この初音島という素晴らしい土地に来て数ヵ月。様々な事を短期間で学び学習をしてきた。
地域に根付く独特の風習や考え方は自分の国に居ては学べない事ばかり。またマンモス校である為色々な人間が居て刺激がある。
そして出会った私の恋人――――桜内義之。まさか男女の仲になるとは思わなかった。最初の出会い頭のイメージは最悪なものに近い。
けれどすぐにその優しさに触れるようになり、気が付けば彼にアプローチを掛けていた。案外私は恋に積極的なタイプだったらしい。
涼やかな風が肩を撫でながら過去の事を思い出し、現在目の前に広がる兵士達を見てため息を一つ。此処に来てから本当に飽きない事ばかりだ。
『こちら雪村。窓から侵入しようとした兵士を排除したわ』
「オッケー、良い調子だ。引き続き頼んだぞ」
『古典的だけど油を掛けるのって結構有効なのねぇ~。みるみる相手が壁から滑り落ちていったのには思わず笑っちゃったわぁ』
「古典的という事は長らく使われていたという証拠だ、花咲。油というものは戦国時代前よりも前の戦から――――」
『あ、切るわねぇー杉並くん』
「・・・・ふむ、少しクドかったかな」
脇に立っている杉並が少し自省するように呟きながらトランシーバーを見る。エリカはそんなやり取りを見て少し呆れた。
屋上に待機している杉並とエリカ。ここが本陣営であり要だ。グラウンドを全て見渡せ状況を把握出来る最高のポジショニングだ。
エリカ自身としては皆と協力して行動したかったが、大将はドンと構えてるべきだと言われ此処に居る。その護衛兼通信役として杉並が抜擢される。
(大将・・・ね。とんだ愚将も居たものだわ。全部他の人に仕事を任せて指示は杉並がやってる。自分は居ても居なくても、全く戦況に変化は無い)
理解はしている。自分が捕まったら元も子も無いので此処にこうして居るだけで義之達はかなり動きやすく集中出来るという事は。
だが心が燻っていない訳じゃ無い。何にも出来ないお姫様は大人しくしてればいいのか。優秀な『友達』に全部放り投げていいのか。
せめて自分に他人には真似出来ない長所があったなら話は別だろうけど、生憎私はそんなものなど無かった。自嘲してしまうぐらいに。
視線を下に向け、頭に浮かんできたのは一人の人物。自分の恋人と同一人物である筈なのに全く風貌が違う彼の事。
厳しい言葉を吐きながらも優しくしてくれる彼。この前の言葉はまさに意を射ている。私はただ膝を抱えて丸まってるだけ。
「む、どうしたエリカ嬢。顔が優れないぞ?」
「・・・・それを言うなら顔色、でしょう。これでも自分ではまぁまぁな顔だとは思っていますわ」
「まぁまぁな顔どころか結構な顔の持ち主だと思うぞ。男に好かれる顔付や体型だな、エリカ嬢は」
「杉並。貴方はよくデリカシーが無いとか言われないかしら。欠点よ、それ。直しなさい」
「確かによく言われる。注意はしよう――――あとついでだが、もし自分は無力とかそんな事を考えているなら気にしない方が良い。
今回みたいに敵から身を守るケースにあたり、エリカ嬢の仕事はジッとしているのが仕事だ。護衛対象が安全な場所に大人しくして
るだけで敵は攻めあぐねる。何時だって攻めはかなり根気が無ければ務まらないからな」
「そうかしら、ね」
「そうだ。もし仮に雪村がエリカ嬢の立場だとしたら奴は大人しく此処に居るだろう。そんなものだ。まぁ、あいつ等はお前を守るに
あたり何も気にしてはいないからエリカ嬢の気苦労は無為に終わるな。ははっ」
「・・・・ありがとう。と、お礼を述べた方がいいのかしらね」
「さて。俺は事実を言っただけなのだがな。それに存分に今の状況を楽しんでいる。わくわくするな」
何を考えたのか、クッと含み笑いをする彼に謝辞を述べようとした口からため息が漏れるエリカ。
本気なのか冗談なのか分からない。いつもそうだ。彼の彼女になる人は苦労するだろう。外見はかっこいいのに。
そういえば『彼』もまた本気か冗談か分からない事を口にする男性だ。皮肉気に笑う彼は結構私に意地悪をする。腹立たしい。
(・・・・けど)
優しくもあった。色々落ち込んでる私を見ては発破を掛け、話を聞いてくれたし助言もしてくれた。
その反対に、厳しくもある。私が臆病風を吹かせば突き放す様に興味を無くし自身が動くまで何も言わない。ただジッと見ているだけだ。
そんな彼に私はとても気を許してしまっている。恋人に似てるという理由だけじゃない。彼個人という人間、引いては男性に興味が出てきた。
最低だろう――――れっきとした恋人が居ると言うのに別な男性を気に留めるというのは。同一人物だが同一人物ではない不思議な存在の彼。
私はそこまで考えて、ハタと気付く。もしかして・・・・万が一、この状況下ではあってはいけない事だが・・・・私は、彼に――――、
『そういえば浮気の定義ってなんだろうな。手繋いだ時点でアウトなのかな』
「――――ッ! ゴホ、けほっ・・・・!」
「む。どうした、エリカ嬢」
「い、いえ、別に!?」
「・・・・そうか? まぁ、具合が本当に悪いなら横になってるといい」
「あ、ありがとう。じゃあちょっとだけ横になるわね、うん」
『あらま、杉並と良い感じだったのに邪魔しちゃったかな。アイツも手ぇ早いな。彼氏付きの女に手出すとは中々に感服するよ』
「くっ・・・」
急にイヤホンに違う周波数からの声が届く。エリカはわざと体をよろけさせながら杉並の視界から外れ給水塔の影に隠れる。
今まさに頭の中で思い浮かべていた彼の声が耳にダイレクトに聞こえたので思わず咽ってしまった。慌ただしくスイッチを入れ彼に繋いだ。
「きゅ、急に何気なく声を掛けるのやめて下さらないっ? 最初は普通聞こえてるかどうかテストするのが普通でしょうに!」
「あぁ? オレに『あいうえお』とか歌えっていうのかよ。小学生じゃあるめぇし」
小馬鹿にするような声で欠伸をする彼。こんな状況だというのに何とも能天気な事だ。こめかみが思わずヒクヒクしてしまう。
さっきまで悩んでいた自分が急に馬鹿らしく思えた。頭をくしゃくしゃと掻いて盛大にため息を付く。気分屋も程々にして欲しい。
「はぁ~~~~。あのね、確かに私は助力を頼んだ側だし無理は言えないわ。だけどもう少し真剣になってくれるかしら?」
『やってるっつーの。さっきドア蹴破ってきた筋肉隆々の男をブチのめした所だ』
「・・・え、嘘でしょ?」
『オレみたいな力無ぇ奴がデカい奴倒すと気分が良いな。とは言っても手作りの目潰しスプレーで倒れた所をリンチしたぐらいだけど』
「ちょ、ちょっとっ」
『近くに理科室があったから作ってみたんだよ。ビーカーにカプサイシン入れてエタノールを投入し熱する。後は空の透明スプレー容器
にブッ込めば出来上がりだ。今度教えてやるよ』
「そんな危ないモノ、出来るだけ使わないでくださいなっ。せめて脅かして追い返すぐらいでいいのよ」
『・・・・難しい事言うなお前。二階だったら手はあるんだが一階でその手は効かないぞ。すぐに体勢を立て直してやってくるし』
「そこは、ほら、何とかしなさいよ。貴方なら何とか出来るでしょう、多分」
『何とかねぇ・・・・。まぁ、やるだけやってみるかなー。少し面倒だけど』
「頼むわよ。全くもう」
『へいへい。ったく、お姫様はいいよなぁ。守られてるだけでいいんだからよ』
「・・・・・」
『んじゃま、戻るわ。健闘を祈っててくれ』
通信が切られ無音になるインカム。私を空を見上げて、目を瞑った。
きっと今のは何気無しに言った台詞なんだろう。だが今の私にその言葉はとても効いた。
深く息を吸い込み、ゆっくり吐く。さっきまでは杉並の言う通りここでジッとしてるのが得策だと思っていた。
目を開けグラウンドに視線をやる。確かにそれは理に適っているのだろう。だがそんな私を見て彼はどう思うだろうか。
「・・・そもそも自分の将来と恋人を守る戦い。ここでジッとしてるようじゃ、これから一生うだつが上がらないわね」
杉並の所に歩き向かい、下の援護に行くと伝える。目を見開き何故と理由を聞いてきた。当然か。杉並は私が納得したものだと
思っていたんだし、いきなり打って変わって違う事を言い出した私を怪訝に思っているだろう。
しばらく考えるように顎に手を添えていた杉並だが、フッと笑みを浮かべ「好きにしたらいい」と言いグラウンドに視線を戻した。
他の人間だったらこうもいかないだろう。杉並に感謝しつつ、私はそこから踵を返して屋上の扉を潜った。
「とは言っても義之達と合流しても連れ戻されるのがオチだろうし・・・。どうしようかしらね」
もしかしてそこまで私の行動が杉並に読まれていたのではないかと少し勘ぐるが、今そんな事を思っても仕方ない。
私の皆の助けになりたいという気持ちが上手く伝われば良いと思うが、その気持ちを汲むからこそ安全な場所に居てくれと言われるかも。
少し考えるように天井を見上げて――――やっぱり、私は厳しい人の所に居た方が良いのかもしれない。
「邪険にされるだろうけど、言葉の責任は取って貰わないと。焚き付けたのは彼なんだし」
確か一階に行くには抜け道があった筈。杉並がもしもの時と言って最初に教えてくれた場所だ。
私は一つ頷きそこに走って向かう。時計を見ると11時過ぎぐらい。日没までまだまだ遠そうだ。
最初は割かし楽しんでいた。図工工作で作った道具を試すかのような幼稚な愉楽。自分の思った通りに行った時なんか笑ってしまった。
しかしそれもつかの間。ドンドン押し寄せてくる奴等に少し気が参りそうになっていた。相手はプロだ。いつまでこのガキの遊びが通じるか・・・。
バリケードも大した物を作れない。机とか軽い物だと直ぐに押し出される。だから間に針金を巡らせているが――――まぁ、持たないな。これ。
「いざとなれば薬品混ぜ合わせて適当に爆発させるかなぁー。でもそこまでやると喧嘩レベルじゃ収まらねぇし。加減しないとなぁ」
死人が出ればさすがにオレも座りが悪くなるし、事が大きくなりすぎる。チラッとパクってきた塩酸とか引火性のある液体を見てため息を一つ。
腕もさっきからズキズキするし段々飽きてきたかもしれない。やっぱり調子に乗って格闘戦なんか挑むんじゃなかった。普通に捻られたし。
「寝技に持ち込まれる前に目突いて噛み付かなきゃヤラれてたぜ全く。脇固めとかやられるの本当に久しぶりだ」
最初の敵陣を退けた義之は若干心に余裕が生まれ、欲が出た。所詮ゲームだからといった呈で次に侵入してきた兵士に飛び掛かった。
足を引っかけられ転倒し、そのまま腕を固められた義之。引き攣った笑みを零してしまった。相手は降参するように呼び掛け力を込める。
降参するように手を上げ、その手で目を突き怯んだ隙に噛み付かなければあっと言う間に頭を押さえられただろう。運が良かったに過ぎなかった。
思案するように唯一の扉を見詰める義之。ケツを蹴り上げて追い返したは良いが次は警棒辺りを持ってくるかもしれない。
「さて・・・この教室はもう使えないな。窓ガラス割れて丸見えだし。この金誰が払うんだよ」
揉み合っている内に割れてしまった窓ガラス。一歩間違えれば大怪我じゃ済まないっていうのに・・・・。あ、オレがあれに叩きつけたのか。
得心がいったように頷きながら隣の教室へ。ドアを開けたら硝酸辺りでも掛かる様にしとく。一応相手は防護服だから大丈夫だろう。
自分の真下の床に一つ蹴りを入れて隠し通路の確認。杉並に教えて貰っておいてよかった。何時何時こういうのが役に立つのか分からないもんだな。
「よし。じゃあ、後は待ち受けて冷静に対処すれば――――って、うぉ!?」
足元に感じる浮遊感。いきなりの感触に思わず呻き声を漏らしながら体勢をグラつかせてしまった。
慌ててそこから離れ壁に手を付く。もしかして相手側の兵士にここの通路がバレたのか・・・? やべぇ。
義之は身構えながらすぐに逃げれるように足の行く先を出口に向かわせ――――ぬっと出てきた金髪頭に脱力した。
「え、エリカぁ?」
「あら、丁度いい所に。まだ相手側の人は攻めて来てないのね」
「・・・てめぇ、何やってんだよ。屋上で大将気取ってるんじゃなかったのかよ」
「生憎守られてるだけのお姫様は性に合わないのよ。それに誰かさんにも行動を起こせって言われたし、ね」
「オレの言った事気にしてんのか。まぁ、確かに自発的に動けとは言ったけどよ・・・」
「そんな厄介そうな目をしないでよ。私、頑張ってみるから」
「頑張るって・・・・。はぁ、悪い事は言わないから今回は――――」
遠くから微かに物音が聞こえた。エリカの口を塞ぎ物陰へ。すぐに動けるように足先に力を入れた。
エリカは文句の声を上げようとするが無視する。ただの軋音かもしれないが、人の気配がした。息を潜め場の状況を読もうと視線を其処に向ける。
少なくとも茜達はそこには居ない。一階からの侵入を防ぐのがこいつらの目的なんだから全階封鎖してある筈だ。だとすれば居るのはリオの兵士だろう。
参ったな・・・碌な仕掛をしていない。裸一貫で倒すには荷が重い相手達だ。オレの体格と技量じゃ普通に抑えられちまう。
「・・・何も出来ないな、マジで。一回ここは退散する――――」
「ちょ、ちょっといきなり何するのよ!?」
「あ、馬鹿・・・」
「誰だ、其処にいるのはっ!?」
ガラスが派手に破られ飛び散り、ドアの木材も吹っ飛んだように目の前を通過して行く、
いきなり口を塞いできたオレに抵抗するようにエリカが大声を出し、もう近くまで来ていた兵士が扉を蹴破って入ってきたのだった。
「きゃぁ!?」
「なっ、エリカさ――――」
エリカの姿に気付いた兵士は駆け寄ろうとした。引っ掛かる針金。硝酸の入ったビンが兵士の服に掛かり途端に異臭と白煙が発生した。
いくら極端に薄めたと言っても劇物―――男は目を白黒させながら後退するように下がり、慌てて上着を脱いだ。
「く、くそっ!? なんだこれはっ」
「え、な、なに!?」
しくった――――呆然と呟き声を漏らすエリカを脇にどけてその兵士に突進するように、体ごと押し付けるように体当たりした。
いきなりの衝撃に面喰らい転倒する兵士。全体重を掛けてその男に跨りながら腕を決めた。遠慮はしない。骨を折る直前まで曲げた。
足を首に引っかけ羽折り固めの完了だ。相手は呻き声を漏らすだけ。これも運が良かっただけで二度は通用しないだろう。
「よぉ、気分はどうだ? こんなガキに間接極められて滅茶苦茶悔しいだろう、ん?」
「・・・まだまだガキの力だな。こんなもの、力ずくでも外せるぞ」
「おっと、そうはいかないぜ。屈強な兵士さん」
先程割られたガラス片を喉に押し当てた。僅かに滲む血。少し押し込めば突き破られた喉から大量の血が出るだろう。
まずこういう手合いには舐められたらいけない。こっちが本気だと分からせる為に更に体重を掛け、耳元に口を寄せた。
「このまま殺してやろうか。エリカはオレにとって女神なんか目じゃないぐらいイイ女でよ。お前たちを殺してでも守りたいんだ」
「お、おい、ふざけるなよ! こんなガキのゲームでそんな事してみろ。お前、タダじゃ――――」
「あぁー? 誰がタダで済むと思ってるって言った? 最悪国際問題になるだろうが、生憎オレは馬鹿でさ。そんな事知ったこっちゃない
と思ってるんだ。ガキらしい発想だろう? 刹那的に今が良ければいいと思ってるんだから」
笑いながら首に極めた足に力を込めていく。これまた鍛え上げた素晴らしい首だがオレの細い足がのめり込んでいく。落ちるのは時間の
問題だろう。どんなに鍛えても耐えられる時間が延びるだけで、基本的に絞め技というのはどんな人間にも有効だった。
少し視線を外すと相変わらずエリカは呆然としているばかり。無理もないか。基本的に女は暴力的な事に慣れていないからな。
「ぐ・・・ごっ、くぅ・・・・」
「映画や何かだとここら辺でアンタは力ずくで立ち上がりオレをぶん回し投げるんだろうが・・・できねぇだろ? 割りと完璧に近い形で
首に入ってるし体重も上手く掛けてあると思う。次も上手く行く自信は無いけどさ」
「く、糞ガキが・・・」
「糞ガキか。賛同するよ。オレも自分の事は糞ガキだと思ってる。早く立派な大人になりたいよ」
一瞬更に力を込める――――と、男の体がグッタリした。落ちたのだろう。よくもまぁ締められながらもこれだけ喋れたもんだ。
オレなんか前に柔道齧ってる奴に落とされてボコボコにされたけどな。仕返しにスタンガンで落として同じくやり返したが、あの落ちる瞬間
というのは聞くほど良いもんじゃなかったな。多分相手が下手糞だったからだろう。
この男は気持ちよくイケたんだろうかと疑問に思いながら足のロックを外す。その内に息を吹き返すだろうから早めに逃げるとするか・・・。
「おい、エリカ行くぞ。この教室にはもう居られない。さっきお前が来た所を戻って保健室に出る」
「・・・・うん」
手を引いてさっきエリカが出てきた隠し通路に入り上蓋を締めた。そして教室にはけたたましい音が鳴り響く。援軍が来たのだろう。
それから逃げるようにさっさと暗い通路を歩いていく。エリカの顔は窺えないが、少しはさっきの呆然自失とした状態からは抜け出たかな?
握っている手に軽く力を入れると、握り返す感触。急な事態に面食らって少し戸惑ったのかもしれない。このエリカはそういうの慣れてなさそうだしなぁ。
「大丈夫か? この間ブン殴った時よりは大人しい光景だと思ったんだけどよ。少し落ち着くまで休憩しとくか?」
「優しいのね。貴方ってキツイんだか情け深いんだか時々分かり辛いわ」
「基本的には厳しいんじゃねぇかな。オレって口悪いし。人に優しい時は稀だと思うよ」
「でも、手握ってくれてる」
「彼氏以外とお手を繋ぎたくないって言うなら離してもいいんだけどな。そういうの気にする奴って結構気にするし」
「――――別にいいわ。貴方も義之なんだし」
「・・・・そうか」
含みのある言葉っぽいが深く考えない様にする。考えたら余計な感情が生まれて行動に支障をきたすかもしれなかった。
握られた手の柔らかさも無視して先を急ぐ。保健室に着いたら少し治療がしたい。さっきから腕とか足がズキズキしていてぇ。
多分擦り傷程度だと思うが放って置いたら化膿して抱えなくてもいい痛みをこさえる事になる。残るんだよなぁ、こういう傷跡って。
暗い通路を歩くオレとエリカ。気のせいかさっきより距離が縮まってる様に感じた。
だからだろう。聞こうとしていないのに、エリカの呟く様な声を聞いてしまったのは。
「私って本当に役立たずね・・・。貴方に良い所を見て貰おうとしたのに。情けないわ」
―――――本当に、余計な事考えたく無いんだけどなぁ。
時刻は十二時過ぎ、つまり昼を回って太陽が真上に来ている時間。学園に攻め入って半日が過ぎた。
相手の抵抗は思ったよりも激しく、かえってこちらに被害が出る事になってしまった。目の前には大した怪我こそしてないものの、追い返された
兵士たちが疲れたような顔で校舎を見やっている。もう行きたくないという気持ちが顔に出てしまっていた。
まさかゲーム如きでここまで時間を引っ張られると思ってなかったのだろう。疲労が見える。まさか本気で制圧しに行って子供を怪我させる訳に
もいかない。それぐらいのプライドは持ち合わせている。なんにしても多少加減しながら相手を確保するといのは予想以上にキツかった。
「ふむ。少しは手こずるとは思っていたが、まさかここまでやるとは。ゲームだと思って手加減し過ぎたかな?」
「道具を何も所持させていませんからね。身に着けているのは防具のジャケットのみ。手元が寂しいといえば寂しいでしょう」
「それにしたって、大の大人――――それも訓練を積んできた兵士がこのザマとは。地の利以上に相手は手強いと見える」
「・・・子供仕掛けな罠でも張ってるかと思えば、簡易的な爆薬を使ったり道筋を意図的に誘導させ油を降らせたりホースの水圧で振る落としたり
中々厄介な事をしてきます」
「うーん、そういう事に対応する為の今までの特訓だと思うのだが・・・・さて、もう少し時間を掛けて駄目だったらその時は―――――」
「し、しっかりしてっ、貴方」
「ん?」
フローラが一人の兵士の肩を抱きながら仮設のテントの中に運んでいく。男はなんとか歩きながらも、腕と首を気にしながら顔を歪めていた。
リオとジェイミーは顔を見合わせ、そのテントの中に入っていく。一応怪我人が出た時の為の医療テントは確かに作っていたが使う予定は無かった。
そもそも怪我人というのはこちらが攻めて、向こう側の子達の誰かが怪我した時の為に立てたテントだ。自分たちが使う予定等まるで考えてはいなかった。
そうしてテントの中に足を踏み入れると、フローラはその兵士の腕に湿布を張りながら包帯で固定していた。見た所大事は無い様なので一安心するリオ達。
「大丈夫かい、キミ?」
「あ、り、リオ様!」
「敬礼は良い。それよりも怪我の具合は? 見た所大きな怪我じゃ無さそうだが・・・」
「は、はい。情けない話なのですが、一人の男子生徒と揉み合った時に間接技と絞め技を決められて・・・その・・・」
「どうやら落とされたみたいなんですよ。腕と首を極められて解ける前に気を失ったと」
「なるほど」
「・・・・お恥ずかしい話です」
まさか一人の子供に締め落とされたとは言い難かったのだろうが状況報告は大切だ。フローラは男から聞いたその時の状況をそのまま伝えた。
男は恥じ入る様に大きな体を小さく縮ませ顔を俯かせる。リオの頭の中には三人の男の顔が浮かんだが、そこまで好戦的な男は居ない筈だと眉をしかめた。
そして、ふと一人の男が頭に浮かんできた。初対面は不敵といった感じの呈をなしていた男。だが、次に会った時には別人を思わせる程穏やかな物腰の彼。
「もしや・・・・」
「リオ様?」
「いや、なんでもない。フローラはそのまま治療を続けてくれ」
「あ、はい。了解しました」
「行くぞ。ジェイミー」
「はい」
治療に専念してくれと二人に言い、リオとジェイミーはテントから出て元の場所に戻る。
リオの頭の中ではすっかり兵士をやったのは桜内義之――――エリカの恋人だと確信していた。
あの男はこれぐらいの事はやるだろう。遠慮なんてしなさそうだ。この間の乱闘騒ぎからして、むしろ腕を折らなかっただけ優しいとも言える。
しかし、だ。何故だか分からないが私が最後に見た桜内義之はとても『マトモ』に見えた。正義感があり円満な人格と言えよう。
決定的に違う、同じ人物なのに違う人物像。まるで同じ人間が二人居るような・・・・。
「ねぇ、ジェイミー?」
「なんでしょうか」
「同じ人間が世界に二人居る、というのは有り得ると思うかい?」
「無いですね」
「え―――い、いやね、ほら、魔法使いという存在が居るのは知っているだろう? 見たという人物は国内に居ないがデータなんかはある。
だから何らかの拍子で同じ人間が二人居るというのも・・・・」
「いや、無いですよ。非科学的じゃないですか。荒唐無稽過ぎて有り得ませんね」
「・・・・それを僕達が言うのもアレなんだがね」
どうやら側近はかなりリアリストだったらしい。断じる様な言葉を聞きながら視線を校舎に向け、腕を組む。
リオ自身としてはその方が簡単に説明が着いて納得がいった。確かにジェイミーの言う通り荒唐無稽ではあるが―――此処は枯れない桜の木がある島だ。
そんな『魔法』染みた事が起こっても不思議ではないと思っている。数十年前にこの地に来た過去の人物も幾つかこの島で不思議な体験を経験していた。
(―――まぁ、ジェイミーの言う通り全部憶測に過ぎないから断定は出来ないが・・・・)
けど面白い憶測でもある。もし本当にそうだとしたら是非色々話を聞きたいものだ
若干期待を込めた意味合いの視線を校舎に送るリオ。最優先事項はエリカを奪還して内通者を炙り出す事だが――――違う楽しみを持っても良いだろう。
ジェイミーに知られたら窘められるので黙って真面目な顔付を作る。現在の時刻は昼時。今頃彼らは昼食でも楽しんでいるのだろうか。
「さて、僕達はお昼でも頂くとするか。残す所あと半日。思わぬ時間を食ってしまったがそろそろ本腰を入れようか」
ドサッ、と保健室のベッドに腰掛けながら目を瞑る。数時間ずっと敵との攻防戦を広げたからかなり体力を消耗していた。
元々そんなに運動能力に自信がある訳では無い。運動する暇があったら酒飲んでグータラしてた方が楽しくて良い。だがそれが今は裏目に出ている。
こんな事になるならもっと鍛えておけば良かったと思う反面、どうせやりはしないだろうという確信に近い考え。基本面倒臭がりなのだ。
(少しは筋トレしてっけどこれ以上回数増やしたくないな。たるいし)
脇に持ってきたガーゼと包帯、消毒液を手に持ち足を治療していく。慣れたもので淡々とこなしていった。
どうやら気が付かない内に擦切ってしまったらしく、痛々しい赤みと血の赤色がベットリ付着してしまっていた。
傍に立っていたエリカが息を呑む。オレからしたらこんなものまだ良い方だ。喧嘩でナイフを使われた時なんか中々血が止まらなくて焦った経験あるし。
「だ、大丈夫なのそれって。そんな大きな怪我してるなんて思わなかったわ・・・」
「大した事じゃない。これぐらいの怪我ならそこらのガキ共が走り回って転んだぐらいだ。エリカはそういう経験ないのか? 追いかけっことか」
「小さい頃中庭をお兄様と一緒に走り回った事ならあるけど。よく迷子になってたわ、私」
「・・・迷子、ねぇ」
どれぐらい広いのか見当が付かねぇな。よく想像を超えた金持ちの特集を組んだテレビ番組は見るがエリカも漏れなくその内の一人か。
お姫様というのは伊達じゃないらしい。オレもそんな家に住みた――――いや、それだけ広いと色々面倒そうだな。移動するのがかったるくなる。
煌びやかで趣味の良いゴシック的なインテリアはオレの趣味に合って心地良さそうだが想像だけでいい。元々和風の家に住んでるから居心地が悪そうだ。
「よっ・・・と。こんなものか。少し骨も痛むが、まぁ、死にはしないだろう」
「・・・・・」
「言葉数が少ないと気持ちも引き摺って小さくなっちまうぞ。無理にでも声は出しておいた方が良い。気が楽になる」
「楽になれたらいいんだけれどね。中々そうもいかないわ。考える事がいっぱいで参っちゃう」
「自分の非力さに辟易してる事に、か?」
「―――――やっぱり、分かっちゃのね。杉並にもバレたわ。そんなに私って分かりやすい?」
「ああ。まるで百面相だ。話を聞いて欲しいという顔をしている。別に弱くてもいいと思うんだけどな。努力はしてるんだし」
「でもまるで実ってない。その怪我の一部だって私の責任もある。義之も私が何も出来ない足手まといな女だって思ってるんでしょ」
「別に。それにこの怪我だってオレがちゃんとお前に説明なりなんなりして身を隠せば負わなかったモノだ。いきなり口塞がれちゃあんな反応もするよな」
「そう、そんなに義之が気を遣うほど私って駄目なんだ。皆にも本当に迷惑を掛けてるしこのまま消えちゃいたいわ・・・ふふっ」
「―――――次そんな事言ってみろ。リオの野郎に引き戻される前にオレがお前をぶっ殺してやる」
包帯をキチッと止めて視線をエリカに合わす。自虐的な笑みがナリを潜め、気落ちした顔で保健室の床を見下ろしていた。
今の発言は余りにも仲間を軽視し過ぎな内容だったので語気を少し強めた。エリカもそこの所を理解しているので何も言い返しはしなかった。
周囲の人間の努力を無為にする言葉。何の為に杉並達は頑張っているのか、自分の男が誰の為に気を張ってるのか――――今度は優しい口調に戻す。
「皆エリカの事を好きだからこんなにも頑張っている。好かれる人間というのはそれだけで立派な人物だ。何が出来る出来ないというのはこの際
全くもって関係無い。自分の無力さに絶望するその気持ちは分からない訳じゃ無い。オレもそんな経験なんか腐るほどある」
「嘘よ・・・。だって義之って自信の塊のような人間じゃない。私とは違うわ」
「そうなるように努力してきた。運動神経は並程度、多分お前の彼氏の桜内義之の方が上だろう。頭の良さは同年齢の杉並や杏に遥かに劣る。
対人関係を築くのは上辺だけなら得意だが、本当に友人を作るとなるとオレはド下手だ。その点渉はコミュニケーションが上手い。要領良
く立ち振る舞っている様に見えるだろうが・・・・どうだろうな。本当に要領が良いならそもそもこんな怪我なんてしないだろう」
「そ、そんなのはただの無理矢理作った言い訳よ。義之は色々経験を積んで来たっていうし、そこから得た知識を活用――――」
「それだ」
「え?」
「経験があるからオレは自信を持っている。お前は頭が良いとか持て囃してるが、それだって今までの経験からくる物事の捉え方だ。だから別に
天才的って訳でもないし、喧嘩も殴りに殴られて覚えたもんだ。お前に足りないのは経験だよ。それ以外に差なんて殆ど無い」
「経験、か」
「なまじお前は家族に大事にされてきたんだろう? それが悪い訳じゃ無い。愛がある家庭なんてそこに生まれただけで幸せになれるんだからな。
けど、だから『経験』なんてものを積む機会が極端に少なかった。お庭でしかで追いかけっこをしなかったぐらいだからな」
「・・・・・」
ベッドの隣に座り天井を見上げるエリカ。思い当たる節があるらしい。あんまり偉そうな事言えた身分じゃないが、どうやら当たったようだ。
秀でている能力が無ければ経験を積むしかねぇ。そこから自動的にその場に見合った行動は取れる様に人間は出来てるし、経験は何事にも勝る。
エリカの場合、元々小器用なので色んな事を見て覚えていけばあっという間にオレなんか追い越されるが。そこら辺は追々自分で理解していくだろう。
「偉そうに上から目線に聞こえたかもしれないが・・・・まぁ、それも一つの考え方だ。参考程度にして貰えれば幸いだよ」
「――――うん、ありがとう。やっぱり義之は優しいのね。相談に乗って貰っちゃった」
「だから違うって。単なる気まぐれだ。人の悩み相談を良く聞くが、大体腹が立つ話だから文句言ってるだけ。普通に感謝されると浮き腰気味になる」
「・・・ふふっ、もしかして照れてる?」
「あぁ?」
笑みを浮かべて見詰めてくるエリカ。まるで子供を見詰める様な視線だ・・・・勘弁して欲しい。本当に癪に触るから文句に近い説教染みた言葉を吐
いてるだけなのに、こうも囃されるのはなんだかなぁ・・・・。手を振って否定するようにうんざりする。
顔を背けて話を終わりだという風に態度で示す―――が、何が楽しいのかエリカはオレの顔を覗き込んできた。表情は笑顔。呆れた様に眉を寄せて視線
を投げかけるが、どうやらお姫様はご機嫌が良いみたいでまるで気にしていない。
「あんまり見ないでくれ。人に顔をジロジロ見られると恥ずかしくして頭が沸騰しそうだ」
「義之って、自分がワルモノだと思い込んでるタイプでしょ? 素直に自分という人間を認めた方が良いと思うけれどねぇ。その方がもっと人が集まって
くると思うわよ、私は」
「うざってぇ話だ。人が集まるのは杉並だけで十分だよ。ああいう奇抜で能力ある奴こそ人が集まる・・・・オレは一人が基本的に好きなんだ」
「ふぅん。もったいない話ね」
本当にそう思ってるのかマジマジとオレを見やる。大体の奴に言えるが何でそうまでしてオレを推すのかが分からない。
不良が子犬を拾うと優しく見えるという寸法でオレが良い人間に見えるのだろうか。だとしたらクリーナーか何かで目を掃除しろよな。
「・・・・ねぇ、義之。義之はいつこの世界から抜けて元の世界に戻れるのか分からないのよね?」
「まぁな。今回は何か結構縛られてる時間が長いし、誰か助けに来てくれるまでこのままかもしれねぇ。勘弁して欲しいよ。マジで」
「そう―――――だったら、一回貴方も私と一緒に王国に・・・・」
と、期待に満ちた目でオレの手に触れようとした瞬間、インカムから焦りと苦しさが混じった声が聞こえてきた。
『エリカっ? 応答してくれ、エリカ!』
「え・・・よ、義之!? 一体どうしたの?」
『良かった、無事だったんだな。杉並から俺達の所に向かったって聞いて心配したんだ。全く姿が見えないし・・・捕まったかと思った』
「え、あ、し、心配しくてれてありがとう。私は無事よ、うん」
取り繕うようにややどもりながらも砕けた感じで返答する。
まぁ、またちょっと雰囲気が怪しなってたからバツが悪いんだろう。
オレはベッドにごろんと転がりながら、インカムの内容に耳を寄せた。
「浮気はよくない事なんだけどなー。おしとやかじゃない行為だ」
「う、うるさいわね! あ、なんでもないのよ。それで一体何があったのかしら?」
『――――奴等、銃を持ち出してきやがった』
エリカが息を飲みこんだ。通信相手のオレも重々しい息を付き、エリカを気遣うように声を掛ける。
オレは咄嗟に立ち上がったエリカの肩をポンと叩いてベッドの上に座らせ保健室の窓を開けた。遠くに見える敵兵は確かに手に銃を持っていた。
どうやらゴム弾を打ち出す銃らしくそれでバリケードも破壊されたという話だ。喰らった事はないが普通に骨は砕けるらしい。痛そうだ。
(いつか出すとは思ってたけど、このタイミングで出してきたか。オレがやり過ぎた所為かもしれねぇ)
状況が今までと比べて格段に動いた。悪い方向に。エリカの性格を考えれば自ら姿をさらけ出しにいくに違いない。
これ以上仲間に迷惑を掛けたくないという自己責任に似たものを抱えている彼女。友人が大怪我をする姿は見たくないだろう。
『くそっ、あいつらヘリまで・・・・!』
空を見上げると午前中に見たヘリが風を巻き起こしながら空を旋回している。
金持ちはやる事が違うなと思いつつ、今の状況はかなり詰んでいるなと煙草を取り出しながら考えを纏める。
空を制された以上地の利はもう殆ど無い、徒党を組んでの進撃、武器はこちらと比べるまでも無く凶悪――――どちらが有利なんて言うに及ばず。
エリカの方を振り返ると何か覚悟を決めた様子で、インカムを外しオレの目を見た。
「行ってくるわ。私」
「行って来い。お前さんが考えた上での行動だ。オレが何か言うのは筋違いか」
「・・・・間違ってると思う? 私の行動」
「それを確かめに行くんだろ? まぁ、それが間違ってても正解でも――――」
拳をトンッと、エリカの胸上をノックするように叩きオレにしては珍しく笑みを浮かべた。
「何かあったらオレがフォローしてやるよ。好きなようにやってこい」
「ふふっ――――貴方って本当に人の背中押すのが上手いわよね。なんだか今の私ならやれる気がするわ」
さくらさんに昔言われた言葉そのままをエリカに伝えた。ガキの頃よく言われ、その言葉にいつもオレは頼り甲斐を感じていた。
オレがそんな安心感を与えられたかは知らないが、フッとエリカは微笑む様に目を瞑り保健室のドアを開け廊下に出ていく。
気力十分、過剰な緊張感は無し、体も強張ってなく自然体。良い感じだ。あの様子だと中々に折れないだろう。一発かましてきてほしい。
(成長中の人間は見てて本当に面白いな、オイ。どこまで啖呵を切れるか楽しみだ)
煙草を灰皿に入れ紫煙をフゥーッと空に吐き出す。
どんな展開になるかさすがに予想出来ないが・・・・精々部外者らしく、高見の見物でもするかな。
そんな風に考えながらオレも踵を返し保健室を出る。時刻は三時半。夕方を見る前にエリカの逃避行は終わりを告げた。
ぞろぞろと兵士が校舎から戻ってくる。皆どこか解放されたと言いたげな顔だ。ようやくこの重労働も終わり気を少し抜いているのだろう。
普通だったら窘める場面だろう。だがここは戦場等では無く、ただ子供達とのゲームをしていただけ。隊長クラスの人間も少し注意を即すだけだ。
リオ自身も号令の時にこれはゲームだと言っていたので、特に何も言わなかった。ジェイミーはそんなだらしない兵士に目を細めるが、言葉には出さない。
だが国に帰ったら少しキツ目に注意しようか―――と、リオは笑みを携えながら思う。
そんな子供とのゲームに、いつまで時間を掛けていたのだ・・・・と。
「リオ様、ただいま帰りました!」
「お疲れ様。ヘリと銃を出したらあっという間に終わってしまったね。さすがにこの二つには抵抗出来ないか」
「相手は結局のところ子供ですからね。本気を出せばざっと――――」
「知ってるかい? 子供相手に本気を出すことを『大人げない』と言うんだ。ちなみに私はそこまでしないとこのゲームに勝てなかったという事を
恥ずかしいものだと認識している。皆はどう思ってるかは知らないけれどね」
「うっ・・・・」
「色々無理を言ってすまなかったね。ご苦労様。もう行って良いよ」
「は、はい。失礼します」
そそくさと退散する隊長各の男性。最近兵士の質が落ちてきたなと嘆息するように息を少し吐く。
こういう隙を見せるから反逆者という者が現れ、治安というものがゆっくり綻びていく。平和な時こそ気を引き締めるべきだというのは良く聞く話。
常に平安を保ち続けるのは大変だ。皆が皆同じ考えをする訳ではない。私を陥れようとしている連中も、自分達なりの正義は持ち合わせているのだろう。
(・・・まぁ、だからといって素直に頷くほど間抜けではないが。正々堂々正面から来れない様じゃ格が知れる)
前を向くとジェイミーが心配そうに兵士達に囲まれながら歩いてくるエリカの友人たちの姿を見やる。どうやら素直に降参したらしい。
少しは怖気づいて下を向いて歩いてくるものと思っていたが・・・・なるほど、勇気はあるらしい。真正面を向き闘志は残っている。さすがと言うべきか。
そして少しの距離を空け、対峙するように向かい合う両者―――――と、そこに少し遅れてエリカがその場に駆けつけて来た。
「はぁ、はぁ、ごめんなさいっ。少し遅れましたわ」
「エリカ、大丈夫か。というかさっき聞きそびれたけど、一体今までどこに居たんだ? 二階には居なかったよな?」
「え、えぇ・・・ちょっと迷っちゃって・・・。助けに行くつもりが返って迷惑掛けちゃったわね。ごめんなさい」
「いや、無事で良かったよ。杉並も普通に行かせるんだもんな。全く」
「おや。エリカの姿を見失っていたのかね。それでよく守ると言い切れたものだ。ある意味感心するよ」
「・・・・・」
「本当にね」
リオが涼しげな目で義之を見やる。義之はリオを睨むが反論はしなかった。事実エリカの姿を見失っていたのは本当の事だったし、ここで
反論を返せば確実に言い負かせられるのは必至だった。
この劣勢な状況を更に悪くするほど余裕や決め手がある訳では無い。周りは屈強な兵士に囲まれ、何かおかしな事をすれば即座に取り押さえ
られるのは確実だ。それだけは何としても避けたい。組み合って勝てる人間などこの場には居ないのだから。
「さて、ゲームは私達の勝ちだ。何か言いたい事があったら言うといい、聞くだけは聞こう」
「――――色々言いたい事はあるさ」
「ほう。なんだね」
「ヘリを使ったり銃を使ったり随分やりたい放題、そんなやり方で勝ってアンタは満足なのか?」
「何を言うのかと思えば――――勝ちは勝ちだろう。それに君達庶民と同じステージに立てと? はっ、身の程をわきまえろ」
「お前――――ッ!」
「義之」
「・・・エリカ」
「ここは私が話すわ。ちょっと待っててほしいの」
この場は私に任せて欲しいとばかりにずいっと前に出るエリカ。昨日まで不安と悲しさで下を向いていた彼女とは思えないほどの毅然な態度。
義之は何か言おうと口を開きかけ、静かに閉じた。リオに対して並々ならぬ苛立ちは確かにあり癪に触る言動だったが、ここはエリカに任せる事にする。
「それにしても余計な手間を掛けさせてくれたな、エリカ。約束通り帰るぞ。いつまでもこんなちっぽけな島に居る必要は無い」
「兄様にはちっぽけに見えるかもしれませんわね。土地面積は狭いし、買い物も何かと不便。この間小さな虫が部屋に入ってきて大騒ぎしましたわ」
「小さな虫どころか、ここには大きな害虫までもが住んでいる。エリカが住むには分不相応な土地だと思うのだが、私は間違った事を言ってると思うか?」
「はい」
「・・・・おかしい、今肯定の返事が聞こえたような気がするな。まさかそんな筈はないと思うが」
苛々し気に腕を組みながら目を細める。エリカは少し気押されたかのように顔を下げるが、もう一度気を張って顔を上げた。
「確かに兄様の言う通りこの土地にも悪い人は居ます。けれど悪意を持った人間なんてどんな所に行っても存在している。それをたまたまこの土地で見た
というだけで、分不相応なんて言葉を使うなんてどうかと私は思いますわね」
「よく兄に向ってそんな口が聞けたものだな。この地に来て以来随分と蛮族の影響を受けたみたいに見受けられる。貴族の誇りを失いつつあるみたいだね」
「しれっと攻撃用のヘリと銃を持ち出す人にはさすがに負けますわ。先程勝てばいいという風におっしゃりましたが・・・、それこそ誇りがどうのこうの
という問題ですわよね? 自分のしたことを返り見ないとは逆にお兄様に失望しました」
「兎を狩るのにわざわざ素手でやろうとする人間なんて居ないだろう。それと同じで、長々と正面から付き合う必要等どこにある? むしろ数時間も付き
合ってやったんだ。貴族としての貴賤は十分だと思うが」
「それが兄様の貴族としての考え方ですか。なるほど、理解は出来ませんが納得はしました」
「そうか。だったらその調子で兄の言う通りに従えば良い。私が間違った事を今まで言った事なんて――――」
「納得したというのは今までの兄さんの言動や行動がまるで利己的な人間そのものだと思ったからですわ。どうも違和感を感じると思ったら当たり前な話。
私は貴族の人間相手を前提に話してるのに兄様は貴族という人間の言葉をさっきから発しないんですもの。会話が噛みあわないのも納得ですわ」
「・・・・あまり私を怒らせるなよ、エリカ。私が怒ったらどうなるか・・・・お前なら分かるはずだ」
「怒ったらどうなるの? 隣に居るジェイミーやフローラに泣きつくのかしら。あらやだ、二人とも私と同じ年頃の女の子なんですから勘弁してください」
空気がギチギチと音を鳴らして固まる様な錯覚を覚える。確かにさっきまでも緊迫した空気が流れていたが、今はそれ以上だ。
周囲に居る義之達も固唾を飲んで見守り、そして驚く。あのエリカが真正面からリオという威圧感の固まりみたいな人間に挑んでいた。
いつも兄の前になると押されっ放しで、不安そうに瞳を揺らめかせていた彼女とは思えない。逆に挑発とも言い切れる言葉を言い放っていた。
威風堂々―――何が彼女をここまで短期間に変えたのか。義之達は不思議に思いながらも、黙って事の成り行きを静かに見守る。
「・・・そこまで挑発染みて下賤な言い回しをするとはな。余程この地で受けた影響が醜悪なものか分かる。失敗したよ、今回の留学は」
「そんなそんな。留学して成功だと思いますわよ? なんて言ったって悪い人を窘める事が出来るんですもの。悪を律する勇気を持ち合わせる事を兄様は
喜んで下さらないのかしら」
「ふんっ、兄を悪と言うのか。とんでもない妹も居たものだな」
「――――一方的に自分の考えを押し付け、私の友人を傷つけようとした者を悪と呼ばないで何て言うのよ・・・! 自覚が無いなら本当に性質が悪いわっ」
「もういい。そこまでお前が自分の考えを改める気が無いなら・・・・」
「・・・・ッ!」
懐から出したのは鈍色を放つ人間なら誰もが恐れる物――――拳銃。
一同は驚愕の余り開いた口が閉じなかった。戦闘ヘリ、ゴム弾を発射する銃も想定外の出鱈目だったが今目の前にある光景はそれ以上だった。
その虎口をエリカに向け顎を上げるリオ。恐喝染みた行為。さすがのエリカも信じられない様な物を目にした様子で目を見開いていた。
「正気じゃないわ・・・。本当に、頭がおかしくなったとしか考えられませんわ。兄様」
「私の本気を適当に見積もっていたのだろうが――――実際の話、ここまで普通にはするよ。お前にはこういう所を見せたのは初めてだったね」
「小さい頃から一緒に居ましたが兄様は最もそんな手段を嫌う筈です。いつも武力なんて物は最終手段であり軽々しく出せば後に引けなくなる、そう
言っていたじゃないの。ずっと違和感を感じていたけど、考えてみれば本当に力ずくの強引な暴力的な力の行使の連続・・・・一体どうしたのよっ」
「お前が見ていたいのは私のほんの一部さ。本来より私はこういう人間・・・・勝手にエリカのイメージを押し付けられては困るな」
「そんな・・・・っ!」
「さて、そろそろ『茶番』を終わりにしようか」
引き金に手を掛けエリカを正面から見据えるリオ。義之達が駆けつけ様にも黒服の男達と兵士が囲んでいる。
さすがのエリカも顔を真っ青に――――いや、しなかった。踏ん張る様に足に力を込め、手を握っては開き緊張を無理矢理解す。
大きく息を吐き呼吸をする彼女。その様子はいつか見た、自分の恋人に似た彼がやっていた事だった。
「茶番がもし私たちの事を指しているのなら・・・・許せないわ。いくら兄といえども」
「ほう。許せないのならどうすると? この圧倒的に不利な状況で、それも周りは敵だらけ。何が出来る?」
リオはその時、思わず気圧されるような感覚を覚えた。
エリカが今まで見せた事の無い瞳の色合いで、若干歯を見せながら睨むように口を開く。
「そうね。もし、首だけになったとしても、絶対に兄様の喉笛に噛み付いて見せるわ――――必ず」
事実を思わせる気迫と念だった。義之達も息を呑み、その光景を見やる。強烈な怨を発しながらエリカは逆にリオを見据えた。
(・・・ここまで人は短期間に変われるのか?)
感嘆と驚愕の感情が混ぜり合う。今までのエリカとは打って変わり、覚悟を決めた人間の強さを見せ始めたエリカ。
そろそろ頃合いだろう――――あまり追い詰めると、かえってこちらが痛い目を見そうだ。こういう人間を相手にする時はこちらも覚悟が必要。
相手は自分と同じ血筋、実の妹なのだから更にそれは必至だ。軽くリオは目を細め、義之達の側に居る杉並に目配せをし事態の収束を図る。
ここからが本番。内通者を炙りだしこの騒ぎを収める為にも、もう一芝居をして――――
「ん?」
「そこまでにしてもらおうか、王子様」
「・・・・いや、待ってくれ。すぎな―――――」
拳銃が余りにも『重い』。弾は抜いてある筈だ。なにせこれまでの言動や行動は演技で、これも弾が入っていないただの『張りぼて』に過ぎない。
杉並くんとの口論の後、彼を空砲で打ち抜きエリカも空砲でショックを与えてエリカを王座に着かせる為の反逆者を炙り出すのが彼と今回編んだ
だ作戦だ。絶対に失敗は出来ないので念入りに内容を考えシュミレーションした。だから私の待ったに彼は怪訝な顔付きをした。
エリカには暫く気絶するようにショックを与えるペンダントを持たせている。空砲の合図でそれが機能し、まるで撃ったと思わせる意図だった。
それなのに今持っている拳銃は確実に重すぎる。それは感覚的だが絶対だ。何回も練習をしたのだから体が覚えている。
そしてリオは杉並を押しとどめようと言葉を吐く途中、何かに気付いた様にジェイミーに慌てて指示を出した。
「ジェイミーっ! 急いでエリカを保護しろ! 早く!」
「え・・・?」
黒服を着た男達の中の一人が微かに動いたのを端目に捉え、大声でジェイミーに指示を出すが一瞬反応が遅れた。
杉並も想定外のリオの言葉に体が一瞬固まってしまい行動できない。義之達も目の前で何が起こったのか分からなく混乱するばかり。
場が瞬時にして算を乱し、誰が何が起こったのか分からないまま――――――
「誰も動くなよ。動いたらこの女は殺す」
「・・・・え」
一人の黒服の男がエリカの背中を取り弾の入った銃を突きつけた。
静まるこの場。エリカの間が抜けた呟き声だけが唯一の音として辺りに響いた。
全て計画通りだった。リオの行動と反逆者のフローラの動きをリーク出来たのは本当に願ってもない僥倖。
いや、僥倖なんて言葉で済ませない。それだけの為にどれだけの人と金が動いたかは思い出したくも無かった。
人を大勢動かせばそれだけ金が掛かる。どいつもこいつも愛国心なんてモノは無いのだから当然だった。
「迂闊だった―――私に反逆する者が居るとは知っていたが、まさかエリカの側にも裏切り者が居るとは」
「あ、貴方は!? なんでここにっ」
「フローラさんよ、アンタは警戒心が凄くて大変だったよ。俺みたいな末端には作戦行動なんて漏らさないんだもんな。使いっ走りばかり
の時なんて何回アンタをブチ殺そうと思った事か」
「ふざけないでっ、いいからその銃を―――――」
「おっとぉ、動かないでくれ。そんな怖い顔で近づかれたら指が震えて引き金を引いちまう」
「くっ」
「エリカお姫様が大好きで、そのお姫様を担ぎ上げようとしたアンタの事だ。動けないよなぁ」
フローラの屈辱染みた声に、男は軽々しい声で彼女を見やった。エリカは今の状況に頭が突いていかず呆然としてしまっている。
ジェイミーと周りの兵士達が男の隙を窺おうとするが、密着状態で銃を突きつけられているので上手く動けない。
また銃を使おうにも同じだった。エリカの背に隠れているので撃とうとすれば間違いなくエリカに当たる。
「要求はなんだ。出来る限りの事は聞こう」
「はぁ? アンタはそんなタマじゃねぇだろ、王子様。聞く振りして不意打ちで俺の事を捕まえる算段でも立ててるんだろう。頭良いアンタの
事だし訳ないよなぁ~? 俺みたいな奴を捕まえる事なんて」
「じゃあ、目的は。こんな事をしでかしたんだ。目的ぐらいは聞かせて貰っていいだろう」
「ハッ、簡単でシンプルな話だ。この女とお前、両方とも共倒れさせるってのが目的だよ。面白いだろう?」
「なっ・・・・なんて事をっ。リオ様とエリカお嬢様にそんなふざけた真似を・・・・!」
「うるせぇよ。まぁアンタは銃で妹を射殺し王座から失脚、その隙に俺達が色々面白い事をしでかそうってのが目的だったんだが・・・・失敗しちまったなぁ」
「俺達・・・。つまり君達は第三勢力という事か。厄介な」
「そんな吐き捨てるみたいに言わないでくれ。どうせ『解散』しちまうメンバーだ。アンタが気に掛けなくても居なくなるよ」
「どういう事だ?」
「言ったろ? 失敗だって。もうさぁ、活動資金とか人集めるのも大変な訳よ。アンタらにバレないように今までは行動出来たがそれをやるだけの力も迎撃出来る
余力ももう残ってないという情けない話だ。最初で最後の作戦だっつー訳だったんだが・・・・なぁ」
もうそれだけの余力なんて残っていない。リオと第二勢力のフローラの目を掻い潜るのがどれだけ大変だった事か。
男は心底疲れた様に息を吐き首を振る。エリカは苦しそうに身じろぎしながらも、憤慨するように目を鋭くさせながら声を上げた。
「くっ・・・! あなたっ、これだけの事をして無事で済むと思ってるのかしら」
「ん?」
「本国相手の王子と姫、その両方を貴方は今相手取ってるのよ。私を人質にしたからといって状況は何も良くならない。いえ、悪くなる一方ね。
何せそのぶん本国は本気を出して貴方を捕えようと、全力を出して来ますわよ」
「うーん。そりゃそうだな。特にエリカ様は皆に可愛がって貰ってたから俺を殺す勢いで捕まえに来るだろう。怖い話だねぇ」
「なら、私を離して素直に降伏した方が身の為ですわよ。どのみち捕まるというのなら痛い目を見ない方が良い。賢い人ならそう判断するわよ」
「賢い――――ハハッ、賢い奴がこんな無謀な反逆するかって話だけど・・・・なぁ!?」
「え?」
銃の底で肩を叩かれ鈍い音が出る。思わず「グッ!?」とくぐもった声を出してしまったエリカ。鈍痛が肩を襲い熱が上がる。
フローラとジェイミーがそれを見て目を剥きだしに詰め寄ろうとしたが、銃を再び突き直したので足を止めざるを得なくなる。
男はエリカの苦痛の色が出た顔を見て、笑った。機嫌良く首をグルッと回し笑みを我慢できないといった感じで唇を吊り上げる。
「あー気持ち良いな。あのお姫様にこんな事出来るなんて。一応この歳まで生きしてみるもんだよな、へへ」
「あ、貴方はっ・・・!」
「お前は殺す」
「・・・・っ」
「どのみちお姫様相手にこんな事したんだ。一生刑務所から出られないだろう。だったら一矢報いみたいな感じで、まぁ、お前だけは殺した方が
健全だろ? 王子様は周りに黒服の奴等とか護衛が居るから難しいしなぁ」
「だったら、何故すぐに殺さなかったのよ。そのチャンスはあったじゃない。兄様の言った通り何か要求があってこんな事を・・・」
「お前らみたいなクソッタレの王族に文句の一つでも言いたかった。それだけだ。だけどもう気が済んだから、殺すよ。じゃあな」
銃口をコメカミにゴリッと押し付けた。躊躇いは無い。殺されると言う恐怖で歯が噛みあわなくなってるエリカを見ても表情一つ変えなかった。
リオもこの状況を打破しようと頭の中を巡らせるが、余りにも時間が足りない。時間さえあれば狙撃という手も使える。その為の人材も居た。
しかし今この場にあるのはゴム弾を発射できる銃と警棒などの多少の打撃武器だけ。義之達とのゲームにそこまで準備はしてきていなかった。
男の言葉を聞くに引き伸ばしは出来ない。珍しく焦燥感に駆られながらも、リオは無理矢理落ち着けるように言葉を投げ掛けた。
「いいから待てっ。多少の無茶な要求でも通そう。私が保障する。だから――――」
「もう言い残すことも何も無いな。これで少しは今までの頑張りも報われるよ」
リオの言葉がまるで耳に入らない様に空中を見詰め満足そうな声色で銃の引き金に手を掛ける。
ジェイミーとフローラがイチかバチかと地面を蹴り上げ駆け出す。が、走って取り押さえるのに間に合わない事は端から見ても明白だった。
騒然とした空気が張り詰め戦慄とした緊張が場を走り抜ける。周りの兵士達は思わず顔を伏せ、このどうしようもない現状から目を背けてしまった。
「エ――――エリカっ!!」
「くっ、貴様ッ!」
「ハハッ、ざまぁみやがれってんだっ。この、糞馬鹿野郎共が―ッ!」
リオと義之の声に、意気揚々と声を張り上げて破顔しながら男は引き金を引こうとして―――――目を見開いた。
「グッ、ぁあーーー!?」
「え?」
自分の顔に血がピシャっと掛かる。何事かとエリカが視線を脇に逸らすと、男の手に深々と『ガラス片』が刺さっていた。
いきなりやってきた鋭い痛みに男は驚き、反射的に銃を取りこぼしてしまう。その隙を見逃さずフローラとジェイミーは男を取り押さえる事に成功した。
腕を捻られ嫌な音がギチギチとなる。苦悶の声を上げるがジェイミーは構わず力を込めながら耳に口を寄せた。
「大人しくしなさい。キッチリ本国でちゃんとした処罰が待ち受けていますから」
「くっ、糞が・・・ッ!」
「エリカお嬢様に対する侮蔑の数々、罪は重いですよ。なにせ立派な犯罪ですからね、これは」
「・・・・」
「ジェイミー。そんなお前が言うなみたいな眼で見ないで・・・・」
「この処理が落ち着いたらリオ様から話があると思う。覚悟はしておいた方が良い」
「・・・・うん」
フローラは軽く目を瞑り、どこへも逃げないというアピールをして男の腕を極めながら立ち上がった。
それでやっと兵士達も駆けつけ男を数人掛かりで拘束する。その様子リオはホッとしたように息を着き、とりあえず男の元に向かった。
エリカの元には既に義之等が駆けつけており心配していたと声を掛けている。義之は抱き着くようにエリカの肩を掴みながら良かったと連呼した。
「ああ、本当に無事でよかったエリカ。怪我とか無いか?」
「え、えぇ・・・。なんとか無事よ。みんなもありがとう」
「よ、よかったよぉ~ムラサキさんが無事で! 月島もうどうなるかと・・・・」
「誰の仕業か分からないけど、あの男の手にガラス片っぽい破片を投げた人間に感謝しないといけないわね」
「兵士さんの誰かかなぁ? それにしてもまぁーよくバレないようにあんな事出来るわね。感心するわ~」
「・・・・」
その声にエリカは少し考えるように辺りを見回す。男は校舎を背に自分を盾にしていた。兵士の一人でも途中動いて私を助ける素振りなんて見ていない。
そもそもガラス片なんて投げる様な兵士なんて居るだろうか。普通は銃か何かだ。ナイフ投げも得意な兵士も居るだろうが何時動いたのか分からない。
変な違和感を感じた。エリカは怪訝そうな顔つきで、ふと校舎側を振り返り――――ブッと、ここ最近日常茶飯事になっている吹き出しをしてしまった。
「ま、まさか・・・・、嘘でしょ。器用なんて言葉じゃ片づけられないわ。この距離で私が居た位置まで・・・っ」
「うむ? エリカ嬢どうしたのだ。そんあ有り得ないみたいな顔をして」
「もしかして今更ながら自分が助かった事に驚いてんのか? いやぁ、さすがに俺でもマジであの状況はやばいと――――」
「ちょっとごめんなさい皆さん!」
「あ、おい、エリカ」
義之の制止の声に両手を合わせてごめんと呟きエリカはその場所に向かって駆け出していく。
一同はポカンとしてエリカを見送った。リオが「ん?」と男を詰問しながらそれを端目に留めたが、男がまた暴れる素振りを見せたのでそっちに集中した。
とりあえず場が一段落したのでエリカを止める者は現れなかった。目指す場所は保健室。先程こっちを見てにやにやしていた男のもとへと行く。
『おー。良い感じに当たったなオイ。去年から更に練習してた甲斐があったわ』
彼―――保健室の窓からこちらを見ていたあの別な義之の口は、確かにそう言っていた。違くても似たニュアンスの言葉を言った事はなんとなく分かる。
確かに何かあったらフォローするとは言っていた。けれど、まさかあの状況であんな真似が出来るとは・・・物怖じしないどころのレベルではない。
「ああっ、全くもう! なんでいつもいつも!」
そんな頼りになるところを見せるのだろうか。自分には自分を愛してくれている義之という彼氏が居る。今回も体を張って守ってくれた。
それなのに、同じ存在で同じ名前なのに、こういう事をされては参ってしまう。もしかして桜内義之という名前の男は女たらしなのかもしれない。
きっとそうだ。今思えばそういう所は何故か二人とも共通している。なんて事だろう、そんな所ばかり似るなんて勘弁して貰いたい。
息を切らせながら保健室の扉を開け、彼の姿を認めた。「お」と呟き声を漏らして私の顔を見て、ガラス片をひらひらさせながら笑った。
「よっ。頑張ったなお前。見てて正に堂々とした感じで中々に良かったよ。最後に捕まった時も、まぁ、良い気合入れた顔だったよ。少しビビってたけど」
「はぁ・・・はぁ・・・」
「ちなみにこのガラス片は一番最初にお前んとこの兵士を叩き返した時に拾っておいたんだ。何かに役に立つとは思ったけど、まさかこんな事に使うなんて
なぁ。人生何が起こるか分からないもんだぜ。いや、マジで」
「――――義之」
「ん・・・・っと」
「ありがとう。貴方、嘘は時々言うけど・・・断言した事は本当に実行するのね」
両手を握り感謝の言葉。義之は最初その言葉を受け、なんて言うか少し考え逡巡した後・・・フッと息を吐き出して手を私の頭の上に掲げた。
「エリカが頑張ったからな。オレだけ嘘付き野郎になんのはフェアじゃないだろ?」
そういって頭を撫でてくれた。誰かに認められるという事はこんなにも嬉しい事なんだと初めて知った。
暖かい手だ。義之と視線が絡み合う。サッと義之は逸らすが、私はただただ見詰める。そしてもっと近くで見たくなった。その目を。
顔を近づけ見ようとして、また視線が重なった。今度は逸らさない。その綺麗な目の奥底を見るが如く更に見詰め―――――
「あら、お邪魔だったかしら」
『私』自身の声によって、それは阻られてしまった。