第5話「天元突破岡島さより」その2
日本帝国、帝都。
帝国斯衛軍の戦術機部隊は、天空より飛来した艦載機級と激しい戦闘を繰り広げていた。
「敵群第七波、飛来! 敵数、五百!」
斯衛軍は政威大将軍悠陽が自ら紫の武御雷を駆って最前線で戦っている。敵の飛来があまりにも早くて避難が間に合わなかったためであるが、悠陽には逃げるつもりは最早ない。このため斯衛の士気はいつになく高く、敵の攻撃の第六波までは何とか撃退できた。
だが、それにも限界はやってくる。
「第七波の後方からさらに第八波、第九波!」
悲鳴に等しいCPの報告に、悠陽は唇を噛み締めた。飛来する艦載機級の一群を撃退しても、すぐにそれに倍する敵がやってくる。敵数とその戦力は既に斯衛のそれを大幅に超えていた。
「住民の避難の優先を! わたし達の役目は時間を稼ぐことです!」
悠陽と斯衛は官庁のビル群を盾代わりにして艦載機級の攻撃を凌ごうとした。だがそれも焼け石に水である。武御雷が、不知火が、次々と撃破されていく。
「横浜基地は……香月副司令から連絡は?」
「未だ何も。副司令は所在不明のままです」
悠陽は数分おきに同じ質問を繰り返し、そのたびに同じ回答が返ってきた。悠陽は自分の弱い心を振り切るように、まなじりを決した。
「冥夜が生命を懸けて守ったこの国を、この星を、お前達に渡しはしない――!」
一方「アースラ」。さよりは現実から目を逸らし、子供のように泣き続けているだけである。クロノ達は苦いものを噛み締めながらその姿を見つめた。
「……これまでですね」
まずニアがそう言ってさよりから背を向ける。
「奥の手を一つ残していたのですが、この状態では使う意味がありません。ネメシスを倒す絶好の機会と思っていたのですが」
「でも、これだけの準備を整えて、それでも失敗するなんて……他にどんな作戦があったって言うんですか?」
太陽系外だろうと別の宇宙だろうといつでも転移可能なニアと、元々本体がこの世界にないユリカは既に「次」を見据えた言葉を交わしている。
ニアはユリカの問いに答えず、無言のまま立ち去っていった。残されたユリカは肩を落とす。
(そっか、失敗したんだ。……あんな大群なんだもの、負けちゃっても仕方ないよね)
フェイトの墜落以降感情を凍らせたなのはは、人形のように虚ろな瞳にクロノ達の姿を写していた。
「機関部の修理はどうなっている?」
「あと6時間はほしいって」
「そんなに待てるか! とにかく、いかだ状態で漂うだけで構わないんだ、すぐに次元航行できるようにしろ!」
エイミィは半泣きになりながらも機関部の言葉をクロノに伝える。彼女に出来るのはそれしかなかった。
「それでもあと1時間は必要だ、って」
「――判った」
クロノは苦渋の表情で、その報告を受け入れた。
(1時間あったら敵の本体が到着しちゃう。そうなったら逃げることも出来るかどうか……こんなところで死んじゃうのかな。わたしも、フェイトちゃんも)
なのはの理性は現状を冷静に確認し、結論を出した。何しろ彼我戦力差は数億対1未満なのだ。勝てると思う方がおかしい。
(……本当に?)
なのはの耳に誰かの小さな囁きが届いた気がした。だがそれは間違いなく空耳だろう。
「1時間あったら敵の本体が到着するわね。その前に艦載機級の攻撃を凌げるどうかが問題だけど」
夕呼が他人の不幸を楽しむような態度で当たり前の事実をクロノに指摘する。クロノは顔をしかめた。
「香月副司令、あなた達には本来なら次元航行前に退艦してもらうところですが、それを認めることが出来ません。このままこの艦に留まってもらいます」
自分の生命について完全に諦めていた夕呼は、思わぬ助け船に目を見開いた。
「あら、この世界から逃がしてくれるってこと? あたし達を助けてくれるのかしら」
「結果的にはそうなりますが、自分は艦の安全を最優先にしただけです」
その言葉により夕呼はクロノの不安を理解した。
「そうか。あたしをこの艦から放り出した場合、この世界から逃げようとするあたしが戦術機の一団を連れて戻ってくるかも知れないものね」
「さらに言えば『この世界から、あの敵から逃げられる手段がここにある』と知られるわけにはいかないのです。ですので、横浜基地との接触や連絡の全てを禁止します。逃げるのに一緒に連れて行きたい人が陸地に残っているかも知れませんが、連絡を取ることも連れてくることも一切認められません」
クロノの通告を夕呼は了承する。純夏や霞は何か言いたげにしていたが、結局何も言わなかった。亡者の群れのように「アースラ」に押し寄せてくる横浜基地の兵士達、それをクロノやなのはが魔法で排除し、二人は兵士達の返り血で赤く染まる――クロノが脳裏で描くそんな光景を読み取った純夏達は、それ以上何も言えなかった。
「社も鑑もここにいるのだから、あたしはこれ以上は望まないわ。もっとも、あの敵から本当に逃げられるのかどうかは疑問だけど」
「……確かに」
(どう考えても間に合わないじゃない。二人とも、もう諦めればいいのに)
なのはいつになくシニカルな心境でクロノ達を眺めていた。
(悪あがきしたところで結果が変わらないなら、意味ないじゃない)
だが、
(……本当に?)
またその空耳が聞こえてくる。なのははわずかに眉をひそめた。
「艦載機級の数がこれ以上増えたら修理する前に潰されるわよ。魔法でどうにか出来ないの?」
「その魔法が敵を引き寄せている可能性があります。サーチャーの魔力スキャンに対する戦艦級の反応、それに」
「高町ともう一人に対する艦載機級の反応から推測するに、かしら? 確かにその可能性は高いわね」
夕呼は学者っぽい講義口調で解説する。
「アンチスパイラルが目の敵にする螺旋力、それが意志の力に基づくものなら本質的には魔法との差はない。戦艦級や艦載機級には魔力と螺旋力の違いが判らないとしても不思議はないわ」
(ほら、ますます逃げるのが難しくなっていく。どう考えても逃げられないじゃない)
なのはは内心で皮肉っぽく夕呼達を論破していた。その一方、
(……本当に?)
誰の声とも判らないその空耳はますます強くなっていく。なのはの苛立ちは強まった。
「どうにか敵の注意を逸らす方法があれば……」
「横浜基地が奮闘してくれることを期待するしかないかしらね」
夕呼はそう言って肩をすくめた。実は夕呼は純夏を通じて基地の守備隊に敵に対する徹底攻撃を命令しているのだが、そんなことはおくびにも出さない。
一見惚けたまま甲板の片隅に座っているだけのなのはだが、その内面は荒海のようだった。
(わたしに何が出来るっていうの?! わたしに出来ることなんて、もう何も残ってないじゃない!)
なのはは罵るように、見知らぬ誰かに激しく言葉を返す。だが、
(――本当に?)
静かに返されたその言葉に、なのははもう何も言えなかった。彼女は全てを理解したのだ。
『敵はあまりに大きい、もうなにも出来ない、諦めるしかない』
なのはのその理性の言葉に対し、
『諦めないで、投げ出さないで、生命を捨てないで』
そう必死に反論をしていたのはなのは自身、なのはの魂――その名を「不屈の心」。
「……ああ、そうか。それだけのことなんだ」
誰にも気付かれないまま、なのはは静かに立ち上がった。その瞳には意志の輝きが戻り、その口元にはかすかな微笑みが浮かんでいる。
「わたしはただ単に、簡単に負けを認めるのが嫌だったんだ」
なのははそのまま艦首方向へと歩き出す。別に騒いだわけではない、物音を立てたわけでもない。だが、一同の視線は自然となのはに、なのはの背中へと集まっていた。
「……なのは、どうした?」
一同を代表してクロノが怪訝そうに質問する。なのは少しだけ後ろを振り向いて答える。
「クロノ君、わたしが敵を引きつけるからその間に『アースラ』の修理を」
「待て、何のつもりだ」
クロノはなのはが何をしようとしているかを感覚で理解し、これを止めようとした。だがなのはは止まらない。
「わたしが艦載機級に空中戦を仕掛ける。魔法を使いまくれば敵の注意をわたしに集められるんでしょ? そうしたらそのまま戦線を『アースラ』から引き離すの」
なのはの声は、現実から逃れるだけだったさよりの心にも届いた。さよりは俯いてた顔を上げる。
「無茶だ! 死ぬつもりか?!」
「なのはちゃん、待って。他の方法を」
「この空域の艦載機級は一万を超えてる、無謀すぎるよ!」
そう言い立ててなのはを止めようとするクロノ達。だが彼等は、なのはの透き通った微笑みを見て説得の言葉を失った。
「わたしにはまだ空を飛ぶ翼がある。みんなを守る魔法がある。だから諦めるなんて出来ない」
不意になのはは年相応の笑顔になって、クロノ達に告げた。
「自己犠牲を気取るつもりも、死ぬつもりもないよ。わたしはきっとここに帰ってくるから」
目を瞑ったなのはが胸の前で紅い宝玉を握った。
「風は空に」
さよりは目を見開いてその光景を見つめている。なのはの背中から目が離せない。
「星は天に」
なのはは澄んだ声で呪文を唱える。さよりはその声に、単語一つ聞き漏らさないよう耳を傾けた。
「輝く光はこの腕に」
手の中の宝玉が強く優しい桃色の光を放つ。それこそ彼女の心の強さ、それこそ彼女の魂の輝き。
「不屈の心はこの胸に!」
それは彼女の無二のパートナー、それは彼女のもう一つの名前、それは彼女の魂の名――
「レイジングハート、セットアップ!」
「Stand by Ready, Set-Up」
なのはの呼びかけにレイジングハートが応える。桜色の光がなのはを包み、それが弾けた時、そこには純白のバリアジャケットをまとったなのはが立っていた。
なのははそのまま音もなく飛び上がり、吸い込まれるようにして群青の空へと翔け上がっていく。残されるのは輝く羽根だけだ。
ああ、とさよりは心の内で感嘆していた。この姿こそ英雄の姿だ。時代を超え、世界すら超えて語り継がれる、英雄の姿だ。人々の願い、人々の理想、人々の希望、そんなものを託されながらもなお空高く飛ぶことの出来る、真の英雄だ。
一体どのくらいの時間そうしていたのだろうか。突然、さよりはハルヒに襟首を掴まれた。ハルヒはそのままさよりを揺すぶる。
「武器! 何でも良いから武器を取り寄せなさい! 元々のあんたの力を使って!」
目を白黒させるさよりを、ハルヒはそのまま締め上げた。
「巨大ロボットでも宇宙戦艦でもいいけど、とびっきり強力な武器よ! 戦ってもらうんじゃない、それを使って戦うのよ、あたし達が! ――だいたい、呼び出すだけ、戦ってもらうだけなんて作戦、最初から気に食わなかったのよ! ちょうど良いわ!」
ハルヒの言葉がさよりの脳に浸透する。その間に、純夏達も動き出していた。
「さよりちゃん、凄乃皇をお願い。あれがあればわたし達も戦える」
「さよりちゃんナデシコを、いえ、エステバリスでも構わないわ。時間を稼ぐくらいならわたしだって」
そう、純夏やユリカだって英雄なのだ。なのはのあんな姿を見せられて、立ち上がらないわけがない。
さよりもまた甲板を踏みしめ、立ち上がった。桃色の光を散らし、天空で戦うなのはを見上げる。
(……わたしはなのはちゃんみたいにはなれないけど、なのはちゃんの後に続くことは出来る、なのはちゃんを助けることくらいなら出来る……!)
その姿に憧れる者がいる。その背中を追いかける者がいる。彼女に続く者がいる。彼女に並ぼうとする者がいる。英雄は決して一人ではない、孤独ではないのだ。
「こんなところで死なせてたまるか! わたしだって戦う!」
さよりは気合いを入れるため一際大きな声を出した。大きく息を吸い、意識を別の宇宙へと、「星々の記憶」へと延ばす。その姿はさきほどから捉えたままになっている。さよりは全身全霊を懸けてそれへと呼びかけた。
そう、それこそ彼女の知る銀河最強、宇宙最強のロボット――
「来て!! わたしに力を貸して、グレンラガン――!!」
その時、「アースラ」の目の前で巨大な光が弾けた。まるで数メートル先に突然太陽が出現したかのようだ。目と鼻の先にいたさより達には目がくらんで何も見えなかったが、遠くからそれを見ていたなら、その光は緑がかっているように見えただろう。さらに、巨大な重量物が「アースラ」甲板に着地する。「アースラ」は転覆するかと思うほど大きく揺れた。
「きゃっ……!」
一同は咄嗟にしゃがんで甲板に捕まり、転がり落ちるのを防いだ。
「……」
甲板の揺れがようやく収まる。さよりは伏せていた頭を慎重に上げた。引き続き目が痛くなるほどの光量を放っているが、さよりの瞳には確かにその姿が写っていた。
真紅と漆黒に彩られた鋼の巨体、全身から溢れ出るエメラルドのような輝き。その威容、その勇姿、それこそ宇宙を救った英雄の姿。さよりが求めた最強の武器――。
「グレンラガン……! 来てくれた……!」
さよりの瞳に先ほどまでとは違った理由で涙が溢れた。何度も涙をぬぐい、グレンラガンの姿をその目で確かめ続ける。
ふと、グレンラガンが膝を突いて姿勢を低くした。ラガンがグレンから分離して、さより達の目の前に飛び降りてくる。さより達は何が起こっているのか判らないまま、ラガンを見つめた。
さより達一同の中心にラガンが立っている。ラガンの上部ハッチが開いて、
「え――」
さよりはそのまま言葉を失った。さよりは無人のグレンラガンを取り寄せたとばかり思っていたのだから。
「ようやく道が開いたぜ。待たせたな」