「面倒だなぁ。もう」
もうすぐ夜がやってくる。楽しい楽しいクリパの準備の最終日。祭り、フェスティバルの時間がもう明日に迫っている。
きっと楽しいに違いない。みんな笑い合い、ある者は恋人と愛を囁く合うのだろう。素晴らしいと思う。
なんだかんだで自分もリアリストでありながらロマンチストである。ある意味敬畏の念さえあった。
「だけど今は目触りかな? この子もそんなの見たくないだろうし・・・可哀想だ」
何日も其処に変わらず居続ける未来の自分。もう何日、何十日、何百日になるのだろうか。いや、そもそも日数の概念なんてものはないのだから
思い出すだけ無駄か。自分でも意味の無い事をしようとしたな、と苦笑いをする。
ボクもその子と並ぶようにそっと桜の木の下に座った。ここはあまり世界の影響を受けないので、こんな冬の寒空の下でも割と暖かい。夜空を
見上げると綺麗なオリオン座が見れた。
横に並んでいる本当の自分の頭の上に手をかざし、少し頭の中を少し垣間見てみる。流れてくる記憶の奔流。その中からお目当ての記憶を探し
出した。なるほど、ちゃんと教育はしているみたいだ。
「義之くん・・・かぁ。一度会ってみたいな。どんな子なんだろう」
オリオン座に関する神話と歴史を『例の男の子』に微笑みながら教えている自分。
本当に幸せそう。それもそうか。お兄ちゃんと自分の息子なのだからもう可愛くて仕方がないだろう。
記憶で見た限りだと本当に素直みたいだし最高だ。是非会ってみたい。
「・・・・ああ、そうだ。良い事考えちゃったなぁーにゃはは」
その子も是非ここの世界の住人になって貰おう。そうすれば更に幸せになれる。心の重みが減る。雨上がりの青空みたく爽やかな気分になれる。
にやけてしまう口元をなんとか収めようと手を掛けるが、どうしても無理だ。顔が笑みの形を作ってしまう。くっと含み笑いをしたままその場に寝転んだ。
「桜内義之くん。料理が得意で正義感が強く、喧嘩もあまりしたがらない。そして友達思いかぁ・・・最高じゃん」
同時に親想いでもある。最近は特にあれこれと傍に居てくれるようになり、前より距離が近くなったとこの子の頭に記憶されていた。
だったらこの孤独感に気付いてよと思わないでもないが・・・・まぁ、いい。それは特別に棚の上に上げて置く。どうやら鈍感さんみたいだし。
そんな所はお兄ちゃんに似なくてもいいのになぁと思うと同時に、似てる部分があって嬉しいという二極化の感情。それさえも好ましく思えた。
「この世界を完成させたら、是非招待しなくちゃいけないにゃー」
きっと気に入ってくれるだろう。気に入るに違いない。いや、気に入りさせてみせる。
遠くで爆発音が響いた。杉並くんの首尾も上々みたいだし、問題は無い。あの子達では杉並くんは捕まえられない。
隠し通路の在処も知っていて、頭の回転の良さは誰にも遅れを取らない男の子。雪村杏という女の子が少し厄介だけれど・・・それでも届かないだろう。
余程の偶然、イレギュラー要素が入り込まなければこれは覆せない。そしてここは私の世界。そんな事は天地がひっくり返っても無い。
「んー。日付も変わった事だし、このまま順調にいけるよねー」
もう一人のボクが着けている時計を見やると12時ちょうど。世界はまた『今日』という日付を繰り返し、みんな同じ日常に戻っていく。
何百回も繰り返されるこの現象に飽きが来ていたが、朝倉音姫ちゃん達のおかけでそれか改善された。中々に面白い人物達であるのは間違いが無い。
わざとこの世界に入れさせた甲斐があったというものだ。出来れば更にこの事態を面白くしたい所だが・・・・さて・・・。
「・・・・ちょっと驚かしてみようかなぁ」
女の子達だけの集団。やりようはいくらでもある。特に音姫ちゃんと由夢ちゃんには是非怖がってもらいたい。
音夢ちゃんの幸せの象徴。それを壊すというのは・・・・結構ぞくぞくする。腕を擦ると鳥肌が立っているのが自分でも分かった。
ボクの負けた証。不幸のレッテルを貼っている原因。悪。そう、悪だ。善悪の判断なんて結局個人で行うもの。だとしたら『アレ』等はボクにとって悪だ。
「悪党め~正義の鉄槌を喰らわせてやる~! なんてね」
鉄槌と同じくらいの痛さを味わせたい。サディスティックな感情が自分を彩っていく。さっきまでとはまた違った恍惚感だ。
この子もきっと同じ事を思う筈。眠っているので本当の深層心理は分からないがきっとそう。表面上は可愛がっているが、本当は血が騒いで仕方がないのだ。
だって――――今のボクがそう思っているんだから、間違いが無い。あの端正な顔立ちを思いっきり歪ませてやりたい。すくっと立ち上がり、埃を振り払う。
「思っ立ったが吉日。即断即決・即実行。待ってろー悪党めー」
スキップをしながら森の外へ足を向ける。魔法は枯れない桜の木の制御で大した事は出来ない。桜の木の近くでなら使えるのだが・・・残念だ。
しかし、彼女達にとってはさぞや脅威だろう。特に魔法を使えない音姫ちゃん以外の人間にとっては、銃を向けられているのに等しい。
さて、まずは・・・・・うん。あの子から責めてみようかなぁ。
「おはよう」
「あー・・・・。おはよう、杏」
「さすがにお疲れみたいね。小恋」
「うーん。昨日も走り回っちゃったしねぇ・・・はぁ」
再度気合いを入れ直して昨日も杉並を追いかけ回した杏達。今度はメンバーを更に分けて多班による誘い込みを掛けた。
相手が一人だと分かった以上、前回とは違って確実的なやり方をした。数によっての畳み掛け。現時点で最も最適だと考えられる方法だ。
音夢達風紀委員コンビ、ことりの友人二人を引き入れての畳み掛け。誰が見ても杏側が圧倒的有利な形となった。
そして挑んだ第二ラウンド。結果は・・・・・失敗。
皆の奮い立たせた気力がへし折れそうな程の惨敗ともいえた。
良い様に振り回され弄ばれ、笑われ、逃げられて・・・・。
良い所まるで無しとも言えた。
「大体急に消えたと思ったら、全く別な所にいるんだもの。冗談じゃないわねっ、全く」
「あら、おはよう、委員長。朝から優雅にコーヒーとは羨ましいわね」
片手にコーヒーを携えながら委員長が怒り気味に話しの輪の中に入ってくる。
確かに杉並はまるで霧の様に消え、雨上がりの虫の様に出現していた。
一体どのような方法で・・・・と、杏達は頭を悩ませている。
「おはよう。別に普通のインスタントだけどね。雪村さんも飲む?」
「ええ、頂くわ。少し頭をしゃきっとさせたいもの」
「あんまり根を詰め過ぎ無い様にね」
「十分承知。小恋はどうするの?」
「ん。私はいいよ。朝ごはんの後でお腹一杯だし」
「そう?」
「月島さんも気が向いたら下の階の家庭科室にいらっしゃい。そこにいるから」
「うん」
パタパタと手を振って杏と麻耶を見送る委員長。本当はあまりコーヒーは得意では無いので誘いを断ったのだ。
しかし、その事を言うとまたからかわれるのは明白・・・。さすがに昨日の今日で弄られる元気は残っていなかった。
はぁ、とため息を付いて椅子に座り直す。音楽室に居ついてもう数日。妙に固い座り心地にも慣れてきた。
「はい、あがりよ」
「なっ、ま、またムラサキが一抜けか・・・・」
「当然ですわね」
「あはは。強いっすねー、エリカさん」
「全く。ズルしてるんじゃないの、アンタ」
「・・・・・」
「え、なんで黙るのよ。もしかして本当にアンタ―――――」
「知りませんわね。自分の弱さを他人に担がせるのは感心しませんわよ。眞子さん?」
「な、何をーーーっ!」
「・・・・スゥー」
眠っている萌の横でまた口喧嘩を始める二人。その様子を呆れた様子で見る美夏に、苦笑いのことり。
気分転換にとトランプを持参してきたことり。昨日はあえなく杉並を捕まえる事が出来なかったので、少しは気が晴れたらと考えていた。
いつもとは違った面子でトランプ、大富豪をやるのは何処か心躍る気分だった。修学旅行に近い感傷を抱いていざ始まったのだったが・・・。
「大体なんでそんなイカサマなんて知ってるのよっ。もしかしてまたあの桜内義之とかいう男が関係してる訳?」
「また義之を貶める気ですか。いい加減にして下さないかしら、全く」
「あーアレか。確かカードを重ねて出したりジョーカーが自分の所に回ってくる様にシャッフルする奴。美夏もよくやられたぞ」
「コツは目線を相手に合わせて話し掛けながら。大抵それだけで殆どの博打はサマが出来ると言ってましたわね」
「あ、やっぱり関係してるんじゃないの!」
「あはは。まぁ・・・・これはこれで楽しいかな?」
なんだかんだで楽しそうにやっている。小恋はほわっとした顔でその光景を見ていた。こうした心安の気持ちはとても貴重だ。
さて、自分はどうするか――――視線を巡らせると、なにやら茜がごそごそと身支度を整えていた。
「よし、こんなとこかなぁ~」
「何してるの、茜?」
「うん? ちょっと商店街に繰り出そうかなと思ってねー。いい加減化粧品切れてきちゃって・・・」
「ああ、そうなんだ。私の貸そうか? まだ結構残ってるし」
「ありがとう。でも気晴らしになるし、折角だからまたぐるっと回っていきたいと思ってるの。小恋ちゃんはどうする~?」
「んー・・・月島はいいよ。ちょっとここでゆっくりしてる」
「そう? まぁ、気が向いたら追っかけて来てもいいわよ」
「そうするよ。でも、気を付けてね? こんな事態だし何が起こるか分からないから」
「分かってるわよぉ。じゃあ御昼前には戻ってくるから。じゃあね~!」
そうして元気よく音楽室から飛び出して行く茜。自分とさほど体力は変わらない筈なのに、バイタリティがあるなぁと小恋は感心する。
しかし―――皆行動がバラバラになってしまった。エリカ達はまたトランプゲームに熱中しており、音夢達は見周りで出払っている。
音姫と由夢は何やら今後の事について話し合っているようだった。昨日の一件について何か思う所があったのか、声に熱が入っていた。
「杉並先輩の祖先、中々に手ごわいですよ、アレ。雪村先輩があんなに翻弄されるなんて初めて見ました」
「うーん・・・・。毎回惜しいところまではいってると思うんだけどなぁ」
「魔法でどうにかならないんですか? こう、ババっと攻撃して捕獲するような魔法とか」
「それは―――最終的な手段だよ、由夢ちゃん。魔法は元々人を幸せにする為に存在してるもの。確かに今は緊急事態だけどおいそれと
使っていいものじゃない」
「・・・・そうですか。けど、そうなると益々難しいですよ、あの人を捕まえるのは。杉並先輩に似てやはり全く捉え所がありませんし」
「ぎ、ギリギリまで頑張ってみよう、ね、由夢ちゃん。もし本当に頑張ってもうダメだと思ったら・・・・使うわ、魔法を」
音姫は目を伏せ、声を低くし決意を固める。本当はあまり気が進まない事ではあるが皆の事を考えると使わざるを得ないだろう。
人を幸せにするのが魔法と謡っていながら誰かの危機を見過ごしては本末転倒もいい所だ。判断を鈍らせてはいけない。
「・・・私に何か出来る事があったら言ってね? あんまり力になれないと思うけど」
「ありがとう、由夢ちゃん。その時になったら是非とも力になってもらうから」
そっぽを向いて照れ臭そうにする由夢の頭を撫でる。相変わらず素直ではないが、とてもいい子だと実感した。
由夢ちゃんの為に―――皆の為にお腹に力を入れて頑張らなくちゃ。
音姫は自分の頬を一張りし、活をいれた。
さて・・・・ここからが自分の正念場だ、と。
「ふんふふ~ん」
鼻歌を歌いながら商店街を彷徨う茜。見慣れた風景だが、やはり新鮮に見える初音島きっての買い物処。
自分が知っている所よりものどかに映る。白河さんにババ臭いと言われたが、やはり昔は良い。心が安らぐのを感じていた。
過去の世界に来てからは目ぐるましい毎日だった。茜は少しその事が窮屈に感じており気分転換に商店街にやって来たのが本当の理由。
化粧品はそのついで。辺りをきょろきょろしながら笑顔で散策をする。その笑みはすれ違った男性を振り返らせるほどに惹き付けるものだった。
「義之くんと来たかったなぁ。最近デートなんてする暇なんて無かったし。ね、藍ちゃん?」
自分から貧乏くじを引くからでしょ、全く。心の中に居る藍からの鋭い指摘に茜は思わず頬を掻く。実際自覚している事だった。
積極的に彼にアタックして早一年。気が付けばエリカや美夏達を纏めるポジションに着いていた。まさかこんな事になるとは自分自身思わなかった。
しかし、決して嫌という訳ではない。皆と仲良く出来る事に越した事は無いし、そもそもギスギスとした関係は茜にとって望ましく無かった。
「・・・まぁ」
今の居場所が居心地がいいだけというのもあるか・・・。適度に愛して貰い、適度に仲良くする。上がりもしなければ下がりもしない。
義之くんには信用を置かれているし、彼だってそのうちに答えを出すだろう。今はとりあえずジッと待っているしかないのかも・・・。
(意外と意気地無しなのね、お姉ちゃんは。ふふっ)
「―――慎ましいと言って欲しいわねぇ。全く」
からかいの言葉を掛ける藍に、茜はため息をつきながら返す。自分とは違い思った事をそのまま言える勇気と根性は大したものだ。
藍の言う通り及び腰になってしまってるのは事実。後の祭りだが、もっと最初の勢いのあるうちに責め込んで置けばよかったなぁと少し後悔した。
「・・・ん?」
「あっ」
「おっとっとー」
そして辺りを見回しながら歩いていると、ことりさんの友達―――制服姿のみっくんとともちゃんと出くわした。
二人とも手にクレープを持っている。食い歩きか何かだろう。その他には何も持っていなかった。
ここで会ったのも何かの縁。手を上げて笑みを形作りながら挨拶をした。
「やっほぉ~。こんにちわ」
「こんにちわです」
「おつかれさま。茜さんは何してるんですか、こんな所で?」
「ちょっと気分転換かなー。最近ずっと忙しかったしねぇ」
「ああ・・・そうですよね。もう走りっぱの動きっぱで・・・・。私もなんだか妙に疲れが溜まってますよ」
「ともちゃんと同じで私もなんです。だから私達も気分転換に商店街をほっつき歩いてました!」
「ほっつき歩くって・・・。まぁ、いいけど」
ともちゃん―――知子さんが苦笑いを浮かべる。なんだかどういう関係なのか分かってきたかも。
加奈子さんみたいなキャラは私達の中には居ないので中々新鮮に映る。脳裏に思い浮かぶ中で天然系は居なかった筈だ。
元気ハツラツなのは美夏ちゃんに近いが、それとも違う。うーん・・・・天然もいいかもしれない。
「よかったら私もご一緒していいかなぁ~?」
「全然構わないですよ。みっくんもいいよね?」
「楽しくなるからこっちこそ大歓迎ですっ。さ、行きましょう」
そうして連れだって歩く私達。この面子の組み合わせも初めてだが、全く気遅れはしなかった。
今時の女の子って感じでフィーリングが合うのかも。周りにはトンデモな個性を持つ面々。普通といえる女の子は中々にいない。
強いていえば小恋ちゃんぐらいか。よくドラマの恋愛話で盛り上がっているのを思い出す。
だから歩いている道中のお話の中心といえば恋愛話になってしまうのは仕方無い事だった。
ここは過去の世界だから昔の人とお話する事になるのだが、意外と古臭さは感じない。
好きなタイプや嗜好、自分の恋愛観についての悩みなど、話題には事欠かなかった。
「へぇ、加奈子さんはお兄ちゃんが大好きなのねぇ~」
「あはは、みっくんでいいよ。お兄ちゃんはとっても格好良くて頼り甲斐があるんですよぉ」
「ともちゃんたら物凄くブラコンなんですよ。この間だって一緒に遊園地に行ってきたっていうし」
「普通兄弟なんだから遊園地にぐらい行くよ~。別におかしくないですよね、茜さん」
「普通の兄弟はその後興味本位でホテルになんか行かないよ」
「うぐっ・・・」
「わーお・・・」
息を詰まらせる加奈子さん。顔を真っ赤にして俯いてしまっている。それに対して知子さんはニヤニヤと笑みを浮かべた。
ブラコン・・・ここに極まりといった感想を抱く。精々行き過ぎて由夢ちゃんぐらいだと思っていたが、そこまでとは思わなかった。
さすがの私でも感嘆の声を上げるしかない。まさか一緒にホテルとは――――結構ガチじゃないのよ。
「ま、まぁ・・・愛の形は人それぞれっていうしね。周りにバレないようにしないと駄目よぉ、色々煩いから」
「だってさ」
「うぅ・・・。なんでこんな目に」
「ははは。で、茜さんはどうなの? その例の・・・義之くんだっけ? 中々恋多き少年みたいだけど」
「義之くん? 義之くんかぁー・・・。中々上手く行ってる様な行ってない様な・・・・」
「茜さんみたいな素敵な人が迫れば普通の男の子は落とせると思うんだけどなぁ」
「お、同じくそう思います。外見だってとても女性らしいし、性格も良いし」
「周りの面子が私レベル以上だらけだからねぇ。参っちゃうわ」
加奈子さんと知子さんに分けて貰ったクレープを頬張りながら嘆息。
二人とも私の周りの面々を想像したのか、「ああ・・・」と納得したような声を出した。
「あんな凄い人達に好かれる義之くんって男の子、凄いですよねぇ・・・」
「う、うん。どんな人なのかなぁ? あ、もしかしてお兄ちゃんみたいな感じかな」
「ふふっ。加奈子さんのお兄さんみたいな人かは知らないけど素敵な人よ。面倒臭がりな所が偶に傷だけれど」
「そうなんですか?」
「かなりの能力は持ってると思うんだけど、いつもその能力を使わないから宝の持ち腐れって感じかにゃー」
「茜さんが言ってやればいいじゃないですか。ちゃんと真面目にしなさいよ――――って」
「・・・口がとても上手いのよ。私なんかよりも数倍ぐらいね。いつだったか杏ちゃんと真っ向から口喧嘩してたし・・・」
「うわぁ。あの雪村さんとやり合うなんて・・・・」
「す、すごい・・・」
話題は確か、人は平等かどうかみたいな感じだった気がする。時間は昼休みの昼食を採った後の軽いお喋りから始まった。
小恋ちゃんの欲しがっている洋服が高い事、そこから世の中にお金持ちと貧乏の二種類がいるという事。世の中は中々平等にならないねという話。
普通なら会話の流れでスル―されていくのだが、そこに杏ちゃんと義之くんが居たのは不幸だったのかもしれない・・・。
『あら、義之は人は平等だと思ってるの? 意外だわ。結構ロマンチストなのね』
『そうは言ってない。ただ、社会的にはそうなるべきだと思うし、最低でもスタート地点は同じ方が諍いは生まれないんじゃないかと思っただけだ』
『空論よねぇ、それも。家がお金持ちとかだったり生まれつき身体能力に差があったり色々あるわ。だから平等なんて言葉は無いに等しいと思うけど』
『だからといってそこで思考停止したら猿だ。物分かりのいい振りをしている悪い大人の見本といって過言じゃないな。雪村』
『・・・へぇ?』
人は平等にならないわよ。その杏の言葉に反論を投げ掛けてきたのは意外にも義之だった。
人は平等になれる。義之も思う所があったのだろう。いつものニヤついた笑みは浮かべていなく、杏の目を見据えていた。
『貧しい人にも秩序正しく社会に参加出来る機会を与える。これは平等にはならないか?』
『それは公平じゃない。平等ではないわね』
『そんなのただの言葉遊びだ。本質的な意味は何も変わりはしない。頭が良いと言葉回しが色々出来て便利だな』
『・・・皮肉?』
『いや、称賛だよ。素直に受け取ってくれれば助かる』
『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずという言葉を義之は信じてるクチなの? だとしたらガッカリだわ。失望もいい所』
『アレは当時欧米が力を持っていたから、頑張って国の力を底上げして支配されないようにっていう謡い文句だろ。本当に平等を説い
た訳じゃないのは知っている。けど学問をすれば本当の意味で平等になれると謡ってもいたな。難しいな、学問って』
『だから難しいんじゃなく、無理な話なのよ。本当に平等にしようとするなら戦争が起こるわ。元々奴隷制度だって一種の人種を人間
扱いにしないことで人は皆平等を実現しようとしたんだから』
『それは間違った方法だからだ。正しい方法を実践すればそうはならない。その平等を試みると戦争が起こるって発想自体、オレはどうかと思うがね』
『―――――言ってくれるじゃない、義之』
『どっちがだよ。杏』
決して大きな声を出してる訳じゃない。ましてや態度を大袈裟にしてる訳じゃない。ただ熱がそこだけ尋常に籠っていた。
それにあてられたのか、小恋と茜はそそくさと隅の方に退避し、クラスメイトも距離を取っている。飛び火に掛かりたい者などいなかった。
唯一杉並だけが、心底楽しそうに二ヤついているだけ。義之と杏。今までこの二人がぶつかり合わなかった方が奇跡だったのかもしれない。
『確か杏は一人っ子、拾われっ子だったよな?』
『―――――ッ! それが今、何か関係あるのかしらね? 義之』
『怒るなよ。オレも一人っ子の拾われっ子だ。両親なんて居やしないし、どこに住んでるのか、生きてるのかさえわからない。だけど、今じゃこうして
オレ達は立派に学園生活を送れている。これは平等の要素が入ってると思わないか?』
『自分でもいうのも何だけど、それは―――――私が優秀だからじゃないかしらね』
『へぇ?』
『確かにお婆ちゃんに拾って貰わなければ私はどうなっていたかは分からない。けど、そのお婆ちゃんも小さい頃に亡くなったわ。そこからは私自身の
力で生きてきた。誰にも頼らずね。義之もそうなんでしょ? 貴方だってそこいらの人よりは優れてる人種だもの』
『だからオレをお前等超人と一緒にするなよ。オレはハッキリ言って出来が悪い方だ。けど、ここまでお前と論議するぐらいには成長出来た。何故だか
分かるか? そういう環境に恵まれたからだ。知識と知恵を蓄えられる場所に居たからだ。さくらさんがオレを皆と平等の位置に腰掛けさせてくれた
からこうやって居られる。な、案外平等なんてどうにか出来るんだよ。みんな知らぬ存じぬフリしてるだけで』
『けど平等になったら競争は生まれない。廃れるわよ、社会が』
『競争に参加出来ない人間が多くなったら市場が萎むぞ。それこそ廃れるな、社会が』
それは昼休みの間ずっと続いていた。これは一日義之と杏の機嫌が悪くなるな、と茜は眉を寄せながら思う。
何よりこの二人、機嫌が悪いと黙るから性質が悪い。義之が口で苛付く、腹が立つと言っている時はまだ大丈夫な方だ。
そうして下校時刻となり、茜と小恋はため息を付く。憂鬱な時間。無視するわけにもいかず、思い切って茜は声を掛けてみた。
『ねぇ、よしゆ―――』
『じゃあ、帰るか杏』
『そうね』
『・・・・・は?』
『ああ、悪いな茜。今日は杏と一緒に料理する予定なんだ。何か作りたいモンがあるんだってよ』
『この間テレビでみたシチューが変わってて、ちょっと義之に手伝って貰おうと思って約束してたのよ。ごめんなさい、茜』
『べ、別に大丈夫だけどぉー・・・』
『じゃあ、また明日な』
『ちゃお、茜』
二人にとって昼の話題はもう終わった事。その切り替えの早さに茜は面喰らうばかりだった。
茜にしてみれば口喧嘩、二人にしてみればただのディスカッション。取り立て尾を引く程険悪にはなっていなかった。
そして仲良く帰る両者。茜にとってはただ理解できなく、頭を悩ませる事となるのだった―――――。
「でも、そんな人が茜さんは好きなんですよねぇ」
「ま、ね。ワイルドでカッコイイし、頭も良いし。少し恋愛面じゃ鳥さんだけど、そこも愛橋があっていいわぁ」
鳥さん――――チキンな所に時々「えー」と思う時があるが、それでもやっぱり好きだと茜は思う。
前の義之と杏の件を思い出すのを中断し、知子さんに返答をした。色々文句を言いたいと事も確かにあるが『好き』という感情がすべてウチ消してしまう。
惚れたのはこちらの方。惚れた弱みとはよく言ったものだ。マイナス面がプラスに見えてしまう。まぁ、元々そんなマイナスな面なんて無いに等しいが。
「けど、面倒臭がりなのはいけないと思いますよっ。やれば出来る人なら尚更です!」
「加奈子さんの言うとおりなんだけどねー。口癖がかったるいだし、無理かもしれないわぁ」
「え?」
「口癖が・・・かったるい、ですか?」
「んー?」
加奈子さんと知子さんが驚いた顔でこちらを見詰めてくる。はて、何かおかしいこと言ったっけ?
二人は目を合わせて、何か言いたそうに躊躇っている。何がなんだか分からない・・・。
「な、なに? 何か今私、変な事言っちゃったかしらぁ?」
「いいえ・・・。ただそういう口癖の人を私達も知ってるんですよ」
「え?」
「もしかしてご先祖様かもしれないね。ともちゃん」
「多分ね、みっくん」
「それって誰の事・・・・」
義之くんのご先祖と聞いたら黙っていられない。義之くんは学園長に拾われて育った天涯孤独の身。今ではそんな様子を微塵も見せないが、血の繋がった
肉親・親戚は分からず仕舞いとの事だ。
本人は全くもって自分の血の繋がりを持った人間が誰かなど気にしていない。義之くんにとって親とは学園長であり、家族といえば親交の深い朝倉家に当た
るので探そうという気も無いみたいだ。
私がその親類の人を知ったらどう思うのだろう。きっと気を落ち着けたまま「そうか」ぐらいしか言わないに違いない。興味本位といっては失礼だがそれで
もあの義之くんのご先祖という響きには気が惹かれた。
「まぁ、別に言っても大丈夫だと思うんですけど」
「うん」
「それは――――」
若干心臓が高鳴る。頭が興奮でクラっとした。知りたい。自分本位かもしれないが、あの人が義之くんの親類だと教えてやりたい。
自分は義之くんと違って普通の人間だ。血の繋がった家族というものを知らない事実は、想像も出来ない寂寥感を連想させる。
ここは作られた世界というが、過去をモデルにしてる以上それほど現実と差は無い。知り得る事が出来る。義之くんの家族を・・・。
知子さんの口から発せられる人物。
その人物の名前は―――――――
「はいはい、ダウト! 未来は確定されていないこの世界でその発言はダウトだよ~!」
「あ・・・」
「え・・・」
「―――――ッ!」
予想もしていない乱入者によって憚れる。
快活な様子で私達の間を回って入り込み。頬を膨らませていた。
知子さんと加奈子さんが呆気に取られるのを余所に、即座に私は二人の手を引いてそこから距離をとった。
「――――へー。結構反応いいんだね。ぽわぽわした感じの子だから、ちょっと意外ー」
「・・・芳乃さくら」
「え、この人がことりが言っていた悪い人?」
「ちょっとちょっと、みっくん! だーれが悪い人だって? 私ほど良い子で気思いな人間はいないってのに~」
「ご、ごめんなんさいっ」
「うむ。分かればよろしいのだー。にゃはは」
腕を組んで満足そうに笑う彼女。知子さんが加奈子さんの腕を引っ張り自分の脇に慌てて置いた。
ピクッ、と芳乃さんの眉が動いたが特に何も言わず腕をだらっと宙に投げたまま何も言わない。ただ笑みを携えているだけ・・・。
突然乱入してきた彼女。理由が分からない。一生懸命無い頭を回転させて考えるが、目ぼしい理由は思い付かない。それは藍も一緒だった。
「―――急な訪問でびっくりしたわぁ。何か御用かしら、芳乃さん?」
「御用か。まぁ、あるといったらあるかな? ただの退屈しのぎだけど。茜ちゃん暇そうに見えたし絡もうと思って」
「退屈なら森でも散歩したらいかが? 情緒溢れて新鮮な空気もあって美味しいと思うわよ~。もしくは幼稚園。みんな、喜ぶわね」
「そんなに喧嘩腰にならないでよぉ。最初は癒し系の女の子かと思ったのに・・・・キツ目なんだね」
「あんまり好きじゃない人に対してはそうね。言ってはなんだけど、貴方、私と仲良くしようなんて気全くないでしょ?」
「うんっ!」
「・・・・ッ。そんな人と手を繋いで仲良く遊ぶなんて出来ないわね。ましてや私と貴方は初対面。礼儀知らずは嫌われるわよ」
「うーん・・・。アメリカだとフランクな奴って感じで好かれるんだけどなー。結構純日本人みたいだね、茜ちゃん」
ハッキリ頷かれるとは思って無かったので、少し息が籠ってしまった。親しもうという雰囲気ではなかったので軽口を叩いたつもりが逆に
圧されてしまった。茜はがぶりを振って体制を整え直した。
一方、芳乃といえば全く気負った様子は無く、本当にただ偶々見掛けたから話し掛けたといった具合だ。茜達の毅然とした態度にも相変わ
らず笑みを浮かべるだけ。
ただ暇だから話し掛けた、そんな筈はないと茜は思う――――が、もしそうだとしたらかなり舐められているなと茜は少し癪に触った様に目を細める。
確かに自分は魔法なんてものは使えない。しかし、対抗する手段が無い訳じゃない・・・。首根っこ引っ捕まえて皆の所に持って行ったっていい。
「茜さん・・・」
「知子さんは加奈子さんと逃げて。どうやらあっちが用があるのは私だけみたい」
「で、でもっ」
「大丈夫。あと出来たら音姫先輩を呼んで来てくれると助かるかな。頼んだわよん、加奈子さんに知子さん」
「・・・・分かったわ。行くわよ、みっくん」
「あ、ちょ――――」
まだ何か言いたそうにしている加奈子の手を取って走り出す知子。
茜は油断無く芳乃の姿を捉えているが・・・・どうやら彼女は黙って見過ごすようだ。
「だから悪者じゃないってのにー。話をちゃんと聞いてくれないんだからぁ。困っちゃうな」
「だったら私達を元の世界に戻してくれてもいいんじゃないかしら。学園長さんも一緒にだけど」
「そんなのはつまらないじゃない。せっかく暇を潰そうと思ってこの世界に来る事を許可したのに」
「・・・なんですって」
「あと音姫ちゃんにも言ったけど、あの子は返させないよ。またあの世界に帰っても可哀想なだけだしね。茜ちゃんは何も思わないのかな?」
「少なくともここで引き籠りをやっているよりは健全だと思うわ。結構な社会問題になってるのよね、私達の世界じゃ」
「別に誰にも迷惑を掛ける訳じゃないよ。ただ幸せな時をここでずっと過ごすだけ。それさえ許されないって訳なのかな?」
「こんな箱庭で得られる幸せなんてたかが知れてるわね。ずっと保温状態のチョコレートの中にドロドロといる・・・胸ヤケがしそう」
「それは価値観の違いだね。そのドロドロが芳乃さくらにとっての幸せなんだよ。ああ、別に無理に理解して貰おうとは思ってないから。よしなに」
「あっそう」
懐には堅い感触。スタンガン。いつも護身用に持ち歩いているものだった。
義之くんに「お前かなり美味しそうな肉体してるから常に持って置けよ」と言われてから常備している。
そういえば彼も色々と学生服の中に仕舞って置いたのを思い出す。物騒な性格だ、全く。
「もしかして魔法で色々エッチな事されちゃうのかしらぁ? 怖いわ」
「にゃはは。そんな事しないよ。ただ―――――」
「ただ?」
「茜ちゃんに、少し協力してもらいたいんだ。ボクの暇つぶしの人形として」
瞬間―――――体が凍りついたかのように動かなくなる。魔法を掛けられた訳ではない。
獰猛さと冷静さを兼ね揃えた目。それと視線を交じ合わせてしまった。冷や汗さえ掻く事が出来ない。
後ずさろうとしたが、それも出来ない。呼吸が乱れてきた。血脈がどんどん音を鳴っているのが自覚出来る。
「でも痛くしないから―――――ねぇ、寂しがり屋のボクの相手、お願いできるかな?」
藍の慌ただしい声が聞こえてくる。意識を代ろうかと提案してるが、あの物怖じしない藍でもそれは無理だ。
寂しがり屋の自分の為に、暇つぶしの人形になってくれと言う彼女。その声が空恐ろしく聞こえ、茜はようやく唾を飲み込んだ。
「なんかまったりしちゃってるわねー。私達」
「偶にはいいでしょう。本来ならとっくに私達は冬休みに入ってるのだし」
「それもそうね」
麻耶と杏は家庭科室のテーブルに向かい合わせになりながらコーヒーを啜っている。窓の外は快晴。いい室温で眠気を誘う程に心地よい。
しかし家庭科室も漏れなくクリパの準備の為に忙しなく生徒の出入りが激しい。杏と麻耶は邪魔にならない様に隅の方に腰掛けていた。
「あー全く。とんでもない事に巻き込まれたわ」
「過去の世界じゃ無く、魔法で作られた世界。それも学園長の為だけの特注性。何だかワクワクしないかしら?」
「答えはNOね」
「あらら」
「私は早く帰って弟の面倒を見なきゃいけないの。お母さんの容態も心配だし。ここでゴタついてなんかいられないわ」
眉を顰めながらカップを揺らす。液面に波紋が出来上がる様を麻耶は詰まらなそうに見ていた。
こちらの世界に来て早数日。こちらの世界はループしているので日数はカウントされないものの、元の世界も同じだとは限らない。
もしかしたらこうしている間も、元の世界では普通に時は刻まれており大騒ぎになっていてもおかしくはない。
その事を考えると更に麻耶は気が重くなった。心配症の弟に病弱な母親。出来るだけ心配を掛けないで生きていたというのに・・・。
「大変ね。私は天涯孤独の身だから別に心配ないけれど」
「・・・・変な事聞いていい?」
「なに?」
「あーでも気に触っちゃうといけないし・・・。うーん」
「わざわざ自分でハードル上げる事もないでしょ。あんまり引っ張られると物凄く期待しちゃうわね。滑らないでよ、委員長」
「わ、分かったわよ。で、さ――――雪村さんは寂しいとか思わないの? たった一人でおウチ居るのって、どんなものか想像出来ないし」
「・・・・・・」
少し考えるように顎に手を添える杏。麻耶はやっぱりデリケートな事だから聞かない方がよかったかもと、若干後悔の念を覚えた。
杏の独特な個性に慣れ過ぎている所為か普段なら聞けない事を聞いてしまった。彼女だって一人の人間なのだから聞かれたくない事もあるだろうに・・・。
「あ、やっぱり無し。ごめんなさい、私ったら物凄く失礼な事を・・・」
「寂しくないわ」
「え・・・」
「その質問は義之にしても同じだと思う。周囲の環境に恵まれた所為か、あんまりそうは思わないのよね」
「そ、そうなの」
「今の時代、逆に家族に恵まれたとしても圧倒的な孤独感に苛まれる人は沢山いるわ。愛に飢えてるのよね。可哀想に」
「・・・・・ありがとう。こんな質問に答えてくれて」
「別にいいわ。本当に気にしていないし。返って気を遣われた方が少し座りが悪いかも」
杏は少しだけ嘘をつく。時々だが、妙に押し潰されそうな程の孤独感に襲われる事があるのは確かだ。
麻耶の性格上そんな事を言ったら気に病むのは必至。だから敢えて言わなかった。そもそも寂しいなんて言うキャラじゃないしね、と杏は思う。
まぁ、本当の事も言ったから完全に嘘では無い。茜や小恋といった友人、渉や杉並、そして義之。周囲の環境に満足しているのは本当だった。
「欲をいえば義之が私のものになってくれれば完璧なのだけれどね。あの男はあっちこっちにフラフラと・・・。全く」
「頭の良い雪村さんでも手を焼くのね」
「義之には頭では負けていないと思うけど、口が上手いのよね。いつもはぐらかされるし・・・・何より」
「何より?」
「・・・・惚れた弱みっていうのがあるから、ね。中々責められないのよ。口惜しいわ」
「――――もしかして、照れてるの? 雪村さん」
「・・・・・さて、どうでしょう」
「ふふっ」
麻耶に笑われて、少し顔が熱くなっていくのを感じた杏。はぁ、とため息を付いて頭を掻いた。
最近こういう役ばかりだ。キャラじゃないというのに、義之と関わってから段々ソレが崩壊してきた気がする。
アイディンティティの危機。からかうのは好きなのだが、からかわれるのは好きでは無かった。
「珍しいわね。雪村さんが弄られるなんて」
「あんまり弄らない方がいいわよ。知っての通りかなり根に持つ性格だから。後でどうなるか・・・・ふふっ」
「・・・・冗談よ。だからその笑み止めて頂戴。洒落にならないから」
「洒落のつもりじゃないのだけれどね。大体私は―――――――」
「ん? どうしたの、雪村さん」
「・・・・・・・おかしい」
「え?」
「何故こんなにも静かなのかしら」
シーンと静まり返る家庭科室。さっきまで人がごった返していたというのに、今では影の形さえ見えない。
物音にしたってそうだ。廊下を誰かが歩けば気配はする筈なのに、まるで学校自体が無人化したみたいに静寂が包みこんでいる。
「な、なによこれ・・・・」
「―――――考えても仕方無さそうね。なんだか、とりあえず皆と合流した方がよさそうだわ。行くわよ、委員長」
確かに不気味だが、ここで怖気づいてガタガタ震えるのは性に合わない。麻耶の肩を軽く叩いて先を促す。
念の為窓の外を覗いたが、やはり誰も居なかった。忙しなく看板を持って走る男子生徒も、お喋りを楽しんでいた女子生徒達も誰も、居ない。
明らかに『異常』な現象。昨日の件が頭を過る。魔法―――――それに関係している事なのか。
それらの事を考えて扉を横に引いた。
「え」
「あ」
瞬間――――体が宙を飛んだ様な感覚に囚われる。
「―――――あ、ぐっ!?」
「雪村さんっ!?」
「・・・・へへっ」
「な、なに・・・が」
一瞬の浮遊感の後、無様にも地に打ち付けられて呼吸が一瞬出来なくなる。だが、無理矢理に頭を起こして急いで何が起こったのか状況を確認した。
目の前にいる茶髪の男。ニタニタしながら手を突き出している。ということは答えは簡単だ。私はただ単純に押されただけだ。それも思いっきり。
自分の体の体重の無さを嘆きながらも、委員長の手を借りてふらふらと体を起こした。
「・・・・いきなり、げほっ、失礼なんじゃないかしらねっ。急に現れたと思ったら・・・レディを突き飛ばすなんて。どんな思考をしてるのかしら」
「いやー悪い悪い。戸引いたらいきなり目の前に居るから思わずよ。もしかして立ったままがご希望だったか? それなら悪い事をしたな」
「何の事・・・よ」
「ん? 決まってるだろ。今からヤル時の体位の話をしてるんだけど」
「へっ・・・・?」
委員長が抜けた声を出す。私も多分委員長と同じ感想を抱いている。意味が分からない、と。
男の言っている意味が分からない訳じゃない。二ヤついた笑みに滲み出る獣みたいな空気。欲に酔った目。分かり安過ぎる。
意味が分からないのはそう・・・・何故そんな下卑た真似をしでかそうとしているのかという事だ。
「・・・・欲求不満なら余所を当たって頂戴な。ここにはただの眼鏡っ子とロリっ子しかいないわよ。趣味がニッチならそれでもいいだろうけど」
「いや、別にヤレれば別に構わないぜ。女なんて結局どれもこれも同じなんだからよ」
その言葉に委員長が目を向いて歯をギリっと立てる。
元々潔癖の気があった彼女からしてみれば、今の言葉は聞き捨てならない。
「何が何だか分からないけど――――最悪ね。桜内でもそこまで言わないわよ」
「下種ね」
「ま、なんとでも言えや。そういう事でさっさとやろうぜ。しかし、あの金髪の女の言った通り本当に居るとは思わなかったな」
「・・・・金髪の女?」
「ああ? 確か芳乃って女がここに居る女を好きにしていいって言ってくれたんだよ。いやぁ、助かるね。マジで」
「なっ!?」
「――――へぇ、それを貴方は信じたの? 普通なら警察に捕まって刑務所行きの所業。そこまでのリスクを冒してまで女の子を欲しがってるの、貴方は?」
「・・・んだと?」
やはりあの子の所為か・・・。可愛い外見なのにやる事は結構低俗で呆れる。しかし、これで明確にアレは自分達に害をもたらす存在だと認識出来た。
次会ったらどんなお返しをしてやろうか――――その前に、今は目の前の男をどうにかしないといけない
「もう一回言うわよ。女を強姦しておいて捕まらない程日本は甘くない。泣き寝入りする程可愛い性格じゃないし、警察に言えば100%貴方は手に
手錠を掛けられて報道される。こんな田舎の島の学校だもの。例え警察に言わなくても噂はあっという間に広がる。ちゃんと理解してるの?」
「・・・黙れよ」
「ゆ、雪村ちょっと・・・・」
「馬鹿でも分かるわ。話を聞いてると特にこれといった後ろ盾も無さそうだし、仲間を引き連れても居ない。例えヤクザに知り合いが居たとしても
ここに居なければ何の脅しにもならないわ。つまりは貴方の性の欲望の暴走・・・・はぁ、少し頭を冷やして考えると言う事を―――――」
「黙れって――――言ってんだよこのクソ女がぁっ!」
「きゃっ・・・! くっ」
言葉で男の行動を絡め取ろうとしていると、急に人相を変えて私の襟元を掴んで罵声を吐いてきた。
息が詰まり呼吸が苦しい。酸欠状態になりそうながらも、それより思わず情けない女らしい悲鳴を上げた自分に屈辱感が芽生える。
プライドが高い自分に呆れそうになりながらも、男の目をなんとか見る。視線が忙しなく動いていて、一定に定まっていなかった。
「お、俺はそうしなきゃいけねぇんだよっ。理由は分からねぇけど、そうしなきゃなっ!」
「ちょ、っと・・・この手を、離し・・・て―――――」
「ただあの女にそう言われたからには絶対なんだよ・・・・! 例え親を殺せって言われても・・・・」
「は、くっ、あ、あなた・・・・っ!」
息も絶え絶えになりながらも確信する。マトモじゃない。まるでそうしなければと脅迫観念に囚われているかのように切羽詰まっている。
人を一人こんな奇行させる行為――――十中八九恐らくは魔法。普通の人は抵抗出来ない卑劣な手段。それを持って私達を・・・・。
「雪村さんっ! こ、このぉぉおおーっ!」
「ぎっ!?」
委員長が脇に置いてあった塩の瓶を投げつける。それが男の顔を叩き、仰け反らせた。
「げほっ、ごほ・・・!」
「大丈夫っ?」
「・・・・危うく天国の婆ちゃんの所に行きそうだったわ。ありがとう、委員長」
「お礼はいいから、早くここから出ないとっ」
「こ、この野郎がっ! やりやがったなァーーーーーッ!」
肩を貸そうと近付いた委員長と私の間に割って入る男。委員長は「ひっ」と悲鳴を上げて後ずさった。
まだ私は喉を抑えながも、なんとか視線を辺りに巡らせる―――――あった。目当ての物が見つかり唇を吊り上げる。
相手は私に背を向けていてこちらのしようとしている事に気付いていない。
やるなら今、この瞬間だ。
「な、なによっ! 貴方が悪いんでしょ!」
「うるせぇっ! まずお前から犯し――――――」
下品な言葉を吐かせる前に、後ろから水が入ったバケツを思いっきり被せてやる。
男は全身水浸しになりながら、情けない声を上げて委員長から飛び退いた。
「この、チビ―――――」
「さっきから言おうと思ってたけれど、貴方、言葉が少し下品よ」
そう言って、私はケーブルが繋がっているコンセントの先。
それを男に向かって投げつけた。
「確か妹さんが居たんだよねぇ。死因は溺死。きっと苦しみながら死んでいったと思うよ」
芳乃はそう語りかける口調で身動きが取れない茜に近付いて行く。
茜はまるで金縛りにあったかのように手の先さえ動かせない。
圧倒的なプレッシャー。浮かべている笑みさえ恐ろしい。
「い、いきなり人の家庭の事情を知った風な口で聞かないでくれるかしら、ね・・・」
「学園長をやっている『ボク』の記憶は全部頭の中に入ってる。勿論家庭の事情もね。茜ちゃんは結構おウチの事手伝ったりするんだぁ、少し意外かも」
「・・・・・・」
藍がまだ意識を取って替わろうと試みるが、茜はそれを断固拒否していた。自分の妹をこんな局面で出す程冷血漢じゃない。
ここは自分がなんとかしないといけない。鈍る頭を必死で動かしてこの場面の打開策を考えるが・・・・良い手は思い付かない。
頭が悪い自分を少しだけ叩きたい気分だ。義之と杏なら何か思い付くのだろうがと思ってもしょうがない事を茜は考えてしまう。
何か、何かないのだろうか。ここで上手く退けられる都合の良い案は・・・・・・。
「ボクに協力したらさ、妹の藍ちゃんだっけ? その子をこの世界に生き返らせても良いよ」
――――――せっかく頭の歯車を一生懸命動かしていたのに。
一瞬、それがバラバラに外れそうになった。
「・・・・・・は?」
自分らしくない素っ頓狂な声。いつもは出さない声だが、思わず出してしまう。
藍のあれだけうるさかった叫び声も静まる程の衝撃。意味を理解するのに10秒ぐらい要してしまう。
そんな茜を心底面白そうに芳乃は見詰めて、にこっと笑った。
「寂しいもんねぇ、一人は。その気持ちは分かるつもりだよ。死ぬ程」
「で、・・・・」
「デ?」
「出来る筈がないでしょッ! そんな事ッ!! いい加減な事ばかり言わないでよ!」
「わっ」
芝居掛かった様に耳に手を置いて後ずさる芳乃。茜は息を切れそうになるほど大声を上げた。
体はもう動く。大声を張り上げたおかげでプレッシャーを跳ね返せれた。いや、もう威嚇に近いだろう。
まるで追い詰められた獲物が見せる必死の声。形相。喉が攣りりそうな程、彼女は普段出さない様な声で高く叫んだ。
「藍を生き返らせるっ? いくら魔法だからってそんな事出来る訳ないじゃない、バッ・・・カみたいだわ!」
「むむ。結構頭が固いんだねぇ。ボクが出来るって言ったら出来るんだよ」
「だから―――――」
「だってここはボクの世界なんだ。生き返らせるって表現は確かに似つかわしくないかもしれない。けどここに『現象』として誕生させる事は出来る」
「現象・・・?」
「砂漠で見える蜃気楼の様な不確かだけど、確実にあるという事実。それを利用して藍ちゃんをここにじゃーんと誕生させる事が出来るんだよね」
「それは要は幻って事でしょっ! そんなので私が納得して、馬鹿みたいに貴方に協力すると思うの? 本当、おめでたいわね」
「幻かどうか・・・・そこにいる藍ちゃんで確かめてみればいいじゃない」
「何を言って――――――え」
指差した方向を見る。
商店街にある小さな電柱。
「・・・・・・・うそ」
「本当の事だよ。茜ちゃん」
それに寄り掛かる様にして、こちらを見詰めている少女。
小さい頃のまま。写真から抜け落ちてきたといっても信じられる程の、あの時のままの女の子。
そしてその女の子は小さな可愛らしい口である言葉を呟いた。その言葉を聞いて、茜は鈍器で頭を叩かれる様な衝撃を覚える。
『お姉ちゃん』
茜は、地に膝を着いた。
「あ・・・・ああっ、あ」
目から涙が零れる。理由は分からない。だが、その涙はぽたぽたと次々に地面に吸い込まれていく。
心にいる藍の言葉は茜には聞こえない。いや、もう脳が理解の範疇を越えてオ―バ―ヒートを起こしている所為だろう。
壊れた蛇口みたいに涙を流し続ける茜。その姿に、芳乃はそっと近付いて、夢物語の話を聞かせる様な優しい口調で語りかけた。
「そうだ。茜ちゃんの好きな義之くんもオマケにつけてあげよう」
「・・・・・・・義之くん、を?」
「そう。ボクならそんな夢物語も可能に出来る。シンデレラスト―リーを再現しちゃう。ね、だから」
「・・・・」
「ちょっとボクと、一緒に遊んでくれないかな」
顔を手で覆い黙然とした様子で体を丸め込んでしまう茜。それは魅力的な提案だった。魅力過ぎてもう立つ事が出来ない位に。
それは茜が考えられる内で最も完成されている幸せの最終形態であった。不幸せな事なんて何一つない世界。自分が最も安心出来る環境。
もしかしたら義之と恋仲になれないかもという不安の払拭。何かも、全てが取り除かれる。藍の死――――でさえも、だ。
藍が近くに居る。視認する事が出来、言葉を紡いで話を、会話が出来る。
義之が傍で笑ってくれる。他の子なんて意識しないで、三人仲良く居られる。
夢物語。普通なら実現不可能な情景。だが、それがここでなら可能だと彼女は言った。
「それで、返答は?」
「・・・・・ひっぐ・・」
「あやー。泣いたってしょうがないんだよ? 早く決めないとこの話は無かった事にしちゃうかも」
「え・・・・」
「決断が遅い人はせっかくのチャンスも見過ごして馬鹿を見るって事だよ。その歳になったんだから、それぐらいは分かるでしょ?」
呆れたように腰に手を当てる芳乃に、茜は顔を上げた顔をまた俯かせる。ため息を吐きたい気持ちを我慢しながら芳乃は空を見上げた。
優柔不断な女の子。自分なら即座に飛びつく程の上手い話。慎重なのは良い事だが、臆病風を吹かすのは若干頂けない。
きっとそんな幸せな光景に恐れをなしている。天から降って降りた幸運。怖いのは分かる。だが決断はしなければいけない。
(まぁ、迷った挙句・・・乗ってくるだろうけどね)
それは確信だった。この子は皆の前では大人ぶっているが、人一倍幸せに過敏な人種。
だから他人にも優しいし、自分にも優しい。そんな人間は得てして自分の欲望には逆らえない。
優しいという事は弱い事だ。強いから優しくするのではない。弱いから人に優しくするのだ。
強さを持って優しい人間など本当に一握り。それを知っているからこそ、確信が持てた。
「さて、そろそろ決めたかな」
「・・・・・・・よ」
「ん?」
蚊の泣く様な呟き声。
「ちょっと、聞こえないよ。何だって?」
「・・・・・で、よ」
「・・・・・・・にゃー」
少し焦れてしまうが、まぁ、仕方の無い事か。ここは根気よく我慢するしかない。焦っても何も良い事は無いしね。
芳乃は茜の隣に一緒の形になって座りこんだ。何だか泣いている子供を慰めているみたいだなぁ、と少し場違いな事を思う。
小さい頃は学校で苛められた時なんかお婆ちゃんとお兄ちゃんに、よくこうやって慰められたっけ。あまりにも古い記憶なので懐かしい。
「まぁ、考え込んじゃうのも仕方ないよね。一気に幸せが飛び込んでくると誰だって驚くしー」
「――――――――」
「あ」
聞こえた。小さな呟き声の内容。
それを聞いて一瞬呆けてしまう。
「・・・・・・・ッ!」
それがいけなかった。直ぐ様に足に力を全神経を集中させて飛び退くが、一歩遅れてしまう。
懐から取り出される黒い物体――――スタンガン。それが芳乃の手を焼き殺すが如く掠って火花を散らした。
「あだたっ!?」
「あら、残念。案外運動神経いいのね、貴方」
尻もちをつきながら高温火傷をした手を抑える。目を鋭くさせて芳乃は茜を睨んだ。
だが茜はそんな事などそよ風を受け流すが如く、涙の跡をゴシゴシと拭き採りながら逆に見返した。
芳乃は思う。こんな筈では、と。こんな真似をしたという事は自分の提案を蹴ったという事だ。
目の前にある幸せを遠ざける行為に打って出る―――ー有り得ない。
「もう一回言うけど――――舐めないでよ。この私を」
「・・・・あーあ。自分で自分の幸せを蹴っぽっちゃうなんて。どうかしてるね、本当」
「貴方の言うとおり良く考えたんだけど、そしたら物凄く腹が立ってきたのよねぇ。何だか頭に来ない? 他人に自分の
幸せがどうのこうの言われるのって。この上なく見下されてる気分」
「でも幸せは手に入る。腹が立ったからってその行動は褒められないなぁ。感情に任せて決断するのはハッキリ言って馬鹿だよ」
「時には感情に身を任せる時があってもいいと思うのだけれどね。そう思わないかしら?」
「どうだか――――ねっ!」
「・・・・ッ!」
抜き打ちに近い形で右手を振るう芳乃。まるで空気の塊がぶつかって来たみたいにスタンガンを持っていた手が弾かれ、道路の隅の方を滑って行く。
慌てて茜がそれを追いかけようとして――――今度は茜自身が壁に叩きつけられた。
「ぐっ!?」
「あんまり調子に乗っちゃダメだよぉ、あ・か・ね、ちゃん」
「こ、この―――――」
歯を喰いしばって顔を上げようとするが、またもや壁に叩きつけられる。
一回、二回、三回――――もう吐く息も見つけられず、茜はぐったりとした様子でやっと地に膝を付けられた。
芳乃は鼻歌を歌いながら近付き、茜の顔を覗きこむ。
「もういいや。茜ちゃんはここでおしまい。この世界からいなくなってよ」
「・・・・が、ふっ・・・」
「運が良ければ元の世界に戻れる。悪ければまぁ・・・・現代、過去、未来、どこに行くでも無く消えちゃうけどね」
それは完全なる消滅。世界という理から外れ、藻屑よりも塵に、更に塵と化され居場所が無くなるという事だった。
茜は力が入っていない虚ろ気な目で芳乃を見て、それでも力を入れようとするが体が言う事を聞いてくれない。血液中の酸素が行き渡っていない。
足はまるで自分の物で無いかのように頼りなく、手はかろうじて動くが魔法という圧倒的な力の前で何が出来るのだろうか・・・・。
「でも、根性は認めてあげる。及第点だね。よし、頭を撫でてあげちゃおう」
「・・・・うっ・・・」
「藍ちゃんにもさようならを言わないとだね。『アレ』は幻だけど一応存在はしてるし」
藍―――その言葉を聞いて茜はその姿を見る。
さっきと変わらない様子でこちらを見詰めたままだった。
それを見て、また茜の頭に血が上り始める。
「・・・・ふ、ざけない、で」
「んー?」
段々怒りで頭が沸騰しそうになる。藍の死を冒涜されたと、悪戯に自分の妹を侮辱されたと。
そして思い出す今までの事。藍が死んでからは皆必死に頑張って来た。父は自分を責め、母は急に失った幸せを取り戻すために躍起になった。
藍の存在を内に籠らせた自分。考える。藍の死、藍との今までの会話。そして芳乃の言葉。それらを統合して、茜は一つの答えを出す。
「・・・・やっと理解したわよ、このぉー・・・・」
「うん?」
ああ――――やっと分かった。単純だったが、今まで出せなかった答え。
内に居る藍の声を聞く。必死に頑張れと言っていた。なら、頑張らないといけない。
「存在出来る筈が、無いのよ」
「んんー? まぁ、確かに実態ではないけど、一応魔法で限り無く本物に近い存在にはしてあ――――」
「死んだ人は蘇ら・・・ない。絶対に。いくら魔法だからといって、絶対にそれは無理なのよ。それが神様だって――――絶対に」
いくら魔法という力でもそれは無理だ。死んだ人は蘇らない。それは幻だろうと何であろうと、もう二度と目にする事は出来ないもの。
藍を幻でも生き返らせると言った彼女の言葉。それは茜達家族の今までの人生を否定する事と同義だった。藍が死んでからの人生の選択を淘汰するものだった。
頑張って、乗り越えて、継ぎ接ぎながらも作り上げた今の形。それを無意味にされようとして、怒りを覚えない人間は居ないだろう。茜はそう結論付ける。
「あなたは、私から藍の死という事実さえ奪おうとした。絶対に、泣かせてやるんだから」
「―――――何を言ってるの」
「あと言い忘れたけど」
「・・・?」
可愛らしく首を掲げる芳乃の姿をみて、茜は顔を苦しみで歪ませながらもクスッと笑みを零す。
本当に学園長の姿にそっくりだ。当然の話だがそう感想を抱く。くりっとした目に、朱色掛かった頬。
こりゃ義之くんが溺愛するのも分かるかもしれない。手を上げてその頬に触る。白くキメ細かい肌。少し嫉妬した。
少し撫で上げると、くすぐったそうに彼女は首を竦ませる。
私はその姿にまた笑みが零れ――――――
「顔、近くてよ?」
息がまだ詰まっている喉で挑発的にそう言い、腕を緩慢な動作で横に振るった。
「キャァッ!?」
「・・・・ふふっ、茜さんの秘密その3ね。まさか貴方にバラすとは思わなかったけど」
茜の袖口、そこに隠された小型の携帯式のスタンガン。それが芳乃の顔に当たり火花を散らした。
顔を手で覆い茜から飛び退く芳乃。茜はどっこいしょと言いながら立ち上がる。大分体が回復し、足が言う事を聞いてきた。
だがまだフラつくのか、少しよろけて壁に身を預ける。それでも茜は彼女の姿を見据えて、頭に手をやった。
「義之くんにプレゼントされたやつ。結構強力ね。あんまり人に向けて使いたく無いモノだわ」
(改造してるって言ってたもんねぇ、義之くん。でもそのおかげでお姉ちゃん助かったんだし、後で感謝しなきゃ)
やっと藍の言葉がちゃんと届く。意識がクリアになる。まだ体はおぼつかないが精神的には大分良くなった。藍の幻を見せられてから声が
聞こえにくくなり、冷や汗を掻いたがなんとかなったようだと茜はホッと一息吐いた。
「魔法っていうか、洗脳ね。一気に相手を圧倒させて閉鎖的な状況に追い込ませて甘い言葉を囁く。よく下種な人種が使う手法よねぇ~」
『あ、この間買ったファッション誌に載ってたよね。どうでもいいけどなんでああいう雑誌にそういう特集乗ってるんだろう?』
「自分の身を守る為でしょ。女は男より危険が多いからねぇ。自分の身は自分で守らないと」
『なるほど』
最新式の小型スタンガン。『お前の場合ドジだからもう一個持っとけ。金は要らない。これはオレの善意だ』とか言って無理矢理持たされた物だった。
かさばるからあんまり好きじゃなかったが、この世の中は物騒なので我慢して袖口の辺りに紐で縛って置いたもの。まさか役に立つとは思わなかった。
安に居て危を思う。国語で習った言葉で平時でも常に用心に越した事は無いと言うことわざ。身を持って実感出来た。ふぅ、と息を吐いて目を閉じる。
「あーさすがに体中痛いわ。全く、どうしてくれる――――――あら?」
『あらら?』
目を開けると彼女―――芳乃の姿は見当たらなかった。何時の間にか商店街は喧騒を取り戻し、人が行き渡っている。
彼女が現れたと同時に静まった商店街。それが元の姿を取りも出したという事は・・・・・うーん。
「・・・・・なによ、ちょっと驚かしただけじゃないのよ。意外とチキンというかなんというか」
『さすがにビックリしたんだろうね。しばらくは安心・・・・かな?』
「だといいけれど。あ、杏ちゃん達無事かしら。私がこんな目に合ってるって事はあっちも危ないと思うんだけどぉ」
『行ってみる? 疲れてるなら少し休んだ方がいいと思うけど』
「そうしたいの山々なんだけどねぇ。友達思いの茜さんはそれでも体を引き摺って行かないといけないと思うのよ。ほら、キャラ的に」
『じゃあ、もう少し頑張ろうか』
「うん、頑張る」
意識を代ろうと言わなかったのは、自分の意思を尊重しての事だろうか。本当に出来がいい妹だわ。死んでるけれど。
しかし、本当に体が痛い。痛さに免疫がない私はいつもよりも若干遅い速度で足を学校に向ける。まるで亀の様な遅さだと自嘲した。
足を一歩、また一歩と歩かせて先を目指す。うぅ・・・いつもだと短く感じる距離なのに。もしかして今日は厄日なのかもしれない。
「・・・・・・」
『ん? どうしたの、お姉ちゃん』
「―――なんでもないわ。さ、早く行きましょう」
少し視線を電柱の方に向ける。当然の事ながら藍の幻は消えていた。まるでそれこそ蜃気楼の様に――――。
(そろそろ決着をつけないといけないかしら。私と藍ちゃんの関係に・・・・)
だがまだ先の事になるだろう。藍との共存生活はまだ手放したく無い。なんだかんだ言って楽しいし、急ぐ事でもない。
ゆっくり、自分のペースでやればいい――――茜は頬を掻きながらそう思い、落としたスタンガンの存在を思い出し慌ててその方向に足を向けた。
「い、今の男子死んでないわよね?」
「コンセントをずっと押し付けていたら死んでたわ。けど、一瞬触っただけだし平気よ」
とはいえ全身に塩と水が混ざり合った所に電気を流された。体感する痛さは想像に難くない。
不純の食塩水は電気の伝導率を限り無く100%にする。あのただぶっかけた状態ではマトモな効果は期待出来ないが、ある程度効果はあったろう。
麻耶と杏は二人で廊下を駆けながら音楽室を目指す。向こうが何らかのアクションを起こした今、何が起こっても不思議では無かった。
「ところでさっきの男って、もしかして・・・・」
「魔法で操られてたんじゃないかしら。でもそうなると、相手は本格的に私達にちょっかいを掛け始めてきたって事ね・・・・」
「・・・・ちょっかいどころの問題じゃ無い気がするんだけど」
「本当に潰すつもりなら集団で、道具を使って襲いかかってくる筈よ。多分だけど私達を驚かそうとかそんな所でしょう。意地が悪いわ」
「雪村さんがそれを言う?」
「だって本当の事だもの」
曲がり角を曲がって三階へ。とりあえず道中誰にも出会わなかった。もぬけの殻と化した学校。気味が悪い。
今まで煩さ過ぎる程喧騒で溢れかえっていたから違和感が半端無く強い。これも魔法によるものなのか――――。
「杏先輩っ!」
「あ・・・・美夏」
廊下の奥から見慣れたカーフキャップを被った姿が見えた。息をぜーはーと切らしながら駆け寄ってくる。
その後ろからは音姫、由夢、エリカ、小恋、ななかといった面々が後を追いかけてきていた。
「無事かっ、杏先輩!?」
「見ての通り大丈夫よ。何かあったの、美夏?」
「何かあったのって―――――いきなり学校中の音という音が聞こえなくなって、それで音姫先輩が魔法の影響の所為だとか言って、それで・・・・」
「心配して駆け付けて来てくれた、って事?」
「そ、そうだぞっ!」
「――――ふふっ、ありがとうね。美夏」
「ん・・・・」
頭を撫で撫でしてあげる。この子は本当に良い子だ。本当に他人の為に動ける存在。人間より人間らしいと思う。
よくロボットである事だけで差別をする人とは大違いだ。目を細めて気持ちよさそうにしている美夏を見ると、心が安らいでいく。
そして美夏は少し照れくさそうに笑い――――驚愕した顔で私を突き飛ばした。
「杏先輩っ!」
「きゃ!?」
なに――――そう思うと同時に鉄と鉄がぶつかり合う音が廊下に響いた。
「なっ―――――」
「こ、このぉおおおおっ!」
「チッ!」
壁にもたれながら何が起こったのか目を前に向けると、先程の男が鉄パイプを振るい、それを美夏が腕を交差させて止めている光景が飛び込んできた。
美夏の体はロボット―――鉄の集合体と言っても過言じゃ無い。鉄パイプの方が折れ曲がり有り得ないといった顔で男の動きは止まった。
その隙を美夏が見過ごす筈も無く、体当たりを仕掛けて男の体をよろかせた。舌打ちを鳴らし、飛びずさって距離を取る相手。
「くそっ、何なんだよテメェは、あぁっ!?」
「煩いっ! お前に教える義理なんかない! よくも杏先輩を・・・・」
「てめぇこそ黙れよっ。この女オレを殺そうとしやがったんだぜ、許して置けねぇよなっ!?」
「よく言うわねっ、女の子を無理矢理襲おうとした癖に!」
「だから黙れつってんだよクソ野郎が!」
「ぅあっ!」
「沢井っ!」
男が振り回した鉄パイプが麻耶の目の先をブンと音を立てて過ぎる。驚いた拍子に尻餅をついて体制を崩してしまう麻耶。
慌てて顔を上げる―――――と、男と視線がカチ合った。
「ひっ」
恐怖で体が硬直する。息をするのも一瞬忘れる程の衝撃。再び鉄パイプを振り上げている男の姿。麻耶にとってそれはもう銃を向けられているのと同じ。
男の目。ぎょろっと混濁した色合いに染まっていた。もう正気など保っていない。更に鉄パイプを手に血管が浮き出る程握りしめている。
その力で振るわれた暴力を受けてしまえば怪我では済まない。麻耶を竦ませるには十分な光景。元々暴力沙汰には免疫が無いのが更に拍車を掛けていた。
「沢井さん!」
「お姉ちゃん!」
「駄目っ、ある程度溜めが無いと!」
「くっ、このぉ・・・・!」
エリカが叫び、由夢が音姫に魔法を行使させようと声を張り上げる。小恋は口に手を当て、起きるだろう惨劇に目を一杯に開かせた。
音姫は手を突き出し集中するが、あまりにも時間が無い。魔法が発動するには三秒ぐらい掛かってしまう。自分の未熟さに音姫は歯をギリッと鳴らした。
美夏が再度体当たりを仕掛けようと足に力を込める。しかし、相手に届くと同時に鉄パイプが麻耶に当たるのは美夏自身でも理解してしまった。
もう誰の目が見ても明らかに麻耶は、もう―――――。
「あ」
そんな状況の最中、ななかが声を思わずといった感じで声を漏らした。
「死ねこのクソおんな―――――」
その溜めた力を麻耶に向けようとした、
その瞬間―――――男の頭が鈍い音を立てて弾きとんだ。
「がぁっ!?」
「きゃっ?」
「な、なに!?」
血が噴き出る。その光景に麻耶はまたも悲鳴を漏らし、麻耶を助けようとした美夏は呆気に取られる。
音姫も、由夢も、エリカも、小恋も、そして杏でさえもいきなりの状況の変化について行けず茫然とした顔になった。
「な、なにが・・・・」
杏が珍しく狼狽しながら呟き声を洩らす。
そしてふと視線を下げる。そこには銀色に光る物体が落ちていた。
これが男の頭に当たりあの状況を変えた。杏は眉を顰めながらそれを見詰める。
その何かを挟み込める為に使う物体――――人に間違っても当てる物じゃなかった。正しい使い道があり、みんなの生活に役立てる物。
「えっと・・・・これって・・・・」
「モンキーレンチだ。それも300mmの大きいヤツ。そいつ死んだかな?」
「な、何やってるんですか義之っ!」
え―――――そう皆が思い、視線を一斉に階段の上に向けた。
「私がなんとかするって言ったのに、どうしてアナタという人はすぐそうやって暴力を振るうんですか! か、考えられないです!」
「お前が手を差し向けて念じようとしたからだ。どうせ魔法使おうとしたんだろ。そんな暇があったら物を投げた方が早い」
皆の視線を受けながら彼――――義之は倒れ伏した男に近付いていった。脇に座り込み、男の傷の程度をチェックする。
そしてふっと息を吐いて立ち上がり、懐から彼愛用の煙草を取り出した。シュっと火花を散らして火を着けるライター。
まるで彼女達の存在に気付いていないみたいな振舞い。義之は咥え煙草のままアイシアの方に振り返り、おどけた様に手を掲げた。
「大丈夫だ。死んじゃいない。ただのショック状態で寝てるだけだな、このタコ助は」
「ど、どこがショック状態ですか! 思いっきり血がドバーって出てますよ、血が!」
「あーアレだな。頭にある血管は切れやすいからその所為だろう。少し血圧が高そうだったし、丁度良い」
「もしかして適当言ってますよねっ! ああ、早く治さなくちゃ・・・・」
「ななかの土産が大活躍だな」
アイシアが男の体に近付くのを詰まらなそうに見詰める義之。
そしてようやく彼女達の方に体を向ける。脇のポケットから携帯用の灰皿を出し、そこに灰を捨てた。
あまりにも普段通りの振舞いに、口をパクパクさせる杏。他の面々も同様に何を言っていいか分からないといった風だ。
一つ大きい紫煙を吐き出す義之。そして首をコキッと鳴らし、彼のトレードマークとも言える口癖を乗せて言葉を吐き出した。
「ようやく合流出来たな。あんまり手掛けさせるなよな、かったるい」
そのあまりにもいつも通りの言葉に、杏は口をギュっと引き締め、思わず体を弾かせ彼の体に抱きついたのだった―――――。