「こらーっ! 待ちなさーい!」
「はっはっはっ! そう言われて待つ愚か者がいるかっ。捕まえられるものなら捕まえてみろ」
「くそっ、なんて憎たらしいんだ・・・!」
「ま、待ってよっ、お姉ちゃーん!」
「は、走るの・・・早・・・」
息を切らしながら、なんとか先頭を駆け抜ける音姫と美夏に追いついていることりと由夢。周囲の人達が何事かと視線を投げ掛けてくるが
それを無視し、更に走る速度を上げる両者。
現場に着いて周囲を数分探索し、見つけた杉並の影。ことりが最初にその姿を確認し、そっと音姫に耳打ちをした―――と、持っていたトラ
ンシーバーをことりに預けて一目散に駈け出してしまった音姫。
慌てて残りの三人が音姫について走り出す。意外と運動神経が悪くない彼女に追いついたのは美夏。ロボットというスペックを持ってる所為か
他の二人に比べて走るのが早かった。ここには居ないが、あの高坂まゆきを上回る運動神経と反射神経の持ち主でもあった。
「は、はやく来て下さい雪村さん! 他の組にもそれを伝達して下さい!」
『・・・・はぁ。先走らないって言ったの、忘れたのかしら?』
「う・・・」
『まぁ、過ぎた事はどうでもいいわ。今どっちに向かってるのことりさん達は』
「こ、校舎裏の方です! 今焼却炉の脇を通り過ぎました!」
『・・・・なるほど』
ことりの言葉を聞き、瞬時に風見学園の地理を頭に叩き浮かばせる杏。2次元ではなく3次元の絵が頭の中でしっかりとした輪郭を持って浮き
上がってきた。雪村流暗記術というふざけたネーミングだが能力としては無比たるものがあった。
この位置取りだと白河さんチームの方が近いか―――そして自分の班がどう動けばいいのかを計算し、トランシーバーにてことり達に指示を出
す杏。その無駄の無い一連の動作に感心するように眞子は息を吐いた。
頭が良く、記憶力に目を張る物があるとは思っていた。だが、それと行動に移せるかはまた別問題だ。頭がとても良くて勉強が出来る人間の中
には行動しようとすると失敗する人間は多い。『機転』が効かないからだ。これは頭の良さとはまた別な所にある。
頭の良さをそのまま行動に表わしている杏――――少し、見直したわ。そう眞子は心の中で呟き、次の作戦を聞いた。
「で、次はどうするの? 私達も追い回して杉並の事をブン殴りに行く?」
「出来ればそうしたい訳だけど・・・相手はあの杉並一族、下手に突っ込んでもし掻い潜られたら目も当てられないわ」
「じゃあ、どうするの?」
「そうね――――このままA組が追跡して、その反対側からB組を進ませて挟み撃ちの形にするわ。そうすれば相手は前後を取られる訳だから
否応なく左右のどちらかの道を選ぶしかない。そして『左』に校舎の壁を置き、『右』に―――――」
「私達が構えてる、って訳か。なんだか意外と単純な作戦ね。雪村の事だからもっと凄く難しい作戦を言うのかと思ってたわ。アンタって頭が
良いしねぇ」
「頭が良い人程単純な作戦を取るわ。考えを練りに練っちゃうといざという時に対応が効かなくなるのよ。だったら最初から色々な作戦に展開
出来る陣形を取った方が効率的だわ」
確かにもっと複雑にして相手を追い詰めるやり方もある。今分けている班を更に分け、細分化する作戦。見た目的には班という『数』が増え
相手にプレッシャーを掛けられる。とにかく数で押すのも悪い作戦ではない。先ほども言ったが数は力なのだ。
しかし、実際の所どうなのか・・・・それを確認するまで迂闊に変な事は出来ない。本当に相手は一人なのか、音姫先輩達の目を引くのが杉並
の役割で本命が他に居るのではないか。視野を狭めてはいけない。前だけ向いて足元にある落とし穴に落ちるのは勘弁だ。
何にしても動き出したばかりの私達には情報が足りなさすぎる。こういう状況で勝つのはより情報を多く持っている者というのが相場だ。なら
私達に出来る事といえば人数を適数通りに動かし、相手が取るだろう選択肢を狭める事だけ・・・。
杏はそう結論付けB組の白河チームにも指示を送り、自分達のチームは杉並を扉も窓も無い校舎の側壁に追い込むために迂回する。
これがとりあえず今取れるベターな方法だ。ベストな方法は情報不足により考えない。足に重たさを感じながらも杏は一生懸命に足を走らせる。
久しぶりにこんなに足を働かせているかもしれない。元々運動は不得意の部類に入るものだった。早くも息切れをする杏に、眞子は可笑しそうに笑う。
「見た目通りに体力と筋力が足りてないわね、雪村?」
「・・・はぁ・・はぁ・・・ハッ、私は頭脳担当なのよ。お生憎様だけど汗とか掻くのは嫌いなのよね、服とかにへばりつくし」
「強がり言っちゃって・・・・。でも、何だか安心したわ」
「・・・?」
「アンタって何でも完璧にこなすから少し絡み辛かったのよね。そうは見えなかったでしょうけど」
「・・・そうね」
「だからさ。少し人間味がある所を見れて何だかホッとしてるのよね、私」
「失礼ね。私だって普通の人間よ。全く」
いつもはこんなに頭を働かせたり、みんなを引っ張ったりしない。面白そうだと思った事だけに首を突っ込み場を混乱させ、自分はこのお得意の
知略と機転の良さで逃げおおせる。それが本来の自分だ。
片眉を上げて不機嫌そうな雰囲気を身体から発する杏に、少し言い過ぎたと思ったのか苦笑いを浮かべる眞子。そして後ろでぜぇぜぇと息を切らし
ている麻耶と萌。この二人も運動神経が良いとは言えなく、杏よりも後ろを走る形となってしまっている。
負けん気が強い麻耶もそろそろ足の限界が近いのか、少し身体がよろめいていきた。仕方が無い。全力疾走を校門前から続けているのだから辛いの
は当然の事だった。杏は責任感からか中々限界を見せない様にしているだけで、本当は辛い。萌に至ってはもう顔を上げるのも辛そうだった。
「はぁ・・はぁ・・・も、萌さん? 本当に辛いなら、少し止まって貰っても、結構よっ」
「そ、そんな訳にはいきません・・・っ。皆さん頑張ってらっしゃるのに、一人だけ楽な思いをしてるなんて・・・」
その言葉に杏は多少意外だなと、意表を突かれた気分になる。普段はのほほんとしておっとりしているお嬢様だなと思っていたからだ。
さすが眞子さんの家族、か。こういう風に追い詰められると負けん気の強さが出てくる。目を見るがまだまだ力強さは失われていなかった。
「も、もう少しで指定位置に・・・・」
「――――――つ、着いたぁ~~~~~!」
足に急ブレーキを掛け、校舎の裏側より少し離れた所にに着いた。みんな息を切らしながら安緒した表情を浮かべる。
余裕そうなのは眞子さんだけだ。化物め。数百メートルをずっと全力で走っていたのに息を乱していない。やれやれ、これだから体育会系は・・・。
そう杏は眞子から視線を前に移し、様子を窺う。数十メートル先には校舎のごつごつとした壁。窓や扉は無い。後ろには真っ暗な森。
杏の考えではちょうどABCの三組がここで合流する計算となっている。どうやらA組とB組はついていないみたいだ。姿が見えない。
「なんだ、私達が一番乗り? もっと遅く来てもよかったわね。この分だと」
「―――――おかしい」
「え?」
「ありえないわ。私達の方がB組より早く着くなんて」
絶対に自分達の方が先に着く筈が無い。A組が居ないのは分かる。ここに追い込むように多少迂回して遅れてもいいとA組には言っておいたので、ここに
彼女達が居ないのは分かる。それは全く問題が無い。
だが――――B組にはそういう指示を出していない。真っ直ぐに指示した校舎裏の方に来いと伝えただけだ。元々校門の前に陣取っていた私達よりも遥か
に白河さん達の方が近い場所。それなのに姿も形も見えない。
息を潜めて視線を素早く左右に動かす。静かだった。嵐の前の静けさと言えば格好がつくが、嵐が通り過ぎ去った静かさだと考えたら・・・これ以上に
最悪な展開は無い。まだ私達は何もしていないのだ。
「白河さん聞こえる? 応答して」
『・・・・・』
無音。何も反応が帰ってこない。その様子に杏を始め、眞子、麻耶、萌の一同も不安そうな顔をする。
不安――――杏もそれは感じていた。何かあるとしたらまず音姫チームなのだ。杉並を追っている途中に何かあって音信不通になるのは分かる。
だが白河のB組チームに何かあった考えるとなると・・・自分達の作戦が見事に意味が無くなると、杏は段々焦燥感に駆られていく。
『きゃあ!?』
「―――――ッ! どうしたんですか、ことりさんっ!?」
「な、なにこれっ!? ネットっ?」
してやられた――――どういう訳か知らないが、私達は罠に嵌められたらしい。杏はことりの声を聞き、一目散にその場に駆けつける為に駆けた。
作戦など意味が無くなった。相手は事前に私達の事を知っていた、もしくは複数犯。でなければ罠を予め張って置くなど出来やしない。
ちっ、と舌打ちをして次の作戦を考える。この様子だとA・B組と全滅。もう通信先からは白河さん達の声が聞こえない事からそれは明らかだった。
次の作戦―――駄目だ、情報が足りない。もう一組居れば数個の作戦は思いつくのに―――ここまで圧倒的な早さで墜ちるとは思っていなかった。
「ちょっ、雪村ぁー!」
「はぁ、はぁ、なにかしらっ?」
「次の作戦はどーすんのっ? もう私達しか残って無いみたいよ、今から音夢達に連絡しても遅いし」
「考えてないわっ!」
「か、考えてないって・・・」
「それでも・・・・!」
それでも――――それでも、その杉並という男の顔を、姿を『記憶』しておきたい。
今の私、私達にはそれが最低限必要だ。罠が張ってある可能性の事を一瞬考えたが・・・頭から打ち消した。
遅れて委員長と萌さんが後ろから駆けつけてくる。それをちらっと確認し、その現場に急いだ。
「はぁ・・はぁ・・・・・・いたわ」
「あ、雪村さんっ! すいません、やられちゃいました」
「な、なにこのネトネトしたの~・・・気持ち悪いよぉ」
「お、落ち着け由夢。雪村先輩、すまん。トランシーバーがこの液に触れて壊れてしまったのだ」
「ごめんね、雪村さん・・・。私が先走った所為で・・・」
「どのみちこうなっていたと思います。それが早くなった、遅くなったの違いです」
「そ、そうかな・・・・」
「そうです――――けど、怪我が無くてなによりでした」
そう、どの道こうなってはいただろう。余りにも相手の手腕が良過ぎる。まるで事前に私達の存在を知っていたかのように・・・。
そうしてネットに絡まっている音姫先輩達に手を貸そうと手を伸ばす。美夏の言った通りベトベトの粘着液が付着していた。
恐らくとりもちの中に食塩水を入れてあるであろう粘着液。トランシーバーが壊れたのも頷ける。電気が伝導し過ぎてスパークしてしまったのか。
「はい、手を取って下さい音姫せんぱ――――きゃ!?」
「うわぁ!」
「ちょ、ちょっと何コレ!」
「私達も網に絡まっちゃいましたよぉ~」
足を進めた杏達の足元に張られてあったピアノ線。それにくんっ、と足首の辺りに引っ掛けてしまう。
そうするとそれに連結して作動した罠が起動した。上方から杏達に覆いかぶさるように格子状に編み込まれた網が勢いよく落下してくる。
案の定ミイラ取りがミイラになった――――杏は自分の予想が的中した事に、顔を苦々しく歪める。こういう時は悪い事ばかり当たってしまうものだった。
「どうせこうなると思ったわよ。全く」
「ほう? 案外冷静なのだな。確か――――雪村杏、という名前だったか」
「・・・・・そういう貴方は、杉並ね」
「初めまして、とでも言えばいいのかな。この場合は」
「あら、礼儀正しい男は嫌いじゃないわ。礼節がちゃんとしている男性、最近の日本じゃ絶滅危惧種ね。外国の評価も変わって来てるという話よ」
「それは面白い事を聞いた。未だに日本には忍者がいると信じている外国人が多い。未来ではそのような評価を受けているのか・・・ふっ」
なるほど――――どうやら私達の存在は既に知られているみたいね。一瞬だけ視線を周りに配る。人の姿は見えない。
誰かと連絡する様子も見せず、こちらをにやにやとした笑みで見下ろす男。自分が知っている杉並とやはり似ていた。
憎らしいわね。杉並の親族にこうして完璧に叩き伏せられるなんて。いくら情報が足りなかったとはいえ、悔しいモノは悔しい。
だから、その顔は『忘れない』。この屈辱の感情と一緒に記憶する。軽口は叩いてはいるが、心の中では目の前の人物を引っ叩きたい衝動で満ちている。
それは眞子さんも同じだったのか、怒りの感情を露わにして怒声の様な声で杉並を罵倒をするが如く、口を開いた。
「ふざけないでよ杉並っ! アンタ一体どういうつもりな訳っ!?」
「どういうつもりもなにも――――見たままなのだがな、水越よ。俺は見事お前たちから逃げおおせる事が出来、反対に水越達は罠に掛かった。
これ以上の説明は要るまい。勝者と敗者がここに居るというだけだ」
「ほ、本気で言ってるのっ!? 確かにアンタは時々悪ふざけをする馬鹿な奴だとは思っていたわ、けどね、あそこまで徹底的にブチ壊す事は
無かったんじゃない!」
「・・・・そうかもしれないな」
「そうかもって・・・あなたね――――――」
「おっとぉ、こんな所で時間を割いてはいられないな。呑気に話をしていて実行委員会やら風紀委員の奴等に捕まってはとんだ間抜けになる」
「あ、こらぁーっ!」
眞子の言葉に一瞬考える様に目を逸らしたが、次の瞬間にはいつも通りの軽快な様子を見せ、芝居掛かった様に髪を掻き上げる杉並。
そうして杏達に背を向け走り出そうとする杉並――――――と、その背中目掛けてあるモノが勢いよく投げられた。
「ん?」
ボールペン。何の変哲も無いボールペンだった、それが背中に投げられ、ころころと地面を転がっている。
怪訝に思い、杉並はそれを投げた相手・・・杏を見やる。手を伸ばした状態でこちらを見据えていた。そして、ふっと笑う杏。
不敵な笑みだった。何が可笑しいのかくくっと、くぐもった様な笑い声。杉並はさっきまで浮かべていた笑みを潜め若干堅い表情で杏に問いかけた。
「さて、なんのつもりかな。雪村杏とやら」
「ふふ・・・。初めてお会いした男性に言う事では無いと思うけれど――――正直、アンタって大した事ない男よね。実際」
「・・・・負け惜しみかな? 正直言って見苦しいと、俺は思うのだがね」
「今、私にボールペンぶつけられたでしょ? それも背中から」
「だからどうしたというのだ?」
「貴方は何らかの手段で私達に事を知っていた。だからこうして事前に罠をあちこちに張り巡らせて待ち構える様に出来た。
用意周到で参っちゃうわよね、考えていた作戦が全部パーだわ。また明日を迎えられなくてゲンナリ・・・って感じ」
「・・・それで?」
「それだけの用意をして万全の状態でいた貴方――――結構隙だらけなのよ。今こうして『無防備』の背中にボールペンを
ぶつけられた事もそうだし、長々とお喋りをする癖もそう。まぁ、そのお陰で情報は手に入れられたからいいれけれど」
「情報・・・」
「明日を迎えられなくて嫌気が指す。こう言った私に貴方は何も不思議がる様子は見せなかったわよね? 普通なら疑問に思う言葉なのに」
「さて、そうだったかな? ついものの拍子に相槌を打っただけかもしれんが」
「爆発の規模を大きくしたのは失敗ね。それさえ完成させればこの事態に何らかの影響をもたらせると言っている様なものだわ。私なら全部
を破壊しないで半壊ぐらいに留める。相手に余計な情報を与えない為にね。結構焦ったんじゃないかしら、思った以上にクリパの準備が進
んでしまったのだから」
「・・・・・・」
押し黙る相手、杉並。こちらの言い分を肯定していると言っている様なものだ。
潔良い。変に無駄に理屈を述べないでこちらの話を黙って聞いている。腕を組み、何かを考える様に目を伏せていた。
私の知っている杉並と同じ癖。何か考える時にする癖みたいなものだった。指を神経質そうにトントンと叩いている。
そして私は、もう確信をした言葉を思慮に耽っている杉並に投げ掛けた。もちろん笑みを携えながら。見る人によってかなり腹が立つ笑みを向ける。
「このループ、この世界の事について貴方は何らかの形で関わっている。真実に近い場所に居る。それが分かっただけでも収穫ね。次回に
是非活かさせて貰うわ、この情報の数々を」
そう――――こうして話をしてみて分かった。この杉並という男は私達の知っている杉並みたいに、どこかこういう事態をゲーム感覚で
楽しんでいる節がある。ふざけた話だが、えてして有能な人物に限ってそういう志向があるのは確かだった。
こうやって頭を働かせ私達の動きを読み、スリルと達成感を楽しむ。中々良い趣味・嗜好をしている。自分も似た様な所があるので思わ
ず共感出来そうな箇所がいくつかあるのが分かった。
しかし・・・だからこそなのかもしれない。ゲームが自分の勝利だと確信すると、油断する。隙を見せる。画面向こうの敵が襲ってくる
とは夢にも思っていない。コントローラーを放り投げ悦に入って安心をする。
「もし俺がこの現象について知っていたとして、だ。捕まえられるかな? このオレを」
「だから簡単だって言ってるじゃない。敵を前にしてすぐに隙だらけな自分を見せる相手に、何を恐れるというのかしら?
私はとても慈悲深いから忠告をしてあげるけど――――私達は別にゲームなんてしようとはしていない」
そんな気持ちは全くない。これっぽちもだ。いつもの私ならこういう状況を楽しむだろう。
だが、責任があった。自分から言い出して頭を務める事にした。ここに居る人達を元の世界に返さなくてはいけない。
それに白河さん達に受けた恩を返したい思いもある。あっちはゲーム感覚でいるのに対して、自分達はこの状況をなんとかしたくて必死だ。
この違い―――確実に差は表れる。意識が正反対の場所に置かれているのだから。自分達は余裕なんか見せない。そんな暇なんてないのだ。
「あんまり、舐めないでね。私達を」
「・・・・ご忠告、感謝しよう」
「そう言って貴方はまた油断をするわ。私には分かるもの・・・ふふっ」
「―――――そうか」
最後に少しだけ口の端を歪めて・・・立ち去る杉並。その姿を黙って見送り短く息を吐いて杏は目を瞑った。
負け惜しみ。そう言われたが、確かにそうだ。最後は口で勝ったが事実としてこうして自分達は全員転がされている。
随分厄介な相手を敵にしたものだ。こうして良い様にされてしまうなんて義之を相手にして以来だろう。
悔しさに唇を噛み締め、握り拳を形作る杏。その姿に一同は何か言いたそうにするが、何を言えばいいのか分からないでいた。
その中で一人・・・音姫は何か考える様に顎に手を添えている。そして考えが纏まったのか、うんと一頷きをして、ある提案を持ち掛けてた。
「・・・ねぇ、雪村さん」
「ん、なんですか。音姫先輩」
「次の生徒会長、やってみる気はない?」
「・・・・・もしかして、私を責めてます? あれだけ偉そうに色々指示を出して置いて失敗した私を」
「そんなつもりじゃ――――」
「まぁ、やる事がなくなって物凄く暇になったらやってあげてもいいですよ。多分60年後とかでしょうけど。ふふっ」
「ゆ、雪村さ~ん・・・」
音姫の言葉に軽く目を見開き、自嘲するように笑う杏。ここまで無様にやられた自分に何を言うのかと思えば・・・本当、訳が分からないわ。
拒否しても結構食い下がる音姫の相手を適当にし、周囲を改めて杏は見回す。結構酷い有様だ。全員ネトネトの液で服やら髪やら酷い事になっている。
あとでことりさんに変えのジャージとかを要求しよう。身体はあと数十分経って日を跨げばいつも通りに戻る。
「やられちゃった・・・かぁ」
顔を腕で覆う。まるで子供みたいに拗ねた口調になってもいいだろう。今だけは。また明日からあせくせと動くのだから。
絶対に明日こそは、あの憎き杉並の先祖をとっ捕まえてホエ面を掻かせてやる。
そう思いながら、また今日という日が終わってしまう。リセットされたのか、きょとんとしたことりさんの顔が印象的だった。
「・・・いつになったら助けて貰えるのかしらね、これ」
「うぅ・・・。杏達まだかなぁ、早く助けてよぉ。身体中ベトベトで気持ち悪いよぉ・・・」
「こういう売れない芸人みたいな姿よくテレビで見るけど――――まさか自分達がこうなるとわねぇ~・・・」
「義之くんにはこんな姿見せられないよ・・・本当に」
B組のエリカ、小恋、茜、ななか。彼女達も音姫達同様に同じ手に掛かり、身動き出来ない状態だった。
各々文句を言いつつ、くたーっとした姿を晒している。もう脱出は諦めたようだった。
「ん・・・?」
「どうしたのぉ、茜」
「・・・んー・・・・別に」
今、杉並くんに似た人が金髪の女の子と歩いている様な気がしたが・・・・気のせいだったかな?
茜は首を傾げながら暗くなった夜空を見詰める。綺麗な星空だった。こんなにゆっくり空を見たのは何時以来だろう。
もっともこんな状態で無ければもっとゆっくり見れたのだが。そうして、また頭をぽふっと草木が生い茂るに横たえる。
「義之くーん。早く私達を助けに来なさいよぉ」
「飴ダマ・・・・。もしかして良いモノって・・・」
「お前って結構ガキっぽいからな。コンビニで買ってきた。好きだろう、そういうの?」
「えい」
「・・・・何故オレの頭にぶつけるのか、訳が分からないな。アイシア」
「・・・・・・つーん」
「ふぅ、いいシャワーだったよ。結構立派なものだね。学園長室のシャワーって」
ごしごしと頭を拭きながら学園長室備えつけのシャワー室から出てくるななか。勿論制服姿だ。頭から湯気を出して気持ちよさそうな顔をしている。
時刻は朝の六時。いつもなら眠りこけている時間だが、状況が状況だけにトロトロしていられない。今日こそはさくらさんが来るかもしれないしな。
既にオレとアイシアはシャワーを済ませ、ついでにななかも湯浴みをし準備は一応出来ている。そこで改めてオレは確認するためにアイシアに声を掛けた。
「おい、アイシア」
「・・・良い物って言ったら・・・・普通・・・・女の気持ちを・・・・・」
「――――おい」
「・・・・何ですかぁ? 義之」
「ご機嫌斜めだな。まぁ、後でご機嫌取りはする事にして・・・・・今日こそは帰れるのか? ぽんぽん魔法使ってたみたいだけどよ」
「口に出していうのはどうかと思いますが――――魔法に関しては、そうですね、大丈夫みたいです。自分でも驚いてるのですが・・・・」
「へぇ。お前の話だと結構ギリギリな感じが伝わってきてたんだがな。案外余裕そうだ。なんかあったのか?」
「う~ん・・・。なんだか余裕が出来ているというか、思った以上に井戸の底が深かったというか広がったというかなんというか・・・」
自分でも分からないのか――――しきりに首を捻っているアイシア。その姿に、義之は何かを考える様に顔に手をやる。
元々アイシアの考えでは今日一杯まで時間は掛かる筈だった。最悪、明日までここを動けない事を覚悟していたアイシア。
それが一晩明けると思った以上に力が回復している事に驚きを禁じ得なかった。この分だと、夕方になる前には移動出来そうだった。
「よくわからねぇが・・・・バンバン大きな魔法使った所為でお前のキャパが広がったんじゃねぇの?」
「―――かもしれないですねぇ。ここまで大きな魔法を連続して行使した事なんて数十年ぶりですから、そうなってもおかしくはありませんですし・・・」
「成長した、って事か。なんだ、良い事じゃねぇか。成長っつーの自分の価値を高める事だ。悪い事じゃねぇよ」
そう言って軽く伸びをする。良い朝だ。東から朝日が昇って来ており、それが残り雪に反射して中々に良い荘厳な雰囲気を醸し出している。
そんな義之達の会話を聞いて、ななかは眉を寄せて何やら唸る様に腕を組んでいる。昨日の夜、何があったかは知らないが途中で自分は寝てしまった。
あれだけ求愛したにも関わらず、次に日には何も無かったかのように帰る段取りの話をしている義之。ななかも少しばかり機嫌が悪くなる。
そんな様子のななかに気付いたのか、義之はちらっとななかを見やり、懐から一本の煙草を取り出し火を点ける。紫煙をふぅーっと吐き出す義之。
「こちらもご機嫌斜め・・・と」
「当り前だよ。よくそんな何でも無いって態度してられるよねぇ、私ってその程度かな?」
「どの程度かは知らんが――――昨日言った筈だぜ? お前の事は今はまぁ、好ましく思っている。精神的にも前よりマシになっているみたいだしな。
顔付きが昨日より逞しくなった」
「それはどうも、かな。義之くんに色々言われたお陰ってのもあるかもね。思えばあそこまで親身になってくれる人って居なかった気がする」
「そういう人は居たと思うよ。お前が近づけさせなかっただけなんじゃねぇかな? ななかって本当は人見知りする性格っぽいしな」
「・・・うん。それは当たってるかも、ね」
髪を結んでテイルの形を作っていくななか。そういえば女が目の前で髪を結ぶ姿を見せる時は、相手に心を許している時だと聞いた事がある。
その様子を端目に・・・・・参ったな、と思う。このななかには心を開ける人物が今は必要だ。補助輪代わりと言ってもいい。支えが必要だ。
その相手にオレを選ぶのは少し悪趣味だと思うが―――そう言って逃げても居られない。よし、と頷いて髪を結びこちらの視線にななかは気付いた。
「んー? こっちの世界に残る気になった? 私は大歓迎だけどなぁ」
「だから残らねぇっつーの。元々オレ達がこの世界に来たのは偶然だ。異邦人―――帰るべき場所に戻るよオレ等は」
「偶然は必然、てね。割かし本気なんだけどなぁー・・・・・・あっ、そうだ! 私も義之くん達について行こうかなぁ~、なんだか楽しそうだしっ」
「ぶっ――――」
「おい」
「・・・・はいはい、冗談ですよ。そんな怖い顔作らないでくださいなぁ」
「・・・うぅー」
吹きだして汚れた口をティッシュでごしごしと拭くアイシア。オレもオレで何やら頭が痛くなってきた。昨日とはまるで違う顔を覗かせるななか。
こちらをからかうようにニンマリと口を歪ませている。そういえばこいつ、気を許した相手にはどんどん突っ込んでいく性格だったな・・・。
一癖も二癖もある女。ななかに限らずオレの周りにはそういう女ばかりで参ってしまう。オレも結構変わり者だと自覚しているが、周りも大概だった。
「あんまりからかうな。お前の場合冗談の性質が悪い。本当についてきそうでおっかねぇんだよ」
「さすがにそこまでは厚かましくはないかな? 昨日振られちゃったしね」
「・・・・一昔前ならお前を抱いても気にしないで帰れたんだがな。そうもいかない性格になっちまった。オレよりいい男を見つけろよ」
「-――――はいはい。じゃあ、私は一回家に戻るよ。結局昨日連絡を入れそこなっちゃったしね。物凄くお母さんとお父さん心配してるだろうし」
「そうか。とりあえずさっきアイシアと話して午後の三時あたりまでは三階の空き部屋に居る予定だ。別れの挨拶をするならその時だな」
「うーい。じゃあ、その時手土産持っていくよー。じゃあ、また、ね?」
「おう。気ぃつけて帰れ」
扉を半開けにひょこっと半身を乗り出し、こちらに手を振るななか。咥え煙草をしたまま適当に手を振り返す。にこっ、と学園でも噂のアイドル
らしい笑顔を浮かべながら出て行った。
昨日とは打って変わってサバサバした様子だった。ななかはオレが昨日の事を気にしていないというが、彼女の方がまるで何事も無かったかのように
快活な様子を見せている。表情が何か吹っ切れた様子だった。
あの様子だとオレが居なくても大丈夫だろう。一人でなんとかやっていける筈だ、幸いにも周りには気のいい奴等が居る。渉なんか意外にも目端が
効く奴なので多分気を使ってくれる。何も問題は無いだろう。
そうして咥えていた煙草をコンビニで買ってきた携帯灰皿に入れ――――そんな希望的観測な考えを、舌打ちをして追い払う。
「わりぃ、ちょっと出てくるわ」
「え、どこに行くんですか?」
「ちょっと、な」
「――――――じー・・・・」
「そんなに見詰めるなよ。照れるじゃねぇか」
「うわっ、きもいです!」
「・・・・・・・」
「わ、分かりましたから! もう言いませんからその握った拳を引っ込めて下さい!」
アイシアはそう言ってぎりぎりと拳を形作って振り上げたオレの手に飛びつく。つーかキモいって言われたの初めてだぜ。結構傷付くもんだな・・・。
とりあえずため息を吐いてアイシアを引き剥がす。貸していた黒のロングコートを着込み、ポケットに手を突っ込んだ。朝はまだやっぱり寒かった。
ななかの家の方面は確か・・・・住宅街の方にあったな。今から少し走れば間に合う距離だ。頭を掻きながら首をこきっと鳴らし、アイシアを見やる。
「とりあえずさっき言った三階の突き当たりの空き部屋で待機しててくれ。あそこなら内側から鍵を掛けられるし、ストーブもある。隠れるには
もってこいの場所だ。冷蔵庫もあるしな」
「随分用意が出来ている部屋ですね・・・。一体元は何の部屋だったんですか?」
「元々は演劇部が使っていた部屋だったらしいんだが、部員激減の為に部屋を一つ没収されちまったんだとよ。それじゃ今では立派に
非公式新聞部のねぐらになってるときたもんだ」
「え、非公式新聞部って・・・」
「それじゃあ暖かくして待ってろよ」
そう言って予め元の世界から持ってきた皮靴を持って部屋から出る。しかし、前に杉並の手伝いをして本当によかったと思う。殆ど雑用に近い
扱いでキレそうだったが、そういう部屋の情報を聞き出せたのは僥倖だ。
他にも色々隠し通路とかを教えて貰っている。そういうのを知って置くと何かと便利だ。授業をサボってゴロゴロ出来る場所が増えるし、隠し
部屋という響きに何かと心惹かれるものがあったのも事実。結構根はガキっぽいんだよな、オレって。
「とりあえず今は・・・ななか、か」
さっき諦める様な雰囲気を出していたななか。アイツは臆病な性格だ。臆病という事は他人の気持ちにも敏感という事であり、必要以上に気を
使う性質を持つ。ななかの場合はそれが極端にでる傾向があった。
多分思った事を言わないまま、完全に自分の心の中に引っ込めたのだろう。さっきのななかは余りにもサバサバしすぎていた。昨日までの彼女の
行動を見ればそれは明らかにおかしい。彼女は全身全霊でオレに思いを打ち明け、行動に出してきた。
今頃また泣いてるんじゃねぇか・・・アイツ。そう思ったオレは少しかったるい思いに駆られながらも、コートの襟をバサッと直し歩き出した。
「・・・うぅー・・・・ひっぐ」
完璧に、完璧に振られた。取りつく暇が無かった。こっちの世界に未練を残している様子なんて全然見当たらなかったし、自分より他の
男を探せと言われてしまった。これ以上の振られ方があるだろうか。
目からぽろぽろ涙が溢れ出てきてしまう。ごしごしと制服の袖で拭うが、止まる様子は無かった。ぼやけた景色を目に移しながら早朝の
帰宅通路を歩く。こんな時間だ、誰にも見られる心配は無いだろう。
恐らく思う。多分昨日が唯一のチャンスだった。あの雰囲気・タイミングが一番ベストな好機だったにも関わらず寝てしまった私。あまり
の迂闊さに腹も立ちやしない。いつも夜中まで起きてファッション雑誌ばかり見ていた所為だろうか・・・。
「な、泣くの止めなきゃ・・・。もう、泣かないって決めたんだから・・・。」
本気だった。昨日の話も嘘や誇張等では無く本気で義之くんにここに居て欲しかった。
身体の底から溢れ出そうな身も焦げる様な想い。彼を思うと頭がクラクラするような甘美的な熱が頭を支配する。
失恋――――元々無理な話だったのかもしれない。彼はこの世界の人じゃない。出会う筈なのない異人だったのだ。
こんな私を心配して厳しい言葉を投げ掛け、優しくしてくれた人。もうこれから先会う事は無いのだろう。
「・・・・うぅ」
「また、泣いてるのか。ななか」
「―――――ッ!」
後ろから頭を支配していた彼の声が後ろから聞こえ、驚きに身を竦めて私は振り返った。
長い黒のコートに身を包ませ、走って来たのだろうか息を荒くしている彼・・・義之君。
どうして――――そう思うが、驚きで言葉が出て来ない。確か後で会うと言って別れた筈なのに・・・。
とりあえず―――――目を再度ごしごしと拭いて鼻を啜る。こんな情けない姿を見せたら、また何か言われるに違いない。
そして口をつくのはまるで子供みたいな情けない言い草。そんな私を義之君は穏やかな顔付きで見ていた。
「な、泣いて無いもんねっ」
「変な所で強がりだな。泣くのはいい女に許された特権だから別にいいと思うがな。男とかブサイクが泣くのは殺したい程殴りたくなってくるけど」
「泣くなって言ったり、泣いていいって言ったり・・・言ってる事が全部バラバラなんですけどー・・・・」
「ケースバイケースだ。何でも臨機応変に対応しなきゃ駄目だぜ? まだ学生のオレが言うのもなんだが社会じゃとても重要視される事だ」
「あ相変わらず口だけは立派なんだから・・・」
「悪いが口じゃ誰にも負けない自信はある。腕っ節は弱いからな。あと、家まで一応ついて行ってやる。感謝は別に要らない」
「え・・・」
「おら、さっさと行くぞ」
脇を通り過ぎ先に歩いて行く義之くん。慌てて後を追う様に追いすがった。
まだ水溜りの氷が解け始める朝早い時間。ちらっと義之くんの顔を窺う。前を見据えたままだった。
どうして追いかけて来たんだろうか。何か言い残した事でもあったっけと頭を巡らせるが、思い付かない。
言い残した事――――言いたい事・・・・・・・もしかして、私との事を考え直して・・・・。
「オレってさ、結構皆から頼りにされるんだよな」
「え・・・」
思慮に耽っていた意識が戻される。義之くんは何かを考える様に顎に手を添えたままこちらを見ていた。
いきなり脈絡のない事を言い出した彼に少し私は戸惑ってしまった。一体何を言いたいのだろうか・・・。
「義之ならやってくれる。義之なら知ってる。義之なら行動してくれる」
「いきなり何を―――」
「周りの奴等のオレに対する評価だ。白河はどう思う?」
「・・・ん」
義之くんに言われて少し考える。彼の周りの人間関係。想い。考え方。それらをもう一度まとめ直してみる。
出会って間もない間柄ではあるが、彼がどういう人間かは心を読んで分かったつもりではいる。恋をしたのなら尚更だ。
そして出した結論。分不相応な評価ではないだろうとういう事。若干色眼鏡が入ってるのは否定出来ないが事実に近い評価だとは感じた。
「別にその通りなんじゃない? 変に持ち上げようとは思ってないけど、実際に義之くんて物知りだし」
「へぇ、そうかな?」
「うん。私はそう思うな。あと何か困った事があっても普通にそれを解決しちゃうと思うし、決断力もあると思う。まぁ、恋愛以外の事ではね」
「はは、そう言われると何も言えない。オレの弱点の内の一つだ」
「なんにしても周りから慕われる要素はあると思う。不良っぽい所もあるけど頭がいいし。あ、もしかしてそのギャップに皆やられてるのかな?」
不良が極稀に優しい事をすると、必要以上に慈悲深く見えると言うアレだ。そういうギャップに女性は弱い。
その言葉を受け義之はまた何か考える様に視線を下げる。ななかはそんな義之の様子を訝しげに見詰めた。
いまいち義之の言いたい事を掴みかねるななか。首を傾げて眉を寄せる。そして義之は視線をななかに合わせた。
「はっきり言うと全部過大評価な、それ」
「え?」
「オレがそんな超人みたいな奴な訳ねぇだろ。どこの秀才サマだよ。アホか」
「だって・・・」
「オレだって分からない事が沢山ある。だって二十歳にもなってない子供なんだぜ? そりゃ同世代に比べれば無駄知識は持ってる方
だと思うが、ドングリの背比べだ」
「ええー、そうかなぁ・・・」
「そうだ。決断力にしたって間違った方を選択する時もあるし、その度にオレは反省してる。だけどそのまま終わりたくないから次に
活かすためにその分動いたりする。図書館に行ったりさくらさんや杉並に色々聞いたりしてな。別に恥だとは思わない。知らない事
を知っている人に聞くのは当り前だと思っているからだ」
懐から煙草を取り出し、一本に火を点ける。まだ朝が早い時間帯なので薄い白息と共に煙が空中に消えていった。
軽く欠伸を噛み殺しながらゆっくりと歩いている義之。それに釣られる様にななかも歩調をゆっくりなものになっていた。
「完璧な人間なんていない。ななかが完璧に思っているオレだってまだまだ穴だらけな人間だ。いつも考えてるよ、どうやったら
さくらさんみたくなれるか。杉並みたいに要領がよくなれるのか。杏は・・・まぁ、あれは一種の特殊能力だと考える様につい
最近なったけど、頭の回転はオレ以上にある」
「・・・・えっと」
「あー・・・だからつまり、な」
耳の裏を掻きながら口ごもる義之。彼にしては珍しいな、とななかは思った。いつでも言いたい事は言うタイプだと思っていただけに。
歩きながら両者は話をしているので段々とななかの自宅が近付いてくる。それを見ていよいよハッキリ言う事を決めたのか、一息呼吸を義之はした。
「ななかさ」
「うん?」
「多分これから色々あると思うんだよ。他人に心を見せるってのは無防備な自分をさらけ出すのと同じだ。中々勇気が要る行動だとオレは
思ってる。無神経なオレがそう感じてるっつー事はななかはその何十倍もそう感じてる筈だ」
「それは・・・まぁ、そうだけど・・・」
「中には信じて打ち明けた人物に裏切られるかもしれねぇ。人は心の様変わりが激しいからな。ちょっとした喧嘩を切っ掛けにその溝が段々
深くなっていって・・・自分が嫌う人間になるかもしれない。その可能性がある。はたまた変わり始めるななかを嫌いなる人間が大勢出て
くるかもしれない。今までと違って急にあいつは我儘になったとかな」
自分を押し出すというと誰かと対立する事になる。中には同じ考えの人がいるかもしれないが、皆自分と違う人間だ。少なからず衝突はある。
ななかの場合、普段から気の良い奴で通っており他人と対立する事は無いそもそも対立してしまう状況に追い込ませない。心を読めるのだから簡単だ。
他人の意見に肯定の返事しか返さなかった人間が急にある日、反論を言うようになった。それを好意的に見る人は少ない。渉達を除いての話だが・・・。
「人間関係の問題は今まで起こらなかった。心を読めるからその衝突は避けられた。だが衝突して当り前なんだ。失敗して当然の話なんだ。なんでも
かんでも上手く事を運べる人間なんていやしねぇ。もしそう見える人間が居たとするなら、その様子を見せないだけだ」
「・・・・うん」
「オレなんか面の皮が厚いから失敗しても平気な顔してるぜ? それに、この間なんか研究所の電源盤一つおしゃかにしちまったしな」
「え、ええっ!?」
「なんか故障してたみたいだから直そうと試みたんだ。先生とイベールは居なかったし、職員も大体出払ってた。美夏は止めたんだがオレは言う事を
聞かなかった。腕に自信があったし、知識もあると思ってたんだが・・・どうやら違っていたみたいだ」
「すごいね・・・」
「被害総額は数百万だったか。まぁ、そういう事故は研究所が持つ様にしてるみたいでたいして大きな問題にはならかなったが・・・先生には首を締
められたな。死ぬかと思ったよ」
その額にななかは凄く驚いたみたいで口を開けてしまっている。オレだってやった瞬間同じ顔したぜ。傍に居た美夏なんか顔を青ざめてたな。
事故の原因は電流の短絡だった。外したケーブルが他の接続部に振れショートした。そしてそのショートした部分が他の基盤に振れ・・・全滅。
本当に基本的なミスだ。本来なら外したケーブルの先にキャップを被せるか何かをしてそれを防ぐ。素人でもしないミスをオレはやらかしてしまった。
当然の事ながらしばらくは減給、という処置を受けた義之。今では笑い話になってるが本気で研究所でのバイトを止めようかと、義之は当時考えていた。
美夏が必死になって引き留めなければもしかしたらそうなっていたかもしれない。手をぎゅっと握り、開いてプラプラさせる。本当、迷惑を掛けてしまった。
「今までミスが少ない人生を歩んできたようだが、これからはそうはならねぇ。誰だってミスはする。多かれ少なかれ絶対にだ。もしかしたら時々
心を読みたくなる場面がすげーあると思う。他人が何を考えてるか無性に気になるかもしれない。オレが言いたい事は、つまり――――」
「・・・・つまり?」
「やりたいようにやればいいってだけだ。どうせ世の中失敗だらけで溢れてるんだからよ。自分が思った通りに行動した方がスカッとする」
「スカっと?」
「何気に大事な事なんだぜこれって。スカッとしないと胸にヘドロが溜まるように重くなるからな。言いたい事言って、好きな様に行動して
気に入らない奴がいたらブン殴る。ななかもそうした方がいいな。きっとスッキリする」
「そ、それは義之くんだからでしょ! それにそんな事して余計なトラブルに巻き込まれたらどーすんの!」
「だったらダチを頼ればいい。渉達はそんなお前を肯定してくれるだろうし、絶対的な味方になってくれる。まぁ、それはななかが一番分か
ってるだろうが」
「・・・・・」
「本当フォローするつもりで追い掛けてきたんだが・・・悪いな、口下手で。こういう事には慣れてなくてな。ほら、着いたぞ。ななかの家だ」
「あ」
気が付いたらもう玄関前に居た。余程義之君との会話に夢中になっていたのだろう。時間の感覚が短く感じられた。
それにしても―――――フォロー、か。あの義之くんがそんな殊勝な事をしてくるなんて凄く、物凄く予想外だった。
やはり優しいなと思う。こういう所にまで気を回してくれる男子なんて中々居ない。私は玄関先の扉を開け、振り返った。
「なんか短い出会いだった気もするけど、長く付き合ってた様な感じがあるな。濃いっていうか」
「たった一日だけどな。よく言われるがオレは濃い人間らしい。まぁ、個性があるっていう意味で捉えてるけどな」
「あはは、義之くんらしいね。前向きっていうかなんて言うか」
「ネガティブになるのは余りにもオレらしくねーよ。転んでもタダじゃ起きない様にしてる。次の糧にするように心掛けてる」
「うーん。私もそう出来たらいいのになぁ」
「誰でも出来るよ。みんなそう行動しないだけだ」
「あは、そうかもね」
そういってお互いに微笑み合う。朝日はもう昇りつめ二人の姿を朱色に染め上げていた。
雪もじわじわと溶け始めてきた。どうやら今日は暖かい日になりそうだと義之は思い、目を軽く伏せる。
「すまない」
「いいよ、謝らなくて。こうして私を追いかけて色々助言してくれたりしたし」
「オレみたいなチンピラに好意を持ってくれるのはとてもありがたい事だ。だけどこんな出会い方じゃなければきっと――――悪い、言い訳がましいな」
「だからいーって。そりゃ色々心残りはあるけど、この出会いってきっと無駄じゃないから。また・・・どこかで出会えたらいいよね」
「縁があれば、だな。それじゃ次会う時は放課後か。手土産、何をくれるか期待して待ってるよ」
「まーたそんな事言ってハードル上げるんだからっ、もう」
「それだけ暇を持て余してるって事だ。今の内はな」
手を軽く上げ別れの挨拶をする。ななかは苦笑いしながらドアを開け――――中に入り閉めた。その際に軽くウィンクをしたのが彼女らしい。
ちゃんとフォロー出来たのかは怪しいが、まぁ、気持ちは伝わったと思う。柄じゃないと思うがたまにはいいだろう。こんな言葉を掛けるのは。
そう考えて踵を返す。少し名残惜しい気分になるがそれを無視して来た道を歩いて行く。ちょうど朝日と向かい会う形になり、義之は目を細めた。
「・・・・・・・」
「あ、杏ちゃん?」
「なに、茜」
「あ、え、べ、別になんでもない・・・かなぁ~なんて。あはは」
「そう」
「・・・・はは」
窓の外をじっと見詰めてる杏に茜は乾いた笑みを浮かべるしかない。昨日の事が余程頭に来ているのかずっとこの様子だった。
そんな杏に周りの女性たちは思う所があるのかいつもより会話が少ない。必然的に空気も少し重たいものになってくる。
そういう空気を一番嫌うななかは、なんとかその空気を打破するために口火を切った。
「そ、それで朝食も食べ終わった事だし、きょうは何をしようかなー?」
「うーん・・・。昨日はしてやられる形となったから今日こそは追い詰めたいな。私は」
「そうね。音姫先輩の言う通り、いい加減あの杉並をとっ捕まえない事には溜飲が下がらないわ」
「という事は今日も情報収集ですかねぇ。犯人が杉並先輩の祖先だと分かった訳ですし、徹底的に聞き込みをすれば居所が分かると思います」
由夢はそう言いながらも一抹の不安を覚える。『あの』杉並の姓に関する人物を果たして探し出せるか、と。
直感的に無理だなと感じてしまう。昨日の様子を見る限りじゃ余程の事があっても姿は見せないだろう。
それこそ神経質に自分の居た場所の痕跡を消してしまうかもしれない。いや、絶対にする。間違いなかった。
「由夢ちゃんの言うとおり見つかればいいけどね・・・」
「自分で言って置いて段々自信が無くなってきましたよ・・・」
「ま、まあ皆で頑張れば絶対に見つかるから大丈夫だよ。きっと」
苦笑いに似た表情で音姫は由夢に諭す様に話しかける。音姫自身も自分の言葉に自信は持てないでいた。
いつもまゆきと二人で血眼になって追いかけている人物。杉並。姿形が似てる所だけじゃなく、その突飛な行動さえ似ていた。
そして当然の様に頭が回る様子が見受けられる。はぁ、と音姫は息を付いて椅子に腰掛けた。
「そういえばガムって唾液で柔らかくなるんじゃなくて体温で柔らかくなるんだってね」
「そうなんですか? 初めて知りましたわ月島先輩」
「むぅ・・・バナナ味のガムか」
「むぐむぐ」
小恋とエリカ、美夏はことりが差し入れにと持ってきたガムを噛んでややリラックスした様子で談笑をしていた。いち早く杏チームと合流した美春も
脇でほくほくした顔でほおばっている。
昨日の疲れがまだ抜けきっておらず、各人すぐに次の行動に移る気が起きないでいた。杏もそんな皆の様子を感じ取りまだ次に移す行動について何も
喋らないでいる。休憩も大事な行動の一つだ。
だから今日は水越姉妹とことりは来ていない。ここの所毎日来て貰い、食糧やら金銭的な面で協力してもらっている杏達。さすがにそれでは悪いとい
う事で今日は遠慮をして貰っていた。今日はゆっくりできるかも―――小恋は欠伸を噛み殺しながら考え、ガムを丁寧に口の中で纏めた。
「バナナは私達にとって必要不可欠ですもんね!」
「あ、こら、ばかっ」
「んん?」
「な、なんでもないぞムラサキ」
「むぐー!」
美夏は焦る様に美春の口を抑え込む。美夏がバナナミンという栄養素を取らないといけないというのは周知の事実だが、美春はそうではない。
本来の美春は確かに人間だが、不慮の事故により絶対安静という形で入院をしている。今ここにいる美春は美夏の初期型でもいえるロボットであり
人間ではない。その事実を知ってるのは極僅かな人間だけだった。
美夏が美春がロボットだと最初に気付いたのは出会ってすぐの事だった。目の動き、僅かな仕草、考え方、全てがあまりにも人間『らしすぎた』。
悪くいえばわざとらしい。それで美夏がほんの触りだけ探りを入れたらあっという間に観念して全て吐き出してしまった。
あまりの呆気なさに少し茫然としてしまう美夏。それで自分もロボットだと告白すると心底驚いたような顔をした。
そんなこんなで朝早くから一番に、話に花を咲かせていた二人。未来のロボットと過去のロボット。話す話題には事欠かなかった。
「そ、それにしても音夢というヤツは遅いな! もう九時を回ってしまうぞ」
「はぁはぁ、ね、音夢先輩は昨日起きたらしい事件について聞き込みをしてるんですよ。軽く調査したら戻ってくると言っていましたが」
「起きた『らしい』・・・か。データベースに記録は残ってないんだったな」
「・・・はい。改ざんされた様子は見られないし、ハードにもソフトにもバクは見られません」
それなのにこの繰り返される日々のデータはどこにも残っていない。既視感みたいなものは感じられるがそれだけだ。ハッキリしたものは覚えていない。
美春は確かに覚えている。美夏達―――未来人の人達で出会った時の事を。だから記憶は消された訳ではない。それは確かな事実だった。
しかし、それに反して『昨日』の出来事を思い出そうとすると途端にぼやけてしまう。加えていうならばそれに疑問を持たない。
不自然ながらにして自然。辻褄が合わないのに自分の中で理屈が通ってしまう。
まるで『魔法』でも掛けられているみたいだ、と美春は感じていた。
「はぁ・・・」
「あ、音夢先輩」
「遅くなっちゃってごめんなさい。皆さん」
ため息交じりで音楽室に入ってくる音夢。この世界の住人は確かに記憶は残らないが、身体が感じた事は覚えている。端的に言うなら音夢もまた
疲れていた。昨日の杉並との一件がかなり身体に堪えたらしい。
そんな音夢に美春は『はは・・・』と苦笑いを浮かべるしかない。音夢が合流した事に気付いた面々は、各自その場を軽く整理し黒板の前の机に
座り始めた。大体何らかの話し合いを始める時はこのスタイルが通例となっていた。
「お疲れ様です。音夢さん」
「ありがとうございます、雪村さん」
「それで音夢さん。何か目ぼしい情報は持ってきてくれたのかしら?」
「うっ・・・」
「こ、こらっ。ムラサキ」
「その御様子だと何か役に立ちそうな情報は手に入らなかったみたいですわね。まぁ、大体予想は出来て―――――」
「このオレ様女っ! だから止めろと言ってるだろーに!」
「きゃあっ!? こ、この猿犬!」
エリカの顔を脇で固めてギリギリと絞る美夏。プロレスでいうフェイスロックに近い形でエリカの暴言を止めに掛かる美夏。
あまりの痛さにエリカも美夏の頬を抓って反撃をする。いきなり始まった掛けあいにさすがの音夢も面喰らった様子で固まってしまった。
それに比べて杏、茜といった面々は『ソレ』に慣れているのか・・・「また始まった」と言わんばかりに肩を竦めるだけだった。
「飽きもせずよくやるわ。音夢さんもごめんなさいね? あとで良い聞かせて置きますので」
「え、あ、ああ・・・・。別に私は気にしていませんので、はい・・・」
「そうですか? それにしても―――やっぱり益になる情報は手に入りませんでしたか」
「ええ・・・」
まるで雲を掴むようなあやふやの情報しか手に入らなかった。やれ屋上で見ただの校舎裏で見ただの職員室で見ただの。全員が違う事を言っていた。
思わず音夢は重い溜息を付く。やっとここ最近の違和感の正体を知っていよう人物を特定できたのに、そこからまったく前進していない事実は音夢の胸中に
重い鉛を乗せさせている感覚に陥れさせていた。
「もしかして上手く私は担がれているのかもしれませんね・・・」
「全員が嘘を付いている可能性もあるし、嘘をついていない可能性もあります。今度聞き込みに行く時は私も同行しますよ」
「ええ。そうしてくれると助かるわ」
そうして二人が会話してる――――と、ようやく気が済んだのかエリカと美夏の取っ組み合いが落ち着いた様子をみせた。
お互い揉みくちゃになったので所々髪が跳ねている。ふぅふぅと荒い息をついている両者。茜はため息を吐きながらエリカの髪をとかす。
「髪はもっと大事にしないと駄目よぉ、エリカちゃん。義之に嫌われちゃうわよ」
「べ、別に自分で髪を整える事ぐらい出来ますわっ」
「いいからいから。よし、大体こんな感じかしらね。次は美夏ちゃんね」
「え・・・わぁっ!」
持っていた櫛で美夏の髪をやや強引にとかしていく茜。照れ屋の彼女を黙らせるのは多少強引にでもいかなければいけなかった。
何か文句を言いたそうに口を尖らせて茜を見詰めるが、どこ吹く風といった感じで鼻歌を刻みながら櫛を上から下へとすべらせていく。
少しばかり和やかな雰囲気が音楽室に満ちる。そんな様子を、音夢はどこか懐かしいといった感じで見詰めていた。
「どうかしたんですか、音夢さん?」
「いや、大した事じゃないんですけどね・・・。小さい頃あんな風にお互いの髪をとかし合いっこをしたなーなんて事を思い出したんですよ」
「ああ―――女子はよくやりますよね。あとは日記交換とかお互い同じシャーペンなんかを持ち合わせたりして」
「未来でもそうなんですか? 意外ですね」
「インフラ面以外は大して変わりはないですよ。人なんて結局どの時代でも考える事は一緒ですしね」
「へぇ。例えばなんですかね?」
「お金儲けと好きな人と寝たいって事―――極端にいえばこの二つだと思います」
瞬間―――顔が真っ赤に火照り、俯く様に音夢は顔を地に向けてしまう。杏はなんでもないような顔で髪留めのスカーフの位置を調節していた。
性格が真反対な二人。音夢は同世代の中でも潔癖症とは言わないが、そういうストレートな物言いには大して抵抗は無かった。
漫画の中でもそういうシーンがあると照れてしまう様な心の持ち主。反対に杏は持って生まれた性格と、演劇部という感情の発露が激しい場所に
居る所為かそういう話題に大して動揺はしない。慣れたものであった。
「ず、随分雪村さんはハッキリとモノを仰るんですね・・・はは」
「簡素にお金と愛が大事って事を言いたかっただけなんですがね。音夢さんの周りに居ないんですか? 私みたいに変に言葉を取り繕わない人は」
「私の周りも結構個性溢れる人が集まってますけど、さすがに雪村さんみたいな人は―――――あ」
「・・・? 誰か心当たりでも?」
「―――一人だけ居ましたね。私と兄さんの幼馴染の人なんですが・・・・でも外国の人だし、そんな物言いが当り前なのかもしれませんね」
「へぇ。なんて人なんですか?」
杏はなんの気なしに言う。何らかの思惑があっての質問ではなかった。ただの会話の流れでの返しに過ぎない。
そして音夢は言う。適当にその話に聞き耳を立てていた他の面子。誰もが予想し得なかった人物の名前を。
「名前ですか? 芳乃さくらって女の子ですよ」
「強く?」
「ああ。誰に何を言われても動じない。自分の底にある意地に似た一本の線を曲げない。あとお前はもちっと周りを見下せ」
ななかと別れた後、学校へ戻る道で美夏と出会った。いつもと違い覇気のない背筋。周りから色を通して眼鏡で見られ精神的に参っているのは
明白だった。美夏の場合それを甘んじて受ける傾向にある。人が良すぎるヤツはそうやってどんどん深みに嵌っていくのが常だ。
だから授業をサボらせて美夏を屋上に無理矢理に連れて行った。話をするためだ。こんな時でも馬鹿に生真面目な美夏は物凄く渋っていたが手を
引いて強引に歩き出すと諦めてくれた。もしかしたらオレの突飛的な行動に何か感じたのかもしれない。
そして階段を登り終え目的の場所に着く。とりあえず屋上の風が当たらない隅の方でお互い途中でオレが買ったコーヒーを飲みつつ、オレは言って
やった。強くなれ――――と。シンプルな意味合い言葉だが、とても曖昧なものであり定義があやふやなものだ。
「み、美夏は見下してるぞっ、人間なんて! とても愚かで馬鹿で間抜けで、救いようが無いぐらい浅ましく――――」
「だったら何故何も言い返さないんだ? 負け犬みてぇな目で下を向いて歩くなよ」
「・・・・・負け犬・・・・」
「ああ、負け犬だ。いや、違うな。お前はまだ戦ってさえいない。負け犬以下だ」
オレの言葉に余程ショックを受けたのか――――茫然と視線を下に下げた。手からコーヒーが落ち掛けたので、横から救い取る。勿体ない。
それを脇に置いて・・・ふと自分の過去を思い出す。オレも結構負け犬経験があるなそういえば。みじめに地面に這いつくばった事なんて何回もあった。
だがオレは蛇みたいにしつこい粘着質な所がある。相手をボロカスにするまでしつこく付き纏う性格だ。夜道に後ろから警棒で殴り掛かる事なんてザラだ。
そうだな。こいつにオレの病的なまでに意地の悪さを何分の一でもいいから分け与えてやりた――――いや、それは流石にダメか。
美夏の良い所は純真さだもんな。わざわざ長所を消してまで得るものでもないだろう。そう思いながらオレは話を続けた。
「・・・はは、酷い言われようだ」
「酷い事をいったつもりだからな」
「――――今日のお前は少し意地が悪く見える。なんだ、お前もアイツ等みたいに美夏の事が疎ましくなったのか?」
「そんな訳ねぇじゃん。お前の事はわりかし気に入っているぞ――――っと」
「うぉ!」
脇の下から手を入れて紙みたいに軽い美夏の身体を持ち上げる。驚いた様な声を美夏は張り上げるがそれを無視し、膝の上に乗せた。
顔を真っ赤にしながら暴れる美夏をなんとか卸しながら、ため息を一つ付く。
「おいおい。暴れるなよこの野郎」
「い、いきなり何をするんだっ、お前は!」
「ぎゃーぎゃー騒ぐなって。こんな所ほかの生徒に見られたくねぇだろ」
「うっ・・・」
「あともう一つ―――――悪かったな。口が悪くて」
「え?」
美夏の頭の上に顎を乗せながら少しだけ反省する。持って生まれた口の悪さだが、さっきの発言は言い過ぎたかなと思った。
こいつは本当に人が良い。そもそもロボットだとバレた原因は由夢を落ちてきた看板から庇った所為だと聞く。通りすがりのヤツに聞いた情報だ。
それが美夏の本質。普通なら逃げるか固まってしまうかの状況で他人を庇える大馬鹿野郎のお人好し。オレとは全くの真逆の性格だ。
「まぁ、なんだ。お前は他人様に誇れる事をしたんだから堂々とすればいいんだよ」
「―――いや、それは無理な相談だ。周りのヤツらはそんな事を気にしたりしない。美夏がロボットだという事が一番あいつらにとって重要だ」
「・・・・・・・・」
「それに今更どうにか出来る問題の範疇を越えている。学園長や会長がなんとかしてくれようとしたが・・・無理だろうな。だから――――」
「お前は人が良いけどバカだよな。そうやってすぐに思考停止させる。悪い癖だ。早く直した方がいいな」
「なんだと?」
欠伸をしながらそう返事したオレに、やや棘がある目付きをする。そうやって他のヤツにも噛みつけばいいのによ、全く。
後ろ髪を撫でながら少しだけ助言をしようと体制を整える。つーか最近こんな事ばっかりやってるな。もうこれで最後にしよう。説教好きは嫌われるし。
「お前は弱い人間だ。自分を貫き通す勇気も無ければ頭もない。自分がロボットだという事にコンプレックスを持って、ただ流れに身を任せてる。
そんな奴なんて誰も助けてくれねぇし、お前をあざけ笑ってる連中が益々調子に乗る。そしてその流れがどんどん速度を加速させて・・・まぁ、
今みたいに泥を飲ませられた気分になる」
「・・・・泥かどうかは知らないがな」
「自分だけの殻に閉じこもって日々耐えてるみたいだが、そんなのは長続きしねぇ。いつかバリバリに割れる。ガラス細工よりも脆いからな、そんな殻なんて」
負の感情で作りあげる壁なんて糞の役にも立たない。尚且つどんどん心が淀んでいき、最終的に全体が腐る。これ以上ないぐらいに最悪な環境だ。
そんな環境下に陥ってる連中をオレは何回も見てる。美夏みたいに苛められている奴もいれば、ギャンブル依存症で家族からも見放された父親もいた。
酒場に入り浸ってるとそんな話を多く聞く機会がある。夜は昼間に保っていた精神力が切れちまうから心の内を吐露しやすくなるからな。
「好きでこうしてる訳じゃない・・・。桜内には分からんだろうが、な」
「分かりやすくて困るな。どうしていいか分からないから、お前はそんな風になってんだろ? それさえ分からないぐらい参ってんのか」
「うるさい」
目を瞑り、膝の上に拳を乗せる美夏。そろそろ限界に近いな。泣く寸前なのが見て取れた。体の震えが密着した体を伝わってくる。
別に苛めたい訳じゃねぇんだけど・・・・オレも結構不器用だよな。他のヤツを馬鹿に出来ないかもしれない。
「解決法が一つだけある」
「・・・・なに?」
「由夢に頼れ。そしてその由夢の友達にも泣き付け。あとは板橋とか杉並、杏達とかにもな」
「ありがたい助言だが・・・もうしている。こんな台詞はあんまり言いたくないが・・・・心苦しい気持ちで一杯だ」
「まだ足りねぇんだよ。もう皆がドン引きするぐらい泣け。こいつ泣き過ぎて死ぬんじゃねぇかと思うぐらいにだ」
「だからっ! もうやってるんだっ・・・ぐす。これ以上に周りに迷惑なんて掛けられない。もう恩を返せないぐらい助けて貰ってる」
「恩なんて返す事ねぇよ。別に借金してる訳じゃないんだ。限度額も設定されてない。どんどん迷惑を掛けまくれ」
「そんなろくでなしみたいな事―――――」
「友情は見返りを求めない」
「え・・・」
「そんな恥ずかしい考えをしてる連中ばっかりだよ、お前を助けてる連中は。返って気を使ってたら怒るぐらいだしな」
「た、確かに人間の中でも杏先輩たちや由夢は人が出来てると思うが・・・」
「お前さぁ、まだ見栄とか自分を取り繕ってるだろ? 助ける身にもなれ。人の心なんて他様には読めないんだからよ。本当はどうして欲しいか
何をしたらいいか連中分からないと思うんだよ」
「・・・う、む」
「見たところ由夢もまだ本気で美夏を助けようとしてねぇな、ありゃあ。お前がつまらねぇ意地張って無感情装ってるから手の出しようがねーんだよきっと。
人が良過ぎるのにも大概にしろよな、オイ」
「ふ、ふがっ」
美夏の両方を引っ張ってぐいぐい伸ばす。さすが自称最先端ロボットだけあって結構伸びる。エリカがよく美夏の頬を攻撃する訳だ。
ジタバタ暴れる美夏に構わず一分ほど頬を好きなように弄り回す。そろそろ飽きたので頬から手を離し、手を後ろに組んで欠伸をした。
「飽きたな」
「お、お前はなんて事をするんだっ! さっきから上げたり落としたりふざけたりして、よく分からんぞ!」
「お前が勝手に上がったり降りたりしてるだけだ。人の所為にすんなよコラ」
「・・・ぬぅ。今日のお前はなんだか人が違うみたいに見えるぞ」
「よく分かったな。実は別の世界から来たんだよ。これからまた違う世界に行く予定なんだ。ぶっちゃけかなり忙しい」
「何を寝ぼけた事を。普段からボケてる奴だと思っていたがここまでとは・・・」
「うっせ。いいからお前は由夢なり杏なりに泣き付いて来い。あいつら待ってるぞ。美夏が正面から助けて欲しいって言ってくるのを」
「・・・・・なぁ、桜内」
「あん?」
「少し図々しいかもしれんが・・・勿論お前も助けてくれるんだろ?」
「・・・・・」
「何故だか知らんが、今のお前が傍に居てくれれば今回の件なんて簡単に解決出来ると思うんだ。いや、こんな事を思ってる自分にかなり驚くのだが・・・」
顔を朱色に染まり上げながら照れ臭そうに言う美夏。どうやら今回も高く買い被られているらしい。本当は口先の人間なのにな、オレは。
だが美夏からすればそれが真実だ。オレも美夏の事は助けてやりたい。美夏を下に見ている連中を見返してやりたい。そんな気持ちが燻っている。
しかし――――やはり無理な相談だった。先のななかの件を思い出す。額に掌を打ち付けて慎重に言葉を紡ぎ出した。。
「いや、無理だ」
「―――――そうか」
「オレもお前の傍にずっと居て守ってやりたいがそうもいかない。出来れば理由は聞かないで欲しい。オレはもうじき、ここから居なくなる」
「・・・嘘はついてないようだな。お前と色々今まで喋って来たが、一番真面目な顔付きだ。嘘を付いてる様に見えない」
「本当の事だからな。だからこうしてお前と話し合ったし、言いたい事も言った」
「そうだな。結構ボロカスに言われ放題だった。初めてだぞ、ここまで言われたのは。美夏を馬鹿にしてる奴等だってそこまでは言わないな! あっはっは!」
「悪い」
実際にその通りなので素直に頭を下げる。
しかし上辺ばかりの言葉を掛けるより、オレは本気で言いたい事を言い合いたかった。
頭を下げたオレに美夏は若干驚いた顔を作ったが、ふるふると首を振って肩を竦めた。
「よせ、謝られる様な事はされていない。思えばこんな風に言い合った事などなかった。逆に感謝している」
「んん? やけに素直だな、おい」
「お前が言ったんだろう? 取り繕うなと」
「・・・・確かにそうだな」
「さて、そろそろ授業も終わって休み時間になる頃合いだな。お前に言われた通り、まずは由夢に泣き付いてくるとするか」
「どんどん頼れよ。あいつも音姉に似て他人の為に一生懸命になれる希少的存在だ。あと我もかなり強い。役に立つと思うぜ」
オレの膝から立ち上がり、扉の方に歩み始める美夏。
付いて来ないオレに疑問を持ったのか首だけ傾けて怪訝な顔付きをした。
「なんだ、来ないのか?」
「少しばかりここで涼んでいくとするよ。こんな風に一人でぼーっとする時間を最近作れて無くてな」
「ふむ。そうか」
「ああ」
何本か煙草を吸ったらアイシアの所に戻るか。特にする事も無いし、最後の記念に学校内を散歩するのもいいかもしれない。
そうやって懐を弄ろうとして―――感じる視線。美夏がまだそこに立っており、オレにまだ何か言いたそうな顔をしている。
なんだ、また何か言いたい事でもあるのだろうか?
「なんだ、美夏」
「いや・・・」
「言いたい事があるならハッキリ言えよ。別に今更何か躊躇する関係でもねぇんだから」
「そうか。なら少しばかり聞きたい事がある。お前にとっては下らなく聞こえるかもしれんが・・・」
「とりあえず言ってみろよ」
「・・・うむ。それじゃあ・・・」
少し言いにくそうに美夏は口を開ける。が、視線を真っ直ぐオレに向けたまま。真摯な態度だった。
そしてその言葉を聞いたオレは、ここ最近で一番―――ある意味ショックを受ける事になってしまう。
「お前は美夏の事を人が良いと言うが・・・・お前はそんなに優しくて大丈夫なのか? 逆に美夏が心配になる」
「ふぅん。結構しぶといなー」
目を開け桜の幹の傍に座る。隣には未来のボクが幸せそうに眠っていた。その頭を撫でながら軽く欠伸をする。
この閉じられた世界への乱入者。未来のボクの生徒。すぐに精神的に参ってくよくよ泣き始めると思ってたのに、ねぇ。
そうすれば存在出来る力の源が弱まり、強制的にこの世界から弾きだされる事になる。
「・・・まぁ、時間の問題か。どっちにしたってこの世界には長く居られないし」
当然の話。未来から来た人が居続けるなんて世界が許してくれない。世界は矛盾をとても嫌う。その内嫌いが大嫌いになり、その存在の
証拠をすべて消し去ってくれる。
ボクが直接出張って「じゃあ、さようなら」と魔法を使えば話は早いが・・・それじゃあ、つまらない。消える直前までボクの『遊び相手』
になってて欲しいな。杉並くんも協力してくれてるし中々に有意義な時間を過ごせている。
「音姫ちゃんに、由夢ちゃんか・・・。やっぱりろくでもない未来だな。お兄ちゃんと音夢が結ばれる世界なんて」
本当にそう思う。誰が好き好んでそんな世界に居続けたいか。もはや拷問に近い痛みさえ感じる。
隣で眠っているボクは長い間よく耐えたと思う。魔法でどうにかなりそうなものなのに・・・うにゃ、優し過ぎるのもアレかなぁ。
そうして考え事をしている―――と、向こうから杉並くんが歩いてくるのが見えた。軽く手を上げると向こうも目で返事をしてくれた。
「お疲れ様。昨日はどうだった?」
「完璧だ。何も問題は無いな。我ながら完璧すぎて恐ろしいよ、くっくっく・・・」
「その割には何だか機嫌が悪く見えるけどにゃ~?」
「・・・・」
ぴたっと笑みを止め、ジッとボクの顔を見据える杉並くん。おお、なんだか本気で機嫌が悪いと見える。
もしかしたら、一杯喰わされたのかもしれない。あの杉並くんがここまで感情を露にするなんて本当に珍しい。
いつも人を食ったような態度を取る彼。うーーーん・・・中々相手もやるみたい。
「まぁ、あんまりやりすぎない程度に頼むよぉ~。人が死んじゃったらさすがの私も目覚めが悪いし」
「それはこちらも同じ気持ちだ。こういうゲームで大事な事は『本気』にお互いなり過ぎない事。もしそうなってしまったらゲームでは無くなる」
「にゃはは、頼もしいお言葉をどうも。頼りにしてるよ、杉並くん?」
「・・・・・なぁ、芳―――――」
「とりあえずまた戻って色々頼むね。こっちの方でも監視はしてるけど、細かい所まではさすがに気が回らないからさ~」
「・・・・・」
「むむむっ! 返事はどーしたんだね、杉並一等准尉!」
「了解。引き続き任務に当たる」
そう言って軽く口を釣り上げて来た道を戻る彼。やっぱり杉並くんはニヒルな感じでなくちゃいけない。そういうキャラなのだから、うむ。
そうしてまたボクは一人になる。いや、二人か。しかし同一人物だから一人と言っても過言ではないだろうか? うーん難しい・・・。
こうやって座ったままでいるのも暇だし、しばしその定義について考えててみよう・・・。考えるのって好きだしね。
「もって数日。そうすれば完全にこの世界は完成する、か」
それまでは暫くあの子達で楽しむとしよう。
そう結論付け、ボクは目を閉じて風の暖かさを思いっきり感じ取った。
「・・・・はぁ」
オレが優しいか。褒め言葉な筈なのにショックを受けている自分。昼飯を済ませた後でも、そのある意味カルチャーショックに似たモノをオレは感じていた。
散々好き放題やってきた。時には女にでさえ酷い扱いもする。というか昨日それを実行していた。そんな自分を純真な目で優しいと言い切る美夏。
なんだか、こう、無い筈の罪悪感がチクチク痛む。指に付けているアクセを撫でながら低い溜息を吐いた。
「なんだか騙してる気分だな。ちきしょう」
美夏は口は悪いが心は真っ白な画用紙並みに潔白になっている。だからアイツにあんな台詞を吐かれるとこんな気分になってしまう。
ちなみにエリカは黒と白の半々の画用紙。中間が無い。前は美夏と同じ真っ白だったのにオレの影響か段々黒くなってきた。
茜はピンク色の用紙。主にあの体付きの所為だろう。一回あの胸思いっきり揉みしだいてみたいが、そうすると黒白の画用紙の女が真っ黒になってしまう。
それだけはなんとか避けなくちゃいけない。アイツもアイツでおっかねー女だからな・・・最初に会ったエリカは何処に行ったのだろうか・・・・。
「――――少し考えを変えてみるか」
とりあえず何でも全否定しないで、考える事が大事だ。そして思う――――オレは優しい人間なのかもしれない、と。いや、そうなってしまった。
思えば二回目の人生を歩んでから色々な事に気付かされ、それらを大事にするようになった。美夏に言った通り人が良い連中ばっかり集まったオレの周り。
知らず知らずの内に影響を受けたのかもしれない。学校以外でも付き合いがあるあいつら。その可能性は否定出来ない。
「おい」
「マジかよ・・・。このオレがそんな風になっちまうなんて」
「無視すんなよ、桜内、こら」
「でも悪くねぇかもな。そろそろ落ち着いて将来の為に真面目になるのも――――」
「無視すんなって―――言ってんだろコラァ!」
「ん?」
ふと顔を上げて思考の海から戻る。目の前には上級生らしき先輩数人―――いや、目の前だけじゃない。横に、後ろにも上級生やら同級生、下級生
らしき生徒がゾロゾロいた。思わず首を捻ってしまう光景だ。
前の世界ならいざ知らず、この世界でこれだけの人数に囲まれる理由・・・分からない。その囲んでいる連中の中から頭らしき人が一歩オレの前に
歩みを進めた。いかにもといった人間。何でこういう人種は頭が悪そうな雰囲気を醸し出しているだろうか。
「あー・・・。何の用ですか? 先輩」
「あぁ? 何の用じゃねぇだろ桜内。聞いた話だとお前さぁ、最近調子に乗ってるらしいな。皆言ってるぜ? あいつはお調子モンだってな」
「いや、知らないですけど」
「すっとぼけやがって・・・」
「もう面倒っちぃからやっちゃいましょうよ、先輩」
脇に突っ立っていた茶髪野郎がにやにやしながら話しかける。周りに居た連中もそれに賛同するように野次に似た声を飛ばした。
いや、マジで状況が掴めない。この世界のオレが何かやらかしたのか? それにしたって人数が多すぎる様がしないでもない。
ざっと10人居る。それも渡り廊下なので狭いし。そう考えていると―――と、襟元を掴まれて強制的に顔を上に上げさせられた。
「・・・あの、苦しいんですど」
「お前、あの天枷とかいうロボットに肩入れしてるだろ? 見ていてイラつくんだよ。偽善ぶりやがって」
「はぁ」
「そういうの俺達って結構許せないタチなんだよ。あんな気持ち悪くて何しでかすか分からねぇモンの事庇いやがって」
「どうせ体目的なんだろ。俺は良い事したぜみたいな気持ちに浸って、無理矢理に後で犯すんだろ? うわ、最低だなー」
「女の知り合いがあれだけいんのに、まだ女増やすつもりなのかよ。全く、最近のヤツは程度ってもんを知らねぇな、おい」
「いいよなぁ。オレも会長に弟くんて呼ばれて一発ヤリたい所だぜ」
「俺だったら姉妹丼しちゃうね。会長の妹も中々の面してるし」
「くぅ~っ! 想像しただけでやべぇって、それ!」
・・・なるほど。理由が分からなかったのは道理。特に大して理由が無いのだからいくら考えても分からない筈だ。頭使って損したぜ。
要はみんなから迫害されている美夏の事を庇っているオレ、その行為が勘に触ったらしい。いつだって少数派は立場が弱いものだ。
それに加え桜内義之という人間の環境もこれまた絡まれる要因となる。そりゃあれだけ良い女ばかり周りに集まってたら面白く無いモンな。
「それにあの白河ななかとも知り合いらしいな。どんだけだよ、こいつ」
「こりゃ―――ちゃんと教育してやらねぇと駄目だな。この学校の風紀を保つためにな・・・プッ」
「いやいや、面倒だけど仕方無いっすよね。うん」
しょうもねぇ。あまり構っている暇は無い。そう考え、どうやってこの場を切り抜けるか考える。
前後、横と上手い具合に二人ずつに囲まれている自分。前に思いっきり駈け出せば簡単に抜け出せる。
あとは適当に撒けばいい。これだけの人数だ。オレを追いかけようとしてお互いの体が邪魔をする。
そこまで考慮してる様な奴等には見えない。逃げるのは簡単そうだな、こりゃ。
そしてオレは逃げようと襟元に掛かった手の位置の少しずらし、外そうとする――――瞬間、天啓の様にある一つの考えが思い浮かんだ。
「あ」
「ん?」
オレの呟き声に反応を示す上級生の先輩。
それに構わずオレは閃き浮かんだその考えを実行した。
「――――ぎゃっ!?」
「な・・・」
「お、おいコラァ!」
「うーん。やっぱりな、なるほど」
相手の肘に両手を掛け、更にそこに体重を掛ける。前屈みになる体。顔がこちらに押し出される様になる。そこにオレは頭突きを喰らわせた。
情けない悲鳴を漏らす相手。驚いた様に思わず後ずさりする男。こちらを威嚇するような怒声もちらほら聞こえる。それを無視してオレは再び考える。
人を傷付けても罪悪感が1ccも湧かない。どうやらオレが優しい人間というのは美夏の勘違いだったようだ。
善人だったら余りにも心が痛んで、泣きながら蹲ってしまうだろう、きっと。
自分は果たして善人になったのかという実験―――結果は前と変わらずというものだった。
鼻を押さえて涙目になっている相手の股間を蹴り上げる。ひゅっ、と息を吐き出し卒倒するように倒れ込んだ。
また罪悪感なんて感じない。うん、やっぱりオレは悪人みたいだ。美夏が変な事を言うから気にしちまったじゃねーか。全く。
「この野郎! よくもやりやがったなっ」
「うるせーよハゲ。オレを潰したいだけなのに建前の文句ばかり言いやがって。だから女日照りなんだよ」
「な、こ、コイツっ!」
相手が手をこちらに伸ばしてくる。ただ伸びているだけの手。格闘技なんてまるでかじっていない素人の動きだった。
だからその伸ばしてきた腕を引っ捕まえて、手の指を逆に捻ってやった。乾いた様な音が響き、簡単に指骨が外れる。
悲鳴を上げようと汚い口を開ける相手。そこに腰を捻りながら肘を突き刺す。歯がぼろっと落ちるのが感じ伝わった。
「・・・・ッ! ァ・・・・」
「意気がってた割には呆気ねぇな。まだそこら辺の空手とかやってる小学生の方が強い」
「て、てめぇ桜内! こんな事してタダで済むと思ってんのかよっ」
「そしてお互いの体が邪魔をして上手く動けないときたもんだ。頭が悪過ぎる。きっと女の事とかパチンコの事しか考えてねぇんだろ」
呟いて時計を見る。さっき早めに昼飯を喰って適当に散歩してて・・・今11時くらいか。人通りなんて無い。だからコイツ等はオレに絡んできたのだろうが。
頭はちゃんと冷静さを保っている。昨日の昼時みたいに熱くなってはいない。視界もちゃんとクリアだし、周りの雰囲気も感じ取れる。
足のつま先に体重を掛け右足を後ろに回し、手はぶらんとさせておく。格闘技なんて習って無いので自分が動きやすい構えを取った。
本来なら逃げるのが賢い行動なんだろうが―――たまにはこうやって馬鹿みたいに暴れる時があってもいいだろう。
アイシアが予定した出発時刻まで後少しだし、時間配分はなんとでもなる。まぁ、アイシアがまた怒鳴り散らかすんだろうがな。
「飛ぶ鳥跡を濁さずと言うが・・・あんまり好きじゃねぇ言葉だな」
自分が居たという証が消えるのは寂しいものだと思う。やはり最後は大花火でも打ち上げて景気良く行きたいものだ。
こういう子供っぽさはいい加減卒業したいが・・・多分治らないだろうなぁ。歳を取れば多少は落ち着くが完治までは行かないだろう。
そんな自分に多少の体たらくさを感じつつ――――横に突っ立って馬鹿みたいに口を大きく空けて罵声を吐いている男の腹を蹴り上げた。