まだ肌寒い登校路をトボトボと歩いていく。海風による肌を突き刺すような冷気を袖元まで隠した手で防ぎながら学校を目指す。
こういう時、車を運転出来る大人は羨ましいと思う。暖房を利かした車で体をヌクヌクとさせ、気ままに音楽でも聞きながら欠伸をしている。
勿論大人には大人の悩みがあるのだろうが・・・・この寒さに比べてれば大した事ない様に思えた。そう思えるぐらいに、この寒さは耐えがたい。
「うー・・・寒いなぁ。早く教室に着かないと凍え死ぬよ」
多少誇張した言い方だろうがこの身に感じる冷たさを体感すれば誰もが同じことをいうだろう。
その少女―――ななかはブルッと体を一つ震わせてため息を着いた。最近失恋したばかりなのもそれに拍車を掛ける。
(・・・・・失恋って言っても告白さえしてないし、勝手に自分でショック受けてるだけなんだよね、私って)
少し情けなく感じるななか。いつか言おう言おうと考えている内に、彼は音姫先輩と付き合ってしまった。
一緒に歩いて笑い合いながら帰るその姿はいつもとは明らかに違う様子を醸し出していた。心なんて読まなくてもそれがどういう事ぐらいは分かった。
それ以降なんだか取っ付きにくくなってしまい最近は話さえしていない。ここまで自分が臆病だとは思わなかったと、ななかはガックリ顔を下に向けてしまった。
そしてまたため息を付こうとして・・・・感じる人の気配。
ハッとした表情で、ななかは下げていた顔を上げその人物の姿を確認した。
「あ・・・・」
「よぉ、おはよーさん。今日の海風もムカつくぐらいにさみぃな、オイ」
声を掛けてきたのは桜内義之。今さっきまで考えていた意中の彼が急に目の前に現れた事により少し声を失ってしまった。
しかし彼はそんな彼女の様子に気付いたのか気付かないのか、まるで気にした風も無く欠伸をしながらズボンに手を突っ込み前を向いた。
「朝からしけた顔してたけど、なんか嫌な事でもあったか?」
「・・・・・べっつにぃ。ただこの寒さにすごい腹が立つぐらいかな。いい加減にして欲しいよ、全く」
「物の見方の違いだな。海を見てみろ、冬の海がとても綺麗に見えないか? 夏と比べて空気の揺らぎが少なく冷気で塵も飛ばないからハッキリ見えて
光を反射しやすくなってる。これで雪なんて振ったら最高だね」
「最低だよ・・・。そしたら私、本当に凍え死んじゃうじゃん」
「毎年の凍死者数は100人以上だっけか。その中には入りたくないよな」
「・・・・・」
飄々として歩くその姿、ななかは違和感を感じまじまじと義之の顔を見詰める。
最近までずっと見ていた顔だが、しばらくほんの少し見てない間に随分様変わりした様に思えた。
雰囲気は鋭い感じもするが柔らかい感じもする。腕にチラッとブレスレットが見え髪も少し弄ってある様に見受けられた。
彼女ができると服装とかも変わるというのは聞く話ではあるが、それにしたって妙に『小慣れている』。この短期間で人はここまでは変われない。
一体何があったのだろう――――ななかは偶然を装い義之の手を握ろうと、足を滑らせた様につんのめって見せた。
「あわわっ、足が滑っ―――――」
「おっと」
「へぐっ!?」
ずさっと凍てつくアスファルトの上に倒れ伏せるななか。義之はそれを見ながら、首をコキっと鳴らして呆れたように見た。
『元の世界』で慣れたななかの行動。『ここの世界』の桜内義之なら黙って普通に触らせてくれただろうが――――そこまで愚図じゃねぇしな、オレ。
涙目になりながら義之を恨めしそうに見つめる彼女。義之はそれを受け流す様に顎をしゃくって見せた。
「おら、遊んでねぇでさっさと行くぞ。朝から元気なのは良い事だがオレは付き合いきれねぇ・・・・これでも結構疲れが残ってるんだ」
「・・・な、なんだか今日の義之くんは手厳しいね・・・・。何か嫌な事でもあったの?」
「あるにはあったが例え機嫌悪くてもオレは表には出さねーよ。これでも割と普段の感情は抑えてる方だ。口が悪いから結構誤解されるけどな」
「うぅ、そうは見えないけどなー・・・・」
訝しげな視線を尚も送ってるななかを置いて先に歩いていく義之。慌ててななかは立ち上がってその後ろを追いかけた。
(あー面倒だな。やっぱり学校なんて行くとか言うんじゃなかったかな)
本来のこの世界の住人である桜内義之は病欠により学校を欠席。朝、義之が食事をしていると音姫が心配そうな表情でそう耳打ちしてきた。
そこで偶々気乗りした義之が学校へ行くと言い、音姫の制止を無視したのが今朝の出来事。単純に興味本位での行動なので特別意味は無いに等しい。
そして音姫は隣の家の義之の元へ顔出しにと、一人で登校する事になった今の現状。頭の後ろを掻きながら義之は通学路を歩いていく。
一応昨日の夜商店街に向かいアイシアの姿を探したがいつもの場所に彼女は居なかった。
世界を気ままに渡り歩いている彼女――――そこに居た痕跡さえ無い事から、今日もどこか別な国で例の店を開いている事だろう。
「チッ、あいつを見つけられなかったのは痛かったな。いざとなったらさくらさんに本格的に手を貸して貰うしかねぇな」
「ん? 何か今言った?」
「ななかの下着は相変わらず黒なんだなって言っただけだよ。毎日気合入ってんのな」
「なっ―――――な、なぁ!?」
「さっきずっこけた時に見えたんだ。いつも思うが女子は大変だな――――オシャレの為に毎日スカートをミニにしてるんだからよ」
「ちょ、ちょっと義之くん! そういうのは、気付いていも言っちゃダメなんだよっ。女の子の下着を指摘するなんて嫌われちゃうよ」
「それもそうだな。今度指摘する時はベッドの上・・・・か、胸を躍らせながら楽しみにしてるよ」
「~~~~~~~っ!」
オレの記憶だとこの時期のさくらさんは毎日夜遅くに帰って来ていた。枯れない桜の木の制御の為だろう。
本格的な暴走が始まれば音姉も駆り出されるし、早いとこ元の世界に戻りてぇな。一人じゃ何も出来ないっつーのが少し情けない。
そう情けなく思いながら、後ろで顔を紅潮させて怒っているななかをちらっと見詰め、またかったるそうに首の後ろを掻いた。
不慮の事故に対応出来る者は少ない。いくら気を付けてたってその斜め上を行くのが『不慮』の事故なのだ。
防犯にも同じ事が言える。いくら住宅街のど真ん中・・・のアパートだって同じ事が言え、まさか自分の部屋がターゲットにされるとは夢にも
思わない。確かに人の目というのはどこでもあるが、肝心な時には瞼を重くしているのが常だ―――そう言っていた彼の言葉を思い出し、金髪の
髪をゆらゆらさせながら彼女は鍵を穴に差し込んだ。その堂々とした振る舞いはとても侵入者には見えなく、例え見つかったとしても何も問題無し。
カチャリ、と音がしてロックが外される。横に居る銀髪の少女とロングヘアーの女生徒はその様子をおっかなびっくりといった様子で見守っていた。
「・・・・なんでそんなにオドオドしてますの?」
「いや、だってこれって立派な不法侵入じゃないっ。通報されたら普通どうしようとか考えちゃうわよ」
「私、外国人なので取り調べが厳しそうです・・・・。絶対に麻薬検査とかされますよ、この間テレビで見ました」
「はぁ、心配しないで大丈夫ですわ。どうせここは『私』の部屋ですし、何しようが私の勝手――――でしょう?」
「義之に聞いた通り唯我独尊な女の子なんですね、エリカさんって・・・」
「褒め言葉として受け取って置きますわ、アイシアさん」
髪を掻き上げながらエリカは『自分』の部屋に入っていく。それに続いて音姫とアイシアもサッと忍び込むように後に続いた。
いや、そんな事したらかえって怪しまれるじゃない――――エリカは溜息を付きながら首の後ろを掻く。まるでスパイごっこみたいだと感じた。
そうしていつも通りに座っている椅子に腰掛け、アイシアと音姫を即す様にソファーを進めた。
「さて、とりあえず落ち着きましたわね。これからどうしましょう、アイシアさんに音姫さん」
「・・・色々言いたいことはありますが、まぁ、この際置いとくとします」
「謝罪ですか? それについてはこの世界に来てまず謝りましたが・・・・・・そうですわね、きちんと日本式に土下座でもして、誠意を持って謝りましょう」
「わ、ちょ、ほ、本当にやらないでくださいっ!?」
椅子から下り両膝を地に着けたエリカをアイシアが慌てて引き留めに掛かる。
本当にやりかねない流暢な動き。アイシアが一生懸命手を引っ張って、やっとエリカは元の椅子に座った。
荒くため息を付き、ルビー色の目が少し疲れた様に揺らめく。彼女の知ってる傍若無人な彼に似てとても疲れる相手だった。
「もう勘弁してくださいよぉ、エリカさん。先の起こった事故についてはもう何も思ってませんから、はい」
「これでも責任は感じています。アイシアさん達が義之を助けようと奮起してる所に邪魔をしてしまった――――自分に腹が立ちますわ、本当に」
「しょうがないよー、わざとやったんじゃないんだし。むしろエリカちゃんを巻き込んじゃった私達が謝らないといけないんだけどね」
「その必要は感じません、音姫先輩。私があの場所に居なかったからもっとストレートに事は運んだ筈です。なんとお詫びしていいか・・・」
「だ、だから土下座の体勢を取らなくていいってば! そんな事されても困るだけだよぉ~エリカちゃん」
「なるほど、それもそうですわね」
スッとまた優雅に椅子に座り直すエリカを見て、今度は音姫がドッと疲れた様な顔をした。
これは弟くんが持て余す訳だ、次の行動がまるで予測出来ない。建前の言動・行動をせず自分たちの常識が通用しないので中々絡み辛い呈をなしていた。
まだ弟くんの方が話の流れを汲んでくれるよこれ・・・・。最初生徒会に入った時は素直で分かりやすい子だったんだけどなぁ。
それにお詫びというけれど、それならもう受け取っている。このどこだか分からない世界に放り込まれ、一息付ける場所も分からないまま最初から路頭
に迷いそうになった時、ここの部屋に案内してくれたのはエリカちゃんだった。
自分の部屋というが本来住んでいる場所は隣の部屋――――こにはテーブルや椅子、そして段ボール箱に入った食器が積み重なっている。
エリカちゃんの母国が色々物入りが要るだろうとわざわざ二部屋取ったという話で、ここはその空き部屋。だからここに入るのは本人さえ余りない。
さすがお姫様だ、スケールが違う。そんな感想を抱きながら少し溜まった埃をどけて私とアイシアさんはソファーに座る。
「大した部屋じゃなく持て成しも出来ませんけど、許してくださいな」
「十分ですよ、エリカさん。拠点は大事ですからねー。私達だけじゃこうはいきませんでしたよ」
「けれど私さえ居なかったら――――って、話がループしてますわね。元の世界に帰ったらそれなりの謝礼はしますので・・・話を続けますか」
「別にいいんですが、まーとりあえずこれからの話をしましょう。音姫さんもそれでいいですね?」
「はい」
場を一つ仕切り、これから先の話を皆で話し合う事にする。
エリカちゃんが思ってたよりも混乱していないので話はスムーズに進んでいくだろう。
去年は記憶を消せない事について一抹の不安を感じていたが、かえってそのおかげで助かったかもしれない―――いづれ本格的に消させて貰う事になるけど。
アイシアはコホンと咳払いをしてテーブルに両手を着け話し合う態勢を整えた。
さて、去年と似たような状況だけど今回は音姫ちゃんも居るし追いかける相手は一人の男の子。どうしますかね、マジで。
「・・・・・ふぁ~」
やべぇ、眠たい。四時間目の授業が終わりやっと一息付けたので背伸びをする。
どの世界に行っても授業なんて変わり映えなんかしない。机に座って黙って座学の繰り返しだ。
こんな事してるなら工具を弄ってるか女を弄るかの方が断然良い。その点、天枷研究所のイベールは両方を満たせる都合の良い相手だ。
美夏に隠れて色々パーツの売り出しや機械修理を一緒に裏でやってるから居る機会が最近多い。案外儲かるんだよなぁ、μ関係の修理って。
「・・・早く戻って今月は稼がないとなぁ。渉と東京でお風呂回りしないといけねぇのに先立つもんがねぇと話にならない」
「んー? お風呂がどうしたの、義之」
「なんでもねぇよ小恋。最近のお風呂って物凄く画期的なんだなって言ったんだ」
「あぁ、そうかもしれないねぇ~。なんかマイナスイオインがどうのこうので、疲れが取れる機能もあるみたいだし。すごいよねぇ」
「知ってるか小恋? 世の中には疲れる風呂屋もあるんだ。金払って体力消費するなんて馬鹿みたいだろ?」
「う、う~ん? それって・・・・」
「こ、こらこら~っ! 小恋ちゃん相手に何話してるの、義之くん!!」
「何って――――サウナの話してるんだけど? 何考えてたんだ、お前さんは」
「うっ・・・・」
さすが茜だ、その巨乳は伊達じゃないっつー事か。見事自爆した茜は顔を真っ赤にして頬を膨れさせている。
何だかこういう可愛らしい所なんか久しぶりに見たな。ここ一年シモの話を振っても適当に返されるので有意義さを感じる。
茜に含み笑いを返し、席を立つ。トイレにでも行ってその後昼飯にでも行くかなぁ。弁当なんて無いので購買――――少々気が重たくなる。
「じゃあそういう事で。あんまりエロい事ばっか想像してると馬鹿になんぞ、茜」
「なっ、なんですってぇ~!?」
怒声を聞き流しつつ席を立ちトイレへ。終始小恋はポカーンとしていた顔をしていた。少しそっち方面の勉強でもした方がいいのかもしれない。
「―――――さて」
角を曲がった所でくるっと振り返る。
そして同じく角を曲がったソイツは、急にオレが眼前で立ちはだかっているのに目を驚きで見開かせた。
「ストーカーは立派な犯罪なんだけどな・・・・杏」
「――――なにが? たまたま同じ道だっただけじゃない」
「ここから先にあるのは非常口だけなんだけどな。オレが教室を出たあと火事でも起きたのかよ、そりゃ大変だ」
「この道の方が近道になるのよ、購買に行くのにね。そんな喧嘩腰で因縁付けられても困るわ」
「・・・・・ふぅん、なるほどね」
「なによ」
「ここを行くと近道になるのか。確かにここを通れば早く購買部に行ける―――――死ななきゃな」
「あ・・・」
非常口を開け放つと、そこには何も存在していなかった・・・・階段さえも。
二年前に老朽化で壊れてそのままになっている非常口。この事を知ってるのは一部の不良だけだろう、煙草吸う場所にここは適所だからな。
しかし壊れていてよかった。別な世界だから存在してた可能性もある。そしてたらオレは間抜けもいいところだ。恥ずかしくて思わず自分を殴るだろう。
そもそも杏が訝しげな目をずっと寄越していたのは知っていたので、まーどっちみち嘘だと分かったが―――――。
扉を閉じ壁に寄り掛かりながら杏を見やる。大体言いたい事は分かるので、先に聞きたい事を聞こうと腕を後ろに組んで口を開いた。
「音姉のオレが付き合ってるのは知ってるよな、杏」
「・・・・・・本人の口から聞いたのはこれが初めてだけれどね」
「そうか――――んで、端から見てオレ達上手くやってると思うか? 音姉とオレって」
「どういう意味かしら?」
「言葉通りだ。変に勘ぐらないで素直に言って欲しい」
「――――そうね、別に普通に上手くやってると思うけど? 元々姉弟っぽい所があったから彼氏彼女の関係が上手くいくか少し疑問だったけれど
恋人になってまた違った感じになったわね」
「違った感じ?」
「言葉で言うのは難しいけど・・・・親愛さが増したと私は感じてるわ。姉弟っぽさが抜け切らないのは相変わらずだけど、恋人関係の『ソレ』は
出ているし前よりも距離が近づいている。お互い心のプライベートスペースに入り込んでるわね、徐々にだけど」
「なるほど、ね」
折角こんな世界に来たんだ―――元々オレが周囲の女と付き合ったらどんな風になるかという願いがある意味叶ったので、少しガザ入れをする事にした。
オレからしたら音姉と付き合うなんて少しも想像出来なかったので、果たして上手く行ってるか疑問視を抱いていたが・・・・なるほど、上手くやってるらしい。
多分この世界のオレは少し子供っぽさが抜けてないのだろう。だから世話焼き女房の音姉と相性が良いのかもしれない。あの人は本当に他人の世話が好きだからなぁ。
そんでもってオレと音姉は相性が悪いと思っている。オレも音姉も自分の事は自分でやりたいとお互い心に思っているからだ。お互い不干渉が一番上手く行く。
まぁ、実際に付き合ったらまた違った感じになるかもしれないが。踵を返し杏に手を上げながらオレはこの場を立ち去る事にした。
「あんがとさん、少しは参考にはなったわ。じゃあ昼飯でも食ってくるよ」
「ちょっ、待ちなさいな。まだ私の質問が残ってる、それを聞いてからお昼ご飯にでも行きなさい」
「かったりぃからパスだ」
「今日の貴方はいつもと変わり過ぎてる。変貌、という言葉が似合い過ぎてるわ。雰囲気もそうだけど何より人に対しての接し方がまるで違う。短期間に
人との間の距離なんて早々変わる筈が無い。素っ気なさ過ぎるわよ、今日の貴方」
「彼女が出来ると色々大変なんだよなぁ。少し他の女と会話しただけで嫉妬を買うし仲違いをする事もある。昨日まで聖女並みに優しさを持ち合わせて
いるかと思ったら小姑みたくあれこれ言い始める・・・・本当、女ってのは訳分からねぇ生き物だよ」
「そう、やましい事があるのね。素直に私の質問に答えないって事はそういう意味として捉えるけど?」
「人が隠し事をしているとやましいと決めつけるのは良く無いな、杏。誰だって言いたく無いなって事ぐらいあんだろ。察しろよな」
「・・・・私たち、割と良い友人関係を築いてきたと思ってるわ。何か悩み事があるなら・・・・うん、相談に乗るわよ」
「今度は友人関係を笠にしての泣き落としか。割と浅ましい人間だったのな」
「―――――ッ!」
「冗談だよ」
激昂した様子を見て、得心したように目を伏せてみた。
杏の性格なら浅ましい辺りで怒ると思ったけど、どうやら思っていたより友達思いらしい。
少し試すような発言をしたので手を挙げて降参のポーズを取る。つーかこいつって考えてる事が少し把握し辛いのが偶に傷だよな。少し気になって勘ぐって
しまったのは許して欲しい所だ。まぁ、オレもオレで失礼過ぎる言葉だと反省はしているけど、な。
「まぁ、歩きながらゆっくり話してお互いを理解し合おう。人類は話せば絶対に分かり合えると思うんだよね、オレ」
「そんな訳無いじゃない。人はお互いを分かり合える領域にまで踏み込ませない生き物よ。昔の有名な著者、太宰治だって――――」
やっぱり乗ってきたか。こういう話題を振れば杏みたいな人間から否定の言葉が返ってくるのは当然。基本的にリアリストを自称してる様なものだし。
かといって、友人や家族を蔑ろにしてる訳では無くむしろ無償の愛を置くからこういう人種は面白い。頭が良過ぎると一週回って人間を信用したくなるもんなのかな。
そんな事を思いながら杏と一緒に歩き、とめどない話をして購買部を目指していく。あの混雑なら適当にチンピラもどきからパンを奪い取れるだろう。
いつまでこんな風に誤魔化せるか分からないが・・・・まぁ、適当でいいよな。別に。
「さて、と」
学校に来たものの、どうしたものかと悩む。
周囲を見回してみるといつもの光景が広がるだけ――――自分が居た世界とは何も変わり映えがしてない様に思える。
アイシアさんが言うにはここは平行世界という話だが・・・・まぁ、髪の毛一本多いか少ないかの違いしか無い世界もあるみたいだし考えても仕方ない。
一つ頷いて歩みを進める。時間的には二時間目が終わった後の小休憩だろう。生徒がまばらに歩いていた。
「とりあえず義之の姿を探しましょうか。早速見つかるとは思えませんけど・・・・」
魔法が私の所為で失敗したのなら普通は居ないだろう。だが、何かの間違いでもしかしたら――――という可能性を信じ、義之を探しに学校へ来た音姫先輩と私。
確率は低いがもし居たのなら幸いという感覚だ。期待はできない。アイシアさんは枯れない桜の木の元へ向かった。桜の木から情報を得られるかもしれないという話だ。
私は魔法なんてものは使えないので足で探すと言ったら、音姫さんが心配だという理由で着いてきてのがつい三十分前の事。それから学校へ来て二人で固まって
もしょうがないと私が提案して二手に分けて貰った。どうやら私が一人で行動するのは音姫さんは良く無い事だと思っているみたいだが、しょうがないのかな。
最近の私はお世辞にもちゃんとしてるとは言えなく、義之関係の事で暴走気味になるのは自覚していた。学校に馴染む為に誘われた生徒会の仕事もついサボり気味
になっている。義之にもその事は注意され、「中途半端なら止めた方がいい」と言われた。音姫先輩は気を長くしてくれているがいつまでも甘える訳にはいかない。
そう思ってた矢先に今回の件――――ハァ・・・・、猛省すべき点が多々ある。帰ったら全力で音姫先輩をサポートしなくては。
「義之とちょっと会う時間がちょっと少なくなるけど・・・仕方ない、か。さすがに何の詫びも出来ない女にまで成り下がっては―――――」
下げていた視線を上げ、心臓が高鳴った。
目と鼻の先にいつ表れたか分からない見覚えのある姿。
さっきまで考えていた『彼』の姿が目に入り、歩めていた足を止めてしまう。
「・・・・・義之」
バッと駆け出した。この短い距離を走る必要などないのだが、それでもいち早く顔を見たくて駆け寄る。
その後ろからまるで引ったくりを捕まえるみたいに腕を捕まえる私。義之もさすがに驚いたのか、ビクッと体を震わせた。
少し違和感を感じる後ろ姿だったがそのままにこちらの方に無理矢理顔を向けさせる。さすがに今回の件は私を物凄く心配にさせたので一言ぐらいは言いたい。
去年みたいな事故に巻き込まれ、その時の私たちとは違い一人きりの義之―――何があってもおかしくないと私は考えていた。
表立って音姫先輩達にその事は言ってないし混乱を招くので態度には出してないが、本当ならこの不満げな心を吐露したい衝動に駆られていた。
なので、その分の気持ちを大声に出したく、息を吸い込んで―――――
「な、なんだよムラサキ。何か用か?」
飲み込んだ。
この時の気持ちをなんて表していいのだろう。砂漠を歩いていて、ようやく一つ丘を越え水場が見えると期待してたら砂の地平線が見えた感覚に近い。
増々溜まるフラストレーション――――我慢した。ここで思いっきり『この人』に当たっても仕方が無い。思わず顔を覆ってしまった手をどけ、姿勢を正す。
「・・・・・ごめんさない、なんでもないわ」
「あ、ああ? 何でもないって事ないだろ、何かあったのかよ」
「あると言えばあるし、無いと言えば無い感じね。まぁ当てが外れたという言葉が適正かしらこの場合。でも貴方は気にしなくていいわ」
「どういう事だよ・・・・」
「さぁ?」
「さぁって―――――はぁ、気にしなくてもいいっていわれてもそんな訳いかないだろ。かったるいけど話だけなら聞くぞ?」
確かに義之だ。パーツを見れば確かに彼だし、声質も違わない。口癖も同じ。
そういえば彼に最初会った時はこんな感じだった気がしないでもない。結構前の事なので忘れてしまってはいるが。
「かったるいなら結構。そこまで疲れさせて聞かせる内容ではないので・・・・失礼」
踵を返し再び探索へ。後ろから戸惑いの声が聞こえるが気にしないで、今度は別な階へ足の行先を向けさせる。
確かに彼は義之だろう――――この世界の。けど私の知ってる義之ではない。だから名前を呼ばないで、敢えて『貴方』と呼んだ。
正直気分が悪い。自分の愛してる人のそっくりさんを見せられれば誰だって同じ反応をする。余りにも胸がざわめいたので、盛大に息を吐いて楽になった。
「平行世界・・・・ねぇ。まさかそんな心惹かれる言葉の世界に来て面白くない物を見せられるなんて。最近の行いが悪いのかしら」
思い当たる節なんて無―――――いや、冷静になって考えれば無いと否定出来ないのが辛い所だ。がぶりを振って心に残っている泥を少しでも和らげる。
「さて、と。気分を一新させて早く義之を見つけなくちゃ。本当にここに居るか分からないけど」
なんであれ何もしないよりはマシだ。私は学校中を隈なく探す様に目端を利かせ、一つ階段を上った。
もしかして自分はとても不幸な部類に入る人間なんじゃないか・・・と、思いながら通学路を歩いている。
勉強はまぁまぁ上位に入るぐらい成績が良いが、不幸の前振りだと言われれば納得してしまうかもしれない。
杉並くんの悪戯めいた騒ぎに悩まされてもいたが、そんな事など些細だと思えるような出来事が先程あった。
「弟くん・・・」
単なる風邪だと思った。最近寒いが続いてるし気温の上下が激しいので、てっきりその所為で体調を崩していたんだと思った。
そして顔を出しに芳乃家へ――――そこで、単なる風邪だと思っていた自分がとんだ間の抜けた人間に感じた。どうして気付かなかったのだろうか。
弟くんの存在の力がかなり衰弱し、かなり危ない状態だった。なんとかしようと考えるも良い手が思い浮かばず、そんな時に限ってさくらさんに連絡が付かない。
何が原因でこんな事に―――――そう考えた時、ふともう一人の弟くんの言葉を思い出した。
「枯れない桜の木の暴走・・・・。確かそう言ってけど、まさかこんな早く急激に悪化するなんて」
油断してたから暴走した。その言葉も昨日彼は言ってたが、決して油断した訳じゃ無い。万全に監視していた筈だ。
それに私一人ならともかくさくらさんも居たんだ。それなのにこんな事態になるという事は・・・・・万全じゃ、無かったという事か。
昨日今日の変化といえば別世界の弟くんが来たぐらいだが、それは要因にはならない。あの子の存在があやふやだったらそれも考えられるが、しっかりと
地に足を付け意識もちゃんとあり独立した存在。SF等は詳しくないがもしこの世界に弟くんと会っても何も問題無いぐらいに『別人』だ。
そうやって要因を一つずつ考えていき――――先程の光景を思い出し中断。さっきの自分はなんて事をしたのだろうかと後悔の念に駆られる。
『・・・・はは、参ったな。なんでか知らないけど妙に体が重たいよ。風邪・・・・じゃ、ないみたいだし』
『・・・・・・・』
『うーん、ちゃんと規則正しく生活してたつもりなんだけどなぁ。ちょっと寝てたら治るかな、これ。それとも病院に行った方がいいのかな』
『・・・・・・・』
『ん、どうしたんだ。音姉』
『―――――ごめんなさい』
『え?』
もう、見ていられなかった。多分自分がどういう状況か薄々感づいてる。それなのに気丈に振る舞う姿はとても痛々しかった。
そしてあろう事か私はそこから逃げ出してしまう様に芳乃家を出た。生徒会の仕事がある、きっと風邪に違いない、そんな言葉を吐いて・・・。
「なに、やってるのよわたし・・・・。こんな時に助けにならないで何がおねぇちゃんなのよっ」
これから弟くんは寂しいなんて言葉じゃ言い表せないぐらいの孤独感を味わうだろう。
皆が自分の事を忘れていくうすら寒さ、圧倒的な孤立、どうしようも出来ない恐怖・・・・全部を味わう事になる。
なのにのうのうと歩いて学校へ向かう自分。小さい頃から弟くんの事が好きでようやく付き合えたと思ったらこれだ。神様が居るなら罵ってやりたい。
「・・・・ごめん、弟くん」
言葉に出すと悲しみが心から溢れそうになり、手で口を押えた。周囲を見回しても今のこの時間帯には誰も居ない。ホッと胸を撫で下ろす。
学園での私はちょっとした有名人だ。泣いてる所なんか見られたらあっという間に学校中に広まるだろう。田舎特有の情報伝達速度というのは侮れない。
けれど――――前髪を垂らし地面を見詰める。そんな事をしても何も問題は解決しないが、こんな情けない顔を見られるよりはマシだ。
「私・・・・どう、したら」
「泣いてんのか」
「・・・・ッ!」
いきなり聞こえてきた声にがばっと顔を上げると、そこには弟くんの姿。一瞬鼓動が高まった。
だが―――私の知ってる弟くんではない。焦った気持ちをなんとか落ち着け、ふぅーと息を吐いてその姿を見やる。
髪は弄って若干流しており、銀のアクセサリーを付けている。ブランドとか興味無いので詳しくないが多分高いのだろう。
なによりも私の弟くんと違うのは、目だ。いつも鋭い目を眠たげにしていて何を考えているのか分からない。
そんな彼が、懐から煙草を出し火を点けて美味しそうに吸い始めた。いつも思う事だけど、煙草の何が美味しいのだろうか・・・・。
「さっきの休み時間中ずっと杏に絡まれたよ。どうにか誤魔化せると思ったが、そうもいかないらしい。昼飯食べてる時にでも質問攻めしてくるから
スカート捲ってやった。そしたら物凄く顔を赤くして怒ってたな」
「ゆ、雪村さんにそんな事をしたのっ?」
「した。あの外見でガーターってのも業が深い気がしないでもないがゴスロリ系の私服を好んでるし別にいいのか。まぁ、ゴスロリは基本的にローファー
はNGだけど。難しいよなーファッションって。人によって解釈が違うし」
「へ、へぇ・・・」
「オレもなんちゃってモード系だから少し勉強して――――って、話が逸れたな。何があったんだ、音姉」
「・・・・・」
「とりあえずベンチにでも座るか」
トントンと吸殻を携帯灰皿に入れベンチの方に向かう彼。その後ろを私は一瞬逡巡した後、黙って着いていく。
スッと座り背もたれに体を預けるその様は随分リラックスしている様に見えた。とてもこの世界に迷子で来た風には見えない。
私はこんなに悩んでいるというのに――――そんな後ろ暗い感情を少し抱くが、すぐに打ち消した。今のはいけない。ただの八つ当たりだ。
「随分なしかめっ面だが・・・・、原因はなんだ。弟くんとやらの所為かな」
「――――ッ! 知ってるのっ?」
「それは事情を知ってるのかって意味か? なら知らねぇよ。音姉が悩む事なんて大体弟くんの事に違いないからな」
「・・・・随分な自信ね。自分の事なのに」
「彼女が彼氏についてあれこれ悩むなんてよくある事だ。大概不満を持つのは女だってのが相場だよ。大昔から現代に至るまで大体の恋愛の著書は
そういうのが多いからなぁ」
「詳しく言うと別に恋愛とか関係ないんだけど、ね」
「じゃあ話してみろよ。こういう時は他人に話すだけで随分ストレスが軽減される。何でも貯めとんどくと、体に毒だぜ?」
「悩みとか聞いてくれるんだ。なんだか、意外な感じ・・・・」
「アンタに迷惑を掛けているという自負があるし、ここから抜け出すのを手伝って貰ってる恩もある。なら聞くだけ聞いて少しでも恩を返した方が
いいだろう。つかこういう時にしか返せないし」
「―――――そう。じゃあ、言ってみよう・・・・かな」
「おう」
本当に意外だと思う反面、なんとなくそんな行為が似合っているとも感じた。
まだ彼とは付き合いが浅いがただの素行不良者では無いと思う。口は悪いが汚くは無いし頭も良いのだろう。
昨日私の部屋に居た時は殆ど本を読んでいたし、何か喋る時は少し考えてから言葉にしている。周りには居ないタイプだ。
だから私も素直に相談しようとも思う。
どんな答えが返ってくるか分からないけど、一人で悩むよりは良い答えが出せるだろう―――――。
「ほぉら、こっちこっち!」
「ええ・・・」
手を引かれながら三年の教室に入る。時間的に昼休みなので弁当箱を広げている上級生が多くいた。
いきなり教室に現れた金髪で一年の私に一瞬視線が集中するが、すぐに食事を再開させ談笑に勤しんでいく。
チラッと黒板脇にある時間割を見るとさっきの授業は体育――――お腹が減ってしょうがない訳だ。
「みんなぁ、ムラサキさん連れてきたわよぉ~!」
「え、ムラサキさん?」
「ちょっと購買前で会っちゃってねぇー。どうやら購買でパンを買うお金が無かったみたいだから、折角だし一緒に昼食を取ろうと思ったのよ。
なんやかんやで話す機会無かったし・・・駄目だったかしらぁ?」
「別に私たちは大丈夫だけど・・・・ムラサキさん、嫌なら断ってもよかったのよ? 上級生の教室で食事するのって結構勇気いるし」
「―――――別に平気ですわ、雪村先輩。むしろこういう機会を設けてくれた花咲先輩にお礼を言いたいぐらいです」
「もぅ、茜も強引なんだからー」
「小恋ちゃんそんなに膨れなくてもいいじゃなぁい。たまには面子を変えてみるのも一興一興」
そもそも散歩中で今回の件に巻き込まれた私は財布を持ち合わせていなかった。その事に気付いたのは購買前での事、間が抜け過ぎていた。
途方に暮れる私。そこに偶々飲み物を買いに通りかかった花咲先輩が声を掛けてくれ、一緒に食事をというのが今の流れ。有難い事だった。
別な世界に来てまでも世話になるのは少し心苦しかったが、しょうがない。一日中あちこち隠れながら義之を探していたからお腹が減っている。
こんな広い学園を探し回るなんて本当に骨が折れた。昼食を食べたら一回音姫先輩と合流しよう。そう考え、促された椅子に座り――――人の女子に目が行った。
「・・・・あら」
「ん、なんだ?」
「いえ、別に。貴方も一緒に花咲先輩達と食事を?」
「うむ――――ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。美夏は天枷美夏という。よろしくな!」
「え・・・」
「・・・・まぁ、噂に聞いてると思うが美夏はロボットだ。一緒にお昼を食べるなんて嫌だろ――――」
「あぁ、いえ、そういうのはどうでもいいんだけれど」
「ん?」
「――――自己紹介が遅れて失礼しました。私はエリカ・ムラサキと言います。以後、お見知りおきを」
「あ、ああ」
少しぎこちなく挨拶を交わす。そうか、この世界じゃ私と天枷さんは会ってもいないのか。
学年も違うし納得いくといえばいくが・・・違和感を感じるわ。知ってる人からの他人の視線というのは気持ち悪さを感じる。
しかし・・・・まだ解決していないのか、ロボット騒動が。自分達の世界じゃ義之の頑張りのおかげでとっくに解決してるのだけど・・・。
まぁ、この世界の義之は『普通』みたいだし仕方無いのかもしれない。箸を取り、皆からお裾分けしてもらった食事を頂く事にする。
「さ、さぁーってと! お互い自己紹介も済んだみたいだし、美味しいご飯を頂くとするかにゃー」
「そうだねー――――って、あれ、義之は?」
「義之は彼女の由夢さんと一緒。彼女が出来ると付き合いが悪くなるって本当ね」
「ふ、ふーん・・・・そうなんだ。由夢ちゃんと一緒か」
「あらやだ私ったら。小恋の前で言う事じゃなかったわね、ごめんなさい」
「そ、そんなにやにやした顔で謝らないでよぉ~!!」
「・・・・・」
由夢さん、か。どうやらこの世界の由夢さんは上手く好きな人と結ばれたらしい。
多少面白くないがここは別な世界―――――尚且つ、義之は別人なので腹が立っても仕方無いと考える。
とりあえず目の前にあるポテトサラダを消費して、フリカケが掛かったご飯を食べた。中々に美味しい。
「ふっふーん。ムラサキさんも残念よねぇ~?」
「え、何がでしょうか?」
「義之くんの話。好きだったんでしょー?」
「別に」
「そうよねぇー、なんやかんや言いつつもエリカちゃんって―――――え?」
「このフリカケご飯美味しいですわね。見たところ鰹節とゴマ、後は味噌なんかを混ぜ合わせているのかしら。醤油と味噌も良い感じに
混ざり合ってますし・・・・高かったでしょう、これは」
「え、えぇ・・・・お母さんの実家の方から送られてきたみたいなんだけ、ど・・・・」
「なるほど。日本人はこういう細かい味を表現するのに秀でてると聞いた事がありますけど納得ですわね。花咲先輩のお母様にも私が美味しい
と言ってたと、お伝え下さいな」
「いや、それはいいんだけど・・・・」
戸惑うよな視線を感じるが、敢えて気づかない振りをした。その話題はこれで終わりと言う様に唐揚げを食べる。
その『私』は私の話ではないのだから続けようがない。他人の話をされ同意を求められても正直困るのが本音だった。
「・・・なんだかムラサキさん、雰囲気変わってない?」
「そう? いつも通りだと思うけど・・・」
「いえ、明らかに変わってるわね。前はそんな話題を振ったらもっと―――――」
・・・・・少し怪しまれてるわね。仕方ないけど。そう思いながら周囲に気を配り食事の手を早めた。
いつこの世界の私が帰ってるか分からない。こんな状況で鉢合わせでもしたら考えたくない事態に陥るのは想像に難くなかった。
お腹も満たされてきたし、そろそろ出た方がいいだろう。音姫先輩達が頑張ってるのに私だけお昼ご飯を食べているのも腰の座りが悪いというのもある。
箸を揃えてお裾分けされたタッパに置き、礼の言葉を吐いて立ち上がろうする―――――と、
「ねぇ、あれって例のロボットじゃない?」
「うわぁ・・・・本当だ」
「気持ちワルっ。あんなのが動いて食事してるなんて」
そんな言葉が聞こえてきた。嫌悪感を隠そうともしないその言葉は、悲しくも私達の席まで聞こえて来る。
懐かしい台詞の数々だった、義之が解決する前はこんな言葉をいつも教室で耳にしていたのをふと思い出す。
「・・・・なぁ、杏先輩」
「気にする事は無いわ。さぁ、食事を再開させましょう」
「あ、小恋ちゃんのお弁当今日も美味しそうだねぇ。私と取り換えっこしようよ」
「う、うん」
気にしない様に振る舞う花咲先輩達。しまった、立ち上がるタイミングを見失ってしまった。
別に気にしないで立ち去ってもいい筈なんだけれど、この空気の重さに耐え兼ねて逃げ出したと思われるのも癪だ。
だからそのまま食べ終わったタッパをそのままに、お茶なんかを頂いたりしてしまったりする。参ったわ、本当に。
これもあれも全部義之が変な事に巻き込まれた所為―――と、一昔前なら考える所でしょう。けど今は違う。
多分これはきっと運命的な何かだと私は考えていた。いつまで経ってもくっつかない神様がこれを機に近づけというお達しにも近いお告げ。
(いつも義之の傍には女性が居るものね・・・・。これを機に、目一杯お話して口説けばいくら義之でも無下に出来ない筈)
私が近づいても飄々と避けられるのでこの逃げ場のない状況に放り出されたのは、ある意味不幸中の幸いだろう。
そう思いながらエリカは愛しむ様に自分の小指に目を移し、優しくその指輪をなぞり上げる。まるで聖なる物に触れるかのような繊細な触り方だった。
いつも強引なエリカに困惑を覚える義之。嫌いならばどうにも出来るが、好意を覚えているので中々に対処に困っていた。まるで難解な数式に直面した様な
頭の痛さを抱えていた義之は、どうしたものかと思い悩む。好きな女性なのは確かだがそれが一人じゃないからこその贅沢な悩みだった。
しかしそんな義之をエリカは面白い筈も無く機嫌は悪くなる一方。増々対応に困る義之。悪循環という言葉が似合う様を一年前まで数ヵ月続いていた。
そんな時、義之はたまたま行きつけのお店で綺麗な指輪を見つけた。有名なブランドではなく無名の物でソコソコの値段、しかし、明らかに掘り出しものだった。
エリカが似合いそうな指輪だ―――――気が付いた時にはソレを義之は購入しており、エリカにプレゼントする事を決めた。一番最初の頃から好意を告げられ
ていたのに碌な対応をしてこなかった罪滅ぼしという意味合いもあり、丁寧に包装もする。
そして休日の朝、、義之が悪戯心で急な訪問をし驚かせようとエリカの家を訪ね、眠そうに眼を擦って出てきた彼女にプレゼントだと言い放ちどう反応するか少し
楽しみにしながら壁に寄り掛かる義之。エリカは多少戸惑いながらもその包装を解いていき・・・・、
『あ・・・』
『良い感じだろ? 鏡面仕上げのシンプルな奴だが高貴さがある。多分これ作ったデザイナーはこれから有名になんだろうなー、中々に匠の仕事だ』
『・・・・・・』
『あ? どうしたんだエリカ。もしかして気に入らなかったか? こういうのはセンスがずれると最悪な贈り物になるし・・・・失敗しちまったかな』
『・・・・・あり、がとう・・・・・・グスッ』
『――――ちょっと待て、なんで泣く』
涙をポロポロ流しながら喜ぶエリカ。この件があって以来、エリカは暴走する頻度が収まり増々義之の事を好きになる様になった。
(嫌われててもおかしくないと思ってたから、これを貰った時は本当に嬉しかったわね・・・・。いつも磨いて綺麗にしてるし、絶対に汚したくないわ)
半ば夢見がちな目でうっとりそれを見詰めるエリカ。
それを余所に、彼女の周りは段々と喧騒にまみれていく。
先程騒いでいた女生徒が美夏に絡み始め、罵声に近い言葉を投げかけ始めたからだった。
「ねぇ、アンタってなんで学校来てるの? 皆気味悪がって勉強に集中出来ないでしょ」
「・・・・・・・・」
「ちょっとっ、そういう事言うの止めなさいよ!」
「花咲もあんまり関わらない方が良いと思うけどなぁ。こいつ、不気味だし」
「なっ」
義之がくれたこの指輪は絶対に死んでも離さないし、汚さないわ。
義之は別に適当に扱ってもいいと言ったけどそんな訳にはいかない。
これは義之と私を繋ぐ代物だ。他の人に聞いてもこういうのを貰った事は無いという。
強いていえば天枷さんのストラップぐらいだが・・・・指輪と比べるまでも無いだろう。
これはどんな財宝や皆の心を突き動かす絶景でも叶わない最高の代物―――それが、私の指にある。
そう思うだけで高揚感が増し、幸せな気持ちに浸れる。だがそれだけで終わるつもりは私には無い。
今感じている幸せ以上の幸福が義之と付き合えば待っている。絶対に今回という今回は失敗できない。
義之に私を好きだと言わせ―――いや、それは言って貰ってるからいいとして・・・・うん、結婚しよう。
「そうだ、ロボットなんだから水でも掛けたらショートでもするのかなぁ? ちょっと興味あるわね」
「あ、ちょうどわたし水筒持ってるよーっ。掛けちゃえば~?」
「・・・・貴方たち、少し悪ふざけが過ぎるんじゃないの?」
「そ、そうだよぉ! こんな寄ってたかって天枷さんを苛めるなんてっ」
「―――――はぁ~? なに、アンタ達もロボットって訳なの? キショっ」
「ちょ、いい加減に―――――ッ!」
「ほら、どいたどいた」
「イタッ」
ドンッと突き飛ばされる小恋と杏。エリカは相変わらず指に嵌められているリングを見て物思いに耽っていた。
女子生徒は一瞬チラッとエリカを見るが、何もしないと分かったのかすぐに興味が失せ美夏の方に水筒を持って正面に立った。
それを目の前にしても微動だにしない美夏――――それが勘に触ったのか、舌打ちをしながら水筒を縦に振った。
「何かいう事あります~? ショートしちゃうから掛けないで下さい、って言えば止めてやってもいいんだけど?」
「・・・・好きにしたら良い。どっちみちやるつもりなんだろう? なら構わん」
「あーあー聞き分けの良い事で・・・・・もしかして、馬鹿にしてる?」
「知らん」
私達の年齢だと早すぎるだろうか。いや、そんな事は無い。人を愛するのに年齢など関係無い。
義之みたいな男を逃したら一生後悔するだろう。あんな男性、確実にこれから二度は会えない自信がある。
もし会えたとしてもそれは義之ではない・・・・なので、意味は無い。義之を手に入れてこそ私という人生の本番が始まる。
お兄様に紹介しても恥ずかしくない逸材だ。もし恥ずかしくても義之なら構わない。結婚を反対されたら家を出る覚悟もある。
義之と二人ならどこだってやっていけるだろう。適当に事業でも起こして慎ましくやったっていい。それでも成功する自信は私にはあった。
(今回駄目だったら、もうこんなチャンスは巡ってこないかもしれないわ・・・・また、きっとなぁなぁな関係に戻ってしまう)
エリカは深く息を吸い込み、一つ胸の中に気合を入れた。これからの頑張り次第で義之との関係が決まりそうな気がすると考えていた。
ジッと指輪を見てブルーの瞳を潤わす彼女。その時の光景を夢に見て、そろそろ義之を探しに行こうと腰を上げた。
「さて、そろそろ行こうかし――――」
「っざけないでよ!! このガラクタロボットの癖にっ!」
「うわっ―――――――あ?」
「あ」
「む、むらさき・・・・さん」
「――――――――――――ふぅ」
蓋を開けて掲げた水筒が、急にエリカが立ち上がった事によりバシャっと彼女の左半身にブチ撒けられる。中身はどうやらコーヒーだった
みたいで見るも無残に彼女の真っ白な制服とキメ細かい肌を汚してしまった。掛けた本人も唖然とした声を漏らす。
エリカはそんな惨状を――――自身の左半身をジッと見て、静かに息を吐く。周囲の人間もまさかエリカに被害が行くとは思ってなかった様
に呆然としてしまっていた。本当に、『まさか』の事態だった。
服もそうだったが、ほぼ毎日エリカが丹念に磨き上げていた指輪もヘドがへばり付いたみたいに輝きを失ってしまった。沈殿した液体の塊
がまるで汚物の様な印象を与えてしまっている。髪にも勿論ソレは掛かり、義之が綺麗だと言っていた金髪もその面影さえない。
シーンと静まる場。慌てて女子生徒は弁解しに掛かった。
「あ、ああっと・・・・ごめんねぇ? 間違って掛けちゃった」
「・・・・・」
「でも責めるならそこのロボットを責めた方がいいわよっ。大体、そいつが居なければこんな事にならなかったんだしさー」
「・・・・・」
「あーーー・・・ちょっと、聞いてる? 外国人だから日本語が分からないのかなぁ?」
「・・・・・」
「ひっ」
小恋がエリカの表情を見て喉を引き攣らせたような声を出す。
余りにもその顔が見慣れたエリカの顔と豹変してしまっているので恐怖を感じてしまった。
それはいつも杉並を追いかけては怒り、褒められては照れる彼女は感情豊かな女の子だと思っていたからだ。
しかし、今はまるで能面のような顔をしていて―――――――
「あなた」
「う、うん?」
「殺してもいいかしら?」
エリカはそう呟き微笑みの表情を浮かべ、その女子生徒と目を合わせた。
「なるほど。大変だなー」
「う、うん・・・・」
ポカポカ陽気に晒されながらベンチにダラーッと寄り掛かる。思った以上に面倒な話でかったるかった。
音姉はそんなオレを、話す相手を間違えたかなといった呈で頬を掻いてたりする。人に相談しておいて首尾悪い顔するなよ。
懐からまた煙草を一本取り出しまた火を着けた。煙たそうに顔をしかめる音姉。喫煙者に相談事を持ちかけた以上我慢して貰うしかない。
「ん、でさ。音姉はどうしたいんだよ」
「それが自分でも分からないから相談してるんだけど・・・。弟くんは好きだし、なんとかしてあげたい。そういう気持ちはあるんだ」
「けどいざ目の前にすると頭がパ二くっちまって逃げたい衝動に駆られる。というか逃げたのか。まぁ、難儀なこった」
「・・・・あの」
「なんだ」
「何、してるの?」
「見ての通り写真を撮ってる。平行世界に来た記念撮影って所だな、帰ったらパソコンに入れて保存しとくとするか」
携帯で辺りを撮りはじめ、カシャっという音を立てながら何にもない中庭を移していく。きっと貴重な資料になるに違いない。
後でこの音姉の写メも撮っておくとするかな。帰ったら本人に見せてみよう。こんな経験は滅多に無いから今の内にやれる事はやっておくか。
ベンチに座り少し心の余裕が出てきたのか、義之は周囲を遠慮無く携帯カメラに収めいく。音姫は困った様に頬を掻き眉を寄せながらその
様子を見詰めていた。相談事を持ちかけたつもりだったのにいつの間にか躱されていると感じる。
「あ、あのね、少し答えに詰まる質問だったら難しいって言ってくれないかな? 放置されるのはちょっと辛いよ・・・」
「よくもまぁ放置が辛いと言えたもんだ。あれだけ自分の彼氏を大事だと言っておきながら、放ったらかしにしてるアンタがねぇ」
「・・・・・・・・」
「よし、ここら辺はこれでいいか」
スッと懐に携帯を入れベンチに座り直す義之。欠伸を噛み殺しながら音姫の方に視線を合わせた。
どう返事した方がいいだろう――――そう逡巡した後、いつも通り自分が思ったように答えようと口を開く。
「弟くんは穏やかで爽やかで音姉に優しい男の子・・・・昨日アンタはそう言ってたし、多分その通りなんだろうな」
「う、うん。弟くんて結構照れ屋だけど、本当に優しいんだ。それは私だけじゃなくて皆もそう思ってるはずだよ」
「そんな男の子が苦しんでるんだから、助けなくちゃいけないな」
「いや・・・そうなんだけどね、まだ正面きって話す心の準備が出来てないし対処法も分からないから、少し時間を置こうかなと考えて・・・」
「何時出来るんだ? その心の準備って」
「多分、その弟くんを助ける対処法が分かったら出来ると思うんだけど」
「―――――なぁ、オレもう行っていいかな」
「え?」
「ごめん音姉。音姉の話ってすっげーつまんねぇから呆れちゃった。取り繕った言葉ばかりだし、本音言わねぇし・・・・はぁ」
「・・・どういう、意味かなそれって・・・・あはは」
「とぼけながら笑うなよ。気持ちワリィ」
媚びた笑いだったので一蹴した。言葉を失い顔を俯かせる音姉。そりゃ自覚があるんだから言い返せやしない。
なんだかんだ言って結構お世話になってる女性なのであんまりキツイ言葉は言いたくないんだけど・・・しょうがねぇよな、本気でつまらないんだし。
「あれだけ自分の弟―――兼、彼氏を好きだなんだ言っておいてココで平気にニコニコしてられる神経がまずオレには信じられない。好きだったら最後
まで一緒に居てやれよ。そういう状況じゃねぇのかな、今って」
「・・・・うん」
「うんってなんだよ、うんって。それって肯定の意味だよな? その弟くんが苦しんでる様を分かってて自分は目の届かない場所まで逃げてきたってのを
自覚してるんだよな? 可哀想だと思ってないって事か、えぇ?」
「自覚は、してるよ・・・。でも・・・」
「さっきから『でも』とか『多分』とか『思う』って言葉を多用してるけど、結局は全部自分の卑屈さを棚に上げてるだけだ。ガッカリだよ、アンタには」
「う・・・」
「本音としちゃ弟くんの事はどうでもよく、自分の都合の良い言い訳をオレに肯定して欲しい。そんな所か。だったらいつも周りに居る取り巻きに愚痴を
言った方がいいな。聞いてるだけで腹が立ってくる」
そして自分の期待する言葉を吐き出させる、良い安定剤になるだろう。その弟くんは苦しんだままだけど自分は苦しさが和らぐので構わない。
桜内義之がどんな状況でどういう苦しみを味わってるか全部分かってる上での逃げ――――余程精神が弱いに違いない。このままだと本当に桜内義之が
消える直前までこの調子だろう。そしていざ消えるとなった時、慌てて消えないでとか言って後悔する。
まだ妹の由夢の方が精神的に強い。アイツなら最後まで一緒に居るだろう。まぁ、他人と比べてどうこう言う問題じゃないから口には出さないが。それ
にしてもここまで心が弱いと思わなかったな・・・。去年のクリスマスの事件の時は勇気の塊みたいな女だと記憶してたんだけど。
音姉の目から涙が零れてるのを見て、またゲンナリするオレ。強い言葉に慣れてないから色々ショックだったのだろう。
「泣いても問題は解決しないって学校で教わらなかったか? 本当の事言われて嫌だったら行動しろよ、行動をよ」
「こ、行動って言ったって・・・・グスッ、何していいのか、分からないもん・・・」
「見て見ないフリは確かに楽だよ、問題を抱えなくて済むし余計な労力を使わない。それで後悔しないなら全くもって問題無いんだけど残念ながら音姉みた
いな性格の人間は限りなく百に近い確率で後悔する事になる。根が善な人間だからな」
「・・・うぅ、ひっ・・・ぐぅ」
「根が善な人間は二種類に分けられる。強い奴と弱い奴、この二種類だ。音姉の場合は後者の方で目の前の出来事をそのままガッチリ受け止めるから、自分
の処理可能な範囲を超えるとすぐに逃げだしてしまう。多分これから音姉はその弟くんと会っても見て見ないフリをするだろう。遠巻きに見て、目が合い
そうになると避けて気付かないフリをして何とか自分の心の安定が保たれるように、処理可能な範囲に収めてしまう。直さないといけないな、そういう所」
オレみたいな外道でチンピラな屑男はそもそも処理しようともしないから気が楽で良い。けど、音姉にそれを実行するのは難しいだろう。
善人っつーのは、結局は見て見ぬフリを出来ないからだ。いくら頭であれこれ理屈を捏ねても体が勝手に動いてしまう人間、人を助けるのが性分なのが善人。
音姉も今はこんなに日照ってるが最終的に無視出来なくなって飛び出すに違いない。だったら最初からそうしろって話だが・・・・人間は理屈で動かないもんなぁ。
「直すって、どうすれば・・・・」
「この場合の強い奴ってのは切り替えが早い奴の事を指していると思ってる。オレはだけどな」
「・・・切り替え?」
「それはそれ、これはこれっていう簡単な話だ。確かに弟くんが苦しむ様は見ていて辛いだろうけど――――しょうがねぇじゃん? そうなっちゃったんだし。
だからそこで出来る事をして上げようって行動するのが強い奴だな。基本的に行動力がある人間はバイタリティがあって足が軽い」
「出来る事・・・・出来る事、か・・・・・。でも、私一人の魔法なんて・・・」
「好きな女と一緒に居るだけで男ってのは幸せに感じるもんなんだよ。難しく考える必要は無ぇ。魔法の事だってその弟くんと一緒に居ながら探れば良い。その
方が効率良いだろうし、いざって時の覚悟も出来てくる。離れたままだと心の整理なんざ付く訳無いからこのままの状態で別離しなきゃいけないな」
「・・・・うん、分かった」
そう震える声を出す音姉はもう泣いていなかった。おおかた覚悟決めたって所だろうけど・・・・こんな短時間で決められるならオレいらなかったな。
そもそもこんな説教染みた事言うほど立派な人間じゃないってのに――――ま、そんな人間に頼った音姉も音姉ってことで別にいいか。
「別に優しい言葉で音姉を論してもよかった気がするな・・・・ほら、ハンカチで涙でも拭けよ」
「あ、ありがとう・・・・・えへへ」
「オレみたいな男がハンカチを持ってるのがそんなにおかしいか? 悪いがこれでもエチケットは心得ている。これでも最低限の品格は持ち合わせようよと―――」
「ううん、そうじゃなくて。やっぱり弟くんは優しいんだなって思ったんだ」
「・・・・今さっきのオレを見てそう思うって事は、よほど頭がイカれちまったのか。可哀想に」
「そんなに照れなくていいよ。ここまでバッサリ切られたのって初めてだから、色々驚いちゃったけど感謝してるよ。背中押してくれた事を」
「――――もっと優しい言葉を言っても良かったんだが、それだとその場は納得するフリをして終わる可能性があったからな。少しキツイ言葉を吐かせて貰った」
「それでよかったのかもしれない。私って、ほら、どうやら心が強くないみたいだしさ。弟くん――――アナタが羨ましいかな?」
「オレだって最初から強かった訳じゃ無い。必死に強くなろうと心を折りながらも頑張って、そして折れた心を繋ぎ合わせるのに必死だった。そんな簡単に強く
なられちゃオレの立場がまるでねーよ」
「そっか、そうだよね――――うん、頑張ってみる」
「頑張れよ。『頑張り』と言うのは自分の経験値になる、決して無駄になるものじゃない。積み重ねた分だけ自分を作るからな」
「分かったよ。じゃあ、早速行ってみる。今の弟くんきっと寂しがってるだろうし」
「了解。良い報告を待ってる」
「うん!」
スカートを翻し去っていく音姉の後姿。あの様子だと大丈夫だろう。
道が分かればあの女は猛直進していく性格だし。良い報告をと言ったがそんな必要も無さそうだった。
「しかし世話焼き姉さん女房も大変だな。さっきは善がどうのこうの言ったけど、元々男の世話が生き甲斐なのかもしれねぇ」
そう思いながらタ煙草の灰を灰皿に仕舞い、オレは空を眺めた。
こんな時だっていうのに他人にかまけてていいのかと思う反面、音姉の手助けをしてよかったと思う自分も居る。
本当にオレは変わったなと実感するひと時だった。あれだけ邪険にして泣かせた音姉の背中を押すとは・・・・。
「・・・・まぁ、けど―――――」
悪くは無い気分だな。
義之はそんな風に思いつつ、自分が感謝される人間になった事を感慨深く感じた。
空は淡いブルーの色合いがどこまでも広がっていて、一種の絵画を思い起こさせる美麗さを見せている。
「じゃあ、良い事やった記念にでも撮りますかね」
手に持っていた携帯のカメラを空に向け、その景色を収めようと義之は意地の悪い笑みを浮かべる。
持って帰れたら良いのに、この空――――ナルシストだと思いつつもそんな感想を抱き、義之はボタンに指を掛けた。