真っ暗な部屋に自分は居た。音も聞こえず、視界も真っ暗な黒色に染められていた。
自分が今どういう体制を取っているのかも分から無い。座っているのか、立っているのか、そのどちらでもないのか。
だが別に気にはならない。この先自分がどうなるのかさえ分からないこの状況。ただ流れに身を任せるだけだった。
「ん・・・」
誰かの助けを求めるような声が聞こえた気がした。
嘆息してそれを聞き流す様に目を閉じた。本当は閉じてるのか開いてるのかも曖昧な呈だったが、気分の問題だ。
困り事は自分で解決する事――――基本的にそういう信念を自分は持っているので相手にする気も無かった。
まぁ、ただ単に面倒というだけなのだが。助けを求める事イコール厄介事に巻き込まれる可能性が高い。
「かったるいなぁ」
そう呟いたつもりだったが声は反響せず、ただ口が動いただけ。そもそも口なんてものはあるのか疑問だ。
ん、声が反響しないって事は空気が無いって事なのかな? そして残響もしない環境というのはどういう場所なのか。
そんなどうでもいい事を考えて、ふと、視線を右に向けた。これも感覚が無いので確かではない。
「ありゃ」
偶然――――本当に偶然右の方向に助けを求める様に光っている場所を見つけた。
光なんて差し込まない筈の世界で、唯一輝く様に自己主張している光。
その光景を見てまた息を吐く。そんなに助けて欲しいなら警察にでも行けばいい。
「はぁ、寝よう」
ニートという単語が頭の中で思い浮かびあがるが、別に誰かに何か言われる訳では無いので構いはしなかった。それにもう十分過
ぎる程働いたから働く気は無い。お金が必要になるのなら適当に額に汗水流す事もやぶさかではないが・・・。
ここには水道代・電気代を払う相手も居ないし税務局も来ない。ただ本当に自分だけが居る場所。時間の概念が無いので何時から
ここに居るのか分からない。
その光を見なかった事にして視線を明後日の方向に向ける。そこは真っ暗な場所。何も無い場所。変わり映えしない光景が広がって
いるがあの光っている場所を見ているよりはマシだ。
さて、もう一眠りしようかな。
学園の外は暗闇に包まれ、生徒達の姿もまばらになっている。今残っているのはクリパの準備に追い込みを掛けている人達だけ。
勿論保健室に人の姿なんて有り得ないのだが、その中で苦しそうに身動きする影があった。寝息は酷くうなされているようで息が荒い。
無意識的に額の汗を腕で拭う。風邪を引いている訳でもないのに体を汗で濡らし、喉の渇きを訴える様に唾を呑みこんだ。
「・・・・ぐ」
そしてその影の人物は目を覚ましたのか――――その動きをピタリと止め、目を開ける。
最初ここがどこか分からなかったのか慌てる様に視線を周囲に配り、暗闇に目を鳴らすようジッと見据えて額に皺を寄せる。
見慣れた薬品棚、医学書が置かれている机、動きが硬そうな椅子、全部見慣れた物が視界の中に姿を表わしホッと安心するように息を吐いた。
「なんだ、保健室かよ」
そう言ってその人物、義之は軽く欠伸をして天井を見上げた。
確か、そう、結局あの爆発の後オレは眠るように倒れたんだっけか。ここに運ばれている間の記憶は無いので定かではないが皆で協力してオレ
をここに運んだんだろう。体重は軽い方だと思うが女子に担がれる男子ってのも情けない。子供染みた意地がむくみくと頭を擡げる。
普段は偉そうにオレ様気取りで行動をしているという自覚はあった。だから何時でも完璧に行動をしようと考え、その知識が無かったら勉強を
して覚えて、周囲の空気も読み通す様に努力をしていた。まぁ、そんな様子なんて欠片も見せて無いが。
そういえばあの女はどうなったのだろう。死んだのだろうか。どうも倒れる寸前の記憶が曖昧だ。確か意地でも死んでミンチになった姿を見て
やると這って爆発の跡を見た気がする。義之はその時の光景を思い出す様に頭に手をやって目を瞑った。
「・・・ちっ。そうだった」
思い出した、僅かに血の跡は見つかったがどこにもその姿は見当たらなかったんだよな。
恐らく寸前で逃げたのだろう。最後オレが何をするか気付いたみたいだし。頭が良いヤツが相手だと本当に面倒臭ぇな。
愚痴る様に舌打ちをして寝返りをうつ。例のブツが出来上がるまで杉並を捕まえる予定は無いので、今夜は確か暇だ。もう少し眠っているとしよう。
「よっと。さすがに疲れたな、もう一回寝て・・・」
布団に潜り込み目を瞑る―――――寸前、目が合った。
「・・・・・・・」
「あら、驚かないのね。さすが義之といった所かしら、余裕たっぷりですこと」
「当り前だ。オレがビビるなんて言ったらさくらさんに怒られる時か、犬の糞を踏んだ時だ」
やべぇ・・・一瞬あまりの驚きに心臓が止まったぞオイ。冷や汗が背中をダラダラと流れて心臓が煩い位に鼓動を刻んでいる。
その声の主――――エリカは微笑むように笑っているが、冗談じゃねぇ。余裕があるんじゃなくて反応出来なかっただけだ。
元々ちっぽけな人間の自分。ノミの心臓を装っているが突発的な出来事に体が硬直するぐらいには普通の心臓だった。
「で、何してるんだよお前」
「何をしていたと、思う?」
「・・・・・・」
ちらっと下腹部を見る。
ヤラれた形跡は無いがこいつの性格だと完璧に証拠を消していたとしてもおかしくはない。
「ふふっ」
「おい、まさかお前・・・」
え、マジかよ。もしかして寝てる隙に本当にやられたのか。エリカが妖しげに微笑むその姿を見て義之は更に冷や汗を掻いた。
もし本当にヤッたのならあれだけ悩んでいた自分は何だったのか。珍しく本気で悩んで皆に呆れられながらも苦悩していたのはなんだったのか。
何よりその記憶が無いのが堪らない。もし本当にヤッたんだとしたら、せめてその間の記憶は欲しかった。切実にそう思う。
これだけの女を抱いて置いて記憶が無いとかマジ・・・・・そう考えていると、エリカは笑みを潜めて「はぁ」とため息をついた。
「何もしてませんわよ。さすがに寝ている男性の方をどうのこうのはしませんわ」
「じゃあ何してたんだよ」
「義之がいきなり倒れ込んで眠ってしまったから看病してたのよ。酷い怪我ばかりでずっとうなされていたから心配したんだから」
「それはいい。洗面器とかタオルが脇の机に置かれているからその話が本当なのは分かるが、何故布団の中に入ってた?」
「・・・・・」
「黙るのかよ」
「べ、別にいいじゃないの。何もしてないんだからっ。ほら、汗掻いたんだから服を着替えなさいな」
そう言ってエリカが服を渡し着替えを促してきた。話を無理矢理流そうという魂胆が丸見えだったが、汗でシャツが濡れているので仕方なく
渡された服を受け取る。シャワーにも入りたい所だが聞いた話だとここでは体の変化もリセットされるらしい。
だからまた明日の日付になると綺麗さっぱりの自分が表れるという話だった。それならこの脱いだシャツも新品に近い状態に戻るのか。あり
がたい事だ。結構高いシャツなので汗で濡れたまま放ったらかしなのは辛いからな。
それにしても、エリカ―――――答えを濁したまま知らぬ顔を決め込もうとしてるが何をしていたのかは大体見当がつく。大方オレとくっつ
いていたいとかそんな所だろう。変な所で純情なのは相変わらずみたいだ。看病をすっぽかして潜りこんだのはどうかと思うが。
「それにしてもよく他の面子が許したな。オレの看病にお前が来るなんて、他のヤツ、黙って無かったろ?」
「公平にジャンケンで決めましたからね。何も文句は言わせませんわ。恨むなら自分の運の無さを恨んで欲しい所ね」
「あー・・・お前そういうの強いからな、さすがお姫様。運の強さも筋金入りか」
「・・・・・ええ」
「素直に羨ましいよ。オレなんて運なんつーもんに見放されちまってるからな」
一応シャツを綺麗に畳みながら愚痴る。こういうのって皺になると結構気にしちまうんだよなー。
クリーニングも毎回出してたら金が馬鹿にならない。金を出し惜しみする性格ではないが、必要では無い出費は出来るだけ出したく無い。
タオルで体も綺麗に拭いて気持ち悪さから解放された。横をみるとエリカがぽーっとした顔でベットに腰掛けている。看病って疲れるもんな。
「悪いな、オレの看病なんてさせてしまって。お姫様には荷が重かったろ?」
「・・・・・」
「よく介護はブラックだ云々言われてるけど、結局体力勝負だからなぁ。今の世の中の若い連中なんか体力なんて殆ど無いしそう思っても
仕方無いかもしれねぇ。オレもあんまり体力無いから――――――」
「ねぇ」
「あ? 人が話してるのに何だ・・・よ」
新しいシャツを着ようとした手を止める。尻つぼみになっていく言葉。目を逸らそうとして、両手で頬を挟まれる。
真っ正面から見るエリカの目――――艶掛かったブルーの瞳の色、金縛りにあったかのように体が動かない。
目を強制的に合わせられて、挟んだ手を柔らかく持ち替えるエリカ。久しぶりだな・・・こんな真似をされるなんて。
「やっぱり今夜来やがったな、この野郎」
「なーに? 来ちゃ駄目だったの? 義之最近冷たくて悲しいなぁ」
「ジャンケンの話も嘘なんだろ。杏とか由夢は結構小ズルイからな、勝てる算段をつけて勝負をする。失礼な物言いになるかも
しれないがお前にそこまでの器量があるとは思えない」
「えージャンケンでどう勝つって言うのよ。あんなの運次第じゃ無い?」
「手を出す前の拳の形が少しでも崩れればチョキを出す確率が高いとか色々ある。あとそんな事をしなくても他のヤツ等と口裏
合わせたりして連携する場合もあるぜ。例えば杏なら雪月花チームで組むとかな」
「あらそうなの。今度じゃんけんをする機会があったら試してみたいわ」
「・・・てめぇ、やっぱり」
「もうお喋りは止めましょう――――義之」
体の全体重を掛けられて不安定な体制のオレは直ぐに寝っ転がされた。
エリカ――――呟こうとして唇で塞がれる。最初はフレンチに、次第に激しくなっていくのがエリカのパターンだった。
これでもかという愛情をぶつけられオレはいつも困惑している。粘着質な音が保健室に響き渡り、ある程度満足したのか唇を離し微笑んだ。
「久しぶりにキスしたわね、ふふっ」
「お前はいつもこうだよ・・・・そうやってオレを困らせる」
「お互い様よ。私だってかなりお預けを喰らってるんだから。いい加減に私を選んだら楽になるのね」
「そうかよ」
「そっけない返事ね――――まぁ、いいわ。それにしても義之の体って案外筋肉があるのね、服を着てると細身に見えるのに」
「一応、まぁ、筋トレぐらいはしてるからな。もやしみたいな体は勘弁だし・・・」
「そう」
体を弄る様に滑らせるエリカのキメ細やかな手。
ぞくりとしたくすぐったい様な性の欲求を呼び起こす様な触り方。
眉を潜めてそれに耐える様ガマンするが、そんなオレを嘲笑うかのように卑しく撫で上げる。
「この体も、心も、私の物になると考えると堪らないわね」
「オレはオレだけの物だ、誰の物にもならねぇよ。例え添い遂げる相手であってもな」
「私は義之に全てを貰って欲しいけどね。私の全て―――――価値があると思うのだけれど?」
「そうだな、日本の国家予算ぐらい価値がありそうだから買えやしない。世界一の金持ちになったら話は別だが」
「義之相手には無料であげるわ。金利も無し、期限も無し、貴方の思い通りに好き勝手出来るわよ」
「好き勝手出来る女じゃねぇだろテメ―は。裏でコソコソ画策してオレをかっぱらおうとしていた癖によ、オレが知らねぇとでも思ってるのか?」
「それだけの価値が貴方にはあると思ってるもの。でも、そうね。私をイマイチ信用出来ないと言うなら払わなくちゃいけないかもしれないわ」
「・・・・何をだよ」
「前金、よ」
密着していた体を離し、また妖艶に笑うエリカ。一瞬魔性の女という単語が頭の中を霞めた。
何をしようと――――そう考えていると、おもむろにエリカは自分の来ている制服を脱ぎ出した。
「ば、お、おいっ」
「義之でも慌てる事があるのね。何だか誇らしい気分だわ、ふふっ」
「エリカ、そんなに焦るなって、な? 今何がなんでもここでやる必要とか無いだろ?」
「邪魔者も入らない、義之と二人っきり、ベットの上。まぁ、必要性は十分考えられるわね」
茜とはまた違ったベクトルの積極性。急に視界が狭くなったかと思う程に一直線に行動する。
そう思ったのなら周り何か気にせず行動して満足感に浸る。嫌いじゃ無い性格だが時々手に余る事が多々あった。
エリカは熱に浮かされたように顔を朱色に染めながら上着を脱ぎ、そして・・・下着を脱いだ。思わず目を逸らしてしまう。
直視したら自分でも抑えきれるか分からない。衝動に押されるまま何もかもを頭の隅に追いやって受け入れてしまう予感があった。
「せっかく恥ずかしい思いをしてるっていうのに・・・本当につれないんだから、義之は」
「・・・黙れよ。さっさと制服を着てベットから降りろ。とりあえず皆と合流して無事だという事を伝える」
「――――気に入らないわね。こんな状況になっても皆、皆って。貴方の前には私しかいないのよ。私だけを見ればいいのに」
「こんな異常事態でそんな真似出来る訳無いだろ。お前だけ見てて他の皆が死んでしまったらどうするんだ? 責任感という訳
じゃないが、唯一の男としてあいつらを守らないといけないと思っている」
「私に対してとは違って優しいのね。とても人嫌いだった義之とは思えないわ。昔の義之に戻ってくれたら私だけを見ててくれるの
かしらね? 他の女性たちを見ないで、私だけを」
昔――たった一年でここまで自分という人間が変わったのは偉い変化だと確かに思う。
だが、本質が変わった訳ではない。変わったらオレじゃ無いし、そもそも今でも大勢の人が居る場所は苦手だし気が滅入る。
エリカはそんなオレを気遣ってか二人きりでいる為に部屋で過ごす時間を提供してくれてるが・・・あっという間にこんな状況に
なるのでなるべく外に出掛ける時間を取っていた。こいつの相手を流し易くする雰囲気作りには本当に参ってしまう。
「ほら、私の胸を触ってみて。私も結構ここ一年で成長したのよ。花咲先輩程じゃないけどね」
「おい」
もったいづけて、それでいて大胆にオレの手を取り胸に掌を納めさせた。
張りがあり、柔らかく、相手を誘惑するのには十分な魅力があった。日本人には無い独特の手触りと汗の伝わり、匂い。
まるで媚薬だと思う。蜘蛛が獲物を捉える為に巣を張り巡らせて獲物を狩り取る。段々エリカの雰囲気に押されつつあった。
「あ・・・ん。ねぇ、もっと触ってよ義之」
「なぁ、エリカ。よく聞いてくれ。ここでお前としたら折角の皆との協調性が無くなってしまう。お前絶対に言うだろ? オレと
寝たって事を自慢気に」
「当り前じゃ無い。もう手出しはしないでって言うつもりよ。もしかして私と寝た後でも今まで見たいな関係を皆さんと続けるつもり?
そんなの、絶対に許さないんだからね」
「そうじゃない、そうじゃないんだ。この世界を出るには皆と協力する事がとても大切だ、わかるだろ? だから我慢してくれないか。
いつまでもこの世界にエリカも居たくないしオレも居たく無い。この助け合っているという空気を壊さないでくれ」
「・・・・つまり、私が義之とこれからする事を言わなければいいんでしょ。ならそうするわ」
「お前にそんな事出来る訳―――――」
また唇を塞がれた。舌を捻じ込まれて口の中の水分を全て舐め取るかのような激しさ。
真っ暗闇の保健室で欲望に酔いしれるかのように際限が無い情愛の交付。そのまま押し倒されて布団に背中を押しつけられた。
ハッキリとした存在感がある乳房を胸に押しつけられる形となり、手がオレの下腹部をまさぐる。その余りの快楽に顔を若干顰めた。
「あはっ、なーに義之。義之もその気じゃないの」
「オレだって並ぐらいの性欲はある。半裸の美人にここまでされて反応しない訳ないだろ・・・」
「だったらもっと反応して素直になりなさい。私、義之の為なら何でもするし死ぬ覚悟だってある。本当に好きなのよ、貴方の事が」
「・・・・」
「愛してるわ、義之」
潤んだ瞳が更に熱を持って濡れている。
足を絡ませて逃げられないようにし、堪らない様にオレの頭を掻き抱いた。
女のエリカにここまでさせて置いてグダグダするのはどうなんだと僅かに心の中でそう思ってしまう。
「ほら、一回全部の事を忘れて愛し合いましょう。決めるのはその後でいいわ」
「・・・お前は、それでいいのか」
「ここまで我慢したのよ、今更な話ね」
「そう、か」
義之は目を伏せ、黙りこむように口を閉じてエリカの腕の中で大人しくなってしまう。
その姿にエリカは満足そうに唇の端を吊り上げる。この流れは良い流れだ。今まで散々邪魔が入ったがこれでようやく結ばれる。
義之は本質的に義理が固い。決めるのは後で良いと言ったが、必ず後で自分の事を選んでくれるだろう。エリカにはそういう思惑があった。
「だから何も心配する事は無い、無いのよ義之。この事はここだけの話になって終わり。だから、ね?」
腕の中の男性をやっと手に入れられる。思えばこの一年間よくここまで自分は我慢した。
毎日学校で顔を合わせるし休みの日にも会う。その度に嬉しさと哀しさを味わってきた。これだけ一緒に居ても恋人になれないもどかしさ。
違う女性と話す度に泣きたくなる日があった。自分じゃない人と楽しそうに話す義之を見ると頭に血が昇って無性に暴れたい日も何回もあった。
だけど――――これで終わりだ。
ようやく決着が付く。最終的にはやはり義之は自分を選んでハッピーエンド。
エリカはそっと義之を腕の輪から外し、自分のスカートのホックに手を掛けて・・・・。
「さぁ、楽しみましょう。誰にも邪魔されないで二人だけで気持ち良く――――」
「保健室ってここですかねー。湿布はどこでしょうか・・・」
「・・・・・・・は?」
「あややー。真っ暗ですね。電気を点けて・・・・と」
パチンと音を立ててスイッチが入る音がした。
真っ暗な部屋が蛍光灯の光で照らし出される。
体を凍りつかせて全く身動きできないエリカと義之。
そしてその人物――――大きなきぐるみを着た人物は二人の姿を見て、まるで幽霊でも見たかのように身をたじろがせ焦った様に手に口を添えた。
「あやっ!? な、何事ですか、一体っ!?」
「・・・・」
「・・・・」
「あ、はは・・・な、なんだかお邪魔しちゃったみたいですね・・・・ご、ごめんなさいっ!」
誤魔化す様に乾いた笑みを漏らす女子生徒『らしき』人物。
手を困った様に口の前に置き、こちらの様子を見ない振りをしながら横目でチラチラと窺ってくる。
お互い半裸の男女が絡み合ってるんだからそりゃ目の置き場に困るか。とりあえずオレはエリカから体を離し、そいつに話し掛ける。
「・・・はぁ、別にいいよ。こんな所でおっ始めようとしたオレ等もオレ等だし」
「ほ、本当にすいませんです、はい」
「だから別にいいって。常識が無い行動をしてたのはオレ達の方だ。アンタは謝るどころ非難する立場だ、堂々としてりゃいい」
「え、あ、はぁ・・・」
体の強張りを溶かしながら義之はため息交じりに呟いて頭を掻く。見つかって当然だと思っていたので直ぐに気持ちを落ち着かせる事が出来た。
そして、見つかった焦りよりも助かったという気持ちの方が大きいのもある。流れに流されて決めるというのはあまりにも情けな過ぎた。
ここ最近エリカの押しの上手さと強引さには参る。オレは適当にエリカにシーツを被せて、着損なったシャツに腕を通した。
「かえってこちらこそ悪いな。変なモノ見せちまって」
「い、いえ・・・それほどでも・・・」
「――――にしても」
「はい?」
「よくそんなもん着て歩けるな。ピンクの熊のぬいぐるみの上に制服とかよ。いくらクリパの準備物とはいえ」
「・・・あやや。貴方にもこの姿が見えるのですね。朝倉さん以外にもまさか知られるなんて・・・」
意味の分からない事を発する熊のぬいぐるみの女。つーかビビるわ、いきなりの乱入者が熊のぬいぐるみなんて。
エリカはまだ喫驚の感情が抜けて無いのか固まっている。まぁ、こいつの場合はせっかくのチャンスを逃した事に大きく落胆しているだけだろう。
タオルの隙間から見え隠れするエリカの胸から目を逸らし、息をつく。かなり性欲が溜まってる状態だったら危なかったな、おい。本当にする所だった。
「あ、貴方はもしかして・・・」
「はい?」
「その旧式の生命維持装置・・・キリト星系の紫和泉子さん!?」
「あややッ!? ど、どうしてそれを・・・・・・・あ、もしや貴方様は・・・」
「エリカ・ムラサキよ。意味、分かるでしょう?」
「あや・・・すいません。そんな情報は聞いて無かったので少し驚きました。それに情事の最中にお邪魔してしまうなんて」
「それは別にいいわ。こんな所でしようとした私が迂闊だっただけですし。そんなに畏まらないで頂戴」
「あい、本当にすいません」
「・・・・・・」
さくらさんの下で色々な知識を蓄え、結構物知りになったつもりでいたが、やべぇ、こいつらの会話に全く付いて行けねぇ・・・。
エリカも怒る訳でも無しに、いつもの憮然とした態度とは違って部下に話すような口調になっている。まるお姫様みたいに――――なんなんだ、こりゃ。
生命維持装置とかキリト云々なんてさっぱり意味が分からない。思わず口を半開きにして茫然としオレを差し置き、エリカは近くにあった湿布を手に取った。
「湿布、取りに来たのでしょう? はい、これ」
「あ、すいません。では、本当に失礼しました」
「いいのよ。この地でも更なる活躍、期待してます」
「どうもです。そ、それじゃ・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
そそくさと立ち去るピンクの熊のぬいぐるみ。残されたオレ達二人は何ともいえず微妙な空気が流れた。
「あのよ」
「ごめんなさい義之。今の会話は聞かなかった事にして頂戴。さて、続きをしましょうか?」
「んな事出来る訳ねーだろっ! 訳が分からねぇしそんな気分も吹っ飛んでどっちらけらちまったよっ、オレはもう行くからな」
「あ、待ちなさい! 折角ここまで来たのにそれはないでしょーにっ!」
「だからお前と二人っきりは怖ぇーんだよ! 本当に男をその気にさせるのが上手いよな、マジでさ」
「義之相手だけよ。他の男なんかをその気にさせる訳ないでしょっ、貴方が一番魅力的なんだから!」
「・・・・・!」
あぁー、もう、マジでこいつは本当にドストレートで―――――可愛過ぎる。
背後から抱きしめてさっきとは反対の腕の中にエリカの体を収めた。
驚きの表情を形作るエリカ。それを無視して言葉を紡ぎ出す。
「済まない、エリカ。オレを好きになったばかりに沢山苦労を掛けてしまっている。自分でも甲斐性無しだと自覚してるんだ、悪い」
「や、やめてくれるかしら。私が義之を好きになったのは私自身の意思・・・誰に何か言われたとかじゃないわ」
「それでもだ。こんなグジグジしたオレに呆ないでお前みたいな人間にここまでさせるなんて本当に悪い。もしかしたら
お前が一番オレの事を慕っているのかもしれないな。それがよく分かる」
「・・・・・・」
「だから、済まない。今答えを出せなくて、本当に済まない」
「―――――はぁ、卑怯よね。あの義之がここまで謝るなんて。しょうがないって思うしかないじゃない、こんなの」
「エリカ」
「いいわ。もう行きましょう、『皆』の所へ」
皮肉交じりにそう言い、上を着てベットから降り立つエリカ。
顔は―――――拗ねた様に頬を膨らませている。よかった、本気で怒ってるなら無表情になるからなエリカは。
今回はなんとか納得して貰ったって所か。こんな状況で無ければ流されていたかもしれない。それも一つの終わり方だろうが・・・性に合わない。
やっぱり自分で決めた方が誰の所為にもしないし納得が行く。
それが何時になるかは分からないが・・・・。いや、マジで皆にはこればっかりは本当に頭を下げるしかない。
「じゃあ、行くか」
「ええ」
「ところであのピンクの熊はなんなんだよ。やっぱり気になるぞ。もしかしてお前を母ちゃんとかその辺の人と勘違いしたってオチなのか?」
「・・・・・さて、どうでしょうね。義之が私と一緒になってくれたらその時教えるわ」
「なんだよ。つれなーな」
「お互い様、ね。義之」
笑みを携えて手をぎゅっと握ってくるエリカ。いつもこんな感じだと扱いやすいんだが・・・まぁ、その辺も含めてエリカなんだろう。
そう考えつつ音楽室に移動する。とりあえず明日の事とか相談しないといけねぇしな。杉並の馬鹿を捕まえるのも面倒だが仕方が無い。
あいつを捕まえれば、またあの女は姿を表わすだろう。今度は逃がさない。必ず仕留めてやる。
そう胸に決めて保健室を出て歩き出した。横を見るとエリカが嬉しそうに手を握っていたので、軽く頭を撫でてやる。
さて、もう一頑張りしようかな。
「はぁ・・・」
「音姫さん、そんなにショックを受けないでください」
「いや、だって、全く私役に立てていないし・・・今までの自信が崩れ去りそうです」
「それを言われたら・・・・・私だってそうですよ、はぁ。出来ることと言えばさっきの爆発とか一連の隠蔽工作ぐらいです・・・」
「結局胡ノ宮さんの記憶消しちゃいましたもんね。聞けば二回目の記憶喪失・・・大丈夫なんですか?」
「難しいところですが、巻き込むよりはいいと私は思いました。はぁ、本当に要領悪いですよね私ったら・・・」
「それをいうなら私だって・・・ふぅ」
アイシアと音姫。二人揃ってゲンナリとした顔で俯いて息を吐く。
音楽室の隅の方で暗い雰囲気を漂わせている二人に、面々はなんと声を掛けていいのか分からず居心地の悪い雰囲気が包み込んだ。
皆を守ってやるんだと意気込んで芳乃さくらの前に立ちはだかり相対したのはいいのだが、結果は義之が居なかったらボロ負けという
散々な結果だった。今でもその時に負った腰の痛みが尾を引いている様な気がすると、音姫は腰を先程から擦っている。
アイシアは目立った怪我こそ無いが、胡ノ宮環の記憶を消してしまったのが気落ちさせる要因となってしまっている。親しかった友人を
二度も騙している形となるので、安全の為とはいえ心に影を落とさない訳では無かった。
「いたた・・・魔法で治した筈なんだけどなぁ。何でまた痛いんだろう、うぅ」
「本当に完治させる魔法というのは魔法使いでも出来ませんよ、音姫さん」
「え、そうなんですか?」
「はい。もしそんな事が出来るって事になると、人を生き返らせる事も出来ますし・・・。義之も電気信号が云々とか言っていたので
多分間違いないと思います」
「じゃあ、みてくれが治っただけという事なんですかね。結構完璧に行使したつもりなんだけどなぁ」
腰を捻じりながら音姫は色々考える様に顎に手を当てた。
色々魔法の事については勉強してきたつもりだった。だが、まだまだ知らない事が沢山あるのを実感する。
正義の魔法使いの道のりは果てしなく遠い―――――と、音楽室の扉が開かれる音がした。
「うーっす」
「あ、弟くんにエリカちゃん」
「もう大丈夫なのですか、義之」
「よっしー、おっはー!」
「やっと起きてきましたね、兄さん」
「心配かけて悪かったな。すっかり具合は良くなったから安心してくれ。これでも怪我には耐性が付いている」
「喧嘩ばっかりしてるからでしょ、義之くんの場合は」
「そうそう、義之もたまには無茶を止めてくれればいいものを・・・美夏も気が気ではないぞ」
「はいはい」
口々に声を掛けて行く女性陣。それに対し義之は適当に返事しながら隅に置かれているパイプ椅子に座った。
音楽室独特の匂いに鼻を鳴らし、首に手を置いてゴキッと鳴らす。調子はまだ本調子ではないがあまりそれを顔に出さずに口を開いた。
「そういえばいつの間にか腕の怪我が治っていたんだけど・・・・これってアイシアと音姉が治療してくれたんだろ? ありがとうな」
「別にそれぐらい良いですよ。完全に怪我なんかは魔法で治らないですがほぼ完治したと思います。腕の調子とかどうですか?」
「支障は無いし気にならないな。つくづく魔法ってのは便利なもんだと実感できたよ。これで多少無茶しても平気だな」
「もうっ! あんまり無茶しちゃ駄目だよ、弟くん。腕の怪我なんか見た時思わず卒倒しそうになったんだからっ」
「文句を言うならあの女に言ってくれ。まったく、結局殺せなくてヤキモキするな。二度は会いたく無い相手なのによ」
「え」
「次はどうすっかなぁ。もう爆発ネタなんて通じないだろうし・・・やっぱり桜の木ごと・・・・」
「ちょ、ちょっと待って弟くん!」
「あ? どうしたよ。音姉」
「今、殺す・・・とか言ってなかった?」
「言ったけど・・・なんでだ?」
本当に疑問に満ちた顔をして手を広げて聞き返す義之に、沈黙するように音姫は口をつむんだ
他の面々の数名もなんて言っていいのか分からないのか、気まずそうに頭を掻いて微妙な間が流れる。
それを打破するように、エリカはため息交じりに義之と同じ視線に屈みこんで顔を向けた。
「普通の人は殺すとか言って本当に殺さないわよ。貴方の場合、本当にそれを実行したから他の人が理解出来ないのも仕方ないわ」
「んん、そうなのか? 確かに警察とか誰かにバレたら刑務所行きだけどこの世界じゃそれが無い。あの女殺さないとココから出れないし
誰も助けられないんだぞ? そりゃ、普通の日常生活だったらそんな事オレもしないが状況が状況だ。仕方ないと思うんだけどな」
「・・・・やっぱり義之って怖い所があるわよね。それが頼もしい時もあるし、ゾッとする時もあるわ。本当にそう思ってるんなら尚更」
「いや、え、だってそうだろ。何で理解されないか分からない。元の世界だったら分からない事も無いんだが・・・」
困った様に頭の後ろで手を組んで椅子に寄り掛かる。何やら考える様に唸りを上げる義之に、エリカは視線を逸らして髪を掻き上げた。
本当に怖い男性だ―――――いつもは誇りに溢れ優しい所が目立つ義之だが、時折こういう場面が何回かある。普通の人とは違った逸脱した考え方。
これはもう環境以前の本質的な部分だろう。義之本人も気付いているし抑制しようとしている節があるが、それは直る部分では無いので垣間見えてしまう。
最初はただの格好付けの言葉だけと思っていたエリカも本当に義之がそう思っていると気付いた時、背筋が凍る思いがした。
「ま、人それぞれ考え方が違うって事でいいんじゃないのかしらね。義之もその考えを押し付けたりしないでしょ?」
「・・・まぁ、そうだけどよ。誰も彼もがオレみたいな人間じゃねぇってのは分かってる。けど、この状況でなぁ・・・」
「なら聞き分けなさい。義之の言う『皆』が困ってるわ」
「――――――分かったよ。オレも困らせる為に言った訳じゃねぇんだがな。悪いな、お前ら」
「い、いえ。別に大丈夫ですよっ、兄さん」
「まぁ、桜内の場合、少し変わってるから慣れっこといえば慣れっこよっ、うん」
「よ、義之は月島達の為に頑張ってくれてるんだもんね!」
場を収める為に論すように語りかけるエリカに、バツが悪い顔をして殊勝に頭を下げる義之。彼女達は慌てた様に声を大きくして
手を振っていさめていく。
義之も『ああ、今自分は変な事を言ったんだ』と気付いて顔を手で覆い隠す。怯えさせるつもりで言った台詞で無かったので少し
反省する。もう少し自分という人間を意識して放さないといけないと感想を抱いて椅子に深く座り直した。
「エリカちゃん、エリカちゃん」
「はい? なんですか、花咲先輩」
「なんだか今の奥さんみたいな対応よねぇ~、今の役割って。義之くんの女って感じ?」
「・・・・・そう見えました?」
「うん。なんだか貫禄が出てきたって感じー。これは茜さんも、うかうかしていられないなぁ」
「――――まぁ、皆さんの中で一番近い距離にいるのは私だと思っていますし、避けられてるのも私ですからね。今更あれぐらいの
物言いを言ったところで何も無いって事ぐらい分かってますわ。他の皆さんだと躊躇してしまうでしょ? なら私が言わないと」
「うーん・・・・成長したねぇ、エリカちゃんも」
「体は成長しましたけれどね。結構自慢ですのよ、このプロポーションは」
「私も成長したわよぉ~。この間買ったブラジャーがもうキツクて仕方無いわ。確か今バスト94ぐらいだったかしら」
「・・・・・」
ヒクつくような表情で茜の胸の辺りを見やるエリカ。そこにはまるでボールの様な乳房が実っている。茜は自慢するかのように手を乗せて笑った。
しかし胸もさることながら一番エリカが危険視しているのはその色気――――時々女性のエリカでさえもクラっと来る様な匂いを放つ事が最近多く
なってきている。前にも増して女らしさに磨きが掛かっているのは見て明らかだった。
何より花咲先輩は義之の信用を得ている。自分には無いものだった。改めてエリカは茜の事を一番の警戒対象として改めて目を付ける様にジロリ
と視線を配る。色々良くして貰える先輩には変わりは無いが、やはりそれは別問題だ。
「・・・・・」
「ん、なんだ? ムラサキ」
「ふっ」
「おい今鼻で笑ったな? 喧嘩を売っているのか? 仕舞いにはお前をロボットのパーツにしてやろうかこの」
「怖いわねー。さすが人類の敵のロボットですこと。まぁ、その体系では何も出来ないでしょうけど・・・・」
「た、体系の事は関係無いだろ体系はっ! 大体お前はどこをほっつき歩いていたのだっ。皆さっきの今で心配してたんだぞ」
「お手洗いよ。それともなに、いちいち私は花を摘むのにも許可が必要なのかしらね? もう本校に上がる歳になるんだけれど・・・参ったわ」
「本校までいくのかお前は・・・。何時になったら国に帰るんだ!」
「勿論――――義之が私の所に来るまで居るつもりだけど、ね」
「う、うがーっ!」
「きゃっ!?」
エリカの嫌味たっぷりの笑みに美夏が切れたのか、助走を付けて飛びかかる。
毎日の恒例のやりとり。もう誰も突っ込まないのか、皆のんびりとその光景を見やっていた。
その中から抜け出す様にトコトコと由夢が義之に近付いて行く。それに気が付いたのか、義之は姿勢を元に戻した。
「お疲れ様です。兄さん」
「ん、ああ、お疲れ。調子はどうだ由夢」
「少し疲れ気味ですかね。なんだかここ最近は自分が想像もしなかった事が起き過ぎて・・・ちょっと」
「本当に一般人だから余計に疲れるんだろな。お前の同い年、年下の人間なんてロボットとかお姫様ときてる。年上の先輩とかも
いるし気疲れとかもあるんだろう」
「うーん・・・どうでしょうね。私も兄さんみたいな図太い神経があればよかったのですが、残念です」
「―――――あ、由夢ちょっとこっち来い」
「はい?」
何かに気付いたような素振りで手招きをする義之。
由夢は怪訝に思いながらも無防備にも彼に近付いて行った。
「なんですか、兄さ――――」
「最近のお前の成長具合はどうかなってな」
「え・・・きゃぁーっ!?」
「おお、見事な尻だな。エロいエロい」
そしてその更に無防備なお尻をいやらしく撫でり上げ、由夢は驚いた様に悲鳴を上げて飛びずさった。
キッとに義之をお尻を抑えながら涙目で睨みつける由夢。それを義之はさも涼しそうな顔で受け流した。
余りにも子供っぽい悪戯。それを見ていたななかは「何やってるんだか」とため息交じりに近づいてくる。
「相変わらず何するか分かんない人だね、義之くんは」
「さ、最低ですよ兄さん! これはセクハラです、セクハラ!」
「あぁ? ガキの癖によく言うぜ。身体だけはエロく成長しやがって。次は胸でも揉んでやろうか、はは」
「―――――ッ! 馬鹿じゃないですかっ、こんな時にそんな事を考えるなんて」
「うっせー。女しかいねぇからこんな事ぐらいしかやる事ねぇよ。渉か杉並でも居れば面白ぇんだけどなぁ」
「渉くん居ればもっと悪ノリする癖に。この間なんか私のスカート捲ってにやにやしてたよねっ、全く。」
「いや、あれは渉の所為だぜ? ポーカーで負けた奴が罰ゲームってのをやって、渉が『それじゃ白河のスカートでも捲ってもらおうか』とか
言って来たからやったまでだ。確か黒い下着で見応えはあった気がするな。だから誇って良いぞ、ななか」
「こ、子供じゃないんだから止めなさいっ!」
「オレは決められたルールに従っただけだ。何時だってオレは公平な人間だからな。パンツ見たぐらいでそんな喜ぶなよ」
「喜んでなんかないし!」
「駄目だな。そこは面白いリアクションを返さないと話の幅が狭くなる。次は期待してるよ」
本当にただの悪戯だった。杉並が居る時なんかはそんな事はやらないが、渉と一緒にダベッてる時はよくそんな行動ばかりしている。
渉はオレや杉並と違って普通のただのイケメン男子生徒だからノリが良い。その時は渉は黙って親指を立てて喜んでくれたから何よりだ。
元々ガキっぽい性格だからそういう所は気が合うんだろうな。ななかは拳を震わせて怒りを露わにしている。アイドルなんだからもっとお淑やかにしろよ。
そうやって騒ぐ義之とななか達。とっつきやすい空気を感じたのか、茜もパタパタと近付いてきて眉を八の字にしながら腕を組んだ。
「あーいいなぁ。私にはそういう事してくれないもんねぇ、よっしーは。話を聞いてるとなんだか差別を感じるなー」
「・・・お前の場合マジで洒落にならねぇからな。このエロテロリストが」
「なによそれぇ! 大体本当にテロリストっぽい事をやった義之くんにそんな事言われたく無いわぁ。一体何をやったのよ、アレ」
「あれか、あれはただ花火を打ち上げただけだ。別にこれといって特別な事はしてねぇよ」
「花火? あのドーンと空で綺麗に鳴る花火の事かな?」
「そうだ、ななか。花火ってのは火薬と金属の粉を混ぜた物に火を付ける事で化学反応を起こして爆発する。金属の粉ってのは色々あるけど
オレが使ったのはアルミニウムだな。だから花火っつーか粉塵爆発って所か。授業でも危ない物って事で習ったろ?」
「そ、そうだったかな・・・あはは」
「・・・・まぁいい。オレはそれを適当に混ぜ合わせて投げただけだ。ちょうどあの女が踊り場に移動してくれて助かったよ。狭い廊下だと
爆発がこっちまで来るし、何よりあの突風のお陰で急激に酸化されてその上天井に擦って摩擦された。いくら魔法でも化学には勝てないと
思ったんだが・・・・アテが外れちまった」
最初に金属粉を投げて次に火薬を投げ込んで爆発させた。普通火薬というのは厳重に保管されているがクリパの準備か何かで鍵が開け放た
れていたので少量を拝借した。
花火みたいな綺麗な形ではないが問題はその化学反応がちゃんと起こるかだった。式的には反応するのは確かだがオレの荒っぽいやり方で
本当にソレが起こるのかは自信がイマイチ持て無かった。
結果は成功みたいだったが・・・・はぁ、逃げられちゃ同じだよな。独特の血の匂いがしたからやったと思ったんだけど、あの感じじゃ逃げ
られたな。かったるいったらありはしない。
「二日後と言ったけど明日杉並を掴まえるか。あの女絶対にすぐまた来るぜ? オレの事をかなり恨んでるからな」
「また何か悪い事でもしたんだろ義之。お前は人を逆上させるのが上手いからな」
「何言ってんだよ美夏。オレはただ一般論を述べただけだ。オレ流にな」
「はぁ・・・・それが余計な事だと言うのだ」
「とりあえず明日も早いし寝るとすっかな。オレは保健室に戻ってまた寝るとするよ。クタクタでまだ体調が完璧じゃねぇからな」
「む、そうか・・・。こっちに来てからお前は休む暇が無かったしな。ゆっくり休むといい」
「おう、ありがとうな。じゃあ行くかアイシア。今日は早めに寝るぞ」
「は、はい」
義之がアイシアの頭を促す様に手を置き歩き出す。
面々は今日はこれで一日が終わったと一息吐き出し・・・。
「ってなんでアイシアと義之が一緒に行くのだっ!?」
「おかしいわっ、おかしいわよ義之!」
「ちょっとぉ、意味が分からないよ義之くん!」
「あぁ? 何がだよ」
「寝るのに何でアイシアさんと一緒に保健室に行くのかって事よぉ。まさか一緒に寝るつもり~?」
「・・・・・」
何か考える様に顎に手を置き義之は考える。その間も女性陣―――エリカは睨むようにしてその義之の姿をジッと見ていた。
そういえば最近ずっとアイシアと一緒だったからつい名前呼んじまったな。アイシアも断りの言葉も吐き出さなかったし思わず一緒に
寝るところだった。それはそれでオレは大丈夫なんだけどな。
しかし、こいつ等はそうは思わないだろう。絶対ある事無い事を勘繰られるに違いない。男女が同じ部屋、同じ床で寝るっていうとそれ
は特別な意味を表す。それが分からない程オレ達は子供では無かった
そしてまた状況も良く無い。これだけ人数が居るのに何故アイシアを床に誘ったのかと思われる。贔屓にしていると言われ非難を浴びる
事になってしまう。正直にオレ達の今までの経緯を話すのは論外だ。きっとエリカとか由夢とかエリカとかエリカはキレてしまうだろう。
さて、どういう言い訳をするかな。金髪のお姫様が鋭い視線を送って来ている事に気付き、ため息を付いた。
「・・・・・」
枯れない桜の木の下でうずくまりながら顔を伏せる。夜になってもそこは不思議と明るく、神変的な雰囲気を醸し出していた。
ちらっと視線を横に配るとそこにはいつもと変わらない様子で寝ている未来の自分。衝動的に殴り飛ばしたくなるが、グッと堪えた。
この子が居るから自分は存在出来ている。そもそも自分はこの『自分』の為にこうして痛い目を見ながら行動していた。だから怒っても仕方が無い。
頭の中では論理的にそう考えるが、感情がそれに従ってくれない。また顔を膝の間にうずめて目を瞑る。思い出すのは先の出来事だった。
「桜内義之」
名を呟くだけで心が氷点下まで下がっていく。とてもドス黒く、海の底よりも深く光が届かない程真っ暗闇な感情が渦巻いた。
あの爆発の所為で腕が吹き飛んでしまった。あまりの痛さで歯を噛んで絶叫して、胃の中の物を吐いてしまったのはつい五時間前の事。
すぐに桜の木の下に戻り腕はほぼ完璧に治りはしたが・・・それでもまだあの痛みを引き攣っている感じがした。
「さすがボクの子だけあるか。一筋縄じゃいかない」
思えば一度やられてまた戻ってくるあの行動力もおかしい話だ。
ただの勇気ある行動という言葉では済まされない。もっと本質的にあの子は普通の感性を持った人とは違うと感じる。
あれだけ壁に吹き飛ばし、吐瀉物を、血を吐き出させてナイフも突き刺した。普通なら恐怖で私の顔を見れないぐらいに心も傷付く筈。
それなのに・・・・ボクはすくっと立ち上がり、枯れない桜に手を置き目を瞑った。
「もう違和感という言葉じゃ片付けられない。確かめてみよう」
記憶の中にある桜内義之とボクが目にしている桜内義之では明らかに『人』が違い過ぎている。
とてもじゃないが『気が優しく、他人を無闇に傷付けない』人間とは思えない。そんな人間があそこまで短期間に凶暴になるものか。
躊躇なく金属粉に火薬を投げ込むなんて普通は出来ない。知識ある人間なら尚更な話だ。
「どんな結果が出てくるのか・・・」
ヒラヒラと桜の花弁が舞い落ちる中、私は自己の中に没頭した。
そして心の内に決める。次会ったら、存在事消し去ってやろうと―――――。
翌日、オレもクリパの準備に駆り出された。
本当は面倒でかったるいのでサボろうかと思ったが、音姉に促されて無理矢理に担ぎ出される。
オレが不機嫌な顔をしても全く動じずに手を引っ張るその姿はまさしく姉貴という感じだったが・・・・はぁ。
「ふんふんーふふーん」
脇を見ると何が楽しいのか顔をホクホクさせながら歩いている音姉。テンションが高い様に思えた。
「さて、どこを周ろうか弟くん!」
「キャバクラ喫茶とか無ぇかなー。ちゃんとテーブルチャージ料とか取らないで値段もリーズブナルな店が良い。最近のキャバは頭の
ネジが一本飛んでる女が多いからもっと安くてもいいのにとつくづく思う」
「ま、またそうやってふざけた事を言うんだからっ」
「いやいや、マジ話だって。都会にある高級な所は話は別だがそこら辺のキャバなんかマジで下品で常識の欠片も無い女ばっかなんだぜ?
前にファッションの話もしたが、ありゃ駄目だな。ギャル系の服とかの話しかしねぇ。程度が低いよ、程度が」
「・・・・もしかして、そういう所に結構行ってるの?」
「社会勉強の為だよ、音姉。別にオレは女に困って――――いや、ある意味困ってるけど、不自由はしてないからそんなに行って無い。
そんなんで金使うなら風俗でも行った方が良いよ。切実にそう思う」
「ふ、ふ、風・・・俗・・・・って」
「音姉はそういう職業に付くなよ。自分の体を売って値段を付ける女は基本的にオレは好かないからな。色々あいつらも事情はあるんだろうけどよ」
純情な音姉は顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。良い反応だ、オレの周りでそんな反応をしてくれるヤツなんて限られてる。
魔法使いという規格外の女なのに、一番女の子してるというかなんというか。本当に歳相応な感じで色々新鮮だ。話をしてるとよくそれが感じられる。
妹も由夢も純情といえば純情だが、ムッツリスケベなので除外だ。本人は気付かれていないと思ってるみたいだけど。
「大体なんでそんな楽しそうなんだ? そこまで浮かれる様なもんじゃないと思うんだけどさ」
「だって弟くんと二人っきりでこうして遊ぶなんて久しぶり―――というか初めてじゃない? いつも大体他の女の子と一緒だしねー」
「あー・・・そういえばそうかもしれねぇな。音姉も音姉で生徒会忙しいし。話すのは家でメシ食う時ぐらいか」
「だから嬉しいんだよ。こうして弟くんと色々話せるのがね。それにホックだって閉めさせてくれないし・・・お姉ちゃん、寂しいなぁ」
「生理的に無理なんだよ。首に手が近付くのがな。音姉だってそういうのがあるだろう? 誰にだってあると思う」
「まぁ、そうかもしれないけどさ」
頬を膨らませる自分の姉的に存在に嘆息しながら義之はポケットに手を入れながら歩く。
この世界に来てから音姉とも色々あった。自分という存在がどういうのか知られた事もそうだし、暴力的な態度で泣かせた事もあった。
それなのに変わらずこうして横を一緒に歩いている――――怖がらずに悠々と。ただの天然の女って訳ではない事に気付いたのは最近の事だった。
「あ、弟くん弟くん。何かマジックショーをやるみたいだよ、ここ」
「ん? 人体切断マジックに電流爆破マジックか・・・。いいねぇ、こういうの」
「え」
「昔人体切断マジックに失敗して死んだ人間や、本当に木端微塵になった人間が居たって話だ。見様見真似で真似する人間が多かった
らしい。一時期マジックで成功して億万長者になった人が多かったからかな? 金は怖いな」
「な、なんでそんな危ない事を! ちょっと責任者に掛け合ってくるね!」
「どうぞどうぞ」
ダッと駆けだしてその看板が立て掛けられている教室の中に入室していく音姉。
相変わらず道義心が強いというか馬鹿正直というか。教室の扉に寄り掛かりながら中の様子に耳を立てる。暇潰しにはなるだろう。
「すいませんっ、ここの責任者は誰ですか?」
「はい? 一応自分ですが・・・」
「外の看板を見ました。随分危な気な事をするんですね。生徒会――――中央委員会とか風紀委員の許可は取ったんですか?」
「あ・・・・は、はい。一応許可は頂きました。ある程度節度さえ守れればやっても良いとの事で・・・」
「許可証は?」
「これになります」
責任者の男がファイルの束から一枚の紙を取り出し音姉に見せる。
恐らく委員会の女だと思ったんだろう。人に命令する様が板についていた。音姉はそれを手に取りジッと読んでいく。
そして「はぁ」とため息を付きながらその許可証を丁寧に折り返した。様子から察するに公式な物だと判断したんだろう。
「確かに許可印と直筆のサインがありますね・・・。おばあ―――音夢さんの筆跡だし、偽造という訳ではないみたいですが・・・」
「ええ、正真正銘本物の用紙です。最近は杉並とかが巧妙に偽造しているらしいですが、勿論自分達はそんな事はしていません。皆で
楽しくやる為に一生懸命掛け合った成果ですよこれは」
「うーん・・・」
「まだ何か問題でも?」
「あ、いえ。とんだ失礼をしてすみませんでした」
「いえいえ。別にいいんですよ。確かにこんな危ないマジックショーなんか普通は―――――」
音姉から受け取ろうとした許可証を横から掻っ攫う。
空を切り茫然とする相手と音姉。構わず近くに置いてあった椅子にドカっと座り、その文書に目を通す。
「ちょ、ちょっとアンタっ」
「火薬を取り扱う危険作業が含まれ・・・・資格者・・・・・人数の振り分け・・・・立会人・・・・」
「弟くんっ?」
ざっと目を通し、ブツブツと呟きながら所々読み上げていく。急に登場したオレの存在に責任者の男はあたふたとした様子を見せた。
オレならこんな男に責任者は任せられねぇ。いざって時に安心して身を任せられるぐらいに安心感が無いと危険物なんか扱えない。
少なくともこんな時でもドンと構えて貰えないと不安で仕方が無い。そうしてその紙を最後まで読み、オレは顔を上げた。
「なんだ、このふざけた許可証は? ドラッグパーティでも開く勢いでイカれてるな、おい」
「なっ、そ、それは公式な文書だぞ! 文句があるなら委員会に――――」
「確認してみろ、てか? アンタに協力している内通者に? この紙キレを持って? 間抜け面を晒してか?」
「ど、どういう事なの弟くんっ?」
どういう事じゃねぇーよ。まさか音姉はこれに書いてある文章をそのまま鵜呑みにしたのか?
いくら性格がお人好しで気が良い性格っても程度があるだろう。時代が違う所為で勝手が違ったのか額面通りに受け取った音姉、騙されやすい性格だ。
「火薬取り扱い作業の所に許可の印が押されてる所でまず馬鹿げてる。このクラスには十八歳になるまで留年した奴がいるのか? 尚且つ資格者の
名前が化学の先生でも担任の名前でも何でもねー。そして確かに危険物取り扱いに年齢制限は無いから、このクラスにその資格を持っている奴が
居てもおかしくはない。ただ十人以上がその資格を持っているとなるとまるで映画の世界だな。講習を受けたと書いてあるが、そんなんで取れる
資格なんて酸欠と粉塵ぐらいなもんだ」
「それは・・・」
「許可印の風紀委員のサインが入ってるみたいだが・・・なぁ、一つ聞きたい。なぜ上記の内容と書かれているサインの間に不自然な間が空いてる
んだ? そして字の濃さと色が若干違っている。まるで他の用紙とツギハギして更にコピーしたみたいなお粗末な出来具合だ」
「そ、そんな馬鹿なっ! そんな分かりやすく修正なんか――――あ」
「そう、確かに見事な修正具合だよ。表面はな。裏面見たら見事に紙の色合いが違っている。コピーして劣化した紙と合わせたら、まぁ、こうなる
よなぁ。だが一度このはっちゃけた書類は一度委員会の目を通っている。許可した人間は視力が0.01かアンタの友達ぐらいしかいねぇだろ」
「・・・・・・」
本当に適当な事が書かれた書類だ。内容が支離滅裂だし、これを自信満々に見せるこの男も男でどうかしてる。
しかし――――仕方無いのかねぇ。サインってのは見ただけで分かりやすいOKサインだ。それっぽく内容が書かれて整然としてれば
騙される人間が居てもおかしくはない。簡単な詐欺が未だに件数を減らせないのもそういう心理があるからだ。
実質音姉は騙された。実際にはこの紙に書かれているのはオレが言った言葉を難解にしてある。いかにも専門的な事を知ってますよ
的な感じで長ったらしく文章が書かれていた。
そうなると人は流し読みをして、一番目立つサインの所を見てしまう。ああ、これは大丈夫なんだなと思ってしまう。普通は字の濃さ
何か見ないし裏面も見ない。人間て案外騙されやすいもんだ。オレも例外じゃない。
「音姉、簡単に騙されんなよ。仮にも会長さんだろうが」
「あ、はは。そういうのはいつもまゆき辺りに任せてたからね・・・。私は再確認してハンコを押すだけだし・・・・」
「音姉の場合カリスマだけでどうにかなる力を持っているからな。それはそれで良い事だと思うけど、将来詐欺には騙されんなよ」
「う、うん・・・」
「この分だと刃物取り扱い云々も適当な事を吹かしてんだろ。誰かが怪我したらどう責任取るんだ? まさか先生とか言い出さないよな?
停学で済めばいいとこだぜ、爆発で火傷とか刃物で流血沙汰なんて格好のニュース材料だ。『学園』のここなら尚更な」
「け、けど人目を集めるマジックなんかこれぐらいしか無いし・・・他の出し物なんか今更出来る訳が・・・・」
「こんなあぶねぇー真似しねぇでもマジックなんざ何でも出来るんだよ。こんな風にな」
「え」
袖を捲り上げ、手の平を相手に向ける。勿論手に何も持って無ければ隠せるスペースなんか何も無い。
そして手をヒラヒラと回してまるで蝶が舞っているみたいに不規則に動かした。皆の視線がそこに集中し、眉を寄せる。
一体何が始まるんだろうという目付き。そしてオレはグッと拳を握り、開いて見せた。
「ホラ」
「・・・・え?」
「おお、さすが弟くんっ、すご・・・い・・?」
その場に居た全員の目が点になる。
オレの超絶なマジックの技術に腰を抜かしていた。それは仕方無いだろう、まるで魔法みたいにそれが出てきたんだから。
横に居る音姉の顔を窺うと白から赤色になっていき、最終的には青色に変化した。そんなに驚く事でもないだろう。
「も、もしかしてそれって・・・女の人の・・・」
「そうだ。オレの横に居る美人さんのブラジャーだ。脱ぎたてのホカホカ。顔写真付きで売ったら数万ぐらいになるな」
「き―――――きゃぁぁああーーーーーーーーーーっ!?」
甲高い悲鳴を上げてオレの手からふんだくる様にブラジャーをもぎ取っていく音姉。
しかしその場で付ける訳にもいかないので、あたふたと忙しなく体を突き動かし、結局ポケットの中に収めてしまう。
教室に居る男子生徒の反応は・・・上々だな。感嘆の声を上げて集まって来ている。男ってのは何で女の下着が好きなのだろうか。
「な、何してるのよ弟くんっ!!」
「別にブラじゃ無くても良い。例えばコイン、鳩、時計、携帯、何でも応用できる。どうやら見栄えを気にしているみたいだが、必要無い。
来た観客をマジックに嵌めてやりゃ大概は驚いて喜ぶ。やり方を教えてやるから、まぁ、座れや」
「は、はい」
「無視しないでってば~~~~!」
単なる気まぐれ。こういう細かい手作業は好きだったので昔から色々独学で覚えてきた。
見せる機会なんて無かったから、もしかしたらこれが初公開も知れない。ちょっと面白くなってきたな。
「まず簡単なロープマジックを教えてやる。これは切った筈の紐が繋がってるというヤツでな・・・」
「な、なんで私がこんな目に合うのよぉ~~~~!」
爆発音が鳴り響く。その音に学園中の生徒は驚き慌てめいて茫然とその場に立ちつくしていた。
時刻は夜の10時過ぎ。いくらなんでも火薬を取り扱っていい時間帯でも無く、花火にしては音が余りにも爆発めいていた。
「さて、そろそろか」
首を回しながらその光景を見て息を吐く義之。今回杉並を捕獲する作戦には初参加だが、特に緊張している様子は見受けられなかった。
各人あちらこちらに散らばり爆発の音が聞こえるまで待機しており、今の爆発で一斉に皆は動き出した。混雑する無線の連絡。
義之の横には音姫が待機している。そして近くには居ないが茜の傍にはアイシア。芳乃さくらの急襲に備えての事だった。
「じゃあ、ちゃっちゃと行くか。音姉」
「・・・・ぶぅ」
「まだ怒ってるのか。さすがにオレもやりすぎたなと後悔したよ。だからさっき紐マジック教えたじゃないか」
「み、皆の前で自分の下着を見られたんだよっ!? 誰だって怒るよっ」
「一応良心の呵責もどきはオレにだってある。だからパンツじゃなくてブラにしたんじゃねぇか。我儘な女の子だな、音姉は」
「良心がある人はっ、そもそも下着を使ったマジックなんてしません!」
「ユーモアがあると思うんだけど不評な様だな」
ふらふらと中庭の真ん中を歩きだした義之に音姫は顔をむくれさせながら付き添った。
遠く校門の方を見ると真っ赤な炎が屋台を、部材を、衣装を燃やして行くのが分かった。
改めて見ても酷い光景。音姫はその小さな拳をぎゅっと握り締め、肩に力を入れる。
「あんまり気張っても仕方無いぞ。集中するのは良い事だが無駄に力を入れちゃ疲れるだけだ。こう言う時はクールに力を抜いて余裕を
見せればいい。煙草、吸うか?」
「だから法律を守っててば・・・・。それに力を抜いてどうするの? ここ一番っていう時に気合いを入れて、全身に力を注ぎこまないと
何時だって何でも成功しないよ、弟くん」
「力を入れれば余計な緊張を生むし視界の幅が狭ばる。心臓が高鳴って血液が急激に体を巡れば興奮状態を呼び込むし、考える力が低下
するだけだよ。プロスポーツ選手並のイカれた集中力を持ってれば話は別だけどな。持ってるのか、音姉は?」
「お、弟くんて本当に不良なのか優等生なのか分からないね。よくそんな事を知ってるなって感心するよ・・・はは」
「どっちでもねぇよ。強いて言えば優等生と不良を行ったり来たりしている。手を歩きながらマッサージしてやるから力抜けよ」
片手を取って解す様に親指と手を使ってマッサージをしていく。
程良い力とツボを押される気持ち良さに、音姫は「へぇ」と呟き声を上げてなされるがままになった。
「上手いね、弟くん」
「よくさくらさんに頼まれてやってたからな。それに自分自身でもマッサージはよくする方だ。結構気疲れが溜まるもんだからよ」
「気疲れ? 誰に?」
「オレの女――――になるかもしれない跳ねっ返り娘共」
「・・・・ああ」
「女に気を使うのは本当に疲れる。たまに渉や杉並と出掛けても何回も着信やメールが来るからな。気が中々に休まらない」
「だからいつも休みの日に家に居ないんだね。いつも姿を見ないからもしやとは思ってたけど」
「色んな所引き摺れ回されてるよ。そして他の女と会って一悶着ってのが恒例行事だ。こんな狭い島じゃ当り前だよな」
と、音姉と喋りながら歩いていると無線から声が聞こえた。
声の主は――――杏。玄関前を杉並が堂々と歩いていた所を杏チームが発見し、それを追跡中とのことだった。
音姉とオレは目を一瞬合わせて、杏グループに合流しようと駆けだした。
「ものの五分で発見か。こんだけ見つかり易くてよく今まで捕まえられ無かったな、音姉達はよ」
「見つかり易いのは今までもそうだったよ。ただ、追いかけている途中にいきなり消える事が何回もあって・・・」
「つまり瞬間移動者って事か。捕まえられるのは一生無理かもしれねぇなー」
皮肉を言うオレにまたも音姉は顔を膨らませて抗議するように走る速度を上げた。
あっという間に抜かされる自分。身体能力は高い方だと思ってたけど、女に抜かされるってのは結構屈辱だな・・・。
「こらーーー! 待ちなさーーいっ!」
「はっはっはっ! いい加減俺を捕まえてみろ、もう何回目だと思ってるんだっ」
「くっ、今度こそ捕まえて見せるんだからね! 今度は心強い助っ人がいるんだから!」
音姉の後ろにくっついて走っていると、ちょうど杉並の祖先を追いかけているななかを発見した。
その後ろからは杏と委員長が息を切らしながら続いて行く。ななかは運動神経良いもんな。
「よぉ、杏ちゃん。そんなに額に汗を掻くなんざ珍しいな」
「い、嫌味を言う暇があるなら追いかけなさい、よっ」
「そんな事をして汗を掻いたら折角のアクセが汚くなる。手入れするのも面倒なんだよな」
「余裕綽々で羨ましいわ、ね。はぁ、はぁ、し、白河さんの足なら追いつけそうだけど、きっと、また、消えるわ」
「い、今までもそうだったしねっ」
「マヤマヤも汗びっしょりじゃねぇか。日頃から運動してねぇからそうなるんだ。ウォーキングでもした方が良い」
「貴方もそれは一緒でしょ! あとあとマヤマヤ言うなっ!」
「そうだな」
しかしこんな運動不足の女共に負ける程オレは体力が無い訳ではない。これでも一応平均男子ぐらいの身体能力は持ち合わせていた。
そうして話をしながら余裕で並列して走っていると、先に走っていた音姉とななかが壁の前で立ち止まっていた。表情は困惑を形作っている。
そこに汗だくの杏と委員長、オレが追いついた。校舎裏の壁で窓なんか一つも無い。見失うにしては余りにも場所も狭すぎた。
「また見失っちゃった・・・」
「本当にいきなり消えるんだもんね。こんな行き止まりの場所で姿を消すとなると私達の視界の中にまた現れなきゃいけないのに」
「・・・・はぁ。とりあえずまた同じ展開ね。雪村さん、次はどうするの?」
「仕方無いわ。他のチームが見つけてくれるのを待って、それに合流して多人数で追い詰めるのが最も効果的――――」
「あーそこどいてくれ。下に降りられないだろ」
「え」
音姫をそこからどかし、地面の土を足でサッサとどかしていく。
いきなり何の前触れも無く奇妙な行動を起こしたオレに皆の怪訝そうな視線が突き刺さって来た。
杏の顔を窺うと―――――手で顔を覆って、しまったと言いたげな様子を醸し出している。頭が良いヤツ程単純な事に気付かないもんだ。
「あ、あれ、それって・・・もしかして・・・義之くん?」
「ああ、隠し通路だ。よくオレの世界の杉並が移動しているのに使っている。大体急に人が消える訳無いだろ」
「私とした事がなんて迂闊・・・・・こんな単純な事に気付かないなんて・・・これからは渉を笑えないわ」
「是非そうしてやってくれ。時々アイツお前のSっぷりに本気でヘコんでいる時があるからな。その度にお前をヘコますのも疲れるんだからよ」
「友人思いで結構ね、義之。その時って貴方が私に好意持ってるのか疑問に思ってるぐらい噛みついてくるわよね」
「弄るのは構わないがあんまり度が過ぎると見てて苛付くからな。アイツも人が良いから言い返さねぇけど。友人付き合いを続けたいなら
もう少し手加減してやれ」
「・・・自重しておくわ。所で何で義之はこの隠し通路の正確な場所が分かったのかしら? 適当に探した出したって訳では無さそうだけど」
「よく杉並と一緒に行動してるからこれくらい知ってる。一応全部の隠し通路は教えて貰ったよ。女子更衣室の入り口から生徒会室のファイル
の保管場所までな」
「あ――――だ、だからこの間の警備が抜かれたのねっ!? 生徒会室の会長椅子を盗むだなんて挑戦状を送って来たから厳重にしたのにっ」
「結構広い道になっているから椅子を持ち運びするにも最適だな」
蓋を開けるとそこにはやはり下に続く階段が登場した。
足を踏み入れ皆を促す。目をきょろきょろと動かしながら物珍しく観察している面々。
まぁ、普通に生活していたらお目に掛かる所じゃないもんな。少しコケ臭い通路だが、人が通っているので小奇麗にはしてある。
「でも、あっちもこの通路は全部把握してあるんでしょ? 上手く逃げ遂せられないかしら?」
「ああ、それは大丈夫だと思う。間違いない」
「どうしてそう言い切れるの?」
「どうしてって・・・当り前の話だろ」
「当り前?」
「そうだ」
怪訝そうな顔付きを作る杏に、義之はかったるそうに振り返らないで次の言葉を発した。
「あっちはオレの事を知らないが、オレはあっちの事を・・・杉並を知り尽くしている。今から始まるのはただの『作業』だよ、杏」
「来たか」
後ろから数人の足音が遠く聞こえる。どうやら隠し通路の存在がバレたらしい。
走る足はそのままに出口を目指して視線は正面を向いたまま動かさない。懐中電灯の光が真っ暗闇の通路を照らし出す。
いつかは知られると思っていたが、それにしては少し早すぎると思っていた。尚且つここは見つけるのに一苦労する通路。若干違和感が付き纏う。
「まぁ、十中八九あの新顔の男の所為だろうな。見たところ中々やり手っぽい雰囲気を出してたし手強そうだ」
顔をニヤリとさせてほくそ笑むように唇の端を吊り上げた。
外見はワルっぽい空気を漂わせていたがただの馬鹿じゃないのは確かだろう。聞けばあの芳乃嬢も手こずる程の男らしい。
「・・・・あの時は殺されると思ったな」
途中経過が気になった杉並は芳乃さくらに会いにいつもの待ち合わせ場所である枯れない桜の気の下に向かった。
いつもの通り道。それなのに身体に掛かる圧迫感に吐き気を催すぐらいに異常に満ちていた。重油の海に浸かってるが如くの出口無しの閉鎖感。
そして何とか桜の木の所に辿り着き、見つけた小さなの少女の姿。体育座りをして表情は窺えない。とりあえず声を掛けてみる事にした。
『やぁ、ご機嫌はど――――』
『ごめん、喋らないで。殺すよ、杉並君』
『・・・殺すとはまた物騒な事を。何時だって俺達はクールに仕事をこなしてきたじゃないか。少し頭に血が昇り過ぎているんじゃないか?』
瞬間、すぐ横を風が通り過ぎる。余りの速さに身を動かす事も出来ない程の突風―――いや、もう突風と呼べるレベルじゃない。
まるで砲弾が横を通り過ぎたみたいに体がビリビリと震えた。後ろをチラリと振り返ると何本もの木が横倒しに倒れている。
『二度は無い。早く次の行動を起こして私の為に働いてね。杉並君』
『・・・了解』
とうとう顔を上げる事無く会話は終了。来たばかりなのに踵を返し、また学校に戻るハメになってしまった。
そして考える。果たしてこのまま芳乃嬢に従って行動してていいのか、と。いい加減クリパの準備物を爆破して壊すのに辟易してきていた。
茫然として燃える屋台を見上げる生徒達。中には泣いている女性も居た。最初は見て見ぬ振りをしてきたが、そろそろ潮時かもしれない。
「ふっ・・・逆上した芳乃嬢に殺されなければいいのだがな」
まさか自分にそんな良心の呵責があるの驚きの事実だった。とりあえずこの事は今回キリにして置くとしよう。
最初は魔法というオカルト染みた事象に惹かれ興奮し、芳乃嬢の助けになろうと始めた事だったが、さすがに度が過ぎていると最近考えていた。
「ん?」
ふと、違和感を感じる杉並。歩いていた足をぴたりと止めて、眉を寄せる。
「・・・なんだかおかしい」
何を聞いた訳でも無ければ発見した訳でも無い。ただ漠然と何かがおかしいと感じていた。
それは勘。直感的な感覚で目の前に見える暗闇に違和感を感じ取り、辺りを懐中電灯で照らす。
鼻も鳴らし五感を総動員させ―――――火薬に似た『何か』の匂いを敏感に感じ取った。
「・・・・あれは、野球で使う硬球か?」
壁に出来た亀裂の隙間に挟まる様に野球で使うボールが嵌めこまれていた。そして何故かライトに反射する物もあり、よく見ると針金の線だった。
それを辿って行き視線を下に落とし目を凝らして見てみる。するとあと一歩踏み込んだ場所にその針金が走る様に張り巡らされていた。
「――――はは、なるほどな。これに引っ掛かるとボールに仕掛けられた火薬が爆発する仕掛けか。随分危な気な真似をしてくれる」
火薬の匂いの元はあのボールからだった。そしてこの線に引っ掛かれば見事に爆発する仕掛けになっている。
着火元は反対元に備え付けられているコンセントを差し込むの為の電源口。もしこの線に足を掛けて引っ張ればすぐさまストッパーが外れて
ボールに電流が流れる仕組みになっている。
中々に考えるじゃないか。こんな暗闇じゃ注意してなければ誰だって引っ掛かってしまう。電灯があってもそれは同じだ。埃を被せる様にして
カモフラージュしているのだから意識しなければ見失ってしまうのは間違いが無い。
それにボールの中に火薬を詰めるなんて狂気の沙汰。少量でも危険物扱いされるというのに、それをボールに丸ごと入れてあるとしたらとても
じゃないが引っ掛かりたい代物では無かった。
「そしてこれだけ小細工を考えるヤツだ。きっとこれだけじゃ終わるまい」
それは確信に近かった。こんな物を用意する相手が針金の存在を知られた時の事を考えないわけがない。
杉並はふっと笑みを浮かべ、プツンと髪の毛を一本抜き取り前にかざす。ゆっくりと、目を凝らしながら慎重に・・・。
するとその髪の毛は何かに引っ掛かった様にクンッと折れ曲がった。杉並は満足したかのように頷き、手を引っ込める。
「足元に注意を向けさせておいてこれが本命。この細いピアノ線が引っ張られるとストッパーが外れてどっちみち爆発する・・・か」
ぞくぞくとした喜悦に似た感情。今まで碌な対戦相手と競って来なかっただけに、やっとまともそうな競争相手が出てきた事に感謝をするよう
ククッとくぐもった笑い声を洩らす。
今までは爆破してただ単に逃げるという行為しか繰り返して来なかった。元々刺激を求めるこの性格。こういう挑戦染みた行動をされると本当に
嬉しい。是非これを仕掛けた相手に拍手をしたい。やっとまともな妨害工作を仕掛けられたのだから。
「みんな良識がある人間だからこんな危険なトラップを仕掛けて来ないしな。きっと仕掛けたヤツはとんでもない悪党だな、うむ」
ボールの中に火薬を詰めて爆発させる。まともな人間ならこんな真似はしてこない。
思い当たる人物――――あの新顔の男か。よくやってくれる。やはりタダモノでは無かったか。
「だが、しかし」
こちらの方が上手だった。罠を見抜き、このまま逃げ仰せられる。この相手に勝利するという美酒に似た感覚は何度味わっても飽きが来ない。
懐からニッパーを取り出す。この目の前にあるピアノ線を切ればここは安全に通り抜ける事が出来る筈だ。
「今度―――の機会があるかどうかは知らんが、またお手合わせしたいものだな」
この隠し通路を発見したのも恐らくその男だろう。どうやって調べ上げたかは知らないがそれも称賛に値する。
隠し通路とは見つからないから隠し通路と言うのであって、余程の観察力か根気が無ければ無理な話だった。
「よし」
今度競り合う時は是非ポーカー等で勝負をしてみたい。
そう思いながらニッパーでピアノ切断し―――――体が千切れ飛ぶ様な感覚に囚われた。
「お、引っ掛かったか」
遠くで聞こえる炸裂音に一同はビクッと体を竦めるように身を縮ませた。
義之は何も無かったかのように足の歩みを再開させた。この隠し通路は一直線の道になっており、歩くのに左程の支障は無かった。
「な、何今の音っ!?」
「オレが仕掛けた物に奴が嵌った音だよ。中々に良い音がしたな。どうやら上手く爆発したらしい」
「ああ、例のヤツね・・・・・・って桜内はあれを人に向けて爆発させたのっ!? 殺す気っ?」
「まさか、また・・・」
「大丈夫だよ。さすがにオレでも、そんなやたらめったらに人は殺さない。大方骨折ぐらいだろうな。そうなるように量を調節した」
「なんだ、よかった・・・・・いや、骨折でも危ないけどさすがにそれ以上は・・・・」
「顔に当たったら死ぬかもしれないけどな」
「え」
「おら、さっさと行くべ」
瞬間的に人は何かあったら顔を背けるという防衛反応がある筈だから大丈夫だと思うけどな。そこまで威力も強くないだろうし。
義之と音姫達は真っ暗闇の通路を固まりながら歩いて行く。其処に近付く度に火薬の匂いが増して行き、段々とその元に近付いて行った。
しばらく歩いていると足に何かが当たる感触。目を凝らすと懐中電灯が落ちていた。そして感じる人の気配。壁側に視線を送る。
「初めまして、だな」
「え・・・・・・きゃ!?」
「・・・・」
片腕を抑えながら黙って義之達をジッと見詰めている杉並。暗闇の中で周りがよく見えていなかった音姫達は驚いた様に後ずさりする。
義之はその杉並の様子を観察するように腕を組んで、杉並とは反対側の壁に寄り掛かかった。
「よく逃げ出さないで待っててくれたな。そんなにオレと会いたかったのか――――嬉しいな」
「何をほざく。お前の仕掛けた罠の所為で足が参ってしまっている。歩くには少し時間が掛かりそうだな、この有様じゃ」
「骨折だけならまだ良心的だろ。 で、どうだった? オレが面白おかしく作ったブツの威力は」
「・・・・そうだな」
足元に落ちている黒い物体を辛そうに拾い上げて手の中で弄ぶ杉並。その様子を見ながら義之は懐から煙草を取り出し、火を着ける。
他の面子はそんな義之と杉並の様子を黙って見守っていた。場にはまだ緊張感が漂っている。杉並は逃げる様子を見せないが、今この瞬間に
何らかの手を使って逃げ出してもおかしくはない、と考えていた。
「この感触は・・・ゴム、いや、シリコンっぽい何かか? これが散弾銃みたいに襲いかかって来た時はさすがにたじろいでしまったぞ」
「樹脂の中にアルミ二ウムを混ぜておいた。電気が通りやすいし熱も伝わり易い。手榴弾のゴム版かな?」
「自分でこれを考えて作ったのか?」
「いや、映画を見て参考にした。外国にもあるだろ、テロを制圧するのにゴム弾を発射する銃が。血は出ないが骨は砕ける」
「なるほど・・・では、あと一つ聞きたい」
「なんだよ」
「何故ピアノ線を切って爆発したのか、それが知りたい。俺の見立てではそれを切ってその装置を解除したつもりだった。それなのに・・・」
「つもり、だろ? 確証が無いのに自信を持つもんじゃない。意識が一点に固まって柔軟な発想が出来なくなる」
そう言って屈み切断されたピアノ線を手に持つ。
細く長く、そして頑丈な性質を持っているピアノの鍵盤に使われるワイヤー状の線。
これを切るとなるとニッパーみたいなちゃんとした治具が必要になる。そして杉並はそういう小道具はいつも持ち歩いていた。
「このピアノ線は別にストッパーになんか掛かっていない。そう見える様にただ結んであるだけだ」
「なに?」
「更に言うと別にストッパーとこの電源にも、針金にも特に意味は無い。少し調べたんだがこの電源に電気は来て無かった。古臭そうな通路だし
とっくの昔に電気は来て無かったっぽいな。何回か改築してるせいで電源コードが別な所に行ったんだろう」
「・・・・つまり、どういう事だ?」
「使った原理はこれだよ、これ」
「それは、懐中電灯?」
杉並が落とした懐中電灯をヒラヒラと目の前で振って見せる。
それは特別な機能なんか付いていない普通の懐中電灯。ただ少し頑丈なだけの物だった。
「よく壁なんかに取り付けられてるだろ? 外すと電池が接続して光る懐中電灯。あれみたいにこのピアノ線が切られたり外れたりすると
そのボールの後ろに隠れてる蓋を外した電球が点灯して火花を散らすようにした。そして後は・・・ご覧の通りだ」
「なるほどな・・・よくこんな事を考え付くもんだ。将来科学の先生になってみたらどうだ? もしくは教育テレビに出てくる物知り博士とかな」
「人に物を教えるのは向いて無いから止めておくよ。お前の場合絶対に神経質な程慎重だからこの火薬とアルミニウムが入ったボールを発見する
と思ったよ。そしてこの針金を見て考えて警戒する。絶対に他の小細工が隠されている筈だと」
「ああ、その通りだ。何かやり方が悪党染みていたからな。悪は総じて知能が高い者が居る頻度が多い。そして入念に相手を嵌める為に色々な
細工を施す。実際にその通りだったよ。この、悪党め」
「褒めるなよ。で、最後にお前の性格を考えると色々な道具なんかを隠し持っていそうだし、9割近くの確率でこれを避けて通らないで切断
するとオレは考えた。相手を出し抜いてやった、と意味づける為に」
「・・・・」
ふと、杉並は杏の言葉を思い出す。あの何日か前に背中にボールペンをぶつけられた時の事を。
あの時、彼女は何て言っていたか・・・・。
「言ってた通りでしょ」
「・・・雪村杏」
「貴方、頭が良いと自分で思っているし、実際にその通りだと思う。だけどそれが逆に仇となったわね」
「まぁ、杏の言えた義理でもないと思うけどな。お前も何だかんだで今までボテくり回されてきた訳だし」
「・・・うるさいわね」
「まぁ、俺が頭が良いのは認めるがね。正しもう一つ長所があるぞ、義之とやら」
「ん?」
地面で足をトントンと何回か調子を確かめる様に蹴る。
さっき爆発した際にシリコンの塊が足を打ち付け歩けそうには無かったが、無理をすればまだ走れそうだと杉並は心の中で思う。
そしてこの通路の先の向こうに向かえば――――片腕を抑えていた手をどけて、ふらっとよろける様に壁から杉並は離れた。
「俺が・・・諦めの悪い性格だという事をどうやら知らないらしい」
「あんまり無駄な抵抗はするなって。一応友人の祖先にあたるお前を車に轢かれた芋虫みたいにしたくない。黙って捕まってくれればそれでいい」
「優しい性格をしてるな。さっき悪人と言ったが訂正しよう。お前は中々に善良な人間だ―――行動のやり口にちと問題があるがな」
「人間なんて表裏があって初めて人間なんじゃねぇか? それにオレは悪人側の人間だし、別に際立って優しくも無い。眼科に行けよこの野郎」
「ふっ、照れるなよ・・・シュガ―ボーイ」
「てめ―――――」
バッと杉並は着ていた学生服を翻し、その場所から離れる様に身を屈ませ姿勢を低くした。
さっきまでフラついていた男がいきなり急な動きを見せ、会話の途中という事もあって反応出来ない者が殆どの状況。
義之も虚を突かれた様に一瞬間が空き、すかさず後を追いかけようと同じく身を屈め、足に力を入れてスタートした。
「だから無駄に体力使わせるんじゃねぇよ、このスカタンっ!」
「まだ勝利が確定していないのに油断したお前が悪いんだ、あっはっはっは!」
喉から絞り出す様に意地でも余裕の表情を見せる杉並。
元々身体能力は杉並の方が上、足を痛めているといってもそれを気にした風は無く全力で通路を駆けだして行った。
「野郎・・・!」
ハッタリだ、本当は痛みなんか感じていない筈が無い。ただのやせ我慢に過ぎない。
だからこそオレ達に追われていると知っていてもあの場に留まっている事を選んだ。それ程までに切羽詰まっていたのは確か。
あのここぞって時に根性がある男があの場にぼーっと立っていた・・・・・恐らくは骨折しているだろう。
「痛めつけるのは好きだけど今はそういう気分じゃねぇし・・・面倒掛けるなよっ」
そして杉並が出口のドアを体当たりに近い格好でブチ開け、通路に光が漏れだした。
反射的に目を瞑りまたもや距離が若干空いてしまう。そして杉並は躍り出る様にその場所―――体育館に辿り着いた。
「ドアを閉めている時間は無いな。このまま無理をしてでも振り切って・・・」
額に痛さで汗を滲ませながら愚痴るように吐き捨て、今度は体育館の出入口を目指した。
ここを突っ切ればあとは問題ない。真っ暗闇の外が自分の存在を上手く隠してくれるだろう。そういう計算があった。
あとは今日という日、24時を過ぎれば自動的に自分の勝ち、ゲームクリアとなる。自分が元々有利なゲームで負ける訳にはいかなかった。
そういう意地にも似た気持ちがまだ杉並の体を動かし――――急停止させた。
「・・・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・・・ふふっ」
思わず笑みが零れてしまった。そうだな、そうだよな、そう簡単に行く訳が無いか・・・。
杉並が後ろを振り返るとすぐそこに義之が追ってきていた。だが杉並はもう動くのを諦めた様に、その場に座り込む。
顔を上げてドアの横、窓周辺、二階への階段の辺りに視線を送って今度は大の字に寝っ転がった。ドスンッと体育館の固い床の衝撃が伝わり眉を寄せる。
「徹底的にやってくれたな、義之とやら」
「はぁ、はぁ・・・くそが、やっと追い付いたぞテメェ。かったるい事させてんじゃねーぞ」
「運動不足だな。毎日ちゃんと体を動かしていない証拠、寝る前のストレッチはして置いた方が良い。翌朝気持ち良く起きれる」
「お前の運動神経が異常なんだよ。足の骨イカれてる癖にそこまで走るなんて――――動物だってしない」
「俺は人間だ。そして人間だから考える。俺の考えではこのまま上手く逃げられる筈だったんだがな・・・まさかここまでやるとは」
「これでもまだ足りない方だ。本当は二日掛かる所を一日に短縮したんだからな」
髪を掻き上げながら義之は杉並の視線を追って嘆息した。
この体育館にはあちらこちらに先程と同じような物が何個も仕掛けてある。作る事自体は左程難しくは無いので量産には問題は無かった。
だが芳乃さくらに目を付けられてしまったのでやむを得ず時間は一日しか作る事が出来ず、他の所にも仕掛ける筈だったものを体育館に集中させた。
「風紀委員とかそこら辺のヤツに今日は体育館に入るなって言うのに苦労したよ。まさか理由なんか言える筈無いからな。爆弾が仕掛けられてるって」
「ふむ、してやられたという事か。わざわざあの隠し通路に追い込んだのも貴様の仕業だな。薄々誘導されている気はしたのだが、気にしなかった俺
が間抜けだったか」
「そういう風に指示したしな。外に他の面々も待機させてある。別に無理に逃げてもいいんだぜ? 多分袋にされると思うけどな、あいつら気性荒いし」
「・・・さて」
天井を見上げて目を瞑る。
もういいだろう、散々楽しんだし少しばかりお遊びの範疇を越えていたのは分かっていた。
ここでこうやって捕まるのも運命だろう。もうそれ以上するなという神様の警告。
目を開けて杉並は義之の顔を見る。どこか見た事のある面影を背負っているが・・・・まぁ、いいか。
考えるのも走り回るのも飽きた。足にも酷い激痛が走っている。もうさすがに疲れた。
だから呟く様に言う。声を張り上げる気力さえない。芳乃嬢には十分尽くしたし、もういいだろう――――。
「分かった、俺の負けだ。クリパの準備祭を妨害する気はもう無い。あとは好きにしてくれ、桜内義之とやら」
こうして杉並の妨害工作は終わった。義之の後ろにはやっと追い付いてきた女子の面々。
服装も乱れ、呼吸も荒くして義之や杉並異常に汗を掻いていた。
「お、弟くん」
「音姉、伝えてくれ。もう終わったってな」
「え」
後はさくらさんを奪還するだけか、それが一番面倒臭い事だが・・・・なるようになるか。
ドカッとその場に座り込んで煙草を取り出して火を灯し、咥え煙草のまま手をハタハタと動かして促す様に言った。
「杉並は捕まえた、全員集合ってな。とりあえず『今日』はこれで終わり。少しの時間しか残って無いが、まぁ・・・休もうぜ。ちょっとだけな」
そして義之はこれからの事を考え、またため息をつく様に煙草を更に吸いこんで、吐き出したのだった。