第3話「魔法少女パラレルさより」その1
時空管理局所属・次元航行艦「アースラ」。現在「アースラ」はあるロストロギアの回収任務を終え、本局への帰路にある。
「今回は随分簡単な任務だったね」
「そうだね。崩れた遺跡からロストロギアを掘り出すのが面倒だっただけで、戦闘も何もなかったし」
戦技教導隊所属の高町なのはと執務官のフェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、「アースラ」ブリッジでまったりと会話を交わしていた。
「正直言うと、子供の使いみたいな任務だったから『アースラ』やわたし達が出張る意味があったのかなと思わなくもない」
「学園祭も不参加になっちゃったしね」
「去年も参加できなかったから今年こそはと思ってたんだけど」
なのはやフェイトは現在聖祥大附属中学の三年生。日本の女子中学生と管理局職員の、多忙な二重生活を送っている。
「なのは、フェイト、我々の任務はまだ終わったわけじゃないぞ。本局に帰着し、遺失物管理部にロストロギアを引き渡すまでは任務中だ」
なのは達の会話にクロノ・ハラオウンが生真面目な口を挟み、
「そうそう。遠足は帰るまでが遠足です、ってね」
エイミィ・リミエッタがそれを茶化す。なのはとフェイトがくすくすと笑みをこぼし、クロノが渋い顔をした。
「まあ、新任艦長の試運転にはちょうど良かったんじゃないかな」
「そうだね」
なのはとフェイトはそう言ってこっそりと笑い合った。クロノにとって今回の任務は「アースラ」艦長に就任してから最初の任務だったのだ。このため、ただでさえ規律がバリアジャケットをまとっているような堅苦しい性格が輪をかけた状態になっている。
「ロストロギア『星々の記憶』は正体は全くの不明だが、惑星一つ、星系一つを滅ぼすことも簡単に出来る、という伝承が残っている。何が起こるか判らないから細心の注意を払ってほしいと、ユーノからも散々警告を受けただろう。これでもし任務に失敗したら、あのイタチもどきに何を言われるか」
クロノは独り言っぽくそう言い続けていた。
「きっと、ここぞとばかりに嫌みや皮肉を言われるだろーね」
「でもそれは兄さんが悪いよ。普段あれだけ憎まれ口を叩いてるんだから」
「ユーノ君はそんな子じゃないよ。きっと優しく労ってくれる」
「そうだね、クロノ君にはそっちの方がずっと堪えることをちゃんと判った上でそうしそう」
エイミィはクロノに肩の力を抜かせるために軽口を叩いている。それを理解しているクロノは渋い顔をしながらもそれを黙認するしかなかった。
「ともかく! 本局までの距離はまだまだ長い。何があるか判らないから気を抜かないように!」
艦橋の一同がきれいに「はい!」と唱和し、クロノは一応それに満足した。
その時、「アースラ」が大きく揺れた。艦橋には警報が鳴り響く。
「エイミィ!」
クロノの訓戒は無意味ではなかったのだろう。艦橋メンバーは素早く突発事態に対処していく。
「次元断層が突然発生! 艦体が巻き込まれています!」
別のオペレーターがクロノに報告する。
「中央保管室に高エネルギー反応! ロストロギアが活性化しています!」
クロノはモニターに表示される各種数値に目を通した。「アースラ」艦体には二つに折れて轟沈しても不思議はないほどの負荷が掛かっている。クロノは艦の保全と乗員の生命を最優先とし、命令を発した。
「通常空間に復帰しろ! 近場ならどこでもいい!」
「了解!」
戦闘態勢に入った「アースラ」は推力を最大にし、艦を拘束する次元断層を振り解いて通常空間へと復帰しようとする。壁にぶつかったかのような衝撃が「アースラ」を襲い、艦橋に悲鳴が響き、次いで暗闇に包まれた。
「くっ……」
艦長席に突っ伏していたクロノが頭を振り身を起こす。一瞬だけだが気を失っていたらしい。クロノは暗闇に非常灯だけが灯された艦橋を見回した。
「フェイト! なのは! 大丈夫か!」
「うん、わたしもフェイトちゃんも大丈夫」
そう言ってなのははフェイトを抱きかかえた状態でクロノの前に現れた。なのはは咄嗟にフェイトを抱いてプロテクションを自らの周囲に展開したため、怪我一つしていない。
「フェイトは中央保管室へ。ロストロギアの様子を見てきてほしい。ついでに艦内の状況も」
「了解」
フェイトが艦橋を飛び出していくのを見送ったなのはは、クロノに訊ねる。
「艦長、わたしは」
「君はこの場で待機。まずはブリッジメンバーに怪我人がいないか確認してくれ。カイエン、艦内の損害確認を頼む。エイミィ、外の状況は判らないか?」
「今やってる。ちょっと待って」
エイミィ達が動き出し、ようやく艦橋が機能を取り戻し出した。なのはが簡単な治癒魔法を使っている間に艦橋に照明が灯される。次いで艦の外部カメラが動き出し、艦橋のメインスクリーンに外の映像が投影された。
「な……」
なのはがそのまま絶句した。クロノ等艦橋メンバーもそれは同じである。外の世界は一面の廃墟だった。破壊され、焼け残された住宅や建物の残骸がただ広がっているだけ。わずかばかりに生えている雑草以外に生き物の姿はない。
「エイミィ、ここは?」
「座標データ、取得できません。次元測定値に該当データありません……未確認世界です」
「……そうか」
クロノは少しばかりの時間をかけて、その言葉を腑に落とし込んだ。未確認世界、それはミッドチルダを中心とする管理世界の人間が、誰も行き着いたことのない世界。管理世界の人間にとって全くの未知の世界である。
「カイエン」
クロノは副艦長の名を呼んだ。
「はい。艦内の負傷者は7名、いずれもごく軽傷です。次元航行エンジンに損傷がありますが、次元航行自体は不可能ではありません。機関部で修理計画を立案中ですが、完全に直すには本局のドックに入らないと」
「その、本局のドックに戻るためにはエンジンが直っている必要があるんだ」
「了解です。最低限、本局まで航行できるだけの修理計画を立ててもらいます」
「頼む」
その時、艦橋に再び警報が鳴り響いた。
「艦長! 本艦に高速接近する機影があります!」
エイミィがその機影をメインスクリーンに投影、艦橋はどよめきに包まれた。
「傀儡兵……いや、違うか」
「ろ、ロボット?」
「アースラ」に接近しているのは3機の武装した青いロボットだった。なのはは日本のアニメに出てくるような巨大ロボットの姿に目を丸くしている。
「魔法反応ありません。ただのロボットのようです。各機に一人ずつの生命反応を確認、有人機です」
「魔法ではなく科学技術が発達した世界ということか……まずいな」
クロノは舌打ちをすると、全艦に命令を発した。
「第一種戦闘配置および、緊急次元潜行! 現地住民の目から逃れる!」
「了解!」
管理世界の人間にとって、技術水準の違う非管理世界住民への不必要な接触・干渉は犯罪に準ずる行為である。ましてや、接近しているのは明らかに戦闘を目的とした軍のロボットだ。面倒なことになる前に逃げ出すのは当然の判断だった。
「アースラ」が空中に浮き上がり、そのまま次元潜行に突入。通常空間の隣の亜空間に隠れ、息を潜めているような状態である。
「艦長、航行エンジンに負担が……修理は出来れば通常空間で行いたいと機関部が」
「判っている。少し待ってくれ」
クロノはスクリーンに映写されたロボットの動きから目を離さない。ロボットは突然消えた「アースラ」を探し、右往左往していた。
「どうやら彼等には次元潜行技術はないみたいですね」
「ああ、それならば幸いだ。もう少し様子を見て問題がなければ、人里から離れた場所で通常空間に復帰して修理を行おう」
その時、場違いな軽快な音楽が環境に鳴り渡る。なのはは「にゃあっ?!」とびっくりしながら、反射的に管理局の制服のポケットから携帯電話を取り出した。
なのはが手にしているのは地球から持ち込んだ、日本の電話会社の携帯電話だ。ミッドチルダ等の管理世界の一部でも使えるように改造されている。だが未確認世界の、それも亜空間で使えるはずがない。ないのだが、それの呼び出し音が鳴り続けている。艦橋の一同が注目する中、クロノが鋭い視線を向ける中、なのはは躊躇いながらも携帯電話の着信ボタンを押した。
「……もしもし?」
『ああ良かった、つながった! あなたは先ほどのあの戦艦の乗組員ですね?』
携帯から流れ出るのは、若い女性の明るい声である。声からは敵意を感じられないが、なのはは戸惑うばかりでどうしていいか判らない。途方に暮れたようななのはの視線を受けて、クロノはなのはの手から携帯を奪い取るように受け取った。
「……こちらは戦艦アースラ、私は艦長のクロノ・ハラオウンです」
『ありがとうございます! わたしは国連太平洋方面軍横浜基地オルタネイティブ4特務隊所属、鑑純夏少尉です。我々はあなた方との会談を望んでいます。横浜基地に入港してもらえませんか?』
クロノは思考を高速回転させながら返答した。
「……あいにくですが、我々が所属している組織は我々以外の世界の住人との接触を禁止しています」
『あなた方は何らかの事故でこの世界に来たんですよね? その原因には多分わたし達が関わっています』
クロノは思わず沈黙した。純夏が言葉を続ける。
『あなた方との接触はこちらの世界の人間には全て秘密にします。こちらの世界であなた方と接触するのは、横浜基地の副司令とその部下が私も含めて二人。合わせて三人だけです。他にわたし達の協力者が二人いますけど、その二人はこの世界とは別の世界の人間です』
「……判りました。入港しますので位置について指定をお願いします」
わずかな逡巡の後、クロノは入港と会談を持つことを了承した。電話はそこで切られる。クロノは純夏から指定を受けた場所についてエイミィに指示、「アースラ」を通常空間に復帰させる準備を始める。
ちょうどその頃、フェイトが艦橋へと戻ってきた。
「クロノ、あの……」
「ああ、フェイト――」
クロノやなのは、艦橋メンバーはそのまま絶句する。フェイトは見覚えのない一人の少女を伴っていた。少女の年齢はなのはやフェイトより何歳か年下。人種は白人系で、ストレートの銀のロングヘアに紅い瞳。濃紫の上着と白いスカートの洋服を身にしている。
「あ、あなたは?」
「わたしはあなた達が『星々の記憶』と呼んでるロストロギア。その人間型取扱説明書というところかしら」
「それはどういう――」
彼女はクロノの台詞を身振りで制した。
「詳しい話はこの世界の人間と一緒の場所でするわ。その方が二度手間が省けるから」
彼女はそれ以上何も語るつもりはないようだった。クロノは諦めのため息をつき、艦長としての職務に戻る。彼女は好奇心いっぱいの様子で艦内の様子を見回している。今にも鼻歌でも歌いそうなくらいである。
なのはがそんな彼女の前に進み出る。なのはが彼女と正面から向かい合い、彼女はそんななのはに不敵そうな視線を向けた。
「何?」
「わたし、高町なのは。あなたのお名前、教えてくれるかな」
なのはの真剣な問いに対し、
「ロストロギアの真名は『ニーベルンゲン』。取扱説明書としてのわたしは、イリヤスフィールと呼んでくれればいいわ」
彼女は小悪魔のような艶然とした笑みでそう答えた。
その後、「アースラ」は指定通り横浜基地4番ドックに入港。互いが互いにとって異世界の軍隊(に準ずる組織)ということで、夕呼達もクロノ達もかなり緊張していた。が、そのファーストコンタクトはさよりと真上カイエンのために何だかぐだぐだになってしまった。程良く緊張感が抜けたところで、夕呼達は「アースラ」艦内へと招き入れられる。
さより達はカイエンの先導に従い、薄暗い艦内の通路を無言のまま歩き続けた。霞がさよりに接近し、そっとその手を握る。
「さよりさん、もし彼等と戦いになった場合、わたし達は勝てますか?」
霞はささやき声でそう訊いてきた。さよりの脳裏を、なのはの砲撃が戦術機を撃破する光景、八神はやてとヴォルケンリッターの5人が戦術機の大群と激突する光景、戦術機が「アースラ」に突撃する光景が横切った。
「あはは、もしかしたらいい勝負になるかもだけど、そんな心配要らないわよ。ちゃんと話せば解り合えるわ」
霞は「そうですか」と答え、かすかに微笑んだ。さよりを握る手にわずかに力がこもる。
夕呼達4人は艦内の会議室に案内された。横浜基地側の出席者は、香月夕呼、鑑純夏、社霞、そしてオブザーバーの岡島さより。ミスマル・ユリカは今はこの場にはいない。
さよりは「アースラ」側からの出席者を確認する。まずは艦長のクロノ・ハラオウン。無印・A’s時代の童顔の面影がほとんど見られない、長身の立派な青年である。
副艦長の真上カイエンは、さよりにとっては毎度おなじみの人物である。少し長めの髪にそれなりに高い身長と、それなりに整った容貌。だが全体的な印象はわりと地味である。
執務官のフェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、今はバリアジャケットではなく軍服風の制服を着ている。長い金髪が美しい、繊細な印象の美少女だ。
そして戦技教導隊所属の高町なのは。年齢はさよりより多少下。腰まで届きそうな栗色の長髪をサイドポニーにした美少女である。身にしているのはやはり軍服風の制服だ。
最後の一人は銀の長髪と紅い瞳を持った一人の少女。濃紫のシャツと白いスカートを身にしたその姿は、ゲームから抜け出してきたとしか思えなかった。
「い、イリヤスフィール・アインツベルン……なんでこんなところに」
さよりはまたもや頭を抱える。一方のイリヤは、そんなさよりを面白そうに眺めている。
「わたしがこんな姿をしているのは、主にあなたのせいなんだけど?」
さよりは「へ?」と頭を上げた。
「『銀河聖杯』には契約者のサポートのために人間形態を取る機能があるんだけど、それが変な風に作動したみたい。あなたがわたしを、『銀河聖杯』を観測してこっちに引っ張ってきた時、わたしの本来の姿の視覚イメージがなかったんでしょう? だからあなたは『銀河聖杯』に無意識的に抱いていた視覚イメージをもってわたしを観測し、それが現実となった。その結果がこの姿よ」
「ああ、なるほど」
とさよりは一応納得する。イリヤは皮肉げな笑みを見せた。
「だから、場合によっては全身縞模様のチンピラみたいな聖杯がここにいたかも知れないわ」
それはそれで面白そうだったけど、とイリヤは説明をまとめた。一方のさよりはそうならなかったことを何者かに感謝した。
「……あー、そろそろ話を始めてもいいだろうか」
クロノがさよりにそう声をかけ、さよりは恐縮しながら引っ込んだ。
エイミィがTV会議に使われる立体映像投影装置を用意。ユリカが純夏経由でそれに侵入し、自分自身の映像を作り上げる。会談の参加者がこうして全員そろい、会談が開始された。
まずは双方の事情説明である。クロノが「アースラ」側の状況について簡単に説明する。時空管理局という組織があり、彼等はそこに属していること。超古代の魔法技術の遺産、ロストロギアを回収・保管する任務に就いていること。「星々の記憶」と呼ばれるロストロギアを回収し、本局に戻る途中に転移事故に遭い、この世界に流れ着いたこと。そのロストロギアが今は女の子になってイリヤと名乗っていること、等。
一方この世界の置かれた状況については、純夏とユリカから説明があった。BETAという侵略者と戦い続けていること。BETAの大群が太陽系に接近しているらしいこと。それに対抗するために準備を進めていて、そのためにさよりを招き、「銀河聖杯」を手に入れようとしたこと。
なお、「アースラ」が転移事故を起こしたのは、夕呼の推論に依ればやはりさよりが原因らしい。「銀河聖杯」がこの世界に存在し得る可能性として一番高いのが「それを輸送している艦船が転移事故を起こしてその艦船ごとこの世界に現れる」というもので、さよりの力がそれを現実としてしまった、というのである。
「……わたし達が必要としているのは『銀河聖杯』だけだったんです。でもあなた方の艦までこの世界に来てしまったことは、本当に申し訳ないと思っています。元の世界にちゃんと戻れるよう手配はしますから」
純夏がそう言って頭を下げた。だがクロノはそれを制する。
「だから『銀河聖杯』は置いていけ、と? 残念ですがその要求は受け入れかねます」
会議室の室温がいきなり数度下がった気がした。横浜基地側と「アースラ」側の間に緊張が走る。
「く、クロノ君、でも……」
なのはが躊躇いがちに異議を唱えようとするが、クロノは譲らなかった。
「なのは、僕達の任務は何だ。次元災害を引き起こす可能性のあるロストロギアの確保だろう。このまま『銀河聖杯』をこの世界に置いていけば、もしかしたらそのためにこの世界が、あるいは近隣次元世界が滅びることになるかも知れない」
「『銀河聖杯』がなければどの道この世界はBETAの大群に滅ぼされるのよ? あんたはそうなっても構わないと?」
夕呼が殺気を湛えつつクロノに問う。クロノはそれを真正面から受け止めた。
「強力なロストロギアは複数の次元世界を破壊できる。一つの世界を救うために他の世界に危機を及ぼすのは認められない。――時空管理局の任務は次元災害・次元犯罪の予防・対処だ。その世界に内在する問題によってある世界が滅ぶことになったとしても、他の世界に波及しないのなら時空管理局が介入する話じゃない。管理世界ならともかく、ここは管理外世界ですらないのだから尚更だ」
「なかなか言うわね坊や。あんたみたいのは嫌いじゃないわよ」
そう言って夕呼は嗤った。魔女と呼ばれるに相応しい禍々しい嗤い方である。
「……この世界はもう何十年も地獄の底にある。あたし自身も世界を救うためと称して屍山血河を積み上げてきたわ。そこにあんた達の血が数滴加わったところで気にする奴は誰もいないのよ」
その時、艦橋からクロノへと連絡が入った。
「か、艦長! ドックの周囲にロボットが!」
エイミィが「アースラ」周囲の映像をモニターに表示する。そこに映し出されたのは、十数機の戦術機、数百人の機械化歩兵・歩兵の混成部隊だ。それが4番ドックを包囲するように配置されている。
「随分と仰々しいことですが、あの程度の玩具が我々に通用するとお思いなのですか」
「戦術機には全機にS-11を持たせている。最悪全機この艦に突っ込ませて自爆させるわよ。いくらこの艦が頑丈でも耐えられないんじゃない?」
横浜基地側と「アースラ」側間の緊張は極限まで高まっていた。夕呼とクロノの間でぶつかる殺意は物理的圧迫感を持ってさよりの心臓を締め上げる。
(あわわわ、何とかしないと……)
それが必要と判断したなら戦術機に特攻するよう本当に命令を出せてしまうのが香月夕呼であり、命令があればそれを実行してしまうのがこの世界の軍人なのだ。そうなったら横浜基地側・「アースラ」側双方の血が大量に流れることになる。
(何とか止めないと、止められるのは……)
さよりはこの事態を収拾できそうな人間を探した。霞や純夏は、夕呼ほどではないにしても数多の屍を乗り越えてこの場にいる。例え血が流れることになったとしても、最終的には夕呼の判断を是とするだろう。なのは等「アースラ」側の面々も結局はクロノと意志を一つにするはずだ。ユリカは肉体を持たず、この場への影響力が乏しい。残ったのはさよりと、
「イリヤちゃん!」
さよりが大声でその名を呼び、一同の注目を集めた。事態を傍観するだけだったイリヤはちょっと興味ありげに「何?」と返答する。
「わたしはイリヤちゃんの考えが聞きたいな! 『銀河聖杯』は次元災害を引き起こすの? 『銀河聖杯』を使えばBETAに対抗できる? イリヤちゃん自身はどうしたい?」
「確かにその辺が判らないと正しい判断が出来ないですね! さすがですさよりちゃん!」
ここぞとばかりにユリカがさよりに同調する。さらに純夏が、
「『銀河聖杯』が次元災害を引き起こさないのなら、これの使用はあなた方にとって問題にはならないですよね?」
そしてフェイトが、
「イリヤスフィールさんが管理局に保護されることに同意するなら、あなた方が彼女をこの世界に留めておくことは出来ないですよね?」
こうして全てがイリヤへと委ねられる。一同の熱い視線を集めたイリヤは、わずかに苦笑しながら皆の期待に応えた。
「――まず、『銀河聖杯』はもしその力を十全に発揮できるなら、何者をも対抗し得ない。どんな敵でも倒すことが出来る。次に、『銀河聖杯』の力は次元災害を引き起こす種類のものではない。最後にわたし自身がどうしたいかだけど……わたしは単なる『道具』だから、ちゃんと使ってもらうこと以外の望みは特にないわ。まあ敢えて言うなら、わたしはこの世界には過ぎた道具だと思うから、使い終わった後はこの世界には残らない方が良いでしょうね」
イリヤの答えを聞いても、まだ夕呼とクロノの間には冷たい緊張感が維持されていた。が、先にクロノが妥協する。
「……『銀河聖杯』が指輪型ロストロギアのままならともかく、今の彼女には人間としての姿と意志がある。管理局はそれを最大限尊重せざるを得ません」
「『銀河聖杯』に彼女が言うほどの力が本当にあるなら、確かにこの世界には残らない方が良いわね。BETAを排除した後に彼女の力をめぐっての戦争が起こり、それで人類が滅びかねないわ」
夕呼が笑みを見せながらそう答え、ようやく両者の緊張がほぐれる。さよりだけでなく一同が心底安堵し、ため息を漏らした。
「――話が無事まとまったところでイリヤちゃん、教えもらえるかな? 『銀河聖杯』とは、その力とは何か、どうすればその力を発揮できるのか」
ユリカの問いに、イリヤは静かに頷いた。
なお、これはさよりが後から聞いた話だが、
「こっちには社も鑑もいるのよ? 相手の手の内なんて丸分かりよ。あの艦長が『どうすれば彼等に銀河聖杯を使わせることが出来るのか』って考えてたのも判っていたし。問題は彼等が建前をどう整えるかだけだったわけ」
と夕呼はうそぶいていたし、クロノはクロノで、
「あのロボットが突撃してきたなら艦全体に広域結界を展開するつもりだった。それで彼等は『アースラ』には手出し一つできなくなる。管理局は質量兵器を否定しているが、それへの対抗策まで否定しているわけじゃない。むしろ、どこの世界よりも熱心に対抗策に取り組んでいると言っていい」
と豪語していた。
双方の間で妥協が成立したのは、夕呼とクロノが相手の戦力よりは相手の力量を認め合ったからこそ、であると言えるだろう。