幸せって、なんだと思うー?
・・・・・・
あぁ、確かにお金は大事だよねぇ。お金が無ければ生活出来ないし。義之くんの生活費だってそう。さっさと独立してほしいよ。
・・・・・・
何生意気言ってるのさ。この寒空の中ホームレスになりたい? そういう事は自分で稼いだ金で生きていけるまで言わない事。分かった?
・・・・・・
って、あぁーーーっ! 腹が立ったからってはりまおを苛めないでってば! はりまおも噛みつくの止めなさーいっ!!
・・・・・・
はぁ。まったくこのドラ息子は。段々歳を重ねる事に生意気になっていくから困っちゃうよ。ああ、そういえばこの間だって―――――。
そしてしばし談笑。この人と喋ると進むのが早く感じる。窓から木漏れ日が漏れており、思わず眠気を誘う様な暖かさだった。
昨日も飲んでたから、かなり眠い。そういえばとうとうあのマスターは夜逃げを決意したみたいで、いそいそと日常用品をバックに入れてたなぁ。
そんな事を思い出しながら、とうとう泥に嵌っていくかのように半分意識を失ってしまう。彼女が呟いた、その言葉を聞きながら。
「ああ、幸せの話なんだけどさ。私はもう見つけたよ。義之くんはいつ見つけられるかな?」
『本校一年三組の桜内義之くん、本校一年三組の桜内義之くん。至急学園長室まで来て下さい。繰り返します。本校一年三組の桜内義之くん、本校
一年三組の桜内義之くん。至急学園長室まで―――――』
放送が流れた。聞こえてくる名前に、思わずドキっとしてしまう。確かにある意味、いつ何時放送で呼ばれたっておかしく無い男の名前だ。
あの男は自分の意思を絶対曲げない。それが相手が先輩だとか教師だとしても。皮肉気に笑い、相手を小馬鹿にする。そしてお決まりの喧嘩コース
に突入だ。大人びている人物ではあるが、同時に子供みたいな性格の持ち主だった。
相手をいなせる話術とか喧嘩しなくて済む方法を知っているのに、いつもそれを活用しない。口で相手を扱き下ろし、暴力で相手を屈服させるのは
いつもの事だった。
「また何かやったんじゃないでしょうね・・・・義之くんは」
茜はそう呟いて眉を寄せる。料理の特訓の方はとりあえず一通り終えたので、イベント発案組の杏達に合流しようと学校の校門まで来ていた。
わざわざ嘘を言ってまで休みを取った。それなのに、のうのう学校に来るという行為に茜の脇を歩いていた美夏とエリカは最初渋面を作っていた。
しかしパーティまで時間が無いのは事実。打ち合わせもろくにしていない状況。渋々と言った感じで結局は了承し、茜の脇を足取り重そうに歩いていた。
「んー? 美夏達が休んでる時に何かしたのか、義之は。あいつが放送で呼ばれるなんて」
「大方ケンカか何かじゃないのかしら。全く、いつまで経ってもそういう所は子供なんだから」
「そういう子供っぽくて無邪気な所も義之の良い所だと思いますわ。兄も男性はそういうモノだと仰っていましたし」
「うわぁ・・・」
「・・・? 何かしら、花咲先輩」
相変わらずのフィルターの掛かり具合。思わず私は呟いてしまっていた。此処に入学してきたばかりのエリカちゃんとは思えない。
大真面目で固くてバカ正直だった女の子。その女の子を私達、雪月花チームで弄っていたのが懐かしく感じる。あの頃のエリカちゃんは
可愛かったなぁ~。顔を真っ赤にして追いかけてきたもんね。
茜は遠くを見る様に両目を薄めてエリカを見詰める。そんな視線にたじろぐ様に身を竦ませ、憮然とした目で茜を見返す様に腰に手を当てた。
「何か言いたい事があるなら仰ってください。私、変な事言いましたか?」
「――――べっつにぃ~。ただエリカちゃんは本当に義之くんの事が好きなんだと思っただけだにゃ~」
「何を今更。別に今に始まった事じゃありません。正確に言うと去年の12月半ばから義之の事は好きになりましたが―――何か?」
一昔前なら赤面モノの台詞を真顔で言うエリカ。最初は言うのに結構照れがあったもので、呟くようにしか言えなかった台詞も今では
心を波立たせる事なく言える。
きっかけは美夏。エリカ本人としてはこのまま義之と付き合う事は当然の流れだったと思っていた。しかし当の義之はとても恋多い人間で
あちこちに心を大きく揺れ動かせている。そして、それが現在進行形で続いている。
そんな彼を必死に自分の所に手繰り寄せようとするエリカ。そうすることで彼の事をもっと知る様になり、気が付けばもうその泥沼に嵌って
動けない程までに夢中に恋していた。
「あー美夏もそれぐらいの時期だったかな。あいつが私にアプローチみたいなのを掛けてきたのが」
「・・・・・・」
「しょうがないから付き合ってやろうと思っていたのに。まさかアレほど女好きとは。結構腹立たしく思うぞ、美夏は」
「・・・・・・」
「・・・なんだ、その目は」
「いえ。別に」
顎を上げ面白くない様に美夏を見詰めていたエリカ。彼女としては美夏の帽子を取り上げ雪の中に埋めてやりたい気分だったが、茜の手前
また騒ぎを起こすのはまずいと思い、睨むだけに終わった。
「はいはい。喧嘩しないの」
「いや、美夏は別に・・・」
「それよりも何があったのか気になるわね。行ってみましょう」
喧嘩にしろなんにしろ、何かあったのは事実。学園長室に呼ばれる程までの事だ。正直に言えばかなり気になる。
元々茜はそういう騒ぎ好きの人間。それも絡んでるのは自分の好きな人。興味を持って行かれるのは当然の事だった。
他二人もそんなウキウキ顔をした茜にやれやれと思いながらも賛同した。茜程ではないが、彼女達もまたかなり気になってはいた。
「まぁ、別に構わん。もし喧嘩が原因なら美夏が説教してやる」
「貴方に説教される程落ちぶれていると思えませんけどね。もし濡れ衣だった場合、私が守ってやらないと」
「・・・ほぉ、お前が守ってやる、か。本当は気の弱いお前がなぁ」
「なッ―――――」
「義之から話は聞いている。不良女共に囲まれて義之に助けられた後、ビービー泣いていたそうじゃないか」
「あ、貴方は・・・・っ!」
「なんだ、やるのか。まったくお前はすぐそうやって頭に血を―――――って、花咲置いていくな!」
「ちょ、ちょっと! 私も行きますわっ」
いつまで経っても進まないこの状況に痺れを切らしたのか、スキップをしながら校舎内に入っていく茜を追いかける美夏とエリカ。
さぁて、今度はどんな面白い事をしでかしたのかなぁ、よっしぃーは。出来るならであれば私を笑顔にさせる様な事であれば有り難い。
意地の悪い笑みを浮かべながら茜は下駄箱から自分の靴を取り出し、とんとんとカカトを合わせた。
「んー?」
「あらあら」
「よ、よしゆき・・・」
「まったくあのロクでも無しは・・・」
四者が異なる反応を示す。さっきまで話題に上がっていた男の名前。一様にまた何かやったのか、と心の中で苦言にも似た言葉を呟く。
ちょうど今日の授業も終わり、さて帰ろうかという時にその放送は鳴った。学園長室への呼び出し。声は芳乃さくらのもの。義之の保護者だった。
思わず四人は目を交わらせ、それぞれ違った表情をした。至って普通の顔、愉快そうな顔、困惑の顔、呆れ顔。
「また何かしたのかしらね。義之は」
「どうだろねー。最近はケンカもしてなかったみたいだし。もしかしてこの間一日サボった事がバレたのかな?」
「あの男の場合いつもそんな感じでしょ。今更呼ばれるってのもおかしな話・・・いや、だからこそ呼ばれたのかな」
「ど、どういう意味なのかな。委員長」
「とうとう学園長の堪忍袋の緒が切れたって事。さすがにあの温厚そうな人も我慢の限界だったんじゃない?」
小恋がまた泣きそうな顔付きをする。それを見かねてなのか、背中をポンポンと叩くななか。そんな中、杏だけは何やら楽しそうな
表情をして唇の端を歪ませている。
そんな杏に更に眉間に皺を寄せる麻耶。自分のクラスは何かと生徒会に目を付けられている。また騒ぎなんか起こした日なんかには
何を言われるか分かったモノじゃ無い。気が重くなるのを麻耶は感じた。
「ねぇ、みんな」
杏は手招きをし、密談するように声を掛ける。誰かがため息をついた。顔を近付け寄せ合い、話をする体制を整える。
また何か・・・絶対騒ぎになる。杏は各自のそんな気持ちを察したのか、にやにやしながら持っていたシャーペンをクルクル回し口を開いた。
「まぁ、みんなが思っている様に・・・きっと面白い事が起きたのでしょうね」
「お、面白いって・・・・」
「だから今から学園長室に行ってみましょう。私達にはそれを見届ける義務がある筈よ。多分」
小恋の呟きを無視して杏は言い放った。三人の顔は『言うと思った』と、呆れ顔をしている。だがそれぞれ興味が無い訳じゃなかった。
騒ぎを起こしたにせよ起こされたにせよ、さっきの放送は無視出来ない内容。否定する人間はこの場にはいなかった。
「まぁ、行くならさっさと行きましょう」
「あら? 案外積極的なのね委員長。意外だわ。渋ると思ったのに」
「桜内が起こした騒ぎでしょ? 委員長の私が責任を負う事になるかもしれないじゃない。気になって当然だわ」
「ま、まだ義之が起こした騒ぎだって決定した訳じゃ・・・。用事を言い渡されただけかもしれないし」
「用事って?」
「う、うーん・・・・」
麻耶にそう聞かれ、思わず眉を八の字にしてしまう小恋。口では否定の言葉を吐きながらもやっぱりケンカか似た様なモノだが原因だと
彼女も思っていた。そんな様子の小恋に苦笑いの表情を浮かべるななか。
結局四人は興味があったのは事実なので、さっそく学園長室に向かう為にそれぞれ席に戻った。学園長室に寄ったその足で帰る為である。
そして各自準備を整えゾロゾロと教室を出ようとして―――――杏はつい、と教室を見回した。
「・・・・・?」
「ん? どうしたの杏」
「―――――いえ、別に。ほら、早く行くわよ小恋」
「あ、ちょっと待ってよ~」
確かに桜内義之という人物は学園長室に呼ばれても違和感の無い人間だ。学園長は義之の保護者だし、それ抜きにしても色々目立つ存在の
男子学生だ。よくイベント事の時には騒ぎを起こすし、最近まではケンカも頻繁にしていた。
それにしたって――――みんなの反応が淡白過ぎやしないかしら。まるで私達にしか聞こえて無かったみたいに無関心過ぎる。もう少し反応を
示してもおかしくない筈じゃない。同じ教室のクラスメイトなのだから。
杏はそんな違和感を感じながら、小恋の手を引っ張りながら教室を出る。まぁ、別に気にする程の事じゃない。そんな事よりも今は義之だ。
ざわめきもしない教室に別れを告げて目指すは学園長室。未だに背中に張り付いて離れない違和感に囚われながらも、杏は足を速めた。
「まゆき~! ちょっとそこの資料取ってぇ~!」
「そ、そこって・・・どれよっ?」
「ああ、ごめん。予算の見積書の隣の―――――」
「会長、少しこの書類の事でお話が・・・」
「あーはいはい。え~と・・・これはね」
「うわっ、崩れて来たっ! ああ、もう。どこに埋もれちゃったのよぉ~」
積み重なった書類が音を立てて崩れてしまった。慌ててまゆきが探し出そうとするが、多分その書類が見つかるのは一時間後ぐらいか。
その山のような書類から一枚の紙キレを探し出すのは至難の所業。私もなんとか手助けしてやりたいが、今やっている件は今日中に終わらせ
なければいけないもの・・・・。
だからそんなに恨みが籠った目で見ないでよ、まゆき。私だって結構テンパってるんだから・・・・うぅ。
「はぁ、早く引き継ぎを終わらせたいよ。そうすれば後はゆっくり出来るのに」
「ほらほら、不満を言う暇があったら手を動かして。私も早くこっちを終わらせて手伝うから」
「うー・・・音姫が鬼だ」
そんな事を言われても仕方が無い。というか誰が鬼だって、まゆき? 笑みを向けると引き攣った顔をして、また彼女は書類の探索に戻った。
私だって早くこのネコの手を借りたいほどの状況から抜け出したい。これでも集めれるだけの人数は頑張って確保したんだけど・・・なぁ。
何せ他の委員会からも人を貰ったのだ。これで完遂出来ませんでした、なんては言えないし言いたくもなかった。
「ねぇ、音姫。やっぱりもう少し人増やした方がいいって。そうしないと今日中にどれもこれも終わらないわよ」
「もう出来るだけ人数増やしたってば。それにただ人を増やしたって効率が下がるだけよだ。即戦力になりそうな人が他にいる?」
「―――――あー・・・居ると言えば居るかもしれないわね・・・」
「え?」
「いや、でもなぁー・・・あの連中に借りをつくるとなると・・・・う~ん」
そんな人が居るのか。私の記憶ではそんな生徒なんて居ない筈。委員会の中でも出来る人間を選りすぐって集めたのだから。
しかし、まゆきは思い当たる節があるのかさっきから迷う様に唸っている。迷う理由―――思い付かない。仲の良く無い人達なのか。
そう思ったが、即座に否定した。まゆきに限ってそれはないと思う。男女関係無く生徒に人気がある彼女だ。仲が良く無い人間がいたと
しても仲が悪い人は居ない様に思える。
「誰なの、その人達って? すぐこの活動に参加出来る生徒なら欲しいんだけれど。エリカちゃんも居ないしすごく忙しいし」
「――――弟くんのクラス」
「・・・・ああっ!」
「雪村や杉並も居るし、それにつるんでいる連中も手際はいい筈。すぐ即戦力になるわ。けれど・・・・ねぇ?」
「う、うーん・・・・」
思わずまゆきと同じように頬に手を当てて悩んでしまう。確かに聞いた名前の生徒は仕事『は』出来る人間達だ。それは私もまゆきも認める所。
だけど・・・性格に問題が有り過ぎだ。この書類の中には機密事項に触れるぐらい大事なものもある。勿論それに手は付けさせない様にするが。
しかし絶対に安全という訳ではない。断言出来るが黙ってこちらが頼んだ仕事を黙々こなしてくれるとは思えない。ヘルプに来て貰った場合裏が
あるのは明白だった。今までの経験からそれは確信に近い。
「・・・・ごめん」
「え?」
「やっぱりさっきの発言は無し無し。あんな連中に借りをつくったとなっちゃ何が起きるか分かったものじゃないわ。強請ってきそうだし」
「・・・・・」
「私もヤキが回ったかもしれないわねぇ、あはは。杉並連中の手を借りようと思うなんて、全く私らしくも――――」
「少し待っててね」
「・・・え?」
「みんなそのまま作業を続けてて。もしかしたら助っ人が来てくれるかもしれないから。じゃあ、まゆき。私ちょっと出てくるね」
「え、あ、ちょ――――」
助っ人という言葉に歓喜の声が上がる生徒会室。思った以上に参っていたみたいだ。まゆきの声を振り切るかのように廊下に躍り出る。
確かに問題児ばかりのクラスだ。生徒会とはある意味敵対していると言ってもいい。だが、敵対出来るほどまでにその手腕は頼りになるのも
事実だった。実際に雪村や杉並といった人物の頭の回転の良さは誰しもが認める所。
もっとも、それが良い方向に持っていければいいとは思わずにはいられないが・・・・。なんにしたって今みたいに遅々と作業してても終わるの
は明日の朝ぐらいになってしまう。
「しょうがないか。まゆきは面白くないだろうけど家に帰れないよりはマシだし・・・。とりあえず弱みだけは見せない様にしないと、うん」
手伝って貰う時点で弱みを見せている様なものだがソレは考えないでおく。少し生徒会の懐がさびしくなるが、学食の何食分かをサービスして
やってもいいと腹を括った。それに釣られる様な子達では無いと思うが、これが私に出来る最大限の譲渡だ。
雪村さんや杉並くんは納得しないだろう。他の子達は喜ぶに違いない。弟くんは・・・どうだろう。納得するかもしれないし、しないかもしれ
ない。約一年ぐらいあの弟くんとは過ごしてきたが、何を考えているか読めた試しが無かった。
無気力そうに見えて貪欲に行動する事もある。無情に感じる時もあれば、ひどく優しく感じる時もある。簡単に言えば捉えどころのない性格を
していた。前の弟くんと確かに似ている所も確かにあるが、まるで正反対の性格だ。
「女の子にモテるのは相変わらずかぁ。どうしてそんな所ばっかり似るんだろう。まったくもぅ」
前の弟くんは優しさでモテていた。温和そうに見えてかなりヤンチャをする所も、他の女子にモテていた要因かもしれない。実際にそういう
話を何度か聞いた事がある。
今の弟くんは・・・何が要因で今も他の女性から好意を持たれてるんだろう。前と違って冷たいし口は悪いし手は誰かれ構わず出すし。思い返すと
ネガティブな所しか思いつかない自分に、思わず苦笑いをする。
そんな所ばっかりの人物ならば私は近寄りさえしないだろう。未だに『弟くん』と言って親しくしている事に反する。彼は彼でどこか人を惹き付ける
何かを持っている様な気がしていた。
いつも視線は何かを見据える様に遠くを見ていて、何か生き急いでいるかのように見える事があった。子供みたいに他人に関係なく行動する事も
あるが、気が付けば私達を黙って見ている事もある。
そんな彼を見てると、つい近づいてしまうのだろう。近づいて、何故か寂しさを覚えて、また更に近づく。それの繰り返し。気が付けば足元は
泥沼に入っていて抜け出せない。しかし歩みは止まる事を知らず、また泥沼に嵌っていく。
頭のてっぺんまで浸かっても更に近づきたくて、でも、近付けなくて・・・・・・そして―――――。
『桜内義之くん。本校一年三組の桜内義之くん』
「ひゃっ!?」
考え事をしていた人物の名前が放送で呼び出される。どきっとして、思わず飛び跳ねてしまった。急いで周囲の確認。よし、誰も見ていない。
ふぅと胸を撫で下ろし繰り返される放送に耳を傾ける。呼ばれている人の名前。弟とも言える男の子のものだ。また何かしでかしたのだろうか。
思い返しても、思い当たる節は無い。最近はケンカもしてないし、別段落ち付いていると思っていただけにこの放送は意外だった。
「それもこれってさくらさんの声?」
私の魔法の師匠でもあり、弟くんのお母さんとも言える人物。その人の声が聞こえてきた。それも園内放送を使っての呼び出し。タダごとじゃ無い。
少しばかり逡巡してしまう。弟くんが呼ばれた原因は気になるが、まゆきにはすぐに戻ると言ってしまってある。約束を破る訳にはいかない。
さて、どうしたものかと考え・・・・・。
「すぐ戻るから大丈夫よね、うん」
自分に言い聞かせるようにその言葉を呟いて、足を進める方向を変えた。行き先は学園長室。さくらさんの実務室だ。
まゆき、すぐ戻るからもうちょっと待っててね。てんてこ舞いになっている生徒会室に思いを馳せながら、私にしては珍しく早歩きをする。
しかし、今のさくらさんの声―――何か切羽詰まっているような気がした。そんな事を思いながら階段を駆け上がり、久しぶりに息を切らせた。
天気予報では今日も晴れと言っていた。嘘つきめ。心の中で毒を吐きながらはぁ、と白い溜息をついた。すぐに空中に解け見えなくなってしまう。
手には割り箸や紙コップ等といった出店の喫茶店では見慣れた物。スーパーで安売りされていたものを大量に買い占めてきた。お金に気を遣いすぎ
という事はないだろう。一円でも二円でも安く多く買った事に越した事は無い。
クラスの予算というは初めから決まっている。その中でやり繰りをしなくてはいけない。ブルっと肩を震わせ、兄さんに貸して貰った上着を更に
抱きしめ何とか寒さを誤魔化す。
「・・・煙草臭い」
兄さんの上着。だぼだぼしてて着辛い。しかし好きな人の学生服を上着として着こむというのは、年頃の女の子にとって憧れのものであった。
例に漏れず私も浮かれてしまった。二ヤついた笑みをなんとか抑えるのに苦労した。そして気になる―――兄の匂い。どんな臭いがするのだろう
と気になってしまうのは仕方が無い事だ。
周囲を確認し、誰にも見られない様に襟元の匂いを嗅いだのはついさっきの事。きっと頭がクラクラするような甘美の匂いがするのだろうと思って
嗅いでみたら・・・煙草のヤニの匂いだけ。別な意味で頭がクラクラしてしまった。
「辞めればいいのに、煙草」
何度かそう苦言を申し出ても、あの人は私の言う事なんか聞きやしない。挙句の果てにはお団子にしてある私の髪を弄りましてきた。
腹が立ったので胸にパンチをしようとしたら逆にチョップを貰ってしまった。涙目になる私。嘲笑いする兄さん。思い出しただけでまた腹が立った。
あの人が優しい時なんてある日を境に滅多にない。いつも意地悪ばっかりする兄さん。だから―――たまにこうやって優しくされるととてつもなく
嬉しくなる。これが兄さんの常套手段だ。ドSめ。
(その上女の子にだらしないんだから、まったく。何を考えているんだろう兄さんは)
頬を膨らませてみるも何も思い付かない。あの女性の敵ともいえる男は普段から何を考えているか分かった試しが無い。今では変わった当初より幾分か
分かりやすくなったが、それでも分からないものは分からなかった。
何を考えているのか。なんでそんなに暴力的になったのか。いつの間に口がそんなに回る様になったのか。はぁ、本当に分からない事ばかりで困って
しまう。分かるのは女の子にだらしが無いだけか。
きっと私の気持ちにも気付いているに違いない。あれだけアピールしたんだ。今の兄さんなら気付いている筈。それなのに拒絶しないという事は
どういう事なのか――――。
「期待・・・・してもいいんだよね、兄さん」
あの面子の中で私を選ぶ確立は低いと思うが、それでも望みを託してしまう。半年前の体育祭から色々頑張ってきた。出来るだけ目に留まる様に
ずっと脇に居たしお出掛けもした。私からしてみればデートそのものなのだが・・・・本人にそんなつもりはないだろうなぁ。
確か下着がチラっと見えて困ると言っていたから、時々故意的に見えるようにしていた。とても恥ずかしかったが、しょうがない。女は度胸だ。
感じる視線。目を見ると逸らす兄。ああ、意識しちゃってるな、兄さん。そんな事がある度に私は恥ずかしい気持ちと歓喜の気持ちで一杯になった。
しかし――――何故か料理は一向に食べてくれない。作ろうとして台所に経ってもいつも追い払われてしまう。これも腹が立つ事だった。
一回だけ食卓に出す事に成功した事がある。姉さんの目を盗み、兄の目を盗み、そぉっと家で作った野菜炒めを乗せた。
『んん? こんなの作ったっけ、オレ』
『ドキッ』
『・・・・・なぁ、由夢ちゃんよぉ』
『な、なななんんですか?』
そわそわしていたのが目に留まったのか、兄さんは声を低くして圧力を掛けてきた。思わず声が裏返る声。姉さんが訝しげにその様子を見詰めている。
無視していてよかったのに。黙って私が作った料理を食べてくれればいいのに。心の中で罵る様にそんな言葉を吐き出した。焦り顔は伏せて。
じーっと見られている感覚。とてもじゃないが冷静さを保てない。あともう少しで、もう少しで口を付けそうだったのに・・・・ッ!
『はりまおちゃーん。コレ、食うか?』
『なっ―――――』
『アンッ!』
私の驚きの声を無視し、はりまおの口に料理を運ぶ。昏倒するはりまお。重いため息をつく兄と姉。更に私は小さくなるしかなかった。
というかオ―バ―リアクション過ぎるのだ、はりまおは。たかが料理でそんな泡を吹く様な思いはしないのだ。まったく、失礼な話だ。
「絶対に私の料理を食べて貰うんだからね、兄さん」
そう新たに決意をする――――と、学園から放送が流れてきた。校門まで戻ってきた私にまで聞こえるということは園内放送。それが兄の名前を
呼びかけている。はぁ、とまた私は白い息を吐いた。
また何かをやらかしたに違いない。いつまでたっても子供なんだから。コメカミを指で揉んで頭痛を解す。最近は大人しくなったと思ったらこれだ。
さて、今度は何をやらかしたのやら。その『何か』を突きとめる為、ついでに借りていた上着を返す為。そう考えて足の行く先を学園長室に変えた。
「あら?」
「あ、雪村さん達に・・・由夢ちゃん?」
「・・・どうも」
放送を聞いてみんな集まったのか。場には桜内義之と縁が深い女性達。男性が全くいないというのは凄いのやら虚しいのやら。
ものの見事に学園長室の前でカチ会ってしまった各人。まさかそれぞれ思っていた事が同じだとは、ある意味驚愕を通り越して呆れてしまう。
お姉ちゃんはとは会うかもしれないと思ってたけど・・・まさかこんなに人が集まるとは。それも女の子ばっか。モテ過ぎだろう。兄さんは。
「って、エリカちゃん?」
「あ、あはは・・・。どうもお疲れ様です。音姫先輩」
「茜も来たのね。どこで噂を聞き付けたのやら」
「ふっふーん。義之くんの絡みの話は茜さんの耳を通り過ぎる事は無いのよ」
エリカさんは何か後ろめたい事がるのか、少し焦り気味でお姉ちゃんと応対している。後ろでは天枷さんがニヤニヤしながらその様を見ていた。
視線を逸らし私に気が付くと天枷さんは、「おっ」と言い気軽そうに片手を挙げて挨拶をしてきた。お辞儀をして礼を返す。そんな私に苦笑いを
浮かべる。前にもう少し気軽にしてもいいんだぞとは言われたが、これが私だ。少なくとも学校では気を抜いたりしない。
花咲先輩と雪村先輩、月島先輩はお互いなんで集まったかを話していた。それにしても花咲先輩―――今日学校で見てなかったのは気のせいかな?
「どうして此処に来たんだ、由夢は」
「私はクリパのお使いで最初外に居たんですよ。そしたら外から兄さんを呼びだす放送が鳴りまして・・・。気になって此処にきました」
「美夏達も同じようなものだな。実は花咲の家でパーティに出す料理の特訓をしていたんのだが、キリの良い所で終わったので杏先輩達と
話し合う為に一度学校に戻ってきたのだ」
「ああ、例のパーティーですか」
「うむ。そしたら何やら義之を呼ぶ放送が聞こえてきたのでな。気になって来てみれば・・・これだ」
周りを見ま渡す様に視線を向ける。私も釣られる様に見渡した。女性だけの面々。合計9人。どの人もこの人も美人か可愛い女性ばかり。
天枷さんが苦笑いするのも頷ける。一体何をどうしたらこの面子が集まるのか。一度兄さんは本を出したらいいと思う。モテる為のコツの本とか。
思わず呆れ顔をしてしまう私―――と、エリカさんと視線が交わった。弛んでいた顔を引き締める。エリカさんは腕を組み私の上着に視線を移した。
「ごきげんよう。由夢さん」
視線は上着に固定されたまま、エリカさんが『笑み』を携えて話掛けてきた。それに私もちゃんと挨拶を返す。
笑顔―――なんて胡散臭いのだろうか。性根が悪いと言ってもいい。着ていた上着を更にギュっと着込む。視線の鋭さが増した気がした。
「ああ、こんにちわ。エリカさん」
「外、雪が積もるぐらい降ってて嫌になってしまいますわね」
「ええ、そうですね。確か今日は一日晴れと天気予報士の方が仰っていましたが・・・どうやら外れのようです」
「嘆かわしいですわね。この国の天気を観測する人達の練度、足りていないんじゃなくて?」
「それを私に言われましても困ります、エリカさん。そういうのはその人が所属する団体に申しつけて下さい」
「あら? 私とした事がとんだ筋違いな事を言いましたわね。そうですね。貴方に言っても仕方が無い事だったかしらね」
「ええ、その通りです。私はごく普通の一般の生徒ですから。天気を予測するなんてとてもとても・・・・」
「――――何故、貴方が義之の上着を着ているのかしら」
折れるの早いですね、エリカさん。前から思っていたがこの人は堪え性が無さ過ぎる。我慢弱いと言っても差し支えない。
そんなにすぐ軽口を言う余裕が無くなるのだったら、最初から絡んで来て欲しくないな。思わず笑みが零れてしまった。
つり上がるエリカさんの眉。彼女が怒りの感情を出してきた時の反応だ。それに私は余裕を持って答えを返した。
「ああ、この上着ですか。実はさっきまでクリスマスパーティの準備の為に外出してたんですよ。外、寒くて参ってしまいました」
「・・・・それで?」
「その時に兄さんと出会って少し話をしたのですが・・・ふふ。私が外に出ると知った途端、この上着を押し付けてきたんですよ。
それこそ血相を変えてまで」
「・・・・・」
「私はかさばるから嫌だって言ったんですが、どうしてもと言われて仕方無く・・・・。まったく、兄さんは私の事になるとすぐ構う
んだから。少しは放って置いて貰ってもいいのに」
「―――――ふぅ」
ため息をつきながらコメカミを指で解すエリカさん。もしかしてキレそうだったのかもしれない。短気な女性だ。直情的とも言い変えれる。
その様子を見詰めながら私はもう一度上着の匂いを嗅いだ。変わらず煙草の匂いしかしない。けれど―――今、エリカさんの元には無い匂いだ。
少しばかり優越感を感じてしまうのは仕方がない事だろう。怒りの感情が何とか収まったのか、もう一ため息をついて私に向き直ってきた。
「それ。『返して』貰えないかしら。由夢さん?」
「嫌ですよ。これはエリカさんの物じゃなくて兄さんの物です。借りたのは私なんですから私が返すのが、スジでしょう?」
「義之の物だったら尚更私から返しておきますわ。貴方って勝手に携帯の中身と見そうな感じがしますもの。義之、そういうのを嫌いだと知っていて?」
「まさか。エリカさんじゃあるまいに。エリカさんこそ勝手に兄さんの鞄とか漁ってそうで・・・とてもじゃないですが、上着は預けられませんよ」
「・・・・言うじゃない」
「どっちがですか・・・・」
段々とお互いの口調が乱れてきた。なんでこんな風にケンカしなくてはいけないのだ。私はただ、兄さんが何の用事で呼ばれたか知りたいから
ここまで来たのに。
そんな不満感を抱きながらも、私は視線を逸らさない。こんな子に負けてたまるかという気持ちになる。元々負けず嫌いの性格だ。あっちがごめん
なさいと言うまで折れるつもりはなかった。
そうして睨み合いを続けて――――誰かが驚愕の声を張り上げたのが聞こえた。つい、と視線をそちらに向けてしまう。白河先輩だった。
「―――――ねぇ、ちょっとちょっとっ! みんなコレ見てよ、コレ!」
学園長室に来ても義之くんの姿と芳乃学園長の姿は見当たらなかった。義之くんが見当たらないのは、まぁ分かる。逃げた可能性があるからだ。
家に帰れば保護者の芳乃学園長が居るので可能性が低いと言えば低い、が、無い話ではないだろう。しかし学園長まで居ないとはどういう事だろうか。
そして部屋の中を見渡せば見覚えの無い扉が一つだけあった。こんな扉―――あったけ? ずっと前に来た時は無かった筈だ。
それにこの扉って・・・・。
「出口の無い扉、と言った所かしら」
「・・・だよ、ね?」
「ええ。私の記憶が正しければこの扉はどこにも通じていな筈よ。当然の話。だって出口が無いんですもの」
そう、この位置に扉があるのなら廊下側に出口が無ければいけない。しかし私達が通った廊下側にはそんなモノは無かった。
だったら何故―――扉の隙間から光が漏れだしているのだろうか。分からない。おかしい。そんな気持ちが心の中で満たされていく。
言い合いをしていたエリカちゃんと由夢ちゃんも合流してきて首を捻っている。というかまたやり合っていたのか、この二人は・・・・。
「ねぇ、エリカちゃん」
「なんですか。白河先輩」
「ケンカ。止めた方がいいと思うよ?」
「・・・・つん」
「か、可愛くないわねぇ~・・・・」
ツンと澄まし顔をするエリカちゃんを見て、思わず顔が引き攣ってしまうのを感じた。この子も相変わらず素直になれない女の子だ、まったくもう。
とりあえずエリカちゃんから視線を逸らし由夢ちゃんを見ると―――何やら男子物の上着を着ていた。その視線に気付いたのか、きゅっと上着を庇う
ように握り締めるのを見て、ああ、そういう事かと頷いた。
あれが原因でこの二人はケンカしていたんだろう。この場には居ないというのに、どこまでいっても騒ぎの原因を作ってくれる罪な男の子だ。
「とりあえず――――ん、そうね」
「うん?」
「入ってみましょう。この扉の中に」
「・・・・・・え?」
「ちょ、ちょっと杏・・・」
「ねぇ、別に放っておいたっていいじゃない。こんなドアなんて」
「えー。なんだか私は気になるなぁ。杏ちゃんの言うとおりちょっと入ってみましょうよ~」
確かに興味心が湧くし、私も怖いもの見たさで入りたい気持ちはあるが・・・う~ん・・・・。何だか嫌な予感がするのよね。背中がピリピリする
というかなんというか。
他の人達を見てみる。明らかに委員長と小恋は渋っている。エリカちゃんと由夢ちゃんはどっちでもいいといった感じか。会長さんは・・・何か
考え事をしているかのように、ジッとそのドアを見詰めていた。賛成派と否定派、どっちでもいい派とバラバラなっちゃったなぁ・・・。
全体的に何だかノリ切れていない雰囲気。私はといえば・・・結局気になってしまう。義之くんは居ないし学園長も居ない。そんな中見た事の無い
扉がポツンと出来あがっている。気にするなという方が酷だ。
「私は、賛成かな?」
「ななかまで・・・」
「だって義之くんの姿も見えないし学園長も居ないんだもん。そしてあるのは謎のドア! これを無視しろっていうのがそもそも無理よ」
「う~ん・・・。そうかもしれないけどさぁ」
「怖いのなら無理に来なくてもいいのよ。それは他の人達も同じ。とりあえず私と茜、白河さんで行ってみるわ」
「だ、だったら月島も行くよ。私もなんだか気になるし」
「この奥に義之が居る可能性があるなら、私も行ってみましょう。ここに居たって仕方ありませんですし」
「本当、何処に行ったんだかさくらさんと兄さんは」
「しょうがないわねぇ。ちょっと行くだけ行ったらすぐに帰ってきましょう」
「おぉ? 委員長も乗り気になってきた事だし、早速れっつらごーしましょうっ! 茜さん、なんだかワクワクしてきましたにゃ~」
「・・・・・・」
なんだかんだ言って結局は気になるのだろう。音姫先輩も無言ながら止めはしなかった。いや、ずっと考え事をしている所為でみんなに
釣られているだけのようにも見える。
雪村さんが扉に手を掛け、ギギッと音を立てながら扉を開いた。最初に見えたのは光の奔流。眩しくて前が見えない程までにその光
は強く、力強かった。
そして、私達の長い『一日』が始まった。
すぐに帰れるだろうという安易な思い。
そんな思いは、すぐさま打ち壊されるのだった――――。
「ふぅ。まぁ、こんな所でしょうか」
今日の売り上げのお金を数えながらため息をつく。やっぱり最近は人形って売れないのかな? というか興味が無いだけかもしれない。
日本も心が貧しい国になりましたよ、まったく。もう少し日々の生活に余裕を持った方がいいと思う。人形を買えるくらいまでには。
そうしてお金を数え終えて、この間義之に買って貰ったピンクのお財布に入れた。まさか誕生日プレセントをくれるなんて思わなかった。
『ああ、そういえば今日はお前の誕生日だったよな。やるよ、これ』
『え、こ、こんな物貰えませんてばっ!』
『気にする事はない。誕生日を人に教えるって事はプレゼントが欲しかったんだろ? 素直になれよ、アイシア』
ニヤついた笑みを浮かべてそう言い放つ彼。こんな高そうな物貰えないと言っても聞いて貰え無かった。ほんと、よく分からない人だ。
すごい意地悪だと思う時もあれば、ひどく優しいと感じる時もあった。だから分からない人。あの人と会ったのは半年前の事だった。
店で売り子をしている自分に絡んできた相手。初対面のイメージはあまり良いモノではなかった。どちらかといえば私が苦手とする人種であった。
『ふぅん。バチカンに行ってたのか。ドイツとかなら行った事あるけど―――外国は良いよな。なんてたって土地が広い』
『私は日本も好きですけれどね。なんだか暖かい雰囲気に包みこまれてる様な気がして・・・心地良いです』
『田舎だけな。都会じゃ土地面積が狭い分、人の心も狭いよ。日本人は心豊かで勤勉で礼儀作法に厳しい人種なんて外国じゃ言われてるけど・・・どうだかな』
苦手であった人種。けれど何故かウマが合った。トントン拍子で埋まっていく心の間の溝。久しぶりだった。こんなに人と話すのは。
しかし―――近付けば近付く程、苦しい思いをするのは必然だった。何せ私は皆から忘れられていく存在。この子もしばらくすれば忘れるだろう。
そう思っていた。だがそんな気配は一向に訪れる気配が無かった。大体四日で人は皆私の存在を忘れていくというのに・・・・。
五日経ってもまだ来た。七日も普通どおりに来た。十日目には血を流しながら来た。喧嘩をしたという。血を拭いて治療して窘めてやった。
『・・・ねぇ、義之』
『なんだ。金なら貸さねぇぞ。金の貸し借りは人間関係をブッ壊すからな』
『真面目な話です』
『なんだよ』
笑われると思った。馬鹿にされると思った。それを承知で魔法の事を話し、私に掛けられている呪いともいえる魔法の事を打ち明けた。
そして思案気に煙草を吹かす彼。何かしらの反応を示すと思っていただけに、少し不安に駆られてしまう。もしかして頭が緩い女だと思われたか。
『あ、あの――――』
『アンタは自分の秘密を打ち明けてくれた』
『え・・・・』
『それ程までに信用されているのか、はたまた寂しい気持ちを分かち合いたかったのか。なんにせよオレも秘密を打ち明けなくちゃならねぇ。
フェアじゃないからな。オレだけ喋らないのは』
寒そうにポケットに手を入れながら喋り出す。魔法使いの私も驚く様な事実。別の世界の住人。そういえば彼からは不思議な存在を感じていた。
そして出てくるさくらという名前。あのさくらだ。色々な情報を一気に知ったせいで少し頭が痛くなる。そして感じる近親感。彼もまた魔法に
関わり人生を大きく揺れ動かした人物だった。
私の存在を忘れないというのも、その特別な在り方が関係するのだろう。普通は一つの体に二つの魂なんてありはしない。どういった過程で
私という存在を意識しているのは知らないが、結果として私を忘れないで居てくれる。
その事実に、思わず―――涙が零れてしまった。本当に何十年ぶりかに私を『認めて』くれた男の子。黙って頭を撫でてくれる彼。その感触に
また涙を零してしまった。嬉しい気持ちで心が満たされていった。
「・・・・まぁ、女たらしなだけかもしれませんが」
見たのは偶々。義之が通っている風見学園。私が通っていた事もある学校に、少しばかり郷愁の念に駆られた私は近くまで行った事があった。
相変わらずの桜並木。枯れた筈の桜が何故まだ咲いているのか疑問に思っていたが、義之の話を聞いて納得がいった。やるせない気持ちになる。
私にあんな事言っておいて・・・という気持ちが無い訳でもなかった。だが、恨みきれない気持ちもあった。納得はいかないが理解は出来るから。
そんなやるせない気持ちになりかけ―――――その光景を見て、シリアスな気分が吹っ飛んでしまった。
『ちょっと義之、今日は私の部屋に来るんでしょうっ!? なんで天枷さんと一緒に帰ってるのよっ!』
『おい義之、どういう事だ。今日お前はバイトの筈じゃないのか? もしかして休んでコイツの部屋に行くつもりだったのか?』
『えー本当にぃ? 一緒に服を見て貰う予定だったのにぃ~』
『義之くーん! 今日こそは少しでもいいからバンドやっていかない? 板橋くんも居るしさぁ~』
『今日はお姉ちゃんと私とさくらさんとで一緒に夕飯を食べるんですよね、兄さん』
『この間義之が欲しがっていた本を見つけたわ。本当の本屋さんなんだけれど、行くでしょ?』
・・・・・なんだ、このハーレム軍団は。いや、純一もかなりのモノだったがそれに負けずと劣らずだ。こんな人間がまさか一生の内に
二人も見られるとは。貴重な経験かもしれない。
人嫌い―――そう言っていた義之だが、あれはきっと嘘に違いない。だったらなんでこんなに女の子をゾロゾロ引き連れて歩いているの
だろうか。誰か理由を教えてほしい。
顔は引き攣っていてぎこちない笑みを零しているが、あれはきっと嫌がっていないだろう。しょうもないモノを見せられた気分だ。まさか
自分が女たらしの男性に引っ掛かるとは思いもしなかった。
『何怒ってんだよ、アイシア』
『怒っていません』
『―――――ふぅん。あっそ』
『そうです。私は別に怒っていません。ええ、そうですとも。貴方がすごく嘘つきでしょうがない男の子だとしても気にしていません。うん。
結局あの後、誰と何処に行こうが知ったこっちゃ無いです。貴方は私が怒っていると言いますがって何をしてるんですかぁぁああーーッ!?』
『おい。これまた首が取れたぞ。どうなってるんだお前の魔法の練度は。見掛け倒しなのか?』
『な、なんで貴方はいつもいつもお人形の首を取っちゃうんですかっ!? 恨みでもあるんですかっ!?』
『いや。知らねぇし』
思い出しただけでも腹が立つ。なんでいつも私はあの人に苛められるのだろうか。というか首取れ過ぎだろう、作ったお人形。
「・・・・・・・・はぁ」
まぁいい。どるちぇなんとかと書かれた財布を袋の底に仕舞い、サンタの服を取り出す。そろそろクリスマスの時期なので活動しなくてはいけない。
昔からこうやってこの時期はサンタの格好をしてプレゼントを渡し歩いている。見返りなんてものはないが、充実感というものはあった。
プレゼントを渡されて喜ぶ子供達。その子の顔を見ているだけで心が満ち足されていく感覚が心地よかった。
「クリーニングにも出したし準備は完璧。あとはプレゼントだけか。んー・・・・何にしようかなぁ・・・・」
人形をあげるのは決まっているが、どんな外見がいいんだろ。そんな事を考えていて―――――ふと、風見学園の方向に視線を向けた。
「・・・・・・・・んん?」
なんだか違和感を感じる。明確に言葉には出せないが、どういう訳か違和感を感じた。この感覚は・・・・・・魔法が使われた時に感じるものだ。
学校。さくらが居る所だ。今は学園長という立場に就いて仕事をしているらしい。というと、さくらが魔法を行使したのだろうか。
それにしたっては・・・・・うーん・・・・・。なんかおかしい気がするなぁ。ちょっと魔法を使ってみたってレベルじゃ無い様な・・・・。
「行ってみますか」
正義の魔法使いとかを気取りたい訳じゃないが、どうしてか気になってしまう。興味本位。そういっても差し支えない。
とりあえずサンタの服を丁寧に畳んで、店仕舞いの準備を整える。昔からそうだが、ある事が気になると夜も眠れない性格だ。
そうして私はその違和感がある場所に向かった。ふと、空を見た。今年初めての雪。何かが起きそうな気がした。
「あ? オレが呼ばれた?」
「ああ。さっき桜内の名前が園内放送で流れてたぞ。声は学園長のモノ。何かまたやったんじゃないか?」
「またって何だよ。またって。最近のオレは毎日をストレス無く過ごしている。良い気分だ。毎日こんな風でありたいよ」
「よく言うとはこの事だな。桜内の性格からしてその『良い気分』は長くは続かないだろう。ああ、間違いない」
「なんでよ」
「当然の話だ。桜内みたいなかぶき者は自身が望まずとも、あちらから騒ぎを連れてくる。毎日カーニバル状態。見ていて飽きないよ、お前さんは」
「あちらかどちらか知らねぇが―――んなもんシカトするよ。オレは本当に静かに暮らしたいんだ」
「・・・・ふふっ」
ニヒル気に口元を歪ませる杉並。腹が立ったので尻に蹴りを入れようとしたら上手い具合に躱された。はぁ、とため息をついてコートを羽織る。
由夢―――あいつさっさと上着返せよ。寒くて仕方が無い。保健室で軽く寝て起きても由夢の姿は見えなかった。上着も置かれてない。
腹が立ったので教室まで文句を言いに行ったが姿が見えなかった。しょうがないので教室までコートを取りに行く。その途中でコイツと会ってしまった。
「まぁ、いい。それで――――なんでこんなに教室が静かなんだ? いつもならもっとうるせぇと思うんだけどな」
「いつもなら白河や雪村といった桜内のカキタレ女性陣が騒いでるからな。その女性陣が居なくなれば静かにもなる」
「カキタレ言うなよ。まだ誰にも手を出しちゃいねぇ。きわめてプラトニックな関係だ」
「口付けを交わした女性の人数。改めて教えてやってもいいんだぞ。桜内よ」
「・・・・・・」
「桜内のプラトニックの定義は置いておくとして、だ。先程その女性陣が学園長室に向かうのを見たぞ」
何も言い返せやしない。またムカっ腹が立ったので腹に拳をめり込ませようとしたが、あっけなくその拳の手首を抑えられてしまった。
所詮こんなものだ。オレの力なんてちょっと力があるヤツにかかればこんな風に簡単に抑え込まれてしまう。杉並も意外に力あるからなぁ。
掴まれた右手を外回りに切って、外した。合気道なんかで習う小技。だが、こんな小技も無ければオレみたいな奴は簡単に地面に叩き伏せられちまう。
「ほう。なかなか味な真似を知ってるいるのだな。結構力を入れていたのだが」
「しょうもない事だ。自慢にもなりやしねぇよ。ちょっと格闘技かじっている奴なら知ってるよ、これぐらい」
「ふむ」
「お前の話がホントなら、あのやかましい女共は学園長室に居るのか。まったく。騒ぎ好きな奴らだ」
「付け加えていうのならばエリカ嬢、美夏嬢、花咲、朝倉姉妹もそこに向かうのを見た」
「は・・・?」
「いやぁ~あーはっはっはっ! 桜内の名前が出たから気になって行ったのだろうな。相変わらずのモテモテ具合だな、桜内よ」
「笑いごとじゃねぇよ。アホ」
思わず顔を手で覆ってしまう。どいつもこいつも一癖も二癖もある連中ばかりだ。騒ぎにならない保証は無い。いや、絶対騒ぎを起こす。
そんな連中が一斉にさくらさんのいる学園長室になだれ込む――――何かの悪い夢みたいだ。冗談にも程があり過ぎる。
もう少しで聖なるクリスマスだってのに、何やってるんだあの野郎共は・・・・・。
「くそ、しかたねぇ。ちょっと行ってくるか」
「ほう。行くのか。蛮勇と勇気を履き違えるのは愚か者のする事だぞ?」
「ふざけんな。つーか、てめぇも行くんだよてめぇも」
「俺も行きたいのは山々なのだが、すまないが少しばかり用事が立て込んでてな。悪いが付き合えそうにない」
「あ? なんだよ。またなんか騒ぎでも起こす気なのか」
「――――――それは、秘密だ。桜内」
「あっそ」
こいつは決まって何かしらのイベント事の際に騒ぎを起こす。もはや様式美といっても過言では無い。にやにやしている杉並に別れを告げ
教室から廊下へと出た。
視線を窓の外に送る。寝る前より雪が勢いを増して降り注いでいた。どうりで寒いと思ったよ。こりゃ明日は休校かもしれない。さくらさんも
頭を抱えている頃だろうな。
こういう学校ってのは出来るだけ普通に運営しなくちゃいけない。いくら雪や大雨が降ったとしても臨時休校したとなっちゃ風見学園の『成績』
に関わるからな。可哀想に。
「そのさくらさんだけどなぁ。なんでまたオレを呼び出したのか・・・・分からねぇな、おい」
ケンカ。最近はしていない。各行事でも杉並みたいに騒ぎを起こしてなんかいないし、至って普通で穏やかな暮らしをしている。
それなのに呼ばれる理由。今日は特別に約束を取り付けたなんて事も無いし変わった事も無い。考えてもその理由が分からなかった。
行けばその理由とやらが分かるのだが・・・・肩が重い。連中が騒ぎを起こしているのは確実な事。恐らくあれこれ言われるだろう。
「あいつらさくらさんに失礼な事してなきゃいいんだが・・・・・ん?」
深々と降っている雪の中―――目立つ赤い服を着た女が校門前に立っている。そして見覚えるのある銀髪。寒いのか肩を震わせていた。
何故アイツがここに来ているのか。前に風見学園に在学していたとは聞いていたが・・・・もしかしてオレに会いに来たんだろうか。
そう思い、足の行く先を変える。確かもう少しでサンタの活動をするとふざけた事を抜かしていたが、それに関係しているのかもしれない。
「何やってんだか、あいつは」
コートを更に深く着こんで上履きからローファーに履き直す。玄関でこれだけの寒さっつー事は外は更に寒いのだろう。
先程のアイシアを思い返す。肩を震わせ、おそらく校内の中に入りたいのだろうがはたして自分が入ってもいいのかと迷っている様に見えた。
あの小心者め・・・。心の中でそう呟く。外に出てふと視線を上に送った。真っ白に染まった銀世界。まるでオレ達を包み込んでるかのようだ。
「何か起きそうだな。かったりぃ」
先程の杉並の言葉を思い返す。騒ぎはあちらからやってくる。はっ、ふざけた話だ。誰もそんな事望んでないっつーの。
頼むから何も起きないでくれよ。いや、マジな話で。
「うぅー・・・寒かったです」
「風が吹いてなかったのがせめての救いだったな。あの雪の中で風に吹かれとなっちゃ冷凍死体になっちまう。凍死じゃなくて冷凍な」
「・・・・きょろきょろ」
「もう少し落ち着いて歩けよ。そんなんじゃ怪しんで下さいって言ってるようなもんだ」
「で、でも私みたいな人がこんな所歩いていいんですか? さっきからチラチラ見られてる様な・・・・」
「知らんぷりしとけばいいんだよ」
義之から借りたコートをぎゅっと着直す。ぶかぶかで少し煙草臭いが、暖かい。芯まで冷え切った体が暖かくなっていくのを感じた。
脇で「なんでオレは次々と着ているモノ貸しちまうのかな・・・」とぶつぶつ文句を言っている義之を端目に、歩いている廊下を改めて見渡した。
私が通っていた頃より幾分か風景は様変わりしているが、殆どは変わらず当時のままだった。懐かしい気持ちになる。色々あったなぁ。
「で、なんでお前さんはこんな所に来たんだ」
「あ、そうですよ! それですよ!」
「いきなり興奮するな。かったるい」
「さくらって今何処にいるか知ってますかっ?」
「さくらさん? 学園長室に居ると思うけど・・・・・なぁ」
歯切れの悪い返事。なぜだかあまり行きたがらない感情が見え隠れしている。気の所為か足の歩みも遅くなっているような・・・・。
もしかして――――また何かやらかしたのだろうか。実際は見た事ないがケンカを頻繁にする男の子らしいし。しょうがないなぁ、この子は。
「そのお姉さんぶった顔やめろっつーの。似合わねぇって」
「―――――ッ! ふ、ふんだっ! 実際に私の方がお姉さんなんです。そして義之はどうしようもないお子様です」
「あ?」
「またケンカでもしたんでしょ? だからそんなに行きたくない雰囲気満々なんです。さくら、怒ると怖いですからね」
「・・・・・」
「大体ケンカなんて子供染みた事をするのは卒業した方が良いですよ。ロクな大人になりません。もっと清く正しく生きて――――」
「先行ってるぞ。アイシア婆さん」
「だ、だれが婆さんなんですかっ!?」
両眉をあげて呆れた顔をしながらどんどん先へ進んで行く義之。慌てて私もその後を追いかけた。こんな所でポツンと一人残されては目立って仕方が無い。
文句を言おうと口を開き掛け、またスカーフを引っ張られて悲鳴の声を出してしまう。義之は事あるごとに私のスカーフを引っ張る。いじめっ子だ。
そんな感じで目立ちながら歩いていると、ある部屋の義之の足が止まった。学園長室というプレート。どうやらここが目的地みたいだ。
「そういえば――――なんでお前さくらさんに会いたいんだ?」
「うーん・・・。話せば長くなる様な短い様な・・・・」
「なんだよ。もったいぶった言い方しやがって」
「まぁ、入れば分かる事です。というか会うの久しぶりで・・・・なんか、急にお腹が」
「おいおい。今更になって日和ったのかよ。ここまで来て引き返すなんてかったるい事言いだすなよ。何の目的があって来たんだか知らねぇが」
「うぅー・・・」
久しぶりに会う友人、仲間、さくら。思えばアレ以来会っていない気がする。というか実際会っていない。あちこちの国を転々としていたのだから。
勢いでここまで来たものの、急に緊張してきた。一体どんな顔で会えばいいのだろうか。分からない。けど、義之の言うとおり折角ここまで来たんだ。
深呼吸を一つ。手に汗を掻いてるのが分かる。無理矢理萎える気持ちを押さえつけ、
そして――――――。
「失礼しまーす」
「あっ! か、勝手に開けないで下さいよぉっ!!」
そんな私を無視して扉を開け放つ彼。あまりにも無情だ。私が緊張しているって分かってる癖にっ!
ズカズカ入っていく彼の後ろに続くように私も部屋の中に躍り出た。ええいっ! もうどうにでもなれだっ!
「・・・・誰もいねぇな、おい」
「・・・・みたい、ですね」
だが、そんな私の気持ちを知ってか知らずか――――部屋の中には誰も居なかった。人の気配さえ感じない。がらんとした部屋を見回す。
隣の義之も何か肩すかしをくらったかのように頭を掻いている。私も同じ気分だ。さっきまでの緊張がバカみたいに思えてくる。
ふぅっと息を吐いてコートのポケットに手を入れた。どうやらさくらは留守のようだ。多分他の用事でどこかに行ったのかな?
「・・・・・」
「義之、何してるんです?」
「―――――ん。別に」
さくらの物だろう机を、なにやら物色していた彼。どっちが落ち着きないんだか・・・・。こちらに向き直って素知らぬ顔をしている。
とりあえずココに来たという事を知らせる為に何か書き置きしていった方がいいかもしれない。いきなり私が来て驚くだろうな、きっと。
えぇっと・・・ペンと紙はっと・・・・。久しぶりかもしれないなぁ、日本語書くの。忘れてなきゃいいけど。
「・・・・あ」
「どうした。素っ頓狂な声あげて―――――って、なんだこりゃ」
扉。あまりにもこの和室にそぐわない扉がそこにはあった。そして見た瞬間、それが魔法によるものだと理解する。これでも長年魔法使いはやってきたから
間違いない。それは魔法によって作られた扉だった。
義之も私の視線を辿ってその扉を見つけ、怪訝そうな顔をしている。という事は前までこの扉は無かったという事だ。見覚えのある扉だったらそんなに眉を
寄せて首を傾げたりしない。
私はそっとその扉に近づき――――手を当てた。目を閉じ集中する。一体これが『何の』扉で、『どういう』理由でこれを作ったのか知るた為に。さっきまで
の気分を一新させて、更に集中を増した。
「おい、アイシア。どういう事なんだ。なんだよ、このけったいな扉は」
「・・・・・」
「・・・おーい、アイシアちゃん?」
「・・・・・」
「おいコラ。シカトしてんじゃねぇよこの野郎」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「お前に黒の下着は早いと思うんだよね。オレ」
「いつ見たんですかこの変態義之ィっ!!」
目をカッと開けて義之を睨む。ニタニタした顔付き。してやったりという顔だ。ああん、もうっ! 一体いつどこで見られたんだろうか・・・・。
思わずスカートを抑えてしまう。ほんっとーにこの男の子はどうしようもない。レディのパンツを勝手に見るのなんてドコの国でもマナー違反だ。
睨み続けても涼しい顔をしている。はぁ、とため息をついて話をする体制に戻る。なんでこんなに疲れてるんだろう。私ってば。
「それで、だ。何やら魔法に関する扉らしいが――――何か分かったのか?」
「分かってるのなら邪魔しないでくださいよ・・・・」
私のしている行為を魔法関係の事とみたのだろう。この子はその在り方の所為かそういう魔法に対する反応が人一倍敏感だ。
まぁ、粗方調べ終わったから教えられるまでに材料は整った。頭のスカーフを改めて整えて体制を取り繕う。真面目な話をする時の私の癖だった。
義之もそんな私の雰囲気を悟ったのか、真面目な顔付きをする。この人は空気は読める方なのにあえて読まないから困る。
それにしても―――――また、こんな騒ぎに巻き込まれるとは。もしかして私って初音島に来る度に何かしらの事に巻き込まれていないだろうか・・・・。
「この扉ですが・・・・過去に繋がっていますね。それも義之のお知り合いの女性達も既にこの扉の向こうにいます」
「・・・・・・何?」
「付け加えて言うならば・・・・もうあちらから帰る事は出来ないみたいです。出口、消えちゃってるみたいなんで」
「・・・・・・・・」
「さて、どうしましょうか。義之?」
驚きはしていないみたい。疲れた様な顔はしているけど。
まぁ、この男の子の事だから・・・・。
「はぁー・・・・・。オレさぁ、何かそんな嫌な予感はしてたんだよね。いきなり大雪は降るし、杉並がアイツらの後を追わなかったのもおかしい話だし
アイシアのパンツは黒だしで違和感バリバリだったよ」
「わ、私の下着は関係無いでしょうっ! 下着はっ! それになんですか、違和感って!」
「せっかく心穏やかな日常を送れていたっつーのに。ぶっちゃけ魔法とかそんなんいらねぇんだよ、オレの生活に」
ため息交じりに文句を言う。しかしずっと視線は扉に向けられたまま。
「けど今更な話か。大体オレが生きてるのも魔法のおかげだし」
「・・・・はぁ、まあいいです。それで?」
「決まってるだろ。アイシア」
肩を竦めながら私の肩をポンと叩く。これで私も巻き込まれる事は決定してしまった。まぁ、最初から着いて行く気でしたけどね。
そもそも私がいなければこの扉の向こうには行けないし、帰れもしない。扉の隙間を見る。影ばかりで光さえ漏れていなかった。
そしていつものつまらなそうな顔をして、彼はその言葉を呟いた。ああ、この人はどんな大変な時でも変わらないんだな。そんな場違いな事を考える。
「じゃあ、ちゃっちゃと行ってちゃっちゃと帰ってくるか。まったく、しょうもねぇ女達だぜ」
まるで近所のコンビニに行くかのような軽口。彼らしいと思った。
私もその言葉に軽く肩を竦める。
じゃあ――――ちゃっちゃと行ってきますか、ね。