かったよ。オレも偶には学生らしい事をしなくちゃな。汗水出して手に入れるお金・・・じゃなく、青春てのは
掛け替えの無いモノだしな」
「そうだろう? ここで一頑張りするだけでお金・・・ではなく、一生の宝物が手に入るのだからな」
「はは、違いない。精々頑張るとしますよ、杉並先生?」
「うむ。桜内は健全な生徒だな。見なおしたぞ」
「何言ってるんだか・・・・もう」
委員長が文句を言ってきたが気にならない。こんなに素晴らしい気分は何時ぶりだろうか。
ちょっと動くだけで手に入る大金。なるほど、クラスのヤツらがどうりでピリピリしてた訳だ。
さっきから念入りにストレッチしてる奴も居れば、どういう作戦で行くか話し合いをしてる奴らもいる。
スポーツで汗を流す。オレの柄じゃねぇが――――こんな日もあっていいよな?
「ふざけやがって・・・くそっ」
「ホラ、そんな怖い顔しないの。みんな怖がるでしょ?」
「悪いな、雪村。この顔は生まれつきだ。文句を言いたいなら天国の母親と父親に言ってくれ。もしくは墓だな。何処にあるか知らねぇが」
「よ、義之・・・ごめんね? 居ないのに勝手に決めちゃって・・・・」
「全くだな。普段面と向かって何も言わねぇ癖に、裏でこういう事をやらかすんだもんな」
「わ、私は――――――」
「小恋の事じゃねぇよ。誰だよ、オレを推薦したアホは」
委員長にオレはどの種目に出るかを聞いた。種目を決めるHRで欠席をしていたから誰がどの種目に出るか全く分からなかったからだ。
そしたらふざけた返答―――――100m走、三人四脚、借り物競走。そしてクラス対抗リレー。それらがオレが出る種目だと聞いて
思わず舌打ちが零れた。そんな話聞いてねぇぞ杉並。
委員長が少し怯えた顔をしたので、適当に頭を撫でてその場を立ち去った。オレの背中に何か叫んでいたが無視してやった。どうせ文句だろう。
一つの種目だと思っていたが・・・・四つは予想外だ。誰だよ推薦した野郎は。小恋はこの性格だから論外として・・・・・。
「はいは~い、私だよぉ!」
「このクソ巨乳女・・・・なんて事してくれやがるんだ。そんなに張り倒されてぇのか、てめぇ」
「いつも煙草ばっかり吸っているよっしーの為を思ってやったのよ? 茜さんに感謝しなさぁい」
「余計な事すんなっつーのっ!もう決まった事だから辞退するとかしねぇけどよ・・・四つとか頭沸いてんじゃねぇのか、ああ?」
「だったら文句を言わないの~。ホラ、もうすぐ100m始まるわよ?」
「・・・・覚えてろよ」
「よっしーの事は一瞬たりとも忘れた事ないわよぉ、私」
「・・・・チッ」
おどける茜を一睨みして、集合場所に向かう。時間があまり無いので皆軽くストレッチをしており、もうすぐにでも走れる状態だ。
オレも軽くジャンプをして足の筋肉を解す。呼吸を深く吸い込み、吐いた。体の調子は良い。集中力も悪くは無い。万全の状態と言えた。
頭に血管が昇ったまま動くと呼吸が乱れるし、体も緊張する。だから頭も冷静にして手を握る。いつもの感じ。慣れた感覚だ。
「お、弟くん」
「ん・・・・音姉か。なんでここにいるんだ?」
「そりゃあ私は引率の係だし・・・此処にいるのは当然だよ」
「そうか。相変わらず損な性分だな。そんな面倒なの他の誰かに押しつけちまえばいいのに」
「そ、そういう訳にもいかないって。弟君、体育祭に出るんだね・・・・・ちょっとびっくりしちゃった」
「出たくはなかったんだけどな。無理矢理クラスのヤツらに駆り出されたよ。すっげぇかったりぃわ」
「あ、あはは・・・。そうなんだ。でもいい機会だし、頑張って優勝とか狙っちゃおうよっ」
「勿論出るからにはそのつもりだ。一番決める大会で一番にならなくてどうするよ」
「・・・・・よぉし、なら・・・・」
「ん?」
音姉がなにやらぶつくさ独り言を言って手を握る。何をしでかすつもりだが知らないが、引率しなくていいのかよ。あと三分ぐらいで始まるぞ。
そしてオレに目を合わせ・・・・手をいきなりぎゅっと握ってきた。思わず眉を寄せる。周りもその様子を見ていたのか、少しざわめき出した。
なんだか――――――嫌な予感がする。そう思い、手を振り払おうとしたが・・・・遅かった。音姉は目をカッと見開き、力一杯叫んだ。
「どうか、弟くんがっ! 100mでっ! 一番にっ! なれます、よぉーーーーーーーにっ!!」
「だぁぁぁあああ、うるせぇぇぇぇええええーーーーーーーっ!」
耳がキ―ンとした。いきなり何をするかと思えば耳元で叫びやがってっ! 向こうの席にいるヤツらも何事かとこちらを見てきた。
手を言葉の一区切りづつ上下にブンブン振り回してきた音姉に若干怯みつつ、オレは掴まれた手を振り払った。音姉は何処か満足いった様な顔を
している。なんだ、これは。もしかして罰ゲームか何かか、オイ。
こういう注目は好きじゃないし、こんな目立つ事をされてはたまったもんじゃない。久しぶりに羞恥心が蘇ってきた。姉じゃ無かったら一発
ブン殴ってる所だぞ、くそっ!
「いきなり叫ぶなよ、このアホっ! 耳が痛ぇし、周りの目線も痛ぇし、ふざけてんのかよっ!」
「えぇー・・・・お姉ちゃんは弟君の為を思ってやったのに・・・・」
「オレの為だと思うならそういうのは小声でやれよっ、なんで力一杯叫ぶ必要があんだよっ」
「むぅ・・・・弟君が久しぶりにヤル気出したから応援してあげたのに・・・・もうっ、知らないんだから!」
音姉はどこか拗ねたような顔をしながら、引率係の場所まで踵を返した。オレの方が怒りてぇのに・・・・あの女マジで空気読まねぇな、おい。
周りから視線がまだ突き刺さっている。オレの噂を聞いてるから冷やかしとかからかいの言葉は来ないにしても、恥ずかしいのは事実だった。
遠くからは笑い声が聞こえるし、思わず天を仰ぎたくなる。いくら金の為とはいえこんな辱めを受けたんだ。冷静な頭がブレ出した。
「わーはっはっはっ! 義之のあんな顔、初めて見たぞ美夏はっ! いやぁ、体育祭というのは面白いなっ!」
「・・・・くく、確かに美夏の言うとおりにね。こういう事が起きるならイベールも連れて来ればよかったわ・・・・ぷぷ」
後で泣かせてやるぜ、美夏。これが終わったらケツ蹴り上げてやる。もう決めた。ここまで言い様の無い感情は初めてだ。
この100m走、絶対に負けられねぇ。ここまで崖っぷちに追い込まれたのは初めてかもしれない。これで負けた日にはもう立ち直れない。
両手を握り合わせて力を思いっきり入れる。骨が軋む程に。頭を冷やして勝てる算段を作る。いくらオレでも運動部のヤツらに勝てる程
運動神経はズバ抜けていない。
そうなるとどうやって勝つか―――――まぁ、正攻法じゃ勝てないのは分かりきっている。だから少し悪戯してやるか。
「なぁ、早馬」
「ん、どうした桜内」
「わりぃけど、手加減してくれねぇかな? 自慢じゃないがオレはお前に勝てないと思うんだよ」
「・・・・桜内にしては弱気な発言だな。この前本校の先輩三人倒したヤツの台詞とは思えないな」
「あれはあっちが悪い。呼び出し喰らったからなんだろうと思って行ってみたら、いきなり殴りかかって来たんだぜ?
むしろオレは被害者だ」
「全員窓から放り投げたらしいじゃないか。とても被害者とは思えないな」
空き教室に呼び出され、いきなり殴りかかってくる男達。確かに普通ならやられる場面だろうが、それでやられる程オレは貧弱じゃない。
一応ハサミを持っていって正解だった。太股に刺さり絶叫する男。周りにもその恐怖は伝染していき・・・・後は簡単だった。
パニクって身動き出来ない体に真っ白になる頭。カカシみたいなモノだ。だから窓から全員放り出してやった。まともに相手をするのも
かったるかったからだ。
先輩達は後輩にボコられましたなんて先生や親には言えず、オレは停学を免れた。まぁ、話だけは広まっているみたいだけどな。
「なんにしたって手加減をするつもりはない。やるからには勝つつもりだ。悪いな」
「んー・・・・別にいいさ。こっちこそいきなり変な事言って悪い。気を悪くしないでくれ」
「別にいいよ。じゃあ、そろそろ始まるから・・・」
「ああ」
一番の障害であろう人物の説得は失敗か。元々本気じゃなかったし別にいい。負けて下さいと言われて負けるバカがいるとは思わないし。
なんにせよ、やる事はやった。後はオレが全力で走るだけ。脚がどこまで持つかの勝負だ。軽く背伸びをしてスタートラインに着く。
そしてスターティングブロックに足を乗せ――――思わず笑みが零れる。相変わらず杉並はこういう所には力を惜しまないんだな。
張りがあり、スプリングが強い。こりゃあ、いけるかもしれねぇな。あのバカの事だ、他のヤツのには変な細工でもしてあるに違いない。
「じゃあ、位置についてー」
息を止め、真っ正面を見据える。まともに走るなんて本当に久しぶりだ。
最後に真面目に走ったのは――――思い出せない。それ程までに期間が空いている。
けど、ここまでお膳立てしてもらったんだ。勝たなくちゃぁな。
「よぉーい―――――ドンッ!」
そして、早馬が壮大にコケた。顔からダイブして地面にキスをする。
残りのヤツらもスタートに失敗した。オレしか独走していない。完璧な勝利が見えた。
そうしてオレは高笑いしたい気分を押さえ――――真っ直ぐゴールまで走り抜けた。
「すっごいよぉ、義之っ!」
「みなまで言うな。当然の結果だよ、小恋」
「でもでも、凄かったよ!? 一人独走状態だったし!」
「まぁ、本気を出せばこんなもんよ」
小恋は本当に純粋だなぁ。後ろの方でしらーっとしているヤツらも見習ってほしい。
久しぶりに走ったから少し脚の筋肉が笑っている。こんな調子であと三種目大丈夫かと思いため息をついた。
リレーは置いておくとして、次は三人四脚に借り物競走か。体力はなんとか温存出来そうだ。最後のリレーの体力は残しておきたい。
「思った以上に最低な事するわね、義之って。何をどうしてああなったのか説明を要求するわ」
「褒め言葉として受け取って置くよ、雪村」
「え、なにが?」
「小恋ちゃんは知らなくていい事よぉ~? ホラ、あっちに行ってましょうねぇ」
「え、ちょ、ちょっと、茜っ!?」
小恋の背中を押して立ち去る茜。無性に煙草が吸いたくなったが、抜けられるほど時間は空いていない。手持ち無沙汰に手を握って開いた。
雪村がじっとこちらを見詰めて何をしたのか問いかけてくる。んだよ、一位になったんだからもうちっと喜んでいいのにな。
こいつの性格からして別に正面から破ろうとか考えていない筈なのに。まぁ、単に何をしたのか気になっただけかもしれない。
「別に何でもいいじゃねぇか。結果としてオレが一位、後は全員亀だったって話なだけだよ」
「ただの好奇心よ。なんだか靴がすっぽ抜けたようにも見えたけど・・・・どうやったの?」
「あ? ちょっと話してる間に靴紐踏んでただけだよ。別にオレから何かしたって訳じゃない。そこから動いたのはあっちの意志さ」
「・・・呆れた。言い訳にもなっていないじゃない」
「本気で言い訳しようと思って無いからな。ただの子供の悪戯だよ。もしかして怒ってるのか?」
「いえ。ただ、まさかああなるとは思わなかったから何したか気になっただけよ。もう次の種目が始まるから準備しましょう」
そう言ってすたすたと待機場所まで歩いて行く。やっぱりというか案外そういう所はフランクなんだな。普通なら責められる場面だが。
ただ立ち去り際に少しニヤっと笑ったのが気になる。何かを企んでる様にも見えたが――――気のせいか。自分の金も掛かってるしな。
綺麗事言って自分の金がパーになっちゃ話にならない。雪村も同じ考えの筈だから気にし過ぎか・・・・。
「つーか、お前と小恋の面子か。どうなるか分からねぇな。なんの仕掛けも出来ねぇし」
「そうね。でも、だからといって低い順位になるとも限らないわ。精々足掻いてみましょう」
「どうせなら一位になるとか勢いのある言葉が欲しかったが・・・・まぁ、しょうがねぇか」
「勿論そのつもりで走るけど・・・どうなるやらね。苦悶が多ければ多いほど勝利は輝かしいって言うけれど」
「ガンジーは弁護士資格を持っていた超エリートだよ。そんな偉大な人とオレ達では土俵が違うな」
「なら雑兵は雑兵らしく戦いましょう。偶には何の策も講じないで真っ正面から戦ってみるのも悪くないわよ?」
「・・・・もしかしてさっきの話をしているのか?」
「さぁね」
「あ、いたいた。もうっ、私を置いて行くなんて酷いんだから」
小恋が息を切らしてこちらにやってくる。どうやら雪村はオレがさっきやった事を根に持っているみたいだ。
雪村らしくねぇ――――そう思うが、オレと彼女はそこまで親密な関係ではない。もしかしたら彼女が許容範囲外の事をオレは
やったのかもしれなかった。
確かに少し度が過ぎた悪戯かもしれねぇが・・・・別にオレは気にならない。そんな小細工に掛かるヤツが間抜けだっていう話だ。
オレや杉並だったら引っ掛からない。走る前に自身の状態を確認しなかったからそうなるんだ。変な所を気にするヤツだな、まったく。
「さて、そろそろスタートするみたいだが・・・配置は?」
「小恋が左、義之は真ん中、そして私が右という配置で行こうと思うのだけれど、どう?」
「なんだっていいよ。別に意義は無い」
「わ、私もそれでいいよ」
息を切らせて走ってきた小恋には悪いがもうスタート時間が差し迫っている。お互いの足を結び合い、準備完了。
後は上手くバランスを整えて走るだけだが、それが難しい。体格差もあるし運動神経もかなり違う。そしてコミュニケーションが上手く
取れるかどうかがこの競技の要だ。
生憎オレは一人で居る事が多かったし、そんなもんは取れる筈が無い。大体男子一人に女子二人という組み合わせだ。難しいモノがある。
だが――――ウダウダ言ってる暇は無い。もうみんな指定位置についているのだ。雪村の言葉じゃ無いがやるしかない。
台座に乗った係の手がスターターピストルを持ち上げる。意識を集中させて足から余計な力を抜く。出来るだけ脇の二人に合わせ様に呼吸も整えた。
そして―――――パンッ、と音が鳴り、みんな一斉に駈け出す。
「好調、だなっ」
「ええ、脇に、二組しか走っていない、から、なんとかなりそう、ねっ」
「が、がんばる、もんっ」
息を切らせ喋り合う。余裕があった。一等賞を狙いたいところだがこれ以上ペースを上げると足並みが崩れる。この状態を維持だ。
軽く端目に残りの二組を見る。どんどんペースが上がっていった。こりゃ勝てないな。だがそれでも三位には喰い込める。
それで若干気持ちが緩んだのがいけなかったのだろう。雪村の二ヤッとした笑みに気付かなかった。
「あ、ごめんなさいね」
「なっ―――――」
「きゃ―――――」
つんのめいて派手に転んでしまう。急に右足が動かなくなり上手くバランスが取れなかった。土煙があがり服が土で汚れてしまう。
足も固定されており、受け身が取れない。肩を組んで走っていた所為だ。バランス感覚には自信があっただけに面食らって何も対処出来なかった。
急いで体制を立て直すそうとして――――何か柔らかい物に触る。それが小恋の胸だと分かるのにそう時間は掛からなかった。
「あ、ん・・・」
「ん――――って、わりぃ、小恋っ!」
「い、いいからぁ、早くどけてよぉ~」
「わ、分かってるって」
「そうはさせないわよ」
「え、あ――――――」
手が首に掛かる感触、同時に小恋の胸の感触がダイレクトに顔に伝わる。思わず下が反応しかけるが、こんな所でやっちまったら目も当てられない。
顔を上げようにもちょうど支点となる場所に力が加わってる所為で、身動き一つ取れない。よく警察が犯人を取り押さえる時に使う捕縛術。
くそ、意味が分からねぇっ! なんで雪村がこんな真似を・・・・!
「あ、てめぇっ! さっきやった事を根に持ってやがるなっ! いつまでも引っ張りやがってっ!」
「確かに、私は目的の為なら手段は問わないわ。でもね、最低限やっていい事と悪い事の線引きはしてあるの。お分かり?」
「くっ、このロリ野郎が・・・・っ!」
「なんとでも言いなさい。それに――――小恋がオイシイ思いをしてるから止める訳にいかないわ」
「だ、だれが! 義之、早く退いてよっ」
「それが出来りゃ苦労しないんだよ、この、地味な癖に胸だけは成長しやがって・・・・!」
「じ、地味っ!? ヒドイよ、義之っ!」
「うるせぇっ!」
「あ・・・・」
なんて今日はツイてない日なんだ。こんな大勢の観衆の前で赤っ恥を掻くなんて。段々怒りで頭が沸騰しかけてきた。
こんなに恥を掻かされた事なんて無ぇ―――――一ブン殴ってやりたい衝動に駆られる。色々な人が見てるが、どうでもいい。
首に掛かってる手に自分の手を重ねる。狙いは指。思いっきり逆に伸ばせばポッキリいく。雪村みたいな小さい手なら尚更だ。
「え、って、キャっ!」
「こんだけの事したんだ、悪いが指一本―――――――あ?」
「あ・・・」
そう言いながら後ろを振り返ると、アップになった雪村の顔。
鋭い痛みに耐えかねて逃げようとしたのか、こちらに覆い被さる様に落ちてきた。
そして・・・・思いっきり顔と顔をくっ付けてしまう。唇に感じる柔らかい感触。
オレは本気で前の世界に戻りたくなった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・え~と」
流れる気まずい沈黙。どんどん他の走者に追い抜かれていくが気にならない。小恋が何か言おうとしてるが、結局何も言えず座り込んだまま。
やべぇ、何トチ狂った事やってんだよオレ。幸い気付いた人はいないようだし、それだけが不幸中の幸いと言えた。だが、問題が解決した
訳じゃない。早く復帰しないと変に勘ぐられる可能性がある。
とりあえず呼吸を一つ吐いて新鮮な空気を取り入れ―――――思いっきりむせた。喉が詰まり、呼吸が出来なくなる。
「ゴホ・・・ゲホッ・・・!」
「ちょ、ちょっと義之っ?」
「どうしたの、義之っ」
「べ、別に何でも無ぇ・・・・」
エリカ―――――物凄い目でこちらを見ていた。間違いなく一部始終を見られていたに違いない。一番面倒なヤツに見つかっちまった。
とりあえず話し掛けてくる雪村や小恋になんでもないと手を振って応える。本当になんて厄日だ、ちくしょう。参加しなきゃよかった。
立ち上がりゴールの所を見るともう皆着いてしまったようだ。最下位、こんな所でまさかの大失態だった。
「・・・・・ねぇ、義之」
「いきなりお前が変な事やらかしたんだからオレは謝らない。悪いな、雪村」
「で、でも・・・女の子にキスしたんだし、やっぱり義之が謝るべきだと思うよ?」
「そうなる前提を作ったのがコイツだ。むしろ謝って欲しいのはこっちだぜ、赤っ恥を掻いちまった」
謝る気は無い。事故みたいなものだし、雪村がそもそもあんな真似しなければ事故は起き無かった。
小恋が言いたい事も分からない訳じゃないが・・・・知った事か。ガキじゃねぇんだしキスの一つや二つで騒ぐなよ、かったりぃ。
そう思い、雪村の方を見るとこちらをジッと見詰めている。んだよ、何か言いたい事でもあんのか?
「何か文句でもあるのか、雪村。まさかキスした事ぐらいで――――」
「ファーストキス」
「・・・・・・・・あ?」
「初めてのキス、義之に奪われちゃったわね・・・・・ふふっ」
「・・・・・だから、どうしたんだよ」
「別に。ただ、口実が出来たなって思っただけよ」
「意味が分からねぇぞ、雪村」
「そのうち分かるわよ。さぁ、さっさと歩きましょう。向こうの係の人が今にもキレそうだわ」
「あ、待ってよぉ~杏」
スクっと立ち上がりゴールの方向に向かう雪村。オレも立ち上がりその背中を追いかける。
相変わらず何を考えてるか分からない女だ。いつも澄ました表情をしてるし、そのうえ腹黒いときてる。
頭の回転なら負けない自信はあるが・・・・人の考えを読める程オレは雪村の事を知らない。
なんだか面倒臭そうな事になりそうだ――――――ポケットに手を入れながらオレはとりあえずゴールを目指した。
クラスの場所に戻って来たオレに対して、委員長は呆れた物言いで「やってくれるじゃないの、桜内・・・・」とコメカミをピクピク
させて言ってきた。つーかオレの所為じゃねぇよ。
悪かったよ、次がんばるわ。そう言ってオレは椅子に座った。確かに委員長の言うとおり呆れもするだろう。オレだったら拳骨を落としてる
かもしれない。勝てた試合なら尚更だ。
次は・・・・ああ、昼休みか。意外と体育祭に集中してた所為か時間の感覚が掴めなかった。さて、昼はどこで食おうかな。
「まるで芸能人同士が競う合うスポーツ番組みたいなレースだったな、桜内よ」
「やりたくてあんな事したんじゃねぇよ。おかけで恥を掻いた。今日はどうやら厄日らしい」
「ふむ。オレは欠席扱いでどのレースにも出られないから、桜内に頑張って欲しかったのだがな」
「・・・・は? 何言ってるんだ、お前」
「オッズを上げる為だ。だからあんなにも常識外れの金が貰える。知らなかったのか?」
「・・・・・今初めて聞いたよ、てめぇ」
「今言ったからな」
クラスのオッズを上げる為に杉並が欠席する―――――なるほど、合理的で立派な作戦だ。それで一位なんか取った日には確かに大金がくる。
まぁ・・・・それが不可能だという点に目を瞑ればの話だがな。スポーツが一番出来る杉並が欠席しちゃクラスに勝ち目なんて殆ど無い。
今は運よく良い位置に着けているが・・・・時間の問題だ。運動が出来るヤツはどうせ後になって出てくる。常套手段だ。
「もう殆ど博打じゃねぇかよ、オイ」
「そうとも限らんさ。確かに欠席はしてるがその分さまざまな策を講じられる。あのスターターにしてもそうだ」
「それにしたって限界があるだろう。最後の対抗リレーなんかお前無しで勝てるとは思えない。ハッキリ言ってな」
「そこは桜内が頑張ってくれ。大金が掛かってるんだ。人間、好きなモノに大しては実力以上の実力を発揮するらしいしな」
「他人事だと思いやがって・・・・・くそっ」
「おいおい、どこに行くのだ。桜内よ」
「とりあえずジュースでも飲んでくるわ。あまりにもバカな事聞かされたから喉が乾いちまったよ」
「ふむ。そういうえば俺も乾いたな。桜内、よかったら俺の分も―――――」
「ふざけろ」
背を向けて歩きだす。杉並がどの種目にも出ないで優勝する、無謀な話だ。ため息をついて自動販売機の所まで歩いて行く。
もうここまで来たんだ。やれる所までやるつもりではいるが・・・・段々かったるくなってきた。いくら金の為とはいえ限度がある。
競馬で一山当てるぐらいの確率だ。考えれば考える程優勝出来る確率が遠のいて行く。まったくあの野郎は・・・・・・。
「あ、あれ桜内先輩じゃない?」
「え、うそっ! どこどこっ!?」
「桜内せんぱーいっ!」
「あ?」
二年の集団の脇を通りすがる途中、名前は呼ばれた。そちらに首を向けて声のした方に視線を送ると、三人組の女子が居た。
一緒に飯を食おうとしたのだろう、レジャーシートの上には三色の弁当箱が置かれていた。そういえば何処で飯を食おうかな、オレ。
とりあえずその場所の方に歩みを進める。きゃーきゃー騒いでてうっとおしいが反応しちまったから仕方ない。それに飯にありつけるかも。
「どうした。何か用事か?」
「いやぁ、桜内先輩が一人で歩いてたから思わず声を掛けちゃいました! 100m走、格好よかったですよっ!」
「そうそう、もう殆ど独走状態だったしねー。運動は出来ると思ってたけどまさかぶっちぎりだとは・・・・」
「運がよかっただけだよ。ほんの少しタイミングがずれてたらああはならなかった。皆そうやって褒めてくれるけど・・・心苦しいよ」
「もうっ、謙遜しないで下さいよぉ。本当に格好よかったんですから~」
「あまりそういう言葉を言うもんじゃない。可愛い子にそう言って貰えると勘違いしちまう。オレはバカだしな」
「そ、そんな・・・可愛いって・・・・」
「やったじゃん! ずっと気になってた桜内先輩に褒められて、私も可愛いって言われたいなぁ」
「こ、こらっ! 余計な事言わないでよ!」
「桜内先輩って色々な変な噂があるけど、何か優しそうだよねぇ」
「変な噂?」
「あー・・・・噂なんで気にしなくてもいいと思います。本校の先輩数人倒したとか女の子数人を囲んでるとかそんなんですから。
どうせ桜内先輩を嫉妬して誰かが流した噂だと思いますし」
「――――そうだな、あまりにも身に覚えが無い。まさかそんな風に言われてたなんて・・・・少しショックだな、はは」
悲しそうに顔を伏せ、顔に手をやる。女子共はそんなオレに気にしないでと声を掛けてくれた。なんて優しい女子共だろうか。
今日はサボるつもりで来ていたから弁当なんて持って来ていない。それによく見ればどいつもこいつも顔は悪く無い。
それに弁当も美味そうだ。一緒に喰うとなれば中々癒されそうな食事風景が思い浮かべられる。さて、もう少し押してみるか。
「そ、そんなショックを受け無くても私達はちゃんと分かってますから安心して下さいっ!」
「そうですよっ! 私達もあとで皆に噂はデマだったって言い聞かせますからっ」
「本当、そんな噂を流したヤツなんかとっちめてやるんだから」
「あはは、ありがとう。でも気持ちだけでいいよ。そんな事でイチイチ目くじら立てちゃ身が持たない。言いたいヤツには言わせて
おくさ。構うと余計に付け上がるからね」
「わぁ、おっとなーですね・・・」
「これでも一応キミたちよりも年上だから、そう見えるだけだよ。さて、オレは弁当を家に忘れてきちまったから急いで買いに行かないとな。
お金が無いからあんまり購買のお世話にはなりたくないんだけどね・・・・」
「あ、だったら私の分を分けてあげますよっ! 少し作り過ぎちゃったからどうしようかなと思ってたんですっ!」
「え、いいのかいそんな。色々手間暇掛けたろうに・・・・ジャガイモの煮つけなんて意外と時間がシビアで作るの難しい筈だ」
「いいんですよ。それに私料理上手いですし、期待してもいいと思いますよ? ふふ」
「そうなのか。家庭的な女の子って感じでいいね。そういう子はタイプだよ」
「――――え、あ、た、タイプって・・・・」
「言葉の通りだよ。別に特別な言い回しもしてないし、素直に思った事を言ったつもりだけど?」
「うぅー・・・・・」
「あ、ずっるいんだ~! 先輩、私のも食べて下さいよっ!」
「私も私もー!」
「はは、皆優しいな。それじゃ有り難く貰おうかな」
「やったーっ!」
まぁ、たまにはいいだろう。最近は人嫌いも収まってきたし、好意を無碍にするのも心苦しいしな。そしてツラも可愛いし役得みたいなものだ。
別にオレはこいつらの事が特段気に入ってるとかそんなんじゃない。ただ一方的に好意を向けられたからちょっと構ってやる程度の物だ。
一時的な状況だし、後に引っ張らない様にそそくさと退散すれば何もない。次会っても知らんぷりすればいい。可哀想だとは別に思わない。
さて、早速弁当でも食おうかな。午前は少し動き過ぎた。おかげで腹が減ってしょうがねぇ。飲みモノは適当に奪いとっても何も言わないだろう。
皆笑顔だし、ここまで手放しに笑みを向けられたのは久しぶりな様な気がする。レジャーシートにオレも座り込もうとして、腰を屈ませた。
「さて、じゃあ早速――――――」
「あら、『桜内先輩』? そんな所で何してるのかしら」
「あ・・・・・エリカ、ちゃん」
レジャーシートに座りこもうとした――――瞬間、前の前にエリカが立ちはだかった。急な登場に、女子共も泡を食ってしまう。
内心・・・うかつだったと激しく後悔した。そういえばコイツも二年。いつも同い年感覚で喋っていたから頭からスッポリその事が抜け落ちていた。
このまま黙っていてもしょうがない。とりあえずエリカに目を合わせて喋る体制を整える。目、どこか冷やかな色合いでオレを見ていた。
「何をしてるのかって・・・別に彼女達がお昼ご飯を奢ってくれるっていうんで、御相伴に預かっただけですが?」
「後輩にたかるのは感心しませんわよ。あちらに生徒会が発注したお弁当があります。確か一名分余りがあった筈ですわ」
「そんな生徒会にお世話になる事は出来ませんよ。いつも学校の為に忙しいのにオレの所為で迷惑を掛けちゃ居た堪れない」
「・・・・いいから、来なさいな」
段々苛立ちが表れてきた。組んでる腕に力が入っているのが分かる。オレも思わずエリカに張り合う様に喧嘩腰になってしまった。
別に食えればどこだっていいのだが、はいそうですかと言って着いて行くのはなんだか面白くない。本当に素直じゃ無い性格だと思う。
大体生徒会の弁当なんて話自体が嘘に違いない。女子共と一緒に楽しくお弁当を食べようとしているオレ―――――見ていて腹が立ったのだろう。
それにさっき雪村とやっちまった所をエリカに見られた。恐らく根掘り葉掘り聞かれる。かったるい思いをするのは多分に間違いなかった。
「ちょ、ちょっとエリカっ!」
「はい? なんでしょう」
「別に私達がイイって言ってるんだからいいじゃんっ! そんなに桜内先輩の事苛めちゃってさ、可哀想」
「・・・・・なんですって?」
眉がピクリと動き、その鋭い目で女を見る。それだけで怯んだのか「う・・・」と呻き声を漏らして後ずさってしまった。
仕方無い。エリカは貴族のお姫様、存在自体が他の女と違っていた。そこにいるだけで目を奪われてしまう程の美貌とカリスマがあった。
おまけに今は不機嫌な雰囲気を醸し出している。それに抵抗出来る女っつったら数える程しかいないだろう。他の女子も同じ様子だ。
なんだか面倒な事になっちまったな。早くこんなかったるい事態を解決したい。そう思ったオレは大人しくエリカに着いて行く事にした。
「そんな喧嘩なんかしないでくれ。分かったよ、残念だがエリカちゃんに着いて行って生徒会のお弁当でも分けて貰う事にする」
「・・・・ふぅん」
「えぇー・・・・そんなぁ」
「折角桜内先輩とご飯食べれると思ったのにぃ・・・・」
「本当にごめんな、じゃあまた今度機会があったら」
「うぅ・・・絶対ですよぉ~」
残念だがの部分にエリカが反応し、つまらないように指をトントンしたが無視をする。これぐらいの意図返しぐらいいいだろう。
せっかく食費も浮いてタダ飯にありつけそうだったんだ。それも可愛い子に囲まれてなんてウハウハだったのによ、まったく。
残念そうな顔をする女達に軽く手を振って、オレとエリカはその場をあとにした。どこに行くつもりなのか、エリカの足取りは淀みなかった。
しかし―――――まぁ、あんまり見られたく場面を見られたものだ。さっきの今であんな事をやらかしているオレに腹を立てている。
背中から怒っていますオーラが出ているのを見てため息をつきたくなった。エリカが怒ると本当に手の付けようがなくなる。
「どこまで行くつもりなんだ、エリカ」
「・・・・・・・」
「無視かよ、てめぇ」
そうして校舎内に足を進めた。何を考えてるか分からない。エリカとは短い関係ではないからおおよその行動は分かってるつもりだったが。
付き合えば付き合うほどコロコロ表情を変えるから、オレの物差しでは計れ無くなってきている。まるで猫みたいな気まぐれな性格だ。
最初会った時は子供みたいに読めやすい性格をしていたのにな。今怒っているのだって本当かどうか疑わしい。
ふと――――どんどん歩みを進めているエリカを見て、気付いた事がある。もうとっくに生徒会の部屋を過ぎていた。
考えに没頭しすぎていたのか、周りに軽く目を配っても誰もいない。シーンとした空気が身を包む。
「なぁ、エリ――――」
「着きましたわよ、桜内先輩」
言葉を中断され、エリカがその部屋に入っていく。何の部屋だろうか、プレートには何も書かれていない。恐らく空き部屋だと思う。
エリカと二人きり――――その状況でこういう密室に入るのは少し躊躇われた。しかし、今更引き返すというのも座りが悪い。
さっきの件もあるし逃げるみたいで気が引けた。とりあえずオレも中に入ると、本当に空き部屋で簡素な椅子と机しか置いていない。
「・・・・ここには弁当はないみたいだが? もしかして迷子かよ。もう入学して一年ぐらい経つのにな」
「・・・・・」
「あの子達も可哀想に。エリカみたいなヤツに睨まれちゃ殆どの女は黙っちまう。お前って目立つし威圧感もあるからな」
「―――――ふふっ」
「なんだよ・・・・・」
「今の『義之』ってなんだか浮気現場を見られた夫みたい。いつもより口数多くなっちゃって。可愛いわ」
振り返り、笑みを携えて髪を掻き上げる。オレの大好きな笑みでもあり、苦手な笑みでもあった。知らずしらずの内に唾を飲み込む。
さっきまでの苛ついた雰囲気は演技だったのか、それともこれが演技なのかさえ分からない。ただオレに微笑み掛けてくるだけだ。
他人の感情の起伏は読める方だと自認していたが、やはり分からない。オレと付き合う様になってからこういうエリカは沢山見てきていた。
「そんなつもりは・・・・無いはずだけどな」
「別に怒ってませんわ、ええ。ただ目先の物に囚われるのは義之らしくないと思うけど? まぁ、大方可愛い子達と昼食を
食べれてラッキーぐらいの気持ちなんでしょうけど。貴方の場合はね」
「だったら放って置いてくれよ。オレは今腹ペコで喉も乾いてるんだ。今にも餓死して自分の手を齧りそうだよ」
「そうやって・・・のらりくらりしてきたから今の状況があるのでしょう? いい加減誰に絞るか決めて欲しいところですわね」
「そりゃ、悪いと思ってるが・・・・」
「思ってたら示してくれないと困りますわ。私達は待てをされたペットじゃないのよ、そこら辺はちゃんと自覚を持ってくれないと。
自分の好きな男性が女の子数人とお弁当を囲んで食べてる風景。普通の人はどう思うかしらね? 私はなんとも思ってませんけど。」
「―――――悪かった、軽率だったよ。反省している。あんまり苛めないでくれ」
そう言って両手を上げる。確かに迂闊な行動だったか。今の人間関係で他の女と弁当を食うなんて空気が読めて無かったのかもしれない。
無意識の内に美夏やエリカ、茜といった女性達と昼を過ごす事に怯んでいたのかもしれない。そうしたら何かが決まってしまいそうで、と。
全く、オレらしくない。逃げる様な腐った女みたいな行動をしていた。性格は前より穏やかになったと言ってもそこまで堕ちたつもりはなかったのに。
オレがそう言うとエリカはさっきまでの笑みをまた別な笑みに変えた。これは甘える時に出る笑み。長く付き合ってる所為で区別が分かるように
なった。それまでにオレとエリカの過ごした時間は長い。
「ふふ、別に苛めたいとか思ってませんわ。義之の事苛めたら後が怖いですし―――――好きですもの」
「・・・そうか」
「そっけない返事。雪村先輩とキスしてた時のほうがまだ感情が出ていましたわね。まさか義之があんなに照れるなんて初めて
見ましたわ。私とキスする時を除いて、ですけど」
「別に照れた訳じゃない。あまりにもかったるくてそんな顔になっただけだ。あんまり自分の視野で何でも決めつけるなよ、エリカ」
「・・・そうね。だったら何かお詫びでもしないといけませんわね。義之を貶めた罰として」
「何するんだよ」
「分かってる癖に」
そう言ってこちらに歩みを進めた。少し後ずさろうとして――――後頭部に壁の感触。気が付いたら出口の無い方向に追い詰められていた。
気を抜いていた自分に舌打ちしたくなる。最近のエリカはこういう事を覚えていた。いかにオレを逃がさない様にするかという事を。
視線を前に送ると至近距離のエリカの顔。頬にそっと手を置かれ、口付けをされた。まるで恋人同士みたいな激しい口付け。
「ん・・・・くっ・・・!」
「―――――――ぷはぁ、はぁ、義之、好きよ、大好き・・・・」
「・・・・この、やめろって、エリカ」
「だったら私を突き飛ばすなり殴るなりしてもいいのよ? だったら身を引いて上げられるんだけど・・・その気、ないんでしょ?」
「・・・・・」
「ふふっ、相変わらずこういう時は黙るんだから。さっさと私を選んでくれたらいいの、ね」
「それは・・・・・」
エリカとは二人きりにはなりたくなかった。理由、その場の勢いに流されて本当にそうなってしまいそうだからだ。
そんな理由で誰かとは付き合いたくない。よく考えて、選びたかった。今まで考えても選べなかった癖にそういう事を未だにオレは考えている。
いつもは口が回り頭の冴えている筈なのにこういう時ばかりは本当に役に立たない。叱られた子供の様に口を窄んでしまう。
オレの事を好きな連中で一番積極的だったのはエリカだった。茜も積極的ではあるが最低の線引きを自分で決めていた。エリカにはそれがない。
止めないと際限無くオレの心に入ってくる。潤んだ目で見詰めてきて動きを封じられる。オレはエリカの事が好きで、苦手だった。
エリカはオレの為ならなんでもするんだろう。それが怖い部分もあった。ここまで果てしない愛情をぶつけられた事がない。
いつもはこんな女の子じゃない。普通に笑って、恥ずかしがって、怒りもする普通の女の子だ。だが、歯止めが効かない時が多々ある。
今みたいに強引に来る時もあるし、他の女に当たったりもする。オレの手に負えないぐらいその時ばかりは感情を爆発させていた。
エリカと離れなくては。そう思い手を掛けようとした所で―――――――オレはため息を吐いた。エリカはきょとんとした目でオレを見詰める。
「なぁ、エリカ・ムラサキさん」
「な、なんですの・・・?」
「オレって最低だぜ? 自分の不甲斐なさを全部エリカに押し付けようとしている、悪者にしようとしている。オレもエリカの事は
好きだし愛してあげたいと思ってるのに、さっきから言ってる言葉といえば拒絶の言葉だけだ。本当に馬鹿だよ、オレ」
「えっ・・・・」
「さっきの件にしたってそうだ。あまりにも無神経過ぎたと本当で思っている。お前も愛想が尽きたろ、こんな男。イチイチ女々しく
言い訳したり知らない振りして誤魔化そうとしている男だ。さっきのキスだってお前を抱きしめる事さえしていない」
「ちょ、ちょっと義之・・・・」
「それに雪村と事故とはいえキスしたんだ。その場面を真っ先に見たお前に対して何の謝罪もしていない、悪かったな」
「ねぇ、ちょっと私の話を聞いっててば」
「大体オレのどっちつかずの行動の所為で一番苦しんでいるのはお前らの筈なんだよ。なのにさっきから自分の事ばかりしか――――――」
「義之っ!」
「・・・・んだよ。今のオレは罪悪感で押し潰されそうなんだぞ。まるでコンクリに詰めた死体みたいだ」
「まぁ、死体云々はともかくとして―――――私、義之に嫌われてないの?」
「・・・・・・は?」
不思議そうな顔で聞いてくる。表情・・・・別にふざけてる訳じゃない。という事は本気で言ってるって事で、あれ?
お互いに不思議そうに顔を見詰め合う。傍からみれば滑稽な光景だろう。さっきまでの纏わりつく様な空気は消えていた。
嫌われてないのって・・・・え? オレそんな事言ったっけ?
「オレ、お前の事全然嫌いじゃないぞ。むしろ好きだよ、一人の女の子として」
「え、でも、あれ・・・・?」
「お前さっき自分で言ったじゃねぇか。嫌がったら殴るって。その通りオレが嫌いな女だったら張り倒してるよ」
「でも、普通は女の子相手にそんな事をする筈が――――――」
「オレ普通じゃねぇし。お前だって見たろうが、オレが三人ぐらいの女を殴ってる所」
「あ・・・・ああ、そういえばそうでしたわね」
「つーかオレとお前がこうやって関係持ったのもそれが原因だろうが。忘れんなよ」
「ごめんさい・・・・。でも、義之って私の事が・・・・・」
「何回も言わせるなよ。まぁ、オレって知ってる通り女にはだらしが無いからエリカ一人に絞るっていう事が確かに出来ていない。
でも、オレはお前のこと好きだし事抱きしめてあげたい気持ちでいっぱいだ」
「あ――――――ああ、え、やだ、ちょっと、やだやだっ」
「あ?」
いきなり顔を朱色に染めて顔面を手で覆ってしまう。あまつさえ座り込んで、ずっとやだやだ呟いてるエリカ。
オレは急な事態に思考が追いつかないでいる。さっきまでオレを追い詰めるように凄んでいたエリカとは別人みたいにテンパっている。
意味が分からない。何か特別な事を言ったつもりはないのだが。とりあえずこのままにさせる訳にもいかず、顔に手を掛けその手を外そうとした。
「お、おいどうしたんだよっ」
「ば、ばかやめてっ! あっち行ってよバカ義之っ! この女たらしで八方美人!」
「あっ!? て、てめぇがこんな所に連れ込んだんだろうがこのエロ娘っ! いいから手どけろよっ! どうしたんだって!」
「や、やめなさいよ変態っ! 人を呼ぶわよっ!」
「お前にだけは言われたくないっつーのっ! いいから手をどけ―――――」
「あ・・・・・」
「あっ」
少しの押し問答のあと、無理矢理手を引っ剥がすとそこには首まで真っ赤に染めた顔と―――――涙が流れていた。
ポロポロと際限なく零れていてエリカが必死に拭っても全然止まる様子は無い。え、なんで泣いてんだよお前。
本当に意味が分からない。さっきから会話もすれ違っているし、途中から混乱する事ばかりで頭が働かない。
「な、なんで泣いてるんだよ、お前」
「だ、だって私って絶対もうとっくに愛想尽かされてると思ったし・・・ひっく、それにね、少し、しつこかったかなって自分でも思ってたし」
「別にしつこいなんて思っちゃいねぇって。そりゃ最近暴走しすぎかなと思ったけど・・・・・前と同じでオレはお前の事好きのままだよ。
だから色々迷ってるんじゃねぇか」
「でもね、義之って何だか私に冷たい気がするし、私が迫ってもいい顔しないんだもの。ああ、嫌われるなと思って、だから必死で・・・・」
「オレまで暴走したら収拾つかなくなるだろ。別に付き合ってても同じ事をするよ、オレは。お互いドップリそういうのに嵌ったら誰が
止めてくれるんだ。お互い友達とか親は居るんだし、分かるだろ、そういうの」
「だ、だったらそう言ってよね・・・・ひっぐ、私、義之の事が大好きで仕方無くて、だからもっとアプローチしてって考えて・・・・」
泣きながら言葉を吐くエリカをただオレは撫でる事しか出来ない。オレはエリカを見誤っていた。ただ想いが暴走していたとしか考えなかった。
この子は純粋にオレの事が好きなんだ。こんな優柔不断で人を平気で暴力を振るう男を。少し考えがすれ違ったけどそれは確かだ。
こうやって好きという言葉だけで涙を流して嬉しがって、恥ずかしがって、エリカを悪者扱いにしていた自分が情けなく感じる。
とりあえず慰めてるように傍に居てやると段々落ち着いてきたのか、涙の跡を拭いて立ち上がるエリカ。もうさっきまでの弱気な姿では無い。
小さく「情けない所見られましたわね、ありがとう」と呟いて顔をあげるエリカはいつもの姿だった。その姿に少しばかり安緒した。
オレの所為で少しばかり情緒不安定になっていたのかもしれない。最近少し避け気味になってしまったが・・・もうやめよう。
「ホラ、行くぞ。昼飯食わないと午後が持たねぇ」
「あ・・・・・」
「なんだよ」
「・・・・手、繋いでくれてる。いつも私からしか繋がないのに」
「たまにはだよ。少しばかりエリカの手が寂しくてな。嫌か?」
「―――――――ッ! う、ううんっ! そんな事ない、嬉しいわっ」
「だったら別にいいだろう。さっさと行こうぜ。本当に腹が減ってしょうがねぇんだから」
「・・・・うんっ!」
余程嬉しかったのか腕まで絡んでくる。多少かったるい気持ちが生まれるが・・・好きにさせて置いた。オレも嫌いじゃないし。
ただあんまりイチャイチャするのは恥ずかしいというか困るというか、そんなガキみたいな感情だった。情けなく感じた。
だからオレも腕に力を入れて引き寄せる。最初は驚いた顔をしたエリカだが、途端に更に笑顔になった。それだけでもやった甲斐があるもんだ。
「ねぇ、よしゆきぃ、何処かで二人っきりで食べましょうよぉ~」
「つーかオレ弁当持ってきてないし。お前は?」
「私は持って来たわ。勿論・・・義之の分もね」
「え、マジっすか」
「当り前じゃ無い。義之の好きなマカロニも入ってるわ。飲み物も二人分持ってきたし」
「おお、お前が凄いいい女に見えてきたよ。さすがエリカお嬢様だ、分かってるねぇ」
「・・・何か素直に喜べませんけど、まぁいいですわ。食べるなら早く行きましょう」
「おう。いやぁ、楽しみだなぁ。エリカと一緒にお弁当食べられるなんて。まさかねぇ~」
「・・・・・やっぱり素直に喜べませんわね」
そう言うなよ。久しぶりに動いた所為でクタクタで本当に腹が減ってるんだ。事実、さっきの女子の件だって大体がそれ目的だ。
普段煙草吸ってるからこういう時に肺が上手く動かない。喧嘩は慣れてるにしてもそういうのとはまた違うのでバテてしまっていた。
エリカの弁当か。そういえば時々家に食事に招かれるけどその度に料理の腕は上がっていた気がする。何故かは・・・・まぁ、オレの為、だよな。
なんにしたって外れが無いのは確かだ。急に元気が湧いてきた気がする。現金なものだと思うが仕方ないだろう。腕を組んだままオレは扉を開けた。
「あっ」
「・・・・は?」
「・・・・え?」
「・・・・あ、はははは。いや、どうも。今日はお日柄もよく、はい・・・・」
そこには何故か人が居た。見覚えのあるお団子頭の女。オレは頭がくらっとした。
由夢――――何時から居たんだよ、この野郎・・・・・。
※簡単に言うとFDスプリング・セレブレイション、薫風のアルティメットバトルのfrom road to road版のお話です。