アイシアは杏と美夏の二人を偶然発見した。
懐かしい校舎の風景を楽しみながら色々な教室に足を向けていた彼女。体育館を巡り、自分の過去の教室を覗き、感慨に耽っていた。
もしあの時、もっと最善な方法があったのなら最後まで一緒に入れたのかな。若干ほろ苦い思いが甦り顔を俯かせていた彼女。
「はぁ、もうやり直しなんて効かないですけどね・・・・大体純一がしっかりしていれば―――――ん?」
と、懐かしい音が聞こえてきた。過去にそれに触れアイシア自身が日本の文化をまともに学んだ時に使用した道具の鳴動。
「ふぅ、こんなところかしら」
「わぁ・・・やはり凄いですよ、雪村様。完璧な舞と祓詞です」
「おお、すごいな杏先輩」
「ふふっ、どういたしまして」
称賛の言葉を上げる巫女服を着た胡ノ宮環と美夏。そうしてアイシアはそこが初めて巫女部と呼ばれる同好会がある教室だと知った。
巫女部―――胡ノ宮環が創設者であり、皆に巫女という存在を知って貰う為に設立したのをアイシアは昔の記憶から引っ張り出す。
「・・・・懐かしい」
純の外国人の自分と大和撫子の環、不思議と一緒に居た事が多かった。日本の文化に触れたいという事で巫女の環を追いかけ回した所為
もあるが、向こうも嫌な顔を一つせず巫女についてあれこれ教えてくれた記憶がある。
私も巫女服を着てあの・・・大幣、だっけ? あれをシャンシャンよく振っていた。勿論雪村さんみたいに上手では無く、思い出せば力任せに
適当に振っていた昔の自分。少し恥入ってしまう。
しかし、しょうがない。あの時はどうしても感情が先走ってしまい何かをやらずにはいられなかった性分をしていた。
若気のいたりだと・・・思いたい。
「わ、忘れましょう、うんうん」
「あら、貴方は・・・」
「アイシアさんじゃないの。義之の用事は終わったのかしら?」
「お疲れ様だ。アイシア」
「あ・・・・ども、です」
思い出した羞恥心を振り払おうとしていると、その銀髪が目に付いたのか環がその存在に気付いて声を掛けた。
杏と美夏もアイシアの姿を認め労いの言葉を掛ける。アイシアはぎこちなく頭を下げて返答をした。それに釣られて環もお辞儀を返す。
またもや縁が深い人物と関わってしまった。それも仲が良かった友人の環と。こういうのは慣れないものだと、アイシアは身体をそわそわさせた。
「義之の用事は無事済みました。だから皆の手伝いをしてこいと言われ、ブラブラしている内にココに・・・」
「無責任ね。気に入ってる子を放り出させるなんて」
「い、いえ、お気に入りとかそんな・・・」
「はぁ、見ていて羨ましいわ。あれだけ自分の為に怒って貰ったら女冥利に尽きるわよ。なんでもかんでも自分一人で解決出来るのも問題ね」
「ん? 自分の事を言っているのか、杏先輩?」
「冗談言わないで頂戴。こんな天涯孤独で親族関係のしがらみで神経が痩せ細った私がそんな訳無いじゃない。とても不幸だわ」
「しかし、その親族関係のヤツらを全員やっつけたんだろう?」
「―――ああ、今でも思い出せるわね。引き潰れた蛙のように私にしてやられたあの人達の事を・・・。本当に愉快だったわ、ふふっ」
「・・・・」
「はは・・・」
サディスティックな笑みを浮かべ、熱に浮かされた表情をする杏に美夏はそっと距離を置いた。確かに良き先輩なのは確かなのだが時々性格に
問題を感じる事がある美夏。
それにアイシアは乾いた笑みを浮かべるだけ。本当、義之の周りは変わった人が多い。個性的とも言えた。自分自身も負けずに変わった人間で
あるが・・・・性格はマトモだと思う、と彼女は思いこむように視線を下に落とした。
「まぁ、いいわ。アイシアさんもついでにやっていってみない? 環さん、いいでしょ?」
「え、ええ。別に構いませんよ、人が増える事自体喜ばしい事ですし・・・」
「ありがとう。ほら、アイシアさんも着替えて着替えて」
「え、あ」
「まぁ、暇だったら付き合ってくれ。仲間が増えた方がきっと楽しいからな!」
アイシアが戸惑ってる内に杏があっという間に脱がせに掛かる。
それに対して彼女は驚いたように「ひゃっ」と声を上げて顔を朱色に染めた。
「じ、自分で脱げますよ雪村さん! なんで脱がせるんですかぁ!」
「別にいいじゃない、女同士だし。肌の触れ合いってとても大事な事だと思わない?」
「ブラ! ブラは自分で脱ぎますっ!」
「だから遠慮なんかしなくていいのよ・・・・ふふ」
「あ、天枷様・・・あれは、一体」
「あー・・・別に本気で同性愛者って訳ではないから安心してくれ胡ノ宮。おふざけだよ、うむ」
「し、しかし・・・・」
「う、うむむ・・・・」
「あら、可愛い乳房をしてるのね。私よりも形が綺麗だわ、さすが北欧の少女」
「だ、ダメぇ~~~!」
美夏と環は申し合わせたように、杏からそっと距離を置いた。
背後から抱き付きねちっこく蛇の様に絡みつく杏。手を脇の間からするっと忍び込ませ器用に衣服を剥いで行く。
アイシアも懸命にそれを阻止しようと反抗するが、それが全部無駄に終わってしまう。力を入れようにも体制を崩され腰に力が入らない。
あっという間にアイシアは服を脱がされ巫女服を着せられてしまう。涼しげな顔をしている杏に比べ、アイシアは息を乱しながらぐったりした。
「はぁはぁ・・・・うぅ、なんでこんな事に」
「環さん、ちょっと舞のやり方を教えてやって下さらない?」
「え、えぇ。ではアイシアさん、こちらに」
「は、はい」
何十年ぶりかの巫女装束。着てみると昔の日々を懐古してしまう程にその着心地は懐かしいモノがあった。
アイシアはとりあえず環から一通りの手順を教えて貰い、何度か大幣を振るう。しゃんしゃん、と紙同士が擦れる音が教室に響いた。
「はい、結構ですよ」
「え、もういいんですか?」
「ふふっ、最初にしては随分お上手でしたから。後は慣れだけですね。前にもこういう経験はお有りだったんですか?」
「・・・ちょっとだけ、ですかね」
「おお、そうなのかアイシア」
「まぁ海外の人の方がこういうのはやった事あるかもね。物珍しいし」
正直に言おうかと少し逡巡したが、別に嘘をつく事はないだろうと思い正直に返答した。
その返事に満足したのか―――環はうんと頷き、巫女部の部員達の方に振り返し姿勢を正した。
「雪村様に天枷様、それにアイシア様と今回は強力な助っ人に来て頂いてます。明日に控えたクリパは絶対に成功させましょう」
「はいっ!」
それに釣られる様に部員も背筋を伸ばし元気よく返答した。
最初は興味本位で入部した部員が大半だったが、活動していく内にいつしか嵌り込んでしまった部員も大半。
自分達の活動が明日のクリパで芽を結ぶと意気込むように目を輝かせている。
「あの、天枷さん」
「ん、美夏でいいぞアイシア。義之の、まぁ、大事な人という事で信用は置いてるからな。ファーストネームでいい」
「ど、どうも・・・・では美夏と。美夏はこういう事は初めてではないのですか?」
「初めてだぞ。巫女装束というのも初めて着るし大幣とかいうあの杖みたいな物も初めて触ったぐらいの素人だ」
「それにしては大分環――――さんの信用が置かれているみたいですが?」
「ああ、その事か」
美夏は得心したように軽く目を開かせた。巫女の分野である舞と祓詞、それらを真似事でも真似するのは難しいからである。
環が強力な助っ人と言うからにはそれらを高基準でクリアしているという事。その事にアイシアは疑問を持っていた。
「美夏はロボットだからな。一回その動きを見れば真似する事は簡単だし、言葉を覚える事だって簡単だ。そういう風に作られたからな」
「え、い、今のロボットってそんなに凄いんですか?」
「美夏は最新型だから規格外といえば規格外だが・・・・まあ、今時のロボットは大体出来ると思うぞ、うむ」
「わぁ・・・」
アイシアの記憶ではロボットといえば天枷美春だった。彼女がロボットだと知った時は引っくり返りそうな衝撃を受けた覚えがる。
あの時代でロボットといえば二足歩行もままならない人形を指していた。旅をしている時は何度かすれ違った事もあったが知識はまるで無いアイシア。
天枷美春の件は魔法の影響もあったみたいなので例外中の例外だが、それが五十年経った今では例外では無くなっている。素直に驚愕してしまった。
(今時のロボットって凄いんだなぁ・・・・何かカルチャーショック)
そういえば美春は外見こそ精巧な作りだったけど、よく煙を吐いてたっけ?
バナナを食べれば直るって純一から聞いた事がある様な気がしたけど・・・今思えばそれこそ魔法の力だったのかもしれない。
だってバナナで故障が直るなんてあまりにも――――――
「ん・・・なんだか焦げ臭い様な・・・」
「そうか? 美夏は何も・・・・あ」
「どうかしました、美――――」
辺りに視線を回し匂いの発信源を探っていたアイシアが美夏の方に振り返り、唖然とした。
目が明後日の方向に向き身体を頼りなくおぼつかせ千鳥足気味の美夏。それはいい、問題なのはその頭から噴き出ている『煙』だった。
まるで煙突の様に煙を吐くその姿――――アイシアは慌てて駆け寄り美夏を抱き抱えた。
「だっ、大丈夫ですか!?」
「い、いや・・・・だめ、っぽい」
「どうしたのかしら――――って!」
「な、何事でしょうか・・・」
「どうかしたんです・・・か」
その異変に気付いたのか続々と人が集まり、言葉を失ったかのように絶句した。
人が頭から煙を出すなんて普通では無い。その余りの異常な光景に場が波打ったかのようにざわめいた。
杏は美夏がロボットという事も知っており何が原因でこうなっているのかを把握しているので、勤めて冷静にアイシアに語りかけた。
「アイシアさん」
「雪村さん、これって・・・!」
「落ち着いて聞いて頂戴な。美夏はね、バナナミンという栄養素が無いとすぐオーバーヒートを起こしてしまうの」
「ば、バナナミンですか?」
「美夏に必要不可欠な栄養素―――バナナ。いつもなら携帯してるんだけど・・・今日に限って忘れてきたみたいね」
「・・・・」
一瞬、科学とは何だろうとアイシアは思案に耽ってしまう。
「アイシアさん、魔法でどうにか出来ないかしら? 本当に普通のバナナでいいのっ」
「わ、分かりました、やってみます」
「お願い」
「きゅ~~~・・・・」
バナナという果物の形をイメージする。より鮮明に、分かりやすく、外回りを線でなぞり内側へ。
食べた時の味覚も思い出し手に力を込めた。本来ならこういう役割は純一か義之の得意とする分野。
だが自分が出来ないという訳ではない。確かに自分の得意分野は『人形を作る』という事だが、より集中すれば容易い事だった。
「はい、出来ましたっ」
「ありがとう。ほら、美夏、あーんしないさいあーん」
「・・・・あ、あーん」
杏が美夏の口を開けさせ無理矢理咀嚼させていく。それをアイシアは固唾を呑んで見守った。
手応えとしてはまずまずだったがやはり一抹の不安はある。形こそバナナを模っているが中身が完璧かは分からない。
「美夏、どう? 立ち上がれる?」
「・・・・う、うむ」
「ほっ」
どうやら魔法は成功らしい。見る見る内に煙は収まっていき美夏の目に活力が戻って来た。
身体をふらつかせてはいるが足取りはしっかりしている。杏もそれを悟り貸していた肩を離して一息ついた。
しかし未だにバナナで機械のエラーを直すというのはどうなんだろう・・・いや、バナナだからこそなのかな・・・・・。
アイシアは最先端技術とは一体何なのかという観念について思慮に耽り、ハッとした顔で後ろを振り返った。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
一部始終を見て固まっている環。部員達も同じ様に身動きせず目を見開かせたままだ。
魔法という存在がバレると同等ぐらいにマズイものを見られた――――言い訳のしようがまるでない。
杏も頭をフル回転させるが上手い対処法が思い付かない。トリックだと言い切るにも白々しく聞こえるだろうし何も無かった
かの様に振舞うのも今更過ぎる。
美夏もこんな時に迂闊な事をしてしまったと激しく後悔した。義之が来てから気が抜けたのかもしれない。いつもなら肌身離さず
持ち歩いている自分の必需品を忘れてしまうとは間が抜け過ぎていた。
場が静寂に包まれ、皆の視線が美夏達に注がれる。
理解できない物を目にした時の反応だった。
「あ、あの・・・天枷様は、一体」
「―――――仕方無いわね」
「え?」
「頼んだわよ、アイシアさん」
「後で謝る。任せたぞ、アイシア」
「・・・・しょうがないです、か」
「え? え?」
杏と美夏、アイシアの考えが一致したのか――――淀みなく環達の前に立ちはだかるアイシア。
何が何だか分からないといった呈で環は二人の顔を見比べ、冷や汗を垂らした。
「あー大丈夫ですよ、環。昔と違って今は魔法の成功率は高くなってますから」
「ま、魔法?」
「ごめんなさいね、でも大丈夫だと思うから」
「元はといえば美夏の不手際の所為、すまないな」
「いきなり謝られても、い、一体何が起こったのか説明を――――」
「いきますよ」
アイシアの掛け声に美夏と杏は目を瞑り明後日の方向に顔を背けた。
そして・・・・・。
「今見た事、全部忘れて下さいーーーーーっ!!」
手の平を環達に向け、輝かしい光の奔流を生み出したのだった。
下に空があり上に地が見える。
「あ・・・」
まるで遊園地に置いてあるメリーゴーランドみたいにクルクルと。一体自分はいつからそんな遊具になったのか。
人を楽しませるにはまるで向いて無いこの性格、何の冗談かと思う。悲痛を与えるよりも歓喜を与える難しさを説いたのは誰だったか。
ああ、何故こんなにも自分の場合に限って物事がスムーズに進まないのか疑問に思う。運のツイて無さは折り紙付きだが、何もこんな時に。
「――――が、フッ」
羽が折れ墜落した鳥みたいに背中から地面に叩きつけられ、肺から空気が漏れる。
一瞬呼吸困難に陥った。気が遠くなり吐き気を感じながら遠くなる意識。視界がどんどん暗転していく。
「ぐっ・・・・ゴホッ!」
肺の辺りを思いっきり殴りつけて呼吸を再開させた。すぐに立ち上がろうとしたが生まれたての子羊みたいに頼りない。
よろよろしながらもなんとか両足に力を入れて、ヘソを中心に活を入れた。こんな所で気を失っている場合では無い。
ぼやけた視界を頭を振ってクリアにさせる。まだだ、まだ体は動く。両足が折れて芋虫みたいに惨めになってでも這ってやる。
「くそったれが。今の不意打ちに反応出来るとはさすが魔法か。オレは戦士タイプだから相性悪いな」
「・・・・・」
相手に背を向けたまま紡ぎ出す義之の軽口に反応せず茫然とした顔で義之の姿を見詰めている芳乃さくら。まるで信じられないといった顔だった。
今の今まで楽しげに談笑を交わし、交流を深めていた筈なのに何故かいきなりナイフで斬り付けられていた。急な変化にまるで付いていけていない。
絶対的な味方になる筈だった自分の息子。その子が手に武器を持ち襲いかかってくる。信じたくも無い現実だった。
「――――しかしなんでオレは宙を舞ったんだろうか。ナイフが目に当たる直前何かに身体が弾かれた様な気がする。まるでトラックに跳ねられた
みたいな感触だったが、それにしては柔らかかったな。一回トラックに轢かれて死んだ事があるから分かる」
「・・・・なんで」
「これは確かめてみないと――――な」
立ち上がる直前で拾い上げた石を、振り返りざまに抜き打ちで投擲させた義之。
直前のモーションを出来るだけ短くさせて投げたのでこれを躱せるとなるとボクサ―か野球選手並みの動態視力が必要になる。
ましてや茫然自失で心の準備が出来ていない相手では当たって当然、躱せる事など到底不可能な速度と角度だった。
そして当たる直前―――突風が吹いたかのように芳乃さくらの周りを風が覆い、投げた石つぶてが先程の義之と同様に勢いよく上に打ち上げられた。
「・・・なるほど。自分に危害が加えられそうになると自動的に防御反応するのか」
「なんで、なんで」
「茜の攻撃はヒットしたみたいだから、それ以降そうなるようにした。さすがに学習はするか」
僅かに残っている熱傷の痕を見てそう判断する。一度痛い目をみたら二度は合いたく無い。さすがにそこまで舐められてはいなかったようだ。
先程の石が音を立てて脇の地面に落ちる。ちらっと視線を送ると石は地にめり込んでいた。人間が何メートルも宙に打ち上げられるのだから
当然の話だった。その事をしっかり記憶し、義之は相手を見据えた。
「さて、どうしたもんかな」
「なんで、なんで、なんで・・・・・・どうして」
「おっと」
ふらっとまるで幽鬼のように近付いてくる芳乃さくらに義之は距離を開けた。
相手の持っている持ち札は明らかに自分より多い。そんな相手に近付く事を許すのは自殺行為だった。
しかし、そんな義之の考えに気付いているのか気付いてないのか――――構わず芳乃さくらはふらふらと距離を縮めようとする。
「ねぇ、なんで」
「・・・・・・」
まるで子供だ、と思う。見捨てられた子犬みたいに寂しがり思考が状況に追いついていっていない。
手を宙に掲げてオレの体に触れようと彷徨わせている。
「なんでさっきボクの事を攻撃しようとしたの? 目なんて斬られたら大怪我しちゃうよ? 危ないんだよ?」
「大怪我させようとしたからな。目が潰れたらさすがに魔法は行使出来ないだろ? アイシアに聞いた話だと魔法を行使するには
集中力が定まらないといけないらしいからな。まぁ、オレは和菓子出すのにそんな苦労はしねぇけど」
「な、なんでかな・・・理由が分からないよ、にゃはは」
「本当に分からないのか? それともオレを舐めているのか、どっちだ?」
語気を強めて吐き出したその言葉に、本当に訳の分からないといった顔をする相手。
少し考えれば分かる事。それなのに分からないという事は――――余程動転しているのか、または心底屑なのかどちらかだ。
目を周囲に配りながら距離を一定に開けている義之。状況は変わらず、まだ相手の方が優勢で自分は劣勢といった具合だった。
「お前は茜達に手を出した。魔法という普通の人間にとっては脅威になりえる卑劣な手段でな。例えて言うなら丸腰の相手に銃で発砲
した様なもんだ」
「し、仕方ないじゃんっ! だってあの子――――」
「オレの言った事がまだ理解出来てないらしいから簡単に言ってやる。お礼参りだ。アンタの好きなヤクザ映画でもよくやってたろ?
仲間を傷付けられ、または誇りを汚された任侠者が仕返しをする。オレはヤクザじゃないが、お前をブチのめしたいと考えてる」
「・・・・」
その言葉に俯く彼女。髪で隠れて表情は見えない。歩みは止まり一定の距離が保たれたまま義之は次の行動を考える。
(けど殴ったり蹴ったりは出来ねぇ、またあの風で吹っ飛ばされるのがオチだ)
外面上は余裕ぶってはいるが策が何も思い付かない。こんな事なら早く由夢に上着を返して貰えばよかったと義之は舌打ちをした。
いや―――スタンガンやナイフが通用しない以上、普通の物では何も役に立たない。返って武器を持っているという安心感から判断を
誤る可能性がある。だったら素手の方が緊張感を保てた。
本来なら最初の不意打ちで全て決まる筈だった。ナイフで目を奪い、その後に足の腱を切って身動きさせない予定を組んでいた。残酷
かもしれないがそこまでしないと安心出来ない。彼女が本気を出せばオレなんて紙キレの様に簡単に死ぬからだ。
「・・・・・はぁ」
(関節を極めるのも難しいな。そもそも近付く事さえ出来るのか・・・。口で誤魔化そうにも、もう手遅れだ)
「そっか、そうなんだね」
(入口まで遠いな。逃げるにしたって時間が掛かる。今の状況で背を見せるのはリスキーだ。アイシアか音姉が通りかかるのを待つか?)
「君もあの人達と一緒で、全くボクの事を考えてくれないんだね。本当に自分達がやってる事が正義とか思ってるんだね」
(いや、そんなの運否天賦だ。運に任せる程オレは頭がハッピーじゃねぇ・・・・やっぱり無理をしてでも一回撤退した方が――――)
「もう怒っちゃった。もう一回吹っ飛んでよ」
体に先程と同じような感覚。柔らかいスポンジを当てられた感覚がした――――と、同時に体が吹き飛んで壁に激突した。
パラパラと壁の破片が地に落ちるぐらいの衝撃。一回目は耐えられたが二回目は耐えられなく、胃の中の物を無様に吐き出した。
「あーあ、汚いなぁ。せっかくの綺麗な中庭が汚れちゃうじゃん」
「・・・がっ、く、はぁ、はぁ、はぁ・・・・げほっ」
「土下座か切腹すれば許してあげるかも。でも、ボクは寛大だからねぇ、まぁ地面に額を擦りつければ――――」
「くたばりやがれ糞女。腹切りたいなら自分の腹かっ捌けよ。きっと笑えるぜ」
「・・・・もう許してあげない。君が悪いんだからね」
立ち上がろうとした瞬間、またもやさっきと同じ魔法による突風で壁に叩きつけられる。
混濁する意識、精神力でカバー出来る範囲では無い。実際に一瞬だけ、ほんの二秒ほど義之は意識を失った。
体が前のめり倒れ、地面に体が衝突した衝撃でまた意識を取り戻す。吐瀉しながら起きる感覚にまた吐き気を催した。
「ボクを裏切った。これ以上無いぐらいなまでに最悪の方法で」
「はぁ、グッ・・・ごほっ、あぁ、くそが・・・・」
「楽しく会話をして相手を完璧に油断させる。ボクはね、君を物凄く信頼してたんだよ? それは君も気付いてた筈。気付いて
いながら虎視眈々と隙を狙っていた。あまつさえナイフでボクの目を切ろうとしたその残虐性。覚悟は出来てるんだよね?」
「・・・ちっ、うっせーな。勝手に信頼を押しつけてきて相手に見返りを求めるなよ。これだから女は・・・かったりぃ」
「・・・・・」
「ガッ――――」
先程落としたナイフが肩に深々と突き刺さる。その衝撃と鋭痛に義之は吐き出す様に声を上げた。
肩から血を流し、服は吐瀉物と血で汚れ、意識も朦朧・・・わずか数分でその有様は激変していた。
義之が視線をふらつかせながら前を見ると、掲げた手を満足そうに下ろす相手の姿。魔法で飛ばしたのがすぐに分かった。
「くっ、そが」
それでも考える。この状況を打破出来る策を、行動を、状況を。
痛さで考える事を止めたらこのまま死ぬ。一方的に蹂躙されながら轢かれた小蟲みたいにボロボロな姿になりながら死んでしまう。
もしかしたら心のどこかで相手を舐め切っていたのかもしれない。魔法なんてどうにかなる、オレの方が相手を上回っていると・・・・。
頭は冷静さを保っているつもりだったがそんな心の油断が今の状況を生み出していた。後悔しても遅い。時間は巻き戻しには出来ない。
「あーあ。せっかくボクの寂しさを分かってくれる人が現れたと思ったらコレだよ。人が良いのも問題だね、世知辛い世の中なのだー」
「・・・・聞いた、話だとよ」
「ん? まだ喋れるんだ。意外と根性あるんだね。最低の人間な癖に」
「オレは、最低の人間だ、よ。皆その事を・・・・忘れてるけどな」
四肢に力を入れて立ち上がる。座ったままだと思わず眠っちまいそうだ。
相手の顔を見ると余裕綽々のムカつき顔をしている。横っ面を殴り飛ばしたい所だが、出来ないのがとても悔しい。
ここまで良い様にされたのは初めてだ。必ず殺してやる。痛さと怒りで頭が沸騰するぐらいにイカれた感情が渦巻くのを感じた。
「で、なんだっけ・・・か。皆が自分の事を分かってくれないから今回みたいな騒ぎを起こしたんだっけか。そしてお前は癇癪を起
こしたガキみたいにいじけている。さっさと首吊って死ねよ」
「あーそんな事言うんだ。また痛い目みたいのかなぁ?」
「自分の事・・・そんなもの言わなけりゃ分からねぇよ。何の為に口が付いてるんだか分かりやしねぇ。今までの人生で何を学んで
きたんだかウチの母ちゃんはよ」
「君には理解できないよ。何十年間も一人っきりという絶望感を知らない。自分と同い年の人間が段々老いて行って普通の暮らしを
営んでいる事がとても妬ましい。誰かにその話を打ち明けられ事も出来ず、自分の心の中に仕舞う事しか出来ない苦しさを」
「だから引き籠り、か」
「悪いかな? これは自分で選んだ選択肢。誰にも強要されず、言われた訳でも無い。覚悟だってして――――」
「あー引き籠りが何か喋ってるなぁ、キモい上にうざったてー。一人で壁にでも喋ってろよ」
「―――――ッ!」
オレの言葉に顔を朱色の染め上げる彼女。余程頭に来たのか、口をワナワナと震わせている。
だがこっちも負けないぐらいに怒りで頭がどうにかなりそうだった。自分でも苛立ちで目がヒクつくのが分かる。
「大体それなら何故オレの名前を呼んだ? 学園放送で」
「え・・・」
「さっき覚悟をしてると言ったが、なら何故こんな事態になっている。アイシアとオレとは違ってあの女共はココに来たくて来た訳じゃない。
あのどこでもドアは誰でも入れたって事だよな? オレをこの世界に引き込む為に」
「・・・・・」
「なぁ、教えてくれよ。覚悟をしてるなら何故こんなにも『中途半端』なんだ? 何故尾を引いてしまう様な状況を作ったんだ? 馬鹿なのか?」
「・・・それは」
「なんでかって―――――聞いてんだよこの野郎ォオオーーッ!!」
「・・・・ッ!」
喉が震える程に叫ぶように大声を上げた。その声に少し気押されたのか体をビクッとさせて一歩後ろに下がる芳乃さくら。
そう、さくらさんが完璧にこの世界に閉じこもれば誰にも手出しは出来ない筈だった。魔法使いもどきのオレでもさくらさんの
力は分かっているつもりだ。恐らくアイシアと同等ぐらいの力を持っているだろう。
それなのに今の状況――――音姉達が普通にこの世界に入り込み、力押しながらでもオレとアイシアはこの世界に来れた。普通
なら有り得ないと思うその状況、明らかに躊躇いを感じているのが分かる。
誰かに止めて欲しい、それは違うんだよと言って欲しい、寂しさを分かって欲しい。大方そんな気持ちでこの世界を作ったのは
間違いが無い。あまりの中途半端さにイライラが募ってくる。
ここまで来て芋を引っ張っている自分の母親。呆れを通り越して腹が立つ。
白にも黒にもなれないオセロの石。そんなものに使い道など無い。叩き割られるだけだ。
「お前は自分でも何が正解なのか分かってねぇんだろ? 馬鹿みたいに行動の軸がブレっ放しだ。その内軸が外れて明後日の方向に飛んでいきそうだな、オイ」
「そ、そんな事言っていいのな?」
「あぁ?」
「さっきから黙って聞いてれば物凄くボクに文句を言ってるんだけど、その文句は全部自分の保護者―――学園長の芳乃さくらに言ってるという事と
同義なんだよ? その辺はちゃんと理解してるの? ねぇ」
「・・・? 全部そのつもりで言ってたんだが?」
「え――――で、でも君はお母さんといえる芳乃さくらの事を慕っていたんじゃないの? それなのに馬鹿とか、き、キモいとか・・・」
「馬鹿を馬鹿と言って何が悪いんだ? んだよ、いきなり訳の分からない事を言って」
「・・・・・・っ」
本当に訳が分からないといった顔で眉を潜める義之。その姿に唖然とするように芳乃さくらは口を半開きにさせた。
義之の中では確かにさくらは尊敬に値している人物だと思っているが、今回の事に関しては一歩も譲らないといった具合だった。
別に盲目的に信仰している訳ではない。彼は彼の価値観を持っているし、それをさくらと一緒にしようなどとは思ってもいなかった。
「もしかして自分が馬鹿だと気付いていない馬鹿なのかお前は? だったら全ての行動に納得がいく。オレは頭が良いから馬鹿の行動を
読めないし気持ちも分からない。なぁ、そうなのか?」
「き、き、君ってやつはぁ・・・!」
「あぁ、図星を突かれたから怒ってるのか。なんだ、また魔法でオレを攻撃するのかよ。芸が無いな」
「君がそれを、お望みならねっ!」
もう頭に来た――――今度壁に叩きつけたら死ぬかもしれない。だが、どうでもよかった。
ここまで侮辱されたのは初めて・・・・もう彼の姿しか見えない程までに視野が狭まっている。
手の掌を相手に向ける。桜内義之。もう立っていられないのか、とうとう膝を落として頭を垂れた。
「最後に何か遺言みたいなのがあれば聞くけど?」
「そんな耳糞が溜まった耳で何が聞けるんだ、えぇ? ヒス女」
「そう、じゃあね」
最後までその姿勢を貫いたのは称賛は出来るだろう。
何時命乞いをするのか楽しみだったが・・・・まぁ、いい。死んでしまえば過程がどうだろうと一緒だ。
あとはさっきとまた同じことをするだけ。もう止める事は出来ないし、止められない。人が死ぬ所を見るのは始めてだ、少しドキドキする。
そして目を細め、狙いをつけて魔法を放つ―――――瞬間、視界を黒の色が覆った。
「はぁ、はぁ、はぁっ」
「・・・・っ!」
「ちょ、いきなりどうした、のよアイシアさん! それに環さんも!」
「おいおい! ちょっと待ってくれ!」
先頭を切って走り出す環にアイシア。息を切らせながらも止まる様子が無く、更に走る速度を上げた。
何処かに向かって懸命に走り出す環と、口を真一文字に引き締めて汗を流すアイシアに杏と美夏は面喰らいながらも後を追いかけた。
魔法で部員の記憶を消し去って、さて活動を再開しようとした矢先の出来事。杏は訝しげに二人の様子を観察しながら口を開いた。
「タダ事じゃないのは分かるけど、それにしたってちゃんとした説明を――――」
「後で言いますっ! ごめんなさい!」
「・・・・」
取り付く島もない。環さんはこちらの言葉が聞こえないのか前を見据えたまま足を前に動かしている。
はぁ――――肉体労働は私の分野じゃない。走るのなんて以ての外。自慢じゃないがこんなに走るなんて春の体育祭以来だ。
それに状況を説明して貰えないのも辛い。判断材料が何も無ければ知略や戦略が立てられない。もし緊急事態だった場合即座に対応する事は難しくなる。
二人の真剣な顔付きを見やる―――疑いも無く緊急事態だろうという事は察しが付いた。
しかし無駄話なんか出来ないという二人の走りっぷりに、杏は短くため息をつく。
「はっ、まさか私が置いてけぼりを喰らうなんてね」
「ご、ごめんなさいっ。本当に後で言いますから・・・」
「・・・・・」
「ううっ」
「まぁまぁ、杏先輩。何だか知らんが先を急いだ方が良いんじゃないか?」
変化する状況にまるでついていけないのは面白くない、言外にそういう視線を杏は送り、アイシアはその鋭い視線に呻いた。
美夏はそんな杏をなんとか往なしながら考える。いきなり取り憑かれた様に何の合図も無しに駆け出した二人、明らかに普通じゃない。
いや・・・強いて言えば前兆はあったように思える。駆け出す直前、会話の中で二人は急に黙り込んで同じ方向に顔を向けた。
視線の先は確か――――中庭だった気がする。
そこに何かあるのだろうか・・・・?
「あっ、アイシアさん!」
「音姫さん!」
渡り廊下を曲がるとそこには同じく息を切らせていた音姫が居た。
顔は真っ青になり、額に冷や汗を掻いているのが見て取れる有様。彼女もまたアイシア達と同様、何かを感じ取っていた。
そしてその後ろからはエリカと由夢、茜が慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。もう全員が全員汗だくな状態だった。
「ど、どうしたのよぉ~音姫先輩・・・って」
「茜達も来たのね。その様子だと碌な説明はされて無さそうだけど」
「せ、説明も何もあったもんじゃありませんわ!」
「いきなり走り出すんだもん、お姉ちゃん・・・」
「と、とにかく急いで行かないとっ!」
「あっ」
止まってた足を再度駆けださせた音姫に、唖然とする彼女達。慌てて音姫の後を追う。
アイシアと環は音姫達の姿を認めながらも止まらず遥か前方を走っていた。その遅れを取り戻すかのように音姫は再度トップスピードに入る。
そして運動が得意ではないアイシアは、気を抜けば膝が着きそうな程息切れをしていたがそれでも足を止めなかった。ちらっと横を走る環の顔を見る。
(確か環は危険を察知する予知能力がある。きっとそれでこの異常事態を察知したんだろうな)
尋常じゃ無い魔法の力の奔流。背筋が冷たくなるほどの悪質な力。それを中庭で私は察知した。
恐らくはさくら―――力の流れ具合から察するに誰かに危害を加えててもおかしくは無い。
皆の話を聞いてるとちゃんと善悪の判断が付いているのか怪しく思えていた。
「枯れない桜の木・・・」
まだ『あんなもの』に頼っているのかと、アイシアは憤慨に似た気持ちを抱く。
実際に自分でも痛い目を見て、さくら自身もアレで痛い目を見てきた。それなのにまだ我執に囚われるなんて・・・・。
それほどまでに切羽詰まっていたのかもしれないが、それでもさくらの行動は間違ってると言えた。
さくら――――そろそろ前を向いて歩きだして行かないと、今度は痛い目じゃ済みませんよ。
「くぅ・・・・っ」
重い、なんて重いんだろう。
外見は細身で体重がある様には見えなかったけど、やっぱり男の子なんだと感じた。
体を震わせながら懸命に肩を貸して歩かせる。なるべく中庭から離れないと行けないのに・・・。
「アリス、大丈夫かい?」
「へい、き」
「とてもそんな風には見えないよ。さすがにここまでは追って来れないと思うから、少し休憩しよう?」
「でも・・・」
「無理をして一緒に倒れたら元も子も無いだろ。そこに理科室があるから、準備室に隠れたらさすがに大丈夫だと思うよ」
「・・・・・」
足取りをその方向に向ける。やはりこのまま彼女を振り切る自信が無かった。ふらふらと彼の体を引き摺りながら教室の中へ入る。
ちょうど昼休みの時間が被ったお陰か、誰もいない理科室。クリパで使う材木や小道具が散材している。準備室の中を見ると同じ様子だった。
とりあえずそこに彼の体を横たえて、一息を付く。そして準備室の出入口をテーブルで押さえて私自信も座り息を整えた。
「ふぅ・・・」
「まったくっ、アリスもお人好し過ぎる。よくあんな状況に突っ込んで行けたね。ボクは止めたのに」
「・・・さすがに放っておけないよ。きっとあのままじゃ・・・死んでた、と思うし・・・」
若干濁す様にその言葉を喋る。
人が死ぬ――――現実ではまず見掛けない光景だが、偶然にもそれを間目の辺りにしたアリス。思い出すだけで体が震えるのが自分でも分かる。
圧倒的な悪意で蹂躙される人間、あそこまで酷いものだとは思わなかった。吐瀉物を撒きそれを満足そうに見る金髪の女の子。怖かった。
「人が飛ぶなんて光景はまず見られないしね。一体全体どうなってるんだか・・・」
「もしかして・・・超能力とか魔法、とか?」
「まさか。そんなものが存在するとは思えないよ。非科学的過ぎる」
「そ、そう・・・」
自分の友人のあんまりな台詞に少し返答に困りつつ、横になっている男の子の顔をハンカチで拭く。
血と吐いた跡で汚れるが気にならない。そんな事を気にする性格では無いし少しでも苦しそうな顔が和らげば良いと思った。
「なんでその男の子を助けたんだい? きっと不良だよ、アリスの嫌いな」
「――――不良じゃないと思う」
「えー」
「確かに怖いけど、そういう人達とは何か違うよ。精神が強いと思うしプライドが高いと思う」
「まぁ、根性はあるよね。あの状況でも狼みたいな目をしてたし」
「うん」
あの場所で何が起きていたかは今でも理解出来ないが、それだけは分かった。
あそこまでボロボロにやられながらも竦み上がる事も無く牙を剥き出しにしながら視線を突き刺していたのは驚きを覚える。
見え隠れする自尊心の高さ。ただの不良があの場面で真っ向から口を返す事が出来るだろうか。死ぬ直前でまだ相手の目を見据えていられるのか。
今まで見た事の無い人種。またハンカチで顔を拭った。ピロスはため息を吐くと言わんばかりに呆れた声を出す。
「プライドが高いのは確かだけど、同時に馬鹿の可能性もあるよ。あの状況になっても恐怖を感じないなんて」
「私は、凄いと思うけど・・・」
「きっと自分は死なないと思ってるタイプの男だね。いるんだよ、こういう人間がさ」
「――――もしかして、ピロスはこの男の子の事、嫌い?」
「さてね」
ふてくされた様に黙るピロス。彼からしてみればあまりアリスにはこの人間とは関わって欲しくないと思っていた。
不思議な力で吹き飛ばされる男にサディスティックな笑みを浮かべる女。先の光景を思い浮かべるに厄介事に巻き込まれるのは確実だった。
一回助けて貰った恩義は確かにあるが、釣り合わない。下手をすればこちらも大怪我をするのは必至。今度は自分達がこうなってもおかしくはない。
「それにしても起きないなコイツ。死んではないと思うけど」
「呼吸はしてるよ。多分気を失ってるだけ」
まぁ、アリスはきっと覚悟はしてるんだろうな―――とピロスは諦めにも似た感情を抱く。
どこか儚げにも見えるが芯が強くて優しい女の子だ。今までの人生が普通とは言い難いだけにそれは分かる。
「そうだ、そこのマジックで悪戯書きでもしちゃおうよ。きっと面白いぞ」
「だ、駄目だよ。可哀想でしょ」
「一回この男には怖い目を見せられたからね。それにさっき助けてあげたしこれくらい・・・」
と。
「悪いがオレのキャラじゃねぇな。他当たれや、物の怪」
「おわっ!?」
「きゃっ!?」
「よっと・・・」
何時の間に目を覚ましていたのか――――吐き捨てる様に言葉を吐きながら、義之はだるそうに体を起き上がらせてしかめっ面をつくった。
まだ先程の怪我の痛みは引いて無く、鈍痛が体の随所で続いている。もしかしたら折れているかもしれない。ため息を吐いてアリス達に視線を移した。
「あとついでに言っておくけど恐怖を感じない訳じゃない。誰だって死ぬ事には恐怖を覚えるし、実際に怖いとも思った。だけど恐怖を上回る
感情があったからあの場面でもオレは立ち上がる事が出来た。その感情って何だと思う?」
「・・・えっと」
「怒りだよ。頭に血が昇って心臓に降りて行くその過程がとても大事だ。よく血の気が失せるっていうだろ? それとはまた逆だからな」
「お前も随分しぶとい男だなっ、よく喋って元気そうだぞ」
「カラ元気だ。気を抜いたらすぐぶっ倒れそうだから喋ってる。そういえば喉が渇いたな、少し吐き過ぎたかもしれねぇ」
「あ、こ、これ、どうぞ」
「おう、ありがとうな」
アリスからスポーツドリンクを受け取りそれを喉を鳴らして飲む。はぁ、とため息をつき喉が満たされていくのを感じた。
あれだけ吐かされたのは初めてだ。思い出すだけで頭の血管が切れそうな程頭に来ている。今まで舐められた事はあるがあれは格別だ。
魔法で玩具みたいに弄ばれた・・・このオレが。あんな小柄な女に手も足も出ないのはかなりの屈辱―――絶対にこの借りは返してやる。
「あぁ、落ち着いたよ。何から何まですまない、本当に」
「別にいいですよ・・・・え~と・・・」
「義之、桜内義之だ。好きなように呼んでいい」
「あ、はい・・・気にしないでいいです、桜内先輩」
「しかしどうやってオレの事を助けたんだ? あの状況でオレを連れて逃げるなんて。どんな事をしたか興味がある」
「あ、た、大した事はしてません・・・・ただ、垂れ幕を被せただけです」
「垂れ幕を?」
「アリスは凄いんだぞ! 昔サーカスに居た経験があるから運動神経が抜群なんだ。最初は二階から君たちの様子を見てたんだけど
アリスが君を助ける為に二階から飛び降りながら垂れ幕を被せたんだから」
クリパで使うであろう垂れ幕を拝借したアリス。かなりの大きさの黒地の布で手に持つのにかなり苦労した。
それにテント地が使われているのでかなりの重さになる。確かにこれを人に不意打ちに被せれば混乱して行動が止まるのは確かだろう。
しかしどうやって被せるか―――――答えは重力に任せる事だった。落下を利用してその勢いのまま相手に覆い被る。作戦は成功だった。
そう聞かされ義之は珍しく目を見開いた。外見が可憐なお嬢様を醸し出していたから意外な真実。第一印象が弱そうに見えたから余計にそう思わせる。
「マジかよ・・・すげぇ運動神経だな。見た目は可愛らしい容姿をしているのに」
「か、可愛い・・・」
「こらっ、このナンパ男! アリスに手を出したら許さないぞ!」
「オレは物事をハッキリ言う男なんだよ。可愛い女には可愛いって言うし、ブスにはブスって言う。あんたハーフか何かか? 普通の
女が見たら嫉妬するくらい顔立ちが整ってるな。雰囲気も儚げでお嬢様っぽいし、モテるだろ?」
「そんな事は・・・ない、かと」
「んだよ、ここの男共も見る目ねぇな。口説き落としてやりたいとか思わないのかね」
義之のストレートな物言いに、アリスは恥ずかしそうに目を伏せる。元々人と会話する事が苦手なだけに今の言葉の数々は羞恥心を
駆り立てるのに十分な威力だった。
そして義之はそんなアリスから視線を周囲に回して数々の薬品棚を見る。今日で二度目の理科室の準備室。見飽きた薬品が並んでいた。
薬品から放たれる独特の匂いにどこか安心感を覚えて、適当に手前にある薬品に手を添える。
「けどアンタ・・・アリスには本当にお世話になった。感謝してもし切れない」
「そ、そんな、当然の事をしたま――――」
「人の命を助ける事を当然の事と言える女なんか中々居ない。気に入ったよ、こりゃ何かプレゼントしないといけないな」
「いや、そんな気を遣わなくても・・・」
「金は無いんだよなぁ。花をプレゼントするにも時間が掛かるし、服もそうだな。見た感じ高級な服とか着そうだから
絶対に海外ブランドだろ? ハーフのお嬢様なら尚更か」
一人ごちて頭を掻く。そんな義之にアリスは少し困った様な顔をして目を忙しく動かした。
いくらいわゆるお嬢様だといってもそんなに服に気は遣わない。花は好きだが、あんまり高い物を貰っても困る。
「いや、マジで何をくれたらいいか分からねぇ・・・。悪いな、いつもならパッと思い付くんだが時代が違うから出来る事が少ない」
「・・・時代が、違う?」
「ああ、そうだ。実を言うとオレは50年以上未来から来た人間だ。この時代は空気が澄んでいていいな、未来は温暖化が進んで
どうにもこうにも出来ない状況にある。CO2削減の為のコストダウンやら省エネ法なんてやっているが、全く本気で実行していな
いんだよ。結局自分達が生きている間は大丈夫だからやる気が無い」
「・・・・・」
「だからオレはこう思う―――やはり世界に愛は溢れて無ぇってな。自分の子供達の為とか皆の為とか全然思ってないんだよ。酷い
話だよな。日本人の場合は愛を囁き合うのが恥だと思っているから、余計に二酸化炭素は増え続ける一方だ。だから愛が育んでい
かない。嘆かわしいと思わないか?」
アリスは茫然とした顔で義之の顔を見詰める。
至って真面目な表情で語りかける様に喋り、首を横に振りながら手を掲げて本当に憂いている表情を作っている義之。
そして――――
「大体時代が進む事に慎みが無くなっていくのはどうなんだろうな。女に限らずだ。最近のヤツは礼儀を知らなさ過ぎて頭に来る。
きっと親に愛情を」
「ぷっ」
「貰って・・・んん?」
「し、失礼しました・・・っ、で、でも・・・ふふっ」
「――――おかしい。今の話に何か変な所でもあったかな? 笑うポイントは無かった筈なんだが・・・」
「あの、み、未来から来たって事を桜内先輩みたいな人が凄い真面目な顔で仰るものですから、おかしくて・・・ふふ」
「いやいや、マジだって。オレは未来から来た未来人間なんだよ。ほら、このアクセなんてこの間発売したばっかのモデルだぜ?」
おかしそうに口元を手で隠しながら笑うアリス。そんなアリスに義之は頭を掻きながらどこか憮然とした態度を取る。
いつもなら怖がられるその様子だが、それが益々シュールさに拍車を掛けてアリスは堪え切れないとばかりに顔を伏せる。
「い、意外と面白い人なんですね。桜内先輩は」
「初めて言われた様な気がするよそんな事。大体はオレの事を酷く言っている。周囲の仲の良い人間でさえな」
「・・・ふぅ」
ひとしきり笑って落ち着いたのか、佇まいを整えて向かい直るアリス。
久しぶりに笑ったかもしれない、と頭の片隅で考える。それ程までに唐突で、意外な発言だった。
まさかこんな見た目不良で気難しそうな性格をしている男の子がそんな事を言うなんて・・・・。
「とまぁ、アリスちゃんに笑いを提供した所でオレはそろそろ行くかな」
「あ、体は大丈夫なんですか・・・?」
「はっきり言って大丈夫じゃないが、動いた方が気が紛れるし痛さで頭の回転の滑りが良くなる。緊張感を保てるしな」
「・・・そうですか」
「ああ、それと」
「はい?」
若干一抹の物寂しさと何もしてやれていない無念の気持ちを抱きながらアリスは視線を義之と合わせる。
義之の目、笑みを潜めて真摯にアリスの事を見詰めていた。姿勢も正してさっきまでのらりくらりとした態度を一変させている。
急な変化にアリスは戸惑い、慌てる様に手を空に所在無さ気に彷徨わせていると固い声を出しながら義之は顎を引き締めた。
「しつこい様だが本当に感謝している。もしアリスがオレを助けてくれなかったら今頃地面の上で冷たくなっていた。アンタはオレの
命の恩人だ。周りが落ち着いたら必ず礼はする。約束しよう」
「あ―――だ、だから気にしないでいいですっ。ああいう状況に出くわしたら見て見ぬフリとか出来ないですし・・・」
「そしてアンタは本当に優しい性格をしている。そういう人間はオレは報われないといけないと思っている。世の中そういう人間は
いつも損ばかりをしているからむかっ腹が立つよな、本当。だから何かしてやりたい。感謝の気持ちを行動で表わしたい」
「は、はい・・・・」
「あとそうしないとオレの気持ちの収まりがつかないという思いがあるから、気にしない欲しい。オレは絶対に礼には礼で返す」
力強くそう宣言し、アリスを見る目がどこか優しさを携えた物になっていた。
義之のその様子にアリスは戸惑いながらも嬉しいといった感情が沸き立つのを感じた。言葉では上手く言えないが、一種の爽快感さえある。
ここまで真っ直ぐに気持ちをぶつけてくれる相手は中々居ない。この人は本当にそう思っているのだと感じさせてくれるのが心地良い。
そして端々から受け取れるプライドの高さ。惹かれる物を持っていると思う。自分達の年代でこういう人間は見た事が無かった。
「だから期待してて待っていて欲しい。いいかな?」
「桜内先輩がそう言うなら・・・それでいいです。感謝の気持ちを受け取らないのは失礼だと思うし」
「ありがとう。さて、本当にそろそろ行くよ。あんまり一緒に居ると面倒事に巻き込んじまうしな」
「・・・桜内先輩が巻き込まれてたあの出来事って、一体・・・」
「知らない方がいい。知ったら巻き込まれる形になる。興味が惹かれるのは分かるが、オレみたいになりたくはないだろ?」
袖を捲り、先に出来た傷跡を見せる。血は止まっていたが思っていた以上の酷い傷跡にアリスはサッと顔色を青めた。
皮膚の表面が擦れたように抉れて肉の部分が見えている。きっと服が擦れただけで痛い筈――――そっと義之は袖を元に戻した。
「アンタみたいに育ちの良いお嬢様がこんな汚い印を付けるもんじゃない。それに助けてくれた恩人を危険な目に合わせるのはオレと
しても座りが悪くなっちまう。理解して欲しい」
「わ、分かりました」
「身勝手な言い分で悪い。じゃあな、この件が終わったらその時はゆっくりと」
「あ・・・」
軽く手を上げてテーブルをどかして扉を潜ってしまう。平気な顔を装ってたが額には脂汗が浮かんでいた。まだ傷の痛みを引き摺っていたのは見て分かる。
だが、止めても結局は行ってしまう事は分かっていたので手を中途半端に掲げたままアリスは少し呆けた様にその場に立ち竦んでしまっていた。
シーンと静寂に包まれる準備室。どこか落ち着かない様にアリスは身をよじって息を吐いた。
「・・・行っちゃった」
「・・・・・」
「ピロス?」
一人きりになって初めて分かった。そういえばさっきから友人のピロスが喋っていない事に。
自分と違ってピロスはかなりのお喋り好きの筈だ。ここまで長い間沈黙を保っていたのは授業を除いて初めてかもしれない。
どうしたのかな―――そう思っていると、はぁ、とため息をついてピロスは途端に軽い口調で喋り始める。
「参ったよねぇー。ボクが口を挟まなくてもアリス、一人で喋れるんだもん」
「え、あ・・・」
「ていうかお喋りが妙に上手いよ。未来から来た云々の話って、多分アリスをわざと笑わせようとしてたよ」
「そ、そうかな・・・」
「ムカつく男だけどそこそこ頭はキレそうな男だよ? そんな事言って信じて貰えるなんて思って言ってないよ。場を和ませようと
言ったんだと思う。姑息な手段を使う男だよ、本当に」
「・・・・」
確かにお喋りは上手いと思う。さっきの会話を思い出すに話のリード権は全部あの人が持っていた。
私の曖昧な相槌をも拾って話をドンドン広げていった気がする。どうりで少し喉が痛いと思っていた。普段余り喋らないのに喋り過ぎたらしい。
何度か咳払いをして喉の調子を整える。随分不思議な人と関わりを持ってしまった。今まで色々な縁で色々な人と出会ってきたが珍しいタイプだった。
「そのうち会いに来るとか言ってたけど迷惑な話だ。ああいう人間はよく災いを持ち運んでくるから気を付けなよ、アリス」
「・・・・・・・・・・うん」
「今すごい間があったねっ! 駄目だよアリス! まだ朝倉純一の方が危険度は少ないよ!」
「あ――――そういえばどこか朝倉先輩に似てた気がする」
「ど、どこがだいっ?」
「顔付きとかかな・・・」
会話の間に『かったるい』とか言ってた覚えがある。聞き違えかな? 性格は似てる様で全く違うが漠然とどこか似てる様な気がした。
出て行った出口の方向を再び見詰める。また会える機会があるから共通点を確かめてみるのもいいかもしれない。冗談を言われる可能性もあるけど・・・。
アリスは佇まいを正していつもの校舎裏へ向かう。顔はいつもどおりの表情だが、その様子はどこか明るさを感じられるものになっていた。
「・・・・誰だか知らないけど、余計な真似してくれるね」
黒生地の横断幕を踏みつけて鼻を鳴らす。
もう少しで追い詰められたものを・・・・突然の介入者で全てが台無しになってしまった。
やたら重い幕をなんとか吹き飛ばし視界を確保したと思ったら既に彼の姿は見えない。恐らく校舎内に逃げたものだと思われる。
「余計なお節介焼き屋さんがいたもんだ。あのままいけばきっと・・・」
殺せた――――その言葉を吐こうとして、止まる。
「・・・・」
いつから自分はこんなに暴力的になったのか。確かに信じていた気持を裏切られたのはかなり頭に来るものがあるが、それにしたって・・・と思う。
この世界を作り上げて最初の段階では、もし邪魔者が入っても暴力行為はしないと決めていた。自分は暴力は嫌いだし、何より人が傷付くのは以ての外。
しかし、さっきまでの自分を思い出すと全く逆の行動を取っている。他人から窘められる行動をしていると自覚していただけに返って混乱を招いた。
「最初は・・・どんなだったっけ。最初の自分・・・この世界で誕生してからの自分・・・・・」
頭が痛くなる。酷い頭痛だ。体の調子は何も悪く無い筈なのに吐き気もする。どこか頭がぽーっとしていた。
自分は芳乃さくらの移し身・・・過去の世界の自分に記憶を移して行動している。うん、それだけは間違いない。
あまり魔法を行使したくないので杉並くんに協力して貰って・・・でも、きっと誰かに助けて貰いたくて放送を―――――。
「あれ?」
助けて貰う? おかしい話だ。自分から望んでわざわざこの世界に来たのにそれは変な話だ。
ノイズが頭を走る。酷いスコールの雨粒が地面を弾くみたいに凄く煩い。その痛さに膝を付く。
「はぁ・・・はぁ・・・ボク――――『私』は・・・」
自分で何を喋っているか分からない。
きっとさっきの義之とかいう男の子の所為だ。あの子が人が傷付く事を言うから頭が変になっている。
そうに違いない。だったら答えは簡単だ。早くあの子を見つけ出して、そして、消えて貰わなければいけない。
そうして体をふらつかせ、頭を押さえながら起き立つ。
こんな事をしている場合じゃない。苦しがっている場合じゃない。
「早く・・・・」
あの子を・・・・消さなければ、いけない。
学校中の音という音が消えた。
クリパの準備で賑わっていた生徒達の声が無くなり、廊下を忙しなく走る姿も見えない。
完全な無人化。ここで動ける者は誰一人としていない――――外の世界の住人は別だったが。
「・・・ま、また誰も居なくなった」
「由夢ちゃん、離れてちゃ駄目だよ。皆も固まってっ」
音姫の言葉に自分達の置かれた状況を悟ったのか、身を固める様にそれぞれ一箇所に集合した。
その中でも抜きんでて前に出ている三人―――音姫、環、そしてアイシア。何かを待ち構えるかのように身構えている。
「アイシアさん、これってやっぱり・・・」
「さくらですよ、悪い方の。桜の木の力を借りないでここまで出来るのは計算外ですが・・・覚悟を決めるしかないようです」
「・・・・」
「環。説明している時間は無いですが、危なくなったらすぐに逃げて下さい。多分手が負えない相手なので判断を間違えないで下さい」
「え、一体どういう―――――」
「いいですね?」
「は、はい・・・」
アイシアの圧迫的なプレッシャーに押され思わず顎を縦に振る環。
予知能力で何か大きな爆発がここで起きると感じ取ってしまった自分。部の皆には悪いが踵を返してここまで走って来た。
そして現場に到着してみたら奇怪な現象に包まれる学校に、何故か事態を理解している風を装っている二人の女の子。
一体何が起きているかを考え――――中断。考えるのは後で良い。ここに危険が差し迫っているのは事実。それを解消してからだ。
「アイシアさん・・・」
「音姫さんも同じです。自分の無理を越えた範疇の行動をしないで下さい。もししてしまったら私でも助けてあげれるか分かりません」
「は、はい」
「・・・」
若干キツイ物言いになってしまったと少し後悔するが、状況が状況だ。許して欲しいとアイシアは心の中で念じる。
相手はあの芳乃さくら。自分よりも魔法の扱いに長けている先輩的な存在。手が汗ばむのを感じ取る。緊張感を保たなければいけない。
気を抜いたらあっという間に自分なんか消え去る可能性があった。義之がいつもそうするように呼吸を整えて、軽くその場でジャンプをする。
「――――よし、来るなら来い」
義之に皆の事を任せられている。そして私を頼りになる人間だと紹介してくれた。義之の面目を潰したく無い。
あの男の子にそれだけの人と認められたからには、例え自分の命に変えても――――――。
「あ・・・」
綺麗な金髪が角の影から形を覗かせた。
その小柄な体をアイシア達の前に現しその姿は悠然、悠々。
アイシア達の姿を見ても何も動じない。不気味な静寂さを包みながら足を歩ませている。
その姿に、アイシアは唾を呑み込み拳をギュっと握らせた。
「来ましたね・・・」
「・・・・」
「さくらさん・・・」
後ろに佇んでいる由夢からもアイシア達に向かって真っすぐツカツカ歩いてい来るさくらの様子が見えたのか、息を呑む。
他のメンバーも頭を覗かせてさくらの姿を捉えて緊張に身を包んだ。さくらは彼女達とは違って何の気負いも無しに足取りをしっかりとさせ
綺麗な姿勢で足を歩ませている。
ただ―――表情は無表情。何を考えているのか分からない顔をしており、口を真一文字に締めている。いつもは朗らかな笑みを携えている
さくらのそんな有り様に、更に場が緊張に包まれていた。
段々近づいてくるさくら。
そしてアイシア達の前まで来て歩みを止め、ツマラナイ物を見るかのように視線を各自に配っていく。
「――――お久しぶりです、と言った方が良いのでしょうか。さくら」
「ん、ああ・・・そういえばそうだね。芳乃さくらが君と再び会うのはもう何十年ぶり。意外とお互いの顔は覚えてるものだね」
「そうですね。私は、まぁ、色々面白おかしく旅をしていますよ今は。気ままに」
「相変わらずだね」
「そちらこそ相変わらず桜の木に翻弄されっぱなしですか。本当にお変わりが無く嬉しいです」
「・・・ふんっ」
鼻を鳴らして腕を組み、顎を上げて挑発的にアイシアを見やるさくら。
対してアイシアは自然体に腕をぶらんと下げて、首を捻ってそれを受け流した。
「随分変わった子になっちゃったね。昔は素直で一直線で――――馬鹿だったのに。ボク残念だなぁ」
「今でも素直で一直線で―――可愛い女の子ですよ、私。さくらと違って」
「えー。ボク結構可愛い系だと思うんだけどなぁ~。この欧米美少女に向かってその言い草は酷いと思ったり」
「私も北欧美少女ですよ。さくらはいつでも自分が特別だと思ってません? 欠点ですよ、それ」
「ああ、今気が付いたよ。こんな私にも欠点があるなんて。人間、案外自分の事なんて分からないもんだね」
・・・・・・さて、どうするか。
素直に魔法で吹っ飛ばしてもいいのだが、果たして力比べで勝てるか自信が無い。
音姫さんに環と私。3対1という図式は中々に強力だと思うが、相手はあのさくらだ。油断は出来ない。
「でもアイシアには言われたくないなぁ。アイシアだって欠点だらけの女の子じゃん」
「私の欠点なんて可愛いものですよ。よくドジを踏むなんて微笑ましいじゃないですか。義之も時々そんな事を言ってくれますし」
「・・・・・義之、ねぇ」
「貴方の息子さんですよ。忘れたんですか?」
「――――聞くのも思い出すのもとても不愉快な名前だね。本当に」
ダンッ、と壁に拳の横っ腹を叩きつけて漂々とした表情を一変させた。
ビクッとアイシア達は虚を突かれたかの様に足を後ろにたじろかせて、息を呑む。さくらの表情はまるで親の仇を見たかのような凄絶なものだった。
眉間に皺を寄せ歯軋りをし、叩き付けた拳が震えている。少なくとも『美少女』と呼ぶ呈はなしていない。気圧されたアイシアにさくらは口を開いた。
「義之、義之くんねぇ、義之、義之か・・・義之、ああ、本当にあの『男』は憎たらしいという言葉じゃ本当に・・・・」
一人で呟く様に義之の名前を連呼する不気味な姿に場がある種の恐怖感に包まれた。
顔を手で覆っているさくら。笑っているのか、怒っているのか、泣いているのか、哀しんでいるのか――――覆った手を離すと、どれでも無かった。
「さっき会ったね、うん。とても良い子だと思ったらとても悪い子で、凄く嬉しくて悲しくて」
「さ、さくら・・・?」
「オマケにボクの事を馬鹿とかキモいとか言ったり最悪なんだ。キモいってあんまり好きじゃない言葉だな、『私』は」
「・・・義之と会ったんですか?」
「ああ、会ったよ。会ったって言ったじゃん。なんで分からないの? 私が気持ち悪いから理解したくないのかな? きっとそうだ、そうに違いない」
「さく―――――」
「ああ、うるさいな、雑音が酷いよ。ノイズみたいにザーザー流れてて五月蠅い。これもそれも全部『義之』を殺し損ねた所為だ、うん」
殺し損ねた――――その言葉に場がざわめいた。
さっきから姿を見ていない彼女達の慕っている男性の名前。想像する光景はどれもこれも考えたくないものだった。
「ちょ、ちょっとあなたっ!」
「ん」
「ば、ばかっ、ムラサキ!」
固まっていた場所からエリカが一歩進み出てアイシアの隣に並んだ。
美夏の制止を聞かず顔は怒りに染まっている。ようやくアイシアが手を掴んでそれ以上進ませる行為を止めた。
もしアイシアが止めなければその襟を掴み上げ詰問しただろうその力ある歩み。さくらはそんなエリカに不思議そうな顔を向けた。
「何か用かな?」
「義之を傷付けたというのは本当かしら? 正直に言って下さいまし」
「え、傷付けたっていうか半殺しにしたよ」
「なっ――――」
「邪魔が入らなければ完璧に挽肉みたいにしてあげたのに。それこそ気持ち悪いよね。一回だけ屠殺場を見学した事があるけど最悪だよ。
このボクでさえ一回吐いたもん。もう二度は見たく無い光景だね」
「こ、このっ・・・・!」
「そんなに怒らないでよ。怖いから」
エリカにスッと手を向けた―――――瞬間、エリカの体がゴムボールのように吹き飛び壁に激突しそうになる。
「エリカさん!」
「ムラサキッ!」
「くっ!」
急いで美夏が間に入り、壁とエリカの間の緩衝材の役割をするようにエリカの体を受け止めた。
ガンッ、という鈍い鉄の音が響き渡り誰かが悲鳴を上げる。壁はパラパラと崩れて埃が舞う程に強烈なものだった。
誰もが最悪の事態を予想する。いくら美夏がロボットとはいえ・・・これでは・・・・・。由夢が叫ぶように声を張り上げた。
「あ、天枷さんっ!」
「そう叫ぶなくても大丈夫だ、由夢」
「え――――――」
「あ、いたた・・・」
「この馬鹿ムラサキ。義之の真似で前に出たんだろうが、逆だ。義之ならあの場合前に出ない。神経質なまでに慎重だからな」
「へ、平気、なんですか・・・・天枷さん」
「言ったろ? 最新式だって。例えトラックがぶつかってこようが美夏にはなんてことはない。まぁ、頑丈さだけが取り柄だからな。これくらいは」
埃を払いながら平然と置き上がる美夏に対して、由夢達は改めて美夏が最新式のロボットだという事を再認識させられる。
エリカにも怪我は無く五体満足のその有様に一同はホッとした思いになった。
「ご、ごめんなさ――――」
「ん?」
「・・・・いえ、なんでもないわ。助けてくれるならもっと早く助けてくれないかしら。髪が少し汚れてしまったわよ?」
「やれやれ。相変わらず素直ではないな」
「だ、黙りなさいっ」
いつものといった展開ではしゃぎ合う二人。音姫はそんな二人を守るかのように即座にその前に出てさくらを見据える。
「こ、この二人に手出しなんか――――」
「・・・・」
「あ・・・」
その視線は音姫を無視して、美夏とエリカに注がれていた。
この状況でも大声を発して騒ぐ二人に・・・寂しそうな、欲してそうな、羨望の色合いが見れた。
思わず茫然としてしまう音姫。さっきまでは恐れを感じていた相手だが、普通の女の子に見えてしまった。
だがそんな表情もつかの間。一瞬でさっきまでの呈を為して、舌打ちを一つ。拳を握り直した。
「さて、もう面倒だから君たちを全員消しちゃうよ。今度は本気の力で。いいよね」
「・・・・なるほど」
「なにかな、アイシア」
「桜の木の力を使ってるつもりが、逆に取り込まれてしまった・・・と。貴方らしくないですね」
「そんな訳ないでしょ。ボクは何時だって完璧だ。私に限ってそんなことはあり得ない、あってはならないんだよ?」
「もう手遅れっぽいですが、仕方ありません。ここで貴方を手っ取り早く卸して、義之を助けに行きます」
「勇ましいねぇ、格好いいよーそういうの好きだなボクは。まるで正義の――――」
風切り音。短く空気を貫いてアイシアの横を通り、さくらの体目掛けて矢が飛んでいく。
そして当たる直前、さくらの体から突風が吹きだし矢があらぬ方向に逸れ飛んで行った。
「――――――どうやらやる気満々の子が居るみたいだし、長話は不要・・・・か」
「あ・・・」
環は自分でも驚いた様に口を茫然と開けて、つがえていた弓を微かに下ろした。
さくらの体からにじみ出ている圧迫感と常軌を逸した振る舞い、言動。それが環の指を動かしたのだった。
人に当てようとした事なんて今まで一度もない。普通では無い状況だが、それでも矢を放った自分に嫌悪しそうになる。
「す、すいま――――」
「別にいいんだよ、胡ノ宮環ちゃん?」
「え」
「だって、これから死ぬんだから。抵抗の一つや二つ、したっていいんだよ?」
手の平を環に向け――――アイシアがその前に立ちはだかり同じく手をさくらにかざした。
お互いの魔法がぶつかり周囲に竜巻染みた風が吹き合う。面々は腕で顔を覆いながら後ずさりし、近くの教室に体を入れた。
この場面で足手纏いにはなりたくない。一同はそう思いつつ、顔だけを覗かせてその様子を見やった。
「中々圧巻な光景ね・・・」
「わぁ、凄い・・・」
「これが魔法の力か。巻き込まれてたら美夏達は窓の外に放り込まれてたな」
「わーお・・・」
驚愕しつつ、その光景を見て語尾を小さくしながら感嘆の声を上げた。
魔法といえばあくまでファンタジーに出てくる不思議なモノ――――そう思っていただけに、見ている光景は仰天的なものだ。
「アイシアさん、手伝いますっ」
「あ、ありがとう、音姫ちゃ―――――」
「こんなものか。あーあ、残念」
「きゃっ!?」
「くっ!」
詰まらなそうに軽く手を振られてその風の密度が増し、二人揃って壁にぶつかって肺から息を吐き出した。
「な、なんて・・・」
「ここまで差があるとは・・・。音姫ちゃんと二人なら、いけると思ったのに・・・」
「だって私は天才なんだよ? 君たちが二人いようが百人いようが一緒だって、にゃはは」
「――――なるほど。桜の木の力の上乗せですか。参りましたね、これは」
口元を引き攣る様に笑うアイシア。彼女の計算では自分一人でもさくらから皆を守れると考えていた。
今の自分の力は当時のさくらと同等か若干上ぐらい。そう思っていたのに実際はこの有様。乾いた笑みを零し、立ち上がる。
そして同じくなんとか立ち上がって来た音姫にアイコンタクトをした。その意味が通じたのか、コクっと頷き目に力を宿す音姫。
「ありゃ。またやる気なの? 無駄なんだから大人しくやられよ。うざったいなぁ」
徹底的に粘って勝機を見出してやる。自分達が負けるという事は皆が消えるという事。
そうはさせない。魔法は人を幸せにするもの。それを人を傷付ける行為に費やしている彼女に負けてたまるものか。
それに簡単にやられると思われているのは中々に癪だ。元々負けん気が強い二人、体制を整えて先程と同じような立ち位置につく。
魔法使いによる合戦試合。
分は悪い様だが、ゼロでは無い。
「これでも意地はありますからね」
「そういう事です。まぁ、やるだけやってみますよ・・・はは」
アイシアは苦笑いしながら、手に力を込めて抜き打ち気味にさくらに向かって魔法を放った。
音姫もそれに同調するかのように魔法を上乗せする。さぁ、今まで培ってきた自分の努力は通じるのだろうか。
正義の魔法使いを目指して早10年・・・・音姫は感慨深そうに一瞬それを思い出し、息を短く吐いた。
学校中の音という音が消えた。
生徒達の姿も無くなり、辺りを見回してみても人影さえ無い。
はぁ、とため息を吐いて腰を擦る。腕の怪我も酷いが腰から背中に掛けても酷い鈍痛がした。
「これで不能になったらマジでぶっ殺してやる。折角あんな連中に囲まれてウハウハだってのに」
しかしオレがそうなっても慕ってくる女こそ、本当に恋以上の気持ちを持っているという事を確かめられるかもしれない。
オレの事をただ単に見た目で選んでいるのかそれとも別な計りで選んでいるのか・・・・結構気になる事ではあった。
「けど嫌だよなぁ、本当に勃たなくなったら。坊主じゃねぇからきっと発狂しちまうなオレ」
そう愚痴て廊下を歩く。今更こそこそしてもしょうがないと考えた。あっちがやろうと思えばオレの位置なんかバレるに決まっている。
耳を澄まして辺りに視線を配っている―――――と、遠くの方から女の悲鳴と何かが大きな音を立てて崩れる音が聞こえた。
「ちっ、堪え性の無ぇ女だな。もう暴れ出しやがった」
舌を打って音が聞こえた場所に駆け出す。
相手をしているのはアイシアか、音姉か、それとも全く魔法が使えない女共か・・・。
手遅れにならければいい。そう思いつつ、階段を駆け上がって壁に隠れ廊下の向こうの様子を見やった。
「にゃはは。えーそんなに弱いの? ほら、もっと粘ってくれないと死んじゃうよ?」
「くっ・・・・」
「そうやって油断こいてますと足元を掬われますよ、さくら・・・・」
「油断じゃなくて余裕だよ。そうやって勘違いしている内はボクの事を退けられないよ~アイシア」
「桜の木の力を借りといて偉そうにっ」
「何を言ってるか訳が分からないなぁ。自分が弱いのに言い掛かりしないでよぉ」
顔をにやつかせて笑う芳乃さくら。
アイシアと音姉はそれを歯痒そうな目で睨みつけ体を壁にもたれさせている。
対してあの女は余裕そうに笑みを浮かべ、掲げた手をヒラヒラさせて遊んでいた。
「・・・おいおい。差がありすぎだろ」
アイシアと同等の力を持っていると思っていただけに、やや驚きの感情が沸き上がる。
音姉も加わっているのだから負ける筈は無い。その言い分は目の前にある光景に掻き消されていく。
上と下、ハッキリ明確にされている力関係の図。それをどう崩したものかと首の後ろを掻きながら息を吐いた。
「なんとか逆転出来る様な光景じゃねぇな・・・。アイシア以上の魔法使いなんてどこにもいないし」
無いモノを強請っても仕方が無い。
今あるモノで活路を開くしかない。
しかし相手は魔法使いという常識から外れた存在だった。
相手が出来るのは同じく常識から外れてる人間――――アイシアに音姉。その二人が駄目となると・・・・。
「まぁ、オレもある意味普通の存在じゃねぇからなんとかなるか。リベンジもしたいし」
何より女に任せて後ろで観察なんて趣味じゃない。
こういう時こそ男気を見せて上等な女にモテる。オレが女だったら格好良いと思う。
そんな事を想像して――――普通に壁から身を乗り出しツカツカと歩いて行く。
「よぉ、やってるなテメェら」
「―――――ッ!」
「お、弟くんっ!?」
「義之・・・」
「なんか苦戦してるみたいだから助けにきてやった。後はまぁ、オレに任せておけ。踏み潰してやる」
急な登場に面食らった様に音姉とアイシアは口を半開きにさせて驚く。ちょっと馬鹿っぽくて可愛いかもしれない。
そして・・・・芳乃さくらは物凄い目付きでオレの事を睨んでいる。対してオレも目を細めて見返した。
目には完全な敵意しか宿されていない。犬歯を剥き出しにて、親の仇を見るかのような目だ。
親の仇――――ふざけた話だった。
「・・・よく出てきたね。尻尾撒いて逃げたかと思ったよ」
「生憎オレは哺乳類だからな。尻尾なんてねぇし臆病者でも何でもねぇ」
「勇敢と蛮勇を履き違えているタイプか。私にとったら子犬よりか弱い子猫以下の存在にしか見えないよ。さっきの事、忘れた訳じゃないよね?」
「誰が忘れるかよ。今でも吐き気と痛みが止まんねぇっつーのに。オレはしつこいタイプだから絶対にぶっ殺してやるよ、てめぇ」
「しつこい男は嫌われるよ? 桜内義之くん」
「残念。今オレはモテ期らしいからその心配はねぇよ、このタコ助」
アイシアに向かって顎を上げて下がれという合図をした。音姉に合図してもオレじゃ無駄だと考えて首を縦に振らない可能性があるからだ。
だが当然の如く戸惑うアイシア。更に目で見据えて口だけ動かし、『いいから下がれ』と言った。アイシアはまだ悩む様に口を噛んで眉を潜めた。
「アイシアっ! 下がれよ、てめぇじゃ勝てねぇみたいだしオレがやる」
「で、でも義之じゃ―――――」
「いいから退いてくれ。オレの性格、お前なら分かる筈だ」
「・・・・・・」
「駄目だよ弟くんっ。弟くんじゃ大した魔法は使えないんだよっ!? どれだけ危険か分かってるのっ?」
「アイシア」
真っ直ぐアイシアの目を見詰めて名前を呼ぶ。
その視線に黙っていたアイシアは目を伏せ、頭に手をやってため息交じりに賛同の言葉を吐いた。
「・・・・・はぁ、分かりましたよ。義之」
「アイシアさんっ!?」
「分かってくれて何よりだ、アイシア。教室にでも隠れておけ」
「本当は賛同しかねるのですが・・・貴方がそういう風に言うって事は勝算があるんでしょうね?」
「オレは負けず嫌いだ。あとは言わなくても分かるだろ? オレとお前の濃い付き合いならよ」
「・・・・・言ってもどうせ聞かないんでしょう。仕方ありません」
「ちょ、ちょっとアイシアさんに弟くんっ?」
「危なくなったら助けてに入ります。それで今のところは納得して下さい、音姫さん」
渋々・・・・本当に渋い表情で小さく顎を上下にさせて無理矢理に音姉の手を引っ張る。
悪いなアイシア。お前との長い付き合いを利用するような形を取っちまって。
後ろの方で頭だけ出している女共にも引っ込めと合図をして、オレは芳乃の前に立ちはだかった。
「待たせたな。じゃあ、やり合うか」
「本気で言ってる? そこまで馬鹿だとは思わなかったね」
「馬鹿野郎。あれはオレの本気じゃねぇ、本気のオレをみたらお前腰抜かすぜ?」
「・・・・」
シュッと拳を繰り出してシャドーをするオレに冷たい視線が注がれる。
あまりウケないみたいだ。別にふざけてる訳じゃないんだけどな。
さっきからもう頭のスイッチが切り替わってる。余りの怒りに目がチカチカして痛い。
うーん・・・。頭をカチ割ってやる気持ちでここに立ってるんだが・・・上手く伝わっていないみたいだ。
嘆息する自分。そう思っていると相手は緩慢な動作で手をこちらに向けてきて・・・・・。
「もういいよ。死んで」
「あ――――」
体制を捻り壁に体を預けてそれを避け――――切れなく、片腕が持って行かれた。
怪我が一番酷い場所。ただでさえ肉が抉れているのに容赦なく腕から地面に叩きつけられた。
喉の奥が詰まる様に声を吐き出し、なんとか叫び声を上げなかったのは偶々。次やられたら抑える自信が無い。
芳乃はそんな体たらくのオレに対して冷笑をあびせている。まるで期待外れだと言わんばかりに。
「なんだ、全然弱いじゃん。それでよくまた来たね。何か策とかあるとか思ったのに」
「・・・はは」
「何? 気でも狂っちゃった?」
「いやいや、まさか」
ぐちゃってる腕を抑えながら歯をギリギリと食いしばる。
何だか涙が出てきた。あまりの痛さと体中の身が軋むこの感覚。
思わず笑みが零れてしまう程の自分の情けなさ。昔のオレがみたら大笑いするだろう
「これで容赦なくテメェを肉の塊に出来ると思ってな。あまりの喜びに笑いが出ちまった」
「またそんな強がりを言っちゃって。ほんとーに口だけは立派だね。馬鹿みたい」
「お前の場合はそうやってすぐ油断する所が馬鹿みたいだな。だからオレみたいな餓鬼に騙されんだよ」
「・・・言ったね」
「ああ、言ってやった。この間抜け面」
また手の平を向けられる―――躱す―――脇の下に降りる階段をゴロゴロと体を打ちつけながら転がっていった。
「あ、ぐっ・・・いってぇー・・・・・」
体制を整えようとするが足を挫いたらしく、身動きが出来ない。
手で壁に寄り掛かりつつ階段の一番下から上を見上げた。
芳乃が呆れた顔で階段の間の踊り場部分でオレを見下している。
「もしかしてまた逃げようとしてるのかなぁ? でもその調子じゃ駄目っぽいね、残念」
「一回逃げたからな。もう逃げる気は無い。ほら、掛かってこいよ。オレはまだまだ元気だぜ」
「・・・・はぁ。なんでこんな子に気を許したか私には分からないな。ただの無鉄砲の馬鹿じゃないか」
「まぁ、鉄砲は持ってないがこんな物は持っている」
「んー?」
芳乃が失笑をしながら疑問の声を上げ、視線をオレに合わせる―――――瞬間、オレは思いっきり『ソレ』を顔に向けて投げ付けた。
相手はまだ油断している。その油断の隙を付いて投げた。これ以上無いタイミングで上手く合わせられた自分を思わず褒めたい気分に駆られる。
だが・・・・。
「よし、狙いはぴった―――――」
「はいはい」
当然の如く体から舞い出た突風でオレの投げた黒い布に包まれた瓶は上に持ってかれて、天井にぶつかり音を立てて割れた。
思わず固まってしまう自分。芳乃は頭を掻いて「はぁ」とため息をつき、腰に手を当てる。
「そんなに驚く事かなぁ。不意打ちだろうがなんだろうが、私にそういう害のある攻撃は通じない。アリスの時はただ布を被せられた
だけだしね。燃え盛っている布だったらまた話は別だったろうけど」
「・・・・・・」
「ありゃりゃ。もしかしてさっきのが奥の手だったりする? だとしたら拍子抜けだなぁ」
「――――あっぶねぇなー、おい」
「ん?」
「勢いよく割れたからちっと焦ったぜ。もし擦って火花が散ってたらしょぼく終わるからな、それ」
「・・・・何を言ってるのかな?」
「オレに同じ方法は効かねぇって事だよ。魔法でも何でも一度ネタが分かったら凡策になる可能性ってのを考えないのかね、この保護者は」
「そういう事を言ってまたボクを馬鹿にする・・・・大体―――――うん?」
芳乃の前にヒラヒラと反射する粉が舞う。
ふと、彼女が踊り場の天井を見上げてみると、先程割れた瓶からヒラヒラと綺麗な粉が落ちてきていた。
首を掲げて顔に手をやり眉を潜める芳乃さくら。義之はそんな彼女に向かい、悪戯めいた笑みで懐から出した新しい瓶を取り出した。
「季節外れだと思うけど、許してくれ」
「え」
「だけど綺麗に咲いてくれると思う。最後に見る光景としては上等だろ?」
踊り場。吹き出た風が上下に流れる立地。すぐ横に隠れられる壁がある。まだ仕込んだネタはバレていない。周囲には誰もいない。条件は全て揃った。
アイシアに信用してもらい引き下がって貰ってまでもやりたかった事。ようやく出来そうだ。
準備室で寝っ転がていたから見つけられたその瓶。あんな見えにくい所にあるんだもんな。
「ちなみに言って置くと、それ、金属粉な」
「金属・・・・・・あ」
「もう遅い。今度こそくたばれよ」
顔を驚きの表情を形作る前にそれを思いっきり相手目掛けて投げ付けて、オレは急いで身を隠す。
「くっ!」
耳を塞ぎ、体を丸めて亀の様に体を縮めて一瞬の間が空き――――まるで『花火』の様な轟音が踊り場を中心にして響き渡る。
そして芳乃さくらの魔法の風が霧散したのか――――生温かい風がオレの体を包み込み、その生暖かい風の中に微かだが・・・血の匂いが混じっていた。