「うーん・・・」
握った手を閉じて、開く。義之に人形みたいな手だと評された小さな手。褒め言葉か貶されているのか分からない。だが自分は割りと気に入ってる手だ。
そっと目を閉じ、開いた手をぎゅっと握り集中する。周りの音が段々遠ざかっていき自己の中に没頭。次第に感覚も遠のいて行く。慣れた感覚だった。
そして数十秒黙って目を閉じていたアイシア。目を開け一息付く。首をこきこき鳴らして背伸びをする。疲れていた訳ではないが、癖みたいなものだ。
「やっぱり何だか力が上がってる感じがする。何でだろう・・・」
そして、はたと数十年前の記憶を思い出す。
初めて初音島に来て色々な出会いがあり、出来事があり、先輩―――と言える人に教わったある事を。
「まさか・・・なぁ」
魔法使い・・・魔女は、恋をするとその力を増す事も無くす事も出来るという。
人は無機質なモノでは無い。身体から心に至るまで数えきれない位の色々なモノで構成されているという。
その中でも人の想いほど不透明で動となる力は他に無いとさくらは言っていた。
特に―――恋感情に関しては、だそうだ。
「相手はあの子かな。というか他に居ないし・・・」
この他人とは違う在り方の所為で出会いなんてものは無かった。元より他人の幸せな姿を見るだけでお腹一杯になるタチな自分。
恋に憧れてる気持ちは確かにあったが、深く考えようと思った事はない。しかし彼に出会ってからはその抑えた気持ちが段々裸になっていく気がした。
悪くは無い。むしろ清々しい気持ちと甘酸っぱい感情に囚われる。アイシアはここ一年、前までは見せなかった笑顔を振りまくようになっていた。
数十年もの間人に忘れられながら生きてきた彼女にとっては、義之との出会いは転機と言えた。毎日が刺激的。退屈しない日々が続いている。
「退屈しないのはいいんだけど、さ」
ぽふっと畳みの上に寝転がる。思い出すのは義之と運命の出会いをしてから今日までの毎日だ。ごろごろと私はまるでローラーの様に縦横無尽に転がる。
良くも悪くも彼は目立つ。人に影響を与える。そして私は人に影響を受けやすい。段々と私の慎ましい性格がやさぐれてきてる気がする・・・、うん。
これではいけない。いくら好意を持っているからといって、あんな傍若無人の性格に近付くのはNG。いつだって自分はおしとやかでなくてはいけないのだ。
「・・・・・ん?」
ある一種の決意を胸に秘めたアイシアは、部屋の中を転がるのをぴたりと止める。
むくっと起き上がり、耳を澄ませるように頭を傾げる。シーンとした静寂が部屋を包み込んだ。
「んー?」
気のせいか。確か窓が割れるような音を聞いた気がしたのだが・・・。あの硝子細工が割れる独特な音。あまり気持ちの良い音ではない。
もしかしたらまだ若干疲れが残っているのかもしれないなぁ。確かに力は上がっているみたいだが、その急な変化についていけていないのかも。
とりあえず義之が戻ってくるまではゆっくり休んでいるとしよう。いつまた緊急を要する事態になるか分かったモノでは無い。
「真っ直ぐ帰って来て下さいよー。義之」
口に出して呟いてみる。まさかこんな移動直前で騒ぎなんて起こさないはず・・・。
だが、自分でも分かるぐらい自信の無い虚しい声が響くだけだった。
「ふぅ・・・」
四時間目の授業が終わり、やっと待ちに待った昼休みが訪れる。ある者は学食を食べに食堂へ。ある者は友達と談笑しつつ鞄から弁当を取り出す。
その中でも席を立たないで一人ポツンと考え事をしている者がいた。月島小恋。昨日はとことん自分の恋人と深く話し合った。その余韻が未だに抜けない。
どこかぼんやりしてしまう様な感覚に昨日から囚われている。そんな小恋を気にしてか、杏と茜は眉を寄せながら歩み寄る。
「ふぁ~・・・」
「あらぁ? 寝不足かしら小恋ちゃん」
「んー・・・ちょっと考え事をしてたんだ。寝たの三時くらいだし」
「どうせ小恋の事だからエッチな事でも考えて眠れなくなったんでしょ。ふふっ」
「そ、そんなんじゃないったらっ、もう!」
杏の軽口に頬を膨らませて抗議する小恋。いつもの慣れたやりとりではあったが、それでもからかわれるのは面白くない。
そんな小恋に杏と茜はくすくすと笑う。さすがに本当に怒ったのならば謝りもする場面だが、生憎可愛らしくしか怒れない彼女を見ると笑いが出る。
それほどに微笑ましい小恋の怒りの抗議。少しは元気が出たみたい。昨日までの彼女と比べると、どこか陰が引っ込んだように杏と茜は感じていた。
「何かあったのかしら、小恋。今日は随分明るいじゃない」
「そーだねぇ。少し前のテンションに戻った感じがするなー。何かあった?」
「・・・まぁ、色々とね」
「あたやだ。隠し事かしらね、茜さん」
「そうみたいですわね、杏さん」
若干頬を緩ませて話す彼女を見て冷やかしに入る二人。またそんな彼女達に抗議しようと口を開き掛けるが、目を瞑ってため息をつく。
ここで反応をしたらこの二人の思う壷だ。それはずっと前から分かっている事。だけどさっきみたいに思わず反応してしまう事もしばしばだ。
「そんなに意地悪されても喋らないからね、杏と茜」
「そう? どうせ義之絡みだから聞かなくても分かるけどね」
「―――――ッ!」
「バレバレよぉ、小恋ちゃん。小恋ちゃんのテンションがアップダウンする出来事なんて義之くん関係に決まってるしねぇ」
冗談っぽい軽口でそう告げられ、思わず言葉に詰まって口をつむんでしまう。さすがにずっと一緒に行動を共にしてきた間柄だ。すべてお見通し。
自分という人間はなんて悟られやすい人間なのだろうか。そう自戒するように顔を朱色に染めて下に向ける。いつまで経ってもやはりこの弄りは慣れない。
恋人が出来たら少しはこの照れ屋っぽい所も収まるだろうと思っていたが、結局こういう所は変わっていない。しかし、そんな小恋を二人は好ましく思って
いるのも事実だった。いつまでもこんな風に純粋であって欲しいと願っている杏と茜。少し空気を変える様に座っていた椅子を茜は引き、座った。
「まぁ、でもよかったわ」
「え?」
「その様子じゃ良い事があったんでしょ? テンションアップする良い事が」
「良きかな良きかな。小恋ったら最近泥を被ったアヒルみたいな顔をしてばかりだったから、ちょっと心配だったのよね」
「そ、そんなに酷くないもんっ」
「自分がどういう顔をしてるかなんて、意外と鏡を見ても分からないものよ」
「さぁ、早くお弁当食べちゃいましょう。今日も義之くんはお休みみたいだし」
「どうせ風邪がぶりかえしたのでしょう。昨日の様子を見る限りじゃきっとそう。あんな真似を私にするなんて・・・・」
小恋の言い分を無視して、杏は愚痴ながら椅子を寄せて座る。さすがに昨日の事はまだ根に持っているみたいだった。
大人が子供に悪戯するかのように頭を掻き乱された。確かに身長差はかなりあると思うがして良い事と悪い事がある筈だ・・・。
軽く眉を寄せながら杏は手に持っていた弁当箱を開く。それに習って小恋も慌てて持参した弁当を開いた。
「ん? 今日は義之の分は持ってこなかったの?」
「うん。朝早く家に電話が掛かって来て、今日は休むって言われたから作ってこなかったんだ」
「前に比べて随分マメになったわねぇ、義之くん。いつもそんな感じだといいんだけどなー」
「携帯じゃなくて家の電話、ねぇ・・・・・」
「どうしたの、杏?」
「別になんでもないわ」
「・・・?」
・・・・やはりおかしい、と杏は思う。心にしこりの様に違和感が募る。何にしても気が回り過ぎだ。簡単に言えば『そつ』がない。
髪を掻き乱された時の事を思い出す。確かに身長差はあったが、あそこまで差は無い筈だ。記憶の義之を思い出す。いつもより2cm程高い昨日の『彼』。
なんだかキツネに化かされている気分だ。この私が違和感と思うなら何かある。絶対記憶というものを持っているんだから、そういったものには敏感だ。
「んん? どぉしたの杏ちゃん。何か考え事?」
「・・・いえ、別に何でもないわ」
「そう? ならいいけど」
「じゃあ、いただきますしようかっ」
敢えて言う事でも――――ないだろう。笑顔で両手を重ねてる小恋を見ると杏はその考えを振り払った。
自分の友人が幸せそうにしているのだから横槍を敢えて入れる事もない。悪い影響があるならまだしも、そんな様子は見受けられなかった。
どこか前に比べて漂々とした様子を見せ、どっしり構えている印象がある昨日の義之。口が悪くなった感も否めないが問題は無かった。
「よぉし、じゃあいっせーので掛け声合わせようー!」
「相変わらずね、茜。それじゃ・・・」
「いただきま―――――」
気を取り直しいつもと同じように手を重ね合わせる―――――瞬間、扉がけたたましい音を立てながら吹き飛んだ。
「――――ッ!」
「きゃっ!?」
「な、なにっ!?」
あまりにもいきなりの事で、教室中が静寂に包まれる。
そして飛んできたのは扉だけではなく、一人の男子生徒も一緒だった。
苦しそうに呻き声を漏らし、顔を引き攣らせながら腹を抑えている。
「ぐっ・・・・ぁあ」
「え、ちょっ、何が起きて――――――!」
「はぁ、はぁ・・・・くそったれがっ、しつけーんだよ」
小恋は声のした方向に目を向け・・・・立ちくらみを覚えた様に身体をふらつかせた。
慌てて杏と茜が小恋の身体を抱きとめて、彼女が見た方向に目を向けて―――ぎょっとする。
服装はぐちゃぐちゃに乱れ、額や鼻から血を流し、荒々しく息をつくクラスメイト。桜内義之。
「な、なにやってるの・・・義之・・・」
「あ? んな事こいつにでも教えて貰えよ。言っとくがオレは被害者だぜ――――なぁっ!?」
「がっ・・・!」
「ひぅっ!」
倒れた男子生徒の頭を蹴り抜き白眼を向かせる。その余りにも惨い扱いに小恋は息を呑んだ。
杏と茜も同様に一体何が起きているのか把握し切れなく、目を慌ただしく左右に動かすのみ。
義之はもごもごと口を動かし、ペッと口に中に溜まった血を吐き捨て額を抑えながら呻いた。
「くっ、あーマジで痛ぇし血は出るし最悪だ。こりゃまたアイシアに怒られちまうわ・・・・はぁ」
そうして彼、義之は目を廊下側に向ける。まだあと4人程相手が残っていた。興奮状態にあるのか、全員目が血走っている。
最初上手い事二人はやれたが、その後すぐに一発を貰い壁に打ち付けられた。不用意に近付いてくる相手。頭から飛び込んで頭突きを喰らわす。
後は逃げながら壁の曲がり角からの不意打ちを繰り返し、教室近くまで来て肩を掴まれたので至近距離から腹に尾を引いた膝を振り抜いたのだった。
「この野郎っ、絶対にぶっ殺してやるぜ桜内っ!」
「殺すとか軽々しく言うなよ、だせぇ・・・くっ」
そうしてやっと残り四人まできた。最初は何とかやり合おうと隠れ隠れ逃げたが、思いのほかしつこく、一時間程かけっこをする羽目になった。
元々人数的に多勢に無勢―――鼻からの出血が思ったより酷く、呼吸が上手く出来ない。そして義之が廊下の奥をみやると生徒会の役員たちの姿が見えた。
早いとこどうにかしないと面倒臭いな。自分のバカバカしさに義之は唇を吊り上げながら、鋭く息を一つ吐いた。
「・・・・・」
一人、並木道を歩く。空を見上げると今にも雨が降りそうなぐらい灰色が占めていた。どうやら天気はループしていないらしい。
曇天の空模様の中、冷たい風が音姫の身体を吹き抜けていった。ぶるっと身体を震わせて足を進める。まるで昨日の晴天さが嘘みたいだ。
今にも雨が降って来てもおかしくはない。まるで自分がここに来るのを拒んでいるかのように思える。音姫はハァっと手に息を吹き付けた。
「映画とかだとこの先に怖い怪物とかいるんだよね・・・うぅ」
芝居掛かった様に頭に手をやる。こうでもしないと折角出した勇気が挫けそうだった。目を瞑って深呼吸をする。
別に怪物が居たって良い。昔からそういったものの退治は魔法使いがしてきた。イギリスやフィンランド等の民話ではそういう書物が沢山ある。
確かに怖い存在ではあるが、伊達に長年さくらさんの元で勉強をしてきた訳ではない。それなりだがそういう知識も蓄えてあるので恐怖は余りない。
問題なのは――――その師匠ともいえる存在が、この先に待ち受けているかもしれないと言う事だ。
「・・・・今度は絶対に騙されないよ、さくらさん」
さっき音夢さんがさくらさんの名前を出した時、場が混乱して騒ぎになった。それはそうだ。音夢さん達と同い年だというのに私達の知ってる
さくらさんは若すぎる。辻褄が合わない所では無い。
場を取り繕うにも何を言っていいか私には分からなかった。何を言っても恐らく彼女達には通用しないだろう。とても聡い子達ばかりだからだ。
私の言ってる嘘など看破してしまうに違いない。
だからといって魔法がどうのこうの言える筈も無く、こっそりその輪から抜け出し枯れない桜の木を目指している。芳乃さくらという名前を聞
いた時、ずっと自分を縛っていた『モノ』が解かれていく感覚がした。それと同時に思い出すこの世界に来て最初の事。
「結構自分の力に自信があったんだけどな・・・。こんなあっさり目隠しされちゃ格好悪過ぎるよ」
赤子の手を捻る様にあっさり相手の術中に嵌ってしまった。それからずっと頭に霧が掛かっていた様に曖昧な日を過ごした。
こんな時だからこそ自分が先頭に立たないといけないのに、雪村さんに全部任せっきりにし、実のある提案なんてしようとも思わなかった。
危機感の欠如。落ち葉みたいに周りに流されてきたここ数日。思わず眉に険が宿ってしまうのを我慢し、見慣れた獣道に入っていく。
「よっ・・・と。やっぱり昔だからちゃんと整理されてないな。枯れ木が多すぎるよ、全く」
杉並と一緒に居たのを見掛けたという茜の証言。
ここ数日さくらを見ていないという音夢の発言。
朝倉音姫という魔法使いを丸込める程のチカラ。
「そういえばこっそり抜けだしてきたから、雪村さん達怒ってるかも。後で謝らないといけないな」
それらを統合した結果、芳乃さくらという人物が何か関係していると音姫はあたりをつけていた。
元々この世界に来たきっかけはあの園内放送がきっかけだ。あの放送が無ければそもそもあそこには行かなかった。
義之を呼び出したのに、園長室に居なかったさくら。もう何かしらこの異常事態に関係していると確信を持つ。
「そろそろ見えてきてもおかしくないんだけど・・・・・・・・ぁ」
思わず呟き声を漏らす。目の前を覆うほどの桜吹雪と名残り雪の結晶のコラボレーション。
心を奪われる幻想的な舞い。花弁が雪でキラキラと光りを放ち、目を細めながら音姫はそれを茫然と見ていた。
こんな光景は初音島で見た事が無い。手を上にかざしながら前へと足を進める。その雪化粧された花弁の中を。
そうして見えてきた――――見覚えのある、枯れない桜の木。
その横に眠る様にさくらは寝ていた。まるで小さな子供の様に―――――。
「さ、さくらさ・・・・!」
一瞬―――背中に氷柱を入れられた様に背筋に鳥肌が立つ。慌ててさくらから目を離し後ろに数歩下がった。
無意識的な行動。ただ頭が『離れろ』と身体に命じた。呼吸が荒れているのが自分でも分かる。額に汗が伝った。
枯れない桜の木の後ろ。誰か居る。目視出来ないが、確実にそこには誰かが居た。強烈な圧迫感。唾を飲み込んで乾いた喉を癒す。
と。
「ちょっとちょっと! そんなに怖がらないでもいいんじゃないかなぁ?」
「え・・・」
木の後ろから現れたのは・・・さくらさん。体が凍りついたように動かない。あまりの驚きで。
そんな私にむっとした顔を作りながら、やや幼さを残したさくらさんらしき人物がこちらに歩み寄ってくる。
誰だ――――この人は。ジッとこちらを見据える様に黙っている。服装は見慣れたスーツ姿では無く、幼さが残るスカートを履いていた。
「ふぅん。キミが朝倉音姫ちゃんか。音夢ちゃんそっくりだねぇ~にゃはは」
ニカっと人懐っこそうな笑みを向けてくる。対して私は身構えたまま視線を外さない。
普段だったら笑みを返し談笑を楽しむ所だが、こんな状況で能天気になれる程の余裕は持ち合わせていなかった。
「―――貴方は誰ですか?」
「ん~?」
「そしてその横たわっているさくらさんは今一体どういう状況なんですか? もしかして日付がループするこの異常事態に
貴方は関係してるんですか?」
「・・・うにゃ」
「私に魔法を掛けてこの場所に入らせなかったのは貴方ですよね? それは何故なんですか? 一体どういう理由を持って?」
「ちょっとウザくなってきたかな。見た目そんな感じしないのにねぇー」
「何もかもが分からない事ばかり。分かってるのは貴方が杉並くんと一緒に行動してる事ぐらいです」
エリカから聞いた情報。背の小さい金髪の女子が杉並と歩いていたというものだった。
風見学園にいる金髪の女子というと芳乃さくら以外にいない。音姫はそう音夢から聞いていた。
そして目の前にいる芳乃さくら。恐らく魔法を使って私を欺いたのもこの人。さくらさんに似た力がヒシヒシと感じられる。
どういう理由かは知らないが、自分の知ってるさくらさんが眠る様に横たわり脇に居るさくらさんの姿形をしている人は笑みを携えている。
それだけで分かる。友好的な存在ではないと。警戒心を強くしながら目を尖らせる私に、相手はまた笑みを強くした。
「あやや・・・出来るだけ見つからない様にしてたつもりなのに。やっぱりこういうのってどこかボロが出ちゃうんだよねー」
「・・・もう一回簡潔に聞きます。貴方の目的は何ですか?」
「人にモノを頼む時はそれなりの態度があるって学校で習わなかったのかな? 生徒会長さん」
「それなりの態度で接する程良い事してもらってませんから。多少棘があるのは仕方無い事だと理解して貰えると助かります」
「ああ、うん、なるほど。私が何かしたという前提が音姫ちゃんにはある訳だ。そりゃそんなに睨まれる訳だね、うんうん」
「違うんですか?」
「―――――全然違うよ。見当違いも良い所」
顔を手で覆いつつ、呆れた声で音姫の考えを否定した。
眉を寄せて音姫はその発言の意味を推し量る。それは一体どういう事なのか。
「それは一体どういう事で・・・」
「キミは一方的にボクが何かしらの真犯人だとか思いこんでる様だけど全く違う。この世界を作り出した張本人、永遠と繰り返される
ゴールの無い日々を望んだ人・・・それは残念ながらボクじゃないんだよねぇ」
「随分もって回った言い方をするでんすね。真犯人じゃないとしてもこの事態の真実に近い所にはいるんでしょう?」
「まぁーねー。もぐもぐ」
桜の木に寄り掛かりながら、いつの間にか手に持っていた桜餅をほうばり始めたさくらさんに似た人。
まるで子供の様に食べ物に集中しながら食べる姿を見て、ある事に気付く。
(桜餅・・・魔法で出した気配がある。いつ出したのか分からなかった・・・)
なんて厄介なのだろう。常識の理の外の手段を行使出来る存在―――魔法使い。今まで生きてきてそんな相手と競った事などない。
更にだ―――力もなんら脇で寝ているさくらさんと遜色ないように思える。もし敵意がこちらに向いた時、私はそれに抗う事が出来るだろうか
姿形がさくらさんに似ているのもプレッシャーだ。自分の師匠なのだから。これは参ったな、と冷や汗が一つ流れるのを感じた。
「だからさーそもそも前提が間違ってるよ。朝倉音姫ちゃん」
「え?」
「この件はある意味ボクは全くの無関係。というかボクだってある意味巻き込まれた形に近いんだよ? こんな中途半端に意思を与えられてさ」
「・・・意味が分かりません」
「そこまで察しが悪い子には見えないんだけどな。もしかし敢えてその可能性を考えない様にしてるとか? 本当にこの子の事好きなんだね」
ちらっと横たわっているさくらさんを見る彼女。
一瞬―――一瞬だが、どこか慈しむ様な色合いの目線を向ける。
だが次にこちらに向き直った時には元の漂々とした顔付きに戻っていた。
「ここまでの事を出来る魔法使いなんてポンポンいない。それこそ何十年間も生きている魔女みたいな人じゃないと無理だよ」
「・・・・・」
「もうぶっちゃけて言うとさ、この世界はね、この子が作り上げたものなの」
衝撃的な発言―――だと思う。しかし、心には波風が立たなかった。相手の言う通り心のどこかでは薄々勘付いていたのかもしれない。
目線を初音島の橋の方に向ける。ここに来る途中にちらっと見たが霧掛かった様に上手く風景を捉えられなかった。何回見ても常にぼやけている景色。
まるで初音島以外に何も存在していないみたいなあやふやな光景。ただ日常がループするだけでは無く、この世界『自体』が何かズレていた。
極めつけに常に感じ取る魔法の力の流れ。日常ではまずあり得ない。最初はこのループ現象の所為かと思ったが、それでも違和感は感じていた。
肌に感じる慣れ親しんだ暖かい魔法の力。さくらさんの力。そんなものがあちこちに流れているのだから嫌でも気付く。さくらさんが関係してるのだと。
「・・・へぇ、そうなんですか」
「ほら、やっぱり驚いていない。実は気付いてたんしょ? この現象について」
「気付いてはいたけれど、それ以上考えさせて貰えませんでしたから。誰かさんの所為で」
「しょうがないじゃないかー。だってこの世界はこの子が望んだ世界なんだよ? 作ったばかりなのに壊されたら、堪らないじゃん」
「望んだ?」
「そ。結構寂しい思いをしてたんだねぇ、この子は。だからこんな世界を作った。毎日が楽しく、笑って、辛い事が何も無い幸せな世界を」
「なっ―――――」
「音姫ちゃんは何も気付かなかったの? 時々寂しそうに笑う時、一人でぼーっとしてる時、昔の話をよくする時・・・色々ヒントは出てた筈だよ?
この子の助けて欲しいって信号が」
「・・・・・・」
正直、気付かなかった。いつも私達と話をしている時は笑顔だったし、辛い様子なんて一回も見せた事が無い。
昔話をする時もそんな節は見受けられなかったように思える。楽しそうに学生時代の事を話すさくらさんに、私はいつも楽しませられていた。
「――――なるほど。本当に気付かなかったみたいだね。まぁ、自分の気持ちを隠すのが上手いからしょうがないと思うけどー」
「くっ・・・・」
「そういえば自己紹介がまだだったね。私の名前は芳乃さくら―――この姿はこの子の幸せな時を過ごした象徴。要は都合の良いように作られた存在
といった所かな」
両手をぱんっと叩き合わせて、これで話はお終いだという意思表示をする。
しかしそうはいかない。聞きたい事はまだ沢山ある。
「ちょっと待っ――――」
「待ってる時間なんて無いんじゃないの。そっちの方が」
「え・・・」
「君たちは『異物』なんだ。それを許容する程この世界は中途半端なものじゃない。分かるでしょ?」
「それは・・・私達がもうすぐ消えてしまうって事ですか?」
雪村さんが話していたSFの理論。矛盾が絶対に起きない様に世界は常に動いている。
出来るだけ考えない様にしていた可能性。改めて指摘されると不穏な感情に彩られていく。
思わず胸の辺りを抑える私を相手はふっと笑い、話を続けた。
「消えるね。消えたら元の世界に戻るのか、はたまた消滅してしまうのかは分からない。けどボクの見立てだと・・・消滅の方が有りうると思うなぁ。
だって水道管に異物があってそこに水を入れると流れていっちゃうでしょ? 今だってその水は流され続けているんだから長くは持たないかな?」
「――――そうはいかない。絶対にさくらさんを連れて、全員元の世界に戻ってみせる」
「にゃはは。威勢はいいね、そういうのボクは好きだよ。サムライみたいで」
「そうやって馬鹿にして―――――ッ!」
「なら早くした方がいいよ。もうすぐこの枯れない桜の木は完全な状態になる。そうなるとキミ達は消えて、この世界は盤石したものになるから」
「じゃあ今すぐにでもっ!」
駈け出す。脚に力を入れて息を短く吐き出した。私の行動が意外だったのか、呆気に取られた顔をした彼女を尻目にさくらさんの元に
辿りついた。子供の様に丸まっているさくらさん。その顔は穏やかなものだった。
一瞬連れだしてどうするのか、と思考が過る。さくらさんは望んでこの世界を作った。そして望んでここにいる。それを無理に連れ戻し
て果たしていいのかと考えてしまった。
「いや、そんな事は後回し!」
さくらさんだけではなく、皆の命が掛かっている。無理矢理に担ごうと屈んでさくらさんの手を取る。
彼女は妨害するでもなく呆れた顔でこちらの行動を目を細めて見ていた。
「そんなに力がありそうに見えないんだけど。無理しない方がいいんじゃない? ぎっくり腰って結構痛いんだよ」
「生憎毎日デスクワークで過ごしてる訳じゃないんでっ、これくらい!」
フラフラしながらもなんとか背にさくらさんを乗せる。意識を失っている人間を背負うのは思った以上にキツイ。
確か何倍にも感じられるという話だ。はっきり言って経っているのがやっとな状態。これで走るというのは男でも無謀だと思う。
しかし泣き事を言っている暇は無い。早くここから脱出して皆の所に戻らなければいけない。そして対策を考える。
その為には――――しょうがない。魔法を使ってこの場を切り抜けよう。今なら相手を出し抜いてこっちの魔法の展開の方が早い。
「―――あ」
「はいはい、御苦労さん。そこに優しく置いてね」
「え、あ、う、ウソっ!? 体が・・・!」
体がまるで言う事を聞かない。本当なら相手に抜き打ちの魔法を喰らわせてここから立ち去る筈だったのに、今背負ったばかりのさくらさんを
言われた通り丁寧に下ろしている自分がいた。
そんな馬鹿な。確かに私は未熟な魔法使いだが、これでもさくらさんの元で何年も修練を積んできた。魔法に対する技術もそれなりのものだと
思っていた。なのに、こんなあっさり相手の術中に嵌るなんて・・・・。
「意外と行動力あるんで驚いちゃった。けど残念だったね。この世界は『ボク』が作った世界なんだよ? ボクに勝てる魔法使いなんて居ない。すごいよね」
「ならっ――――」
「枯れない桜の木に干渉しようとしても無意味。ボクの力以外は通さない様に少し改良しちゃったから」
行動を先読みされ、言葉を詰まらせる。体はもう自由に動くがもう一回さくらさんを抱えて逃げようとは思えなかった。
今の言葉を信じるならもう私に出来る事など無い。魔法でなにもかも無効化されてしまうだろう。
今更ながらに感じる。魔法というのはとても便利なものだと。私らしくないが、舌打ちをしたい気分だ。
「じゃあ、さようならだね――――そこで覗き見している彼女達と一緒に学校に帰ってもらおうか」
「え?」
相手の視線に釣られる様に茂みを見ると、そこには数人の頭がちらっと見えていた。
え、なに、着いてきてたのっ!? 全然気付かなかった・・・・!
「や、やばっ!」
「あ、杏ちゃんっ! ど~するの!?」
「・・・・・・諦めましょう」
「ちょっと雪村先輩っ、諦めてどうするんですの!」
「こらムラサキ! 杏先輩に喰って掛かってどうする、少し落ち着けっ」
「あらー・・・どうしましょう眞子ちゃん」
「わ、私に言われても」
「・・・見事にばれちゃったっすね・・・・あはは」
それも全員揃っている。聞かれたくない会話であった。魔法の事は出来るだけ隠す様にさくらさんに言われていたのに・・・!
そして視線を相手に戻す―――――と、手の平がこちらに向けられていた。魔法を行使する時に感じる力の流れ。
「あ、まずっ・・・・!」
「じゃあ今日はこれまで。また『今日という日』を消えるまで楽しんでいってねー」
そうして私達は光に包まれていった。途中抵抗しようとしたが、やはり無駄。全部強制的にキャンセルさせられる。
意識が真っ白に染まっていく中、考える。どうやったらこの子達のやんちゃな性格が直ってくれるのか・・・と。
「がっ――――」
「はぁはぁ・・・・・・どうだっ、ざまぁみやがれよ!」
腹に蹴りを貰い、壁に打ち付けられる。腹の中の物を思わず戻しそうになるが気力を総動員して耐えた。脂汗がにじみ出てくる。
いつもならこんな風に地に伏せる事は無いのだが、さすがに多勢に無勢だった。立つだけでフラフラするし、息も一向にマトモにならない。
相手を騙し騙しやっとこさ残り一人まで来たってのに・・・・・まさか格闘技経験者だとはツイていないとしか言い様が無い。
「くそっ、空手かよ。武術をなんだと思ってるんだテメェは・・・」
「うるせぇっ! よくもオレのダチをやりやがったなクソ野郎!」
鋭い蹴り―――躱す―――無理だ。
顎先を狙った蹴りを腕を交差せて止める。
骨にヒビが入ったかのような激痛に襲われた。
「・・・・ってぇな、このタコ助。大体イカした台詞吐いてるつもりだろうが、十人近くの男が一人の男ボコるって事自体ダサいんだよ」
「黙れよっ、この野郎!」
なんとか腹の底から息を出す様に言葉を吐き出すが、もう相手は何も聞いちゃいない。目がぶっ飛んでる。キレてる証拠だ。
地に伏せたままのオレに何発も蹴りを入れるクソ野郎。亀のように縮こまってその攻撃から身を隠す。体中が折れそうな衝撃だった。
これはやばい。そう思った時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。オレとは反りの合わない女の声と、自称オレの姉的ポジションについている女の声。
「コルァァァァーーーー! 何をやってるかぁーーーっ!」
「なっ!? は、離せよ高坂っ!」
「大丈夫っ、弟くん!?」
「・・・・くっはぁ、もっと早く来て欲しかったぜ、生徒会長さんよ」
まゆきが男を羽交い締めにして、音姉がオレに駆け寄り肩を抱いてくる。教室の中に居た生徒達もさすがに異常事態だと悟ったのか、ドンドン集まって
来る。野次馬根性か、怪我しても知らねぇぞ。
鼻を手で押さえて血が流れるのを防ぎ、男の様子を見やる。改めて見るとやはりガタイがでかい。180はあるかもしれない。腕の太さも脚もオレよりがっし
りしている。よく耐えれたなオレは。
「ご、ごめんね。でも、お姉ちゃんが来たからには大丈夫だからっ」
「ああ、大丈夫だよ。音姉達が来てくれてよかった」
「え、あ、お、弟くんっ?」
組まれた腕を取り直して、抱きつく様に音姉に覆いかぶさる。周りの生徒達がぎょっとした顔付きを作る。
音姉も顔を真っ赤にしてあたふたした様子を見せた。時々本当に年上かを疑う時がある。まぁ、可愛いっちゃ可愛いか。
しかしそんなラブシーンを見せられた相手は堪ったモノでは無い。更にコメカミをひくひくさせて、羽交い締めを無理矢理振りほどいた。
「な、舐めやがってぇええーーーっ!」
「きゃっ!?」
さすがに運動神経抜群のまゆきでも無理だったか。というかよく持ったと思う。周りの連中なんか怖気づいて近寄りさえもしなかった。
確かに気が合わない女ではあるが、その無駄にある行動力と正義感は嫌いじゃ無い。時々うざったくもあるがそういう人物は一人は必要だしな。
血走った目でこちらに走り寄る相手。音姉の顔を見る。怯えた顔を作っていた。だが、離れようとはしない。ぎゅっと腕を掴んでオレ守るように身を寄せた。
・・・ああ、この世界でもこの女は変わらねぇな。そう考え、相手を見据える。
少し落ち着いたお陰で呼吸が若干整った。目もブレていない、やれる。
「ぶっ殺してやる、さくら―――――」
「黙れよ」
そう吐き捨て――――音姉のポケットから抜き取った高価そうなボールペンを腕を縦に振って、投擲した。
「ギャッ!?」
「え・・・」
「あー音姉ありがとさん。もういいよ」
高価という事は出来が良いと言う事。壊れにくい物ということだ。
ブランドは恐らくモンブラン製だろう。手触りが最高にイカしていた。
こういう小物にお金を掛けるとはさすが音姉。オレの姉貴だけある。
「さて・・・と」
「え・・? え?」
「弁償代は『オレ』にツケといていいよ。二万ぐらいするがまぁ・・・何とかなるだろ」
音姉の体から離れ足腰に力を入れる。少しふらつくが問題無い。ポンと頭を叩き、喉の辺りを抑えてる男に近寄る。
音姉に抱きついたのは元々こうなるようにするため。それプラスオレのしてる行動を悟られない為だ。結果はご覧の通り上手く行った。
しかしまさか喉に刺さるとは思わなかった。体のどこかに当たればいいと思ってたから、これは嬉しい誤算だ。呼吸が出来なきゃ何も出来やしない。
「くっ・・・か・・・・」
「これで終わりか。何か無駄に疲れたな」
「こ・・・・この」
「体ばっかり鍛えても意味無かったな。空手野郎」
「ぐぎゅっ!?」
「きゃあっ!」
「うわっ!」
止めとばかりにサッカーボールキックを叩きこむ。白眼を剥きながら意識を飛ばす相手を見て、はぁ・・・、と一息をついた。
体中がもう痛くして仕方無いし歩きたくも無い。このままベットに向かって明後日まで眠っていたい気分だが――――そうもいかない。
視線を巡らすと結構な数の生徒達がオレを囲んでいる。最も面倒なのがまゆき。音姉と一緒に可愛らしい悲鳴を上げてるが、無駄に正義感が強いから厄介だ。
「じゃあ、オレ行くわ」
「え、ちょっと弟くん!」
「こ、こらっ、弟くん! 一体全体何があったってのよ、説明しなさい」
「嫌だね」
「なっ――――」
走っても追いつかれるのは明白。だから堂々と足を前に進めた。群がっていた生徒達もオレの顔を見て道を割いてくれる。
何処か慄然とした趣きで見詰める視線。顔が半分ぐらい血で濡れてるから仕方ないけど、失礼にも程があると思う。人を顔で判断するヤツに碌なのはいない。
大体の話、実質的なダメージは顔だけでいうならば鼻ぐらいなものだ。額はただ切れてるだけだし、鼻骨も折れてはいない。見た目が派手なだけだった。
「だから、ちょっと待ちなさいって!」
「好き放題暴れてこんな事を言うのはお門違いだと自覚してるが、そこいらに転がってるゴミカス共を掃除してくれ。こんな時の生徒会だろ?」
「何を勝手な事をっ・・・! それにアンタ私にタメ口って――――」
「生徒の為に学校生活の充実や改善向上を図る活動をする。だからオレの為に働いてくれ。あとタメ口なのは口が悪いからだ。まゆきにだけじゃねぇよ」
「何をばかな事をっ」
「お、落ち着いてまゆき!」
ぎゃーぎゃー喚くまゆき。その後ろを音姉が頼り無さ気に追い縋ってくる。オレを無理にでも拘束しないのはさっきの喧嘩の件があるからか。
だとしたら丁度良い。傷は思ったより酷くないが酷く体力を使ってしまった。このまま適当に後ろを歩かせて、機をみて逃げ遂せるとしよう。
そう考え、階段を降りたところで――――思っても見ない『奴』と顔を合わせてしまう。
「あ?」
「ん?」
向こうもオレの姿を捉えて足を止めた。呆けた顔でオレの顔を見詰めている。オレはというと、思わず頭を掻いて一つ息を吐いた。
ある意味ずっと会いたかった相手でもある。顔は爽やか系で性格は優しい、運動も料理も出来る素晴らしい男。後ろで息を呑む音が聞こえた。
最近思うのだが、優しいの意味を勘違いしてる奴が多いと思う。見掛けに目を眩ませて本質を見失っている。優しい男は自分の女を泣かせたりしない。
「よぉ、やっと会えたな。風邪はもう大丈夫なのか?」
「お、お前は・・・一体・・・・」
「え、ちょ、ちょっと何これ!? 何なのっ」
「弟くんが・・・二人・・・・・・」
桜内義之。この世界の自分。やっとこさ会えたって・・・感じだな。
気軽に挨拶したオレをまだ驚愕の顔付きで見ている。仕方無いか。それにオレ血出してるし。
「今お昼過ぎだぞ。何油売ってたんだ」
「い、いや・・・。大分熱も引いてきて落ち着いてきたから、午後の授業だけでも出ようかな・・・と」
「真面目だな。別に休んだって誰も何も言やしない。彼女の小恋は大きな胸を痛めるかもしれねぇけどな」
「あー・・・まぁ、そうかもしれない、な」
「だろ?」
「何呑気に話してるのよっ、アンタ達!」
「あ、まゆき先輩に音姉」
「や、やぁ、弟くん・・・・はは」
引き攣った顔で笑いかける音姉を見てると、もしかして空気を読めていなかったと考えた。
何時だったか美夏にそんな事を言われた気がする。こっちはいつだって自分の思った通りに行動してるだけなのにな。
まゆきも自分の言い様の無い感情の吐き口を失ったかのように、口をぱくぱくさせている。
参ったな。妙に場が噛み合わない雰囲気に陥ってしまった。
「さて・・・」
時計を見るともう程良い時間帯だ。アイシアがキリンの様に首を長くして待っている事だろう。
ななかも見送りに来てくれるらしいし、早く行った事に越した事は無い。
「じゃあ、もうオレは行くわ。精々精進しとけよ」
「あ、おい」
スッと横を通り過ぎると肩を掴まれた。華奢な手だ。人を殴った事がないのだろう。柔らかい手だ。
良い事だと思う。オレみたいにすぐ口と手が一緒に出る人種じゃなくて心底よかった。少なくともまともだ。
オレの手も華奢な手だが、力強さはあると思う。握力に限った話じゃなく今までどうやって生きてきたか手に表れていた。
「ああ、そうだ。ちっと伝えたい事があったんだ」
「・・・伝えたい事?」
「おう」
振り返り様に肩に掛けられた手を払い、腹に拳をめり込ませた。『入った』という力強い感覚。
急な事態と痛さで面喰らったのか、くぐもった声を出しながら地に膝を着ける。音姉とまゆきが慌てて駆け寄った。
「かなりすっきりしたな。まるでイク瞬間みたいに吐き出された気分だ。物凄く気分が良い。はは」
「ぐっ・・・こ、のやろ・・・・」
「だ、大丈夫弟くん!?」
「いきなり何すんのよッ、アンタ」
「なぁ、お前さん」
まゆきの声を無視してオレ屈んで、奴と同じ視線になる。かなり痛かったのだろう。歯を食いしばっていた。
今のは三割は小恋とかその辺の気持ちを代替わりした結果の攻撃だ。もう七割はオレの為。自分でも筋違いな行動をしているのは自覚している。
別に小恋に頼まれた訳じゃない。それなのに小恋の分とか思いながら拳を振るった。だから筋違い。よく間違った正義感を発揮するクソ野郎みたいだ。
ちょっとキモいなぁオレと思うが、人間なんてロジックじゃないしたまにはいいか。つーかこういうのは渉の役割だろ。渉、小恋の事好きだし。
「よく今まで殴られないで済んだな。奇跡的だぜ、いや、マジ話で」
「い、意味が分からねぇよ・・・」
「今までの話を統合すると――――鈍感、空気が読めない、無駄な正義感を発揮する、自分の女を大事にしない、八方美人。そんな印象だよ、お前は」
「は?」
「おまけに自覚が無いときたか。面と見掛けの性格が良いから今まで好き勝手やれてきたと思うが、これからもそんな調子だったら大怪我じゃ済まない。
人っつーのは嫉妬深い生き物で、差別をしたがる傾向がある。そんなんじゃ周りに人がいなくなって一人になんぞ」
「いきなり腹にパンチしたと思ったら説教かよ・・・、くそっ」
「説教じゃない。お前はオレの言っている意味が理解出来てないだろ? オレもお前が理解してると思えない。だからこれは説教じゃなくて罵声だ」
簡単に言えば悪口。ことわざで言えば馬の耳に念仏。相手の言葉の意味を理解しようとしない奴に何を言っても無駄だ。
おおかたいきなり殴り掛かって来た相手が何やらいちゃもんをつけてきた、ぐらいにしか認識していないだろう。
頭の回転も良くなさそうだし仕方ないと言えば仕方無い。まぁ、気は済んだからちゃっちゃと行くか。
しょうもない男と喋るより器量の良い女と喋った方が気持ちが良い。早くアイシアの所に行って泣かすとするか。
「まぁ、無駄だと思うが―――小恋の事ちゃんと見てやれよ。セックスもしてねぇ、かといってプラトニックを貫いてる訳じゃない。無関心が一番
キツイんだよ、本人にとってはな」
「なっ・・・! この、言いたい事言って逃げるのかよっ?」
「お前の言い分なんて予測出来るしな。無駄な時間だよ。じゃあ、そういう事で・・・・っと」
まゆきがジリジリと死角外で距離を詰めていたのでここから立ち去る用意をする。まぁ、奴の言うとおり逃げるって訳だ。
こんな体力であんなメスゴリラの相手が出来るかよ。まゆきは腕っ節も強い話を聞いた事があるし、心が折れにくい人間の一種だ。
そういうのが一番厄介なんだよ。いくら痛めつけても目が死なねぇし。この場合だと反対にオレが死んだ魚みたいに目が白く濁る。
「こらっ、待てぇっ!」
「はいさようなら」
「は・・・?」
まゆきがこちらにダッシュした瞬間に、コマみたいに回転しながら消火器を手に取った。
向ける口はまゆき達の方向。こちらのやろうとしている事に気が付いたのか、サッとまゆきの顔が青ざめる。
音姉は変わらずぽかーんとしたままだ。中々可愛らしくて良い。よくああいう天然系アイドルっているよな。音姉はマジで天然だけど。
まぁ、くれぐれも横の男みたいな『悪い』奴に騙されんなよな、音姉?
目でそう合図し、そして―――オレはレバーを引いた。
「参ったなぁ」
湿布を張った腕を擦りながら愚痴る。彼女と対峙してみて分かったが、私の魔法が殆ど通用しそうになかった。
魔法使いの血を直に引いていて生まれつき天才と呼ばれる程の人間。自分とは天と地ほどの差がある。
あまり好きではない言葉だが、デキが違うと感じていた。嫌味は全く感じさせない人柄なので尚それを思い知らされる。
ついさっきまで対峙していたのはさくらさんの若い頃。ほぼ同世代だが差はハッキリしている。
せめての救いは今の歳のさくらさんじゃない事か。もしそうだったらと考えると・・・・気が重くなった。
「魔法だってぇ~小恋ちゃん。何か凄い事態に巻き込まれたかも」
「ほ、ほんとだよね。それも音姫先輩も魔法・・・使い、なんて」
「まぁ、今更何が起こっても不思議はないけどね。返ってこの事態の原因がハッキリしてスカッとしたわ」
「杏ってそういうの否定的だと思ってたけど・・・」
「実際に目の前で見せつけられた上に、こうして湿布を張ってまで怪我したんだから信じるわ。そこまで頭が固くないもの」
杏はそう言いながら湿布が張られた腕を目の前に突き出す。他の面々も大体が似た様な怪我を負っていた。
軽い打撲のようなものだが、念の為とことりが持ってきたものである。この面子の中で怪我をしていないのは美夏ぐらいのものであった。
さてと―――そう杏が呟いて音姫をついと見詰める。その視線を向けられた音姫はついに突っ込まれるか、と身を竦ませた。
「学園長は雰囲気からしてなるほどと思いますが――――まさか生徒会長が魔法少女で変身して夜な夜なミニスカ決めてるなんて驚いたわね」
「そ、そんな変態さんじゃないよ私は!」
「変態なんて失礼な。よく都会の方じゃそういうコスプレをしてる人が沢山いるわ。私も嫌いじゃないしね、コスプレ」
「うう・・・」
意地の悪い笑みを向けられ、喉を詰まらせるように呻く。元々いじめっ子タイプの杏だがこの局面でそういう事を言われるとは予想だにしなかった。
きっと根掘り葉掘り聞かれると思ったのに――――と、杏の目がついと細まった。雰囲気の色調が変わる。どうやら冗談はここまでの様だ。
「学園長に似た彼女―――まぁ、呼び名が無いと不便だから芳乃さんとしましょう。芳乃さんと朝倉会長はあの時対峙していましたが・・・どうです?」
「え、どうって?」
「芳乃さんを叩き伏せて泣かし、学園長を取り戻して尚且つ元の世界に私達が戻れる可能性はどれくらいあるか・・・ですよ」
「・・・・正直、無理だと思うよ。ごめんなさい」
「いえ。私達こそ何も役に立たないので申し訳ない気持ちでいっぱいです。ありがとうございます」
申し訳なさそうに頭を垂れる音姫に、手を振りながら感謝をする。あの時の状況で分かっていた事だが限り無く倍に近い程差があるように思えた。
輪から抜け出し一人こっそりと何処かへ向かう朝倉会長。それにいち早く気付いた杏は、こっそりと皆を引き連れて後を追う。こういう事は得意中の得意だ。
そして呆気に取られる。まず日常生活では聞かない単語に馬鹿みたいな本当の話。魔法使い、音姫とさくらがその使い手だと知り皆度肝を抜かれた。
ただ、それならこの状況の説明はつく。考えるのを止めた訳ではない。『事実』としてそれは実際にあり、『体験』したからこそ判断材料の一要因として
考える事が出来た。
空中に放り出され屋上に叩きつけられた杏達。高さこそなかったが危うく死んでもおかしくはなかった。メルヘンチックな話ではあるが自分の命が危険に
晒されたのだ。ならそれらを理解して今後の指針を決める事こそが、一番大事な事だと杏は考えていた。
「ちなみに魔法というのはどこからどこまで出来るんでしょうかな?」
「それは人によってまちまちだけど・・・。さくらさんレベルとなると―――例えば初音島の人達全員消せる事が出来るかな」
「・・・・本当ですか」
「う、うん」
「うー・・・。それは洒落にならないな。美夏の力もあまり役に立ちそうにない」
「それは最初から期待してませんわ。大人しく隅っこで穴でも掘ってなさいな」
「――――ムラサキこそいつも通り一人で盛ってればいいだろ。それこそ、大人しく・・・な」
「なんですって?」
いつも通り始まる喧嘩に、一同はため息に近いものを吐く。しかしいつもの光景に心に広がった暗色は薄まっていった。
魔法やら何やら突拍子もない単語を叩きつけられ混乱はしたが―――よく考えてみると今更な話だ。自分達は現在進行形で白昼夢に似た世界に居る。
正直音姫が魔法使いだというのには驚いたが、必要以上にがなり立てる必要はないのだと全員がそれに近い思いを抱いていた。
「しかし・・・魔法使いねぇ。例えば音姫さんは何が出来るの?」
「ええと―――――まぁ、こんな感じみたいな事は」
「・・・・うん?」
「え?」
眞子の言葉に若干思索した結果、音姫は手の中から洋菓子を出して見せた。その光景に眞子は眉を潜め、音夢は驚いた様な顔をつくる。
魔法使いといえば空を飛ぶイメージがあった眞子は、自分の予想と違う稚拙な単純な魔法に詰まらなそうな目を向ける。
逆に音夢といえば眞子とは正反対に信じられない物でも見たかのような呈をなしている。音姫は眞子の視線に気付いたのか、少し頬を膨らませた。
「ご不満みたいですね、眞子さん」
「失礼な話だけど、まぁね。魔法使いっていうからもう少し派手なのは出来ないの?」
「それならこの洋菓子を爆弾に変えてみましょうか? やろうと思えば出来ると思いますよ・・・ふふ」
「え、遠慮しとくわ・・・」
「あ、あのっ!」
「わっ」
魔法使いとしてのプライドを突かれた音姫は彼女にしては珍しく暗い笑みを携えた所に、上ずった声を出しながら音夢が話しかけた。
何故か興奮気味の音夢。訳が分からないと音姫は驚きながら考えた。もしかして生の魔法に高揚とした感情に囚われたのだろうか・・?
「わ、和菓子とか出せたりしますか?」
「え、ま、まぁ・・・一応は」
「――――顔付きといい、由夢さんの口癖といい、性といい、和菓子も出せるし・・・もしかして」
「・・・・あのー」
「えへへ」
一人照れた様子を見せる音夢に音姫は若干引きつつも、とりあえず今後の方針を考えるとする。
あまり杏を頼ってはいけないと音姫は考えていた。今回の件は魔法―――皆にとっては脅威的なモノが相手なのだ。
ここから先は自分が先頭に立たないといけないだろう。元々生徒会長なんて役職を好きでやっているのだ。責任感がある。
「とりあえず私の考えとしては、あそこの場所にいるさくらさんは放って置いて杉並くんを捕まえた方がいいと思うな」
「理由を聞いてもいいですか?」
「理由は簡単。さくらさんはあまり私達に干渉出来ないと思うの。だから杉並くんを使ってループを終わらせない様にしてる。きっと枯れない
桜の木の制御で一杯一杯だと思うんだ」
「なるほど・・・。つまり手足を捕まえてしまえと?」
「そういう事。はっきりいって私じゃさくらさんには敵わない。それは雪村さん達が見た通りそれが事実。なら杉並くんを捕まえた方が一番現
実的だと思うのだけれど・・・雪村さんはどう思う?」
「それでいいと思います。それじゃ今後も方針は変わらず、杉並のお馬鹿さんを御縄に掛けるのが目標ということで」
「うん」
雪村さんと話し合い今後の目標は決まった。と、言っても前と変わらずあの杉並君を捕まえる事に変わりはない。
さくらさんの事は後で考える。正直あのさくらさんの分身ともいえる彼女には手のつけようが無い。
もはや桜の木周辺は鉄壁の要塞と化している。杉並くんを捕まれば彼女はそこから出ざるを得ない。
・・・・まぁ、出てきても勝てる算段は低いと思うが、桜の木の下でやり合うよりは全然マシだ。
「・・・・・」
「お気持ちは察しますよ、音夢先輩」
「うん、ありがとう・・・。美春」
美春は眉を八の字にして心配そうに音夢に話し掛ける。音夢とさくらは同級生でもあり、友達でもあり―――恋敵でもあった。
音姫と由夢の姿をちらっと見る音夢。ほぼ確実に自分は兄さんと結ばれるだろうと予想は出来るが・・・・蹴落とされたさくらはどうなるのか。
聞けば何十年も寂しい思いをしていたという。想像がつかない。何十年も歳も取らずに、成長していく自分達をどう思いつめていたか。
「魔法・・・」
「美春にはにわかに信じられない事ですが、実際雪村さん達と一緒に見ちゃいましたからね・・・あの光景」
「さくらが魔法使い、か」
「知っていましたか?」
「・・・どうだろうね」
薄々勘付いてはいた。自分の兄が手から和菓子を出せるし、あの祖母の直系の孫であるさくらはもっと凄いのだろうと考えていた。
元々浮世離れた印象の子だ。魔法使いと言われれば思わず納得もしてしまう。しかし、あそこまでの人物とは・・・・。
「なんにしても杉並君を捕まえないと駄目ね。頼んだわよ、美春」
「はいっ、任されました!」
満面の笑みで応える後輩。なにはともあれ全てはあの男を捕まえてからだ。
杉並――――今まで一度たりともマトモに捕まえた事はないが今度こそは捕まえて見せる。
そしてさくらと話し合う。何も変わりはしないと思うが、それでもやはり友人なのだから出来ることはしてみせたい。
音夢はそう心に近い、窓の外の夕焼け模様を眺めた。
「きゃーーー!?」
「わぁーーー!?」
「甲高い声出すなよ。そういう声ってあんまり好きじゃないんだよな、オレ」
オレの体たらくをみて吃驚する女二人の横を通り、洗面所でタオルを濡らして顔を拭いた。
予想通り血がベットリついているが、大した怪我は無さそうだ。鼻も折れていない。ただ血が流れてただけだ。
一応濡らしたタオルで鼻の付け根を冷やす。脱脂綿なんかで鼻を詰めておきたい所だが生憎そんなモノは無い。
「あー情けねぇ」
「・・・・また喧嘩ですか、義之」
「一方的に売られたから買ったまでだ。見ろよアイシア、男前のオレの顔が台無しだぜ? これは由々しき問題だ」
「はいはい。義之はかっこいーですよ。だからあんまり騒ぎを起こさないでくださいね」
「冷てぇな。おい、ななか。お前はアイシアと違って太陽みたいに暖かいよな? オレを慰めてくれ」
「う、う~ん・・・・」
返事に窮するように呻くななか。まだまだだな。今行方知れずのななかだったらユニークな返しをしてくれる。オレが仕込んだからな。
アイシアの様子を見ると準備はもう万端らしい。服もきっちり着こなしており、例の扉からは光が零れている。今すぐにでも出発出来そうだ。
「あっと、忘れてた。はいお土産」
「ん、そういえば何かくれるんだったな。どれどれ」
「なんですか、ソレ」
「ななかがオレ達の為に何か餞別をくれるっていうんだよ。感謝しとけ」
「義之も感謝して下さいよ・・・」
「べ、別に大したものじゃないから期待されても困るなぁ~・・・・なんて」
「んー?」
可愛い系の洒落たバッグを漁ると―――何故か工具箱が出てきた。
ななかの顔をちらっと覗くと照れる様にはにかんでいる。いや、確かに機械関係の手作りとかは好きだけどさ・・・。
「ちょ、そんな引いた目しないでってばぁ~! ちょうどあったのがこの間お父さんが買ったそれしかなくて・・・・」
「普通だったらアクセサリーとか自分の写真だろうが・・・。何に使えってんだよ、これ」
「義之くん、また違う所に行くじゃない? もし間違って変な所に行っても義之くんの腕なら何とかなるかなぁー・・・って。あ、写真も入ってるよ」
「無人島とか紛争地帯とかデトロイトに行くのかよ。オレは」
「わ、私の魔法の腕が舐められている証拠ですね・・・。これは」
アイシアが引き攣った笑みを浮かべる。確かにそんな受け取り方も出来る発言と物だ。
しかし―――工具箱・・・ねぇ。まぁくれるっていうなら貰って置いてやるか。重いけどな。
「所で私のは何ですかねー?」
「んー・・・・あ、これだな」
「ちょっと失礼して・・・おお、これは!」
オレの肩から顔を出して中を覗きこむアイシア。いそいそと手を伸ばしバックの中に突っ込む。
そして出てきたのは――――人形だ。デフォルトされた今時のピエロの人形。アイシアはそれを嬉しそうに抱きしめる。
ななかもそんなアイシアの姿を見て弾んだ笑顔を向けた。場に朗らかな空気が流れる。
「ありがとうございます、ななか!」
「ふふっ、どういたしましてかな」
「何だか扱いに差がある気がするな・・・。もっとオレにもいいもの寄こせよオラ」
「じゃあ聞くけど、例えば何が欲しいの?」
「アクセとか服が欲しいな。ドメスブランドじゃなくてインポートブランドの超一流のやつが欲しい。あと車もいいし、あ、ついこの間出た――――」
「もうっ、だからソレにしたの! 実用的でいいでしょ? それで我慢して頂戴」
腰に手を当てて頬を膨らませる。イマイチ納得がいかねぇが、まぁ、ななかにそういったモノを求めるのは酷だろう。金無さそうだし。
そしてオレはぐるっとその場を周り部屋の様子を見て取った。ついに此処ともおさらば、か。事故で来た世界ではあったが、中々楽しめた。
学園長室にオレ達が居た痕跡は消したし、さくらさんに何か勘付かれる心配は無い。つまりオレ達の存在はこの学校の生徒にとって一時の夢で終わる。
白昼夢――――ただの幻が通り過ぎ去っただけ。それでよかった。
「もう行っちゃうのか・・・。寂しくなるね」
「まぁな。縁は異なもの味なもの。中々に面白い出会いだった。ありがとう」
手を差し出し握手をする。アイシアが面白くなさそうに見ているが、文句は言わなかった。
今生の別れになるかもしれない。いや、ほぼそうなる。ななかの目にうっすらと涙が浮かびあがっていた。
柄にもなくオレも何か切ない様な気分になる――――が、ななかから手を離した。けじめは肝心だ。いつまでも名残惜しい気分は味わっていられない。
「じゃあ、な」
「また、ね」
「縁があればまたの再開を・・・。それでは」
扉を開け放つ。まばゆい光がオレ達を包む。
後ろは振り返らない。ななかも振り返ってほしくないだろう。
言葉で言う事はもう言った。あとはもう先に進むだけだった。
だから、背中のななかに向けて軽く手を振り――――アイシアと一緒に光の中に飛び込んだ。