義理
曹操は泣いていた。
床に蹲って、本当に悔しそうに泣いていた。
袁紹に馬鹿にされ、旧友の許攸にまで哀れみを受け、そのうえ関羽もあの憎い一刀の許へ行ってしまった。
人生最悪の日だ。
「華琳様……」
そこにやってきたのは荀彧と夏侯惇。
「なによ!」
涙を隠すこともせずに、二人の方に向き直る曹操。
「君主の怒り、悲しみ、憎しみ、そういった負の感情を鎮めるのは臣下の務めと考えます」
「ですから、華琳様のそのお気持ち、私達が受け止めます」
曹操は二人を見て、
「覚悟はいいのね?」
と、念を押す。
暫く時間が過ぎて………
「あ~ん、かりんさまぁ~、もうゆるしてくださ~い」
「うっ、ああっっ、かりんさま、おゆるしください」
曹操に虐められて喜んでいる変態2名がいた。
「桂花!春蘭!当初予定通り、呉を叩くわよ!
徹底的に叩くわよ!」
「「ぎょい……あはぁん」」
曹操の怒りの矛先は、呉に向かうことになった。
沮授の作戦は次のようなものだった。
劉協の希望である、民の救済は真っ先にしなくてはならない。
一番簡単なのは、漢から人間が出向いていって魏の人々に食料を支援するという方法。
この方法だと魏の民は曹操を見捨てるだろうから、魏は滅びるだろうが、曹操や彼女に仕える将・参謀は漢に叛いたままだから、どこかに逃亡して後々禍根を残す可能性が高く、これはあまり取りたくない策である。
曹操が、「私が悪かったです」と頭を下げるシーンは想像できないから、この案は却下。
だから、どうにか曹操を倒して、臣下に下るなら臣下にして、下らないなら一族郎党殺してしまう必要がある。
そうすれば禍根もなくなる。
次に何も条件をつけずに食料を渡す方法。
これも一つの策ではあるが、最終的に魏が滅びるまでの道筋が明確でない。
魏の民が曹操に反抗し、それを曹操が押さえつけ、ということが起こってしまうと、折角餓死は逃れたのに戦死してしまう可能性もある。
これも今一つ面白くない。
というわけで、沮授が取った策は、ほとんど「くれてやる!」という状況で山のような食料を曹操に渡してしまう方法だ。
そうすると、渡された状況は兎も角、とりあえず食料を支援されたという事実は覆せないから、一応恩を受けたことになってしまう曹操である。
しかし、恩と一緒に怒りも生じるから、どうにかその怒りを発散させなくてはならない。
今すぐに袁紹に楯突くのは流石に仁義にもとる行為であり、そうなるとその向かう先は呉しかない。
恐らく、荀諶が使者に行った後に曹操は呉の侵攻を決めているだろうとは予想していたが、万が一侵攻先が漢になると面倒なので、確実に呉を攻めさせるための布石でもある。
そして、呉を曹操に滅ぼさせておいて、国力が圧倒的な漢が曹操を滅ぼせば楽に魏と呉を滅ぼすことができるというものだ。
逆に、魏が呉に滅ぼされたらやっぱりぼろぼろになってしまった呉を叩けば簡単に魏と呉を滅ぼすことができる。
だが、沮授としては魏が勝ってくれた方がありがたい。
魏を倒すなら許都で済むが、呉を倒そうとすると建業かどこか、呉の領土まで行かなくてはならない。
だから、十分に飯をくれてやって、怒りスパイスも添加すれば元気百倍で呉を叩いてくれるに違いない。
呉の残党がいれば、それも考えなくてはならないが、曹操軍よりは簡単に掃討できる雰囲気はある。
そこまで考えての沮授の作戦だった。
確かに、おとなしい顔をしてえげつない作戦を考えるものだ。
最初に荀諶を送ったのは、その後、本命の旧友の許攸を送るため。
一度は袁紹に逆らっておいたほうが許攸を受け入れやすいだろうという考えである。
これが、今回の烏巣での作戦の概要である。
沮授の作戦は、その後、魏を滅ぼすところまで展望があるが、それは追って明らかになる。
うまくいくかどうかは別であるが、これまでのところ曹操は沮授の掌の上で踊っているように見える。
袁紹軍は、最初は食料運搬に普通に兵と将を送ろうとしたのだが、一刀が顔良、文醜は絶対駄目!というので、だったらどうせ茶番の攻撃なんだから、普通の農民でも観光目的で遊ばせてこようと言うので、引率は農民の支持が強い一刀になったのだ。
農民も、農閑期で仕事もない時に、些少ではあるが臨時収入も入り(要するにアルバイト)、河水を見ることが出来ると喜んでいた。
おまけに、旅中の食事なんかも支給されるし、いいことづくめ。
まあ、烏巣に食料を運び入れると言う仕事はあったのだが、危険を伴う仕事ではない。
そして、食料を運び入れた後に、烏巣を離れて待っていたというわけだ。
食料の搬入は結構大変だった。
流石に千万石の食料である。
量が半端でない。
50万人の人間を擁し、荷車や船を何往復もさせて、結構苦労して運び入れたのである。
沮授が新たなシナリオを考えてすぐに運び入れ始めていたが、それでも相当時間がかかる。
許攸は運びいれが完了するのを待っていたのだった。
一刀が出かけるので、呂布や陳宮も一緒だが、今回は完全に観光気分。
一刀に危険が及ぶようであれば呂布が動くだろうが、全くそんな様子はないので全員で烏巣からぞろぞろと退去していった。
それに、あの状態で何か危ない状況が起これば、関羽が助けてくれるだろう。
そのころ、烏巣の城外では……
下半身から一刀エネルギーを受け取った関羽が、ほっとしたのか一刀に抱かれて幸せそうに眠ってしまっていた。
今は給油プラグは外されている。
関羽が一刀と最初に抱き合ったのは、まだ昼間だったが、眠っているうちに日が落ちてしまって、今はもう真っ暗だ。
街灯もないから、月と星だけの明るさで、現代の感覚からすると本当に真っ暗だ。
「ん、ん~~……」
「あ、愛紗さん、目が覚めました?」
「一刀さん。
夢ではなかったのですね?」
「ええ。愛紗さんが余り激しく欲するので、思わず服を着たままやってしまいました」
「そんな……あまり恥ずかしいことを言わないでください」
口では恥ずかしそうだが、嬉しそうにしっかりと一刀に抱きつく関羽。
「それで、何で曹操さんのところにいるんですか?」
「色々………あったんです。
色々………辛いこともあったんです。
それで、一刀さんに慰めてもらいたかったんです」
関羽が曹操に何をされているか、何となく分かる一刀である。
「愛紗さん、このまま麗羽様のところに行きましょう。
曹操兵もいませんし、このまま去っていっても誰にも止められません。
麗羽様のところだったら、そんな辛いこともないと思います。
俺が何とかします」
「ありがとう、一刀さん」
と、一刀の意見を受け入れるかと思われた関羽であったが、
「でも、私は曹操の臣下、曹操様の許を離れるわけにはいきません」
と、拒否してしまうのである。
「え?!でも、曹操さんのところにいると辛いんでしょ?
そこまでして曹操さんに義理立てすることもないでしょう」
「これは私自身のけじめです。
だから、一刀さんが何を言っても意志を変えるつもりはありません」
「でも……」
「お願いです。これ以上私を困らせないでください。
その代わり、一つだけお願いが」
「何ですか?」
「明日の朝まで、私に元気をください。
もう、あたりも暗くなっていますし」
一刀は、関羽の服に手をかけた。
翌朝、関羽は脱ぎ散らかされた服の埃を落とし、それを身に付け、身だしなみを整えて、烏巣に向かった。
朝日の中の関羽の裸はヴィーナスの誕生のように美しかった。
一刀も、業都に戻るため、他の農民がいるところに向かっていった。
「関羽じゃないの。
あのまま袁紹軍に下るかと思ったわよ」
戻ってきた関羽を出迎えたのは、曹操の嫌味な言葉であった。
「私は曹操様の臣下ですから」
「あんなことを見せ付けられて、臣下に留め置くことができると思っているの?
もう、顔も見たくもないわ。
とっとと出て行きなさい!
あの男のところでも、どこにでも行くがいいわ!」
関羽は曹操のところを追い出されてしまった。
そして、関羽の向かった先は……劉備のところだった。
烏巣を離れるときに、夏侯淵が曹操に隠れて路銀を渡していた。
関羽の将来は不明だが、旅は無事に進むことだろう。
「ただいま」
一刀も自分の部屋に戻ってきた。
部屋には田豊と沮授がいる。
田豊は窓の外を見てたそがれている。
沮授は座って本を読んでいる。
既視感のある風景だ。
そう、一刀が業に最初に来たときに見た風景と同じようだ。
「?…………………………………ただいま」
返事がないので、一刀がもう一度声をかけるが、二人とも一刀に返事をせず、代わりに田豊が窓の外から視線を動かすことなく、沮授に話しかける。
「ねえ、清泉、知ってる?」
「何をですか?」
沮授は本に目を落としたまま答える。
「袁紹軍が烏巣を攻めたでしょ?」
「ええ」
「その時、曹操軍に一人で向かっていった男がいるのですって」
「そうなのですか。それは勇敢なことですね」
「ええ。でもね、それからその男は敵の女の将と、何十万もの人々が見ている前で愛し合い始めたんですって」
「そうなのですか。それは別の意味で勇敢なことですね」
「しかも、その男、正室がいるらしいのよ」
「それは大変ですね。
一体その後どんな顔をしてご正室と顔を合わせるのでしょうね?」
「本当ね。見ものよね。
それでね、その正室って私達らしいのよ」
「まあ、大変。どうしましょう?」
田豊の視線が室内に移る。
沮授の読んでいた本がぱたりと閉じられる。
二人の淀んだ視線が一刀を捕らえる。
その間、一刀はぺこぺこと土下座をして謝るしかないのである。
その後、一刀は正室たちの気持ちを鎮めるのに二日二晩不眠不休で閨で戦い続けたのであった。
そして二日後……
一刀はげっそりとやつれていた。
正室たちは光り輝いていた。