第1話「さよりなオルタネイティブ」その2
横浜基地地下19階の夕呼の執務室。さよりはそこに連れてこられた。執務室にいるのは、香月夕呼、岡島さより、そして社霞の3人のみである。
夕呼は自分の執務机に付き、さよりは用意されたパイプ椅子に腰掛ける。霞は少し離れた場所から二人の様子を眺めていた。
社霞の実物は、最上級のビクスドールみたいな超絶美少女だった。白人と東洋人の良いところだけを抽出して掛け合わせたような、奇跡のようなハイブリッド。こんな人間がCGではなく肉体を持って存在していることが、さよりには信じられなかった。
「……さて、あたしはこの横浜基地の副司令をしている香月夕呼。そっちの子はあたしの助手の社霞――説明するまでもないのかしら?」
「いえ。あなた達のことは知識としては知ってるけど、単なる知識と実物はやはり別物だと思いますし」
さよりのその答えは夕呼にとって少し意外だったのだろう。夕呼は面白そうな表情をした。
「……ふーん。じゃあまずは、あなたのその知識ってやつを出来るだけ詳しく話してもらいましょうか」
「それは良いんですけどその前に。いずれわたしは元の世界に戻れると思いますが、この世界に滞在する間の衣食住と身の安全を保証してください」
夕呼がその要求をあっさり呑み、取引が成立。さよりはゲーム「マブラヴ」について覚えている限りのことを夕呼に語り出した。
主人公の白銀武、メインヒロインの鑑純夏、準メインの御剣冥夜。サブヒロインの榊千鶴・彩峰慧・珠瀬壬姫・鎧衣美琴(尊人)。
「エクストラ編」での学生生活……についてはほとんど印象に残っていないので概要だけ説明して割愛。
「エクストラ編」から「アンリミテッド編」への突入。突然BETAのいる世界にやってきた白銀武が207B分隊に入隊させられ、衛士を目指して猛訓練。総戦技評価演習に何とか合格するが、12月24日にオルタネイティブ4の終了が突然告げられ、オルタネイティブ5に移行したこと。
その2年後、バーナード星系へと移民船団が出発し、残された人類がBETAへの総反抗を行い、おそらく敗北したこと。
そして「オルタネイティブ編」へと突入。再び2001年10月22日へとやってきた白銀武が、「アンリミテッド編」の知識と経験を元に敗北の歴史を変えようと奮闘すること。
XM3を発案し、量子電導脳完成に必要な理論を元の世界に戻って回収し、00ユニットを完成させたこと。クーデターを早期に収拾させ、任官したこと。
XM3のトライアルと、初の実戦経験。そして神宮司まりもの死と、元の世界への逃避。元の世界でもまりもと鑑純夏を喪い、この世界へと戻ってくること。
00ユニットの調律を成功させ、甲21号作戦で凄乃皇が使用されること。凄乃皇の自爆で甲21号が佐渡島ごと吹き飛ぶことと、伊隅みちる・柏木晴子の戦死。
佐渡島からBETAが大挙押し寄せ、横浜基地が機能停止、速瀬水月・涼宮遥の戦死。BETAへの情報流出の発覚。そして桜花作戦の発動と、あ号標的の撃破。御剣冥夜等5人の戦死と、00ユニット・鑑純夏の機能停止。
そして、白銀武の元の世界への帰還……。
「……あとはエピローグです。まりもちゃんの死も鑑純夏の重傷も最初からなかったことになっててみんな元気で、鎧衣尊人が女の子になってて、御剣冥夜と御剣悠陽が転校してきて、ロシアからは社霞も転校してきて」
霞がびっくりしたように目を見開いた。
「平和な世界で、白銀武を中心にしたどたばた騒ぎがこれからも続いていく……そんな終わり方です」
「……そうですか」
霞がうっすらと瞳に涙を湛えていた。哀しみの涙では決してない。幸せそうな微笑みをかすかに垣間見せた、喜びの涙だった。
一方の夕呼は皮肉げに口元を歪めているが、別に不機嫌というわけでもなさそうだ。
「ま、そんな脳天気な世界が一つくらいあっても構わないけどね。あいつも元気そうで何よりだし」
さよりはある疑問を抱いて、夕呼に訊ねる。
「白銀武のこと、覚えてるんですか? ゲームではこの世界ではもう忘れられてるはずなんですけど」
「最近思い出したの。そのことは後で説明するわ」
はあ、とさよりは返答し、別の質問を出した。
「今のは全部、わたしの世界にあったゲームの話ですが、多分ある程度はこの世界の現実に即していると思います」
「そうね。今の概要だけなら、そのゲームの内容はこの世界の現実そのままよ。『1周目』や『元の世界』のことも、あいつに聞いた話と同じだし」
「なんでこの世界のことがわたしの世界のゲームなんかに?」
「そうね、仮説や憶測ならいくつか考えられるけど」
夕呼は書類の裏に鉛筆で図を書き出した。
「これがシュレディンガーの箱で、中の猫が生きているか死んでいるかは外からの観測でしか明らかにならない。ただ、外と言われるこの世界全体、観測者と言われるわたし達人間もまた、実は箱の中の猫と立場は変わらない。量子論を推し進めれば、この世界全体を巨大なシュレディンガーの箱と見なす発想が当然出てくるわ。そして、この世界を確定させる外からの観測者が必要とされる……それがあなた達なのかもしれないわね。ゲームや小説を通して外の世界からこの世界を観測し、それによってこの世界の事象が確定する」
さよりがその憶測に疑問を呈した。
「こことは違う平行世界の事象を観測する――そんなことが出来るんですか?」
「あなたがさっき牢屋の中でやって見せたことがまさにそれじゃないの」
夕呼は呆れたようにそう指摘する。
「近隣の平行世界からノートパソコンが存在する世界を観測し、その観測点をこの世界へとずらすことにより、ノートパソコンが存在する確率だけをこの世界に取り寄せる――そんなふざけた真似が出来る人間が二人といるとは思えないけど、ただの観測だけなら、大勢の人間が無意識の範疇でやっていると考えられるわ」
夕呼はにやりと笑って見せた。
「あなたはこの世界やあたし達のことをゲームで見た、知ったと言っているけど、あなたの世界やあなた自身のことが、ここやあなたの世界とはまた別の世界で漫画や小説になっているかも知れないわよ?」
「あはは、そんなー……」
さよりは冷や汗を流した。他人が聞いたらまさに漫画としか言いようがない自分の過去の体験を思い返せば、夕呼の推論を否定することは出来なかったのだ。そしてさよりはあることに気付く。
「あ、そう言えばわたし、自分の体験を小説にして発表してるんです。わたしにとっては小説の中身は実体験だけど、読者からすればフィクションでしかないでしょうね」
夕呼はさよりの言葉に触発された。
「……そうか。遠い将来、あたしなり社なりがあの戦いの記録を、フィクションの形でも発表したとするなら、この世界にも『白銀武の物語』が存在するようになる。その存在をこの世界の人間が観測し、その観測行為が平行世界に干渉して完全なフィクションとしての『白銀武の物語』が存在するようになる……」
喩えて言うなら、影絵のようなものだろうか。観測者が発している観測という光線が何かに当たり、観測結果がこの世界というスクリーンに映し出されている。だがこのスクリーンは光線を全ては遮断できず、ある程度の光線はスクリーンを透過してその後ろのスクリーンにも影絵が映し出されるのだ。
「今の仮説の方がそれっぽいですね。でも『白銀武の物語』が今の時点でわたし達の世界に存在するのはおかしくないですか?」
「別におかしくはないわよ? 各々の平行世界はエントロピーが極大化した混沌の海、特異点の海によって隔てられている。この特異点の海の中には距離や時間の概念が存在しないから、ある世界での100年後の観測行為が別の世界での今に干渉を及ぼしても何の不思議もないわ」
夕呼はさよりに因果律量子論について簡単に説明した。
「観測する」という原因と、それによって決定された「観測された」その結果。観測という「原因」から「結果」への働きかけを媒介している「何か」として量子っぽいものを想定し、量子論のアナロジーで理論展開しているのが香月夕呼の因果律量子論である。
「重力が次元の壁をある程度通り抜けて他次元に干渉するのは既に知られた話だけど、因果量子も同じように世界の壁を通り抜けて他世界に干渉する。本来ならそれは問題となるほどの強さではないのでしょうけど、因果導体が介在するなら話は別ね。
……それと、G弾の使用はこの次元の壁を本来より弱くすると考えられる。使用後の重力異常は近隣世界の重力の異常干渉によるものでしょうし、植生がいつまでも回復しないのは因果量子の異常流入によるものと推定される」
「え、そうなの?」
さよりは初めて聞く話に目をぱちくりとさせた。
「そうなの。ちょっとやそっとの重力異常程度で植生がいつまでも全く回復しないなんて、おかしいじゃない。原因は重力異常とは別なの。
横浜基地を例にするわね。横浜ハイブにG弾が使用された世界が100個あったとしましょう。このうちの1つはG弾を使ってもBETAを排除できず、横浜にBETAが残ったままになった。10個は一旦横浜基地を建設するけど、佐渡島ハイブからのBETAの侵攻に抗しきれず、基地を落とされ再びハイブとされてしまった。10個は第5計画派の妨害により横浜基地が機能停止、何年か後に結局ハイブとなってしまう。10個はオルタネイティブ4の失敗により人類が敗北、何年か後に結局ハイブとなってしまう……残りの69個がBETAを排除し、横浜基地を維持している状態。逆に言えば1/3がBETAに支配されて横浜が不毛の大地になっている状態とする。
そしてこの1/3のそれらの世界での『不毛の大地』に対する観測行為が、本来なら植生が回復すべきこちらの世界に干渉し、この世界の横浜に『不毛』という観測結果をもたらしている。別な言い方をするなら『不毛』というより重い因果がこの世界に流れ込んで植生の回復を阻んでいる、ということね。
人間の場合は、横浜が駄目なら帝都に逃げればいいだけだから、植生ほどは他世界の観測行為には影響されないと考えられる……長期間の干渉に曝されればどうなるか判らないけど」
さよりが不安そうな様子を見せる。その時霞が初めて口を挟んだ。
「心配ありません、さよりさん。この基地に来るまでの間に、植生が回復しつつあるのを見かけませんでしたか?」
さよりは「あ」と口を開けた。
「そう言えば、雑草が生えてた」
「あ号標的を撃破したことにより、この世界は『横浜が再びハイブとなり不毛の大地となる』世界群とは別の歴史を歩むことがほぼ確定しています。だからそれらの世界からの因果の異常流入がなくなり、植生が回復しようとしているんです」
「そっか、良かったね」
霞は「はい」とかすかに嬉しそうな微笑みを見せた。
「確かにあれ以降BETAの動きは妙に鈍くなって、ハイブ攻略も簡単になった。鉄原・リヨン・エヴェンスクと、ハイブが次々と攻略されている。地球全体からBETAを完全排除するのも夢ではなくなりつつある……それでハッピーエンドとなってくれれば良かったんでしょうけど、ね」
夕呼が空気を変えるようにそう言い、モニターに何かを表示させた。黒地に沢山の光点が瞬く、銀河の星々の観測写真である。
「――国連航空宇宙軍外宇宙監視局が撮影した、2003年09月28日14時55分58秒の観測写真よ。そしてこれが59秒の写真」
夕呼が画像を切り替える。そこには何も写っていなかった。
「え?」
さよりが不思議そうな表情を見せる。夕呼は冷徹な無表情の仮面をかぶって話を進める。
「グリニッジ標準時のこの時間は、『ブラックアウト・セコンド』と名付けられたわ。『ブラックアウト・セコンド』以降、人類は太陽系の外を観測することが一切出来ない。可視波長・不可視波長の電磁波全て、重力波・ニュートリノすら太陽系の外からは届いていない。全長120天文単位の巨大な箱に太陽系が閉じ込められたかのように――」
夕呼が一瞬だけさよりの表情を伺い、次の画像を表示させる。その暗闇の画像には、光点が一つだけ写っていた。
「一週間前、地球に接近する隕石が発見されたわ。全長約3km、速度は光速の1%。速度から逆算すると、この隕石――マックホルツ遊星はブラックアウト・セコンドと同時間、この壁を通過したことになる。地球最接近は、11月02日08時28分、日本時間なら17時28分。最接近しても距離は2000万kmあるから、地球への影響は全くないのだけれど……」
ちなみに、マックホルツは国連航空宇宙軍外宇宙監視局の職員の名前である。
「これ、BETAと関係あるんですか?」
さよりがそう問うと、夕呼はがっくりと肩を落とした。
「やっぱりあなたも知らないのね……。今のところ、全く、何一つ判っていないのよ。BETAと関係あるのかどうかも。あたしは無関係なわけがないと思ってるけど。……ついでに言えば、あたしと社が白銀の記憶を取り戻したのもブラックアウト・セコンド以降よ」
夕呼が言うには、二人が失っていたのは「白銀武に関する全ての記憶」ではなく、「白銀武が本来別世界の人間である事実」だけなのだそうだ。
「そのことを知っていたのは元々あたしと社だけ。あたし達がそれを忘れればこの世界の誰一人として白銀武が別世界の人間だとは疑ったりしない。あいつの記録は書類にもデータにも、何一つ残していないし、個人的に交流のあった一部の人間にしても、たまに『こんな奴がいたなぁ』と思い返すくらいでしょうし……つまり全ての記憶を消し去るなんて不自然な真似をするまでもなく、今の状態で充分に白銀武は『最初から存在しなかった』ことになっているのよ」
それはともかく、と夕呼は話を元に戻した。
「今のあたしの、横浜基地の最大の使命がこれよ。ブラックアウト・セコンドの原因を探り、マックホルツ遊星の正体を暴く。桜花作戦からこっち、予算も権限もぎりぎりまで削られたけど、あたしに判らないことが地球上の他の誰かに判るわけがない。これはあたしの仕事なのよ」
夕呼はレーザー光線のような視線をさよりへと向ける。さよりは竦み上がった。
「当然あなたにも協力してもらうわよ」
「で、でも一体何をすれば……」
夕呼は沈黙したまま椅子を回転させ、横を向き、さよりに告げる。
「そのうちやってもらうことは出てくるわ。とりあえず、今の最優先課題は00ユニットの再起動。あれがあれば打てる手はいくらでも増える。――あなた、あれをどこかの平行世界から取り寄せることは出来ないの?」
「自分以外の人間を平行世界に移動させたことはないし、人間も取り寄せたことはないです。服やアクセサリーは特に問題なく一緒に移動できるし、物なら大抵の物を取り寄せることが出来ると思うけど……」
あまりやりたくはないけど、とさよりは口の中で続けた。
「ふーん。それじゃ、反応炉に頼らないODLの浄化装置か、その設計図をお願い。こういうディスクに入れてくれればいいから」
夕呼は全く当てにしていない様子で、さよりの前でCD-ROMケースのようなデータディスクケースをひらひらさせた。さよりは愛想笑いを浮かべる。
「あはは、いくら何でもそこまで都合のいい力じゃ――」
「ぽんっ」という空気の抜けるような音がして、夕呼の執務机の上に突然データディスクが出現した。さより等3人が重い沈黙に飲み込まれる。
夕呼が無言のままそのディスクをパソコンの読み取り装置に掛けて、中身を閲覧する。モニターに表示されたのは、何かの機械の設計図と、無数の数式と論文である。夕呼はひたすら無言でそれを閲覧し続けた。
「……あの、夕呼先生?」
夕呼が突然立ち上がり「うっきーーーー!!」と奇声を上げた。そのままさよりの襟首を掴み、前後に揺さぶる。
「なんなのこれは?! 反応炉に頼らないODLの浄化装置! 設計図から理論まで! あたしがこれの研究にどれだけの時間と労力と予算を費やしたか……少なくなった権限でどんなに苦労したか……! 返せ! あたしの10ヶ月を返せぇー!」
夕呼に散々揺さぶられ、さよりは目を回した。霞が夕呼を止めようとする。
「副司令、落ち着いてください」
夕呼は霞の肩を掴むと、霞の顔にキスの雨を降らせた。霞は目を白黒させる。
「あはははっ! 社、これでやっとあの子を目覚めさせられる! もうしばらくの辛抱よ!」
「……はい」
霞が嬉しそうに同意する。夕呼は霞を解放し、つい今までの狂態が嘘だったかのように平静を取り戻した。
「社、岡島、あなた達はもう下がっていいわ。あたしはこれを出来るだけ早く完成させる」
夕呼はそう言ってさより達に背を向ける。最早夕呼の意識にはさより達のことは全く残っていないようだった。霞はさよりをつれて、夕呼の執務室を退室した。
執務室の前の通路で、霞がさよりに向き直る。
「――さよりさん。あなたのおかげで純夏さんを再び目覚めさせることが出来ます。本当に、ありがとうございます」
霞はそう言って、深々と頭を下げた。さよりは霞の頭を上げさせる。
「ううん、力になれれば嬉しいよ。純夏さんが目を覚ましたら、わたしにも紹介してね」
「はい、必ず」
そう答えた霞は、さよりが今日見た中で一番の笑顔を見せていた。
解説
○岡島さより
出典は竹本泉「さよりなパラレル」(竹書房)。
本編主人公です。彼女を主人公とした二次創作小説が果たしてこれまであっただろうか?(なかったとは言えない)
本編の彼女は「かなりのアニメ・ゲーム好きでオタク少女」という設定です。原作には特にそういう描写はないのですが「原作のエピローグでSF小説を書いていたから、SF小説は好きなのだろう→じゃあアニメ・ゲームが好きとしても、そんなに不自然ではあるまい」と、拡大解釈をしています。
○社霞・香月夕呼・鑑純夏
出典はアージュ「マブラヴ」シリーズ。
原作と本編の差異については、本編中で言及した通りです。
本編1話は「現実→ゲーム」のパロディや考察であったりもします。