いつも通りの通常運転、という感じかな。廊下を忙しくなく走り回る生徒達の横を通りながら音姫はそう感想を抱いた。
昨日の事もあって何かしらの変化を望んだが特に目に付く様な出来事は無かった。人の波の間を潜るようにして足取りを進ませる。
「やっぱり特に変わった事は無い・・・か」
もしかしたら・・・もしかしたら自分達が潜って来た例の魔法の扉が見つかるかもしれないと思っていただけに、落胆の気持ちは大きかった。
淡い願望だとは知りながらも期待せずにはいられなかった切実な思い。ため息を吐きながら来た道のりを戻っていく。
さくらさんを連れ戻して皆無事に元の世界に戻る――――この両方をこなすのはとても骨が折れる作業だった。
「・・・やっぱり、私だけでも・・・!」
そして極めつけは弟くんの容態。早くしなければ弟くんはこの世界に存在する事が出来なくなり、そして・・・・『消滅』してしまう。
そう考えると今すぐに枯れない桜の木の下に行って何とかしなければいけないと焦りを感じてしまう。それに伴い段々と心に余裕が無くなってくる。
そうだ―――自分自身の力を全部ぶつければあるいは・・・・。
「どうもお疲れ様です、音姫さん」
「あ・・・・・ど、どうも、アイシアさん」
思慮の海に没頭していた背中にいきなり声を掛けられ、音姫は驚いた様に声を上擦らせながら挨拶の返事の言葉を返した。
そんな音姫の様子をジッとアイシアは見詰める。何も悪い事はしてないのだがバツが悪そうに音姫はその視線から目を逸らした。
奇妙な緊張感が二人を包み込み――――アイシアは頭を下げた。急なアイシアの態度に音姫は茫然とし、アイシアは言葉を紡ぎ出す。
「すいませんでした。一人で調査を頼んでしまって。少し義之の様子を見たかったものですから。私も手伝うべきでしたね」
「いえいえっ。私自身も周囲の様子を自分の目で確認したかったからいいんですよ、そんなに畏まらなくても」
「・・・そう言って頂けると幸いです」
手をぶんぶんと振って慌てる様にアイシアの陳謝に否定の言葉を掛けた音姫。
実際に彼女は自身の目で確認しないと気が済まない性質なので、アイシアに調査を頼まれた時も素直に首を縦に振ったのだった。
「ところで弟くんの調子はどうでしたか? 私は朝に訪ねて以来様子を見て無いもので・・・少しは良くなってましたか?」
「――――少し、ゆっくりと話をしたいですね。なるべくなら人が居ない所がいいです」
「え?」
「中庭に行きましょう。あそこなら人は来ない筈です」
「ちょ、ちょっとアイシアさんっ?」
「あまり人が大勢居る所では・・・ちょっと」
そう言って歩き出すアイシアの後ろに、音姫は慌てて並んだ。
階段を下り一階へ。途中自動販売機で飲み物を購入して外に出た。肌を突く様な寒さに音姫はブルッと体を震わせる。
アイシアは周囲の様子を探る様に視線を彷徨わせ――――ちょうど陰になっているベンチに歩いて行き、腰を下ろした。
「ここでならゆっくりと話が出来そうですね。音姫さんも脇にどうぞ」
「あ、そ、それじゃちょっと失礼して・・・よっこいしょっと。それで弟くんの様子は・・?」
「・・・・ふぅ」
「―――アイシアさん?」
目を瞑って深呼吸する様にアイシアは息を吐き、ベンチの背に体全体を預ける体制を取った。
そのとてもリラックスした態度に音姫は若干困惑する様に目を忙しく左右に動かし、頬をポリポリと掻く。
「あ、あのー・・・アイシアさん」
「とても良い世界だと思いますよ。ここは」
「・・・いきなり何を」
「完成すれば自分に悪意を向けて攻撃してくる人間なんていないのでしょう。皆自分に優しくしてくれて気分が沈むなんて事はあり得ない。
当然ですよね、ここでは幸せな事『しか』起きないのですから」
「――――ですけど、それはマイナスな出来事が無いと実感出来ないと私は思います。確かに不幸なんて無い方が良いに決まってますけど」
「比較対象が無いと幸せは実感出来ないって事かな?」
「はい。そもそも幸せな事ばかりな人生って・・・何だか飴細工で出来た様に思えて私は嫌だな。脆くてすぐ崩れそう」
「頭が蕩けちゃいそうだもんねぇ。人生山あり谷ありがあってこその人生。楽もあれば苦もあるか」
どこかで聞いた様なフレーズを口ずさむアイシアに、音姫も緊張を解かして背をもたれさせる。
空を見上げると今にも雪が降って来そうな天気を醸し出していた。もしかしたらすぐに降り出してくるかもしれない。
そういえば――――今の弟くんと会ったのもこんな日だった気がする。あの時は大泣きして大変だった。昔の様な気がするし、つい最近の気もする。
「はぁ・・・弟くん、か」
前の弟くんを取り戻したいとさくらさんは言った。それを聞いた時――――私は怒りが灯ったかのように頭が熱くなった。
初めて今の弟くんに事の真相を聞いた時激しく動揺した。涙を流しどう自分の心を納めていいか分からず地に膝を着く程ショックを受けた。
当然の話。小さい子からずっと共に過ごしてきた自分の弟が消えたのだから。心から何か欠けた様に空洞が空いて、しばらく茫然としていたと思う。
そして考えに考え抜いて・・・・今の弟くんを自分は許容した。
確かに性格も違えば趣味嗜好もまるで違う。別人と言って良い程にその有様は変わっていた。
だけど、それでもやはり弟くんは弟くんだ。そう一種の自分にとって大事な決断をしたというのに、まるでそれを否定された気分になって怒りが沸いた。
「ふぅ」
息を吐き、心を落ち着かせて目を瞑る。自分の気持ちを再確認出来た事で頭に掛かっていた靄が晴れた様な気がした。
前の弟くん―――確かに大事な存在だった。だが、今の弟くんが消えてもいいという訳ではない。自分の悲しみはもう既に処理されている。
だから今の自分の目標は今の弟くんを守る事。二兎を追えばどっちも失ってしまう。もう迷ってなんかいられない。今すべき事に集中しなくては。
目を開け力強い色合いの目を見せる音姫。その様子をアイシアは端目に見て、前を見据えながらポツリ、ポツリと語りだした。
「今の義之ですけれど、調子は全く良くないですね。このままだと本当に一日で消えてしまいます。大変に残念な事実ですけど・・・ね」
「・・・そうですか」
「勿体ぶったつもりは無いんですが、話す間を溜めてすいません。音姫さんが何か思い詰めていた様なので中々切り出せませんでした。
もし言ったら背中を押す事になってしまうと思ってたので」
「背中を、押す?」
「義之が今にも消えそうで苦しい思いをしている。それを話したらさっきまでの音姫さんだったら特攻したでしょうね。確か・・・神風でしたっけ」
「・・・・」
言われてみると確かにそうかもしれない。
気持ちだけが先走って具体的な案は何も無かった・・・・力ではさくらさんには敵わないと知っているのに。
体から力を抜けさせ、だらんと擦り落ちる勢いで気落ちしてしまう。自分はもっと落ち着いて行動する人間だと思っていたのに・・・。
「・・・駄目だなぁ、私ってば」
「しょうがないですよ。誰だって自分の大切な人がいなくなると知ったら感情なんて言う事を聞きません。音姫さんは人が良いから尚更、です」
「アイシアさんだって人が良いじゃないですか。弟くんから色々と話は聞いてますし、こうやって会話してみてもその通りだと思います」
「そ、そうですかね・・・?」
「はい!」
元気よく返事の声を上げる音姫に、アイシアは照れた様に頬を掻いた。
今まで生きてきてそんな事を言われたのは初めてかもしれない。昔はお節介焼きだとか言われた記憶はあるが褒められたのは初めてだった。
それにお節介と言っても事態があまり良くない方向に進む系のアレだった・・・・額に手を当て、アイシアはその当時の事を忘れる様に手揉みした。
「それにしても・・・」
「はい? なんですか、音姫さん」
「アイシアさんって意外と動揺したりしないんですね。弟くんとはかなり仲が良かったみたいだったので、少し意外です」
「――――いえいえ、動揺しまくってます。まさかこんな事態になるなんて・・・予想外です」
「え、だってそんな風には見えませんよ? さっきだって私を窘めてくれたりして、冷静なんだなと感じましたし・・・」
「二人で混乱しても仕方無いですからね。もし私が感情を荒ぶらせていたら多分音姫さんが私を抑えてくれましたよ。誰か一人が冷静さを
失ったら残った人が冷静になるように人って出来てるんですよ。不思議ですよね、人間って」
「そんなものでしょうか・・・・」
「そんなものです。あと――――」
ベンチから立ち上がり遠くを見据えるアイシア。
その視線の先を辿っていくと、ちょうど枯れない桜の木がある場所に行き着く。
「起きた事を悔やんでも義之はどうにもなりません。大事なのはそこからどうするか―――よく皆で考えて行動する事です」
過去の自分は誰にも相談せず一人で突っ走ってしまった。素直に誰かに相談をしようとした事があっただろうか。
自分が何も出来ない魔法使いだと思いたくなく行動した結果、沢山の人に迷惑を掛けてきた。今度は同じツテは踏まない。
義之―――今までとても良くしてくれた。意地悪な時も多かったが、それでも自分を見つけてくれた事には感謝しても仕切れない。
今度は自分の番だ。
待ってて下さいね、義之。
「カツ丼・・・やっと取って来たわよ・・・ふふっ」
疲れ果てると人は笑うのか。新たな発見だが今現段階で全く必要の無い知識だった。
クリパの準備期間だから学食は空いているだろうと思っていたが・・・むしろその逆だった。
体を目一杯に動かしてお腹を空かした生徒達で混雑する食堂。その波に入った事の無い私は弾き飛ばされ唇を噛む思いをした。
「まぁ、睨みつけたら素直に道を譲ってくれましたが・・・思わぬ時間を食っちゃったわ」
家系が王族でありエリカは姫という普通に過ごしていたらまず会わない人種であった。普段はそれを盾に相手を凄んだり鼻に掛けて肩で風を切って
歩く事もしないのだが―――今回は事情が別だった。
一気に場をシーンとさせる程までに冷たい空気を出すエリカ。怒っても無ければ笑っても無い。感情が読みとれない無表情な顔。ただ、目だけは青色
の瞳を鈍く輝かせていた。義之が今大変な状態なのにこの人達は・・・・そう考えていると、黙って道を開けてくれる生徒達。
その出来た道を悠然と歩き、義之に二回教えて貰いすっかり覚えた券売機でカツ丼の件を購入した。人目を引く様な金髪と美貌を兼ね揃えた女性が
カツ丼を持って歩く風景に一同は何か言いたげだったが、結局黙ってエリカの背を目で追った。
「けど、これで喜んでくれるでしょう。やはり出来た女性と言うのは男性の要望をそつ無くこなす事・・・完璧ね。後はこれを――――」
「おい、こらぁ! 人にぶつかって謝りの言葉も無ぇのかよっ!」
「ん?」
罵声の言葉が大声で耳に入ってきたので、顔をしかめながら声がした方向に目を向ける。
明らかにタダ事では無い空気、喧嘩をする時に流れる場がいきり立つ空気が廊下を包み込んだ。
「はぁ、よく元気にあんな声出せるものだわ。あの元気を別な事に活かせないのかしら」
一人の男子生徒がどうやら肩がぶつかった云々で難癖を付けている様だった。これだけの声、嫌でも内容が聞こえてしまう。男は見た感じ服をだらし
なく着こなしており、耳にはピアスを付けていて顔は今にも沸点が振りきれそうな程怒りに満ちている。よくいるいわゆる不良学生だった。
嫌ね、品が無くて目の毒だわ。そう思って手に持ったカツ丼入りの袋を持ち直す。別に助ける義理は無いし余計な厄介事はごめんだった。今自分達が
置かれているこの状況下なら尚更そう思う。襟元を掴まれ相手は苦しそうに顔を歪めた。
絡まれている相手も何だか不良っぽいし・・・自業自得だろう。目立てばそういった人達に因縁を付けられるのは当り前の話。大人しく普通に学園
生活を営んでいればいいものを。
「さっきからダンマリ決めやがって・・・何様だよ、あぁっ!?」
「・・・・ッ!」
「くそ野郎が。ペっ」
ゴッ、と鈍い音を立てて殴られる相手。それを詰まらなそうに相手は見詰め、唾を吐いて去っていく。
下品極まりないとはこの事。何を考えて生きているのだろうか・・・・多分何も考えていないのだろう。
さて――――そろそろ行くか。変に絡まれるのがうっとおしいので足を止めていたが、また時間を食ってしまった。早く行こう。
「・・・・」
「そんな目で見られても困りますわね。まさか女性に助けて欲しかったとか? 冗談は止めて下さる?」
「・・・・」
目が偶然にも合った。若干恨めしそうに見詰められ、私は毅然とした態度で突き返す。
全く、知り合いでも無いのに誰が好き好んで義之を助け―――――。
「・・・・・あ」
殴られて尻餅を着いている男。よろけながら立ち上がり服をパンパンと叩いて、ふっと息を吐いた。
まるで何も気にしていない風に前髪を弄って壁に背を預ける。さっきの事など無かったかのような呈をなしていた。
そして私の瞳をジッと見詰め・・・・悲しそうに笑みを漏らした。
「あ・・・・あぁ・・・ち、違うの義之。私、私は義之の事を忘れたりなんかしないわ」
手に持った袋をドサッと落としてしまう。だが気にしている余裕は無い。そんな場合では無かった。
今の今まで絡まれている相手が――――義之だと分からなかった。保健室を出る前までが普通に覚えていたのに。
まるで何も知らない赤の他人を見るかのような感覚に陥っていた。違和感なんて感じ無かったし『思い出した』のも偶々で・・・。
「と、ところで義之はなんでここにいるの? 保健室に居たんじゃなかったのかしら?」
「・・・・」
「ああ、なんだ、お手洗いに来てたのね。それにしてもこんな状況だっていうのに絡まれるなんて義之らしいと言えばいいのかしら、ふふっ」
「・・・・」
お手洗いマークのプレートを指差して応える義之に私は取り繕う様に笑みを浮かべた。義之はそんな私に笑みを返す。
焦ってはいけない。平常心、心を乱しては駄目だ。義之は人の心の移ろいに敏感だ。変な事を言えばすぐに察してしまう。
もう遅いかもしれないが出来るだけ普通に接して話す。さっきの話は蒸し返させないで強引に会話の手綱を握った方が一番の最善策だ。
「あ、ほら! カツ丼をちゃんと買ってきましたわよ。ちゃんと券売機も使えたしさすがだとは思わない? 私も成長してるって事よ」
「・・・・」
「その顔は信じて無いわね。どうせまた私の事を不器用だと思ってるんでしょ? 全く、よし・・・と、きた・・・ら」
濁す様に語尾を小さくしてしまう。あれ? 名前なんて言うんだっけ。目の前にいる男性の名前は・・・。
「あ――――あははっ。い、いやね私ったら。ごめんなさい、少し調子がおかしくて」
「・・・」
「で、でも大丈夫よっ! 私は他の人と違って貴方の事を忘れない。だって私がこの世で一番・・・・」
一番・・・何が一番だったのだろうか。もう頭も心がぐちゃぐちゃになってしまう。
私だけは違う。例え全世界の人達が○○の事を忘れても私だけは忘れない。その自信があった・・・筈だった。
「だ、大丈夫だから・・・ね? 本当に私は貴方の事はちゃんと覚えてる。だから――――」
息を呑んで下げていた顔を上げた。そこには誰も居ない。慌てて視線を周囲に配るが人の姿は見えなかった。
まるでそこに最初から誰も居なかったような静寂感がある。おかしい、さっきまで○○は居た筈だったのに・・・・。
もしかして愛想を尽かされたのか。呆られたのか。悲しませてしまったのか。怒ってしまったのか。サッと顔色が青くなってしまう。
いけない。早く追いかけて本当に違うんだと言わなくては。
そして追いかけようと足を一歩踏み込み――――止まってしまった。
「・・・・あら?」
一体誰を追いかけようとしていたのか。もうさっきまでの記憶が無くなっているエリカ。茫然とその場に立ちつくしてしまう。
そこに義之は居た。ただエリカにはもう視認する事自体難しくなってしまっている。義之はそんなエリカを見て、視線を上げて目を閉じた。
今自分がどんな状況で、どんな事が周りで起こりつつあるのか痛い程までに痛感する。話を聞いて頭は理解はしていたが義之だったが・・・・。
「・・・・」
ごそごそとポケットを弄りエリカの手にある物を持たせた。
義之は再度エリカの姿を思い出に残すかのように見て、その場を立ち去った。
「何してるのかしら私ったら。呆ける歳でも無いってのに・・・・ん?」
手に何か持っている感触。ふと見てみると何かの布切れ――――ハンカチが握られていた。
しかし自分はこんなデザインのハンカチを持っていない。見たところセンスが良さそうなハンカチだ。
もしかしたら誰かが落とした物をつい無意識に拾ってしまったのか・・・思わず困惑気に眉を寄せてしまう。
「なんで私はこんなものを――――」
顔に何か違和感を感じた。
何か濡れている感触。気になって触ってみた。
「なにこれ・・・水?」
頬に何故か水がついていた。いや現在進行形で流れ続いている。
それもその水の出所は・・・目。自分の眼球からだった。
「え・・・・え・・・?」
止めどなく溢れ出る―――涙。エリカは益々困惑気に動揺してしまう。いくら手で拭いても止まらない。
だから勢いで手に持っていたハンカチを使ってしまった。持ち主には悪い事をしてしまったとバツの悪い気持ちに駆られた。
そしてとうとうハンカチで顔を覆ってしまう。何故自分がこんなにも涙を溢れだす程に流しているのか、訳が分からなかった。
ただ、一つの気持ちがエリカの体を立っていられなくする程に支配していた。
「う・・・・ぐっ・・・うぅ」
悲しさ――――エリカは地に膝を着き、自分でも何が悲しいのか分からないのにずっとそこで泣き続けていた。
「・・・・・」
やばい。結構キツイものがあるな。義之はそう思いながら廊下を気だるげに歩く。
自分では孤独に対する抵抗があるものだと思っていたのだが、実際に知っている人から他人を見る目を向けられるのはかなり心にくる。
昔はそういうのは屁でも無いと思っていたのだが・・・・オレも変わったのかもしれない。一回死んでしまってからは激動の一年間だったし。
「茜~ちょっと待ってよぉ。そんなに急いでどこに行くのー?」
「どこって学食よっ。どうやら聞いた話だと新商品が出てるらしいわ。いつも混んでるみたいだけど今日はそれに輪を掛けて
人が溢れてるみたい。行くなら今しかないわよっ、今しか」
「茜は相変わらずそういうのに敏感ね。早く行っても結局は並ぶ事になるんだから、ゆっくり行きましょう」
「だ~か~ら! そんな事してたらあっという間に売れ切るんだってばぁ~!」
と、目の前から雪月花のかしまし娘共が歩いて来る。
こんな状況でも食い意地が張っている茜を見るとなんとも言えない気分になった。いや、アイツはただの流行りモノ好きか。
首をコキッと鳴らして壁に寄り掛かる。果たしてどれだけの人がオレを覚えているのか。エリカでさえ忘れていたから殆どのヤツはアウトかもしれない。
「・・・・・」
「あら?」
茜と目が合う。オレだと気付いたからではない。偶々本当に目が合っただけという感じだった。
杏と小恋も茜の呟き声に反応して視線を追い、オレの姿を認める。他人を見る目。目を逸らして窓の外を見た。
さすがにそんな目を向けられて平気でいられる程に神経は図太く無かった、仕方無いとはいえ、その言葉だけで片付ける程浅い関係でも無かった。
芳乃さくら・・・・結構キツイ事してくれんじゃねぇか。自分の母親ながら最悪な相手だ。今更ながらにそう痛感する。
「誰、あの男子。知ってる人なの、茜?」
「――――ううん。知らないわ、知らないけど・・・う~ん・・・・」
「あ、あんまり見ちゃ駄目だよ。少し怖そうな人だし絡まれたらどうするの」
「ま、それもそうね。早く行きましょ」
「絡まれたとしてもナンパが精々でしょうけどね。私達可愛いし」
促す様に小恋が茜の手を引っ張り、茜もあっけらかんとそれに従った。つーか聞こえてるんだけどな。オレが昔の性格だったら間違いなく
絡んでいると思う。手は出しはしないだろうが一言二言嫌味ぐらいは言うに違いない。
特に自信の塊の様な杏なんかは格好の標的だ。自分の事を可愛いとか抜かしてるから多分泣くぐらいに責め立てるだろう。チビとか貧乳とか
しつこく言うだけでいい。何を言われても同じ言葉を言うだけで大体口喧嘩なんてカタがつく。ガキみたいだけどな。
小恋は・・・ある意味一番面倒だから絡みはしないか。泣き虫だし本当に普通の感性の持ち主でそういう性格をしている。きっとオレが茜や
杏に絡んでいる光景を見ただけで泣くだろう。慎ましい性格だ、本当に。
「・・・・ッ」
何を考えてるのかオレは――――少し慕情とした気持ちに駆られてしまった。追憶するようにアイツ等の性格を思い返してもどうしようも
無いというのに・・・。
「でねぇ、ここに来る前に買った服が・・・・え」
「な、なにしてるの茜っ!?」
「あ、あら? ごめんなさいっ、え、あれれ?」
「ちょっと茜っ!」
三人がオレの前を通り過ぎる・・・瞬間、自然に茜はその行動を取っていた。
本当に流れる様に、茜はオレの手を取って繋いだ。これにはオレもさすがに動揺してしまう。
茜も驚いた様に瞳を見開いてその繋いだ手を凝視してしまう。その意外な行動に他の二人も焦った様な声を出した。
「早く離しなさい。この人も驚いてるじゃない」
「えっと――――は、離したくないなぁ~・・・なんて」
「な、なに言ってるのよ。もしかして一目惚れしたとか言うんじゃないでしょうねっ」
「う、う~ん・・・・」
オレの顔を覗き込みながら繋いだ手に力を入れる。自分でも訳が分からくて焦ってはいる様だったが、離す気は無いらしい。
小恋も杏もどうしていいのか分からないといった感じで途方に暮れていた。茜自身が自分でも何をしているのか分からないから当然だろう。
しかし―――覚えていてくれたのか。丸ごと記憶は残ってはいないが心には微かに残っていた。自分の心の内に安緒した気持ちが生まれる。
「―――ねぇ、あなた。どこかで私と会ってない? 会ってるわよね?」
「あ、茜」
「そう、絶対にそう。会って話もしてる筈。いえ、話だけじゃないわ。それ以上に私と貴方は――――」
焦れる様にぎゅっと手を握り込む。爪が食いこんで思わず顔を歪ませる自分。だが茜はそれでもオレの手を離しはしなかった。
二人は茜の尋常では無い様子を悟ったのか、慌てて茜とオレを引き離そうと腕と肩を掴んむ。それに茜は拒否する様に体を揺らした。
「だから、やめなさいってば! ち、血が出てるじゃない!?」
「あ、茜~っ!」
「デジャブとかそんな曖昧なものじゃないわ。絶対に何かおかしい。私は貴方を知ってる筈なのよ。なのに覚えていない。絶対に変よ。
知らない事に違和感を感じない事に違和感を感じるわ。杏ちゃんと小恋ちゃんは何か感じ無いの、この人に」
「知らないわよっ、いい加減に手を離しなさい」
「ほら、相手の人困ってるし早く手を離し――――」
「話にならないわね。そっちこそ離して頂戴」
「うっ・・・」
茜にしては珍しく瞳に険を宿らせて二人を睨みつける様に凄んだ。
小恋と杏は怯んだ様に手を離し、息をぜぇぜぇと吐く。こんな表情を見せる茜に驚いたのだろう。
そして再びオレに目線を合わせる。力強い目だった。いつもは漂々としている茜がこんな目を見せるのは・・・初めてかもしれない。
「で、貴方はどうなのよ。さっきから黙ってるけど、何か言ってくれないと終わらないわよ」
「・・・・」
「――――もしかして、喋れないの?」
「・・・・」
「だったら頷いたり首を振ったりしてくれないと分からないわ。私はエスパーでもなんでもないもの。もしかして通じ合わなくても
分かり合える仲だったりするのかしらね」
正直どう対応していいいか迷う。ここまでハッキリと何か確固たるモノを信じて話す茜に何を話していいか、と。
事の真相を話しても結局は忘れてしまう。オレの存在ごと記憶のゴミ箱行きだ。そしたらもう二度と思い出さない事になる。
二度と――――手を見ると血で真っ赤になっていた。茜がどれだけ本気なのかその行動で伝わってくる。文字通り痛いほどに。
「・・・・」
「え―――」
頬をなぞりあげる。ガラスの陶器に触れる様に静かに。これで触れるのも最後か。もうこんな事を出来る機会は無いだろう。
一番周りで色々御世話をしてくれた女。中々こういう女に合う機会は無いからある意味女運はあるものと思ってたが・・・消えたら終わりだよな。
その体を色々お触り出来ないのは少々心苦しい所だが・・・返ってよかったかもしれない。心残りの一つが減るから多少は気が良い。本当に、多少だが。
手から圧迫感が消える。いきなり頬撫で上げられた事に動揺したのか手を離す茜。頬を赤くしながら手を振りながら怒った様に口を開いた。
「い、いきなり何をしてるのよ」
「・・・・」
「あ、こらっ、待ちなさい!」
「あ、茜!」
「きゃっ? ちょ、ちょっと離してぇ!」
「少し頭を冷やしなさい茜! あなた、ちょっとどころか今すごく変よっ」
「変なのは杏ちゃん達の方でしょっ! 何か感じないのっ? あの人の事本当に覚えてないの?」
「小恋、離しちゃだめよ」
「う、うんっ」
追いかけようとした所で二人に掴まれる。力一杯に引き剥がそうとするがさすがに二人掛かりではどうしようもない。
そして角を曲がり階段を下りる。結局本当の事は話せなかった。無理に思い出させてもエリカみたいに泣かれては困る。
この形で別れた方が良い。悪戯に茜の心を傷付ける事は無かった。出来るだけそういった傷は少ない方が後々トラウマにならない。
まぁ、そのトラウマも水泡みたいに消えてなくなってしまうんだろう。涙は出ない。泣いて止まるのはやる事をやってからだ。
「・・・・」
その前に、一休みでもするか。少し動くだけで体がだるい。存在出来る力が弱まってる所為か力が体に入りにくくなっている。
血がついた手を適当に置いてあったタオルを拝借して拭き、歩いている途中で発見した部屋に入り込む。見たところ工作室の様だった。
適当に椅子を引いて机の上に頭を乗せる。ぼーっとする頭。色々考えなきゃいけないのに何一つ良い考えが浮かばない。段々と瞼が落ちてきた。
「・・・・ぅ」
やばい・・・眠たくなってきた。
今寝たら無事に起きれるかどうかの保証は無いのに・・・・。
自己の存在が本当に一日持つのか怪しい・・・・あの女が正直にタイムリミットを言わない可能性もある。
何か・・・何か考えて・・・・行動を・・・し・・・・。
なんだかんだいって来てしまった。例の光輝いていた場所。
無視して寝てしまおうかと思ったが、気になる異なった光を見つけたので仕方無く向かってみた。
そして着いた場所・・・そこは桜の木の花弁が咲き乱れていて、空を見上げると一つの月が自分『達』を照らしている。
さて――――何があったのか、ゆっくり話でもしてみようかな。
「何か見つかりましたか、天枷さん?」
「いや、何も。あるのは木材とか金属を加工するカッターとかの器具しかないな」
「ふぅ、どうやら主だったものはクリパの準備で使われているらしいわね」
「あ、綺麗だなぁ。もしかしてこのペンダントってここで作ったものなのかな? 中々センスあるなぁ」
見知った声。それが複数聞こえてきたので目を覚ます。身体を起こそうとしてあまりの重たさに椅子からずり落ちそうになった。
無事に起きれたのは幸運だったが、寝る前に比べて遥かに体の調子は悪くなっていた。手を握ってみる。あまりの弱さに笑いそうになった。
周囲に視線を向けると由夢、美夏、委員長、ななかといった面子が何やら物漁りをしていた。とりあえずなんとか体を起こしてその様子を見やる。
「それにしても私達も随分物騒な性格になったものだわ。いくら魔法が使えないからってこういう物を使って対抗しようとするなんてね」
そう言って委員長はドライバーを手に持ってプラプラさせる。
大体その様子を見て悟った。魔法なんていう恐ろしいものに対抗する為に現実的な方法として物理的な対抗策を模索しているのだと。
確かにそういうやり方しかオレ達には出来ないが・・・・そんな簡単に行くかな。オレだって危険ギリギリアウトな事をやったがそれでも通用しなかった。
「あ―――次、理科室に行ってみてはどうだ?」
「理科室? なんでまたそんな所に」
「いや、なんでって・・・前にそこにある危ない薬品を使って・・・アレ?」
「そんな危ない事をさすがに出来ませんってば天枷さんっ、もう!」
「あはは。もし間違ってドカーンって爆発したら怖いしね。美夏ちゃんの考えも悪くはないと思うけど」
「う、うーむ」
周りからの声に腕を組んで唸り声を上げる美夏。何か思う所があるように、しきりに首を傾げて眉を寄せている。
他の面子はそんな美夏を置いておくかのように探索に戻っていった。あれでもないこれでもないと言いながら手を動かして行く。
「・・・・・」
それにしても・・・そうか、そうなってしまうか。ロボットの美夏でさえオレに関する記憶が消されていた。慣れない感覚。皆の記憶から
自分の存在が消えて行くというのがここまで薄ら寒いものだとは思わなかった。
思わず両腕で自分の体を抱きしめてしまう。教室に置かれている時計を見た。午後3時。気がついたらもう半日は過ぎている。タイムオーバー
まであと九時間。それまでにこの『嫌な感情』を消し去ってしまいたい。
半日も無い時間なんてあっという間に過ぎてしまう時間だ。現段階じゃ何も良い手段は思い付いていない。この嫌な感情が増せば増す程頭の思考
が鈍っていく。必要以上に焦っている訳でも無いし余計な事を考えている訳ではない。
そして極め付けに・・・体の震えが止まらない。
なんなんだ、これは。
「おい、お前」
「・・・・っ」
独特の高い声。視線をそちらに向けると美夏がこちらを怪訝な目付きで見ていた。
他のヤツ等はオレに気付いていない様であちこちをガサ入れしている。もしこちら側を見たとしてもオレに気付かないだろう。
それ程までに自分という存在が薄れているのが自覚出来る。ここから先、目を合わせられる人物は音姉とアイシアだけになると確信があった。
「何をそんなに怖がっている。汗も酷いし呼吸も酷い。何かあったのか?」
「・・・・・」
怖い。恐怖。心が、精神が圧迫されて小さい子供の様に頭を抱えてただうずくまる。
そんなのものを自分が感じている。馬鹿げている、舐めるなと言ってやりたいが否定出来なかった。
今の自分の心情を表わすなら的確だと思ってしまったからだった。美夏はそっとオレの額に手を触れまた唸る。
「うーん、やっぱり風邪ではないな。しかしお前みたいな不良がそんなに怯えていては格好がつかないだろう」
「・・・・」
「無口な奴だなぁ・・・まぁいい。ホレ、これでも汗を拭いておけ」
そう言って渡されたのは青いハンカチ。高くも無ければ安くも無い。前に美夏にプレゼントしたものだった。
一緒に出掛け、買い物をし、欲しそうな目で見ていた物。お洒落に別に興味は無い美夏にしては珍しい事だった。
ラインが綺麗で生地も良かったので何か惹かれるものがあったのだろう。買ってあげてから大事にしていたものだ。
「あ・・・」
「・・・・」
「・・・ふぅ、しょうがないヤツだ。全く」
手に力が上手く入らなくハンカチを落としてしまう。美夏はやれやれといった感じで腰を落とす。
そしてパンパンと埃を払い綺麗にした。怒る様子は見せない。そういえば美夏が怒る事なんて滅多に無かった。
憎まれ口を叩くのは日常茶飯事だが根が優しい為、悪口は言わない。オレとは違い本当に人に優しい女なのである種の尊敬はしていた。
「ほら、綺麗になったぞ」
息を吐いて、手にそれを持ち――――。
「義之」
オレの名前を呟いた。
「あ」
ハンカチを手に受け取り汗を拭く。自分が思っていた以上に水気を吸い取ったハンカチを見て少し驚く。
どうやらかなり精神的にきていたみたいだ。このままじゃ押し潰されてしまう。早く行動を起こさなくては。
「ちょ、ちょっと待て! 美夏は今なんて・・・」
「・・・・」
「おい、待てっ」
ハンカチを机に置き椅子からふらりとよろけながら立ち上がったオレに声を掛けるがそれを無視し、体を解す様に伸ばした。
まさか名前を呼ばれただけでこんなにヤル気が出るとは思わなかった。意外な自分の一面に苦笑いが出る。オレも男って訳か。
こいつはオレをその気にさせるのが上手い。前からそうだったが、今こういう状況でその事をしてくれた美夏には感謝してもし切れない。
「だから待てというに―――わぷ」
帽子を掴みグイっと目を隠す様にズリ下げた。あまりオレに構って変にショートされては困る。美夏の頭の中じゃオレは存在しない事に
なっているのに心が覚えていた。その矛盾を無くそうと頭を動かしたらあっという間に煙を吐かれてしまう。
二律背反。不整合な物事。そんな存在に自分がなる事になるとは人生何があるか分かったものじゃない。いや、今更な話か。あの時トラック
に轢かれた時点で何もかもが普通では無い。オレが人助けをして死ぬんだもんな。
ヘソに力を入れ背筋を伸ばす。握り拳を作り息を吸った。前より弱々しくしなったオレだが・・・・気持ちがひよった訳ではない。必ずこの
屈辱を晴らしてやるという黒い気持ちは前より強くなっている。オレらしいといえばあまりにもオレらしい。
そして何より―――皆を元の世界に戻してやるという義務にも似た思い。
男だから格好つけたいという気持ちもあるし好きな女を守りたいのは当り前だと思う。
「こ、こら! いきなりなんて事をするのだお前はっ」
「―――あんまり余計な事はするなって、伝えておけよ」
「なにッ・・・・ってその声は・・・・・」
「じゃあな」
かなり無理をして声を出した。喉の内部を直接掴まれたみたいに圧迫感を感じるが、それでも『別れ』の言葉を掛けたかった。
存在の力は変わらず弱いままだが恐怖心は無くなった。頭が霧掛かっている感覚も変わらないが何も難しい事を考える必要はない。
確かに手段は考えていないが『方法』なら既に分かっている。それをかましてやればいかに相手があの女でも泡を食うのは間違いなかった。
「話はまだ終わってないぞ、おまえ・・・義之!」
「最後にお前に名前を呼ばれて嬉しかった。これで心置きなく行ける」
「最後って・・・」
もう振り返らなかった。
美夏に背を向け皆の姿を見る。
少し目が見えないが姿を焼き付けるように記憶した。
よし―――早速取り掛かるか。ここから先はオレの、オレ『達』の独壇場にしてやる。
埃臭さが漂う教室。鼻を鳴らしてゲンナリとした顔付きを作るが仕方無いと諦めて椅子に深く座り直した。
アイシアさんの表情を窺うと真剣な顔をしている。確かに今から作戦会議をするのだから当り前の事だが、彼女は気にならないのだろうか・・・。
「なんだかほこり臭いですよね・・・。でも人がいない場所って今の時期だと少ないし・・・」
「え、そうですか? 私はあまり気にならないですけど。アフリカ方面の方が結構臭いはキツイですよ。死体とか普通に道端に置かれてましたし」
「・・・・」
「そういえば身元確認をして貰う為に埋めないで警察に届けましたけど・・・無事に家族の元に戻れればいいです。一応魔法で向こうの神をあしらった
木彫りの人形を置いてきましたが・・・魔法というのもそういう時は無力なんだと思い知りましたよ」
歯痒さそうに顔をしかめるアイシア。確かにアフリカとか中南米の方では未だにテロが後を絶たないとテレビて言っていたのは何回も
聞いた事がある。その度になんともいえない気持ちに駆られたのは数回どころでは無い。
しかし、アイシアはそういうテレビの向こう側の世界をその足で歩んで来ていた。評論家という言葉だけで取り繕う人間よりもずっと
現地で現実を見てきていた。そういった経験が今のアイシアを形作っている。
私が思ってるよりずっと凄い人なのかもしれない―――音姫はショックを受けた様に目を見開く。外見がまるで西洋の人形みたいな可愛さ
だったので騙されがちだが、人よりも多くの事を見て、学んで来ていた彼女。さくらとはまた違う重さの人生を積み重ねていた。
「ま、今はとりあえずさくらに対してどういう対策を取るかですね。何か良い案はないでしょうか」
「え、ええ。そうですね。とりあえず真っ正面から行くのは避けたい所です」
「私達二人でどうのこうの出来るレベルでは無いというのはもう実証済み―――そうなると不意打ちが一番です」
「・・・不意打ち」
「音姫さんはあまり好きではない方法だと思いますが・・・皆の為、義之の為です。卑怯者呼ばわりされるかも
しれませんが手段を選んでいられる程に余裕は持ち合わせていないです。納得して下さい」
「は、はい」
「・・・・・」
少し、厳しい言い方をしてしまったかもしれない。もっと他に言い方はあったのかもしれないが本当に自分は口下手だ。
こういう役回りはやはり杏ちゃんか義之に限ると思うが、我儘を言っても仕方が無い。魔法使いの先輩である自分がしっかりしなければ・・・。
「まず自分が考えた方法ですが・・・私達のどちらかが囮になってさくらの注意を引きつけます。その間にもう一人が枯れない桜の木を魔法
で力の方向性を変えて無力化する。勿論囮は自分がやりますので安心して下さい」
「え、アイシアさんが囮で私が桜の木の制御ですかっ?」
「そうですけど・・・駄目ですかね?」
あのさくらを音姫に相手させるのは分が悪い。
そう思って作戦を立案したアイシアだったが、音姫の驚いた声に不安気に聞き返してしまう。
「あ、いえ、駄目という訳では無いです。私が囮役になっても大して持たないだろうし、アイシアさんに危険な目に合わせてしまうのは
少し心苦しいですがその方が的確な配置だとは思います・・・けれど」
「けれど?」
「・・・私にあの桜の木の制御は無理ですよ。さくらさんが時間を掛けても無理だったものを私が卸せるのは凄く奇跡的な事だと思います。
返って制御しようとして逆に取り込まれる可能性の方が高い、と私は思うんですが・・・」
「ああ、その事ですか。なら大丈夫です」
「だ、大丈夫って・・・」
音姫の言葉に自信満々に頷くアイシア。
指をピンと立ててまるで教師が生徒に事を教えるかのような仕草だった。
そんなアイシアの様子に不謹慎ながら音姫は気分が和んだかのように口元に手を置いた。
「今、あの枯れない桜の木には力が集まっています。音姫さんも感じるでしょう? 今まで感じた事のない大きな力が公園に、桜の木に
集中している事を」
「そういえば確かに―――一昨日の時点ではここまでの力は集まっていなかった筈なのに・・・何時の間にここまで・・・」
「もう最終段階に入ってるという事ですね。さすがさくらというかなんというか。でも、そこに隙はあります」
「というと?」
「例えて言うならば今の枯れない桜の木は水が沢山入った風船。それに小さな、ほんの針ぐらいの小さな穴を開ければどうなります?」
「あ――――」
得心がいったように音姫は頭を振り子の様に頷かせた。
穴が空いた水の入った風船―――そんなもの、いくら時間を掛けたって満タンになる筈が無い。
確かに今の枯れない桜の木を操作するのは難しいだろう。だが、それぐらいなら自分にだって出来ると音姫はぎゅっと手を握り込んだ。
「歪が出た枯れない桜の木を見て、恐らくさくらは動揺する筈です。こんな馬鹿な事が―――と。いくらさくらが強い魔法使いだからと
いって集中を欠した魔法使い程弱い存在は相手になりません。私と音姫さん、この二人が相手なら尚更」
「はいっ! きっと上手くいくと思います! 希望が出てきましたよ、アイシアさん」
「わわっ!?」
机を乗り越えて手をガシッと掴み、ぶんぶんとアイシアの手を振り回す音姫。
まるで歳相応な喜びの表現。アイシアは戸惑う様な表情を浮かべるが、その眩しい笑顔に釣られる様に、くすっと笑みを漏らした。
恐らくアイシアと朝倉音姫、この二人が来るのは間違いが無い。
作戦としてはアイシアが自分の相手をして、その間に音姫ちゃんが桜の木の制御をする。
とまぁ、こんな所だろう。二回も対峙してボクとの戦力差は歴然としている。考えられる選択肢としてはこれが妥当だ。
「単純な子達だからそれが精一杯だろうなー。うんうん」
枯れない桜の木に背中を預けながら嘆息するように吐き出す。雪村杏と桜内義之、この二人を抑えれば頭は無くなったも同然。
残った人達は十人並みの人物達ばかり。問題は無い。今の自分をどうにか出来るのは魔法使いの二人だけだ。
「まさか雪村杏ちゃんは巻き込まないよねぇー『正義の魔法使い』なんだから一般人をこの最終戦に巻き込む訳無いし」
それに桜内義之―――『アレ』はもう放って置いてもいいだろう。
完全に無力化したと言っても過言ではない。今頃薄れて行く自分の存在に怯えを感じ犬の様に丸まっているに違いない。
そんな人間を心配するよりも今はあの魔法使い達を警戒した方がいい。油断なく構え、返り討ちにしてやる。
「じゃあ、ちょっと強化しておくかな。万が一の目に合ったら馬鹿みたいだし」
背をもたれさせたまま軽く手を後ろに伸ばし、トンッと手の平を優しく触れるみたいに押しつけた。
そのまま意識を集中し、約10秒。さくらは一頷きして再び桜の木に寄り掛かる様に脱力した。
「これで魔法に対する抵抗は完璧。まぁ絶対に近付けさせないけどね。後は待つだけ、か」
ちらっと横に視線を移す。この世界に来てからずっとその体制で眠りについている本来の自分、幸せそうに眠っていた。
そのお天気の良い真昼時にまどろむかの様な健やかな優しい笑顔―――潰したらどんな形に歪むのだろうか。少し気になる。
「ふぅ・・・」
眉間を揉んで少し落ち着く。息を吐いて新鮮な空気を取り込み肺の中を入れ変えた。
最近の自分はどうも暴力的でいけない。最初の頃は憐れみや同情心で胸が痛んだものだが・・・。
乱入者達の所為で少し気が滅入っているのかもしれない。あの子達が来てから何回も頭が痛い思いをしたものだ。
「でも、それも終わり。可愛い女の子の正義の魔法使い二人を倒してこの物語は終わり。お姫様は幸せに過ごしました―――とさ」
王子様が居ないのは少し不満かもしれないが、後々に補完されるだろう。
お相手はお兄ちゃんか。音夢ちゃんには可哀想かもしれないが、悲哀比べなら自分の方が上回る。
精々ハンカチでも口に噛んで悔しがって欲しい所。今までの自分の扱いを考えれば当然だろう。幸せとは程遠い位置に居たのだから。
「・・・・・そろそろ自分の番が回って来てもいいよね、うん」
そして、回って来た絶好の機会。
逃がしてなるものか。白い手を更に青白くなるほど握り締め、さくらは反対の手に打ち据えた。
「何か忘れてる様な気がするんですけどぉ~・・・」
「何かって?」
「う~ん・・・それが人だったか物だったか・・・どうだったか・・・」
「――――はぁ。しっかりしてよね、お姉ちゃん。早くクリパの準備を完成させなきゃいけないんだから」
眞子は呆れたようにため息をついて再び看板の位置を調整し直す。脚立がフラフラと危ない様子だったが、上手くバランスを取っている様だ。
萌はしきりに首を傾げて忘れ物を思い出すかのように木琴を叩く。何か頭の片隅に引っ掛かっている様な気がするとずっと半日は少し放心気味だった。
音が外れた木琴の音が響く教室。そこにガラッと扉を開け放ち、慌てた様子で教室の中に滑り込んできた人物が居た。
「み、水越先輩・・・はぁはぁ、お、お疲れ様です」
「ん、お疲れ美春ちゃん。どうしたの、そんなに荒い息をついて」
「音夢先輩を見掛けません・・・はぁ、でしたかっ?」
「音夢? 見てないけどなぁ。きっと外回りに行ったんじゃないの?」
「わ、分かりましたっ! 校舎裏の方に行ってきますっ!」
「あ・・・・」
竜巻の様に騒がしく走り去る美春。また手芸部が余計な予算を・・・と、ブツブツと文句を流す様に人波を掻き分けて行った。
そして入れ違いにことりと知子、加奈子が両手に塗料やら木材を抱えて入ってくる。美夏の走る後ろ姿に苦笑いを浮かべながら机の上に材料を置いた。
「いつも元気っすよねー。天枷さんは」
「見てるこっちが疲れる程ね・・・。白河さんも御苦労さま、重かったでしょ? それ」
「いえいえ。ともちゃんとみっくんに手伝って貰いましたから」
「つ、疲れたよぉー・・・」
「結構量があるとは思わなかったからね。楽勝ムードだったのがいけなかったのよ、みっくん」
「だってことりが三人ならすぐに終わるって言うんだもん。見た瞬間愕然としたもんね、この量は」
「あはは。後でジュースを奢りますから勘弁してね、みっくん」
「ほんとっ!? わぁ、ことりは本当に良い人だよっ、うんうん」
「ちょっとぉ、私はー?」
「勿論ともちゃんもっすよ。二人とも違うクラスなのに本当に御苦労様です」
「よっし! まぁ、暇だったしね。別にいいわよー」
ことりの言葉に満足気に頷き、知子は早速クリパの準備に取り掛かった。
教室のメインの飾り付けはほぼ出来上がっていて、あとはサブの装飾品を付けるだけとなっている。
今までは各自分の持ち場だけをこなしていたが、しばらく一緒に行動していたおかげである一種の仲間意識が出来ていた。
「うーす。お疲れ―」
「あ、朝倉! 何今頃登校してきてるのよっ、もうお昼回ってるじゃない!」
「別にいいだろ、もう殆ど飾り付け終わってるんだし。昨日の作業でもうクタクタなんだから勘弁してくれ」
「確かに昨日の朝倉君は頑張ってましたもんねぇ。普段はかったるいと言いながら寝てるのに・・・どんな風の吹きまわしかな?」
「どうせ音夢にあーだこーだ言われて仕方なくやってたんでしょっ。全く、協調性が無いんだから」
「放って置いてくれ」
気だるげに手をヒラヒラと振って椅子に座り、手を頭の後ろで組む純一。欠伸を噛み殺しながらぼーっと飾り付けをしている女子たちの
後ろ姿を見やった。その余りにも怠い行為に眞子は拳を握って震えさせる。
クリパの準備なんて普段はやらない事。いや、多少は手伝うのが風紀委員であり自分の妹が同じクラスに居る為多少の居心地の悪さを感じ
ていた純一。目を鋭くさせ発破を掛け、規律に煩い妹。
色々な意味で大事な家族ではあるものの、こういう事にあれこれ言われるのはたまらない。杉並の悪さに乗っかる時もあるが、大抵は最低限
の準備をして後は適当にやるのがここ最近の純一のスタンスになりつつあった。
「毎日皆大変だよな。朝から晩までクリパクリパのてんてこ舞い。尊敬するよ、本当に」
「・・・・・」
「ふぁ~・・・。来ても何もやる事無いな。もう人も足りている事だし俺はいらないだろ。そろそろ帰るか―――」
「こ、このぉ!」
「うぉっ!?」
ブンッと音を立てて拳を振り回す眞子の拳を間一髪で回避する純一。眞子はチッと舌打ちをして、突いた拳を納めさせた。
毎日の恒例行事。見慣れた光景なので、周囲の人物達は口元を笑みの形を作りながらクリパの準備を再開する。
体制をよろけさせつつ、純一は冷や汗を垂らしながら口を開いた。
「な、なにするんだよっ!」
「アンタがいつもそうやってサボらない為の教育よっ、教育!」
「お前はオレの母ちゃんかよ」
「母親では無いけど一応友人ではあるわね。お互いに悪い所を遠慮なく指摘し合えるのが友達ってものでしょ」
「だったらその暴力癖を早く直せ。そんなんじゃ彼氏なんて出来ないぞ」
「―――ッ!」
「一応、友人としての指摘だ」
勝ち誇った様に純一は笑みを浮かべ、席を立つ。
首を鳴らし面倒臭そうにポケットに手を入れ今来た扉に向かって足の行く先を向けた。
「ちょっと、どこに行くのよ朝倉!」
「この教室に居ると何時殴り殺されるか分かったもんじゃないしな。適当にそこら辺うろついてるよ」
「なっ・・・」
足早に歩き、後ろ向きに手を振りながら純一は扉を潜って教室を後にした。
言葉を詰まらせたまま手を所在無さ気に上げたまま固まる眞子。ため息を突きながら手を下し、椅子に座り直す。
久しぶりにマトモに会話出来そうだったのにその機会を逃してしまった自分にガッカリする。頭に手をやって椅子に背を持たれさせた。
「あーあ・・・またこんなんだわ」
「心中、お察し済ます・・・水越さん」
「ありがとう、白河さん。あの馬鹿もカチンとくる事言うもんだから思わず言い合いになっちゃったわよ・・・」
「一応じゃれあっている感じにも見えたから、まぁ、あんまり気にする事でも無いと思いますよ。私はそう感じました」
「フォローありがとうね。一応いつもの事だし気にすのは止めておくわ。取りあえず飾り付けやるとするかな・・・はぁ」
重い息をついてのろのろと手を動かす眞子にことりは苦笑いを浮かべた。
眞子には悪いが、その女の子らしい気の置き所は微笑ましい部分があった。本当に気にしなくていいと思っていだけに余計にそう思う。
アレが二人のコミュニケーションの取り方なのは傍目からだと分かるのだが、どうやら本人にはそう上手く捉えられていないみたいだ。
(私は羨ましいけどなぁ・・・あんなに普通に思った事言い合えるなんて。朝倉君って何だかまた私に壁を感じてるみたいだし・・・)
アイドルと言われて敬愛の念を抱かれている自分。どうやら朝倉君はそんな自分に壁があると思っている節がある。
気にしなくていい事だと思うのだが人それぞれに考え方があるようにあちらはあちらで思う所があるのは最近になって分かった。
早く距離を縮めたいのに中々踏み込んで来てくれない。深い話をしようとすると尻込みしてしまうのはお互い様だが・・・うーん。
「やっぱり自分から責めないといけないのかなぁ・・・それも鈍感さんだから、ミスコンで告白するぐらいの勢いじゃないと・・・」
「告白するんですかぁ~? いいですねー青春ですよぉ」
「も、萌先輩っ!? 聞いてらしたんですかっ?」
「・・・・・・・・・はい? 何をですかー?」
「・・・・はは」
脇から聞こえてきた言葉に思わず目を剥いて聞き返すと、萌先輩は目をぱちっと開け首を掲げた。
どうやら無意識的に喋ったみたいだ。乾いた笑みを漏らし、すごすごとそこから離れホッと胸を撫で下ろす。
「まぁ、この一連の事件が終わったら考えてみるかなー」
そうゴチて自分も持ってきた荷物に手を伸ばし、段ボールの中をごそごそと漁る。
萌はそんなことりを不思議そうな目で見詰め、またも夢の世界に旅立っていった。
自分の何倍も枯れない大きい桜の木を見上げる。桜の花弁が狂ったかのように舞い散り、夜の月が反射して美しい日本の風景画の色彩を映し出していた。
それに満足そうに彼女――芳乃さくらは頷き、心底嬉しそうに顔を喜悦の形に歪ませて充足感に満ちた息を吐く。待ちに待ったこの喜びは格別だった。
最初に『芳乃さくら』がこの世界の存在を作り上げ、次にその地盤を固める為に自分の分身を生んだ。その成果・・・が今こそ実ろうとしている。
「いまー富とかー名誉ならばー」
自分の幸せの最終プロット。本来自分が歩む筈だった世界。ああ、本当に待ち望んていたこの瞬間。
今思えば今までの『不幸な出来事』は全部この為だったのかもしれない。歳を取らない魔女になって生きて行くなんて性質の悪い冗談だった。
「いらなーいけどー翼がーほしーいー」
枯れない桜の木に寄り掛かり希望の唄を歌う。
今自分にとって最も相応しい曲はこれだろう。
背中に付けられる翼は自由の証、それが手に。
「こーどもの時ー夢ーみたことー」
グシャ――――人が地面に滑り落ちた様な音。さくらは音のした方向にチラッと視線を送り・・・何事も無かったかのように佇まいを直した。
取るに足らない出来事だったので無視する事にした。そんな事よりも今は桜の木の完成に意識を集中させる事がとても大事だ。
「・・・・くそったれが」
その人物、義之は自慢の服が汚れた事に対して侮蔑の言葉を吐く。もうロクに体に力が入らないので転び、顔も泥だらけになってしまっていた。
それに構わず立ち上がろうとして、またもや突っかかる様に地に伏せた。ここまで気力を使い果たして何とか来れた状態。息も絶え絶えだ。
そして這う様にぬかるんだ地面の上を前進して傍の枯れ木に手を置いた。そうでもしないと立つ事さえ困難な状態に義之の体は弱っていた。
「今も同じー、ゆーめーに見ていーる」
「死ね」
よろよろと緩慢な動作で拾い上げていた石を腕を思いっきり振り上げて投擲した。
しかし、まるで見当違いの方向にその石は投げられた。威力も殆ど無い。以前の自分とのあまりの違いに愕然とした表情を見せる義之。
小学生の子供が適当に投げたが如くのその有様。歯を噛み締めたくても余計な力を入れれば自分の体は動けなくなる。その分、足に力を込め歩き出した。
「はぁ・・・はぁ・・・」
本来なら早くぶっ倒れて眠りたい。目を瞑り、体を丸めて安息を得て静かに呼吸をしたい。
だがそんな事をしたら一生目が覚めない。眠り姫ならまだしも自分はチンピラに近い人間だ、誰も救いには来てくれないし与えられもしない。
だからこうやって吐き気を我慢して脂汗を流している。泥だらけになり乞食みたいに死んだ顔になっても、オレは絶対に・・・・。
「この大空に、翼を広げー飛んでー行きたーいーよー」
「だから倒されてくれ。頼むからよ・・・!」
芳乃さくらに近づきながら次の石を取り出し、今度は狙いを定めて投げ捨てた。速度も無ければ威力も無い、ただ本当に投げただけだ。
懇願に近い声を張り上げての投擲。声を出すのは学校を出る前より遥かに苦痛を伴っている。しかし声を出さなければ今すぐにでも自分が消えそうだった。
「よし、狙いはぴった――――」
投げた石は見事綺麗な曲線を描き、芳乃さくらの顔に叩きつけられようとした。
だが寸前で例の風の突風が彼女の体を包み込み―――あっけなくその石は空をに軌跡を変え、義之の横に音を立てて落ちてめり込んだ。
チッと義之は舌打ちをして、再び彼女に近づいた。一歩、一歩、牛歩の様な遅さだが確実に。さくらは変わらず桜の木の前で花弁を見詰めたまま笑みを
携えていた。義之の存在などまるで気付いてない様に。
(ちくしょう、段々目の前が真っ白になってきやがった・・・・。にしてもあの女・・・オレの事、シカトしやがって)
心の中で毒付きながら右足を、左足を動かしまた近付く。
今度こそはと、ポケットからカッタ―ナイフを取り出し義之は無い力を振り絞って腕を振るった。
最初に投げた石の投擲よりも全く的外れの方向に飛んでいくカッタ―の刃。諦めずにまた石を投げつける。
「悲しみのないー自由な空へー翼はためーかーせ」
「ぁぁああああああああああーーーっ! この野郎っ、さっさとくたっばちまえよテメェっ!」
焦れたように声を張り上げてもコントロールは最悪なものだった。まだそこら辺の子供の方が上手く投げれる。
苛立ちと焦燥感。石を投げる為に振るった腕を戻そうとした反動で体がぐらつき、今度は背中から地面に倒れ伏せてしまう。
「が―――ぐ、ふ・・・・はぁ」
虚ろな目で空を見上げた。美しい月が自分を照らしている。それをぼーっと見て、混濁していく意識の中で考える。
ここまで頑張っているのは一体何の為なのだろうか。体を泥だらけにし、涙が出る程惨めな思いをしているのは一体何故なのか。
綺麗事で言えば皆の為。桜の木の下で独唱してやがる女を倒さなければこの世界から二度と出られない。そうなっては絶対に悔いが残る。
一目で分かる程に桜の木は力を溜めこんでいるのが分かった。恐らくは日を跨いだ瞬間、世界は完全に閉じて一つの現象として完成してしまう。
皆を救えず、さくらさんも連れて帰れなく、ただ無駄死にをする。それが嫌だからという理由も確かにある・・・だが、本質は違う様な気がした。
改めて考え数秒思慮の海に溶け込む―――すぐに正解は分かった。彼女の傍に眠るさくらさんにチラッと目を向け、前を向く。
「・・・まぁ、自分の為だよな」
死にたくはない。人なら誰もが持つ本質的な部分。中には自殺する程追い込まれる人間はいるが、生憎自分は泥水を啜ってでも生きたい人間だった。
力を精一杯込めて背中を起こし、犬の様に這いつくばりながら桜の前まで突き進む。あまりにも無様な姿。さくらはその様子を見て可笑しそうに笑う。
「にゃはは。まさか君が来るとは思わなかったよ、汚いお犬さん?」
「黙れよ。噛みつくぞ」
「その状態でよく喋れるね。大したものだけど動かないで黙って消えた方がいいんじゃない? そうしたら苦しまずに消えられるよ」
「噛みつくって言ってるじゃねぇか、このタコ」
「・・・ふぅ。やれるものならやって――――」
全体の体のバネを使って駆けた。最後の力。残った力を全部使って勢い任せに飛び掛かった。
驚いた表情をして軽く目を見開く相手。まさか本当に噛みつこうとするとはは思わなかったのだろう。甘くみられたものだ。
オレはやると言ったらヤル。途中ぬかるみに足を取られそうになるが、吠えながら構わず低い姿勢で口を開いて頭から突っ込んだ。
なけなしの本当に最後の力。
これで相手はきっと――――。
「んしょ」
「あ」
あと二歩で辿り着こうと所で相手は一歩体を斜め横に足を進め―――オレは枯れない桜の木に顔から体当たりをするようにぶつかってしまった。
ボキッと鼻骨が折れる乾いた音。あまりの痛さに頭に火花が飛び散った。その勢いのままにオレは桜の木の横に倒れ込む様に身を落とした。
ボタボタと流れる鼻から流れる血。もう力は残っていない。息をつくのも酷く億劫だ。荒い息をつきながら何とか相手に視線を送る。
「・・・・最後の、特攻だったんだけどなぁ」
「ちょっとびっくりしちゃった――――けど、そんなものだよねー君の力なんて。本当、みっともないなー汚いし」
「そうやって汚いモノから目を背けてると本当の幸せなんか掴めないぜ。幸せってのは綺麗な事だけやってりゃ掴めるもんじゃねーしな」
「お生憎様。もうすぐ私は幸せになれるんだ。誰にも邪魔をされず、至福の時間がずっと続くユートピア。君は招待してあげないけどね」
「――――一なぁ、一つ聞きたいんだが」
「ん?」
鼻を親指と人差し指で押さえブッと溜まった血を吹きださせる。少し呼吸が楽になった。
もうなりふりは構っていられない。ここまでボロボロの有様になるなんて何年ぶりだろうか。
「アンタはしつこいぐらいに幸せ幸せとか抜かしているが・・・そこまでの覚悟はあるんだろうな」
「はぁ? 何言ってるのさ。意味が分からない」
「オレは自分の幸せの為なら結構命張れる覚悟があったりするな。まぁ、だからこそこうやって惨めになっている訳だが・・・」
「キミの幸せって?」
「おー聞くか、聞いちゃうかオレの幸せってヤツを。そうかーどうしても聞きたいなら聞かせてやっても良い」
「別に聞きたくなんか―――」
「遠慮するなサル女。一度他人の幸せの形を聞いた置いた方が色々為になる」
むっとした顔を作るさくらに漂々とした笑みを見せる義之。その姿に、さくらは少し眉を寄せる。
顔は青白く立つのも困難な状態。あと少しで自分の存在が消えるというのにその有様はとても違和感があるものだった。
「オレってさ、小さい頃からアンタを目標にしてたんだよ。頭は良いし金は持ってるし度胸もある。ガキながらに立派な人物に見えた」
ジャリっと足を滑らしそうになりながらも、枯れない木に手をついて彼女を見据えた。
「人づきあいも、そうだな、オレなんかと違い色々と多方面との繋がりがあった。忙しい時なんか毎日見た事の無い大人たちがさくらさんを
頼って家を訪ねてきていた」
さっきから鼻血が止まらない。手もどこかで切ったみたいで血が流れていた。鈍痛もするし吐き気もする最悪なコンディション。
「自分一人で生きて行く力を持っていて尚且つ頼られる存在。見ていて羨ましかったし、ある意味妬ましかった」
だが腹に力を込め四肢に緊張を行き渡らせそこに屹然と立つ。さくらは益々疑問に満ちた視線を義之に送った。
「だからオレの幸せってのは―――アンタを、芳乃さくらという母親を越える事だ。そうすればオレは無条件に安心とした人生を送れる。
幸せってのは『安心する』という事だとオレは考えてるからな」
良い服を買うのも安心するため。
友達をつくるのも安心するため。
恋人に愛を囁くのも安心するため。
幸せというのは手に入れるのに物凄く苦労するが、それを得た者には必ず約束された安心があるものだと考えていた。
「オレはさっき命を張れると言ったが・・・・果たしてアンタはどうだろうな?」
「―――言っている意味がよく理解出来ないけど、まぁ、私だって命は張れるよ。うんうん」
「どうだか。オレの限り無く当たりに近いだろう考えではアンタは自分の命がとても惜しい人間だ、とてもじゃないが幸せを掴む強さは無い」
「強がり言うのもそろそろ辛いんだからその辺にして置いた方がいいんじゃない? あ、ホラ、腕も消えかけてきたし」
「・・・・あと一時間ぐらい余裕があるんじゃ無かったのかよ」
視線を左腕に移すと、そこには向こう側の景色が見える程までに薄くなった自分の腕が存在していた。
時間はまだ余裕があった筈・・・。まぁ、大体は予想は付いていたが、義之は残った右腕で髪を掻き上げた。
「そんなの大体に決まってるでしょ。そこから消えるのは早いよーにゃはは、あと5分もしない内に消えるし」
「そうか・・・」
あと5分の命―――上等だ、元々オレはあそこで死ぬ筈だったんだ。轢かれそうになった子供を助けたあの時に。
涙が知らずしらずの内に出てくる。心は強がっていても体と頭は拒否反応を起こしている。自分が消えるというのがここまでだとは思わなかった。
怖くは無い。ただ、哀しい。何者にもなれずただ塵屑のように消え去るのが。段々と光に包まれていく自分。もう自分の足元さえ見えない。喉が鳴った。
ここからはオレの最終策、最後の行動。これが失敗したらオレは本当に無駄死にしてしまう。だからポケットから『ソレ』を握り締め、掲げた。
「さっき言ったよなぁ、オレは! 自分の命を張って行動出来るとっ! そしてアンタは言った! 自分の命を張れるとっ!」
「なに、負け犬の遠吠えかな。本当に最後になっても君は切ないねぇ」
「―――――試してやる。お前が、本当に自分の幸せを掴む為に命を張れるのかを」
もう一回乗り出せ、勝負の大海に。
死の淵での最後のギリギリの意地。
オレの全てを掛けての最後の作戦。
脳裏にかすめて行く皆の顔。死に際としては上等だ、女の顔を何人も思い浮かべながら格好を付けて消えていける。
「受けろよ、これがオレの最後の策だ」
身を包んでいく光を振り払う様に、オレはソレを無くなった筈の最後の力を振り絞って『ソレ』を投擲した――――。
「・・・・・」
あっけなかった。彼の姿はもう見えない。光の粒になって消えた。本当にあっけなく、この世界から姿を消した。
もう会う事はないだろう。この世界から消え元の世界に戻る事も叶わない。自分の思った通りに彼は無駄死にをした。
「最後の策があれとはね。拍子抜け、だなぁ」
呟く様に言葉を吐き出し、息を吐いた。彼の最後の行動はただナイフをこちらに向かって投げただけ。本当にただそれだけだった。
確かに狙いはボクの顔に定まってたし速度も悪くは無い。当たればもしかしたら死んでいたかもしれない。当たればの話だったが、驚きはした。
最後の最後であそこまでの力を出し切る彼に驚愕の感情は浮き出るが―――それ以上は何も無い。彼に出来る事など所詮その程度だったという話だ。
ナイフは自分を包み込む突風によってあらぬ方向に飛んでいき、私は無傷。圧倒的な勝利だ。
「何か最後の方いっぱい叫んでたけどあんなものかー。子供だし仕方無いけど」
つまらそうに呟き手を枯れない桜の木に向ける。もう仕上げの段階に入っている。
最後に邪魔が入ってしまったが何の憂いも無かった。そう思い、枯れない桜の木を見詰め―――目を見開いた。
「え――――」
光に包まれている枯れない桜の木。その様子が何かおかしい。あと一歩で完成だというのに・・・・。
「な、なんで止まってるのっ!?」
力の流れが全く感じられない。舞いの様に落ちてきていた桜の花弁も今は静寂さを保つ様にその美しい動きを見せない。
さっきまでは順調だった筈なのに――――訳が分からなかった。何も不手際などしていない。そんなミスをこの場面で自分がする訳が無かった。
だとしたら考えられる要因・・・・さっきまでそこに存在していたあの子。消える寸前まで自信に満ち溢れていた。いや、だが何も出来る筈が無い。
「おかしい、おかしい、絶対におかしい。確かにあの子は魔法が少しだけ使えるけどあの二人には遠く及ばない」
段々と光の奔流が収まっていき、その眩い光が消えようとしていく。
ヤバイ―――早く何とかしないと再起動する時に上手くいかなくなってしまう。
そして走り寄ろうとして・・・・見つけてしまった。この異常な現象の根本となるものを。
「あ・・・あれは」
ナイフ。それが枯れない桜の木に刺さっていた。
さっきあの子が投げた変哲もない『筈』のナイフ。私を守る突風に弾かれて突き刺さったのだろう。
そして注目すべきはそのナイフの先。見覚えのあるものだった。『元』の自分が彼に上げたアクセサリー。ネックレス型の小さな結晶。
「や、やられたっ! まさかあの子が『アレ』をこういう形に使うだなんてっ!」
一目散に光っている桜の木に全速力で駆け寄っていく。ナイフの先に加工されて付けられていた結晶が鈍い光を放っていた。
あれは本来の自分が桜内義之という存在を保たせる為に上げた魔法の力が込められている石。記憶の中での彼はいつも肌身離さずそれを付けていた。
あの枯れない桜の木は自分の力以外寄せ付けない様に出来てはいる。出来てはいる―――が、自分の力をまさかこんな形でぶつけられるなんて・・・・!
「最後の最後でっ、本当に余計な事をーーーーっ!」
思えば全て計算尽くの事だったのかもしれない。彼とは何回か対峙した事がある。その度に何かこちらの様子をつぶさに観察するように見ていた事があった。
そして今更ながらさっきの様子もおかしい事だらけ。無駄だと分かっているのに何回もこちらに物を投げてきた。必死な顔で、死に物狂いで何回も、何回も。
恐らくこうなる様に確認していたに違いない。自分を守る魔法の風がどの様に動くのかを、弾かれた物はどういう角度を描くのか、全部を注視されていた。
くっ・・・本当に誤算だ。最初に出会った時からずっと見られてたんだ。こっちが感情に付き動かされている時から今までの全部をっ!
「ま、まだ間に合う! ボクの力で反作用の力を込めればまだ間に合う!」
光の渦の中に手を突っ込もうとした。駆け足そのままに体ごと木にぶつかるように。
そして右手を入れて、今度は抱きつく様に体を入れて――――出来ない。顔に衝撃が走った。物凄く痛い物理での痛み。
「きゃっ!? な、なにっ・・・・ぐっ!?」
思わず顔を手で覆ってしまう。温かい感触―――血、それが自分の口と鼻から流れていた。
まるで固い石で殴られた様な鈍痛。その所為で桜の木から遠のく様に転がり落ちて体中が泥だらけになってしまった。
ますます混乱する思考。何が起きたのか理解出来ない。状況が掴めない。変化する先程までと今の周りの状況。頭がフリーズしてしまう。
「な、なんなんだよっ。何が起きてるのかさっぱ――――」
「生憎ボクは同性愛者じゃないんだ。だからいきなり抱きつかれようとすれば勢い余って殴ってしまう。悪いね、キミ」
「あ・・・・ああ・・・」
光の奔流から突き出されているのは手。アレに殴られたのは間違いが無い。小さな女の子の手だったが・・・力強く握られている。
そして手、肩、足、首とその光から抜け出る様にその姿を見せ始める。着ているのは黒いローブ、魔法使いとしての証、象徴、シンボル。
最後に見せたその顔は、いつも見ている顔だった。朝起きて、夜眠る前の最低二回は見る姿形。唯一違うとすれば、短く切られているショートカット。
完全に光から抜け出して目を見開く彼女―――自分。こちらを嗤う様に口元を歪ませ、目は彼みたいな色合いの意思を持っていた。
「き、キミは・・・もしかして・・・」
「こうやって地に足を踏むのなんて本当に何年ぶりだろうねぇ・・・ん、あれ? たった一年かそこらかな。随分長い間居た気がするよ」
服をパッパッと伸ばし姿勢を繕う彼女。首をコキッと鳴らすその仕草はさっき見ていたあの子にそっくりだった。
そうして周りをきょろきょろして、何かを探すように視線を走らせている。まるでこちらの事など眼中に無い様に。
「・・・そっか、消えたんだ。薄々そんな真似をしでかすとは思ってたけど本当に実行するなんて―――成長したね、義之くん」
「なんで、ここに・・・」
「自分が最大のピンチの時は最大の好機とは小さい頃から教えてたけどさ・・・・はぁ、煙草を吸いたいな。キミは持っている? 煙草を」
「も、持って無い・・・」
「葉巻でもいいんだけどその様子だと持って無さそうだね。しばらくは我慢か。かったるい」
「―――――ッ!」
先手必勝。相手は油断している。勢いよく右手を突き出して魔法を放った。
それでもまだこちらに目を向けていない。懐を探る様に手を動かしたまま目の前に迫っている魔法に気付いて無い。
取った――――ここ数日で自分はある一種の百戦錬磨となっている。こういう魔法でのやり合いなら自分が遅れをとる訳が無い。
「消えてっ! もう一人の――――」
「んー?」
「あ」
その魔法は彼女に当たり無様に吹き飛んで行く。そうなる筈だ。なる筈だった。
魔法は彼女に当たった。完璧に、狙い通りに。顔面に当たり光が弾け飛ぶ様に爆ぜた。
しかし・・・何事も無かった様にきょとんとしている。唖然とした顔で彼女を見詰めてしまう。
今度こそ頭の中の思考のネジが動きを止めてしまった。そんな私に比べ、彼女はまた『かったるそうな』顔を見せた。
「蚊でも飛んでいたのかな? ここら辺では蚊なんて生活出来る環境は無かった筈だけど」
「な、なんで・・・なんで」
「いや、待って。確かに蚊というのは環境の変化に弱いけど、ここら辺は海に囲まれている。高い塩分濃度の岩礁の窪みが生活圏内にある蚊も
いると聞いた事があるね。つまりどこでも暮らしていけるという逞しい虫という事――――ゴキブリみたいだなぁ」
クッと何が可笑しいのか一人で笑う彼女。その有様は余りにも彼に似ていた。
茫然とする自分。今気付いたが圧倒的な魔法の力を彼女は持っていた。自分よりも、そこに寝ている本来の自分よりも―――。
さっきの攻撃も防ぐ必要は無かったに違いない。油断ではなく余裕。それを持って自分の前に立っている彼女に戦慄の感情が沸き立った。
そして笑いが収まったのか――――バサっとそのローブをはためかせ、ワザとらしい様に仰々しく胸に手を当て、頭を垂れた。
「ああ、自己紹介がまだだったね。ボクの名前は芳乃さくら。桜内義之の母親にして魔法使い。どうやら息子がお世話になったみたいだね―――キミ」
「芳乃、さくら」
「ここにボクが居ると言う事はあれだね、キミは幸せより自分の命を選んだという事か。義之くんが必ず選ばせるって意気込んでいたし、実際そうんでしょ?」
「――――ッ!」
「人生は本当に二者択一で出来ているよねー、いや、マジでさ」
面白おかしそうに人差し指をくるくると空に回しながら独り言の様に呟くさくら。
もし幸せになりたかったのならあのままナイフで貫かれて死ぬべきだった。そうすればローブ姿のさくらは此処に来れず世界は完成した。
そして芳乃さくらはナイフから身を守る為に魔法を行使―――結果、幸せを放棄してしまい今までで最悪の敵と対峙する事になってしまった。
幸せを得たいのなら自分の死を捧げるしかなかったあの状況。芳乃さくらはギリッと歯を鳴らし、義之の言っていた事を理解する。
「おー良い月だ。こういう時はお酒があれば最高だね。月見酒、雪景色も最高だし胸が躍るよ。にゃはは」
雲一つ無く綺麗な空を仰ぎ見てにこっと笑みを浮かべ――――絶対零度を思わせる程凄まじい形相で、人差し指を相手に向けた。
「ボクは義之くん程優しくないよ? 義之くんの受けた痛み、百倍返しにしてあげる」
アイシアと音姉の奇襲は失敗。それを読んでいた芳乃さくらは逆に二人を手玉に取り、悠々とこの世界を完成させる。
大方そんな所だろう。後ろで黙って音姉のアイシアの話を聞いていたオレは二人の行動に待ったを掛けた。驚く二人。構わずオレの作戦を伝える。
「とまぁ、色々あってウチの本当の母ちゃんと連絡が取れた。だからお前らは留守番しててくれ」
「い、いきなり過ぎて何が何だか分かりませんってば!」
「もっと詳しく言ってくれないと分からないよ弟くん・・・」
面倒な女達だ。しかしもっともな話かもしれない。急に表れたかと思ったら漂々とした様子で勝手に話し始めたしな、オレ。
時刻を見ると午後10時を上回っている。感覚的にタイムリミットが近い事が分かった。明日を迎える前に確実にオレは消えてしまうだろう。
「オレがあっちに居た世界の頃の本当の母親――保護者のさくらさんとまぁ、夢の中で出会って快く協力してくれる事になった。だからお前たちは
念の為に学校で待機しててくれっつー話な訳だ。簡単な話だろ?」
「ゆ、夢ですか・・・。確かに枯れない桜の木を通じればそんな形でさくらと会う事は出来るとは思いますが・・・」
「でも、どうやってこっちに? ここはこの世界のさくらさんが管理してるんだよ、何日か前は私達は来れたけどもう警戒して扉は開かれないと思う」
「ああ、音姉の言うとおりだ。今の奴さんは狐みたいに懐疑心の塊、尻尾を立てて警戒しているに違いない」
「まぁ、殆ど義之の所為ですけどね」
「うるせぇ。だから今回使うのはコレだ」
「え、それって・・・・」
オレが取り出したのはナイフ。アリスが絡まれていた時にチンピラから巻き上げた物だ。知らず知らずの内にずっと持っていたらしい。
そしてその先にオレがいつも付けているさくらさんから貰ったストーンアクセのトップ部分を外して取り付けた。ななかの道具がここで役立つとはな。
後は工作室に寄って物は完成。我ながら見事な出来栄えだった。これなら簡単に折れなくて済む。もしポッキリといったら全てがパーになっちまうからな。
さくらさんが言うにはこれを枯れない桜の木に刺す事でバグを生じさせ、こちらの世界に移動出来るという話だ。これほど力強い味方が来るとは頼もしい。
「方法はそれでいいと思いますが・・・『手段』はどうするんです? あのさくらに近づくのは根気がいりますよ」
「ああ、それはさっき思い付いた―――というか覚悟を決めた。今から少し時間を調節してアイツの所に行って、一回消えようと思う」
「・・・・・は?」
「え?」
ただし――――その条件としてオレは消えてしまう事になる。絶対的な隙を生むのはオレが消える間際。必ず油断するからだ。
その事を話すと二人は興奮した表情を一変させ、怒る様に眉を吊り上げさせた。おっかないね、普段怒らない人が怒ると。
「消えるってどうなるんですかっ、もう一度こちらの世界に戻ってこれるんですよね?」
「それがなぁ・・・よく分からないみたいなんだよ。オレが消える事についてさくらさんに聞いたみたけど何とも言えないらしい。今までに例が
無いらしいからな」
「だったら私かアイシアさんが弟くんの役目を――――」
「アホ。さっきも言ったけどお前等が来たら絶対に桜の木に近付けさせれくれねぇぞ? オレが行くからこそあっちは油断する。手負いの犬が
噛み付きに来たと心を緩ませ、慢心する。だからこれはオレがベストなんだ」
「で、でも」
「皆の命とオレ一人の命。考えるまでも無い。別に恨みやしないぜ? オレはもう覚悟を決めてるし、納得もしている」
腹はくくった。オレが危ない橋を渡れば母親―――さくらさんが来てくれる。あの人が来てくれれば全部を終わらしてくれる。
音姉とアイシアがあの芳乃さくらに叶わない以上、あの人は絶対的な切り札になる。何もかもがオレの上位互換の能力を持っているからだ。
それに少なくともこの世界から完璧に消える可能性が低くなる。何とも言えないと言っていたが、きっと何かしらの手段を見つけるだろう。
だから絶対的に絶望的という訳ではないのだが・・・アイシアは腕を組んで顔を背けさせた。
「私は賛成出来ませんね」
「アイシア」
「だってそれは自己犠牲です。自分がどうなってもいいからという考えですよね、そんなの独りよがりなんじゃないですか?」
「・・・・」
「そして絶対に後悔します。もっと他に良い方が無かったのかと、遣り様は他にもあるんじゃないと後になって思います」
「・・・・ふぅ、アイシア」
「義之はまだ若いです。これから成長して色々楽しい事や辛い事を経験していきます・・・・わざわざ危ない道に進むのは止めて下さい」
顔を俯かせながらポツリポツリ喋るアイシア。自己犠牲―――考えればそうなるかもしれない。言われて初めて気付いた。
彼女は彼女で思う所があるのだろう。過去に魔法で皆を幸せにしようとして失敗し、自分を贄として清算したアイシア。今の状況と似ているかもしれない。
音姉も何を言って良いか分からない呈をなしている。どうやら音姉も反対か。予想出来ていた事とはいえ、ここまで頑なに拒否の声が出るとは・・・・・。
はぁ、とため息をついてアイシア達を見据えた。自分が思っていた以上に心配されているらしい。こんなチンピラみたいなオレを気遣うなんて
本当に物好きな女達だと思う。
「まぁ、ぶっちゃけて言うとオレが助かる道がそれぐらいしか無いんだけどな。さくらさんが来てくれればオレが消えたとしてもなんとか
してくれると思う。結構可愛がって貰ってたと自負してるし、あの人は存在自体が反則な人間だ。賭けてみてもいいんじゃねぇか?」
「でも」
「生憎だけどオレは自分の命の方が大事な人間だ。そして偶々助かる道を考えたらさっき言った方法が一番という結論に達した。自己犠牲
と言うがオレは自分が助かる為に自分を犠牲にするだけ―――誰かを助けようなんざ後付けに過ぎねぇよ」
「・・・・」
「前にも言った台詞をもう一度言う。こんなオレの性格を理解しているだろう、アイシアなら」
「なんだかその言い方って卑怯ですよね。お前なら俺を分かってくれるとかそんな言い方。人の好意を逆手に取った最悪な方法です」
「・・・悪いな」
「もう分かりました。好きにしてください。どうなっても知りませんからね」
ドスっと音を立てて椅子に座り込むアイシアに、思わず頭を掻く。
やっぱりこういう方法って二度はキツイものがあるな。どうしても都合の良い様に聞こえてしまう。
納得―――というか諦めに似た言葉を吐かれて承認は得たが、ご機嫌斜めになってしまった。こりゃ後が面倒臭いな、おい。
「絶対に帰ってくるからそんな拗ねるなよ。危ない橋だが同時に好機の策でもある。そんなに心配する事ねーよ」
「ツーン」
「おい、音姉。一発頭引っ叩いていいか、コイツの事」
「あ、あはは・・・」
苦笑いを浮かべる音姉。その様子を見る限りじゃ音姉も諦めた様だ。
もう何を言っても聞かないと思ったのだろう。その通りなんだけどな。例え泣かれたとしてもオレは自分が助かる為に消えていく。
「・・・・あーなんだかなぁ」
「どうしたの、弟くん?」
「いや、なんでも」
「・・・・?」
しかし、あれだな・・・もう少し静かに暮らしてみたい。こんな消えた・復活したを繰り返すなんて普通じゃない。何かオレは悪い事でもしたのか。
「オレは善人側の人間な筈なんだけどなぁ。何でいつもこういう事に巻き込まれるんだろうか」
「え、本気で言ってるの弟くん?」
「・・・たまに音姉って酷い事を言うよな。やっぱりオレの姉だよ、アンタは」
「え、え?」
「まぁ、とりあえずちょっくら行ってくる。段々体の調子が本格的におかしくなってきたし、残り時間も少ない様だ。じゃあな、また会える事を
楽しみにしてるぜ」
「・・・うん、何も出来なくてごめんね。自分が情けなくてしょうがないよ」
「音姉が居たおかげでいち早く芳乃さくらという存在に気付けた。一日でも遅かったら何もかもが手遅れになっていたのは間違いが無い。今回の件
で一番際どいタイミングを乗り越えたのは誇って良い。オレなんかよりも随分皆の事を助けてるよ、音姉は」
「―――――ありがとう」
「事実を言った。お礼を言われる事は何も言ってねぇ」
体をふらつかせながら引き戸を開ける。
枯れない桜の木の所に行くまでに掛かる時間を考えると頭が痛くなるが、がぶりを振って意識をハッキリさせた。
ここからはオレの行動に掛かっている。このナイフを木に刺す程の体力が残ってるといいが・・・臨機応変にいくとするか。
「さて、気合いを入れて・・・」
「義之」
「・・・なんだ」
「一発、かましてくださいね」
「――――任せておけ」
背中越しに聞こえる声に拳を見せつけて廊下に出た。
この場面で応援の声と言うのは・・・うん、嬉しいモノだ。誰も彼もがオレの存在なんて忘れてるから、心に響いた。
こりゃ、かましてやるしかねぇ。とんでもない化物を召喚してやるよ、芳乃さくら――――――。
壁に手を置きながら歩いて枯れない桜の木を目指す。
オレは勝てないが、ウチの母ちゃんならあの女に勝てる。
オレ自信が敵わないというのは若干歯痒い思いだが、まぁ、オレとさくらさんとの協力攻撃ダメージ+1って事で納得するとするか。
「・・・・あっ、と」
「おっと、悪い」
そしてふらふらしながら歩いている――――と、一人の男子生徒とぶつかり、ため息を付きながらオレはソイツの顔を見た。