「白河さんて、本当に酷いよね~」
「ねぇねぇ、聞いた?」
「聞いた聞いたっ! 林君の事でしょ? もうみんなカンカンだよ」
「ん?」
そろそろ早い内に売店の所に行き、食料を調達しようと腰を上げ掛ける――――と、そんな会話が聞こえてきた。見覚えの無い顔。数人の女子たちが
身を寄り合わせる様に話をしていた。
どうやら腹に重いモノを持つ様な事があったらしい。眉を寄せ、いかにも信じられないといった顔付きで話し始める彼女達。どこの世界の女もやる
事は一緒か。自分に関係無いような出来事でも、まるで両親を殺されたと言わんばかりに囃し立てる。
女がよく持つ習性。オレもあれこれ噂された覚えがあるから、あまり好きになれない種類の女だった。前の世界じゃよく薬をやってるだのヤクザと
関わりがあるだのと、根も葉もない噂を流していた女達が居た。全員ブン殴ったらすかっとしたなぁ、あの時は。
「自分から色目を使ったってさ。まったく」
「それで振ったのっ!? うわ、最低っ」
「おい、義之」
「んあ?」
そんな話をぼけーっとした様子で見詰めていると、渉が真面目な顔付きでオレの肩を掴んできた。ていうか手大きいなコイツ。さすがドラマ―。
比べる様に自分の手を見ると、華奢な形をしたのが目に入ったので思わず眉を寄せる。喧嘩を多くしてきた割には貧弱な手だ。前の世界のオレもこんな手だった。
手が大きい男性はよく男らしいと言わている。つまりオレは、なよなよしている女々しい男だって事だ。はぁ、もうちょっとガタイが欲しい・・・・。
「義之、ダメだからねっ」
「小恋までなんだよ。オレが何かしでかしそうに見えたのか、ええ?」
「だってお前――――今、あの女子共の群れに突っ込もうとしたろ?」
「・・・・・は?」
「気持ちは分かるけど、言いたいヤツには言わせて置けよ。どうせ白河をやっかんでるだけさ」
「ああいう人は前から居たし・・・」
「―――――ああ、なるほど」
「え?」
小恋の呟き声を無視し、オレは納得がいったように頷いた。どうやらこの世界のオレはななかとも仲がよかったらしい。こいつらの様子でそれが分かる。
人に優しく熱血漢な『義之くん』は、ななかの悪口を言われて居ても立ってもいられず、女共に文句を言う為に立ち上がった――――こんなところか。
無性に煙草が吸いたくなった。確かに、最近のオレは性格が丸くなったと言われるが・・・そこまで底抜けの勘違いの善人クンになった覚えは無い。
「なぁ、あそこのいる女共は何か間違った事言ってるか?」
「な、なに言ってるの義之――――」
「いつも過剰にボディタッチして、皆に笑顔振りまいて、誰が見てもその気にさせる行動をしておいて―――振る。あいつらの言ってる事が分かる気が
するよ、オレは。そんな女なんか嫌われて当然だな」
「お、おい義之っ! お前・・・・っ!」
「怒るか、渉。何故怒るんだ? ああいう風に言われくなきゃ、そうだな、まず誰の体でもベタベタ触るのを止めるべきなんじゃねぇのか? あいつは
見てくれがいい。美人だ。そんなヤツがニコニコしながら手とか握ってくるんだぜ? そりゃ振られた男はなんでと思うし、女子は毛嫌いする。当然
あんな事も言われるわな。どうだ、オレの言っている事が間違ってるか、渉?」
「うっ――――そりゃ、オレも時々止めた方がいいんじゃないのとは言ってたけどさ・・・・」
「それなのにななかはその忠告を無視した。自業自得ってもんだ。もし、あんな事が言われるのが嫌なら大人しくしてるべきだな」
目立つのが嫌ならあんな事しなければいい。オレはそう言った。渉と小恋は何か言いたそうにしてるが、反論出来ないで居る。当り前。正論だからだ。
オレが元居た世界でも同じことをななかは言われていた。なんなんだあの女は。調子乗ってるんじゃないの。酷い時には売女扱いさえされていた。
当然の話だった。話す度にボディタッチはしてくるし、友人がせっかく警告しても直す事は無かったその行為。結局ハブにされてた気がする。
オレもそんな女には興味なんて無かったし、持とうとも思わなかった。オレみたいに孤独が平気じゃない癖に結果、嫌われる様な行動をする女だったからだ。
今では頑張ってそんな行動をしなくなったオレの世界に居たななかだが、最初はどうしても癖でボディタッチしようとしてたな。まったく、あの女は・・・。
その度にオレはケツを蹴り上げた。次やったらベッドに引き摺りこむぞ、とある時凄んで言ってやった。艶目で見詰めてくるななか――またケツを蹴り上げた。
「でも、何か訳があると思うんだ・・・私。ななかがあんな行動するのって」
「どんな訳があろうと無かろうと、結果的にはああいう風に言われちまう事をしでかしてる。同情は出来ないな。何回も言うが嫌なら止めればいいんだよ」
「・・・・・」
小恋の言葉を遮断するように言い切った。確かに訳はある。ななかが心を読むきっかけとなった境遇がある。そんなに言われてまでも止めない理由がある。
だから――――覚悟も無いのにそんな真似をするな、とオレは考えていた。こうやって疎まれるのは誰が考えても自明の理。ななかも馬鹿じゃない筈だ。
馬鹿じゃないなら予想出来る。予想出来ていて、なおかつ覚悟を持ってないとなると――――ななかには悪いが、それは馬鹿以上の何かだ。
「まぁ、ななかの好きにさせてやった方がいいんじゃねぇのか。本人はそれで満足してるんだしよ」
「私はっ、ななかの事を助けてあげ―――――」
「本人が助けてって言うまで放っておけ。うずくまって、ただ助けを待ってる奴なんかに手を貸す必要はねぇよ」
「・・・・ちょっと、冷たいよ。義之」
「温かい人間が、いつだって誰かの助けになるなんてないよ。かえってそれが苦しい時もあるもんだ」
小恋に心配を掛けた。渉に気を遣わせている。そう思う事で、ななかみたいな人間は更に追い詰められる。基本的には根は善の人間だからだ。
どうしたの。困ってるなら助けてあげようか。なんとかしてあげたい。心を読める能力を他人にバラせない以上、そういった言葉は重荷になる。
鬱患者に頑張ってと言う様なものだ。自分でもどうしたらいいのか分からないのに何を頑張れと言うのか。自分から心を打ち明けない事には、何も始まらない。
「ま、そんな話は置いといてだ。少しばかりオレは抜けるわ」
「え、なんでまた」
「少しばかり、また調子が悪くなってきたんだよ。今にもベットで倒れ込んで寝たい。そんな思いでオレはいっぱいだ」
「おいおいっ、大丈夫なのかよ」
「だから保健室に行ってくる。じゃあ、また後でな。あと小恋。放課後誘いに来るからちゃんと教室で待ってろよ」
「う、うん・・・ねぇ、よしゆ―――――」
「ちゃんと授業を頑張れよ、お前ら。高い学費払って貰ってるんだからよ」
「あ・・・」
おそらくオレに着いて来ようとしていたのか――――そんな小恋を置いて、自分の事をまるで棚に上げた発言をしながら教室を出た。
鐘の鳴る音。そろそろ次の授業が始まろうとしていた。教師達に見つからないよう、遠回りで学園長室に向かう。アイシアの食事の好みを聞くためだ。
北欧のヤツらは選り好みが激しい性格だ。特に日本みたいなイカれた料理の風習がある所じゃそれが如実に表れる。同じ料理でも味付けは全く違うしな。
なんでオレは自分の女でもないのにこんな事を・・・そう思うが、アイシアには今回の件でかなり世話になっている。少しばかり優しくしてもいいだろう。
「煙草はどうすっかなぁ・・・適当にそこら辺のチンピラから撒き上げるか、素直にコンビニで買うか。迷うな」
ポケットには五千札が一枚。今日と明日は十分に過ごせる金額だが、何か起こるか分かったものじゃない。一度アイシアの魔法は失敗している。また失敗
しない保証はどこにも無かった。
最低でも一週間は過ごせる金額が欲しい所。さて、どうしようか。一瞬、銀行強盗を考えたが荒唐無稽な話なので一蹴した。ハイリスク、ローリターンを
わざわざやる馬鹿はいない。過去の事例で銀行強盗で無事逃げおおせた確立、一ケタもいかない。
ああ、なんだかイライラしてきたぜ・・・。素直にコンビニで買うしかねぇか。賢い行いだとは思えない。無人島で水を一気飲みするぐらいの愚か者だ。
だが我慢できそうになかった。悪いな、アイシア。ヘビースモーカーのオレを許してくれ。
ていうか今持ってる財布が何の役にも立たないのが、一番腹が立つな、おい。一年前に来ていても使える事は使えると思うのだが、それは本当に緊急の時だ。
財布の中に、この世界に存在しない通し番号が記載された紙幣があるかもしれない―――可能性は高いと思っている。短いスパンで紙幣は印刷されるから今持
っている金は使う気が起きなかった。金は出回るのが物凄く早いし、生憎と紙幣はピン札しか持っていないのもあるが・・・・そもそも別世界だしな、ここ。
はぁ、とため息をついて指を手持無沙汰に動かしながら、静まった廊下を歩いて行く。ひんやりとした空気が心地よかった。
さて、アイシアちゃんは大人しく寝てるかなぁっ・・・と。
「ふぁあ~・・・・。眠いよぉ・・・・」
パシャパシャと、ことりさんから貸してもらった化粧水を顔につける。少しばかり軽く化粧もしたいが、生憎そこまでたかれる程厚顔じゃない。
こんな事になるなら、ある程度のコスメグッズを持ってきた方がよかったのかもしれない。ノリであの扉を潜ったのが運の尽きだったのだろう。
自分で自覚している事だが・・・私は押しに弱い。あの場で結局は留まる発言をしなかったし、出来なかった。天井を見上げて思わずため息が漏れる。
それよりも―――眠い。昨日は何故だか知らないが大きな爆発音が鳴り響いて、すごい大騒ぎになったんだっけ。結局見に行く事はしなかったけれど
その所為で眠る時間が少し遅れてしまった。そういえば寝る直前、杏とことりさんが何か話してたけど・・・なんだったんだろうなぁ。
「・・・・それよりも、はぁ。無事に帰れるといいなぁ」
縁起でも無い言葉。自分で発言しながらそう思う。無事で帰れなかったらどうなるか。この時代で一生を過ごすのか。それは嫌だ。家に帰りたい。
単身赴任中の父が、もうすぐで家に帰れると言っていた。久しぶりに両親と三人で暮らせる事が出来たというのに・・・。本当にツイて無いと思う。
手をお手洗いの水で流し、ハンカチを取り出して拭く。どんどんマイナス思考に陥る頭を、頬をパンパンと張って振り解いた。
「みんな頑張ってるんだもんね・・・。私だけ泣き事言ってられないよね」
特に杏は頑張っている。こんな状況で率先して皆を引っ張いくその姿は、かなり頼れるものがあった。元々しっかりしていた所はあったけれど、まさか
こんな異常事態でも普段と変わらず行動出来る彼女に、どこか安心感みたいなのを抱いた。
意外と音姫先輩は、そんな杏ちゃんに従っている節がある。流れ的にそうなったのか。またはそれが適任だと判断したかは分からないが・・・。なんにせよ
皆を率いる力を持っている人が居てよかったと思う。こんな個性的な面子だ、いきなりバラバラに行動してもおかしくはない。
「――――よし」
さて、そろそろ皆起きた頃だろうか。男子が居ないだけでみんな結構だらしないんだから、もう。ななかと茜なんかはお腹を出して寝ていた。そんな二人に
一緒に起きた杏はため息を吐いていた。
「あーくそっ、すげぇ忙しいな」
「まったくだ。祭りをやるのはいいだけどよ、準備が一番面倒くせぇよな」
「ん?」
お手洗い所から出ると、男子生徒二人が目の前を通り過ぎていった。勿論見覚えの無い二人だ。手に持った備品を重たそうに運んでいる。
そういえば私達もクリパの準備中だった。放課後に取り掛かろうと思っていたのに、ここの世界に来たから結局手伝わず仕舞いになってしまっている。
確か今日は23日。クリパの開催日が今日からだ。あーあ、参加出来なかったな・・・。しょうがないといえばしょうがないんだけど・・・うぅ。
そうして歩きだそうとして、はたと足の歩みが止まる。そう、クリパの開催は今日からの筈なのだ。
なのに―――まだ準備をしているのは、少しおかしいんじゃないか。
「あれ?」
ふと、周りを見渡してみる。『昨日』と同じように忙しく動き回る人の波。飾り付けもまだのようで、一人の女性が大声を張り上げ中ら指示を出している。
なんとなく―――凄まじい違和感に駆られた。あまりにもおかしい。今日は『23日』の筈だ。それならとっくにクリパは開催されてないといけない。
まるで今日がラストの段取り日の様な忙しさだ。もしかして過去のクリパの日付は24日からなのかもしれない。ありえる事だ。
「んー・・・」
まぁ、いいや。とりあえず音楽室に戻る為に、踵を返した。戻る途中も忙しく走り回る生徒達を何回か見掛けた。おもわずぶつかりそうになるほどだ。
息を切らしながらその波を掻き分け、なんとか音楽室に戻る事が出来た。自分の身体能力の低さが恨めしい。ななかみたいになんでも出来たらいいのに・・・。
扉を開けると皆起きていた様で談笑を楽しんでいた。茜とななかもあんなにだらしない呈をなしていたというのに、もう普段通りを取り繕っている。
「うーんっ、昨日早かったせいか熟睡出来てよかったわぁ~」
「・・・・やっぱりそっちの布団の方がいいって。絶対」
「朝からそんな恨めしい目で見ないでちょうだい。こんな清々しい朝だって言うのに、もうっ」
「枕ならともかく、布団如きでそこまで熱くなれる貴方達って・・・はぁ」
委員長が呆れる様に息を吐いた。それに食って掛かる茜達から視線を外し、杏の姿を探すが・・・いない。エリカちゃんと美夏ちゃんは二人で何やら話している。
確かあの二人は犬猿の仲だった筈。少しばかり近付くのが躊躇われたが、こういう機会だからこそ話をすべきだと思った。特にエリカちゃんとは急接近したし。
音姫先輩と由夢ちゃんは仲良く二人でこれからの指針について話し合っていた。杏がリーダーならさしずめ音姫先輩は副リーダーといったところか。
「ねぇ、何話してるのかな?」
「お、月島」
「聞いて下さいな、月島先輩っ。この娘、いま義之の悪口を言いましたのよ?」
「事実を言ったまでだ。大体アイツはあんな性格な癖して優柔不断過ぎる。もう一年だぞ? 色んな女に口付けしておいて、待てを掛けられている状態だ。
本当に真剣に選ぶ気があるのか――――時々分からなくなるぞ、美夏は」
「私的には『英雄、色を好む』で当然の悩みだと思うわ。まぁ、結局私が選ばれる事になると思いますが・・・」
「お前は何でそうやって時々頭が吹っ飛ぶのだ? 国に帰れ、国に」
「貴方こそ、またお眠りになってはいかがかしら? またロボットがどうのこうの騒がれては心情穏やかではないでしょう。目覚めなくてもいいけれどね」
「・・・・」
口を挟む暇を与えられない。静かに熱く口論を交わす二人を苦笑いで見詰めるだけだ。その二人も私に気遣う事無く、言いたい事を言い合っている。
私も義之の事は好き・・・なんだけれどなぁ。この二人を見ると少々怖気づいてしまう部分がある。本当に義之と結ばれる事はあるのだろうか、と。
エリカちゃんみたいに前後不覚になるほど気持ちが強い訳でもないし、美夏ちゃんみたいに可愛がられるでも無し。至って普通の態度で義之は接してくる。
うーん・・・。茜程までいかなくても、少しは積極的にアプローチをした方がいいのかもしれない。昨日もエリカちゃんに発破をかけられたし・・・。
「月島先輩はどう思われますか?」
「え、わ、私っ?」
「月島も義之の事を好きなんだろ? だったらあんな優柔不断な所に、苛立ちにも似た何かを抱いている筈だ。違うのか?」
「・・・え~と」
「やめなさい。月島先輩が困ってますわ。そうやって暗に強制的に言葉を吐かすなんて―――育ちが知れますわね、ふふっ」
「なんだと・・・・」
「あら。またやり合ってるの? 飽きないわね、ほんと」
「あ、杏・・・」
助かった。ちょうどよく杏が戻って来てくれたおかげで難を逃れた。二人も話を続けるタイミングを失ったのか、不完全燃焼気味にお互いを見詰めている。
そんな二人の間にずいっと入り、音楽室に掛けらている黒板の前に向かって歩き出して行く杏。私達は何事かと顔を見合わせ、首を傾げながらその後を追った。
皆もそんな杏の行動に気付いたのか、ぞろぞろと杏の前に集まっていく。私も含めて、みんな杏をまとめ役として認めている証拠だった。
「・・・みんな居るわね」
視線を左右に動かし皆がいるかどうかを確認する。杏は確か自分が起きた頃にはもういなかった筈。どこへ出掛けていたのだろうか。今更ながら少し疑問を抱く。
一応書き置きで『少し出掛けてくる』とはあったが・・・。
そう考えていると、杏はおもむろに携帯を取り出した。自分の携帯はこちらの世界に来てからは使えなかったので、一応電源を切ってポケットの中には仕舞って
置いてある。悪戯に電池を消費してはダメだと杏に窘められたからだ。
携帯画面を見て一つ頷く杏。何かを確かめる様な動作だった。それに釣られる様にななかが自分の携帯の画面を覗き込み――――眉を寄せた。なんなんだろう
と思っていると、杏が音楽室に響く様に、いつもより大きな声でその言葉を発した。
「おはよう、みんな。目は覚めてるかしら? 今日は『22日』の土曜日」
「え・・・」
「どうやらこの世界、ただ過去って訳じゃ無さそうね。本当―――飽きさせてくれないわ」
「今日って・・・、確か22日よね?」
「えぇ。22日だった筈ですけれどもぉ~・・・」
「22日じゃないんですか? 今日は」
朝食を持ってきてくれた水越さん達とことりさんに話を聞いたところ、そんな返答が返ってきた。みんな眉を寄せて戸惑う表情を見せる。仕方が無いだろう。
どこもかしこも、今日が『23日』だという認識を持っていない。朝早く校内を探索したがカレンダーも、今日は22日だと記載されていた。思わず愕然とする。
何かの間違いだろう――――そう思い、携帯のディスプレイを見て、今度は重い溜息を吐いた。携帯の日付も22日。しかし機能が狂った訳でもない。
「ことりさん。昨日私達と会った事を覚えてるわよね? 水越さん達も」
「は、はい。昨日は中庭で雪村さん達とお会いして、それから色々喋って・・・」
「合流したのよね、私達。それから音楽室に集まってお布団用意して・・・」
「外で大きな爆発音がありましたねぇ~。それで少し寝るのが遅くなって・・・ふぁ~」
「お、お姉ちゃんっ、いい加減すぐ寝る癖直しなってば!」
そう、確か昨日の夜大きな爆発音があった。ハチの巣を突いたかのように騒然となる学園。風紀委員やら実行委員の人達が駆けていくのを私達は見た。
私達も駆けつけたところ、出店や準備中だった看板が爆発で壊されたらしい。見るも無残な光景。生徒達は皆一様に意気消沈していた。それはそうだろう。
せっかく今まで皆自分の時間を削ってまでこのクリパに力を注ぎこんだのだから。それが訳の分からない爆発に巻き込まれ、泡沫と化してしまった。
しかし、朝起きて学園内部を歩いていると――――まるでそんな事が無かったかのように、皆は走り回っていた。開き直って一からやり直そうという雰囲気
では決してない。クリパの準備をただ行っているという風だった。
思わず私は働きアリを思い出す。ただ女王の為にもくもくと働き、何があっても、例え自分達が雨や人間の悪戯で死のうとも、延々と働くその姿を。それ程
までに朝の学園内の様子は違和感に満ちていた。
「ことりさん。聞きたい事があるのだけれど、いいかしらね」
「はい? なんでしょうか」
「昨日の事を覚えてる? 私達と会った時の事を」
「もちろんっす! それはもう衝撃的な出会いで――――」
「その日は何日か、もちろん覚えてるわよね?」
「え、あ、はい・・・確か・・・、21日でしたよね?」
「違うわ。22日よ」
「え・・・・」
「ちぃ、ちょっと雪村っ。なんでそう言い切れるのよっ? 今日が22日だから昨日は勿論21日で――――」
「ありえないわ」
眞子さんの言葉を一刀両断した。私の言い切った口調に怯む彼女。あまりにも断定的に言われて面を喰らったのだろう。仕方が無い。実際そうなのだから。
今日の日付に多少自信が無かった茜達も、私の言葉にやっぱりと言った風にざわめき出した。その様子を見て戸惑う表情を見せることりさんと水越姉妹。
「私はね、絶対に物事を忘れない特技を持ってるの。昨日この世界にやってきた時、一人の男子生徒が22日だと言っていた。だから今日は23日の筈」
「な、なによそれっ。雪村を信用していない訳じゃないけど、その絶対って言葉にどんな保証が――――」
「15時29分に私達は眞子さん達と合流した。その時の第一声が『この人達がななかの言っていた仲間?』。私、美夏、ムラサキさん、という順番
で視線を巡らせたわね。それから中庭で7分間談笑して、音楽室に足を向けた。校舎内に入るまでに貴方は『お姉ちゃん』という言葉を4回使った
わ。癖なのか右腰に手を当てた回数が10回。これも校舎内に入るまでの話」
「ちょっ、なんでそん―――――」
「音楽室に着いてまず寝床を確保しようという話になった。ことりさんは中央委員会だからこの部屋を使う許可を取りに行ったのが、その5分後だったわね。
もしかして眞子さんて吹奏部かしら、フルートに視線を送った回数が14回。逆に萌さんは3回と少なめだった。そして眞子さんがお布団を敷くのを手伝
ってくれた回数が6回、責任感あるわよね。萌さんは2回手伝ってくれた。失礼ですけれど、萌さんてナルコレプシーの気があるのかしら。急に眠りに入っ
た回数が今日の分も含めて17回・・・。眠り過ぎるのも脳に負担が掛かるので、眞子さんの言うとおり直した方が良いと思います」
「・・・あらぁ」
「ことりさんが戻ってきたのは出て行って31分後。『無事に許可取れたっすよ』と眩しい笑顔で言われたわね。その後、眞子さんが食事を持ってきてくれる
という話になって、それから――――」
「わ、分かったわよっ、分かりました! 雪村が記憶力がいいのは分かったからっ」
「あら、残念。それから眞子さんがした欠伸の回数とか、萌さんが何かを確かめる様に懐をまさぐった回数とか言おうと思ったのに」
「・・・・・」
「ほ、本当に覚えてるの、雪村。昨日から今日までの事・・・」
「なんなら眞子さんが発した言葉全部言ってみる? 酷い頭痛を覚悟すれば出来なくは無いけれど」
「い、いいわよっ。ったく」
眞子さんは頭をガシガシと掻いている。どうやら信じてくれたようだ。萌さんは・・・何やら私の事を睨むように見ている。どうやら見られたくない場面を
見られたのか。しょうがない。文句を言うなら妹の眞子さんに言って欲しい。
私は保証あるのかと聞かれ、昨日から今日までの事を喋っただけの事なのだから。その視線に敢えて気付かない振りをして私はことりさんの方に体を向ける。
何やらウンウン唸っているようだった。
自分でもおかしい事には気付いているのか、私の発言に迷いを見せている。何を迷う必要があるのか分からない。昨日は22日で今日は23日、ただそれだけ
の話な筈なのだが・・・・・もしかして、昨日言っていた事が関係しているのか。
「ことりさん。貴方、昨日私に相談してきたわよね。『昨日と同じ事が毎日繰り返されている気がする』、と」
「え、ええ・・・。気のせいだと思っていたので断定は出来ていないのですが・・・」
「よかったら皆にその話をしてくれないかしら。ことりさんも気持ち悪く無い? この学園全体の雰囲気とか、自分の中の時間の間隔がズレているような気分。
まるで自分一人が取り残された様な奇妙な孤独感―――少しは解消出来るかもね」
「・・・そうっすね」
そしてことりさんは言う。目が覚めたらどうしてか昨日は21日だという思い込みが強くなっていると。それも何回も繰り返されている気がすると、眞子さん達
も同じ事を思っていたのか、口を挟まず真剣な様子でそれを聞いている。皆も同じ。黙ってことりさんの言葉を聞いて一様に驚いた顔をしていた。
ふと、ことりさんの発言を聞きながら自分の置かれた環境を省みた。突然放り出された過去の世界、延々と続く12月22日、いつまでたっても始まらない
クリパ。関連性を見出そうとするが――――ダメだ、あまりにも情報が足りなさすぎる。判断材料が集められていない。
昨日今日ここに来たばかりの私達にはあまりにも、『情報』が足りなさ過ぎる。絶対記憶の頭を持つ私がそう言っているんだ、間違いない。今のこの状況
を読み解くには、まだまだ知りたい事が沢山あった。
なら―――動くしかないわね。足りないモノは自分の足でカバーするしかない。いつだってこんな時は動いた者勝ちなのだ。
黙ってたって情報は入ってこない。よく警察ドラマで走り回る刑事をバカにするキャリア組が出てくるが・・・、結局最後はキャリア組がほえ面を掻いている。
こんなドラマみたいな状況に置かれている自分。精々そのドラマ通りに動くか。息を短くふっと吐き意識を切り替える。目標は定まった。
「昨日と同じような組み合わせで動くわよ、みんな」
「あ、杏ちゃん・・・・?」
「現代に帰れる方法が見つからない今、この繰り返される日々の謎を紐解くのが・・・もしかしたら私達が帰れる手段なのかもしれない。私はそう考えている」
「根拠はあるのか、杏先輩」
「無いわよ、美夏。強いて言うなら――――そうね、勘だわ」
「か、勘って・・・。本気で言っている? 雪村さん」
「ええ。こんな異常な状況―――義之風に言うならば『イカれた』状況ね。こんな状況に立たされた私達にやれる事といったら、ことりさん達が置かれている
イカれた状況を解決してあげること。どうせ帰れるアテはないんですもの、一宿一泊の恩義を返す意味でも動いて損は無いと思うのだけれど、どうかしら?」
勘―――そう言ったが、私の中での感覚がそれは間違いではないと言っている。なら、私は自分を信じて行動する。いつだって私はそうやって生きてきた。
どのみちさっき言った通り帰れるアテはないのだ。それならことりさん達が体験している『繰り返される日々』を解決するのは悪い判断ではない筈だ。
私の行動の早さにことりさん達が面喰らっている。勿論この人達にも協力をしてもらう。この世界の住人に居て貰った方が、探索がはかどるからだ。
「ことりさんはそうね、ななかの組に入ってもらうわ。同じ白河どうし積もる話もあるでしょう。眞子さん達には私の組に入って貰う、いいわね」
「ちょ、ちょっと強引過ぎやしないかしら、雪村。確かに私も今の状況はおかしいと思うけれど・・・」
「なら協力してちょうだい。おかしいと思ったのなら尚更、ね。もし私が眞子さんの立場だったらそうするわ。早くこの気持ち悪さから解き離れたい、と」
「は、はいはい、分かった分かりました。本当に口が減らないんだから、もうっ。誰も協力しないなんて言って無いじゃない」
「そんなに怒らないでください、眞子ちゃん。雪村さんも悪気があって言ってる訳じゃないですし~」
「・・・だから分かってるって」
ぶつくさ文句を言いつつ、眞子さんは賛成してくれた。やはりこの人も人が良い部類だ。いきなり協力しろだなんて言われたら普通は少し渋るのだから。
そして各自準備を整える動きをする。私も軽く伸びをして、強張った体を解した。皆のリーダー役を買って出た所為か少しばかり疲れを感じていた。
本当、柄じゃ無い事をやっている。自分から言い出した事なのにね。思わず苦笑いするように唇の端を歪めた。皆の為に行動する―――私も人が良いのかもね。
「・・・ふっ。だからそれは私のキャラじゃないってのにね。それよりも・・・」
義之辺りが聞いたら笑いそうになる台詞だと思いながらも、私は先程ことりさんが発した発言を思い返す。毎日が繰り返されている気がする、そして毎晩
爆発音が響いて大騒ぎになる。そう話の途中で言っていた。
爆発音―――昨日相談された時もことりさんは、今回が初めてじゃ無い気がすると言っていた。私の記憶通りならば眞子さん達も特に驚く様子は見当たらな
かった。恐らくこれも毎日繰り返される日々で起きている事なのだろう。
何か匂うわね。私は単純に何かしらのキーワードが関係して、今回の件は起こっていると思っている。物事には何でもそうだが発端がある。発端があるから
結果が存在し、現象として行われている。
なら―――その発端を探し出してやろうじゃないか。私はそう固く決心して、窓の外を見る。生徒達が忙しそうにクリパの準備をするのが見えた。
ざわめく廊下。右往左往に人がごった返している。それを避けながらオレは売店を目指し歩いて行く。最後に飯を食ったのは・・・昼飯の時だったか。
あれからもう7時間は経っている。本来ならとっくに晩飯の時間帯。立て続けに色々な事が起きたから喰いそびれた。腹を抑えてなんとか腹の虫を治める。
あの後、学園長室に行きアイシアの姿を探したがもぬけの殻だった。しばらく学校内部を歩いたが影さえ見当たらないこの状況。頭が痛くなった。
「・・・なにやってるんだよ、あいつは」
少し目を離せば風の様にどこかへフラフラと歩いて行く。子供みたいだと思った。あちこちに好奇心を刺激され、興味が向く所へ吹っ飛んでいく。
あのタコ娘は人の話を聞いてねぇのかよっ、くそ。オレは一度戻ると言ったんだ。なのに待ってないでどこをほっつき歩いているんだが・・・・。
ここは自分達が居た世界じゃ無い。別な世界。もし、何らかのトラブルに巻き込まれても対処のしようがないかもしれないのだ。そこを理解しているのか。
「はいはいっ、並んだ並んだ!」
「おいっ、今お前押しただろ!」
「ざけんなっ! お前が押してきたんだろ」
「ほらほらっ、ケンカしなさんな。ちゃんと順番通りにお並び!」
餓えは人の余裕を無くす。それはこの人の波を見れば一目瞭然だった。お互いを押し退け合い、罵声を浴びせながら弁当やらパンの取り合いをしている。
くだらない。少し出てコンビニでも行けばいいのに。どうしても近場で済まそうとするから、こんなになるまで混雑してしまう。もしかして盲目なのか。
元々人ごみが嫌いなオレはいつもそうしていた。そこまでして美味い物に辿り着ける訳でもないからだ。コンビニの方がレパートリ―は豊富で楽しみ甲斐がある。
まぁ・・・・、結局オレもこの売店にお世話になっちまうんだけどよ。もしかしたらアイシアとすれ違う可能性もあるし、なんだかんだで売店の方が安く
食べ物を買える。背に腹は代えれないといったところだった。
「会ったら頭を掴んでブンブン振り回してやるぜ、アイシア・・・」
人嫌いの件が無くたってこんな所に飛びたくはないが・・・しょうがない。生きる為だ。いつだって生存競争は厳しい。ガキから大人までそれは変わらない。
虫だって生きる為に他の生物を欺く為にカモフラージュをしたり、毒液を持ってたりすっからな。オレは虫じゃないが食べ物を喰わないと死ぬ生き物。
無理矢理そう考えて、飛び込むように足を浮かす。ああ、なんでオレがこんなかったるい真似しなくちゃいけねぇんだよ、クソがっ。
「いい加減にしてよっ、白河さん!」
「・・・っと」
知った名前が出てきたので、浮き掛けた足がたたらを踏んでしまう。折角人の波の中に入れそうなタイミングだったのに、その機会を逃してしまった。
舌打ち一つして、その声の発せられた方を見る。一人の髪の長い女――――ななかが、女子数人に囲まれてやんややんや言われている姿が見えた。
別にオレとしては珍しくも無い光景だった。前の世界でもあんな光景は幾度なく見てきた。周りの連中は見て見ぬ振りを決めている。なんて薄情なのか。
「せっかくポイント稼ぎのイベントが起きてるのに―――もったいねぇ。もしかしてインポ野郎が多いのか、この学校は」
なんだかんだいって、ななかは皆の目を引く様な美人でもあり、まぁまぁの体付きをしている女だ。だからこそ勘違いする男も居るし女から嫉妬を買う。
こういう時こそ体を張って止めるようと思わないのか・・・・思わないんだろうな。女子を敵に回すと後であれこれ言われるのが目に見えているのだろう。
どれだけ意気地無しなんだよ、玉付いてんのか。ほとほと呆れ返る。それで普段からアイドルだなんだって騒いでるんだからよ。しょうもない。
「べ、別にそこまで言わなくても・・・」
「なによ、そこまでってっ。貴方ね、林君を弄んどいてその台詞は無いんじゃないかしら。どれだけ面の皮が厚いんだか・・・」
「弄んでなんか――――」
「嘘よ、色目使ってたじゃない。一体何様のつもりかしらっ」
益々ヒートアップする名前も知らぬ女子数人。ななかのウジウジした態度もまた腹が立つのだろう。分かるなぁ、その気持ち。普段からあちこち男の体
触りまくって、いざ責められるとその態度。オレだったら殴っているかもしれない。
それ程までに、オレは『こういう』ななかは嫌いな人種に入る。人の顔色ばかり窺って自分の意見を言えない。それなのに目立つ行動ばかりする女。あくま
でオレが好意を持っているななかはもうこんな姿を晒さない。こんな状況でも、体を震わせても、顔を上げて言い返す女になっている。
人の心を読まなくなり、本当に人と接する事が出来る様になったオレの世界のななか。この責められているななかとそのななかの差―――おそらくは自信
だろう。自分は自分と言える自信。これがオレの今、前に居るななかには無い。あくまで心を読んでからの行動しか出来ない。
確かにななかは美人だ。だが、それだけならオレは近付いたりしなかった。普通の人になろうと一生懸命だったななかだからこそ、オレは興味を持った。
だから、普通なら助ける場面だろうが・・・・オレは助けない。そんな事よりも今は飯の方が先決だ。オレの分とアイシアの分、両方を確保しなくちゃいけねぇ。
そう改めて考え、あの人の波に飛び込もうと決心し、思い踵を返そうと―――――した瞬間、そのななかと目が合ってしまった。
「よ、義之くんっ!」
「・・・こういう事が起きっからこんな所来たくなかったんだよ。くそ・・・・」
そう、人ごみも嫌だったがこういう事態になるのを最もオレは危篤していた。ごった返すほど人が溢れている所には、絶対と言っていいほど厄介事に巻き
込まれる事象が存在している。この場合はななかの件だ。
何故か彼女達の視線から逃れる様にオレの背中の方に立ち、半身を出して隠れた彼女。ややうっとおしく感じる。早速厄介事に巻き込まれる匂いがした。
ななかに言い寄っていた彼女達も、いきなり表れた第三者のオレに怪訝な顔付きをつくる。
「な、なによアンタっ。ちょっと、退きなさいよ!」
「よ、義之くん・・・」
「・・・あー・・・・」
首を捻ってポキポキ音を鳴らす。思わず欠伸が出そうになるのを我慢する。出来なかった。口を手で抑えて思いっきり欠伸をした。
どうやらまだ酒が抜け切っていないようだ、マジでだるい。そんな様子に彼女達は更に眉を跳ね上げて怒りを露わにする。舐められたと思ったのか。
心底どうでもいい。ななかが絡まれている事にしても、この女達が勝手にヒステリーを起こしているのも。早くこの状況から抜け出したかった。
「ちょ、ちょっとっ! ふざけてるのアンタっ、そうやって格好つけて白河さんを庇って――――」
「おら、隠れてねぇで前に出ろよ、ななか」
「―――え?」
「自分で撒いた種だ。見ての通り無事に実がなっている。ちゃんと収穫しろ」
呟き声を洩らしたななかのケツを蹴り上げて彼女達の前に出す。ひゃんっ、と悲鳴をあげてたたらを踏みながら前に出たななか。彼女達は茫然と口を開けた。
流れ的にオレが助けると思ったのだろうか。だが、知ったこっちゃねぇ。仲良く隅の方で喚き合ってろよ。ななかがそぉっと、オレの手を握ろうとする。弾いた。
「あ・・・」
「人に頼るなよ。アホが」
「え、あ―――――」
「自分の所為でこういう状況が生まれた。決して運が悪かったとか、他人が原因じゃない。お前がこんな状況になるようなきっかけを作った」
「あ、あのねっ、違うのよし――――」
「違わなくは無いだろう、ななか。好きでもない男の体を無遠慮に触り、笑顔を浮かべているお前・・・まるで商売女だな」
「なっ、しょ、しょうばい・・・・」
「ダチの忠告も無視してまでもお前は媚を売って来た。いつか痛い目を見る。恨まれる。いらないイザコザを生む。色々言われただろう。それなのに
止めなかった。そして、いざ自分に危機が迫るとこうやって他人に自分の責任の片棒を担がせようとする。結構卑劣なんだな、ななかは」
「・・・・!」
「オレは、てめぇの親でもなんでもねぇんだぞ。なんで自分で好んで取っている行動の責任を取ろうとしない? お前みたいなタイプは借金したのに
その金を返さないで、夜逃げする野郎の性格によく似てる。オレを巻き込むな、情けない面で人の顔を拝むな、ちゃんとそいつらに返事を返せよ」
ポケットに手を突っ込む。完全な拒否。ななかは泣きそうな顔になりながら頭を垂れる。その反応に、またもオレの心の中に苛立ちが募った。
前に進もうとしない、かといって後ろに引き下がるまでもない。ただ、そこに突っ立っているだけ。オレの嫌いな人種だ。改めてそう思う。
オレの世界のななかは頑張って前に進めた。という事はこのななかも前に進めると思う――――が、そこまで面倒を見るつもりはない。
「あーらら、振られちゃったね白河さん。いつもそうやって誰構わずひっ付くからそうなるのよ」
「・・・・ぐっ」
「ほらっ、涙なんか見せてぶりっ子ぶってないで・・・・何とか言いなさいよ!」
「あっ――――!」
ドンッ、と押されて壁にぶつかる。痛さと恐怖で体が震えていた。そんなななかに、彼女達は弱ったウザギを見つけた虎のような目を見せた。
どの世界でも弱いヤツを苛めるのは楽しい。喜悦心に浸れる。地球にいる殆どの人間はこういう奴等で構成されている、とオレは考えていた。
別にヤクザとかそういう人種に限らない。普通に学校や職場に行き、普通に生活をして、普通に家に帰る。どこにでもいる普通の人達。
そんな『普通』のヤツらも皮一枚剥がせば――――まぁ、こんな風な腹を見せる。むしろヤクザより性質が悪い。自分は良い人間だと思い込んでいるからな。
「自分でなんとかしろよ。ななか」
こちらをまだ情けない目で見ていたので、そう突き返す。今度こそオレから目を外し、視線を下に向けた。もしかして、終わるまでああしているのか。
反抗しないといつまで経っても終わらないというのに・・・・ま、いいや。今度こそオレは売店の方に足を向ける。余計な時間を喰っちまった。
早く飯を手に入れようと視線を動かし――――天を仰いだ。先程までのざわめきが収まっていた。オレは足取り重くおばちゃんの所に歩いて行く。
「おばちゃん」
「ん、なんだい」
「トマトしか挟まれてないパンとか、ただの食パンしか置いてないように見えるんだけど」
「もう殆ど売れ切れちまったよ。そろそろ店締める時間だね」
「肉がある料理―――とまでは言わない。もう少し派手なのは無いのか」
「最近の子は派手好きでねぇ、一番人気なのさ。女と同じで派手な方から売れていく。そして制限時間は店を開けてから20分以内」
「・・・・」
「意味、分かるだろ?」
くそったれ・・・。うなだれているオレにおばちゃんは豪快に笑いながら、奥へ引っ込んでいった。そして取り残される自分。虚脱感が身を包んだ。
はっきり言ってしまえば今のオレはかなり腹が減っている。元々よく食べる方なので、更にその空腹感は凄まじいものがある。コメカミを抑えて息を吐いた。
やはりコンビニで済ますしかないのか、くそっ。贅沢は出来ない状況だってのに・・・・。地元のパン屋とか探して―――ダメだ、そんなものはない。
「・・・どうするか。オレだけじゃなくて、アイシアの事も考えなくちゃいけねぇ。どうにかして腹満たせるぐらいの食糧を・・・・」
腰に手を当て、頭を垂れる。コンビニに腹満たせるぐらい買ったらあっという間に金銭は半分になる。それは上手く無い―――が、背に腹は代えられない。
やはりコンビニで済ませるしかないか。飲食店は使えない。初音島のマトモな飲み食い出来る店の、料理の値段がこれまた高い。学生なら二の足を踏む程だ。
普通なら田舎だから安い、と考えるかもしれないが逆だ。田舎ほど高い。需要と供給が一致していないからだ。喫茶店ならそこまではいかないけどよ・・・。
とりあえずアイシアの姿を探して――――そう思い視線を巡らせると、良い物が目に入った。カツ弁当に色鮮やかなサンドイッチ。
さっきの女子数人がそれらを手に持っている。とっくに昼飯買っていたのか。そりゃそうか、でないと昼食喰いそびれるしな。
「だから白河さん、謝ってちょうだい」
「・・・・・えぇと」
「はっきりしないわね。いい加減に――――」
「おい、それ貰うぞ」
「え――――」
女共の手から袋を掻っ攫う。唖然としてロクに反応出来ない。ななかも顔をはっと上げ、オレを見る。それを無視して早速中身を見てみた。
カツ弁にサンドイッチ各種、おっと、焼き肉もある。中々にして豪華だ。ちょうど肉食いたかったんだよ。やっぱり肉を喰わないと力は出ない。
それにサンドイッチならアイシアも食べれる。スモ―ブロー(オープンサンドイッチ)みたいに洒落てはいないが、まぁ、食材は一緒だし大丈夫だべ。
「ちょ、ちょっとアンタっ!」
「あ?」
「何人のモノ盗ってるのよ、返しなさい!」
「・・・んー・・・・」
「何黙ってるのっ、いいからそれを――――」
「思えばお前らが悪いのか。これって」
「・・・・・は?」
そもそもこいつらがななかに絡まなければ、オレは無事食料を確保出来た。それなのにこいつらがツマラナイ事でぎゃーぎゃー騒いでたから、こうして
オレは強盗紛いの事をしている。
強盗の罪はどの国でも重い刑罰が課せられ、卑下される。人のモノを盗るという事はそれほどまでに罪な事で―――みっともない事だ。しかし、そうしない
といけない状況にオレは立たされていた。段々腹が立ってきな、おい。
「好きな男が、かの有名な白河ななかに告白して―――振られた。立つ瀬なんて無いよなぁ、お前ら? どうせずっと遠い所できゃーきゃー騒いでた
だけなんだろ。告白もする勇気も無ければ近付く勇気さえ無い。出来る事と言えばこうやってネチネチと気の弱い女を苛めてるだけ。クソだな」
「なっ――――」
「それに毎日こんな高カロリーなモンばっか食ってるとブタになるぞ。女は暇さえあれば物を食うし悪口を言い合う。最近じゃ成人病に掛かる女が
増えてきたって話だ。そういえばお前らも掛かってるように見えるな、成人病に」
「なんですってっ!?」
「よくテレビで食材の所為にしてるが、本当は違う。時代が進んで女共の面の皮が厚くなっただけなんだよ。スイーツがどうのこうのと言って何でも
口に入れやがる。しかし、その事を指摘して報道すると今度は女性団体から差別だと騒がれてこれまた面倒な事になる。頭悪いよな、本当」
「よ、義之くん・・・」
「だからこれはオレが有効活用して食ってやるよ。ありがたく思え、何せお前らみたいなカスが人の為に役立つんだからな」
「ふ、ふざけないでよっ、このっ!」
飛んでくる平手。なんて緩慢な動作。一歩後ろに下がり、それをやり過ごす。頭に血が上っている奴が取る行動なんて腐るほど見てきた。
躱されると思っていなかったのか、平手が空を切ってせいでたたらを踏んで体制を崩す相手―――その横っ腹を蹴り上げる。カエルが潰れた様な声が漏れた。
「なっ・・・」
「ちょ、ちょっとっ!」
「キャ――――」
「騒ぐな、うっとおしい、ブン殴るぞ」
「――――――ッ!」
悲鳴を上げそうになった女が居たので、睨みを利かせ、声を低くした。空気もガラッと変えてこの場にいる人間が委縮するような雰囲気を醸し出した。
もう慣れた行為。大概のヤツはこれで怯んで、体がぎこちなくなって、本来の力が出せず殴られてくれる。ヤクザが使う手法。自分で覚えたものだった。
オレは地面に伏している女の髪を掴み上げ、無理矢理視線を合わせた。怯えと恐怖に染まりきっている。掴んでいる手に、更に力を加えた。
「いぎっ――――」
「オレはななかみたいなタイプは嫌いだが―――お前らみたいに『頭の悪い』女も嫌いだ。いかにも自分達が正しい行為をしていると勘違いして
他人を貶す。本当は自分が面白くないからこんな事をしでかしてんのに、出る言葉といえば正義ぶった偽善的な言葉。このまま頭カチ割ってや
ろうか? きっと面白い事になるぞ、おい」
「い、いや・・・やめて・・・」
「さっきまでの威勢はどうした、ああ? オレは間違った事をしてるんだぞ? 女の物を強奪して挙句の果てには蹴り飛ばしてる。ななかに言った
みたいに正論を言ってみろよ」
「ご、ごめ――――」
「謝るか。そうか、自分が悪い事をしたって認めるんだな。よかった、じゃあオレは逆に『良い事』をしている事になる」
「え・・・」
「なら――――遠慮はいらないよな、おい」
そのまま廊下の地面に勢いよく顔面を叩き付けた。ゴッ、という鈍い音。周りの女共が悲鳴を上げようとして、上げられない。さっきのオレの言葉があるからだ。
脅しじゃなくて、この男は実際にやる。そう思っているに違いない。ま、間違って無いんだけどな。オレはやるといったらやる男だ。遠慮なんて言葉は無い。
そして、さっき言った言葉は嘘では無い。本当にオレはこういう奴らが殺したい程嫌いだ。美夏を貶めた連中も似た様な奴ら。クズはクズでやはり似ている。
「大体そうやって人数連れて来ないと何も出来ないのが癪に障るんだよ、アホ。言いたい事があるんなら一人で来いよ。情けねぇ」
「・・・・よしゆき、くん」
「じゃあこの弁当は貰って行くぞ。授業料代わりだ」
ななかの声を無視してオレは立ちあがった。助けたなんて思われては腹が立つからだ。倒れて悶絶している女の取り巻き連中はもういない。
まぁ、こいつらの『仲がいい友達』なんてこんなもんか。いざとなったら平気で見捨てて、逃げる。腐るほどそういう人間はいた。珍しくも無い。
都合のいい時だけ調子の良い言葉を吐いて善人ぶる―――偽善者。こいつを見て、はたと思い出す。そういえば美夏はこの時代でも悪質な苛めを受けている。
第一優先はアイシアだが・・・ちょっと寄り道して様子を見ていくか。どうせアテも無いし良いだろう。そろそろ何処かに腰を落ち着けたい。
「こらぁ~~~~~っ! なんの騒ぎだぁぁああっ!?」
「やべっ、まゆきの声かこれ。早く行かねぇと」
「え、あ、義之くんっ!」
「やるならやるで徹底的にやれよ、ななか。中途半端にやるからこうしてお前は絡まれた。男なんて抱かれればこういう時に守ってくれるぜ? 女は楽だよな」
「なっ―――――」
「まぁ、なんでもいいけどよ。処女は大切にしとけ」
女の初体験は物凄く痛いらしいしな。そんな痛みを伴ってるのに、好きでもない男とやっちまったら一生後悔する。昨今は性の乱れが激しいから尚更だ。
顔を赤くしてまた手をこちらに伸ばしてきた―――ケツを蹴り上げる。悲鳴を上げてお尻を抑える彼女を置いて、オレは走り出した。呼び止められたがガン無視。
アイシアに騒ぎを起こすなと言われ約束したが、まぁ、いいか。あいつもオレの約束を破ったし。ほんとう、お互い嘘つき同士で困っちまうわ。
「・・・ほぉー・・・・」
ちょうど昼休みの時間帯だったらしい。人が所狭しと駆けたり歩いていたりしている。その中を私はひょいひょい歩く。小柄な体が幸いした。
どうやら別世界でも、学校の内部は変わらないみたい。義之とこっちに来る前に見た建物の内部と酷似していた。細かい部分では違うのだろうが見た目は同じ。
歎息を吐きながらきょろきょろと視線を忙しなく動かす。いくら魔法使いの私といえども、こんな経験は滅多にない。別世界なんて漫画の中の出来事だった。
「う~ん・・・。あんまり代わり映えしない風景だなぁ」
一度通った道だからなんとなくは覚えてはいた。義之と学園長室に行く途中もきょろきょろしていたからだ。それに一度は在学していた身。既視感がある。
よくあの頃は学校中を走り回ったものだ。皆を幸せにしたいという願いで走り回り、環の巫女部の手伝いもした。何でもいい。とにかく人の助けになりたいと。
バイタリティだけはあったから、疲れる様子も見せず連日に渡って積極的に動いた。そして結果――――今の私がある。人生、本当にままならない。
『みんなを幸せにしたい。良い夢だとオレは思う。けど、夢しか見えていないのはどうなんだろうな』
義之に当時の私の話をした時に貰った言葉。夢しか見えていない。当時の私はとても視野が狭かった。だから目の前の事に囚われ過ぎて、無残な結果に終わった。
今の私が受けているもの。皆から存在を忘れられていくという罰。選択をしたのは自分だったが、時々思う。そろそろ許されてもいいんじゃないか、と。
傲慢。そう言われても仕方が無いのか。よく分からない。自分事だけれどそう思う。思考のスパイラル。いつも答えの無い様な疑問を考えている。
義之にその事を聞いてみようと思った。聞けなかった。聞けば多分納得がいく返事が返ってくると思ったから。この答えは結局自分を出すしかない。
考えてみると私達の最終目的地は――――過去。そう考えると、心が波立つ。当時の彼女達に会う事もあるだろう、高い確率でだ。
その時、私は一体何を思うのか―――――。
「・・・・まぁ、今はそんな場合じゃないですね。早く義之の姿を探さないと」
がぶりを振って歩く速度を速める。大体こんな事を考える様になったのも、彼が一因を握っている。初めてだった。私を『認識』出来る人間なんて。
それからよく考える様になった。彼はいつも言っている。常に何か考える癖をつけとかないと馬鹿になるぞ、と。そして私は自身の境遇を何回も省みていた。
まぁ、『幸せ』とは言い辛い人生だが、程々には気を抜いて生きている。前まで張りつめていたものが弛んで来ていた。良い傾向か悪い傾向かは分からない。
ただ、よく笑うなお前と彼に言われるようになった。笑う。嬉しさを感じた時に出る感情の表現。嬉しいと思える出来事が増えたのは、いい事だとは思った。
「それにしても、相変わらず付属校の方は人が多いですねぇ・・・」
知らない内に足が付属校方面の所に来ていた。談笑するクラスメイト、付き合っているのか仲良さそうに話をするカップル、お弁当を歩きながら食べている人。
誰もが付属校から本校に行く訳ではない。そこからまた別な道に進学する子も多い。だから必然的に付属校の生徒数が多いと言う訳だ。今も昔もそれは変わらず。
だが私が居た頃より生徒数は段違いに多い。毎日が大騒ぎで楽しそうだ、と義之に言った。彼は言う。人が多い所にはロクでもない人間も多くなると。
聞いた話では彼のカキタレ―――んんっ、お友達の天枷美夏さんはロボットだという事でかなり陰湿なイジメを受けていたと言う。ほぼ全生徒に、だ。
憤慨する私。それに対して義之は私の肩をポンと叩き、『安心しろ。目立った奴は大体半殺しにしたから』と言った。ポコッと彼の頭を殴る。
そしてお返しとばかりに私はスカーフを掴まれ、振り回された。悲痛な声と悪魔の様な笑い声。そんな私達を怪訝な目で通行人が見ていたのを思い出す。
「いつか絶対私のスカーフ破れますって・・・もうっ。まぁ、そんな事になったら弁償して貰うとして―――――」
クゥ~、とお腹の虫が鳴る。思わず左右上下見渡すが、その音を聞いた者は居ないようだ。ほっと安緒し、お腹を擦る。起きた時から感じていた空腹感。もう
限界まで近付いているらしい。
うぅ、そういえば朝から何も食べてないんでしたっけ・・・。貧しい生活だから細々とした食事。すぐにお腹は減る。大体のお金は旅の旅金に消えていくので
贅沢は敵だった。正義の魔法使いもどきも楽な仕事では無い。
そうして今度は購買か、食堂を探す。何でもいいから物をお腹に入れたい。特に好き嫌いは無いので何でもござれだ。アフリカに行った時には芋虫もどきも
食べた事がある。あれは美味しい事は美味しいのだが、食感が最悪だ。中から液体が飛び出た時は悲鳴を上げたっけ。
「・・・うっぷ。ふ、普通が一番ですよね・・・うん」
腹から何かがせりあげて来るような感覚。それを無視して歩き周り、見つけた。食堂。ちょうどピーク時なのか人が蟻の様に混雑し合っていた。
自分が在学していた時も食堂は混んでいたが、その時よりも更に多い人の数。この学校の生徒じゃ無い私は思わず体が竦んでしまう光景。だが、空腹だ。
気を取り直し、人の波の中に揉まれようとして――――ハタと、気付いた。ぴょんぴょんジャンプしてみる。無音。涙が出そうだった。
「お、お、お金持ってませんでした、ね・・・」
一瞬、魔法でどうとでもなるんじゃないかと考え、中断。昔さくらに魔法はポンポン使うものでは無いと言われた。今でもその決まりごとは私の中にある。
でも緊急事態だし・・・・うぅ・・・。どうしようかと考え、重い溜息を吐きながら周りをついと見回すと――――違和感を感じた。
「・・・あれ?」
喧騒が無い。これだけの人数が食堂に居るのにどこか、おごそかな空気が流れている。皆同じテーブルに座った人とひそひそと何か内緒話をしているみたいだ。
自分の知っている食堂とは、もっと賑やかで笑顔が溢れる場所だった筈。それなのにこの空気―――嫌な感じがした。負の空気。暗い感情が飛び交っている。
身が強張ったのが分かった。長い事生きてきたが、どうしてもこの感じには慣れない。みんなの視線の先を見る。ポツンと避けられた様な場所。
「あれは――――」
天枷美夏ちゃん、朝倉由夢ちゃん・・・だったか。前に義之に教えて貰った名前だ。美夏ちゃんはロボットだという事を教わり、由夢ちゃんは音夢に似ていた
から私から聞いた人物だった。その二人が周りから孤立するように食事をしていた。
二人は周りの言葉が聞こえて無い様に黙って箸を進めているが、それが返って意識している事を示していた。よくある苛めがある時に見られる光景。その光景
が目の前に展開されていた。
一体、どうして・・・・。
「ねぇねぇ、知ってる? 病院の人から聞いたんだけど・・・」
「看板の下敷きになっても、ピンピンしてたらしいぜ」
「人間じゃねーんだってよ・・・」
そんな声が耳に入ってくる。言葉の色合い―――侮蔑、差別、嘲笑。 嫌いな感情の色だった。黒に近い群青色の感情。それらが美夏ちゃんに向けられている。
ロボット――――確かにロボットは卑下されている存在だ。特に日本という、ある意味閉じられた国では顕著にそれが表れている。珍しい事ではなかった。
人と違うモノを持っている人は差別される。日本は外国みたいに多民族では無い。風見学園はまだおおらかな方だが、それでもロボットに対する認識はこんな
物だった。世の中のロボットの認識、殆どが愛玩用の『物』と思われている。
日本は好きな国だが、そういう所は私は好きになれなかった。何も悪い事はしていないのに、ただそこにいるだけ害悪的な扱いをされる。理解できない。
天枷美夏ちゃん。義之の話によく出てくる女の子で、実際に私も遠巻きに見た事があった。第一印象は活発そうな女の子。とてもロボットには見えなかった。
笑顔がとても可愛い少女で、誰よりも生きるのが楽しそうに見えた本当に可愛らしい女の子。しかし、その笑顔は、今はまるで『機械』の様に無表情だ。
「―――――――ッ!」
さすがに我慢の限界だったのか、箸を勢いよく机に叩きつける由夢ちゃん。胆力のある子だと思う。この雰囲気で、真向に逆らう様に立ち上がろうとした。
義之の妹的存在だけはある。目は物怖じせず、気概がある強い目をしていた。ふざけるな、舐めるなといった反発心が見え隠れしている。
しかし、その行動は一緒のテーブルに座っていた美夏ちゃんに止められる。
「気にするな。ただの雑音だ」
「で、でも・・・!」
そう言い切り、手にしていたバナナを再度口に放り込む。由夢ちゃんは行き場の無くなった感情の出口を失い、浮き掛けた腰が所在無さ気だった。
そうして話をしていると、三人の女子学生が近付いてきた。顔は何が楽しいのか、ニヤニヤとした笑みが携えられている。
「ねぇねぇ、ちょっと」
「あなた、ロボットなんだって?」
「これ作り物なのー?」
無遠慮な言葉が投げ掛けられる。そのあまりにも酷い言葉の投げ掛けに、私の頭は白熱したように熱くなった。言い様の無い物が腹の底から昇り上がってくる。
握りしめられる手。眼に力を入れ過ぎて眉が歪められているのが分かる。これらを何とか弛めるのに、なんとか努力をしようとする。息を吐く。音が揺れていた。
馬鹿な行動は止した方がいい。ここで私が出張っても何も良い事は無い。元々目立つ様な行動は控えるべきなのだ、義之と私はそう結論付けたじゃないか。
「だったらマジびっくりなんだけどさぁ」
「わっかんないもんだよねぇ」
「――――ッ! いきなり失礼じゃないですかっ! 根も葉もない言い掛かりをつけて、恥ずかしくないんですか!」
「由夢・・・」
激昂。私が逡巡している間に、由夢ちゃんの方が堪忍袋の緒が切れた。勢いよくテーブルに手を叩きつけて今度こそ立ち上がる。
美夏ちゃんはそんな彼女を茫然とした顔付きで見詰める。まさか、この局面で庇ってくれるとは思っていなかったのか。そんな呟き声を洩らした。
あまりの怒りに、由夢ちゃんの体はプルプルと震えている。人の悪意を跳ね除けようとしている。強い子だった。迷っていた私と違って・・・。
「なら、聞くけどっ、その子ロボットじゃない訳?」
「はっきりとさせて欲しいんだけど」
「なんか気味悪いよねぇ、ロボットが学校に居るなんて・・・」
「おかしいよね」
侮蔑にも似た言葉を吐く彼女達。いや、彼女達だけではない。それに似た囁き声が辺りから絶え間なく聞こえてくる。ひそひそと、美夏ちゃんを見ながら。
由夢ちゃんはその光景に、ギリッと様に歯を噛み砕かんばかりに音を立てている。だが、どうしたらいいのか分からないのかそのまま立ち尽すばかり。
ここに居る生徒達。皆が言っている。お前がいるのはおかしいと。
由夢ちゃんはそんな事はないと言っている。美夏ちゃんがいるのは『普通』の事だと主張する。
だが、通らない。ここでその理屈をかざすにはあまりにも弱々しかった。
そんなある意味人間らしい感情が支配される場。誰もが美夏ちゃん達の味方は居ない様に思え―――――足が動いた者が居た。
「ちょ、ちょっと! なんて事言うんですか、貴方達はっ!」
「え?」
「あ」
呟き声。漏らしたのは自分だった。彼女達の前に出て、指を突き出す様に前に掲げていた。思わず他人事のように受け止めてしまう。
殆ど無意識。考えてやった行動ではなかった。怒りと悲しみ。心に沈殿していたものが解き放たれた様な感じを覚えたのは確か。
気付いたら庇う様に彼女達の視線の前に立ちはだかる自分。困惑した眼が、美夏ちゃん達と苛めていた彼女達から浴びせられる。
「なによ、アンタ」
「う・・・」
「誰、このちびっちゃい女。知ってる?」
「しらないーい」
「そ、そんな事はどうでもいいんですよ!」
やばい。ここの生徒ではないとバレたらどうなるか分かったものではない。風見学園は外国の生徒もいるので、まだ不審がられているだけで済んで
いるが長い事ここにいると、どうなるか・・・・。
だがもう私は前に出てしまっている。後ろに引くつもりなんて無い。正義の魔法使いもどき。正義の定義は色々とあるが、少なくともこうして前に
出た事を間違いだとは認めたく無かった。
「こんな人を貶める様な、馬鹿にした、小学生みたいなイジメなをして自分が恥ずかしくないんですかっ!?」
「だって人じゃないし、ね。大体アンタには関係無いじゃない」
「関係あるとか無いとか、そんな問題じゃないですっ。目の前で人が苛めにあってるんですよ、助けるのが『普通』じゃないですか」
「だから人じゃ――――」
「人じゃなきゃ何やっても許される。とても甘やかされて育ってきたんですね、あなたは」
「なっ―――」
ちゃんと常識を教え、良識を育てる親。普通の事だ。だがそんな普通の事を教えない親が最近増えているのをニュースで知っている。これは分かりやすい例
だ。他人がどうなったって構わない。自分以外どうなったっていい。そんな感性を持った最近の子供。徐々に、確実に増え続けている。
義之もそんな感じに見受けられるが・・・『アレ』は別格だ。比べるのさえおこがましい。彼の場合は苛めなんてしない。当然だった。弱者が弱者を攻撃
するのが苛め。『強者』側の彼はそんな事をする必要は無い。自分の誇りがあるからだった。
誇り―――そんなものをこの子達は持っていない。持っていないから、こんな自分を貶める様な行動に疑問を持たない。余裕が無い証拠だ。自分というモノ
に不確かなものを感じるから他者を攻撃する事で、安心感を得る。
「何が楽しいのか、そんな風に頭の悪い言葉を吐いてニヤニヤ笑って・・・。とても心が貧しいと思います」
「ふ、ふざけた事抜かさないでよ、このっ!」
「心が貧しいといえば、最近カウンセリングを受け持つ病院が増えたみたいですね。精神科、現代の子はとても精神が危ういと聞きます。貴方達も一回
診察を受けてみたらどうです? お薬を何回か飲めばとても『らしい』、真っ当な可愛い女の子になれますよ」
「――――――ッ!」
意味――あなたはとても心が貧しく、真っ当では無い醜悪な女の子です。言外にそう言ったが、どうやら意味は通じるらしい。顔が朱色に染まり眉を
跳ね上げて怒りを醸し出している。
義之に教わった相手を貶めるやり方。その時は受け流して聞いていたが、まさかこんな場面で役に立つとは思わなかった。私は口があまり上手では無い
から助かった。こうして怒らせて、美夏ちゃん達から注意を背け、私がこの子達の相手をする。
大体言いたい事は山ほどある。義之みたいな『力』を持っていないが、それでも言わずにはいられない。だってこんな事、間違ってるから。こんな純真
そうな子が虐げられるのは間違っている。
義之が大事だと思っている子。という事は『真っ当な人』なんだろう。彼は意外にそういう所は潔癖症だ。汚い者には容赦しない。
私も真っ当な人は大好きだ。少なくとも――――こんな子達よりはなん百倍も・・・・。
「貴方達みたいな子は、いざ自分が苛められると理不尽だ、なんで自分がと騒ぎたてるタイプ。もう一度聞きますけど恥ずかしく無いんですか?
まるで鬼の首を取ったかのように、他人と違う要素を持っている人にがなり立てる。汚い言葉を吐く。客観的に自分が見れない」
「・・・・ッ!」
「大体――――」
「さ、さっきから人、人って・・・うるさいのよっ!」
「あ・・・っ!」
「ソレは人じゃなくて『物』でしょうがっ! 偉そうに説教なんかしないでよ!」
そう叫ばれ、突き飛ばされる。貧弱な私の体。その慣性のままテーブルの上を撒き散らしながら大きな音を立てて倒れ伏せる。美夏ちゃんが慌てて
こちらに駆け寄ってくる。なんていい子なのだろうか。そんな事をしたらまた標的にされるのに。
しかし、まずったなと思う。やりすぎた。ここまで激情させたらこうなると分かっていた筈なのに。だがまだ甘い方だ。美夏ちゃんが言われた事に
比べればなんて事は無い。立ち上がろうとして、顔をしかめる。
突き飛ばされた時に足を打った様だ。軽い捻挫みたいなもの。無理に立ち上がろうとするが上手くいかない。そんな私を彼女達はせせら笑う様に
見ている。なんて意地の悪い眼だ。義之も時々意地悪な事をするが、あんな下卑た笑いはしない。
「―――はは、いいざまねぇ、ほんと。下級生の癖にそうやって格好つけるからそうなるのよ」
「うわっ、だっさ」
「あははは。もしかしてそのロボットの仲間? うわぁ、引くわ~」
「ぐっ・・・・」
「お、おい大丈夫か、お前。美夏の事なんか放っておいていいのになんて馬鹿な・・・」
「そんな事を、見過ごせない性格なもんで・・・はは。自分でもどうしようもないんですよ、はい」
「・・・お前」
「大体どこの誰なんだかねぇ。こんなダサいスカーフなんか巻いちゃって」
「あ――――」
その女の子の手に握られている物。私が亡きおばあちゃんから貰ったものだった。形見といえる代物。それが今、薄笑いを浮かべた女の子の手の中にある。
恐らく寝ている時に弛んだのだろう。そして彼女に突き飛ばされて、そのひずみで解けてしまった。取り返さなくては―――視野が急激に狭まったのが分かった。
弾けた様に駆けだす。そのスカーフ目掛けて。女の子は驚いたような顔付きになり、すっと避けた。それだけで十分。怪我した私は空を切る様に倒れ込んだ。
また嘲笑うような声が頭上から落ちて来る。キッと睨むが、薄く息を吐き返されただけで何も効果は無い。また私はヨロヨロと立ち上がり、駆け出す。
「こっ、の――――」
「おっと」
「あ・・・くっ!」
「ほらほら、こっちだよ。取れるモノなら取ってみなさいよ、きゃはは」
楽しそうにスカーフを他の友達に投げ渡し、更に顔を綻ばせて悦に入る女の子。その投げ渡された女の子に頑張って歩き出すが、到達する前に他の
女の子にまた投げ渡される。
まるでドッチボール。だが目的は私にそのボールに触れさせないだけ。そんな遊びが展開された。周囲の人はそれを見て見ぬフリ―――いや、違った。
楽しそうに見ている。その悪意の空気が周りに伝染し、囃し立てる者まで現れた。
「うわぁ、まるで私達苛めしてるみたいじゃない?」
「いいのよ。どうせコイツもロボットなんだからさ。感情なんて無いし別にいいじゃん」
「ほらー頑張れよ銀髪。もっとしゃきしゃき動けってー」
「くぅ・・・」
泣きそうになる。歯を食いしばって耐えた。涙なんて見せても何も起きない。ただこの人達を喜ばせるだけ。だから私は代わりに頑張って足を動かした。
自分で好き好んで行動して、こんな状況になったのだ。そんなんで泣き事なんか言っていられない。泣くと言う事は『負ける』事だ。こんな人達に。
それは許せない。自分が許せない。美夏ちゃんにあんな表情をさせたこの人達には、負けたくない。もう、そんな意地しか残っていなかった。
「ほら、そんな亀みたいに動いてないで――――」
「や、やめろっ!」
「ん―――あっ!」
「み、美夏ちゃん・・・」
よしてくれ―――美夏ちゃんがスカーフを持っている女の子の腕にしがみついた。もつれるように忙しなく動き回る二人。必死な顔だ。感情が無いなんて
言った人は謝ればいいのにと思う。
こんなしゃしゃり出てきて自業自得の私を助けようと、こんな不利の状況の中に飛び込んできてくれる。いくら美夏ちゃんの為だといっても勝手に私がした
行動なのに。感謝してもしきれないが――――逆に申し訳なく思ってしまう。
助ける方が逆に助けられている。ここで初めて自分が情けなく感じた。正義の魔法使い、もどきな私。満足にひと一人も助けられないのか。情けなくもあり
腹立たしくもあった。言い様のない口惜しさが込み上げてくる。悔しさの余りに痛みが無くなり、拳が無意識的に握られた。
「このっ、あっちに行ってなさいよ! ロボットの癖に、人間に逆らったら廃棄処分送りになるわよっ!?」
「うるさい知った事かっ! いいからそれを返せっ、美夏はともかくこんな無関係な人まで――――ーっ!」
「いい加減に、しなさいよっ!」
「ぐっ!」
無理矢理剥がされ、その勢いで後方に払われた美夏ちゃん。食堂の地面を埃を上げながら滑っていく。地に打ち付けられた痛みに顔を歪ませていた。
こんな状況になっても、誰も手を差し伸べようとはしなかった。変わらず好奇の視線を浴びせ、まるでお祭りが起きたかのように言葉を張り上げる生徒達。
お祭り―――ふざけるな。ただ弱い者をよってたかって攻撃してるだけじゃないか。恥ずかしくないのか、何も感じないのか、心は痛まないのか。
声を大にして言いたい。怒りのあまりに今度は目の前に靄が掛かる。舌が痺れそうになった。目尻がヒクつき、涙が今にも零れそうだった。
「く、この――――あっ」
「うわっ、すげぇっ! まるで人間みたいな手だぜ」
「嘘だろっ? 中身機械なんだぜ、すっげぇなーおい」
「――――ッ! や、やめなさい、あなた達っ!」
「い、いいから・・・由夢」
野次馬根性なのか。地に倒れ臥した美夏ちゃんの手を握って騒ぎたてる男子生徒。顔は実に楽しそうだった。まるで子供みたいに無垢な眼。
倒れた美夏ちゃんを起こそうとした由夢ちゃんがその手を払い、キッと睨む。その迫力に思わず腰が及んだ男子生徒だったが、すぐに体制を整える。
そして言い返した―――美夏ちゃんに向かって。由夢ちゃんの気迫にでも押されのか。情けない。そう思い立ち上がろうとして――――眼を見開いた。
「な、なんだよ。別にいいじゃねーか。ロボットなんだし。もしかして怒ったのか?」
「ばーか。ロボットが泣いたり笑ったりしたら気味が悪いだろうが。人間じゃあるまいし」
「そうそう。人間の命令通りにただ動いてりゃいいんだよ」
「そうだよなぁ、あっはっはっは」
「――――ッ! いい加減にしてっ!」
その激昂した声に若干怯んだ様子を見せる男の子達。
だが、次の瞬間にはまたニヤニヤした笑いを浮かべている。
ああ、そんな言葉を吐いてはいけないのに。
「大体ロボットなんて――――」
そう言い掛け、ドンと後ろに立っている『彼』とぶつかった。
顔をしかめて後ろを振り返る。そして、そのぶつかった彼と眼が合う。
爽やかな笑みを浮かべている彼。そんな彼に男子生徒は怪訝な顔付きになる。
「よぉ」
「は?」
そして次の瞬間――――耳をつんざくような悲鳴が食堂に響き渡った。そう、お祭りは終わった。彼が終わらせたのだ。その手で・・・。
「ぎ――――ぃぁあぁあああああぁあーーーっ!」
「何慣れ慣れしく手なんか触ってんだよ。てめぇみたいな雑魚が気安く触って良い女じゃねぇんだぞ、分かってんのか、ああ?」
そう言って頬に突き差しているフォークをぐりぐりと捻じり込むようにひねった。そのあまりにの激痛に身動きできない男の子。そこに膝蹴りを喰らわせた。
だが頬にフォークが突き刺さっている以上、身を曲げる事させ出来ない彼。口からは大量の出血。眼からは限り無い涙。周囲の人達は絶句していた。
誰もがその『異常』な光景を目にして言葉さえ口を出ない。そんな周囲の様子に構わず、彼は酷く平坦な顔で更にフォークを深くまで突き差し、反対の頬に。
「まぁ、確かに人は泣いたり笑ったりする生き物だ。唯一感情があると言っても良い――――って勘違いする奴がよく居る。知ったか程うざいのはいないよな?」
「が、が・・・・ぅ・・あ」
「他の動物だって感情はある。犬や猫。果てはカメレオンだってな。感情の無い生き物なんて虫ぐらいだ」
「お、おいっ! 何やってるんだよ」
「勿論。お前にだって感情はあるし、人間らしい『心』を持っている―――筈なんだけれどよ、本当にあるのか、お前にそんな高等なもんが。ええ?」
「ひ・・・・ぐ・・・ぅ・・」
「オレも中々に悪人の類に入る人間だが、最低限の良識や常識はもっている。まぁ、活用する機会は殆ど無いけどな。しかし、お前達は持ってさえいない様に思える」
「いい加減にし―――――」
「オレの『人』の定義はそう言ったモノを持ち合わせている奴を指す。それ以外の人間『もどき』にはオレは酷く残酷に、冷徹になれる」
「・・・・・ぁ」
「ん? どれだけ残酷か気になるか? そうだなぁ、最近のオレは優しいとかよく言われるし――――うーん、とりあえずこれくらいか」
その男の子の友達の忠告、許しを請う様に潤んだ目、それらをすべて跳ね除け彼――――義之はそのフォークを思いっきり手前に寄せた。
ブチブチと裂ける肉の音。口が裂かれた音だった。悲鳴にならない悲鳴を上げ悶絶する男の子。それを見て義之は汚い物を見るかのように鼻をならした。
血だらけのフォークをカランと捨て去る。その音だけで、この食堂を戦慄の感情が包み込んだ。誰も動けない。恐怖―――それによって縛り付けられていた。
「・・・・・ぁ! ぅ・・・・ぁあ!」
「よかったな。次からはもっとお喋り出来る大きな口になった。感謝は要らない。最近のオレは優しい、からな?」
「さ、さくら・・・い」
「相変わらずつまんねぇ事に巻き込まれてるな、美夏。まぁ、後で相手してやっから待ってろ。由夢、頼んだぞ」
「・・・・え、あぁ・・はい」
茫然とした声を発する美夏ちゃん。由夢ちゃんもそれは同じで目を見開いたまま反射的に頷いただけだ。そうして何でもないように歩き出す義之。
足の行く先。女の子。さっきまで私のスカーフをまるでキャッチボールみたいに弄んでた女の子だ。義之と目が合い、恐怖に染まる。体がガクガクと震えていた。
そんな彼女とは対照的にとてもフランクな様子を見せる義之。それが返って恐ろしい。今、この場で、その雰囲気は一番そぐわないものだった。
「よう」
「・・・あ・・・あ・・・」
「中々可愛らしいスカーフを持ってるな。全くもってアンタの顔に似合いそうも無いものだが――――どうしたんだ、それ」
「え、あ、こ、これは・・・その・・・」
「生地もいいのを使っているし、何より品がある。いいモンだな、それ」
「・・・・・え、と・・・・」
「返してもらっていいかな? それはとても大事な人の物なんだ」
「―――――ッ!」
「アンタがそんな良い物を欲しがる気持ちは分かる。オレも良い物は欲しい。至って普通な事だ。だけど――――なぁ?」
「わ、わ、分かりましたっ! これ、どうぞっ!」
「ああ、そんなつもりはなかったんだけどな。すまない。催促するような真似をしてしまって」
「い、いえ・・・はは」
「ははは」
彼女は引き攣った笑みを浮かべ、義之もスカーフを受け取った体制のまま、笑みを浮かべる。そして彼女が浮かべた表情―――安緒。自分は何もされない。
そう分かったのか、心底ホッとした顔付きになる。義之もそれを見てまた笑って、笑って、笑って、笑って―――――――。
「ははははははっ! くっ・・・ぷっ・・・はは」
「え――――あ、あの・・・」
「お、お前さ、ぷっ、まさか、自分は無事とかそんな事考えてんの?」
「え・・・・」
「―――――あのよ」
笑っていた顔付きが潜んだ。代わりに出たのは凄絶な怒り。その顔を見て女の子はぺたんと座り込んでしまう。体は震えを忘れたかのように凍っている。
座り込んだ女の子を無理矢理掴み上げ、目の位置が合う様にまで持ち上げる。息苦しく悶える彼女。義之は更に力を入れて持っていた襟を捻った。
「く、くる・・・・」
「人にやられたら嫌な事は他の人にしない。道徳なんかの授業でよく習う。オレは綺麗事ばかり聞かされるから、あんまり好きじゃなかったな。アンタは
どうだ? 習ったろ、道徳」
「ぐ・・・・」
「あの言葉は他人の為にある言葉じゃ無くて、自分の為に指してる言葉なんだよな。人にやった事はいつか自分に跳ね返ってくる。素晴らしい言葉なんだ
ってオレは見直したよ。それからはよく道徳の授業を聞く事にした」
「・・・・は・・・ぁ」
「オレは美夏がただのロボットじゃないと思っている。アンタらの目にはどう映ってるかどうかは分からないが、少なくともオレはそう思っている。どっち
かっていうとオレの中じゃ『人』に分類される。意味、分かるよな?」
「ご、ごめ・・・んな・・・さ」
「ああ、謝るか。最近のヤツはすぐ謝る。今日で二度目だ。本当はすまないとなんか思っていないのにお前たちはすぐ謝る、悪い癖だ。本当は自分は悪い事
なんざしちゃいない、なんでこんな目にとしか思っていない。この状況を早く終わらせたくてデマカセを言っている。まるで誠意が無い」
「ち、ちが・・・・」
「例えそう思っても喉元過ぎればなんとやらさ。またある事無い事言い出して同じ事をする。腐るほどオレはそういう人間を見てきた。お前も同じタイプの
人間だよ。だから―――――」
「え・・・・」
「二度とこんな事しないように、罰を与えなくちゃいけない」
手を離す。激しく喉を掴みながらせき込む彼女。義之はつまらなそうにソレを見詰め――――髪を捻って掴み、膝を思いっきり当てた。
ゴキッ、と骨が潰れる様な音が響く。叫び声を上げようとする彼女―――出来なかった。間隔を空けないですぐさま膝を再度叩き込む。掠れた声が聞こえた。
その行為を二度、三度、四度、まだ離さない、五度、六度、七度。掴んでいた髪を離すと、ぱらぱらと髪の毛が手の平から零れる。もう声は聞こえなかった。
私も声が出ない程までに、圧倒されていた。確かに暴力的な子だとは思っていたが・・・ここまでとは想定外だった。
そして私と目が合い―――一瞬だけ、慈しむ様な目が向けられた。そこで初めてハッとした。急いで彼の元に足を引き摺りながら駆け寄る。
「おら、てめぇのおばあちゃんからのプレゼントなんだろ。大事に仕舞っとけよ」
「よ、よ、義之・・・・あの、その・・・・あ、ありが――――」
「感謝はしなくていい。オレは今、間違った行動をしている」
「え・・・・」
「美夏とかお前を助けるだけなら態々こんな暴力を振るわなくていい。言葉があるんだから、それを本当は活用すべきなんだ。本当はな」
そう言って周りを見回す義之。誰もが義之を恐怖と畏怖の混じった目で見ていた。フォークで口が裂けている男。顔面がぐちゃぐちゃになって倒れている女。
そうしたのは義之。皆がまるで怪物を見ているかのように体を震わせている。さっきまでの楽しそうな顔はもう消え去っていた。手にしたスカーフを見る。
少しばかり皺になっているが特にほつれた部分は無い。確かに酷い事をされたが・・・段々と彼らに同情心が湧きあがってきた。十分過ぎる罰を受けた。
もういいんじゃないか。そう考え義之の方に向き直る。義之――――脇に立っている男の子の顔を殴りつけた。躊躇無く。それに私は驚き慌てる。
「よ、義之っ!?」
「だがコイツらに言葉なんざ通じねぇ。間違えた行動をしなくちゃいけない、話をしても分かり合えない類のクソみたいな連中だ」
拳をギリギリと握った。骨が軋む程までに。表情はまるで般若。慈悲なんてものは無い。
そして、言い放つ。これ以上無い位のドス黒い感情を混ぜながら―――――。
「全員――――ぶっ殺してやる」
「義之っ!!」
倒れ臥した男の子を顔を容赦なく踏みつけ、蹴り飛ばす。意識が無いのかピクリともしなかった。義之の目―――黒く濁っている。
彼らが浮かべた悪意とは比べ物にならないくらいの、深い色。それを見て悟る。もうブレーキなんて壊れてしまっている事を。
「――――ッ!」
手を握ろうと手を伸ばす。払われた。その勢いのまま今度は偶々そこにいた女子の膝を蹴り抜く。悲鳴を上げて転倒。お腹を腰を入れて踏みつける。
口から吐き出される嘔吐物。構わず二度、三度と踏みつけた。私は止めようとするが余りにも入る間が無い。そして次々と暴力と恐怖を浴びせていく彼。
それを見ながら私は思う。彼は酷く優しい人物でもあり、また酷く氷の様に冷たい男の子なんだと。
美夏ちゃん、私、それがきっかけとなってここまで暴れる彼。それが嬉しくもあり――――酷く悲しかった。
時計の針はもうお昼を終えようとしている。だが、この嵐にも似た圧倒的な『悪意』と『善意』が止みそうにはなかった・・・。