『なるほどな。確かに酷い話だ。彼女を優先するより他の女を構う。こりゃ、別れ話を切り出されても、おかしくはないな』
『つ、月島は別に別れ話なんか――――』
『考えた事が無いってか? 今さっきまで?』
『・・・・・』
無言の肯定。話を聞けば誰だってそう考える。それに教室に入った時からそれは感じていた。何かを覚悟しようとしている目だった。
膝の上に組んだ手をぎゅっと握る小恋。恐らくイマイチ踏み切れないのだろう。人間関係を切るというのはかなりの精神的ストレスになる。
もし別れたならば前みたいな関係に戻れるのは難しい。かなり勇気が要る行動だ。椅子を軋みさせながら足を組み直し、オレはその顔を見詰めた。
『義之が優しい性格なのは・・・分かってるんだ。困ってる人を見掛けたら放って置けないし、頼まれたら嫌って言えないぐらい人が良くて――――』
『ただの八方美人だ。困ってる人を助けるのは今置かれている自分の状況を良く考えてからやるべきだし、頼まれた事を仕方無くやるってのはガキの
使いだよ。そういう奴は大体が便利屋に使われて終わっちまう』
『そんなに自分の事を責めなくても・・・』
『小恋の言っている事を翻訳しただけだ。悪いが褒め言葉には聞こえなかったな。小恋がどういうつもりで言ったのは分からないが』
『あ、ご、ごめんね義之っ、そういうつもりで言ったんじゃないんだ!』
『・・・分かってるよ。オレは性格が捻くれてるからな。勘弁してくれ』
今にも雨が降りそうな窓の外を髪を掻き上げながら見やる。冬の雨って本当に寒々しいから好きじゃない。
それに負けず小恋も似た様な顔付きをしている。天気で表わすならくもり時々雨、か。雨が降ったらしばらくは止みそうにない。
傘も無し迎えも無し。その場に居るのは自分だけで、誰も助けにはきてくれない。ざぁと雨の勢いが激しさを増し、今にも膝が崩れ落ちそう。
そして・・・・・自分はその場から動こうとしない。雨に打たれてズブ濡れになるのは道理。足を動かさないとどうにもならないのに、何もしない、か。
『小恋さ』
『ん?』
『いい加減自分から動かないと、いつまで経ってもズブ濡れのままだぞ。それでいいのか、お前は』
『え・・・・』
『確かにお前は慎ましい性格をしてるよ。それは美徳に見る人も居るだろうし好ましく思う人もいる。だが、その性格の所為でお前は今にも泣きそうな
面を下げている。性格を今すぐに直せとは言わない。けど、少しは自分の男を引っ張り上げるぐらいの威勢の良さは無いのか』
『そ、そんなっ。だってそれは義之が・・・』
『まぁ、オレが悪いわな。あっちこっちに目移りして肝心の彼女の事は放ったらかし。よくいるいい加減な男、それがオレ・・・か?』
『つ、月島に聞かれても・・・・』
ああ、オレの事じゃないのに『俺』の事を話すのは疲れる。ややこしい。これもそれも全部『俺』のいい加減な行動の所為だ。
野郎、会ったら一発引っ叩いてやらねぇと気が済まねぇな、おい。そんな奴がオレと同じ人物ってだけで気持ちが悪い。爽やかなオレってどんなんだよ。
時間を見る。もう夜を迎えそうな時間帯だ。この時期は日の時間が短いからな。小恋みてぇな体付きのいい食い甲斐のある女は早く帰る時間だ。
『なんにしても・・・だ。お前は思った事を言わな過ぎる。臆病と言っても良い。悪い意味でだ。いつまでそうやって猫背でいるつもりだ、ああ?』
『い、いつまでって・・・そんなの・・・』
『声を籠らせるな。ハッキリ言え』
下を向いてぼそぼそ言葉を呟く小恋に向かって、オレは鋭く上から声を掛けた。
瞬間、握っていた拳に更に力が込められるが分かった。がばっと勢いよく小恋は顔を上げる。
琴線に振れたのか、彼女にしては珍しく眉を釣りあげ、固く拳を握り直して怒声に近い言葉を吐いた。
『―――――ッ! つ、月島はねっ! 義之にはもうちょっと彼女に対して思いやりとか、そういうのを持って欲しいのっ! いつもいつもデートの
約束とか取り付けようとしても、美夏ちゃんがどうのこうのって言って全然相手にしてくれないし! ちょ、ちょっとそれはどうなのかなっ? 彼
女を放り出してまで人助けするなんて』
『何でもっと早く言わなかったんだ。言う機会はいくらでもあった筈だ』
『言う機会って・・・・・義之が言わせない様な空気出してたんじゃないっ。最近一緒に喋った事ある? 上辺ばかりの会話じゃなくて深く突っ込んで話
をした事がある? おはようの挨拶とか、美夏ちゃんの話題ばっかりじゃない!』
『―――――そもそも前提がお前の場合違うだろ、なぁ、小恋』
『ぜ、前提って・・・』
『そんなロボットの事じゃなくて自分を構って欲しい・・・・そんな事を言ったら嫌われるかもしれない。軽蔑されるかもしれない。別れるかもしれない。
お前さんの性格だとそういう事を考えた筈だ。そうだろ?』
『うっ・・・』
『この局面に来てまで、お前はまだ本音を打ち明けない。だからオレは臆病者だと言った。もう一度分かりやすく言うぞ。言いたい事があるならハッキリ言え』
手を組んで前屈みになりながら目を見詰める。今にも泣きそうな面だ。まぁ、無理も無い話か。
こういう風に追い込まれる様な詰問に似たモノは受けた事が無いだろう。爽やかな義之くん相手なら尚更そうだ。
もう何を、どう言っていいのか分からない。そんな顔しか出来ないで居る小恋。少しばかり不和が生じ、気まずい雰囲気が漂う。
しょうがねぇ――――少しばかりオレの話をするか。組んでいた手を頭の後ろに回し、場の雰囲気を和らげるように軽い声で話を切りだす。
『なぁ、小恋っち』
『な、なにかな・・・』
『おっぱい大きいけど、揉んでいいか』
『なっ―――――――』
あ、間違えた。思わず胸に目が行ったから自分の欲望を口に出してしまった。だが仕方無い。目の前でさっき揺れてたし。
しかし、これじゃ単なるセクハラ親父だ。なんだろう、最近溜まってるのかもしれない。やり損ねたしな、さっき。
泣きそうだった顔が途端に朱色に染まる。ガタッ、と小恋は椅子から立ち上がり、拳を上下に勢いよく振って怒りを露わにした。
『い、いいいきなり何を言うの、義之っ!』
『悪かったな。つーかそんだけデケェ胸があるんならソレ使えばいいんだよ。並の男ならノックダウンだぜ? それだけ立派に実がなってるんだからな』
『ば、な、なに言って――――』
『小恋の幸せって、どういうものを指してるか聞いていいか?』
『・・・・・・はぁ。いきなり何言い出すの?』
若干真面目な顔付きを作ったオレに、何か悟ったのか椅子に座り直してこちらを頬を膨らませて見やる小恋。まぁ、可愛いこった。
幸せの話――――色々な奴に聞いて、色々な答えが返ってきた質問。これほど人によってコロコロ変わる質問は無いだろう。実際にそうだった。
勿論小恋の場合も同じに違いない。こいつの場合少しロマンチストっぽいから子供みたいな答えが返ってきそうだ。だが別に構わない。人それぞれだしな。
オレの幸せの定義。これを話すのはさくらさん以外では小恋が初めて。さて、どう小恋が受け取るかな?
『こういう場合は、聞いた方が先に言うのが礼儀だよな。じゃあ、オレの幸になれる定義、聞いてくれるか?』
『・・・・? 義之の幸せ?』
『ああ、それはな―――――――』
「で、こちらがその音姫さんと由夢ちゃん。よろしくしてちょうだいね、音夢」
「ど、どうも。朝倉音姫です」
「こ、こんにちわ。朝倉由夢って言います」
「・・・・・」
「わーわー! 音夢先輩の子孫ですよ、し・そ・ん! 顔付きがそっくりです!」
脇に居るカチューシャの女の子が囃し立てる様に両手を重ねながらはしゃぐ。元気な子だった。名前は天枷美春さんというらしい。
恐らくは美夏ちゃん関係の子か。どういう繋がりかは知らないが、顔付き等は似ていない。当り前か、美夏ちゃんはロボットだし血の血統とかはないだろう。
ことりさんの紹介に預かった私と由夢ちゃんはたどたどしくお辞儀をする。そんな私達にどこか懐疑的な視線を送るお婆ちゃん。きっと胡散臭いのだろう。
しかし―――これがお婆ちゃんの若いころ、か。やはり面影はある。不思議な気分だ。こうやって若い頃のお婆ちゃんに会えるなんて・・・。
「・・・本当に未来から来た人、なんですか? それも私の子孫だなんて」
「それは――――」
「何を言ってらっしゃるんですかっ、音夢先輩! さっき証拠に携帯電話見せてもらったじゃないですか! それもボタンが無いんですよ、ボタンがっ」
「た、確かにそうだけど・・・」
「それにこの御二方、見れば見るほど音夢先輩に似てます。これはもう確実に未来から来た人ですよっ」
「う、う~ん・・・」
まぁ・・・普通はそんな反応よね。逆に美春さんみたいなタイプの方が珍しい。あっさりこんな荒唐無稽な話を信じるなんて。結構純粋なのかもしれない。
反対にお婆ちゃんは頭に手をやって、どう反応していいか困っている感じだ。いきなり未来から来たと言い張る女の子二人。確かに怪しいもんね・・・。
ことりさんも若干困った顔をして苦笑いの表情を浮かべている。今までの紹介で通じてた分、お婆ちゃんみたいな『普通』の反応に少し途方に暮れていた。
昨日ようやく足掛かりになりそうな情報を手に入れ、朝早い時間に雪村さんを筆頭にこれからどうするかを朝食を食べながら話し合っていた。
そして出た結論――――クリパの準備を手伝おうというものだった。クリパの準備を早めに終わらせれば明日を迎えられるかもしれない。そう雪村さんは言った。
その準備が終わり、夜になったら校内を見回りをして爆破の犯人の行動を抑える。これがこれからの基本方針だ。そうしていつも通りの班分けをする事になる。
「まぁ、悪そうな人達じゃないので信用しますよ。いきなり失礼な態度を取って申し訳ありません、音姫さんに由夢さん」
「あ、私達の事は呼び捨てでいいですよ。孫なんだし」
「そうですね。だから別にそんな改まった態度じゃなくて大丈夫ですよ、お婆ちゃん」
「お、おば・・・・!」
「ね、音夢先輩っ、落ち着いて」
「こ、こらっ、由夢ちゃん」
「え、あ・・・・ご、ごめんなさい」
「――――――ふぅー、別に怒ってませんよ。事実ですものね、ええ」
「うぅ・・・」
お婆ちゃんの顔が一瞬怒り顔になったので、慌てて由夢ちゃんを窘める。そこで初めて失言をしてしまった事に気付いたのか、慌てて頭を下げる。
それが功したのか、頭を抑えながら、息をふーっと吐いてなんとか落ち着く様子を見せた。よかった、お婆ちゃん怒ると怖いんだから・・・・・。
まだ若干顔を引き攣らせるお婆ちゃんと、怯え顔を見せる由夢ちゃん。確かにこの人は私達の祖母だが、お婆ちゃんからしたら全く身に覚えの無い事実だ。
十代なのにお婆ちゃん呼ばわりされたら誰だって面白くないだろう。これからの発言には気を付けた方がいいのかもしれない。特にお婆ちゃん相手には。
「そ、それにしてもエリカちゃん遅いわねぇ。さっきお手洗いに寄るって言って帰ってこないけど・・・・あ、あははー」
「確か私達のお手伝いをする事になった人ですよね、エリカさんて」
「まったく、あの人は何してるんだか・・・」
そう、こっちはことりさんの紹介で風紀委員のお手伝いをする事になった。元々私達の事を教えていたらしく、いい機会だから、とこうしてお婆ちゃんと顔
を合わせる事になった。
メンバーは私達朝倉姉妹とエリカちゃん、ことりさんだ。本当はエリカちゃんを花咲さんが誘っていたのだが、最近よく話をしてないなと思い私がエリカ
ちゃんを誘った。由夢ちゃんは物凄く嫌な顔をしていたけど・・・・しょうがない、かな?
なにはともあれ、しばらく私達は談笑をしながらエリカちゃんを待つ事にした。途中、美春さんがお婆ちゃんの結婚相手の事を聞いてドキマギする場面があっ
たりしながらも、別段和やかに話は進んでいった。
結局、結婚相手の事は話せなかったけどね。話しちゃったら私達が現代に戻った時、どういう影響があるか分からないし。
ことりさんが聞きたそうにうずうずしていたけど・・・・。うーん、後で雪村さんにどうしたらいいか聞いてみようかな。
「まったく、変な事聞かないでよね。美春」
「うぅー・・・。だって気になるじゃないですか、音夢さんの結婚相手ー」
「まぁまぁ。おばあ・・・音夢さんもそんなに怒らないでください。ね、由夢ちゃん?」
「そうですね。美春さんも悪気があって聞いたんじゃないですし、おばあちゃ・・・・音夢さんも落ち着いて」
「わ、わざとやってるのかしらね・・・オホホ」
「ね、音夢先輩怒っちゃダメですよーっ!」
なんやかんやで騒ぎながら話をしている―――と、何やら悲鳴の様な言葉が聞こえてきた。
なんだろう。そう思い、振り返って廊下の突き当たりを見た。頭がクラっとしたような感覚を覚える。
慌ててことりさんが抑えてくれたので、何とか倒れないで済んだ。由夢ちゃんも見て同じ感覚を覚えたのか、頭に手をやっている。
「だ、大丈夫っすかっ、音姫さん・・・・て!」
「ちょ、ちょっと大丈夫・・・・うわっ!」
「ひ、貧血ですかっ・・・・て、わーーーっ!」
「・・・・な、何やってるんだか、もうっ!」
皆私の視線の先にある風景を見て、言葉を失う者、驚き慌てふためく者、呆れ声を発する者といる。
流れる様な金髪。堂々とした立ち振る舞い。気品に溢れ端正な顔立ち。まるで『お姫様』みたいな女の子。
そんな女の子が―――――――。
「あら、もうお集まりになってらしたのね。遅れて申し訳ありません。少し回り道をしてしまったもので・・・」
「ぐっ・・・・だ、だからそんなに腕を捻らないで・・・!」
自分の顔と見知らぬ相手の女子の顔を『血』に染め、相手の腕を掴み上げたまま悠然と笑みを携えて歩いてくるものだから、軽く場がパニック状態になる。
ああ、エリカちゃん。昔は真面目でいい子だったのになぁ・・・・。昔は乱暴な事が嫌いで、言葉で話しあえば何でも解決出来るって言っていたのに・・・。
そんな思いに駆られながら、私は本格的に貧血状態になっていくのだった。
「鼻が曲がって無くて良かったわ。もし曲がってたら義之に顔なんて見せられないもの」
「そ、そういう問題じゃないでしょうっ、エリカちゃん!」
「そういう問題なのですが、ね。音姫先輩」
「暴力は絶対ダメ! それに女の子なんだし――――」
「胸倉を掴み掛かってきたので、それ相応の対応をしたまでです。掌底、結構効きますのね」
「は、話が噛み合って無いよぉ~」
鼻の上を覆っているガーゼにムズ痒い思いをしながら髪を掻き上げる。音姫先輩はどこか疲れた様な顔をしていた。真面目な方だ。
しかし、心配を掛けたのは失敗だった。この人は他人の為に涙を流せる人種。元々好意的な気持ちを抱いていた相手なので、少し座りが悪くなる。
保健室の独特の薬味が効いた様な匂いを嗅ぎながら、とりあえずホッと一息を付く。そんなエリカに、憮然とした面持ちの由夢が話しかけた。
「どういう訳か知りませんが―――あんまり派手な行動は控えて下さいね、ムラサキさん。保健委員の私が居たからいいものを」
「中々に手際がよかったわね。褒めてあげますわ、由夢さん」
「な、なんですっ―――――」
「ありがとう。情けない話、怪我の治療の仕方とかに疎くて少し困ってましたの。本当、助かりました」
「・・・ふん」
思いのほか正直に礼を言ったエリカに毒気を抜かれたのか、由夢はそっぽを向く様に顔を捻る。礼は欠かすな。そういう教育を幼少の頃から受けてきた
エリカにとっては普通の行動だった。それは性格が変わっても、尚あり続ける教養だった。
そうして数拍の間が空き、ガラッと保健室の扉が引かれた。入って来たのは音夢、美春、ことりといった面々だった。エリカの無事な様子が見られ、各々
は安緒したかのように、ほっと一息をついた。
しかし、次の瞬間――――音夢は怒鳴る様に声を張り上げた。その怒声に周りの面々は驚いた顔付きを作る。美春もそんなに怒る音夢を見たのは久しぶ
りだったので、「うわー・・・」と呟きながら距離を取った。平静なのはエリカだけ。彼女はガーゼの位置を改めて直し音夢と対峙した。、
「何やってるんですかエリカさんっ! あんな暴力沙汰を起こして、危うく大騒ぎになる所でしたよ!」
「あら、折角この時代の風紀委員の役員さんに会うということで手土産を持ってきたつもりなのですが―――お気に召さなかったようですわね」
「いつの時代のお侍さんですか・・・」
「美春、ちょっと黙ってて」
「は、はい」
「・・・・ふん」
本当に頭にキテいるらしい。エリカはどうしたもんかと思案気に髪を撫でる。音姫と由夢はこの空気に口を挟めないのか、黙って成り行きを見ていた。
本当ならエリカをサポートしたいと思っている音姫だが、事実としてケンカ騒ぎを起こしたのは事実。助勢のしようが無かった。不安げに瞳を揺らすしかない。
厳しい視線を送る音夢と、詰まらなそうに鼻を鳴らすエリカ。危うく一触即発状態の二人に、保健室がピリピリとした空気に包まれていく・・・・。
そしてそんな中、動きだしたのはことりだった。スッ、と両者の間に入る彼女。あまりにも自然に入ってきたので、誰もが口を開けなかった。
若干困惑気に眉を寄せるエリカ。音夢も、まさかことりがこの場面で出て来るとは思っていなかったらしく、驚く様に茫然とした。
そして、エリカの目を見詰めながらことりは口を開く。どこか子供を窘める様な口調で、言葉を紡ぎ出した。
「苛められてた人、助けただけだもんね。エリカちゃんは。それが素直に言えないだけなんだよね?」
「なっ・・・・」
「い、苛められてたって・・・。相手の女の子は一方的にエリカさんが殴り掛かって来たと言ってましたよっ? ことり」
「ならその女の子が嘘を付いてるんだよ、きっと。本当の事を言ったらどうなるか分かったものじゃないし。もしかしたら停学になるかもしれない。
そう思ったんじゃないかな、彼女は」
「何を根拠にことりはそんな事を・・・」
「――――ねぇ、エリカちゃん。ここは素直に喋ってみようよ。でないと、このままじゃ貴方が悪者になっちゃう」
「・・・・さて、どうだったかしらね。ただ単に腹が立って気に喰わなかったから殴った様な気もしますし、ね」
「もうっ、素直じゃないんだから」
何故バレているのか・・・。あの時は周りに誰も居なかった筈。だからこそ、その女子は恐喝に似た脅しをしていたのだし、私が間に入っていったのだ。
お手洗いから帰る途中、踊り場の隅の方で何やら物々しい雰囲気を出しながら女子二人が喋っていたので、気になって近付いたのがきっかけだった。
愉悦の笑みを浮かべている女と、怯えを顔に走らせ、泣きそうな顔をしながらおずおずと五千円札を差し出している女――――間に入って、それを取り上げた。
それが事の真実だった。私らしい行動、私らしくない行動。最近の自分は変わりつつある。あの時の行動は、どうだったのだろう。ふと、思い返してみた。
『へぇ、昔のお札は印刷されている人物が違いますのね。初めて知りましたわ』
『あ・・・』
『な、なによアンタっ!』
『私がどこの誰かなんてどうでもいいわ。こんないたいけな女の子からお金をせびろうとするなんて、恥ずかしく無いの貴方は』
見るからに気の弱そうな女の子だった。洒落っ気もないし、よく居るクラスの端で本を読んでいそうなタイプ。対する女の子はまるで真逆で、髪にパーマを
掛け軽くピアスなんてしている。いかにもクラスでリーダーを張ってそうな女だ。
この様子じゃ、これが初めてでは無いだろう。五千円札を出す仕草に躊躇いが無かった。その奪い取った五千札をヒラヒラさせながら、そのリーダー格の女の
顔を見詰める。相手は今にも掴み掛かって来そうな勢いだった。
『ハッ、それこどアンタに関係無いコトでしょ。なに、正義の味方気取ってんのよ。そういうの寒いからさ、ホント』
『失礼。私は育ちが良いので、目の前で薄汚い乞食―――ああ、貴方がお金を奪い取ろうとするのを黙って見ていられなかったの。目に毒だし』
『はぁっ!? 誰に向かってそんな――――――』
『貴方に、ですわよ。日本語が不自由なのかしら。そういえば義之がここ数十年の日本人は日本語もまともに話せない人が多いと言ってましたわね。
貴方の事かしら。見るからに頭が空っぽそうだし』
『こっ、この!』
『あわわ・・・』
襟を掴みに掛かってくる相手。見た目通り感情が先行するタイプ、よくいるタイプだ・・・と義之なら言いそうね。いきなり殺気だった雰囲気に気弱い
女の子がオロオロしている。普通はそうだろうと思う。いきなり苛めていた女と見知らぬ女が掴み合いのケンカになっているのだから。
そうした状況になり――――ああ、とさっきから感じていた既視感に答えが出てきた。何故こんな面倒な場面にノコノコ出しゃばったのか。ここまでさ
れると予想が出来ていて、それを無視してまで間に割り込んだのか。
『何よ。もしかしてビビっちゃったとか? ぷっ、情けないわねぇ~』
『ねぇ、貴方』
『ん? 何よ』
自分も義之みたくなりたかったのだ。過去同じような状況に私は陥り、助けてくれた義之。その時は本当に『ヒーロー』に見えたものだ。女たらしだけど。
威風堂々とした立ち振る舞いに気を惹かれた。その残虐行為に近い暴力も、『圧倒的』な力に見え目を奪われた。貴族失格かもしれないが、本当の事だ。
だから、こうして私も目の前に立ちはだかり、誰かの助けになりたかった。元々正義感が強い性格ではあったのも関係しているかもしれない。
だから―――――――。
『ピアス、似合って無いわよ』
鼻っ柱に手の平の底、掌底を喰らわす。女の私でも軽く拳固の威力を出せる部位、義之が教えてくれた行為だった。鼻血を吹きだしながら倒れそうに
なる相手。その様子を見て、油断していた。自慢できる事じゃないが私はケンカなんてした事が無い。下から返しの一発を貰ってしまった。
思わず悲鳴が漏れそうになるのを我慢して、首の後ろの襟を掴んで思いっきり壁に体を叩き付ける。一瞬意識が遠のく彼女。それを見て、さっき貰った
一発を返すために今度は拳を固く握りしめ・・・もう一回鼻の頭に喰らわす。それで相手は半分ノビた状態になった。
『ぁあっ、痛いわね! 鼻が曲がったらどうしてくれるのよ、全く』
『ぐぅ・・・、こ、この女・・・・』
『ほら、行きますわよ。ちょうど風紀委員の人達に会う所でしたの。タイミングがいいわね、貴方は。叩きだして差し上げますわ』
『あ、あの・・・!』
『やられてばっかりじゃダメよ、貴方も。でないとこういう脳が足りない人がツケ上がって何回も来るのだから』
『・・・・・いつかやり返そうとかは、思ってました』
『へぇ、意外ね』
軽く言い放つ。嘘に決まっていた。お金をせびられていた彼女の目、完全に怯えが走っていた。奴隷の様な目だった。
彼女自身もそれは分かっているのか、私の返事の軽さに何も言ってこなかった。ぎゅっ、とスカートの端を掴むだけ。
はぁ、私なんかがこういう言葉を吐ける義理じゃないのは分かっているのだが・・・・何か一言を言いたかったので、視線を合わせた。
『目の前にお腹を空かしたライオンが居たら、あなたは同じ事を言うのかしらね。いつか待ってろ、やり返してやる―――って』
『そ、それは・・・』
『自分じゃどうしようも出来ない。だったら―――他の人間の力を借りなさいな。別に恥ずかしい事じゃないのよ? 日本人の9割はローンを組んで
自宅を購入するのだから。誰だっていつも他の誰かに力を借りて生きている。これは事実だし、変えようの無い真実。最も、一人で生きていける人も
例外的にいるけれどね。私もそうなりたいわ』
『・・・・・』
『あとは自分で考えなさい。納得のいく答えなんて、結局自分で見つけるのしかないのだから』
そう言って、女の腕を極めながら、引き擦る形で歩き出す。これもまた、義之から教えて貰ったもの。
役に立ってよかった。帰ったらお礼を言わなくては。義之はいつも役に立つ事を教えてくれるので大好きだ。
『あのっ!』
『ん?』
『ありがとうございます!』
『・・・・』
背中越しに手をヒラヒラ振る。なんだろう、物凄くムズ痒い。こんなにもお礼を言われる事が恥ずかしいなんて・・・。
だが、悪く無い気分だ。これはいい。この事を義之に報告したらどう思われるだろうか。人が良い奴はこれだから、とか言われるのか。
まぁ、そのお楽しみは後に取って置くとして―――――だ。その子から見えない位置まで来た時、私は掴んでいた腕を更に曲げた。
『いぎっ・・・!』
『今後似た様な真似をしてみなさい。貴方をこの学校から退学にして追い出して、知り合いのヤクザを貴方の家に何人か向かわせるから』
『や、やくざって・・・・』
『最初言った通り、私の家はお金持ちなの。貴方達家族をドブネズミみたいにする事なんて訳が無いのよ?』
勿論嘘っぱちだった。私はこの世界の人間じゃないし、元の世界でもそんな付き合いなんてない。だが、この場合は真実なんてどうでもいい。怖がらせれば。
私が言った言葉に相手の体がガクガク震えだす。『ヤクザ』という言葉に殆どの人間は敏感だ。誰しもが恐怖の対象に上げる職業。この子も例外じゃなかった。
ま、こういうアフターフォローも必要ですわね。馬鹿は懲りずに同じ事をするし。また恐喝なんてしてたら目も当てられないわ。本当に。
そして、女子生徒の目が潤んできた。自分でも言うのもなんだが、私の外見はパッと見お金持ちに見える。言葉に説得力がある。私は言葉を続けた。
『だから、ね? もうニ度とあんな真似しては駄目よ? 私もそんな事をするのはとても心が痛い行為なのよ。私の為にも、貴方の為にも、もうやらないと
誓える? ねぇ、どうなの?』
『わ、分かりましたっ、もうニ度としません! だ、だからお願いですからヤクザとかは・・・』
『あら、なんだか私が恐喝しているみたいな言い方ね。気分が悪いわ。私は貴方の為を思って言ってるのに・・・。腹が立って思わず知り合いの怖い人達
に電話してしまいそう。携帯電話どこに仕舞って置いたかしら?』
『ち、違います! 全然そんな事はありませんっ、本当にここまで優しくしてもらって感謝してます、はいっ』
『結構。全く、近頃の子はちゃんとお礼を言えなくて困りますわね。戦時中でも日本人は礼節がしっかりしていると世界中から言われていたらしいのに・・・』
『あ・・・その五千円・・・』
『何か?』
『え、あ、なんでもないです・・・はい』
五千円札をしっかりポケットの中に入れておく。お金はとても大事な物だ。特にこんな状況じゃ、それはとても重要な事。
あの子もこんな人に使われるよりは私に使われた方がいいだろう。きっとそうに違いない、うん。そう思いながら集合場所に歩いて行く。
しかし――――本当に私は変わった。二年前には考えられない。こんな物怖じしない性格になるなんて。よく天枷さんには『神経が図太くなった』と言われるが。
まぁ、義之ほど図太くはないつもりなのだけれど・・・ね。そうして廊下の奥の方に音姫先輩たちの姿が見えてきて、私はいつも通り笑みを携えた。
「確かに保健室に寄った方が良いって言っても、何故か慌てた様子でお帰りになられましたもんねぇ、その女の子」
「でも、本当に苛めがあったからって、暴力なんて・・・」
「もうっ、頭が固いよ、音夢。実際に苛めがあって、何回もお金を取られている人が実際に居た。この方が問題じゃない?」
「そ、それはことりの言う通りかもしれないけど、でも、やっぱり暴力は・・・」
「別になんだっていいですわ。事実として暴力を振るいましたし、それを弁解するつもりはありません。常識的に考えれば音夢さんの考えは最もですわね」
エリカはそう言い、軽く息を吐いて目を瞑った。彼女自身、自分がした行為は悪い事ではないと思っているが、客観的にそれはいけない事だと考えている
ので言い訳をするつもりはなかった。そんな様子にことりは頭が痛くなる。本当の事を言って、音夢と仲直りをして欲しい気持ちがあった。
音夢も音夢で好きで喧嘩をしたい訳じゃ無かった。彼女の中ではやはり暴力という手段は間違っているモノだと考えているし、もっと別な方法があった筈だと
も考えていた。その事について話し合いたい気持ちがあったのに―――こうも間に幕を張られてしまうと中々に切り込み辛かった。
また沈黙の間が保健室に降りる。音姫も由夢も困惑気に瞳を動かし、ことりも美春も似た様なものだった。エリカは腕を組んだまま黙り込み、音夢は何か言い
たそうに口を開き掛け、また閉じるという行為を繰り返すばかり。
緊張感が満ちて空気が張り詰める保健室。そんな中、その空気を打開しようと音姫は身を強張らせながら口を開いた。
「そ、そういえば音夢さん! 杉並くんという男子生徒を知っていますか?」
「え、杉並くんですか? それは、知っていますけれど・・・」
「その方って何処にいるか知ってます? 一回会ってみたいんですけれど・・・」
「う、う~ん・・・」
「杉並先輩は神出鬼没ですからねぇ~・・・。今も何処で何をしてるのやら」
音夢はここ最近はずっと彼の姿を見ていないよう気な気がした。いや、それは有り得ない。同じ教室なのだから顔を合わせるぐらいはする筈だ。なのに
まるで数年会っていない様な奇妙な感覚を覚える。彼の姿を最後に見たのは何時だったろうか。
美春も同じだった。最近同じ日ばかりを過ごしている気がする。この間も気が抜けていると先輩から叱咤を受けたが、どうしても中だるみを感じている。
理由は分からないが、なんとなく『飽き』の感情がずっと燻っていた。
音姫はそんな様子の音夢達に対し、眉を落としてしまう。有益な情報は手に入れられそうにない。風紀委員なら何か掴んでいると思っていたがアテが外れた。
「その杉並くんの事ですが、実は――――」
「失礼します」
「え・・・あ、雪村さんっ?」
「やっぱりここに居たんですか、音姫先輩達」
突然保健室に入室してきた者、杏だった。どこか疲れた様なため息を吐き、一同を見渡す。いきなりの乱入者に音夢と美春は困惑気に視線を揺らした。
音姫達もまさか杏がここに来るとは思っていなかったようで、面喰らった様子でたじろいでいる。そんな彼女達に構わず、杏は視線を巡らしたままだった。
そしてエリカに視線を留め―――先程より思いため息を付く。その中でいち早く復活した由夢が、どうして杏がここに来たかを聞いた。
「どうしたんですか、雪村先輩。確か水越さん達と天枷さんで別行動の予定でしたよね? なぜ保健室に」
「まぁ、色々通行人から噂を聞いて、ね」
「噂?」
「ええ。あ、自己紹介が遅れたわね。私は雪村杏。この人達の・・・まぁ、リーダーみたいなものよ。よろしく」
「ど、どうも・・・。風紀委員の朝倉音夢と言います」
「わ、私は天枷美春と言いますっ。今日はお日柄もよく、はいっ」
「――――朝倉と天枷、ね。なるほど」
一頷きして、にこっと微笑みを音夢と美春に向ける杏。美春はみっくん・ともちゃんの二人組と同様、目を輝かせてきゃーと騒ぎ始めた。
それとは対照的に音夢はどこか訝しむ様な視線を送る。彼女もまた、表の表情と裏の表情を使い分ける人種であったのでその行為に警戒感を覚えた。
反応がイマイチね―――杏はそう感想を抱きながら、エリカに向かって諦め口調で話しかけた。
「聞いたわよ。金髪の美人が鼻から血を流して、怪我している女子生徒を引き摺り回してたって。ムラサキさんの事でしょ?」
「その話で合っているところ・・・『金髪の美人』だけですわね。私はあくまで任意で付いてきて貰っただけですわ」
「腕を極めながら?」
「・・・・・」
「まぁ、いいわ」
「いいんだ・・・」
「ムラサキさんとは短い付き合いではないので、何か理由があってこんな事をしでかしたと私は考えてるのよ―――音夢さん」
「そ、そうんですよ雪村さんっ。エリカちゃんはただ苛められている女の子を助けただけなです!」
「――――へぇ、貴方が・・・ねぇ?」
「何か含みがある言い方ですわね。雪村先輩?」
「別に。ただ、貴方らしいと思っただけよ。嫌いじゃないわよ? 普段は憎まれ口を叩いているけど、なんだかんだいって他人を助けるその義之みたいな行動」
「・・・ふん」
その言葉が意外だったのか・・・そっぽを向いて頬を掻くエリカ。自分自身、身勝手な行動とは自覚していた。この世界に来てからは杏に目立つ
行動を控える様に口が酸っぱくなるほど言われていたので、平手打ちなどの戒めは覚悟していた彼女。最低で説教は受けると思っていた。
それなのに、逆に穏やかな口調をもってそんな返事が返ってくるとは・・・。エリカはそう思いながら、杏の顔を横目に見る。薄く笑みを浮かべて
いるだけ。本当に怒っていないらしい。相変わらず読めない女性だと思う。
音夢が何か言いたそうに口を開こうとするが、その空気の間に入り込むのが躊躇われた。確かに暴力で解決するのは野蛮事だと思うが、遠巻きに見て
コソコソするよりも、体を張って止めに掛かった彼女の方が好印象に近い感情を持てる。しかし、やっぱり・・・・と音夢は思うのだった。
「まぁ、それを確認しにきただけよ。大した怪我をしなくてよかったわ。じゃあ、私は眞子さん達の所に戻るわね」
「え、眞子と一緒に行動してるんですか?」
「ええ、そうよ音夢さん。眞子さんと萌さんと、あと一緒にこの世界に来た美夏という女の子も一緒ね。もし、する事がないなら皆も来てみる?」
「そうっすねぇ。音夢はどうしますか? 最初の目的としては音夢達の風紀委員のお仕事を手伝う予定だったんだけど」
「う~ん・・・。仕事といってもとりあえずは見周りとかぐらいしかないですからねぇ・・・今のところは・・・」
「音夢先輩行きましょうよっ! 私もっと沢山の未来人さんに会いたいです!」
「う、う~ん・・・。でも仕事をサボる訳にはいかないし・・・」
「音夢先輩は働き過ぎなんですよ、少しくらい面白い思いをしたって誰も何も言いませんてば。あと怖いってのもあるし」
「・・・美春?」
「さ、さ~てっ、行くなら早く行きましょうか! 案内お願いしますよ雪村さんっ」
「もうっ。分かったわ。けど、ちょっとだけなんだからね」
美春の勢いに押されたのか、渋々了承する音夢。実際に仕事といっても大した用件は無く、各クラスに事故とか起こさない様に呼び掛けるだけだった。
杏の手を取り、駈け出そうとする美春。杏はやれやれといった表情でそのまま連れられ―――廊下に出た。各面々もそれに習い椅子から立ち上がる。
それにしても―――段々大所帯になってきた。それも全員女性ばかり。何かあったときこれじゃ大変だ、と杏は頭を働かせた。
「何も起こらなければいいけど、ね」
「んー? なんですか、雪村さん」
「何でも無いわ、美春さん。それにしても――――貴方ってどこか子犬みたいな感じがするわね。よく言われない?」
「はいっ、良く言われます! 子犬みたいでよく可愛いと――――」
「なんだか苛めたくなるわねぇ。きっと目なんか潤ませてさぞや『可愛い』でしょう・・・・」
「・・・・・」
「ふふふ」
杏の目に、ややサディスティックな色合いが帯びるのを見て、美春は冷や汗をツツーッと流す。
手はしっかり握りこまれ、まるで離さないと言わんばかりの力の込め様だった。無い筈の尻尾が段々丸みを帯びていくのが分かる。
やばい、美春の天敵だこの人――――そう思い、美春はどこかぎこちない笑みを杏に向かって浮かべた。
「という事でお客だ」
「ど、どうも・・・」
「・・・・」
「こいつはアイシアと言って、まぁ、さくらさんの親戚みたいなもんだ。日本を旅行中に金銭が無くなったみたいで、とりあえず家に居候してたんだが
急に改装をする事になって住んでる部屋が立ち入れ禁止になっちまった。で、とりあえず今日はここに泊まる事になったんだ」
「そ、そうなんだ。よろしくね、アイシアさん?」
「・・・・」
「あ、あはは・・・」
半目になりながらアイシアはななかを見る。そういえばこいつらはどの世界にしても初対面だったか。相性はどんなもんだろう。
そんな事を考えつつ、オレは煙草を窓際に座りながら吸う。その行為にななかが何か言いたそうにしていたが、結局口をつむんでしまう。
ふと考えてみて、もしかしたら昼間のアレが結構効いたのかもしれないと結論付く。どこか話しかけるのを躊躇するような空気が伝わってきた。
「ちょっと、義之」
「なんだ」
「これ、どういう事ですか?」
「どういう事もなにも―――見ての通りだ。屋上に閉じ込められて雨で水浸しになってたななかを助けた。ま、偶然だけどな」
「・・・助かったよ。本当にありがとう」
タオルで頭をごしごし拭いているななか。小恋と軽くダベった後、オレはコンビニに向かった。オレの大好物の煙草を買う為だ。
その帰り道に雨が降り、急いで校舎をくぐると屋上で長い髪の女が立っているのが見えた。最初は幽霊かと思ったが、見覚えるのある顔付きだった。
どうやら強風に吹かれてお陰で、ドアが閉まり、ちょうどロックされた感じになっていて立ち往生していたらしい。オレが見つけなければ肺炎を起こしてたな。
「まぁ、適当に温まったら帰りな。親御さんが心配してるだろうよ」
「・・・うん」
義之がそう言うとななかは、はにかみながら返事を返す。昼間にあれだけ罵詈雑言を言われてかなりショックを受けたななかだったが、心配されている
と分かると途端に元気が出てきた。義之が煙草を吸っている事についての疑問も些細な事に写ってしまう。
そうなると面白くないのはアイシアである。帰って来たと思ったら例の取り巻きの女の子を連れて来たのだから当り前と言えば当り前の話。昼間に交わ
りそうな雰囲気だっただけに、気が立つのは仕方無い事だった。
「そんな不機嫌な顔をしないでくれ、アイシア。オレが悪かったよ。ごめんな」
「謝って済む問題じゃないです。私は、かーなーり、恥を掻かされたんですよ。本当に分かってるんですか、義之は」
「分かってるつもりだ。だが、今はななかがいる。そんな尖った雰囲気を出してちゃ怯えちまうぞ?」
「知りません」
「わ、私は平気だから大丈夫だよ、うん」
険悪な雰囲気になりそうな事を悟ったのか、手をぱたぱたと振ってぎこちない笑みを浮かべた。その様子を煙草を吹かしながら義之はポケットに手を
突っ込みながら見詰めた。
相変わらず笑顔に無理がある女だ――――元の世界のななかも昔はこんな笑みを浮かべていたなと、ぼんやり考える。アイシアは炬燵に足を入れながら
台の上に顎を乗せ、機嫌を損ねたかのように目を瞑っていた。
若干気まずい雰囲気が流れる学園長室。ぽりぽりと頬を掻いてきょろきょろと、落ち着きなく視線を彷徨わせるななか。そして改めて義之が煙草を吸って
いるのに目を留めた。紫煙を吐き出し、また吸う動作。いつも吸っているかのように流暢な動作だとななかは感じた。
「義之くんって煙草吸うんだ。気付かなかったなぁ」
「別に珍しくねぇだろ、煙草吸ってる生徒なんて。二十歳きっかりに煙草や酒を始める奴なんて本当にこの世の中に何人いるのやら」
「彼女さんは何も言わないの?」
「彼女――――小恋の事か。別に言わないし、言われたって止めるつもりはない。オレの趣味にとやかく言える奴なんて一人ぐらいしか居ないな」
「え、誰?」
「さくらさん」
「・・・ああ、学園長さんの事ね。でも、見た感じおおらかそうな人だと思うけどなぁ。特に何も言わなそう」
「事実何も言われないしな。理解のある保護者でよかったよ。普通の母ちゃんなら頭引っ叩いても止めるだろうにな」
「―――――彼女?」
「ここの、な。言ってる意味、分かるだろ。アイシア」
「・・・なるほど」
「んー?」
「なんでもねぇよ。ななか」
一本を吸い終わり、二本目の煙草に火を付けて、また吸い上げる。久しぶりの煙草だ。やや体がニコチンを欲しがっている。一日も吸わないなんて
本当に辛い一日だった。
適当にななかに返事をして、さて、これからどうするかと義之は考える。ぶっちゃけやる事なんてないので、このまま寝るだけだが・・・。脇にいる
学園のアイドル様は何時になったら帰るのかねぇ。何か言いたそうにこっちをチラチラ見詰めてるんだが。
何を言いたいのか、大体は予想が着く。おそらくは昼間の件か。結構刺激的な光景だったに違いない。あの桜内義之が女に暴力を振るうなんてな。
今思い返せば言葉使いも乱暴だった。普段の桜内義之とは似ても似つかない傍若無人っぷりだったろう。
「何か言いたい事があるなら、ハッキリ言えななか」
「え、あ、べ、別に言いたい事なんて・・・」
「――――そうやってまた人の顔色を窺うのか、お前は。なら一生そうしてろよ。そしてまた苛められて泣くんだろ、お前は」
「・・・・」
「ちょっと、義之」
「お前は黙ってろ、アイシア」
「なっ・・・」
窘める様に口を開いたアイシアを一刀両断する。こいつは気が優しい。きっとななかに心地良い言葉を掛けるだろう。だが、それじゃダメだ。
ななかはそうやって甘やかされて生きてきたからこうして辛い思いをしている。誰も彼もがななかに温い言葉しか掛けられない。上辺ばかりの言葉だ。
なんだかんだでオレはこの女に関わっちまった。もし無視するつもりなら助けなくてよかった。中途半端は嫌いだ。なら、少し切り込んでみるとするか。
「もう泣くのに疲れたろ。男から言い寄られて、それを振るのが辛いだろ。他の女子からあれこれ言われるのが怖いだろ」
「・・・・」
「なのにお前は馬鹿みたいに媚びへつらった笑みを浮かべるだけだ。見てるだけで苛々するよ、オレは。多分他の奴も同じだ。面が良いからこれまで
なんとかなってきたろが・・・そろそろソレも限界に近いな。そのうち友達も無くすかもしれない。渉とか小恋。気の良い奴等なのにな」
「―――――グスッ」
「ほーら、案の定泣きやがった。心が豆腐みたいに軟弱だな。今まで本当に甘やかされて育ってきたんだろう。自分から苛められるような原因を作って
おいて誰かの助けをただ待ってるだけのガキだ。いや、ガキだって誰かに助けを求める事が出来る。つまりお前はガキ以下の脳みそしか持っていない
と言う事だ。小学生からコツコツやり直した方がいいんじゃねぇのか、ななか」
「よ、義之! 言い過ぎですよっ!」
「言い過ぎ? 何が言い過ぎなんだ、アイシア。これぐらい言わないとコイツの場合ダメだろう。腰が重たいんだからな。それに、だ」
義之は視線をななかに合わせ、じっと眼の奥底を覗きこむかのように、見詰めた。
ななかはびくっと体を強張らせて、膝の上で組んでいた両手を所在無さ気に彷徨わせる。
それに構わず義之は眉間に指を置き、とんとんと拍子を刻みながら軽く目を細めた。
「ななか。今、アイシアがこういう風に言って止めてくれるのを待ってたろ」
「――――――ッ!」
「え・・・・」
「まずななかのアイシアの印象は『人の良さそうな女』だろう。さっき言い過ぎだとアイシアが注意した時から、視線がちらちらとアイシアに送られていた。
お前の癖なんだろうな、自分の味方になってくれそうな人間を探すのが。ここにきてお前はまだ逃げようとしている」
「・・・なんで・・・・ぐすっ」
「あ?」
「なんで、義之君は私をこんなに苛めるの? わ、訳が分からないよぉ・・・」
「見ていて苛つくからだ。それ以外に理由はない」
「う・・・・・・うわぁぁああ~んっ!」
「―――――ッ! 義之っ!」
アイシアの怒声。シャツを引っ張る様に手に力を入れてきた。それを無視して、またななかをじっと見つめる。涙をぽろぽろ流していた。
苛つく――――本当に、腹が立つ。泣く事が無駄だと知っているのに、まだ泣けば誰かが救い出してくれると勘違いしている。
馬鹿な行動。そうやって同情を掻き集めて慰めて貰う期間はとっくに過ぎている。もうそういう行為をしても誰も立ち上がらない。
教室での渉達。なんだかんだ言いながら、ななかの為に立ち上がらなかった。ようはそういう事だった。ただ突っ立ってる奴を助ける物好きはいない。
「泣くな。そうやって泣けば癖になる。泣き癖が付いた奴ほど救えない者はいない。下ばかり向いて前を見ないからな。どんどん心が腐っていく」
「そ、そんな事言われても・・・」
「何でそんなに体が震えているか分かるか? 怖いからだ。オレにこうやって卑下される事にショックを覚えて怖い。助けを求めようにも、もう助けて
くれなそうな人がいないから恐ろしい。そして今、何をしていいのか分からないから・・・怖い。怖さってのは克服しようとするだけでも大分緩和さ
れる。緩和しようとしなければその怖さはずっと等身大の大きさで居続ける」
「・・・・」
「最初に言ったが――――もう疲れたろう、ななか。ちっとは勇気出して周りに自分の本心を打ち明けてみろ。格好つけてねぇでよ」
「カッコつけてるって・・・」
「自分の内をさらけ出す事が恥と思ってる内は交友関係なんて築けねぇよ。壁を作ってる様なモンだしな。器用な人間は自分の内面を隠したまま人間関係
を築けるが・・・お前には無理だろう。不器用だし」
「・・・そうかも、ね」
「渉達も困ってたぞ。いくら忠告してもお前は他人に媚を売るのを止めないから心配だってよ。本当、ここまで症状が酷い女をまだ心配してるなんてお人
良しにも程があるよな?」
「渉くん達が・・・」
「自分の秘密を誰かと共有するだけでも違う。勿論絶対に信用を置ける人物を相手にだ。ななかにも秘密の一つや二つあるだろ? それを他人に話してみちゃ
どうだ?」
「秘密・・・」
茫然とその言葉を呟く。暗に心を読める能力を誰かに話せと言ったつもりだ。そうすることで過去の境遇も話さなければいけなくなるし、自分の行動の意味を
他人に打ち明ける事になる。信用に値する人物―――この場合は渉と小恋だ。あの二人は良い意味で馬鹿だからななかの話に相槌を打つだろう。
実際にオレの場合もそうやってななかと打ち解けたと思う。なんにしてもよく話すという事が大事だ。ななかみたいに誰にも深い話をせず、浅い話ばかりして
いるとあっという間に人間関係の糸は切れる。最近の日本人は特にその系統が強い。
人に自分を知って貰おうとしないので、結果的に相手の事も知らないままだ。ななかと小恋は幼少時代からの付き合いなので、ある程度は過程を飛ばして付き
合えている。渉はあんな性格なのでズカズカと物怖じしないで相手の心に踏み込んでいき、相手の人間―――ななかと仲良く慣れ親しんでいる。
だがそんな人間なんて余程いないだろう。だから、ななかが苦しい思いをしているのなら自分から踏み込んでいくしかない。
勇気を出すというのは、これまた勇気が必要になる。その勇気は結局は自分で出すしかない。ある意味吹っ切れると言っても過言ではないだろう。
もうここまで親切に分かりやすく言ったんだ。後は自分でどうにかして欲しい。誰だって怖い事から逃げたい筈なのに、頑張って立ち向かってるんだから。
「まぁ、長々とつまらねぇ説教しちまったな。オレの悪い癖だよ」
「全くですね。義之って結構自分の事を棚に上げるのに」
「得意だからな。というかイチイチ自分はこうだからああ言っちゃいけないとか考えてたら、何も喋れねぇんじゃねーの? 人なんてよ」
「詭弁ですね」
「そうだな」
「・・・うー」
まだ機嫌が悪いのか―――アイシアの口調がまだ固い。アイシア的には毒づいて言った言葉が、軽く義之に流されたので思わず頬を膨らませてしまう。
机の上に乗せていた顎をアイシアは引っ込め、ななかの様子を見やる。涙は引いていた。何かを考える様に目を伏せている。それを見ながらアイシアは思った。
結局手を貸してやるんじゃないか、と。相変わらずやり方が自分を悪人に見せる方法だ。素直に助ければいいものを―――ごろんと炬燵に寝っ転がるアイシア。
なんだかんだで・・・そんな気はしていた。義之は元の世界ではこの女の子を気に掛けていた。彼の性格ならば、違う世界でもそれは変わらないだろう。
少しばかり嫉妬してしまう場面ではある、とアイシアはもやもやした気分を抱えてしまう。思わず茶化してしまう言葉を呟いたとしても、仕方無い。
「ちゃんちゃん、ですかぁ」
「茶化すなっての。後で良いモンあげるからよ」
「え・・・?」
「それはまぁ、後にしておくとして・・・・だ。あとは家で考えろ、ななか。もう夜も遅い。いい子はとっくに帰宅している時間だ」
「―――――義之くんは、駄目なのかな?」
「・・・・・」
「打ち明ける相手、義之くんじゃ駄目なのかな?」
上目遣いに義之の顔を見詰めるななか。その視線に、若干考える様に義之は眉を寄せた。自分はこの時代の人間じゃないので、それは敵わないと彼の中では
既にそう結論付けされていた。
しかし、ここで断っても何時かは『義之』に秘密を打ち明けるだろう。この世界の自分。自分の彼女を泣かせる奴にななかの事は任せられない。ではどうす
ればいいか・・・。もう一本煙草に火を付け、深く吸い込んで義之は考えてみた。
ななかからしてみれば、義之に自分の秘密を喋ると言うのは至極当然の事だった。かなり厳しい言い方をされたが、ここまで自分に深く入り込んでくれた人
は今までに居なかった。もし自分の能力を知ったとしても、言い触らす様な人物ではない―――と、今までの話からななかは思う。
この人なら信用出来る―――ななかは期待に満ちた目で義之をじっと見つめている。そうして義之は煙草を半分まで灰に変えた時、紫煙を天井に向けて吐き
出し、ななかの申し出に答えを出した。
「駄目だ」
「・・・・何でダメか、理由を聞きたいな」
「お前が美人で可愛いからだ」
「え・・・・あ、そ、そうなの・・・かな?」
「ジ―ッ・・・」
「お前、結構嫉妬深いのな。怨念の籠ったドス黒いルビー色の眼が中々に怖いぜ? アイシアさんよ」
「義之が女の子をたぶらかすときはこういう方法を取るんだなって、観察してるだけですよ」
「観察?」
「最初は凄く厳しい言葉を投げ掛けて相手をもの凄くへこませます。次に少し優しい口調で話し掛けて気を緩ませ―――相手を褒める。とても悪質な手です」
「オレは本当の事しか言わない。実際に美人だと思うし、スラリとした体形も好ましい。本当に笑顔を浮かべた時なんかまるで向日葵みたいで見ていて穏やか
な気分になれる。あと色気も申し分無いし――――ー」
「ほ、ほらっ! そういうのが義之の手口ですよっ、恥ずかしい位に相手を褒めちぎるのが! 不良という自分の印象を逆手にとった卑怯な手です」
「うぅ・・・・」
さっきまで言っていた厳しい言葉の投げ掛けとは違い、まるでベタ褒めするような言い方に顔が熱くなってくるななか。今更だが義之という人間はこんな
事を言葉に乗せて喋る男の子では無い筈、と疑問に感じる彼女。
どこか生真面目な性格で確かに時々ふざけたりもするが、基本的には他人を褒めるという行為に羞恥心を持つ男の子。それがななかの義之に対する評価で
あり、間違ってもいなかった。そう――――それが、この世界に元からいる義之ならでの話なら確かにそうだったろうが、ななかはその事を知らない。
ちらっと顔色を窺うが、別段恥じる様子を見せない義之くん。毅然とした面持ちでアイシアさんの言葉に詰まらなそうな顔をしている。それに益々疑問を
持ってしまうななか。どこか義之くんらしくない・・・。ここまで堂々とした雰囲気を持つ彼、『何か』が違うと彼女は感じていた。
「まぁ、いい。話を戻すぞ、ななか」
「う、うん」
「結構オレはお前が可愛いと思ってるんだわ。お前が秘密を打ち明けるとなると、多分オレはお前に少しばかり入れ込んじまうと思う。オレだって男だしな。
学園のアイドルだかグラドルだかと呼ばれてる奴に、心底信用されれば力になりたいと思うし、構ってやりたくなる。彼女が居るのに、だ」
「あ・・・」
「ちょっとそれはどうかなと思う訳よ。別に別れたいと思ってる訳じゃないしな。お前もオレに打ち明けるとなると、頼るだろ? 色々な事をさ」
「た、多分・・・。正直言うと、しばらくは傍に誰かいて欲しいなとか思ってるし・・・」
「そしてオレは傍にいちまうだろう。彼女放って置いて親友のななかに手を出した。そんな噂がばら撒かれたら小恋なんて血吐いて死にそうだ」
「そうだね・・・。最近だって私と義之くん噂されてたし」
「・・・・」
全く、とんでもねぇ男だわ。彼女がいるのに美夏を構ったりななかを構ったり・・・どこが優しくて良いヤツなんだよ、どこが。
もしかして爽やかな顔をして鬼畜野郎なのか? それならそれでいい。問題なのは正真正銘自分が『良い奴』だと思っていた場合の事だ。
自分が悪い事をしていないと思ってるから性質が悪い。自分の都合が悪い事には眼を瞑り、他人に説教を噛ます奴なんてな。まさか違うよな?
「―――しょうがない。諦めるよ、義之くんの事は」
「悪いな。ここまで言って置いて力になれなくて。口だけ野郎と思ったか?」
「そんな事は思わないよ。何だか知らないけど、今の義之くんはそんな感じに見えないし」
「そうか?」
「うん」
適当にでっち上げた嘘だったが、どうやらななかは納得してくれたみたいだ。涙の後をハンカチで拭き、体制を取り繕ってる。
立ち上がり服をパンパンと叩いて、俯いていた顔を上げた。もう泣いていなかった。多分少し背中を押された事で、気が楽になったのだろう。
元の世界に居たななかみたいな表情を浮かべる彼女。この分ならなんとか大丈夫そうだな。後は渉とか小恋がフォローしてくれるだろう。
「さて、帰るとしま――――て、うわぁっ!?」
「なっ―――」
そう思って油断したのが運の尽きだった。
足が痺れたのか、立ち上がろうとした拍子にコケるようにオレに被さってくるななか。
いきなり起こった事だったので、ロクに反応出来ない自分。急な事態に目を白黒させるアイシア
オレはその転倒を止めようとして手を突き出し――――同じく手を突き出したななかと、手を合わせる形になってしまう。
「あ・・・」
「あ、やべ」
「別な世界・・・魔法・・・なにこれ・・・・」
「・・・くそったれ」
心を見透かされる。ダイレクトな接触だった。多分全部の情報がななかに流れ込んだろう。自分の心を鷲掴みにされる感覚。ななかの能力が発動した時に
感じる感触がした。思わず窮する様な声が出てしまう。
「―――――あ、あはは」
「・・・・・・」
「ははは、はは・・・・・。じゃあ、そういう事で・・・・」
ぎこちない笑みを浮かべて、そぉーっと離れていくななか。確かに転倒は免れたが―――予想外の事件だ。
がしっ、と離れようとするななかの手を掴む。ビクッと体を震わせて慌てふためるが・・・・逃がしはしねぇぞ、この野郎。
握った手をぷらぷらさせて、オレは『素敵』な笑みを浮かべる。更に引き攣るななかの顔。視線をアイシアに移し、口を開く。
「おーい、アイシアちゃん」
「・・・なんですか。そんなにラブラブな様子を見せつけたいんですか。悪趣味にも程が―――――」
「今、ななかに心を読まれちまった」
「・・・は?」
「だ、誰にも言わないよっ、うん! 義之くん達が別の世界の人間とかそんな事誰にも言わないから!」
「おいおい。映画やなんかでそんな言葉をよく吐く奴がいるが、決まってソイツはロクな運命を辿らない。よく殺されたりするよな、口封じの為に」
「―――――ッ!」
逃げようとするななか。手首を返しこちらに転倒させ、その体を抱きしめる形になる。
アイシアは「確か白河って苗字だったから、もしかしてこの子にも・・・」とかなんとか呟いている。
それに構わず、オレは近くにあったビニール袋で手を縛り、足を縛り、見事なまでに監禁模様を呈させる。
「すげぇな。まるでAVとかで良く見るシチュエーションだ。中々にそそる」
「最近の義之、すごく下品です。で、どうするんですかこの子。さっきの発言からするに、本当に心が読めるみたいですけど・・・」
「え、ちょ―――――」
「下品な分、上品な性格だからいいんだよオレは。とりあえずななかについては――――そうだな、一日だけ軟禁しておくか。その方が安全だろう」
「え、えええええええーーーーーっ!?」
「どこが上品な性格なんだか・・・・。まぁ、いいです。とりあえず私は魔法の力を回復させないといけないから眠りますね」
「おい、こんな面倒事をオレに押し付けるのか、アイシアちゃんはよぉ?」
「義之が油断して心なんて読まれるから悪いんですよ。じゃあ、私本当に眠りますからね」
おー、中々いい感じにやさぐれてきたな。物事に動じなくなってきた。それにアイシアからすれば心を読める能力なんて珍しくないのだろう。
全世界を旅してるらしいし長生きしてるみたいだし。過去に心を読める人物に会った事もあるに違いない。さっきの様子だとななかの親戚かもしれねぇ。
床に向かうアイシアを端目に―――とりあえず腹が減ったなと、何か食おうと視線を巡らせて炬燵の上にカツサンドがあったので、それをもしゃもしゃ食う。
ななかの家には後でこいつ自身の口から連絡させよう。もし、オレ達の事を喋ろうとしたら舌捻じ込んでそのまま本番に持ちこんでやる。
「ちょ、ちょっと義之くんっ! 私は何も喋らないって言ってるじゃない!? アイシアさんも助けてってばぁー! これ解いてよぉ~!」
「あ、おーいアイシア。お茶があった筈なんだが見当たらねぇぞ。どこにやったんだお前ー」
「あー。炬燵の中に入れておきましたよー。多分ちょうどよく温まってるんじゃないですかー?」
「おお、マジだ。さすがアイシアだぜ。寝ようとしてる所悪かったなー」
「ふぁあ~・・・。別にいいですよ。義之も程々にして寝て下さいねぇ。明日も早いんですから」
「おう」
「この人達全然私の話聞いてない~!?」
腕に付けられた時計を見る。時刻は10時。次の日を跨ぐのにあと二時間といった具合だ。普通ならとっくにお風呂に入っている時間帯。
だが、この世界に来てから風呂やシャワーを一度たりとも浴びていない。どうやら日を跨ぐと全てにリセット効果が表れ、身体状態が変わらないらしい。
身体だけでは無く、携帯電話にもその事が言えた。数日経っても携帯のバッテリーは満タンのままだった。もう驚く気にもなれない。
音楽室に集まった面々を見る。どこか不安そうな顔付きだが、眼には力が籠っている。物怖じはしていないようだった。
「さて、そろそろ準備は出来たかしら?」
「うん! ばっちりだよぉ~杏ちゃん」
「私達もOKっす」
「何か勢いで私達も巻き込まれるわよね・・・お姉ちゃん」
「まぁ、楽しそうでいいと思いますけれどねぇ~」
これまでは受けにまわざるを得なかったこの状況。今夜、初めてこちらから攻める事にしてみた。昼間の疲れなんて感じている暇なんて無い。
とりあえずクリパの準備具合は十分と言える。各自が頑張ってくれたおかげだ。手当たりしだいに手伝ったから時間は掛かったが・・・効果は抜群だ。
個人的に言えば巫女部は中々に楽しかった。暇が出来たらまた環さんに会いに行くとしよう。巫女装束、結構着てみた感じ似合っていたとは思う。
手にしたトランシーバーを各自に渡す。ことりさんが中央委員から借り来たもの。携帯が使えない以上、こういったアナログな物で対応するしかない。
「こういう時ってアナログ的なものって頼りになるわね。構造が複雑じゃない分、壊れにくいし扱いやすい」
「目が輝いてるわね、委員長。いざって時に頼りにしてるわ」
「どういう時よ、雪村さん」
「例の爆発、結構規模がでかかったわね。爆発というと何らかの外的要因が関わなければ起きない。どういうやり方を実行してるか分からないけど、恐らく
機械的なものを運用してるわ。連続で各場所で爆発してたものね。多分リモコンか何で操作をしていた・・・」
「無線式、って事ね。近くでいちいちスイッチ押してたらとっ捕まるし、爆発の衝撃に巻き込まれる可能性があるし。雪村さんは私にその爆発物の解除をお
願いしたいって訳?」
「そういう事。出来るでしょ? 委員長」
「か、簡単に言うわね」
引き攣った顔で眼鏡のフレームの位置をくいっと直す。別に私は爆弾解除が簡単に出来るとは言っていない。
ソレ専用の処理班が警察に居る事だって知ってるし、またその資格を取る際の試験も難しい事は知っている。危険物取扱どころの話じゃない。
勿論委員長もそんな資格なんて持っている筈が無いだろう。しかし、ただの機械好きなら私はこんな事をお願いしたりはしない。保証があって話をしている。
「仕掛けた相手はこの時代の杉並、かもしれないという話を聞いたわ。もし違ったとしても同世代の人が仕掛けたものというのは間違いない」
「杉並? 全く、どこに行っても他人に迷惑を掛けるのが上手い男ねぇホント」
「義之から話は聞いてるわ。委員長は機械工学の事なら自分よりも詳しいってね。あの男が言うのだからそれは本当なんでしょう。下手に自分
を大きく見せない男だし」
「そんな大したものじゃ・・・」
「少なくとも――――そういう知識なら同世代の誰にも負けない女の子だと思ってるわ。義之も多分そう思ってる筈よ?」
「そ、そんな風に持ち上げられても・・・」
「こうも言ってたわ。委員長は自分が唯一尊敬出来る女性だって。かなり熱く語られて少しウンザリしたわ」
「桜内がそんな事を・・・・」
「頑張ってね、委員長」
「・・・・やれるだけ、やってみるわ。その時が来たら」
目に炎が宿る様に色合いを濃くさせる委員長。渡されたトランシーバーを見詰め、少しばかり力が籠るのが分かる。
もちろんさっきの話は嘘だ。そんな話なんてした事はない。だが、委員長のヤル気は十分に充填されている。ついて良い嘘だから構わない。
基本的に彼女は乗せられ易い。その性格を逆手に取っての会話だったが上手くいった。世の中にはついていい嘘と悪い嘘がある。
そして早速行動しようと、足を一歩踏み出し――――耳をつんざくような爆発音が響いた。
「きゃっ!?」
「くっ、なんて爆発音なのっ、今までよりも全然大きい・・・!」
ガラス窓が震え、軽く耳鳴りがするようにキ―ンと鳴っている。周囲の様子を窺うと皆も呆気に取られたようで耳を抑えながら茫然としている。
時計を見る。いつもより早い。舌打ちを抑え、皆に張り上げる様な声を上げた。その声にいそいそと各自体制を取り繕い、音姫先輩の班が扉を駆け出ていく。
作戦を前もって伝えててよかった。ここで出遅れてはまた明日を迎えられなくなる。その次に白河さんの班が出ていき、私達も後を追う様に音楽室から出る。
「外にいる役員の人達も驚いてる様ね。どうやら今まではここまでの爆発は起きていなかったみたい」
「私も驚いてるわっ、雪村。記憶には無いけどここまでの爆発ってもしかして初めてかも!」
「私もそんな気がしますねぇー。まるで花火でも打ち上げられたみたいな大きな音で、びっくりしましたぁ」
「爆弾処理、これじゃ手遅れね・・・っ」
唇を噛んで悔しがる委員長。折角ヤル気になっていたのに、その力を発揮する前に爆発してしまった。その無念さがありありと伝わってくる。
しかし過ぎた事はどうにでも出来ない。もう次の展開に頭を巡らさなければいけない。意識を切り替えて次の作戦に移る事にした。
「一階に着いたかしらね。A組は」
『はぁはぁ、つ、着いたわよっ、雪村さん。今怪しい人が居ないか美夏ちゃんと由夢ちゃん、ことりさんが探してるわ』
「そのまま続けて下さい。B組は?」
『現場の裏側に来たけど、特に怪しい人は居ないね。さっきから風紀委員とか実行委員が走り回ってるのは見えるけど・・・』
「紛れて行動してる可能性があると思う。素行が怪しい人を見つけたらとりあえず捕まえて置いて」
『つ、捕まえるたって・・・』
「女性なら、そうね、ムラサキさんに頼みなさい。その子威圧感があるし人に絡むの得意でしょ」
『どういう意味かしら、雪村先輩?』
通信先に居るムラサキさんが反応する。そんなに音量は大きくしていない。犯人に悟られない為だ。なのに聞こえるというのはどれだけ地獄耳なのだろうか。
義之もそうだが自分の悪口にはとても敏感な両者。壁に耳ありどころではない。特にムラサキさんなんか一昔前はとても純情で『鈍い』人種だったのに・・・。
「言葉通りよ。全く、本当に嫌な所ばかり義之に似てくるんだから」
『男子の場合どうするの? 私、怖いんだけど・・・』
「それは貴方の得意分野でしょ白河さん。適当に色仕掛けでもして頂戴」
「なっ・・・・・」
「怪しい人を見たら絶対に連絡をしてね。くれぐれも先走らない様に」
階段を降り一階へ。そのまま一気に玄関を走り抜け、作戦通りに校門前に陣取った。移動に掛かった時間は二分ちょっと。まぁまぁの時間だ。
白河さんが文句を言っているのが通信で聞こえて来る。それを無視して周囲に視線を配った。誰も怪しい人物はいない。せいぜい野次馬ぐらいだ。
その野次馬の顔を全員分頭に叩き込んで表情の色合いを読む。驚愕と困惑。その二種類に彩られている。不審な行動を見せる者――――見当たらない。
A組の朝倉姉妹、ことりさん、美夏。
B組の白河さん、ムラサキさん、茜、小恋。
C組の私、委員長、水越姉妹。
各班に分かれての犯人捜索。それぞれが陣取った位置は爆発発生現場を中心に三角形の形で包囲されている。これでまず逃げられる可能性は低くなった。
犯人が私達の存在に気付いていないならば――――これが有効的。三すくみのこの視線の間から抜け出すのは厳しい筈だ。それに各班に四人ずついる。
相手が一人だと仮定するならばこれは勝ったも同然だ。何でもそうだが、数が多い方が勝つ。世の中の理。圧倒的な数字の対比は見るからに一目瞭然。
12:1。風紀委員と中央委員会の人達もかなり出張っているので、相手が複数犯だとしても似た様な対比になる。
「なんだか楽勝に方がつきそうね、雪村」
「だといいのだけれど、ね」
このままストレートに方が付けばいい。誰もがそう思っているだろう。私だってそう思っている。この人数の網を掻い潜るのは極めて困難な筈だ。
おまけに音夢さん達に会えた事も大きい。事情を話したら、警戒に厳しくあたると言っていた。今までよりも人数も多くするという。ありがたい話だった。
ことりさんも中央委員会という、私達の時代でいうと生徒会にあたる所に所属しているのである程度の口利きで今回の事に人数を割いて貰っていた。
私達、音夢さん達、ことりさんのお願いで集まってくれた中央委員会の人達。今までよりも何倍も警戒は厳しくなっている。
視線をつい、と周囲に改めて巡らす。燃え盛るクリパの準備物。あれらの中には私達が必死に手伝って出来上げた物がいくつかあった。
立て看板が出来上がり笑顔を漏らす生徒。屋台の設置に手こずりながらも、私達が汗水垂らして協力しなんとか完成させた立派な出店。
楽しかった。柄にも無いがそう思う。私達も何だかんだ言いつつ楽しんでやっていた。久しぶりかもしれない、こんなマトモにクリパの準備をしたなんて。
「・・・・ふぅ」
息を短く吐いて心を落ち着かせる。だが色は真っ赤に燃え盛っている。目の前に広がっている風景と同じだ。
今の自分―――かなり頭に来ている。恐らくはみんな同じ気持ち。自分達の思いが踏みつけられた気分だ。
立て看板は燃え、屋台なんかは吹き飛んで見る形もない。周囲の人達はそれを茫然と見詰めていた。
何回も繰り返したろう。何回も一生懸命にクリパに向けて準備したろう。何回もその経験をして記憶は無くとも、もう慣れている筈だろう。
それなのに――――今にも泣きそうな顔をしている風見学園の生徒達。絶対に捕まえてやる。こんな事はもう十分だ。ぎゅっと、握りこぶしの形を作る。
何回も繰り返される今日を乗り越える為、そして私達の『明日』の為に―――――今こそ、決着をつけなければならない。
『雪村さんっ、杉並くんを発見しました! 手にリモコンらしき物を持っています! 繰り返します、犯人は、やっぱり杉並くんですっ!』
「この時期流行ってるのっていうと、さっき言ったブランドのフローラル系か。確か小恋とかがつけてたな、そういえば」
「私もつけようかなって思ってるんだ。悪くない匂いだし今つけてるのも少し飽きてきたからね」
「ふーん」
「義之くんも何かつけてるよね・・・この匂い、なんだろう?」
「もうミドルなんて通り過ぎてるから・・・ムスクとか白檀、ナツメグなんかが混じり合った匂いだな。臭いか?」
「ううん。なんかセクシーって感じでいいと思うよ」
朗らかに笑うななか。勿論手足は縛ったままだ。オレの周りの女は気を抜くと何をしでかすか分からない。当り前の処置だった。
しかし、ずっと黙ったままではななかが可哀想だ。そう思い、とりあえずファッションの話をする。当然の事ながら食い付いてきた。
殆どの女はこういう話が好きだしな。オレも嫌いじゃ無い。少しばかり場が盛り上がっているのを感じていた。
「でも、本当に違う人なんだねぇ。顔はそっくりなのに・・・」
「全然違うぜ? 顔は見た事無いから知らんが性格は正反対だ。あっちは気の良いヤツで通ってるしな」
「こっちの義之くんは女好きだもんねー。ふふっ」
「・・・言うじゃねぇか、ななか」
「嫌味の一つも言いたくなるよ。これ、外してよぉ~」
「嫌だね。お前も油断ならねぇ女だし、何よりオレの目の保養になる。黙って縛られてろ」
「うわぁ」
大げさに身を引いて、冷たい視線を浴びせて来る。それに構わずオレはイヤらしく舐めまわす様な目で見る。少し恥ずかしいのか身をよじるななか。
これ、写真撮ればかなり儲けられるんじゃねぇか? 一枚500円として、学年の男が大体買うとすると・・・普通に万は行く。元の世界に帰ったら打診するか。
「大人しくしてれば手は出さない。オレはこれでも紳士だからな」
「そうかなぁ・・・。心読んだ感じじゃかなり喧嘩早くて、野蛮な感じがするけど・・・」
「そこら辺のヤツよりマナーは知ってるし、頭を使って金も稼ぐ方法を知っている。それに・・・だ。元々紳士っつーのはイギリス貴族の事を指してる。
オレは自分でもいうのも何だが、結構それに近い位置にいると思うけどな」
要は礼節がしっかりしている金持ちの坊ちゃんて訳だ。保護者が学園長なんて立場に着いてるし、研究で取った特許なんかで月々に金は黙っても入ってくる。
散財の癖なんてさくらさんにはない。かなりの貯蓄がオレの家にはある。下手な病院経営者よりは確実にだ。あのボロい古家に騙されてはいけない。
それに比べ、元の世界のさくらさんは―――すげぇ豪遊してたな。知らない内にシルクの服が数着あったりしたし、車も派手な奴に乗っていた。
しかし、家はあの古い家のままだった。なんだかんだで感傷深い人だった。けど、庭半分埋めるぐらいの自分の研究室を増設するのは今でもどうかと思う。
帰ってきたら本当に驚いた。電子パスワード付きの研究室。時々あの人が何を研究してるのか分からない時がある。それも教えてくれねぇし・・・・。
「あーあ。知らない子には因縁を付けられるし、優しい義之君に似た酷い義之君が脇に居るし。ついてないなぁ」
「どこが優しいんだかねぇ。優しいの意味を勘違いしてるんじゃねーか? あと因縁をつけられるのはてめぇの所為だろ」
「そ、そりゃーそうだけどさっ。ていうかさっきの義之くんといい、購買部前の義之くんといい・・・本当に怖かったって」
「慈悲なんて見せてないからな。そりゃ怖く見える。何より苛つくのがあんなカス共に良い様にされているお前だぜ。一発ブン殴ればいいんだよ。そうすれば
もう二度は絡んで来ない。男と違って女はそういう所は頭が良いからな」
「そしたら裏で何を言われるか・・・」
「気にするな。裏だろうが表だろうが自分の事をあーだこーだ言ってる奴は何処にでも絶対にいる。お前の場合は特に言われるだろう。有名税だと思えばいい」
「有名税・・・か。好きで有名人やってる訳じゃないのに」
「お前は美人で可愛いからな。羨望の眼で見てくる奴もいれば嫉妬の感情をもつ奴もいる。仕方無いな。モテル女は・・・」
「だ、だから恥ずかしいってば・・・もう」
顔を朱色に染める。いつまで経ってもこういう言葉に慣れない女だ、こいつも。少しは傲慢になってもいいのにな。モデルなんかオレより傲慢だ。
自分以外を殆どはえた・ひにんだと思っている。嫌いな人種では無い。その美貌が武器なんだからドンドン使えばいい。武器は使う為にあるんだからな。
まぁ、最近の女は勘違いが多いからその辺は弁えて欲しいかもしれない。ブサイクな癖に服とかバックは一丁前だ。豚に真珠。豚はまだ食えるからいいけどよ。
しかし・・・こいつは本当に美人だな。朱色に染まっている顔なんか中々に色気がある―――――と、目が合った。思わず引き込まれそうな目だった。
潤んだ目でこちらを見てくるななか。扇情的だった。少しばかり沸騰しかける艶味の感情。オレはそれを誤魔化す様に咳を鳴らし、軽口を叩いた。
「そんなセクシーな顔を見せないでくれ。勢い余って押し倒してしまいそうだ」
「・・・・・・・」
「最近女とやってねぇし欲求不満なんだよ。オレは肉食系だからな。我慢するのが結構大変なんだぜ?」
「ねぇ」
「ん、なんだ―――――」
お茶のペットボトルを飲んで視線を脇にズラす。目に着いたのは淡い色合いの下着。
ななかがこちらに見せて来るように、少しスカートの裾をずらしていた。きめ細かい太股。隠そうとしていない。
ななかの目を見る――――が、反射的にオレは目を逸らした。こちらを切望するかのような目。逸らさなければどうにかなりそうな目だった。
「なんのつもりだ、ななか」
「なんのつもりなの。そうやって挑発しておいて、乗ろうと思ったらいきなり大人しくなってさ。私を襲うんじゃなかったの」
「悪かった。冗談だったんだよ。少しばかり調子にのってたな。オレの悪い癖だ」
「私はさ、別にいいんだよ。元々義之くんには惹かれてたし。けど、こっちの義之くんには彼女いるし諦めてたんだ」
「だからオレがその優男の代わりか? 冗談じゃねぇよ。オレのプライドがかなり傷付く行為だ。一時期の快楽の為にそれを失いたくないね」
「じゃあ、こっちの義之くんの方が好きになりました。厳しくて優しい目の前にいる義之くんを好きになりました。これでどうかな?」
「・・・・・」
前者と後者。どちらも本音なんだろう。表情に変わりが無かった。誰でも嘘を言う時は表情に変化がある。変化を出さない人間もいるが、ななかは
そういう人間じゃない。どちらかというと思った事が顔に出る女だ。
という事は、だ。この脇に居る女はオレに告白をしている事になる。手足を縛って置いて本当によかった。開き直ったななかの行動力は凄まじいも
のがある。今、扇情的になまめかしく息を吐いているこの女性に抱きつかれてもおかしくはなかった。
脳裏に浮かぶ皆の顔。もし、この場でななかを抱けばオレは元の世界に帰ってもななかを選ぶだろう。違う世界といっても目の前にいるななかとオレの
知っているななかに差なんて無くなっている。強くなろうと成長し始めたななか。殆ど同一人物。意識を切り替えるなんて無理な相談だった。
感情に流されるのはマズイ。自分を戒める様に息を短く吐く。後の事を考えないで抱きそうになっている自分。
後の事なんて考えないで解決出来る程、オレの人間関係は単純ではなかった。髪を掻き上げて目を瞑る。
「馬鹿な考えだな。オレはこの世界の人間じゃない。明日にはお前とお別れ、一生会う事はないだろう」
「別にそれでもいいんだ。貴方に私の初めてをあげれるなら、ね」
「――――それで?」
「そしたら勇気を貰える。明日から今よりもっと前を向いて歩いていけるかもしれない。義之くんみたいな『強い人』に求められたって考えたら
なんでも頑張れる気がする。そして―――好きだしね、義之くんの事」
「女特有の考えだな。まぁ、頑張れるきっかけを与えたいのは山々なんだが・・・お前とヤッちまうと後々面倒な事になりそうだ。勘弁してくれ」
「つれないなぁ、本当に。私をここまでその気にさせておいて、さ」
「・・・・っ」
寄り掛かられ、首筋に口付けをされる。ぞくっとするような感触。ななか特有の女らしい甘い香りが鼻についた。
ぺろっと子犬みたいに舐められ、無理矢理にでもその気にさせられるような甘いくすぐったさ。手を肩に置き、押しのけた。
「―――――はは、段々私としたくなってきたでしょう? 義之くん」
「・・・・はぁ。なんでオレの周りには草食系の女が居ないのか、時々疑問に思うよ。オレは。」
「誰だって恋をすれば肉食なんじゃないかな。相手を求めて、自分を求めて貰う。待ってるだけじゃ、仕方ないじゃん?」
「そういう気持ちのベクトルを違う所に向けろよ。例えばお前を苛めて来る奴等とかにさ。今の勢いなら全員捻り潰せると思うぜ?」
「えぇ~。だって怖いんだもん。だったら、こうやって義之くんといちゃいちゃした方がいいなぁー私は」
「・・・・・軟弱な女だ」
「だから抱いてくれる時、優しくしてね。軟弱だからさ」
こういう時にいつも痛感させられる事がある。女は二面性の顔を持っているという事を。先程までの弱々しい姿が何だったんだと言いたくなる様な代わり様だ。
熱に浮かされたように赤くなっている頬、潤んだ瞳、官能的に見えてくるななかの足。雰囲気が押されつつある。肩に置いた手が揺らされて落とされた。
迫ってくるななかの顔。口付けが交わされる。最初は優しく、次第に舌を入れられピチャピチャという卑猥な音が響き渡る。
「・・・・はぁ。なんだか良い気分になってきた。みんな義之くんとキスしたがるの分かるなぁ。癖になるもん、コレ」
「・・・・」
「心を読んだ通り―――だね。こういう雰囲気になると急に可愛くなっちゃうんだから義之くんは。だからいつも良い様にエリカちゃんにされちゃうんだよ?」
「・・・・・うるせぇよ、アホ」
「ふふっ。なんだか子供みたいな言い草。でも、そういう所も好きかな」
ななかは思う。桜内義之という男が周りの女を囲ってるんじゃ無く、周りの女が桜内義之という男を囲っているんだと。こんな男の子、二人といないだから当然だ。
押せばすぐ落ちそうな崖の先に立っている男の子。ななかの目にはもうそういう風にしか見えていない。さっきまでの男の子と一緒だとは思えない。
行動するよりもまず考える事が先に来る男の子。だから、こういう時になると行動が出来なくなる。恋愛なんて考えても仕方が無い事を考えているのだから。
「―――ああ、そうだ」
良い考えが思い浮かんだように呟くななか。このまま自分の虜にして、元の世界に帰らせない様にしよう。そう考えると、なんだか急に気分が高揚としてきた。
まるで遊園地に着いてどれに乗ってもタダだよと言われた気分に近い。もう『初めて』をあげた程度じゃこの感情は収まらない。
この男の子は義理固い所がある。心情的に訴えたら、応えてくれる心を持っている。私が寂しい、行かないでと言えば居てくれる。ずっと傍でこうやって
いられる。それはなんて甘美的な事なのだろうか。
訝しげにこちらを見詰める義之の視線を、楽しそうな様で見詰めるななか。おもわずぞっとする様な笑みだった。元々ななかは極度の寂しがり屋だった。
だから心を読む能力なんてものを欲しがったし、周りの空気にとても敏感だった彼女。
そこに表れた男性。厳しくもあり、優しい人間だった。話してみて分かった。この人は『絶対的な味方』になってくれる、と・・・。
自分が大切に思う人にはとことん最後まで付き合ってくれる。そんな人をななかは欲しがっていた。いつも心の奥底でそういう人を欲していた。
桜内義之みたいな男性――――ななかにとっては、高い木の上にある林檎だった。誰の目にでも魅惑的に映る木の頂上にある林檎・・・・。
それが今、目の前にある。私を受け入れようとしている。最高の事実。もう周りが見えていなかった。目の前の男の子しか映らない。
だから、だろう―――――後ろにいる同室の女の子に気付かなかったのは・・・・。
「えい」
「え・・・・」
頭に感じる小さな手の感触―――――瞬間、急に眠気が襲って来てななかは畳みの上に寝転がる様になってしまう。
それを見て歎息するアイシア。適当に手に持っていた毛布を掛け、また襖の寝所に戻ろうと踵を返して歩いて行く。
襖の引っ掛けに手を置き、後ろを振り向く。義之は一連の様子を茫然と見詰めているだけ。ぼそっとアイシアは呟いた。
「へたれさん」
「・・・・・」
ドンッ、と勢いよく閉じる襖の扉。言い返す言葉も無い――――義之はそう思いながら、襖の扉に消えていくのを見守るしかなかった。
静寂な雰囲気に包まれる。聞こえるものといえばななかの寝息に、異様な雰囲気を醸し出している奥の襖。
重くため息を吐いて、勢いよく畳に背中を横たえる義之。多分、今日の中で一番疲れたかもしれない。
「オレがヘタレ、か。女難の相でもあるんじゃねぇか・・・オレって」
複数の女性にちやほやされるのは確かに気分が良い。だが、その代償にこんな思いをする事もしばしば。
目を閉じると、今日の疲れが一気に溢れ出て、あっという間に夢の世界に旅立つ自分。
明日―――明日こそ、何も起きらないように・・・。そう思いながら、寒さに義之は身をよじった。