第4話「岡島さよりの憂鬱」その1
ゆさ、ゆさと身体が規則正しく揺さぶられている。まるで機械でも使っているかのような正確な周期性だが、揺さぶる手から感じる躊躇いや優しさは機械のものではあり得ない。
「……ん」
涼宮ハルヒはゆっくりを目を開けた。八割以上寝ぼけた胡乱な頭のままで、ゆっくりと周囲を見回す。横たわるハルヒの隣にしゃがんでいる長門有希。有希は制服の上にカーディガンを羽織っている。ハルヒ自身もセーラー服の制服姿である。
どこかの屋内であることは確かだが、部屋の中は暗闇に近い。非常灯がわずかに灯されているだけである。
約1分の時間を掛け、ハルヒの頭脳が本格的に動き出した。
「……昨日は普通に布団に入って寝たはずなのに、どうしてこんなところに? 有希、あなたは?」
「同じ」
有希は必要最小限の単語で返答した。ハルヒは「ふむふむ」と頷きながら、もっともらしく周囲を見回している。
(……以前似たようなことはあったけど結局それは夢だったし……とてもただの夢とは思えなかったけど……もしかして古泉君主催の何かのイベント?)
「なら、とにかく動かないと始まらないわね。外に出るわよ」
ハルヒは有希を連れて、ドアへと向かい勢い良く戸を開ける。溢れる光がハルヒの目を麻痺させる。数秒掛けて視力を取り戻したハルヒだが、依然目がバカになっているのかと疑問に思ってしまった。
ハルヒの目の前にいるのは、6人の少女。ハルヒと同年代の3人は、揃いの黒い軍服らしき制服を身にしている。一人は赤髪の二つおさげ。肩にはフェレットを乗せている。もう一人は赤髪のロングを大きな黄色のリボンでまとめている。最後の一人は銀髪にうさぎの耳を模したカチューシャをした、白人系の少女。
残りの3人のうち二人はハルヒ達より若干年下。種類は違うがやはり軍服っぽい制服だ。一人は栗色のサイドポニー。一人は金髪のロングで、白人系である。最後の一人は紫色の私服の少女で、やはり彼女も白人系だ。
キョンや古泉一樹がいるものとばかり思っていたハルヒは、見ず知らずの人間に囲まれてしばしの間思考停止した。
その間に有希がハルヒより前に足を踏み出した。見知らぬ6人からハルヒを庇うような立ち位置である。
「長門有希……なんであなたまで」
フェレットを連れた少女が有希の名を呟いた。有希は無言のまま彼女をじっと見つめている。有希の表情には一見何の感情も表れていないように見える。だがハルヒは有希から強い敵意と警戒心を感じ取っていた。有希から敵意を向けられ、少女は息が詰まりそうな表情をしている。
「待って」
とそこに黄色いリボンの少女が割り込んできた。有希とリボンの少女が互いの瞳を見つめ合っている。
「……有希、どうしたのよ」
ハルヒが躊躇いがちに有希に訊ねる。が、有希は、
「何でもない」
と言って後方に引っ込んでしまった。仕方ないのでハルヒが矢面に立つ。ハルヒは腕を組み、偉そうにして見せながら問うた。
「……で、あんた達、何?」
「わたしは岡島さより」
「鑑純夏です」
「社霞です」
「高町なのはです」
「フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです」
純夏となのはとフェイトは敬礼付で名を名乗る。
「わたしはイリヤスフィール」
「長門有希」
一連の流れに沿って有希がさらっと自己紹介を済ませる。ハルヒは傲然と胸を張り、一同に告げた。
「あたしはSOS団団長涼宮ハルヒ。ハルヒとでも、団長とでも、好きなように呼びなさい」
事情は道々説明するから一緒に来てほしい、との純夏の提案をハルヒと有希は受け入れた。さより達は8人の大所帯で横浜基地に戻るべく歩いていた。先頭を純夏・ハルヒ・有希の3人。真ん中の列は霞・さより・イリヤ。後方になのは・フェイトという隊列である。
旧横浜市街地は廃墟と荒野の中である。雑草が多少生えているが、植生は未だ砂漠同様であるため非常に埃っぽい。人影は全くなく非常に静かな中、ハルヒにこの世界の状況を説明する純夏の声だけが聞こえていた。
さよりは後方から涼宮ハルヒの様子を伺っている。ハルヒは周囲の状況が気に掛かるらしく、ひたすら周囲を見回していて純夏の説明をあまり聞いていないようである。
長門有希はセーラー服にカーディガンを羽織った、整った容貌の小柄な少女だ。ショートの髪は少し脱色していて、くすんだ灰色の色合いが加わっているように見えた。先ほどさよりに向けた敵意が嘘だったかのような、無表情・無言のままで純夏に同行している。
さよりは内緒話を聞かれないようハルヒ達から少し距離を置き、霞に質問した。
「……長門有希、あの子はどうしてわたしにあんな敵意をぶつけてきたの? 霞ちゃん判る?」
霞はかすかな苦笑をひらめかせた。
「自分達を突然この世界に引っ張ってきたのが、それを実行したのがさよりさんだったからです。クロノさんの言う通り、わたし達の行為はされる側からすれば拉致としか言いようがありません」
さよりは密かに赤面した。さよりは平行世界を放浪した1年間、何度も牢屋にぶち込まれたり処刑されそうになったり生け贄にされかけたり陰謀や戦闘に巻き込まれたりと、波瀾万丈の旅を送っていた。このためユリカにより突然異世界に連れてこられたこと、それ自体はさよりにとっては大した問題にはならない。だがその感覚を他者にそのまま適用するのは、大いに問題があったようである。
「見た限りではそんな風に見えないけど、彼女はまだ怒ってる?」
「いえ、純夏さんが彼女に事情を全て話して説得して、彼女もそれで納得したようです」
00ユニットと、情報統合思念体謹製の対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイスとの間では、いつの間にやら情報交換が済まされていたようである。おそらくファーストコンタクト時の見つめ合いがそれだったのだろう。
「彼女はわたし達がある条件を呑むことと引き替えに、わたし達に協力することを確約しています」
「その条件て?」
「涼宮ハルヒ、彼女の力のことを彼女自身に明かさないこと。彼女の安全を保証することです」
さよりはその条件に納得した。
「じゃあ涼宮ハルヒ、彼女の方はどんな感じ? 想像していたよりも反応が随分大人しいんだけど」
「自分達が騙されている可能性、今自分が夢を見ている可能性を徹底的に検討しています。常識という枠組みに捕らわれているため、状況を受け入れられないようです」
ま、普通はそうだろうな、とさよりは思う。……涼宮ハルヒを普通に入れて良いのかどうかという疑問は残るが。
その間にも純夏の説明は最も重要な箇所へと入っていた。BETAの大群が太陽系に接近していること、それに対抗するための戦力を揃えようとしていること、その準備のために必要な人材を平行世界から集めていること。
「――そして涼宮さん、あなたがこの世界に導かれた。それは、あなたに我々が必要とする力があることの証です」
純夏はハルヒの思考を誘導していた。ハルヒが名指しで召喚された事実を隠し、必要な力を持つ人間を無作為に召喚したら出てきたのがハルヒだった、という印象になるよう情報を操作した。
「あたしに何の力があるって言うのよ」
「それは今この場では言えません。ですが、あなたには我々が求める力があり、役割がある。そのことは忘れないでください」
ハルヒはそのまま沈黙する。
ハルヒへの説明が一旦終了する頃、さより達は横浜基地に到着した。
横浜基地に到着後、ハルヒは真っ先にトイレに向かった。その間にさよりは有希を連れて移動する。
「涼宮さんが戻ってきたら適当に誤魔化しておいて」
純夏等にそうお願いし、さよりは有希とともに未使用の会議室にやってきた。
有希は無言だが「何?」と言いたげにさよりを見つめている。さよりはその有希に向かい、深々と頭を下げた。
「――ごめんなさい、とんでもないことに巻き込んじゃって。わたし、あなた達の事情とか意志とか全然考えていなかった。フィクションに登場したあなた達のことしか頭になくて、心や血肉のあるあなた達のことを忘れていた」
有希の表情は一見動きがないように見えるが、見る人が見れば驚いているように見えただろう。
「……構わない。判ってくれればいい」
有希はぼそぼそとそれだけを言う。さよりには有希がもう怒っていないと確証は持てなかったが、怒っていようといまいと彼女の対応がいつもこんなものだと知識としては知っている。だからこの件についてはこれで終わりと区切りを付けることにした。
さよりは話を次に移した。
「ところで涼宮さんのことなんだけど。元の世界に戻った後どうするの?」
「記憶を封印する」
有希がそう即答する。
「やっぱりそうするんだ。じゃあこの世界にいる間は何もかも話しちゃっても構わないんじゃないの? 涼宮さんの力のことも含めて」
さよりの疑問に対し、有希はとつとつと説明した。
「もし彼女が自分の力を自覚した場合、わたしでは彼女に対抗できなくなる。彼女の記憶を封印できないまま元の世界に戻ることになる。非常に危険」
「危険? 元の世界が、ってこと?」
「それもある。でも、何より彼女自身にとって危険」
意外なことを言われ、さよりは目を見開いた。
「彼女が自分の力を自覚し、自分の意志によってその力を振るうなら、出来ないことは何もない。でも人間の精神はそんな力に耐えられるほど強くない。力を暴走させて自滅するか、彼女自身が暴走して地球を破壊するか、自分の力を恐れて自殺するか。結果はそのいずれかになる」
言われてみればその通りだ。さよりは有希の説明に納得した。それと同時に、有希にとってハルヒが単なる監視対象ではないことに気付かされる。
「そっか、涼宮さんは大事な仲間だもんね。暴走なんかさせられないか」
有希がわずかながら身体を揺らす。さよりは赤面して動揺しながら「何を言うのよ」と言う長門有希を幻視した。
「……彼女は膨大な魔力を持っている。銀河聖杯を起動できるのは彼女だけ。伝えていいのはそれだけ」
有希が話を転じる。さよりもそれに対応した。
「それは言っちゃうんだ。大丈夫なの?」
「伝えないことには彼女は自分の役割を果たせない。膨大な魔力が内在している、だけでは彼女は自分の力を自覚できない」
むしろ「魔力」という曖昧で怪しい言葉は、彼女の力の本質を隠蔽する役に立つだろう。
「うん、判った。じゃあその方向で涼宮さんとは話をするね」
打ち合わせを終え、さよりは有希とともに皆のところへと戻っていった。
ハルヒは既に純夏達と一緒にいた。ようやく戻ってきた有希達をハルヒが発見する。
「有希、どこに行ってたのよ」
それに答えたのは純夏である。
「ごめん、涼宮さんの分と一緒に書類手続きをお願いしてたの。軍隊もやっぱりお役所だから、そういうのが必要なの」
ハルヒからは、ふーん、と気のない返事が返ってくる。
「それじゃ案内します」
純夏の先導でハルヒ達が動き出す。行く先は海軍港4番ドックの「アースラ」である。
さより達8人は2台のジープに分乗して4番ドックへと向かった。さよりが乗ったのは純夏が運転するジープで、同乗者はハルヒ・有希。もう一方のジープは霞が運転している。さよりは有希に頼み、後部座席のハルヒの隣の横を席を譲ってもらった。
「……まだ夢か何かだって疑ってる?」
しかめっ面で基地内の光景を見回すハルヒに、さよりはそう話しかけた。
「――そうね。正直言って現実とはとても思えないわね。異星人と大戦争? 日本の半分が壊滅してて、地球人口は十数億? ロボットが兵器の主戦力? あたしには秘められた力があって、運命に選ばれた? はっ、どこのラノベよ」
ハルヒは皮肉げに口を歪めて鼻で笑った。さよりは、
「夕呼先生なら『あんたがわけわかんなくても現実は変わらない』って言うところだなぁ」
と考えている。
「そう言いたくなるのも良く判るわ。わたしもこの世界出身じゃなくて外の世界から来たから。でも、わたし達にとってはゲームか小説の中としか思えないこの世界だけど、この世界の人達にとっては二つとない現実なのよ」
ハルヒは大きく目を見開き、さよりを見つめた。さよりは話を続ける。
「わたし達は一時的にこの世界にお邪魔しているだけ。この世界の人達からすれば、わたし達の存在の方が夢か幻みたいなものなのかも知れない」
「……胡蝶の夢、ってやつ? 夢を見たのは蝶の方か、私の方か」
「うん、それそれ」
さよりは不意にハルヒの手を握った。ハルヒはいきなりのことで、身を固くする。
「――わたしにはちゃんと体温もあるし、切ったら痛いし血も流れる。涼宮さん、それは今のあなたも同じでしょ? もし今見ているのが夢だったとしても、ここまで現実に即しているならそれはもう『もう一つの現実』と考えていいんじゃない?
登場人物は想像の産物や人形なんかじゃなく、それぞれちゃんと意志と人格を持っている。次に何が起こるのか誰にも判らず、自分の思い通りになることはほとんどない。怪我をすれば本当に痛いしなかなか直らない。下手を打てば死んでしまって二度と目が覚めない。今あなたが見ているのはそんな夢なの」
ハルヒはさよりの話を聞き、自分の考えに沈み込んだ。
「夢……平行世界……そんな超常現象、まさか、本当に……?」
俯きながらぶつぶつ呟いているハルヒ。だんだん興奮してきたハルヒの心臓は早鐘を打ち、血液の大半が脳と顔面に集まった。ハルヒがのぼせたような顔をさよりへと向ける。
「だ、騙されないわよそんな口車に。そう、これは超常現象なんかじゃなくてただの夢。現実よりも過酷な世界で登場人物には意志も人格もあるしここで死んだら本当に死んじゃうかも知れないけど、それを除けば普通の夢と変わらないわ」
さよりは程良くテンパりつつあるハルヒを宥めようとした。
「うんうん、ちょっと特殊なただの夢だから。深く考えずに現実と変わらないと思って対応いていけばいいわ」
ええ判った、とハルヒが頷く。
「それであたしの力って、役目って何?! きっとあたしにしか動かせない兵器が用意されているとかよね? でやっぱりそれは巨大ロボットよね!」
「現実」を受け入れたハルヒはテンションをほぼ垂直に急上昇させる。
「シューティングゲームは得意じゃないけど、運動神経には自信があるわ! ちゃんと特訓すればきっちりロボットを動かしてみせる! そう特訓よ! マンネリと言われようとお約束と様式美は欠かせないわ!」
「……いや、あなたの役目はそーゆーんじゃないから」
さよりはハルヒを落ち着かせようとする。「ああ、やっぱりこの子はこーゆー子なんだなぁ」と、さよりは思わず遠い目をしてしまった。
話をしているうちにジープは4番ドックに到着した。4番ドック周辺はクロノ達により認識阻害と人払いの結界が幾重にも展開されており、さらにその外側を横浜基地の歩兵中隊と戦術機小隊が歩哨に当たっている。ジープは歩哨の検問を通過し、そのままドックの中へと入っていく。
「こ、これが!」
ハルヒが驚嘆の声を上げた。4番ドックの中には巨大艦「アースラ」が鎮座している。暗闇のドックの中に、修理のため外部照明を灯した
「アースラ」の姿が鮮やかに浮かび上がっていた。
「これがロボットに変形するのね!! 名前は何?! 合体機能は?!」
ハルヒのテンションは今最高潮である。「あやば鼻血が」と顔を伏せるハルヒ。有希からちり紙を渡されて鼻を押さえるハルヒを、さより達は生温かい視線で見守った。
「アースラ」で一番大きい会議室は、今や「BETA大群対策本部」と言うべき有様である。その部屋にはユリカが常駐し、クロノやなのは等「アースラ」主要メンバーも一日の大半をそこに詰めている。夕呼も、横浜基地よりずっと設備が整い防諜面でも安全な「アースラ」が本部となることに異存はなかった。
さより等8人がその会議室に戻ってきて、元からいたユリカ・クロノ・カイエン・夕呼と合流。対策本部の現時点のフルメンバーが揃ったことになる。12人が会議机を囲んで着席した。
「……マックホルツ遊星は太陽系に接近するBETAの大群の斥候ではないかと考えてるんですけど、その地球最接近も目前に迫っています」
ユリカを司会進行役として、対策本部会議が始まった。
「ですがわたし達はその前に必要な人材を全て集めました。このメンバーなら、BETAの大群にも臆する必要はありません」
ユリカはハルヒのために銀河聖杯起動と召喚の手順について改めて説明した。ハルヒがイリヤに魔力供給・さよりが召喚対象を指定・ユリカが召喚対象の所在を確認・さよりが召喚実行、純夏がさよりの補助として召喚対象をナビゲート。
ハルヒは不服そうに頬に膨らませた。
「あたしは単なる燃料タンクか」
という不機嫌そうな呟きがさよりの耳に届いた。
「銀河聖杯は一度起動し召喚を実行したなら、しばらく間を起きないともう一度使うことは出来ないわ」
イリヤが聖杯の仕様について説明する。
「しばらくというのは?」
「前例が少なすぎて判らない。短くて二、三日。長ければ数年。召喚対象が多数・強力であればあるほど休眠期間が長くなるわね」
クロノと夕呼が互いに難しい顔を見合っている。
「正直、試験や実験もなしにぶっつけ本番の召喚実行にはかなり不安があるんだが」
「ええ確かに。でも二、三日の間というのは状況によっては致命傷になりかねないわ」
マックホルツ遊星最接近まであと76時間だが、BETAの大群がそれとは無関係に今日、今侵攻してくる可能性もないとは言えない。それを考えれば銀河聖杯の試験や実験による召喚は出来ない、という結論となった。だがやはり不安はぬぐえない。
「大丈夫です、ちゃんとやってくれます。みんなの、さよりちゃんの力を信じるしかないと思います」
ユリカがそう話をまとめ、クロノ達も不安を隠してそれに頷くしかなかった。そのさよりは、
「もし失敗したらわたしのせいになるの?」
と今更ながらのことに気付いて冷や汗をだらだら流している。一方ユリカは不機嫌そうなハルヒに目を留めた。ハルヒは面白くなさそうな様子で片手で頬杖を付ながらそっぽを向いている。
「――ハルヒちゃん、何か言いたいことある? 疑問とか不満とか意見とか」
「別に何も。ご心配なく。自分の役目はきっちり果たすから」
ハルヒはユリカの方を向かないままそう答えた。
「BETAの本隊が到着したならそれに合わせて召喚を実行します。召喚の機会は一度しかないので、その一回で可能な限りの戦力を連続召喚し、一気に本隊を殲滅します。ハルヒちゃんの魔力量があって、初めて可能な作戦です」
銀河聖杯は魔力の供給が絶えない限りは起動し続けるし、連続召喚も可能である。これまではそれだけの魔力を供給できる契約者がいなかっただけである。
涼宮ハルヒは自覚や意識もなく、自分の都合の良いように宇宙すら作り替えてしまう。魔法や魔術を「意志の力で現実を自分の都合の良いものに変えること」と定義するならハルヒは間違いなく宇宙最強の魔法使いであり、その魔力量も無尽蔵に等しい。
「とりあえず、準備は全て終えておきましょう。さよりちゃんとハルヒちゃんはイリヤちゃんと契約してください」
名前を呼ばれた三人が席を立って、一箇所に集まる。さよりとハルヒは当惑したような表情を見合わせた。
「契約って、どうやるのよ」
「さあ。イリヤちゃん、どうやるの?」
さよりの問いに、イリヤは小悪魔そのものの笑みを見せた。
「わたしのこの姿から想像できない? 粘膜接触による体液交換よ」
「な……」
と言ったまま絶句するさよりとハルヒ。二人とも急速に顔に血を昇らせる。
「ちょっ、まっ、何でそんな方法なのよ! 他の方法はないの?!」
ハルヒはそう喚きながら、クロノ達にも確認する。クロノは平静を装いながら答えた。
「その契約方法は確かに多くの次元世界で使われている、割合一般的なやり方だ。それに、魔法の素養がない人間でも簡単に出来るという利点がある。ミッドチルダの契約儀式は君達には難しいかも知れない」
クロノの言葉にイリヤが追加する。
「『アースラ』の誰かがわたしと契約するならともかく、そうでないならミッドチルダの契約儀式は使えないわよ。手伝ってもらう必要はあるけれど。契約の魔方陣を描いてもらって、その中で呪文を唱えてキスによる体液交換。それで契約は完了よ」
イリヤが契約の手順を簡単に説明した。さよりはなかなか踏ん切りが付かなかったが、ハルヒが意を決した。
「ふん! こんな幼女とのキス、仔猫に舐められるのと別に変わらないじゃない。どうってことないわ」
イリヤは幼女呼ばわりされ、一瞬無表情になった。が、すぐに平静を取り戻す。
「契約の魔方陣をお願い」
イリヤの依頼を受け、クロノがデバイスを使って魔方陣を展開。イリヤとハルヒがその中心で向かい合った。イリヤがドイツ語らしき言葉で呪文を唱え、最後にハルヒに問う。
「Schließt du ein Vertrag mit mir?」
「ええ、あなたと契約を結ぶわ」
イリヤの問いに対し、ハルヒは躊躇なく答えた。ハルヒとイリヤは目を瞑り、ゆっくり顔を寄せ合った。そして、二人の唇が触れ合う。最初は唇が触れ合うだけだったが、
「むっ……! うぐっ……!」
イリヤの舌がハルヒの口内に侵入する。逃げようとするハルヒの頭部をイリヤは掴んで話さない。じたばたするハルヒに構わず、イリヤは舌技でハルヒを蹂躙した。
一同が赤面しながら見守る中、イリヤは散々ハルヒを弄ぶ。ハルヒがようやく解放されたのは5分以上経ってからである。脳が熱暴走を起こしてぶっ倒れているハルヒに対し、イリヤは妙に艶やかな肌と笑顔を輝かせていた。
「――さて、次はさよりね」
イリヤは猫科の肉食獣のような瞳をさよりへと向ける。逃げようとするさよりだが、純夏と霞に捕まった。そのままイリヤの前へと連行される。
「お願い離して純夏ちゃん霞ちゃん!」
「逃げないでさよりちゃん。心配しなくても仔猫に舐められるのと大して変わらないから」
「こんなたちの悪い猫いない!」
いないことないけどなー、等と考えているクロノやその他メンバーに生温く見守られながら、魔方陣の中の放り込まれてそのままイリヤに補食されるさより。イリヤがさよりを弄んだ時間は、ハルヒよりは短かったとだけ記しておく。
契約の儀式が終了し、
「ま、なかなか乙なお味だったわ」
と満腹げなイリヤ。
「……うう、ヤマグチノボルめ、赤松健め……」
とよく判らない方向に八つ当たりしているさより。
「……女同士なんだからノーカンよノーカン」
とひたすら自己暗示を掛けているハルヒと、対策本部は混沌とした状況になっていた。
「……涼宮さんはカウント1だっけ」
ハルヒの自己暗示を耳にしたさよりがぼそっと呟く。
「なっ何で知って――じゃなくて! あれは夢よ夢!」
「今ここにこうしていることだって夢だって言ってたでしょ。じゃあその夢だってただの夢じゃないかも」
うぐ、詰まったハルヒをさよりは追い詰める。
「でその彼と涼宮さんはどんな感じなの? あと彼の本名も教えて」
「そういうさよりは誰か良い人いないわけ?」
ハルヒの反撃にわずかに動揺するさより。さよりの視線が一瞬カイエンの姿を追ったのを、ハルヒは見逃さなかった。
「……ふふん」
「な、何」
形勢は一瞬にして逆転しさよりが不利となった。恋する乙女二人の対峙を、一同が興味半分・呆れ半分で見守っている。
「……標的を変更しようか」
「ま、いいでしょ」
さよりは他人を身代わりにしてハルヒとの抗争回避を選択、ハルヒもそれに同意した。獲物を探す二人の視線が同時に標的を定める。
「――にゃあっ?!」
二人の視線に捕らえられたなのはが逃げようとするが、その前に両脇
をさよりとハルヒに固められた。
「それでなのはちゃん、ユーノ君とは実際のところどうなのかな?」
「ふんふん、ユーノ君ていうんだ。どんな子?」
「あ、ユーノはなのはの魔法の師匠で」
「フェイトちゃん?!」
なのはの表情が「ブルータス、お前もか」とばかりに絶望に染まった。いつの間にか純夏と霞もなのは包囲網に加わっており、なのはは逃げようがない。
恋愛談義に花を咲かせる乙女達がいる一方、クロノやカイエンは、
「これで聖杯起動の準備は全て終わったと考えていいのか? イリヤスフィール」
と真面目に仕事の話を続けている。間違っても彼女達の話題に巻き込まれないよう逃げたとも言う。
「ええ。あとは起動して召喚を実行するだけ。敵の本隊を待つだけね」
「その前にマックホルツ遊星との接触がある。我々の送ったサーチャーが明日には接触する予定だ」
「データの提供をお願いね」
「立ち会っていただいても構いませんよ」
準備は全て終わっている、後は会敵して戦うだけだ。そしてそれはごく間近に迫っている。夕呼達はそんな確信を抱いていた。