復活
虎牢関は汜水関の目と鼻の先にある。
なので、汜水関を落とした翌日には軍が虎牢関の傍に陣取っている。
虎牢関を守っているのは呂布。
先陣を務めることになったのは曹操だが、汜水関のように挑発にも乗らず、でんと構えていてなかなか難攻不落の様相を示している。
「何をしているのですか!
こんなところでぐずぐずするわけには参りませんわ!!」
「は、はい。
今、全軍で攻略を考えていますから、もう少し待ってください」
「遅いですわ!
早く落とすのです!!」
袁紹のヒステリーを顔良が必死になだめている。
「えーん、菊香さん。
一刀さんはまだ復活しないんですか?」
そう、一刀はいま一種の心的外傷を被った状態にあって、ちょっとした欝状態になってしまっていた。
だから、袁紹の相手をすることもできない。
その話を聞いたときの袁紹軍の将軍、軍師の衝撃は、袁紹軍が全滅したという報を聞いたら、そのくらい衝撃を受けるだろうというくらい酷いものであった。
今、袁紹が暴走したらどうしよう。
「ええ、まだ。
でも、清泉が一日中抱きしめていて、表情も戻ってきたので、そろそろ大丈夫だと思うんだけど……」
「早く戻ってきてくださいね。
一刀さんがいないと、袁紹軍はめちゃくちゃになってしまいます」
「わかってるわ」
失われてみると、改めて一刀の存在意義の重要性に気付く人々である。
さて、一刀は、というと……
「清泉……」
「一刀。ゆっくり休んでいていいんですからね」
「うん。清泉のおかげで、かなり気持ちが落ち着いてきた」
かなり復活してきたようだ。
「当然ではないですか。
夫婦なんですから」
田豊、沮授の心は、もう一刀と夫婦であることが既定事実になっている。
「……ごめん、信頼を裏切るようなことをしてしまって」
ここで否定しないから夫婦になってしまっているのだろう。
「いいんです。あれは、ちょっとした事故だったんですよ。
それ以降一度もしていないでしょ?」
「知ってるんだ」
「ええ。あの次の日の朝、一刀が来たときに臭いでわかりました」
沮授、なかなか恐ろしい女である。
実は、一刀を放り出したのも一刀を試すためだったりする。
これで、関羽と再度するようなら、本当に分かれるつもりだったのだが、一刀は沮授らの信頼に応えてくれたので、二人とも一刀とよりを戻すことにしていたのだった。
一刀が信頼に応えたのが分かったので、沮授はにっこりと微笑んだのだったが、その時の一刀にそんな高度な背景が分かるはずはなかった。
「そ、そうなんだ……」
「ええ。
ところで…………人が死ぬところを見たのは初めてだとか。
あ、言いたくなければ言わなくてもいいんですけど」
「いや、清泉には知っていてもらいたい。
俺のいた世界、というか俺のいた国は平和で、戦争なんかなかったんだ。
だから、当然人殺しもないし、死ぬ時はほとんどが医者に診られながらだったから、死を実感することがまったくと言っていいほどなかったんだ。
もちろん、事故で死ぬ場合もあるけど、ほとんど身近にはおこらないから、どうも実体験がなかったんだ。
だから、人があんなにも簡単に死んでしまうなんて、衝撃で」
「そうだったんですか。
でも、残念ながら今は戦乱の世。
戦がそこかしこである時代。
麗羽様に付き従えばいくらでも人の死を目にしてしまうと思います。
それは、避けられません。
それを慣れろとはいいませんが、だから……だから、苦しかったらいつでも私を頼ってください」
「うん、ありがとう。
もう、大丈夫だと思う。
それで、少しは仕事に戻りたいんだけど……今は虎牢関の前にいるの?」
「そうですよ」
「ふーーーん」
「どうしてですか?」
何事か思案している一刀に、沮授がその思いの内容を尋ねる。
「俺の知識が役に立つなら、まもなくこの関を捨てて洛陽に戻れという指示が為されるはず。
そして、その時に我々が混乱して、それを見た呂布さんが正面から飛び出してくるはず。
呂布さんは連合軍側の何人かの武将とやりあって、どこかに消えてしまう。
その後、虎牢関は無人の関となっている、という流れのはずなんだけど、違ったらごめん」
「そうなんですか。
それでは、何となく本気で攻略しようとはしていない曹操はそのまま放っておいていいのですか?」
「うん、でも、まあ状況が俺の知っているそれと大分違うんで、その通り進むかどうかはわからないけど。
だいたい、俺の知っている知識じゃ、もう宦官はいない場合が多い」
「え?どうして、宦官がいないのですか?」
「えーっと、それは、まあ……色々あって………」
何進が殺されたときに袁紹が怒って全員やっつけました!なんていったら、笑い話になってしまいそうだ。
「いいたくないことがあるなら、別に言わなくてもいいですけど。
それで、何か今後の案はあるのですか?」
「うん、呂布さんを陣営に引き入れたいなって思うんだけど」
「呂布を?
確かに最強の武将の一人ですから味方に出来ればいいでしょうが、そんなことをしようとしたら、軍に多大な被害がでるのではないですか?」
「軍は使わない。
戦わないで味方に引き入れたいと思う」
「どうするのですか?」
「食べ物で釣る」
「食べ物で?」
「うん。そういう行動をとる呂布さんだったら、結構食いしん坊で、それに素直な性格の人だから、董卓さんを助けると言ったら従ってくれると思う」
「……今、董卓を助けるといいました?」
「あ、まだ言っていなかったんだ。
董卓って、気弱な女の子で、宦官にいいように使われているだけだと思う。
だから、陛下を助けるのと同時に彼女も助けたいと思うんだけど」
「…………少なくとも麗羽様は賛同しないでしょう」
「どうして?」
「事実としてあるのは董卓軍が宦官の手助けをして悪政をしているという点。
それはいいですね?」
「うん」
「まず、董卓が自らの意思で悪政を敷いている場合。
これは、文句なく粛清の対象になるでしょう。
では、董卓が一刀の言うとおり使われている場合。
それでも、董卓軍が宦官の手助けをしているという点には違いがありません。
そして、董卓は宦官の横暴に対し、自軍を抑えることもできない無能な将ということになります。
結局董卓は無能であるが故に宦官の手助けをしているということになるのです。
だから、やはり粛清の対象になるでしょう」
「じゃあ、董卓さんを助ける方法はないの?」
「死ぬしかないでしょう」
「そんなぁ!」
「あとは、本人が受諾するのであれば死んだことにすることですね」
ああ、蜀ルートで劉備が採った方法だ。
「本人が身分を捨てれば助かるってことだね?」
「ええ。その代わり、その作戦の責任は私たちでは取れません。
一刀が全て責を負うことになります」
「責って?」
「作戦の実行、及びばれたときの麗羽様への説明、説得しきれなかったときは……最悪の事態も考えておいてください」
殺される、ということか。
でも、あの董卓さんの雰囲気を信じて……
「わかった。
その代わり、一人だけだと辛いから、最低限の応援は欲しい」
「その点は協力します。
でも、その前に確認したいのですが、董卓を助けて我々に利することがなにかあるのですか?
呂布を引き入れることは、洛陽攻略にも有効ですし、袁紹軍の能力向上にもつながりますから意義がありますが、董卓を助けて何がいいのですか?
それがないと、ただの一刀のわがままに過ぎなくなってしまって、協力がむずかしくなるのですが」
「そうだな……
まず、呂布さんは董卓軍の一部だから、董卓さんがいたほうが呂布さんが従ってくれやすいと思う。
それから、もう一点。これは俺の予想でしかないんだけど、おそらく陛下と董卓さんは仲がいい」
「どうしてですか?」
「そうでもなかったら、十常侍の言われるままに董卓軍を動かす理由が無い。
ただでさえ偏狭の州牧なのだから、わざわざ洛陽に来る必要が無い。
陛下を守るために手伝えとか言われて、軍を率いてきたんだけど、挙句の果てに董卓が軟禁状態になって董卓軍が十常侍のいいなりになった、というのが一番ありそうな話だと思う。
仲がいいなら、陛下をお救いするときに董卓さんも一緒につれてきたほうがいいと思う」
「そうですか。
それはありそうですね。
それでは、一刀の案を元に、菊香や他の将、軍師も交えて作戦の詳細を詰めましょう。
……その前に、麗羽様をなだめてきてください」
「麗羽様?」
「ええ。虎牢関が落ちなくてカリカリしてますから」
病み上がりに、いきなり難易度の高い仕事が降ってきたのであった。