※この話はクリスマスDaysの僅か数ヵ月後のとある話です。
※特に誰のルートにも入ってないニュートラルな状況。
※つまり、相変わらず誰も選べてない桜内義之のお話です。
どの世界でも春というのは代わり映えの無い風景だと思う。
梅の花が咲き、新しい出会いと別れがあり、また―――何も変わらない事を実感する人間もいる。
もれなくオレもその一人だった。ある人間はオレは変わったとか丸くなったというが・・・まるで実感が無い。
「で、あるからしてこの公式にはめられる数値は――――」
「ふぁ~・・・・・」
「・・・・」
一瞬咎められるような視線を送られるが、すぐにその仏頂面を黒板に戻すオッサン―――もとい、先生。
オレの他にも似た様な生徒は居るので注意は諦めたのだろう。しょうがない、五時限目といえば昼休みの延長線上だ。
腹に物が入り副交感神経が働いているこの状況。よく先生方は教科書を開いて多くの言葉を吐けるものだと感心してしまう。
「おい、渉ちゃん」
「・・・・んぁ、なんだよ。義之」
眠たげな目を擦りながら半目で見やってくる渉。こいつは俺以上に喰っていたので、さぞや夢の世界に旅立つ気持ち満々だろう。
小恋は必死に黒板を見ながら数文を書き写し、杏は演劇の台本らしき物をペラっと捲っている。茜はとっくに巨乳を下敷きにして眠り
こけていた。なんつー光景だ、まるで居心地の良い抱き枕みたいに抱えている。
「・・・触りたいのに触れないこのジレンマ。お触り禁止のパブじゃねぇんだぞ・・・クソッ」
「別にお前相手なら喜んで触らしてくれるんじゃねーの? いつも義之の手を持ってあの魅力的な谷間に持っていこうとウキウキしてるじゃん」
「アホ。そんな事やってみろ、周りの女どもが黙って――――と、話が逸れたな。茜の巨乳の事はこの際置いておこうぜ」
自分で話してて少し調子こいた発言だと感じ、手を顔の前で振る。渉のジト目がうざいが敢えて気づかない振りをした。
暇つぶし程度で声を掛けたのに自滅しちゃ笑い話にさえならない。間抜けな事をする奴は何時だってその原因を自分で振りまく。
机の中から一冊の本を出して机の上に広げる。ちょうどこの席は教壇から死角になるので見えない。指をくいくいっと招いて隣の渉を呼び寄せた。
「なんだよ義之――――って、これ・・・」
「タウンマガジン。この間てめぇとスナック行った帰りに貰って―――――」
「ば、ばかっ、声大きいって!」
肩袖をぐいっと引き寄せられ目を四方に配る渉。まるでハツカネズミみたいな反応だ。
そんな慌てる事も無いのにと思う。俺の知る限り市内に出て遊んでる奴は数人居るし、別に珍しい事じゃない。
「なぁにキョドってんだよ、別にちゃんとコソコソしてれば見つからねぇっつーの。チキンかてめぇ」
「俺はお前のその自信過剰さが信じられねぇよ・・・。よくまぁ、授業中にこんなもん広げられるな」
「うるせぇ。そんな事ばっかり言ってると、このネーチャンに嫌われちまうぞ」
「あ・・・」
「見た感じ結構な人気があるな。三ページぐらいに渡ってインタビュー記事載っている」
そのカラーページに興味が持ったのか、黙り込んで字面を追う。俺も被さる様に読み進めた。
どの店で働きキャリアはどれくらいか、現状に対する満足感と不安。そしてお決まりの好みのタイプ。どうやら店のナンバー2らしい。
この間渉を連れて行った時に客が丁度まばらだったのが幸いして結構会話をする事が出来た。手馴れている俺と、緊張して視線を忙しく無く
走らせる渉に向こうさんも少し訝しげな視線を送っていたのを思い出す。
別に俺は手馴れてなんていないが、そもそも緊張する理由が無いので自然といつも通りの振る舞いになるのは当然だった。くだらないおべっか
に賛辞の声。右から左に聞き流しながら隣の渉を見ると、意外と一人の女と会話が盛り上がっていた。その女こそ、今開いてるページの女だった。
どうやらバンドのおっかけをしているらしく今時イケメンの渉と意気投合。今度遊ぶ約束まで取り付けたのはさすがの俺も感嘆の息を漏らした。
ちなみに俺も声を掛けられたが丁寧にお断りの返事を出した。休みに日はごろごろしたいし、今以上の厄介事は本当に疲れるだけだと思ったからだ。
「好みのタイプは年下、か・・・。やったな渉。オレが見てた感じから察するに、半分遊びだけど半分本気ぐらいだったから・・・可能性はあるぜ?」
「冗談はよせって。きっと俺をからかってるだけだっての。ああいう所で働いてる人に本気になって痛い目見るの、俺は嫌だぜ」
「差別はいけないな。水商売してる連中だって恋愛もすりゃ、夢もある。皆が皆お前が考えてるような女ばかりじゃない」
「じゃあ、比率的には?」
「8:2。8がお前が考えてるような女で、2はそれ以外だ」
「――――止めておく」
「おいおいおい、わったるちゃんよぉ。別に結婚しろって言ってる訳じゃねぇんだ。適当な遊びでいいんだよ最初は」
「だから俺はそういうの無理なんだってっ。俺は小恋が好きだし、ちゃんと恋愛して本気な恋を――――」
何かが振動する音。即座に俺は渉のポケットから携帯を抜き出しメール欄を開いた。あまりの手際の良さに渉は呆然としている。
俺の勘と今までの経験から察するに、今このタイミングでメールが届いたという事はさっきまでの話に関係している事は間違いない。
そうして慌てて抑えに来る渉を躱しつつ、そのメールを見て・・・・・
『え~そうなんだぁ、好きな人居ないんだ。渉くんモテそうなのにねぇ。じゃあ、週末に駅前待ち合わせで! 楽しみにしてるね』
「―――――へぇ、・・・・なるほど」
「・・・・う、わぁっ」
オレは感嘆するように言葉を漏らし、携帯を渉の方に投げ返す。
渉と言えば顔を青くして携帯を受け取りかなり挙動不審気味に呻き声を漏らした。
「で、なんだっけ。ちゃんと恋愛云々でマジな恋を求めて小恋がどうのこうの・・・・と、聞いた気がするんだがオレの妄想だったりするのかな」
「で、出来心だっ」
「ああ、分かってる。俺は何も見ちゃいないし聞いてもいない。もう全部無かった事にするよ――――チャラ男くん」
「ぐ、ぐぅ」
ぐぅじゃねぇよ。でもまぁ、オレ達の歳だと女遊びもしたい年頃だし別にいいだろう。
あれこれ人間関係を広めて、それで本当に小恋が良かったら追いかければいいし、また違った女に魅力を感じたらそっちに行けばいい。
何も玩具は一つまでと言われた子供じゃないんだ。潔癖気味に視野をわざわざ狭くする必要はない。
「オレはそう考えるけどな。ちっとは物の見方を変えてみやがれ。エリカなんて最近は目端が利くようになって賢くなってきたぞ。まぁ、元々
要領は良い奴だしオレなんかより学習能力は高いしな」
「う、うるせー。義之みたいに沢山の女から好意持たれて女慣れしてる人間じゃないんだ、放って置いてくれ」
「あー?」
「大体俺の事より義之はどうすんだよ。そろそろ一人に絞らないとヤバくないか? 最近そのエリカちゃん、殺気だってる気がするし」
「――――それこそ放って置け、だな。オレも悩んでいるんだが上手い事中々整理を付けられない。ここまで糸がこんがらがると解く
のに時間が掛かるよ」
エリカだけではなく、周りの女達もいい加減我慢が出来ない頃合い。口にこそ出してこないが日に日に視線が厳しくなっている。
何かきっかけになるような事があればいいんだが・・・・、とねだる様に言っても何も始まらない。けれどそう思うってしまう程に
解決策が無いのも確かだ。
まともな恋愛をしてこなかった分、一気に女と関わりを持つようになった様にも感じる。人嫌いなんて感じる暇も無く落城させられた気分だ。
「さて、どうするかな。渉よぉ、どうすればいいかな?」
「うーん・・・。とりあえずエリカちゃんじゃダメなのか? あんなに尽くしてくれる可愛い女の子中々に居ないぞ。あとお金持ちだし」
「エリカか。確かに極上な女だけどな」
「その他にも男子人気ナンバーワンな白河もいるし、ファンクラブがある由夢ちゃんもいるし、あと――――ってなんだか馬鹿らしくなって
きたな・・・・。なんでそんなにお前はモテるんだよっ」
「オレが聞きたいっつーの」
噛みつく勢いの渉に手を振りながら元の佇まいに戻り、黒板の方に目を向ける。
そろそろ気付かれてもおかしくない頃合いだった。さすがに風俗誌が見つかって平然として居られるほどまでに、神経は太くなってはいない。
渉も不承不承ながら元の体勢に戻った。きっと話から逃げられたと思っただろうな。そう思われても仕方無いし、実際に半分その通りだった。
(・・・分かっちゃいるんだが。こればっかりは対応策が何も思いつかねぇ)
「――――――で、だ。杏と茜はどう思うんだ? 俺の何処が、そこまでしてお前らを駆り立てるんだ?」
びくっ、と体を震わせた二人。ため息を漏らしながら後ろに手を組む。普通だったら気づかない程までの気配の消しっぷりだ。
茜なんてごく自然に寝息を立てていたし杏も視線は字を追っていた。女は生まれた時から女優だと言うが、全くもってその通りだと思う。
オレも最初はこっちの様子なんて気にしていないと思っていた――――が、一応試しにしたくもない恋話をしたら耳がピクッと動いたので
気づく事が出来た。息を漏らしながら目を瞑り、窓の外を見やる。
「はぁ・・・もう春か。そろそろこっちに来て三年目突入かよ」
ジトっとした二対の視線を頬に受け止めながら窓の外を見やる。
一回名誉の死を遂げてからまた違う人生を送り出して二回目の春。
そろそろ最終的な決断を強いられている時に来ていた。
春という季節は何回も体験はしている。だからこそ年々春と夏の季節の周期が短くなっている事には普通に気付いていた。
周りの人間も同じだろう。すれ違う生徒達は皆体を震わせながら肌寒そうにしている。そろそろお花見してもおかしくない頃なのに・・・、だ。
「そういわれてみるとそうですねー。何故なんでしょうか、よっしー先輩」
「あぁ? エルニーニョ現象とか色々な事が原因で気象が狂ったからじゃねぇのか。おかげで寒くてしょうがねぇ」
「エルニーニョ現象・・・・って、なんでしたっけ?」
「・・・・・・・」
「あぁ!? 無視してタバコ吸い始めないで下さいよぉ~!」
屋上に向かう踊り場近くで腰を据えて煙草に火を点らせる。換気の為に開けた屋上の扉からまた一層に寒い風が入り込んできた。
脇に目を送ると、体をやや透かせながらも手をブンブン振り回す元気の良い女――――まひるが涙目になりながらこちらを見詰めてきている。
中々あざとい仕草だな、そう思いながら紫煙を吐き目を瞑る。
「アメリカ側から来る貿易風に熱い海水が乗ってこない事を言うんだよ。だから中々暑くもなんねぇし雨も中々降らない。まぁ、ただ単純に
寒気がまだ残っている所為もあるけどな。あとさっきの反対で、アメリカ側はいつも乾燥してる筈なんだが雨が多く振ってジトジトしている。
なぜ湿った空気になるかというと熱い海水が残ったままになるからだ。熱により海水は蒸発して雲を形成する。雲が多いという事は太陽の光
を遮断する事になっちまう。東と西で気象が逆転するという事は世界規模で気温が著しく変化する事を表すな。何も日本だけが特別じゃない。
簡単に言ってしまえば温暖化とかが原因だとか言われてるらしい、あとお前かなりあざといよな、狙ってやってるのか?」
「え、え~と・・・・・・・・あ――――わ、わたしはあざとくなんかありませんっ! 至って普通ですっ」
「そうか」
捲くし立てるように一気に言ったので気づかれないと思ったが、どうやた目敏く気づいた様だ。かったりぃ。
大体よっしー先輩っつー呼び名が恥ずかしい。聞いた所どうやら茜がオレをよっしーと呼んでいるのを目撃したらしく、それ以降はこの呼び名
が安定したらしいが・・・・・まぁ、こいつは他の人間に見られる事はないから大丈夫かな。幽霊だし。
「いっつもよっしー先輩は私に意地悪しますよねぇ。私はとても憤慨しますっ、例えるなら――――」
「例え話を切り出す人間は教鞭を振るう人間に向いてないとオレは思っている。人に何かを教える時に抽象的な事を言うからだ。そして絶対に抽象
的な説明は人には伝わらない。どれだけ想像力が豊かな人間だったとしてもだ」
「・・・・うぅ、私の存在を全否定されましたよ」
「大丈夫だ、まだ人に自慢出来る事があるじゃないか」
「えー。それってなんですか?」
「顔が可愛い」
「―――――うわぁ」
「だけだな」
「だけ!? そ、それ褒めてるつもりで実はけなしてますよねぇっ?」
一瞬体全体で嬉しさを表そうとしたので、即座にオチを付けさせる。
元々一人になりたかった所に嬉々した表情で寄ってきたからなぁ、こいつ。
少し意地悪ぐらいして気分を晴らしてもいいだろう。まひるはドッと疲れた呈をなして、オレの隣に腰を降ろした。
「はぁ、ミキが可哀想ですよぉ。こんなわーるい先輩に騙されて」
「お前の親友、中々に具合がよかったぞ。おっぱいも揉み応えあったし最高だね」
「じょ、冗談で言ったんですから乗って来ないでくださいよ! なんですかその薄ら笑いっ、本当に悪党みたいですってば」
「実際に悪党だからな。少なくとも善人じゃねぇ、時々良い人になった自分を想像しようとするが決まって最後は誰かを殴ってる光景が浮かぶな」
「――――本当に悪い人だったら、あんなに必死に走り回ってくれません。私の未練探しも手伝ってくれて、こうして今もこの世界に居るんですから」
はにかむ笑みを作るまひる。煙草の灰を携帯灰皿に落とし、首を回して音を鳴らした。
あのクリスマスの後出会ったオレたち。この世界に来てから人との繋がりが増したと思ったオレだったが、まさか幽霊に会うとは思っても見なかった。
それからまぁ、怒涛の如く忙しくなった。その忙しさの余り途中の記憶が所々抜けている。よく売れっ子のアイドルが毎日常軌を逸脱するぐらいに仕事に
追われ、その期間の事をあまり覚えていない現象によく似ている。
ただ、覚えているとすればコイツが泣いていた事と、それを解決する為に走り回って汗だくになった自分の体のあのびっしょりとした感触ぐらいだ。
あー、あとまたアイシアに手伝って貰った事もあった。なにせ相手は人じゃない存在、常識外の事は常識外を縄張りにしている人間に放り出すのが一番だ。
なにせ途中でまひるが『やっぱり成仏したくない。ここに居たい』って言い出したから大変だった。最後の最後でさくらさんに頼ってなんとかなったが・・・。
「もう未練探しはごめんだね。最初はノンビリやってたのに、急に期限を設けやがって。自分の成仏するタイミングぐらい分かりやがれ、このタコ」
「そんな事言われても分かりませんってばぁ~。ふと頭の中で『あ、早く未練を探さないと一生成仏できない』って考えが掠めてわたしも驚いたんですよ?」
「宗教によって色々括りはあるが、大体は意志があまりにも確立されている存在がそうなる場合があると聞いた事がある。あの時のお前って体が不安定に
なってたよな? 薄くなったり濃くなったりよ。水門を閉じられた直後の水路の水が不安定になった状態によく似ている。多分水門が完全に閉じられたら
ココに完全に固定されていたんじゃないか。多分だけどよ」
「うーん・・・どうなんでしょうかね。でもこうして此処に居られるって事は、別にそれでもよかったんでしょうけどね」
「よくねぇよ。人は天とか地に帰るってのが全宗教に共通して、また自然の摂理だ。アイシアとさくらさんが頑張ってくれたお蔭で、『一時的』な処理として
此処に残っていられる。気が済んだらとっとと成仏しちまえよ」
と、軽く手を振って腕時計に目を向けた――――瞬間、
「成仏ですか。だったらその時は・・・・よっしー先輩も一緒に連れて行きますね。私一人じゃ、もう寂しいんで」
ゾワッ、とした感覚が体を支配した。気温の寒さとはまた違った冷たいものを感じ、背中に汗が伝う。
さっきまでの浮ついた気持ちが一気に引き締まった。多分オレの顔は強張ってると思う。気を抜けば変な声が出そうで口に力を入れる。
まひるに悪気は無い。ただいつもの冗談っぽく言っただけだ。だというのに物凄い圧迫感を感じた。今更ながら相手は死んでいる人間なんだと意識する。
『引っ張られないで下さいよ、義之。彼女はとても強い概念みたいな存在です。普通なら多少未練を持ったとしても成仏する筈なんです』
『それなのにここまで確かな意識を持ち、居るという事は生半可じゃない力を持っていますよ。そして彼女が消える寸前でこの世界に残りたいと思った理由、分かりますね』
『義之がその彼女の要望に応えたんです。今の彼女は貴方に並ならぬ執着心に近い気持ちを抱いている。その事を念頭に置いて、相手してやって下さいね』
アイシアの忠告。油断していた訳じゃ無かったが、心が掻き乱されそうだ。久しぶりな恐怖心――――息をゆっくり吐き、鼓動を整える。
「―――――まひる」
「なぁんですか、義之先輩」
あえて名前で呼ばれる。妙に浮ついた声だった。性質的に人のものではない、空気に溶ける声。耳の芯に響くような気味の悪い音だ。
相変わらず腕時計から目を離せない自分に激しくイラつく。小さい頃、幽霊に怯えていた自分を思い出しまた心を揺れ動かしてしまう。
・・・クソが、いつまでもこのままではいられない――――だから、それを振り切る様に、オレはまひるに目を合わせ、その言葉を発した。
「お前、下着脱げ」
「・・・・は」
そのオレの言葉に、硬直したように体の動きを止めるまひる。構わずオレは言葉を続けた。
「聞こえなかったのか? 今すぐお前が今履いている可愛いらしい下着を脱げ、と言ったんだ。二度も言わせるな」
「な、な、なっ、なんでですかぁーーーー!?」
「あぁ? てめぇオレに気があるんだろ。だったらその希望に応えるって言ってるんだ。ココで抱いてやる。優しい先輩に恵まれてよかったな、まひる」
「え、いや、えと・・・・その」
唐突なオレの言葉に混乱を隠せない彼女。いい気味だ、オレを脅かそうなんて味な真似しやがって。
大体オレがビビる人物なんてウチの母ちゃんぐらいだ。あの人は本当に化け物染みてるからな。魔女だし間違ってはいないだろう。
ある時、『ボクは人の考えてる事が分かるんだ。忘れた時でいい。思い出す様に自分が何を考えてるか聞いてみな。絶対に当てるから』と言っていた。
そして全問命中。魔法の存在を知ってからソレが原因でバレたと思っていたが、本人に聞いたら違うとの話だ。底が見えない母親だ、全く。
「どうした? 出来ないのか?」
「わ、わたし幽霊というオカルト的な存在なので、ええ、ちょっとそういうのは無理そ――――」
「嘘をつくなよ、このやろう」
「う、うぅ」
目をジッと見つめるとまひるは顔を紅くしながら逸らす。オレはやられたらやり返すタイプだ。さっきの屈辱、返してやるぜまひる。
「存在の力を強くすれば少しは実体化出来るって聞いたぞ。ま、どうやるかは知らねぇけど・・・・デキるよな、オレ達」
「そ、そりゃ・・・・その、そういうのは出来ると思います、けど・・・」
「だったらヤるか。正直最近物凄く溜まってるし我慢できねぇ。お前も嬉しいだろう? 嬉しいに違いない。なんてたって相手はオレだからな」
「なんて俺様な・・・・・さ、さすがのわたしも怒りますよっ、よっしー先輩!」
「・・・チッ、面倒臭ぇ。すぐにやらせてくれるんじゃねぇかよ。かったりぃなあ、妙に身持ちが固い女はよ」
「ちょっと、聞こえてますってば! そんな軽い気持ちで応えられる程、わたしの気持ちは軽くありません! そう、例えるなら!」
また恒例の例え話。ヒートアップするまひるを見詰めながらタバコを思いっきり吸う。
正直安諸した気持ちでいっぱいだ。もし、いいですよなんて言われたらヤバかった。そう言わせないように強気で言ったからなんとかなったが。
こういうのは最初に押しに入った方が大体勝負に勝つ。後手後手で返せる人間なんてそうは居ない。場慣れてしといてよかったと、オレはしみじみ感じた。
目の前には一人で増々熱くなるまひるの姿。それに嘆息しながら、翻ったスカートの中身を見物しつつ吸殻を灰皿に押し込んだ。
「さて、そろそろですかね」
ちらっと腕時計に目を通すと時刻は四時。商店街通りを主婦が行き交いちょっとした混雑を作り出している。
主婦が居るという事は自然的に子供連れが多い。子供は例外なく玩具が好きだ。だから自分の愛情が籠った人形を買ってくれる。
そう思いながら目の前の人波を見詰め―――アイシアはため息をついた。
「・・・はぁ。やっぱり最近の子はこういうのに興味はないのかなぁ」
『呪い』は解かれ、自分の存在が誰かに認識される様になって久しぶりの店開き。
ついこの間まで義之と例の彼女の事でいっぱいいっぱいだったので店を開く余裕など無かった。
その問題も解決してやや緊張しながら臨んでみたものの、どうやた出だしは思わしくないようである。
「んー・・・・。もしかしてわたしって、経営とかの才能が無いんじゃ・・・」
身も蓋もない、数十年の積み重ねを全否定するような考えが頭を過ぎり――――
「お母さん! お人形さん売ってるよ」
「あら、懐かしい感じのお人形さんね。今時珍しい」
「あ・・・・い、いらっしゃませっ。ごゆっくり見ていってください」
しまった、上ずんだ声を出してしまった。沈んていたところに急な来客。接客に不慣れなアルバイトみたいな対応だ。
アイシアは顔を赤くしながら佇まいを正し、膝の上に手を置く。母親はそんな彼女の姿にくすりと笑い子供と一緒に腰を降ろした。
「ねぇ、お母さん。このお馬さん欲しいんだけど・・・駄目かな?」
「いいわよ。私も一つ買ってみようかしら。小さい頃お人形遊びしたのが懐かしいわねー」
「ありがとうございます!」
よしっ、それは私が作った魂の自信作だ。ようやく努力の実が実れた事に笑みが止まらない。
アイシアは本当に心の底から笑顔を浮かべ、いそいそとお勘定を済ませ手持ちの袋に包装する。この際値段はサービスだ。
幸先が悪いと思ってただけにこれは思わぬ誤算。相手の親子は私としっかり目を合わせて会話してくれた。私を『認めている』証拠に他ならない。
(うわぁ、これはさくらに感謝してもし切れないですよ。本当にありがとうございます、さくら)
心の中で遠い場所に居るこの世界の住人ではないさくらに礼を述べ、嬉し泣きを我慢しながら馬の人形と兎の人形を袋に詰め手渡した。
お互いに会釈し、夕焼けの方に向かって歩いていく親子。映し出された影法師に思わず郷愁を感じるその姿。それを見詰めながら手元のお金をじっと見つめる。
このお金は普通のお金じゃない。私が大復活して初めてのお金、大事に使わなければいけない―――――のだが・・・・・知らず知らずの内に口から涎が垂れる。
「今夜はステーキですね・・・ふふっ」
「悪いが今晩の飯は鴨鍋だ。良い肉が入ったからな」
「ひぅわっ!?」
「――――なんつー悲鳴だ。それにしても金が入ったら即ステーキを想像・・・か。発想が昔の人間みたいだし、そういう風にすぐに発散する人間は貯金が出来ないぞ」
いつもの澄まし顔でアイシアの後ろに立っていた義之は驚き慌てふためく彼女の横にドカッと尊大に座り、腕を組んで壁に寄り掛かる。
どうやら一部始終を見てたようで、親子の後ろ姿を眺めつつ首を鳴らした。いきなりの登場で泡を喰ったアイシアだったが、すぐに冷静さを取り戻す。
彼が唐突に表れるなんていつもの事―――ふらっと何処かに行っては帰ってくる。さくらの家に居候してからはそんな事が頻繁にあった。
「盗み見してたんですか。趣味が悪いですね、義之は」
「見守っていたと言って欲しいな。良い光景だったよ。親子連れがお前さんの人形を買い、喜ぶ銀髪の北欧少女。絵にして売ったらさぞ儲かるだろう」
「なんでもかんでもモノの価値を値段にする人に碌な人間は居ませんね。前にアメリカで他人のハグの写真を売っている店がありましたが、どういう神経
をしてるんでしょうか。恋人同士の神聖な行いですよっ、ハグは!」
「スラム層の人間だろう。そういうの取り締まると今度は犯罪行為に及ぶかもしれねぇから警察は見て見ぬ振りをしている。法律にもギリギリ違反してねぇ
しな。モラル的にどうだって言う気持ちは分からないでもないけど、モラルをちゃんと守れている人間なんてそんなにいねーって。オレもアウトだし」
「うぅー・・・なんか納得いかないです」
「そういうお前だってこんな所で露店開いてるじゃねぇか、オイ」
「え」
「ちゃんと役所に許可は取ったのか? 商工会は? もし住所を聞かれた時の為にここの住民票をちゃんと取ったのか? 居候してんだから許可は降りる
筈なんだけどな。むしろ生活の本拠に住所を置かないと違法になるし・・・・なぁ?」
「――――義之、世の中にはむしろままならない事が沢山あるんですよ? ハグしてあげるから忘れてくださいね」
ぴとっ、とくっ付いてくるアイシアに義之は若干肩を下げた。どこでこういう事を覚えてくるんだろうかコイツは・・・。
周りの女性陣でこういう風な事を教える奴――――半分ぐらい居ることを思い出し、顔を手で覆う。女は基本的に甘えれば男は何でも許すと思ってやがる。
かくいうオレも悪い気はしてないのだから手に負えない。鼻孔をくすぐる甘い匂いと温かい感触。まぁいいだろうって思わせちまうんだから女は怖いな・・・。
「あ」
「ん、どうした。さっきの親子が買ったばかりの人形をゴミ捨て場に出した所でも見たか?」
「や、やめて下さいそんな悲しい事言うのっ・・・・・・義之、例の彼女に会ってきましたね。存在の力みたいなのが少し減っています」
「あーーー・・・・・・まぁ、な。帰る間際に少し話をした」
「――――――」
「しかし存在の力が減ってる、ねぇ。よく分からないし科学的では無いが幽霊に携わると生気が吸われるってのは怪談話でも聞く話だ。江戸時代の書物じゃ
幽霊の女と恋に陥った男が日に日にやつれていって、最終的にはミイラになる物語が載っていたな。そんな感じなのかね」
「私は義之が彼女と携わる事をよく思っていません」
義之の言葉を断つようにピシャリと言い切るアイシア。義之は若干困り顔で頭の後ろを掻いた。アイシアといえば真面目な顔つきで義之を見やっている。
前々から言われている言葉ではあった。だからこそ、まひると会った事を出来るだけ義之は話さないようにしていたし、最低限の報告しかしていない。
しかし相手は魔法を使うという絵本の中に出てくる様な容姿を持った女の子、隠し事は出来そうにないと義之は組んでいた腕を解いて向き直った。
「分かってるよ、アイシア」
「いいえ分かっていません。義之、貴方は死にたいんですか?」
「何時死んでも良い様に好きな行動をしている。まひると会うのだって、まぁ、その行動の延長線上みたいなもんだ」
「会うなとは言いません。けれど、なるべくなら関わらないようにして下さい。そうすればいずれ彼女だって諦めるでしょう。義之が学校を卒業したのなら
尚更会う機会は減るでしょうし、それまでは最低限の関わり合いでいなくては駄目です」
確か幽霊で一番強い感情は愛情だっけか、ましてや性別が女性なら尚の事そういったものは強い筈――――それが危険だとアイシアは言っていた。
普通の在り方をしていないモノとの接触は自身の体に多大な影響をもたらす。アイシアが言うにはオレという存在そのものが『ソレ』の影響を受けやすいらしい。
一つの体に無理矢理二つの魂を入れた器。何かの拍子で中の水が漏れやすくなっている。そんなオレがまひると一緒に居るとドンドン漏れが激しくなるという事だった。
ずっと前から口を酸っぱくするように言われている話だ。オレを心配してくれるのは嬉しい話・・・・なんだけどよ。
「嫌だね」
「ちょ、義之っ?」
「それで死ぬような男だったら、所詮そこまでの男だったっていう話なだけだ。オレがまひると話したいから話をしている。勿論留意すべき点があるのは認めるよ。
ただ、それで付き合いを変えるような人間じゃねぇしなオレは。オレはオレのしたい様にする。それは、今の今まで変えて来なかった生き方だよ」
「馬鹿言わないでください。もし義之が死んだら周りの人達は凄い悲しむんですよ? もう昔の義之とは違い貴方の周りには、貴方を想う人間が居る。そういう人達
を大事にして上げてくださいよ」
「大事にもする――――が、今までと同じ行動もする。オレは屑だが馬鹿じゃねぇ。ちゃんと自分のやりたいようにやるけど、おちおち死んじまうなんて間抜けな真似
はしねーよ。だからお前の心配は取り越し苦労って事になるな、アイシア」
「どうだか。去年のクリスマスの時も危ない橋を渡り過ぎていた貴方の事です。全部が全部信用出来るとは・・・・」
「信用しろ。オレの事が好きなら尚更だ」
離れていた体を寄せるようにアイシアの肩を掴み引き寄せた。
目を見開く彼女。だが、離れようとはしない。黙ってなされるがままになる。
ああ、なんだかんだいってオレも人の事言えないなこれ。このまま話をずらそうって魂胆が丸見えじゃないか。
「――――どこでそういう事を覚えてくるんですかね。女の子を抱けば何もかも問題無いって考えてるんですか、義之は」
「けど、嫌じゃないだろ?」
「まぁ・・・、なんやかんやで」
落とされたというより諦めに似た感じで、頭を押さえながら寄り掛かってくる。
とりあえずこの場は事無きことを得たが、また違う時違う場所でこういう会話が出てくるのは分かり切っている。
どうすればいいのか――――解決策はあるにはある。それは実に簡単な事で、また一番義之にとて一番難しい事でもあった。
「義之が早く誰かと付き合ってくれれば話は早いんですけどねぇー。普通だったら別に結婚する訳じゃないんだからと言えるんですが・・・」
「オレの場合付き合ったら結婚とか普通に考えるからな。別に結婚してもオレは自由に動けると思うし、なんら躊躇う憂いも無い。早く安心した
生活を送りたいよ。さくらさんにも早く安心して欲しいし」
「マザコンですねぇ、義之は」
「・・・・」
「あ、ちょっとっ! なに無言で人のスカート摺り降ろそうとしてるんですかっ、や、やめて下さいよ!」
「・・・・」
「って本気で力入れてますねっ!? こんな天下の往来なのに、ちょ、やめ――――」
人は身に覚えの無い事を言われても怒るものなんだなと、この時初めて義之は思った。
結婚の話にしても自分の母親と言えるさくらの話が絡んでくるのは義之には当たり前で、一から面倒を見て『生き方』というものを教えてくれた
さくらは義之にとって先生とも師匠とも言える重要なポジションに着いている女性だった。
だからさすがに『マザコン』の一言で済まされては溜まったものではない。無言でグイグイとスカートを引っ張る。涙目になりながらアイシアは
両手をパタパタと空中で泳がし、許しを請う台詞を弱々しく吐いてなんとか義之の気を落ち着かせた。
「まったく、てめぇも口の減らない女だ。もし次にそんな事言ったら路上で露出プレイさせるぞこの野郎」
「うー・・・そんな事されたらもうお店が開けませんよぉ。これは私の生活の糧であり、一部なんですから」
「――――お前も歳が歳だし、そろそろ落ち着いてもいいんじゃないか。いつまでもこんな不安定な生活してんなよ」
「えー? またそんな意地悪言うんですから。まったくもう」
・・・ごく自然に切り出したつもりだ。前々から思っていた事だが、女の一人歩きが出来るほど今の世の中は平和ではない。
日本じゃスリで済む所が、外国では拉致されて乱暴された挙句金を全て持っていかれても不思議ではない。実際にそういう話を幾度も聞いている。
呪いが解けて自由になったアイシア―――自由のリスクが付きまとう事になった。
皆からその存在を認められるというのはとても喜ばしい事だが、喜ばしくない事も起きる可能性が大いにある。魔法も万能ではないという言葉を
信じるなら・・・・これ以上アイシアに旅はして欲しくないという気持ちはあった。
だが本人に言ってもそれは拒否されるだろう。アイシアは世界の素晴らしさを知っている人間だ。一度体験すればその身を焦がす程の情景を求めて
歩いて行ってしまうに違いない。さくらさんもその節があっただけに、余計にそう思う。
「でも長年世界を歩いてきたせいか、一ヵ所に身を留まらせる事に慣れてないんですよわたしって。歩いていた方が自然というか・・・」
「留めちまえよ、一ヵ所に」
「・・・なんですかそのキツイ言い方。機嫌でも悪くなりました?」
「いいや、別に」
「嘘ですね。今の義之、ちょっと焦ってるっていうか、自分の思うように事が進んでなくて苛立ってる様にも感じます。いきなりどうしたんですか?」
「別に苛立ってもねぇし。しつけーよ、アイシア」
「ほら、怒ってる」
「ッ! てめぇいい加減に―――――いや、悪い。少し虫の居所が悪かったみたいだ」
「・・・・・」
がぶりを振って頭を落ち着かせる。こっちが熱くなってどうすんだよ、馬鹿か。ジッと見つめてくるアイシアの視線から思わず目を逸らす。
慣れない事はするもんじゃない、誰かの為に説得を試みるなんて。すぐに冷静さを取り戻せたのがせめての救いか。熱血キャラじゃないから当たり前だが。
(はぁ、説得する側が最初にキレちゃ話にならねぇな・・・・。今回は素直に退散して今度話をつけるか)
妙に腰の座りが悪く感じる。この話はここで切った方がいいだろう。
時間は有限ではないが、数刻しか無いわけではない。次回に機を見つければいい。
そう結論付けて腰を上げる。居心地が悪いせいもあるが、今日は鍋だ。早めに仕込まないと晩飯にありつけなくなる。
「さて、オレは一足早く家に帰って晩飯の準備でもするかな。お前も切りの良い頃合いで引き揚げてこいよ」
「――――はーい、分かってますってば」
一瞬、頬の筋肉を緩めたかと思えば即座にいつもの商売スタイルに戻り人波を見詰めるアイシア。
なんとか話は上手く切り上げられたな。ただ単純に面倒臭くなりそうな話をお互いに避けたともいえる。こいつも根っこはグータラだからなぁ。
そしてその場を一歩、二歩と歩いていって・・・・背中の視線に気付いた。後ろを振り向く。
アイシアは何故かニコニコしながら、手をメガホンの形に作りながら口に持って行った。まるで山に叫ぶ様な様だ。
なんだ―――――そう思うと同時に、アイシアは大きな声で嬉しそうに叫んだ。
「もし義之が私と付き合ってくれるならぁ、私はどこにも行きませんよおーーーーーっ!」
「―――――あ、あぁ!?」
「心配してくれてありがとうございまぁーーーーすっ。夕食、楽しみにしてますねぇーーー!」
あのすっとこどっこい・・・・! いくら少し人波が途切れたからって、人はまだ沢山居るんだぞ。
久しぶりに羞恥に顔が赤く染まっていくのが分かる。クソッ、全部分かってて挑発しやがったアイツ。
人の目が注目する前に、オレは早足でその場を立ち去った。女はこういう時いいよな、健気な姿って形で受け止められるからよっ。
「アイツ、帰ってきたらスカーフ掴んで引っ張りまわしてやる・・・!」
腹が立ちながらも、頭のてっぺんまでいかない中途半端な怒り。
それを抱えたままオレは場を後にする。さっきまで見ていた夕日がどこか憎たらしかった。
そこからさほど離れていないスーパーマーケットに由夢と美夏は居た。
きょろきょろと視線を彷徨わせ、目的の物を見つける為トコトコと足を歩ませる。
そして目的の物を見つけたのか、美夏は目を見開き目当ての元へ向かい走って行った。
「おーい、由夢! まいたけあったぞ。これで大体揃ったかなぁ」
「ありがとうございます、天枷さん。今のまいたけで全部ですよ。わざわざ手伝って貰ってありがとうございます」
「いやいや、折角のお呼ばれで何もしないほど美夏は礼儀を知らんわけではない。こっちこそありがとうな、由夢」
下校途中、さくらの家で行われる鍋に誘われた由夢は胸を弾ませながらスーパーに向かった。姉である音姫は後から向かうとの事で
一緒ではないが、今夜は久しぶりに皆でテーブルを囲んでの夕飯となった。
そうしてスーパーの前に来た時に偶然にも美夏の姿を発見。恋敵でもあるが、その前に友人でもある美夏を誘うのに由夢は抵抗は
無かった。天枷美夏という女の子は胸に一物を持たなく本当に純真な心を持ち合わせている事が由夢には分かっていた。
同じ人を好きになったからといって変に距離が開かなかったのは、そういう所があったからかもしれない。なんにせよ、ただ友達
と鍋を突っ突くのに余計な気を遣わないのは良い事だった。
「それで料理は義之がするのか? 音姫先輩は遅れるっていうし、美夏が手伝ってもいいんだぞ。待ってる間どうせ暇だろうしな」
「いえ、さすがにそこまではさせられません。さくらさんも遅いですし、わたしがお手伝いしますんで」
「ゆ、由夢が料理、か・・・。別に、そこまでしなくていいんじゃないかなぁ・・・。義之は一人で黙々と作業に没頭するのが向いてる
みたいだし、放って置いても問題は無い筈だが・・・」
「――――最近、自分でも分かるほどに料理の腕が数段上がりました。自分流の味付け方法も見つけましたし、分量もカップ等使わず
目分量でピッタリ合わせる事も出来ます。それに、料理が出来上がる速さも兄さんに負けていないと思います」
「・・・そんな車を速く飛ばしたら、運転が上手い理論みたいな事を言われてもなぁ。まだ台所に立つ事さえ許してもらってないんだろ?
きっと義之また口で攻撃してきて泣かせに掛かってくるぞ。あいつはドSだから人を苛める事に快感を覚えているに違いない、うむ」
「だ、大丈夫ですよ。立派になった妹の成長ぶりを見せつけてたれば、何も言いませんよ。きっと」
その時の光景を想像したのか、由夢は軽く身体をブルっと震わせて買い物カゴを握りしめた。
女の自分よりも口が達者な兄、もし口喧嘩になれば圧倒的に追い込まれ負けるのは必死だった。
昔は割となんでもハイハイいう事を聞いてくれた節があるのに、ここ数年の兄は人柄が完全に変わってしまった。
それでも今の兄の事も好きという事実は変わらないのだからこれまた厄介。早くわたしを選んでくれたらいいのに・・・。
「義之もなんだかんだいってそういう所は優柔不断だからな。恋愛が絡まなければ全部物事をスマートにこなせるのに・・・ふん」
「欠点があった方が人は好かれる言いますがね・・・まぁ、あそこまで好かれる必要性も感じない訳ですが」
「だよなー。もう美夏達なんか大体二年ぐらい待たせられてるぞ! 普通悩んだとしても数ヵ月だ」
「どうやら付き合ったら結婚まで突き抜ける気ですもんね、兄さん。そこまで考える必要も無いと思うんですけどねぇ・・・まだ学生なのに」
「義之が言うにはこれ以上の出会いはこれから無いだろうとの事だ。アイツにはアイツの考えがあるようだし――――待つか、気長に」
「あんまり気長にしていて気が付いたらおばあちゃんとか勘弁して欲しいですけどね。ふふっ」
「はは、違いない」
冗談めかした台詞に美夏も笑みを浮かべる。
と。
「やっほぉ、由夢ちゃん達ぃ~」
「チャオ」
「御機嫌よう」
「あ、花咲先輩に雪村先輩・・・・に、エリカさん」
「あら、どうしたんですの。そんなに嫌そうな顔して。いつも品行方正で人の良い印象で取っている由夢さんとは思えませんわね」
「――――生憎心底好きになれない人に笑顔を浮かべる程人間が出来ていませんので。未熟者故、失礼します」
また始まった――――一同はそう思いつつ、ささっとその場から離れる。巻き添えはごめんだ。
最近エリカは美夏に突っ掛る様な真似は少なくなってきていた。最初から恋敵だった二人、由夢の時とは違い幾度も無く衝突を繰り返してきた。
そのおかげと言うべきか・・・・最近は口での応酬はするものの、すぐにお互い切り上げて通常通りに世間話をする程度にはなった。仲は相変わらずだが。
しかし、由夢はそうはいかない。負けん気が強い由夢は真正面から否定に掛かってきた。応戦するエリカ。美夏の時以上に、それは苛烈を極めている。
「ほんと、根っこの部分でお互い少し似てる部分があるから厄介よね~。まさかスーパーに来たら由夢ちゃんと美夏ちゃんが居ると思わなかったわ。
ちょうど人が少なくなってきた時間帯で良かったかも」
「ん? そういえば花咲達はどうしてここに居るのだ? 杏先輩と花咲が一緒なのはいつもの事だが、そこにムラサキが加わっているのは珍しいぞ」
「それは簡単な話よ、美夏、今夜の夕飯はこの面子で取ろうと思ってね。まぁ、私はお呼ばれされた側だからオマケみたいなものだけど」
「オマケだなんて思ってないわよぉ~杏ちゃん? 最近上がってきたエリカちゃんの腕を計るには第三者の舌が必要だしねぇ。それに杏ちゃんなら
思った事をハッキリ言ってくれるから助かるわぁ」
「小恋も誘ったんだけれどね。どうやら久しぶりに父親が出張から帰ってきて家族水いらずだろうし、私は家に帰ってもどうせ一人だから参加する
事になったのよ。だからこの後はムラサキさんの部屋に寄る予定ね」
「ほぉ、そうなのか。そういえば最近ムラサキの料理の腕が上がってるって聞くなぁ。美夏もうかうかしてられないな、これは」
「そういう美夏達はどうしてここに? 見たところ由夢さんと一緒にお買いものしてたみたいだけど」
「ああ、それは――――」
今までの流れを美夏は説明した。下校途中に偶々由夢と会い、夕飯に招待された事を。
その事を茜は少し羨ましそうに、口を尖らせながら不平の言葉を漏らす。義之の家で一緒に夕飯を頂いた事はここ最近無かった。
義之が母親のさくらとの一緒の時間を大切にする事は知っていたし、そこに割って入るなど考えられないせいもある。けど、正直に言えば一緒に
夕飯を食べてみたいというのが正直な気持ちだった。
「あーいいないいなー! 私も一緒に義之くんとお鍋を囲んでみたーい」
「私も同感だけれど・・・次の機会にしましょ、茜。今回は兄妹同然ともいえる由夢さん達の触れ合いみたいなものだし。さすがに割って入れないわ」
「・・・まーそうなんだけどさ。次こそは絶対に行くわよ~~~~っ」
大きな胸を弾ませながら鼻息を荒くして力む茜に、苦笑い気味の二人。
茜は午後の授業で義之に挑発気味な言葉を投げかけられた事で多少アグレッシブになっていた。
『杏と茜はどう思うんだ?』
そんなの決まっている。皆仲良くが確かに理想だが、やはり自分を選んで貰いたい気持ちが当然あった。
「あら、今夜は義之の家でお鍋なのね。丁度いいわ。私も参加します。まだお買い物を済ませる前で良かったですわ」
「ちょっ、ちょっと待ってください! 今晩は家族水いらずの食事会みたいなものなんです、失礼ですがエリカさんに参加して貰う訳には・・・」
「ああ、別に大丈夫ですわ。そのうち義之と結婚して家族になりますもの」
「なっ――――」
「学園長にも今後もお世話になりますと挨拶しなければいけないと思っていた所ですし、丁度いいわ。花咲先輩、雪村先輩、それでいいですわよね?
今夜は私のお部屋ではなく、義之の家での食事会という事で」
「こ、こ、この・・・・・っ!」
「・・・はぁ。そんな訳にはいかないじゃないのぉ、エリカちゃん~」
しかし、自分よりもかなりアグレッシブで常時そのような状態のエリカを見て溜息を漏らす茜。さっきまでの意気揚々とした気持ちが収まっていく
のを感じた。人は自分より興奮している人間を見ると落ち着くというが――――それが彼女の通常運行なのだから、困ったものである。
由夢も更にヒートアップして食って掛かる。引く事を知らない女性が意外と多い周囲の人達と比べても、この両者はまた一段とその気があった。
「・・・さて、美夏は一足早く義之の家に行くかなー」
「あら、また枝毛があったわ。通販のランキングで一位だったシャンプーだったけど外れみたい。やっぱりいつもの方が髪が傷まないわね」
「オリーブオイルって確かエリカちゃん切らしてたわねぇ、ちょっと買い足して来ようかなぁ」
もう止めるのも面倒となった三人は各所にばらばらに散っていく。この場合、構うと余計に熱くなる二人なので放置が正解だった。
そうして二人は周りの人間が誰も居なくなった事に気付くまで、罵り合いを続ける事になったのであった。
「なんだ。兄ちゃん、ななかの彼氏じゃないのか」
「今の所オレには特定の彼女は居ない。ななかに関しても、まぁ、友達ってところだな。今後どうなるか分からねぇけど」
砂場で砂を弄びながら聞いてくる少女に、オレはベンチに座ってコーヒーを飲みながら相槌を打つ。
夕日がそろそろ沈む時間帯なので早く帰らなければいけないが、もしここでオレがこの幼き子を置いて帰ったらかなり外道と称されるだろう。
最近マトモになってきたオレにとってそれは避けたい事だった。目の前の少女―――ゆずだったか、リボンをゆらゆらさせながらあははと笑う。
「兄ちゃんモテそうだからなー。ななか一人じゃ満足出来なそうだ」
「どいつもこいつも勘違いしやがるが、別にオレは女は一人で十分だ。基本的に女は理知的ではなく感情で男よりも動く生き物だ。沢山扱えやしねぇよ」
「うーん。なんだか分からんけど、ななかはめっちゃ良い女だぞー。学校じゃモテるって聞くし、すぐ他の男に取られちゃうなー」
「――――そうなったらそうなったで、またオレも行動も変わるかもしれないが・・・・、どうだかな」
なんで子供とこんな話をしてるのだろう――――元はといえばアイシアと話した帰りに公園でななかと会ったのが原因だった。
砂場で遊んでいるななかと子供を見つけ興味が惹かれたオレは二人に話し掛ける。どうやら父親の帰りを待っているらしかった。
そうして最初は三人でくっちゃべていたのが、携帯に電話が入り少し離れるななか。公園の入り口の方を見ると、ちょうど電話が終わった
のかこちらに駆け寄って来た。
「ごめんごめーん。ちょっと親から連絡来ちゃってね。ゆずちゃん、任せちゃったね義之くん」
「構わない。お守りなんて言葉を使う程ワガママ言わないガキだから気楽だったよ」
「兄ちゃん、ベンチでぐーたらしてるだけだったもんな。あっはっは」
「社会人でもない学生でも疲れる時は疲れるんだよ。みんな大人になると忘れるみたいだけどな」
手をひらひらと振って返す義之。そんな彼にななかは苦笑い気味の表情を浮かべた。
ここ最近の義之は前にも増して対人関係で悩んでいる節があった。相談に乗れるものならよかったのだが、生憎ソレは口を挟めるものでは無い。
自分は選んでもらう側――――勿論アピールはするが、それ以上の事は彼が自分で考えるべきものだとななかは考えていたし、義之本人も同様だ。
そんな疲れ果てている義之に子供の面倒まで見て貰って悪い事をしたかなとななかは思う反面・・・、意外と子供慣れしている義之に驚きも感じていた。
「なんだか意外だね。子供と義之くんの組み合わせって考えられなかったし。慣れてるんだねぇー」
「委員長のガキとよく遊んでやってるからな。まぁ、アイツはガキらしくねぇけど。ガキだろうとアダルトだろうと、オレはいつも通りだよ」
「ふーん。そなんだ」
「そなんですよ――――っと、じゃあオレはそろそろ帰るかな。晩飯作らないといけねーしなぁ」
「ごめんね、引き留めちゃって。じゃあ入口までお見送りぐらいするよ。いいかな? ゆずちゃん」
「おー大丈夫だぞ。何かあったら大声だすしなー。じゃあ、またなー兄ちゃん」
「おう、またな。ゆず」
笑顔を浮かべて手を振るゆずにオレも手を振り返し、ななかと一緒に公園の入り口に歩いていく。
普段だったらここで騒がしいぐらいに会話が交わるのだが、無言。だが別に圧迫感を感じるわけではない。心地の良い無言だった。
暮れていく夕陽と夜の暗闇の狭間。多少ノスタルジックな雰囲気がオレ達を包む。前髪を弄り鼻歌を歌うななかの横顔を覗く。端正な顔立ちが
笑みを形作っており、なんとも楽しそうだった。
公園の入り口に差し掛かり、歩みを止める。鞄を肩に掛け直しオレはななかに向き直った。
「ここでいいよ。ありがとうな」
「いえいえー、こちらこそお礼を言わなくちゃね。ありがとう」
「何回も言うが構わない。手の掛かからないガキだったしな。また見かけたら構ってやってもいいよ」
「おー結構子供好きなんだねぇ。そういう男の人は結構女の子から好かれるよー? 最近じゃ男の人が育児してるしね」
「世の中の女の子育て能力が下がって来ているからな。オレの考えじゃ、やっぱり子育ての中心は母親がやるべきだと思うがね。子供を産むなんて
女の特権だし、だから男からも尊崇や敬意の念を抱かれる」
「うーん、まぁ、最近は共働きが増えてるみたいだけどね。私の家もお母さんパートに出かけてるし」
「子供が大きくなって育児の流れを掴んで余裕が出てきたらそれもいいけどな。ぶっちゃけ面倒だから全部男に任せるって感じだろ、最近は。女性の
社会進出は良い事だと思うし、そういう女性は魅力的だと思うけど・・・・やっぱり男より区別はしないとな、家庭と仕事と」
両親の帰りを夜遅くまで待つ子供ってのも中々に寂しいものがある、と単純に思う。そういう経験は子供に多大な影響を与えるだろう。
ウチの場合はさくらさんが無理矢理仕事を終わらせてオレが家に帰る時にはいつも居たもんな。近所に純一さんや、朝倉姉妹がいたし寂しくは無かった。
というか・・・そもそもオレは人嫌いだったからさくらさん以外には中々懐かなかったな。最初は父親が居ない所為かと言われたもんだけど別に関係無ぇ。
今思うと結構な気苦労をさくらさんに強いていたと思う・・・・。本当、生意気なガキだったなーオレは。いつもさくらさんにぼて繰り回されてたけど。
「じゃあ、私と結婚したらどんな家庭になるんだろうねー?」
「ななか、か。お前は結構アクティブな女だしずっと子育てに集中は無理そうだな」
「そ、そんな事無いってばぁ~! ちゃんとやるもんねぇ!」
「ゆずと遊んでいるお前を見て、とりあえずは子供嫌いな女ではない事が分かってとりあえずの安心感はあるが・・・まぁ、最近の夫婦みたく共働きか。
炊事洗濯はお互い出来るし、そこは折を見て要相談だろう」
「なるほど。なんにせよ・・・・あれだね、まずは結婚の前にお付き合いしないと考えないとだね、あっはっは」
「――――悪いな。要らない気苦労を掛けていると自負している。本当にすまない」
「別にいいよ、と言える程強い女の子じゃないけど・・・うん、選ばれなくても選んでも覚悟はとっくにしてるし待つことしかできないけどねー。
ま、早く決めてくださいな?」
「あいよ・・・。じゃあ、またな」
「うん。ばいばい」
「ばいばい」
手を重ね合わせて別れの挨拶を交わす。自分がとてつもなくどうしようもない人間だと思わされた。
淡い期待を幾人にもさせて、結果を先延ばしにしている。ななかも本当なら罵りたい筈――――だけど気丈に振る舞っている。
何気なしに後ろを振り返る・・・・と、小さな夕陽に照らされてるななかがこちらを見ていた。そしてもう一度軽く手を振り合わせて、今度こそ帰路に着く。
「男の背中をじっと見ている女は恋に悩んでいるというけど、悩ませ過ぎだな。ななかの言う通り覚悟なんて皆出来てるだろうし」
それほど時間を与えたという事と考えると、また気分が沈んでいく。
適当な女関係ならこなせる自信が多少あるが本気で恋愛事になると全く駄目だな、オレは。
「こういうのは経験がものを言うっていうけど、そんな経験今まで無かったし・・・はぁ、一生自分には縁のない話だとばかり―――――ん?」
急かす足をぴたりと止め、林の向こう――――枯れない桜の木のを方向を見やる。数秒じっとそこを見詰め、足の行く先をそちらに向けた。
「・・・なんだ?」
一瞬、まばゆい光が視界の隅を刺激した気がした。額に眉を寄せながら足の行く先を変更し、木々をどけながら其処に進んでいった。
この方向には『例』の桜の木しか存在していない。周囲は開けた広間になっており、その枯れない桜の木を中心とした枝木があるだけだ。
確か最後に来たのは去年のクリスマスの日。過去を模した世界から帰還したその晩に此処には来ており、アイシア・音姉・さくらさんを中心とした
人物で一時期に枯らしたは筈だ。
一時期的にというのは、余りにもその桜の木が強力過ぎた為である。方法としては徐々にその力が弱まる様に無理矢理封じ込めるしか方法が無かった。
「・・・まさか復活したとか言わねぇよな、おい。そんな話なんか聞いてないぞ。確かにあの時三人で魔法を――――」
目に飛び込んできた桜色の鮮色。
視界の面を圧倒的に薄いピンク色に似た花弁が吹雪の様に、華麗に舞っていた。
「―――――ッ!」
それを見た瞬間思わず舌打ちをして苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
確かに去年一時的にとはいえ、確かに枯らした。聞いた話だと一年は持つと言っていた覚えが確かにある。
一年経った後、更にもう一回封じ込めてやり過ごす作戦。これがオレ達四人で話し合った桜の木の対処法・・・だというのに。
「冗談じゃねぇぞ、一年どころか半年も持ってねぇじゃねーか」
何が『大丈夫ですよ、義之。この魔法は絶対に解けません。なにせこの三人が集まったんですから・・・ふふん』、だよ。
見事に全く役に立ってないこの有様―――あいつ、今晩鍋に馬刺し入れてやる。確かまだアレにトラウマを持っていたはずだ。
そう考えながら桜の木に少し近づいて、その様子を見る。狂い咲きまでとはいかないがテレビ中継で流れてもおかしくない立派な大木となっていた。
周りの木は少し距離が空いた所で生えているので間伐の必要も無く、太陽の光を独り占めしているのでとても頑丈そうだ。少なくとも弱っている様には
全く見えない。アイシア達の頑張りを疑ってしまう有様だった。
「・・・けど、今すぐ危険は無いみたいだな。もしかしたら一時的なモノなのかも」
地にあった石を拾って、多少強く叩きつけてみたが特に変化は無し。見た目的には何も変化はない。
さっき光ったのも一瞬だったので、まだ覚醒したばかりの状態なのかもしれない。魔法使いではないので詳細は分からないが。
とりあえずの一安心を得た格好になったオレ。緊張で強張った口から息を吐き、体から力を抜く。
「ふぅ・・・・・さて、どうしたもんか。とりあえず帰って報告して、それから・・・・・」
ふと、一瞬―――――魔が差した。
言葉尻が段々小さくなっていき、考え込むように義之は目を伏せ顎に手を持っていく。
そして試しに、本当に試しだ。理科の実験の時に先生の目を盗み、自分の思い通りにやってみたいという子供染みた悪戯心。
オレは、冗談染みた口調で、だけど僅かばかりの本気さも混ざった目で枯れない桜の木に問いかけた。
「―――――もし、桜内義之を慕ってくれている女達それぞれと、付き合ったらどうなるかっていう未来図を見てみたい・・・・て言ったらどうするよ?」
シーンとする空間。ジッと観察するが・・・・・・何も、起きない。
数秒、数十秒待ってみた。夕焼けが完全に落ちかけ辺りが暗闇に染まる。昔から闇には負のエネルギーが絶えず充満しており、人間を囲んでいるという。
「・・・馬鹿か」
自分で吐き出した言葉ながら余りにも愚かな問いかけだったと鼻で笑った。もし見えた所で現状は何も解決はしないし更に決断を迷う可能性がある。
どの女が自分にとって理想ある未来を描けるかテストする。オレが言った事はそういう事だ。最低すぎて笑えやしない。誰かを選ぶ事はそういう事だとしても
思ってはいけない事だ。何様のつもりだと思うし、そういうのが分からないから未来はあるし頑張れる事が出来る。
もし叶ってたらどうするつもりだったんだよ。そう自分を戒める為に桜の木に拳を叩きつける。綺麗事は好きじゃないが、敢えて汚くなる必要などどこにもない。
見上げると先程と変わらない桜の木。大きく溜息をついて踵を返した。
「帰るか。とりあえずアイシアに報告だな」
今の時間帯だとちょうど帰る時間に鉢合わせる可能性が高い。さくらさんも遅くなるだろうし音姉は生徒会だ。
この後の事を考えながらその場を後にし、数歩桜の木から離れ―――――
「ん・・・・・なっ」
自分の背中からまた眩い光。振り返るとド素人のオレでも分かるほどにその桜の木は力の解放を始めた。
咲いていた桜の花弁が台風に巻き込まれたみたいに散乱し始め、強い風圧がオレの身体を叩く。思わずその場で膝を着いてしまった。
とてもじゃないが歩ける状態じゃない。手を前にかざしながら桜の木を見ると、みるみる光の奔流に包まれていく。まずい、これは。
「くそったれがっ、死んだ振りだったのかよ・・・!」
気を抜いた瞬間を狙われたみたいな不意打ちだった。自分の迂闊さにも頭が痛くなりながらも現状をどうにかしようと考える。
一番オレから近い距離にいるのはアイシア、だがこの異変に気付きここまで来るのに何分掛かる。ほかの二人も絶対に間に合わないだろう。
手っ取り早いのはオレがここからどうにか立ち去る事だが・・・・一度膝を着いてもう起き上がれそうにない。無様でも良いからこのまま後ろに
転がって逃げる手も考えたが、どうやら後ろにも光の奔流が壁を作ってるようだった。出来るだけ接触は避けたい。
そうこう考えてるうちに、とうとう目の前が全部光に包まれ、逃げ場が無くなろうとして・・・・、
「――――――参った。時間切れかよ」
体全部が光の中に溶け込んだ。情けない、去年結構修羅場を潜った割には呆気なくやられてしまった。
思う事はまたアイシア達に迷惑を掛けるのかという事と、恐らくこの先で待つ出来事はロクな事でもないのだろうなという思いだった。
真摯な願いだけ叶えるんじゃねぇのかよこのクソ桜――――そう心の中で愚痴りながらもどうする事も出来ずに、オレはまた『厄介事』に首を
突っ込んでしまうのだった・・・・。