先制
曹操は出立に先立ち、夏侯淵、程昱を呼んでこう言い伝えている。
「許都を攻撃された場合は五日、いえ三日持たせなさい。
そうしたら呉を攻め込んでいる私達が戻るから。
それだけ揃えば総戦力でも袁紹軍と互角になるでしょう。
何としても私が留守の間に許都を落とされる真似だけはしないように!」
「「御意!」」
一応準備はしたものの、それでも不安な曹操は、呉を攻める本体がいつでも許都に戻れるよう準備はしておくことにした。
確かに曹操本体が戻れば、いくら袁紹軍が強いと言ってもそう簡単には許都を落とせないだろう。
沮授ら、袁紹軍に与えられたタイムリミットは攻撃開始から3日間。
その間に許都を落とすことができたら袁紹軍の勝ち、落とせなかったら混沌とした戦闘が続く可能性がある。
とはいうものの、袁紹軍が許都を落としに行くのは、呉が破れてからの方がいいから、そうなると袁紹軍が許都を攻める日程は本当に極めて限られるものになる。
まず、呉が破れたと言う情報が袁紹軍に齎される。
それが齎されてから袁紹軍が許都を攻め始める。
だが、情報伝達と一緒に曹操軍も許都に戻っている。
情報伝達の速度と曹操軍の速度が一緒だったら、袁紹軍が許都に着くときには、曹操軍は既に許都についてしまっていることになる。
これでは、留守の間に、という作戦にならなくなってしまう。
かといって、フライングで許都を攻め始めたら、呉が破れる前に攻撃を開始することになり、曹操は呉を破る前に戻ってきてしまうから、楽に2国を潰すと言う作戦でなくなってしまう。
そんなピンポイントのタイミングで許都を攻め落とすことができるのだろうか?
それとも、曹操軍が戻ってきてから叩くのだろうか?
曹操軍も孫策軍との戦いで疲弊していたり、数を減らしたりしているだろうから、それはそれで有効な作戦の気もするが。
袁紹軍の心配はおいといて(って、実はこの話は袁紹伝なのですが……)、曹操の進軍の話を進める。
曹操軍、事前に入手した情報を元に、孫策のいるであろう合肥目指して一直線に進む。
合肥は揚州の豫州に近い位置にある街で、曹操軍が途中他の敵と会うことはなく、いきなり曹操軍と孫策軍が対峙することになる。
戦う場所が許都に近いというのは曹操にとっては有利な状況である。
これが、広大な揚州の奥深くに逃げ込まれた、というようなことが起こると、曹操軍は許都に戻ることを考え侵攻を諦めなくてはならない状況になったかもしれないが、孫策も曹操同様敵とは正々堂々と戦うと言う性格なのか、合肥に全勢力を動員している。
袁紹軍との共闘であれば、曹操軍を遠くに遠くに引き離していくという戦術も有効だろうが、単独行動なのでそんなことをしても孫策軍にはそれほどメリットはない。
船が十分あればそうしたろうが、残念ながらないものはない。
むしろ、揚州の民を守ると言う見地からは揚州に被害が及ぶ前に曹操軍を叩くべきだから、豫州との州境に近い位置での戦いの方がよい。
という双方の思惑が一致して合肥での戦いが行われることとなる。
曹操軍、合肥に着くなり衝車と雲梯車の組立を開始する。
「あれ、なあに?」
遠目に見える得体のしれない物体に孫策が興味を示している。
「さあ。元戎は弩の一種だそうだから、違うようだ。
霹靂車だろうか?
でも、確か霹靂車とは岩を飛ばす道具だと聞いているのだが、何となく想像していたものと違うな。
箱とカブトムシだな、あれは」
「冥琳の知らない兵器なんじゃない?」
「そうだとするとまずいな。
あの兵器の特徴を知って、それから対策を考えなくてはならないが、そんなことをする前に負けてしまうかもしれぬ。
まあ、あの格好から想像するに、箱はあの上に乗ってそこから弓を射るものだろう。
考えは単純だが、効果は馬鹿に出来ないな。
それから、カブトムシはあの角で城壁を壊すものだろう。
構造は簡単だが、これもなかなか侮りがたいな」
「そうね。
でもまあ、私がどうにかするわよ。
ところで、この間言ってた風向きはどう?」
「今のところ悪いな。
戦う前に風向きが変わってくれればよいのだが。
曹操軍いつ攻め込んで来るだろうか?」
「明日じゃない?」
「私もそんな気がする。
だとすると、明日、攻め込まれる前に風向きが変わってくれなくてはならないが、厳しいかもしれぬ」
「困ったわねえ。
じゃあ、今の内に攻め込んじゃいましょうか?」
「……いいかもしれぬ。
暗くなってからな」
「ええ。それなら、白兵戦になるし、曹操軍20万といっても、かなりの兵が得体のしれない兵器の組立に従事しているから、私達10万の兵といい勝負になるでしょう。
不意をつく分、私たちの方が有利よ」
「そうだな」
孫策軍は夜襲に備え、休憩をとる。
そして、夜半。
孫策軍の兵は、静かに合肥を出る。
夜襲に参加するのは結局2万。
あまり大勢が一箇所に密集すると、動きづらくなるので大軍で攻めればよいというものでもない。
曹操軍の布陣からして、2万程度の兵で攻めるのが丁度よいという判断だ。
曹操軍に気取られないよう、灯りも消して、静かに曹操軍陣営に近づいていく。
地形は熟知しているから、灯りがなくとも軍を進めることが可能だ。
地の利を生かした作戦である。
曹操軍では、未だに一部兵士が兵器の組立を続けていて、その所為か陣地全体が明るく照らされている。
他の兵は寝ているのだろう、どこにも姿が見えない。
新型兵器は天幕の更に奥に置かれている。
兵器の手前には山のような天幕。
曹操兵はそこで寝ていることだろう。
見張りはいるが、まだ孫策軍には気がついていないようだ。
見張りとの距離はおよそ20m。
もう、目と鼻の先だ。
孫策は深呼吸を一回して、全軍に指示を出す。
「突撃ーー!!」
孫策軍2万の兵が一斉に曹操軍に襲い掛かる。
見張り兵は、敵襲を告げ、大急ぎで陣営の深くに逃げ込んでいく。
孫策軍は、天幕を片っ端から破っていくが、中は無人だった。
明るくなっている曹操軍陣営に孫策軍が飛び込んでいくのだから、自ら的になるためにでてきてしまったようなものだ。
「しまった!」
孫策は後悔したが、もう遅い。
「撃てーー!」
曹操の指示で、曹操軍の弓が雨霰と孫策軍に襲い掛かる。
「撤収ーー!!」
敵に一太刀も浴びせることなく、無様に撤収していく孫策軍だった。
曹操軍だって、そのくらいの作戦は十分承知していたのだった。
曹操軍の方が一枚上手だった。
孫策の傍で、ばたばたと兵が倒れていく。
「ぐっ!」
孫策も、右肩に激痛を感じるが、止まるわけにはいかない。
どうにか合肥の城まで歩を進める。
城に辿り着いたのは、城を出た兵の僅かに半分、一瞬で一万もの兵を失ってしまった孫策であった。
孫策軍、完敗だった。