「なるほど。普通なら学校に立て籠もっている筈の私がここに居たので、これ幸いと確保しようとした・・・と。そういう訳ですの?」
「は、はい。仰る通りです・・・・」
「え、エリカちゃん。もう離して上げたら・・・・どうかな?」
「・・・・」
エリカにとって見覚えのある兵士姿の男の襟元を離し、押し付けていた校門前の壁から引き離した。
男は苦しそうに首元を掴み荒々しく息を吐いて捨てる。そんな様子にエリカはまるで気にしない様に髪を掻き上げた。
「全く。音姫先輩に感謝するのね、貴方。もしこの方が居なかったら貴方を本国から永久に追放する所だった――――分かってるの?」
「も、申し訳ありませんっ!! しかし・・・・」
「しかし、なんなのかしら。一国の姫である私の腕を捻る様に掴んだのよ。言い訳をするつもり? うん?」
その威圧的な態度に男は風に吹かれたみたいに体をブルッと震わせた。確かにどんな訳があろうと自分はそんな事をしたと再認識させられる。
けれどそれは仕方の無い事だった。自分の主からはエリカを確保する事と言いつけられている。トイレの帰り道に偶然校門前に居る人物を見て驚いた。
学校の先輩らしき人物と堂々と歩いている彼女を見て、慌てて確保しようとしたが・・・冷ややかな視線という言葉が生易しい眼で見られ固まってしまった。
氷を思わせる冷たさ―――逆に襟元を掴まれ、壁際の追いやられたのは先ほどの事。男にとって今までに見た事のないエリカお嬢様の姿だった。
「とにかく、貴方は湿布でも買ってきて頂戴。腕が痛くて仕方が無いわ」
「えっ、ど、どこかお怪我でも!?」
「軽く痛むぐらいよ。湿布を買ってきてくれたらエリカ・フォーカスライトの名に置いてこの事は不問とします。ほら、早くお行きなさい」
「りょ、了解しました!」
ダッと脱兎の如く駆けていく男。その背中を見届けた後、エリカは音姫の手を引いて裏口に踵を回した。
男の話を信じるなら正面から行くのはまずい。沢山の兵士と兄様達が居る。会ってあれこれ問題が起きるのは正直面倒だった。
校舎に耳を傾ければ何やら騒ぎの声が聞こえる。おそらくまだやり合っているのか。いくら娯楽が無いからと言って兄様も暇人だなとエリカは思う。
「フォーカスライト・・・。ムラサキじゃないんだね、エリカちゃん」
「そこら辺は色々複雑なんですのよ。一応本名はエリカ・フォーカスライトですが・・・まぁ、気にしないで頂けると幸いですわね」
「うーんなんだか大変なんだねお姫様も。弟くんは知ってるのかな、その事」
「・・・・それもまた入り組んだ話で複雑な所です。義之にはまだ話していません」
「え、そうなんだ? なんだか意外。エリカちゃんってそういうの真っ先に弟くんに話すものとばかり思ってたから」
「私もそうしたいんですけれどね――――いつになることやら、と言った感じで」
本名を言えば出自を明かす事になる。それにはまだ覚悟が必要だった。いつか言うと思っていて結局言わず仕舞いでここまで来てしまったのだから
少しバツが悪いというのもある。元々そこまで心臓が強い訳では無いので、口が中々に開かなかった。
さっきは咄嗟に本名を言ってしまったので音姫先輩に説明はしたが、これからまた誰かに敢えて言う必要は無いと思っている。何かの拍子に自分が
地球の人ではないとバレたら面倒というレベルではない。信じる人もそこまで居ないと思うが、念には念をだ。
音姫先輩はそんな私の空気に気付いたのか、「そっか」と言って前を向く。こういう所は本当に上手いと思う。時々天然だが基本的には他者の心情
を読み取る事に長けている。義之もまたそんな所があるので、さすがは姉妹という事だろうか。
そんな風に思いながら裏口に到着した。窓ガラスが割れていて争った形跡があり、音姫先輩が眉を潜める。
「うわぁー・・・ここまでしたんだ。いくらエリカちゃんを連れ戻すとはいえ、やり過ぎなんじゃないかな・・・・」
「兄様ならここまでしても不思議じゃないと思います。やると言ったら、トコトンやる性格なので」
「さっきの兵士さんの話だとエリカちゃんを無理矢理連れ戻そうとしてるんだっけ? 全く、とんでもない話よ。この世界の弟くんには是非頑張って
守って欲しいわ。愛する二人を引き離そうとするなんて許せる話じゃない」
「それには同感ですわ。兄様も兄様でやり方が強引過ぎますし・・・・何かあったのかしら」
あの人にしてはスマートなやり方じゃない。こんなやり方をすれば外からも中からも反感を買うのは分かり切っている事。
この世界の兄がもし馬鹿だとしてたらこんな事もするのだろうが、少し考えにくい発想だ。飄々とした人物像のイメージが強い所為もある。
もしくは何か裏があるか――――なんにしても、私には関係の無い話。この世界の私と義之には頑張って欲しいが深く感情移入はしなかった。
「私達の世界の弟くんとエリカちゃんならどうするのかなぁ、こんな時」
「・・・・そうですわね
少し考えるように目線を上に移す。それは想像したことが無かったので、唸る様に腕を組んだ。
音姫はそんなエリカの様子に興味津々な目を向ける。二人の恋路はある意味見ていて刺激的なので、どんな事をするのだろうと興味を惹かれた。
「多分遠くに逃げて、終わり・・・だと思いますわ」
「え――――そ、そうなんだ?」
「はい。基本的に義之の場合抗戦するという事自体面倒な事だと考えると思うので。初音島から出て身を隠すでしょう。相手は大人数ですし何も
正面から突っ込む必要もありません。義之は好戦的な性格だと思われがちですが、そういう時は必要以上に神経質になるので賭けには絶対に出
ませんわよ」
「・・・・なんだか意外だなー。二人の事だから正面から堂々と受けて立つ! みたいになると思ったんだけど」
「義之一人だったら面白がってやりそうですけれどね。一人は好き勝手出来ていて良いと義之は言っていた事がありますし。まぁ、その時になって
みないと分からないですわ結局。義之は時々本当に気分が変わる時があるので」
「あー・・・・ありそう。気が変わったとか何とか言って、バズーカでも持ってきそうだもんね。弟くん」
「蹂躙が好きなのは否定出来ません。義之ってそういう圧倒的な力を使って高笑いしそうだし・・・・なんだか考えれば考える程分からなくなるわ」
二人揃って考えるように唸りながら廊下を歩いていく。長く濃い付き合いをしてきた自負があるが、気分屋の義之の行動は予想出来ない。
そんな彼の事を話のつまみにしながら上との階との分岐点にきた。バリケードは破壊され破片が散らばり落ちている。苛烈な戦いの後が残っていた。
この後の掃除の事を考え音姫は眉を潜めるが、ここは自分の世界ではないのでそこまで気落ちはしなかった。それでも嫌な心象は拭えない。
「うわぁ・・・この世界の私かわいそうだなー。こういう場所があちこちにあるんでしょ? もうちょっと何とか出来なかったのかなぁ」
「多分責任は兄様達が取るから平気でしょう。私はこっち方面に行きますけど、音姫先輩はどうします?」
「私はとりあえず上に行こうかな? 見つけたらとりあえず玄関前に集合って事にしよう。まぁ、簡単に見つけられたらいいけど・・・・」
「こんな騒ぎの中、相手に見つけられない様に隠れてるというと多分杉並御用達の隠し通路でしょうか。私は少しその辺りを探ってみますね」
「えぇ!? え、エリカちゃんその隠し通路の存在知ってるのっ?」
「えぇ。義之が教えてくれました。暇つぶしにですけど」
「・・・・ちょっと、私にその通路がどこにあるのかを教えて――――」
「さて、行きましょうか。早く義之を連れ出して元の世界に帰りましょう。いい加減少し疲れて来たし」
「うー・・・・。やっぱり教えてくれないんだ」
話をはぐらかす様にエリカが一階の探索の為に足を先に向けたので、音姫も渋々二階に向かう。
一階はそこまで荒れた形跡がないが、やはり所々窓ガラスが割れていたりする。自分の兄ながら随分無茶したものだと思った。
そしてふと考える。自分の所にもこうやって兄が来た時の事を。無い可能性ではない。むしろそろそろ会いに来ても良い頃合いだった。
「その時はどうなるのかしら。義之を連れて婚約者と言えば今みたいな騒ぎになったりして」
義之に怒られそうだけど、それも一つの手かもしれない。
教室を次から次へと目を通し歩みを進めていく。ここから近い隠し通路と言うと保健室がある。まずはそこに向かおうとしよう。
一つ頷き購買部を曲がり目的地へ向かう。そうしてそこに向かった時、保健室の扉が半開きになっていた。誰かここを通ったのだろうか?
「義之がここを通ったのかしら? それとも誰か怪我でもして――――」
何の気無しに中を覗き・・・・久しぶりに、私は頭が真っ白になるくらいの驚きと怒りが頭を駆け抜けた事を実感した。
「エリカが頑張ったからな。オレだけ嘘付き野郎になんのはフェアじゃないだろ?」
最近私には見せない笑顔を、優しさを、温もりを、手を、『もう一人の私』に向けていた義之。
何故そういう事になっているのか。そんな事はどうでもよかった。言い様の無い感情が私の中を駆け回っていく。
ああ、何と言えばいいのだろうか。物凄い敗北感にも似た憤激。相手が他の別な誰かだったらここまでの暗い気持ちは抱かないだろう。
私は一歩前に進みドアを開け放った。今の自分はとてもヤバいと分かる。多分人生で一番頭に来ている。一周して冷静になれるぐらいに。
なにせ――――――
「あら、お邪魔だったかしら」
自分自身に負けているという、最も屈辱的で、『コケ』にされている場面を見せつけられたのだから・・・・。
咄嗟にエリカの腕を掴み、目の前の『エリカ』が蹴り上げたパイプ椅子から身を守る様にベッドに伏せる。
けたたましい音と保健室の窓ガラスが割れる音が響いた。椅子はその勢いのまま外に蹴り出され、地面を転がっていく。
その威力を見るに恐らくマジで蹴ったのだろう――――義之は混乱しそうな頭を切り替え、まず第一に何を問うべきかと思考する。
「・・・・・・・オレの知ってるエリカ、でいいのかな?」
「さぁ、どうでしょう? 私の知ってる義之はとても誠実で、女性に優しい性格をしてるのだけれど。まさか貴方かしらね?」
「――――あぁ、それならオレの事だな。女どころか男にも優しいし謙虚な気質を持ち合わせている。日本人らしい奥ゆかしい人間だよ、オレは」
「あら、そうなの。でもこの間はそんな日本人は外国人に良い様に利用されるだけの、いわば当て馬みたいな餌とおっしゃっていたような気がするけれどね」
「時にはそんな場面も必要になるだろうさ。餌のフリをしなきゃ人は寄ってこない。虎に態々近づくシマウマがいるか? 人の力ってのは結局集まってくる
人間の数だろう。仕事にしろ金にしろ、自分よりも力の無い奴に人間は擦り寄ってくるもんさ」
「なるほど。能ある鷹は爪を隠すという事ね、そう考えると、外国の人に対するイメージ操作は成功してるのかしら。日本と言う国は」
「本当に餌な人間の数の方が多いと思うけどな。使い分け、上手く使いこなしている奴なんてどれほどいる事か」
エリカを背中に隠しつつ、目の前のエリカと軽口を叩き合う。
間違いない、こいつはオレの知ってるエリカだ。これだけ生意気な娘っ子はオレの知ってるエリカを置いて他にない。
最も・・・・目合わせた瞬間その事は分かってたけどな。いつも飽きる程目を合わせてるんだ。分からない方がおかしい。
義之は油断無くエリカと対峙する。エリカもエリカで、一目見た瞬間からこの義之は自分の知っている義之だと理解していた。
毎日飽きる程見詰めている顔、体、目だ。分からない方がどうかしている程までにエリカは毎日彼の姿を追っていた。
そして義之は感じ取っている。間違いなく、目の前のエリカはブチ切れていると。空気だけじゃなく体の隅々まで冷たいオーラが発せられていた。
「何故お前がここに居るんだ。音姉やアイシアが来るなら分かる。だが、お前は魔法使いでも何でもないだろう。訳が知りたいな」
「簡単に説明すると、まぁ、巻き込まれたと一言で説明が付く話かしらね。色々大変だったのよ? あなたを追いかけるのは」
「そうか、そりゃ悪い事をしたな。じゃあ早速アイシア達と合流でもしようか。久しぶりに見る気がするな。胸が高鳴るよ」
「意外とさびしんぼうなのね。今まで結構な付き合いをしてたけど知らなかったわ。あなたって本当に次々に私の知らない一面を見せてくれるのね。感激するわ」
「オレも驚いてるよ。まさか会った瞬間にパイプ椅子で攻撃されるなんてな。普段は聞き分けの良い振りをしてるが、やっぱり激情家だな、お前は」
「・・・・誰の所為で、私がここまで怒ってると思って―――――」
「ちょ、ちょっと貴女! お待ちなさいなっ!」
「おい」
オレの後ろに隠れていたエリカが憤りを隠すこと無くオレの前に立つ。相対する両者。それを不思議そうな目で首を傾げ見やる目の前のエリカ。
その何とも言えない威圧感を醸し出す視線に多少ヒクつくが、腰に手を当て見据えるように前髪を掻き上げる。一歩も引かないといった感じだ。
恐らくいきなり現れ攻撃してきたもう一人の自分に一言物申すつもりだろうが・・・・相手が悪い。止める間もなく言い合いが始まった。
「なんなのよ貴方っ。いきなり出てきたと思ったらあんな真似を・・・・自分の好きな男性が居るのよ? 怪我でもさせる気っ、貴女は」
「――――怪我させるつもりで蹴りましたからね。別に謝るつもりもありませんわ。それほど頭にキましたし、やられても仕方ない事よ。義之も
そう思いますわよねぇ? 今までの事を顧みて、さっきみたいな光景を見せられたらどんな事を普通の人は思うか。足し算よりも簡単な問題だ
と思うけれど・・・・ふん」
「は、はぁ? 好いてる男性が別な女生と喋ってるだけで普通そんなに頭に来ないでしょう? というか私は貴女なんだから、そこまで怒る理由
が私には分からないわ。別にいいじゃないの」
「『私』自身だからこそ頭にも来るし、許容出来ない事がある。確かに私は義之の事を好いている・・・・けれど、『プライド』というものが無い
訳じゃ無いのよ。お分かり? だからチャラチャラと自分の男以外に馬鹿面見せている『私』にとやかく言われたくないわね」
「チャラチャラって・・・・そんなつもりじゃ、私は・・・」
「どきなさい。邪魔だわ」
「あっ」
まるで眼中が無いと言った風に手の甲で退けさせられる。取りつく暇も無い。そもそも話をしようという気がサラサラ無いのだから。
エリカのオレを見る目に感情という色合いが見えない。読めない。心を完全に閉じているという事。これは骨が折れそうだな・・・。
「さて、義之。合流して早速だけど、一つお願いがあるの。いいかしら?」
「内容によるな。素っ裸でエキサイティングなダンスを踊れって言われたら、勢い余ってお前を殴ってしまうかもしれない」
「義之からしたら簡単な事よ。そこに居る私に似た女の子・・・・思いっきり殴って貰えるかしら? 骨が砕けるぐらい」
事も無げに飄々と、普通では考えられない事をしれっと発言したエリカ。横で息を呑む音が聞こえた。
どういう事だと視線を投げ掛けるが、エリカは撤回する気が無いようで手持ち無沙汰に腕を組んで指をトントンと拍子を刻む。
自分自身でオレと横のエリカの関係を完膚無きまでに否定しろ―――要はそういう事だろうか。さっきの様子を見てかなりご立腹らしい。
耳をほじりながら適当な態度でオレは対峙する。関係も何も手を繋いだ関係でさえ無いんだが・・・そんな言い分じゃ納得しねぇか。
「つーか何すっとぼけた事言ってんだ。オレは確かに男女関係無く手が出る人間だが、理由も無く人は殴らねぇぞ。そこまで頭のネジは
外れてもいないし落ちてもいない。どんな人間に見えてるんだかオレは」
「理由ならあるわよ」
「言ってみろ」
「私の気が済む。それはもう青空の下を駆けるぐらい爽やかな気分になれるわ。義之も私の事が好きなら出来るわよね? 好きな女の子
が良い気分になれるだんから」
「調子に乗るのも大概にしとけよ。さっきから好き勝手言い過ぎだな、エリカお嬢様は。そんな理由でオレは暴力は振るわないし振るい
たくもねぇよ。余りにも道理が通ってねぇしお前の気分次第で動くなんて奴隷も良い所じゃねーか」
「そんなつもりじゃなかったのだけれどね。日本語って難しいわ。一応この場を収めたい気持ちで一杯なんだけど、私」
「英語にしようがロシア語にしようが言ってる事は変わらない。それにオレはこのエリカに世話になった。一言じゃ言えないぐらいにな。
恩人にそんな事は出来ない。さぁ、アイシア達と合流するぞ」
「へぇ・・・・。恩人ねぇ」
「――――――ッ!」
俺の言葉を無視して流す様に横目で見るその視線に、オレの横に居たエリカは身構えるように顎を引いた。
そんな彼女の様子を目をスッと細めて見る。体を彼女の方に向け見下す様に反対にエリカは顎を上げた。
姿形は当然の如く瓜二つな二人――――だが、まるで身に纏っている空気は別人。相反するような性格だった。
「お世話ってどこまでしたのかしら。一緒に寝たりでもしたのかしらね」
「なっ!?」
「そこまでにしとけ。エリカ」
「確か彼氏が居るんでしたっけ。相手はこの世界の義之。もう『それ』でいいじゃない。何も欲張って二人目とか欲しがらなくても十分
相手をしてくれる相手が居るんだから。不自由してないんでしょ?」
「い――――いい加減にしてっ!!」
我慢ならないという風に髪を逆立てながら襟元をグイッと繰り上げる彼女。
ここまで暴力的な行為に及ぶのは珍しい。普段は温厚で人に手を上げるなんて以ての外という淑やかな性格だ。
それ程までに今の言葉は許容出来ないに違いない。エリカは襟元を掴まれたまま動じず黙って視線を返した。
「さっきから何なのよアンタッ! 義之に無理難題言って困らすわ私を愚弄するような振る舞いや言動っ、今すぐ謝罪しなさい!」
「・・・はぁ? 私が謝る? 貴方達に?」
「そうよ。貴女が怒る気持ちは、少しは分かるわ。自分の好きな男性が自分と同一の存在と仲つつまじく話をしているのを見て面白く
無かったのよね? でも、たったそれだけでここまで無礼な行いをするのはどうかと思いますわ」
「・・・・・・」
「もし私の話を理解出来たのなら、誠意を込めた謝罪を要求――――」
話をしていた彼女の腕を無理矢理に強引に引っ張る。腕が抜けると思うぐらいに自分の方に持ってきた義之。
何を――――体勢を大きくよろけさせながらも、先程まで自分が居た場所を見て彼女は大きく目を見開いた。
エリカ・ムラサキ。自分と同様の姿形をした女の子が、ナイフをその場に振るっていた。残心そのままに振り抜いた後だった。
それも振るわれた場所はちょうど顔に位置する所。もし、その場に留まってたら一生消えない傷が残っていただろうと呆然としてしまう。
「え・・・え、ちょっと・・・」
「エリカ。光りモンを振るう時はよく考えてやれってオレは言ったよな? 何はしゃいでんだ、てめぇ」
「余りにも私を馬鹿にした発言だったので思わず出してしまったわ・・・・ねぇ、貴女」
「な、なによっ!」
「私の何が分かるって言うの? 大体私が何も知らないとでも思ったのかしら。そこの義之に惹かれている癖に自分の事は棚に上げて御説法
を垂れるなんて、本当に私と同一人物かと疑うわね」
「ば―――馬鹿言わないでくださいなっ。私は確かにこの義之の事は尊敬している部分はあるし、見習う部分はあると思ってはいるわよ?
けれど、それイコール男女の関係にはならない。だから貴女の思い込みよ、それはっ」
「あれだけ目を輝かせてぽわぽわとしていて、『本当に何も思い当たる節がありません勘違いも甚だしいです』とかよく言えたものだわ。
本当に貴女は私を苛つかせるのが上手い様だけれど、なに、見下して悦に入るのでも趣味なの貴女?」
やばい―――会話をしてる様で、その実全く噛み合ってない掛け合いだ。
目の前のエリカはもう頭の制御棒が外れている様に目が座っている。初めて見るエリカの『キレ』た姿だ。
さっきからブラブラとナイフを泳がせているのも危ない。すぐにまた手出し出来るように体の緊張を解している姿だ。
こういった手合いに話し合いは基本的に無理だ。過去の経験でも義之は似た様な人間を相手にした事があるので分かる。
喧嘩の最後の最後でナイフ等を持ち出す連中は基本的に話し合いが出来ないほど興奮している。今のエリカはそれ以上だ。
嫉妬と自尊心を傷つけられたという精神的作用で瞳孔が広がっている。危険な兆候。何をし出すか予想が付きにくい。
そして更に詰め寄る様に、足を一歩進ませるエリカ・・・・。逃げようとしても無駄だと言わんばかりに笑みさえ浮かべている。
余りの強烈な空気に硬直している横のエリカ。オレはこの場の状況と両者の精神状態を考え――――一つの案を実行した。
「――――よし」
「やっと覚悟が決まったの? 義之にしては遅い判断だけど、今ならさっき言った事を実行して――――」
「しばらく頭冷やしとけ。このアホ娘」
「・・・は?」
足元に落ちていたペットボトルを足の甲で蹴り上げ、手にキャッチ。キャップを親指で回しながら握り圧力を加えた。
そうすると自然に中身の水が勢いよく噴出され、思いっきり目の前のエリカに降り注ぐ。横に居る彼女はその光景を呆然と見ていた。
さすがにエリカも面食らったのか「きゃ!?」と悲鳴を上げて腕で顔を覆う。その隙にオレは窓から横のエリカの手を引っ張り逃走した。
「よ――――義之ぃーーーーッ!!」
「うお、マジおっかねぇし。お疲れの所すげー悪いんだけど・・・一緒に逃げて貰うぜ、エリカ」
せき止められていた怒りを噴出し夜叉の如く表情を変えるエリカに、義之は引き攣りつつも窓の外の芝生に着地し駆ける。
為されるがままに連れ立って保健室を後にするエリカだったが、ハッとした感じで掴まれた腕をブンブン回しながら焦り気味の声を出した。
「って、い、いきなり何してるのよ!? あんな真似して逃げてもしょうがないでしょーに!」
「今のアイツは絶対に人の話をまともに聞ける状況じゃない。この間なんか他の女と喋ってるだけで恨み辛みの籠ったメールが50件以上来た
んだぜ? 奴さん絶対お前をどうにかしようとするな、あの感じじゃ」
「うわー・・・・」
「どうだ? あれが違う世界のエリカ・ムラサキだ。最初はお前みたいに少し素直じゃない性格だったが、今じゃあんなに思った事を素直に
吐ける女性になっている。羨ましいだろう?」
「全く羨ましくなんてないわよっ。大体ね、私、あの子に顔を切られそうになったのよ! 絶対にマトモじゃないわ、マトモじゃ!」
「お前・・・・誰も言わない様にしていた事なのに言うなよ。こういう時オレはなんて言えばいいんだろうか。モテる男は辛いって所か?」
「よくあんな光景を目の前にして言えるわね。嫉妬どころか狂気染みた偏愛を感じるわよっ。もうアレは男性に対する親愛以上の何かを感じるわ・・・」
「ひっついて来るたびに猫っ可愛がりしたからなぁ。いや、あいつ物を教えると吸収早いから面白くてな。好きな気持ちもあるけど一緒に居る時は大体
何か教えてたりするよ。料理を一緒にしたり小説貸し借りしたり」
「大体アナタがはっきりしないからいけないと思うんだけれどね! 誰かと付き合ってればあの子もあそこまで暴走しないのよ、分かってるの!?」
「あーうっせぇなー。それが分かってるならテメェも変な空気出して近づいてくるんじゃねぇよ、こんの浮気性の男日照り。そんなガミガミやかまし
いから今まで彼氏も出来た事ねぇーって話じゃねぇか? 付き合ってくれたこの世界のオレに感謝しとけよ」
「・・・・・ッ!」
また隣で騒ぎ出す彼女を端目に、義之はチラッと背後を見やる。後を追ってくると思っていたがエリカの姿は無かった。
という事は――――そこまで考え、頭を痛ませるように片目を瞑る。追って来ないという事はそれなりの準備をしているという事。
まだ感情に突き動かされて追いかけられた方がマシだ。キレたらまず下準備するとか陰湿にも程がある。誰がそんな事を教えたのだろうか。
「・・・・とりあえず、だ」
頭が冷えるのを待つしかない。そう思ったオレは隣のエリカを引き連れて校舎を外回りに走り、裏山を目指す。
校庭にはリオの部下が居るし、オレにキレてるエリカがその部下を使わないという保証は無い。見境が無くなってると仮定すればそこは危険だ。
なんつーか――――また大変な事になったと首の後ろを掻く。今回の相手はエリカか・・・・無事で済むかな、オレ。
「全く、今度はどこ行ったんだかエリカは」
「ふむ・・・彼氏を置いてさっさと消えるとは、意外と薄情なのだな。我が妹は」
「アンタが言うなよ」
いきなり姿を消したエリカを探す様に義之は辺りをきょろきょろと見回す。横ではリオが暇そうにその様子を見やっていた。
事後処理も終わり、後は大団円といきたい所だが肝心のエリカが居なくては話にならない。義之がやや嫌な顔をするが平然と腰に手を当てている。
別に嫌いな人物ではないが、苦手意識が無い訳では無い義之。土壇場まで騙されてたのだから当たり前な話だった、
「うちの妹が本当に世話になるね、義之くん」
「あ、いえ・・・。エリカにはいつも良くして貰ってますからこのくらいは。それにしてもどこ行ったんだろうな・・・」
「――――義之くん。時に君はアクセサリーなんかに興味あるかな?」
「え、アクセサリー・・・ですか?」
「俗に言うシルバー系のだね。私はあまり詳しく無いのだが、この世界にも多数のブランドがあるのは知っている。興味はあるかい?」
「本当に唐突だな・・・・・えぇと、ですね。実は自分も余り詳しくはないですよ。持っていないし」
「・・・・ほう、持っていないか。なるほど。いや、失礼した。うん」
「なんなんだか・・・・」
得心した様に一人頷くリオに義之は頭を掻きつつ視線を彷徨わせる。
そんなに遠くへは行っていない筈。もしかしてお手洗いだろうか。ずっと立て籠もりっ放しだったし、可能性は否定出来ない。
「それにしても杉並くんも言ってくれればいいのにねぇ~、全部演技だったって。一生懸命頑張って損したわぁ」
「そうね。この代償は高くつくわよ、杉並。覚悟しなさい」
「はっはっは、なんとも怖い話だ。精々聞ける範囲の事は聞いておくとしよう」
場はかなりのリラックスムードに包まれている。夕陽も落ちかけているし、そろそろ帰る時間だ。
そう思い校舎の中に足を踏み入れようとした時、丁度よくエリカの姿を発見出来た。向こうからスタスタと歩いてくる。
「あ、やっと発見出来た・・・。おーい、エリカ―っ」
「・・・・・・」
「ん、どうしたんだ?」
しかし何やら様子がおかしい。呼び掛けても反応しないのはもとより、こっちを見ていない。
確かに視線はこちらを向いている・・・・が、目の中に自分達が入ってるのか疑問に思うぐらい座った目をしているエリカ。
義之とリオは怪訝な顔をしながらもこちらに悠然と歩いてくる彼女を見詰め、とりあえずホッと息を吐いた。
「おいおい、どこに行ってたんだよエリカ。心配したぞ?」
「ごめんなさい。少し立て込んだ事情がありまして。御憂慮ありがとう」
「それでその用事とやらは済んだのかいエリカ。そろそろ大団円的に締めくくりたいのだが。みんな家に帰らなければいけない時間だしね」
「それはもう少し待って貰う必要がありますね・・・・・そこの貴方」
「・・・は? 私ですか?」
「そう、貴方よ。随分いい物を持ってらっしゃるのね」
「え、えっと・・・・この銃、がですか?」
義之達を鎮圧しようと持ち出した銃を片手に歩いていた兵士の一人。エリカはその手から銃を取り上げジッとそれを見詰める。
いきなりの事で兵士も呆然とした面持ちで口を半分に開け、困った様にリオに視線を送った。これはどういう事なのかと。
「エリカ、返して上げなさい。それはお前が持つには少々危険なものだ。興味深いのは分からなくもないが・・・」
「ほら、兵士の人も困ってるぞ。とりあえずそれを返して皆の所に――――」
タンッと乾いた音が鳴り響き校舎の壁が鈍い音と共に弾け飛んだ。その音に周囲の人物達は驚き、歓談とした空気がシーンと静まり返る。
エリカはその銃を校舎に向けたままの体勢で何か確認するようにフッと息を吐き、銃口を下げた。義之とリオもいきなりの事に思わず固まる。
急にエリカが銃の安全装置を外したかと思ったら、校舎の壁目がけて弾を発射したのだ。躊躇の無い動作。本人はそれが当然の様に髪を指で弄っている。
やはり、今の彼女はどこか変だ―――――何か確信めいたものを感じた義之。やや喉に重い物を感じながらも、ごく自然を装いつつ口を開いた。
「危ないじゃないか。人に当たって怪我でもしたらどうするんだ?」
「その為に校舎側に撃ったのだけれど・・・それもそうね。今度は狙う人が居ない場所では撃たない様にするわ」
「一体どうしたんだねエリカ。何かあったのか? 義之くんも心配してるし、よかったら訳を教えてくれ。いきなり銃を撃つ程の訳をね」
「――――まぁ訳は色々あるでしょう。そうだ、今の私って思春期の時期じゃないですか? 思春期特有の感情の燻りや焦り・・・そういうもの
だと理解していただければ幸いですね」
「何を・・・。とりあえずソレを返しなさい、エリカ」
「エリカお嬢様。それは素人の人間が持つのに大変危険なものです。すぐ地面に静かに置きになって下さい」
「そういう訳にもいかないのよ、ジェイミー。相手は頭も良く機転が利く男。これぐらい持ってないと安心出来たものじゃないわ」
「・・・・・」
目を見た。冷静さを持ち合わせてる様に見えるが、奥底が見えない目だ。苛立つという言葉が生易しいぐらいに胸に重い物を抱えている彼女。
ジェイミーの制止の言葉なんて始めから聞こえていないみたいに銃を弄り、何か納得したように一つ頷きそこから立ち去ろうとした。
「あ、ちょっと待てってエリカ」
「そういえば貴方に言いたい事があったんです。言いそびれそうなので、今言いますわね」
「な、なんだよ・・・」
「見事彼女を守れておめでとうございます。頑張りが報われるというのは気持ち良いモノですものね。これからも頑張ってください」
「・・・・は?」
「でも、少し貴女の彼女は男性に免疫が無いのか彼氏に似て頼り甲斐があるのならすぐにフラフラしそうなので・・・苦労しそうですわね」
話の意図を掴めない義之を置いて、またもエリカはどこかに向かい踵を返していく。
言うだけ言ってやりたい事をやる――――まるで台風みたいな有様を為していた彼女を黙って義之達は見送るほか無かった。
探していた本人がまた消え場が静まり返りなんともえいない空気になる。そんな中、リオはふと頭の中に浮かんだ言葉を吐いて空を見上げた。
「反抗期――――か。今回少しやり過ぎたかもしれない。後で一緒に謝りに行こうか、義之くん」
「・・・・・勘弁してください」
彼女を守る為に戦ったのに何故か自分まで謝る事になっている。物凄く遺憾の意を感じる義之だった。
ぜぇぜぇと隣で荒く息を吐く隣人の様子を端目で見ながら、遠くを見るように遥か後方の校舎に顔を向ける。
とりあえず裏山まで来たが、あいつは追ってくるだろう。時間を置いて頭を冷やさせたかったがそうは上手くいかないか。
見つからなきゃ儲けものだと考えていたし仕方ない。途中時間を稼ぐ為に細工はして置いた。一晩経てばさすがに落ち着く筈だ。
「はぁ・・・はぁ・・・。な、なんで逃げるのよ。貴方なら上手く説得出来るんじゃないの? 口が上手いんだし」
「褒め言葉に聞こえねぇな。つーかあの状態の人間に説得なんて出来る訳ねぇって。頭に少しでも冷静な部分が残ってればそれも可能だけどよ」
「・・・確かに物凄く怒ってたけど、落ち着いて会話事体は出来てたし、ちゃんと話し合えば誤解だって・・・」
「顔面目がけてナイフ振られたの忘れたのかよ。ああまで躊躇無く振れる人間が落ち着いてるとかどんだけだ」
「・・・・・・・」
「おまけに会話も成立してるようで一方通行だったし、目がぶっ飛んでた。キレてる以上にネジが外れてたって証拠だ。今のアイツを止められる
のは時間しかない。時間は何一つ解決してくれないというが解決までの過程は積んでくれる。頭の中に余白が出来始めたら話しかけてみるよ」
さっきの事を思い出し青ざめるエリカを木の横に座らせ、一つ息を吐いた。今は感情的になっているがいずれ収まる所に収まる。
体力的にずっと怒りというのは保てない、いずれ底が尽くってのが相場だ。首をグルリと回し懐から煙草を一本取り出し火を着ける。
それに解決方法が無いって訳では無い。一つ――――唯一の方法が残っているが、これは最終手段だ。使うかどうかはまだ考え中。
ふと紫煙を吐きながらエリカを見やると、彼女はポケットから手鏡で髪型をチェックしていた。女は基本的に命よりもこういうお色直しの方が
大事だから不思議な生き物だと思う。オレも結構気にするタイプだけど、この状況とこいつの精神状態でよくやるもんだと感心した。
「別に乱れてないよ。可愛い可愛い」
「――――っ!ふ、ふん!、そんな適当に言われても気分が悪くなるだけですわ。彼女ならそれさえも快く受け止めてくれるでしょうけど」
「どうだかな。あいつはオレに従順な振りをしてとんでもなく我が強い女だ。見た目はお前とそっくりだが内面は別な代物で出来ている。気を付け
ないと何時呑まれるか分かったもんじゃねぇ。最近は色々要領が良くなってきたし・・・・おっかない話だよ、マジで」
「・・・・・ふーん」
「そんな面白くないみたいな顔をされても、な。そんなんだからあいつに押されっ放しになるんだよ。一言も反撃出来なかったじゃねぇか」
「む、無理言わないでよっ。あの人本当に私と同一人物か疑う程に全然性格違うし怖いし、もう最悪だわ! どういう風に育ったらああなるのかしらね」
「前も言ったけど最初会った頃はお前みたいな性格のまんまだったよ。素直で感情の起伏が激しい女だった。気付いたらあんな性格になってて驚いた」
「・・・・ジー」
「気のせいかな。物凄く疑いの視線を投げ掛けられてる気がする」
「疑いも何も事実でしょう。きっと貴方が箸の先を悩ませるように、ハッキリしない態度を取ってるからそうなったんだと私は思うし、あの私の気持ちも
なんだか分かる気がするわ」
「そうなのか?」
「だって好きな人が寄ったり離れたりするんですもの。気持ちの行き場が詰まれば多少性格も変わるでしょうよ。変わり過ぎだけど」
「返す言葉もない。その通りだ」
「まぁ、色々事情はお有りなんでしょうけどね。分かった気になって全部見通せるとは言いませんわ別に」
また手鏡を覗くエリカを端目に、多少自覚があったオレは頭を掻いて木々の間から見える空を見た。もう陽が殆ど落ちかけて星が見える。
エリカ・ムラサキ――――彼女をいつもオレは振り回していた。気のある行動をしながらも振り回し、そして放置する最低な男だった。
今こういう状況になった本元を辿ればそういう事・・・・むしろ良く我慢してくれていると思う。だからといってあのエリカの行動は褒められないが。
なんにせよ、朝まで待って落ち着くのを待つか。そう思いながら何気なしに手鏡を覗いた。
「――――エリカ」
「ん、なぁに?」
間に合うか―――駄目だ――――銃声を聞く前になんとか、せめて彼女だけでも守ろうと覆い被さる。
瞬間、聞こえてくる暴力の音。骨と肉を持ってかれたような衝撃を覚えた。いや、確実に骨は折れている、乾いた音を肩の内側から聞いた。
腕の中の彼女が困惑したような悲鳴染みた声を上げるが、無理矢理立たせるように躓きながらもそこを離脱する。
「走れ!」
「な、なに――――って、貴方肩が――――」
「走れって言ってるんだこの野郎ッ!!」
喉が震える程に怒声浴びせ、ビクついた彼女を急かせる。もつれるようにして俺達は走り出した。
手鏡を覗いた時に反射したリングの光。本当にオレは悪運が強い。それに気付きオレの肩の骨にヒビが入ったぐらいで済んだ。
夜の森を転がり、泥まみれにないながらも月明かりの下草木を掻き分け進む。光は月しか頼りが無いので方向感覚が上手く掴めない。
段々焦りを帯びていく義之達。その後ろをエリカは注意を漏らさずに尾の後ろを付いて足を急かす。
「・・・・普通気付かないでしょ。やっぱり義之は簡単に卸せないわね」
普通に驚くエリカ。義之が仕掛けた草で編んだくくり罠や木の枝を使った障害を抜けここまで来た。
義之のやりそうな事はおよそ見当が付いていたので難なく突破できたが、あの場面で自分の存在に気付くかと思う。
気は抜いていないつもりだったが――――二人が逃げていく音を聞きながらも、少し憂いを帯びた表情を見せた。
(義之に当てるつもりはなかった・・・・本当に癪に触る女だ。私と同一の存在なんだから可愛げを見せなさいよ)
無防備な横顔に当てるつもりで引き金を引いた。なのに義之は庇うように掻き抱き自らが怪我をする羽目になった。
本当に何から何まで義之に迷惑を掛ける女だ。私も多少義之に迷惑を掛ける事はあるが、あそこまでじゃない。まだ可愛い方だ。
「次こそ会ったら・・・・」
銃のグリップ部分を握り直し前髪を上げる。その為にもまずは義之をなんとかしないといけない。
彼女とどう切り離そうかと考え――――そこに義之が居た。
「よう」
「・・・・・」
サッと周りを確認する。自分を中心にして円を書くように首を回し、正面へ。
義之は肩の苦痛に顔を歪めながらも、口元をヘラヘラといった感じで笑みを浮かべている。
銃の口を義之に向けながらエリカは問い質す様に口を開き、義之と正面から対峙する形を取った。
「もう逃げないの? 義之の事だから何か罠みたいなのが張ってあると思うけど・・・どういうつもり?」
「罠なんてねぇよ。そんなもん作る暇なんて無かったし。それよりお前、よくオレの罠とか見つけられたな。すげぇ」
「別に。ただ義之のやりそうな事を少し考えて注意してただけ。おかげで二時間も牛みたいにゆっくり山歩きして疲れたましたわ」
「ふーん・・・意外と根性あるな。それに観察する力もあるし、集中力も切れて無い様だ。大したもんだよ」
「それよりあの子はどこ。あの私の姿をした子憎たらしい馬鹿女は。もう一人自分が居るだけでも気持ち悪いというのに・・・全く」
「さぁ、どこ行ったんだか。知らねぇ」
「――――そう」
銃口を地面に向け発砲する。反動で腕がブレて衝撃を覚えるが淀み無い動作でエリカは義之の足元を打った。
土が飛び散り義之のローファーとズボンを汚す。それに軽く眉を寄せ、足に付いた土を取る様にパッパッと足を動かした。
「いきなり何すんだ。超一流の皮靴が汚れちまったじゃねぇか。セカンドラインだけど」
「・・・ふふっ、本当に義之って凄いのね。普通なら驚いて尻もち着くところなのに驚きもしないなんて。負けず嫌いも良い所だわ」
「うるせぇ。つーかそんな暴力的になんなよ。落ち着いて会話しようぜ会話。そんでもってアイツの事も許してやれって」
「――――なんで? 言ってる事がよく分からないわ。なんであの子を許さなくちゃいけないの? 義之をたぶらかそうとしてたのに?」
「ん・・・いや、多分オレが思うによ―――――」
「話はお仕舞い。さっさとあの女がどこに居るか早く喋って頂戴」
今度は眉間に向けて銃口を向ける。素人だと普通は当たらないというポイントだが、たじろがせれば儲けものだと考えているエリカ。
そんな魂胆など義之に見え見えだろうが、自分が本気だと分からせるには良い方法だ。もし相手が『あのエリカ』だったら躊躇はしないが相手は
自分の愛おしい人―――本来ならその肩の怪我だって土下座して謝りたい程に痛々しい。
そして見た所義之は本当に何も準備はしていないらしく素手のままだ。隠れている彼女を使った陽動も考えたが、左右後ろに人の気配がまるでない。
考える・・・義之がしそうな事を。ずっとこの人の傍に居たからこそ分かるしたたかさ。絶対にこの人はタダでやられるような男ではない。
口を引き締め顎を引く。私には分かる。だって、この人は私が好きなった人なんだから。
「おー観察してるなぁ、エリカ。すげー考えてますって感じだ。いいねいいね。頭の回る女は好きだぜ? 出来る女って感じだ」
「・・・そう思うなら、さっさと私と付き合ってもいいのにね。この女たらし」
「悪いな。お前はずっとオレと二人っきりになりたかったのに、中々そういう時間取れなかったもんな。いや、結構気にしてるんだ。これでも」
「だったら―――――」
「だから」
ヘラッとした口元を引き締める義之。雰囲気は先ほどまでの砕けた空気じゃ無くなってる。
直感的に悟る。やばい、何かするつもりだ。今まで動かなかった四肢がふらっと動いた。
慌てて周りを見回してもその予兆が無い。なんだ、なにをするつもりなのだろうか。
「二人っきりになろうぜ。オレと、お前で」
足をダンッと踏み抜く義之。するといきなり足元がグラグラと揺れ始め体勢が保てなくなった。
突然の不意打ちの出来事に面食らう。地面を踏んだだけでそんな馬鹿な事が起きるなんて夢にも思わなく、手を頼り気無さにふらつかせてしまった。
「な、なにっ!? 何なの一体っ」
「オレが闇雲に逃げただけかと思ったか。いや、思わなかったんだろうが考え付かなかっただけか」
「くっ」
「少し楽しめって。なんだか遊園地みたいで楽しくないか? オレって数える程しか行ってないから結構楽しいけどな。お前もオレと
遊園地に行きたがってたから丁度良い・・・っと」
「わわっ!?」
一段と揺れが激しくなり、まるで地面が『陥没』していくみたいに沈んでいく。
意味が分からない。こんな大掛かりな装置を義之が出来るわけがない。そんな時間なんて無かったし、片方の肩だって負傷してるんだ。
頭が混乱する中―――頭の上から私の声が降ってきた。
「ちょ、これ本当に大丈夫なんでしょうね!?」
「なっ―――――」
「あ、出てくんなつったろテメェ! 撃たれんぞ」
「いや、でも・・・」
「大丈夫だから大人しく木の上に隠れておけっ。後で迎えにいくから」
「わ、分かったわ」
ひょっこり出した頭が引っ込み、狙いをつけようとした銃口も狙いが無くなりふらふらと揺れる。
視線が揺れで定まらない中なんとか義之の顔を見る。ちょうど目が合い、義之は人差し指を上下に動かしながら子供に言い聞かせるような
優しい口調で口を開き、よろけながらも周りに現れた『柵』に寄り掛かった。
「まぁ、なんだ。これからはちゃんと上下も足元も観察しないとな。んな銃なんて持ってるから変に安心感持って油断したんだよ。お姫様」
その言葉と共に、眩い光が私たちを囲んだ。
「イベール、ごめんコーヒーちょうだい」
「はい、ただいま」
片づけていた資料整理を一時中断。イベールが淹れたブラックのコーヒーを一気に煽る。ここの所作業が立て込んでて眠気が襲ってきていた。
今までのほほんとやってきたが、美夏が起動した事により周りは大慌て。報告書から始まりの色々な手続きや実験やらでてんてこ舞いだった。
これ以上の何か厄介事でも起これば、もしかしたら死ぬかもしれない――――水越舞佳は眉間を揉みながら机の上に再び目を向ける。
「さて、作業開始しましょうかね。全く私は技術者だっていうのにこんな事務処理ばっか・・・・」
「お疲れ様です。作業日程を見るに後数日の我慢です。頑張りましょう」
「はいはい。あーあ、学生時代が懐かし―――――」
昔に思いを馳せていると、普段は聞きもしないアラーム音が鳴った。
驚きのあまり書類にコーヒーを零し、危うく気絶しそうになった舞佳。なんとか気を取り直してその音の発信音の元を探る。
「な、なんなのよもう! 折角休日出勤して丸一日潰したのにパーじゃないの、パー!」
「データはハード内部にあるので大丈夫だと思われますが」
「私、バックアップ取ってないわよ。情報漏洩の規制があるから」
「私が念の為取っておきました。ここに」
自身の頭をトントンと指で刻むイベール。そんな彼女にホッと胸の中の焦りが若干取れた。
やはり私のμだけある――――しかし、完璧にこの焦りを消すにはこのアラーム音の出所を調べる必要があった。
緊急用のアラームでは無く何かの装置が作動して鳴っている音。しかしそれはおかしい。今日は作業なんて無かった筈だ。
「一体なんの・・・・」
中央室に向かいモニターを確認する。どうやら物販搬入倉の所のリフトが動いてるらしい。
だがそれなら増々妙な話だ。あそこは電源は通っているものの、今は使われていない。そもそもその存在を知っている者なんて僅かだ。
研究所の人間かその関係者か・・・・もしくは電源の故障という線もある。舞佳は頭をしきりに捻りながらその現場へ向かった。
イベールを従え長らく開けられていない扉の鍵を開ける。装置が起動しライトアップされている室内の中心、そこには意外な人物が居た。
「さ、桜内くん・・・?」
「うっす。色々お騒がせてしまってすいません。ちょっと緊急でここを使わせて貰いました」
「・・・・どうやってここの存在を・・・。研究所にロクに出入りもしていない貴方が何でこの場所を知ってるのよ。それも起動しちゃってるし」
「まぁ、色々と事情とか込み合ってるんで説明は難しいんですが。一言で言えばイベールから教わったんですよここの場所。な、イベール?」
「わ、私ですか?」
滅多に感情を出さないイベールもさすがにその言葉に驚いてしまう。そもそも目の前の男性とは面識さえ無いのだから。
それもその筈。義之は元の世界のイベールからこの場所の事を偶々聞いており、逃げる際中にその事を思い出し天枷研究所の裏手まで来た。
動くかどうかは賭けだったが、コントローラの電源は生きていた。それを足元に隠し準備は完了。後はエリカを誘って一緒に降りて来た訳だ。
「とりあえず、その辺の事は後で説明するんだけど・・・・」
今まで膝を着いていたエリカが、ふらっと立ち上がり睨みつけるように前髪の間から鋭い眼光を飛ばしてくる。
手元に先程の銃は無い。どうやらリフトが動いた振動で落としてしまったらしい。水越先生の後ろまで飛んでしまっている。
エリカもその事には気付いてはいる様で視線が二回そっちに向いている。さて―――どうするのか。義之は首を傾げて鼻の頭を掻く。
「んで、どうすんだ。まだやるのか」
「・・・・」
「いい加減に怒りを収めろって。お前はあのエリカがオレに色のある感情を含んでるって考えているみたいだけどさ、オレ的には――――」
金色の前髪が宙に浮く。ダッと駆け出すエリカ。迷いが無い目だ。
身構えるように体勢を低くしようとするが、肩に激痛が走りかえってよろけさせてしまう。
呆気なく懐に入られ抱き着かれるように押し倒される。激痛を通り越して一瞬意識が飛ぶが、襟元を掴まれ無理矢理起こされた。
「やっと捕まえたわ。義之」
「ぐっ・・・てめぇ、この野郎。もっと女らしい行動しろよ」
「十分女らしいと思うけれどね。好きな男の子に向かってアピールする女の子って、可愛いでしょ」
「健気で可愛いと思うがそんな女は銃ブっ放したりタックルなんてしねぇよ。いいからどけ」
怪我をしてる方の手を上から抑えられ身動きが出来ない。芋虫みたいに情けなく身体をもぞもぞするだけだ。
そんなオレをエリカは打って変わって優しい眼で見つめる。その変わり様に少し背筋が寒くなった。
「義之、貴方はいつも面白い事をしてくれるから好きよ。例えばこの世界の私と良く無い事をしてたりとか」
「だからそんなんじゃねぇって。人の話を聞けよ」
「嫌よ。どうせのらりくらりと口で誤魔化すんでしょ? いつものパターンじゃない」
「・・・はぁ。お前には本当に参るよ。どうしたら納得してどいてくれるんだ? 肩がマジで痛ぇんだよこの野郎」
「――――納得?」
優しい目付きが段々と奥に潜って行き、暗い色合いを含んだものになっていく。
やば――――そう思った瞬間、エリカは歯を見せてせきを切った様に今までの思いの丈を吐き出した。
「何を納得しろっていうのよっ!! 義之が他の女性と仲睦まじくしてるのを我慢しろっていうの? ハッ、もう冗談じゃないわ本当」
「エリカ」
「確かに今まで我慢してきたわっ。ええ、それはもうノイローゼになる手前ぐらいまで。それはそうよね。自分の好きな男性が他の女
と楽しそうに色を振りまいてるんですもの。何回怒鳴りそうになった事か・・・」
「・・・・・悪い」
「義之がいつも言ってるけど、悪いって言うって事は自覚はあるのよね。自分の事を悪い奴だの何だと日頃から言ってるけど、なるほど。
本当にその通りだわ。ねぇ、私の気持ちは知ってるのよね? 一体どうするつもりなのかしら」
「エリ―――――」
「私はねっ!!」
余程長い間溜まっていたのだろう。今までに無い位周囲を気にせず激情を振りまく。
オレもそんなエリカに掛ける言葉が見つからない。ずっと放って置いたツケがここで爆発した。
「義之の為なら何だってするっ。会ってすぐぐらいに言ったわよね。そこら辺の女性みたいな軽い言葉じゃないのよ、私の言葉は!」
「義之の声も、身体も、指も、髪も、寝顔も、心も全部愛してるの。他の人じゃなく私を見て、そして愛して欲しい。我儘かしらね?」
「でもねっ、我儘を言わないと義之は手に入れられない。周りには物凄く魅力的な女性ばかりなんですもの。間違った行動をしてまでも動かないと
私はいけないのよ・・・! 勿論覚悟は決めてるわ。どんな侮蔑を吐かれようが、決して私は曲がったりしない」
義之はエリカの目を見て黙って口をつむぐ。今までも確かに不満の言葉は聞いてきたが、ここまで爆発したのは初めてだった。
いつもは多少のセーブが効いていた。周囲の環境のおかげもあっただろう。幸い周りにはいわゆる『良い人達』しか居ないので心が溢れる事も無かった。
しかし今は別な世界で尚且つ目の前には義之が一人。この世界のエリカの一件も心を加速させる発端となっていた。今の彼女を止める術は無いように思える。
「私が、ここまで行動して思ってる事全部言っても義之は何一つ返してくれない。ウザい、やかましい女だ。それぐらいにしか思ってないんでしょ」
「多少は」
「・・・あは、ホラっ、そうよね、結局はそういう事よ。ここまで貴方に恋焦がれて、貴方の背中を目指しても何一つ報いがない。こんなのってないわ・・・」
「報われる為にやってるんだったら止めた方がいいな。そういうのは不平不満しか生まれてこない。そしてオレは人に何を与えるのが下手糞な人間だ。悪い」
「私が欲しいのは貴方の『特別』。ただそれだけ。今まで世界を碌に知らなかった私を手を引っ張ってくれた義之だけれど、私はただそれさえ手に入れれば
良かった。今までの経験を否定する訳じゃないけれど・・・ね」
「欲張りだ」
「そう、私は欲張りなの。お姫様だからかしらね」
「・・・・」
黙って目を瞑る義之。それを見て、ああもう駄目だ、踏み込む過ぎたとエリカは内心思った。
今までギリギリのラインの綱渡りをしてきたが、ここまで言ってこの反応では失敗だ。そもそもこんな風に迷惑を掛ける女は義之は嫌いな筈。
やってしまった―――――数年間我慢した恋心、その決着を着けたのは自分自身の暴走。笑い話にもならない。笑えるほどこの事実は軽く無かった。
もう・・・潮時なのかもしれない。もう義之に迷惑を掛けるのは嫌だし、何より自分の心がもう持たない。エリカは微かに自嘲しながら義之から離れた。
「・・・・もう、駄目ね。ごめんなさい。もう義之に付きまとわないわ。今まで本当にありがとう、義之」
「よし。じゃあ付き合うかオレ達。すごい待たせて悪かったな。エリカ」
「貴方と過ごした日々はとても糧になるものばかり。それは宝物と呼べるものばかりだわ。これからは・・・・・・・・・・・・ん?」
今――――気のせいか、信じられないような言葉が耳を通り抜けた気がした。
「・・・・あらやだ、耳が遠くなったのかしら。いくら義之と離れるのがショックとはいえ、なんとも恥ずかしい話・・・」
「とりあえずアイシア達に合流して報告。あと帰ったらまずは茜に伝えて置かないとな。あいつにはオレ達かなり世話になったし、それが道理だろう」
「――――冗談、でしょ?」
「お前相手に冗談言える訳ないだろ。おっかねー」
エリカはふらっと義之から離れ、信じられないような目で彼を見詰めた。そんな視線を受けた義之は肩を抑え、いつものかったるい顔をしている。
義之がちらっと横を向くと目の前の展開に付いて行けてない水越舞佳とイベール。呆然としたまま事の成り行きを見ていた。何が起きてるか把握出来ていない。
それを受け義之はリフトの柵に寄り掛かり、ため息をつく。あんまりこういうみっともない所は第三者には見られたくない。スマートにちゃっちゃと終わらせよう。
「理由が知りたいか? まず第一にオレはお前の事は前から好きだと思っている。だからこそ今まで悩んで来た訳だが・・・・ま、それもさっきケリが着いたな」
「い、意味が分からないっ。どうして、急に・・・」
「第二にオレはここまで同世代の女にヤラれた事が無い。普通なら物凄く屈辱的な事なんだろうけど、ある意味爽快感さえ感じるよ。よくまぁあの世間知らずの
お姫様がここまで成長出来たもんだ。しっかり教え過ぎたぜこの野郎」
「なにそれ・・・。つまりここまで自分に土を塗った女が私が初めてで、それが私を選ぶ基準になったって・・・事、なのかしら?」
「おう。そんな女は今まで居なかったしこれからもそんな女が現れるかなぁーって考えたらよ、無いなって思ったんだ。そんな貴重な女を逃したら後悔するし、オレ」
「ま――――また、冗談みたいな事を。見逃すと言ったら義之の周りなんて見逃しちゃいけない女性ばかりじゃない。例えば、ホラ、さっき出てきた花咲先輩とか」
「茜か。まぁ、あいつみたいに料理も何でも小器用にこなすグラマーな女も中々居ないが・・・・オレはエリカの方が良いと判断した。天秤に掛けてそう思った」
「・・・・・」
「よろしければオレとお付き合いさせて貰いたい所存で御座います。如何ほどに?」
仰々しく頭を垂れる義之。それを変わらず目を見開き驚愕の表情を浮かべたまま、エリカは義之の傍まで行き頬に手を伸ばす。
若干くすぐったそうにしつつも義之はエリカの好きな様にさせた。今まで我慢という我慢を重ねさせてきた。別に構いはしなかった。
「・・・・・夢じゃ、ないのね」
「夢にする程オレは大した男じゃねぇが、現実の事だよエリカ。今までごめんな。そして、これからよろしく」
義之が一応考えていた最終策というのはこの事だった。エリカに男女の付き合いを進言する。馬鹿らしいと思うかもしれないが、これが一番確実に怒りを収める方法だ。
だがそれを使う予定は無く、別な方法を思案していた義之。もし追ってくるエリカを軽くあしらえたなら――――この展開にはならなかっただろう。
自分の予想を超え、軽く山で自分に追いついてきた彼女。今までそんな女は母と言えるさくらさんしかいなかった。まさか年下の女の子に一本取られるとは、と義之は思う。
屈辱感はそこには無く、返って一種の尊敬とも言える感情を前以上に彼女に抱いた。
エリカの暴走ともいえる行動が義之の琴線に触れた今回の顛末。それが義之の心を決心させる事に相成る。ここまで出来る女は早々居ない。
それ以前にずっと慕ってきた今までの積み重ねもあるし、なんだかんだで義之はエリカに惹かれていた。そして今このタイミングで義之はエリカに告白した。
多分、今一番オレの事を理解してる女かもしれない。義之はそう思いつつ、ポンとエリカの頭の上に手を乗せた。
「で、返事は? 一応聞いておきたい。なんかさっき別れの挨拶っぽいのしてたし」
「・・・・・そんなの」
返答は決まってる。頭に置かれた手に自分の手を重ね、エリカは背伸びをする様にして義之と唇を一瞬重ねた。
今までしてきたようなキスと比べると味気無いものだが、今はこれで十分だった。エリカは義之と会って以来初めての笑みを見せる。
「やっと・・・、か。ようやく義之と一緒になれるのね。なんだか不思議な気分」
「まだ信じられない程待たせたからな。多分ゆっくり実感するんじゃないか」
「どの口がと言いたい所だけど・・・うん、そうかもね。まだ自分自身そんなに納得というかそこら辺が・・・・」
「あー・・・ちょっといいかしら。お取込み中悪いんだけどさぁ」
「あ」
煙草に火を着けて一服していた水越先生が気だるげにこちらに歩み寄ってくる。
義之達も忘れていた訳では無かったが、話に集中し過ぎていて視界に入ってこなかった。でなければ男女の問答なんて出来ない。
エリカはバツが悪そうに腕を後ろに組み視線を下げる。元々そんなに面識が無く相手は大人なのでどんな風に事の次第を説明すればいいか分からない。
義之はそんなエリカの様子を横目に、黙って彼女の手を引いた。
「よし、エリカ」
「え?」
「・・・もしかして桜内くん。まさか―――――」
「すいません後は任せました! 事後処理よろしくお願いします」
舞佳とイベールの両者の脇を通り抜け入り口へ。余りの行動の速さに一瞬反応が遅れ、伸ばしかけた手が空を切る。
エリカも瞬時に義之の行動を予測出来たのか、もつれる事無く足並みを揃えドアを潜り研究所の出入り口へ。時刻的には夜。義之達を見つけるのは至難だ。
「あーあ、オレもやっちまったよなぁ。止めて置いた筈のリフトを勝手に動かすなんて捕まったら拷問されちまうよ、マジで」
「ハァ・・・ハァ・・・そ、そうなの?」
「一応国の経営する施設だしな。点検するのだっていちいち許可が必要だし立ち合いも必要になる。水越先生には割を食ってもらう形になるな」
「・・・・不憫ですわね」
「けど水越先生を謹慎とかにしたら研究所は回らねぇし、まぁ、注意で済むだろう。給料も少なくなるかな」
「帰ったら水越先生と顔を合わせ辛いわね。あそこの保健室中々居心地良いから好きなんですけど」
「オレも良くあそこで寝てるよ。時々美夏がそれ見て小言漏らしてるけどな。あいつも気を休めるって行為を知らないから偶には寝ればいいのに」
「―――――ふーん。天枷さん、ですか」
・・・・ああ、やっちまった。さっきの今だというのに違う女性、しかも美夏の名前を出してしまった。
エリカの機嫌が急降下するのが分かる。普段周りに女ばかり居るからマジで気を付けないといけないな・・・・。
「義之は私の恋人になったのよね? だったら少しはそれなりに気を――――」
「悪かったよ。エリカ」
「あ、ちょ、ちょっと」
典型的な誤魔化し。だけど効果的な方法だ。アイシアがしたようにエリカを包み込む様にハグをする。
離れると満更でも無いエリカの表情。本人にも誤魔化しに掛かってるとバレバレな手だが、諦めるようにエリカは息を吐きまた歩き出す。
「もう・・・しょうがないわね。義之のそういう所って本当卑怯だわ。そういうのは私だけにしなさいな、まったく」
「はいはい。じゃあ、まずはこの世界のエリカに合流して謝るとするか。面倒な事に巻き込んだってな」
「あの子・・・・ねぇ。あの子も義之に惹かれてるんでしょ? 自分の事ながら本当に微妙な気持ちになるわ。ちゃんと自分に彼氏というものが
ありながら義之に粉を掛けるなんて」
「ああ、それか。それは誤解だって何回も言おうとしたじゃねぇか。本当に話を聞かない彼女だな、てめーは」
「誤解?」
「あいつの場合は恋感情というより、兄貴に対する感情に近いんだよ。本人もそれを理解していないからややこしいんだけどな」
四六時中同じ部屋に居るのに全く手さえ触れなかった。普通オレ達みたいな若い男女が一緒に部屋に居たら多少は距離が近づく雰囲気になる。
自分に恋人が出来て次に出てきた感情が恐らくは家族に対する寂寥感――――そこに、オレみたいな余計なお節介焼きな男が現れたから大変だ。
恋人と同じ顔をした人間が近距離に居るので本人も誤解し感情がごちゃ混ぜになる。その事に気付いたのは割と最後の方だった。
「だって二言目には兄貴の話が出るんだぜ? いい加減気付くっつー話だ。その事も含めて後で言おうかなと思ってるけどさ」
「そうだったの・・・・。はぁ、なんだか疲れたわ。私の独り相撲も良い所じゃない」
「そうだな。けど――――こうやってお前とくっ付けたし、何がどうなるかなんて分からないもんだな」
「あら? 最初から私はこうなると思っていましたけどね。義之が私の事を好きなのは知っていましたし」
「良く言うよ、本当に」
しかし、まさか桜の木の暴走からこういう結果に繋がるなんて予想だにもしなかった。
オレが願ったのは自分の隣に居る事になるだろう女性の可能性。こうやってエリカと一緒になるのは奇妙な縁を感じる。
偶然に偶然が重なりあいエリカが事件に巻き込まれ此処に居る。そうなってくるともう必然にさえ思えてきた。
そんな馬鹿なと思うが、エリカは毎日オレの事を思って過ごしてきた。それが桜の木が叶えたんだとしたら・・・・。
(――――まぁ、些細な事だな)
エリカのひたむきな思いに駆られオレはこいつを選んだ。運命の一言で片づけられたらエリカもたまったものではないだろう。
今オレの腕に自分の左腕を絡めてくる女はこうなるように行動し、それが積み重なって結果が出た。そんな陳腐な言葉はゴミ箱行きだ。
「ああ、なんだか段々実感が沸いてきたわ。本当に私は義之の恋人になれたのよね。あははっ」
久しぶりに見るエリカの本当の笑顔。幸せそうな笑みだ。今まで纏っていたどこか重い影が薄まったような気がする。
それに釣られオレも含み笑いをする。恋人同士になったからといってそんなに関係は変わらないだろうが、精々彼氏らしく振る舞うか。
むしろ恋人同士になったら今より若干落ち着いた性格になるかもしれない。余裕というやつだ。今のエリカにはそれが期待できる。
「なんかテンションが上がってきたわ! 早速一緒に生活しましょうっ。義之と毎日寝起きするなんて――――ふぅ、最高よね」
「・・・・・」
落ち着くと、いいんだけどな。そう思いつつ怪我をした肩を気にしつつ学校を目指し歩く。
オレってなんか毎回なにかしら怪我するよな。マジで痛い・・・・。しかもこれをやったのが自分の彼女というのが、なんというかオレらしい。
視線を前に向けると、向こう側にはこちらを発見したアイシアと音姉が駆け寄ってくる姿が見える。あー・・・・なんだか面倒な事になりそうだ。
そして一応、今回の騒ぎはこれで一段落する事になる。早く家に帰って取り敢えず寝るか。やっぱり自分のベッドが一番だ。
「ねぇ、義之」
「あ? なんだ」
「色々足らない所があるけれど、これからも私をよろしくね――――私の王子様」
その時のエリカの表情は、まるで最初に会った時みたいなとても感情が溢れ嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
エピローグ
「だからっ、私は義之の恋人なのよ! 何回も言ってるじゃない。さっさとそこをどかないと怒るわよ、このロボット風情!」
「はぁ、桜内様の恋人ですか。そんな人が居るなんて私は本人から聞いておりません。なので、お引き取りを」
天枷研究所の一室。その部屋の入り口前で押し問答をしているエリカとμ型のロボット、イベール。
今日は休日で晴れて義之と恋人同士になったエリカが、デートに誘おうと研究所まで足を運んだまではよかった。
受け付けでお客IDを貰い義之が居る部屋の前で来るとイベールがたまたま部屋から出てきて遭遇、相対する形となった。
「聞いてない? ええ、そりゃそうでしょう。貴女みたいなロボットにそういう話をするとは思えませんし」
「・・・・・」
「さ、分かったならそこをどいてくださいな。今日は久しぶりに市街まで出てお買い物をしようと思ってますの」
髪を掻き上げいつも通りの腕を組んだポーズのままイベールの脇を通り過ぎようとした、瞬間――――
「あ――――イタタっ!?」
「勝手に入って貰っては困ります。中では桜内様が精密作業中です。もう一度申し上げますが、お引き取りを」
「こ、この・・・!」
「何をやってるんだ・・・お前達」
外が余りにも騒がしいのでドアを開け美夏が見たものはエリカの腕を捻り上げ制圧しているイベールだった。
呆れて思わずため息が出る美夏。イベールもイベールで面白くないんだろう、義之に彼女が出来たのが。まだお淑やかな女だったら話は別なんだろうが。
エリカもエリカで喧嘩腰な態度は改めればいいのに・・・・美夏はその間にズイッと割って入り、二人に視線を送りながら仲裁した。
「そこまでにしておけ。義之が困るだろう」
「・・・・はい、分かりました美夏様」
「いったー・・・・。ちょっと天枷さん、貴女の所のロボットはどういう教育をなされてるんですか? こんな攻撃的なロボット初めて見たわよっ」
「どういう教育って――――勧善懲悪の教育だが」
「な、なるほど。つまりこの私が悪党だと? へぇーよく言えたものね。この正式な彼女の私に向かって!」
「お前テンション高いなー」
ツナギの袖口で顔についた油をゴシゴシと拭いながら嘆息する。義之とエリカが付き合っているのは聞いていた。義之本人が話をしてくれた。
一晩中悩んで、困惑して、やっと心の整理が着いたのはついこの間の事。彼女が必死で頑張っていたのは知っていたし、なんとか認める事が出来た。
しかし、このテンションの上がり様には参る。とにかく煩い。四六時中絶好調なのだから周りはたまったものでは無かった。
けど・・・・前に比べて今の方が良いと思う人間も中には居る。前は少し陰鬱な影を引っ張っていた感があるが、今は光の様に眩しい存在だった。
「やかましいのを除けば、だがなー・・・」
「何か言いまして? というかっ、いい加減に腕を解きなさいよ! さっき分かったって言ったじゃないっ」
「イベール。まぁ、その辺にしておけ」
「・・・・了解です」
渋々といった感じで腕を離すと、バッと距離を取り腕をブツクサ文句を言いながら摩りあげる。
イベールも義之と仲良かったから思う所があるんだろうなー、と美夏は頷きながら親指で扉の中を指す。
「ちょうど今μの試作型の点検も終わった所だ。入るといい、ムラサキ」
「最初からそのつもりでしたわよ! じゃあ、私はもう行きますわよ」
「はいはい」
「あ、天枷さんもお疲れ様ね。わざわざ義之を手伝ってくれてありがとう。私からも感謝しますわ」
「・・・・嫌味?」
「失礼な。純粋な謝辞ですわよ」
彼女特有の優越感から出た言葉だと思ったが違うらしい。
足を弾ませ入室していくエリカの後ろ姿を見ながら美夏は色々思い出す。最初会った時の事から今までの事を。
喧嘩もしたし罵り合いもした。仲が良かった事なんて無かっただろう。しかしお互いをずっと見てきた。今の今までだ。
『一番初めに貴女に報告しておきます。私、義之と付き合う事になりました』
素っ気ない言葉だが、それを聞いて思わず嬉しかったのも事実。ちゃんとライバルだと思われていたのだと妙に得心がいった。
あの義之が選んだ相手だし文句は言わない。彼女が出来た後でも、こうして一緒に時間も取れるのでこれ以上は贅沢かもしれない。
「・・・さて、美夏は着替えてくる。イベールはどうするのだ?」
「私は中のお二人を監視しております。なにやらあの金髪、油断ならないようなので見張って置く必要があると私のAIが告げていますので」
「そ、そうか。じゃあ美夏はこれで・・・」
「はい」
晴れて恋人同士になれたはいいが・・・まだまだ苦労しそうだなぁ、あの二人は。
オリエンテーションが終わり時刻は放課後。教室の中に居た生徒たちは束縛から解放されたようにおのおの好き勝手に雑談をしている。
そんな中、教室で唯一の金色の髪をした女性――――エリカはさっとバッグを仕舞い教室から飛び出るようにダッシュしていく。
周りの生徒たちもその様子には慣れた様で、一瞬視線を送るがまた雑談を開始する。放課後になると彼女は決まって一番先に教室を出ていくのだ。
(はぁ・・・はぁ・・・、今行くからね義之)
焦燥感が身を包み込む。待ち合わせ時間にはまだ早いが、早く行かないと大変な事になるのは身を以て知っていた。
階段を急いで降り履き慣れたローファーを履き校門前へ。よし、良い感じだ。さすがにここまで早いとまだ来ては・・・・。
「あ、美味しいわねぇ~このコロッケ。小恋ちゃんまた料理の腕上がったー?」
「え、えーそうかな? まだ茜には程遠いよぉ。でも嬉しいかな」
「私もうかうかしてられないわね。早速帰ったら試しにコロッケでも作ろうかしら」
頬が引き攣るエリカ。例の雪月花の三人がホクホクした顔でコロッケを頬張っている。
授業が終わってすぐ駆けつけた筈――――それなのに、どうしてこの三人はここに居るのだろうか・・・謎だ。
「――――んんっ! こんにちわ、皆さん」
「ん・・・・・グッ、ゲホっ、コホ!?」
「人の顔を見るなり吹くとは。さすがに失礼じゃありませんかね、月島先輩」
「そうよ、小恋。この間みたいにさすがに鬼みたいな形相で追いかけられたりしないわ」
「――――ッ! あ、あれはっ、貴女達が義之に抱き着いてたからじゃないですか!」
「だって寒かったんだもんねぇ~」
「ね」
顔面を青白くさせている小恋とは打って変わって残りの二人は黄色い声色でわざとらしくキャッキャと手を重ね合わせている。
いつもこうだ。油断無く隙無くなにかと義之を構おうとする三人組。自分が彼女になったのだと宣言しても相変わらずだった。
腕を組み青筋を立ててるエリカを見ても小恋を除いてにやにやするだけ。そしてエリカが文句の一つでも口を開けた。
「だから、いい加減に―――――」
「あ、やばい。行くわよ小恋」
「なっ」
「え、あ、ちょ、ちょっと杏~!?」
エリカの雰囲気が尖ったモノに変わる空気に気付き、杏は小恋の手を引っ張りその場を離脱した。
開いた口が塞がらない。視線を横にやると茜は含み笑いをしたまま校門の策に寄り掛かっていた。慌てて佇まいを直す。
この人も相変わらずね――――組んでいた腕を腰に当て、ため息を付きながらエリカは目を瞑った。
「勘弁してください花咲先輩。いつもこんな事をされては心が落ち着かないですわ」
「えぇ~? だって急によっしーと離れたりとかって出来ないもん。心の整理よ、心の整理」
「心の整理なら尚更近づいちゃ出来ないんじゃないですか? 私なら暫く距離を置きますけど」
「あらぁ、さすが彼氏持ちのエリカちゃんは余裕があるわねー。前まで今の私と似たような行動をすると思うけどなぁ絶対」
「ちょ、ちょっと」
「半分冗談よ。聞き流してくれると助かるわぁ」
半分本気だったのか――――少し心当たりがあるだけに、返って流してくれて良かったかもしれない。
茜はそんなエリカをまじまじと見詰めながら微笑む。その意味あり気な視線にムズ痒い思いをするエリカ。たまらなく手を振る。
「からかうの止して下さい。なんだか生暖かい眼で見られると体が痒くなりますわ」
「義之くんと付き合えて良かったね、エリカちゃん。心から祝福するわ。やっと頑張りが認められたわね」
目を見る。優しい眼だ。この人は本当にそう思っている事が分かる。
思えばずっと何かと気を遣って貰ってきていた。義之とはまた違った意味で恩人にあたるかもしれない。
だから目伏せで礼を述べる。私は口を開けば余計な事をいう性質なのだと最近気づいた。だから敢えて口には出さなかった。
それでもエリカの思いが通じたのか、茜はウンウンと頷きエリカに背を向け軽く手を振る。そろそろ義之が来る時間。そこまで邪魔は出来ない。
「じゃあ、放課後デート楽しんでってねぇー。何も無い島だけど無いなりの風情があるから楽しいわよー」
「ありがとうございます。その調子で義之に異常に絡むのも遠慮して欲しい所なのですが・・・」
「考えとくー」
・・・・駄目だ。きっとこの人はまだ義之に今まで通り接するだろう。少しヤキモキしてしまうが、相手が茜だとエリカは強く言えない部分がある。
もしかしてそれを見越して自分の世話をしていたのかと考えた時もあったが、これがこの人・・・花咲茜という人間なのだろう。正直羨ましい性格だ。
体も本当に大人以上に成熟されてるし色気もある。尚且つ可愛いとくれば――――――よし、あとで義之に一言注意するように言っておこう。
「でも義之も花咲先輩に弱いのよね・・・・。彼氏彼女揃って同じ人物に弱いって、いいのかしらこれ」
頬を掻きながら茜の後ろ姿を見送っていると後ろから聞き慣れた革靴の音。
取り敢えずこの事は後回し。今はデートに専念するとしよう。そう考えながら、エリカは笑みを携え後ろを向いた。
「ふーん」
屋上から柵に跨り足をフラフラさせながら少女――――まひるは、その様子の一部始終を見ていた。
金色の綺麗な髪の女の子だった。容姿端麗とはあの子を指す言葉なのだろうとまひるは思う。スタイルも良いし、なにより品があった。
あれがよっしー先輩の彼女・・・・か。なるほどまるほど。お似合いなカップルといえばお似合いかもしれない。
「気付いたら付き合っちゃってるんだもんなぁ。参りましたよぉ、はは」
笑いながらもずっとまひるの視線はエリカの方向に向けられている。感情が浮かない色合いの無い目だった。口だけが笑みの形を作っている。
やっと好きな人が出来たと思ったらその人は彼女が出来、幸せになっている。残された私はどうすればいいのか。時間は半永久的に残っている。
このまま時間を無為に過ごすのかと考え・・・・まひるは両腕を抱くように自分を抱きしめる。そんなの考えただけで底冷えするような拷問だ。
「・・・・どうしよう、かな」
よっしー先輩に貰ったこの時間。この時間の使い方は一つしか知らない。好きな男性と一緒に過ごす事。それが現世に留まっている理由だ。
また成仏する理由付けもそれが条件となっている。好きな男性と過ごせば過ごす程にこの世には居られなくなるというジレンマ―――人生は難しい
ものだとまひるは感慨深そうに息を吐く。
なんにせよこのままじゃ終われない。好きな人が好きな人と付き合ってるのだから素直に応援しなくてはという気持ちもあるにはあるが、こっちは
残りの死んだ後の人生をよっしー先輩に預けてある。このまま預けっ放しではいけない。返してもらう必要がある。
「よっしー先輩が焚き付けたんですからね」
うーんと背伸びをしてヒョイと柵から降り、いつもの場所へ。
最近めっきりよっしー先輩が来てくれる事が少なくなった。おそらく彼女が出来て忙しいのだろう。仕事もあるだろうし。
むしろ出来るだけ顔を覗きに来てくれるだけ良い方なのだろう。そういう所はマメだと思う。だからこっちも素直に喜ぶし、やりきれない部分もある。
そして今日も私は階段の踊り場で一日を過ごす。だが暇じゃない。暇じゃなくなった。これから自分のするべき事を見つけたのだから当たり前だ。
(エリカ・ムラサキさん、か)
さて、まずはこの人に接触してみようかなと思う。見えないと思うけど出来る事から始めるのは良い事だと先輩は言っていた。
私は諦めない。このままタダの幽霊で居るなんて絶対に嫌だ。もうこの気持ちは収まりきれない。彼女が居たってそんな事は関係なかった。
多少良心が痛む。けど、この気持ちの行き場はどこにも行かないから逃がす必要がある。生きてればまた違った方法があるのだろうけど・・・今更な話だ。
そうしてまひるは窓の外の夕陽を見詰めて・・・・笑った。
また、楽しい日々が続くといいな。
この道に座り続けて一年以上経った。もう見慣れた景色と言っても過言ではない。道行く人も私を見慣れた事だろう。
銀色の髪と赤色の瞳、トレードマークのグリーンのスカーフと存在感を誇示しているアイシア。しかし数十年もの間人の意識には残らなかった。
人生長生きしてみるものだと思う。何が起こるか分からない。そう、自分が人を好きになり――――失恋もするのだから。
「・・・むぅ」
思った以上にダメージがでかかったなと思い出す。今じゃ気持ちは持ち直したものの、一週間ぐらいぼけーっとしていた様に思える。
義之も私に気を遣ってか彼女であるエリカちゃんを余り家に呼ばない。だがそろそろ別に気にしなくていいと伝えなければいけないだろう。
義之とエリカちゃんが付き合った――――喜ばしい事だ。少し面倒な女の子だが最近は落ち着いてきたし、まぁ、応援しようとは思う。
「さて、気分を一新して――――」
「なんであんな女の子と・・・。絶対騙されてるって兄さん」
「・・・」
「大体あの性悪のどこに魅力を感じるのかな。胸だって私負けてないしスタイルだって。もしかして・・・・・金髪?」
脇で体育座りをしながらブツブツ文句を言う由夢ちゃん。ぶっちゃけ商売の邪魔になっている。何故ここで恨み辛みを言うのか・・・。
一応年長者に愚痴を聞いてもらうというのは社会にとって当たり前に蔓延している行為だが、聞かされる方は中々に辛い。どうしようも無いからだ。
聞いて貰う方としては心が落ち着くのかもしれないけど。というか私も傷心中なんだけどなぁ・・・。まー悪い子じゃないので黙って話を聞いてあげよう。
「陰口は止した方がいいですよー。そういうのって、回りまわって自分に帰ってきますからね。それが人の輪というものですから」
「大丈夫です。本人の前でも同じ事を言いますから」
「そ、そうですか」
「アイシアさんは何か文句とか出ないんですか? あのエリカさんですよ? 私、一番納得いかない組み合わせです」
「・・・あー・・・・、由夢さん、エリカちゃん嫌いですもんねぇ」
「だって人の話を聞かないし横柄な態度だし自己中心的だし。兄さんがあんな彼女を作るなんて信じられませんってば」
うわぁー・・・なんだかこのある意味ヒステリックさは音夢を彷彿させますね。怒った顔なんてそっくりです。
けど、あの表裏の顔を使い分ける由夢ちゃんがここまで爆発しているという事はよっぽど相性が悪いんだと思う。まぁ、見ただけで分かるけど。
エリカちゃんも大変だ。義之の家に来る度に妹の由夢ちゃんとエンカウントする可能性が高い。上手く付き合っていけるのだろうか・・・。
「まぁまぁ、落ち着いてください。あの義之が選んだんです。負けた私たちは黙って尾を引きましょう。それが良い女性という事ですよ」
「うー・・・・アイシアさん大人ですね。私も納得したい気持ちは山々なんですけど・・・」
「こればっかりは時間を置かないとしょうがないかもしれません。人形、ちょっと触ってみます?」
「―――え、いいんですか? これ売り物なんじゃ」
「宝石屋さんみたいにお触り厳禁じゃないんでいいですよー。はい、どうぞ」
「じゃ、じゃあ少し・・・・」
馬の形をしたデフォルトされた人形を手渡す。渡された人形を由夢ちゃんは興味深そうに手なんかを弄ったりした。
由夢ちゃんも女の子、こういうのには弱い。それに現代っ子なのでこういう少し本格的な物は見た事さえ無いだろう。
直ぐに機嫌よく人形を左右に振る彼女を見てため息一つ。心の整理が出来ていないのはお互い様、か。美夏ちゃんは大したものだと思う。
「あ、そうだ。いい機会だから私の事雇ってくれません? バイト代安くていいんで」
「我がお店は定員一名様限りなのです。見て分かる通り半分道楽が混ざった商売なので、他をお勧めしますよ」
「残念、ですね。あーあ。どこか楽して稼げる場所無いかなー」
誰の影響だろうか、そんな典型的な駄目な大人の見本みたいな台詞を吐く由夢。心機一転―――違う環境下に自分を置きたがっていた。
それで恋心を振り切り違う所を見詰めようとするその姿勢はアイシアから見て「若いなぁ」と思わせる程行動的だった。誰も彼もが動こうとしている。
人は一ヵ所には絶対留まらない。移ろい行くものだとアイシアは考えている。元々自分が風来坊的な気質を持ち合わせているだけにその念は強い。
本来自分もそれに見習いまた違う場所へ旅をする筈なのだが・・・・一つ気掛かりが残っていた。
「・・・・まひるさん、ですか。義之も何か手を打たないと嫌な流れになりそうですね」
今すぐ動くわけではないだろうが・・・・まぁ、今はゆっくりしておこう。
どうせ後でまた動く羽目になる予感がした。本当に飽きさせない男性だ、桜内義之という男は。
「うぅーーーーよしっ! まずは――――」
隣で両腕を締め気合を入れる由夢ちゃん。手にはどこからか持ってきた求人票が握られている。
私も少しバイトしてみようかな。ファミレスなんかが良いかもしれない。あの制服というものには強く興味を惹かれる。
取り敢えず今現段階の目標は――――家賃か。しっかりと安定したお金を家に芳乃家に入れよう。そうしてアイシアも若干目を輝かせて求人票を覗き込んだ。
もう何回目になるだろうか。最初の内は数を数えていたような気がするが、途中で無駄な行為だと思い止めた。
もしかしたら無意識の内にオレは帰りたかったのかもしれない。あそこじゃオレは一人だったが思い出があった。今更ながらに気付く。
「すごい桜吹雪ね。この光景は何回見ても飽きることは無さそうだわ」
「そうだな。オレもすっかり慣れたもんだと思ってたけど、改めて見ると壮観だよな」
脇にはエリカが居る。自然にオレの腕に抱き着き一緒に枯れない桜の木を見上げている。
付き合う前からこうやって腕を組まれるので慣れた行為だった。思えばオレはエリカの押しに負けた事になるのか。どうでもいいけど。
商店街の帰り道エリカの家に行く途中、たまたま脇道に逸れてなんとなしにここまでやってきた。お互いはしゃぐでもなく悠々と風に当たる。
「そういえば花咲先輩達が校門前に居たわよ。コロッケを食べてたわ。また義之を待ってたみたい」
「また食ってたのかアイツら。昼休みも菓子をボリボリ食ってたぞ。その内に絶対太るぜ、アイツら」
「月島先輩が少し体重を気にしてたみたいだけどね。後の二人は別に変らないみたい。羨ましい限りだわ」
「外見に出ないで内に溜まるタイプだな。運動もしてないからそのうち悲鳴を上げる。お前も気を付けろよ」
「失敬な。私は自己管理はしっかりしているわよ。太ったら義之に罵倒されるし――――嫌われるのはイヤだわ」
「そうか」
付き合い始めてから少しエリカは落ち着いたが、基本的には変わらずオレに接している。
エリカ本人が言うには元々好きで行動してきたのだから今更変わった行動はしないと言う。男名利に尽きる言葉で、オレは幸せ者かもしれない。
「エリカさ」
「うん?」
「今まで本当に待たせて悪かった。しつこいぐらい言ってるけど、よく今までオレの事を好きでいてくれたよ。感謝してる」
「何を藪から棒に・・・・・私はね、自分の思ったままの事を言って思った通りの行動をしてきた。ただそれだけよ」
「周囲を引かせながらな。キレたらお前手付けられないんだもん。あともう少し落ち着いて行動しくてれ」
「それほど必死だったという事よ。貴方を捕まえるの、本当に苦労したんだから」
苦笑いしながら組んでいる腕に力を入れる。今じゃもう尖った言動をする事はあんまり無くなってきたが、その分濃さが増してきている。
時々鋭い事をポツリと言う様はまるでさくらさんみたいだ。同じ金髪だし、振る舞いも似てきている。オレの言動に影響を受けていると言うが
元を辿ればオレはさくらさんの影響を受けている。その流れでエリカもそうなるのは道理だ。
この調子でいくとオレなんか普通に能力的に抜かされそうだ。彼氏の面子が丸つぶれになる。だからオレも最近は色々な事を覚えようと本や杉並
に面白い話を聞かせて貰っている。そう簡単に抜かされてたまるかよ。
エリカの頭を撫でながら同時に競い合いたい気持ちが湧き上がる。オレはどうやら完全に色ボケになる男じゃないだようだ。
「ま、オレはもうどこにも行かないよ。お前みたいな上玉逃がしたらオレのツキまで持っていかれちまう。だから安心してくれよ」
「全くもってそこは安心できないけれど、一応義之の言葉は信用して置くわ。ふふっ」
「おいおい」
「だって貴方の周り危険人物だらけなんだもの。特に花咲先輩は怖いわね。とても気の良い人なんだけれど・・・」
「茜か。確かにあのおっぱいは魅力的だ。席が前なんだけどよ、すっげー色気あるのな、おかげで授業に――――って痛ぇ!?」
「・・・・義之が意地悪なのは知ってますけど、程々にしてくれないとさすがの私も怒るわよ」
無表情で指の関節を逆に曲げてくるエリカ。義之は慌てて指を引き抜き、深いため息をついた。
今のは確かにオレが悪かった。彼女が出来てもこの余計な事を喋る癖は中々に治らない。以後気を付けないと指が何本あっても足りない・・・。
「・・・・冗談なんだけど、な」
「だから安心出来ないって言うのよ。義之はまだまだ沢山秘密ありそうだしね」
「あぁ? 秘密ならお前の方こそ持ってるじゃねぇかこの野郎」
「え?」
「どこの国の出身なんだお前。さすがに付き合ったら言ってもいいだろう。あの世界のエリカにも同じ事聞いたが言いあぐねてたし」
あのエリカも結局教えてはくれなかった。最後の別れ際にアイツ泣いてたからちょろっと探れば漏らすと思ったのに泣きながら絶対に
言いはしなかった。つーか泣くなよ。
横のエリカもオレのそんな言葉を受け、少し困った様に眉を八の字にする。別にどこの国出身だってオレは区別も差別もしないんだけ
どなとは思う。そういう人間だってエリカも知っている筈なんだけどな。
そうして暫く沈黙の間が続き――――エリカは意を決したように俯き加減だった顔を上げた。
「良いわ。教える。義之の言う通りもう付き合ってるんだし、話してもいいわ」
「おお、やっと言う気になったか。散々焦らされたし、碌なオチじゃないことを期待しちまう」
「最高のネタだと思うわ。けど本当の事・・・・リアリストな義之には少しキツイ思うけどね」
「んな事ねぇよ」
オレほど人生が魔法関係の事で埋め尽くされている人間は居ない自信がある。オレ自身も魔法を少し使えるし。しょぼいけど。
エリカは組んでいた腕を解き枯れない桜の木に寄り掛かり、真剣な顔付きを作る。桜の花弁がオレ達を包み幻想的な光景が出来上がった。
この話が終わったらオレも秘密を喋ろうと思う。この世界に来た異世界人。今から喋ってくれるエリカの秘密とやらもそれぐらいインパクトが欲しい。
「と、その前に」
「ん、なんだよ。やっぱりもっとオレを焦らした方がいいなとか考え付いたのか?」
「そこまでどこかの誰かさんみたいに意地悪じゃないわ。私の秘密を喋る前に、義之に言って欲しい言葉があるの。分かる?」
「言って欲しい事? さぁ、見当も―――――」
エリカの表情。少し意地の悪い笑みを浮かべながらもどこか期待している目。それを見て大体見当が付いてしまった。
頭の後ろを掻き、明後日の方向を見て少し嘆息する。こういうのってオレの柄じゃないんだけどな。改まると少し気恥ずかしい。
しかし、ここでそれを言わなければ男としてチキン過ぎるだろう。エリカに視線を戻し目を見てその言葉を言った。
「好きだよ。愛してる。お前は最高の女だ」
「うん、ありがとう。私も義之を愛してるわ。もう離れてあげないからね?」
「望むところだが・・・・さて、オレにここまで言わせたんだ。よっぽどすげぇ秘密なんだろうな、オイ」
「ええ。きっと驚くわ」
姿勢を正し意地の悪い顔のまま言葉を選ぼうとしている。
まぁ、きっと些細な事に違いない。オレはこれでも常識外の経験を多くしてきている。今更何言われた所で驚きは―――――
「私、地球の人間じゃないの。宇宙から来た宇宙人。名前はエリカ・フォーカスライト。改めてよろしくね、義之」
終劇