今夜の学校はいつもの日常の静寂な空気を否定して、若干賑やかな雰囲気に包まれていた。
クリパの準備もあるとはいえ、中央委員会や風紀委員、残業組みの生徒達がまだ学校内に居るので一種の独特な空気が学園を包んでいる。
その空気の中、体育館に繋がる通路を歓談の声を上げながら彼女達は歩いて行く。そして嬉しさを堪え切れないのか―――美夏が茜の手を取った。
「いやぁ~やっと杉並の祖先を捕まえる事が出来たなっ、花咲!」
「義之くんならやってくれると思ったわよぉ~。彼、結構気合い入ってたしー」
「義之なら当然の結果ですわね」
「またそうやって根拠の無い自信を持つんだから、エリカさんは」
「根拠ならあるわ。私が好きになった人だもの。少なくとも無能じゃないわね」
「はいはい」
「でもこれで一安心だねー。月島もホッとしたよぉ」
ガヤガヤと騒ぎながら一同は踏み足を揃えながら歩く。
義之達のチームから杉並を捕まえたという報告を受けたのはさっきの事。エリカと由夢も何だかんだ言って喜んでいるのか笑みがうっすらと
浮かんでいた。そんな様子に小恋もホッとした顔を見せる。
この世界に来て早や十日近く。そろそろ自分の家が恋しくなってくる頃だった。ホームシックに近い感情、郷愁、ノスタルジーといった感情
が彼女達の心を支配していた。それは仕方の無い事だった。
軽やかに足も進む面々。その中で、アイシアだけが顔の陰りのような感情を見せ俯いて歩いていた。
「はぁ」
「あれ、どーしたんだアイシア。あまり嬉しく無さそうだが」
「あ、いえ・・・」
「そんなに暗い顔をしなくても大丈夫よ。もう大体は義之達が片付けてくれたのだから。あとはこの勢いで学園長を連れ戻せば・・・」
「エリカさんは能天気ですね。まだやる事はいっぱいあるんですよ? あの悪いさくらさんを何とかしなくちゃいけないんですから」
悪いさくら――――その言葉を聞いて、果たしてそうだろうかとアイシアは考える。
あれもさくらという人間の一部なんではないだろうか。前も言った通りに人は裏表があって人間だといえる。程度の差はあれどだ。
『幸せ』になる為に周りを否定してこの箱庭の世界で生きて行きたい。例え周囲の人達を傷付けても自分の願いを叶える。それもさくらなんだろう。
魔法の力で生き延びて数十年余り。気持ちは痛い程理解出来るし同感も得る事が出来る。ただ、それを実行するかはまた別の話だが・・・・。
「その時はアイシアさんと音姫先輩で何とかなさってくれるのでしょう? ねぇ、アイシアさん」
「ええ。この間は不覚を取りましたが、今度こそは――――」
アイシアが改めて決意を固くした、瞬間、大きな衝突音が響いた。
一斉に面々は音のした方向―――体育館に目を向ける。
「い、今のって・・・!」
「――――ッ!」
「あ、アイシアさんっ!」
皆の声を無視してアイシアは駆け出す。
不安に思っていた事が思わず的中した事に、歯をギリッと噛み締めながら走る速度を上げた。
すぐに息切れを起こす貧弱な体。しかしそれを敢えて無視して額に汗を掻きながらも目を体育館の方向に向ける。
(あのさくらならすぐに来ると思いましたよ・・・!)
通路で義之と対峙した時に見せたあの目。憎悪に満ちていた。義之から聞いた話ではさくらの好意の気持ちを踏み躙っての裏切りだと聞いた。
確かにあのさくらは私達の敵であり乗り越えなければいけない壁ではあるが、せめて状況を見てそういう行為をして欲しいと切実にそう思う。
「でも、そういう事が分かっていながらあの男の子は結局やっちゃうんでしょうけど、ねっ!」
階段を二段ずつ飛ばしながら駆けあがった。体育館はもうすぐ目の前。
後ろからは美夏ちゃん達が後を追いかけてくる。
「多分今の爆発はさくらの所為、だからそこで待機しておいた方がいいですよっ!」
「そうはいきません。もし義之の身に何かあったら気が気じゃないですわ」
「で、でも」
「確かに私達は魔法なんか使えません。けど、身代りになる事ぐらいは出来ますわ」
「立派な覚悟だが、その役目はムラサキがしてくれるんだろう? まぁ、お前の場合喜んで体を差し出しそうだが」
「勿論。色んな意味で」
「何だ、色んな意味でとは」
「聞くだけ無駄ですよ、天枷さん」
「か、体は大事にしてね。エリカちゃん」
「してるつもりですけれどね。月島先輩」
「どうだかねぇ~」
多少おどけている面々もいるが・・・どうやら本気らしい。
そしてアイシアは考える。その気持ちを無為にしたくはないが、相手が相手だ。もしかしたら大怪我では済まないかもしれない。
今のさくらはとても危険な状態にある。見境が無いといっても過言ではない。荒ぶる感情をそのままにぶつけてくる可能性があった。
「・・・どこまで」
「え」
「どこまで、やれますか? 今から義之達を助けに行く訳ですが、どこまで自分が犠牲になってもいいという覚悟がありますか?」
だから問いかける。中途半端な気持ちで来られてもハッキリ言えば迷惑になるだけだ。
アイシアの言葉に一同は少し考える素振りを見せ、一頷きをしてまずエリカがその言葉に答えを返した。
「さっきも言いましたけど、死んでもいいという覚悟はあります。勿論義之限定ですが」
「美夏はロボットだからなぁ。ぶっちゃけていえばAIのチップさえ残れば、まぁ、なんとかなる。だから限界までは頑張れると思うぞ」
「・・・正直死ぬ覚悟までは出来ていませんね。少し怪我するぐらいなら大丈夫だと思いますが・・・・」
「私は別に気にしないかなぁ。一回やられてるから何回やられても同じだし。それよりもこの行く末を見てみたい気がする」
「月島も―――うん・・・・由夢ちゃんと同じ考えかな。情けないと思うかもしれないけど、やっぱり、怖いかな・・・」
「いえ、普通に考えたら怖いのは当り前です。見栄を張って大怪我するのが一番困るので。では、由夢さんと小恋さんはここで待機を」
面目無さそうな顔で二人は足を止め、階段を上がった所で待っていて貰う。
責めるつもりは無いのだが多少キツイ言い方をしてしまった。後でフォローはしておくとしよう。アイシアは頭の片隅でそう考え走り続ける。
そして最終的に体育館に向かう面子はアイシア、エリカ、美夏、茜の四人となった。顔付きに迷いの感情は見えなく、まっすぐと視線は前を向いている四人。
(どうやら本当に覚悟が決まってるみたいですね、この三人は。力強い目です)
例え死ぬような目に合っても恐らく後悔はしないだろう。勿論、そんな事はさせないが・・・・。
息を短く吐き、気持ちの結び目を固く結んでアイシアは体育館前のトラップが仕掛けられていない無事な扉を開け放ち、意思が強く籠った声で二人に告げる。
「さぁ、後戻りは出来ません。行きますよっ!」
息が詰まって呼吸が出来ない。だから隣に居る音姉の体を無理矢理抱いて、自分ごと煙の下に伏せさせた。
他の面々の咽る声も聞こえるが自分と近くに居た音姉の無事しか確認出来ないのが酷くもどかしい。
急な爆発で面喰らったオレ達はただ単になされるがままになるしかない。あちこちで溢れだしている煙を避けながら音姉に話し掛ける。
「おい、大丈夫かよっ、音姉」
「ゴホッ、くっ、な、なんとかね」
「どうやら大将の出現らしいが――――くそっ、マズったな。仕掛けて置いたブツがあちこちで爆発して誘爆しやがった」
「皆は・・・大丈夫なのかな」
「分からない。けど、あれは一定の距離が無いと殺傷能力はそれ程無い筈だ。心配なのは・・・」
「随分面白い事をしてるんだね。桜内義之くん」
「――――ッ!」
聞きたく無かった声。出来れば疲労している現状況で会いたくはなかった人物の声を聞いて身を翻しながら後ろを振り向いた。
その声の人物―――芳乃さくらがそこに悠然と姿を現している。煙が晴れてきて各人も姿を現してくるが・・・・どうやら大きな怪我は無いみたいだ。
「こんな危ない物を使って、なに、アクション映画の登場人物になりきってるつもり? まだまだ子供なんだね、君は」
「・・・こうでもしねぇと杉並を捕まえる事は出来なかったからな。それに子供といえばあんたもそうだろう。こんなド派手な登場をかまして。
誰かが怪我でもしたらどうするんだ? 保険なんか効かねぇんだぞこの野郎」
「別に必要無いでしょ。この世界で保険証出しても捕まるだけだしね。それに誰かが死んでもボクは痛くも痒くも無いし」
「中々下種な発想で結構だ。尚更捻り潰したくなる」
「正義感かな。下らない」
「その通りだとオレも思う。ただな、オレはオレ以外の屑は見ていて苛付くんだよ。大概が根性無しだからな」
義之は時計周りにさくらの周りをうろつきながら様子を窺う。そんな義之をさくらはつまらなそうな目で見ていた。
(・・・けど、どうしたもんか。はっきり言えばこの場面でオレは役立たずの能無し野郎。音姉頼りだが・・・)
音姉の様子を横目で窺う。額に汗を垂らしている程の緊張感を持ってさくらさ・・・・さくらを真っ正面から見据えていた。
相手は自分よりも格上の相手だから迂闊に飛び込んだら痛い目に合うのは確実。事実、オレも茜も散々なやられ具合だった。
きっかけ―――それさえあれば音姉は動くだろう。普段は天然な姉貴分だが、こういう時の状況判断は優れていると思っている。
「で、何しにきたんだあんたは。こんな所でパーティって訳でも無いだろう?」
「・・・決まってるじゃない。桜内義之くんを返して貰いに来たんだよ」
「オレを? 悪いがデートの誘いなら――――」
「君じゃ無い。君という存在が宿る前の、『本当』の桜内義之くんだよ」
―――一瞬、回転していた思考が止まった。
その場に居た他の面々は訳が分からないといった顔で茫然としている。
事情を知っている音姫も、まさかそんな言葉が出てくるとは思っていなかったのか目を驚きで見開いた。
「色々調べて分かったよ。君、一回死んでるんだね。そして生きる為にわざわざ他の世界の自分を乗っ取ってその存在を上書きした。
間違ってるかな、確実な情報なんだけど」
「な、なんでそれを・・・・」
「簡単な話だよ、朝倉音姫ちゃん。この世界で私が調べられない情報なんかない。君達の生年月日からアメンボウ全体の数まで調べようと
思えば調べられる―――で、桜内義之、私の言った事当たってたでしょ?」
「・・・・・」
正直、面喰らった言葉であった。
まさかこのタイミングでそれを打ち明けられるとは思ってもいなかった。
この場には音姉、アイシア以外のその事実を知らない面々が居る。顔を見回すとまるで信じられないといった表情をしていた。
「ま、まさかそんな事って有り得るの・・・いくら魔法が存在するからってそんな非常識な・・・・」
「でも、義之ってある日から本当に人が変わったみたいに性格が変わったわよね。もしかしてデタラメって訳でも・・・」
「ば、ばっかじゃないの! そんな事、魔法が本当にあるからってそんなおとぎ話がある筈・・・・!」
「・・・・・」
「ね、ねぇっ! 義之君も黙ってないで何か言ってよ。『いい加減な事を言うなーっ!』ってさ!」
目を閉じて上を見上げた。瞼の裏側の暗闇を覗いて息を吐く。
「・・・ふぅ」
今までよくバレなかったと思う。最初は物凄く疑いの目を向けられ、泣かれ、大勢の人達を泣かせてきた。
そして時間が経過するにつれ違和感を感じられる事も少なくなって、今に至る。考えても義之という人間が変わった理由なんて思い付かない
から諦めた部分もあるのだろう。人は目の前にある事実を受け入れてしまう。個人差があるにしてもだ。
だが・・・それは魔法という存在が知られる前の話。その存在を知った今なら芳乃さくらの言葉を信じてしまう。元々違和感に囚われていた
人間なら尚更そうだろう。
「答えられる筈無いよね。実際その通りなんだし。君たちも大変だったね、元の桜内義之という人間を殺されるなんて――――まさかでしょ?」
「・・・桜内、それって本当の事なの?」
「義之くん・・・」
「義之・・・」
「お、弟くん」
口々にオレの名前を呟く女達に心配そうに呼びかける音姉。本来ならここまで深い関係を持つ事はならなかったし、筈も無い。
目を開けると不安気に皆の瞳が揺らめいていた。音姉に視線を向けると、顔を歪ませて俯いている。何て言って良いのか分からない感じだ。
芳乃さくらにそのまま目を移動させると勝ち誇っている顔で笑みを浮かべている。オレを孤立させようって魂胆だろう。この気の良い連中から。
「さぁ、答えてあげなよ。義之くん」
今まで満足に暮らしてきたと思う。
こんなオレがここまで慕われるなんて奇跡に近かったんだ。
もう十分楽しんだろう。オレが自分の正体を明かしたら今までの関係はほぼ壊れる。
元々の『義之』とは仲が良かったみたいだし、今まで通りにはいかない。
「ああ、答えてやるよ」
「男らしいね。さぁ、言ってみなよ!」
笑みが最高潮に達して破顔する相手の女
だから、あえて・・・・。
「あ? 何の事言ってるかサッパリだぜ。アンタ」
「・・・え?」
すっとぼける事にした。
もうちょっと面白可笑しく生きていたいしな、オレ。
「オレは最初からオレだ。何も変わって無いし変わろうともしていない。大方そうやって場を撹乱させようっていう魂胆なんだろうが
通用しないぜ。そんな口先のでまかせに騙されるなんて小学生ぐらいじゃねぇか?」
「―――ふざけないでよ。私は貴方の事を枯れない桜の木の魔法の力を使って徹底的に調べた。貴方が交通事故にあって向こうの私に
よってこの世界に移転し、その存在の上書きを・・・」
「おーい、お前ら! こいつの言う事は信用しないほうがいいぞ。こうやってオレ達のチームワークを乱そうって考えだ、策に乗るな。
まぁ、若干信じ掛けてアホ面晒してる女が何人かいるようだが・・・」
「え――――う、うん! 私は信じてたよ、あははっ! さ、さすがに魔法っていっても・・・ねぇ?」
「私も信じてたわ。まぁ、敢えて乗ってみようかとも思ってたけど・・・ね」
「だよな。さすがななかと杏だ。敵の言う事を信じるなんて三流も良いところだ。こういう感じでよくホラー映画かなんかで仲間割れを
起こすしありふれた手だ。ホラー映画、あんたはそういうの苦手そうだな。ビビりっぽいし」
「―――ッ! そんな戯言で私の言った事を覆す気っ? 馬鹿じゃないのかな、それこそ小学生が信じそうな虚言を・・・!」
「はいはい。この話はこれで終わり、やるならさっさとやろうぜ。お喋り過ぎる奴は嫌われるぜ?」
「は、はは・・・」
手をパンパンと叩いて話はこれでお終いといった風に毅然とした姿を見せる義之。その姿に芳乃さくらは唖然とした顔を見せた。
音姫もさくらと同じで、思わず乾いた笑みが出てしまう。さっきまでの暗雲とした雰囲気は消え完璧に自分のムードへ持っていた義之。
「何だかこういうのってよぉ、クラスの人気者と苛められっ子の図式だよな。黒いモノも人気者が白と言えば白になるし、苛められてる奴
が黒いモノを白と言っても信じて貰えない。そういえばさくらさんは昔苛められてたらしいな。外人だし仕方無ぇけど」
「・・・君はどっちかっていうと苛めっ子だよね。自分が楽しいからといって無闇に他人を傷付け喜ぶ最低の人種。いざ自分がされるその
時まで心の痛さを分からない。君は一度でも考えた事がある? 悪意を周囲の人間から向けられた時の事を」
「オレはどっちかっていうとよく苛められた方かな? 昔から尖ってる部分があったからよく囲まれて殴られたり無視られたりしたよ」
「またそんな嘘を・・・」
「ま、全員地べたに這いつくばらせたけどな。それ以来誰もオレに何かしようとはして来なかった。また何かしたら殴られるって思った
んだろうよ。もしくはイカれてると思われたか・・・どうなんだろうな」
当時は本当に色々された。靴を隠されたり陰口を叩かれたり、はたまた猫の死骸を机の中に入れられた事もあった。
だがオレは本当に執念深かった。靴を隠した奴を発見しては足の骨を踏み砕いたり、陰口叩いた奴を歯が折れる程殴ったりした。一番面白かった
のはその猫の死骸を口の中に無理矢理入れた事かな? 白眼を剥いて倒れた時は爆笑した。勿論死骸はその後丁寧に埋めたが。
さくらさんは根は優しい性格だったから何も言わず口を閉じてしまったから益々相手が図に乗ったのが原因。徹底的にやり返さなければまた同じ
事の繰り返しが起きるだけだった。
「で、いつまでお喋りしてるんだ。来るなら早く来い」
「――――舐めないでね。私が本気を出したら貴方達なんか紙キレのように吹き飛ぶんだから」
「そうかい。じゃ、アイシア、後は頑張ってくれ」
「え?」
「ば、ばか義之! 声を掛けないでください!」
今まさにその背後から手を向けて魔法を放とうと集中していたアイシア。オレの呼び声に反応した芳乃さくらにたじろぐ。
目を剥いてその姿を認めたさくらは、勢いよく後ろに振り返り飛び掛かろうとする。魔法で応戦するよりも近付いて力で押した方が早いと判断したのだろう。
「馬鹿な知り合いを持つと苦労するねアイシア!」
「くっ・・・!」
「音姉、今だ」
「うん!」
「なっ」
きっかけは与えた。音姫が義之と話してる間にも溜め込んでいた魔法の力をさくら目掛けて撃ち放つ。
アイシアに向かって足を走らせていたさくらは足を止め音姫に向き直った。崩れる体制。ギリギリの所でそれを迎え撃つ。
双方の力がぶつかった――――瞬間、その場に嵐に似た突風が吹き荒れ、周りにいた女性陣は顔を腕で庇い足を地に付けた。
「うわわっ!?」
「ちょ、ちょっと天枷さん!? 服を掴まないで下さるっ、服を!」
「ま、またこんな展開っ。廊下でやりあった時よりも激しいんだけど何これ!」
「持てる力を全部吐き出してる感じね。委員長も飛ばされないように気を付けて」
「わ、私もうダメかも~~~~!」
その突風で窓ガラスが割れ、クリパの為に整理されていた机やら椅子も吹き飛ぶ程の衝撃だった。
義之も思わず吹き飛ばされそうになったが、腰を低くしてその様子を見やる。お互いに拮抗している二人。
いや、音姫は早くも疲れを見せたのか額に汗を掻き始めた。対してさくらの顔にはまだ余裕が窺える。素人目にもそれは明らかだった。
「あ、あははっ! なんだ、やるじゃない音姫ちゃん! さくらさん少しびっくりしたかもっ」
「な、なんてデタラメな・・・! 力を溜めていない状態でそんな強い魔法が・・・」
「だから言ったでしょっ、ここは私の世界なんだって! 音姫ちゃんは確かに才能があるみたいだけど所詮蟻が虎に勝てる訳じゃない」
「さくらさん! 貴方は今あの桜の木によって自分を見失っているんです、目を覚まして下さいっ」
「命乞いにしてはありきたり過ぎるね。私は私だよ。自分の意思で動いている。そんな事を言っても手加減なんかしてあげないよ」
「くっ、は」
「ようやく目的の内の一人を仕留められる、ははっ。次は由夢ちゃんを・・・・」
そろそろ限界か―――義之はそう状況を読み取り、更に姿勢を低くした。
「オイ、お前ら! もっと伏せろっ、板に額くっつけるぐらいになっ!」
「い、いきなり何をいうのだよしゆ――――」
「言うとおりにしろ、早く!」
「・・・!」
「美夏、義之の言う通りにしなさい。みんなっ、もっと腰を落として這いつくばる様に伏せてっ!」
さすが杏か、オレの言った通りに動いてくれる。今まで先頭を務めてきただけあって空気が読める能力はさすがだ。
その言葉に一同は伏せる様にして体育館の固い板の上に身を投げ出した。義之もそれを見届けてすぐ同じく身を伏せた。
そのただ事じゃない様子を端目で見たさくらは怪訝そうな顔付きを作る。確かに激しく自分達の魔法は危険なモノだが・・・と。
「さすがにびっくりしちゃったのかな。こんな映画染みた光景なんて見た事無いだろうし」
「CGも使ってませんしね。これってもしかしたらお金が取れる映像かもしれません」
「え・・・・あっ!」
「遅いです、さくら」
後ろから今の今まで溜めて置いた魔法の力―――奔流する光がさくらを襲った。
対抗しようにも音姫の力とぶつかりあっている今の現状、どうしようもなかった。
片手をぶつけてなんとか応戦するが・・・力が二分された事で、両面から挟まれる形となりさくらは悔しそうに大声を上げて吠えた。
「こ、このぉおおおおおおーーーーっ!」
「無駄ですよ。昔からさくらは急な事態になると目の前の事にしか集中出来なくなるんですから」
「うっ、くぅうううっ」
「その集中力は確かに凄まじいものがあります・・・が、私の存在をすっかり頭の中から外してしまうなんて間が抜けていますね」
音姫の力とアイシアの力。二人の力に対抗しようと、さっきまでの余裕の表情を消して歯を食いしばるさくら。
しかしさすがに分が悪すぎた――――あっという間にさくらの魔法の力は押されて行き、板挟み状態となる。
「人間サンドイッチか、これまた面白い光景だな。まるであれ・・・・そう、ドイツで作られたアイアンメイデンみたいだな、はは」
「こんな人達に私は・・・絶対に・・・・!」
「言ってろよ。じゃあな」
吐き捨てる様にその言葉を吐いた――――瞬間、芳乃さくらはその圧倒的な光に包まれその姿を消した。
「な、なんだか激しくやりあってるみたいですね。本当に行かなくていいんでしょうか?」
「大丈夫ですよぉ。さ、お茶でも飲んで寛いでましょう」
「紅茶暖かいね。さすがに夜は冷えるなっと」
「あ、私も貰おうっと。さっきから喉がカラカラなのよね~」
「ことりに眞子まで・・・もうっ」
体育館から聞こえる激しい物音に動じず紅茶を飲み始める眞子と萌に音夢は嘆息にも似たため息を漏らす。
今から体育館の方で派手な音が聞こえるかもしれないけど、クリパで行う出し物の関係だから気にしないで。そう言ったのはついさっきの事。
アイシアさんという外国の方からの連絡でそういう風に伝えてくれという連絡があった。それを伝える為に眞子たちを呼び出した訳だが・・・。
「だって何か仲間外れにされてる気分なんだもん。今体育館じゃ皆やりあってるんでしょ? 何だか面白くない訳よ」
「雪村さんからは何かあったら大事だから今回は控えてくれとの事ですしねぇ。仕方ないですよー」
「それは分かるけどさっ。今まで一緒に行動してきたんだから最後まで居たいってのが普通の感情じゃない? 理解出来ても納得いかないわよ」
「美春はちょっと怖かったんで、少しホッとしてます。未だに魔法というものがどんなものか分かりませんし・・・」
「私もまぁ、どんなものか気になるっすねー。何だかファンシーな響きじゃないですか。魔法って」
「体育館から聞こえる音を聞く限りじゃそれは無さそうだけどね」
今もまた窓ガラスが割れる音が聞こえてきた。
音夢達が居る場所は屋上なので被害は無いが、それでもその大きな音は身を縮まらせるのには十分だった。
「さて、どうなる事やら・・・か。全部終わったら無線で連絡が来る手筈になってるけど」
「・・・・さくら」
手すりに手を置き目を体育館の方に向ける音夢。こんな事態になっても未だにさくらがそういう行為をしている事に戸惑いを感じずには
いられない彼女。いつもからかわれたり、裏で牽制し合っている仲ではあるが・・・ある一種の友情は感じていた。
いつもあっけらかんとして能天気を装っているが、時々深く考え込むように一人で黙っている時もあるさくら。一見は感情で動く人間に
見えるが何事も考えてから行動する女の子ではあると知っていた。
それなのに今回の騒動は何かが違う。確かにあの桜内義之という男の子の挑発がかなり刺激的なモノだったと聞くが、それ以外にも花咲
さん相手に暴行を働いたりもしていた。無闇に人を傷付ける人間ではないと思っていただけに、かなり衝撃的だった。
今のさくらは、なんだろう、感情に振り回され過ぎていると思う。
音夢は目を細めて手すりから置いた手を外し、人知れずにため息を吐いた。
さっきまでの喧騒が静まり、シーンとした静寂な空気に包まれる体育館。
辺りには窓ガラスが飛び散り、歩こうとするとジャリジャリとした小高い音が聞こえてくる。
義之は伏せていた身を起こし、辺りを見回した。それに習い周りにいた女性陣も恐る恐る立ち上がる。
「お、終わったのか・・・・」
「凄い光景でしたわね。あんな迫力のあるもの、私の国でも見れませんわ」
「一生忘れられない光景ねぇ・・・あ、あはは」
「ん? お前達も来てたのか。よくもまぁ、こんな危ない場所に来られたもんだな」
アイシアがいた方向の扉の陰から恐る恐るといった感じで美夏、エリカ、茜が姿を現した。
こんな危ない場所に来るなんてコイツらは・・・・そう思った義之は呆れた様に息を吐い
「当り前じゃない。もし義之に何かあったらと思うと、居ても立ってもいられなかったわ。ここに来れない由夢さんと一緒にしないで下さる?」
「小恋ちゃんも断念したしねぇ。ま、それが普通よ。ぶっちゃけて言えば私達がここに来ても出来る事なんか少ないし」
「あー・・・まぁ、責める気にはなれねぇよ。茜の言う通りそれが普通だしな」
「結局はこういう事よ義之。貴方の為にどこまでやれるかという局面で、此処に来れたのはこの三人。意味、分かるでしょ?」
「――――さて、どうなったか様子を見てくるかな」
「あ、ちょっと待ちなさいな! いい加減そうやって追い詰められるとはぐらかすのは悪い癖よっ」
「追い詰めてる自覚あるなら止めろよな・・・かったりぃ」
エリカの罵声を聞き流しながら倒れ伏せている芳乃さくらに近づく。
うつ伏せになっていて表情は窺えないが、体はピクリともしない。
「気を付けてくだい義之。相手はあのさくら、狸寝入りの可能性もあります」
「分かってるよ。最後まで気を緩めないで置く」
「迂闊に変な事しちゃ駄目だよ、弟くん」
「変な事ってなんだよ、変な事って」
呆れた声を出しながら注意深く観察してみる。
息は微かに聞こえるが意識があるようには思えない。試しにそっと首に手を掛けてみるが何の反応も無し。
アイシアと音姉に首を振って合図をして、誘う様に首をくいっと動かした。
「大丈夫だと思う。さっきの魔法で気絶したみたいだ。相手を舐めてるからこうなる、良い教訓だ」
「・・・ほっ。よかったです」
「大丈夫かな? 大分強力な魔法を当てちゃったけど・・・」
「死んではいないみたいだし平気だろ。よくこんな時に他人の心配なんか出来るもんだな。こいつ、結構音姉に―――いや、音姉と由夢に
恨みを持ってるから殺されてもおかしく無かったぞ」
「それは気付いてたけど・・・なんでだろう、何かしたかな・・・・私」
「本人にその気は無くても相手を逆上させる事なんて沢山ある。まぁ、音姉に意識を持ってかれたこそさっきみたいな作戦が――――」
手に暖かい感触を感じた。包み込む様な人の温もり。言葉の途中で口を止めて自分の手を見てみる。
白い肌の綺麗な小さな手。まるで人形みたいな手だった。それが自分の手を握っている。
「・・・・あ」
間の抜けた声が出てしまう。
芳乃さくらと目が合った。にやりと本当に嬉しそうな口元をしており、更に手を握り込まれる。
「義之っ!?」
「弟くんっ!」
「・・・柔らかい手だね」
しまった――――握られた手を振り払おうとその腕に蹴りを放とうとした、瞬間、体中から力が抜けて行くのを感じた。
「ぐ・・・ぁ・・・・ああ」
「油断しすぎだよ。相手を舐めてたのはどっちなのかな」
これはやばい。まるで死んであの場所に行った時みたいに自分の存在が希薄になっていくのが瞬時に分かった。
指先一つ動かす事もままならず段々視界が霞んでいく。自分の中の大切なモノが削られていって粉微塵になっていく。
背筋が凍る様な恐怖。まずい。このままぼーっと突っ立ってたらオレは、オレが、消えて・・・・。
「させませんよっ、さくら!」
「や、やめてーーーーっ!!」
「ごほっ――――」
音姫とアイシア。その二人の体当たりに近い抱き付きによって強制的にさくらの手と義之の手がようやく離れた。
義之は咽る様に膝を着きながら掴まれていた手を反対の手で握り締める。そこにはちゃんと手が存在していた。ホッとしたように義之は息を吐く。
音姫とアイシアが義之に駆け寄り一生懸命に背中を擦り、キッと芳乃さくらを睨みつけた。その視線に対し、彼女は漂々とした様子で手をプラプラさせる。
「あーあ。もうちょっとだったのに・・・残念だにゃー」
「一体何をしたんですかっ、さくら!」
「別に。ただその男の子が義之君じゃない以上ここに居る意味なんてないから消えて貰おうとしただけだよ、この世界から。元の義之君を
取り戻せるのはその後でも出来るし」
「消えて――――もしかして!?」
何かに気付いた様にアイシアは義之の手を取り、目を瞑った。
その様子に音姫も慌てて反対の手を取って意識を集中させる。
義之は訳が分からないといった感じで、首を捻った。
「なんだよ。確かに一瞬やられそうになったが、こうしてオレは無事だ。何ともなっちゃいない」
「・・・これは」
「そ、そんな・・・」
「あははっ。何とも思って無いのは君だけだよ、桜内義之くん」
「――――どういう事だ」
その台詞に眉を寄せて疑問付いた表情をする。
そんな義之に、アイシアは言いにくそうに呟きながらポツリポツリ喋り始めた。
「義之の存在の力が、弱まっています」
「あぁ? それはオレも感じていたけどそんなのさっきの一瞬だけだろ?」
「私達は魔法使いなので義之を視認出来ていますが・・・他の人は・・・・普段の私みたいに『見えにくく』なっている筈・・・」
「・・・・」
ふと、さっきまで一緒に居た面々の顔を、目を見た。
エリカ、美夏、茜は心配そうにこちらの様子を窺っていた。話は聞こえていないみたいだったが、何か怪我でもしたのかと思ったのだろう。
問題はその他のヤツ等。小首を傾げいぶかしむ様な目付きで茜達とこちらの間に視線を行き来させている・・・。
「おい、杏」
「・・・え?」
「オレが分かるか?」
「いきなり何を言うのかと思えば・・・私は相変わらず正常よ。貴方こそ平気なの、よ――――」
と、言葉を詰まらせる。凍りつく杏。信じられない様に目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいなっ。そんなの忘れられる筈無いじゃない、それもこの私が・・・・えぇっと・・・」
「どうしたのだ杏先輩。義之がどうかしたのか?」
「義之・・・そうっ、義之よ。ほら、すぐに思い出した。ごめんなさいね、ちょっと調子が悪かったみたい」
「この世界に来る前にオレとお前は平等がどうのこうのと話をした。その事は覚えているか?」
「・・・・えっと」
会話を切り上げる様にオレは立ち上がり首をコキッと鳴らして芳乃さくらを見据えた。
にやっと嫌な笑みを向けてくれる。どうやらアイシアの話は本当らしい。オレという存在がさっきの魔法の所為でイカれたみたいだ。
絶対的な記憶力を持つ杏がこの有様だと・・・他の人間にはオレを確実に認識出来ないだろう。
「やってくれたな。この野郎」
「いい気味だよ。普段の行いの悪さの所為だね、自業自得、因果応報、身から出たサビ・・・違うかな?」
「さぁな。で、お前に一つ聞きたい事がある。このままだとオレはどうなるんだ?」
「教えると思う? ボクが、君に?」
「それくらい教えたっていいだろ。ケツの穴の小さい女は嫌われるぜ?」
「・・・減らず口は変わらないんだね。ま、それも今の内だろうけど」
バッと身を翻し、風の様にふわりと浮かんで二階の窓部分に降り立つ相手。
待て―――そう言おうとしたが、喉に力を入れようとした瞬間、体から力が抜けていった。
「弟くんっ、大丈夫!?」
「無理しないで下さい、急激に力を奪われて体の自由があまりきかないんですからっ」
「はぁ・・・はぁ・・・くそったれ」
「にゃはは。さっきの答えだけど、そのうち君は消えるよ。持って1日かな。まぁ短い間だけど消えるまでその生をゆっくり楽しんだらー?」
「・・・悪趣味ですね、さくら。そこまで性根が腐っているとは思いませんでしたよ」
「何とでも言って。じゃあね」
そしてまた風の様に消える芳乃さくら。
その姿を見届け、オレは眠る様に地に倒れ込んでしまう。
「義之っ!?」
「弟くん!」
「義之!」
もう誰が誰の言葉が区別がつかない程沈殿していく意識。
最後に地に伏せた所為で擦れた胸元のアクセの音を最後に聞いて、オレは夢の中に旅立ってしまった――――。
「やったやった」
ぴょんぴょんと跳ねて校門に続く道を歩いて行く。
今回こそようやく一矢報いる事が出来た。最近してやられる事が多かったからこれは嬉しい。
「大体ボクがあんなミスする訳無いじゃん。ぷぷっ」
確かに音姫、由夢といった二人に固執していると自覚はあるが、あの場面でアイシアの存在を忘れるなんて馬鹿でもあるまいに
そんな事があり得る筈が無い。
一番厄介だと思っている人物だからそれは当然の事だろう。そんな危険人物にノコノコと背中を見せてあまつさえやられるなんて
間が抜けているのも程がある。やっぱり考えが浅いよねぇ、子供だし仕方無いけれど。
精々消えるまでの一日を堪能して欲しい。限りがあってこそ命は光り輝くし、自分の愚かさを知る事が出来る。この場合の愚かさ
とはボクに酷い事をした事。是非、その罪を購って欲しい所だ。
「っと、イタタ。ちょっと無理しちゃったかなぁ」
この世界はボクの世界。だからいくらあの二人の魔法でも不意打ちじゃない限りボクに傷を負わす事なんかは出来ない。
そう思っていたが・・・思った以上に力を付けていたので驚いた。怪我こそしていないものの体の節々が少しだけ痛む。
これは思わぬ誤算。だから次に対峙した時はもっと圧倒的な力で押さねばならないだろう。とりあえず今は慎重に様子身をするに限る。
「意気込んであのまま攻める事も出来なけどなぁ。でも相手の力量が確かに分かるまで控えて無いと・・・」
今までの怪我は相手を舐めていたから。余裕じゃ無く油断を持っていたから。それさえ気を付ければ後はどうとでもなる。
今回はあの憎き桜内義之を陥れたという事実だけで満足しておく事にしよう。深追いは禁物だった。
「さて、あの木の下に戻って少し寝て――――」
「ん、さくらか。お疲れ」
「・・・・あ」
目の前から歩いてきた男に声を掛けられ、浮足立った歩みを止めてしまうさくら。
さっきまでの快活さはナリを潜めてバツが悪い様に顔を伏せてしまう。まるで悪い事をしてたのを見つかった子供の様だった。
そんなさくらに気付かないのか、その男は漂々とした様子で手に持ったコンビニ袋を手持無沙汰にカサカサと鳴らす。
「お前も居残りでクリパの準備か? あんまり夜遅くまで残って体壊すなよ」
「う、うん。ありがとう。でも、平気だから」
「そっかぁ? お前の場合すぐに無理をするからな。遠足前の子供みたいにさ」
「――――! ぶぅ~っ、なにそれー!」
「はは、だって本当の事だろ。今更隠さなくなって分かるっつーの」
不貞腐れた様に頬を膨らませるさくらに、その男は笑いながらあやす様に頭をポンポンと叩く。
そしてさくらは頭に手を置かれながら、ふと考える。今の時間帯にこの人が此処に居るのはおかしい。もう日付が変わろうというのに・・・。
「それにしても珍しいね。クリパの準備をサボるぐらいの生徒さんが今この時間にここにいるなんて。また杉並くんと悪さでもするのかなぁ~?」
「またってなんだよ、またって。一応音夢を迎えに来たんだよ。ここは田舎だけど女の子が夜一人で歩くには物騒だしな」
「・・・あっそう」
片方の手に目をやるとマフラーを持っていた。しかしその男―――純一の首には既にマフラーは巻かれている。
という事は誰かの為に持ってきたという事だった。薄いピンク色の可愛らしいマフラー。それから目を逸らしてさくらはつま先で石を蹴った。
「いいなーいいなー。音夢ちゃんばっかり優しくして貰って。私も愛が欲しいなー」
「な、何言ってるんだか。俺はもう行くぞ。じゃあさくらも気を付けて帰れよな」
「―――――分かった。じゃあね、お兄ちゃん」
手を振って別れを告げ、校門を潜り桜並木道を歩く。
いつも思うがこの学校は贅沢だと思う。田舎の島なのにマンモス学校だし近くに都会はあるしこんなに素晴らしい通学路があるし。
恵まれ過ぎと言っても過言ではない。こんないい場所で学校生活を送れたらとても心が健やかに育つに違いないだろう。
そう落ちてくる桜の花弁を見ながら思い、さくらは歯をギリッと噛み締めて手を握り締めた。
「ボクだってね、この暗い夜道を一人で帰るんだよ。お兄ちゃんさ」
家も隣同士の近所。分かってはいたがお兄ちゃんの中でのボクへの扱いに少し胸やけがするようにジリジリ痛む。
昔はボクに恋愛感情に近い感情を抱いていた筈だった。それが今ではあてつけの様に音夢ちゃんとの仲の深さをまざまざと見せつけられた。
やはりアメリカに行くべきでは無かったか―――空いた時間がそのまま間の距離となったのは痛い。悔やむ様に空を見上げた。
「でも、あともう少し。もう少しでこの世界は完成される。そしたら・・・」
ボクは、今度こそ絶対に幸せになってやる。
翌日の朝。
いつも通り音楽室に集まって食事をする。
ある者は眠たそうに、ある者は今後の事を心配しながら眉を寄せながら箸を進めている。
「ふぁ~~~・・・っと」
「行儀が悪いわよ。小恋」
「し、仕方無いじゃん杏。昨日は夜遅くまで起きてたんだし・・・」
「やっと杉並君を捕まえたんだもんね。これで私達元の世界に戻れるのかな?」
「それがですね、白河先輩。さっき扉が出現した場所をお手洗いの帰りに見てきましたが、何も変わりは無かったですね」
「あ、そうなんだ。うーん・・・やっぱりあの子供っぽい学園長をどうにかしないといけないのかなぁ・・・」
ななかが携帯を開いて今日の日付を確認する。相変わらず12月22日のまま変わらず表示されていた。
ため息を吐きながらパタッと携帯を閉じ、食事を再開させる。若干微妙な間が場に流れた。
それを打ち消す様に杏は箸を置き皆の顔を見回す。
「それにあたっては私達じゃどうしようも出来ない出来事ね。音姫先輩とアイシアさんに頼るしかないと思うわ。少し情けないけれどね」
「やっぱり専門家に任せるって事かなぁ、杏ちゃん?」
「餅は餅屋よ茜。魔法なんてこっちの世界に来て初めて見たんだし、とてもじゃないけど常識が通じる様には思えない。策なんて無いわよ」
「それでも義之は何とかしてみせましたけれどね。魔法も何も使えないタダの人だけれど、見事追い返しましたわ」
「・・・そのよしゆきって誰かしらね、ムラサキさん。初めて耳にする名前だけれど・・・知らないわ」
「――――本当に、結局こういう事ですわよね。義之を本当に想っているのは僅かに数人。普段あれだけ好きだと仰っていながらこんな大事な
時に助けてあげれない。笑いを通り越して・・・呆れますわ。心底ね」
首を掲げながら疑問の言葉を口にする杏に、食って掛かる様にエリカは顎を上げて目を細め見据えた。
かろうじて義之の存在を視認出来ていた杏も、翌日には彼の存在さえ覚えていなかった。他の面々もそれは同じで義之という名前を聞いても
首を横に掲げるだけ。まるで知らない人間の名前を聞いた反応だった。
それに一番怒りを露わしたのがエリカ。朝食を採っている最中でも腕を組んで不機嫌そうに腕を組んでいた。一同はそんなエリカをいつもの
事と軽んじて見ていたが、唯一茜だけが本当にエリカが怒っていると見抜いていた。
だからすぐ何が起きてもいいようにと茜は脇に構えていたが・・・早速やり合うとは思っていなかったと、茜は息を長く吐いたのだった。
「いきなりの喧嘩腰ね。そこまで切れられるような事を言ったのかしら、私は」
「切れるどころかある意味嬉しくて仕方無いといった所かしら。こんな状況で言う事では無いけれど上手く取捨選択されたと思ってるの、私は」
「取捨選択?」
「去年から続いたこの一連の愛憎劇もゴールが見えてきたって事ですわ。勿論、勝つのは私ですがね」
「・・・何を言ってるのか分からないわムラサキさん。支離滅裂よ」
「あぁ、可哀想な雪村先輩。目隠しをされ歩く事もままならない。気付けば大事な物を落としたままお間抜けな顔を晒してその場に佇むだけ。
この感情は・・・そう、優越感というものかしら。とても心地良いわ、ふふっ」
「・・・! いい加減にして――――」
「け、喧嘩は駄目だよっ! 杏にエリカちゃん!」
「そうですよっ。喧嘩を売っているのはいつもの事ですが今日は少しおかしいですよ、ムラサキさん」
「はいはい、話すなら喧嘩は無しよぉ、二人とも」
小恋と由夢が止める様に間に入って杏を宥める様に肩に手を置き、茜もエリカを背に隠しそれ以上突っ込ませない様にする。
場が緊張感に包まれ、他の面々も表情を厳しくさせた。軽い喧嘩ならいつもの事だがここまで激しくやり合った事など記憶にないのだろう。
しばらく睨み合いの様にエリカと杏は目をお互いに走らせて――――はぁ、とエリカはため息を付いた。
「私、ちょっと出てきますわね」
「エリカちゃん、気持ちは分かるわ。分かるけど今の行動はさすがにどうかと思う。少し落ち着きなさい」
「・・・ハッキリ言って苛々するんですのよ。あんな人相手に良い様に翻弄されている雪村先輩達が。義之に対する愛が足りなかったらこういう
事になっているとアイシアさんから聞きました」
「そんなハッキリとは言ってないけどねぇ。ただ、どれだけその人物と深い付き合いをしてきたか云々で今の義之を覚えてるか、それとも忘れて
しまっているかとは言ってたけど」
「だから私は優越感を感じていると言いました。普段あれだけ持て囃している癖に、私達の為に頑張ってくれている義之を知らない人扱いするの
はどうも我慢なりません。花咲先輩は別ですけれどね。さすがといった所かしら」
チラッと杏達に視線を送る。
ジッと何か感じ取る様に様に見詰め続け、踵を返し音楽室から出て行った。
「何よ、ムラサキさんたら。感じが悪いわね」
「虫の居所が悪かったのかもしれないわ。元々感情の起伏が激しい子だし。雪村も先輩なんだからもう少し抑えなさいよ」
「いくら年上だからってあれだけ言われて黙るほど穏やかな性格では無いわ。全く」
「はぁ・・・」
大変な事になってしまった。またもやため息を吐いて茜は窓の外を見やる。
クリパの準備は順調だ滞りなく進んでいた。このままいけばクリスマスを迎える事が出来る。
しばらく抱えていた問題が一つ解決するのは良い事だが・・・・。
「義之くん・・・」
自分が慕っている男性の名前を呟く。皆が忘れてしまった名前、けど自分は覚えている。
忘れてたまるものか。エリカちゃんみたいに優越感は感じないが、この想いだけは忘れたくない。
忘れてしまったら―――なんて酷い女だとまたあの達者な口で責め立てられてしまうから。結構ガツンと来るのよね、義之くんの毒舌って。
「――――さて」
あの義之くんがやられっ放しでいなくなる訳が無いからどんな手を打つのだうか。
不安は不思議と感じない。いつも突拍子もない行動を取る男だから今回も何かしてくれるに違いないと思う。
淡い期待ではない。
膝を付く程絶望的だとも思わない。
彼、義之くんなら今回みたいな逆境もきっと・・・。
嗅ぎ慣れない匂いに、アイシアは鼻をすんすんと鳴らしながらポットにお湯を入れた。
こぽこぽと音を立てて保温筒に溜まっていく光景を黙って見詰めて、んしょっとそれをフラフラしながらベットまで持っていく。
最後に保健室に寄ったのは何時頃だったか――――昔はあちこち走り回ってたからよく小さい怪我をしたものだ。
「はい、天枷さん。お湯を入れてきました」
「ありがとうアイシア。さ、義之。インスタントしか無いが紅茶を入れてやる」
「・・・・・」
「ん、ああ。別に感謝は要らない。美夏が好きでしたくてやってる事だからな」
ベットで背中を起こして座っている義之にそれを差し出す。
暖かい湯気がふんわりと空気中に浮かんでいる。今日は昨日と比べるとかなり寒かった。
思わずぶるっと体を震わせながら窓の外を見た。どんよりとした色合いの雲が空を埋め尽くしている。
「あ・・・」
「ん、どうしたんですか、美夏―――」
「・・・・・」
「・・・もう、おっちょこちょいなんですからー義之は。今代わりの紅茶袋を持ってきますね」
「ま、全くしょうが無いヤツだなっ。でもまぁ、お前がこんなミスをすると親近感が沸くな。何時だってお前はロボット以上に正確に
動くから美夏の立場が危ういんだぞ、最新式なのにってな」
義之の手から紙コップが落下して、水が弾けた様に床に広がってしまう。
それを美夏は笑いながら雑巾でいそいそと拭いていきアイシアは台所に戻っていく。
「・・・・」
あれから保健室に運ばれ布団に寝かせられた義之。目覚めたのは日付が変わって翌日の朝の事だった。
皆に囲まれながら目を覚まし安緒する一同。とはいっても義之を認識出来るのは5人ぐらいしか残っていなかった。
涙目になりながら瞳を潤ませる音姫に苦笑いする義之。そして声を出そうとして―――顔を苦虫を噛んだ様に歪ませた。
「むぅ、結構汚れているのだなこの床は。返って掃除してよかったのかもしれない。埃っぽいと息苦しいからなー」
存在が弱まった所為で力も無くなり、声も出なくなった義之。
そんな義之を気遣ってか、出来るだけ義之をまだ覚えている面々は明るい様子を出しながら何とも無い振舞いをしていた。
「ほら、綺麗さっぱりになったぞ。もう床を舐めてもいいレベルだ。最近の美夏は綺麗好きだからな」
「・・・・」
「ん、まぁ、お前ほど掃除は上手くないがな・・・。全く、外見に合わず義之は神経質だ。一体誰に似たのか・・・」
「・・・・」
「むぅ、学園長か。それほど厳しそうな人物には見えなかったが、家では結構違うのだな」
僅かに口を動かして喋る義之に美夏は相槌を打つ。アイシアはそれを感嘆するように見ていた。
唇の動きだけで言葉を解する技術があるとは聞いていたけど、美夏ちゃんのそれはまた違うらしい。
何でも感覚的に言いたい事が分かるようだ。それを聞いた時は「本当に好きなんだな」と私は思ったものだ。
人の愛――――言葉にすると気恥ずかしいがそういったものを私は美夏から感じ取っていた。
「失礼するわ」
「ん・・・ムラサキか。お前にしては登場が遅かったな」
「お生憎様。私はロボットと違ってご飯を食べないと生きれない体なのよ。普通の人間ですしね」
「相変わらず口が悪いな、お前は。少しは由夢を見習え」
扉を横に引いて入って来たエリカに美夏は少し視線をくれて、アイシアが持ってきた紅茶袋を開けて紙コップに注いだ。
濡れた雑巾、少し水気がする床にエリカは状況を理解したように眉を少し上げたがそれを気にした様子も見せずに髪を掻き上げた。
「由夢さんに習う事なんて無いわね。そもそも義之を忘れてしまう薄情者の妹もどきに何を教われというのかしら。全く、腹が立つわね」
「頼むら喧嘩はしないでくれよ。義之の体調が優れない今、チームワークを乱されては堪ったものではない」
「さっき少しやり合ってきましたけれどね。皆の私に対する視線が冷たかったわ。どうでもいいけれど」
「・・・・はぁ、お前なぁ」
「義之を―――仲間を忘れてのほほんとしている人達とチームワークなんて出来る筈が無いわね。もう意識のズレが決定的にあると私は
思うわ。これからはスタンドプレイで動く事になるでしょう」
美夏の隣に座りエリカ。鬱積したように目を吊り上げながら目を瞑る。
そんなエリカに義之は手をチョップの形にして軽く叩きこんだ。
「いたっ! な、何をしますの義之はっ」
「・・・・」
「自分から孤立しにいくな、だそうだ」
「え?」
「オレは喋れないし、満足に体を動かす事も出来なくなった。フォローできる人物があんまりいないからせめて仲違いだけはしないように
しなくてはいけない―――と言っている」
「・・・考えておきますわね、一応」
「はい、エリカさんも紅茶をどうぞ。暖かいですよ」
「ええ、ありがとうアイシアさん」
エリカも紅茶に口を付けながら足を組む。若干ささくれ立った気持ちが落ち着いた様な気がした。
そして暫く軽く会話を交わせていく。義之の言いたい事は美夏が代弁していく形となったが、誰も気にした様子は見せなかった。
再び紅茶に口を付けホッと一息吐くエリカ。若干間が空いた所で、ふと、美夏は何か気付いた様に口を開いた。
「そういえば朝倉会長の姿が見えんな。一体どこにいるのだ?」
「音姫さんには例の扉の事について調べて貰っています。杉並くんを捕まえた事で何らかの変化が生じていると思ったので・・・でも、多分・・・・」
「変化無し、と。まぁ流れ的にあの悪い学園長を何とかしない限り無理っぽそうだからなぁ」
「ええ。このまま大人しくしていると考えるのは希望的観測過ぎます。すぐになんらかの手を打ってくるでしょう」
さくらの目的の一つ、クリパの阻害を阻止する事が出来た。
そうなると次は力に任せて妨害工作をしてくる可能性もあった。しかし、それはまだ良い方だとアイシアは考え口を真一文字に締める。
妨害してくるという事はまだこの世界の完成には至っていないという事・・・手をこまねいているという証拠だ。
一番最悪なのがそんな事をしなくてもすぐに世界を完成させてひっくり返せる段階に来ているという状態。
そして・・・その予想は多分当たっている。外れて欲しい考えだが、昨日の余裕の表情を見ているとそう思えた。
「・・・私も音姫さんの後について様子を見てきますね。昨日の今日ですし、何かアクションがあってもおかしくないですから」
「義之、今何か食べたいものある? こういう時こそ食べて力をつけないとね」
「・・・・・」
「むぅ、カツ丼を食べたいと言っている。相変わらずよく食べる男だ。大体もっと食べ易いモノを――――」
「分かったわ、カツ丼ね。今すぐ持ってくるから待ってなさい」
「あ・・・・行ってしまった」
「あはは。相変わらずアグレシップな女の子ですね。では私も行くとしましょうか」
即座に保健室の外に出て行くエリカに朗らかな笑みを浮かべたアイシア。
彼女も後を追う様に戸を引いて保健室を後にする。二人も居なくなった保健室。少し空間が開いた感覚に美夏は息を漏らした。
「・・・ふぅ、二人っきりになってしまったな。そういえばお前と二人になるのは久しぶりな気がする。この女好きめ」
「・・・・・」
「知らないとは何だ、知らないとは。本当にお前はこういう恋愛事に関してはお粗末だと美夏は憤慨した気持ちを抱いているぞ」
「・・・・・」
「あいたっ!? て、手を出すな手を! 全く」
頭を軽く叩かれ怒った様に腕を組む美夏。
しかし、それにしても――――。
(力が弱くなったな・・・前みたいな強さが感じられない)
叩かれた時があまりのも力弱く、頼りなかった。本当に義之なのか疑うかぐらいに。
義之もそれを感じ取っているに違いないがあまり表情には出さずにふっと笑うだけだった。
なら美夏も気にしない様にしよう。敢えて言う事でも無いだろうし。そう彼女は考え、帽子の位置を直す様に頭に手を添えた。
「けど、お前も大変な事になったな。あと一日でお前が消えてしまうなんて美夏にはにわかに信じられない。殺しても死なない男なのに。
ムラサキは一見何も感じて無い様に見えるが、本当は泣きたくて仕方無いに違いない。ただお前をそうやって心配させるのはアイツは
死ぬほど嫌っている。昔はわざと心配させて気を引こうとしたが・・・人間は変わるものだな」
「・・・・・」
「ああ、成長していると思う。花咲は逆にあまり心配していないみたいだ。お前の事だし何とかすると思っているのだろう。信頼されて
いるものだな」
「・・・・・」
「美夏か・・・美夏はどっちかというと・・・・うん、ムラサキと同じ気持ちだ。今回ばかりはお前でもキツイと思っている」
「・・・・・」
「なんだ、その余裕そうな笑みは。何か策でもあるのか」
「・・・・・」
「あ、アホ過ぎるぞ義之・・・。核爆弾のスイッチを押して蒸発させるとかお前は子供かっ! お前とは濃い付き合いをしてきたつもりだが
時々何を考えているか分からなくなるぞ・・・」
「・・・・・」
「疲れたか。まぁ、しばらく寝てればもしかしたら調子は良くなるかもしれん。少し休んでおけ」
布団に背を寝かせて横になる義之。
若干心配気な表情を出してしまう美夏。そんな美夏を義之は頭をポンポンと叩いておどけたようににやりと笑う。
その不敵な笑みに美夏も表情を柔らかくする。そしてその様子に安心したのか、すぐに義之はまたすーっと息を吐いて眠りに着いた。
穏やかに目を瞑っている義之。それを美夏は愛おしそうに見詰め、独り言のように口を開いた。
「・・・こんな時でもお前は変わらない。皆お前の事を忘れてしまったのにお前は自分でいられる。凄いな」
その事を話した時の義之の様子を思い返す美夏。言うか言わまいか迷ったが、義之の性格だと教えた方が良いという結論に達しアイシアが話し始めた。
どういう反応が返ってくるか怖い感情に囚われたアイシア達。だが、予想に反してあまり大きな感情を彼は出さなかった。
むしろ納得しているといった感じで頭を縦に振り、その事実を受け止めた。
「人嫌いのお前だから別に平気なのかもしれないなぁ。その割には周りに居る女性は多い様に思えるが・・・ふんっ」
鼻息を荒くして美夏は立ち上がり、音楽室に戻ろうと踵を返す。
人が居ては義之もゆっくり休めないだろうと思ったからだった。
人―――自分はロボットだが、時々その事実を忘れる事がある。
「・・・・すまない、義之。こんな時に何も出来ないなんて・・・美夏は無力だ」
傍若無人な義之だったが差別はしない男であった。
老若男女全てを平等に扱っていて、時には酷く残酷だが・・・時には優しい時もあった。
美夏がロボットだと言われ苛められた時でも庇ってくれた事実は印象深く残っている。
それなのに・・・・その恩返しを出来ないとは・・・・あまりにも心が痛い。
「本当に、すまない」
涙が一つ頬を流れて行く。それをゴシゴシと袖で拭い、保健室を後にする美夏。
一気に人がいなくなった部屋は静寂感に包まれる。独特の消毒臭い薬品が無機質な雰囲気を更に重くさせた。
そんな空気の中、ぴたっとその人物が寝息を止めた事で完全に無音になる。背を起こし美夏が出て行った扉を見詰めた。
「・・・・ッ!」
そして――――義之は無くなった力強さを取り戻そうとするが如く、、悔しそうに横の壁をダンッと殴り付けた。