※この話は2010年発売、D.C.Dream X’masを元にしています。しかし展開はオリジナルなので、未プレイの方でも大丈夫です。
※時期は「そんな日々」から約半年後のクリスマス間近です。どうぞお楽しみください
「やっぱりピアスとか買うと、今度はリングとかも欲しくなっちゃうよなぁ、義之」
オレの手からカードを一枚引いて、そのカードともう一枚を場に捨てた。どうやら当たりを引かれたらしい。チッと舌打ちをし、渉の手から
カードを一枚引く。少し吊り上げた唇が見える。だが、一旦出した手を引っ込めるのはオレにとってありえない行為だ。
そして予想通り手にしたカードはジョーカー。絵の向こうで皮肉気に笑っている。手札を一度シャッフルして相手にジョーカーの位置を悟られない
様にした。その様子をニヤニヤとした笑みで板橋は見ていた。
「やっぱりアレな訳だよ。バンドを組んでる訳だし、クロムとかジャスティンとかガボールとか着けたいんだよねぇ、俺」
「んなインポートブランドてめぇが買える訳ねーだろ。例え買えたとしても精々一個だ。今付けてるピアスと同じブランドで統一した方が
オレはいいと思うがね。でないとその買ったリングだけが浮いて、返って安っぽく見られる」
「んー・・・そうかもなぁ。いや、だけど・・・・」
一瞬目を逸らした隙に、取ろうとしたカードを素早くジョーカーのカードとすり替える。ただ単に親指でスライドさせただけだ。難しくは
なかった。そして予定通り渉の手にジョーカーが渡った。
んげっという呻き声。立場逆転。今度は一生懸命二枚のカードをシャッフルする渉に向かって、オレは二ヤついた笑みを向けた。引き攣る顔をする渉。
オレは結構根に持つタイプだ。さっきバカにされたような笑みを思い浮かべると、なんら同情心は湧きあがらない。いい気味だと思ってさえいる。
「さて、確率は二分の一か。この勝負に負けたら確か昼飯を奢るんだったな」
「・・・忘れた訳じゃねぇよ。だからさっさと引けよ、義之」
「もしお前がオレにどっちのカードがジョーカーなのかを教えてくれたら・・・・そうだな、小恋のパンチラ写真でも贈呈してもいい」
「・・・・・」
瞬間、チラッと右のカードに視線を向ける渉。しまったという表情をするが遅い。渉の手からカードを引き、場に二枚捨てた。
これでオレのカードは無くなり相手側に一枚カードが残る。勝者と敗者。オレと渉。ただのババ抜きではあったがこれで昼飯は確実にオレのモノ
なったのは気分が良い。最高だ。
顔面を手で覆い隠して天井を見上げる渉。ややオーバーリアクションなのはいつもの事だ。まぁ、いい暇つぶしだったな。
「それは男の本能を刺激した汚い手だぜ・・・・義之」
「引っ掛かるてめぇが悪いんだよ。どんだけ餓えてんだ?」
「うるさいってのっ! こちとらお前と違って女の子がそんなにポンポン出来ないんだっちゅーの!」
「あ?」
「半年前にいきなり人が変わったと思ったらドンドン女の子はべらして見せつけてくるその有様。その反面、俺はさっっぱりだぜ。
あまりの羨ましさに――――オレは、泣いた」
「泣くなよ・・・・」
「・・・・ぐっ」
顔を手で覆い体を震わせる渉。なんだかこちらも悪い様な気がしてきたぜ。いや、オレは何も悪く無いんだけどな。
確かに、好ましいと思っている女の子から好意を向けられるのは気持ちが良い。けれどその反面、切ない気持とやるせなさ感で気持ち一杯だった。
風に揺らされる風船みたいにフラフラしている自分。少し前のオレでは考えられない情けない有様。この世界に来てから色々変わり過ぎた。
色んな女を好きなって、幸せな気分になって、身勝手に意気消沈して、相手の女達を不安にさせている。開き直る訳じゃないがオレはとても酷い奴だ。
しかしそんな酷い奴を未だに想っている女が居るって言うのは・・・・嬉しいんだよなぁ、愚かながら素直にそう思ってしまう。
渉は顔から手をペットボトルに移し、「はぁ」とため息を吐きながら炭酸飲料を飲み干す。
まるで自分はとても不幸な人間だと思っている様なその雰囲気。オレは首をわざとらしく捻りながらある事を聞いた。
「なぁ、渉ちゃんよぉ」
「んあ? なんだよモテ男くん」
「この間商店街でよ、お前を見掛けたんだ」
「・・・・? そりゃお前、オレだって商店街で買い物ぐらい―――――」
「学年が一つ下の女と仲良く歩いてたな。実に楽しそうだった」
「・・・・・・・・」
ぴたっ、とジュースを飲む動作を止める。そしてジッと半目にしてオレを睨みつけてきた。
そんな睨むぐらいなら商店街なんていう所で遊ぶなよ。人目が気になるなら尚更だ。
普段の服装と違い、革のジャケットに一流のデニムを穿いてた。女もかなりお洒落していて傍から見なくてもそれは『デート』と呼べるものだった。
「たしかテニス部の女だったよな? 結構男子の間で人気のある女だった覚えがある。小恋ちゃん一筋だと思ったら、まさか・・・・ねぇ?」
「・・・・・はぁ。まさかお前に見られるとはよぉ・・・・ついてねぇ」
「地元の商店街を仲良さそうに歩いているお前がわりぃーよ。どうぞ見つけてくださいって言ってる様なモンだ」
「オレは嫌だって言ったんだけどな、どうしても行きたい新しく出来たスイーツ店があるとかどうとかで・・・・」
「行ったのか? そのスイーツ店に?」
「もう甘いモノは当分喰いたくない・・・・」
手をハタハタと振ってうんざりするような顔を向ける。もしかしてこの間一日中腹を擦ってたのはそれが原因かよ。
しかし―――――だ。まさかあの渉が小恋を諦めて他の女にいくなんて意外というかなんというか・・・・・。
あれほどしつこいぐらいアプローチしてたし、みんな渉の気持ちに気付いていた。そりゃあもう本人にさえもダダ漏れな感じで。
時々おどけるような感じではあったものの、その真剣な気持ちはこちら側にも伝わって来ていた。だから本当に意外だと思ったぜ。
「けど、これでお前も彼女持ちか。めでたい事だな。大切にしてやれよ」
手を頭の後ろに組みながら欠伸を噛み殺す。まぁこいつはオレとは違い中々純情な所がある。あっちこっち目移りせず一直線にいくだろうよ。
大体小恋に拘わらなきゃすぐに彼女が出来ていてもおかしくない奴だった。外見は普通に女ウケよさそうな感じだし、ムードメーカーみたいに
明るい雰囲気を醸し出している。
服装のセンスも良いし、ぶっちゃけて言えばオレよりはモテそうな男だ。事実こいつの悪い話なんて聞いた事が無い。男女問わず、かなりの
人気者だと思う。弄られキャラな所もあるがそこも愛橋があるせいか卑屈に見えないしな。
「・・・・・いや、あのさ、義之さ」
「あ? んだよ」
「実はその下級生の女の子の話なんだけどよ・・・・」
「付き合ってるんだろ。まぁ、いつまでも振り向いて貰えない女を諦めて自分を慕ってくれる女の方に気持ちが傾くのは悪くはねぇよ。
周りの奴はあーだこーだ言うかもしれねぇが――――オレは別に気にしない。何かあったら、まぁ、オレとか茜に言え」
こいつもオレなんかとまだ友人関係を続けてくれる希少な存在だ。らしくないと言えばらしくないが、何かしてやりたい気持ちが心にある。
美夏の件にしたって随分助けられた。板橋はこんな性格の所為かあらゆる所に顔が利き、頼んでもいないのに美夏の事をお前たちは何か誤解
してると必死に訴えてくれていた。
結果だけみればさくらさんのおかげでその件は解決したように見て取れるが、渉のお陰で美夏が暮らし易い環境を作ってくれた事は大きい。
結局、大人がああだこうだ言うより同い年の人間に窘められる方が納得しやすいしな。そう思いながら少し真剣な目を渉に向ける。
「あまりオレは力になってやれないと思うが話は聞く事が出来ると思う。それに茜だって普段はおちゃらけている様に見えるがかなり義に厚い
女だぜ? お前が冷やかしにあえば頭を沸騰させながら怒ってくれる」
「あ、いや、それはありがたい話だけど・・・・」
「まぁ、お前の場合人徳がある程度あるからそんなに言われないと思うけど。もしかしたら新しい恋路を応援してくれる奴もいるかもしれねぇ。
あんなにアピールして振り向いてもらえないお前の事を、多少憐れんでた連中もいるしな」
「・・・・憐れまれてたのか、オレ」
「だからそんなに気を揉む事ねぇよ。ただ、そうだな、その女を一回紹介しろよ。お前の初めて出来た彼女だ。少しばかり興味があるな」
「――――――ってない・・・」
「あ?」
「だからよ、なんつーか・・・・ここまで心配させて言葉をかけてくれたお前に言うのが少し躊躇われるっていうか・・・・怖いというか」
頭の後ろをポリポリと掻きながら口ごもる渉。コイツにしては珍しい反応だ。結構言いたい事は言うタイプな筈なんだけどな。
そして軽く咳払いしながら手を組み、オレに申し訳なさそうな目を向けた。
「その女の子とさ、別に付き合ってないんだ。義之」
「・・・・・・」
「一応告白はされたけどな。けど、オレは月島の事好きだし。今更他の女の子とどうのこうのする気が起きなくて断ったんだよ」
「・・・・・・」
「少しばかり泣かれちまったけどな、はは。物好きな女も居たもんだよ。オレなんかを好きだって言ってくれる女の子なんてな」
「・・・・・・」
「しかし、なんだ、お前も結構友達思いっぽい所あるんだな。そんなに真剣な目してくれて・・・・へへ。やっぱり俺達は親友―――――」
無言でスネを蹴ってやった。瞬間、与えられた激痛に渉は椅子から転げ落ちて「ぐぉぉぉおお・・・・」とうめき声を上げる。
オレは椅子から立ち上がり首をならしながら出入り口の方に踵を返した。なんだか急に気だるさを覚えたからだ。一秒たりともココに居たく無い。
やはり柄じゃない事はするもんじゃない。おかげで恥を掻いてしまった。どんだ勘違いクンみたいな行動を起こした自分に言い様のない恥辱感が
芽生える。くそっ、本当に赤っ恥を掻いちまったぜ・・・・・。
「じゃあな、色男。この事はお前の愛しの小恋ちゃんにしっかり報告しておく。安心してくれ」
「なっ―――――」
「自分にアプローチしていた男が気付いたら他の女と楽しくデートしていた。とんだ尻軽男だと思われるだろうな」
「ちょ、ちょっと待てよ義之っ!? それはお前が勝手に人の話を聞かないで勘違いしただけで――――」
「ああ、オレはとんだ勘違いクンみたいな事をした。それは事実だし言い訳はしねぇ。だから、これはただ単に腹いせをしたいオレの身勝手な行動だ。
許してくれるよな、親友?」
ああ、まったくもってオレのキャラじゃない。他人の色恋沙汰に興味を持つどころか助力するような発言をした自分。一昔前からじゃ考えられない
事だと思う。事実、前はそんなものに関わろうとしなかったし・・・それどころか他人に関心を持とうともしなかった。
人嫌い。別になんの心理的要因も無ければ過去に酷い事をされた訳でもない。生まれつきそういう感性を持ち合わせていただけという話だ。
とにかく人と関わるのが苦痛で仕方無く、出来るだけ一人で居ようとした。特に寂しいと思わなく、それはそれで楽しい人生を送っていたと思う。
だが、ある時転機が訪れた。それも信じられない様な話であり、誰かにも言ったがまるでおとぎ話みたいな頭の悪い展開だ。笑えやしない。
交通事故で死んだオレは本来ならそのまま死ぬ筈の運命だった。だが、オレの保護者は魔法使いでありギリギリの所で別な世界に飛ばされ
現在に至る。そこで色々な人に出会い、恋をして、昼ドラも真っ青な恋模様の中ズルズルと、とうとう冬まで来てしまった。
「・・・・はっ、なんだこれ。本当に頭が痛くなる話だな。今時こんなの三流の脚本家でも考えねぇって」
後ろから渉の情けない声が聞こえてきたが無視して廊下に足を踏み出す。次の時間は社会か。なら休んでも構いやしないか、社会経験は随分
積んでるし必要無いだろう。
まぁ、なんにしても現在はそれなりに充実した生活を送れていると感じる。周囲の環境は満足の出来るものだし、人に恵まれている。その所為で
少しばかり性格が緩くなったが気にする程ではない。
『オレ』という人間の本質は変わらないし変える予定もない。自分の思った通りに行動したいし発言もする。元々オレは一人で生きたい為に色んな
事を勉強した。これからもその事を辞めるつもりは無い。強さは何時だって必要なモノだ。自分の為にも大事な人の為にも――――。
とりあえず屋上は寒いので保健室に行って休ませてもらうか。自分で言うのもなんだが結構演技は出来る方だと思う。
前も顔を真っ青にしながら保健室に行ったら速攻休まされたしな。おかけでオレの知る限りの女共が保健室に押し寄せてきて軽くパニックになったが
その事は忘れておく事にする。仮病な筈が本当に具合が悪くなって最悪ったらありゃしねぇよ、あのアホ共が・・・・。
「・・・・・ん?」
視界の隅を白い小さい物体が通りすぎるのが見えた。それを見てオレはため息を付く。ああ、なんか朝から肌寒かったが、とうとう振りやがったか。
身体をフルっと震わせながら急ぎ足で保健室のベットを目指した。早く暖かいあの毛布に包まれたくなる。寒いのは苦手だっつーのに全く。
自然現象に毒を吐いても仕方無いのだが思わず眉を寄せてしまった。この季節には良い想い出も、悪い想い出も一杯詰まっている。はぁ、と嘆息
してその取り留めのない考えに舌打ちし、ポケットに手を突っ込んだ。
冬――――この世界に来てからもう一年が過ぎようとしていた。
幾多の女性と出会い、恋をして、恋をされて二回目の季節。
さて、どうしたものかな・・・・っと。
「・・・・雪、か」
書類から顔を上げ窓の外を見る。今年は雪が12月になっても全く降らなかったので、ニュースキャスターが心配していたことを思い出した。
名前も知らない、見た事も無い様な専門の学者達が白熱した議論を交していたのをテレビで見た。つまらなかった。チャンネルを変えた。
今度は新人のお笑い芸人がコントをしていた。必死に顔に汗を流し体全体を使って芸を披露する二人組。テレビの電源を落としその日は床に着いた。
「・・・・ふぅ。そろそろ休憩するかな。さっきから字を追ってばかりで目がショボショボするし」
学園の施設拡大依頼、資金の流れ、来年度の新しい生徒の成績素行、教師陣の増強、はたまた食堂の追加メニューの提示。
私の役職でここまでする事はないであろう内容が書かれた紙束が、続々と届けられてウンザリしていた。目を擦り椅子にもたれ掛かる。
別にワンマンを気取りたい訳では無い。ただ『芳乃さくら』という存在に周りが縋りきっているという現実があった。
私なら間違った判断をしないだろう、皆が求めている正しい答えを出してくれるだろうという思いを寄せられているのは分かっていた。
分かっている、理解している。だが納得はしていない。けれどこの業務の補佐を出来る程の人間がいない。だから今日も私が全部をこなす。
だからこれは愚痴だ。愚痴―――言っても仕方が無い事。仕方が無い故に、また数分後には目を疲れさせなければいけない。
「もう何十年同じ事をやってるんだろうなぁ。そりゃー確かに後進を育てなかったのは私の責任だけど・・・・」
まぁ、結局は自分の事を棚に上げてるんだけどね。忙しさにかまけて周りをよく見ていなかった。なまじ全部自分一人で賄えたのが失敗だったかも。
他人に物事を教えるのは存外に難しく、緩慢な動作でチマチマ仕事をされるのなら自分でやった方が早いと無意識の内に行動してしまっていた。
これでは社会人失格と言えよう。世の人達はそれでも根気よく自分の後輩に技術を伝え、またその後輩がその後輩に仕事を教えるのが普通だ。
はぁ・・・。結果的には自分で自分の首を絞めたようなもの。机の上に置いてあるお茶を飲みため息を一つ。窓の外を見ると更に雪の勢いは
激しさを増したようだった。
積もるだろうなぁ、これ。
「ん・・・?」
空から視線を下げ、そのまま向こうにある渡り廊下に目を向けた。
気だるそうな足取り。切れ目で男らしくなった顔を面倒臭そうに歪めて欠伸をしている。
ここ一年で大分変わった息子―――桜内義之。その彼が授業中なのにも関わらず平然と足を歩ませていた。
「もうちょっと悪びれようよぉ~、義之くん」
頬づえをついて歩いている彼を、笑みを携えてジッと見詰めた。立ち場的に怒る所だろうが、生憎そんな気になれないでいる。
あんなに堂々と歩いてちゃ怒気よりも毒気を抜かれた気持ちが先立つ。らしいといえばらしいその立ち振る舞いにある意味、敬愛の念を抱いた。
でも・・・家に帰ったら一応お説教かな。それで直す事はないだろうが保護者として、母親としてそれは大事な役割だと思う。
一応ボクは子供を怒れない母親ではないつもりだし、これも一種のコミュニケーションだと考えていた。
「さて。そうなると早くお家に帰らなきゃいけないなぁ」
まだ途中で放置している机の上の書類を見て、また、ため息を一つ。ため息をつくと幸せが逃げると言ったのは誰だったか。
自分の頬を数度叩いて気合いを入れ直す。そろそろ本気を出して取り掛からないと、今日もお泊まりコースに直行だ。
そう思い、後ろ髪を引かれる様な気持ちで視線を机の上に戻した。さぁて、やりますか。
「ちょっと天枷さん? なんでここにバナナなんてあるのかしら」
「別にいいだろ、あったって。ここは料理をする場所でありどんな食材でも受けいられる台所だってある。あってもおかしくはない」
「突っ込みどころ満載のお言葉をどうも。お生憎ですけれど私達は今、至って普通の料理を作ろうとしてますの。そんな果実を受け入れるス
ペースなんてどこにもありません」
「細かい奴だなぁお前も。だったら食後のデザートにすればいい。低カロリーで栄養もたくさんあり、尚且つブドウ糖がすばやくエネルギー
に変換される。そんな最高の果実なんだぞ、バナナってのは」
「・・・てい」
「って、あぁーーーーっ! な、なんてことをするんだムラサキ! せっかくの新鮮バナナをこんな埃まみれの床に・・・」
「埃まみれの床でごめんなさいねぇ、美夏ちゃん」
私の言葉に『うっ』と喉を詰まらせる美夏ちゃん。多少気まずそうな顔をしながら目の置き場に困った様に、周りを見回す。
勿論埃まみれなんてことは無い。毎日お母さんが家の中を几帳面に掃除してくれてるいるし、私も汚れなんかは気にする方だ。
ま、本当は別に怒っていないけどね。つい思ってもいない事を言うのは誰にだってある。そう、だから私は怒ってなんかいない。
「か、顔がとても無表情で怖いぞ花咲」
「そんな事ないわよん。元々こういう顔だしねぇ。さ、早く料理を作っちゃいましょ」
「う、うむ・・・・」
何故か顔を引き攣らせながら、とりあえずバナナを水洗いする彼女。エリカちゃんは存じぬ顔でテキパキと調理道具を整えている。
仲が良いんだか悪いんだか・・・いや、悪くはないと思うのだがいつもこの二人は衝突し合っている。今回に限った話では無い。
衝突の原因―――桜内義之という男の取り合い。恋愛はよく人間関係を拗れさせるというが、この二人の場合は如実に『ソレ』が表れていた。
天枷美夏という女の子からすれば、エリカ・ムラサキは一番の恋敵であり、最も危険視しなければいけない存在だ。
あの凶暴で正しい言葉より自分の思った事を信じ、普通の人からしてみればとても取っつき難い彼に対して際限なく切り込んでいくエリカ
という女の子は、内気な美夏にとっては眩しいモノであり妬ましくもあった。
彼女はどちらかというと義之と接する事に対して照れが若干あり、思った事を多々言えない事があった。それは仕方の無い事だろう。初恋で
あり男性とまともに喋った事は義之以外にはあまりいない。強いていうならば父に似た存在であったか。
なんにせよ美夏にとってエリカという女の子はとても羨ましくもあり、それ故に気に喰わない『モノ』であった。思った事をハッキリ言う
事もそうだし、彼に対してストレートに迫る彼女を見ていて唇を噛む場面が何回もあった。
「それで、道具は揃ったが材料は何を使うんだ? そのアイントプフというのは」
「そうねぇ。結構アレンジが激しい料理らしいから困るわ。野菜とかお肉を使えばとりあえずは問題は無いみたいなんだけどぉ・・・どうしようかなー」
「アレンジ、ですか」
「うん。でもまぁ、基本はベーコンとかジャガイモとか鶏肉を使うみたいなんだけどね」
だけど、だ。そのセオリー通り作って良いか悩んでしまう。調べたら基本的にポトフと変わらない料理ではあるが、初めて作る料理の名前だから
多少気遅れしてしまう気持ちがあった。
もうすぐクリスマスで世間がどこかそわそわするこの季節。私は思い切って皆で軽くパーティをしたいと発案した。
クリパはクリパで勿論やるが、それとは別に自分達だけのイベントをやりたい。その節を皆に伝えたら、快く了承してくれた。
基本的に私達のメンバーは皆お祭り騒ぎが大好きなので、特に反対意見は出なかった。特定の相手はみんな誰も居ないし問題は無い。
というか好きな人がおしなべて女性メンバーは被っているので、争い事を生まない様な算段が少しだけあったのは確かだが・・・。
そのドンチャン騒ぎをするにあたってメンバー分けをしたのは一昨日の事。場所の確保組、イベント発案組、料理組等と別れた。
確保組は男子の義之、渉、杉並といった男子達。普通に考えれば杉並一人いれば問題無いのだが、義之はかったるいとの理由でこの組となった。
イベント好きな渉が発案組に入らなかったのは意外と言えば意外な出来事。その組には小恋も居て軽くハーレム状態なので、彼なら喜んでその
組に行くと茜は思ったものだ。
『ま、彼も思う所があったんでしょうね。最近義之君とまた頻繁につるむ様になったし。今回は友情優先って感じなんだろうねー』
とは藍の談。一時期義之と渉の間には何とも埋めがたい溝があったものだが、今では以前と変わらず―――いや、それ以上に一緒に居るのを
何回か茜と藍は見掛けている。
そんなこんなで料理組は、料理部の茜を筆頭にエリカ・美夏を加えての布陣となった。あまり料理の腕が立つ面々とは言い難いが、やる気だけは
十分の二人だ。それが良い方向に働けば満足な料理が出来るであろう。
そして残るは料理のメニューだ。あらかた茜の頭には作る料理の数々はすぐ浮かんできたが、そこに義之のリクエストを入れてみたいと考えた。
エリカと美夏の二人も当然その考えに賛同し、早速何が食べたいかを聞いた。煙草を咥えながら少し考える仕草をする義之。そしてこう言い放った。
『そうだな。今の季節は冬だしポトフ――――いや、アイントプフが食べたい。一回さくらさんに作ってもらったんだが、また食べてみてぇな』
知らない名前の料理。どこか挑む様な口振りでそう言った義之は、何がおかしいのか口を歪めて笑った。カチンとくる笑み―――早速作る
料理が決まる。その場を後にし、二日後、茜達は学校をサボってまで料理の特訓を実施した。
でも――――まさかこの生真面目二人が私に付き合ってくれるなんてねぇ。基本的に根が真面目だから次の休みの日にでもと、提案をしてくると
思ったんだけどなぁ。
よかったわね、義之くん。二人とも貴方が絡むと最優先に持ってきてくれるほど愛されてるらしいわよ。もう体中からオーラがメラメラ出てるって
感じで頼もしいわ。
「それにしてもよっしぃには困ったな~。素直にポトフって言えばいいのに。あの捻くれ男は」
「確か実際には名前が違うだけで大してポトフと変わらない料理なんだろう? そのアイントプフってのは」
「え、そうなんですの?」
「まぁ~ね。ポトフがフランス料理でそのアイントプフってのがドイツ料理って訳なのよ。ぶっちゃけそんなに違いはないわぁ」
さて、そうなると問題は国柄の味の濃味か。面倒臭い問題を出してくれたものだ、全く。素直にポトフと言えば差し当たりの無いモノが作れたのに。
もしかして―――私達が失敗するのを期待しているのかもしれない。そういえば、私達の面子を見てニヤニヤ笑っていた気がする。
はぁ。本当に捻くれ者で参ってしまう。しかし惚れた弱みか。頑張ってある意味、期待を裏切る様な料理を出してやりたい気持ちが大きかった。
「たしか先程アレンジが激しい料理、とおっしゃっていましたわね。花咲先輩」
「へ? あ、あー・・・うん。ポトフと同じで家庭や地域なんかで結構味付けとか具材が変わるらしいわよ」
「なるほど。実は私、こんなのもを用意しましたの」
「んー?」
エリカちゃんが取り出しのは・・・何だか粒粒したモノが瓶に入ったモノだった。色は少し黒く沈んでおり、イクラみたいな形を為していた。
なんだろう―――そう思い、ちらっと瓶蓋に書かれた名前を見て、思わず動きが止まってしまう。美夏ちゃんもそれに気付いたのか、ため息をついた。
いや、確かにエリカちゃんはお金持ちだ。彼女がそんな物を持っていても違和感は全然ない。そう、違和感はないのだが・・・・あまりにもお約束
過ぎる展開だ。義之くんが居たらお尻を蹴り上げているだろう。
「確かキャビア・・・という名前の高級な具らしいですわね、これ。このあいだ兄が差し入れといって貰ったものですけど、是非つかってみましょう」
「・・・・なぁ、ムラサキ」
「別に恩に着せたりしませんわ。こういう場面で出し惜しみする程に捻くれてもいませんですし。どうぞ、ご遠慮なく――――」
「お前はそれをこの圧力鍋に放り込むのか。それはまた・・・ドロドロに溶けていいスープが出来そうだなぁ」
「・・・・・・・」
「他の肉や野菜に染み渡ってとても高級感が増しそうだ―――お互いの素材の味を殺しまくってな」
「あははー・・・・」
引き攣った笑みを浮かべる私を余所に、美夏ちゃんとエリカちゃんはお互い睨み合っている。また険悪な雰囲気になる両者。
なるほど。いつも近くでこんな雰囲気を出されては胃が痛くなるというものだ。なんだか義之くんの気持ちが分かった気がする。
エリカちゃんからしてみれば、ようやく自分の番が回って来たというのにいきなりカーテンコールをされた気分だろう。
まさにグッドアイデアと言わんばかりに自身満々にソレを出してきたのだから、心情は察するに余りある。
「まさに金持ちなお前らしい失態だ。まるで漫画に出てくる世間知らずのお嬢様―――ああ、実際にそうだったな。お前は」
「・・・お黙りなさい」
「義之に聞いたところ、最近は料理の腕が上がったと言っていたが・・・本当かどうか疑わしいものだな、これは」
「ちょっとした間違いじゃないの。お茶目なものですわ」
「いやはや、だな。ここには義之は居ないのだぞ? そんなお茶目っぷりを見せられても胸糞が悪いだけだ。何が悲しくてお前のドジっぷりを―――」
動いたのはエリカちゃんだった。美夏ちゃんトレードマークの牛柄のキャップをむんずと掴み、勢いよく取り上げようと力を込める。
それに対抗しようと、即座に帽子に掛かっている手の首をガッと掴んで阻止する美夏ちゃん。拮抗してプルプル震える両者。ため息をついた。
「あーはいはい。そこまでにしときなさい」
「す、すぐお前はそうやって暴力に訴えようとする・・・っ。全く成長しとらんな、ムラサキ」
「あ、貴方こそ口が開いたと思えばツマラナイ挑発なんかして・・・・・身の程を知りなさいなっ」
「身の程だとぉ~? お前こそ何様だ。最近義之に構って貰え無くて欲求不満でこんな事してるんだろ、ええ?」
「な、で、デタラメを言わないで下さいなっ! 義之はね、今大事な時期なの。疎遠になっていた友人と仲直りして、さぁこれからって時に
私達とあまり仲良くしてはせっかく修繕した友好関係が台無しになる。そんな事も分からないのかしらこのポンコツは・・・・っ」
NGワード。ポンコツ、ドジ、ハゲる。それを言われた美夏はさっきまでの余裕の表情を崩し、顔を朱色に染めて口を開いた。
更にヒートアップする両者に、置いてけぼりになった形になってしまった茜。彼女にしては珍しく眉間に皺を寄せて腕を組んでいる。
この機会に少しでもこの二人の仲が良くなればなという算段が茜にはあった。だが、そんな気持ちも段々萎えていくのを感じていた。
「あ、相変わらず口数が減らないロボットですこと・・・っ」
それも仕方がない事か。そもそもエリカは美夏の事が好きでは無い。嫌いだ。もし義之が絡んでいないならば、その限りでは無かったかも
しれないが―――あくまでそれは『もしも』の話だ。
大体にしてその扱われ方自体がエリカには気に入らなかった。普段は生意気な口を叩く癖に、いざ好きな男の前になると愛の囁きの一つさえ
言えないような臆病者なのに、私より扱いが良い―――と彼女は常々思っている。
実際、当の本人―――義之はそんな美夏が可愛くて仕方が無い。あの他人には厳しい義之が美夏『だけ』に対しては甘かった。何がきっかけ
かエリカは知らない。知っているのは本人達だけ。
何もしない癖に猫っ可愛がりされる彼女を見る度、とても心が波立った。試しにエリカもそんな美夏の真似をした事が一度だけある。
美夏という何も取り柄の無い女の子がそれだけ可愛がられるんだ。私なんかがやったら、それはもう、効果抜群に違いない。決まっている。
『ね、ねぇ・・・義之?』
『あ? どうした、エリカ』
『あのね、その・・・・・・』
『・・・・・・・』
『・・・・・・・・・てへ』
私が照れ顔した時の、あの時の義之の表情。忘れる事は出来ないだろう。思いっきり引いた顔をして、まるでゴキブリが目の前を縦横無尽
に飛び回っている場面に遭遇した顔になっていた。
その件で益々エリカは美夏の事が嫌いになった。八つ当たりと言えばそれまでだが、せっかく慣れない真似までして行動に移したというのに
義之に引かれる始末。思えばあの一件以来、微妙に距離が離れた気がする・・・・・。気のせいだと思いたい。
「この・・・・っ!」
「何よ・・・・っ!」
「――――――いい加減にしなさぁあああーーーーいっ!」
「わっ!?」
「きゃっ!?」
「さっきから聞いてればお互いの悪口ばっかっ! 義之くんの為にせっかくヤル気出したって言うのに―――これじゃ話にならないわよ」
茜にしては珍しい大声で二人を怒鳴りつけた。段取りが整い後は調理をするだけだという状況になっても一向に進まなく、喧嘩ばかりしている
この現状にさすがに堪忍袋の緒が切れた様だ。
さっきまで口論を交わしていた両者も、そんな茜に恐れを為したのか、シュンとなってしまう。普段怒らない人間が怒ったら怖いモノだ。
とりあえず二人はお互いを掴んでいる手を離し、話を聞く体制になる。茜は腰に手を当て、ため息を一つ。言葉を吐き出した。
「別にね、無理矢理にでも仲良くなれとは言わないわ。誰にだって気が合わない相手がいるだろうし、そんな相手と無理に仲良くなっても
結局は化かし合いになるだけだしね」
「・・・・うむ」
「・・・・はい」
「でもね、それは時と場合によるわ。今は今度パーティに出す料理を作っている最中。お二人は義之くんだけの事しか頭に入っていない
ようだけど、それじゃダメよ。私達が出す料理はみんなが食べるんだから」
料理部などという部活に入っているだけに、その気持ちは大きかった。美味しいモノを食べて貰いたい。美味しいと言って貰いたい。
誰だってそうだろう。自分が作る料理は認めて貰いたいものだ。だが、こんな風に事あるごとに喧嘩をしていてはとてもじゃないがそんな
料理は出来あがらない。
せめて今だけでも協力し合って、満足のする料理を作り上げたい。付けくわえて言えばそういう料理が出来た時、二人のしがらみは幾分か
取れる筈だと茜は考えていた。
「・・・・そうだな。義之だけじゃなくて杏先輩も食べるだったな。悪い、花咲。少しばかり熱くなってしまった」
「・・・・・・」
「エリカちゃん?」
「・・・・・すみません」
不承不承ながらもエリカちゃんも謝ってくれた。とりあえずそれでいいだろう。この場が収まっただけさっきよりはマシだ。
隣に美夏ちゃんが居るから素直に謝れないだけ。エリカちゃんとは決して短い付き合いではないからその事が分かる。
なかなか天邪鬼な子だが悪い子では無い。礼には礼で返すし意外と義理固い所もある。にこっと笑い、出来あがった気まずい雰囲気を振り払おうと
二人に笑い掛けて頭を下げた。
「まぁ、私も怒鳴っちゃって悪かったわ。ごめんね、美夏ちゃんにエリカちゃん」
「い、いや、花咲は悪くは無いんだぞ? うん」
「そ、そんなに頭を垂れてもらっては困ります! 私達が悪いんですから・・・・」
「・・・・・あはは」
やっぱり何だかんだ言ってこの子たちは根は良い子達だ。思わず笑みが浮かびあがって来てしまう。
そして流れる和やかな雰囲気。うん、これなら大丈夫だ。そう思い台所に向き直そうとして――――台の上に置いていた携帯に手が触れた。
「あっ」
慌てて空中でキャッチしようとして、失敗する。そのまま重力の流れに逆らわず床に落ちる携帯。
落ちた反動で折り畳み式の携帯の画面が開かれてしまった。美夏とエリカはよかれと思い、その携帯を拾おうと身を屈めて―――動きが止まる。
(あっちゃ~・・・・・・・・)
やってしまったと猛烈に後悔した。やっと場が落ち着こうとしたのに、何をやってるんだ私は・・・・。
二人はその携帯画面をジッと見詰めたまま、ポツリと、エリカは言葉を零した。
「『愛しのよっしぃとのツーショット』・・・ですか」
「・・・・・・・あははー」
「この写メを撮った日付の日は――――ほう。確かこの日は平日だった筈なんだが・・・・なぁ、花咲」
「ううー・・・・」
そこには顔をくっつけてピースする私と、相変わらずつまらなそうな顔をして顔を背けながらも、しっかりピースをしている
義之くんが映っていた。
写メを携帯の壁紙にする。女子ならよくやっている。彼氏が居る子の場合は、半分以上の女の子はやっているんじゃないだろうか。
その日、茜は風邪を引いた。風邪といっても軽い咳ぐらいで本人は学校へ行くつもりだった。しかし念の為と、母親に強制的に休みを取らされた。
しかしそんな咳など午前中には収まってしまい、午後からは暇になってしまう。特にやりたい事も無し。テレビを見ながら居間で寛いでいた。
『あーあ、暇だにゃー。まったく。お母さんも心配症なんだから』
『あかねー、お客さんよ』
『おきゃく~? 誰よ、こんな真昼間に』
チャイムの音が鳴っていたのは聞いた。きっと郵便か配達モノだと思い込んでいた。12時30分というお昼真っ盛りの時間帯。
それが自然な考えだろう。友人たちは皆学校へ行っている。ニートの友達なんか居ない。じゃあ、誰なのだろうか。
もしかしてストーカーかもしれない・・・・。とりあえず身支度を整え、玄関に行くと―――――。
『こんにちは、茜さん。思った以上に健康そうですね』
『・・・・・・は?』
『そうなのよ。私はそんなに元気があるんだったら学校に行ったらいいって言ったのに・・・・。まだまだ子供で参っちゃうわ、グズちゃって』
『え、あ、ちょ――――――』
『あはは。普段の茜さんからは考えられませんね。教室で見る限りじゃとても大人びて見えるので。意外です』
何故か楽しく談笑しているお母さんと――――義之くん。普段のつまらなそうな表情はどこかへ消え、爽やかな笑みで話をしていた。
置いてけぼりになる私。その脇で話はトントン拍子に進み、気付いたら私の部屋で義之くんと二人きりとなっていた。
じゃあ、ゆっくりしていってね。そう言ってお茶を置いて退室していったウチの母。完全に義之くんを信用しきっていた。
『学校でサボるのも飽きちまってよ。暇つぶしにお前の家に寄らせてもらったよ。案外良い家に住んでるな、茜』
さっきまでの爽やかさは完全に何処かへ消え、ゴロンと寝転がり図々しくも脇に置いてある私の雑誌をパラパラと捲る彼。
あまりにも傍若無人なその振舞い。普通なら慌てふためく場面だろうが、あまりにも彼らしい態度なので返って冷静になってしまった。
この男はいつもそうだ。行動が急過ぎる。思った事を実行するのは良い事だが、躊躇という言葉を知らないのだろうか。
まぁ、結局義之くんと二人きりになれたのは良い事だ。それも此処は私の部屋。そこにいる好きな男性。思いっきりベタついてやった。
義之くんがお見舞いにと持ってきたリンゴを二人で食べて、二人でくっついて寝っ転がる。初めてかもしれない。こんなにベタベタしたのは。
『それにしても優しいわねぇ。暇つぶしとかなんとか言って、こうやってリンゴとか持ってきてくれるんだから』
『オレはこれでも世間一般の常識を持ち合わせている。お前の母ちゃんには親戚の法事の帰りだと言ったよ』
『その設定だとさぁ~、私が学校休んでるって分からなくない?』
『友達からメールが来たって適当吹いた』
『相変わらずの嘘つきねぇー。それにしても・・・さっきの爽やか義之くんにはビックリしちゃったにゃ~』
『・・・・うるせぇ、タコ』
思い出すのも嫌なのか、顔を歪ませて目を瞑る。あーあ、写メでも撮っておけばよかったなぁ。あんな爽やか義之くんを他の子が見たら
どう思うだろうか。考えるだけでも楽しくて仕方が無い。
恐らく吹き出すに違いない。その写メを見て笑わない女の子なんて――――居たか。うーん・・・エリカちゃんあたりなんかはウットリ
しそうねぇ。怖いわ、恋って。
そうしてしばらく談笑をしていた。途中、義之くんが「人の幸福ってなんだと思う?」と聞いてきた。答える。好きな人とまったりする事と。
納得がいったような、いかないような顔。そんな義之くんを無視して私は良い事でも閃いたと言わんばかりに、携帯を手に取った。
『あ、そうだそうだっ! ねぇ、よっしぃー?』
『あー? なんだよ』
『二人で写メ撮ろうよっ。こうして顔をくっつけてさぁ~』
『って、おいっ、やめろよ、かったり―――――』
『はい、チーズ』
嫌がる義之くん。それを無視して携帯のカメラのレンズを自分達の方に向ける。更に表情が歪められて眉を寄せながらも、諦めの表情の義之くん。
でも、まさかピースしてくれるなんて思わなかったなぁ・・・・ふふ。恐らくピースをしないと、返って照れてる事が分かってしまうからだろう。
本当に素直じゃないんだから。まぁ、いい。こうやって二人きりの写真を撮ったのは初めてだ。記念に壁紙にでもしよう、うん。
「まったく。義之が見当たらないと思えばそんな事を・・・・」
「花咲先輩には油断も隙もありませんわね。私達を応援してくれるような言葉を言いながら裏でこんな事を・・・・。確かに花咲先輩が
義之の事を好きなのは知っていましたが―――――まさか、ですわね」
「ううー・・・私の威厳がー」
シクシク涙を流す茜を見詰める二人の視線。厳しいものがあった。確かに二人は茜が義之の事を好きなのは知っていた。
これでもかというぐらいにボディランゲージが激しいのもあるが、時折、ふとした瞬間に喧騒から外れジッと義之の事を黙って見詰めている
場面を数度見掛けた事がある。
それを見て感じた。ああ、この人は本当に彼の事が好きなんだ、と。
エリカと美夏。両者は花咲茜という人物に強い憧れに似たモノを持っていた。器量もよく料理も出来て、何より義之に信頼されている人物
だからだ。おそらく、もし恋人関係にならなくても親友に似た関係を持てる事は明らかだだった。
茜みたいに、義之との自然な接触を図ろうとしてもいつも強引に近いアプローチしか出来ないエリカ。元々感情表現が上手く無い彼女はい
つも両極端な行動しか出来ないでいた。
茜みたいに、義之との自然な接触を図ろうとしてもいつも消極的に近いアプローチしか出来ない美夏。彼女もまた、感情を表に出す事を
苦手としている。特に恋愛絡みでそれは如実に表れていた。
「なるほど。これが先程おっしゃっていた化かし合い、というものですか。勉強になりましたわ」
「さて、こんなことをやっていたら日が暮れてしまう。美夏は材料を切るからムラサキも手伝ってくれ」
「癪ですけどしょうがありませんわね」
「あーん、もうっ! 仲間外れにしないでよぉ~!」
茜を置いて調理の準備に掛かる美夏とエリカ。その後ろで茜が抗議の声を上げているが、それを無視してスーパーで買った野菜を取り出していく。
まぁ、半ば冗談でからかっているに過ぎない。なんだかんだいっていつもこの人にはお世話になっている。本気で嫌いになれる筈が無い。
二人はそう思いながら、まずはジャガイモの皮を剥き始めた。
「じゃあ、義之の側室2軍によるイベント会議を始めるわね」
「な・・・なに、雪村さん、その名前は・・・・」
「なにって―――言葉通りの意味よ。私達は側室の2軍メンバー。ちなみに側室1軍メンバーは茜、美夏、ムラサキさんの三人ね」
「うぅ、悲しいよぉ~」
「わ、私は違うんだからねっ!」
ななかは少し引き攣った笑みを浮かべ、小恋は涙目でションボリし、委員長の麻耶は憤慨しながら否定した。
料理組は茜、美夏、エリカの三人で構成され、イベント組は杏、ななか、小恋、麻耶の組み合わせとなった。
奇しくもの組み合わせに、なんらかの因果を感じずにはいられない杏。椅子に深く腰を掛け、前髪を手持無沙汰に弄る。
「悲しんでも仕方ないわ。私達は争奪戦に乗り遅れたのだから。1軍メンバーとの差は甘んじて受け入れましょう」
「私はけっこう前からアプローチしてた筈、なんだけどなぁ・・・・」
「・・・はは。小恋はあの人達に比べると少し大人しいからねぇ。しょうがないよ」
深くため息をつく小恋に思わず苦笑いの表情を浮かべるななか。小恋という女の子は良い子ではあるのだが、あの面子を相手に
するには良い子過ぎた。
皆がみんな我先にとアタックを仕掛ける中、どうしても及び腰になってしまい見詰めるだけになる事が多い。そんな小恋をライバル
ながら周りの友人は気にしていた。
しかし、本人からしたらそれこそ要らない気遣いだ。確かに周りの友人達に一歩どころか二歩も三歩も遅れてはいるが、だからと
いって心配して貰う程落ちぶれているとも思っていなかった。
「だから気にしくなっていいって、ななか。月島は自分のペースで頑張るんだから。もう」
「あっと・・・ごめん。怒らせるつもりで言ったんじゃないんだ。本当にごめんね、小恋?」
「え、あ、べ、別に怒ってないから、ななか。そんなに謝らなくても―――――」
「はいはい。そこまでにしときなさい。早く催しの内容を決めちゃいましょう」
「う・・・うん」
余りにもすまなそうに謝るから返ってこっちが恐縮してしまった・・・・。小恋は謝る事はあっても謝られる事は少ない。友人の低姿勢な
謝罪にどうしたらいいのか分からなかった。
そんな不穏な空気を察したのか、手をパンと叩いて麻耶は場を仕切った。こういう空気になった時は話題をずらせばいい。委員長という役職柄
そういう対処の仕方は慣れたものだった。
こんなに騒いでは周りに訝しげに見られるようなものだが、生憎と担当の教論が休みとなり自習と相成った。そこで折角パーティのメンバーが
同じ教室に居るのだからと、イベントの打ち合わせをしようと杏が話を皆に持ちかけ現在に至る。
「で、イベントの内容はどうするのよ、雪村さん」
「そうね・・・人数も多いし普通ならビンゴ大会とか王様ゲーム、ってなところがセオリーね」
「まぁ、それが無難でしょうね。変に凝ったゲームにしても盛り下がるでしょうし。ただしっ! 王様ゲームは、ぜっっったいにっ!
常識の範囲内で頼むわよっ、雪村さん」
「分かってるわ。準備するモノも簡単で皆が楽しめる。じゃあ、それに決まりね――――――フフ」
「・・・・今の私の話をちゃんと聞いてた、雪村さん? 何企んでるのよ、貴方」
「別に。ただ、クリスマスに起こるであろう楽しいパーティを想像したら、思わず笑みが零れてしまったのよ」
「・・・・・・」
「――――ああ、本当に楽しみだわ」
胡散臭そうに見詰める麻耶の視線を意に介さず、起こるであろう惨劇に口元を歪ませる杏。そんな彼女から、嫌な予感を察したのか
ななかと小恋がそそくさと離れた。
あの女癖が悪く、この私を陥れたあの男に仕返しをするまたとない機会。体育祭後での打ち上げでの件は忘れてはいない。無様にも
あのまゆき先輩に捕まりこっぴどく説教された。にやにや笑われながら。
王様ゲーム――――結構じゃないか。絶対に私が王様になって仕返しをしてやる。確かに彼の事は好きだが、これはまた別問題だ。
少し小細工をすればアラ不思議、私が王様になって下僕の義之が忠実に命令をこなしてくれる。人一倍プライドが高い彼だ、ゲームに
負けたら拒否しない事はとっくに計算に入れてある。
「それにしても、さぁ」
「ん? なに、ななか?」
「側室で思い出したんだけどさ。義之くんの周りってほんっとぉーに女の子ばかりよね。それも恋愛絡み」
「・・・まぁ、義之モテるし」
「いやいや、限度ってものがあるでしょっ。なんであんなに義之くんがモテるか―――――」
「不思議、かしら?」
「・・・・・・んー・・・」
杏の言葉に、サイドに垂れている髪の束を弄りながら否定しないななか。誰かがため息をつく。改めて考えると、とんでもない男だ。
桜内義之。一年前を境にその様子は激変した。前の穏和そうな雰囲気は無くなり、常に近寄りがたいオーラを放つようになった。
髪は前より伸ばすようになったらしく、ストレートを掛けている。口調も人を小馬鹿にするような感じになり、服装まで変わってしまった。
カジュアル的な服装だったのが、どこかモード寄りな服装になりアクセまで付けている。板橋渉もアクセなどを着けているので、珍しくない
といえば珍しくないのだが、『あの』義之がそんな格好をするなんて誰が想像しようか。
オマケに人間関係を断つように、いっさい人を寄せ付けなかったのがつい最近の様に思える。今では仲良くバカ騒ぎをしていられるが、あの頃の
事を思い出すとまるで何かの冗談の様だった。
「それなのに気付いたらドンドン女の子は増えていくし。あぁ、失敗したかなぁ。こんな事になるなら去年の冬の時、積極的に行くべきだったかも」
「―――もし、そうしていたら殴られてたかもしれないわよ、白河さん? 義之は女子供関係無く平気で殴れるんだから。ホント、野蛮人ね」
「・・・・うへぇー」
想像したのか、ななかが渋面の顔付きを作る。そう、変わったのは外見だけじゃなくその中身もだ。人を殴っても平気な顔をして笑っていられる
異常な男の子。あの綺麗な手からはとてもじゃないが想像出来ない。
また、知識を蓄える様になった。つい先日に杏が義之の家に遊びに行った時に彼は本を読んでいた。タイトルは『戦争論』。クラウゼヴィッツ
著作の本で、大昔に書かれた哲学書だ。
本棚を一回見せて貰ったが大体は似た様な本ばかり。学園長の影響で昔から好んで読んでいたらしいのだが、杏の記憶ではそんなのを読んでいた
覚えは無いと首を捻ったものだった。
「でもまぁ、前はちょこっと鈍感かなぁって思ってた所が直ってよかったかも。時々ヤキモキする場面あったし。ねぇ、小恋」
「な、なんで私に振るのよぉ、もうー」
「逆に目敏くなったわね。時々、何を考えているか読まれているんじゃないかと疑う時があるわ。前は可愛げがあったのに」
「そう、かも。桜内のあの目で見られると何だか心が見透かされた気分になるわね。ああ、怖い怖い」
「委員長の場合は少し感情を表に出し過ぎなのよ。誰だって気付くんじゃないかしらね? ふふっ」
「――――――ッ! ふ、ふんっ!」
そっぽを向く委員長。そういう所が義之にからかわれているという事を知らないのだろうか。今、義之が居たら多分構っている事だろう。
そうして構って、笑って、話をして、時々黙って手を貸してくれて、優しい所と厳しい所を見させて、相手を落とす。義之の常套手段だ。
本人にその気はあるない関わらず、そういった事をされては意識してしまう。事実、大体の女子はこうやって気付いたら落とされていた。
「義之の話だと話題に事欠かないわね。本当、飽きさせてくれない男の子よ」
「女性にだらしないだけよ、まったく。なんで勇斗があんな男に懐くか理解不能だわ」
「委員長の弟さん、だよね? この間ななかと歩いてる時に義之が公園で子供と遊んでるのを見掛けたけど・・・・もしかして」
「この間の日曜日の話よね。その子が私の弟よ。いきなり来たと思ったら、勇斗を連れ出して遊びに出掛けちゃんだから」
本当に急な出来事だった。お茶菓子を持ってウチの家に訪問し、勇斗と仲良く何故か「人の幸福」とはについて話をしていた。思わず
麻耶は頭が痛くなった。何故こんな真昼間からいい歳した男と子供が、そんな哲学的な話しているんだ。そうツッコミを入れたかった。
『なぁ、委員長』
『なによ』
『いきなり家に押し掛けたんだ。お袋さんに挨拶がしたい。いいよな?』
『は―――――』
着けていたシルバーアクセを外し、身なりを整える桜内。いきなりの話題転換に着いていけず、私は口をバカみたいに開けてしまった。
勇斗が「こっちだよ、お兄ちゃん」と言い、「おう」と返事をして奥の襖の方に歩いて行く。慌てて私はその後を追った。
母は体を壊し床に臥せている。いくら桜内の事を『ある程度』は信用しているといっても、変な事をしないとは限らない。
『ちょ、ちょっと待ちなさいよ桜内っ!』
『別になんもしねぇよ。ただ挨拶をしたいだけだ。勇斗から聞いたんだが今日は体調が良いらしいな。すぐ挨拶して引き下がるよ』
『今日じゃなくてもいいでしょ、だから今度また違う日に―――――』
その時、桜内は一つ息を吐いた。変わる雰囲気。さっきまでの粗暴な感じは消え失せ、物腰の柔らかなそうな男の子に変わった。
初めて見るその姿。勇斗は変わらずニコニコ笑みを浮かべている。茫然としてしまった私に桜内は軽く目配せをして、口を開いた。
『失礼します』
久しぶりに聞く桜内の敬語。思っていた以上に品があり、その洗練された言葉にまた泡を食ってしまう。いつもの様子からじゃ想像出来ない程
までに堂に入っていた。こんな桜内を、私は知らない。
ノックの音が聞こえ、返事をするお母さん。それを聞いて桜内は襖を開け室内に足を進めた。私も続いて後に入る。どうやら今日は本当に調子が
良いらしく、お母さんは柔和な笑みを浮かべていた。
それに応するかのように桜内も笑みを浮かべ、正座の体制をとる。大人な対応。私はただ脇に座っているだけの子供だった。
『どうも初めまして。麻耶さんの同じクラスの桜内義之と云います。この度は急な訪問失礼しました』
『あらあら、これはどうもご丁寧に。それより、かえってごめんなさいね? まともに持て成しを出来なくて』
『いえ。こちらこそ、そちらの事情にお構いなく来てしまいしたので。本当に申し訳ありません』
『いいのよ。それに麻耶からはよく貴方の事は聞いてるわ。勇斗といっぱい遊んでもらってるって。実は私も貴方に一度会いたかったのよ』
『ちょ、お母さんっ』
何度か桜内の話をした事がある。まぁ、主に話をしていたのは勇斗だったが。それをいつもお母さんはニコニコ笑って聞いていた。
だが、その話を今出さなくてもいいだろう。絶対にあとでからかわれる。オレの事をそんなに意識してたとは知らなかったよ、麻耶、と。
思わず顔を赤くして語気が荒くなる。そんな私を暖かい目で見る両者。なんの辱めなんだ・・・・・うぅ。
『そんなに照れなくてもいいのに』
『て、照れてなんか――――――』
『はは。麻耶さんはとてもしっかりした人なので、こんな姿を見るのは初めてです。いやぁ、良いものが見れましたよ』
『な・・・・』
『あら、そうなの。こんなのでよければいくらでも見て下さいな』
『あまりジロジロ見ると怒られそうなのでこの辺にしておきますよ。あ、そういえば居間の方に和菓子を持ってきたので
よかったら食べて下さい』
『なにからなにまで気を遣わせちゃって・・・・。何回も言うようだけど、本当にありがとうね』
和やかな雰囲気が流れる。お母さんにしては珍しく快活な口調。それに楽しく返事をする桜内。私は口が挟めないでいる。
横目にチラっと桜内の顔を窺った。まず学校では見られない穏やかな顔付き。次から次へと出る丁寧語にちょっとした冗談。
一見するとただの柔和そうな爽やかな青年だった。この男、本当に嘘つきだ。そんな顔なんて普段見せない癖に・・・。
『それじゃ、自分はこの辺で』
『もうちょっとゆっくりしていけばいいのに。私は全然構わないのよ?』
『いえ、この後勇斗くんと遊ぶ約束があるので。僕ももう少しお話したかったのですが・・・すいません』
『残念ね。まぁ、こんな何も無い家ですけれど・・・よかったらまた遊びに来て下さいね』
『はい。是非』
話が終わったのを切り目に、私はそそくさと退散した。自分の家なのに思わず場違いな感覚に陥ってしまった。
それもこれもみんな桜内の所為だ。急にあんな姿を見せるから茫然として、どう対応していいかまったく分からなかった。
大人びた顔付き、毅然としていて尚且つ柔らかそうな優しそうな態度。思わず―――――かっこいい、と・・・・・。
(って何考えてるのよ、私はっ! ああ、まったくもう本当に・・・・・ッ!)
思わずイライラしてしまう。ふと横を見ると、いつの間にか勇斗が脇に立っていた。分かってるよと言いたげな優しい笑み。
さらに私は居辛くなって居間の方に歩みを速めた。そう、だから気付かなかった。こんな会話が後ろの方で繰り広げられてたことを・・・・。
『ああ、そういえば――――義之くん?』
『はい、なんでしょうか』
『煙草、あんまり吸い過ぎないようにね。臭いが少しだけしたわ』
『・・・・・・』
『今度は素の貴方を見てみたいわ。だから今度遊びに来た時、その時は、ね?』
『・・・・・善処しますよ』
『ふふ、良い返事。勇斗と麻耶の事、どうかよろしく頼むわね。義之くん』
「その後ね。義之がウチの家に遊びに来たのは」
「え?」
「遊びに来た、というのは語弊があるかしら。その子供と一緒にウチの外見を見てこう言ってたわ」
たまたまその時は買い出しの帰りだった。天気は良いが肌寒いそんな日。早く帰ろうと杏は歩みを速めた。
そして、自宅の門の所に居た義之と見知らぬ子供。何か話をしているのが聞こえた。何の話をしているのか興味が湧き、聞き耳を立てる。
通りすがりか、または何か用件があってウチに来たのか。そんな事よりも自分の家を指差し、なんて言ってるかのかが気になった。
『見ろ、勇斗。デカイ家だろう?』
『うわっ、凄いおウチだねぇ。僕の家の何個分ぐらいかな・・・』
『こういう所に住んでる奴の事をハイソサエティって言うんだ。覚えておくといい』
『はいそさえてぃ?』
『上流階級―――いわゆる金持ちってやつだな。ここに昔おばあさんが住んでてな、この家はそのおばあさんの物だったんだが・・・』
『・・・・・?』
『今住んでる女の子に殺されちまったんだよ。そしてこの家を奪っちまった。この辺で小さい背の低い女を見掛けたら注意した方が良い』
『―――――ッ!』
恐怖に歪む男の子の顔。神妙な顔つきをしている義之。思わず自分の顔が引き攣るのが分かった。この男はまたいい加減な嘘を・・・・。
一昔前までは私が義之を弄る立場だったのに、いつのまにか逆転していた。一言注意してやろうと、義之の後ろに立つ。
『ん? おぉ、杏。買い物帰りか?』
『何してるのかしら・・・貴方は』
『社会勉強だ。日常生活に紛れ込む様に、凶悪犯は身近に居るって事を教えてやっている。確かアメリカの話だが、幼稚園の脇に住んでいる男が
実は殺人犯だった事件があったな。それも幼児専門の。イカレた話だ』
『生憎だけれど冗談に付き合うつもりはないわ。こんな幼い子供にそんな出まかせを――――――』
『逃げるぞ勇斗っ! こいつがさっき話した殺人犯の女の子だっ』
『なっ――――』
『ま、待ってよお兄ちゃんっ!』
ダッと駆けだす義之を、怯えた表情で追う委員長の弟。去り際に私の顔を慄然とした面持ちで見られた事は記憶に新しい。
怒りの余りに肩が震えるのが分かった。ただ買い物をして自分の家に帰って来ただけで、何故こんな屈辱を与えられないといけないのか。
段々遠くなっていく義之達の姿に言い様の無い気持ちが募り、深い溜息をついた。
「最近ようやく人となりを掴めるようになってきたと思ったら、これよ? 暇が出来たらロクな事をしないんだから。まったく」
「あ、あはは・・・。義之くんらしいといえばらしいけど・・・」
「あの男は人の弟を連れて何やってるのよ・・・」
苦笑いの表情のななか。麻耶からすれば大切にしている弟を連れて、ろくでもない事をやっている義之に心が穏やかでは無くなる。
確かに男同士の方が、姉の私より遊ぶ事に関して精通するものがあるだろう。だが、教育上としては穏当を欠く。次に会ったら注意
しなければいけないだろう。
そう考え、麻耶はジュースに手をつける。杏もそういえば私も喉が渇いたなと、目の前に置いてあるジュースに手をつけようとした。
「あっ・・・とぉ」
「あら、ごめんなさいね」
「・・・・ううん。別に、大丈夫だよ」
ななかと手をぶつけてしまい、少し頓着してしまう。改めてジュースを取って杏は喉を潤した。少し喋り過ぎたのか、思った以上に水分が
体に染み渡ってくる。
さて、そろそろお開きか。杏は何気なしに視線を周囲に向ける。と、ななかと視線が噛み合った。先程ぶつけた自分の手を擦る様にして何故か
目はジト目。杏は思わず怪訝な顔をしてしまう。そんな彼女に構わず、ななかはふぅ、とため息をついて口を開いた。
「雪村さんさぁ・・・」
「・・・・何?」
「その後、どうなったの?」
「その後って?」
「義之くんが家に来た後の事、だよ。何か隠していない?」
「何故そう思うのかしら。別に、普段どおりの生活を送ったつもりだけれど?」
「――――ふぅん。なるほど。普段から義之くんは雪村さんのおウチにお泊まりしてるんだね。へぇ」
「・・・・・・・・・・」
「えっ? え!? ええぇぇえええーーーーっ!」
ジュースを机の上に戻し、ななかと睨み合う様な形になる杏。小恋が脇で驚いた顔をしてななかと杏の顔を見比べる。
先程手をぶつけた時、ななかは杏の心を読んだ。いや、読んでしまった。義之に窘められて以降その能力を行使する機会はあまり
なくなってしまったが、それでも時折先程のように否応なく読んでしまう事があった。
杏からすれば、義之が一回だけお泊まりしたのを知っているのは自分達のみだ。訳が分からない。表情はポーカーフェイスを気取って
いるが頭は混乱していた。
(何でその事を知っているのよ白河さんは・・・・。確かに、あの後で義之は私の家に泊ったけれども・・・・)
さすがに義之も冗談が過ぎたと思ったのか、遊びに来たという名目で謝罪しにきた。憤慨する私、苦笑いで応ずる義之。
余りにも頭にきていたので、無理難題を押し付けた。今日泊っていけ。予想通り困り顔をする。それはそうだろう、彼の周りの環境を考えれば。
本人はちゃんとした相手を選びたいと言っているが、笑える話だ。それが出来ていたらそもそもこんな状況になっていないというのに。
彼の欠点を上げるとすればそれだ。女性にだらしがない。そしてこうやって追い詰められると、すぐ及び腰になる。
『まぁ、チキンの義之には無理な話だったわよね』
『・・・・・』
『それが出来ないならもう帰って貰って結構よ。この後夕食を作らなくちゃいけないし――――』
『―――――泊まるよ』
『・・・は?』
『誘ったんだからジャージとかスウェットぐらいあんだろうな。あと家に帰って下着を持ってくる。あ、家に帰るならスウェットは
自分の持ってくりゃいいか』
何の心境の変化は知らないが、すくっと立ち上がり義之は家に一時帰宅した。半ば冗談で言ったようなものだが――――言ってみるものだ。
この私が家に誘ったのだ、意味が分からない程ボケてはいないだろう。もしかしたら・・・・そんな淡い期待を、少し。少しだけしてしまった。
『人の幸福?』
『ああ。最近読んだ本でその事について書かれていた。オレは金を持っている人が一番幸せだと思ってたよ。金は全世界の人が大好きで
最も愛して止まないからな。今でも少しだけそれは思っている』
『そうね・・・人それぞれだと思うわ。寝床に着いて、翌日起きる事を楽しみにしている人は幸福だと言うけれど』
『カール・ヒルティか。嫌いじゃないんだが・・・思いっきりキリスト信者だから敬遠してる部分があるな、オレは』
『だからといって視野が狭い訳じゃないみたいだけどね。他の宗教にも精通していたみたいだし。当時としては異端扱いだったみたいよ』
『・・・・ふぅん』
義之に腕枕をしてもらいながらそんな話をする。色気の無いムード。一緒に食事を採り、談笑をして、お風呂に入って一緒の布団に入った時
にはもう、これは貰ったと思った。
来てる。私の時代が来てる。拳を握りしめて思わずジャンプしたい程までに浮かれた。だが―――義之の顔を見るにそんな素振りは全く無い。
焦らしているのか、はたまた私が眠っている時に悪戯をしたいという性的趣味の持ち主なのだろうか。欠伸をしてかったるそうな義之をチラ見
してもその心情は察せれない。
(結局私も眠たくなっちゃって落ちたんだけね・・・。据え膳という言葉を知らないに違いないわ。小憎たらしい話)
朝起きた時にはもう姿が見えなくなっていた。少しだけ感じる寂寥感。重くため息をついて朝食を採ろうと台所に向かう。
といってもいつもはトーストだけで済ませてる。この家には私以外誰もいない。最初は寂しいと思っていたけれども、慣れた。
だが時折、ふとした瞬間に急に寂しい想いに駆られるのも事実だった。それらを考え、また更に先程より思いため息をつく。
『・・・・・・・・あ』
『なに突っ立ってるんだよ。さっさと食べて学校行くべ』
そして――――そこに用意されていた和の食事を見て、少しだけ茫然としてしまった。出来立てだったのか、少しだけ湯気が立っている。
眠たそうな顔をしながら煙草を窓際で吹かしている義之。床に居なかったのは食事の準備をしていたからか。煙草を携帯灰皿に入れて椅子に座る。
律儀な男だ。わざわざ待っていたのか。彼の性格なら一人で食べそうなものだと思っていたが・・・・少しだけ、彼の事を見誤っていたかもしれない。
『ああ、あとな杏』
『・・・? なに』
『もうちょっとお前は食べろ。昨晩、あまりにも華奢な体で抱くのを思わず躊躇っちまったよ。ばーか』
『―――――――――ッ!』
やっぱり酷い男だ。自分の甲斐性無しを、人の身体的特徴の所為にしてぶつけてくる。
腹わたが煮えくり返る気持ちになりながら目の前の食事に手をつけた。その味は思ったり暖かく、また更に私は腹が立った。
「で、どういう事なの雪村さん」
つい先日の事を思い出していると、白河さんが嫉妬に駆られた表情で私を見詰めている。まだ可愛い方だなと杏は感じた。ムラサキという
女の子が嫉妬する姿に比べれば兎と虎だ。やれやれ、女のヒステリーって怖いわね。
そう思いながら、さて、この学園のアイドルをどうやって煙に巻こうかなと考え―――口を開いた。
「私は日々健康なら幸せだと思うよ。無病息災。これが一番だと思うなぁ」
「身体の健康と健全なる状態はすべて金にまさる、か」
「え?」
「オレは余り興味ないんだが聖書にそういう一文が書かれてた。音姉の言いたい事も、そういう事だろう?」
「え、あ、あはは、そうっ! そういう事だよ、弟くん!」
何やら誤魔化すような笑みで捲し立てる音姉。なるほど、数人にしか聞いていないが色々な意見があるんだな。
十人十色、とはよく言ったものだ。英語だとSo many men , so many minds。それぞれは、それぞれ違う精神を持っている。
オレ的にはこの質問をした場合、答えは被る確率が高いと考えていた。人は集団で生きる動物。考え方が同じだって不思議ではない。
「まぁ、いいや。んじゃオレはそろそろ行くからな」
「うん――――ってちょっと待ちなさい! 授業サボる気でしょう? お姉ちゃんが許さないんだからね、そんな事!」
「んだよ。授業が自習で潰れたから、これから図書室に行って自主学習するつもりなのに」
「ま、またそうやって嘘をつくんだからぁ! ここ最近の弟くんは嘘が多いよ!」
「悲しいな。自分の姉ともいえる人にそうやって嘘付き呼ばわりされるのは。オレがもし万が一嘘をついたとしても、それは優しい嘘だよ」
顔を伏せてもの悲しげな表情をつくる。うっ、と喉を詰まらせて先程までの勢いが止まった。せわしく目を動かせてテンパる音姉。
大体ここ最近嘘が多いのでは無い。オレはこの世界に来た時から嘘をつきっぱなしだ。最初の頃は結構騙されてくれたんだけどなぁ、音姉は。
少しばかり人間不信になっている可能性があるとみた。それはいけない。人というのはお互いを信用して、高めあってこその人だと思う。
「・・・今、笑ってなかった?」
「気のせいだよ」
「はぁ~~~。前の弟くんは素直だったのに、こんなにも別人になっちゃって・・・」
「実際に別人だしな」
オレの正体を知ってるのは白河に音姉と―――あの女ぐらいか。白河には心を読まれ、音姉には桜の木の制御中に遭遇したのが原因だ。
魔法を行使中の音姉。限り無くオレは陽気な声で「よぉ。魔法の調子はどうだ?」と言った。それに対して思った以上にうろたえる姉の姿に
オレは思わず吹き出してしまう。
どうやら、いつもならさくらさんと一緒らしいが居なかった。後で話を聞いたところ、音姉が何か試したい事があったらしく一人で桜の木の
所に来ていたという。
「もう、またそんな事言って。私にとってはやっぱり弟くんなんだから」
「よく言う。最初バラした時にはあんなに泣いてた癖に」
「わ、忘れてよっ、その事はぁ~っ!」
ちょうどここにきて一年が経とうとしていた。区切りを着けたかった。この世界はもうオレの居場所になっているし、けじめを着ける気持ちで
誰かに話をしたかった。
さくらさんにはまだ言う気にはなれず、とりあえず元の世界のさくらさんから聞いた魔法使い繋がりで音姉に話をした。最近は会えないが、よく
夢の中で『あの』さくらさんとは会っていた。
泣かれるであろうとは覚悟しての告白。実際に彼女は大粒の涙を流して、ショックを受けた。その姿を見て、オレはどんな罵りでも受ける心持ち
で落ち着くのを待つ。
そうして大分落ち着いてきたのか、肩の震えが止まる。流れる沈黙の雰囲気。桜の花弁が辺りをチラチラ舞っている。それを手に取り、ふとこの
世界に来てからの色々な出来事を思い返した。
『もし、そうだとしても――――やっぱり弟くんは、弟くんだよ』
救われた気がした。何も感じていないようで、オレはかなり負い目を感じていたらしい。その言葉を聞いて肩の荷が下りた様な気がした。
それからは色々話をした。前の世界の事、今のオレの事、そして――――かったるい事にオレの女性関係まで聞いてきやがった。
前半の事については出来るだけ喋ったが、後半の話題は無視した。なんでわざわざ自分の姉貴みたいな存在に、それを教えなくてはいけないのか。
その場はとにかく煙に巻いて話は終わった。だが、あんまりしつこく聞くものだから一言だけ口にする。
オレ、チェリーじゃねぇよ、と。それを聞いた音姉の顔ったら無いね。顔を真っ赤にして手で頬を抑えていた。本当、純情で宜しい事だ。
「あ、また兄さんがサボろうとしてる」
「ん? ああ、由夢ちゃん。お疲れ様」
「サボりじゃねぇよ。授業が自習になったからウロついてるだけだ。てめぇこそサボりなんじゃねのか、ああ?」
「や、違いますよ。私のクラスじゃもうクリパの準備が始まってますので、その買い出しに行く途中です」
「あぁ、そうだったよね確か。喫茶店をやるんだっけ?」
「はい。出店と喫茶店で最後まで結構揉めたんですが、最終的に多数決で喫茶店に決まりました」
「ふぅん。つまらねぇな」
「・・・・私は特別に変な事はしたくないんですよ。兄さんと違ってね」
頬を引き攣らせながらにっこり笑う由夢。それに対して義之は、親指と人差し指で輪を作り由夢の顔の前まで持ってくる。
何をしているんだろうか。そう由夢が思っていると、勢いよく人差し指が弾かれ由夢の額が打ち付けられた。
「い、いったぁ~~~~~~~~っ!?」
「ゆ、由夢ちゃんっ!?」
「一丁前に生意気な態度取るんじゃねぇよ、アホ」
「こ、この―――――ッ!」
思わず口調が荒くなる由夢に対して、唇の端を歪めて笑う義之。音姫はどうしたものかと慌てふためく。この二人はいつもこういう風に
すぐいがみ合いになるので、姉的存在の音姫としては気が気では無かった。
しかしそれでも、前よりは全然いいと思える。一年前義之がこの世界に来てすぐの事。音姫と由夢に対して冷徹ともいえる態度を取ってた
頃と比べれば遥かにいい。
あの頃の由夢はいつも泣きそうな顔付きをしていた。音姫自身もとても悲しみはしたが、姉という立場からか、いつも妹の事を励ましていた。
(まぁ・・・なんだかんだ言ってこういう風に何でも言い合えるのを見ると、これはこれでよかったのかも)
その様子を見ながら音姫はそう考えた。前までは言い合いにさえならなかったのだから。今年の体育祭以降、義之と由夢が二人で外出してるの
よく見かけるようになった事は単純に嬉しい気持ちで音姫は一杯だった。
嬉しい――――んだけれど、たまにはお姉ちゃんと一緒に遊んで欲しいなぁ、うう・・・。生徒会の仕事さえ残って無ければすぐさま二人を誘って
本島に遊びに行きたいよぉ・・・。
「あっ、そうだ!」
「ど、どうしたのお姉ちゃん?」
「さくらさんに頼まれてた書類整理忘れてたっ! ごめんね、私行くから!」
「あっ・・・・」
「相変わらず忙しない女だな」
バッと駈け出して行く音姫を見送る義之と由夢。この時期の彼女は引き継ぎの準備と、年末の調整に追われていた。生徒会長最後の大仕事に
てんてこ舞いになりながらも、なんとか生徒会の仲間とこなしている。
そして取り残される形になった義之と由夢。一瞬静寂の間がこの二人を包み込む。一年前だったら気まずいこの雰囲気も、今となってはそよ風
みたいに気にならない二人。もっとも、義之はどんな気まずい雰囲気でも笑っているような性格ではあるが。
「んじゃ、そういう事でオレは行くわ」
「・・・・・・」
「おい」
「なに?」
「手、離せって」
気を取り直して保健室で寝ようと思ったら、由夢がオレの服の裾を掴んでいた。軽く睨むように見据えるがどこ吹く風といった感じで
澄ました顔を作っている。この野郎・・・。
「別にいいじゃない。どうせサボろうとしてたんでしょ? だったら買い出しに付き合ってよ」
「かったるい。適当な友達誘って行ってこいよ。外は雪が積もってるんだぜ、おい」
「イヤ」
掴んだ裾をブラブラさせる由夢。つーか伸びるから止めろよな。最近のこいつはなんだか我儘な感じがする。場に三人以上居る時は
全くもって普通なのだが、こうやって二人きりになると途端に子供みたくなる。
まぁ、微笑ましいっちゃ微笑ましいんだが・・・・かったる過ぎる。ため息をつこうとして、止めた。そんな事をしたらこのお姫様の
ご機嫌が急激に下がる。そうなると今以上に面倒になる可能性があった。
「兄さんは私のことが嫌いなの?」
「随分言い方がストレートになってきてるな、最近のお前は。答えはノ―だ。けれど、あんまり我儘を言うとその内イエスになるかも
しれない。分かったら手を離してくれないか?」
「嫌いなんだ。私のこと」
「人の話を聞かない奴は嫌いだ。男女関係無くな。人は話せば分かり合えると言うのにソレをしない人種が多くて困る。未だに南米とか中東
の小競り合い続けているのを見ると悲しくなるよ。やつらは長年戦争ばっかりやってるから、きっと石頭になってるんだぜ? 困った話だ」
「・・・・いいから、来てよ」
話がはぐらかされそうと感じたのか、ぶすっとした顔で裾を引っ張られる。エリカといいコイツといい、やる事が似てて困ってしまう。
チラッと外を見る。先程より更に雪が降っていた。元より無かった気力が段々萎んで行くのが分かる。はぁ、と思わず息をついてしまった。
瞬間、やばいと思う。それを見た由夢が案の定ピクン、と片眉毛を動かした。癇に障った時に起こす反射運動。今度は両手でオレの腕を引っ張り始めた。
「いいから、ついて、来てってばっ!」
「だからパスだって言ってる。あんまり腕引っ張るなよ。取れるだろ」
「・・・・なんだか冷たいなぁ、兄さん。ねぇ、一緒に行こうよぉ」
もたれかかる様にギュっと腕を抱かれる。じゃれつかれていたんだと、その時気付いた。余りにもかったるい妹的存在の感情表現。
ポケットから手を出し、頭をポンポンと撫でてやると気持ちよさそうな顔をした。先程とは打って変わって流れる穏やかな雰囲気。
一瞬付き合ってもいいかな、と考えたが外の様子を見てまた気持ちが沈む。オレは着ていた上着を由夢に着させた。
「え、あ」
「実は昨日から寝て無いんだよ。お気に入りの酒場に行っていて朝まで飲んでた。ぶっちゃけ眠くて死にそうなんだ。ごめんな」
「・・・・・」
「防寒にはならないだろうが濡れる事は無いだろ。帰って来てからその上着は返して貰えればいい」
「・・・・分かったよ、もう」
名残惜しそうな目で見られる。実際本当の話だ。前の世界で行っていたバーがこちらの世界にもあった。あのマスターくたばってる
と思ったが、どうやら存外にしぶといみたいだ。奥さんと子供はやっぱり居なかったけどな。
「じゃあ、気を付けて行けよ。何かあったら携帯に連絡すればいい。寝てるけどな」
「やっぱりサボるつもりだったんだ。嘘つき」
「自習時間なのは本当だ。雪の中だとその黒い上着は目立つ。事故には合わないだろうが、急激な温度低下で地面が滑りやすくなっている。
足元に注意しろよ」
「・・・・はぁ~い」
唇を尖らせて踵を返し、歩いて行く。その背中を見送りながらオレは考える。随分優しくなったものだ、と。
前のオレなら適当に無視してさっさと寝に行ってる。だというのに上着まで貸して注意まで即している自分に、思わず苦笑いした。
まぁ、アイツに懐かれるのは別に悪い気はしない。エリカを犬に例えるなら由夢は猫。気まぐれで、強情。構ってやらないと後まで機嫌の
悪さを引っ張る。面倒な女だ。
「・・・・あいつもオレの事好きなんだよなぁ。もっとマトモな男に媚びを売ればいいのによ、まったく」
本人からその言葉は聞いていない。だが、あまりにもその行動は分かりや過ぎた。見詰められる視線の意味、さっきも胸を若干押し付ける
ように腕を抱かれた。
最初は兄に対する甘えだと思っていたが、ふとした瞬間に噛み合う視線の回数が多かった。いつも見られている感覚。それに気付いた時は
少し戸惑ったものだった。
別に由夢の事は嫌いじゃ無い。スタイルは良い方だし、接していて可愛いと思った箇所も何個かある。それに色気もあるし女としては上等
な部類に入るが・・・・。
「よりによってオレなんかを気に入っちまうとはな。こんな女にだらしねぇオレに」
周囲の環境を思い起こして、気が重たくなる。複数の女性に言い寄られるのは誰しもが思い浮かべる状況だが、実際にそうなると堪ったもんじゃない。
甲子園なんかで有名になった選手がモテるのとは訳が違う。オレの良い所・悪い所を見たうえで好きと言っている。いや、実際にはオレの悪い所を
見た機会の方が多い筈だ。
なのに言い寄るって事は――――余程の悪食好きか、本気って事だ。だから悩んでしまう。どうしたらいいものかと。
「恋愛小説でも借りてくっかな。少しは役に立つかもしれねぇ」
思ってもいない事を呟いて、オレは保健室に歩みを再開した。小説で解決出来るほどメルヘンな関係でもないし、単純でもない。
ましてや誰かに相談も出来ない。大抵のヤツがオレが悪いんだと罵るのが分かっているからだ。いつだってこういう恋愛絡みの時は男を
悪者にしたがるから困る。いや、実際悪者なんだけどよ。
頭を掻いてると、瞼が段々重くなってくる。ああ、マジで眠い。さっさと寝よう。頭がぼうっとしていた。だからその放送が聞こえなかったのは
仕方のない事だろう。はたまた、ちょうど移動教室の生徒達が脇をガヤガヤと騒ぎながら歩いていたのが原因かもしれない。
『本校一年三組の桜内義之くん、本校一年三組の桜内義之くん。至急学園長室まで来て下さい。繰り返します。本校一年三組の桜内義之くん、本校
一年三組の桜内義之くん。至急学園長室まで―――――』