「・・・・・」
扉に寄り掛かり様子を窺う。食堂に入らず黙ってその内部を窺っているオレを、通り過ぎる生徒が怪訝そうな顔で見ていた。
それに構わず指をトントンと、こめかみを叩きながら重くため息を吐いた。そうしないと今にもこいつらを殺しそうな程に頭に来ていた。
美夏を嘲笑している奴等。見て見ぬフリ所ではなく、それを見て一緒にあざけ笑っている生徒共。あまりの怒りに頭が白熱していた。
「落ちつけ」
ここで出てったらどうなるか自分でも分からない。荒れ狂うほど乱れている自分の心。卸すのにかなりの精神を要した。初めてここまで我慢をした。
もしこの場面でオレが出ていけば騒ぎどころの話では無くなる。購買前でやったことなど『お遊び』に過ぎない。今度は流血沙汰になるのは確実だ。
そもそもここで暴れても美夏にとって何も解決にはならない。返ってみんなとの溝を深くするだけだ。そう思った。思い込もうとした。
「落ち着けよ、オレ。少し冷静になれ。少し睨めばああいう輩はすぐに怖気づく。いつも見てきた奴等じゃねぇか」
口の割に度胸も無く、また頭の中も鶏みたいな連中。その場での勢いでしか行動出来ない塵共。さして珍しくない人種。よくいる連中だった。
そして弱者にはまるで虎がウザギを相手にするかのように強気で、逆に強い者にはまるで奴隷の様に従う。吐き気がする。『自分』を持っていない。
オレはその集団の中では『強者』に入る人種だ。別に偉ぶってる訳ではない。事実としてオレはそういう扱いをされているし、そういう扱いもしている。
「ちょっと軽く小突くけば何とかなるだろ・・・。よし、頭も十分冷え切ったしこのまま―――――」
だから――――その『悪意』が充満していた食堂の中で、アイシアの姿を見つけた時、オレの中で何かがプッツンと切れる音がした。
クラスに美夏がおらず、たまたま食堂に来ると皆から蔑まされている美夏。そしてその悪意を受けているアイシア。もう抑えきれなかった。
「―――――――――――」
いつも笑っていた笑顔が今にも泣きそうな顔になっている。彼女のトレードマークのスカーフを玩具みたいに投げ合ってるカス共。
根気よく冷静にした頭がオーバーヒートを起こし、一周して絶対零度まで下がる。視野が狭まる。どうやって痛めつけるかしか思いつかない。
つかつかとその場まで歩き出す。余りの怒りに笑みが湧いてきた。途中テーブルからフォークを奪う。困惑した怒声が聞こえる。知った事では無かった。
ここに居る奴等――――全員、捻り潰してやる。
「きゃぁあああーーーーーっ!」
「う、うわぁああーーーーっ!?」
「お、おいっ、早く逃げて――――」
一人の男子生徒が入口まで行きドアを開けようとして――――開けられなかった。ドアノブはロックされ、鍵穴に折られたカッタ―の刃が詰められている。
この世界に来る前、義之は学園長室の机の上にあったカッターを持ちだした。何があるか分からないと念の為に持ちだした物。これで扉は開けられ無くなる。
扉に全員が押し掛けて混雑する。ある生徒は転び、踏まれ、悲鳴が響き渡った。美夏と由夢はその光景を茫然と見ている。さっきまでと状況は一変していた。
よく見る混乱した民衆の図。テレビの向こう側だけの出来事だと思っていたもの。それが目の前に展開されている事に、まだどこか信じられない気持ちだった。
「だ、大丈夫ですか、美夏ちゃん」
「あ、ああ・・・。大した事はない。お前のお陰だ、ありがとう」
「それはよかったです。けど、偉そうに出てきて大した事出来なくて本当にすみません」
「いや、それはいいのだが・・・」
チラッと美夏は義之の方を見る。一人の男子生徒の顔を踏みつけ、捻りをいれながら侮蔑の言葉を吐いている彼。その姿に戦慄と困惑した気持ちが生まれる。
確かに桜内は優しい人物だ。美夏の為に色々してくれたり、友達を紹介してくれたりと気を遣ってくれていた。口に出して言わないものの、よく感謝していた。
今―――こうして暴れているのも、美夏が皆に迫害に近いモノを受けていたからだろう。だから怒っている。人を傷付けている。しかし―――やりすぎだ。
もうケンカなんてレベルじゃない。それこそ『虐殺』に等しい攻撃だ。口が裂けている者、肋骨を何本も念入りに折られた者、顔面が無茶苦茶な有様の者。
「・・・止めなくては」
「て、天枷さんっ!? 近付いたら危ないですってば!」
「だが、美夏の所為で桜内はこうして暴れている。そこまで仲が良いとは思っていなかったのだが・・・どうやら、美夏だけがそう思っていたようだ」
最近仲が進展していたとは感じてはいたが、ここまでとは思わなかった。その暴れている姿に異常なモノを感じながらも、美夏は歩き出そうとする。
しかし由夢がそれを許さない。由夢も自分の兄があんな風に他人を傷付けている姿に気が動転しながらも、ここで美夏を近付けてはいけないと判断した。
容赦なく女性も殴り、いつもみている兄と全く違うその姿。見ていると体が震え、心臓の鼓動が煩く鳴り響いている。何故か知らないが目に涙が溜まって来た。
いつも優しそうな顔で笑い、かったるいと言いながらいつも欠伸をしている兄さん。その姿の変わり様は由夢にとって、とても衝撃的な光景だった。
「おい、何逃げようとしてんだよ」
「お、オレは何もしてねぇだろうがっ! なんで、こんな・・・・!」
「見て、笑ってたろ? あの光景を」
「笑ってなんか――――」
「さぞやいい見世物だったろうなぁ。いつだって弱い奴を苛めるのは楽しい。物凄くその気持ちは分かる。痛いほど分かる。殺したい程分かる」
「ぐっ――――」
そう。その気持ちは理解出来る。今こうしてオレがやっている事も『弱者』をいたぶる行為だ。こいつらがやったことを、オレはやっている。
その人間を前にして何も出来ない。泣いても喚いても許しを貰えない。芋虫みたいに這いずり回るしかない。轢かれた猫みたいに体を痙攣させるしかない。
こうして喉を鷲掴みにしても男は抵抗出来ない―――恐怖で。特別に握力も筋力も無いオレみたいな奴でも、『強者』側に立てばこんな風に相手を意のままだ。
「お前らばっかり気持ちのいい真似してじゃねぇよ。オレも混ぜてくれ・・・な?」
「ごぉ―――――」
無様に泡を吹きながら唾を垂れ流す。目は反転し白目を向く。まだだ。まだオレの気が済まない。この程度じゃ全く気が済まない。
もっと。もっとコイツらを磨り潰さないといけない。美夏やアイシアみたいな真っ当な奴があんな屈辱と恥辱を受けたのだ。更に塵みたいにしなくては。
もう何も反応を返せない相手。力を再度込めようとし――――先の折れたカッターを、今逃げようとしていた女の足に向かい、投擲する。
「キャ・・・・ッ!」
「おいおい。何逃げようとしてんだよ、カス女が」
今の自分。かなり神経が過敏になっている。まるで全身の神経がむき出しになっているみたいに、ピリピリしていた。最高の状態だ。
力もいつもより若干強くなっている気がするし、目端が良く効く。視界で何か動けば即座に反応する事が出来る。喉を締めていた相手を離した。
人形みたいに崩れ落ちる男。今度はこの女を磨り潰そうとしよう。女はこちらを見て、あまりの恐怖で失禁していた。
「お漏らしなんかするなよ。ガキか」
「ひっ・・・ぐ、ご、ごめ・・・」
「泣くなよ」
「そ、そんな事・・・いっ・・・ても、勝手に・・・・」
「泣くなよ」
「ご、ごめんなさ―――――」
「泣くなよ」
「・・・・・ぁ・・・あ」
「そんなに泣くのが好きなのか、お前は。なら――――もっと泣かせてやらないとな」
何を言っても通用しない事が分かったのか、掠れた声しか聞こえない。こんな屑共の涙なんか見せられても、更に頭にくるだけだった。
こういう奴等は泣けば済むと思っている。相手が泣いてもその行為を止めない癖に、いざ自分がその立場に立つとそれが有効だと勘違いする馬鹿だ。
どうしようか。刺さっているカッターで足の神経滅茶苦茶にしてやろうか。少しは身体障害者の気持ちになれば、相手を労わる気持ちが分かるかもしれない。
息を短く歩き出そうとする。その瞬間、腕に誰かが抱きついてくる。視線をずらしてその姿を見やる。今にも泣き出しそうな顔。美夏だった。
「あ、天枷さんっ!?」
「・・・もういい。桜内」
「もういい。何がもういいんだ、美夏。こんなカス共が死んだって誰も悲しまない。少なくともオレは何とも思わない」
由夢の困惑し、泣きそうな声。実際泣いているかもしれない。声が震えていた。こんな暴力沙汰は由夢は見た事が無いだろう。当り前か。
美夏の腕を振りほどき、再度歩き出そうとする義之。その腕にまた焦る様に美夏は抱きつく。全体重を掛ける様に。それでも構わず足を義之は動かした。
「お、お願いだっ! 本当に、もういいんだっ!」
「いくら美夏の言う事でもそれだけは聞けない。いいからどけ。こいつらを最低でも半殺しにして一生を流動食生活にしてやる」
「い、嫌だっ! 美夏はどかない!」
「いいから腕を―――――」
「に、兄さん止めて!」
美夏が掴んでいる義之の反対の腕を由夢が掴む。先程まで恐怖心と虚脱心で身動き出来なかった彼女が、美夏の行動に触発されたように動いた。
その姿を見て僅かばかりに義之の気は弛んだが、倒れ伏している女の姿を見て一瞬にしてその弛みが引き締まる。更に顔を強張らせて、歩みを再開させた。
由夢と美夏はもう泣きそうな顔をしていなかった。既に両目からぽろぽろと涙を流していた。何故涙が出るか分からない。ただ、酷く悲しかった。
「お・・・ひっぐ、おねがい、だ。さくら・・・い」
「に、にい・・・さん。ぐすっ、と、止まってよぉ・・・」
「二人とも離せよ。オレは何があっても絶対にこいつらを――――」
腕を再び強く振り解こうとして――――止まった。目線の先。アイシアが自分の手を胸に置き、目を瞑っている。まるで祈りを捧げているかのような姿。
修道女が神に手を合わせ、奇跡を切望する。昔読んだ書の中に描かれていた絵を彷彿させるような厳かな姿。歩もうとした足が地に張り付いた様に動かない。
思わずオレは見惚れてしまった。ああ、やっぱり魔法使いなんだな・・・と、場違いな事を思う。それほどまでに神聖な雰囲気を漂わせているアイシア。
そして、目を開く。さくらさんとは対照的な綺麗なルビー色の瞳。力強いモノを感じさせる目。オレが好きな目だった。
思わず心臓が止まるかと思う程に、その姿に惚れた。怒りが、激情が、殺意が――――一何もかもが体が抜け落ちた錯覚に陥る。
綺麗だ。そう呟こうとして、口を開く。しかしそれより先にアイシアが口を開き、その言葉を発した。
「元の優しい姿に戻って―――――ねぇ、お願い。義之」
「へぇ。お姫様なんだ」
「羨ましいですねぇ~」
「別に大した事ではありません。貴族―――気苦労が絶えない立場で、時々息苦しさを感じる時がありますわね」
皆から言われるその言葉。もう聞き飽きた台詞だった。嫌な訳では無いが余りにも言われ過ぎると少し、座りが悪くなる。
エリカは屹然とした面持ちで髪を掻き上げた。その尊大な態度に萌は変わらず柔らかな態度だったが、眞子が少しムッとした表情を作る。
あまり会話をした事が無い人物だったので、眞子はこれを機に少し話をしようとしていた。こうして折角出会えたのも何かの縁。距離を縮めたかった。
それなのに、こうしてつっけんどんな態度を示されてはそんな気持ちも萎えかけてくる。何よ偉そうに。いくらお姫様だからってさ。
「それにしても、本当に貴族って感じがしていいわねぇ。偉そうで」
「実際に偉い立場ですもの。民主では無く王政・・・民衆を一代の貴族の人間が背負い歩いて行く。そこいらの会社の社長とは比べられない責任がありますわ。
だから偉いのかと問われれば偉いと言えますし、そこに気を病む要素はありません」
「・・・・へぇー」
ダメだ、嫌味が全く通用しない。それどころか逆に増長させてしまったようだ。笑みを作り自信満々な呈をなしている。本当に今の私達より年下なのだろうか。
歩き方も真っ直ぐに背を伸ばし、優雅な雰囲気が醸し出されている。私達姉妹もお嬢様かと聞かれれば肯定する立場にはいるが・・・・こんなにも違うとは。
近くのお金持ちといえばあとは月城アリスのおウチだったか。彼女もまたお嬢様で気品はあるが、ここまでおっぴらげにその気性を露わにしたりはしない。
「そうえいば義之が言ってましたわね。民主政治より王政の方が国は纏まりやすく、長続きするって。まぁ、一回民主政治になった国がまた王政復古みたいな
形で復活するなんて夢のまた夢かしらね。特にここ、日本では」
「また義之って名前が出て来るわね。聞いた話ではロクな人間じゃなさそうだけど」
「・・・・」
「凄く暴力を振るうって聞くし、女癖も悪い。大体居るのよね。喧嘩が強いのが男らしいって勘違いする馬鹿はどこにでも」
「・・・・」
「まぁまぁ、眞子ちゃん。そんなに尖らなくてもいいじゃありませんか。実際に会ってみないと人というのは分かりませんし・・・」
「会わなくても分かるわよ。アンタも大変ね、エリカ。そんな男なんかに騙されて」
このエリカという女の子の性格はともかく、その点に関しては眞子は同情にも似た気持ちを抱いていた。腕を組み直し、少しだけ眉をしかめながら言う。
会った未来から来たと言う女性たちの大体はその男に参ってるという話だ。中には本当に純真な女の子も居る。確か美夏という名前の女の子だった。
思った事をそのまま言い、憮然とした言葉使いをする女の子だが、かえってその様が可愛らしい外見に拍車を掛けていた。憎めない女の子だと思う。
そんな子も、エリカみたいなお姫様も手に掛ける男。聞けばこの二人ともキスの経験はあるらしい。とんでもない話だ。ああ、段々腹が立って来たわ・・・。
「もし会う機会があるなら沢山文句言ってやるわ、何様のつもりだって」
「・・・ねぇ、眞子さん」
「ん? なに」
「義之の悪口、止めて貰えるかしら?」
足を止め、視線を合わせるエリカ。思わず足が一歩後ろに下がってしまう。無意識での行動。初めての経験だった。ここまで他人に圧倒されるのは。
確かに貴族だとは聞いていたし、私もなんだかんだ言ってそれは認めていた。気品が溢れんばかりに滲み出ているし、その振舞いも様になっていると思っていた。
しかし、こうして目と目を合わせられると・・・ああ、本当に『貴族』なんだと思わされてしまう。圧倒的な威圧感。人を従える人種の目。息を飲んでしまう。
「な、なんでかしら、ね」
「なんで。なんでと仰いましたか、今。それをわざわざ私の口から言えと? なるほど」
「うっ・・・・」
眼光の鋭さが増した。仰々しく苛立ち気に指でこめかみをトントンと叩くその仕草。顎を上げてこちらを詰まらそうに見る眼。何もかもが威圧的だった。
隣の姉は相変わらずのほほんとしたまま、頬に手を添えている。この時ばかりは姉の天然さが羨ましかった。私といえばなんとか目を逸らさないが精一杯だ。
そうしてエリカは口を開ける。次に飛び出て来る台詞がなんなのか、想像がつかない。まるで死刑を言い渡される囚人の気分になってしまう。
強張る体。その姿を見てスーッと細められる切れ長な目。指を叩く仕草を止めた。そして、その言葉を気品溢れる声で言い放った。
「義之はね、どの男性と比べても素晴らしい男性なの」
「・・・・・は?」
「あら、聞こえなかったのかしら。もう一度言いますわよ。義之はこれまで生きてきた中でも、そしてこれから先に出会う事も無いだろうと言っても
過言では無い位に―――素晴らしい男性ですの。お分かり?」
「・・・・・・」
「皆さんいつも彼を好き勝手に仰っていますが、そんな事を言うならさっさと義之から離れてくれ。いつもそう思ってますのよ、私。それなのに意地を
張ってああだこうだと悪口を言う。まるで小学生ですわね。あんな素晴らしい男性が自分を選んでくれないから拗ねているのよ。本当に嘆かわしい」
「・・・ちょっと」
「まぁ、その気持ちが分からない事も無いですけれど。そうね、私が初めて義之と会った時は確か――――」
その威厳に満ちた目で何を言うのかと思えば・・・少し肩から力が抜けるのが分かった。目の前に義之という男の魅力を語り始める彼女。
お姉ちゃんを見ると私と同じ気持ちだったのか、困った顔で『あらあら・・・』と言っている。確かにあらあらだ。この状況は・・・・。
他の子とも話し、義之という男を好きとは聞いていたがここまでおおっぴらにその好意を隠そうともしない女の子はエリカが初めてだ。
熱が掛かったかのように顔を紅潮させ、段々ヒートアップしていく彼女。どこか置いてけぼりにされた気分になる。そしてまだまだ続くエリカの演説。
聞き込みをしに行っている雪村達―――早く帰ってこないかしら。こうなるなら私も着いて行けばよかったのかもしれない。その為に一緒になったのだから。
面倒になって残ったのが悪かったのかもしれない。特に心配は無いと判断して残った私達姉妹と、少し歩き疲れてここに残ったエリカ。ため息が漏れそうだ。
そして言いたい事を言ってすっきりしたのか、先程までの雰囲気に戻る彼女。よかった。のろけ話が終わったのか。
ほっと一息をついて安諸する私。しかしまだ話は終わっていないようで、今度は私の事について彼女は聞き始めてきた。
「眞子さん。あなた、好きな人はいっらしゃるのかしら?」
「――――へ、す、好きな人?」
「私達の年代じゃ好きな人の一人や二人はいると聞きます。最も―――私は義之だけですが」
「・・・・え~と」
「眞子ちゃんの好きな人ですかぁー。それは朝倉くんですよぉ、エリカちゃん」
「お、お姉ちゃんっ!?」
「朝倉? 音姫先輩と由夢さんの親族かしらね。まぁ、過去の世界なんで居てもおかしくはありませんが・・・」
「うー・・・」
なぜこんな所で自分の好きな人をばらされなくてはいけないのか。恨めしげにお姉ちゃんを見詰めても、相変わらずに効果無し。この天然め・・・・。
顔を手で覆いながら重々しげにため息をつく眞子。その様を腕を組んで見詰めるエリカ。その余りにも初々しい反応が、彼女にとっては何処か懐かしかった。
エリカもまたそういう恋愛事に関しては疎い場面もあり、最初は義之に対して素直になれない部分があった。初めての恋愛感情。その気持ちを持て余していた。
しかし―――それも最初の内だけ。このまま付き合う事になると思っていたのに、気付いたらどんどん彼の周りに異性が増える有様。エリカは唖然としてしまう。
そうなると、もうなりふり構っていられなくなった。そして今のエリカという女性を形成する。自分の想いを隠さず打ち明ける。そうしないといけなかった。
「その朝倉という男性の悪口。言われたら腹が立つでしょう? だから、義之の悪口を言わないで貰えるかしら」
「いや、別に私は朝倉の悪口を言われても何とも・・・」
「あら、そうなんですの。好きな人の侮蔑・罵詈雑言の言葉を吐かれても眞子さんは痛くも痒くもないと? へぇ」
「い、いや、だから・・・」
「ま、どうせロクな男じゃないんでしょうね。そこら辺にいる男性と同じで何の取り柄もない『ごく普通』の人間。石を投げれば当たるぐらいありふれた人」
「なっ――――」
「義之みたいな特別な『何か』を持った男性なんて早々居ないものね。だから、みんな妥協する。この人でいいか、別に悪くはないし。そんな気持ちで
軽く付き合う人達のなんて多い事でしょうか。恋愛をお遊びだと思ってますのね」
「・・・・・・・」
「ま、眞子ちゃん・・・」
紅潮した顔が段々無表情に近いモノになっていくのを、眞子は感じた。お前の恋愛は『遊び』とあざけ笑われた。その事が段々と心を冷めさせていく。
萌がやや焦った感じで眞子の名を呼ぶがそれに応えない彼女。言い様の無い感情が腹の底に溜まっていくのを感じる。あまりの重さにそれを口から吐き出したい。
組んでいた腕は解かれ手が拳の形を作っている。そんな眞子の様子にエリカは片眉を上げるが、動じた様子は見せない。義之という存在を知っていれば当り前だ。
「どうしたんですの。そんなに手をぎゅっと握っちゃって。女の子らしくない振舞いなので、お止めた方がよろしいんじゃないかしら?」
「喧嘩売ってるの、アンタ」
「――――私は事実を言ったまでなのですが、ね」
「事実って」
「適当に付き合う男女の関係の事ですわ。ちょっと好意を持ったぐらいでそれを恋愛と勘違いする。その後の事まで全く考えていない『子供』の恋愛。
いえ、その事まで考えさせてくれない程に魅力を持たない男性、と言った方がよろしいかしらね。どうせそんな男性なのでしょう?」
「・・・・・」
「ああ、でも卑下する事はないのよ? 皆さんその様な感じでお付き合いをしているのだから。みんなと一緒―――安心するでしょう? 眞子さん」
もう駄目だ・・・。我慢出来ない。暴力は絶対にしてはいけない事だとは思いながらも、頭の中はどうやって飛び掛かるかしか考えられない。
体を前傾にしながら顎を引く体制。明らかに喧嘩を仕掛ける呈を為している眞子に、萌は更に焦った様に腕を引っ張るが聞く耳を持たない彼女。
自分の想いをここまでコケにされて黙っている程、大人しい性格では無かった。心が冷めていく代わりに段々頭が沸騰していく。煮えたぎる程に。
「この―――――ッ!」
「ま、眞子ちゃんっ」
「言葉で返せなかったら即暴力ですか・・・ふふっ」
皮肉気に笑みの表情を形作るエリカ。それでもう限界を突破してしまった。
ギュっと握った拳を振りかぶり、しなりを作って溜める。エリカ―――避ける様子は見せない。黙って見詰めるだけ。
なんで―――一瞬そう思うが、そんな気持ちは無視してこのまま彼女の体の何処かにこの拳を――――。
「こちょこちょ」
「ひゃうっ!?」
いきなり脇をくすぐられバランスを崩す眞子。がばっと体を抱き、即座に後ろを向くといつもの無表情の杏が立っていた。手をわきわきさせているのを
除けばいつもの呈をなしている。
いつ戻ってきたのか―――いや、そんな事はどうでもいい。怒りを吐き出すタイミングが失われ行き場の無くなった憤りが体の中を彷徨っている。思わず
怒鳴り散らす様に眞子は口を開いた。
「な、なにすんのよっ! 雪村っ!」
「もっと早く止めてくれてもよかったんじゃないかしら。雪村さん?」
「相変わらずのお姫様ぶりね・・・全く。眞子さんもこんな所で喧嘩なんて止してちょうだいな。騒ぎになって私達まで巻き添えになったら洒落にならないし。
あと、ムラサキさん? 貴方も無闇にケンカを売らないでちょうだい」
「そうだぞ、ムラサキっ!。聞き込みから帰ってきてみたらお前達が殴り合いのケンカをしそうになってて、思わず冷や汗がダラダラ流れた」
「それも私達の姿が見えたらもっと挑発行為を繰り返すし。これは計算的な行動よね? 私達が止めざるを無い事を分かっててやった。違う?」
「あら? そうだったかしら。凄く恐怖心に駆られてそこまで気を回す余裕が無かったのだけれどね。偶然って怖いわね」
「よくいけしゃあしゃあと・・・」
「それに私は義之が侮辱された事に対してその返答をしたまでですが? 何がいけないのか――――分かりかねますわね」
「こ、この子は・・・・っ!」
「お前ってやつは・・・」
「・・・・はぁ」
全く悪びれないエリカをに重い溜息を付く杏。聞き込みも大して効果は無く、意気消沈と帰って来てみればこれだ。思わず頭が痛くなりそうだった。
眞子さんも怒鳴ってもまるで応えないと分かったのか、体をぷるぷる震わせて全身で怒りをアピールしている。萌さんもただ困ったような笑みを浮かべるだけだ。
本当にこの子は時が経てば経つ程に義之に似てくる。主に悪い部分が。もう恋愛なんて言葉じゃ片付けられないほどまでに彼に嵌っている彼女に歎息する。
「まぁ、眞子さんもあんまり義之の悪口を言わないでやって。誰だって好きな人の悪口を第三者から言われたら面白くないし」
「・・・確かに少し言い過ぎたかなとは思うけど、撤回する気はないわ。本当に私はそう思っているし」
「眞子さんも結構な頑固者ね。じゃあ、少なくともムラサキさんの目の前で言うのは止めた方がいいわ。見ての通り愛が重い子だし」
「・・・・・」
ちらっとエリカを見詰め、納得したのか、ふっとため息を付いて頭を掻く眞子。義之の評価は眞子の中では変わらず低いままだが、少なくともエリカの前で
その話題を出すのはもうしないと決めた。
そんな雰囲気を悟ってか、エリカも不承不承ながらも身を引いて臨戦態勢を解く。場に緊張感が無くなった。杏はほっと一息付き、皆を促すように先に歩き
出して行く。その後ろを歩く美夏、エリカ、眞子、萌。
「これからはもっと人数を細分化して分けて班を増やそうかしら。さすがに6人でぞろぞろ歩くのも目立つだろうし」
「うーむ。確かに杏先輩の言う通りかもしれないな。合計で12人いるから・・・1班4人という構成か」
「別に文句は無いですわ」
「私も文句は無いわね。付け加えていうならばエリカとは別な班になりたい気はするけど」
「眞子ちゃんたら、もう・・・・」
「眞子さんがケンカを売らなければ無事に何事も無いんですのよ。まぁ、感情的な貴方には無理な相談かしらね」
「なに。またやりあいたいの? 私と」
「ふ、二人とも落ち着けというにっ!」
「あ、枝毛があったわ。やっぱり最近コンディショナー変えたのが原因かしら」
もう突っ込む気が失せたのか、前髪を弄りながら我関せずの杏。美夏が若干恨めしそうに見詰めるがどこ吹く風といった呈だ。その間も二人は言い合っている。
そんな風に廊下を歩いている――――と、向こう側から白河チームが歩いてくるのを杏は捉えた。どうやら散策が終わったらしい。皆一様に疲れた顔をしている。
あの様子だと何も収穫は無し、か。これだけ人数が居るのだから少しは徳のある情報が入ってもよさそうだけど―――甘かったか。杏は軽く手を振り声を掛けた。
「お疲れさま」
「あ、どもっす。雪村さん達のチームは何か良い情報手に入りました?」
「残念ながら何も、ね。皆今日が22日だと信じ切っている。多少違和感がある人は居るけれど・・・それだけね。全く気にした様子は無いわ」
「そうっすか・・・。参りましたね。これだけ学校中駆け回っても何も情報が手に入らないのは・・・」
若干疲れた表情を見せる。茜達も似た様なものだ。風見学園は他の学校に比べてもかなり規模はデカイ。過去の世界に来てもそれは変わらずだ。
ため息をつくのを堪える様に髪を掻き上げて帽子を整えることり。慣れた学園といってもここまで歩き回ったのは初めて。足が棒のようになっている。
しかし、そんな泣き事は言ってられなかった。何せこの不思議な現象に巻き込まれているのは自分達なのだ。こうして手を貸して貰っている以上弱音は吐けない。
「まぁ、それで―――ことりさん?」
「はい? なんですか」
「新しいお供が増えてるみたいなんだけど、よかったら紹介してくれるかしら?」
「あ」
そう言って杏が後ろに居る女子二人組に目を配る。一人は短髪で快活そうな女の子に、もう一人はおっとりしているイメージがある女の子。
美人系に可愛い系。異なる印象の二人がことりの後ろに隠れる様に杏達の様子を窺っていた。ことりも忘れてたといった具合な呟き声を洩らす。
そうしてその二人を背中から杏達の前面に押し出す。どこか物珍しそうに見られるのは、ことりさんが私達の事を教えた所為かしらね。
杏はそう考え、体制を崩して笑みを向ける。そうすると二人からは緊張の色が消えてきゃーきゃーと騒ぎ始めた。なるほど、こういうタイプの人達ね。
「わぁ、小さくて可愛い! 肌も白いし!」
「なんだか清楚って感じがするよね」
「ふっ、ありがとう」
「どこがよ、どこが」
「あ、あはは・・・」
眞子が小言を言い、ことりが困った様に苦笑いの表情を浮かべる。杏の本性を知っている彼女達からすれば詐欺みたいなものだ。それに構わず杏は笑みを
浮かべて、まるで何処かのお嬢様みたいに優雅な雰囲気を漂わせている。
そうして自己紹介をする流れとなり、各自に紹介をし始める。最初に自己紹介をしたのはことりの親友、森川知子に佐伯加奈子。通称ともちゃんとみっくん
と呼ばれているそうで、本人達もその名前で呼ぶようにと皆に呼び掛ける。
ともちゃんという呼び名は分かるとしても、何故加奈子はみっくんと呼ばれるのか・・・それが気になった杏達だが、特に本人達からはフォローが無かった
ので結局聞けず仕舞いになってしまう。気になる。後で理由を聞いておこうと、杏は軽くその事を頭の隅に置いておいた。
「さて、そろそろ音楽室に戻ろうかしら。皆疲れているみたいだし」
「そうねぇー、私達もちょっぴり疲れちゃったかしらぁ。ずっと歩きっ放しだしね~」
「そうだね・・・私も結構疲れが堪ったかも。少し休めると助かるかな」
「音姫先輩はブーツだもんねぇー。私もそろそろ新しいブーツ買おうっかなぁ。いい加減あのローファーも履き潰しちゃったし」
「花咲さんのあのローファー、なんか可愛くて私は好きだけどなぁ。あ、ブーツといえば最近――――」
二人お洒落の話で花が咲く脇で、杏はともちゃんとみっくんの相手をする。物怖じしない性格で次から次へと矢継ぎに質問する両者。
それを無下にせずキチンと答えを返す辺りに杏の几帳面さが窺える光景だった。それを見やってことりは密かに息を付く。どうやら仲良く出来そうだと。
普通の人なら未来人が来たとか聞いたなら正気を疑われる場面だ。それなのにこの二人をそれを信じ、こうして仲良くしてくれる。中々出来る事じゃない。
さすが私の友人なだけあって、変わり者なのかもしれない。私も変わり者だもんね。そうして苦笑いし、ことりはその光景を見詰めていた。
そして杏がキリの良い所でエリカにバトンタッチして、今度の標的はエリカに変わる。他の女性と一線を画す雰囲気のエリカに、さすがの二人も困惑気だった。
しかし、持ち前のバイタリティから勇気を出して二人は話し掛ける。そんな状況は初めてではないエリカは丁寧に質問に答えを返す。慣れたモノであった。
「お姫様なんですかっ!? へぇーすっごいですね!」
「どうも」
「それもクールビューティーだよ、ともちゃんっ」
「うん、私も初めて見たよみっくんっ。とりあえず――――拝んどこうか!」
「そうだね!」
「なんなんですの・・・」
「せーのっ」
「はい!」
パンパンっ、と二回拍手して拝むように頭を垂れるともくんとみっちゃん。それに対してエリカはどこか呆れたようにため息を付く。
そしてニコニコ顔の二人。まぁ、多少は――――私よりも変わり者かも、ね。ことりはそんな二人に乾いた笑みを浮かべながら・・・目を逸らした。
「ぐっ・・・」
「起きましたか、義之」
布団から身じろぎをしながら目を覚ます義之。私はそっと学園長室で見つけたジュースを彼に渡す。それに構わず彼はがぶりをふって床から背を起こした。
まだ目は覚めていないのか、ぼーっとした様子で私の顔を見詰めている。いつもどこか眉間に皺が寄っている様な彼だが、この瞬間は歳相応の顔付きだった。
案外優しい顔してるんだ――――そう思ったのも、束の間。段々表情に険が宿り、目も焦点が合って来て・・・ガシッと、私の襟首を掴んだ。
「何しやがった、てめぇ」
「痛いですよ、義之」
「魔法か何か使ったろ。でなきゃこんな状況は説明出来ない」
「義之、かなり切れてましたからね。だから魔法を使ってあの場は『何も起きてなかった』事にしておきました」
「なんだと・・・」
その所為でかなりまた体力を使ったが、その事は伏せて置く。態々言う必要が無いと思ったからだ。それに言ったらまた要らない心配を掛けてしまう。
あそこまで暴れた義之―――自惚れじゃなければ、私と美夏ちゃんの件がそうさせてしまったのだろう。だからこれ以上必要の無い事は言わないつもりだ。
そう考えながら義之の顔を見詰める。眼の色合い、納得していないみたいだ。予想の範囲内だが・・・どうやって説き伏せようか。
「無駄だ。お前じゃオレを解き伏せられない。どんな道理や理屈を言われようが、オレは納得しない」
「だからそうやって心を読まないで下さいよ・・・」
「そんな事出来るかよ。お前が何か考える様に目線を下に向けて、宥める様な雰囲気を出したからだ。今からあいつらの事をブチのめしてくる」
「あ、ちょっと――――っ!」
ばさっと布団を跳ね除け、また鬼の様な表情を見せる彼。話をする余地さえない。私は慌てて義之の腕に飛びつく様に跳ね動いた。
思いっきり体重を乗せぶら下がる私を剥がす様に手を肩に掛けるが、懸命にそれに耐える。ここで行かせては何の為にあの場を落ち着かせたのか分からない。
今の義之は冷静ではない。目立つ行動はしないと彼が言いだしたのだ。自分が言った事も、私達が置かれているこの状況も判断出来ていなかった。
「どけ、アイシア」
「どきませんっ、てば・・・! 義之こそ、少しは冷静になってください・・・よ!」
「オレは冷静だ。そう、至って普通だ。なんなら―――今からジェンガでもやってやろうか? 結構得意なんだぜ。ジェンガ」
「だったらそんな冷たい声を出さないで下さいっ、よ! もういいですからっ!」
「良くは無い。あんなゴキブリのカス共にお前と美夏が蔑まれた。これは許せる事じゃない。目ん玉くり抜いてヘドロを入れなくちゃな」
「止まって下さいっ、てば!」
やばい。本当にやる気だこの子は。先程の様子を見る限りじゃ、恐らく殺したって何も動揺はしないだろう。むしろ歓喜するかもしれない。
しかし、絶対にそんな事はさせない。義之に絶対に『そんな事』をさせてはいけない。本来の彼は優しい人物だ。そんな事をさせては後戻りが出来なくなる。
重い十字架を背負い人生を歩いて行く。それは辛い事だ。きっと私よりも重い道に違いない。だからこのまま行かせる訳には行かなかった。
だから一生懸命に腕に力を入れて、ぎゅっと抱きしめる。ツン、と鼻の奥が痺れる感覚。目の前の風景が滲んできた。
「あ・・・」
「お前・・・」
「こ、これは違うんですよ、あ、あれ・・・ひっぐ、と、止まらないなぁー・・・ぐす・・・」
「・・・・・」
涙が出て来た。止めようとしても止められない。いつもこうだ。さっきだって勇んで美夏ちゃんの前に出て行き、そして泣きそうになった。
悪い癖だ。少しでも悲しい事や力が及ばない事があればこうして私は涙を流す。義之はこういう人間は嫌いな筈だ。だから空いている手で瞼をごしごし擦る。
だが、それで刺激されたのかもっと溢れる様に涙が零れる。やばい。まるで小学生みたいだ。とうとう私は手を離し、顔を覆ってしまった。
「・・・・ご、ごめんなざい・・・、す、すぐ泣き止みますから、待ってて、くだざい・・・ひっぐ」
「お前、やっぱり見た感じのままだな。そうやってすぐに泣き出す」
「わ、わざどじゃないんですよぉ・・・・ぐすっ」
「知ってるよ。そこまで器用じゃねぇもんな。お前さんは」
「・・・・・あ」
そっと―――頭に手を置かれた。俯いていた顔を上げ、義之の顔を見やる。
義之の顔。目を瞑り、懸命に何かを耐える様に顔をしかめている。
なんだろうか。しばし沈黙が部屋に流れ始めて――――。
「ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーっ!!!」
「ひゃっ!?」
咆哮。傍に居た私はその直撃を喰らい、悶絶するように地に伏せた。それでも義之の咆哮は止まらず耳を塞いだ手の上から直撃する。
そんな光景が数秒間続き・・・・止んだ。義之はすっとしたような顔付きになり、床の上に座る。私は涙目になりながらその様子を見詰めた。
そして懐を弄る仕草をして――――舌打ちをする。恐らく煙草を吸おうとしたのか。ごろんとそのまま横になり、頭の後ろで手を組んだ。
「よ、よしゆき・・・・?」
「――――――――冷静になった」
「え?」
「もしお前があの場で魔法を使わなかったら確実に大騒ぎになってた。やられた奴は殆どが病院行きの大怪我。明日を迎える前にオレは留置所行きだ」
「ま、まぁ・・・そうですけれど・・・ね。その前にこの世界の義之とか居ますし、更に面倒な事に・・・」
「オレは自分を抑えきれる具合には。理性を持った人間だと思っていた。だが違ってたみたいだ。一皮剥けばあんな風に見境が無くなる。獣と同じだ、くそっ」
「確かに暴れはしましたけど、でも、あれは私達の為で――――」
「本当にそうかな。やられてた張本人の美夏やお前が止めてと言ってもオレは止めなかった。何だかんだ言いながら、オレは自分の気を晴らしたいだけだったの
かもしれない。本当に――――救いの無い人間だ、オレは」
「ち、違いますってばっ! そんなに自分を責めないでくださいよっ」
「責めていない。ただ、事実を言っている」
天井を見上げながら平淡な声で告げ、腕で目を覆い隠す。なんて――――なんてこの子は根が生真面目なのだろうか。普段はおちゃらけているのに、こういう
雰囲気になると途端にそういう顔を覗かせる。
あの暴力事件を起こした人物とは思えない程に考え深くなり、自分の思考に籠る。短く無い付き合いなのでそういう場面は今までにもあった。ふとした拍子に
黙り込んで何かを考える様に目を瞑る。そしてある程度時間を置かないと元に戻らない。
こういう時の義之は頑固だ。鉄のような殻に閉じ籠ってしまう。そろそろ近付いて肩を揺するが、全く反応をしてくれない。思わず困り果ててしまい、頭に手を
やる。当ても無く視線を彷徨わるが当然何も解決はしない。
今までは少し時間を置けば元通りになったのだが――――うー・・・・どうしたらいいのだろうか。今までと違って放置出来ないし・・・。
「ほ、ほらっ! 義之らしくないですよっ! いつもみたいな傍若無人っぷりはどうしたんですかっ?」
「・・・・・」
「お腹が減ってるからそんな事考えちゃんですよ。ほら、このお弁当達って義之が持ってきてくれたものですよね? 扉の入り口辺りに放置されてた
ものなんですが、勝手に持ってきちゃいました」
「・・・・・」
「あれ? もしかして違いましたか? うわぁ、やっばいですよそしたら。わたし人の物を勝手に持ってきちゃった事になります。お金の無い人生です
が、窃盗なんて真似は絶対にしないと決めていたのに・・・。うぅ、私ったらなんてことを・・・・」
「・・・・・」
「―――――いい加減戻って来て下さいよぉ、義之」
ぴくりとも動かない義之。顔を腕で隠したまま銅像の様に動かない。その周りをウロウロするが無反応。思わずまた泣きそうになってしまう。
だが、涙で気を引く様な真似はしたくない。かといって何か有効な手立てが有る訳でも無し。このまま時間任せにするのは私の中には『無い』考えだ。
立ったり座ったりを繰り返しながら考える。折角お弁当があるのだから一緒に食べたい。その為にはどうしても義之を元気づける必要があった。
頭を捻って考える。思い付かない。肝心な時には役に立たない頭だ――――そう思い、ふと、義之を見る。目が隠されたまま釣りあげられている唇。人を
食った様な笑み。それを見た時、思わず私は切れそうになった。
「こ、こ、こらぁーーっ! 義之っ!?」
「・・・くっく、なんだよ。アイシア。もうちょっとオレの為に考えてくれよ。元気づけさせてくれるんだろ、オレを?」
「あ、あなたって人は―――――」
こ、この人はまた私をからかって遊んでしましたねっ!? 恐らく床に寝っ転がった時からもう既に平静だったのだろう。だから目を覆い隠してた。
私が起こる度にくぐもった笑い声を洩らす彼。その姿にまた私は頭が段々ジーンと痺れていく。人が折角あれこれ慰めようと考えていたのに・・・・!
そしてまた怒りの言葉を吐きそうになった時、義之が止める様に手を私の方に向けた。思わず止まってしまう私。義之は真面目な顔付きを作り、口を開いた。
「ぶっちゃけな、オレはあのやり方が間違っているとは思っていない。『暴力』であの場を抑えたやり方がな」
「え・・・」
「ああいう場じゃ言葉なんて通用しない。確か食堂でもオレは言ったよな。言葉や口先だけでアレは収まらない。当然の話だ、道理とか理屈でアイツらは
あんな事をしてるんじゃない。楽しいからやってるんだ。美夏やお前を嘲弄する事が愉快で仕方無いからやっているんだ」
「・・・・まぁ、そうかもしれませんね」
「ああいった局面で有効なモノ―――『恐怖』だとオレは思っている。学校とか会社で頭が上がらない人が居たとする。それは権力という恐怖でソイツを
縛っているからだ。逆らっちゃいけない、従わらなければいけない。そんな思いがあるから人は人に従うし、そういったものが無ければ逆に美夏やお前
みたいに・・・いいようにされる。おかしい話だ。人の上に人はいないとか言った奴は何を考えているのか」
「でも、あの時の義之はとても怒っている様に見えましたけど・・・・。だから感情が抑えきれなくてあんな事をしたんじゃ・・・」
「オレはあの時も冷静だった。確かに怒りもあるし、それに似た感情も抱いていた。だがそういう考えがあったからこそ、ああいう行動をオレは取った」
「・・・・・」
「感情を抑えきれなくなる。オレがそんな状況に事に陥る事は無い。オレは自分を抑えきれる人間だと思っているし、そういう行動を取れる頭と心を持って
いると自認している。そうなれるように育って来たからな、オレは」
「・・・そうですか」
「ま、恋人に振られたとかしたらどうなるか分からないけどな。案外自分を見失うかもしれねぇ・・・・なんてな」
何がおかしいのか、ククッと笑う彼を見て思わず脱力してしまう。また、やられた。そんな気持ちでいっぱいだった。
折角心配して見ればコレだ。もう、義之を心配する事はしないようにしよう。心配してもまたこうやって馬鹿にされるだけだ。
言い様の無い気持ちが心を占めていく。腹の底に何か重たいモノがあるような錯覚に陥ってしまう。無理してまで魔法を使ったのに・・・。
「おいおい、そんなに怒らないでくれ、アイシア。お前の残り少ない魔法なんちゃらパワーを使わせちまったのは誤算だったよ。その点に関しては
お前に済まないと思っている」
「・・・・・・つーん」
「本当はいくつかあの状況から逃げる方法は考えていたんだが、まぁ、その話はいいか。何かお前に謝罪の印をあげなくちゃいけない。何か欲しいモノ
があるか、アイシア」
「お金」
「そんなこの世の中で最も価値のあるモノは手元には無い。あっても何が起こるか分からないから渡せない。他にあるか?」
「・・・・・・・・・・・つーん」
「ふむ」
髪を掻き上げながらこちらの様子窺う義之。だが、絶対に私は振り返らない。振り返ってやらない。たまには自分の思い通りに事が進まない事をこの男の子
は覚えた方がいいと思う。
じっと見つめられる感覚。沈黙の間が流れる学園長室。さくらはいない。少し魔法でこの島の事―――この世界の義之の事を調べてみたが、どうやら病気で床
に伏せているらしく、さくらが看病をしているようだ。
だからここの場所は一応の安全は取れている。取れているのはいいのだが・・・・やけに沈黙が痛いのは勘弁だ。元々こういう静かな空間は好きじゃない。
意味も無くそわそわしてしまう。
ちらっと端目に義之を見る。こちらに手が伸びていた。驚いて跳び退こうとしたが、一瞬遅く掴まれてしまう。そしてその勢いのまま床に雪崩れ込んだ。
「きゃっ!? な、なにを――――」
「よし、決めた」
「だから何をですかっ」
「今ここにあるのは健康的なオレの肉体しかない。だからまぁ――――お前を抱く。お互いに気持ち良くなれていいだろう?」
「―――――は?」
「少しばかり口はヤニ臭いが、気にするな」
一瞬頭が真っ白になり――――体を抱きしめられる感覚。体に手を回されていた。
冗談だろう。そう思って首越しに義之の目を見る。ギラついた目。本気だった。髪が逆立つ程に私は慌てた。
「え、ちょ、ま、ほ、本気ですかっ!?」
「ゴムはねーけど外に出すから勘弁してくれ。それでも妊娠する時は妊娠するらしいが――――若干責任は持つから安心しろ」
「若干て何ですか、若干って! というか流れが早くて着いていけませんよ!」
「安心しろ、ちゃんと投げ出されない様に支えてやるから・・・・・・オレの『ブツ』で、な?」
「そんな下ネタ聞きたくありませんっ!」
ジタバタと騒いでみるがまるで効果が無い。貧弱な自分が恨めしい。私みたいな体の女の子じゃどうあっても男の子の義之には勝てない。
確かに私は義之の事は嫌いじゃ無い。むしろ―――――だけどもっとムードがある所が良い。こんななし崩し的な場所では無く、もっと雰囲気のあるところで。
しかしそう思った所で義之が止まる様子は見受けられない。私の服に手を掛け脱がそうとする。赤面に染まった顔のまま、一生懸命それにあがらった。
「ちっ、面倒くせー女だな。おら、さっさと脱げよ。それとも着衣プレイがいいのか? なるほど」
「や、やめてくだ・・・・んっ・・・・ちょっと、耳・・・・あ・・・・」
「お前の耳柔らかいなぁ。小さいし。早くおとなしくしろって」
耳を軽く噛まれ、体を服の上から弄られる。もう冗談じゃなくなっていた。いや、最初から本気だったのか――――。
抵抗する力も心許ない。段々力が抜けていくのが自分でも分かった。これでは嫌がっている『フリ』をしていた女の子と思われる。
それだけは避けなくては。そう思うが、結局為されるがままになってしまう自分。それはもしかしたら仕方の無い事―――――なのかもしれない。
だって、相手はあの義之。選択肢など結局始めから私に用意されていない。ああ、自分はこんな所で大切な初めてを失ってしまうのか・・・・。
「うぅ・・・とんだロストバージンです・・・」
「安心しろ。それなりに優しくしてやるつもりだ。まぁ、お前が可愛過ぎて途中から抑えが効かないかもしれないが」
「それは嬉しがって良い事なのかわかりませんが・・・・はぁ、もう諦めますよぉ・・・・。義之は何時だって私の言う事なんて聞かないし・・・・」
「オレに命令できるのなんて、そうだな、さくらさんぐらいか。オレの母親だし」
義之の母親。聞いた話だとかなり『やさぐれて』いるらしい。煙草も酒もさくらに教わったという話だ。にわかに信じられないが・・・。
義之が言うには全部失恋が原因だという。ということは純一が原因か。そして、時々歳を取った純一を日々せびっては遊んでいるらしい。怖い話だった。
「まぁ、さくらさんの事は今はどうでもいい。ちゃっちゃと始めようぜ」
「ちゃっちゃとって・・・・もぅ、ムードが無いんですから。でもまぁ、嬉しい気持ちも若干ありますけどね。なんだかんだいって」
「お、やっと素直になったか。まぁ、嬉しい気持ちだけじゃなく、これから気持ちのいい思いも――――――」
「だって美夏ちゃん達の中から誰を選んだでもなく、私を選んだって事ですもんね。えへへ、なんか照れますね」
「・・・・・・・・・・・・あ」
「『あ』?」
ぴたり、と義之の手が止まる。ちょうどブラのホックを外そうとしていた所だ。なんだろう。そう思い、また首を後ろに向ける。
しかめっ面の義之。なんだか『やべ、忘れてた』と言わんばかりの表情だった。そぉーっと離れていく手。私は怪訝な顔付きを作る。
そしてすくっと義之は立ち上がる。茫然とそれを見送る自分。なんだか―――――嫌な予感がした。
「そういえば小恋と会う約束をしてたんだっけか。行かなくちゃな」
「え―――――えぇぇぇぇえええええーーーーーーっ!!」
「そういう訳で飯は一人で食っててくれ。くれぐれも出歩かないで留守番してろよ。じゃあな」
「そ、そういう訳には行きませんよっ! 義之っ!」
「あ、こ、この野郎っ!」
ひしっ、と義之のベルトを掴んでその愚行を止めた。たたらを踏んでつんのめる義之。
この男の子は―――――! 都合が悪くなったから逃げようとしましたねっ!
「ここまで来てそれは無いと思いますよっ! 続行ですよっ、続行!」
「う、うるせぇよっ! 無理になったから諦めろっ。いいから離せよ、オラッ!」
「離しませんよ! 今の今まで美夏ちゃん達の事忘れてましたねっ! 最低ですよ! あまつさえ、無理矢理に私を襲おうとして・・・・!
この色情魔! 頭でっかちの暴力男! やりたい盛りのお猿さんっ!」
「お前だって期待してたろうーがっ! てんで抵抗しないで、くたーってなってた癖によ! さっきのは合意だよ、合意!」
「なに強姦加害者みたいな言い訳してるんですか! 何はともあれここまで来たんですよ、さぁ、やりますよ!」
「だーかーらっ! 無理なもんは無理! じゃあ、オレは行くから大人しくまってろよ!」
「あ――――ー!」
手を振りほどかれ、扉を開けて出ていく彼。そして――――バタンと、扉は閉められてしまった。
そしてまた沈黙が流れる学園長室。さっきと違うのはその沈黙の中に、私の焔のような怒りが渦巻いている事だ。
今なら世界を滅ぼせる魔法を使えるかもしれない。死んだお婆ちゃんが止めなさいという声を発した気がした。
だがらとりあえず止めておく。この世界に罪は無い。罪があるのは義之だった。咎人義之・・・帰ってきたら覚えてなさい・・・。
「まったくあの男の子は・・・・。私も言うんじゃ無かったなぁ、美夏ちゃん達の事なんて・・・」
腹わたが煮え返りそうな気持ちを抱きながら、しかし――――――彼にしては珍しい事だと思った。彼女達の事を忘れるなんてあまりにも意外。
彼の頭の中には基本的には彼女達が居る。だがらいつも悩んではいるし、困った顔をする事も多々あった。それに何回もヤキモキしたから間違いない。
冷静に思い返すとさっきの行動は本当にらしくない。もし、ただやりたいだけならその子達にとっくに手を出している事だろう。少しばかり困惑してしまう。
「本当――――訳が分からない男の子」
今に始まった事ではないので、保留にしておく事にする。帰ってきたら色々問い詰めてやらなければいけない。女の子に恥を掻かすとうはどういう事かも
教えなくては・・・・・。
ため息をついて、とりあえずご飯を食おうと思い立ち上がる。怒るにも活力が必要だ。この怒りを萎えさせない為にはお腹に何か入れておく必要がある。魔法
の力も大分使ってしまった。明日中に元に戻るか怪しいが・・・・義之の所為だ。文句を言われる筋合いはない。
「・・・・あら?」
何かスースーする感覚がした。怪訝な思いに駆られ、下を見る。そこには私の黒い下着が落ちていた。また、かぁーっと顔が熱くなっていく。
ばっ、と私は屈みこんでそれを拾い急いで穿く。周りをきょろきょろして誰もいないかをチェック。よし、誰もいない。ふぅっと一息ついて―――――。
「あ、あの男の子はぁーーーーーーーっ!」
何時の間に脱がせられたのか、全然分からなかった。手先が器用な子だとは思っていたが・・・・・何もこんな変態的な部分で発揮しなくても・・・!
もう絶対この怒りは鎮まる事は無いだろう。そう思いながら、ドスドスお弁当がある所まで歩いていき、ばさぁ、と大きな音を鳴らせて袋を開け広げた。
「行き遅れた年増は怖いな・・・っと」
そそくさと学園長室を離れ、廊下を歩いて教室へ向かう。まさかあそこまで必死になるとは思わなかったので、多少圧された感があった。オレにしては
珍しく焦ってしまい、逃げるようにあの場から離脱した。
涙目になりながら必死に逃すかと力を込める彼女。アイシアもまた女なんだなと意識させられる場面だった。普段は子供みたいな振舞いをしているのに
ああいう事に及ぶと途端に色気を出してくる。えてして女というのは基本的に性に男より従順と聞くが・・・・本当みたいだ。
そして先程の自分の行動を省みてみる。彼女達の事を忘れ、アイシアの事しか目に入らなかった。欲しいと思った。異常なまでに独占欲が跳ね上がり抑え
切れない気持ち。頭をポリポリ掻いて自戒するように眼を瞑る。
「色々、何やってんだか・・・・オレは」
オレはあの時も冷静だと言った。嘘だ。頭も心も感情も、嵐みたいに吹き荒れまくっていた。本当はまるで獣みたいに奴等を蹂躙する事しか考えら
れなかったし、あの場から上手く逃げ出す方法など一つも思い浮かばなかった。ただ、破壊衝動だけが心を満たしていただけだった。
あのまま圧倒的な暴力で蹂躙し、カカシみたいに身動き出来ない奴等に拳を振り上げて、アイシアのあの姿を見た。触れてはいけない様な、惧れ多い神秘的
な雰囲気を醸し出していた。聖女なんて見た事は無いがきっとあんな姿なのだろう。思い出すだけでまだ少しばかりぼーっとしてしまう程に、美麗だった。
そして床から起きた時、アイシアの姿を見て――――恥ずかしくなった。まるで初恋をした小学性みたいな反応だ。だから最初はぶっきらぼうに突き離し
たし、しばらく黙る様に床に伏せていた。あのどこかくすぐったいような感覚を抑えるのにかなりの自制心が必要だった。
「結局魔法を使わせた謝罪とか感謝とかちゃんとしてねぇんだよな・・・。少しは前より成長したと思ったんだが・・・考え無しに行動するなんて馬鹿の
やる事か。まだまだ糞ガキから抜け出せてねぇな、オレ」
失笑が出る。ああいう局面で冷静になりきれなかったら意味がない。いくら普段を平静に過ごしても、緊急時にアレでは糞の役にも立ちやしない。もう
少し気を張って精進するか――――と思うと同時に、アイシアの事について考え始めてみた。
あの時、寝ながら端目にアイシアの行動を見ていると、こんなオレを必死に慰めようと右往左往しているのが分かった。涙を流さない様に必死に振舞う彼女。
そんな様子の彼女を見て―――『欲しい』と思ってしまう自分がいた。元々彼女に対しては好意的な気持ちを持っていた。それが急激に『重く』なった。
とても綺麗だったあの姿。オレを見詰めるルビー色の目。可愛らしく笑う彼女の笑顔。食堂の一件以来、前よりも何倍も彼女の事を意識する自分。そして
ガキみたいに心の中で照れてしまうくすぐったい気持ち。彼女の事を思い出しただけで顔が段々朱色に染まっていくのが分かる。
オレらしくねぇ――――顔を手で覆い隠しながらなんとか気持ちを落ち着けた。美夏達の事がすっぽり頭から抜け落ちていた程にアイシアに嵌りかけている。
まだ彼女達との問題を何一つ解決していないというのに、なんていい加減なんだろうか、オレは・・・・。
「まぁ――――とりあえずアイツの事は保留にしておくとして・・・っと」
「あ・・・」
「あ」
コーヒーでも小恋に買っていってやろうと思い曲がり角の自動販売機に寄ろうとした。確かに金は大事だったが、こういう場面で出し渋るのは気が引けた。
さくらさんの教えでは金が無い時でも女を相手にする時は金を出し渋るなという教えがある。それに数百円で済む金額だし、まぁいいかなと思った。
そしていざ飲みモノを買おうとした時、一人の女子生徒とぶつかった。食堂に居た女。確かオレが腕を折った女だ。こちらを見て驚いた顔をしている。
「――――悪いな、前を見て無かった」
「え、ええ・・・。私こそごめんなさい。じゃあ、私はこれで・・・・」
「・・・・・」
そそくさとオレから離れていく女を見て、少し考える。アイシアが言うにはあの場では『何も起こっていない』筈だ。じゃあ何故あんなに怯えきった顔を
するのか。何故からだが震えていたのか。
顎に手をやって考え―――ああ、なるほど、とある結論に至った。うんうん頷き目当てのコーヒーを買い、教室に向かう。外を見ると今にも雨が降ってきそう
な勢いだったので、中庭は中止して教室でダベろうと考えた。今の時間じゃ誰も残っていないだろう。
「頭は忘れていても、体は覚えているか」
いくら記憶を失った所で体は覚えている。あの感触を。腕を折られ、明後日の方向を向いてまるで壊れた人形みたいになった自分の有様を。だからあそこまで
に極端にオレを避ける。まるで化物を目にしたように目が揺らぎ動いていた。
この分だと他の奴等も似た様なものだろう。そして――――美夏を卑下しようとする度に体が思い出す筈だ。こいつを苛めるとまた恐怖に襲われぞ、と。しば
らくすればその恐怖も忘れるだろうが、数ヵ月はその痛みや暴力を忘れない。確信に近いオレの考えではそういう答えが出た。
恐怖と言う心的外傷が治るには数十年。もしくは一生。事故に合って記憶が喪失した被害者のケースは大体だが数年は掛かる。今回みたいに完全に記憶が
無く体が覚えているショックな出来事は数ヵ月で忘れる。
美夏の事を考えると一生その恐怖を体の内に閉じ込めて置いてほしいが――――しかたねぇか。なんにせよその間に事態は進むだろう。
本当なら最後まで付き合いたいところだが、さて――――どうなるかな。
「え、今日って言われても・・・・12月22日なんじゃないですか?」
「・・・・・・」
「嘘でしょ・・・・」
「まさか・・・そんな・・・」
美夏とムラサキさんが絶句する様に呻き声に近い音を漏らす。私も言葉こそ漏らさないものの、氷柱を背中に突っ込まれた様な感覚に陥った。
周りの人達も同じ。信じられない。怖い。有り得ない。そんな怯えのような感情が籠った声があちらこちらから漏れていた。まるで幽霊にでも会ったみたいに。
ことりさんは目をパチクリとさせ、何故自分がこういう視線を浴びているのか分からないといった顔をしていた。私は時計を掲げながら質問をする。
「今の時間は0時ちょうど。一緒に日付を越えるまで秒数をカウントダウンした事は覚えてるかしら?」
「え、ええ。確かにみんなと一緒に0時になるまで4、3、2、1って数えて・・・」
「0、になった。ちなみに昨日の日付は?」
「12月、21日ですけど・・・・」
「・・・・・」
ことりさん達が日付の感覚を曖昧にしたまま過ごしているという事は知っていたが、こうして改めて目にするとうすら寒いモノを感じる。
狐に化かされた気分と言えばいいのだろうか――――思わずゾッとしてしまう。こんな風に皆記憶を失い、明日を迎え、同じ毎日を過ごす。
今日は帰った眞子さん達も同じ様な感じだろう。今日、本当に迎える日を忘れ、また今日と同じような日を過ごす。覚えてるのは私達だけ・・・。
だが、このままでは終わらない。その為にことりさんを此処に残したのだから。ここぞとばかりに私は質問を矢継ぎにして繰り出す。
「さっき起きた爆発。今日もまた同じ時間に起きたけれど、その事は覚えている?」
「うーん・・・。毎日夜中にクリパの設備が破壊されている気はするんですが・・・。少し曖昧です」
「本当についさっき起きた出来事なのよ。本当に覚えていないと?」
「それが不思議なんですけど、昨日だったのか、今日だったのか、それとも夢の出来事だったか――――日を越えると自信が無くなってしまうんです」
「・・・そんなに心配そうな顔をしないで。それを調べる為に今日ことりさんに残ってもらったのだから」
「はい・・・・」
「わぁ、みてみて! 実行委員会の人達とか、風紀委員っぽい人達が駆けて行ってるよ!」
つい、と窓の外に視線を送ると、確かにそれっぽい人達が駆けて行くのが見て取れる。皆一様にあまり焦りを感じさせない雰囲気だった。
毎日起こっているのだから、恐らく慣れてしまったのだろう。記憶は無くともやはりああやって駆けた事は体が覚えている。その様子を黙って私達は見詰めた。
しかし―――誰の仕業なのだろうか。こんな真似をするなんて。そう考えていると、白河さんがふと思い出したように手をポンと叩きながら呟いた。
「こういう事をやるのって大抵杉並くんだよねぇ~」
「ああ、確かにそうかもねぇ。杉並くんてこういう派手な事大好きそうだしぃ~。特に爆発モノとかねー」
「でも杉並が来てる訳ないしな。全く、こういう訳の分からない現象はアイツの専門分野だろうに・・・肝心な時に居ないのだからな」
確かに・・・彼ならこういうイベントは好んでやりそうではある。特にクリパ等はいい標的だろう。みんながせっせと頑張って準備を進める中、一人
こそこそと爆発物を取り付ける。
皆も同じような感想を抱いたのか、うんうんと頷いていた。しかし、それはあり得ない可能性。ここに来て二日と経つが、ついぞ彼の姿を見た事などな
かった。本当に肝心な時には居ないのだから・・・・。
「私もあれ、実は杉並くんの仕業だと思っているんですよ」
「え・・・・」
「何をバカな事を言っているのだ、ことり。アイツがここに来てる訳が――――ー」
「ああ、違うんですよ美夏さん。私達の時代にも杉並って男性が居るんですよ。そして、今も奔走する風紀委員や中央委員会の人達を見ては
嘲笑っている可能性が高いと思っています」
「なるほど。まぁ、確かに彼の親族ならこういう事をしでかしてもおかしくはないわね」
彼の一族―――見た事は無いが、きっと同じ性格・嗜好をしているに違いない。あんな奇天烈な行動をする男の血が繋がった者。『普通』はあり得ないと
思った。もし普通だったら、逆にそれは普通ではないと思わされるぐらいだ。
とりあえずその事は記憶の隅に置いておくとして、私は更に質問をしてみる事にする。日付が変わり、意識が改革された直前の今―――有効となる手立て
を手に入れられるのは、この瞬間だ。
「じゃあ、とりあえず一昨日の話をしてみましょう。私達とことりさんが出会った時の事を」
「はい。でも、それって昨日の出来事なんじゃ・・・」
「失礼ですけれどことりさん。もし、私達と会った日が昨日なら、一日『余計』な日がありませんこと? 私達はもう出会って二日ぐらい過ごしてる筈ですが」
「・・・確かにエリカさんの言う通りなんですけど、でもそう思っちゃうんですよ。変だなぁとは思うんですが・・・」
「日付が変わる瞬間に認識が変わってしまうのかしら・・・。記憶も意識も連続しているのに、日を跨ぐと途端に認識が別なものに固定される・・・」
呟いて、考える様に顔を伏せる。こういう状況でなければ、ある一種の精神障害だと決めつけてしまうだろう言葉。こういう事は特段珍しくも無い症例だ。
よく事故などで自分の息子や娘などを認識出来ない障害。記憶としてそれは保存されているが、『認識』は出来ない病というのは聞いた事がある。
しかし、ことりさんは事故に合っても無ければ精神的な病も持っていない。至って普通の健常者だ。そしてそれは皆も同じだろう。益々分からなくなる・・・。
「うーん? でもそれだとさ、昨日の事が全部『21日の出来事』ってなっちゃって、色々おかしくはならないのかな?」
「音姫先輩の言う事も分かります。けど、認識自体が変わっちゃってるんで、きっと記憶の時系列がおかしいという矛盾自体に気付かないんだと思いますよ」
「・・・ああ、だからおかしいなと思っても、それ以上追及まるしないようになっちゃってるって事なのかぁ」
「ええ、多分。それはことりさん以外の人達も同じだと思います。認識自体がおかしくなって、どこかおかしいと思ってもそれ以上考えようとしていない」
「でも、それじゃあ何で私達は日付が変わってるって認識出来るんですかね? 私はこうして三日目を迎えてますがちゃんと覚えてますよ? 雪村先輩」
「確証はないけれど・・・そうね、私達がこの世界の住人では無い事が関係しているのかもしれないわね」
ぱっと思い付く理由はそれだった。ここは過去の世界で私は54年後から来た未来人。ここの人達との明確な違いはそれだ。だから私達は普通の認識
で居られていると考える。全くもって科学的な考えではないが。
しかし科学的な事がアテになる状況でもない事も確か。過去の世界云々は量子力学を用いれば説明出来ない事も無いが、こんな風に日付の認識が曖昧
になるのは説明出来ない。それも集団的に、だ。
小恋達が「不思議だねぇ」と言い合っているが、あまり『不思議』という言葉を活用して思考を停止させたくない。考える事を面倒臭がってたら痛い
目を見るのはきっと私達。いつだって最後まで考えを止めなかった者が、勝ち残っている。
「でも、これだけ言ってもことりさんの認識は変わらないのね。随分強固に暗示を掛けられている様に見えるわ」
「ええ・・・でも――――でも、やっぱり今日は22日だと思います。それで昨日が21日で・・・」
「根拠は?」
ため息を付きたいのを我慢して、ダメ元で聞いてみた言葉。ここまで認識が楔で打ち止められた様にしっかりしていては有力な情報は手に入らないだろう。
だからダメで元々。半ば諦めかけて出た言葉だった。会話の応酬で出た何気ない返事。髪に結んであるスカーフを弄りながら周囲の様子を端目に見る。
みんな眠たそうに瞼を擦っているのが見て取れる。昼間あれだけ歩き回ったのだから疲れているのだろう。今日はこの辺でお開きかしらね。
そう油断しきっていただけに、その言葉がことりさんから吐き出された時、胸の底から何かが跳ね立つ様な衝撃に駆られた。
「だって、今日が本来23日なら―――クリパの準備は終わってるんじゃないですか?」
「――――ッ!」
「え、あ、ゆ、雪村さん?」
弄んでいたスカーフを思わず握り締めてしまった。そんな私に驚きながら、怪訝そうに見詰めて来ることりさん。
その言葉――――その言葉を聞きたかった。アテ無く砂漠を彷徨っている時にオアシスを見つけたが如く、『きた』と感じた。
取り繕う様にスカーフを留め直し、ことりさんを見詰返す。そんな私の様子にみんな何かを感じたのか、シンと静まった。
「なるほど。ああ―――なるほど、ね」
「ど、どうしたのぉ、杏ちゃん」
「分からない、茜? それに皆も」
「え、何が何が?」
「うん?」
近くに居た白河さんや美夏も不思議そうな顔をして困惑気に首を捻っている。みんなも似た様な感じだ。今のことりさんの言葉をスル―した様に見える。
だが、私はスル―なんかさせない。どんな言葉でも、状況でも、知識でも覚えられるこの絶対記憶を持っているのだから。塵一つ覚えていられる自信がある。
思わず笑みが零れてしまう。ことりさんが引き攣ったように顔を歪ませた。それに構わずここが勝機とばかりに手を掲げながら口を開いた。
「クリパが終わっていないから22日。そう言ったわね、ことりさん」
「え、ええ・・・。確かにそう言いましたけれど・・・」
「あまりにも稚拙な根拠ね。普通ならもっとあやふやな事象に頼るんじゃなくて、もっと確定的なモノに頼るわよ。日付を表わす物なんて沢山あるのだから。
カレンダー、携帯、パソコン、テレビ。それらを根拠にせず、クリパの準備が終わっていないから22日―――と。じゃあ、クリパが無かったら一生こと
りさんの中では22日が永続されるのかしら? 日直が楽でいいわね」
「えっと・・・すいません?」
「謝る事は無いわ。さっき貴方はとても益になる発言をしたのよ。誇って良いわ」
「・・・・・えーと」
更に困惑気に眉を寄せる彼女。馬鹿にされたと思ったら急に褒められて、どう反応していいのか分からないのだろう。
口が悪いのは生まれつきだが、最近は磨きをかけて口が悪くなっている自分。誰に影響されたのかはあまり考えたくない。
自分は誰かに影響を受ける事などあり得ないと思っていたが・・・・まぁ、いい。話を続けるとしましょうか。
「それがあなた達の日常を表わすキーワードなのよ、ことりさん」
「え・・・」
「どういう事なのだ、杏先輩」
「昨日の夜、そして今夜・・・・ことりさんの話によればもっと前から続いていた破壊活動。そして、さっきのことりさんの言葉」
「クリパの準備が終わっていないから22日?」
「そう。原因と結果がきっとことりさん達の中では逆転してるのよ。クリパの準備が終わっていないから22日。普通だったら23
日だからクリパの準備は終わっていないといけないと思う筈なのにね。22日を強制的に認識させられている為、さっきみたいな
あやふやな『おかしい』言葉が出てきた。そう私は結論着いたわ」
「・・・なるほどな」
「そしてそのクリパの準備を妨害している人物がいる。もしかしたらだけど―――無事に何事も無く、クリパの準備が終わったらなら
ば、今みたいな状況から抜け出せるかもしれないわね」
「でもそれって推論の域を出て無いわよね、雪村さん?」
「でも筋は通ってるわ。委員長」
「そうかもしれないけど、それだけだわ」
「あくまで一つの仮説。別にそれならそれでいいわ、これからの調査の指針にはなりうるでしょう」
雲を掴む様な調査だった。足を棒にして歩き、得られない情報。これからもそんな状況では根を上げてしまう。だから、指針となりえる情報を手に
入れられた事は喜ぶべき転機だった。
確かに委員長の言うとおり、クリパの準備が終わらなければ22日が終わらないと立証された訳ではない。だが事実として爆発騒ぎを起こしている
人物が居る事は確かだ。
変わらない毎日が続くこの世界。その破壊活動を止める事で、何かしらの変化がもたらされればいい。そう考え、私はこの話をまとめにかかった。
いい加減もう眠りたい頃だしね。
「とにかくその事について、改めて明日調べてみる事にしましょう。元の世界に帰る事と、このループ現象を解決してあげる事。全く無関係という訳
では無いと薄々私は思っている。確証は無いけれどね。まぁ、何もやらないよりはマシだしことりさん達には恩がある。とりあえず指針の内容につ
いては明日にしましょう。皆疲れているだろうし。明日になったら、また頑張りましょう、みんな」
「そうだなぁ、ことり達には色々御世話になってるし。頑張るか」
「余計な事をしないように、天枷さん。貴方はいつもどこか足を引っ張るのだから」
「なんだと」
「天枷さんもムラサキさんもケンカなんて止めて下さいっ。せっかくこれからの目標が決まったのに・・・」
「まぁまぁ、いいじゃない由夢ちゃん。二人はこういうノリでないとツルめないんだしぃ、ケンカするほど・・・って言うじゃない?」
「相変わらず花咲さんは能天気だなぁ。まぁ、いいや。じゃあ、明日こそ元の世界に戻れる様に、いっちょう頑張ってみますかーっ!」
「おおーっ!」
白河さんが手を掲げて、そう音頭を取る。みんなもその言葉に乗る様に、いきり立つ様に声を張り上げて手を掲げた。一明を見出して、気持ちが高ぶったのか。
気持ちは分からないでもない。確実な目標が出来れば精神的に楽だし、歩く足にも力が宿る。気力というのは無限にあるものではないから作らなくてはいけない。
そうしてみんな用意していたお布団に潜り込んでいく。ことりさんも今日はお泊まりだ。明日の指針とかは朝にでも言う事にしよう。
「それにしても―――雪村さんってすごいっすね。頭もよくてリーダーシップがあって」
「まだまだ、ね。最低限まとめられてはいると思うけど・・・・それだけだわ。この人に付いて行けばなんとかなると、思わせていられてない。時々不安そうな
視線が向けられる事があるわ。しょうがないけどね」
「いや、でもこういう状況じゃ仕方ないと思うんですけど・・・」
「こういう状況でこそ、そのリーダーシップが問われると思うけれどね。つまり私はそこまでのカリスマが無いって事よ。自分でも向いてると思わないし」
「はぁ・・・。そんなもんすかねぇ」
「そんなもんすよ。ことりさん」
そうして床に着く。この人ならなんとかしてくれるという無言の圧倒的な存在感はわたしには無い。別に悔しくは無かった。無いモノねだりをしても仕方ない。
そんな物を持っている人物は一人でいい。そして、その人物を私は知っていた。どこで何をしてるのやら。こういう状況でも彼なら助けに来てくれそうだ。
普通なら有り得ないと思うそんな考えも、彼ならそう思わせられる。えてしてそういう器量を持った人間は人々に『ヒーロー』みたく見えるものだが・・・。
「ぷっ」
とんだ女好きなヒーローだ。そして暴力者でもある。思わず吹いてしまった。そういえばここ数日笑っていない気がした。気付かない内に気を張り過ぎていた
のかもしれない。
結局、私も普通の人間だっだという事か。自分は大概に変わり者だと自認している方だっが――――意外な事実だ。まだまだ気付かない自分の面があると
いうのは良い事なのやら悪い事なのやら。
なにはともあれ、明日からはまた忙しくなりそうだ。そう思いながら段々と瞼が落ちてきた。さすがに疲れていたらしい。そうして、また『今日』が終わって
いく。そして迎えるのは変わらない『今日』という日。
義之、貴方ならどうするかしらね? この状況を。