初陣
「………」
「………」
顔良と一刀が黙って荒野に立ち尽くしている。
黙って、というよりは声を発せられない状態のようでもある。
顔は二人とも引きつっている。
「た、たくさんいますね、斗詩さん」
「そ、そうですね。3万人くらい、でしたっけ?」
「そ、そんなことをいっていた気がします」
ようやく、声を振り絞ってそんな会話を始める。
そう、今二人は黄巾党にたった二人で立ち向かっているところだ。
前方には山のような黄巾党の暴徒達。
ゆっくりと徒歩で進軍している。
味方ははるか後方に控えているので、暴徒たちが投降しなかったら、救援に来てもらえるのは二人が死んだ後だろう。
二人の他に用意されているものは"顔"の牙門旗と"農"の幟。
暴徒達に二人の存在をアピールするために二人の後ろに立てられている。
大きさはいい勝負だが高級感がまるで違う。
"農"の幟も高級にしようという話もあったが、ほんの数名で見回りをするのに、そんな重いものは持てないという一刀の意見で、相変わらずみすぼらしい幟のままだ。
それから、少量の麦とビール。
「斗詩さん、襲われたら助けてくださいね」
「ななな何を言っているんですか!一刀さん。
私だって武器がないんですから。
一刀さんこそ男なんだから助けてくださいね!」
「そんなあ!素手だって斗詩さんの方が充分強いじゃないですか!」
「そういう問題ではありません。
心構えの問題です!」
「だったら、斗詩さんだって将軍なんだから心構えが充分でしょ?」
「……え~ん、一刀さんがいぢめるぅ」
と、そんな会話をしながら恐怖を忘れようとしている二人だが、現実は着実に進行している。
二人の前方で、黄巾党がピタッと止まる。
「……きちゃいましたねぇ」
「……ええ、きちゃいましたねぇ」
「行きましょうか?一刀さん」
「はい。もう腹をくくりましょう」
二人はとことこと黄巾党の前に歩み出る。
顔良は大きく深呼吸をして……
「みなさーーん!聞いてくださーーい!!
私は袁紹軍の将軍、顔良でーーーす!!
今日は、みなさんにお願いがあってやってきましたーーー!!」
顔良はここで息を整えるため、少し休む。
暴徒たちは、黙って顔良の言葉を聞いているようだ。
これなら、もしかするかも。
「何進さんの治めていたところは、袁紹様が治めることになりましたーー!!
袁紹様は、何進さんと違って善政で知られていますーー!!
袁紹様は新たに治める土地も同じように治めると仰っていますーー!!
ですからーー袁紹様と一緒に理想の冀州を作りましょうーーー!!
おねがいしますーーー!!」
とりあえず、第一声は伝えられた。
あとは彼等の反応待ちだ。
遠目に見ると何事か話をしているようだ。
袁紹の統治の話は恐らく伝わっているのだろう、端から拒否する提案でもないと彼等も考えているようだ。
そして、彼等の返事が来る。
「そんなうまい話を言って俺達を油断させて、全員殺しちまおうって腹だろーー!!」
「そーだそーだ!!」
大体予想通りの反応なので、原稿通りの返事を顔良が伝える。
「もちろん、あなた方の罪が許されるものではありませんーー!!」
そして、事前に考えておいた罪を伝える。
それを聞いた黄巾党の雰囲気が少し変わる。
田豊の言うとおり、完全に無罪というよりは、軽い罪を与えたほうが現実的で受け入れやすいのかもしれない。
特に税が重くなっても4~5割というところは一様に驚いていた。
「そんなに軽いのか?」
というように。
「そのうえ、袁紹様の領土に来たら、天の御使い様が皆様に農業の指導をしてくださいまーーす!!」
いよいよ一刀の出番である。
顔良のように3万人に伝えられるほどの声量はないが、数千人には伝えられるつもりの大きな声で演説を始める。
この時代、将軍の仕事の一つは戦場で大勢に指示をだすことだから、声の大きさも重要なことで、顔良もその例に漏れず、いざというときは大きな声を出すことができる。
でも、そんな訓練をしていない一刀は自分の大声を出すのが精一杯なのだ。
「ん゛ん゛ーー……俺が天の御使いと言われている者です。
俺は農業には詳しいので、袁紹様の領地を豊かにしてきました。
俺が来る前は民が食うのがやっとでしたが、今では大量の麦が取れるようになって、飢えることは全然ありません。
備蓄も10年以上あります。
そのうえ、麦から酒も造れるようになりました。
今では袁紹様の領民全員が数日に一回くらいなら酒を呑めるようになりました。
それでも、潤沢に麦が余ります。
みなさん、何進の治めていた土地を、豊かな土地に変えましょう!
俺と一緒に豊かな暮らしを目指しましょう!!」
黄巾党全員がしーんと聞いている。
今度は彼等同士で話をすることもなく、ただ黙って様子を伺っているようだ。
と、一人の大柄の人間がのしのしと歩いて近づいてくる。
雰囲気から、彼がこの集団を率いているものなのだろうか?
「が、顔良さん、来ちゃいましたよ」
「か、一刀さんのところに行くんですからね。
相手してくださいね」
男はまっすぐと一刀の許に歩み寄ってくる。
熊手(ピッチフォーク)をもっているので、相手が一人とはいえ、顔良でも素手ではそれほど簡単には勝てないだろう。
男は、一刀の持っている麦を手にし、その実の付き方を確認し、一刀をぎろっと睨みつける。
それから一刀の持っているビールを受け取り、ぐいっと呑む。
睨まれている一刀は命が縮む心持ちだ。
そして……
「天の御使い様!ご指導よろしくおねがいしますだ!」
一刀の前にガバッと土下座をする。
それを見た後方の群集も、全員が土下座をして、顔良と一刀に投降の意思を伝える。
交渉がうまくいった瞬間だった。
「一緒に頑張りましょう!」
一刀も嬉しさのあまり男の許に駆け寄り、思わず抱きしめる。
一刀の作戦はうまくいった。
「斗詩さーん、生きてますよう」
「ええ、一刀さん、無事終わりました」
二人で涙を流して我が身の無事を喜んでいるのだ。
皇甫嵩も、
「うむ、これなら私がいなくても問題なかろう。
私は他の土地の平定にあたる」
「少し位でしたらまた面倒を見てもよろしいですわよ。オーッホッホッホ」
「それでは、我が身に危険が及んだときは世話になろうか」
といって、袁紹の許を去っていった。
もっと早めに党錮の禁を解いて、反乱の鎮圧を行っていれば地方の小規模な乱で済んだものを、と思いながら。
袁紹から皇甫嵩軍へのお土産は英美皇素錠。
土産といえば聞こえがよいが、在庫処分という話もある。
まあ、もらったほうはかなり喜んでいたので、万事OKだ。
さて、他の黄巾党の暴徒も、その話が伝わったようで、そして実際に酷い仕打ちを受けていないという話を聞いて、同じように袁紹の許に次々と投降していった。
これで、冀州の黄巾党は全て鎮圧できると思われた。