第1話「さよりなオルタネイティブ」その1
「……ここどこ?」
岡島さよりが目覚めた時、彼女は自分が知らない場所にいる事実を発見した。
さよりは下半身を布団の中に入れたまま周囲を見回した。六畳程度の広さの部屋に、ベッドと学習デスク、洋服タンスに本棚にTVとゲーム機。雰囲気的には典型的な、日本の中高生程度の年代の男の子の部屋っぽい。
「昨日は確か……」
半ば寝ぼけた頭のままで昨晩のことを回想する。某商業誌に連載中の小説を書いていて、どうにも筆が乗らなかったのでだらだらとネットサーフィンをして、某小説投稿サイトに引っかかって二次創作小説を読み出したらあっと言う間に午前3時を回ってしまって寝落ちしそうになり、最後の力で布団に潜り込んで……。
「目が覚めたら全然知らない部屋にいた、と」
さよりは周囲を見回して自分のパートナーを探した。
「すなすなー、すなすなー」
唱えているのは呪文ではなく、彼女のパートナーの名前である。いつもならすぐに姿を見せるはずなのに、出てこない。何気なく布団をめくってみると、そこに一匹のフェレットが横たわっていた。
「どうしたの? すなすな」
さよりはすなすなの体を揺さぶるが、すなすなはぐったりとして身動き一つしようとしない。何度も呼びかけて揺さぶって、
「ぴっ? ぴぃ~」
ようやく目を覚ましたと思ったら、また寝込んでしまった。
さよりはすなすなを預かった時に教えてもらった話を思い返していた。
『――彼等は多少程度のエネルギーバランスの異常なら吸収できますが、あまり大量のエネルギーを吸収すると調子を崩します。さよりさんが平行世界に移動してしまうほどのエネルギーバランスの異常は彼等には過大で、まず吸収しきれません』
「……要するに、またどこかに飛ばされちゃった、ってこと?」
さよりはこの事実にしばらく頭を抱えるが、やがて気を取り直した。とりあえずは部屋を出て人を探しつつ情報を収集する、そう方針を決めて行動を開始する。
今身にしているのは着古したシャツとジーンズ。近所のコンビニに行く程度ならこれでも構わないかもしれないが、出来ればもう少しマシな服装に着替えたい。そう思って部屋の中を見回し、ハンガーに掛かっているとある服に目がとまった。白地に紫のラインと大きなリボン。短めのスカートの、どこかの私学の制服らしきものである。
なんかどこかで見たような?と思いながらさよりはその制服に着替え、その部屋から外に出た。部屋から出、階段を下りて靴を履いて外の世界に一歩足を踏み出す。
そこに広がっていたのは、一面の廃墟だった。
元は住宅地だったのだろうが、まともな家は一軒も残っていない。全ての家があるいは焼かれ、あるいは崩れ、あるいは土台しか残っていない。一応原形を留めているのは、今さよりが出てきた家だけである。その隣の家などは、擱挫した巨大ロボットに押し潰されている。
「って巨大ロボット?!」
さよりは唖然としたままそのロボットを見上げた。全高は10mくらいだろうか。埃に塗れて汚れているが、元は青系の塗装がされていたのだろう。形状は、近年のリアルロボットアニメに出てくる人型機動兵器そのものである。ロボットアニメは見ていてもメカニックには全く興味のないさよりでは、そのロボットの特徴について述べることが出来なかった。胸の真ん中は部品を取り外したように空っぽだ。多分コックピットがあって、パイロットはコックピットごと脱出したのだろう。
「……………………………………」
さよりは嫌な予感を抑えることが出来なかった。目が覚めてから今までの状況が、記憶の中のある知識と符合する。それを信じたくない、そうであってほしくない思いに駆られながら、さよりは早足で歩き出した。特に当てはないが、山手と思われる方向へと歩を進める。1時間以上人一人いない、雑草くらいしか生えていない荒野と廃墟の街を彷徨い、さよりはようやく目当ての場所へとたどり着く。さよりはこの街に来て初めて人の姿を見た。
門を守る歩哨の兵士が二人。迷彩服の兵士は自動小銃を携行しており、黒人と東洋人のペア。門の内側には5階建てくらいのビルがあり、ビルの屋上には巨大なレーダーが乗っている。
門柱に記されていたのは間違えようもなく「国際連合太平洋方面軍第11軍横浜基地」という名称だった。
「はは……」
最早さよりは笑うしかなかった。そんなさよりに二人の歩哨が接近し声を掛ける。
「外に出ていたのか? 物好きだな、何もないだろうに」
「隊に戻るんだろう? 許可証と認識票を提示してくれ」
「あ……」と呟きながら俯いて小さく震えるさよりの姿に不振を覚えながらも、歩哨は職務を遂行しようとする。
「同じ基地所属でも、こればかりは規則だからな。省略するわけにも……ん」
「どうした?」
「こいつ、階級章がないぞ」
歩哨はさよりから距離を置き、小銃を構えた。
「認識番号と所属部隊、および外出許可証を提示しろ」
さよりは何の反応も示さない。一人が距離を置いて小銃を構えて警戒しつつ、一人がさよりに接近し身柄を拘束しようとする。黒人兵士の手がさより肩を掴もうとした時、
「ありがちな展開だぞーーー!!」
さよりの魂からの叫びが轟いた。黒人兵士は思わず飛びずさっていた。
「岡島さより。17歳」
所持品全てとすなすなを取り上げられたさよりは憲兵の取り調べに対し、それしか答えなかった。約2時間くらいだろうか。尋問は割合あっさりと終了し、さよりは若干拍子抜けした。さよりは牢獄に入れられる。
牢獄の中は薄暗いがわりときれいで、トイレの臭いもほとんどしない。以前ぶち込まれたことのある牢獄の中で一番ひどかった場所のことを思えば、天国のような場所である。さよりは自分が結構好待遇を受けていると感じた。
思ったより早いうちに何とかなりそうね、と楽観的に考えて、さよりは簡易ベッドに腰を掛けて状況を整理しようとした。
さよりが知る由もないことだったが、同時刻さよりが入れられた牢獄の隣の部屋に、銀髪と碧眼を持つ1人の少女が待機していた。
さよりが尋問を受けている間に所持品およびペットの検査が行われて、ペットの確認を行った医者がその異常性に気付いた。それは動物と等しく動き回るにもかかわらず実は動物ではなくぬいぐるみで、中に入っているのは砂みたいな金属の粉末だったのだ。その金属粉が何なのか、科学者等が機材を総動員しても何一つ判明しなかった。
その結果報告を受けた香月夕呼が社霞に命令し、こうして霞はここにいる。
「霞、リーディングは出来そう?」
「はい、問題ありません」
さよりが入れられた牢獄は、霞が入牢者の思考を最大限効率良く読み取るためだけに設計され建てられた物である。霞は隠しカメラ越しに入牢者の少女を観察した。同じものを夕呼は自分の執務室から眺めていることだろう。
どちらかと言うと小柄な、ごく普通の日本人の少女である。顔にはうっすらとそばかすがあり、赤っぽいセミロングのくせのある髪を二つに分けて編んで、おさげにしている。牢獄に入れられるにも関わらず、不安そうな様子は見られない。
霞は彼女が物思いにふけるのを見計らい、リーディングを開始した。
『まさかゲームそっくりの平行世界があるとは……恐るべし。どう考えても「マブラヴ」よね。問題は「アンリミテッド」か「オルタネイティヴ」かってとこだけど』
少女は思考をほとんど言語化しており、霞にとって極めて読みやすかった。ただ読み取れた思考は霞にとって全く意味不明だったが。
『オルタだったとしたら、桜花作戦の前なのか後なのか。白銀武はどうしてるのかな。……あ、そー言えば社霞ってエスパーの娘がいたよね』
見ず知らずの人間に唐突に自分のことを考えられ、霞の心臓は大きく跳ねた。
『やっほー霞ちゃん、わたし岡島さより17歳、よろしくねー。なんちゃて』
霞は幽霊を見たかのように真っ青になった。さよりはそんな霞に構わず(構うわけがないが)脳天気な思考をだだ漏れさせる。
『昔は白銀武みたいにBETAのいない平和な世界で普通の高校生やってたのよね。でもひょんなことから平行世界を移動する体質になっちゃって、いろんな世界に行ったわよ。中世ヨーロッパみたいな世界、ロボットばっかりの世界、トカゲ型異星人に征服された世界、イカと戦ってる世界』
霞は思考を停止させながらも、リーディングとその記憶に専念した。
『それで色々あって、平行警察に助けられてようやく元の世界に戻れたの。結局1年くらい漂流者やってたから高校は中退。体験談をSF小説にして小説家の卵になったり、大検取る勉強したりしてたんだけど、まさかゲームの世界にやってくるとは……えーと後は』
しばらくさよりの思考がまとまらず、読み取れないものになる。
『……こんなものかな。社霞のリーディング結果と、あとすなすなを調べてもらえばわたしがこの世界の人間じゃないことは判るだろうし、白銀武の前例があればそんなに悪い待遇は受けないだろうし、その間に真上君が来てくれれば元の世界に帰れる目処も立つ……あ、もし桜花作戦前だったらわたしって00ユニットにさせられるのかしら?』
さよりは「ひぃー」と小さく悲鳴を上げてベッドの上でじたばた暴れた。香月夕呼を本気で怖がっているその思考をリーディングし、霞は少しだけ溜飲を下げた。
『とにかく今がいつなのか知らないと……何か日付が判るものは、あとここが本当に「マブラヴ」の世界なのか、この世界について出来るだけ詳しく判るものがあれば』
その時、「ぽんっ」と空気が抜けるような音がした。リーディングに集中していた霞はモニターに視線を送る。そこには、
『ああーっっ、またやっちゃったぁぁー』
「ああーっっ、またやっちゃったぁぁー」
頭を抱えるさよりの姿。そのさよりの膝の上にはノートパソコンが置かれている。つい今までそんなもの、影も形もなかったはずなのに。
「社! 彼女は一体何をしたの?!」
香月夕呼のナイフのように鋭い声が霞の耳に突き刺さった。霞は通信機の向こう側の夕呼に返答した。
「入れ替える……近隣の平行世界から……存在する可能性……空間のひずみが増大……帰れなくなるかも」
読み取ったさよりの思考を霞がリアルタイムで報告し、夕呼がそれを即座に理論化した。
「パソコンが牢獄の中に存在する可能性のある平行世界から、パソコンが存在する可能性だけを取り寄せているって言うの?! そんな馬鹿げたESPが?」
「彼女自身がこの世界とは違う世界の住人です」
霞の報告を受け、夕呼はしばらく沈黙し、やがて告げる。
「社、戻って詳しく報告して」
夕呼の命令を受け、霞はその部屋を立ち去る。部屋を出る前にモニターを見ると、さよりはノートパソコンを使おうと四苦八苦しているところだった。
「まあ使っちゃったものはしょうがない。ここにこれがある以上は有効活用しなくちゃ」
さよりが取り寄せたのは、電源が既に入った状態のノートパソコンだった。さよりは元の世界のOSとの違いに戸惑い、苦労しながらもそのノートパソコンを操作。目的に合致していそうなファイルを探して回る。そしてそれはあっさりと見つかった。
「桜花作戦における損害報告一覧」
そんな名前のファイルを見つけ出し、さよりの全身から力が抜ける。
「終わってる……良かった」
ちなみに今日の日付は2003年10月22日のようだった。しばらくは何も考えられなかったさよりだが、やがて気を取り直してファイルを手当たり次第開いて見て回る。やがて、さよりはある事実に気付く。
「タイムスケジュールが合わない?」
桜花作戦の発動日が2002年12月31日になっていることを発見したさよりは、どんな事件がいつ起こったかを中心に資料探索を進めた。その結果判明したことは以下の通りである。
2002年12月19日 BETAの大軍が横浜基地に侵攻、横浜基地が機能停止
2002年12月14日 甲21号作戦発動
2002年07月10日 横浜基地においてMX3のトライアル実施
2002年03月05日 帝国軍の一部部隊によるクーデター発生
「……そっか、そりゃそうだ」
さよりは腑に落ちたように呟いた。いくら何でも、ゲームのあのタイムスケジュールは無茶苦茶だった、と。
白銀武がこの世界にやってきたのが2001年10月22日とするなら、約半年の仕官教育と訓練を受けて任官したことになる。新OSのMX3もやはり約半年の作成期間があったのだろうし、00ユニットの調律にも何ヶ月か掛かっているのだろう。
さよりは「戦没者名簿」と記されたファイルを発見し、それを開いた。そして、そこに連なる何千もの名前を一つ一つ目で追う。その中の事故死者欄に、見知った「神宮司まりも」「伊隅みちる」「柏木晴子」「速瀬水月」等の名前を発見し、しばし黙祷を捧げた。
さよりは自分の思い違いを悟り、密かに赤面していた。
「ここはゲームの中なんかじゃない、こういう現実がここにあるんだ」
例えば、日本の戦国時代を題材にしたゲームがあり、それを日本史に関する知識が全くない人がプレイしたとしよう。彼はゲームの内容が史実に基づいていることを知らず、単なるフィクション、良くできたファンタジーだと思い込んでいる。そんな人間が何かの間違いで戦国時代にタイムスリップし、ゲームにも出てくる有名な武将に出会ったとしたら、彼はこうは思わないだろうか。
「うわー、ゲームの中の登場人物がここにいる。俺はゲームの中に入ってしまった!」
だがそれは無知による勘違いなのだ。さよりの思い違いもこれと同じで、この世界の人物や事件を題材にして作られたのが「マブラヴ」というゲームなのであって、その逆では決してない。あのゲームの制作者がどうやってこの世界の出来事を知ったのかが疑問として残るが、それでも「現実→ゲームの中」なんて妄想を信じるよりはずっと人間として正しいあり方だと思う。
その時、不意に牢獄の扉が開く音がした。さよりは反射的に扉の方に顔を向ける。
「あなたが岡島さよりね。初めまして」
どこか嘲るような口調で彼女はさよりの名を呼ぶ。そこに立っているのが横浜基地副司令の香月夕呼であることを疑う必要はなかった。
ゲームの登場人物――いや、ゲームの登場人物のモデルとなった人間と対面するのは初めてである。髪の色はさすがに紫ではないが、ゲームの香月夕呼と彼女はかなり良く似ている。月影千草と野際陽子くらいには瓜二つである。ただ、『本物』の香月夕呼はゲームでは感じ得なかった迫力を有していた。
『何というか……「極道の妻たち・BETA死闘篇」?』
ゲームの香月夕呼の年齢は二十代だったが、現実にはおそらく三十の大台に乗っている。元々かなりきつめの美女が濃い化粧をし、堅気とは到底思えない威圧感を身にしているのだ。さよりの感想も無理はないかもしれなかった。
呆然としたように見えるさよりを冷徹に観察する夕呼に、霞が何か耳打ちする。「……ふーん」と何の気もないような相づちを打ちながらも、夕呼からは冷たい怒気が発せられた。
「ひいいっ?!」
失礼な感想が読み取られたことを悟り、さよりが怯える。夕呼はそれで気が済んだようで、威圧感を減らしてさよりに命令した。
「あなたの話を聞きたいわ。ついてきて」
夕呼はそう言って身を翻す。数秒遅れてさよりはベッドから立ち上がり、慌てたように夕子の後を追った。